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2007年01月01日~追加添文・・・

 2022/7/12・火曜日・・・追加添文・・・

 ・・・そうですか・・・

 「映像の世紀バタフライエフェクト〜太平洋戦争

  “言葉”で戦った男たち」

 (7月11日・月曜日・NHK)

 ↓↑

 今現在、この時代に

 「プーチン」が「ウクライナ」に

 無差別攻撃をミサイルでやっていることを・・・

「アメリカ帝国主義者(?)」

「ルーズベルト」

 もやった・・・

 疑似的

 「蟻=虫+義=あり・アリ」の国・・・ニッポン

 というよりは

 疑似的 

 「蜂」

 「蜂=虫+夆=はち・ハチ」の国・・・ニッポンだろう・・・

   虫+夂+丰

   虫+夂+三+丨

   虫+夂+一+二+丨

    夆=夂・夊

      ふゆがしら・ち・すいにょう・なつあし

      ホウ

      ブ

      さから(逆らう)」

      あう(会う・会合)

      ひく・ひっぱる(引っ張る)・・・弓+矢・弓+長

 蠭=蠭

   逢+䖵

   辶+夆+虫+虫

   辶+夂+丰+虫+虫

   辶+夂+三+丨+虫+虫

   辶+夂+一+丨+虫+虫

   逢(あ)う

   逢(おお)きい

   逢(むか)える

 䗬=逢+虫

   辶+夆+虫

   辶+夂+丰+虫

   辶+夂+三+丨+虫

   辶+夂+一+二+丨+虫

 ↓↑

 蜂(はち)

 膜翅目の昆虫のうち

 蟻以外のものの総称

 二対の羽を持つ

 メスは産卵管を毒針として用いる

 蜂がる(むらがる)

 ↓↑

 足長蜂(あしながばち)

  ハチ目スズメバチ科の蜂

  後足がなく、足を垂らした状態で飛ぶ

  蓮の実のような形をした巣を作る

  攻撃性は低い

 ↓↑

 虻蜂取らず(あぶはちとらず)

  複数のものを同時に狙ったために

  何一つ得られないこと

  欲張ったために何も得られないこと

 ↓↑

 雀蜂

  ハチ目スズメバチ科の大形の蜂

  女王蜂を頂点とした社会を築く

  黄と黒の縞模様で攻撃性が高く

  刺されると死ぬこともある

 ↓↑

 働き蜂

  ミツバチなどの社会を形成するハチのうち

  巣を作ったり食料を集めるなどの

  労働を受け持つ雌バチ

  生殖能力が退化している

 蜂蜜=ミツバチが花から集めて巣に蓄えた蜜

    甘くて栄養価が高く、食用・薬用とされる

 ↓↑

 蜂準長目(ホウセツチョウモク)

  賢く、抜け目無い人の容貌

  思いやりがなく陰湿な人の容貌

  「蜂準」は蜂のように高く鋭い鼻筋

  蜂のように鋭く高い鼻筋と

       細く長い目という意味から

 ↓↑

 蜂房水渦(ホウボウスイカ)

  数多くの家屋が集中して立ち並んでいる様子

  建物が蜂の巣の穴のように隣り合っていて

  水の渦巻きのように連なっているという意味

 ↓↑

 蜂目豺声(ホウモクサイセイ)

  冷酷で残忍な性質の人

  「豺」=気性の荒い、狼に似た山犬のこと

      蜂のように細い目と

      山犬のような気味の悪い声という意味

 ↓↑

 虻蜂取らず=二つのものを同時に得ようとして

       結局はどちらも取り逃がしてしまうこと

       欲張ってて失敗すること

       虻と蜂を両方捕ろうとして

       どちらにも逃げられるという意

 ↓↑

 石地蔵に蜂=何とも感じないこと

       蜂が石地蔵を刺しても痛くも何ともない

 ↓↑

 牛の角を蜂が刺す=なんとも感じないこと

          無効果

 鹿の角を蜂が刺す=なんとも感じないこと

 泣きっ面に蜂=悪い事が重なって起こること

  「泣きっ面を蜂が刺す」

 蜂の巣をつついたよう=大騒ぎ

 「帝国日本=明治国家・国家」

 の

 あの頃・・・

 「日本人(一般庶民・農民・工場労働者・中間サラリーマン)」

 を好きになった

 「外国人=アメリカ人」・・・

 ↓↑

 以下「ウイッキペデア」の記事・・・

 『映像の世紀』(えいぞうのせいき)

 第二次世界大戦の

 戦後50周年と

 NHKの放送開始70周年

 そして

 映像発明100周年記念番組と銘打たれて

 制作・放送されたドキュメンタリー番組

 NHK

 と

 アメリカABC

 の国際共同取材

 1995年3月~1996年2月

 毎月第3土曜日(第1集を除く)に

 NHK総合テレビの

 「NHKスペシャル」にて放映された

 全11集

 初回放送から20年以上経っても

「NHKスペシャル」

 の中で人気のある作品の一つ

 再放送が1999年、2000年、2003年12月に行われたほか、

 歴史ドキュメンタリー専門チャンネルのヒストリーチャンネルにおいて

 2006年1月より毎月末に1シリーズずつ、

 2010年11月より、チャンネル銀河において毎週放送された。

 また、

 2015年10月には

 戦後70周年とNHK放送開始90周年を記念し、

 続編となる

 『新・映像の世紀』をNHKスペシャルの枠で放送することになり、

 そのプレ企画としてBS1で、

 20年前に放送した内容を再構成した

 『デジタルリマスター版映像の世紀』として、

 同年9月中の毎週土・日曜(9月13日、9月19日を除く)と、

 9月23日(秋分の日の水曜日)、2016年1月1日 - 1月2日に再放送された

 2021年8月3日から12日の未明には、

 「深夜のいっき見!まつり」の一環で、

 デジタルリマスター版であるものの、

 初回放送当時のNHKスペシャルのオープニングも含めて

 総合テレビで再放送された

 ↓↑

 ハチ=はち・・・「養蜂」は百済の王子・・・

 「養蜂(日本人懐柔?)失敗」・・・ナゼ?

 「余豊璋 (ョ-ホウショウ)=豊章=糺解」・・・「翹岐(ギョウキ)」?

      與 報奨(褒章・報奨・褒賞・奉唱・放縦)・・・

           宝生(むろお)・・・?

           宝生如来

           密教に於ける大日如来の

           五つの智慧である

           五智

           法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智

          の「平等性智」を表した仏

           宝物を生み出して福徳を授ける仏 

           室生座=申楽談儀(1430)猿楽の諸座

           宝生流=能のシテ方・五流の一

 百済

 「義慈(ぎじ)王」の王子

  日本の人質

  皇極天皇二年(643)

  大和(奈良県)

  三輪山(桜井市)

  「養蜂(ヨウホウ)」

  を試みたが失敗した

  660年

  百済滅亡で再興を期待され帰国し

  662年即位

  663年

  新羅に攻められ

  高句麗に逃亡

  ↓↑ 

  天智一(661)年

  5000人の兵で豊璋を百済の

  「鬼福信」の元へ衛送

  豊璋と福信の間が不和になり,

  豊璋は福信を斬殺、塩漬け

  「白村江(錦江)の戦(663年)」

  日本が唐に敗退し

  百済滅亡

  豊璋は高句麗に逃れた・・・消息不明・・・

  668年

  高句麗滅亡

 女王蜂の失踪・・・女王(皇極・斉明)の「罰・鉢・撥・枹・抜」・・・



 192日目・・・

 西暦2007年正月一日、新年、おめでとう・・・

 「占い(四柱推命)」では

 2007年2月の節分から翌年の節分前までが

 「丁亥」年になるんだけれど

 前回は

 1947年2月節分~1948年2月節分前までの

 「六十一年前」が「丁亥」年・・・

 団塊世代のはじまりだった

 アメリカ、敗戦日本占領三年目・・・

 とにかく

 「占い上での年始」は「2月の節分」からです・・・


 2月01日・・・ゼネスト中止

 2月25日・・・八高線で列車転覆

 5月03日・・・新憲法施行

 5月27日・・・阿蘇山爆発

 9月15日・・・キャサリン台風


 今現在、とにかく

 生まれてきて

 生きて「自由」にモノが言えるのは

 アメリカ連合国総司令官

 「マッカーサー」

 に感謝すべきだョな。


 2007年01月02日08:02

 193日目・・・

 TVで映画鑑賞、午前2:57~

 「めぐりあう時間たち」・・・

 「ダロウェイ夫人」とは別れ・・・

 午前4:30~「光の旅人」・・・

 プロートと千光年の

 「K-PAX」にいきます・・・

 ねます、オヤスミ・・・


 2007年01月03日17:21

 194日目・・・正月の参日(水曜日)・・・暖かい正月だな・・・どうやら一階天井裏にネズミの母子が巣食っているらしい。共存していきたいけれど、中途半端にバナナや米が食われ、小粒の糞を撒き散らされていくのにはどうしようもない、ナッ。天井裏の電線を食い千切って漏電にでもならなければイイんだけれど。母ネズミらしいけれど結構、都会的に洗練された美しい毛並みで、顔立ちも美人・・・子ネズミを育てるのは大変だろうな。

