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古事記・漢字源の世界


①古事記・序文  「古事記の漢字」の字源から色々と歴史を考えてみましょう、と言うのが私のテーマです。  古代史と言っても文献からは、712年に作られた「古事記」と720年に作られた「日本書紀」があるのみです。しかも、すべてが漢字で記録されているモノです。読み方は「古事記」では音訓混在の両読みで、「日本書紀」のほうは漢文調で読む、と言うことになっているのですが・・・  さて、だから「ドウダ」って言うんだよな。  ドウなっているかを展開してみよう。  すべてのキイ・ポイントは  「古事記・序文」の  「日下」と「帯」の 読み方にあり、  それが、訓で  「日下=くさか」、  「帯=たらし」と  ヨメ、  としていることである。  では、「くさか」と「たらし」の  日本語の意味は  何(ナニ)か?  ・・・「日下」は「ニッカ=日課・日華・日貨」、「帯」は「タイ・おび」ともヨミ、「帯」の漢字分解は「山+一+ワ+巾」である。しかも「山+一=廿廿廿=サンジュウ」である。  この「くさか」は更に「漢字」で、「音」を採って、 「玖娑訶」くさか=王+久+沙(水小ノ)+女+言+可  と記され、漢字分解では「王宮、沙の女、言う可(べき)」か、「王、久しく、水の少女、言うべき」、「王の長、水の将の序言(助言)、権化(言化)」とヨメる。  「たらし」は 「多羅斯」たらし=タ+タ+网(冂メメ)+糸+隹+其+斤  と記されているのだ。「重なる夕、編み目のイト、旧(古)の鳥、其れ、斤(をの・きる・のり・目方・はかる)」である。  「网あみ・モウ=冂まきがまえ・けいがまえ・ケイ・キョウ+メ+メめ・しめ+メ・ペケ・ばつ」だが、「メ」の漢字は「乂かる・こらす・いさめる・ガイ・ゲ」である。「まきがまえ・けいがまえ」の音をよく聞いて漢字をあてたらどうなるか・・・本来の意味は「牧の構え=牧場の柵の構え、国境の砦の構え」であるが、「巻きが前・巻きガマ重」、「経が前・景が前」等のスベテの「マキガマエ」、「マ・キ・ガ・マ・エ」、「マキ・ガ・マエ」、「マキ・ガマ・エ」、「ケイガマエ」、「ケ・イ・ガ・マ・エ」、「ケイ・ガ・マエ」、「ケイ・ガマ・エ」、「ケイガ・マエ」の同音異字へ転換、置換、変換である。  「日下(くさか=玖娑訶)」も「帯(たらし=多羅斯)」も「元々からそうヨンできた」と云って、当然のコト、当たり前のように(?)、その意味を記していない。「日下(くさか)」に「玖娑訶」の漢字を当てているのは「音のみ」を漢字から拾ったとは思えない。「意味」も拾ったのだ。別に当て字は「草香」、「孔舎衛」、「孔舎衙」がある。「孔舎」は子供を授けてくれる「燕」の「巣」か、「孔子の舎」、「諸葛亮孔明の舎」の暗示と示唆である。「燕国」とは三国時代には遼東半島、中国東北部、「帯方郡」一帯を支配した「公孫氏」の領地であった。しかも「燕の国王(爵位)」の称号は「呉国」から賜ったものであった。「帯」は日本語で「帯紐を垂らすヲビヒモをタラす」があるから理解できそうだが、ヤハリ「多羅斯」は漢字の意味も採っているのだ。  「多羅(タラ)」は「多くのツラナッタ国」だが、漢字の「羅(ラ)」は「網(あみ)・列ねる・紗=薄絹(うすぎぬ)」で、「斯」は「この・これ・ここ・かく・かかる・すなわち・さく・ひきさく」とヨム。「多くを列ねた国々にカカル」である。帯とは「天体の獣帯」でもある。「羅」の当て字は「羅馬(ローマ)・羅典語(ラテンゴ)・羅針盤(ラシンバン)・羅漢(ラカン)」等である。  古語辞典にも国語辞典にも音が「日下(くさか)」での項目は無い。だが、漢和辞典には「日下(くさか)」ではなく、「日下(ジッカ・ニッカ)」として「太陽の照らす下。天下。全世界。みやこ。国郡」、「遠いところ。遠方」、「東方の果てにある国」。国語では「くさか」とヨンで、「地名」、「姓氏」とあるが、その説明はナイ。同音の「日華(ニッカ)」は「日光」、「唐の宮門の名」、「日本と中国」。国語では「紫宸殿(シシンデン)=紫薇苑(シビエン)の門の名」で、「紫薇薗シビエン」とは「天体の星座」であり、「王宮」である。「日課」は毎日の割り当てた仕事。「日貨」は「日本の貨幣・通貨」と思っていたら「輸出された日本製の商品」であった。