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「国家」と言うコトバ・・・「ガシ」からの防衛組織?

2023/3/21・火曜日・・・追加添文・・・

「国家」と言うコトバ・・・「ガシ」からの防衛組織・・・?

 朝からガンガンの天気・・・

 北海道、蝦夷地も春の兆しだが・・・

 山桜と八重桜の天辺を目指している枝を「剪伐・剪採」・・・?

 「鋏=はさみ=波佐見・挟み・鉸・螯・挿み・剪み=剪刀」

 草彅=草+彅(弓+剪)

 彅」の書体

 彅=弓+剪==薙

   弓+前+刀

   弓+䒑+刖+刀

   弓+丷+一+月+刂+刀

 彅=なぎ=薙

   国字

 剪=前+力

   䒑+月+刂+力

 剪=α+剪

 㨵=扌+剪=切り取る・断ち切る・削減する

       排除する・削除する・根絶する

 謭=言+剪=謭=譾=セン・浅い・浅はか

 草彅=くさなぎ

 「剪」

 剪=前+刀

   䒑+刖+刀

   丷+一+月+刂+刀

   セン

   きる(切)

   つむ(摘む・抓む)

   はさむ(挟む)

   ほろぼす(滅ぼす)

   切りそろえる・はさみで切る

   滅ぼす・討ち滅ぼす

 α+前・・・歬=止+舟・偂=イ+前

 偂=イ+前=ゼン・セン

   まえ・さき・時間的、場所的に先のほう

   あらかじめ・先だって

   過去・昔

   みちびき・みちびく

 揃=扌+前=セン

   そろい

   そろう

   そろえる

   切る・たち切る・切りそろえる。

   同じである・同じにする

 葥=艹+前=セン

   植物の名・箒木(ほうきぎ)・アカザ科の一年草

   木の名・きいちご・バラ科の落葉低木

   車葥(しゃぜん)=オオバコ科の多年草

 媊=女+前=𡠔=𡠡

   セン

   ゼン

   シ

   宿曜経・女宿

   「甘氏星經」

   太白上公,妻曰女媊

   女媊居南斗

   食厲・天下祭之・曰明星

   「說文解字注」

   媊=甘氏星經曰。天官書曰。

     昔之傳天數者在齊甘公

     徐廣曰。或曰甘公名德也。本是魯人。

     按藝文志無甘氏星經。

     有甘德長桺占夢十一卷。

     云楚人。

     大白號上公。句。

     妻曰女媊、凥南斗食厲。

     天下祭之曰朙星。

     天官書曰。大白、大臣也。其號上公。

     妻曰女媊居南斗食厲、未聞。

     論衡所引 山海經度朔山二神人。

     主閱領萬鬼。

     鬼之惡害人者、執以葦索而用飤虎。殆與相類。

     大白偁明星。

     封禪書、地理志陳倉有上公明星祠。葢祀大白也。

     此云天下祭之曰明星。葢祀女媊也。

     或曰 雝有南北斗大白諸布之廟矣。

     則上公明星之祠葢祀女媊。

 湔=氵+前=セン・洗う・すすぐ・四川省を流れる古い川の名

 㡐=巾+前=セン・はたじるし・旗につけるしるし

 煎=灬+前=セン=㷙

   䒑+刖+灬

   丷+一+月+刂+灬

   いる・にる・あぶる

   煮る・煮つめる・せんじる。

   精錬する・溶かして練る

 ↓↑

 前+α

 前剪偂揃葥媊湔㡐㮍椾

 瑐㷙箭翦糋鎆騚鬋

 ↓↑

 苗字

 肝煎(きもいり)

 煎江(いりえ)

 煎澤(いりさわ・いりざわ)

 煎沢(いりさわ・いりざわ)

 煎谷(いりたに)

 煎本(いりもと)

 熟語

 炒り子・熬り子

 煎り子(いりこ)小いわしを乾燥させたもの・いり干し

 炒り粉・煎り粉

 熬り粉(いりこ)米の粉をいったもので菓子の材料

 煎る・炒る

 熬る(いる)食材を鍋などに入れ

       火にかけて水分がなくなるまで熱する

 乾熬り・乾煎り・空炒り

 空煎り(からいり)

 鍋に油を引いたり、水を加えたりせずそのまま煎ること

 瓦煎餅(かわらせんべい)

 小麦粉に卵と砂糖を加えたものを屋根瓦の形に焼いたもの

 肝煎り(きもいり)