 去年は随分と「動物達の生活ドキュメント」をTV番組でみたけれども、野生動物、個としても集団としても「命を持続」させていくって厳しい、ナッ。そして、北極を知らない人間(?)として育てられた「白熊ピース」って、結局は一生オりの中・・・


 雄と雌の出会い、双方同意の「恋愛」なんだろうか?・・・ヤッパ、ケモノの雄の「暴力」と、トリの雄の見た目の「美しさ」は、雌の「アコガレ」の条件なんだろうか?・・・雄同士の雌を獲得する戦いで、負けた雄がスゴスゴと引き下がるのは口惜しくも同情してしまうが、コレを「優性遺伝の法則」なんて説明されたら、頭にくるなッ。


 とにかく、雄雌の関係から子ども達を産み、「家族」として死活の狭間で育てていく・・・まさか、「種の絶滅」をくい止めようと意識しながら生きているとは思えないが・・・


 そして、子ども達はその「父母兄弟姉妹」の「強弱の序列」をわきまえながら必死に自らの生き方を学び、生きようとしていく。オオカミでも、クマでも、オットセイでも、クジラでも、サカナでも、サルでも、トリでも、ムシたちでも両親に護って貰って甘えられるのは、ほんのイットキの時間・・・そして別離と孤独、あるいは集団の厳しい序列社会での余裕の無い獲物獲得のタメの「弱肉強食」への修羅場での生活へ。


 「動物」として食って生きていくと言うところでは、「人間」も異なるところは無い。「弱肉強食の修羅場の結果」がレストランや家庭のテーブルの皿の上では見えない、幸せな「美味しい物」でしかない・・・


 「菜食主義者」は「植物の命」をどのように考えているんだろか・・・「食物連鎖」は自然界の必然のように思えるけれど・・・人間だけが、生きている間は自分自身の存在も含めて、「存在のあり方」を「コトバ」で様々な「理屈・理由」を考え、考え出す。


 むかし、「フランキー・サカイ」って言う俳優が主演した

 「私は貝になりたい」


 って映画を観たョなッ・・・深海の貝になりたい、って・・・


 2007年01月06日21:55

 195日目・・・「日本国家」誕生を「人格」としてオカルチックに推理して観る・・・

___

 1868年09月08日(明治元年)

      癸干合壬

   戊辰 辛酉 丙申 甲午

     支合辛正財


 天 食神 正財    偏印

 地 食神 正財 偏財 劫財

      正財格

   空亡:辰巳

___   

 1889年02月11日(明治22年)・・・

 大日本帝國憲法公布

   己丑 丙寅 丁巳 丙午


 天 食神 劫財    劫財

 地 食神 食神 劫財 劫財

      劫財

      印綬

      食神格・強旺格

   空亡:子丑

___

 1890年11月29日(明治23年)・施行

         丁干合丙 

   庚寅 丁亥 癸丑 戊午

     支合甲

 天 印綬 偏財    正官

 地 傷官 傷官 偏官 偏財

      傷官格

   空亡:寅卯

___

 1947年12月08日・・・

 真珠湾攻撃

 辛巳 庚子 庚寅


 丙申→正財・偏財・偏財

  合壬 三合壬 沖己

    偏官 偏官 傷官

 丁巳→偏財・正財・正財

          刑

 癸丑→偏印・印綬・印綬

      合己

      偏官

___

 1945年08月15日・・・敗戦


 乙酉 甲申 丙辰 甲午


 丙申→印綬・偏印・比肩     

 丁巳→偏印・印綬・劫財

  支合壬

       正官

 癸丑→食神・傷官・正官・傷官

  三合辛

    偏印

___

 1946年11月03日・・・新憲法発布


   丙戌 戊戌 戊戌 戊午

   偏印 比肩    比肩

   比肩 比肩 比肩 印綬

      強旺格

   空亡:申酉

__

 1947年05月03日・・・新憲法施行

   丁亥 甲辰 壬午 丙午

   正財 食神    偏財

   偏官 傷官 偏財 正財

      傷官格

   空亡:申酉

___

 ・・・?

 丙戌年(2006年)

 戊戌→偏印

 壬午→偏官

    年支三合丙

    偏印

___

 丁亥年(2007年)

 戊戌→印綬

 壬午→正官

___

 2007年01月07日18:17

 196日目・・・『熱い国』の行方・・・”シバ・ナイポールの小説を中心に・青木保(大坂大学教授)・「一、アイデンティティとアムネシア」”・・・

 ”『熱い国』の行方・・・シバ・ナイポールの小説を中心に・青木保(大坂大学教授)”は、「二十世紀の遺産・文芸春秋・昭和60年11月15日発行」におさめられていた「文章」である・・・


 「フリー百科事典『ウィキペディア』」によれば、

___

 アイデンティティー(Identity)

 同一性

 心理学でいう 自己同一性。

 共同体(地域・組織・集団など)への帰属意識。

 例として、

 コーポレートアイデンティティ、

 アイデンティティ政治など。

___

 アムネシア

 am・ne・sia [mn:]

 AMNESIA・・・ n. 【医】記憶喪失症, 健忘症.

___

 以下、ボクが青木教授の記録から抜粋要約したモノです。

___

 「アムネシア」・・・近代国民国家の形成に際して、重要な役割を果たしたのは、「アムネシア」である。

 人や集団が彼等の過去や伝統の記憶を”喪失”することが近代国家形成の条件である。

 近代国家は、それに属する”成員=国民”の無名性によって形成される。

 諸民族や諸文化がその過去を忘れないと、統合された国民国家は存在し得ない。

 (エルンスト・ルナン)

___

 ナルホド、ザ、ワールドですナッ。

___

 新国家に於けるナショナリズムの形成過程

 (クリフォード・ギアツ)


 1)文化的、民族的に、また地域や言語の上で互いに異なる「自己確認」と「社会的忠誠」を持つ人びとの集まりでしかない状態を、一つの国民性からなる政治的統合体にまとめ上げようとする段階。


 2)反植民地闘争を媒介に個々のそうした集団間差異性は曖昧にされて、この統合を達成しようと向っていく段階。


 3)植民地主義との戦いが、「集合的一致」を可能にし、新しい「国家的」アイデンティティが独立によって推進されると思われる段階。互いに伝統的には異なり合ってきた民族や集団が彼等自身のそれまでのあり方に対する見方を変えて、より高次の統合に自由の可能性を見出す。国家意識の目覚めと言われる段階で、ナショナリストが国家を建設し、その国家が国民のタメの政府をつくり、国家統合をさせると考えられている。


 4)独立を達成して一つの国家が出来た段階。ここではナショナリストの仕事は大きく変わらざるを得ない。攻撃すべき植民地主義者はいなくなり、外国支配は一応終わった。そこで国家を運営するための主体の確立が要請される。


