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時軸=ときじく=解き字句


 時軸=ときじく=解き字句=枳・枸橘=からたち=唐立・・・  天保十四年(1843年)閏九月十一日  阿部 正弘  ペリー来航時  25歳で  幕府老中だった

↓↑  ↓↑  タイムスリップ  時軸=ときじく=解き字句=枳・枸橘=からたち=唐立         =垂仁天皇、 三宅連(ミヤケノムラジ)等の祖          名は多遅多摩毛理(タヂマモリ)を          常世国に遣わし          非時香菓(ときじくのかくのみ・橘)          すなわち          時を定めず          いつも黄金に輝く          木の実を求めさせた          履中三年(720)十一月         「是の花、          非時而(トキシク)          にして来れり          其れ・・・・・・・・蘇(よみがえらす)例          何処(いとこ)・・・・伊都処・意図虚?          の花ならむ・・・・・の「葉名」奈良務?          汝(いまし)・・・・・なんじ(何字)          自ら求むべし」・・・ミズカラ求むべし?  ↓↑  ↓↑  越勢能山時 阿閇皇女 御作歌        阿閉皇女の作らす歌  ↓↑  これや・・・・・・・此也  この・・・・・・・・是能  大和にしては・・・・倭尓四手者  我(あが)恋ふる・・我戀流  紀路(きぢ)に・・・木路尓  ありといふ・・・・・有云  名に負ふ・・・・・・名二負  勢の山・・・・・・・勢能山  (萬葉集1-35)  ↓↑  仮名読  これや・・・・・・・此(止匕)也  この・・・・・・・・是(日下人)能(厶月匕匕)  やまとに・・・・・・倭(人禾女)尓  しては・・・・・・・四手者・・・四つ手の網  ↓↑         罒手者・・・網手        紙垂(かみしで)       「し(垂)ず」        〆の子・しめ縄飾り        白熊 (はぐま) の毛で作った        払子 (ほっす)        ↓↑ ・・・払子(ほっす)             仏教の法要の際に僧が威儀を示す法具             麈尾(シュビ・シュミ)             白払(びゃくほつ)とも             獣毛や麻などの繊維を             束ねて柄をつけたもの             本来は             インドで             蚊や蠅など虫を追い払うために使われた道具  ↓↑     ↓↑    禅宗で煩悩を払う法具として用いられた        に似たもの        槍の柄につけた槍印        玉串や        注連縄(しめなわ)などにつけて        垂らす紙        古くは麻(あさ)        楮(こうぞ)        木綿(ゆう)        を用いた        四手(よんしゅ)        四手網=大漁捕穫網・魚捕り網            滋賀県            犬上郡            多賀町  ↓↑         四手  あがこふる・・・・・我が戀(こい)の流(ながれ)  きぢに・・・・・・「記字・記事・生地」に            木(十八)            路(足各)            尓(𠂉亅八=捌)  ありといふ・・・・・有(ナ月)            云(二ム・一𠫔)            𠫔=旨・甘・𠮛             =うまい・あまい  なにおふ・・・・・・名(夕口)            二(似)            負(𠂊・ク・ワ・目ハ)  せ・・・・・・・・・勢  ↓↑  ↓↑   (なに、おふせ=何=名似、お布施)  ↓↑   阿倍御主人(あべのみうし)=布施      ↓↑      フセ=伏・臥・附      阿倍 御主人(あべ の みうし)      氏は布勢・普勢(ふせ)とも      阿倍普勢(あべのふせ)の      複姓で記される場合もある      姓は臣のち朝臣、公卿、      左大臣      阿倍内麻呂の子      子に      広庭      人主      ↓↑      阿倍 御主人      は      672年の      壬申の乱で      大海人皇子(天武天皇)方の功臣      晩年には右大臣・太政官・従二位      ↓↑      百寮人が      殯宮で慟哭したとき      納言の      布勢(阿倍)朝臣御主人が誄し      ↓↑      持統天皇二年      (688年)十一月十一日・・・拾壱・足壱      天武天皇が大内陵に葬られ      布施-朝臣-御主人は      大伴御行・・・・大(ダイ・おほ)は              伴(ハン・とも)なう              御(オン)・・・音              行(ギョウ)・・行      と共に誄した  ↓↑  ↓↑  のやま・・・・・・・能(ム月ヒヒ)山(サン)            ム(よこしま・私・己)の            解通(ジク字句)            比々(日々・狒々・霏霏)の            纂(簒)?  ↓↑ ↓↑  雑歌  作者 阿閇皇女・・・阿倍皇女?     