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2007年03月01日~3月30日・・・アノころ・・・

2022/9/15・木曜日・・・追加添文・・・

・・・クタバレ、「腐汚塵」・・・

「ウクライナ、ロシア占領地解放勝利」・・・

PUの地球放射能汚汚染&漠化・・・

阻止できるか・・・

ナニが

「上海(申)協力機構」・・・上海(申)協力機構 (SCO)

(中華人民共和国

 ロシア

 カザフスタン

 キルギス

 タジキスタン

 ウズベキスタン

 インド・パキスタン

 の8か国による多国間協力組織

 中華人民共和国の上海で設立

 本部(事務局)は北京)

の首脳会議なんだか・・・

 中央アジアの

 ウズベキ-スタン(月即別)・・・-stan=国

 ウズベク人の自称民族名

 ウズベク人の「主君」

 オズベク  ・ハン

「 Oʻzbek(ウズベク)」・・・渦邊句?・・・鳴門のウズ(烏頭)?

     烏頭部句?

 サマルカンド(沙摩魯格土=颯秣建)で開催・・・


2007年03月01日18:54

 237日目・・・昨日は「百円ショップ」にまた行ってきた。別の階で「CD」を買った「内山田ヒロシとクールファイブ」の「東京砂漠」を聴きたくなったのだ。「東京サバク」、「日本サバク」・・・なんか、希望を与えてくれる「ウタ」だけれど・・・ムナシイモノがこみ上げてくる・・・「サバク」は「裁くヒト」に重なっているからなんだろって・・・一体、「裁判屋」は何をサバクツモリなのか・・・一体、「弁護屋」は何をベンゴするって言うんだ・・・  「他人の問題」を「自分自身の問題」として捉えるコトができるヒトは「エライ」な、って・・・みんな「世界」で起っている問題はアンタ自身や、オレ自身の問題だって、考え、思いをハセれるヒト・・・  ・・・ソレだけジャァ、ダメなんだッ・・・

momo

2007年03月04日 00:00東京砂漠が100円ショップで売ってるんですネ!

クールファイブの歌だったんだ!!


歳を重ねる度に、世界で起こっている事への興味は薄れてきてて、自分自身の生活に追われてイッパイッパイな私ですが、

若い頃のあの正義感はどこへ・・・な私です。^^


2007年03月02日16:101

 238日目・・・祈るより他は無い時もある・・・ダレに・・・自分自身を「イカサシメテ」いる・・・ナニモノかに・・・自分自身であると同時に他者であるナニモノかに・・・  「現実」が自分自身に「理不尽」である、と思うならばならば、その「理不尽の基準」は何か・・・自分自身にも他の人々にも「理不尽」であるならば、そして、その「理不尽」から逃れられない現実があるとするならば、人々は「現実に期待」するのではなく、観念の内部の「幻想」に逃げ込むよりは他に方法がない、と考えるのに違いない。  「人間」に与えられた唯一の「自由の領域」は「幻想領域」であるから。  キミもアンタも、オレも呼吸さえ出来れば、肉体さえ機能していれば、「自由の観念領域」で生きて行くコトができる。


2007年03月03日23:16

 239日目・・・ボクにとっては毎日が「不思議発見」なのに・・・  不思議なコト・・・見えること  不思議なコト・・・聴こえること  不思議なコト・・・肌で感じるコト  フシギナこと・・・臭うこと  ふしぎなこと・・・腹が減るコト  ふしぎなこと・・・タバコを喫いたくなること  ふしぎなこと・・・ねむたくなること  ふしぎなころ・・・美味しいコト  ふしぎなこと・・・悲しくてやりきれないコト  ふしぎなこと・・・時たま涙が出ること  Mysterious・・・生きていること  不思議で無いコト・・・???  自然なコト・・・・不思議・・・  自然は不思議だ、と考えている事・・・  たくさん、たくさん、不思議なコトばかり・・・  ・・・バカリ、だけれど・・・


2007年03月04日 14:21不思議か~ 不思議な人と良く言われる私はどうなんでしょう? それが私の不思議だ。

コメント

2007年03月04日 18:52

自分自身の存在が「不思議」で無いと考えているヒトは

「普通のヒト」なんだ、ョ・・・

そして「普通のヒト」も、ある時「フシギナヒト」になるに違いないンだ・・・

2007年03月04日 22:08

そうだね。自分自身一定ではないし時間によって変化するものだ。 この数分後、何が起きるか分からない。明日の事を心配したり、 それは迷惑な話で、一日寝るまでをいかにやり過ごすか。 太陽が昇って一日が始まるように。 自分自身で太陽を昇らせる事はできないもの。 コアな部分は変わらないから生きて行けるのね。