 統合の中心となるのは誰なのか。新しい”われわれ”を決め、国家権力がスムーズに発動されるための国民性のあり方が模索される。


 「新国家」として独立はしたが、「国家」は第四段階から逆戻り現象を示している・・・云々・・・状況は混沌である。


 「国家統合」が分解され、再び小単位の社会集団や民族や宗教などに細分化されて、国家と言う上位概念による理念的統一や利益追及が出来なくなる状況を一方にみながら、さまざまなレベルで達成しようとされた近代化のプロセスが、中途半端な技術革新と産業化と異常な都市化現象を生み出し、新たな社会不安と社会矛盾を与えている。


 ナショナリズムは、上位レベルの統合から、個々の民族集団や地域集団に再分割されてしまう。もはやナショナリズムとは言えず、また「国家」とも言えなくなるわけであって、「近代国家」の建設そのものがひとつの幻影でしかなかったとも言える・・・

___

 ナショナリズムとは「信念」である。


 1)民族に属する事の第一義

 2)民族を構成するあらゆる要素が有機的関連にあり

 3)それがわれわれのものであるが故にわれわれの自身の価値であり

 4)何よりも優先すべき至上の権威であり忠誠の対象である、「信念」である

 (アイザイア・バーリン)

___

 で、ボクが問題にしたいコトは・・・「信念」の「中身」である。


 キミやアンタの「信念」とはナニ?って、サッ・・・

 キミやアンタの「信念」とはナニ?って、サッ・・・

 ・・・「アムネシア」、「アイデンティティ」、「ナショナリズム」なんて難しいコト言わないでサッ、単純なコトバ・・・


 殺すな・・・・殺す人をなくす

 盗むな・・・・盗む人をなくす

 嘘つくな・・・嘘をつく人をなくす

 差別するな・・差別する人をなくす


 を「信念」にするコトって・・・難しい、のッ?


 2007年01月08日19:16

 197日目・・・続『熱い国』の行方・・・”シバ・ナイポールの小説を中心に・青木保(大坂大学教授)・「一、アイデンティティとアムネシア」”・・・に関してのボクの批判的考察・・・

 ・・・「新国家」を「怖れ」てきたのは「教養」もあり生活もソコソコの「中間層」で、ごく一般的な「普通の人」であった。彼等はその「社会的存在」として「文字」が読め、その「文字」を理解することが出来た。そして「社会的状況」の「情報」を、その「知識」で「判断できる存在」であった。


 だが、「新国家を怖れた」のは「中間層」としての「普通の人々」であったが、その「新国家の指導者達」が「怖れた」のは「教養中間層」であった。


 「新国家の指導者達」とは「教養」も「知識」も「判断力」も「普通の人々」と変わらないレベルの人間だった。ただ、チガウのは「新国家」の「権力を握ったインテリ」だった、と言うコトである。しかも、世界情勢、国際情勢の中での自分自身の「存在価値」を「新国家内」で位置づけれる人間であった、カモ。もちろん、「権威者」、「権力者」、「独裁者」はその「政敵」を敏感に嗅ぎつける能力のある人物で、「政敵」、あるいは潜在的に「政敵」になるだろう人間達、「同次元の教養」を有する人間達をイチバン恐れざるを得ないのだ。その人間が「教養中間層」の「普通の人々」なのである。近代国家の形成は「知識人」である「普通に判断できる人々」を膨大に犠牲にするのだ。彼等は「特殊な利害関係」としての「思想」では「洗脳できない存在」、「普通の生活者」としての「現状維持」としてのゴク自然な「倫理、道徳的存在」であるからだ。すなわち、「普通の人々」とは「殺さない=殺されない」、「盗まない=盗まれない」、「騙さない=騙されない」、「差別しない=差別されない」でその生活現状を「社会共同体の内」で保持しようとしている人々である。

 だが、「近代国家形成」に於いて「国家権力者」、イギリスが、フランスが、アメリカが、そしてロシアが、中国が、日本が国内の「普通の知識人」を怖れ、「弾圧・排除」した。そして、第二次世界大戦後の植民地から解放された「第三世界」の「新国家」の権力者が・・・膨大な「普通の教養人」とその付随者を虐殺した。

 「アムネシア」とはコレである。


 そして付随者とは、付和雷同者である。そして「権力者」に取ってイチバン禦しやすいのが「識字率の低い無教養層」である。ただただ「生活」するタメになんとか「既成の権力者の判断」にしがみ付いている人々であった。「国家」とはこのレベルの人々を組織化した「国家」でもある。


 「アイデンティティ」とはコレである。


 「新国家形成時の普通の人々」は現在の「日本的中間層」とはチガウのである。かって、生活空間、居住場所として国境枠組みされた「明治新国家」や、第二次世界大戦後の植民地から独立した「新国家の教養中間層=普通の人々」と、現在的な日本的状況の視点から観た「日本国内の普通の人々」とはチガウのである。ナニがチガウのか・・・「国家権力者」のムキ出しの「暴力的虐待、虐殺」に於いてである。そして、明治国家は「科学技術=合理思想」と同時に「アイデンティティ」として、命令服従絶対の「国民皆兵」の「支配階級思想=皇国思想」を「教育=修身」として、学校教育、尋常小学校の低学年から「洗脳」した。


 今現在の日本人一般はその識字率、教養に於いて、知識に於いて世界的に最高である。かっての明治国家、あるいは江戸時代、鎌倉、平安、奈良時代に於いてさえも・・・識字率、文字知識に於いて「自由」に、「曖昧」に理解、操作するコトに長けていた・・・そして、今現在の言論、出版、インターネット、あらゆる「情報交換の自由」、「価値判断の自由」が「将来・未来」にも永続的にアルと思っているらしい・・・そして、「アル」はずである・・・だが、「日本人」は「命を維持する」と言うコトに時代時代の「生殺与奪の権力者」に迎合することに於いては他の諸民族に例をみないホドに「自由」、「柔軟」に対応した。「武士道」、「貴族のプライド」などは「日本居住地区の住民の大半」であった人々には無縁のモノであったのだ。理不尽に暴力支配されようとも、その立場は「他人事」で、「野次馬」だったのだ。「関が原」では天下分け目の合戦を弁当持参でサッカー見物よろしく観賞していた。「下関戦争」では上陸して来た英仏連合海兵の砲台撤去を手伝った。武士階級の支配者に属するモノは支配者の倫理道徳、「農・工・商・穢多、賤人」はその「価値基準」からは「自由」であった。

 これが「アムネシア」である。


 そして「戦国時代」の「下克上」の暴力は、その「階級昇進」を個々人に「自由」に解放していたのだ・・・素性の知れない百姓が関白太政大臣に、山奥から出てきたキコリが将軍になれたのサッ。


 階層、階級を貫く「一般的な価値基準」、例外もあるが殆どの「日本人」の生活上の「信念」はゴク「自然体=生命維持」としての「延命・寿命・終命」であり、その前提での共同体内、共同体外との「妥協」であった。今現在もそうである。


 近隣諸国、「同盟諸国」の状況次第ではその支配階級の「国家の存立」は「自由=無秩序」を許さないモノとして立ち現れてくる。「国家秩序」は「支配階級利害」の「自由」だけを渇望するからだ。

 これが「アイデンティティ」とと言うモノである。


 そして、今現在の「日本的国家状況」は「日本国家の指導者達」の「新国家=新秩序」形成は揺れて過去への「普通の国家」に、ぶれ返そうとしている。

 で、ボクが言いたいコトは、「シバ・ナイポール」の「政治小説」に登場させられている女主人公の「ディナ」の立場なんだけれど、また、気分次第で明日にスルかな・・・「アムネシア」じゃなかったらネッ。


 2007年01月09日18:06

 198日目・・・続々『熱い国』の行方・・・シバ・ナイポールの小説・「アイデンティティ」と「アムネシア」・・・に関してのボクの批判的考察・・・

 「集団的アムネシア」とは「過去の出来事や伝統」を「記憶喪失」することであった。それらの「記憶」を禁じられることも含め、ボク的に考えれば、ある地域の人間集団の大人達を「抹殺=集団虐殺=GENOCIDE」されるコトである。

 そして「新国家形成」に関連して必然、発生とされてくることが「IDENTITY」ならば、その現実的状況は、生き遺された「子ども達」が両親、親族集団の「慣習・伝統・言語」を切断され「新たな思想」で「洗脳=養育されていく」と言うコトである。

