ム(ワタクシ)の混乱 (1)
「山田(サンタ)の案山子(かかし・アンザンシ)」は、 「崩彦=くえびこ(久延毘古) =山田之そほど(曾富騰) =山田之そほづ(濡人・ジュジン=十人・重壬)」 であった。・・・ 「崩壊」の「崩=山+月+月=サンの二月(寅(イン)=虎(コ)=とら月)」 「沸騰」の「騰=朕(トウ)+馬=月+八+二+人+馬」 で、 「騰(トウ)」は「謄写」の「謄(移す)」の意味でもあるらしい。「案山子(かかし)」は「古事記」の中の「大穴牟遲=大国主」の国造りに出てくる何でも知っている「百科事典」みたいな人物(神)である。 アメに濡れる一本アシのサンタの「案山子(アンザンシ)」ならば同音異字の「暗算子」で「暗算の鼠」、「鼠算」か、「暗算の詞」で「九九の掛け算」である。暗記したコトを述べるのは、「諳んじる」とか、「ソラよみ(空ヨミ)」と言う。記憶力抜群の人物で、彼は「少名毘古那の神」の名前とその「出自」を知っていた。「神産巣日(カンサンソウヒ)」が父親で、彼の 「自我・手俣・久岐斯子・也(手俣より・クキシ・子=漏らした子)」 ↓ 「字が主の亦(エキ=易)、句記、視詞、夜」 であった。「水俣」の「俣(また)」は時代的にイツごろ発明された漢字なのであるか、私には不明だが、「国字」である。「古事記」では「ヤマタノオロチ=八俣遠呂智」に使用されているモノだ。ならば、712年「古事記」成立年代には「国字の俣(また)」の漢字が既にあった事になるのだが。果たして本当か?・・・この「国字(俣)」が漢字分解では 「俣=イ+口+天(二人)」・・・イの口(国)を辿(テン・たどる)? ↓ テン=典・転・添・点・店・展・填・槙・甜・殿 であり、他の国字の「峠=山+上+下」のように川の流れの分岐点の「マタ」をイメージするのは難しい。だが、熊本県の「水俣」の地理近辺には 水俣川・・・「国見山」西麓に発し「久木野川」と「湯出川」を集め「八代海」に注ぐ 水俣港・・・水俣の西部。北部が「梅戸」港、南部が「百間」港 水俣市・・・近在に「石灰石」を産する。窒素、硫安肥料工場 「日本窒素(チッソ)」の「有機水銀中毒」の発生地 公害病、「水俣病」の現住所 北部に「湯之児」温泉 徳富「蘇峰」、「蘆花」兄弟の生地 「久岐斯(クキシ)」は「漏らす」の漢字が宛てられている。古語辞典には「くく」は「漏れる」と記されてあった。とにかく「古事記」のこの部分の示唆が「化学肥料」の生産地であった「水俣」近辺の地理地名と重なっているのだ。 「クキシ(九鬼氏・久喜氏・句葵史・九紀史=旧記史)」で「九記詞」ならば中国の「九経」か?・・・神産巣日=カンサンソウヒ=漢纂装備=巻纂相比=換算扱日=甘酸相比の「子(シ)」・・・「空黄泉」・・・「一本アシのカカシ」に似ている形は「十字架」ではある・・・ 獣児化=獣子掛=従鼠掛・・・重字掛 ・・・「移鼠」は中国景教の漢字バイブルでは「イエス」であった。 遲=辷+尸+=|=+牛・・・進み行く、カバネは、秋津の主 =辷+犀(サイ・一角獣・・・・・差異・一拡重) で、 「=|=」・・・トンボ=秋津=安芸津 ↓ doragonfly(ドラゴンフライ) ↓ σαλταμπικοs(サルタンビコス) ↓ 猿田(務)彦の州(素) に見えるのだが・・・ 宇宙物理学=哲学の鼻祖は言わずと知れた「古代ギリシャ人」であった。日本人、フィロソフィの訳語、新造漢字熟語「哲学」は「西周(にしあまね)」の発明であった。そして、手塚治虫原作の「火の鳥」に登場する科学者は「猿田」博士で、蜂の毒針に鼻を刺され、でっかい畸形の鼻の持ち主であった。なるほど科学者の「鼻祖」である。元々は「御茶の水」博士としてのキャラクターで、「アトム」の保護者である。 アトム=飛雄=とびお(飛魚)=ヒユウ=比融 ↓ ↓ ↓ 原子(源示) ヒギョ(肥御) 日向(ヒコウ) 源氏・言辞 肥宜与 の実の父親は天才的科学者であった不死身(?)の「天馬(ουυρρανοs-αλλογγο=ウラノス-アロゴ=ケンタウロス=ケイロン)」博士であった。・・・手塚治虫はかなり「古事記」と「ギリシャ神話」をヨミ込んでいた漫画家=医者(眼科医)であった、カナ。 で、どこが「古事記」で、どこが「物理科学(physics)」なのか?・・・「伊邪那岐」と「伊邪那美」が産んだ子に、「火之神」の 「火之夜藝速男」→亦(エキ)の名→「火之炫毘古」→亦の名→「火之迦具土」 が存在し、この子供によって「伊邪那美」は死んでしまう。そして「伊邪那岐」はこの「火の神の頚」を「十拳釼」で切って殺してしまう。で、この「十拳釼」も、 「十拳釼」→亦の名→「天之尾羽張」→亦の名→「伊都之尾羽張」 と「亦の名」で呼ばれるモノであった。「亦(また・エキ)の名」とは「変化(易化・エキカ=液化)した時の名前」である。 「ふつ・り」・・・「武都の理(吏)」、「奉都の狸(タヌキ)」で、「布都の理」ならば、 「建御雷之男神→亦の名→建布都神→亦の名→豊布都神」 ↓ 建てる音、雷(ライ・頼)の姿(シ・詞)の緒(チョ・著) ↓ 稲妻(トウサイ・登載)の電光(デンコウ・伝控) で、 「次著御刀本血亦、走就湯津石村」 ↓ 「御刀の本に著けるチ(血)も亦、湯津の石村に走りつきて」 生まれ出た神である・・・ 御刀(ゴトウ=語等・呉等・梧桐・誤答・誤答・語頭) ↓ 期唐之本 の 本に著ける血(チ=知・智・地・治・値) ↓ 湯津石村(トウシン・セキソン=答申、施既存・東進跡存) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 石尊=磐の孫・・・関の蘇武 ↓ ↓ 磐尊=磐余=神武天皇 ↓ 唐津 背棄損(瀬毀損) ↓ ↓ ↓ 湯=水+昜(ヨウ・太陽・旭日)・・・類字は「易(エキ・変る)」 ↓ 易=(昜)-(一・いち) 昜=(易)+(一・いち) 「伊邪那美(妻女)」の「黄泉(よみ)」の世界での「屍」には、「いかづち」が集(タカ)っていたのだが、「易化通知(イカツチ)」で、 頭・・・・・大( タイ)=一+人・・・ハジメのヒト 雷( ライ)=雨+田・・・ウ(鵜)のデン(伝) ↓ 雨+田=あめ+た=編め多・編め拿・編め侘 雷=電=デン=電=雨+申 ↓ ライデン=来伝 ↓ 胸・・・・・火( カ)雷・・・家伝・瓜田・花伝・荷電 腹・・・・・黒( コク)雷・・・国伝・酷伝・黒殿 陰・・・・・拆( セキ)雷・・・関伝・昔伝・赤伝 左手・・・若(ジャク)雷・・・惹伝・雀伝・弱電・字訳伝 右手・・・土( ド)雷・・・怒伝 左足・・・鳴(キュウ)雷・・・旧伝・仇伝・球伝・宮殿 右足・・・伏( フク)雷・・・復伝・複伝・副伝 「タイカコクセキジャクドキュウフク(対価国籍弱都急復(救復?)」の「イカヅチ(意化通知?)」の「八柱の雷神が成り居た」のである。「雷(いかずち)」は「蛇(ヘビ・蝮・波布・羽生)」のコトだが、その形態と行動の「波動=ジグザグ」からの比喩としての「雷」の漢字を与えたのだろう。「波布(はぶ)」は「波状に這うさま」がこの漢字に与えられた。で、蛇の種類ではなく、「雷(かみなり)」そのモノの形態変化の種類が「八柱の雷神」である。 「ブツリ」は究極的には「雷(thunder)」の発生存在と、ひび割れのように「Z字形」でジグザグ(zigzag)に光る「稲妻(lightning)」、そして、宇宙空間に充満している「プラズマ(plasma)」の探求に的が絞られるに違いない。 ・・・で、ナゼ、空と地に走る放電現象を「稲妻」と言ったのか?