 2007年03月04日18:47

 240日目・・・モモの節句も過ぎたけれど、「節句」は陰暦の「正月七日(人日)」、「三月三日(上巳)」、「五月五日(端午)」、「七月七日(七夕)」、「九月九日(重陽)」のスベテは「女の子の健康維持、厄病、災厄払い」の「重日の祭日」だった。端午の節句は「男の子」のモノでは無かったのサッ・・・「吉・凶」・・・古代中国人は「吉凶」の漢字の意味を農作物の「吉=豊作」か、「凶=兇=飢饉」と考えていたらしい。ボクが興味を持つのは「凶=兇」の漢字が「凵+メ」=「凵+メ+儿」の部分から造られ、「メ」があるからだ。漢字の「メ」は「五=X」の古字であるらしい。ローマ数字の「X」が「十」で、「V」が「五」であるが、「X」は「V」と「Vの逆字」の「Λ」か、あるいはギリシャ語の組み合わせの「X=V(ν・N・ニ)+Λ(λ・ラムダ)」である。  とにかく、漢字の「凶」の「メ」は「五」であり、ボクの漢和辞典では発見出来なかった「午+吾(違う。たがう)」か、類字の「牾(悟る・さとる)」で「空・からっぽ」の意味であるらしい。  「メ」が「空(クウ・そら)」であるとは「奇怪千万(萬)」である。「Ⅿ(1000・壱千)」で、「ↂ=Ο(オミクロン)+φ(フィ)=㊥・10000・壱萬」ではあるな・・・「ↂ(オのフィ)=㊥(ワのナカ)」?・・・「1000」はギリシャ語で数詞の文字と発音は  「Χιλιοι(ヒリィ・男性)」  「ΧιλιεS(ヒリエス・女性)」  「Χιλα(ヒリア・中性)」  であり

 「10000」は、  「δεκα ΧιλιαδεS(デカ ヒリアデス)」  である。「δεκα=10」だが、日本語で「デカイ」は「大きい」と言うことだ。「刑事」と言うスラング(俗語)の意味も・・・「X」は「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」の「Xι(ヒ)」と発音するなら、「日(ひ)」であるカモ。とするならば「凶」の「凵(カン・コン・かんにょう・かんがまえ)=口(クチを張り広げる・函、含む)」の中の「メ」は、「空中の太陽」であるな。古代エジプトでは「空中」にあるものは「眼・目・ウジャト、ホルス(鷹)の眼(ir・iri)」の「太陽(◎・ラー)・月(⌒・☽・☾)」であった。  古代日本も、古代エジプトも、漢字では「太陽・眼・メ・空・食う」と連鎖して行くわけです、ナッ。  「吉凶」の「吉」と「凶」は  吉=士(戉=エツ・鉞・まさかり)+口=豊作・満腹  で、形声文字「戉(エツ)」で、「喫・実」である、と漢和辞典では説明しているが、「エツ」なら「咽・悦・説・曰」の「恵通」だろう・・・  士=十一=五+五+一=V+V(Λ)+Ⅰ=ⅩⅠ  「V」はアルファベットの「第22字」で、サインは「V」の「VICTORY」の象徴文字。「ニホン指のV」。「VICE」は「副次の・次の・代理の」である。「11」は「壱、拾、壱」で、「Ⅰ+Ⅰ」は「Ⅱ=2・弐・次・爾・字」である。  凶=兇=凵(口の中)+メ(空)+儿(人)=飢饉・空腹  「吉」とは食えるコトであり、「凶」とは食えないコトである、ナッ。その「穀物収穫の吉凶」予測の前提である「天候予報」するのは「気象庁」である・・・立春からの「二百十日メ(九月一日頃)」、「二百二十日メ(九月十一日頃)」は台風襲来予測の目安である。  いまや、「嵐を呼ぶ男」の兄貴は落ち目(?)だが「スパルタ教育」の結果は「親子共々の現状」だろう・・・期待したいのはオトコジャァなくて、「アラシを呼ぶオンナ」・・・だけれど、政界与党に属している「保守的女性達」が腐敗している「男社会」を支えているコトも忘れんなッョ、ナッ。  またもや、ヤリキレナイヨウな、同じような「事故」・・・「4日午前8時20分ごろ、滋賀県栗東市手原の県道交差点で、同県豊郷町安食南、トラック運転手戸田翔容疑者(21)運転のワゴン車と、軽乗用車が出合い頭に衝突。ワゴン車は、はずみで交差点を横断していた大津市立志賀中学校の男子バスケットボール部の部員13人の列に突っ込んだ(読売新聞)」  「丁酉日」・・・「天の太陽(X)の位置」に於ける「吉・凶」に関係するや否や・・・?・・・十三人・・・「傷官・沖・三合」・・・


