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2006年11月・・・アノ頃・・・

2022/3/21・月曜日・・・追加添文・・・

ウクライナ・ロシア・ヨーロッパ・・・& ジポン・・・

https://naie.hatenadiary.org/entry/20061231/1167583870

 192日目・・・西暦2007年正月一日、新年、おめでとう・・・「占い(四柱推命)」では、2007年2月の節分から翌年の節分前までが「丁亥」年になるんだけれど、前回は1947年2月節分から1948年2月節分前までの「六十一年前」が「丁亥」年・・・団塊世代のはじまりだった。アメリカ、敗戦日本占領三年目・・・とにかく、「占い上での年始」は「2月の節分」からです・・・

 1947年・・・丁亥年

 2月01日・・・ゼネスト中止

 2月25日・・・八高線で列車転覆

 5月03日・・・新憲法施行

 5月27日・・・阿蘇山爆発

 9月15日・・・キャサリン台風


 今現在、とにかく生まれてきて、生きて「自由」にモノが言えるのは、アメリカ連合国総司令官、マッカーサーに感謝すべきだョな。


https://naie.hatenadiary.org/archive/2006

 2006年11月18日

 今夜のNHK・教育番組・・・「すくすく子育て「もっと!ずっと!使おう、母子手帳」をみて・・・「大日本帝国」は戦争に負けて本当によかったネッ・・・マッカーサー、「アメリカ占領政策・GHQ」の遺産「母子手帳」には感謝すべきだョなって・・・敗戦後に今現在生きているボクも含めての「日本人」・・・この「母子手帳」の思想は日本だけではなく、今や全世界に広がっているらしい。

 「母子手帳」・・・コドモを持った両親はその「母子手帳」を時折みるべきだし、子供達にも毎年の誕生日には見せてあげるべきだよ・・・子供達は自分が生まれてきた存在、と言うよりも、お母さんと一緒に「喜怒哀楽=愛憎」で育ってきたそのプロセスを知るべきだ。モチロン、両親、特に母親はその分身であるコドモの妊娠、出産、養育が精神的にも肉体的にも「愛」も、決して「怨」ではない「憎」も含めて、どんなに大切なモノだったのかを、今現在の成長しつつあるコドモをみて、その「命と命の連鎖」の愛憎の絆の素晴らしいコトをかみ締めるべきだ・・・。

 肉体的な出産の痛みを伴わない「オトコ」には、決して「母」になるべき、あるいは、ナッた「オンナ」の偉大さは理解できないかも・・・でも「母子手帳」は見れるし、その小さな余白には描き込めるカモ・・・


 「国を愛す前」に、「家族を愛す」・・・そして「国を愛す前」に、「人を愛す」・・・いじめられたら、とっても「ヒトを愛す」なんてこと無理だけれども、「ヒトを愛す前」に「ヒトである自分自身を愛す」、自分を大切にしないヒトには「ヒトの愛」もワカランだろう。デモ、「我が身をつねって他人の痛さ」を知る人間は、そういないだろうけれど。いずれ何時かは「生きている自分自身の痛さ」を経験する・・・

 デモネッ、ヤラレタ方は決してその「怨み」を忘れやァしない。ヤッタ奴はケロッと忘れるから・・・ボクに小さい頃イジメラレ、高校時代になって、その同級生、親友だと思っていたら、「オマエにあの時にイジメラレタのを忘れはしない」って言われて・・・ムカシのハナシじゃん・・・って、思ったけれども・・・小さい頃、ボクはコトバでも暴力でもイジメタ奴は沢山いたから・・・でも、ボクも、イジメたらしい子供達の親達から突然、頭をこずかれたり、ツネられたり・・・ボク自身、その理由がさっぱりワカランかった・・・我が子に対するボクへの仕返しだったらしい・・・けれど・・・高学年になって、母親や先生、友人の親達のハナシの会話からやっと「アッ、そうなんだ」って自覚。子供の喧嘩には親も加担しろッ・・・我が子が第一なんだから。ただし、理由も言って欲しいけれどね・・・

 「自分自身の愛に余裕」が出来たら、それから自分自身以外の「ヒトも愛す」・・・「愛」だけじゃなく、「怨」じゃない、「愛憎」としてアイす。「憎い」って、「可愛い」と同義語で使われているコトもある理由・・・「憎さアマって可愛さ百倍」になれれば、「憎い奴」は最高ッ・・・憎い奴からは学ぶコトがたくさんあるから・・・?

 レレレレレッ・・・「可愛さアマって憎さが百倍」・・・カナ・・・でも「可愛い」がヤッパシ「憎さ」の前提だよ・・・

 ボクの小学校時代、ある女の子を特にいじめている男の子がいた・・・あとでわかったんだけれど、イジメていた女の子が好きだったらしい・・・ボクはスキキライ無しに、クラスのみんなを公平にいじめていたガキ大将だったから・・・その「特殊なスキ」が不思議だった。「ストーカー」っているらしいけれど、「スキ」な相手と直接対峙できない「人間のアル時期」って、複雑・・・TV番組で報道されていた電車の中の「常習の痴漢」は「愛」も「憎」もない最低な「人間」として、自覚はしているらしい・・・女子高生に現行犯逮捕され、逃げ出しもセズ、泣きながら、土下座しながら謝っていた・・・そして、またやるんだろうなっ・・・「痴漢中毒」・・・

 「愛国心」なんてコトバの意味、「過去の歴史的なコトバ」であることをわすれるなよな。「国家」なんかを「愛す」なんて、「ダレの国家」なんだかサッ・・・「愛人心(対等な立場の配偶者を愛する心)」が「人間の男女の絆の原点、始点」だからネッ。

 「痴漢(チカン)」を漢和辞典で調べて見てくれないかな、興味あるなら・・・「チカン(置換)」は「オンナ(音名)」に「イタズラ(悪戯)」する中毒者でもあるらしいから・・・オッソロシイ・・・「イタズラ(意多事等・異他通等)」・・・?・・・


 172日目です・・・1929(昭和四年)年10月24日・・・ニューヨーク(紐育)株式市場・糸価暴落→全般株の大暴落→1500万人の失業者・・・「世界大恐慌」・・・って?・・・カネゴン・・・暇だから考えてみるカネッ・・・

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 ヒトラー

 ”8万マルクで、どうだ、オット、君の出版社である戦闘社を売らないか”

 オット

 ”あんたは合法だの秩序だのと、うまいことばかり言っているが、党の初期の精神、社会主義革命の本質を忘れちゃってんじゃないのか”

 ヒトラー

 ”そんなぁことはない”

 オット

 ”あんたは合法的な形が必要だと言うが、党の運動にとっては日和見だ。訊ねたいが、ナチスが権力を握ったら、軍需産業のクルップをどうするつもりだ”

 ヒトラー

 ”モチロン、ドイツの経済と労働者のために必要とするさ。ドイツ経済を壊すつもりはない”

 オットー

 ”企業国営化の綱領に掲げていたモノはどうするつもりだ”

 ヒトラー

 ”社会主義革命はマルクス主義の革命ばかりじゃない”

 オット

 ”ホウッ、他にも革命ってモノがあるのか”

 ヒトラー

 ”ひもじく、飢えて労働者は腹をすかせているんだ”

 オット

 ”だからどうだってんだ”

 ヒトラー

 ”観念、思想なんかではハラは膨れんぞ。労働者が好きなもんは、パンとサーカスだ」

 オット

 ”ナンダトゥッ、パンとサカースだと・・・サーカスとは何だ?”