国語辞典の説明には「稲の実る頃に空に現れる放電」とあるが・・・稲の実を孕ます「放電」ならば、受身の「稲」の「妻(つま=妹=いも)」ではなく、「稲」の「夫(つま=背子=せこ)」だからだろう。 吾が妻(つま)はいたく恋ひらし、飲む水に、影さへ見えて、世に忘れられず さて、「物理学」的な諸説を引用しながらワタクシ(ム・私)の説を展開して見る。 私の考えと疑問には文頭に「*」を付けた箇所である。 物理学関係の「HP」から諸説を引用したモノのは「HP」とした。学問的な「説」として引用箇所を掲げなかったが、御容赦下さい。 HP・・・空の中に上昇気流が発生すると、雹やあられなどの粒が雲中で摩擦され、雲の上方にプラス電荷がたまり、下方にマイナス電荷がたまる、*らしいが・・・何故だろう? 雲の発達にともない、その電荷が多くなり、各々の電荷はそのままの状態では存在できなくなり、「プラス電荷マイナス電荷が引き合い空中放電(ショート)」を起こすらしい。 これが 雷である。この雲の中で発生するものが「雲放電」で、「雲と地上の間に発生するもの」が落雷である。 プラズマ HP・・・自由に運動する「正負の荷電粒子が混在」して、全体として「電気的中性」となっている物質の状態。気体放電によって、 気体分子が高度に電離した状態や、 星の内部・星間空間にある物質の状態 のほか、 半導体内の電子と正孔の集団も プラズマと考えられる。 高温度ではそれぞれの原子は 「+プラスの電荷を持ったイオン」 と 「-マイナスの電荷を持った電子」に 別れてしまう。 この状態が「プラズマ」。 つまり物質が 「イオン(+)」と「電子(-)」に別れている状態。 こういう「電荷を持った粒子」のことを「荷電粒子」という。 またプラスでもマイナスでもない粒子のことを「中性粒子」という。 * イオン(ion)は(+)か、あるいは(-)の電気を帯びた物質(粒子)のコトバ(概念)だと思ったら、。ココではイオンが(+)として使用されている。英語では「+ positive ions = cations = 陽電子」、「- negative ions = anions = 陰電子」とあるのだが・・・私なりに整理して見ると・・・ 荷電粒子・・・・「イオン(+)」 ↑↓↓↑・・・←原子粒子の荷電分離・・・←原子=(+粒子 -粒子) 「電子(-)」 中性粒子・・・(+)でも、あるいは(-)でもない粒子 こんな説明で学生はよく、理解しているモンだ・・・「中性粒子」は「中間子」じゃないよな、紛らわしい。「電気的中性」とは原子そのモノことなのか?・・・「原子核」の「陽子(+)」と、その「陽子(+)」の周辺を周っている「電子」の「陰子(-)」が分離した状態のモノ(荷電粒子)・・・電離粒子、電離分子で、文字転換すれば、 プラズマ=フラヅマ=夫羅妻=夫、(楽しげにみる)、妻 夫は等しい、妻か、浮つく裸の妻 夫、拉(致)された、妻 府の羅へ赴く・・・負等都婆・・・不等事真(フラズマ)・・・かなぁ? ・・・とにかく、デンリ=伝離・伝理・伝李・伝狸・伝裏の伝利の劉氏、龍氏、隆氏、柳氏の分枝、分詞の文士だろうなッ。だが、「プラズマ」の説明には、 HP・・・ 全てが「荷電粒子」である必要はない。 少しでも荷電粒子があれば「プラズマ」である。 結局、 「プラズマとは荷電粒子と中性粒子の混合体」で 「荷電粒子(+ -)と、中性粒子によって構成される、集団的なふるまいをする準中性気体」 *らしいのだ・・・プラスでもマイナスでもない粒子のことを「中性粒子」と言っているらしいが、「中性粒子」とはナンだ?・・・「原子」は「原子核(+)」+「電子(-)」の結合体で「中性子」のコトなのか?違うよなッ・・・あるいはまったく「電荷」を有しない物質のことなのか?・・・しかも「気体」である。 ここで説明されている「プラズマ」とはあいまいなコトバであるなッ。取り上げた「HPの教科書」の執筆者が混乱しているのか?・・・日本的な「物理学教科書」の一般的傾向なのか・・・ * 再確認 温度(熱)が上昇すると、物質は固体から液体に、液体から気体にと状態が変化する。気体の温度が上昇すると「気体の分子」としての「原子+原子の結合体」は解離し、「原子(+ -)」になり、さらに温度が上昇すると原子核のまわりを回っていた「電子(-)」が「原子核(+)」から離れて、 「正・イオン+=原子核」と、「負・電子-」 に分かれる。 この現象は「電離」とよばれる。そして電離によって生じた「荷電粒子」を含む「気体」をプラズマとよぶらしい。 通常の気体は常温ではほとんど電離していない。身近にある「原子核=正・イオン+」と「負・電子-」に分かれている「プラズマ」としては蛍光灯やガス=瓦斯の炎があるらしい。「プラズマ=ガスの炎」が出ているということは、「プラズマ」とは「エネルギー」そのもののコトか?・・・「温度=熱」が上昇すると言うことは「モノ」の運動衝突(摩擦)の回数が激しくなると言うことで、「モノ自体の熱の発生」だが・・・モノから熱が出て、その熱はどこに行ってしまうのだろう? HP・・・ 地球上では「粒子密度が高い」ため電離しにくいが、高度が増すにつれて電離する割合が増加する。 太陽からの紫外線やX線により電離が増えることと、粒子密度の減少により再結合によって「中性原子」に戻る機会が減ることによる。 そのため高度 100 km あたりで電子密度が極大の電離層となる。高度約 300 km 以上の領域は磁気圏とよばれ、さらに電離しやすくなる。だが「粒子密度」が減少するため電子密度はゆるやかに減少する。 磁気圏の外側の境界は、 太陽からのプラズマの流れ(太陽風)と地球磁場との釣り合いで定まっている。 太陽風にはエネルギーの高い荷電粒子が含まれる。 太陽風の届かない惑星間のプラズマは密度も温度も低いが、 その量が非常に多いため、 宇宙にある物質の「 99.9 %」 以上がプラズマである。 *・・・宇宙空間は「プラズマ」?・・・で充満しているのだ。 *・・・空間=プラズマ・・・・・? *・・・空間=プラズマが地球上では粒子密度が高い、と言うことは「地球の重力」の影響か・・・? HP・・・ 高エネルギー荷電粒子の流れである太陽風を生み出す「太陽自身、完全に電離したプラズマ」である。 太陽の中心部では「 4 つの H 原子」から「 He(ヘリュ-ム) 」を生成する核融合反応によってエネルギーが生成されている。 地球上で核融合反応によってエネルギーを生成するにも、非常に高い温度のプラズマを閉じ込める必要がある。 *・・・プラズマ自体が「高低の熱」を有しているのか、「発生」させているのか・・・「熱の発生」は「プラズマ間の密度の濃い薄い」が関係しているのか・・・「モノとモノの衝突、摩擦」では「熱が発生」するのだが・・・「密度」とは「モノとモノ」の「間隙」で、「衝突」とは「AモノとBモノが引き合い、そのAとBの「間隙=空間距離」が「接近」、あるいは「結合」するか、「接近、密着」して相手も自分もその「質量」の度合いによって「密着点・衝突点」でその構造を一体化し、変化させるか、あるいは、構造の部分をある距離へ跳ね跳ばしてしまうことだ。「A+B」が一体化したら「間隙=空間」はどうなるのか・・・「A+B」の結合である限り「極小な間隙=極小な空間」はあるハズだ。「接近・結合」させる「力」とは「引力」であったり「磁力」であったり、他の「C、Dモノの力」が「A、B」加えられたコトによる。 