2007年03月05日18:03



 241日目・・・「紫屋歌麻呂」・・・昨夜「NHK」の番組でボストン美術館に寄贈され、保管されていた「喜多川歌麿の浮世絵」を観た・・・ニホン人って、本当に繊細で、美的感覚がスゴイナァ~って・・・  以下、「NHKのHP」から抜粋した紹介記事 ____________  2007年春、世界最大級の浮世絵コレクションの全貌が高精細デジタル画像で公開される。85年前アメリカの大富豪がボストン美術館に寄贈して以来、一度も展示されず封印されてきた6500枚の浮世絵版画。しかも、そのすべてが変色・退色を免れ、江戸時代の色彩を鮮やかにとどめている。  このコレクションの本格的な調査が、昨年から浮世絵の世界的権威を結集した研究チームによって進められてきた。  注目を集めているのは、喜多川歌麿の浮世絵が400枚、完全な形で残されていたことである。驚くべきは、女性の着物に鮮やかな紫色が惜しげもなく使われていたことだった。紫は退色が激しく、歌麿が紫色にこれほどこだわっていたことは、今回初めて明らかになった。  歌麿が生きたのは、老中・松平定信による「寛政の改革」の時代。浮世絵に対する禁令が相次ぐ中、歌麿はそれに反発し、したたかに禁令の下をかいくぐって作品を発表する。  「紫」にこめた歌麿のメッセージとは?厳しい時代を生き抜いたある浮世絵師の姿が浮かび上がる。 ____________  「紫・むらさき・ムラサキ・モヴ(μοβ)・purple(パープル)・violet(ヴァイオレット)」・・・

「権力者の色」も庶民が使い出したら「只のイロ」に染まる・・・でも、「支配階級」って奴はどの時代でも同じだな・・・  「日本人のPOLICY」って、「精密、精巧、緻密」で「安価」なものを皆に使用させるコト・・・「水」も、「空気」も、「食べモノ」も、「着るモノ」も・・・金キラ金の「ホトケさま」よりも「クスんだ黒光のホトケさま」・・・視えない部分に高価な素材・・・「粋狂(いき)」な感覚・・・ブサイクなトコロに繊細、緻密・・・「成り金」には決して判らない部分・・・  「イキな感覚」・・・アンタにもオレにもある・・・んだろうけれど・・・裏を返せば変なトコロに「見得」を張っている。  イキ  ↓  粋  生  活  行  往  壱岐  息  逝  域  閾  遺棄  善  良  好  意気  位記  委棄  伊木  ↓  易気  ↓  異記  ↓  イ→五・亥・藺・意・易・異・胃・以・伊・位・依・偉・囲(圍)・委・威・尉・已・彙・慰・為・畏・移・維・緯・萎・衣・違・遺・医・居・帷・謂・・・・ご飯は「イイ」。  「IのKi」・・・「愛の気」、それとも「私(I)の鍵(key)」、「Eyeのkey」ならば「眼の鍵」で、「カギ」で開けられるモノとは「まぶた・目蓋・瞼」・・・?  キ→喜・鬼・記・紀・木・企・危・機・・・期・・・無限大=∞=8=八=捌・・・  すごいね、こんなに「イ」と発音する漢字、文字を使い分けているなんって・・・「キ」・・・面倒くさいからモウ、ヤメタ・・・

