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「現存・古事記」と江戸時代の知識人・「蛮社のコジキ」・(3)・(55y)  スナワチ、「現存・古事記」は


 スナワチ、「現存・古事記」は、  日本史=中国史(中国の諸歴代の漢籍)・・・・・・→・・・江戸現代史       =印度史(仏教史・仏教経典)・・・・・・・・・→・・・江戸現代史       =世界史(エジプト・ギリシャ・中東)・・・・・→・・・江戸現代史       =羅馬史(キリスト教・旧約、新約聖書)・・→・・・江戸現代史  江戸時代の「諸人物」の「事件」を根底とした「幕府政治の批判」を兼ね、重ね、「現存・古事記」作者の「知り得た全ての知識」を「漢字」の「音訓」とその「意味」を媒介にした「記録」なのである・・・。  「源・古事記」を次々と「改作記録」した怪しい人物は各時代順に「太安萬侶」を筆頭に「秦河勝」、「多長人」、「虎関師錬」、「賢喩」、「天海」、「三浦案針(ウイリアム・アダムス)」、「黒田如水」の血縁子孫、「徳川光圀(水戸黄門・梅里)」周辺の諸学者、「隠れキリシタン」周辺の人物、「新井白石」、「江戸時代の戯作者」、「高野長英」その人、あるいは彼の「娘」達、あるいは彼の周辺にいた「蘭学者」、「地理学者」、「数学者」等が存在するのだが・・・。  デワ、一番怪しい最終の「現存・古事記」の「改作人物」はダレか? 儒教、仏教、道教の「三経典」を比較、批判して「出定後語」、「説蔽」、「おきなのふみ」等を著作したのは大阪商人の家に生まれ、「延享三年(1746年)」に死亡(暗殺?)した「富永仲基」周辺の人物か・・・マダ、マダ懸けられている時代は後だ。  「天明三年(1783年)」に「検校」となった人物、「五歳」で「盲(めくら)」となり幼名が「虎之助」、号が「温古堂」と称した「塙保己一(はなわほきいち)」とその周辺か・・・まだまだ時代は後だ。  あるいは「ナポレオン3世」に謁見した「幕末動乱期」に幕府がフランス(仏国)に派遣した「人物」の誰かがナガーイ、ナガぁーイ船旅の船中でカキ綴ったのではないのか・・・そしてエジプトの砂漠で「巨大な石の獅子」をみて「猪(亥)」と「虎(寅)」が「合体するモノ」とはコレのことだったんだと「納得」し、そこで「記念写真」を撮らせた人物に違いない・・・。  「1999年7月7日水曜日」の「中日新聞・夕刊・E版」の記事には「【ロンドン7日共同】幕末の鎌倉で(じょうい)浪人に殺された英国軍人の署名がある英和事典がこのほど、ロンドンの古書市場で見つかった。日英交渉史を研究している恒松郁生『ロンドン漱石記念館』館長が競売で入手した。」とある。この辞書の内側のページには「英国歩兵第二十連隊バード中尉、1864年8月13日」と書き込みがあるらしい。右から  「安政四年稟准」、  「井上修理校正」、  「英語箋」、  「一名 米語箋」、  「村上英俊閲」  と印刷されている。そして、英語で、   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   ・AN ・   ・EINGLISH AND JAPANESE ・   ・AND ・   ・JAPANESE AND EINGLISH ・   ・VOCABULARY ・   ・COMPILED PROMANTIVE WORKS・   ・BY ・   ・W,H.MEDHCRST ・   ・ ・   ・BATAVIA ・   ・PRINTED BY LITHOGRAPNY ・   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  と印刷されている。ちなみにこの「バード中尉」は「1864年(元治元年)」の「十一月二十一日」に「鶴岡八幡宮前」で事件にあって死亡したらしいのだ。外国人が絡んでくる事件は「1792年」の「北方の海」からであった。  日本史年表をみていると江戸時代の天災は「噴火・地震・津波・大雨・洪水・干ばつ・飢饉・火事」が殆ど毎年記録されているが、これは現代にも毎年起こる「天災」と同じである。結果は「天災に苦しむヒトビト」の「一揆」である。