 ヒトラー

 ”サーカスで大衆に最高の曲芸を見せるスター・・・新しい支配階級だ。高等人種の適者生存の原則にのっとった革命指導者のことだ”

 オット

 ”高等人種?・・・労働者階級じゃない人種だって!・・・モチロン、政治は思想だけじゃ無いコトはダレでも知っている・・・手品でなくて、サーカス・・・労働者にパンを与えるタメには・・・”

 ヒトラー

 ”あらゆる思想は手品で、マジックなのがワカランのか・・・ゲルマン民族の腹を満たすためには崇高な思想が・・・階級を超越した思想が、その現実的なパンを保障するのだ・・・君の言っている民主主義で、ロシアはどうだ。アメリカはどうした。世界を破滅させているのはユダヤ人の民主主義じゃないのか・・・ヤツラの民主主義とは我々から掠め取ったカネで我々を家畜にすると言うことだ”

 オット

 ”労働者のパンの公平分配が民主主義、社会主義で出来ないとするなら・・・じゃぁナンだ”

 ヒトラー

 ”指導者原理と言うものだ・・・いいか、能力のある指導者が権力をふるい、民族の淘汰原則を打ち立てれば世の中はうまくいくんだ”

 オット

 ”ダーウィンニズム!?”

 ヒトラー

 ”進化論は科学だ・・・モチロン、政治も科学だ”

 オット

 ”まるで、古代中国の賢人聖帝思想じゃないか・・・それはッ”

 ヒトラー

 ”単なる独裁者じゃないんだ、ゲルマン民族の進化と自由の支配下にすべてが治まるならば、それが社会主義の必然だ。ゲルマン民族に淘汰されれば必然的に世界は社会主義になる”

 オット

 ”どうやら、階級無視の三流のプチブル思想だな・・・サーカスのピエロ以下、手品師めッ・・・フンッ、あんたは詐欺師だョ”


 (以上は講談社発行の「ヒトラー」からの抜粋概要を勝手に改作会話)

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 ユダヤ人の移動・・・①東欧ロシア・ポーランド→②ドイツ・フランス→③イギリス→④アメリカ。

 「ユダヤ人」・・・エジプトに寄留し、パレスチナ地方に侵入建国し、後にローマ帝国に滅ぼされて以来、無国家の「旧約聖書の一神」を信仰する「一民族」・・・中世、近世に於いては領主、国家君主から殆どが「土地」を所有することを禁じられていた。

 「古着屋」・・・ユダヤ人商法・・・高利貸しと質屋兼業・・・金融資本形成・・・

 「金融資本」・・・カネ貸し・・・為替操作・・・儲かるところには「国家、国境」を超えて、ダレにでも、どこにでもカネを投機的に動かす。借金が返済できずパンクしたら抵当権の「物件・土地、家屋、山林資源、資源工場機械、船舶」等を実質取得。当然ダヨナッ。借りた1万円の担保物権が十万円の実質価値があるんだから、ぼろ儲けだ。


 「質屋」って映画をみたよな・・・ロッドスタイガーの・・・「真夜中の捜査線」の保安官も彼だった。別人と思っていたんだけれど、「役者」ってスゴイ。観客にとって「エンギ」って手品で、魔術、イリュージョン・・・「種」もあれば、「ネ」もあるのさ・・・でも、コロっとだまされるさッ、ミキやエダ、ハッパに。


 で、質屋の抵当期限切れの古着が「金に換金」され、その蓄積された「資本(カネ)」が、国家、国境を越えて動き出すんだ。「国家を有しないユダヤ人支配階級」の手にユダねられて・・・そして一般ユダヤ人は「国際人=無国籍人」としてしか生き様がなかったのにちがいない。「農民」になっても、彼等の宗教によって土地はすぐ奪われてしまうんだから・・・

 「ユダヤ人」は「国家領域の枠」では「キセイ(寄生・既成・帰省・既成・気勢・規正・規制)虫」としてしか生きてこれなかった。

 ・・・「シャーロック=ベニスの商人」・・・「民主主義(選択)」も、「社会主義(統制)」も、その「政治思想」としては「底辺の人々のパンを公平に分配」するけれど、「自由主義」はどうなんだろう・・・土地に定住出来ない人々に許された「自由」、「金儲けのタメの自由主義」・・・「無国家になったユダヤ人の思想(?)」は人種差別、民族差別をされない「無国家主義=カネ=拝金主義」なんだろう・・・?


 1914年8月・第一次世界大戦・・・

 1917年・三月ロシア革命・4月アメリカ参戦・十月ロシア革命・・・終戦・・・

 1919年6月・・・「ベルサイユ講和条約」、パリで調印・・・

 1919年8月・ワイマール憲法発布・・・

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 (以下参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋) 

 ベルサイユ条約

 領土・賠償

 ドイツから全海外領土・海外植民地を没収する

 アルザス(独・エルザス)・ロレーヌ(独・ロートリンゲン)をフランスに割譲

 ポーゼン州・西プロイセン州をポーランドに割譲

 ダンツィヒ(ポーランド・グダンスク)を国際連盟管理下の自由市へ

 ザール地方(現在のザールラント州)を15年間国際連盟の管理下へ、その後住民投票で帰属を決定

 オーストリアとの合併を禁止

 シュレースヴィヒ北部で住民投票を行い帰属を決定

 ドイツならびにその同盟国は賠償義務を有する

 ドイツの賠償額は1320億金マルク


 軍事

 ラインラントの非武装化

 徴兵制禁止 

 航空機・戦車・重火器・潜水艦・航空母艦の保有禁止

 参謀本部の解散

 陸軍は総兵力10万人以下、将校4千人以下。

 海軍は戦艦6隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦12隻、水雷艇12隻。かつ戦艦の備砲は11インチ以下、排水量1万トン以下、軽巡洋艦の排水量は6千トン以下、駆逐艦の排水量は800トン以下、水雷艇の排水量は200トン以下。

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 世界金融資本・・・殆どが「ユダヤ」系。国債為替相場を操作。

 戦争勃発・・・

 アメリカ政府(国債)・ユダヤ国際資本はイギリス・フランスにカネを貸した。

 戦勝国のイギリス・フランスは敗戦国のドイツに膨大な賠償金を課した。

 アメリカはイギリス、フランスへ貸した金を返済要求

 イギリス・フランスはドイツの賠償金でアメリカへ返済

 フランスは返済を渋っていたドイツ経済産業の心臓部、ルール占領

 ドイツは超インフレ・・・一ドル=40億マルク

 アメリカ国債資本はイギリス・フランスへの債務金利を縮小

 ドイツ復興へのドルを投資


 アメリカ←返済・イギリス・フランス←賠償金・ドイツ

  ↓

 ドイツへ金融援助、投資


 1929年金融恐慌

 

 で、世界は相手国の輸入貿易品の高関税かけ合いでブロック経済化・・・第二次世界大戦へ・・・敗戦日本は「サンフランシスコ平和条約」で「賠償金」を殆ど免除された・・・食料物資も援助されたし・・・「日本国憲法」は手に入れたし・・・「商業・産業国家」として復興したし・・・もちろん、西ドイツも復興・・・アメリカ国債資本(カネ)の投資で・・・国際連盟にも加盟した。

 政府とつるんだ日本の銀行・・・ヤリカタが汚いのはユダヤ資本と同じである。

 日本の銀行家は「カネ」に関しては「日・JUDEA同祖論者」なのは当然である。

 「振込め詐欺」、「金融詐欺」、「裏金詐欺」・・・「税金」、「年金」は「詐欺」ではないのか・・・?