 間に入って様々な世話をする人・世話人

 ↓↑

 㮍=前+木=サン・セン

   かけはし・けわしい崖などに木をかけ渡した橋=桟

   かきもの・てがみ・文書=箋

   ときあかし=注釈=箋

   なふだ・名刺=箋

   はりふだ・ふだ・注釈を書き記しておくもの=箋

 椾=木+前=㮍

 瑐=王+前=

 㷙=火+前=煎

 箭=竹+前=セン・や

   矢・弓で射るもの

   やがら・矢にある竹の部分

   やだけ・しのだけ・矢を作るのに用いる

   福部町箭溪(ふくべちょうやだに)

   真備町箭田(まびちょうやた)

   箭弓町(やきゅうちょう)

   箭坪(やつぼ)

   名字

   一箭=いちや

   大箭=おおや

   勝箭=かつや

   紺箭=こんや

   箭内=せんうち・せんない・ぜんない

      やうち・やない・やんない

   急箭

   火箭

   弓箭

   暗箭傷人(あんせんしょうじん)

   こっそりと人を陥れたり、中傷したりすること

   「暗箭」=暗がりから放たれた矢

    「傷人」=人を傷つけること

    「暗箭人を傷る」

   一箭双雕(いっせんそうちょう)

   一つの行動で二つの利益を得ること

   「雕」=鷲

   光陰如箭(こういんじょぜん)

   「光陰箭の如し」

   千射万箭(せんしゃばんせん)

   一つ一つのことに手を抜いてはいけない

   千本万本の矢を射るときでも

   今射る矢をおろそかにせず

   新たな気持ちで望むべきということ

 翦=前+羽=セン

   きる

   そぐ

   はさむ

   ほろぼす

   羽が生える。生え揃う

   矢羽

   きる・つむ・はさむ・切りそろえる・はさみで切る=剪

   滅ぼす・討ち滅ぼす=剪

 糋=米+前=セン

   せんべいのようなもの

 鎆=金+前=

 騚=馬+前=セン

   ひづめが四つとも全て白い馬

 鬋=髟+前=セン

   女性の鬢(びん)が垂れ下がっているさま

   鬢=耳のそばの髪

   切る・髪を切る・切りそろえる

 ↓↑

 一宇剪宇(いちうきりう)

  剪定(せんてい)

  剪む・鋏む(はさむ)

  鋏(はさみ)で切る・つむ

  剪除(せんじょ)

 冒雨剪韭(ぼううせんきゅう)

  来訪した友人を手厚くもてなすこと

  「剪韭」=にらを摘みにいくこと

  来訪した客をもてなすために雨の中

  にらを摘み食事をごちそうした故事


 前=歬・偂

 前=䒑+刖

   丷+一+月+刂

   セン=

   みさき

   まえ・さき・時間的、場所的に先のほう

   まえ・さき・あらかじめ・先だって

   過去・昔・以前(いぜん)

   みちびき・みちびく。

   まえ=分け前・わりあて・分量

   高貴な人を指す敬称

   人名

   くま

   すすむ

   ちか

   地名

   前田(まえだ)

  宮前町(みやまえちょう)

  駅前(えきまえ)

  宮前(みやまえ)

  駅前町(えきまえちょう)

  赤前=あかまえ・せきぜん

  明前=あけまえ・みょうぜん・みょうまえ・めいぜん

  新前=あらまえ・しんまえ・にいまえ

  庵前=あんのまえ・あんまえ

  池前=いけまえ

 ↓↑

 秋雨前線(あきさめぜんせん)

  九月~十月にかけての停滞前線

  北から南へ移動して消滅

 ↓↑

 当たり前・当り前

 以前(いぜん)=基準となる時を含みそれより前のこと

 板前(いたまえ)・板場

 後ろ前(うしろまえ)

 羽前(うぜん)=現在の山形県の大部分

 ↓↑

 一往直前(いちおうちょくぜん)

  何があっても恐怖せずに、ひたすらまっすぐ進むこと

   「一往」=ひたむき

   「直前」=前だけを見てまっすぐ進むこと

 ↓↑

 階前万里(かいぜんばんり)

  天子が地方の政治の状況を詳しく知っていて

  家臣がごまかすことができないこと

   「階前」=宮殿の階段の前

 万里の遠方の地方のことも詳しく知っている

 ↓↑

 冠前絶後(かんぜんぜつご)

  他よりも、飛び抜けてすぐれていること

  極めて珍しいこと

   「冠前」=過去から今までで一番すぐれていること

   「絶後」=今から未来にも現われない

   「冠絶」と略す

  宋の徽宋帝が

  唐の画家の

  呉道子を評した故事

  空前絶後(くうぜんぜつご)

 ↓↑

 梧前灯火(ごぜんとうか)

  書斎で本を読むこと

   「梧前」=桐の机の前のこと

       桐の机の前の明かりの下

 ↓↑

 史上空前

 相手変われど手前変わらず

 朝飯前(あさめしまえ)