「人災」は権力者の「重税」と「戦争」にあるが、元来「古代の戦争」は「天災」による「ある種族」の「別天地(食料)を求める移動」に起因する。「モーゼ」が「出エジプト」を決断したのは「エジプトの天災・飢饉」が原因である。「ファラオ」の弾圧の前に「イナゴの大群」や「疫病(過ぎ越し)」、「ナイル河が赤く染まった天災」があったのだ。エジプトの宰相となった「ヨセフの子孫達」が「奴隷」であるワケがない。「母なるエジプトの大河と大地」は「枯渇・干ばつ」したのだ。「イスラエル人」だけではなく、「エジプト人」も含めて「死活の『出エジプト』」であったハズだ。・・・そして、「戦争のない平和な江戸時代(?)」ではあったが「天災」を防ぐことは無理だった。「天災」があってもその後の生活がナントカなるのは「生き残った支配層」だが、そのナントカが「武士階級の上層」と「豪商」が結託し、「天災」にもかかわらず「百姓から過酷に搾取したモノ」を「商品流通経済」に投げ入れ、不当な「再分配」をしたコトである。その結果の「怒りの『一揆』」であり、それに対する弾圧である。  「人災」はこの時期、「火事・盗賊」であった。1788年(天明八年・十月)には「先手弓頭・長谷川平蔵(宣以)」を「火附け盗賊改」の役に抜てきされた年であった。当然、「盗賊が増える原因」は喰えなくなった農村からの「離散者」や「浪人」が「無宿人」として「食料」が集積される都市へ流れるからだ。「火附け」は「盗賊」の掠奪の混乱を狙う「戦術」である。  そして、身分の階層、階級に関係なく襲って蔓延する「疫病」は「医者」と「行政権力者」がなんとかしなければならない問題であるコトは現代でも同じだ。「日本史年表」の「735年(天平七年・乙亥)」には「豌豆瘡流行・死者多数」と記録されている。翌年の「736年・丙子・5月」には「バラモン僧」の「菩提仙那」や、「華厳宗・律宗」を伝えた「唐僧」の「道叡」が来朝した。そして翌年の「737年・丁丑=綴牛」、「疫病(天然痘)」による全国的な蔓延は「聖武天皇」の閣僚であった「藤原一族」をも壊滅状態にしたのだ。支配階級といえども、「神仏」に祈っても無駄であったのだ。  江戸時代、「1631年(寛永八年)」には「疥癬・痘瘡」が流行、「1638年(寛永十五年・甲寅)10月」には「江戸品川の『牛込』に薬園」を造った。・・・同年2月には「天草の乱」の根拠地、「原城」が陥落しているのだ。捕虜三万数千人の浪人、百姓、キリシタンがすべて処刑されたのである。  「疫病」は支配階級の「命」を保証しはしないのである。「疫病の神」は万人に平等なのだ。現代の「エイズ」や毎年起こる「疫病・感冒・伝染病」への対策は「国家体制維持」を望む「支配階級」の緊急課題であるハズなのだ。  現代の難病「エイズ」の「アナグラム(anagram=文字交換)」は、  「イエス(Jesus=ジィゼス            ・辞意是素・示威是蘇・自慰是諏・侍医是守)」で、  「キリスト(Christ・Χριστοs       =クリスト       =crest・鶏のとさか             =酉の土佐か=土佐の西の掛け             =横島・横島・横島、横島・日振島・宇和・宇佐)」、  「メシア(救済者=めしあ=眼祇亜=女祇哇=女姉噫=女始嗚)」で、  「むすめ、かみに、アァと、嘆き恨みの声を洩らす」ではないのか・・・  「記(紀・祁・基)リスト」、  「危(貴・揆・起・企)リスト」で、  「企吏守図」、  「忌痢素屠」で・・・  「あなどるな=侮るな=軽(ケイ・キン・かるい)          =蔑(ベツ・メチ・さげすむ・すてる             ・くらい・みえない・めくら・くわしい             ・ちいさい・けずる・ほろぼす)」  ・・・等の「同音異字」とは・・・とにかく、「支配階級」のわが身を含めて、親族、共同体すら壊滅させる「伝染病」である。「医療者(医者)」や『薬草者(薬屋・薬社)』、「厚生(官僚)者」が「罹病者」、「患者」、「庶民」の「命」を「食い物」にし、「私利私欲」で「懐中を肥したツモリ」でいても、「八足の蛸が鮹の足を食らう自滅」の道なのだ。