 最近では、分解したユーゴスラビア連邦、コソボの「民族浄化」では、双方敵対関係にあって生き延びさせられたのは「幼い子供」と「女性」だけであった。「異民族女性」が産む子供は「混血」であっても、将来的には「アムネシア化」され、味方の「IDENTITY」を有する「半同族」となるからだ。


 第二次世界大戦のドイツヒトラーは自己民族の「IDENTITY」の手段としてユダヤ民族の壊滅を謀り、虐殺した。ヒトラー、ドイツだけではない、その同次元の立場はイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ全土の人々の大半が、「ユダヤ人の存在」を「伝統的嫌悪感」をもって「アーリアン民族」の大枠の「IDENTITY」で「排除」される事を期待していた。


 ユダヤ教も、イスラム教の分派シーア派もスンニ派も、キリスト教の分派カトリックもプロテスタントも根源的には「旧約聖書の一神」である。歴史的には「虐殺」の連続であった・・・「アムネシア=IDENTITY」としての。

 オスマントルコ帝国のスルタンは誘拐した「白人キリスト教徒の子供達」を「エリート」として育て上げ、側近階級とした。

 大陸中国の「アムネシア」願望とは中国(清王朝)への西欧諸国からの侵略である。第二次世界大戦後の中国新国家形成の「IDENTITY」とは折衷された「民族主義+共産主義」であった。その現実的な折衷を精算しようとしたのが2000万人規模のリンチ虐殺を招いた「文化大革命」であった。スターリンも毛沢東も粛清、暗殺と言う手段で「アムネシア・IDENTITY」を「仲間内」でやったのだ。秘密警察を駆使して。しかも「文化大革命」は「紅衛兵=子供」を操作するコトによって。片手に「毛沢東語録」を持った「紅衛兵」も、カッテの「革命」を担った貧農、農奴、民衆にとっても、「忘却する対象」がなんであるのか感知するところではなかった。彼等の未来的な毛沢東の思想的イメージは「富豪・大地主・都市資本家・帝国日本」から解放され、「自作農」と「賃金労働者」になるコトだったし、「紅衛兵」の「毛沢東語録」も「人民の解放」だった・・・だが、いかに指導部が「共産主義・社会主義」を掲げようとも、対諸国家間、国際市場経済に影響され、国内現実生活が商品市場を媒介にして動かざるを得ない所では、儲け、蓄財、利益の人間諸関係での利害は「国家民族主義=一国社会主義=全体主義」の「思想、観念のIDENTITY」にならざるを得ないのである。現実には中国は「労働階級」としての「観念」が空中に浮いて漂う「官僚階級社会=共産党階級序列社会」である。根っこは変形した「市場資本主義国家」である。いまや、中国共産党幹部は「戦後日本型資本主義国家政策」を必死に研究、模倣しようとしているのだ。


 カンボジアの「クメール・リュジュ」は、まさに教養階級全員の虐殺と言う意味で「アムネシア」は実行された。


 北朝鮮の「アムネシア」とは「韓国」であり、「アメリカ」である。そして、日本は北朝鮮国家としての「IDENTITY」のテコである。その「IDENTITY化」は戦前の「大日本帝国」である。


 そして、戦後の日本は戦前の「大日本帝国=明治国家」をアメリカ占領によってコロッと「アムネシア」しようとしてきたのだが、「忘却」するモノが「一般大衆」によってはアイマイなのだ。「IDENTITY」は自ら形成して来たモノではなく、「武士」では無い、単なる「被支配者」として付和雷同する自分自身に「上」から与えられるベキモノだったから・・・「アムネシア」したくても、その「思想」は仮のモノだったのだから。

 そして、「IDENTITY」は今現在、「日本国憲法」であるハズだが、混沌と渦巻きだしたのだ。この「日本国憲法」を忘却しようとする「アムネシア」が・・・

 で、ボクが言いたいコトは上述したコトではない。昨日も最期に掲げた「ディナ」と言う女性のコトなのだが・・・この女性、「ディナの不安」についてのコトなのだ・・・「神」を信じない、と言うことを「クヤマ人のコトバ」に託して彼女の姉に言ったコトが父親に知られてしまった・・・


 「クヤマ人は死んだら、天国にも地獄にも行けない。私達には天国も地獄も無い。肉も骨も墓の中で腐ってしまうだけ。私達には何も残らない。跡形にも無くなるだけのコト」


 ・・・「私達には何も残らない」と言う「私達」とは、ナンだろう?・・・「生きているワタシには」なのか、「死んでしまったワタシには」なのか・・・


 2007年01月11日15:55

 199日目・・・ダレかさんの所に貼り付けちゃったモノを改作・・・個々人の時々の「心の状況」を推し量るのは難しい・・・「心」も自然界の春夏秋冬の営みと同じく、その変わりようが緩慢で、激しく、その切っ掛けはナンであれ、ダイナミックに展開するから・・・その時の確信もすぐ打ち砕かれてしまう・・・「文字化された心の状況」説明も、その紙面に貼り付けれられた固定化したモノにも思えるし。


 つきなみに・・・「現実的な時間の経過」だけが、自分の内面に癒しとして、希望として、怒りとして、怨みとして、あるいはアパーシーとして、虚無として「結果論的」に移り気で「アイマイな解決」をしてくれる。そのプロセスはダレでも経験する「躁鬱」としての「心の時間帯の連鎖、連続」である・・・人間精神に「躁鬱」は必要な本質なんだ。そして求められているのは、そのバランスなんだろう。


 「感情の流れ」に「固定的な解決」なんてないんだろな。決まり決まった「理屈」は「心情の流れの防波堤」にはならないし・・・「アキラメ」って、「諦める(感情的に)」と「明らめる(理性的に)」の漢字が当てられているけれど、「アキラメ切れない複雑なモノ」なのカモ・・・


 自分自身を周りからイジメラレナイ、あるいは自分自身をイジメナイ方法・・・さっさと寝て、夢であることを「自覚」し、夢の中の世界を彷徨うこと・・・ただし、夢を視ると言う「自覚」は自分にとって「快楽の実現・願望の実現」を期待している自分自身であること。


 夢の状況内容が天国で天使に会おうが、地獄で悪魔に会おうがが、「恍惚」に漂って、彷徨っているなら〆たモノである・・・

 イヤなのも、タノシイのもその殆どが「人間諸関係」・・・

 自分自身が対象とする「人間の分析(実体分析=心理・心情=信条・感情)」は難しいネッ・・・その前にナゼ、今現在の「自分自身」が「相手の気持ち」を知りたいんだろうか、を考えてみる必要があるんじゃぁないかな・・・当然、「自分」と「相手」との「関係」で、「アル問題」が起こっているからだ、とは思うけれど、相手との対峙している「自分自身の問題」だよね。


 「自分自身」が「相手」に対する「対処方法(目的)」を知りたいからだよね。

 「自分」と「相手」の「問題」は、「自分」と「相手」のとりまく「環境、状況」でもある、と思うナッ。そして、双方の歩んできた「経験性(時間・履歴)」が凝縮された結果としての対決で、その自分自身の結論(納得)を得る、と言う。


 ABC     →← GHI←・・とりまく人間、環境

 ↑↓      ↑↓

 自分の経験→問題←相手の経験

 ↓↑      ↓↑

 DEF →←  JKL←・・とりまく人間、環境


 人間は「目的」を持ったら、相手や複数の人々と「心理的駆け引き」をしながら「現実的な利害関係」のバランスを取りながら「目的を実現」させるタメに動き出すハズ。で、自分自身の「目的自体」がアイマイで見えない場合もある・・・「頭の中での整理」が必要だ。


 「自己分析」も「対象分析」も自分自身の「コトバ」で、さッ。自分自身の「分析能力」の「レベル」は「コトバ」での知識と「経験的な直観」だけれども・・・この「直観」は単なる「感」としての「直感」ではなく、「直感=体感・五感」を含む、生まれてから経験したスベテの「感情・知識・思惟」が即応的に、対象、状況に対して「判断」を下す、と言うコトだ。身体で覚えているモノ、あるいは「技能」として既に自分自身が獲得してしまっているモノ、あるいは「条件反射」として「反応習性を獲得」してしまっているモノ、だ。


