「宮城まり子(本目眞理子)」さんの「ガード下の靴みがき」
2023/3/17・金曜日・・・追加添文・・・
・・・せんさいこじ・・・繊細古事・・・戦災孤児・・・先妻虎児?
集団的狂時性・・・
2016-05-03 21:03:15
| 古事記字源
・・・五月三日、憲法記念日、「月3日は1948年、日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」、憲法は1946年11月3日に公布、半年後の1947年5月3日に試行」・・・「戦争のトラウマ」は当然であるが、生き残っている日本人はその実体験、その未来的な経験を否定したいのか、肯定したいのか?・・・戦争の「シンクロニシティ」はアルのか、ナイのか?・・・昨日の夕方、小樽の従姉と娘から贈り物が届いた。娘の出産祝いのお返しだったが色んなモノがゴッサリと詰め込まれていたが、その中に風邪薬も入っていた。この街の薬屋が閉店して市販の風邪薬を手に入れるコトが不可能になっていたので隣の街へ出かけて買おうと思っていた矢先で、箱の中には「早めのパブロン」・・・孫娘の出産祝いの時に電話で「薬屋が無い」と、その時ハナシ、で、ボクの状況を気遣って、気を回してくれたらしい。風邪薬、感謝、感謝、感謝である・・・それにしてもナンか、不思議な感じである・・・過去的にはオフクロとのシンクロナイズ(synchronize・synchronise)はママ経験したコトが多かったが・・・先週TVでみた「synchronized swimming」の女性選手もスゴイけれど・・・息の合った演技・・・
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「シンクロニシティ
(synchronicity)」=「意味のある偶然の一致」のこと?
「共時性・同時性・同時発生」と訳
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カール・ユング
「Synchronizität」の英語
「因果性」の原理とは異なる、
複数の出来事を離れた場所で、
同時期に生起させる原理
双方に
一致する出来事が、
離れた場所で、
ほぼ同時期に起きること
同時期に離れた場所で起きる、
一致する出来事
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シンクロニシティ
ユングは、
ノーベル物理学賞受賞理論物理学者
ヴォルフガング・パウリ
と後に1932年から1958年まで
「パウリ=ユング書簡」と呼ばれる
「パウリの夢」とそれに対する
「ユングの解釈(シンクロニシティ)の議論の共著
「Atom and Archetype:The Pauli/jung Letters,
1932~1958(原子と元型)」を出版
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ユングの説明
人々の心(複数の人々の心)にある
ファンタズム(夢・ヴィジョン)
と
「主観」は同時的に起きている・・・
ファンタズムが起きている時には
互いの心にファンタズムが
同時的に起きていることに気づいていないが、
後になって客観的な出来事が、
多かれ少なかれ
同時的に、離れた場所ですら起きたと判明・・・?
客観的な出来事がシンクロ的に起きた・・・?
人間の意識同士は
集合的無意識
(collective unconscious)によって、交流・・・?
集合的無意識が、
人々の心、
人々の主観的な意識に入ってゆく過程を、
ユングは「個性化」と名付けた。
ユングは個々の人の意識が
集合的無意識へと反映されるプロセスもある・・・?
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戦争は大本営発表の
意識的な
「ウソで煽られた」のである、
そして、アル人びとは
集団として「熱狂」したのだ・・・
そして、自らも意識的に
戦場での殺し合いを望んだ・・・
コレって
「集合的無意識」ではないだろう・・・
そして、仏壇のロ-ソクは大きく揺れたカモ・・・
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人の心は表面的には
個別的であるかのように見えてはいても、
実は根本的には交流している・・・
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・・・ヒトの「心」は視えないのだ・・・
・・・ヒトの「コトバ」は表面的なモノである・・・
・・・ヒトの「心=内面のコトバ」が交流しているとは、
「生きていきたい」とのコトなのか、
「死んでもイイ」とのコトなのか、
「殺し、殺される」と云うコトなのか?・・・
「殺し合っている」と云うコトなのか?・・・
・・・
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ユングは、