 もちろん、「キン」さん・・・戦争屋の北朝鮮将軍、「偽札詐欺」・・・だよな。


キリちゃん (id:naie) 15年前


 173日目・・・NHKの「ダーウィンが来た」をみたけれど・・・生きるって厳しい・・・「カナダの北部ハドソン湾」での動物達の生態系、「アカギツネ」と「ガン」の「種=子供達」を育てるタメに生死を賭けたドキュメント・・・カミがいるなんていう発想がどっから出て来るんだか・・・「ロシアのウランゲル島」、「ハクガン」と「ホッキョクギツネ」、しかも「カモメ」までが「子ガン」襲撃に加わっての熾烈な戦い・・・ヒナが親達をヨチヨチ追って50キロ離れた水辺へと目指す・・・「運」がナクチャァ、「命」の保障は無い・・・人間の子供

 人間は違ゥんだッ・・・「生き残っていく動物」って、多くの命を犠牲にして生きていかなければならないんだけれど、その「生態系上での犠牲」は事実だけれど・・・自然を大枠に社会の中で生活している「人間諸関係」と、自然界で棲息している「動物達の諸関係」の「区別性」が「ヒゲジイ」の質問にはナイ・・・当然、「人間の社会生活」が「自然界の弱肉強食」から「解放」されるべき否定のコトバは映像にはない。


 あれじゃぁ、人間が歴史上、延々とやって来た人間同士の命の消耗、「殺人」、「戦争」なんかの「善悪」は吹っ飛んじゃう・・・子供達、ワカッタよなッ、この世の中での「生存競争」は厳しいぞ・・・暴力的に「強い奴」が生き残るんだ、「ずる賢い奴」が生きのびるんだ、ッて。

 ダョナッ・・・デモ、「いじめる人間」って「勝ち残る人間」じゃないよな・・・プロセスで「立場の逆転」があるカモ・・・本当は「イジメル人間」も「イジメラレル人間」も、その「能力・実力」に於いて「差別(階級・階層・序列)」されながら「妥協・共存」していくんだ。


 「ダーゥイン」の申し子(?)、「エンゲルス」はモチロン、「ヒトラー」も「昭和天皇」も、「ムッソリニー」も、「チャーチル」も「ルーズベルト」も、「スターリン」も、「毛沢東」も、「進化論=自然淘汰」をその時代的な「科学思想」として、「自然弁証法(?)」として学んでいたのは当然だ。そして、「人間の社会」に「人種・民族差別思想」として持ち込んだ・・・極端な奴が「ヒトラー」だったけれど・・・「拝金主義」を持ち込んだのが「ユダヤ支配階級」だったけれど。

 「自然科学」と「社会科学」はその「体系」は根本的に違うんだからねっ。ゴッチャにされたら、「理不尽」と言うもんだ。


 「人間社会」に必要なモノは「自然界の弱肉強食」なんかじゃない、と言う「思想」なんだ。何時かは未来的に「自然界の弱肉強食の法」から「解放」される、と言う「思想」さッ。

 「愛」なんてもんじゃない、毎度、言っているけど、


 ヌスムナ

 ダマスナ

 コロスナ

 サベツスルナ


 の簡単なコトバの実践、実行だけなんだけれど・・・



 174日目・・・11月29日(水)・・・NHK「クローズアップ現代」をみて、なんだ、こりゃ、戦前の日本帝国がやった近隣、隣国からの「人間徴用」・・・現日本政府のやっている事は「タコ部屋」だ・・・

 歪(ゆが) められた外国人研修制度!?


 こんな制度をつくった「日本政府」は恥を知れッ!!

 ドコがどうして「日本のもの作りを学んでもらおう」だって!

・・・タコ部屋・・・平成5年から国が始めた「外国人研修・技能実習制度」。

 どこが、「技術移転」だって、マッツタック・・・「中小企業が研修生らを不当に安い労働力」として「こき使っている」のだ・・・「外国人実習生が法律で定められた最低賃金を大きく下回る時給で働かされるなどの不正行為」が「200件以上」・・・「外国人研修生を企業に斡旋して搾取している「日本人(のダレか一部の人間)」の存在。

 千葉大学の教授、この「日本人の一人」であるらしい言動の前提は、当然、この「資本主義社会」が、如何なる人種にかかわらず、如何なる国籍を持とうが「労働者」からの「搾取、OK!!」であるよな、過去に於いても、現代に於いても、未来に於いても、この日本国はッ・・・「搾取社会」の「不足労働力の確保」なんだから。

 この番組の中村友聡記者の取材がなければ、問題にも明らかにされないママ・・・?・・・これじゃぁ、過去の「日本人指導者達と加担日本人達」がやったこと、「外国人徴用強制労働」、「外国人慰安婦徴用」がどんなに「正当化性のコトバ」が吐かれても「疑われる」に決まっているサッ。


 ”日本人はもっと日本の過去にホコリを持って、過去も現在も日本にジシンを持つべきだ”トぉ〜ッ!・・・ドコに「ジシン」と「ホコリ」を持つべきナンダ・・・コトバは同音だが、これらの「使用漢字」を間違っているんじゃないのか・・・その「自信」と「誇り」の分野の区別性もしないで一っぱ一絡げで、古代の過去から、戦前、現在の「日本の歴史」を正当化する似非ジャーナリスト、似非学者・・・一族郎党、郷党一族、一般化された「日本人・国民・民族」の「赤族=運命共同体」としての「自信と誇り」ではなく、「人間、個々人」としての「自信と誇り」と何故言えんのかネッ・・・あんたや、あいつの仕出かした「業績」や「不祥事」は個々人自身の「問題」だ。「みんなのタメだった」など一般化するんじゃないョなッ。例え、組織としての命令で加担し、仕出かしたコトで、誉められても、責められても・・・ファンとして他人の業績、不祥事に憧れ、加担に責任取るのはかってだが・・・ネッ。


 かっての「植民地の外国人(朝鮮・満州・中国・東南アジア)」ばかりではない、明治近代化の「工場労働者」の搾取・・・「野麦峠の娘達」、そして「東北地方の貧困農家の娘達の身売り」、その延長線上の1936年(昭和十一年)の青年将校と、農村出身者であった下士官、兵隊達が起こした「2・26事件」の「クーデター」の本質は「搾取」への「怒り」であったハズだ。搾取によって造られた日本海軍の兵器の性能は世界水準をいっていたが、「日本地域に居住した人々の90%」は世界水準サイテイの生活だった。徴兵された「天皇の軍隊」は一応は「衣食住」が保障されてはいた・・・搾取された税金によって・・・軍隊じゃない「自衛隊以外(?)」は北朝鮮であろうがドコの国であろうが、戦時以外の平時には無駄飯を与えられ、たらふく食えるのさ・・・軍隊が食えなくなった時が問題だ・・・「戦艦ポチョムキン」・・・。