 そして、一般的に「心理」と言われるモノは「理性(理屈)」と「感情」の入り混じったモノである、と思う。だから、コレラの二つは「区別」する必要がある。


 「理性(合理的理屈・信念・信条・思想)」

  と

 「感情(気分・好き、嫌い・快、不快)」


 「理性」とは相互の共通言語の意味を与えられた「客観性のコトバ」だけれども、実際には対峙する相手との関係で、その相互理解の同次元の「意味レベル」が踏まえられていない「主観的」な場合が多い。


 「相手のコトバ」と「自分のコトバ」の「意味」が甚だ異なっているか、微妙に異なっている。あるいは180度、逆、と言う場合もある。自分自身を二重化し、自分(コトバ)と相手(コトバ)との比較で、その「差異、区別性」を踏まえる必要がある・・・自分も相手もドウイウ意味で言ってんだろう、って。


 「心理分析」・・・現実には、この双方の「複雑に入り混じったモノ」を「基礎」に、自分自身の「コトバ」や「行動」を「テコ」として相手や状況に対応する、と言うことだ。しかも、問題は自分自身の相手に対する「主観的な判断=思い込み」で・・・


 そして「心理分析」と、「行動分析」は「区別性」が必要である。


 けれども、現実的には相手がドンナに「理性的なコトバ・紳士、淑女的な行為」を見せようとも、ほとんどが自分の「感情心理(スキ・キライ)=快・不快」を軸にして対応してしまう。本質的には人間は「感情」の「好き、嫌い」でほとんど動いている、らしい・・・


 だから「自分自身の好き、嫌い」の「基準」が「何」であるかを先ずは「ハッキリ」させる必要があるだろう、ナッ。


 自分自身の「損得勘定」と考えればイイ。この「損得」には「感情」としての「好き、嫌い・快、不快」も含むものとして。気分が良くなれば「得」、気分が悪くなれば「損」・・・


 「モノ」としての「プレゼント」には誰でも「ワルイ気」はしないだろう。クリスマスプレゼントでも、バレンタインのチョコレートでも・・・?・・・モチロン、心のこもった・・・「ただのモノほど怖い」って、欲しくない人も世の中にはいるらしいけれどネッ。「コトバ」としての「プレゼント」は、その「意味理解」に於いて自分自身にとって「最上」でもあり「最悪」でもある場合があるのは当然である。


 とにかく、「自分」と「相手」との「価値基準(理性・感情)」の違いの「区別性」を踏まえて、相手に対する「対応方法(目的)」とするに違い無い。


 意識的な「目的設定」には「協力・妥協・拒否・無視」等があるとは思うけれど、「結果としての目的成就のレベル」は・・・「?」である、カナッ、明日のコトはワカランのさっ・・・いずれにしても「ソレでヨシ」、と言う「自分自身の居直り」と、相手にも自分にも「優しさ」があれば、人間、強くなるカモ・・・ネッ。


 「タロットカード」では、以下のモノになるんだけれど、ナッ。


 2007年01月12日22:13

 200日目・・・「価値観」について・・・

 連続的とは言えない欠航した日もあるけれど、200日も「文字霊日記」をカキ続けている自分自身、暇だったんだろうな・・・


 「価値観」とはナンだろう・・・一般的には「あるヒト」にとって、「あるモノ」に対する「使用・効用・有用・利用」としての「考え方」であろう。


 「使用価値」は「道具(手段・梃子)としてのモノ」に対する便利さ、機能性、有効性としての是非の評価、考え方である。平たく言えば「あるヒト」にとってその「ある道具」が「役にたつ」か、「役にたたない」か、あるいはどの程度「役にたつのか」の評価、考え方である。だから個々人の「あるモノ」に対する「価値評価」は様々である。で、「価値観」として、


 「宇宙観」、宇宙のあり方

 「世界観」、世界をあり方

 「人生観」、人生の生き方

 「家庭観」、家族のあり方

 「恋愛観」、男女の関係のあり方

 「結婚観」、結婚生活のあり方

 「女性観」、女性のあり方

 「男性観」、男性のあり方

 「歴史観」、事件、出来事の視方

 「科学観」、物質、生物のあり方

 「宗教観」、神、天使、悪魔、霊魂など

 「表現・芸術観」、美醜、調和など

 「教育観」、子供の養育、養育の仕方

 「医学観」、病気と治療のあり方


 など等を「どのように考えるか」の

 「個々人の観方」が沢山ある。

 つまるところ

 スベテが現在的に生きている状況、環境の中で

 「個々人の生活観=衣食住」に関連しているモノである。

 モウ少し言えば

 「あるヒトの使用価値」としての

 「対象」に対する状況、環境の中での

 「モノの評価の観方」である。

 観方、考え方の

 「価値の是非、評価の是非」の

 「基準」は

 「個々人の使用価値」となる。

 個々人の「使用価値」とは

 「損得の考え方」である。


 あらゆる「固まったモノの観方・考え方」とは

 「信条・思想」である。


 ・・・と言うことは、「あるヒト」個々人にとって

 モノもヒトも

 「使用価値の損得勘定」としての

 「対象」、と言うことか・・・

 悲しいカナ・・・で、これは「理屈」であって

 モノ、ヒトに対する

 「情緒・感情」を考慮には入れていないのだが

 現実的には

 「情緒・感情」の

 「喜怒哀楽」、「快=不快」も

 この「使用価値」には組み込まれている。

 だから「損得感情」も

 バロメターとしての目盛りの位置も含まれているのだ。

 価値があってよかった時は心は「喜楽」

 価値が無かった時には「怒哀」するのである。


 「社会(人間共同体の諸関係)に対する価値観」は一般的に「思想=社会思想」と言われているが、人間の対象であるあらゆるモノは「価値観」として「思惟・認識・判断」とされるモノなのである。そして、この「社会(人間共同体の諸関係)」の今現在、最上とされているもの、「社会思想=人間共同体の諸関係の考え方」が取り敢えずは「民主主義(民主主義思想)」がイイ、と考えているのに過ぎない。


 なぜ、今現在「民主主義」がイイのか・・・?・・・「民主主義」としての「使用価値」はナンなのか?・・・社会的個々人がその諸関係で「対等・公平」として「利害関係が一致」する・・・からなのかな・・・「対等・公平」の「基準」となるモノはナンダロウ?・・・「生活環境・生活状況=衣食住=生活手段」としての「使用価値」である。


 で、この「政治思想」である「民主主義」はどのように護られるのか?・・・「衣食住」の「対等・公平」レベル堅持の「社会制度=社会システム=法律」である。この「社会システム」は可能だろうか?・・・今現在、殆どの「産業先進国」では「民主主義制度・民主主義体制」と言う「法治国家」と言われている。「民主主義システム」と言われているが現実的には、その「衣食住」は「対等・公平」でもない。現在的には「格差社会」は現前とあり、更に極端に両極化に向っている・・・「民主主義の使用価値」として、機能していないし、効用していない。ナゼだろう?