「coincidences コインシデンス」についても、
その全てではないにせよ、
少なくとも一部は
単なる「偶然」によって起きているのではなく、
「co-inciding(共に、出来事を起こす)」・・・
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「ラポール(rapport)」
言語学,心理学用語
主として
2人の人の間にある相互信頼の関係
「心が通い合っている」
「どんな ことでも打明けられる」
「言ったことが十分に理解される」
と感じられる関係
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ラポール (rapport)
臨床心理学の用語で、
セラピストとクライエントとの間の
心的状態・・・
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心的融和状態=ラポール
フランス語で「関係」の意
特に
共感に基づく
信頼関係のこと・・・
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「一対一」であっても、いずれも「認識論的」には「主観的な枠内でのコト」であろうが・・・「集合的無意識(collective unconscious)」が発生、確認されるのは、自然災害を感知する「危機的状況」の前兆だけであろう。モチロン、戦争によるモノも・・・人間の「予感」・・・他の動物の場合には自然災害ではハッキリとそれらの「前兆行動の現象」が確認されるが、「意識・無意識」と云うよりは「本能の一部」での「電磁波的な感知」であろう・・・当然、「集団的な感知」である・・・
人間に関して「集合的無意識(collective unconscious)」を「意識」とするのは誤解を招く。「集団的感知」とでもすればイイ・・・「夢」は映像も音も伴う「物語的なイメージング、トーキング」であるが、その「記憶への意識化」は「意識的」であって、「感知的」ではない。「ユメ」を思いだすかどうかは別にして・・・
「感知」も経験が重なれば「学習」され、「意識化」されるが、脳ミソも含めた身体全体としての「覚(おぼ)え」である。脳ミソは神経系と「有線電気系」だけではなく、「無線電磁波系」としても情報の往来相互交換をしている・・・
「集合的無意識(collective unconscious)」と「集団的自衛権意識」、「日本国憲法」との関係はどうか・・・「戦争のトラウマ」は当然であるが、その実体験、その未来的な経験を否定したいのか、肯定したいのか・・・
「トラウマ」とは「物理的な外傷が後遺症となると同様に、過去の強い心理的な傷がその後も精神的障害をもたらす」とする概念であるが・・・それの身体全体としての「覚え込み」は「トラウマ(psychological trauma)」と云うモノである・・・
脳ミソと身体全体の「有線電気系」、「無線電磁波系」とは、個々の「細胞の遺伝子」が「IPS細胞(多能性幹細胞)の機能性」をも有するならば「IPS細胞自体=細胞自体」が「脳ミソ機能」も有すると云うコトである・・・そして、身体全体が「電磁波」で包まれていると云うコトだが・・・電気が流れれば、電波も出す。電波が出れば電流が流れている・・・
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「塩基(エンキ)=水に溶けたときに電離し、水酸化物イオンを生じる物質。また酸から水素イオンを受け取る物質。水に溶けるものはアルカリと呼ぶ。リトマス試験紙を青色に変え。酸と中和して塩と水とを生じる」・・・
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「遺伝子情報=依電子情報?」は「プログラミング」された「DNA(デオキシリボ核酸)を担体とし、その塩基(base・アルカリ=alkali)・酸と対になってはたらく物質)配列にコードされる遺伝情報(A・T・G・C)」で、それらの結合結果の機能である・・・
「塩基配列からアミノ酸配列への遺伝情報の翻訳」され、機能は各細胞器官形成の後だが・・・そして、「遺伝子」は「染色体上の固定位置を占め、蛋白質合成の指令を出すことで各細胞を形成させ、その機能を果す。遺伝子はデオキシリボ核酸=DNAによって構成され、
(DNA→RNA→mRNA→細胞質→アミノ酸配列→蛋白質→器官細胞)
と変化移転形性」・・・各器官形成の後に全体としての肉体は蠢きだす・・・そして、「意識的に社会的な存在」であることを学んでいく・・・モチロン、周囲の対象存在との利害関係で・・・
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「人間」と云う概念を吹っ飛ばしている「日本人第一優先」の「サクライジョシ」は「日本人」としては典型的な「国家主義的エゴイスト」にみえるが、あのオバンは単なる「個的エゴイスト」のカタマリであるカナ・・・「国家」の何に僻みついているんだか・・・マスゾエのプチブル根性丸出しが「セイジ」だってか、アキレル・・・あの日本のココロを大切にしたいジョシにもアキレル・・・