C力→Aモノ→接近、衝突←Bモノ←D力・・・力=質量+加速度 ↑ ↓ ↓ ↑ ↑ 質量 \ / 質量 他のモノの力の加重 \ 結合 /←・・・核融合 ↑ 離散 運動力 構造破壊←・・・・核分裂 分解飛散 ↓ A、Bモノの変化 「AモノとBモノ」の「力」も「熱」も「AモノかBモノ」に吸収されるか、「他のモノ」に分散するハズだ。「他のモノ」に分散する場所は「宇宙空間」である。そして、この「モノ」達は「宇宙空間」に「空間密度」を有して浮遊しているのだ。「密度」そのものは「モノの分散された質量」であり、「質量=エネルギー」ならば、「エネルギー」であるハズだが・・・。 HP・・・ 身近なプラズマの例は「固体中の自由電子」である。 固体中ではイオンは動くことができないが、 「自由電子」は「正イオン背景中の一成分プラズマ」として振る舞う。 ただし、粒子密度が非常に高いため、 「フェルミ温度」が実際の温度よりも高くなり、 「量子力学的な縮退効果」が重要な役割を果たしている。 * 「自由電子」は「正イオン背景中の一成分プラズマ」として振る舞う?って・・・なんか、わかりづらい「説明」ではあるな・・・「量子力学的な縮退効果」・・・ワッカリマセン、先生ッ。歴史のコトバを重ねて遊ぶ方がイイ、やッ・・・ で、コトバとしては、「勿論(もちろん・ブツロン)」、「佛理=仏理」の「大日如来=毘盧遮那仏=法身仏=報身仏=光明遍照=太陽」、「ホトケサマ」の哲理である。ホトケの漢字分解では、 「仏=イ+ム(私)」で「ヒトはヨコシマ」、 「佛=イ+弗(ず・あらず・フツ・ブチ・$=ドル)」で、「イ(ヒト)」に「アラズ」で ある。「佛(ほとけ)」が「ヒトでない」とは・・・ナンだ?・・・ 弗=弓+ノ+l・・・ユミの右から左のイチ(|・ボウ・矢) ←・・・{←・・・弓矢が飛ぶ位置 弓+八 弓+儿 弓+J+I・・・「J」は十番目 「J」は「joule=ジュール・電気エネルギーの単位」 「I」は九番目のアルファベット 「I」は「iodine=よう素・ヨード」 「J」が「Japan」なら、「日本の要素」である・・・ は、「二本の棒(∥)をヒモ(弓)で括り着けている象形」とある。なるほど、「ニホン=日本=似本=二本」で、 「二つの本のボウ=母烏(ハハガラス) =モウ=妄(亡+女) =亡くなった女をヒモ=比模(比べて模す) で、ククル=九句留」 か、ヒモを解けば・・・二のホンのボのウで、 比模解け ひもとけ ↓ 卑母都家・・・卑弥呼(ヒヤコ・ひみこ)の都の家 ↓ ・・・卑彌呼・・・彌=弓+爾(ジ・に) 爾(ジ・ニ・なんじ・かれ・その・しかり・のみ)である。「立我蒸民、莫匪爾極」の訓読は「我が蒸民を立てるは、ナンジ(爾)の極にあらざるなし」である。「匪」は長方形の箱で、「竹+匪」のコト。「匪石之心=確固不抜之心」・・・「各個、負抜の芯」かな・・・「非死則徒爾」は「死せずにあらずば、すなわち、うつりし(徒)ノミ(爾)」。「徒」とは「囚人」で「囚(とら=虎・寅=イン)われ人」で、格子縞の服を着た役立たずの意味かな・・・ ワタシの漢字探求はほとんどが「大修館」の漢和辞典からの意味であるが、その解字、形声には「爾」は「冂+メメメメ=窓の格子」が意符。「∧+小=ジ」が音符とあり、「光によって窓格子のかげがあざやかに視えるコト」とある。「学研・漢字源」では「爾」は「大きい印鑑・判子」のコトとある。ここは「物理学」に関連させたいから「格子を通した光の波状緩衝の縞模様」の意味で採りたい。ならば、「爾霊山」と日露戦争で「乃木希典将軍」が激戦の「203高地」に付けた名前の由来も理解できるだろう。 スナワチ(乃=昔・以前・乃者・乃昔・ダイ・ナイ・ナンジ)、キ、典をモトメヨ(希)、 である。乃楽は奈良の別字である。「大修館・漢和辞典」はアヤシイのである・・・諸橋轍次先生ッ・・・?・・・勿論、「古事記」も「海軍(アマのイクサ)」も・・・ 「卑彌(弓爾)呼」とは「イヤしくも、キュウのナンジを、呼ぶ」である。あるいは・・・ 卑彌呼・・・・卑しくもイヤサカと呼ぶ・・・意夜逆=昼 ↓ ・・・陽はヤゴで蜻蛉(トンボ)の幼虫 ↓ ↓ ↓ 陽侯氏は隋王朝の末裔の帰化人 秘模補解 ↓ 燃した火(陽)の密度を捕えて解け だな・・・$=DOLLAR(ダラァ)とは「ガン・ダァラ~」だな・・・佛とは「ヒトは金」と、言うことか。確かに今現在はシブさをみせるかっての仏像には金箔が貼られた。ちなみに「勿論」の「勿(なかれ)」は「禁止の助詞」、「無い・非ず」、「人民を招集する旗」、「あわただしい(慌)動き」の意味である。・・・論ずるを禁じる・・・論ずるまでもなく・・・物理的には「アワタダシイ(泡多拿示威)」で、日本史的には「安房(阿波・安和=冷泉天皇在位・968~970年=969の安和の変=源高明の太宰権帥の左遷)が正しい」で、官名が「阿波の守・酒井忠行」か、幕藩所領が「安房(千葉県・房総半島南部)」の「稲葉正巳・正善(館山)」、「酒井忠美(加知山)」、「西尾忠篤(花房・横須賀)」、「本多正訥(長尾)」かも?・・・「安房」は黒船が入港して来た江戸湾の東である。 で、「正しい」との示唆はナンであろう?・・・・名前、姓名と地名・・・の示唆である。 「酒井=水の酉(西)の井(意図)」・・・漢字分解 「稲葉=稲の葉(換算)」・稲の場・稲妻の落雷の場 「可知=価値の纂」・・・・・加知山=掛値の纂 「西の緒(英・寄越すか・歐州掛・・・大須掛)」 ↓ ↓ ↑ ↑↓ ↓ ↓ ↑ 古事記の現住所 ↓ ↓ (オオスカ) ↑ ↓ 横須賀(ヨコシマの素の芽) 花房=英(英国の植民地) 「本の多(訳語の緒)」・・・長尾=おさ=訳語の備 「本多光多郎」は「強力磁鉄鉱」、「KS鉄鋼」、「新KS」の明治の物理学者で発明者 「安和」は、天皇の御名「冷泉」か、年号「969」か、「西の宮殿」に居住し、筑紫大宰府に左遷され、その後「971=天禄二年」に罪を許されて都に召還された「源高明」の名前か、あるいは彼の著書である「西宮記」か?・・・「物理学」を考え併せるならばポイントは「西宮記」のタイトルである。当然、「西洋科学=物理科学」が正しい、とイイタイ、と言うことである。 フツリ・・・「不釣・合い(do nat match)」・・・なるほど、「山幸彦と海幸彦」は「不釣合い」なハナシである。 「古事記」冒頭のハナシは宇宙生成の「ハナシ」であるが、・・・「宇宙物理科学」が「物理の理論」であると思っていたら、「物理の理論」ではないらしい。アインシュタインの「相対性原理」は「物理の世界」はすべからく「相対的に存在」すると言いながら、「特殊相対性理論」は「光速=光子の速さ」を「絶対的基準」にしたものであった。 実験から、「電子(-)」や「原子核=陽子(+)をいくら「加速」しても、その速度を光速に到達させることはできない、ということがわかっているらしい・・・が・・・秒速30万キロ以上の「慣性系=等速直線運動」のモノが無い、とは?・・・すべての「慣性系」は「秒速30万キロ」の枠内での「相対的慣性系」と言うことか? 物質界はすべて、 HP・・・ 電子(-) と 原子核(陽子=+) と (中性子)・・・「中性粒子」ではないよなッ? とからできているらしいが、ここにまたもや出てきた「中性子」・・・?・・・これらの物質の構成要素である電子や原子核が光速以上で「進行運動」はしない、ということは、それらからできている「物質も光速で進行運動することができない」ということを意味している、らしいのだ。 電子(-)と陽子(+)は物理学では「対概念」として考えられているが、ナゼ、「電子(-)」を「陽子(+)」に対する「陰子(-)」と呼ばないのであろうか?・・・「中性子」が陽子にくっついていて、電子と均等なバランス結合ではないからである、らしいのか、どうか・・・? HP・・・ 原子核が陽子(p)と中性子(n)から成り立っている。この模型では、 X = Z・p + (A-Z)・n