 朝飯前のお茶漬け

 嵐の前の静けさ

 ↓↑

 稲荷の前の昼盗人

 白昼堂々、稲荷神社の前で物を盗む不届き者

 後ろ千両前一文(うしろせんりょうまえいちもん)

  後ろ姿はとても美しいのに

  前から見ると全然美しくないこと

 何時から「国家」と言うコトバが出来ちゃったんだろ・・・  共同体の指導者の出現の契機・・・自然災害、人造災害・・・  「家族」である集団のリーダーは  家族構成員を食わせ、養い、外的から守る父か母である・・・  父母が健康上に障害、あるいは欠落した場合は  子供の兄弟姉妹のダレかである・・・  その時のリーダーは  男女の性別、  歳の長短のいずれかは問わなかっただろう・・・  家族のリーダーシップを摂る人間は  飢えからの回避する為の  知力、体力、行動力、  外敵からからの暴力に対抗する為の  統率能力を有する者で  その時の家族構成の事情、状況によっただろう・・・  家族生活、社会生活をする  スベテの生物の生活のあり方は  つくづく「ダーウインが来た」の  観察映像で知らされてきた・・・  生物の生命生活とは  食うために  生産活動で採取し  狩猟活動で攻撃、捕獲し  外的から身を守る為に  個々としても、組織員としても  防衛活動をする  人間も含めて  生命活動の限界枠内で  基本的な生き方は「お変り無し」でアル・・・  饑饉・飢饉・飢餓   ↓↑  「餓死(starvation)=食物の摂取を絶たれ             栄養失調から死に至ること」  「人間の餓死=ヒトは、理論上は水分の補給さえあれば         絶食状態で2~3ヶ月程度生存が可能         この限界を越えれば餓死に至る」         (by 「wikipedia.org/wiki/餓死」)・・・  「72000kcal(体内蓄積脂肪10kg) ÷ 2000kcal(1日消費熱量) = 36日」 (by 「知恵袋」)  どっちにしても結構、しぶとく生きるコトが出来るらしい・・・  「絶食状態で2~3ヶ月程度生存」とは驚きだが・・・   ↓↑  ・・・「子供が保護者から虐待を受け食事を与えられずに餓死」  ・・・「拒食症での餓死」  ・・・「国民防衛軍事件=朝鮮戦争中の1951年1月      韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが      国民防衛軍に供給された      軍事物資や兵糧米などを横領し      横領により      9万名余りの韓国軍兵士が餓死した      事件の黒幕は      申性模・・・「申(サル)の性(サガ)を模(モス)」      韓国      国防部長官が・・・      不正に兵糧物資を処分・着服したのが原因」      by (wikipedia.org/wiki/国民防衛軍事件)  ・・・「尖閣諸島戦時遭難事件・1945年7月3日午後2時頃      アメリカ軍機が日本の疎開船団を攻撃撃沈      生存者は尖閣諸島に漂着      戦闘と飢餓などにより50人以上が死亡・・・     (乗船者180人余のうち死亡75人・沖縄県史)      尖閣諸島戦時遭難事件について      生存者の多くが口を閉ざし      明らかになったのは1974年      日本政府は、犠牲者は恩給対象外とし      特別支出をすべき事情も無い、としている」     by (wikipedia.org/wiki/尖閣諸島戦時遭難事件) ーーーーー  「飢え・飢饉=饑饉・食糧不足」の対策には・・・  「備蓄された剰余食料」の「管理」人と  その「提供」の「協力」人と、  その「公平配分」する「分配」人が必要だ  「社会主義組織」とは  「上下関係のヒエラルキー」  ↓↑  ・・・ヒエラルキー       (独語 Hierarchie、ヒエラルヒー        卑重(稗)羅留比意?        日枝羅留日出        日枝神社=山王信仰の比叡山麓(滋賀県大津市)の        日吉大社より勧請を受けた神社の社号        788年(延曆七年)        最澄が地主神として        天台宗・延暦寺の守護神とし        寺の周囲に結界を定め        その地主神を比叡山の       「諸山王」として        比叡山延暦寺        東塔に        比叡社の        山王=「大物主神(おほものぬしのかみ)」        を「山王」とし祀った   ↓↑    ↓↑        英語 hierarchy、ハイァラーキ)        葉意鴉羅阿記?        拝アラー記?        