ハシモト「プチブル法治国家主義者」の主張に何ら意義はナイ・・・世界が「国家領域」に分轄されているのが現実だから・・・周りの隣国は如何しょうもないイチャモン連中が指導者だし・・・だが、一番の巧妙なイチャモン政府が金融国家のアメリカだろう・・・
もちろん、国連は「国家の集合体」ではない。「国家エゴの集合体」である・・・「地球地域、人間協同体の集合体」ではサラサラない・・・格差貧困にツケ込んで、指導者は内外で個的エゴで商売やってんのだから・・・
・・・「辰月の土用期間」は終わったが、「新月」の抜け出す月齢 1.3(大潮)」・・・今日も砂利運び。夕方に農協に行って、トマトとキュウリの苗を買って庭に植えたが・・・「トマト=蕃茄(バンナ・バンカ?)」には別名の「小金瓜(こがねうり)・唐柿(からがき)・赤茄子・珊瑚樹茄子(サンゴジュなす)・西紅柿・洋茄子)」があるらしいが、時たま八百屋で「苫斗」の表示漢字を見たコトがあるが、ブログ事典を調べたら「苫=篷」とは「菅 (すげ) や茅 (かや) 等を粗く編んだ筵(むしろ)・和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる」とある。それにしても「トマト=tomato」は外来語、日本で一般的に食用されるようになったのは明治以降である・・・また、同じことを書き込んでいる・・・ 「ムシロ」の同音のアテ名漢字に「篷(とま・苫・當麻)=筵・莚・蓆・寧ろ・簟・席」があるが、「胡瓜(きゅうり)」は「窮理・九里・究理」で、 「九十九(99)里浜」 は千葉県「房総半島東岸」にある、「刑部」岬と「太東」崎の間の、太平洋に面している全長約「六十六(66)」キロメートルの海岸で、日本の「白砂青松100(百)選」と「渚百(100)選」に選定されているらしい。この「房総半島」の地形は・・・ボクは行ったコトはなく、ブログの写真だが、海沿いの砂浜が「白い帯」のように続いている・・・その名称由来は「古名が玉浦(玉の浦)」で、「源頼朝の命令」で一里ごとに矢を立てたところ「九十九」本に達したという伝承から・・・らしい・・・ 以下は「房総半島」とそれを「反転させた図」である・・・この地形はナニに見えるかは人それぞれだろうと思うが・・・ボクには「トリかヘビ」、そして「観音様の姿」にもみえるのだが・・・?・・・ 以下は東京湾を含めた「横にした地図」だが、ボクには「鰐(わに・ガク)」の頭と口にみえる・・・
ーーーーー 九十九里浜 ↓↑ 六世紀 畿内の大王の有力な外戚である 「和珥(わに)」氏・・・応神天皇 ↓↑ ↓↑ 誉田別尊 (ほむたわけのみこと) 誉田別命 (ほんだわけのみこと) 大鞆和気命 (おおともわけのみこと) 誉田天皇 (ほむたのすめらみこと ほんだのすめらみこと) 胎中天皇 (はらのうちに ましますすめらみこと) 品陀和氣命 (ほむだわけのみこと) 大鞆和気命 (おおともわけのみこと) 意富多牟和気 (おほたむわけ) の 「王仁の千字文」である ↓↑ ↓↑ ーーーーー 「命を受けて貢上れる人、 名は 和邇吉師(わにきし)。 すなわち 論語十巻、 千字文一巻、 併せて 十一巻をこの人に付けてすなわち貢進りき。 この 和爾吉師は 文首等の祖。 また 手人韓鍛(てひとからかぬち) 名は 卓素(たくそ) また 呉服(くれはとり) の 西素(さいそ)二人を貢上りき(古事記)」 日本書紀・十五年八月条 十六年二月条に同様の記事 ーーーーー ↓↑ ↓↑ 和珥=和邇・丸邇・丸 和邇部・和爾部・和尓部 丸部 「和珥部君手 (わにべ-の-きみて) 生年?~文武天皇元年 (697年)九月 ↓↑ 「和珥(わに)」氏 の一族 「武社国造」が進出、 大海上国は 上海上国造 下海上国造 に分割、衰退した・・・ 「日本書紀 卷七 景行天皇 四十年十月条」 日本武尊が 「海路をとって 葦浦を廻り、 玉浦を横切って 蝦夷の境に至った」 とし、 茂原市本納には 「弟橘媛(おとたちばなひめ)」 を祀る橘樹神社がある・・・ 「続日本後紀 承和二年(835年) 三月十六日条」 「物部匝瑳熊猪 (もののべ-の-そうさ-の- くまい) 物部氏十二世(饒速日命十二世の孫) 父は物部布都久留(ふつくる) 兄は物部木蓮子(いたび) 子は大国(おおくに)」 ↓↑ 改姓記事に、 「昔、 物部小事大連、 節を天朝に錫し、 出でて 坂東を征す。 凱歌帰報。 下総国に始めて 匝瑳(ソウサ)郡を建て この功勳に籍りて 下総国に始めて 匝瑳郡を建て、 仍て以て氏となすことを得しむ。 是れ即ち 熊猪(くまいの・ユウイ)等の祖なり」 「物部匝瑳足継は 弘仁三年(812年)二月に鎮守将軍 物部匝瑳熊猪も 承和元年(834年)五月に鎮守将軍に任」 「物部氏」も進出した・・・ 「小川台古墳群を 物部氏の 奥都城」とする説も・・・あるらしい・・・ ↓↑ ・・・地名、名前の漢字と数字は「何時のモノ」なのか?