「厚生省」とは「荒逝省」らしい・・・「凧の足」が切れれば空中からの墜落で、「多古のタリ(あし・ソク)」が見えなければ「歴史」は見えず、である。  ・・・当時の「赤髭先生」や「蘭学者・知識人」は「御政道の体制内」にあって、それに気づいていたハズだが、イカンセン、「政治家(声字掛)と商人(蛙句読)」は「目先(女箋)」の「利益(理重記)」にのみしか、「皮相」にしか「関心(観審)」がなかった・・・  そして、「幕藩体制」の政治的動揺は「海(うみ・わた・あま・カイ)」からの「外圧(解亜柘)」である。1789年(寛政一年)5月には「クナシリ島」で「蝦夷・アイヌの倭人に対する叛乱」が起こった。そして「二丸不正貸付金問題」で「奥女中の多数」が処罰されたのだ。1792年(寛政四年)五月の「林友直(子平)」の「海国兵談」に対する「禁固」はその前兆であった。  1792年(寛政四年)・・・6月安房嶺岡牧場で「白牛酪」の製造  ↓ 9月ロシア使節ラクスマンが「大黒屋光大夫」  ↓             を送って根室にくる。  ↓  1803年・・・7月アメリカ船「ナガサキ」が長崎に入港  1804年・・・ロシア使節「レザノフ」が長崎に入港  1809年・・・~1814年まで「ナポレオン戦争」によりオランダ船入港          中絶。  1811年・・・6月ロシア艦長「ゴロウニン」を捕虜とする  1813年・・・「尾藤二州(約山)」の死没。  1814年・・・6月イギリス船「シャーロット号」が長崎に入港  1815年・・・2月千姫150回忌法会を伝通院で、            家嗣百回忌法会を増上寺で行う。          4月家康二百回忌法会を日光山で行う。          4月「塙(はなわ)保己一」、家斉に謁見。            「杉田玄白」の「蘭学事始」。          5月阿蘇山噴火            盛岡南部藩で一揆・          7月朝鮮飢饉  1816年・・・4~8月疫病流行・  1823年・・・7月プロシャ人「シーボルト」の来朝  1823年・・・「シーボルト」が長崎で「鳴滝塾」を開塾  1829年・・・10月「シーボルト事件」             「天文方」の「高橋景保」が連座  1837年・・・2月「大塩平八郎の乱」  1838年・・・10月「高野長英」の「夢物語」  1839年・・・・・「蛮社の獄(蛮舎の獄)」          5月「高野長英」、「渡部登(華山)」等が逮捕される。             「小関三英」自殺  1849年・・・6月「佐賀藩医・楢林宗建」が「蘭法」で「種痘」をする。             佐賀藩主「鍋島斉正」が全藩内に実施させる。          12月「佐倉藩」も「種痘」実施の奨励  1850年・・・10月『高野長英』が暗殺(撲殺)  1858年・・・2月「江戸・案針」橋より出火          5月「伊東玄朴」ら「神田お玉ヶ池」に「種痘所」を設置          8~9月江戸「コレラ病(暴瀉病)」で、死者二万八千人余          十一月「塙(はなわ)次郎(塙保己一の子ども)」を「小十             人格」とする。             「亜」とは「次」で、「亜相」は「大納言・御史大夫」             「亜流」とは同類の系統。模倣者である。「亜=亞」  1861年・・・12月「遣欧使節」として「竹内保徳」、「松平康直」らが              イギリス軍艦「オージン号」で品川を出発  1862年・・・3月「竹内保徳」が「ナポレオン三世」に謁見          4月「麻疹」が流行          7月「竹内保徳」等が          ロシア皇帝「アレクサンドル二世」に謁見          9月オランダに          「榎本武楊」、          「津田真道」、          「西周(あまね)」等を派遣  1862年・・・「塙次郎」が「廃帝史実」の調査の疑いで暗殺  1863年・・・12月「鎖港談判交渉」に「池田長発」等34名を          「フランス」に派遣          「池田筑後守」「川津伊豆守」「河田相模守」「田辺太一」          