だが「日下」は「太安万侶」を信じれば「くさか=日下」の意味である。コレに引っかかっては「アミのメの罠のトリコ」なのだ。「日」の類字は「曰(いわく・のたまう)」と「白=百」である。記録文書では同じ意味に使用されるコトがある。  「knickersニッカー」、「knicker-bockersニッカーポッカー」は「ヒザの下でくくるゆったりした半ズボン。運動用ズボン」で、「婦人用パンツ」、そして「オランダ系のニューヨーク人」である。「ニューヨーク」の漢字をアテレば「紐育」だ。とにかく、ニッカーは「さるまた=猿股」、「ももひき=股引」、「すててこ」のたぐいに似て、「下半身の両足をとおして着る上着」だ。「ステテコ」の当て字は不明だが「ステ躰股」、「素手梃子(?)」カモ。  北海道(蝦夷)余市の「ニッカ・ウイスキー」の「ニッカ」の由来は何だろう?・・・「nick」は刻み目、掛け目で、動詞ならダマス、盗む、サイコロを振ってそのサイの目を言い当てることだ。そしてアメリカ貨幣の5セントの白銅貨である。「NICK」は「Nicolas」のあだ名、愛称であるが、「悪魔(Devil)」のことだ。 ついでに「サントリー・ウイスキー」の由来は何だ?・・・明治の初期には「赤玉ポートワイン」の老舗であった。  先ず、  「太安萬侶」おほのやすまろ  「ふとい、あんまんりょ」とか、  「ふとい、あまり」、  「タイ、アンバンリョ」とは  ヨマまれてはいない。  ヨンではイケないのか?・・・イヤ、「対案、万慮」タイアン バンリョであって、「大安、伴侶」タイアン ハンリョであり、「代案、煩慮」ダイアン ハンリョである。マッタク、煩わしいとはコノことである。  名前の読み方は色々あってイイのだ。  事実、ワズラワシクも、イロイロあるのだ。  「こじき」を書いた奴は、まさに、図太、盲目、按摩づぶとい、めくら、アンマの渡世人トセイニン  「座頭ザトウの市いちさん」  だったんじゃナイのかネッ?  ・・・盲目、目に障害を持つ人々のことだが、  「めくら」と言う言葉を  「差別用語」としてではなく、  「歴史的概念」として使用させていただくことを許して欲しい。  「盲目の人」も、「めくら」と発音されるコトバと、そのコトバがどのような「時代的背景」の中で使用され、どのような「人間関係」で使用されたのか」を、その意味をハッキリ知っておく必要があるのだ。「差別用語」が「使用された事実」を。「抹消」ではなく、「不可使用」ではなく、「使用禁止」ではなく、それを踏まえて「歴史的概念」として「必要な時」には使用すべきなのだ。  「帰化人」を「渡来人と云いましょう」等とはオナジように馬鹿げているのだ。「帰化人」と「渡来人」の「概念」が根本的に異なっているからだ。  かって、私がアメリカに滞在した時に「ジャップ」と言う「蔑称ベッショウ」を巡って、「日系アメリカ人」と、1970年代頃に新たに渡米した「日本人」との間で問題が起こったことがある。明治時代から第二次世界大戦前までに移民した「日系アメリカ人」は「日米開戦」で「アメリカ政府」によって「人種差別」され、財産を没収され、そのほとんどが砂漠の収容所に収監されたのだ。一部の若い日系人はアメリカ国家に「忠誠登録」をし、ヨーロッパ戦線で戦い、そのほとんどがアメリカ人として戦死した。砂漠に収容された日系人は「ジャップ」と云うコトバをハッキリと「日本人に対する蔑称」ととらえていた。だが、新たな「渡米日本人」は「ジャップ」を「日本人の単なる別称ベッショウ」と単純に考えていたのだ。  「蔑称」と「別称」である。漢字は違うが、発音はドチラも「ベッショウ」である。前者の意味はある人に対する「軽蔑的で、差別的な呼び方」であり、後者は「同意的で、異なった呼び方」である。  私のホームで展開する「古事記・漢字源」は「同音異字漢字」、「同音類似のコトバ」の研究であるから「蔑称」で使用されてきた「コトバ」も「歴史的概念」であることを念頭にヨンで下さるようお願い致します。  さて、「盲目の按摩」さんを統括する「長官」をムカシは「検校ケンギョウ」と云った、のだが、「寺社の事務や、僧尼を監督する職名」でもあった・・・この漢字の読み方は「ケンギョウ」と「ケンコウ」があり、「ケンギョウ」は日本語の読み方であり、「ケンコウ」は中国語としての読み方である。漢字は同じだが読み方も意味も異なるのだ。中国語の意味は「取り調べる検察官、監察官」である。「検校」の「検」は元来が「検査」、「検束」、「封印」、「草稿」であり、「木箱にしまって、封印」することだ。スナワチ、一般人は中身をミちゃぁイケナイものなのだ。