・・・「明治の文明、文化」の所産だろう・・・? ーーーーー ↓↑ 物部匝瑳(ソウサ)氏の・・・・物述べの操作? 本貫は 当郡(匝瑳郡)であったが、 承和二年(835年)三月に至り、 宿禰の姓を賜るととも 本貫を 左京二条に移した・・・・・佐教・差教・詐経・差今日? ↓↑ 慶応四年七月二日(1868年8月19日) 幕府領などが 安房上総知県事の管轄となる ↓↑ 明治初年 七ヶ村新田が 蕪里村、高村、篭部田村、堀川小屋村、 栢田村、今泉村、川辺村に編入 ↓↑ 明治二年二月九日(1869年3月21日) 安房上総知県事が 宮谷県となる ↓↑ 明治四年 七月十四日(1871年8月29日) 廃藩置県 藩領が佐倉県、生実県、安中県、西端県の管轄となる 十月二十八日(1871年12月10日) 第1次府県統合により、 安中県の管轄区域が・・・・案註懸? 群馬県の管轄となる 十一月十四日(1871年12月25日) 第1次府県統合により、全域が 新治(にいはり)県の管轄となる・・・新貼り懸? ↓↑ 1875年(明治八年)・・・・・・・・・葉知撚? 五月七日 第2次府県統合により、 新治県のうち 香取郡、海上郡、匝瑳郡が 千葉県に編入 尾垂村、惣領村が合併して 尾垂惣領村が成立 ↓↑ 1878年(明治十一年)11月2日 郡区町村編制法の 千葉県での施行により、行政区画としての 匝瑳郡が発足 「海上匝瑳郡役所」が 海上郡 銚子町に設置され、同郡とともに管轄 ーーーーー ・・・和邇・話似・和爾・和仁・・・撰字文・・・戦時悶(問)・・・カイロ宣言・・・ポツダム宣言・・・玉音放送・・・アメリカ戦艦ミズーリ甲板・・・応訊・・・応神天皇・・・
・・・「かすべ・カスベ」とは、北海道で「メガネカスベ(眼鏡糟倍)」などの「エイ」類を指した言葉で、北海道で獲れるモノに「ガンギ(雁木)エイ(かすべ)」、「メガネカスベ(真カスベ・本カスベ)」と「ドブカスベ(水カスベ)」と呼ばれている種類があるらしい。「岩内では、メスをマカスベ、オスをドンと呼んで区別」しているらしい・・・「眼鏡貸(めがねかす)べ」、「交化素(まかす)べ」、「本貸す(ほんかす)べ」?・・・「マカスベ(真滓(糟)べ)」は「任す・巻かす・蒔かす・播かす・撒かす・負かす」の「べ=部・邊(辺)・俳・弊・倍・唄」・・・「かすべ(エイ=(鱏、鱝、鰩、海鷂魚)」 ーーーーー ↓↑ 鱏(魚+覃)、・・・・覃=ドン・タン・シン・エン うまい・するどい およぶ・のびる ひく・ふかい 譚=物語 ↓↑ 覃=襾(鹵・塩)+亯(早) 亯=亠+口+日(曰) つぼ(壺・壷・坩)ならば 塩漬けの容器だろう・・・ 鱝(魚+賁)、・・・・賁=ヒ・フン かざる・かざり 美しい彩(あや)もよう 六十四卦の一 大きい 奔(はし)る・・・奔放・奔流 火砕流・土石流 山に掛かる落日の夕陽・・・? 噴火だろう…?・・・噴煙? or 憤怒、 墳墓カモ・・・? 山火賁(賁 離下 艮上) 上九、白賁。无咎 「白賁」は白雲(白煙)か、 白雪か、雪崩か? 咎(罪)め無し・・・潔白? 自然災害は咎める事が出来ない 鰩(魚+䍃)・・・・・䍃=ヨウ・長く揺(ゆ)れる 遙・搖)、・・遥=ヨウ・エウ(はるか・さまよう) 揺=ヨウ・エウ(ゆれる・ゆする) 地震(第一類・天文事変) 地震を云ふ 恐喝・かつあげ 海鷂魚=海+䍃+鳥+魚・・・鷂(はしたか・ハイタカ) 兄鷂(このり)=ハイタカの雄 「疾(はやき・とき)鷹」が語源? 「オス(兄鷂)は背面が灰色 腹面に栗褐色の横縞」 「メス(鷂)」は背面が灰褐色 腹面の横縞が細かい」 ならば、 「灰褐色の鷹」が語源だろう・・・? ↓↑ 「エイ」とは「䍃(ヨウ・エウ)の魚」のコトである。すなわち、海中、海底に「ひらひらと揺(ゆ)らめく灰褐色の魚」である。 「かすべ」 の名前の由来だが、ブログ記事(秋田のかすべ料理・永井登志樹氏)によれば「米の商売を牛耳っていた近江商人が、「唐(から)の貝(かい・バイ・ハイ・shale)」だといって法外な値段で売りつけたことに由来」するらしいが、「カラカイ」が「かすべ」に繋がる理由説明にはなっていないが、「からかい」=「揄(からかう・揶)=揶揄(ヤユ)=冗談」なのか、実際に法外な商売(売買交換)したのか?・・・更に「かすべ」の語源は「安くて不味(まず)い魚の滓(カス)」という意味から名付けられたという説も述べている。「かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた」とも。すると、前説は「ジョーク」だろう・・・だが、「酒粕・酒糟」の「かす=粕・糟」ならば「魚の粕(糟)漬け」である・・・