 日本国の「大企業」はもとより、一部の「中小企業の経営者」、「人間」としてのハジを知れッ・・・ナニが「モノ造り日本国の技術」を支えているモンか・・・人間としての「ホコリ」を選ぶなら倒産しろっ・・・「タコ部屋日本」・・・恥を知れっ。

 ボクは日本に居住している「日本人の一人」であるらしいのだが、「日本国政府」のヤリカタは・・・

 すべからく「日本国憲法違反」である。もちろん、「国際条約違反」でもある。

 「人類、人間」に対する「罪」である。


 178日目・・・友人のブログに貼り付けたモノです・・・若干改作・・・最近、当時のドイツ人ジャーナリストのかなり「客観的」な叙述の「1939年代の日本・朝鮮・満州・中国・ベトナム」に関する本を読んだ・・・日本も中国も、東洋そのものが西洋人には「理解」し難い「場所とヒトビト」であったらしい。

 「東洋人」であるらしい戦後の「日本人」は、結構、「西洋人」を同じ人間って「理解」しているようなんだけれど、過去も現在も「白人」の「価値観のズレ」はどうやら「白人種一般の優越感」にあるらしい。そして、突然、東洋では「日本的思想の優越」で「白人種排除」を目指していたようだ。東洋全般が同じ「日本人同胞(思想)」になることを願って・・・「日本支配階級の思想=八紘一宇」とは思うけれど・・・

 カッテの「日本人(極東)」にとって「文明国の源泉」は「唐(カラ)・天竺(テンジク)・波斯(ペルシャ)」で、「西洋人(極西)」にとっては「羅馬(ローマ)・希臘(ギリシャ)・中近東・埃及(エジプト)」だった。

 「イジメラレタ」と言う「意識」の裏返しの連続性が「近代の極東・極西」の「人種意識」かも・・・。

 故郷に帰れば「イイ人達」も、「軍隊・兵士」に組織化されてしまえば「国家の意志命令」で「暴力」として動く・・・「匪賊」も「統領の意志命令」で・・・

 「日本軍」がやってくる前の中国人の「村」や「街」の住人達の「意識」を知りたいモンダと思う・・・彼等の記憶は薄れているダロウケレド・・・「中国人=民族」であったハズがない、とは思う。


 最近、中国で「日本語検定試験」を受験した人々が「20万人」とのニュース・・・「日本」を知りたいんだろうか・・・それとも「生活」のタメ・・・?

 本屋に行ったらかっての「満州国」の「リットン調査団報告文(?)」が、かなりの部数で本棚を飾っていた・・・チラット立ち読みし、後書らしきトコロに、日本人翻訳者が「国際連盟に報告したその内容」は「帝国日本」には好意的であった、と記されていた・・・傀儡「満州国建国」・・・細菌部隊の「石井」は「マルタ」でナニをした。

 本屋の本棚にはかっての「日本帝国」の戦争の「セイトウ性」を謳っている書籍が結構あった・・・なんせ、神武景気以来の「ケイキ」などと、あたかも「実数」でない「統計学の%数字」が「科学性」を有するかのごとき、似非プロパカンダを振りまいて、ボクの脳裏には「効刑企・更刑期・興刑基=コウケイキ」の文字が焦ってかすめていく・・・大手銀行、トヨタ・・・下請けが「タコ部屋」で東南アジア人をこき使い、派遣会社は同胞からもピンハネ「手配師」・・・一般庶民から過酷な重税を取りたて、年金保険をパァにし、国民健康保険を失効させ、貧しい老人達をオバステ山に追いやり、時代は「自衛庁」が「自衛省」でなく、「国防省昇格」だからな・・・ゴジラと戦ってきた「自衛隊」が「国防軍」なら、次は「国民皆兵」だろう・・・サッカーの選手が「兵役免除」になるなと、思うなョッ。


 前に述べたドイツ人ジャーナリストは彼自身の「一般論」だとは思うが、「日本人」よりも「中国人」の方が頭がイイようだと書いていた。理由は「中国人」はすぐに「日本語」を覚えるけれど、「日本人」は一生懸命に「中国語」を辞書、書物で勉強するがナカナカ「中国語」をマスター出来ないでいる、と。ボクは「頭のよさ・わるさ」はどの「人種」でも同じだと思う・・・教育環境の問題だ。「義務教育」でなく、「権利教育」なのに・・・これは「日本人」が音声キャッチの聴覚と言うよりも、視覚で「文字」から学んできたからだ、と思う。「日本人」は「ホン」、「絵本」が大好きで、過去に於いても「識字率」はどの「民族」よりも最高だった。「平仮名・片仮名」はモチロン、ほとんどの「日本人」が読み書きでき、当然、「漢字の識字率」の高さのコトである。おまけに、奈良、平安時代から算数の加減乗除、九九は丸暗記。

 それに、「侵略支配者」は「自国のコトバ」を「被侵略者」に教えたほうが手っ取り早いカラ・・・「国際語」は前時代の「侵略支配者の言語」だったコトが多い。ギリシャ語、ラテン語、スペイン語、フランス語、イギリス語・・・例外は「中国への侵略者」であった「北方人種」である。どっぷりと「漢字文化」に染まって「同化」してしまった。「南方」からの「人種」には「侵略」と言う「コトバ」が見当たらないのは「食料事情」によるだろう、とは思う・・・北方は生活環境が過酷だったんだろう。

 ・・・その過酷な北方「満州国」の土着の「中国人」から土地を奪い、その後、ダマサレテ移民、入植した「貧農日本人」は農作物を収穫した・・・モチロン、鉱工業生産、高い煙突が立ち並ぶ近代産業の工場地帯も・・・このドイツ人は鉄道と沿線だけの居住地を面にまで押し広げた「満州国」をアメリカのかっての「フロンティアの地」と同じだと、「日本人」を恐懼、驚嘆の記録を記していた。

 結果は大勢の人の命の損耗と「残留孤児」・・・しかも、日本に帰還した高齢の「残留孤児」の生活は指に火をともすごとき・・・

 昨今、中南米に移民した「日本人」も日本政府にダマサレタ、との訴訟賠償の裁判を起こしたけれど・・・


186日目・・・続「日本人と戦争・ロベール・ギャラン著(1979年6月28日・朝日新聞社発行)」・・・395ページ「日本人の微笑」に関して・・・

 以下、ボクが勝手に要約、抜粋したモノ

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 1)我々、「日本人」は「微笑する」・・・なぜなら、「忘却し、矛盾し、そして運命を信じる力を持っているから」・・・「仕方が無い?つまり、それ(微笑)が我々のアキラメを表す表現なのだ」

 2)我々の「思想領域」は・・・「浅薄」、「操られた情熱」だった。

 3)我々は「礼節の民」である・・・「米国に対する憎悪」は「軍紀による命令」だった。「一時的な軽率な憎悪」であり、「本当の憎悪を育むことが出来なかった」。敵国、敵の国民を「憎む理由が無かった」のだ。

 4)我々の「思想、愛情」・・・「変わりやすい多彩な季節に彩色られる」のと同じモノだった。

 5)我々の「微笑」・・・「恐るべき柔軟さの証」、「我々は主人を持ち、主人の移り気に譲歩し、それを喝采する習慣にすっかり慣れている」、そして「微笑みながら」も「畳みに額をすりつけ、塵埃に鼻を突っ込むのが(生きるために)便利」だったのだ。