2007年03月06日20:27

 242日目・・・昨夜は南米ボリビア発掘されている「古代文明遺跡」のTV番組を、フゥ~ンッ、てみたけれど・・・インカやナスカとも違う・・・南米古代文明に先行するモノらしいのだ。しかも東北日本の古代縄文土器文明とかさなるらしいのだ。発掘された人物の人骨は背丈が2メートル、額に青銅らしき金属の円盤、耳にイヤリング、首にジャガーの牙のネックレスと翡翠ビーズのネックレス、腕には動物の背骨を加工した腕輪・・・もう一体の人骨は中国東北部や古代日本東北人の骨格に似ているらしい。ボクも行ってみたいけれど・・・飛行船に乗って・・・ __________  おおよそのハナシは・・・  この古代文明がある「ホモス平原」はボリビアの熱帯低地の低地の北側半分のアマゾン川源流地にある。かって無人だった大平原に「古代文明」があったらしい。  「モホス平原」はボリビア・アマゾンの熱帯低地にあり、「モホス」の古代文明は、優れた土木技術で、このアマゾン平原を開拓していたらしいのだ。農業も養殖も・・・  「ロマ」と呼ぶ人工の丘は、洪水に備えた古代人の居住地兼農地だったらしく、これらの「ロマ」は約2万カ所、「テラプレン」と呼ばれている土手らしきモノの総延長は五千キロ以上。運河網は五百キロ、人造湖約二千、養魚場跡五百平方キロ、耕作地跡四万平方が存在しているらしいのだ。  南米アマゾン川源流の「モホス大平原の古代遺跡」・・・  「ロマ(人工の丘)」には大量の土器破片や石器、食用の貝殻などが存在。「土偶」も出土。モホス古代文明の土偶は「縄文遺跡の土偶」と類似しているらしい。もちろん「縄文土器」に類似した土器も出土している。  ボリビアの首都ラパスの「黄金博物館」は「ロゼッタストーン」らしき文字が刻まれたモノもあるらしい。  そして「アンデス先住民」と「日本人」の遺伝子が似ているらしいのだが・・・  江戸時代には菱垣廻船や樽廻船の遭難事故が多発して北方アリューシャンや、南方諸島に漂流した日本人の記録が多数存在している。この江戸時代の船よりも巨大な船を操っていたのが「壬申の乱」前後の「阿倍比羅夫」や「安曇比羅夫」だった・・・中国の隋、唐王朝の戦艦はもっと巨大だったハズだが・・・中国三国時代の「呉王朝の孫権」も・・・行ったんじゃないだろうか、南米へ・・・ ________  ボクは人類の古代文明社会は高々五千年規模のものじゃなくて、万年単位と思うんだけれども・・・それにしても、億年単位の「恐竜の存在」って、陸に生息していたとされるあの「巨大な体格のデカさ」と、「手の小ささ」の理由をもっとハッキリさせて欲しい・・・海の中なら納得できるんだけれど・・・


2007年03月07日21:22

 243日目・・・とりたてて、どおってことのない日常生活での「休日の水曜日」・・・寒いのにはコタエル・・・でも梅の花のジキが終わって、桜の花・・・暖冬は温暖化のせいなんだろうか?・・・ボクの発明した飛行船に乗って取り敢えずは地球の上っ面の変化を覗いて見たい・・・本当に地球って「青色」なの、「緑色」なの、「黄土色」なの・・・世界一周をするんだ、飛行船で・・・世界中のマチを観て、そして古代遺跡を観るんだ・・・人間ってスゴイね・・・エゴイストのカタマリの様に見えたけれど、自然界の命や、人間関係での命をナントカしなくちゃぁって、生きてきてもいるんだから・・・