ーーーーー 以下は「津軽のことば・231~240・鳴海助一氏」のブログ記事だが・・・ ↓↑ ーーーーー 「かしべ」(2) 総合日本民俗語彙第一巻・三五一頁の説明がおもしろい。 ↓↑ 「かすべ(漁)=菅江真澄 の 天明五年=1785年(一七〇年前)初秋の旅行記に、 2016-1785=231・・・1955年の記録 津軽の 大鰐(おおわに・ダイガク)で、・・・「ワニ」である? カスベというのは 王余魚の類で、 「カスエイ」という 魚の乾肉(カンジク)である。・・・眞名(魚)の 訓所為(燻製)? ・・・ここにとあつて夏の頃、 エゾ(蝦夷)人がこれを捕って、 秋味(アキアジ)に積んで来るという。(外ヶ浜風)。 秋味というのは 秋の頃 北海道松前から来る船のことだが、 「カスベ」という名前も、アイヌ語の 「カシュムベ」と同じ意味のものか ↓↑ 去々。また同書に、 「カスベキ」(漁)=壱岐で鯛(たい)の子をいう、 とも書いてある。 また、平凡社大辞典の一説には、 「粕倍えい・かすべえい」の下の語を略して 「かすべ」という、とあるが、 その 「粕倍」も、前掲の 「カシュムベ」の転訛の 「カスベ」の当て字かとも考えられる。 同書にはまた、 「雁木(ガンギ)えい類」の方言(東北地方)、 とも記している。 なお、 「王余魚」は、 「カラエヒ・カラエイ」と読み、 約(つづ)めて 「カレイ」となり、 津軽方言では 「カレ」と短かくいうようだ。 これは 「鰈」の字を当てる。 要するに 「かすべ」は 「鰈」・・・・鰈=魚+枼(ヨウ・テウ・チョウ) 枼=世+木 うすいきふだ 薄くて平ぺったいモノ 即ち 「カラエヒ」の一種だ、ということになる。 源順の和名抄(一〇〇〇年前)にも、 「加良衣比・俗に加礼比」 とある。 「エヒ」の漢字は、むりに示そうとすれば、 魚扁に「賁」の字などがあるが、 あまりクドくなるから省略する。 ーーーーー と、あった・・・多分、 「エイ=(鱏、鱝、鰩、海鷂魚)」は「鰈(かれい)」の類いなんだろう。その大きい魚が「かすべ=滓倍・糟倍・粕倍」とした・・・?・・・ 「和名類聚抄=和名抄=倭名抄」は 「分類体漢和対照辞書 源順(みなもとのしたごう)撰(せん)」で 承平年間(931~938)ごろの成立したらしい・・・ 「源に順(したが)って撰(えらべ)」とは哂っちゃうけれど、 「加良衣比・加礼比」の漢字の意味通りに考えれば、 「良い衣(ころも)比べ、加える」 「禮を比べ、加える」 である・・・ で、 ボクなら 「かすべ=化術(掛術・仮術)」 と漢字を当てて説明したいのだが、 北海道方言の「べ」だが、 「・・・うんだべ(や・か)、 ・・・そうだべ(や・か)、 ・・・やるべ(や・か)、 ・・・しないべ(や・か)、 ・・・あるべ(や・か)、 ・・・ないべ(や・か)」 は断定、推量、あるいは、促がしのコトバである・・・ 北海道は幕末、明治初期の「文明開化」の最先端の洗礼の地で、その地名は 「松浦武四郎(文化十五年二月六日=1818年3月12日~明治二十一年=1888年2月10日・71歳歿)」 が名付け親である・・・そして、「地図」として明らかにしたのは 「上総国山辺郡小関村(千葉県山武郡九十九里町小関)」 で生まれた 「伊能忠敬(延享二年一月十一日=1745年2月11日~文化十五年四月十三日=1818年5月17日・73歳没)」 で、前回、言及した 「千葉」の・・・千字文、撰の言葉?・・・和邇←鰐? 「九十九里浜」 の生まれである・・・ そして、 「最上徳内(宝暦四年=1754年~天保七年九月五日=1836年10月14日)」 「近藤重蔵(明和八年=1771年~文政十二年六月十六日=1829年7月16日)」 「間宮林蔵(安永九年=1780年~天保十五年二月二十六日=1844年4月13日)」 などである・・・ ダイタイからして「北海道=蝦夷」の地形は、ナゼ、「かすべ=エイ」に似ていると云われたのかは、「蝦夷地の地図の全地形」を俯瞰、鳥瞰できた後のコトである・・・「サカナのカスベ」の名前は「北海道の地図」が作成される前に命名されていたのか、どうなのか?・・・アイヌ語(東北語)がオリジナルで、「カシュムベ」であろうが、これを「かすべ」として漢字の「糟倍・粕倍・滓倍」としたのは幕末の人間だろう・・・そして、明治の文明、文化である・・・ 「カレイ(鰈・かれい )」は「かれい・カレイ」であって、「かす(糟・粕・滓)べ(倍)=エイ=(鱏、鱝、鰩、海鷂魚)」ではない・・・ ↓↑ ーーーーー エイ(鱏、鱝、鰩、海鷂魚) 板鰓亜綱に属する軟骨魚類の 鰓裂が 体の下面に開くものの総称 鰓裂が側面に開く サメ(鮫)とは区別される 約530種 世界中の海洋の 暖海域から極域まで広く分布 一部は淡水にも適応 一般的に上下に扁平な体型 細長い尾、 5~6対の鰓 多くは卵胎生 尾の棘に毒を持つ種類も サメの一部の系統から 底生生活に適応して進化した系統のひとつ トビエイのように 二次的に遊泳生活に戻ったものもある・・・ ↓↑ サカタザメのように サメという名を持つものもある 区別点は、 サメは頭部後方側面に開く鰓裂 エイでは腹面に開く 両眼の後ろに水の取り込み口が開く 一般的なエイは頭部から胴部と 胸びれが一体になって全体が扁平 大きく水平に広がった 胸びれの縁の薄い部分を 波打たせて遊泳 