 6)我々の「信じていないこと」・・・「罪があること」・・・「神(キリスト教)の掟の未だ無い所には罪も無い」、「我々は肉体の罪を知らない」・・・「原罪」などと「自覚」があろうハズが無いのである。似て非なるモノはある、「因果応報」と言う。

 7)我々は「苦悩するがゆえに微笑する」のだ・・・「負傷、挫折にも微笑する」、「困っている時、勝負に敗れた時、面子を失った時も微笑し、時には騒々しい笑い声もたてる」・・・「運命に対する礼儀の表し方」として、「悪運、苦痛は主人であり、我々は主人の慰みに従順でなければならない」からだ。そして「微笑は我々の復讐でもある」、「微笑は主人の面子を失わせるから」・・・「微笑」とは「嘲笑い」でもあるからだ。

 8)我々の「微笑」・・・「満足する時、満足を示す時にも微笑する」

 9)我々の「敗戦の微笑」・・・敵国を侵入者としてではなく「解放者」として歓迎する・・・「自由は我々の軽率さにふさわしく、この自由を得るために敗戦せねばならなかったなどとは深く考えないように努力」しているのだ。

 10)一人の日本人は一個の人格ではなく、一つの「可能性」なのである」・・・「様々な状況のみが日本人の内面に共存する暴力と優しさの間で決定を下す」・・・「野獣であり優獣」としての「自然な人間を、注意深くひとり一人の市民の中に守ってきた」のだ・・・時には「戦線で野獣」、そして「内地で羊」として・・・「羊」は「虎や狼」に自分自身が「変身、変心」する事を知ってはいない・・・

 11)我々の「善意」とは・・・「不幸の根源」だった、「善意は悪のタメにも善のタメにも行使される」から、「我々のボスたちは我々の国民の内にもっとも従順でもっとも扱いやすい人間の群れを見出した」のだ。そして「大いに義に富んだものをボスに捧げた」のである。

 12)我々の「微笑」・・・日本が度重なる破局を経験し、乗り越えてきたから「微笑するのだ」・・・ダレもが奪うことが出来ない日本人のモノがある。第一は「生きる欲望としての人間の数」、第二は「勤勉な労働」、第三は「神国としての太古からの土地」である。

 13)我々の「微笑」・・・「変化を通じて自己流の流儀で追求するものは持続である」・・・「だが、我々国民生活の原則は不動性である」・・・「不動の二千年の歴史」である。

 14)見かけ上の「変貌ではなく持続するモノ」・・・「我々はそれがなんであるか、よくわからないが、それが存在する事を知っている」・・・それが「日本と呼ばれるモノ」なのだ・・・

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 ・・・「おフランス人」にはこの「微笑」がないらしい?・・・ローマの時代から侵略、被侵略のヨーロッパ・・・この類の「微笑はあった」ハズだ・・・そして「禁じられた」のカモ・・・

「薔薇の名前」は如実に「笑いの秘密を隠蔽」し、その「禁忌の秘密」を暴こうとしたモノだった・・・「現代小説(?・時代小説)」だったが・・・そして、「微笑みが無い」なんてコト、「西洋人一般」にも・・・そんなコトは無いだろうッ・・・「侵略されなかった日本列島の人々」は既に「大陸・半島から侵略されていた経験」を終えていた、のだ・・・「神武天皇」が「源日本人(九州)の王朝」等では無い・・・大陸、半島から「侵略」して来たのさ・・・「怨み、憎しみは時間によって緩和」されちまったんだろうッ・・・「支配されるコトに慣れちまった」のさ・・・

 人種、地域社会にかかわらず、あらゆる諸国家の支配し、支配される諸関係に於いて、「被支配階級の人々」には「微笑」は不可欠である。支配者同士の取引に於いても・・・「おフランス」に於いても「シーザー・カエサル」に、そして「ローマ法皇」には「微笑」シタダロウ、さッ。


 187日目・・・「ワールドくりっく(朝日新聞)」・・・「国家の本質(?)」・・・どうやら、この記事を書いた人は、今現代の「イラク」や「スーダン」などの国内無秩序の中、暴力的なテロでの殺害現状をコメントした「アナンのコトバ(独裁者の方がまし)」を捉えて「国家の本質」を「警察秩序」と見なしているらしい。

 二者択一としての「独裁国家秩序」での「生命の保証」か、「国家警察秩序の崩壊」での「銃、及び殺害武器を有した無差別的な暴力的殺し合い」が頻繁に起こる中での「自己防衛」による「生命の保証」か、と・・・

 かってのアメリカ新大陸開拓時代の「拳銃をぶら下げた無宿者の存在」は「法」も「社会秩序を守る保安官」もいなかったにもかかわらず「無法者」と呼ばれた。「無法者」の「法」とは「道徳・倫理」のコトを指しているのだろうか(?)。ならば、この「無宿人」達は「無道徳・無倫理」の人々だった。ほとんどが「山賊・海賊」に類する人間であったろう。

 しかも、「国家」としての「法秩序・警察機構」がある現在のアメリカ合衆国内での「殺人事件」は何秒間、何分間の内に「銃による殺人事件」が頻繁に起きている。

 確かに人数はアメリカよりは遥かに少ないが、「法治国家」であるらしい「日本国」では「銃」と言う武器ではなくても一日に「ニ、三人の殺人事件」が報道機関によって報道されている。

 世界各国の「自動車事故」による「死亡」は過失が多いとは言え、「殺人事件」と言えるようなモノばかり・・・

 当然、「武器」も「自動車」も少ない「国家」ではその「兇器」ともなるモノでの「殺人」は少ないだろう。

 「法治国家」の秩序があろうが無かろうが「殺人」は起こるし、その「殺人」から被害に会わないようにするためには「自己防衛」しかない。「秩序がある所」でも、「武器の無い所」でも「殺人」は起こるのだ。「国家の法律・法機構」が個々人の「生命」をまもってくれるモノではないからだ。ほとんどの「法の執行」は「詐欺・強盗・傷害・殺人」の後に「発動」する・・・被害者にとっては後の祭りだ・・・ョッ。


 中日新聞に現在掲載されている坂口安吾の「堕落論」は「既成秩序(帝国日本)=国家秩序、規範、ルール=天皇制」、「過去の規範(道徳・倫理)」の「否定」としての「堕落論」であった。だから、「堕落」は「新たな秩序」の根源として捉えられている。「堕落」は「無秩序」ではない。「既成秩序の否定」として、「新たな秩序の出発点」として・・・しかも、想定されているのは「敗戦日本国内」での出発点としての「堕落」である。モウ少し言えば「堕落」自体が「秩序」なのだ。そして、モウ少し言えば「日本的堕落」とは「アメリカ式の秩序の受け入れ、容認」だった。「堕落の基準」とは「日本的規範」から逸脱するコトであった。しかも自ら考え出した「新たな規範」では無く、「アメリカ」から借りてきた無条件の受け入れと「真似」であった。