羈旅 妹背 行幸  ・・・羈=罒+䩻  ↓↑  ↓↑ 罒+革+馬       キ       おもがい(面繋・面懸・面掛)       馬の口に轡(くつわ)をはめるため       頭部にからめる装具で頭絡にあたる       轡 (くつわ) を固定するために       馬の頭にかける緒              対語は鞦(しりがい)       たづな(手綱)       たび       たびびと       つなぐ       トリしまる       つなぎとめる       旅人・旅をする       旅ずまい・旅暮らし    ・・・面掛行列=神奈川県            鎌倉市坂ノ下の            御霊神社での            行列行事            鶴岡八幡宮の八月十五日の  ↓↑  ↓↑      放生会で行われていた     妹背=夫婦=兄と妹・姉と弟       =伉儷(コウレイ)        栄諧伉儷        伉(コウ)=つれあい・配偶者        儷(レイ)=「二つ並ぶ」という意        儷=イ+麗(麓)  ↓↑     ↓↑  ・・・高句麗・高麗                麗=一+冂+丶+一+冂+丶+鹿                 =䴡                  レイ                  リ                  うるわしい                  うら(ら)                  うら(らか)                  つら(なる)                  なら(ぶ)                  うつくしい                  ならぶ・つらなる                  そろい・そろう・対になる                  つく・くっつく                  つける・くっつける                  かかる・ひっかかる             綺麗・華麗・美麗・秀麗・艶麗・絶麗             ・・・駢儷             美辞麗句・容姿端麗          ・・・解語之花?=美人=楊貴妃・・・                  『開元天宝遺事』                        「高句麗・高麗」                  うららか・うらら  ↓↑     ↓↑         空が晴れて、穏やかなさま         四六駢儷        駢四儷六        四字句と六字句の対句を用いる        修辞的な文体       「駢」=馬を二頭並べて車につなぐ意           対句という意  ↓↑    「儷」=一対となって並ぶという意  和歌山 紀州  地名  土地讃美  ↓↑  羈紲之僕      主君の旅の従者や随行者     「羈」は馬の顔に付けるおもがい     「紲」は馬の手綱のこと      主人の馬車を操る従者     「羈絏之僕」とも     『春秋左氏伝(僖公二十四年)』  狷介不羈      意志固く      何ものにも束縛されないこと  曠世不羈      長期間      相手を服従させることはできない      長い期間拘束することができないコト     「曠世」=長期間     「不羈」はなにものにも縛られないこと     『文選』孫楚「為石仲容 与孫皓書」  傲慢不羈      人を見下し誰にも縛られない      才能があり自由に振舞うこと  独立不羈  不羈自由  不羈独立  不羈之才  不羈奔放  不羈磊落  放縦不羈  放蕩不羈  奔放不羈  ↓↑  朱鳥四年(690)九月  持統天皇の  紀伊国行幸の際の  御製  ↓↑  阿閉皇女(元明天皇)は  前年に  夫の  草壁皇子(日並皇子=ひなみしのみこ)      (日並知皇子= ひなめしのみこ)       壬申の乱(672)時・・・十一歳       岡宮御宇天皇       岡宮天皇       長岡天皇  を失い  亡き夫への思いを籠めた歌  ↓↑  708年  和銅元年(一月十一日改元)  武蔵国より銅を献上、よって改元  ↓↑  和銅元年戊申  元明天皇(阿閉)の御製  ↓↑  大夫(ますら)をの・・・・大(一人)               夫(二人)               之(これ・シ)  鞆(とも)の・・・・・・・鞆(革丙)               乃(すなわち)  音すなり・・・・・・・・・音(おと・おん・イン)               為               奈(一人示)               利(禾刂)  物部(もののふ)の・・・・物部乃  大臣(おほまへつきみ)・・大(一人)臣  楯立つらしも・・・・・・・楯(木盾)               立               良(ら・よい・リョウ)               思(田心)               母(はは・ボ・モ)  (万葉集1-76)  ↓↑  「物部の大臣」は  石上麻呂を指すとする説  即位の儀式においては  石上氏(旧物部氏)  榎井氏(物部系氏族)が  楯を立てる慣例があった  ↓↑  和銅元年(708)十一月二十一日  元明天皇(阿閉)  即位  大嘗祭が挙行  この歌に和した  御名部皇女  の歌・・・  御名部皇女・・・・・・オンミョウブコウジョ?  (みなべのひめみこ) 音 名 生分控 除 ?  斉明天皇六年(660年?~?)  