肛門はその後端に開き、 腹びれ、尻びれはその近くにまとまる それ以降の尾部は急に細くなり、 後端は細長くなって終わり、 尾びれはないものも多い・・・ 背びれが退化するものも多く、 アカエイなどでは 毒針に変化している 多くのエイで 体の外周付近は体盤(たいばん) エイの大きさを表す用語として、 縦の長さ (吻端から胸鰭の末端までの長さ)は 「体盤長(たいばんちょう)」、 横幅(両胸鰭間の最大幅)は 「体盤幅(たいばんふく)」で表される ↓↑ ノコギリエイ 体は厚みがあって細長い ガンギエイなどは エイらしい姿ではあるが、 尾びれははっきりとしている ↓↑ おとなしく、 砂底の 貝などを食べる 底性の種は 砂に潜ることができるものも多い ↓↑ 淡水エイは熱帯魚として観賞・・・ サメと同様に 尿素を体液の浸透圧調整に用いている 組織には尿素が蓄積され 鮮度が下がると 加水分解してアンモニアを生じる ガンギエイのヒレを 乾物にしたものは 「エイヒレ」と呼ばれる エイの皮革は、 日本刀の柄や革製品に利用 エイの棘を 矢につける鏃にしたものが 古墳時代の遺跡から発見されている ↓↑ 秋田県や山形県、 北海道では、 ヒレの軟骨部分の干したものを 長時間煮て 甘辛く煮付けたものを 「かすべ(秋田)」 「からかい(山形)」 と呼ぶ ↓↑ 北海道では 「カスベ」とは、 「メガネカスベ」などの エイ類を指した言葉で 下処理済みの状態で販売 「カスベ」と呼ばれている ヒレの軟骨部分を長時間煮て 甘辛く煮付けたものを 「カスベの煮付け」と呼ぶ ↓↑ 「アカエイ」などは 背びれが毒針に変化している ↓↑ 「シビレエイ」は 強力な電気を発する ↓↑ サメ亜区 Selachii →サメ エイ亜区 Batoidea シビレエイ目 ノコギリエイ目 ガンギエイ目 トビエイ目 ーーーーー ・・・ひェ~ッ・・・今現在、5月11日の朝の5時・・・寝なくちゃぁ~・・・
・・・昨日は「かすべ」と「蝦夷=北海道」の形だったが・・・「王余魚=しらうお・オウヨギョ=王餘魚」を調べていたら、「ヒラメをも含めた言い方」、「シラウオ(shirauo)シラウオ科の体長十センチほどの小魚。干し魚として美味しい」・・・「白子(しらす・Whitebait)」?・・・「カタクチイワシ・マイワシ・ウルメイワシ・イカナゴ・ウナギ・キビナゴ、アユ・ニシンなど、体に色素がなく白い稚魚の総称」・・・ 「シラス(白砂、白州)=九州南部一帯に厚い地層として分布する細粒の軽石や火山灰」、「白砂台地=九州南部、 鹿児島県を中心に分布する・シラスでおおわれた台地で、台地上には、霧島山、桜島などからの火山灰が厚さ数メートル堆積」、「北海道の支笏湖周辺や、東北地方の十和田湖周辺もシラスと呼ばれたことがある」・・・ 「シラス=西暦50年頃に活躍した初代教会の預言者、伝道者、聖人。ローマ市民・バルナバの代りにパウロの第2回伝道旅行に随行し、ガラテア、トロアス、ピリピ (パウロとともに入牢)・使徒行伝」・・・ 「白州次郎=白洲次郎(1902年2月17日~1985年11月28日)」は、「兵庫県芦屋市出身・放蕩息子・1929年(昭和4年)、英字新聞の『ジャパン・アドバタイザー』に就職し記者・終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任・連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近・終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた・吉田茂の側近として連合国軍最高司令官総司令部と渡り合う・憲法改正案(松本案)がGHQの拒否にあった際に、GHQ草案(マッカーサー案)を提示された・吉田政権崩壊後は、東北電力の会長を務めるなど多くの企業の役員を歴任」・・・ 「お白洲(おしらす)=江戸時代の奉行所などの訴訟機関における法廷が置かれた場所」・・・江戸幕府書院番、目付、山田奉行、普請奉行、江戸南町奉行、寺社奉行兼奏者番の「大岡忠相越前守」、桜吹雪の入れ墨(刺青)の「遠山金四郎景元」は「北町奉行、南町奉行、大目付」・・・ 「能舞台と観客席との間の、砂利を敷きつめた所」・・・ 以下はブログ記事で見付けたモノで「日本の旬・魚のお話(春の魚-12)・真子鰈(まこがれい)」から・・・参考、参照として少々改作して抜粋添付・・・ ーーーーー 王余魚 ↓↑ 中国では、 ヒラメ(鮃)の・・・・・・平目・日等目 比等馬・秘等愛 二つの眼が・・・・・・・・二つ目・附他通米(国) 並んでいることから・・・・并・倣部 「比目魚」というが、 ↓↑ カレイは 「王余(餘)魚」と呼ばれ、・・・餘=あまる・あます あまり われ この名は、 春秋時代 (日本の縄文晩期)の話に由来する。 越の王 「勾踐(コウセン・クセン)」は 船料理で 魚を片身だけ・・・・・・真名(漢字)の扁・旁 食べて海に捨てていたが、 捨てる片身は 骨付きの方とみえて、・・・乞付記・胡通符紀 故椄附 その半身が・・・・・・・・中身・中味・中見 水中で元気良く泳ぎ出し、 魚になったという。 