であり、 N=A-Z個の「中性子」と、 Z個の「陽子」からなる。 と考えられている。 「核子」は原子核を構成する「陽子と中性子」の総称である。 * 「核子」=原子核を構成する「陽子と中性子」・・・「原子核=陽子+中性子」とは、さきほどの「中性粒子=原子」とは異なる概念らしい。 「原子核=陽子+中性子」で構成され、この構成は「+」が「中間子」と言う接着剤であるらしい。 ① 陽子・・・→中間子←・・・中性子 \ / \結合/ \ / 原子核 そして、分離した単体の中性子は十五分くらいで「ベータ崩壊」とか言われて、「陽子」、「電子」、「反ニュートリノ」に分解変化するらしいのだ。 ② 中性子・・・分解→陽子 ↓ \ 分解 分解→反ニュートリノ ↓ 電子 で、「陽子」が「中性子」の構成要素になっている・・・①と②の「陽子」は同じモノなのか、違うものなのか?・・・それに、この「電子」はどうなっているのだ・・・? ・・・とにかく、原則は、 HP・・・ すべての「物質」は光速で走ることも、それを超える速度でも走ることは出来ない
である。 *・・・ダレも証明できないことも事実である、が・・・次ぎの考え方がある。 HP・・・ 「100キロのAモノの速度」→+←「100キロのBモノの速度」 ↓ 200キロの速度? *・・・向かい合ってくる「Aモノの速度」と「Bモノの速度」は「加算されない」ないのは当然である、と思うが・・・すれ違っている時に「感じる速度」である。これは「加速」ではない。激突、衝突した時の「力」は加算されて「200キロ」の衝撃力と言うことはできる。 「Bモノ」が静止している時には「100キロのAモノの速度+質量」と「Bモノの質量」だけが問題となるはずだからだ。「Bモノの速度は0」であるからだ。 「100キロのAモノの速度」→+→「100キロのBモノの速度」=200キロ ↓↓ AモノにBモノ加速した速度である 「光」は「加速」出来ないのか?・・・理論的には「加速」出来るはず、だ。 「特殊相対論」と言う説がある。「光の速度」がこの「宇宙の絶対最速」である、と言う「理論的」な説である。「仮説」であるならば、ワタクシの「説」も「理論的な仮説」で、「特殊」でもなんでもないハズだが・・・? * 「光速=光子の速さ」ならば、「光子」とはナンなのであろう・・・「光子」もまた「物質」ではないのか? 「光速の中」ではそれを超えて、物質の「時間(形態変化・運動?)」も「空間(質量変化・密度?)」も変化しない、と言うものである。しかし、「時間」や「空間」が、ナゼか、「光」が伝播する「時空間」=「モノそのものとして存在(?)」していると言う考えが基盤に成り立っているいるらしいのだ。時間は「モノの変化か、移動の速さ」で、空間は「モノとモノの間の距離」である。 だが、「宇宙=空間=光子=X子」で、「光子の変化形態」が「空間の密度」なのではないのか?・・・宇宙空間に存在しているモノは「 99.9 %」がプラズマ?であるらしい。ならば、その「プラズマの密度」が問題であるハズだが・・・。 ワタシの知識範囲で勝手に解釈するっか、ないな・・・ ・・・どうやら、「干支占い」の「四柱(太陽・太陰暦を基礎にした干支)推命」は「物理学」の言う「物質の変換」と類似するモノのようである。当然にも「占い=易占」とは「存在の相互関係性での変化」の「認識判断」であるから。 ただ、「観物論=心的唯物論」者であるワタクシの考えでは「時間」や「空間」の「コトバ」は、それ自体では実体的に「存在しないモノ」のである。「時間」や「空間」は「物質変化の属性概念」で、「物質変化の属性抽象概念」である、と考えたい。 当然、多くの「物質の慣性系に於ける物質の動き」の相対関係での「動き=変化」が「時間」である。その中の「基準となるある物の質量変化の単位」が「絶対時間=基準時間としての尺度」であるのにすぎない。基準は人間が決めているモノである。「モノ」に「時間」そのものが有るわけでは無い。「モノ」にあるのは「形態変化」である。その「形態変化」の「段階的な変化の始り、過程、終り」と、「段階的な位置移動」を、あるモノの「変化(日の出~日没までの具体的な半円移動の距離角度の分割区分)」を基準に「時間単位」としてハカルものである。 「物質の時間」はマルクスの言うところの「貨幣価値」としての「商品交換価値」の「抽象概念」と同じように、その思考様式で考えれば・・・「交換価値」はそれ自体では「存在しない」が、「市場」と言う場所で「モノの使用価値」と「モノの使用価値」の関係性で「交換価値」が出てくる。「交換価値」とはそれ自体では「使用価値」としてはなんら価値の無い、「交換」だけの「価値」として立ち現れてくる。複数の使用価値の相対関係としての「価値の尺度基準」として現実的には「貨幣」として登場する・・・「時間の尺度」も同じである。複数の物質の相対的な段階の変化のプロセスをハカル基準が「地球時間」である。だから、いろんな「慣性系の質量に規定された独自な時間がある」とは、「独自な時間」と言うよりも「独自なモノの変化」と言ったほうがイイだろう・・・「地球の慣性の時間(モノの変化の速度)」に比べたら、「他の慣性系の変化の時間(モノの変化の速度)」は、異なる、ということだ。地球時間と火星時間は異なるのが当然である。基準はいずれも太陽との公転距離と惑星自転の速さの関係で異なるからだ。説明はこうである。火星の一日の時間は地球時間で言えば地球の自転(23時間56分4秒)と、火星の自転(24時間37分26秒)の対比にある。火星の一日は地球の一日より長いが、その長短をハカル基準時間は人間が決めたものだ。そして、各々の「慣性系の質量」によってもモノ(物質=質量)の変化は「相対的」に異なるが、その説明は「基準」となるモノを設定しての対比による違いである。 A=5B・・・A/5=B A=4C・・・A/4=C A=3D・・・A/3=D A=2E・・・A/2=E A=F・・・・A/1=F ↑↓ 5B=4C・・B=4C/5 5B=3D・・B=3D/5 5B=2E・・B=2E/5 5B=F・・・B=F/5 ↑↓ 4C=3D・・C=3D /4 4C=2E・・C=2E/4 4C=F・・・C=F/4 ↑↓ 2E=F・・・E=F/2 ↑↓ A=5B=4C=3D=2E=F ↑↓ 「A」は「B・C・D・E・F」のある「数量に等しい」 「A」は「B・C・D・E・F」をハカル基準となる。 「A単位の時間」は「B・C・D・E・F」の「変化」をハカル基準となる。 スナワチ、「時間=モノの変化」や「空間=モノとモノとの間隙」であるとするワタクシの考え方からは「時空間」なる概念(コトバ)は理解しがたいホドに程遠いモノである。ある「モノ」と、他の「モノ」の諸関係性が「時間=モノの変化」であり、「空間=モノの変化」である。 と言うことは、Aの質量と、Bの質量の「空間接近の関係」が「A」にも、「B」にも相互に影響を与えて、「A」も「B」も「C」と「D」に変化してしまう、と言うコトである。ある質量の異なった「A慣性系」と「B慣性系」は相互に影響し合うのだ。 ・・・空間・・・ A=□→ 空間 ←B=◇・・・・→□=○、◇=◎ ↓ ↓ ↓ ↓ /\ ↓ ↓ /時間\ ↓・・・時間とは相互影響の変化経過 C=○ D=◎ 変化 変化 地球慣性上の物体移動 力・・・→A=□→・・・移動距離・・・→a=◇ ↓↑ 摩擦 ↓↑ 始点・・・・・・・・・・・・終点 ↓↑ 地球上の「静止」地面 「特殊相対性論」は、ある慣性系の「モノの変化=立体的膨脹、縮小、移動=時間」と、「モノとモノの間隙=立体的遠近距離=空間」それ自体の「運動変化」を問題にしているらしい。 だが「時空間」は「モノ」そのものではない。あるとすれば、「時空間」は「モノとモノの関係概念」であるハズだ。にもかかわらず「時空間」をモノ自体のように「ゆがむ」としている。これは「四次元のリーマン空間=立体球面に描かれた幾何学」で証明されるらしい、のだ。だが「時空間」はモノでは無い・・・「モノ=物質」で無いモノはそれ自体「ゆがまない」し、他のモノも「ゆがませない」のだ。「時間=モノの変化」、「空間=モノとモノの間」であり、「モノ」が存在しない限り「時間」も「空間」も存在しないのだ。 だから出て来る「答え」は「ウソ」と言うことになる、なっ・・・「時空間そのモノの変化」の概念では証明出来ないということだ。物質ではない「時間」も「空間」も「歪み」はしない、のだ・・・歪むのは「物質」である。「重力=引力」は「物質の質量の属性」である。「光」がある地点から「曲がったように見える」のは、「空間がユガム」から「曲がる」のでは無く、「光」自体と「光」が進行する「宇宙空間にある複数のモノ(プラズマ、その他の物体)」との諸関係(磁力、重力等)に影響されるから引っ張られて「曲がる」のではないか?・・・もし、真空の「A磁石」と「B磁石」の間に光を走らせたらどうなるのであろうか?・・・「A磁石」と「B磁石」の均衡点の間で鉄片モノが浮揚するのは何故か?・・・空間が歪んでいるのか、「A」と「B」の間の重力質量が影響した磁力も密度の高低で歪んでいるハズで、「磁力線」の軌跡も偏っているハズだ。その間を通過する「光」は地球上からはどのように観測されるのだろうか?・・・「光の波長」はその空間では「光子」そのものの「温度=熱の高低」にどのような影響を与えるのであろうか?・・・そして結果、人間にどのように観察されるのか? まったく、ワタクシ=ム(ヨコシマ)の考え方は「19世紀以前の物理学」であるカモ、イヤそれ以下カモ・・・それにしても、 E=mc×c・・・エネルギー=質量×光速の二乗 ・・・光速の「二乗」とは何だ・・・そんな事情は現実的には存在しない・・・光は絶対的に秒速30万キロで進行するが、「特殊相対論」ではヒカリ以上の速さのモノは存在しないのだから、「二乗=無限」と同じ意味になるハズだが、「光速」は秒速30万キロで有限であるハズだ。ならば、この「式」は現実的には無意味である・・・が? 物理学の概念を「日本語独自」なコトバで研究するのではなく、「翻訳語」の適当な「漢字を当て」て理解しようとしている「日本人現代物理学者」の「コトバ=概念」は驚くこと勿れ、一般人、特にワタクシにとっては「支離滅裂」のように思えるのである。我々が了解している「概念規定」とは違い、コトバの規定性が出鱈目のようなのだ。イヤ、規定性が出鱈目ではなく、「特殊専門的用語」なのであるらしいのだが、「漢字の意味」からはトンデモ無茶苦茶である。「存在するモノ」が「無」であったり、「無であるモノ」が「存在」すると言ったり、むちゃくちゃなのである。コレを区別して理解している「物理学者」はマッタク(全)、エライ、の一言だ。 「数学」のコトバもそうであるらしい・・・「函数(ハコの数)」=「関数(関係する数)」・・・この漢字の意味は歴然として異なっているハズだ。「函数」の「函(はこ・包む・含む・入れる)」が現代当用漢字に採用されていないとの理由から「函数」は「関数」に代用されて使用されるようになったらしい。・・・北海道の「函館」は昔「箱館」で、数学者や物理学者はキット「関館」と書いて「ハコダテ」とヨンでイルに違いない・・・ 函館は松前半島と亀田半島の「蟹のハサミ(挟=Y・X)の交差・交叉中心軸」のような場所にあり、元々の地名はアイヌ語の「ウスケシ(宇須岸)=湾岸」で、1454年(享徳三年)に「河野政通」がこの山の上に箱状の館を築いたのが由来であるらしい。Yは「ワイ(英語)・ア(漢字Y)」とヨミ、Xは「エックス(英語)・ガイ・カイ・ゲ(漢字乂)」とヨムのだ。なるほど、「Y(ワイ)」は「倭夷、二股」で、「Y(ア)」は「ア=亜・亞・阿・吾・鴉・蛙(かえる・かわす)」。「X(エックス)」は「バッテン・メ・締める・掛ける」で、「X(カイ・カヒ)」は「カイ・カヒ=甲斐・海・解」である。斐(ヒ)の熟語に「斐然(ヒゼン)」があり、同じ意味ので「靡然(ビゼン)」がある。「斐然=靡然」は「なびくさま」である。この「靡」は「隋書国伝」に紹介されている「邪馬台国=邪靡堆国」の漢字である。 都於邪靡堆国、則、魏志所謂、邪馬台国者也 ・・・数学の常識ではグラフ上のY軸とX軸ではある。地球儀上では「経度・緯度」の線である。ギリシャ文字には「Y」は無いが大文字の「Υ・υ(イプシロン)」と小文字の「Γ・γ(ガマ)」が似ている。「X(ヒ)」の次の文字は「Ψ・ψ=プシ」で、大文字は「海王星(ネプチューン・ポセイドン)」のマーク(Ψ)のヤス()・モリ(銛)・三叉」である。は「籍」に類字しているが、これを分解すれば、 =竹+手+昔 で、これをヨメば、「竹(筑紫)の手(又=叉=主)の昔は海王(アマのキミ)」である。ギリシャ文字の親戚であるロシア文字には「У・у」がある。 函館山は臥牛山と別称で呼ばれている山で「安山岩」から形成されている。南端は大鼻岬、東端には立待岬。・・・・函館湾は別称、巴湾と呼ばれている。大鼻岬と、葛登支岬に抱かれてイル。 1741年(寛保一年)に番所、1802年(享和二年)に箱館奉行所設置、1869年(明治二年)に「函館」と改称。1854年(安政一年)に日米和親条約によって下田とともに開港。1859年の日米修好条約によって開港された五港の一港であった。七重浜があり、歴史的に北海道(蝦夷)共和国はプロシャ(独逸)人、ゲルトネルに租借させていた。 とにかく、「函(はこ)」が「関(かんぬき・カラクリ・仕組み・セキ・閉ざす・ふさぐ・関わる・交わる・貫く・穿つ)」だったら、「巻数」、「干数」、「姦数」、「汗数」でもイイコトになるのだが、ワタクシには面白い歴史的な謎解きだが、学生はたまらんぜよ、ナッ・・・ だが、国語辞典にはこの「関数」は、「A数」が「B数」の変化に伴って「A数」も変化する関係で、「B数」に対する「A数」のコト、とある。「B数」に関係する「A数」の数字で、その変化というコトである。じゃぁ、「対数」ではないか。 では「函数」は「ハコに入れられた数」か「ハコの数」なのか、「ハコの容積とソコに入るべきモノの数」の関係なのか・・・「今日、函数は対応の別名」?・・・らしい。 ちょっと、「HP」の「数学のいずみ(札幌東高校・大山斉先生)」(北海道算数数学教育会高等学校部会研究部)から無断拝借してみよう。(「大山」先生、著作権、「学問」には無いと思っているので、あしからず、ご了承、お許しください。他の先生がたにもご寛容お願いいたします) HP・・・ "関数"
2つの集合M,Nがあって,Mの任意の元xに対してNの1つの元yが確定するとき,このxからyへの対応の規則fをMからNへの写像,あるいは関数といって,f;x∈M→y=f(x)∈N,あるいはf;M→Nと表す。このときMを関数fの定義域,Nをfの値域をいう。またxを独立変数(自変数),yを従属変数という。