825年(天長二年)        天台宗の第二代座主        圓澄=円澄が        延暦寺の西塔に        八王子山の磐座の神である        大山咋神が勧請し        小比叡峯に        小比叡神として        山王=「大山咋神(おほやまくいのかみ)」        とし祀った  ↓↑     ↓↑        「山王」は東塔と西塔で二極化し        円珍に夢で入唐を勧めた        「山王明神」を、自身の坊に祀って        大比叡神(東塔)        小比叡神(西塔)        比叡山王(山王明神)        の「両所三聖」が成立した  ↓↑     ↓↑        968年(康保五年)        972年(天禄三年)        延暦寺の第十八代座主        比叡山中興の祖        良源により        大比叡神(東塔)        小比叡神(西塔)        聖真子(横川)の        「地主三聖」が成立し        山門派・寺門派の分裂の切っ掛けとなった・・・  ↓↑     ↓↑  ↓↑  ・・・ヒエラルキー        =階層制や階級制         ピラミッド形に上下に序列化された  ↓↑      位階制の秩序や組織  で  組織化された「武装組織」である  ・・・軍隊アリ(蟻)・・・白 アリ(蟻)  アリ(蟻、螘)・・・蟻=虫+義(羊の我)            螘=虫+豈(山の豆)                 ・・・豆の形態=勾玉⇔胎児                  御玉杓子=カエル(蛙)の子                       未成魚                       稚魚・幼魚                 幼生⇒仔魚⇒稚魚⇒幼魚(未成魚)⇒成魚                    壹與=「十一冖豆」をアタエル                 豆=脚付き、ふた付きの食器                   黒灰色の土器で,、竜山文化以降つくられ                   青銅製もつくられた                   日本の高坏 (たかつき)                   中国では礼器  ・・・蜜 バチ(蜂)・・・蜂蜜⇔密教               ・・・密=日曜=太陽=大日=摩訶毘盧遮那如来               肢長ハチ(蜂)               雀 バチ(蜂)=胡蜂               端赤雀蜂・端黒雀蜂               ハエ類、ミツバチ類、トンボ類を捕食               攻撃性は高く、巣に近づいたものは執拗に追跡  ・・・「サムライ(侍・武士)アリ」の種族・・・     戦闘と支配に特化した、奴隷狩りをする     サムライアリに支配される     クロヤマアリ(黒山蟻)  ↓↑  ↓↑     サムライアリ(侍蟻)・学名 Polyergus samurai     ハチ目(膜翅目)・アリ科・ヤマアリ亜科     クロヤマアリ(黒山蟻・Formica japonica)     などの巣を襲って     働きアリやその蛹を攫い     「奴隷」として働かせる     サムライアリの新女王は     クロヤマアリの巣に単身で侵入し     その巣の女王を殺して巣を乗っ取る  ↓↑  ↓↑ ↓↑     奴隷アリ=テムノトラックス・ロンギスピノスス          サムライアリの幼虫の養育放棄          時に積極的にサムライアリの幼虫を殺す          反乱を起こし          集団で主人のサムライアリを襲う          だがサムライアリの武力で          反乱した奴隷アリは鎮圧され皆殺し          反乱で棄命する奴隷アリと          奴隷に甘んじる奴隷アリは          ・・・奴隷刈りされる一族の絶滅を防ぐ・・・?          by 「asahi2nd.blogspot.com/2017/12/4.html             アリは本来自由であった」・・・?  ・・・ハキリアリ(葉切蟻)=Leaf-cutter ant・Leaf-cutting ant                女王アリ                大型兵隊アリ、大型働きアリ                中型兵隊アリ、中型働きアリ                小型兵隊アリ、小型働きアリ                繁殖に生まれるオスアリ                分業形態の四肢で                農業国家(巣)を守る                葉っぱを切って集め                集めた葉っぱを培地、肥料にして                アリタケ(蟻茸)                キノコ(茸・菌・木の子)を栽培  アリマキ(蟻牧)・・・アリに外敵から守ってもらい            共棲(共生)するアブラムシ(油虫)               ・・・強請・矯正・恐喝?            蟻に「牧虫」されるアリマキ・・・            アリマキの師管液には大量の糖分が含まれ            アリはこれを食料としている            アブラムシは            虫癭(チュウエイ・虫瘤=むしこぶ・gall               寄生による植物組織にできるコブ状の突起)            を形成する ーー↓↑ーー  食べ物を得る・食い物を得る・・・  働かなくちゃぁ~・・・  自分の為の食い物を得る前に・・・カネがぁ~・・・  他人の為に働かなくちゃぁ~・・・カネがぁ~  ↓↑  物々交換の市場での「交換媒介物=金銭・貨幣・紙幣」の登場・・・  ・・・「富の源泉」・・・「交換価値物」の蓄積の多寡・・・  「交換価値」物(貨幣)としての  「使用価値」の交換格差・・・インフレ⇔デフレ・・・為替変動        「好感・交換・交歓・交感・巷間」の        「質量」の格差・・・?  ・・・「詐欺・搾取」・・・「ぬすむ」って?  単純な「足し算」と「引き算」の算数  「会稽=会計」・・・ナゼ、「会稽=會稽」  ↓↑・・「計其道里,當在會稽、東冶之東(魏志倭人伝)」     「三國志・卷三十       魏志・烏丸・鮮卑・東夷傳       第三十 倭人傳.       撰者 西晉(晋)朝 陳壽(寿) 計其道里 當在-會𥡴-東冶之東. (会稽-東治之東) 」 冶=冫+ム+口        異体字「𠘦=冫+䖝+䖵+皿」        とける・いる・なまめかしい・ヤ        熔かす・鋳る・金属を精錬する        冶金(ヤキン)・鍛冶(タンヤ・かじ)        なまめく・なまめかしい        艶冶(エンヤ)        李冶(1192年~1279年)=李𠘦        金末から元初にかけての数学者の名       「天元術=代数学の問題の解法」を発展させた        字は仁卿、号は敬斎・真定        欒城の出身        金の1230年に進士・河南・鈞州の知事        1232 年にモンゴル軍の侵入で鈞州を脱出し隠退  ↓↑ 治=氵+ム+口         おさめる・おさまる・なおる・なおす        チ・ジ        はる=治          多治比県守(たじひのあがたもり)          多治比県守(おほのハルヒあがた守)?          720年          征夷大将軍として初見の人物・・・          天智天皇7年(668年)          ~          天平9年6月23日(737年7月25日)          多治比氏(多治、丹治、丹比、丹治比)  ↓↑     ↓↑ ↓↑          第28代          宣化天皇・・・父=継体天皇                 母ー尾張目子媛(尾張連草香女)                 皇后, 橘仲皇女                 子女, 石姫皇女                    小石姫皇女倉稚綾姫皇女                    上殖葉皇子  ↓↑     ↓↑ ↓↑      ↓↑                 勅旨をのべ伝える・宣旨文書                 宣(のたまい)を化す                 建小広国押楯命(古事記)                 武小広国押盾天皇(日本書紀)  ↓↑     ↓↑ ↓↑      ↓↑          上殖葉皇子(かみつうえはのみこ・かみつうゑはのみこ)  ↓↑     ↓↑ ↓↑          十市王・・・十市姫=弘文天皇(大友=伊賀の皇子)の妃          ↓↑         天武天皇(大海人皇子)と額田王の娘                「鮒の包み焼きに密書を隠して                 父親(大海人皇子)に                 夫側(大友=伊賀の皇子)の情報を流した」?                 高知県長岡郡                「十市村」・・・「拾・足」のイチ?                  「村=むら=閭・闒・閭・邨・茽                        邑・党・群・羣・黨」                   村=木+寸                   異体字「榯・屯・𡵭・邨」                     ・・・駐屯・屯田兵・・・  ↓↑     ↓↑ ↓↑          多治比彦王・・・多(おほの)治比彦(はるびこ)?  ↓↑     ↓↑ ↓↑          多治比嶋=多治志摩(624」~701)          妻=家原音那・・・加減の音名?          兄弟=三宅麻呂、(丹治真人家範 ?)          682(天武朝)年宮廷で活躍、多治比氏の地歩          「公姓」を改め          「眞人姓」を授かる  ↓↑     ↓↑  ↓↑           ・・・真人=眞人=七+県+人                =佐賀の七賢人?                 鍋島直正=弘道館・好生館・種痘普及                      反射炉の設立・大砲の鋳造                 大隈重信=立憲改進党・憲政党・内閣総理大臣                      早稲田大学                 副島種臣=外務卿・樺太境界線・中国人奴隷解放                 江藤新平=司法卿、廃藩置県、三権分立、議会の開催                 島 義勇=蝦夷・樺太探検・北海道開拓判事                 大木喬任=東京府知事・民部、文部、司法卿                      文部卿・学制・学校令・教育勅語                 佐野常民=パリ万国博覧会視察・赤十字                      