これ以来、この魚を 王が余って捨てた魚として 「王余(餘)魚」と呼ぶようになった。 青森空港の南西約4kmあたりに、 「王余魚沢(かれいざわ)」・・・王の贏の圄宅(魚拓) 衍(衍字・衍文)の他句 敷衍・衍義 という地名があり、 縄文時代の遺跡である青森市内の 三内円山遺跡と結びつきがあるのか謎である」 ↓↑ 命名 『大和本草』に 「此魚 背黒く 腹白くして 魚の半斤の如し、 カタワレウオ・・・・・掛多和例眞名(漢字) と云う意にて略して カレイと名づく。・・・魪・鰔・鰈・・・掛例 目は一処に二つあり近し」・・・寄り目 ↓↑ 『広辞林』に 「韓鰾 (カンヒョウ・からかれい)の約。・・・揶揄の例の訳 朝鮮近海に多く産するより、いう」 『漢和辞典』に 「鰈域の約。 鰈域は朝鮮の別名、 朝鮮の近海で 鰈が多く獲れるのでいう」 ↓↑ 「韓鰾」の意は 「エイ」より旨い「エイ型の魚」 or 朝鮮近海に多い 「エイ型の魚」という二つの意味にとれ、 このどちらかが 「カレイ」の語源と思われる。 漢字は 「蝶」のように 薄すっぺらい魚から、 「鰈」の字が当てられた・・・ ↓↑ 地方名 アマテ(瀬戸内・鹿児島) 「アマテ」とは 手が脹れて病むこと、 また、 手のことを方言で言う。 カレイにしては身が厚く、 脹れた手の形に似た魚形から。 ↓↑ ウソ(富山) 藁製の 足半草藁・・・・・・・ソクハンソウコウ (あしなか草鞋)・・・芯緒を利用して 鼻緒を前で結んだ 小さな形のわら草履 大きさが足裏の なかばほどしかないので アシナカと呼ばれ 長草履と区別している 足裏に密着し 鼻緒が丈夫なため 滑り止めとし武士階級が利用 走り易いようにの 踵(かかと)の部分のない 短い草履(ぞうり) 足半草履 半物草(はんものぐさ) のことを方言で 「ウソ」という・・・・促判草稿(下書)? それに似た 形や感触からの呼名。 ↓↑ チクラ(仙台) 「チクラ」とは、 九州の筑紫と 朝鮮の新羅のことを言い、 転じて この間にあるものを意味する。・・・百済・対馬・壱岐 つまり、 「どちらともつかず」の意・・・文禄・慶長の役 壬辰・丁酉の倭乱 の「対馬」の立場? ↓↑ クチボソ(富山) 口が小さいことから。 ↓↑ タバコアサバ(富山) 煙草の香に似た魚の意 アサバは カレイ類の異称。 ↓↑ ホウショウ(七尾) 体表に多数の斑点や斑紋のあることから、 「疱瘡魚」の意で呼ぶ・・・疱瘡(ホウソウ)・瘡蓋 ↓↑ メダマ(山口) 両眼が接近して 大きく突き出ているため。 ↓↑ 城下かれい(大分県日出)・・・日出=ヒジ=秘事・肱・肘 別府湾の最奥にある 日出町の海で獲れる マコガレイ。 名前の由来は、 日出藩の城主 木下氏の居城前の海で獲れる カレイだから 木下家の家老の日誌には、 江戸時代の 参勤交代の折には将軍家に・・・参斤=食パン3斤=一本分 纂(簒)筋、一本文の交替 簒=サン・奪う・うばいとる 横取り・簒奪・簒立 干し物を献上し、 また4年毎の閏年は 活魚で献上したという。 物流コストは、 大阪までが50両、 大阪から江戸まで200両だった・・・ 早馬では海水を浸した 厚紙に包んで箱に入れて配送した・・・ 日出-(船)-室津(兵庫県)~(手漕ぎ船)~ 大阪-(早馬)-江戸 ↓↑ 英名 Marbled sole(マコガレイ) Brown soie(マガレイ) カレイ目カレイ科マコガレイ属マコガレイ 日本近海に約80種 カレイ科の 御三家は マガレイ、マコガレイ、イシガレイ 続いて ソウハチ、ムシ、メイタ、 マツカワ、ヤナギムシ、 ナメタ、ヌマガレイ、オヒョウ、 アブラ、ヒレグロ、 アカバ、アサバ、カラスガレイ 等など・・・さかな(魚) 肴=「メ+有=爻(コウ・メ乂)+月(肉)」 骨(爻・交)付きの肉 爻=まじわる・コウ・ギョウ 一本の横棒「-」を陽爻、 隙間の横棒「--」を陰爻 爻を縦に 三つ組み合わせて卦 爻は陰陽の2通りがあるので 三爻で八卦を表す 「酒を飲む際に添える食べ物」 「調理した骨つきの肉・魚」 「肉や魚を使った料理」 「酒を飲む時、副える料理(つまみ)」 おかず=御数・数を取り揃える意 混ぜ合わせる意の 「糅(かて・まじ)」る 「糅てて加えて=かててくわえて」 「御巡り(おまわり・おめぐり)」 さかな=「酒菜(野菜)・酒肴(肉)・酒魚」 ↓↑ 形態 口が小さいのが特徴。 マガレイとの違いは、 マコガレイには 両眼の間の鱗(うろこ)がなく、 吻部(フンブ・ブンブ)が マガレイに比べて円くない。 マコガレイには 無眼側の 縁辺(エンペン)部に 沿って走る 淡黄色の帯もない。 ↓↑ 水深40mから数mの 砂泥質の海底に棲息。 雑食性 底生生物が主食で定着性がある。 ↓↑ 産卵・・・散乱・燦爛・・・参考の覧(阿蘭陀)? 瀬戸内海では 10月中旬頃から釣れ出し、 産卵のために浅場に接岸し 「のぼりガレイ」という。 