この定義において注目すべきことは、関数の本質は集合から集合への対応、或は変数から変数への対応であり、従って対応の規則に目を向けているという事と、xや yは自変数、従変数として fとは独自な概念として規定されていることである。 また x,yにあてはまるものは数でなくても、数の組、ベクトル、点の座標、その他何らかの集合の元であればよい。 そこで最初に「関数とは何か」を述べるときに関数のさまざまな意味の拡張に適応できるような形でまとめておくことが望ましい。関数 fのもつ働きや、対応のさせ方が容易に思い浮かべられるようなシェーマを工夫することが必要である。このようなシェーマとして適当と考えられるのが「ブラック・ボックス(暗箱)」である。ブラック・ボックスとは内部のからくりがどうなっているかは別問題として、とにかく何らかの仕掛けによって一定の操作を行う装置である。 ←ブラック・ボックス 入ってくるもの(入力)に加工を施したもの(出力)を外部に送り出す働きを持っている。次の図は入力 x が f の操作を受けて加工されて y になり、それが出力として出てきたことを意味している。これを式ではf(x)=yと表わす。 f ( x ) の( )は入力の入口と考えることができて、この入口から「入力 x 」が入ってゆき、 f の操作を受けて f ( x ) となりそれが「出力 y 」なのであると考えるとよい。
〔数〕〔function〕二つの変数 x・y の間に、ある対応関係があって、x の値が定まるとそれに対応して y の値が従属的に定まる時の対応関係。 また、y の x に対する称。この時 x は単に変数または独立変数と呼ばれる。 y が x の関数であることを y=f ( x ) などと表す。 ふつう関数といえば、x の値に対して y の値が一つ定まるもの、すなわち一価関数をさす。従属変数。 *・・・日本史的には「関の数」とは「和算」の「関孝和」か、「不破の関」、「鈴鹿の関」、「愛発の関」などの「三関」か、「逢坂の関」、「白川の関」・・・あるいは「関原の(軍兵)の数」であるか、「風邪の咳」でゴホン、ご本、誤本の三 x 五=十五の纂後、等しく、重語だな。・・・日本語的には「関」は「塞(せく)」の意味で、「関」そのものは「物事を塞き止める・隔(へだ)てるモノ」であり、同音の「隻」は「魚・鳥・舟・矢」などの「数詞」である。「積」なら「積算」で「掛け算」の答えである。「石(セキ)」はダレかが見せびらかすようにハメているスイス製のオメガ、とかなんとかの高級腕時計の軸受けの「石」である。 HP・・・ [微分積分学の基本定理] 函数 y = f(x) は区間 [a, b] 上連続で、 F'(x) = f(x) とする。このとき ∫ab f (x) dx = F (b) - F (a) 与えられた函数 f (x) に関し、それを導函数にもつ函数 F (x)、 即ち F' (x) = f (x) を函数 f (x) の原始函数 primitive、primitive function という。
上記の微分積分学の基本定理に拠れば、定積分、つまり、 函数 y = f (x) のグラフと x 軸で囲まれる部分の面積は ほぼ f (x) の原始函数を求める操作に尽きることになる。
* どうやら「函・数」とは F(x)、「( )=ハコ」の中の「 x の数」であるらしいから「函=F( )」で、「数=x」と言うコトであるかな・・・出てきた数がその変化数の「y」、と言うことだ。 先ずは「物理学」としての「物質」と言うコトバの意味を整理すると、 物質=存在物 HP・・・ 「反物質」=存在物と「対」になっている「物質」 「反物質」とは通常の物質と「反対の電気」を帯びた粒子で構成されるモノ. 「反物質」が「物質」と衝突すると, 互いのエネルギーのみを残して 消滅する(対消滅). * 「反対の電気(+・-)」とは「+」に対する「-」のコトらしい・・・ HP・・・ 宇宙がビッグバンにより誕生した瞬間には 大量の「反物質」が存在したが、その後、 物質と対消滅を繰り返した。 物質の方が幾らか量が多かったため、 最終的には「反物質」は消滅したといわれている。 * ところで、「反物質」も「物質」としているのだから手におえない・・・「反物(たんもの)の質」ならば「織物・呉服」で、「一反になっている布地」の「質」なんだが・・・「段物」なら「浄瑠璃」だ。 「反物質」、この説明を理解できるならば、アンタは「物理学者」に違いない。 HP・・・ 対消滅 「粒子」と「反粒子」が衝突すると、「正(陽子・+)」と「負(電子・-)」で「量子数はゼロ」となる。後には元々の「粒子」と「反粒子」が持っていた「エネルギー」のみが残る。 これを「対消滅」という。消滅したのが「正(陽子・+)」と「負(電子・-)」である。で、「エネルギーが残った」・・・*「粒子=(エネルギー)+(陽子・+)」という事なのか? HP・・・ 「陽子・電子=量子数」 *・・・?・・・「残ったエネルギー」とは?ナンダ・・・ 「粒子(+)=陽子」→0←「反粒子(-)=電子」 ↓ で、 「エネルギー=0(量子数)」のコトなのか? エネルギーは原子結合=分子とした時の「化学反応」、「燃焼=爆発」として「熱の発生」として現象するモノと考える、のだが。特に「酸化」は「酸素原子」が「他の原子」と結合し、「分子」になる時に起るモノで、「酸化=燃焼=爆発=熱の発生=エネルギー」と言われる。 水(H2-O)=2H+O=H+O+H・・・←燃焼=爆発 炭酸ガス(C-O2)=C+2O =O+C+O・・・二酸化炭素・・・←燃焼=爆発 で、原子が結合すると何故「燃焼=爆発=熱」が発生するのか?・・・「熱」は何処に行ってしまうのだろう?・・・「燃焼=爆発=熱」?・・・「E=mcc」とは物質(原子)の質量はエネルギーに等しい、そうだが・・・「核分裂」、「核融合」と言われているモノである。「原子の構成部分」自体が壊れたり、結合したりすると、その「質量」自体がエネルギーとなる、らしい。 HP・・・ 互いに静止する「粒子」と「反粒子」の「対消滅」は、 粒子の質量を m とした時、「E=mc^2 」と考えると、 「2・mc^2」のエネルギーが残される事になる。 また、 高エネルギーに加速されていた場合は、 より高いエネルギーが残される事になる。 * やたらに「反物」が出てくるが・・・混乱してアタリマエだな、マッタクッ・・・「E=mc^2 と考えると」、とあるから、タトエバ、仮のハナシなんだろう、ナッ。 HP・・・ 対生成 対消滅の逆で、 空間のある一点に、 「2・mc^2」以上のエネルギーが集中した時、 粒子と反粒子(例えば電子と陽電子)が生じる現象。 * 「エネルギー=0」のハズなのに・・・「2・mc^2」以上のエネルギーが集中した時・・・?だからコレもタトエバのハナシか・・・「0」が集中しても「0」だと思うのだが、どこから「2・mc^2」以上のエネルギーが出てくるんだか? とにかく、「物理学」では、「反物質」が「ある物質」とは異なる「性質のモノ」を意味するらしく、「反物質」とは「非物質=無」のことではないらしい。「反物質」も「物質」であると言うのである。一般的に理解すれば「反物質」≠「物質」ならば、「物質」でないモノが「反+物質」ではないのか? 「反物質」とは[Aの物質]に対する[Bの物質]で、「異なった性質の物質」の対のコトバらしいのだ。