 「民主主義」としての「使用価値観」を個々人が自覚していない、と言うコトらしい。


 「自由主義」と言う「価値観」がある。そして「自由+民主主義」と言う重なったコトバがある。「自由主義」と「民主主義」の「価値観」は同列ではない。「自由主義」とは「市場経済=商売=物流交換」に於ける「価値概念」である。自由にモノを売買でき、自由にモノを蓄積、処分できる、と言う「思想」である。そして、自分自身の「労働力」を売る事も、他人の「労働力」を買う事も「自由」である、と言う「思想=考え方」である・・・売れるヒトもいれば、売れないヒトもいる。買うヒトもいれば、買えないヒトもいる・・・個々人の「使用価値」次第で決定される「枠内の自由」である。


 ・・・そして、この「自由」に交換された「使用価値物」は「財貨価値物」として、結果、形を変えた「交換手段」として「蓄積」されたのである・・・「金の蓄積」・・・

 そして「資本=余剰財産」と、なった。


 文明社会、共同体と他の共同体、農村と都市の「分業」として、その双方を媒介する「流通市場」があれば「商業資本」はどの時代にも決済手段として、交換手段として「貨幣=金」として、「財産」として「商才のある個人」に偏って「蓄積・管理」されたのだ。


 だが、「流通市場外」で「蓄積された財貨」がある。この「財貨・資本」はどうして蓄積されたモノなのだろう・・・暴力、武力で威嚇、恐喝、そして強奪されたモノである・・・強奪された財貨は、強奪した財貨の蓄積となる。そして、「国家(君主・王)」は「自然、土地から生活手段」を得ていた農民から「剰余生産物」として「強制強奪」し、管理、分配した・・・「税金」である。そして、「国家の権力者」、あるいは「徒党集団」として、その配下の人々を組織化し、「他の国家」や、「他の共同体」と武力衝突(戦争)するコトで・・・領土を確保し、人々を捕虜とし、それらを国家の財貨=富として「蓄積・管理・使用・分配」する「権利、権力」を確保したのだ。


 「余剰財貨」はどの時代でも「資本」である。


 そして、「商業資本」、「産業資本」、「金融資本」を莫大な「私有財産」を握ったものがあらゆるヒトとモノの「自由」を得るのである。これが「自由主義」である。


 「みんなの民主主義」は「みんなの自由主義」ではない。それらの「主義=思想」は異なるのデアル。「自由主義経済市場」の「大枠」には「個々人の民主主義」は存在し得ないのだ。


 どのような「制度」も、人々の「組織」として、階級、階層、序列化して組織化されるのだ。


 共同体であろうが、国家であろうが、その枠内の団体、会社、企業、家族であろうが、「軍隊」であろうが、「組織」は目的性(使用価値)を持った時代的状況に即した「分業、協業、連携」集団である。


 「民主主義」としての「組織共同体」の可能性は「商品流通市場」の「管理」、「資本の分配」の「管理」であるが・・・「近代化=産業化・技術革新化」が「民主主義」を保障するモノではない。


 そして、産業資本時代に登場して来た「労働階級」が「民主主義」を保障するものではない・・・「近代産業国家」に於いて「労働階級」は「資本階級」と「対」で登場して来たのだ。


 「民主主義」とは「近代技術産業」が生み出したモノ(文明機器)を「文化的に大衆、大量消費」することで保障されるモノではない・・・


 では「民主主義」とはナニによって保障されるのか・・・みんな「バカ」になればイイのである・・・「バカ正直」・・・に・・・


 「殺さない」、「盗まない」、「嘘つかない」、「差別しない」・・・生きているスベテの人間を「洗脳」するんだ・・・ムリかな・・・


 コメント

 退会したユーザー2007年01月13日 23:14

 そうあってほしいよね。みんな腹割って話す事が出来たらいいのにな、と多々思います。

 ナマケモノの生活見たときに合理的平和を感じました。

群れで移動するんだけど、違う家族と食べる木の種類がかぶらないんだって。感心。


 2007年01月14日01:39

 201 日目・・・続「価値観」について・・・「価値観」とはナンだろうと昨日、考え、書いたが・・・”一般的には「あるヒト」にとって、「あるモノ」に対する「使用・効用・有用・利用」としての「考え方」であろう。”、と・・・。

 ・・・あんまりにも人々は「神」、あるいは「神々」、そして「仏」、「天使」や「悪魔」、「天国」、「地獄」をその「使用価値のあるモノ」として利用して来た。


 そして、本当に「利用価値」として「使用」したのは諸々の歴史上に記録され登場して来た「指導者=命令者=権力者=支配者」であった。この「指導者」本人が意識的にか、無意識的にか、「集団」を引っ張っていくには都合のイイモノであったのだ。集団の「指導者」のみならず、追従したすべての人間が自分自身が仕出かした「出来事の責任」を転嫁できるモノとして、「神・神々・仏・天使・悪魔」を発見したと言うよりも「発明」したのだろう・・・「蘇えり」も、「千年王国」も、「輪廻・転生」も悪くは無いのだけれども、これらの「使用価値のある発明」の源泉、根源は「生きているコト自体」と言うことだ。「生きている今現在の生命=生活活動」の諸状況が、その「使用価値観」を必要としたモノ、必要とされているモノ、なのだ。


 アンタやオレが、生まれてきて、今現在、「死」をどのようなモノか、と考えているのは「他人の死」や、あるいはペットの死を現前に経験して、あるいは本や、新聞、TV、ラジオの間接的な情報からかも知れない。


 人間は「自分自身の死自体」の経験からは

 絶対的に「死」を経験できないし、知ることが出来ない存在なのだ。


 アンタの知っている「死」とは、「他者の死」である。自分と同じように、肉体として息をして笑ったり、怒ったり、涙を流して悲しんだり、苦しんでいたり、呻いたり、痛がっていたり、お喋りしていたり、勉強したり、ケンカしたり、仲良くしたり、イジメたり、イジメラレたり、考え込んでいたり、寝たり、起きたり、歩いていたり、走ったり、食べたり、トイレに行ったり、活動していた、動いて存在していたあらゆるモノが、そのスベテの「ウゴキ」を止めてしまう「存在」になってしまうのだ。


 「死」とはアンタ自身の「死の経験」ではない。「他者の死」である。


 そして、「死後の世界」をどのように考えるかは、アンタの勝手だけれど、ネッ・・・「死」に対してイロンなコトを考えて、結果、「自殺で死ぬ」のも、生きるのもアンタの勝手だ・・・「死後の世界」は、その「死後の世界」で考えたほうが現実的だ。「生きている間」は「生きている自分自身の使用価値」を考えればイイ・・・「生きて己の死の使用価値」を考えても悪くはないケドねッ。現実の世界や、世間、他人、そして自分自身のコトに関して「知る時間帯」は「死の寸前」までがリミットだから。それまで「自殺の使用価値観」をどおしようが、アンタやオレの自由である。


 かての歴史上に存在した「奴隷」や戦争で負けた「捕虜」には自分自身が自分で決定できる「生死の自由」はなかった。「生殺与奪の権利」は他人の手中にあった。「家畜」にはモチロン、「生死の自由」はない。「ペット(愛玩動物)」にも同様に無い。


 キリスト教が「彷徨える子羊達」と、例えている人間に「自殺を禁止」しているのはナゼだろう?・・・「自殺」を敢えて「禁止」と言うことは、人間だけが意識的に死を実現できる存在だからだ・・・「自殺」されて困るのは「神」ではない・・・「自殺」されて「使用価値」として「損」するのも、「得」するのも「神」ではない・・・「自殺者」に関係する生き残っているヒト達の「価値」、あるいは「価値観」である。迷惑するヒトもいれば、喜ぶヒトもいる。


 今現在、自分自身の「生きているコトの使用価値」は自分自身で決めるのだから。


 「武士」に「切腹するな」と言えないのはナゼだ?・・・彼等には「切腹の理由」があった。「心中天の網島」の男女には「心中の理由」があった・・・「生きている使用価値」、「使用価値観」の問題である・・・ダレがこれを「美意識」なんかに祭り上げてしまったんだろう・・・


 子供達に「自殺するな」と言うなかれ・・・苦悩している人々に「自殺するな」と言うなかれ・・・

 「命の使用価値」、「命の使用価値観」を問え・・・


 2007年01月15日17:07

 202日目・・・最近の「TV番組」・・・なんか「二十一世紀」なのに・・・「北朝鮮」の国内事情が「コオリ」と呼ばれる「覚醒剤の蔓延」とか、「偽ドル・偽日本円札の国内流通」とか、「インド」では「ネパール」から人身売買や、ダマサれて連れて来られた「少女達」が売春窟で売春婦になって一日中「50人~100人」もの客を取らされているとか・・・フランスでは「ホームレス」が蔓延して、市民団体がテントを「400」もセーヌー川沿いに張って、「ホームレス」を救援している、とか・・・「貧困家族、40人」もの人々が空き家の高級マンションを無断占拠して生活しているとか・・・家賃が支払えず追い出されようとしている失業中の「若い美人女性」が炊き出しのスープをすすっている場面とか・・・ドイツではロシアからの石油がストップし、廃止することになっている「原子力発電」を見直そう、とか・・・「戦争」なんか、ズゥ~ットムカシの御伽噺か、ハリゥッド映画のスク-リン上のつくりごとのように思ぇるのに・・・イラクでは同胞同士が殺し合いで、3000人以上もアメリカ兵が戦死しているのに、ブッシュは更に20000人規模の増員派兵・・・アベはヨーロッパで、自分の主張が首脳達に同意、合意された、とか。あの程度の合意ならば既に確認済みだろう。そしてフィリピンでの会談・・・「怪談」じゃないよな、「日沖韓」の共同宣言・・・ヤマタクが「ヨロコビ組」から招待されて、同僚議員にはたいした「セイカ」はなかった、って、電話口で囁いた、とか・・・「性禍」じゃないよなッ・・・