天智天皇の皇女  母は  蘇我倉山田  石川麻呂の女(むすめ)  蘇我姪娘(そがの-めいの-いらつめ)  元明天皇(阿閉)の同母姉  大宝律令施行後  御名部内親王・・・オンミョウブナイシンノウ           音 名 生分内 新 納 ?  とも記述  高市皇子の正妃  長屋王の母  ↓↑  和銅一(708)年  妹、  元明天皇(阿閉)の不安を  なだめるように  元明天皇の歌に和した・・・  ↓↑  わご大君・・・・・・・吾(われ)             大(おほい)             王(おう)  物な思ほし・・・・・・物(もの)             莫(なかれ)             御(おん)             念(ねん)  皇神(すめかみ)の・・・須(彡頁)             賣(よむ)             神(かみ)             乃(すなわち)  つぎて・・・・・・・・嗣(つぐ)             而(しこうして)  賜へる・・・・・・・・賜(たまわる)             流(ながれ)  われ無けなくに・・・・吾(あ)             莫(なかれ・バク)             勿(なかれ・ブツ・モチ)             久(ひさしく)             尓(に・ヤ)  (万葉集1-77)  ↓↑  作者 御名部皇女  奉和 御名部皇女    (みなべのひめみこ)     元明天皇(阿閉)の姉  ↓↑  和銅元年(708)戊申  天皇御製  御名部皇女 奉和御歌   元明天皇(阿閉)に和(こた)へ奉る歌  ↓↑  吾大王・・・・吾が大君  物莫御念・・・ものな思ほし  須賣神乃・・・皇神の  嗣而賜流・・・継ぎて賜へる  吾莫勿久尓・・吾なけなくに ーーーーー  ・・・???・・・  第21代  雄略天皇の宮都で  大泊瀬稚武  (オオハツセワカタケル)  天皇  万葉集20巻4516首中の  開巻第1首目  ↓↑  泊瀬(はつせ)  朝倉宮(あさくらのみや)   ・・・日下部朝倉=一乗谷・朝倉景勝・・・  御宇天皇  (代=大-泊瀬稚武天皇)  天皇御製歌  ↓↑  篭毛與・・・・・こもよ  美篭母乳・・・・みこ持ち  布久思毛與・・・ふぐしもよ  美夫君志持・・・みふぐし持ち  此岳尓・・・・・この岳に  菜採須兒・・・・菜摘ます子  家吉閑・・・・・家告らせ  名告<紗>根・・・名告らさね  虚見津・・・・・そらみつ  山跡乃國者・・・大和の国は  押奈戸手・・・・おしなべて  吾許曽座・・・・あれこそませ  我許・・・・・・あをこそ  告目背齒・・・・告らめ背は  家呼毛・・・・・家をも  名雄母・・・・・名をも  (万葉集)  ↓↑  雄略天皇の皇女  斎宮の  栲幡姫皇女(稚足姫皇女)が  湯人(ゆえ=皇子女の沐浴等の使用人)  の    (湯人、此云 臾衞=ゆえ)  廬城部連武彦・・・廬(いほり・ロ)の           城の           部連の           武彦?  の子供を妊娠したと  阿閉臣国見・・・「阿閉」臣の「国見」  ↓↑     名は「磯特牛(しことい)」?           磯の特牛(こというし)             牡牛=こというじ             ・・・言問(ことと)符字(ふじ)?                言 意宇字?             大きくて丈夫な牡の牛(ウシ)             頑強で重荷を             背負うことのできるウシ           磯特牛=キトクゴ・キトクギュウ?      阿閉氏=阿倍氏・膳氏同様          孝元天皇の皇子  ↓↑       大彦命の子孫  に讒言され  武彦の父の  枳莒喩(きこゆ)・・・枳=木+只  ↓↑           =十+八+口+八               キ               シ               からたち               ミカン(蜜柑・橘)科の落葉低木               非時香菓(ときじくのかくのみ)               わかれる・枝分かれする

            莒=艹+呂=艹+ノ+吕(口口)               キョ               芋・さといも               周代の国名  ↓↑            山東省  に  禍が一家に降りかかることを恐れ殺され  栲幡姫皇女(稚足姫皇女)も  無実を訴えるため自殺した  (雄略三年四月条)  ↓↑  皇女の母の  葛城  韓媛が  父の  円大臣・・・大日下王の子  圓大使主(つぶらのおほおみ)  圓使主   目弱(眉輪)皇子を  ↓↑     守って討ち死       「阿知使主        仁徳天皇の死後        履中天皇即位直前        皇位を望む履中の同母弟の        住吉仲皇子(すみのえのなかつ        莒弗大連(もののべのいこふつのおおむらじ)        円大使主(つぶらのおおみ)  ↓↑     が、共に国事を執る」  から  即位前の  雄略に  妃として献ぜられ  韓媛が  栲幡姫皇女(稚足姫皇女)  を産んだ・・・  ↓↑  「讒言事件」は  外宮(伊勢神宮)の設立と年代が近かった         ・・・だから・・・ナニ?  阿閇臣国見は  讒言が誤りだと判明した後  伊勢神宮では無く  石上神宮に逃げ込んだ・・・ ーーーーー  ・・・???・・・顛末不明・・・


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