「物質」に「反」と言う概念を連結させるのは漢字をヨム者に混乱と誤解を招くモノである。使用するなら「異物質」が相応しいだろうと思うのだが・・・。 「反物質・反粒子」概念、これで「物理学」を理解できる人間は、タブン、「国語」、「文学」や「社会学」は到底理解困難であるに違いない。 物質=陽子+中性子+電子+素粒子+X+Y+Z・・・?・・・物質の構成要素はやはり、「物質」ではないのか・・・「E = mc2」・・・学生時代に「物質=エネルギー」と学んだが、「エネルギー保存の法則=物質保存の法則」とは「物質不滅=エネルギー不滅」で、「物質」が「エネルギー」に変化したコトである。当然、「エネルギー」は「物質」に変化するモノであるハズだ。「物質」も「エネルギー」も「消滅」などはしない、ハズなのである。物質の「形態変化」のことであろう。 HP・・・ 「正(陽子)と負(電子)の衝突で、量子数はゼロ」=「エネルギー」 有=存在するモノ 無=存在しないモノ * 最近の「物理学(日本語に翻訳された)」では「無=空=0」は「無」ではないらしい。これは「論理学」としてのコトバの矛盾である。「無」とは「非存在」であるからだ。では、「無」ではなく、「空」とし、「有=空=0」とするなら、「空=0」のコトバは「存在するモノ」であるコトである。「無=非存在」ではなく、「有=存在=空=0」で、「0=有」である。 視覚的に言えば「般若心経」の「空即是色・色即是空」で、「空=透明=白=色=有」である。「存在」のコトバの未だ規定されていないモノが「空=存在」なのである。「色」がついていないモノが「空」なのだ。であるからして「空」とは「色=認識」がつけられる「存在物質」なのである。「色」とはココでは「コトバ=概念」である。「色」がつくとは「空=存在一般」の「あるモノ」が「個別、特殊的なコトバ(概念)で規定される=認識する」と言うことだ。 HP・・・ 物質(ぶっしつ・matter )とは分子や原子が集まって、構成される様々な存在。 分子や原子は質量と体積を持つ。故に、物質は必ず 質量・・・重さ 体積・・・大きさ(容積) を持つモノである。 *「古典的」には、「空間」の一部を占め、一定の質量をもつ「客観的存在」と言われている。 ココで言われている「空間」は「巾のある面と高さを有する立体的な場所」のコトであるが、「三次元空間」は何らかの「物質」で、縦、横、高さによって囲まれているハズである。その中に「物質」は存在する。と、すると「三次元=0=空=有+有+有」であるはずだ。「空間」は「物質+物質+物質」に囲まれた「間隙=隙間(すき間)」であり、記号では「+」の部分であり、その「三次元空間=Aの空」は、「空間でないB・C・Dの諸物質」との「立体的相対関係の縁」によって構成された形を有し、その「限定された立体空間のAを有する構造変化」として「A=B・C・D」の圧縮、膨脹での「容積と質量」がたち現れてくるのだ。そこが曲がるのさ。曲がるのは「時空間」ではなく、「物質」で、「物質の密度変化」である。 HP・・・ 「量子」の世界では, 「物質」は「回転運動」を行なうとエネルギーを生じるモノをいう。 従って、「物質」は必ず「エネルギーを保有」している。 * 私は見たことが無いけれども、全ての「物質」は「レプトン」と「クォーク」によって構成されているらしい。「物質=原子」ならば「原子の構成要素」であるからこの概念は「陽子と中性子」のコトなのか?・・・「現代物理学」は「微視的物質」の構造を明らかにするモノらしいが、ソレを踏まえて、じゃあ、見える物で例えて見るとどうなるのか? 「水」は物質である。 水に例えるならば、構成要素(H2O=水の分子)と環境条件(温度)によって、 固体・・・氷・・・・0度以下 液体・・・水・・・・1度~99度 気体・・・蒸気・・100度以上 * 「物質の三態」として異なる形態を示すモノである。これを物理学では「移転体」と言うらしいのだ。一般的に言えば「水の分子=H2O」の「外的な熱=温度位相」との相互関係における「変化形態」であるだろう。ある空間領域での「H2O分子の運動量の相違」である。 H2O+H2O+H2O+H2O+・・・ * 1度から99度の温度間では「H2O」は「水」である。この範疇外の「熱=温度」を「H2O」が抱え込んだ時に「水蒸気」になり、「氷」になるのだ。観察によれば水は0度以下になっても即「氷」にはならないらしいが、「氷」になるためには温度以外の何かの衝撃が必要らしい。 「熱」は「水」の「外部」から与えられる。「外部の熱」を吸収、抱え込んだときの現象である。では「水」は「水蒸気(気体)」か、「氷(結晶)」になって「水の分子=H2O+H2O+・・・」自体が「密度バランス」の「形態変化」をしたのだが、熱は「水の分子=H2O+H2O+・・・」の何処に保存されているのか?熱を吸収した「H2O」自体に「変化」は無かったのか?・・・水自体は「温度熱」を保つが、自ら発熱したモノではない。加熱されたか、「分子と分子=空間距離」の「密度」による運動と衝突がもたらしたモノである。あるいは「熱」は「他者から水に与えられたモノ」である。この「熱」は何物であるのか・・・「熱」は「物質運動」の属性ならば、「熱」=「物質のあり方」ではないのか?・・・「物質運動の初源」は何か?・・・「熱」は「消滅」するのだろうか?・・・拡散する・・・電気エネルギーによる冷却機器はそれ自体とその内部空間の気体を「冷却=降温」するが、同時に外部放熱板から「熱=昇温」を排出し、その周辺の気体=空気を熱する。そして、その「熱」は拡散していく・・・何処に?・・・「物質」に。 「電気エネルギー」→「冷却」→「熱」→・・・→「電気エネルギー」→ エネルギーの「リサイクル=循環」で、「消滅」はしない。 「消滅」 * 「粒子」と「反粒子」が「衝突」すると, 正と負で「量子数」はゼロとなる. 後には元々の粒子と反粒子が持っていた「エネルギー」のみが残る。 これを「対消滅」というらしい。コレは既に述べたモノだが、「量子数がゼロ」になって「エネルギー」が残る・・・残った「エネルギー」とはナンだ?・・・「衝突」は「物質同士の運動」によって起こるものだが、その「物質の運動=衝突」させるモノは何か?・・・初源の動因は何か? ところで、それ以前に「量子数」とは一体、何であろうか? HP・・・ 量子力学で使われる整数あるいは半整数(1/2の奇数倍の数)で、 原子や分子、 素粒子 などの「状態を表わすもの」・・・原子、分子、素粒子の「数」のコト(*?) HP・・・ 主量子数, 方位量子数, 磁気量子数, スピン量子数などがある. また, 電荷やストレンジネスといった, 「運動状態に依存しない粒子固有の量子数」を「内部量子数」という