 ・・・先週土曜日(07・1・1)、かっての「ソ連軍・アフガン侵攻の真実」とかでは「クレムリンの権力者」のチョットした判断で手のつけられないような内戦状態に・・・それにつけ込んだアメリカのあのピーナッツ農園経営者だったカーター大統領が「携帯用スティンガーミサイル」を「反政府」に無償援助したとか・・・あのピィーナッオヤジ、「ノーベル平和賞」を貰った奴だった。日本の総理大臣の「エイチャン」も「非核三原則」で貰っていたョ、ナッ・・・イイコト言う奴、イチバンのウソツキ。TV出演のタレント学者や評論家の政治家に対する「評価基準」は、イチバン旨く人々に嘘が付ける奴らしい。恐ろしいのは政治家も政府官僚も「スキャンダル」が発覚してもアイマイに居直って、法律的にも「道義的」にも責任を取らないし、時間がたてば騒いでいた人間も忘れてしまうらしい・・・


 ・・・「ダーゥインが来る」では動物達の「弱肉強食の場面」ばかりだし、「プラネット・アース」でも「残虐場面」がワンサカ・・・死活の厳しい生態系の動物の生き様は、事実、そのとおりだとは思うけれど・・・「人間」だったら、ドウしたい?


 2007年01月16日22:33

 203日目・・・今日、百円ショップに行って来た。そして、ブラブラと店内を散策して、ペンキ、封筒、造花の赤と黄のバラ二本、レンジOKのプラスチックの弁当箱、津軽三味線のCD、肩こり解消のポイントマッサージャー、イボイボ付きの足裏刺激のスリッパ・・・百円ショップなのにスリッパが「200円」って?・・・書籍コーナーで発見したモノが「あなたがつづる・ポケット版・自分史」・・・パラパラとめくってみて、面白いとこの「『わたし』の人生史」も買ってきた。この書籍は「編集・株・大創出版・発行・株・大創産業」となっていた。

 ボクが「ブログ」や「ミキシイ」、あるいは「ホームページ」に記録して来たことは、「自分自身の考えてきたことの自分自身の再確認」、「他人に読んで貰うコト」、あるいは「自分自身の関係して来た周囲のヒトに読んでもらいたいな、との願望」などが入り混じっているのだが、取り立ててコレ、と言った明確な「目的」等があって記録して来たワケではない。


 タブン、ウソもホントも、そして妄想ワンサカの自分自身の自分との「あそび・アソビ」とでも言っておけばイイかな。なんせ、他人とのコミュニケーションなどは眼中にないし、ボクの記録にコメントなんかを深く追求してくれたヒトなんかは未だにいないみたい・・・だから。タブン、「理解」される以前的な言語と文章なんだろう・・・タロットで言えば、破壊され崩壊された「タワー(塔)」なんだろ、と、自分自身に愚痴る対象物・・・


 で、ボクが記録して来たモノは、この手にした「百円・自分史・一章・4、何を書けばよいのか?」の中に記されている「枠組み」からはかなり逸脱するだろう、ナッ。でもこの本の発想はブログを書いている人達には参考になるんではないかな?・・・その是非はとにかく、百円以上の価値はある、と思うけれど・・・

 買い物散策ってタノシイッ・・・けど、ツカレた・・・


 204日目・・・雨がちょぼちょぼなのに、アサから拾ってきた材木でアアでもない、コウでもない、と狭い部屋で本棚をズゥ~ッと造っていた。ペンキを塗って、机の上に置いてみたけれど、不安定・・・インターネットを始めた時、コリャァ、もう本なんて買う必要がないかも、なって、思ったんだけれど・・・

 お仕事サボッテ19時に出勤・・・メールボックスにオフクロからの手紙と写真が入っていた・・・オフクロと一緒に写っている・・・キミ、ヤセタねっ・・・苦労かけて・・・コトバもでないけれど、ありがとう・・・


 2007年01月19日15:44

 205日目・・・今日はトビラに長方形のアナを開けてガラスをはめ込もうと思ったんだけれど、拾ってきたガラス、ガラス切りで切ろうと思って、線刻して、半分にパッキッと割ろうとしたけれど・・・少しシナるだけで強化ガラスなのか、無理。知っている人がカナヅチで叩けば綺麗に割れるさ、と言われて、かなり強く叩いてみたけれど、ダメ。サラに叩いてみたら・・・

 ダイヤモンドのようにパシンと粉々に砕けた・・・手に取ってその輝きをしばらく見つめていた・・・安全対策を施したガラス・・・昨夜のTVニュースで寒波のロスアンゼルスで雹が降ったとのこと・・・レポーターもその大きなダイヤモンドを手の平にのせていた・・・ドイツでは桜が、ロシアでは河が凍らずに洪水・・・とか・・・


 コメント

 sachio43

 2007年01月27日 20:02

 強化ガラスは一般のガラスと違ってきることができません。自動車のフロントガラスもそうですが、一部を書くと全体が崩れます。

 職場が三鷹易の近くなので、よく駅の横の玉川上水に昼休みに行きますが、梅が狂い咲きしていますよ。


 2007年01月21日20:19

 206日目・・・「明日なろうの木」って、あるらしいけれど、「今日なろうの木」とか、「今なろうの木」って無いんだろうかな・・・?・・・1970年~1975年~1977年~1982年~1985年~1986年(パソコン購入)~1996年12月9日(命)~2001年(ホームページ公開)~2007年・・・にもなってしまった・・・アスなろう、アスナロウって・・・まだ「丙戌年」で、壱月弐拾壱日・・・「光陰矢のごとし」だけれど、まだ不思議にも生きているって言うか、生かされている。


 「日本人の傾向」・・・「疑いと判断力の欠如」・・・諸外国に比べて「読み・書き・ソロバン」の世界的レベルで考えても中卒であっても、高卒であっても、大卒であっても、新聞を読め、英語を理解し、かなりの「知的な教養人」であるはずなのに「納豆ダイエット事件」にコロッと「情報操作」されてしまうレベルの日本人、過去に於いても「ココア」、「バナナ」等が市場で品薄となってしまった事件があった。


 戦前では「大本営発表」とか、戦後では「トイレットペーパー事件」とかで「国家権力」に騙されていたとか、「巷の風聞」でトイレットペーパー買占めに奔走したとか・・・「日本人の正体」とは、これだよなッ。しかも後から泣き言を愚痴る人種の集団・・・


 日本人の思想・・・「グチ(愚痴)リズム」ってコトバのレッテルを貼ってやろうッ・・・


 ・・・例の「古本屋」で「漢字文明にひそむ中華思想の呪縛・黄文雄著作・株集英社・2001年発行」を買ってヨンだ・・・漢字に関する考え方は人それぞれだけれど、「台湾虐殺・二・二十八事件」を経験した著者ならでは、の立場で、興味深い・・・


 コメント

 sachio43

 2007年01月27日20:10

 日本人は四季の明確な国に住み農耕民ですから、隣と同じに種をまき、稲を刈らないと生きてゆけません。(周囲と歩調を合わす民族)

 狩猟民は隣の人が右に行けば、自分は別の獲物を追って左に行く必要があります。(周囲に歩調を合わせない民族)