博愛社(日本赤十字社)創設                      人道博愛精神              女真(眞人)⇔天渟中原瀛(眞人)              by プラトンの七賢人               クレオブロス・ペリアンドロス・ピッタコス               ビアス・タレス・キロン・ソロン  ↓↑     ↓↑ ↓↑          690(持統朝)年右大臣・太政大臣=高市皇子          701年42文武朝正二位、左大臣・藤原不比等=大納言  ↓↑     ↓↑ ↓↑          多治比県守          717年~718年          養老の遣唐使で遣唐押使を務めた          720年・・・日本書紀          按察使、征夷将軍などを歴任          729年          長屋王の変で臨時の参議          後、中納言、正三位  ↓↑     ↓↑ ↓↑        治癒         世の中をおさめる・政治・治水・治療         病気をなおす・病気がなおる         灸治(キュウジ)・湯治・難治・不治・療治・主治医  ↓↑     ↓↑ ↓↑  ↓↑     手塚治虫=目医者・眼科医・「鉄腕アトム」  が出来る人間の必然的な登場である   ↓↑  「武力(暴力)で支配した   領域に住む人々に対する   命令と   収奪   生殺与奪権を   有すると主張した   人間(族長)組織   あるいは   その組織を支配する族長の独裁組織」   ↓↑  「国家」=「みかど・ミカド・帝(天皇)・御門」       「朝庭(みかど・おほば)」  「天皇の居所=大殿にあった大門⇒御門(みかど)」  「その前庭を朝庭(みかど)」  「遠(とほ)の朝庭(みかど)」         =都から遠く離れた行政官庁(大宰府や国府)          そこへ派遣される官人         「大君の遠の朝廷」          あるいは         「スメロキの遠の朝廷」         「天皇の領知する遠方の世界」     原文 by 「万葉神事語辞典」  「the mikado=みかど=昔、外国人が日本の天皇に対して用いた敬称」  「天下を治める最高君主」   ↓↑  国家(こっか)  国境線で区切られた国の領土に成立する政治組織  その地域に居住する人々に対して  統治機構を備えるもの  領域と人民に対して  排他的な統治権を有する  (生殺与奪の権利を独占する)  政治団体もしくは  政治的共同体である  政治機能により  異なる利害を調整し  社会の秩序と安定を  維持していくことを  目的にし社会の組織化をする  またその地域の住民は国家組織から  「国民」  あるいは  「公民」  と定義される  by 「wikipedia.org/wiki/国家」   ↓↑  国(くに、こく)  住民・領土・主権  及び  外交能力(他国からの承認)を備えた  地球上の地域のこと  ほとんどの国が憲法を成文法で作成し  自国の権利や能力を他国に表明している  by 「wikipedia.org/wiki/国」   ↓↑  国家  一定の領土と国民と  排他的な統治組織とをもつ政治共同体  また一定の地域 (領土) を基礎に  固有の統治権によって  統治される継続的な公組織的共同社会  by 「kotobank.jp/word/国家」   ↓↑  国家の「消滅」・・・「196か国を消滅」させる・・・  「国家」をどのように考えるか?(3) http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2018/07/12/「国家」をどのように考えるか? http://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/page/1 ーー↓↑ーー  邑=口+巴    くに・みやこ・むら・うれえる・・・唈える              ・・・邑える?・卹・憂える・愁える・戚える    ユウ・オウ    領地・食邑・邑落    忿邑    於邑(オユウ)・村邑(ソンユウ)・都邑(トユウ)  邑=囗+巴    囗=村の囲い    巴=跪(ひざまず)いている人      合わせて「邑=村・都」    邑犬群吠(ユウケングンバイ)    小人がこぞって集まり    人の噂さなどを盛んに言い合うこと    小人が多く賢人を非難するたとえ    愚者が賢者を非難する喩え    村里にすむ犬が群がって吠えるの意    『楚辞』九章    屈原(B.C.343~B.C.277)の作った    「懐沙(カイサ)の賦(フ)」    「誰が清潔の身に汚れた垢など受けようか     揚子江の流れに身を投げて     魚の腹中に葬られた方がましだ     節操を守り、義に死するだけである」    屈=尸+出    異体字「𡕜・𡲒・𡲗・𡲬・𡲶・𣮈・詘・诎・𧬲」      かがむ・かがめる・ちぢむ・おれまがる      屈曲・屈折      くじける・負けてしたがう      屈辱・屈服      ゆきづまる・きわまる      窮屈      つよい      屈強      詰屈(キックツ)・窮屈(キュウクツ)      後屈(コウクツ)・退屈(タイクツ)      