 「イヤナ渡世だなぁ~・・・お天とうサンがまぶしいナァ~」

 と、盲目の「座頭の市」さんは「空の太陽を見上げ」て台詞せりふを吐くのだが・・・  「めくら」なのに、視ているとはドウ云うことなんだ・・・? 「肌の触感」で視ているに違いない。そして、彼の周囲の「音」で「視覚」しているのだ。かの有名な「奇跡の人」と云われた「ヘレン・ケラー」は「目」も見えず、「耳」も聞こえなかったのだ。とにかく、彼女の先生、「サリバン女史」が偉大で、「奇跡の存在」であったのだ。  「あきめくら」と云うコトバもあるのだが。誰に対するコトバなのだろう・・・  江戸時代には「塙己保一はなきほいち」と言う偉大な盲目の学者がいた・・・その系列の「塙次郎」は「文久二年(1862)」に「尊皇攘夷」派に暗殺されたのだ。理由は「盲目」であったからではない・・・「廃帝史実調査」の疑いなのだ・・・「音」をキク「耳」が特別に敏感だったからだ・・・実行犯は「伊藤博文」であったらしいのだが・・・同年には「高杉晋作」、「久坂玄瑞」等が江戸品川の「イギリス公使館」を襲って焼き討ちをした。当然、「伊藤博文」も加わった実行犯の一人であった。  そして、この事件のあった同年には「遣欧使節」の「竹内保徳」等が長い航海を終えて帰国したのである。

 数字考=河圖(図)思考  「太安萬侶」おほのやすまろ  「太安萬侶」は  「養老七年(西暦723年)」の「七月七日」に死亡していることになっているが「怪しい」とも「不思議」とも「古事記」研究家の人々は考えないらしい。まさに「777」である。しかも「723」の数字には「歴史的意味(欺瞞)」と「謎解き」の数字になっているのだ。  西暦「672年」は「壬申の乱」であった。この西暦年の「7月23日」は「干支歴」に換算すれば「壬申年・丁未月・庚辰日」である。「庚辰」は「17番目の干支」であり、「弘文(構文・行文・後文・公文)天皇=大友皇子」の首が捧げられたのは「乙卯日」で、「52番目の干支」であった。この「60干支」を「乙卯」から順旋すれば「26日後」、逆旋すれば「36日前」である。「大友皇子」の「左右大臣」が捕らえられたのは「癸丑日」の「50番目の干支」である。当然「弘文天皇(大友皇子)」もこの日に殺された可能性がある。  普通「大友皇子」は「おほとも皇子」と訓じられているが、 「タイユウ・タユウ・ダイユウ」とヨメば「他意有」、「太夫・大夫」、「拿異有」の「往事・往時」であるのだが・・・  そして「明治3(1870)年7月23日」に「大友皇子」が「弘文天皇」として即位したことを明治政府と「明治天皇」が公認したのだ。 「干支歴」では「庚午年・癸未月・庚申日」であった。ちなみに「庚申」は「57番目の干支」である。「庚申講信仰」とは「腹の虫、三尸虫(サンシチュウ)が天帝に本人の悪口を告げに行く日」で、これをさせないために「庚申の日」には寝ずに徹夜して起きていることだ。「天帝」とは「帝釈天」、「青面金剛」、「猿田彦」であり、これを祭って夜明けを待つ行事である。  同年の「3月11日」には「神武天皇の祭典」の施行であった。  ヨーロッパではフランスの「ナポレオン三世」がセダンでプロシア軍に敗北して降伏した年でもあった。ここは「3」と「十一」に注目してもらいたい。

 777=3×7=21=弐拾壱  222=3×2= 6=六(陸)  333=3×3= 9=九(仇)  111=3×1= 3=三(参)  7+2+3+1=13・十三(壱拾参)            ↓  「13日の金曜日」はキリスト(クリスト)磔刑の日  「13日は特に陰暦の12月13日の煤払い日」  「13日」は「じふさ-にち・じふさんにち」と訓む  「13夜の月は陰暦『じふさんや(9月13日の夜の月)』」                         ↓                      栗名月=クリ名月  「13月は正月の異称」  「13」の逆置換は「31(参拾壱)」            ↓  「31」は「和歌の三十一文字」  「31」は「日本書紀30巻と系図1巻」・・・系図一巻は行方不明?  