 2007年03月09日16:22

 244日目・・・昨夜はNHK番組の「またも辞めたか亭主殿~幕末の名奉行小栗上野介」をみた・・・ボクにとって、幕末の「サムライ事情」、「学問事情(西洋知識探求事情)・蘭学者事情」、「町人、商人事情」には「古代史の記録」と重なって興味があるので面白かった・・・咸臨丸・・・横須賀造船所・・・「赤城山山麓の徳川幕府埋蔵金」・・・フランス遣歐使節、西欧派遣留学生・・・幕府留学生のエジプト、スフィンクスを背景にした写真撮影・・・「稲森いずみ」さんが可愛い女房を演じていたけれど、小栗上野介の母親は「中原ひとみ」さん、なの(?)・・・小さい頃に見た映画「姉妹」の「中原ひとみ」さん・・・だよ、なっ?・・・御主人が「江原真二郎」・・・  ・・・調べてみた・・・「またも辞めたか亭主殿~幕末の名奉行小栗上野介」・・・ __________  配役  小栗上野介・・・岸谷五朗      道子・・・稲森いずみ   母・国子・・・中原ひとみ   栗本鋤雲・・・松重  豊   権田村名主   佐藤藤七・・・石橋蓮司   江幡祐蔵・・・堀部圭亮   勝 海舟・・・西村雅彦     民子・・・石田えり   徳川慶喜・・・比留間由哲   板倉勝静・・・黒沼弘己   一色直温・・・江原真二郎   酒井忠惇・・・近藤正臣   水野忠精・・・伊東四朗  原作  大島昌宏  「罪なくして斬らるー小栗上野介ー」  (学陽文庫) __________  昨夜の「またも辞めたか亭主殿~幕末の名奉行小栗上野介」は・・・再放送番組だった・・・このタイトル・・・  ・・・「また、職場替えたのッ」、「また、仕事かえたのッ」、「また、どっかへ行ってしまうのッ」、「また、オカシなことやっているのッ」、「また、なのッ」・・・って、オフクロの声がボクの背中に聞こえてくる・・・全然「小栗上野介」殿と、「辞めた志」がちがぅんだけれど・・・ズゥ~ッと、トラさん以下の風来坊・・・  「中原ひとみ」さんの出演した「姉妹」って、「野添ひとみ」さんも姉役で出ていたんだ・・・1955年の映画・・・ババァになっても可愛いナッ。  「姉妹」を調べてみたら・・・ __________  1955年製作  監督 家城巳代治  出演・・・役名  野添ひとみ(近藤圭子)  中原ひとみ(近藤俊子)  原作  毎日出版文化賞受賞  畔柳二美の小説  圭子と俊子の姉妹の物語  妹、俊子の修学旅行の中止  姉の圭子の嫁ぐ日・・・ _____  ・・・なんとなく、思い出した・・・山の中の合理化、人員整理の発電所を舞台にした「思春期の俊子(としこ)」を中心にした人間模様の物語・・・中原さん、実際は年上だったんだよな、野添さんよりも・・・  ついでに、先先日の「クローズアップ現代」を観たカンソウを書き込んでおこう・・・大阪ホームレスの「生活保護申請書類」を作ってやって、その「生活保護費」の殆どを「ピンハネ」していた連中・・・カシコイ奴らだなッ・・・そしてホームレスを病院に救急車で連れ込んでは入院させ、検査しては「健康保険医療費」を請求しフトコロに入れていた病院経営者、カシコイ・・・タシカに「悪賢い奴等」だけれど・・・取り敢えずは「ホームレスの人々」、少なからず食うため(?)のカネになったし、健康診断と寝れる場所、食えるモノ、オマケにタバコ一箱は支給されていたんだから、ヨカッタ・・・ネッ・・・  「生活保護」、「医療保護」って、「憲法でサイテイ生活を保障」するトコロだろうから・・・サイコウ生活は「お役人」がキッチリと「日本国民の税金」で保障されているし、それ以上のモノを「裏金」や、接待シャブシャブで潤っているみたいだし。「大蔵省(財務省)」、「外務省」、「厚生労働省」、「文部科学省」、昨夜は「国土交通省」の連中は談合で「?」をフトコロに入れているのが発覚したらしいケレド・・・法的な罪に問えるのは一人であるらしい。天下りって、イイシステムだ。  幕末、「武士」が「武士官僚を辞める時の覚悟」は「切腹」だけれど・・・

「ヤクザ官僚」だって、その「覚悟」には・・・イノチをカケているのに・・・

2007年03月13日19:49

 245日目・・・「プラグイン・エラー」って???・・・ボクの「HP」の画面に「プラグイン・エラー」・・・「Frieze」・・・突然寒い日が襲ってくるナンッテ、この世の終りに違いない。どうしてなんだか・・・この三ッ日間・・・「プラグイン(Plug in)」を「プライィング(Plaing? Praing?)」なんて単語のスペルも意味も取り違いて・・・「励む」、「祈る」ジャァないよ、ナッ。それにしても「差し込みエラー・挿入エラー」って、ナンジャイ・・・ボクは確かにオトコだけれども・・・そんなゲスな人間じゃないゾッ。サーチしてもチンプンカンプン・・・「日本語(?)」の説明、わっかりません・・・モチロン、エゲリス語の説明も、メリカン語の説明も・・・ワッッミーン?・・・ドゥュノウ?ィフュゥノウ、プリーズ、テェィチミッ・・・ダメか・・・ダレもたよりにならんって・・・何が文明分化なんだか・・・「μジュック・MUSIC」の貼り付けをプログラムから「カットオフ」したら・・・取り敢えずは画像と文章は出てきたけれど・・・理由がわからんッ。  「ミュジカル」・・・ナルホド、「MUSICAL」のスペルは文字道理の「発音」じゃないヤッ。「ミューシカル(視遊詩歌流)」だョ、なッ。「ミュゥジカル(未喩宇字借)」・・・未だ喩らず、宇(宙)の字を仮に留る・・・ジャァないョなッ・・・巳の佑の字を刈る、だ・・・