 「ジュンちゃん」もプレスリーの無条件の「ファン」であった・・・「不安」じゃぁないよなッ・・・日系一世、二世、三世からは「恥さらし」である。当時の日系人の子弟がアメリカ国家に「忠誠登録」し、「アメリカ軍」として殆どがヨーロッパ戦線で戦死したのを「ジュンちゃん」は理解していないであろうな・・・もちろん、「アベちゃん」も。「忠誠登録」とはアメリカ国内に沙漠に隔離収容された「日系人同胞、家族」の「命の保障」であった。「忠誠登録」とはアメリカ政府による「国家的強制」であった。ナニが「自由の国」であるものか・・・今現在のアメリカ政府のアメリカ国内に住む「イスラム教徒」の扱いをミヨ、ッ。


 「国家の本質」とは「支配階級の利害」を「スベテの国民」に貫徹させるための「ルール」である。「被支配階級」に対してだけではない。「スベテの国民、市民(支配階級に属する人間も含む)」としてである。

 「ルール」とは「相互の諸関係の約束事」であり、「約束事」は「音声コトバ」で「記憶されたモノ」であり、「コトバで記録されたモノ」である。「階級序列社会」の枠内で「相互の立場を認め合う約束事」であるから一方に不利な約束でも「不利な立場」で、その「約束=法」を納得し、その「履行」を守り、「実行」するのである。そして「支配階級の利害」はまもられていく。

 そして「社会共同体の秩序」は「国家秩序=階級秩序」と言うモノがなくても「存在」するハズ、なのだ。

 毎度、毎回、シツコイけれど、


 「①殺すな」

 「②騙すな」

 「③盗むな」

 「④差別するな」


 と、「禁忌文」として。

 そして「国家」は「支配階級の利害貫徹」、すなわち、「富の管理の独占権」、「富の配分の独占権」、そのタメの「暴力の独占権」を貫徹する条件とあれば、


 「①殺せ」

 「②騙せ」

 「③盗め」

 「④差別しろ」


 と、その「法秩序」を「肯定命令文」とするのだ。モチロン、「命令→義務」として・・・

 「人間個々人の立場」とは「生存・実存」としての「自己独裁=自我決定」で、「エゴ=セルフッシュ」である。だが、人間諸関係は決して状況的なバランスに於ける「平等・同等」ではない(老若男女、体力、能力等)けれど、「対等」であると、する「立場」に立つならば、


 「①殺せ」

 「②騙せ」

 「③盗め」


 は必要としないモノとなるだろう。実現は今現在も、未来も、「不可能」に思えるが、「社会共同体」としての「考え方」、「思想」である。


 「独裁者の国家」もその「独裁権力」によって「無差別に殺人」をするのである。「民主主義の国家」も「選択(選挙)=個々人の選択権」で特定の人物に「独裁権」を与えるのである。

 そして「自由主義の国家」などは無いのである。「自由主義」とは、あっても無くても「私的なカネの使い方の自由」な「主義」である。「国家」ではなく、「国家枠を超えたカネの使える人々の自由」である。


 「屈辱」を受けたら「生」よりも「死」を「選べ」と「教えられてきた」のは「武士」である・・・「責任」の問題ではなく、「義務」としての「死の選択」は「帝国日本人」も「教えられてきた」・・・だが、敗戦で「一部の軍人・政治家」以外は自ら強要した思想、「戦陣訓」を投げ捨て「生」を選択した。

 この「生」は「命令」された「義務」であった・・・から・・・「帝国日本支配者階級」は毛頭、自らの「死の選択」を考えていなかったのさッ。

 「自由・人権」は「生活の安全の前にはニ義的」ではないのさ・・・「自由・人権」を「確立」するタメの「駆け引き」をしながら「生活の安全」をまもっていくのさッ・・・そして、かっての「日本地域に住んだ人々」はシタタカに「命」を繋いできたのさ・・・



 188日目・・・「アベちゃん」は「プーチンくん」にはなれんだろうな・・・なっても欲しくはないけど、ネッ。「中国」も「露西亜」も「亜米利加」も「韓国」も「中国」も、「台湾」も「越南」もどうやら「お手本」は「敗戦日本国」を「お手本」にしているみたいだけれど・・・「北朝鮮」は「戦前日本」なんだろうなッ。

 とにかく、「国際資本」が胡坐をかいて、その上でダッコされている「国家主義・民族主義」には危険な匂いがする・・・「EU加盟」に関しては今現在の「独逸」、「仏蘭西」の「土耳古」に対する対応は汚いよなっ・・・「お仏蘭西」の「政治屋」が「大陸中国」みたいに「過去の歴史問題」を言い出すなんて・・・ナニが「政教分離の先進国家」なんだか・・・どうやら「戦争勃発」は、ヤッパ、「欧羅巴」だろうナッ・・・


 189日目・・・「戦争受け合い法案(風考計・言論の覚悟・朝日新聞・2006年12月25日):長谷川如是閑・雑誌我等・1929年発行」・・・賛成だけどもネっ・・・「白虹事件」・・・「大坂朝日新聞」の「発禁処分」、「廃刊処分の瀬戸際」・・・「村山龍平・朝日新聞社長」が「辞職・謝罪」・・・多分、「朝日新聞」は「言論に命をカケナカッタ」のだろう。「命をカケなかった」とは、「地下新聞」になるコトを止めて、「国家権力=日本政府」に「加担」し、し続け、今なお、「言論の覚悟」ナシ、反省、自己批判ナシで「加担」し続けてい

 でも、「西部戦線異常無し(ドイツ映画)」でもあった、ョなっ、「国民同士の殺し合いの戦争」なんかじゃなくて「王様同士が相撲でその勝敗の決着をつければイイのに」ってッ・・・賛成だよ、「戦争受合法案」

 以下にコラムより勝手に抜粋・・・

__________

「戦争受合法案」


 条文

 戦争開始から10時間以内に

 国家の元首(君主、大統領を問わない)、

 その親族、首相や閣僚、国会議員らを

 最下級の兵卒として召集し、

 出来るだけ早くこれを

 最前線に送り、

 敵の砲火の下に

 実戦に従わしむべし

__________ 


 で、加えるに、まずは、新聞、雑誌、ラジヲ、TVの報道関係は言うに及ばず、インターネットの「ブログ」や「HP」で「戦争を煽っているヤツ」を「戦線の一兵卒として徴兵する義務を負わせしむべし」・・・「自衛隊法」を「改正新憲法」にはこれを議論し、「基本追加条文」とする・・・


 もじたま(文字霊)も

 2006年12月29日で

 「191日目」になりました。

 ボクの「文字霊日記」にご訪問され、リンクされた方、アリガトウ・・・で、以下の文は最近訪問された方の所に「貼り付け」チャったモノの改作したモノ・・・です。


 「口で言うほど心では思っていないさ」とはボク自身の心境なんだけれども、日本的環境の生き方として「口で言う」ほど「心は喜怒哀楽」なんかはしていない、だろう、と思う。「信じる・疑う」ってことも・・・「口で言うほど実行力は無い」って言うのも。「口ほどでも無い奴」って、ねっ。その点で、コラムニストやモノカキのジャーナリスト、それに「ブロガー」とかは自分自身の吐いたコトバを、どれだけ「信念」としての「言行一致」の立場をとっているんだか・・・


 「左翼・右翼」であろうが、「中間」であろうが「立場」を言明したらその「自分自身のコトバ」に「自己責任」をもって「自己行動」しろよ、なッ、て・・「煽られました」、「自分の本意では無かった」、「みんなに誘われて、ツイツイ」などと言うなよなッ。