卑屈(ヒクツ)      倔=亻+屈      異体字「𥪊・誳・𩋎・崛・崫          𠡰・𡶏・𡼿・𡽈・𥖚」        つよい・クツ・ゴチ        倔強=倔彊        つよい(彊い)        彊冨(キョウフ)=富んで強い        つとめる・はげむ        自彊(ジキョウ)=自ら勉めて励む        さかい・くにざかい=疆        疆=弓+土+畺=国境を弓で守る        疆=土+彊        異体字「彊・壃・畕・畺・疅」          さかい・かぎる・かぎり・はて          キョウ          疆宇・疆土          無疆        さかい・境界=疆域・疆界・辺疆        果て・限り        無疆・彊記        新疆=新的疆土=新しい領土           new frontier=辺境・開拓地        ウイグル=回鶻・廻紇・畏兀児・維吾爾             Uyghur             袁紇・烏護・烏紇・韋紇             迴紇・回紇・迴鶻・回鶻            =テュルク語で「同盟・協力」  モンゴル帝国、ジュンガルへの服属を経て  18世紀半ばにジュンガルを清朝が滅ぼすと  「ムスリムの土地」を意味する「回疆」  また  「失った土地を取り戻す」を意味する  「新疆」と呼ばれた・・・  タリム盆地  ジュンガル盆地  東トルキスタン(イリ地方)  一帯に独立的な軍閥を形成した  盛世才-政権が  1934年に「ウイグル=維吾爾」という  呼称、漢字表記を定めた  盛世才  字は晋庸・・・「新疆王」  1917年明治大学留学  日本陸軍大学校に留学  1930年・新疆の軍官学校の教官に任命  1933年・新疆省臨時督弁に推挙    8月・新疆辺防督弁に任命  1934年    3月・新疆省政府主席に任命  1949年・国民政府と共に台湾に逃亡  遼寧省開原生まれ  1892年1月8日(清光緒17年12月初9日)  1970年(民国59年)7月13日台湾で死去  1892年1月8日~1970年7月13日  辛卯(甲  乙)食神・正官 病⇔庚戌  辛丑(癸 辛 己)食神・食神 墓⇔癸未  己亥(戊 甲 壬)  ・劫財 胎⇔甲午   辰巳=空亡 ーーーーー  島津亜矢さんが「クイーン (Queen) 」の  「Bohemian Rhapsody」を歌った・・・  Too late,your & me time has come,  Sends shivers down your& me spine-  Bodys aching all the time,  Nothing really matters,  Anyone can see,  Nothing really matters-,  nothing really matters to you & me,  Any way the wind blows….  ・・・??? ーーーー↓↑ーーー     国・國・六合・邦・郁・那・故郷・邑  徳川光圀=水戸黄門の御老公   ↓↑  彰考館  寛文十二年(1672)春  光圀は駒込屋敷の史局を  小石川上屋敷  故世子綱方の旧殿に移し  彰考館と名づけた  中国晋代  杜預の  「春秋左氏伝序」にある  「彰往考来」  (過去を明らかにして   将来行うべき道を考える)  という語句を光圀みずから選んだ   ↓↑  寛永九年(1632年)  水戸城に入城  寛永十年(1633年)十一月  光圀は世子に決定  翌月には江戸小石川邸に入り  徳川頼房の付家老  中山信吉が水戸へ下向して行われ  第三代将軍  徳川家光や英勝院の意向もあった  翌寛永十一年(1634年)  英勝院に伴われて  徳川家光に拝謁   ↓↑  承応三年(1654年)  前関白  近衛信尋の娘  尋子(泰姫)と結婚   ↓↑  明暦三年(1657年)  駒込邸に史局を設置  紀伝体の  『大日本史』の編纂作業に着手   ↓↑  万治元年(1658年)閏十二月二十三日  妻・泰姫が21歳で死去   ↓↑  寛文元年(1661年)七月  父  徳川頼房が水戸城で死去  家臣の殉死を禁じ  光圀は自ら殉死の噂された家臣宅を廻り  「殉死は頼房公には忠義だが   私には不忠義ではないか」  と問いかけ殉死をやめさせた  幕府の殉死禁止令はその2年後  8月19日  水戸藩28万石の第2代藩主となる  『桃源遺事』  寛文二年(1662年)  町奉行・望月恒隆に水道設置を命じた  望月は笠原不動谷の湧水を水源と定め  笠原から細谷まで全長約10kmを埋設した  岩樋でつなぐ笠原水道を着工  約1年半で完成   ↓↑  寛文三年(1663年)  領内の寺社改革  村単位に「開基帳」の作成  寛文五年(1665年)  寺社奉行2人を任じ  翌年寺社の  破却・移転などを断行  開基帳には  2,377寺が記されているが  処分されたのは  1,098寺  破却は713寺  神仏分離を徹底  藩士の墓地とし  特定の寺院宗派に属さない  共有墓地を  水戸上町・下町に設けた  (常磐共有墓地 ・酒門共有墓地)  長勝寺 (潮来市)や願入寺(大洗町)  などについては支援・保護  静神社(那珂市)  吉田神社 (水戸市)  