 2007年03月14日21:43

 246日目・・・「腎臓を売買する人」・・・「戦争で命を売買する人」・・・みんな、それぞれに両親から貰った「寿命」を自然体でマットウできればイイのに・・・善意でクジラを援けようとしたヒトも命を落とす・・・全然見知らぬヒトから命を奪われるヒトもいる。空き地の中から5000万円もの不明な金が出てくる。「水道の水、一杯」をトンでもない高価なブランディーのような価格、何100万円で飲んだ、と言う「政治屋」もいるらしい。ブッ潰れそうだった某証券会社は「不正が無かった」と、その会社の株価が沸騰している。インフルエンザの予防薬「タミフル」が生長盛りの子供達に怪しい副作用を起こすらしいのに、その製薬会社からかなりの金を貰ってその「クスリの効用」を擁護するヒトもいる。  「疑わしいヒト」とは「灰色」だそうだが、「疑わしいと言う基準が疑わしい」のだろう。「疑わしいヒト」はどうすればイイのか・・・「刑事責任」には確実な「証拠・証人」が必要である。「政治家」とか、「役人」とか、「企業経営者」には「社会的な道義的責任」が必要である。そして、「報道経営者」とその「関係者」達も・・・そして、一般的なボク達庶民も・・・だが、「道義的責任」と言うコトバ自体が「灰色」なのである。  キリスト教(カトリック)信者が多いフィリピンの「腎臓売買市場」・・・「貧しい人々は幸いである」、「天国のトビラは貧しい人々のモノである」・・・違うョなっ・・・「貧しいと思わない人々は幸いである」、「地上の楽園のトビラは貧しいと思わない人々のモノである」・・・「金が仇の世の中」だけれど、「金を操る人々の世の中」、「金に操られるヒトビトの世の中」・・・無いよりは「寿命まで衣食住」をマカナエル金がアッタほうがイイけれど・・・みんな「千の風」になればイイのに・・・ナ


2007年03月16日19:00

 247日目・・・「英和辞書の草稿発見」・・・!!・・・フ~ゥンッ・・・ボクの興味のあるモノが次から次って発見されるナンッテ・・・難叢・作・「登美」・発見伝・・・「南総里見八犬傳」・・・「鶴屋南北」じゃなかった、「滝沢馬琴(曲亭馬琴)」だ・・・「八犬伝」・・・「八狗傳」・・・。  安房(アワ・アのワ)の国の城主里見義実の娘「伏姫(伏せるキ)」と犬(狗)の「八房(ハチのフサ)」との間に生じた八つの玉「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」を有する八人の勇士の物語。小さい頃に「三町ぱんざ(?)」って言う漫画家のマンガでよんだ。東映時代劇の「中村錦之助」主演での白黒映画でもみたけれど・・・  参考:以下「ウィキペディア(Wikipedia)」より抜粋。 _____ (滝沢馬琴)  曲亭 馬琴(きょくてい ばきん)  明和4年6月9日(1767年7月4日)