 「コトバ」で「戦争」を煽り、望む人間は先ずは自ら「銃」を持って「戦線」に率先して「一兵卒」として立つコトを誓うベキだ。そして、「他者に責任転嫁」せず、覚悟としての「自分自身の責任」に於いて「殺傷命令に確固として従うコト」を、そして「戦線から逃亡しないコト」を。

 「理不尽」に「殺す・盗む・騙す・差別する」ことが「正義」とは思わないけれど・・・「悪義」とも思わない「定義の無いダレかの正義」がイロイロあっても困るんだけれど・・・コトバとしての「区別・定義」をするのが「理屈・論理」と、いうモノ。しかも、「抽象的概念」をさらに突っ込んだ「具体的概念」としての「殺す・盗む・騙す・差別するコトの理由説明」を。

 「戦争」の「大義名分」がダレか特定なヒトに都合よく利用されるような「ミンナのセイギでは無い」と気づけば・・・「市民社会」では「法」として「正当防衛以外」は否定されている「殺傷行為」を「戦場」で「簡単に命」を賭けるハズが無い・・・「切捨てゴメン」は時代的な「支配者の法=掟」だったけれど・・・切るヒト(武士階級)、切られるヒト(武士以外の階級)の双方での立場を「双方の正義」で「第三者」は納得できるかな・・・「士農工商」としての序列社会で、「切り捨てゴメン」が出来るのは「武士」であった・・・「武士の一分」、「人間の一分」、「ムシの一分」・・・「反戦主義者」、「ボランティア(社会奉仕)」の言い分にも「一分」はある・・・「彼らの行動に異を唱えた時点」で、「彼等にとっては、彼等に異を唱えたヒト」が「悪となる」となるハズがナイ・・・その「逆の正義」も・・・彼等は、その「行動」自体を「自己目的化」にしているわけじゃぁ、ないだろう(?)、と、ボクは主観的に「推論」したい。「・・・としての、ふし」があるとは、主観的立場での「同次元レベル」での「推論=思い込み」であるだろう。

 「反戦主義者」が「無条件に殺傷反対」、「偉大なガンジー」のように「無抵抗主義者」として「反戦活動」をしているワケじゃぁない、と思う(?)・・・「現実の戦争」は「TVゲーム、ボタンゲームの主人公操作」じゃないし・・・戦争体験した生き残ったジジ達は「現実の白兵戦の殺傷修羅場」を経験しても、「ヤラレタ悔しさ」と「ヤッタ殺し」を死ぬ間際まで「個人」として沈黙をまもっていくようだし・・・敵の民間人殺傷や、白兵戦、爆撃、特攻を自慢する帰還した「捕虜・敗残兵」もいるけれど、とにかく、「生き残った奴の口惜しさ」だろう。

 敵味方双方、一方に「理」があっても、「ヤラレタ人々の怨念」がそう簡単に消えるものではない。「殺した人間の数・殺された人間の数」の問題じゃない、「一人」でも「何十万人」にでも、その「殺す理由」、その「命が抹殺される理由」の「問題」である。


 「暴力(武力)は国際政治の延長」だと言えるのは、その「敵味方、双方の国内政治状況(国民生活レベル・国民秩序)」を明らかにする必要があるし、「君主論(マキャベリ)」や「戦争論(クラウゼヴィッツ)」が言えるのは「各国の統治支配者の立場」でである。モウ少し言えば、「戦争勝利」での「戦術」的な「作戦・策謀」とは「敵を騙すコト(敵の作戦司令部の裏をかくコト)」であるが、「赤紙で徴兵された一兵卒」や「銃後で戦災を被る被害者」、「敵国の一兵卒、敵国一般人」をも「騙すコト」が出来た結果の場合である。

 殆ど「戦意喪失」時点で、「戦争」は負ける・・・モチロン、生き延びるコトを望む人々、「食えなくなった国民」、「兵糧米が支給されない兵士」は敗北する。「胃袋を保障されない人々」を「戦意高唱でのコトバ(観念・思想)」では「騙すコト」ができない・・・

 精神に「死ぬコト」に意味を与えられたヒトも「兵糧・武器」が無ければ「敗北」する。「大日本帝国国民」は「タケヤリ」なんかでは「一億総玉砕」はしなかった。「シノビ難きを忍び、タエ難き耐え」、なんとか食って生きようとした・・・そして、生き残ってボク達を産んでくれた。


 まさに「戦争の目的=戦略」とは「戦争自体」では無く、敵対関係にある諸国家の「支配階級の利害」と、そのおコボレにありつけるかも知れない、と言う「被支配階級の利害」である。「戦争=戦場での殺傷」の結果は、勝利者の「利害」が完全に「貫徹」されるコトはないし、「妥協」もあり、時には戦勝国が傾いてしまうことすらある。

 「戦争勝利(開戦命令)」で「大日本帝国」はマモレナカッタ。「敗戦(終戦)命令」で「自分の命」はマモラレタ、マモレタ(?)・・・「生き残った」・・・・その「体験・経験」を具体的にリアリティを以って聞かされた子供達や孫達もいるだろう・・・あとは、それを「理不尽」と思うか、どうかが、「立場」の分かれ目、である・・・騙されやすい「正義」にも、「悪義」にも、「コトバの具体的な意味内容・概念規定」が必要である。

 「諸利害関係」を巡っての諸国家間の「紛争・殺傷」は「国家間の平和条約」を「締結」して厳守できればイイのだけれど、現状はソウはなってはいない。「国連条約」も「国際条約締結」もアテにはならない・・・

 「市民社会の諸関係」であろうが、「国際社会の諸関係」であろうが「理不尽な暴力」から家族、友人を「死を賭けて守る戦い自体」は当然である。「警察」、「軍隊」があろうが、無かろうが・・・逃げる場所があるなら、逃げるコトも含めて・・・「個々人の信頼関係を前提にした自己防衛」が必要とされる。他に頼れるものはアルかナイかの「運(?)」だけである。

 現実的な災害に於いても、ミサイル戦争勃発に於いても「心構え」は必要だが、現実的には「後の祭り」としての生活空間を破壊され、家族を失って「生き残った人間の生活」をどうするか、である。


 「戦意コウショウ」・・・高唱・交渉・高尚・公証・好尚・考証・口承・工商・厚相・哄笑・工匠・工廠・公娼・公傷・公称・口証・行賞・興商・・・随分とあるな、「同音異字漢字」が、サッ、「咬傷」されなければイイけれど・・・交証・・・幸証・・・


 2006/12/30

 191日目です・・・「二十世紀の時代」も過ぎ、早くも「二十一世紀」の2006年目があと一日で終りを告げようとしてしている。目まぐるしく変化したのは「情報機器」としての「携帯電話」だろうな。しかも画像、映像の情報も個々人の「情報交換」できる・・・で、ボク自身、この文明の最先端の「携帯電話」を持っていないんだよね。