「31」は「陰暦には存在しない日」  「31」は「太陽暦の1,3,5,7,8,10,12月の最終日」            ↓            1+3+5+7+8+10+12=46 ・・・4+6=10(壱拾)         ・・・4×6=24(弐拾四・念肆)  「13=壱拾参」   とは  「卑弥呼」  の後を継いだ  「女王・壱与」  の「年齢」  であることを知っているよなッ(?)。  「13=壱拾参」は世界史的なキイワードであり、古代倭国のキイワードでもあるが、いま現代の日本人の最大事件の「キイワード」になっていることを「日本人」は肝に銘じておく必要がある。現在、ハッキリしている「北朝鮮に拉致された日本人の数」である。「13人」である。しかも「横田めぐみ」さんが拉致されたときの年齢が「13歳」であったと言うことだ。これは報道機関、政府機関などが発表している「数字」である。これは「国家」の問題なのであろうか、「人類」としての問題なのであろうか。単純に考えて前提的に「国家」がなければ「国家的な拉致」は無いハズである。全世界的な「人類」は「全世界的なサバンナ」に存在する「野獣的な弱肉強食」の「国家間」で右往左往している。「国家」を護ろうとしている「人間達」は何故に「国家」を護ろうとしているのか・・・その護ろうとする根拠は何か・・・「非人間的な拉致」、「非人類的な拉致」は「非国家的な拉致」とは古代国家から近代、現代までの国家も言わない。「国家は国家である限り拉致」するのである。そして「拉致されたコト」にも「拉致するコト」にも責任を負わないのだ。  「北朝鮮」は「戦争」をしているのである。「日本」は「国家」であることをアイマイにし、ボケを装いながら「戦争」を仕掛けられ、継続させられているのだ。「北朝鮮」に。  そして国家間の戦争は「個々の人間、人類の命」を護らないし、「拉致」も否定しない。「国家」そのものは「個々の人間、人類の命」を護らないのである。だから「国家」としてではなく、「人間」として「人類」として「拉致」を拒否、否定すべきなのだ。  アフリカのサバンナの動物達はそれでも尚且つ「ルール」の中で日常的な命を懸けて生きている。イヤ、「人間」以外の動物はドコに生息していようが、すべてソウである。

 そして、  7×5=35・三十五(参拾伍)  「4(四・肆)」  と  「7(七・漆)」  と  「8(八・捌)」、  「10(十・壱拾・足)」  と  「20(二十・弐拾・念)」  と  「30(参拾)」  等のスベテの数字である。  とにかく、  「古事記」  「日本書紀」  は誰かが  1、2、3  4、5、6  7、8、9  10  の数字に  謎を  託して  記録された  モノで  あるには違いない。  「7」、「2」、「3」、実は「7月23日」は私自身の誕生日でありまして、不思議に思うわけですよ。「2001年7月23日」は私のホームページが、その日が初対面と言う二人の「天女(岡田さん+友人)」に無理強いして、開通した日でもありました。「天女の羽衣」を奪ったワケではありません・・・が。  「古代史の最大のイベント」は「壬申の乱」と云うヤツであって、インターネットを開ければ学者、学生、一般人、そして私みたいに興味を持って調べているヤカラが腐るほどいる。そして、それが結構、面白いときている。理由は単純明快で「歴史観」は別にして、「記録」された「歴史的事実」はホンの少しで、しかも「記録」そのモノも曖昧で、暗号のような「漢字」でチリばめられており、それを「歴史的物語」として空想、妄想の世界に無限に広げていくことが出来るからであるらしい。  「壬申の乱」ならば、60年周期の「壬申」の他の年号に起こった事件、人物も調べてみるがイイ。例えば、  「西暦紀元前289年」は  中国「戦国時代」の  「壬申年」で、  「孟軻」  「孟子」  「荘園」  「荘子」  「告子(性悪説)」  等の死んだ年らしく、同音異字漢字の示唆するものは、  「モウカ、ソウシ、モウシ、ソウエン、ソウシ、コクシ                ↓  「盲家、 宗史、 模有史、桑園、  総史、  国史」  「毛、仮想  し、申し、 総 得ん、相思、  国史」・・・等で、  「西暦紀元前169年」は  「前漢」の  「文帝の二年」の  「壬申年」で、  「賈誼(カギ)」が死んだ年で  「新書」  「治安策」  とある。「文綴(ブンテイ)」の「字撚」・・・「鍵(カギ)」、「審処(シンショ)」・・・「治安策(事案作)」等である。「新書(親書・清処=真所=真人=女真人)」の「治安策」の示唆であるならば、時代は近世、近代の「治安策=事案作」かも。