「田中廉太郎」「西吉十郎」「斎籐次郎太郎」「須藤時一郎」          「塩田三郎」「谷津勘四郎」「堀江六五郎」「益田鷹之助」          「杉浦愛蔵」「横山敬一」「矢野次郎兵衛」「松濤権之丞」          「尺振八」「益田進」「山内六三郎」「原田吾一」「小泉保右エ門」          「大関半之助」「金上佐助」「岩松太郎」「別所三郎」          「高橋留三郎」「玉木三弥」「菅波恒」「三宅復一」          「名倉予何人」・・・「奥州棚倉藩士」          「森田弥助」「浦本時蔵」          「乙骨亘」「青木梅蔵」等          (ココに記した人名は「小学館発行」、「鈴木明」氏の           著作「維新前夜」から抜粋したモノです)  1866年・・・10月25日幕府師弟「英国留学生12名」出発         学生取締役は「川路太郎」、「中村敬輔」         留学生は「箕作大六」「箕作奎吾」「市川森三郎」               「林重三郎」「杉徳次郎」「成瀬錠五郎」               「外山捨八」「億川一郎」「福沢英之助」               「伊東昌之助」「安井真八郎」「岩佐源二」等          (ココに記した人名は「新人物往来社発行」、「宮永孝」氏の           著作「慶応二年幕府イギリス留学生」から抜粋したモノです)  「鎖国」は「倭人種」を延命させる「一つの方法」であるカモ。「経済」、「政治」、「地理」に於て「鎖国」は「betterの方策」であるカモ(?)。「国の領海の際(きわ)」から孤立、独立し、延命させるのだ・・・もう、充分に「腐るほどモノ」はある。リサイクルも出来る。他国に賣るモノ(商品)は必要ない。ないのは「エネルギー」と「原材料」、「食料」等だ、と、「日本人種の延命思想」であるらしいが、コレラのモノは総て日本国内に「豊富に存在」するのだ・・・「富の配分」さえきっかり出来れば「飢餓」で死ぬヒトなどはイナイのだ・・・もちろん「地球規模」でもそうである・・・食料の種、遺伝子治療薬、言語記録、スベテのモノに「特許・特権」等を与え、与えられて「利権を貪ろうとしている幻想」の中で生きているのは他でも誰でもない、「アンタ自身」である。「国際関係」を一切絶って、「自国のみの安全」を「日本国憲法」を「厳守」することによって、「他国」のことはナンのソノ、エゴに徹して「鎖国」をしましょう、「サコク」を・・・麻薬、伝染病、性病の類は「外国人」が来るたびに蔓延していったのだ。およそ「三年間」で世界中に席巻、蔓延した「梅毒」は「コロンブスの遺産」である。確かめたワケではないが研究者によると「犬」を埋葬した「縄文人の遺骨」には「結核病」の兆候はないらしいが、「犬」を食用とした「弥生人」にはあったらしいのだ。もちろん、後の時代の仏教が戒律、「肉食禁制」で体力の無い「奈良・平安宮廷人は早死」であった。だが、「宰相」クラスの人物は中国でも我が国でも「長生き」しているのだ。「健康管理」は「食膳」からであるのは言うまでもない。だが、「栄養失調」は搾取された貧乏人に属し、「疫病・流行病」は万人に属するのだ。・・・出来なきゃぁ、「鎖国」を「地球規模」に「日本国憲法」で拡大すればいいのだ。そのうち、「宇宙」からの「黒船」も来ることだろうし・・・  トラ、トラ、トラ・・・「虎列刺(コレラ)」、ネズミ、ネズミ、ネズミ・・・「黒死病(コロリ)」、ムシ、ムシ、ムシ・・・「鵡詞・六史・無視・無死・無私・蒸し・武士・節・務試・夢誌」・・・キリキリ、キリがないからモウ、モウこの辺りで今日はオワリにして・・・明日にしょう。  前述した「カタカナ」と「 」にククった「漢字」を「同音異字漢字」にしてヨンで下さることを切に望みながら、アタマを「マクラ」に沈め、「メ」を閉じて夢の世界でアナタと「アサマデ」討論したい・・・いや、ヤメにして静寂で「沈黙、鎮杢、椿木、砧(きぬた・イシのウラナイ)母句、陳模句」・・・唖黙るアワのカミ・・・。


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