 イラク「フセィン元大統領の死刑執行」・・・国家間対立としての国際政治の舞台では「フセィン」が演じた役が決して「悪者」とも思えないけれど・・・ブッシュや、ブレア、コイズミ、アベが「民主主義」と言う「思想」をとっても護ってはいないようなんだけれど、「死刑」にならんのだろうか・・・「民主主義」って、「指導者の選び方」が選挙権を有する「人々=人民=国民」に「選択」される、ッテトコロまで、だょねっ。その方法で「選ばれた指導者」が「人々=人民=国民」の「民主の代表者=主人が国民で、その指導者」である、と言う・・・「国民」って、ナンダロウ?・・・どのレベルの人々を「国民」って言うんだろうか?・・・現在的には「政治家」を含めた「お役人様」で、「公務員」、「国家官僚」、「地方治自体の官僚」なんだろう。

 「税金」を支払っているらしい「政治家」、「お役人」は「税金」で飯を食っているハズだけれど、さまざまな金銭的特権を有し、「税金」以外でも私腹を肥やしている。

 岐阜県の発覚した「裏金(一億7000万円)」は「ナンとか基金」となるらしいけれど、そして「基金管理」に「3000万円」を経費とするらしい・・・余った「税金の一部」なら県民に一旦返還すべきか、「翌年度予算」として組み入れ、「徴集税金」を「減額」するのが筋だとは思うけれど、一旦手に入れた「カネ」は手放したくないらしい。とにかく、年間予算はスベテ使ってしまえ、ってのが「お役人根性」と言うものらしいから。

 2006年、「立法議員」、「行政官僚」の収賄汚職は言うまでも無いけれど「裁判・検察・警察」の「司法官僚」の「違法行為」も膨大・・・だった・・・「250円のサバ弁当」を食べているボクも「カネの小槌」が欲しいコトは欲しいんだけれど・・・「水道料金の請求書」には「2600円」・・・洗濯もしたし、シャワーも浴びたシナッ・・・コンビニで払うけれど・・・手にしている現金、五万一千円の家賃払ったから、九千800円・・・

 たしかに驚くほどの「不正なカネの隠匿」として「新たなカラクリ」を発明するのも政治家や役人だよナッ。「日銀高級官僚・下級官僚」は印刷した膨大な紙幣をどのように扱っているんだか・・・公のマネーロンダリング機関になり下がってんじゃないのか・・・?

 電気、水道、ガス、高速道路、医療保険、年金、それに「NHK」などは「公共料金」って言われているけれど、個々人が「税金」と別個に「請求徴集」されて支払っている。「公共料金」って、「公共」なら「税金」で賄うモノになっていないのはナゼだろう?

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 公共料金(こうきょうりょうきん)とは、

 商品にかかる価格について、

 国や地方公共団体といった公的機関が、

 その水準の決定や改定に直接関与しているもの。


 公共料金の種類

 1 光熱費

 2 通信費

 3 交通関係(運賃など)

 4 行政サービス

 5 その他


 料金や価格の中には、国会、政府や地方公共団体といった公的機関が、その水準の決定や改定に直接関わっているもの。

 これらは総称して「公共料金」と呼ばれています。

 税金や社会保険料も公的機関が決めていますが、これはサービスや商品の対価としての料金や価格ではないため、公共料金には含まれません。

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 ヘェ〜ッ、公に「金額が決定される」と言うモノなのか・・・「税金」で賄ってくれるモノじゃぁないんだ。「NHKの受信料」は「公共料金」ではないらしい・・・公には「強制」されないって言うこと、なの?・・・「受信料」は「強制徴収されない」って、コト?

 それにしても、「税金」って、どんな「人々」がどのように「収めている」んだろうかね?・・・ボクも強制徴収されているけれど・・・

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 「政党助成金」って、「公共料金」じゃぁないよなッ・・・

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 政党助成金とは、私達の税金が議員数に応じ各政党へ分配される仕組みである。

 1995年当時は、企業献金を防止するために導入された。

 だが、「企業献金」は無くならないまま、

 「税金」が各政党に分配されている。


 1995年〜約10年で総額3284億円。


 自由民主党1548億円

 民主党   679億円

 社会民主党 273億円

 公明党   240億円

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 で、この「助成金」は政治屋個人に「分配」されているらしい。自民党へ「復党」した「造反自民党」はコノ金(税金の一部)が目当てらしいのだ・・・それにしても「何に使われて」いるんだろう・・・「公腹(コウフク)」でなく、「私腹(シフク)」・・・確かに奴等は、見栄えは恰幅がイイ服を着用してバッジを着けているが、ブタのように太って、脂ぎっている。

 まぁッ、「金」の大小の「所有・私有」の「管理・分配・使用」の度合いは、それ自体が「権力秩序」だし・・・最近は「田中角栄」が再評価されているらしいけれど・・・石油、ガス企業家に過度の資本蓄積され、そのカネで政治家の収賄を怖れていたロシアの「プーチン」は、それを踏まえて「国家権力」で「金の流れ」をコントロールしようとしているらしい・・・「サハリン2」・・・「愛国」が「合い国」になって、儲けが人々に「均等分配」されればイイとは思うけれど・・・

 ロシアも中国も、韓国も、「国民」の「所得倍増計画」を「過去の日本」に学んでいるらしい、のだ、「横並びの賃金政策」を・・・そして、アメリカ式「自由化=国際化=賃金格差」に呑み込まれ、「バブル崩壊」を経験した「過去の日本」を・・・生産物を産みださないカミッペラの「投機・博打」の経済はいずれ破綻するのが当たり前である。

 ・・・キャベツの卸値が暴落したのは「キャベツ豊作」が原因だが、汗水たらして生産されたキャベツがトラクターで潰されていくのを、北朝鮮の貧民や、東南アジアの地震津波災害に遭遇した人々、中東、アフリカの難民、栄養失調の死に瀕している子供達が見たら・・・「美しい日本国家」は「悪魔の国」だろう、なっ。


 「現代史」・・・1900年〜2000年〜2006年・・・イヤァ〜ッ、諸国民はその階級、階層にかかわらず「世界情報」を知るようになってから、「アメリカ合衆国の金と物質」にアコガレ、失望、そして、またアコガレていた「世界史」のように思える。とにかく、アメリカ合衆国は「貧乏」と「富豪」の極端な人々が暮らしている「自由」な空間領域なのだから。

 それにしても、随分と凄い時代だ。「戦争」、「紛争」、「自然災害」、「難民」・・・これほど、「数」として「人命」が軽かった時代は無いように思えるけれど・・・すべて、「原因」は「モノ」と「カネ」の「利害関係」で、その「モノ・カネ」の偏った所での「渋滞・蓄積」にはあると、思ぅんだけれど。


 2006/12/31

 192日目・・・西暦2007年正月一日、新年、おめでとう・・・「占い(四柱推命)」では、2007年2月の節分から翌年の節分前までが「丁亥」年になるんだけれど、前回は1947年2月節分から1948年2月節分前までの「六十一年前」が「丁亥」年・・・団塊世代のはじまりだった。アメリカ、敗戦日本占領三年目・・・とにかく、「占い上での年始」は「2月の節分」からです・・・

 1947年・・・丁亥年

 2月01日・・・ゼネスト中止

 2月25日・・・八高線で列車転覆

 5月03日・・・新憲法施行

 5月27日・・・阿蘇山爆発

 9月15日・・・キャサリン台風


 今現在、とにかく生まれてきて、生きて「自由」にモノが言えるのは、アメリカ連合国総司令官、マッカーサーに感謝すべきだョな。

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