 「西暦312年」は  中国「西晋王朝」の  「懐帝」の  「永嘉六年」の  「壬申年」  であるが、「改訂」の「洩掛」の「録年」・・・これは更に年表をみれば  「郭象」が死んだ年で、  「荘子注」  とある。これが示唆するのは「日本書紀・壬申の乱」前後に登場する「郭務宗」と言う名前の人物である。共通項は、  郭象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・郭の象  郭務(・リッシンベン+宗)・・郭の務、             =リッシン(立身)の                偏(編・篇・変・弁)+宗(総)  「郭」の漢字で、その説明である。そして「ソウシチュウ」とは「総史」の「注(註・中)」である。  できれば他の「壬申年」も調べてみるがイイ。日本史を示唆する人物や事件が重なっているハズだ。  日本人にとって、「漢字」とは凄く「合理的」な記録手段であり、と、同時にマッタク「非合理的」な記録手段であると、考えているのですがネッ。「バラの名前」と云う小説があるけれど、「薔薇文・波羅門」の秘密らしい。それに加えて「キクの名前」にコソ「全宇宙の言語記号」のナゾを説いてくれるとワタクシは考えているのだが・・・。  スウジ・・・素有字・主氏・諏胡事      ・・・数(かず)の字(あざ・生うむ・牝めす)      ・・・「かず・下図・和」の字      ・・・河図洛書=河圖洛書カトラクショ           ↓      ・・・カズ等句処  「河図洛書」を漢和辞典で調べれば、「河圖(図)」は中国古代の伝説で、「伏羲(古代聖王の名)」の時、黄河から出た龍馬の背中に現れた図で易の原点となったものである。「洛書」は「禹(古代聖王の名)」の時、洛水(川の名)からでた神亀の背中あった文字で、書経の洪範の本になったモノ、とある。  ・・・(易繁辞上)・・・役判事情(時定・事条)=訳判事情(字帖・治定)?・・・「河出図、洛出書、聖人則之」  「スウジ」と云う言葉の同音異字漢字の熟語は「数字」、「数次」であり、私が勝手に妄想する漢字と、その漢字分解は、  「雛時(ヒナのトキ)」・・・・「芻+隹+日+土(十一)+寸」                  ↓                  芻(吐き戻して噛む)、                    ↓                    古鳥(ふるとり・旧鳥=キュウチョウ)                       ↓                    日(にち)、土(ド)、寸(はかる)  「崇事(タタリのコト)」・・・・「山+宗(ウ示)+事」  「嵩字(カサのアザナ)」・・「山+高+ウ+子(了一)」  「趨時(ハシルのトキ)」・・「走+芻+日+寺」  「枢字(キクのジ)」・・・・・「木+区+ウ+子(了一)」  のコト等々である。この分解された「漢字」をアナタはドノヨウにヨムだろうか?  「古事記・序文」の「要」の「数字」とは「稗田阿礼」の「年齢」の「廿八」と、「古事記」の「上中下」の「三巻」、「詔旨」の「年月日」である「和銅四年九月十八日」、「献上」した「年月日」の「和銅五年正月廿八日」、そして「太安萬侶」の「位階」の「正五位上勳五等」である。  スナワチ、「28」、「3」、「4・9・18」、「5・1・28」、「5・5」である。  他の「数字」を拾っていけば、「二霊」、「百王」、「萬神」、「番仁岐命」、「高千嶺」、「伏仇」、「大八州」、「六師」、「三軍」、「歳時」、「六合」、「八荒」、「二氣」、「五行之序」、「一光宅」、「三亭育」、「或一句之中」、「或一事之内」等である。  私の「古事記」に対する立場は、これらの「漢字」の「同音異字」を捜して、「古事記」を別な意味で考えてみる、と云うワケである。


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