で、あるらしい。 * 「量子数」・・・こんなモノがあるんだ。・・・「量子力学上で使用」されている「数字」・・・。「運動状態に依存しない粒子固有の量子数」とはコレもタトエバのハナシのコトらしい。「運動状態に無い物質」は「存在」しないハズだから。 「量子数」=「原子や分子, 素粒子などの(数の個数?)状態を表わすモノ」 * だが、私には理解困難である、理解できずの混乱である。 「量子数」がゼロになっての「消滅」だが、 HP・・・ 互いに静止する「粒子」と「反粒子」の「対消滅」は, 「粒子」の質量をmとした時、「E=mc^2」 と考えると,「 2・mc^2」の「エネルギー」が残される事になる. また, 高エネルギーに加速されていた場合は, より高いエネルギーが残される事になる. * 「互いに静止するモノ」がどうして「衝突」もせずに「対消滅」するのか? 「E」は「エネルギー」で、「C」は「光速」であるらしいが、やはり、理解困難であるナッ。とにかく、ココで言っている事はどうやら「消滅しないコト=エネルギーになるコト」を「消滅」と言っているようなのだが・・・ 「消滅」とは「無=非存在」になるコトバであるが、「消滅する物質存在」はこの「宇宙」には存在しないのであるから、「物質消滅」のコトバを「日本人の物理学者」が使用するのは甚だしいマチガイではある、ナッ。すべからく物質は「消滅」などはしないのだ。ある「物質」の「変化形態」の「異相」である。ここでは原子次元の「H2」と「O」の結合と分離である。「H2O」の「H」と「O」の分離は電気分解で観察できる。鉛は分解を速める「触媒」と習ったが、「触媒」と言う中身はナンなのか?・・・とにかく、容器の中の「H-H」と「O」の原子結合は「火で熱」すれば爆発と同時に「水の分子=H2O」が生成される。「ウラン」のなきがらである「触媒の鉛」は、ソレ自体で最早「変化」しないのか? 「H2」+「O」→爆発=「エネルギー」→「H2O」 * この爆発の現象は「爆発のエネルギー=熱」を突出させた、この「熱」は爆発物周辺の他の分子、原子に影響を与えたと言うコトである。この「熱」は「物質」なのか?・・・「熱」はドコへ行ってしまうのだろう?・・・物質への吸収拡散、熱の周辺物質への分散・・・温度低下・・・運動遅鈍・・・ HP・・・ 熱=エネルギーの形態の一つ. 物質粒子の振動や回転などに対応し, 「温度」として現われる(観察できる)。 熱=物質粒子の運動(振動数や回転数)=温度 熱エネルギー エネルギーの一つ。 物質粒子の並進エネルギー 回転エネルギー、 振動エネルギー に対応する。 持つ熱エネルギーが多いほど, 温度が高い。 熱機関・摩擦反応により 機械エネルギーと相互に変換され、 発熱・吸熱反応により化学エネルギーと相互に変換され、 熱電変換・電熱変換で電気エネルギーと相互に変換される. * 当然にも「物質=エネルギー」で、「熱=エネルギー」へ形態変化したと言うことである。では形態変化した「エネルギー」とは何か? HP・・・ 「エネルギー」とは「動く力=動かす力」 「力」とは「物質」それ自体、あるいはその「物質」の場所的周辺に関係している「他の物質を動かすモノ」で、自らも含めて、それらの「性質」を「変化させるモノ」である。「変化」とは、単純に言えば「物質」の「構成内部の物質」が、周辺外部物質へ「場所を移動」、「位置を移動」させるコトである。 物体や「系」がほかに対して「仕事」をなしうる「能力」のこと。 したがって単位には仕事と同じ単位(SI単位系やMKS単位系ではジュール(J)、 CGS単位系ではエルグ(erg))を用いる(但し熱エネルギーではカロリー(cal)を用いることもある)。 語源はギリシャ語のεργον(仕事)。 エネルギーは力学的エネルギー、熱エネルギー、電磁場のエネルギー、質量エネルギーなどに分けられ, 力学的エネルギーはさらに位置エネルギーと運動エネルギーに分けられる. * ココで言われている「能力」とは「物質の潜在的な運動力」と言うコトであるらしい。 エネルギーには「エネルギー保存の法則」があり。一つの「系」での「エネルギーの総量は常に不変」である。すなわち, 何らかのエネルギーが増えれば、同じ系の何らかのエネルギーが同量減ることを意味する。 これを熱力学では 「熱力学第一法則」 という、らしい。 * ナルホド・・・「エネルギー不滅=形態変化」であり、「物質不滅=形態変化」なのだ。 物質(水)の落下運動 ↓ 水車の回転運動 ↓ 電 気・電磁気の伝達運動 ↓ ↓ ↓ 熱 光 モーター回転運動 ↓ ↓ ↓ エネルギーの拡散=物質への吸収 HP・・・ 「崩壊」 原子がβ線(電子)を放出して原子核の「電荷」が変わり、 延いては「元素の種類が変わる現象」のこと。 より具体的には、 「中性子」が電子とニュートリノを放出して「陽子」になること。 (中性子)-(電子・ニュートリノ)=「陽子」・・・「崩壊」現象 * 「崩壊」とは「原子」の構成要素が「バラバラ」に分離して、「別の構成要素(元素=陽子)」なることであるらしい。ある物質が崩れて分解され、崩れ残ったモノがある「元素=陽子」となり、飛散したモノは「放射線」と言うことだ。ここでは先ほどの「反ニュートリノ」は、「ニュートリノ」となって説明されている・・・お手上げだね・・・「電子」が飛び出して何処に行くんだか・・・? HP・・・ 「中性子(udd)」の「d(ダウンクォーク)」から 「W-ウィークボゾン」が放出され、 そのd(ダウンクォーク)は、 u(アップクォーク)となり、 結果として陽子(uud)となる。 また放出された「W-ウィークボゾン」は、 崩壊によって 「ニュートリノ」と「電子」 となる。 「中性子」の構成要素は「W-ウィークボゾン」 「W-ウィークボゾン」=「ニュートリノ」+「電子」 逆に 「反ニュートリノ」が「陽子(uud)のu(アップクォーク)」に近づくと、 「u(アップクォーク)」から「W+ウィークボゾン」が放出され、 その「u(アップクォーク)」が「d(ダウンクォーク)」となり、 結果として 「中性子(udd)」となる。 また「反ニュートリノ」は 放出された「W+ウィークボゾン」を受け取って「陽電子」となり、 「自然界にある電子」と対消滅してγ線を放射する。 「反ニュートリノ」+「W+ウィークボゾン」=「陽電子」 「陽電子」→*←「自然界にある電子」 ↓ 対消滅して ↓ γ線を放射 「自然界=空=0=有」=電子 * 「自然界」には何かが「電子」として存在していると言うことらしい。だがここで突然出てきた「反ニュートリノ」とは何だ?・・・「ニュートリノ」は「中性子」の構成要素であった。 「反ニュートリノ≠ニュートリノ」であるとしたらこの両者の違いは何か? HP・・・ 「中性子(udd)」 ∥ 「d(ダウンクォーク)→W-ウィークボゾン→u(アップクォーク)→陽子(uud)」 + 「電子・ニュートリノ」 で、「反ニュートリノ」+「W+ウィークボゾン」=「陽電子(陽子)」であるから「陽電子(陽子)の構成要素」だ。 * 「崩壊」と言うコトバはイイであろう。「崩壊」は「存在物の構成要素の変化、分散」のコトであるから。「崩壊=核分裂=物質の変化」である。「結合=核融合=物質の変化」である。それにしても理解しづらい言語操作であるなっ。 まぁッ、「量子学」は「存在」するものの「存在論哲学」で、「認識論」としての「理論的な実数数字」として「答えを出すのは無理」と言うことで、「アバウト=不確定」で、「統計学」みたいなモノである、らしいな。 「量子論」は「存在」は「不可認識」で、認識する主体の問題と認識される客体の区別性、「存在論」=「認識論」ではない、別物であるコトを区別しないところを出発点にしている。 認識主体が存在しようが、しまいが存在するモノは「必然として存在=確定運動」しているのさ。 「論理的理数」は単なる人間が「認識思考上の問題」として、「認識の手段」として考え出したモノに過ぎないのだから、「絶対的存在=可認識」と考えるのはナンセンスと言うものだ。認識できるのは「確定論」ではなく、「確率論」でアタリマエなのだ。だが、存在そのものの「存在の確定因果関係が無くなる」と言うコトとは無関係である。