 日本船は皆が集団で極端に左右に偏って倒れそうになると復元する特徴があります。


 2007年01月23日16:40

 207日目・・・「裏金をじゃぶじゃぶ使った加納元検事長への告発」・・・今日(2007年一月二十三日)、「日刊スポーツ」の「大谷」氏のコラム記事(大谷昭宏フラッシュアップ)を読んだのだが・・・腐敗し切った「検察組織」、そして、この「加納駿亮」なる人物が、この記事内容の人間なら「法治国家・日本」の政治状況は、今更言うまでも無いが、「末期ガン」そのものである・・・以下、興味があるなら参考の箇所へ・・・リンク・・・

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 http://www012.upp.so-net.ne.jp/uragane/jiken3.htm


 加納駿亮という私の先輩にあたる、検事がいました。 仕事ができると、評価が高い人でした。 戦後最大の経済事件、イトマン事件を手がけた人でもありました。 私が大阪高検刑事部の時、京都で医学部を舞台にした贈収賄の疑惑が発覚。

 http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/914.html

 被告人が裏金問題および加納駿亮検察官等の告訴に関わった経緯(平成13年末まで)について(1)被告人が調活費問題の公表を ... しかしその後、被告人が大阪高検検事在任中、当時大阪高検次席検事であった加納駿亮検事が直接指揮をとり、京都地検が担当

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 東京新聞


 検察の裏金づくり認定

 大阪高裁 判決は再び実刑


 捜査情報を漏らす見返りに元暴力団組員から接待を受けたなどとして収賄など五つの罪に問われた元大阪高検公安部長三井環被告(62)=懲戒免職=の控訴審判決で、大阪高裁は十五日、懲役一年八月、追徴金約二十二万円とした一審判決を支持、被告の控訴を棄却した。若原正樹裁判長は検察庁の調査活動費について「被告が直接体験した限度では、不正流用の事実があったと言わざるを得ない」として、検察による裏金づくりがあったと指摘。疑惑を否定してきた法務・検察当局にとって厳しい判断を示した。


 三井被告は判決に不満を示し、言い渡しの途中で申し出て退廷した。同日、上告の手続きをとった。


 被告は「事件はでっち上げ」と、一貫して無罪を主張。裏金づくりを告発しようとした発言を封じるための違法捜査だと公訴権乱用を訴えた。


 判決は「検察当局が被告による調活費問題の公表を憂慮していたと推認できる」と述べたが「逮捕の理由と必要性が認められる限り、粛々と捜査を進めるほかに取る道はない」として、被告の主張を退けた。その上で、調活費について、不正流用を告発する文書が出回った一九九九年以降大幅に減額していることから「本来的必要性には疑問が生じる」と言及し、不正流用があったと認定。“口封じ”の主張に対しては「逮捕・起訴したからといって、不正流用の事実を公表する機会を永遠に奪い去るわけではない」と判断した。

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 朝日新聞

 元大阪高検公安部長、二審も実刑 大阪高裁判決

 2007年01月15日

 捜査情報を得ようとした元暴力団組員から飲食や女性の接待を受けたなどとして、収賄や公務員職権乱用などの罪に問われた元大阪高検公安部長三井環(たまき)被告(62)の控訴審判決が15日、大阪高裁であった。若原正樹裁判長は「被告には検察官の職務に関連した接待だという認識があった」と判断。懲役1年8カ月、追徴金約22万円(求刑懲役3年、追徴金約28万円)とした一審・大阪地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。被告側は即日上告した。


大阪高裁に入る三井環被告=15日午前10時9分、大阪市北区で


 三井被告は「検察の調査活動費(調活費)の流用疑惑を公表しようとしたことへの口封じのための逮捕、起訴だった」と無罪を主張していた。


 若原裁判長は、被告が高知、高松両地検で次席検事だった頃に直接体験した限度で、調活費の不正流用があったと認定。「被告が調活費の実態を生々しく語ることで、検察庁が威信を失墜させることになりかねないと憂慮していたと推認されるが、犯罪の嫌疑があれば粛々と捜査を進めるほかない」と述べた。


 一方で、検察庁幹部の私的な飲食費や遊興費などに調活費が流用されたとする疑惑が表面化した99年度以降、調活費が大幅に減額していることを挙げ、「調活費の本来の目的、必要性には疑問が生じる」と指摘した。


 判決によると、三井被告は01年6~7月、検察官の職務に関連していると認識しながら、元暴力団組員(44)=贈賄罪で懲役5カ月の実刑確定=から大阪、神戸両市内のクラブやホテルなどで5回にわたり、計約22万円相当の飲食などの接待を受けたほか、元組員から頼まれ、別の組員の前科調書を部下に命じて入手するなどした。

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 京都新聞

「加納氏は説明責任を」


裏金問題に関連し大阪府議会特別委


 大阪府裏金問題に関連して府議会特別委員会が22日午後開かれ、検察庁の調査活動費(調活費)の流用を取りざたされた元福岡高検検事長の加納駿亮弁護士(64)が府の裏金問題調査委員に就任したことについて、加納氏がなんらかの説明責任を果たすよう知事が促すべきだという指摘があった。


 これに対し府は「加納氏の調活費流用問題は、過去に国が国会答弁で(問題ないとの)見解を明らかにしており必要はない」と拒否した。


 また、顧問弁護士を務める加納氏を外部調査委員にしたことについて府は「配慮が足りなかった」と謝罪したが、「調査の信頼を損ねるものではない」として、委員を続けてもらう考えを示した。


 これまで加納氏はコメントをしていない。


 収賄罪などに問われた元高検部長に対する15日の大阪高裁判決は、検察庁の調活費の不正流用を認定した。(共同通信)

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 以下、検察裏金疑惑関連記事・・・リンクへ

 http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/info/02/020603.html

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 「裁判官の判断」と、各新聞の記事の「論調」と「関連記事」をヨクヨク読んで貰いたい。


 最近、二年九ヶ月も刑務所に服役した「冤罪・無罪」の人がいた・・・


 2007年01月29日16:27

 208日目・・・書き込みサボッテしまった・・・「綾小路マリ」さんからハッパをかけられて・・・書かなくちゃぁ、って・・・世界情勢、巷、世間のニュース、「非人間的」なのか、「人間的」だから起っちゃうのか・・・暗いモノばかり・・・先週の「週刊ポスト」の表紙タイトルは「拝金内閣・安倍」、「選挙で丸儲け・渡辺喜美」、「疑惑のゼネコン集金団体・久間章生」・・・イラク帰還自衛隊員の自殺連鎖(陸上自衛隊員六人・航空自衛隊員一人)・・・ミルキー・ペコちゃんの「不二家」・・・笑えるのは「X一(バツイチ)」のマンガ・・・

 「週刊現代」の目次には、マサカとは思うけれど「横綱の八百長」、「警察による違法個人情報の収集」、「バラバラ殺人事件の妻」、「本当にかかる教育費」・・・救われるのは「円空の十一面観音像」の写真・・・


 昨夜のTV番組・・・世界のニュースNHKでは国連の北朝鮮援助金の不正流用・・・当然だよ・・・フゥ~ンって視たのは、333X333=???のインド人の暗記能力教育、さすが「0」を発明したインド人・・・笑えたのはリーゼントアタマの歌手「高橋」なんとかと、彼の妻になった「三船敏郎の娘」との会話・・・「堂元兄弟」のTV番組だった・・・

 ・・・それでも、「現状の日本国」は「平和」・・・でアルらしい・・・


 209日目・・・どうしたモノやら・・・プラスチックのケースは壊してしまうし、手の甲には血が滲みだすし、目はショボショボになるし、タバコは不味いし、喉は痛いし、太陽はジィ~ッと視ていると動き出すし・・・太陽・・・?・・・オオソレ、ミヨ・・・お怖れ、視よ、なんだ。

 2007年01月31日19:33

 210日目・・・瞑想・・・冥想・・・迷走・・・謎想・・・音声でも記録文でも「コトバ」って、本当に厄介で、「神」も「悪魔」も宿っている。特に記録されたモノはまさに「文明・分名」、「文化・分化」での多くの人々に共通理解された「コトバの意味」をハッキリさせ、使用しナクチャァねッ・・・

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 ・・・???・・・

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 追加添文

 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」



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