などの修造を助け  神主を京に派遣、神道を学ばせた   ↓↑  寛文五年(1665年)  明の遺臣  朱舜水  を招く  朱舜水は  天和二年(1682年)死去  瑞竜山に葬られた   ↓↑  延宝元年(1673年)  鎌倉で  英勝寺を拠点として名所・名跡を訪ね  旅の記録を  『甲寅紀行』(1674年)  『鎌倉日記』(同年)として纏めた  貞享二年(1685年)  「鎌倉日記」をもとに  河井恒久らにより  地誌『新編鎌倉志』が編纂   ↓↑  延宝七年(1679年)頃  諱を光圀に改める(光圀52歳)   ↓↑  貞享~元禄の初め  建造した巨船  快風丸を使い  蝦夷地探検を三度行う  二度目までは松前までの航海  元禄元年(1688年)  三度目は松前から北上して石狩まで到達  ラッコやトドの皮などを積んで帰還  光圀の死から3年目に快風丸は解体   ↓↑  元禄三年(1690年)十月十四日  幕府より隠居の許可  養嗣子の  綱條が水戸藩主を継いだ  翌十五日、権中納言に任じられた  十一月二十九日  江戸を立ち  十二月四日  水戸に到着  元禄四年(1691年)五月  久慈郡  新宿村  西山に建設された  隠居所(西山荘)に隠棲  佐々宗淳ら60余人が伺候   ↓↑  水戸藩領  那須郡  馬頭村近隣の  湯津上村(旗本領)にある  那須国造碑の周辺の土地買い取り  佐々宗淳に命じて  碑の修繕、鞘堂の建設  碑のそばの  古墳(上侍塚・下侍塚)を  那須国造の墓と推定し発掘調査  翌元禄五年(1693年)四月に終了  六月  光圀が湯津上村を訪れ  那須国造碑と両古墳を視察  古墳の調査を終えた  同年四月  佐々を  楠木正成が自刃したとされる  摂津国  湊川に派遣し  楠木正成を讃える墓を建造  光圀の筆をもとに  「嗚呼忠臣楠氏之墓」と刻む  藩医であった  穂積甫庵(鈴木宗与)に命じて  『救民妙薬』を編集  薬草から397種の製薬方法を記させた   ↓↑  元禄六年(1693年)から数年間  水戸藩領内において  八幡改めまたは八幡潰しと呼ばれる  神社整理  神仏習合神である  八幡社を整理し、神仏分離を図った  藩内66社の八幡社の内  15社が破却  43社が祭神を変更   ↓↑  元禄七年(1694年)三月  五代将軍  徳川綱吉の命により  隠居後江戸にのぼり、小石川藩邸に入った  十一月二十三日  小石川藩邸内で  幕府の老中や諸大名、旗本を  招いて行われた  能舞興行の際  重臣の  藤井紋太夫  を刺殺  光圀が自ら能装束で  「千手」を舞ったのち  楽屋に紋太夫を呼び  問答の後  突然刺殺  紋太夫が  柳沢吉保と結んで  光圀の失脚を謀ったため・・・  元禄八年(1695年)一月  光圀は江戸を発ち、西山荘に帰った   ↓↑  元禄九年(1696年)十二月二十三日  亡妻・泰姫の命日に落飾   ↓↑  元禄十三年十二月六日(1701年1月14日)  食道癌で死去・・・・食道癌・・・半分は飢えカモ・・・?  享年73(満71歳没)   ↓↑  明暦三年(1657年)  駒込邸に史局を設置  紀伝体の歴史書  『大日本史』の編纂作業に着手   ↓↑  万治元年(1658年)閏十二月二十三日   ↓↑・・・萬の年の元の年・・・太安万(萬)侶・・・       和銅五年(712年3月9日・古事記完成)              1月4日・正税を向こう3年は無利子               12月2日・運脚の福利の勅                   運脚=担夫=脚夫                   貨物をになって運送した人夫                   調,庸 (→租・庸・調 ) を   ↓↑               地方から京師に運んだ  妻・泰姫が21歳で死去   ↓↑  寛文五年(1665年)  明の遺臣・朱舜水を招く   ↓↑  延宝七年(1679年)頃  諱を光圀に改める(光圀52歳)  天和三年(1683年)に改名したとの説  「圀」字は則天武后の  「則天文字」の一字 ーーーーー  ・・・???・・・「國=囗+或=囗+口+一+戈」・・・  或=ある・あるいは・もしくは・ワク   =不確かなもの、未知のものを示す語    「或問」・・・「古史通或問」は新井白石の著書            1716年           「正徳六年丙申三月上澣            筑後守従五位下-源-朝臣-君美-撰」           「古史通」の付録「古史通或問・三巻」    「誘惑」    「魅惑」  聝に作る(或字)・・・感・減・緘(緘口令)             鍼(はり⇔鍼灸)・憾(遺憾)         ・・・「咸=厂+一+口+戈」⇔「或」             異体字「鹹」               みな・すべて・カン・ゲン               口を封じる・口を閉ざす  馘=首+或    くびきる・カク    異体字「𩠲・𩉕・聝・䤋・𢦛」 ーーーーー  ???・・・カンコクジジョウ・・・

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 ・・・???・・・

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