殆どのカレイは 浮性卵だが、 マコガレイは 付着性卵・・・ 産卵を終えた カレイは 再び接岸(セツガン)・・・岸(吉士)に接する これを 「もどりガレイ」といい、・・・摸訳理臥例? 桜の開花時期にあたるので、 「花見ガレイ」とも呼ばれている。 ↓↑ 成長 稚魚は普通の魚と同じ様に泳いでいるが、 2~3週間経って体長4mmぐらいなると 左目が移動を開始し、 体長1cm頃には 頭のてっぺんに移動し ヒレ(鰭)が形成され始める。 体長1.3cmほどになり、 左目と右目が並ぶころには、 これまで垂直だった体が 左傾し、 扁平形となって海底に着定 ↓↑ 底生生活では ゴカイ類などの・・・誤解の類い 多毛類・・・・・・・蝦夷、アイヌの多毛人 二枚貝類、・・・・・似交意の類い クモヒトデ類、・・・蜘蛛(熊)人出 魚類などを摂取 摂食は昼間 わずかに 頭部を浮かして体を静止させ、 餌に対して 口吻を延ばし吸い込むようにして捕食 ↓↑ 左ヒラメに右カレイ 見分けの 目安にそう呼ばれているが、 例外もあって、 ヌマガレイは ヒラメと同じ側に眼がある。 また、 ヒラメ類なのに メガレイ、ナンヨウガレイ、 ホウズガレイ、アラメガレイ などという名の魚もいる。
・・・まだ続いている「地震」・・・昼(12時)は北海道、夕方(17時)は熊本・・・「蜷川(似名臥話)」さんですか・・・体制を批判しながら結局は「恰好(格好)イイ体制」に飲み込まれていった・・・「格好=pose・外から見た形・外見・姿・丁度、似つかわしいサマ・体裁・世間体・みば(え)・見た目が良い・体裁が栄える・小粋・きりっとした・格好良い・かっこ良い・シック・粋・おつ・ 瀟洒・スマート・小意気・いなせ・御洒落」・・・「ユウ(祐)ちゃん」は「イカスぜ、ッ」て云ったが・・・「プチブル意識の社会」では「有名」になりたいのが「当たり前」であるカナ・・・しかも、「善悪」を問わない「有名人」になれる「自由な可能性の選択」が出来る社会である・・・映画、演劇、TVドラマを観てミンナが「主人公」になった心算(つもり)の気分にしてくれる・・・自分自身が「通行人のエキストラ」だと思う「鑑賞者」はアマリいないだろう・・・「マクベス」は黒沢明の「蜘蛛の巣城」が最高だったが、王になっても自己保身の悩みは尽きないだろうが、戦いで殺し合う一兵卒の悩みは語られない・・・数年前、日本のTVニュースのインタヴューを受けていた「大陸中国の男性労働者」が素朴に「オレタチ、労働者が主人公なんだョなッ」と云っていたが・・・労働者が「主人公」になれるのは「賃金労働者」にではない・・・素朴で純真な「労働者」が「有名人」になれるのは、「素朴で純真」を捨て、「プチブル意識社会」での「出世欲・金銭欲」への並々ならぬクロウとドリョクの「アンビシャス(Ambitious)」がなければ無理である・・・無理なく「出世と金銭」が手に入るの「労働者」ではないから・・・ 手を繋いで電車に跳び込んだ二人の演劇サークル部の女子学生は「最期の主役」を演じてしまったのか、「朱也苦」を演じたのか・・・「絶望」を感じているのはまだ生きている時の苦しみと痛みの「価値」である・・・「死を恐れず」に死んでしまっては「絶望」の「価値」もない。残された家族、友人、恋人は自分自身の心の中に「ゼツボウ」を感じているカモ・・・ 自然災害で、恐怖を経験した子供達は「恐怖の価値」を知ったのである・・・そして、彼らは「生きている」と云う「価値」も知ったハズである・・・オトナは「崩壊」した「家・事業」等での借金で「生死の選択」は「自由勝って」だが、コドモを道ずれにはするな・・・熊本県には「子供を捨てる場所(児童養護施設・赤ちゃんポスト)」もあるハズだから・・・産まれたモノは、親がいなくても生きる子供は「社会の中で生き残る」のが自然界の鉄則である・・・ 「宮城まり子(本目眞理子)」さんの「ガード下の靴みがき」は戦災孤児の唄である・・・ https://www.youtube.com/watch?v=X4j1X-_wdeQ
https://www.youtube.com/watch?v=Oe39Uzy6a4g https://www.youtube.com/watch?v=3uemLdmwihI https://www.youtube.com/watch?v=PXRSQace9ak ・・・そして「ねむの木学園(ねむの木養護学校)」・・・だが、「ねむの木学園元会計管理の職員が5億円搾取(2011年2月、宮城まり子さんの口座から現金約3100万円をだまし取った)」の事件?・・・ 「2011年2月」・・・「2011年3月11日」は東北の地震、津波、そして原発事故だった・・・ 庭のサクラが散ってしまった・・・伐り倒されない限り、来年もサクに違いない・・・枯れる時は寿命マットウである・・・
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・・・???・・・
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