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 嘉永元年11月6日(1848年12月1日)  江戸時代後期の読本作者  著作堂主人  本名、瀧澤興邦(たきざわ おきくに)     滝沢興邦。     後に解(とく)と改める  筆名の曲亭馬琴は、読み方を変えると「くるわでまこと」(廓で誠)、すなわち遊廓でまじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味る。なお、現在は多くの本や教科書に滝沢馬琴と書かれているが、これは明治以降に使われるようになった表記であり、本人は滝沢(瀧澤)馬琴という筆名は用いていない。  江戸深川の旗本・松平鍋五郎の屋敷の用人、滝沢興義の三男として生まれた。9歳の時に父が亡くなり、その翌年に長兄から家督を譲り受け松平家に仕えるが、15歳の時松平家を出て放蕩生活に入った。24歳の時に山東京伝の弟子となり、戯作者として出発した。  寛政5年(1793)27才の時に蔦屋重三郎の世話で履物商会田家のお百の婿となり、文政7年(1824年)58才まで、飯田町世継稲荷(現・築土神社)下にあった会田家に居住。その後は晩年まで、神田明神下にあった息子の宗伯宅に居住した。  読本の『南総里見八犬伝』が特に有名で、執筆に  文化11年(1814年)~天保13年(1842年)  までの28年を費やした。最後の所を書いていた頃には老齢と長年の多忙な作家活動のため目が見えなくなっており、息子の宗伯の妻、お路に口述筆記をしてもらっていた。このことに妻のお百が嫉妬し、何かあればお路をいじめていたという。 ____  以下はボクの記述・・・  滝沢興邦  ↓  後に・・・語爾・語似・誤爾  ↓  解(とく)と改める、とは、  「興・邦」を「解く・説く・匿・梳く・読・徳」の示唆ではないのか・・・  1814年6月とはイギリス船シャーロット号が長崎に入港し、江戸幕府が箱館・松前などの「蝦夷地守備兵」を引き上げた時期、と年表にはある。  1815年4月とは杉田玄白の「蘭学事始」の発行。「阿蘇山」の大噴火。盛岡・南部藩に百姓一揆。  1818年4月は日本地図を作った伊能忠敬が74歳で死亡  ↓  1826年3月、オランダ商館長にシーボルト随行し参府  ↓  1837年2・3月に大塩平八郎の乱  ↓  1841年5月、井伊直弼(亮)が大老。      12月鳥居耀蔵(忠耀)・甲斐守が町奉行  ↓  1842年6月、書物出版取締令を布く。翻訳本の出版許可制      10月、女髪結いの刑罰。      11月、女医師の取り締まり  ↓  1848年11月、滝沢馬琴が「83歳」で死亡した。滝沢馬琴が生きていた時代とその前後の時代は「鎖国日本」が、頻繁に「西洋外洋船」の来航に不安に揺らいでいた。もちろん、「南総里見八犬伝」にはその日本的状況が伏線となってカタラレテイルのだ。  ↓  1851年1月、中濱万次郎がアメリカより沖縄に帰国  1853年4月、アメリカ東印度艦隊6月浦賀へ  1860年万延元年1月、「咸臨丸」浦賀からアメリカへ出帆       3月、井伊直弼、桜田門外で暗殺される  そして、2007年3月16日の報道である・・・ ____  初の英和辞書の草稿発見  幕末の通訳らが編さん  1862(文久2)年に幕府の命で編さんされた日本初の本格的な英和辞書「英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書」の草稿や校正原稿が、古書市で発見されたことが15日、分かった。これまで存在が知られておらず、幕末のペリー来航時に通詞(通訳)を務めた「堀達之助」や英学者らによって日本の英和辞書が成立する過程を解明する貴重な資料となりそうだ。  群馬県高崎市の古書店「名雲書店」の名雲純一さんが今年に入って古書市で売りに出されていたのを見つけ、堀の子孫で日本英学史学会の堀孝彦・名古屋学院大名誉教授らが内容などから本物と確認した。  手書き原稿約20枚は、和紙の左側に横書きの英語、その右側に意味が対応する日本語が縦書きで書かれていた。朱で校正され、「森」など担当者とみられる名前が記されている。  堀名誉教授によると、英語の「Cassock」の訳は草稿段階では「僧ノ上着ノ名」だったが、初版では「ケサ(袈裟)」となっており、訳語を検討した過程が初めて明らかになった。 (共同) 2007年03月15日 23時33分 _____  以下、ボクの記述・・・  「Cassock」は、  「僧ノ上着ノ名」だったが、初版では  「ケサ(袈裟)」  「袈裟」はカケるモノである・・・辞典によれば、  けさ(袈裟)  〔梵 kya 不正色・壊色(えしき)の意〕  (1)  インドで仏教者の着る法衣(ほうえ)のこと。  中国・日本では衣(ころも)の上に左肩から右腋下へかける長方形の布をいう。インドの法衣が形式化したもので、小さい四角の布を縫い合わせて作り、中国・日本では次第に色や布は華美なものが用いられるようになった。  宗派によって各種の形式のものがある。  功徳衣。無垢衣。福田衣。忍辱鎧(にんにくがい)。卓衣。  (2)  「袈裟懸け」の略。「袈裟カケに斬る」  「カケル」ことです、ナッ。  で、小栗上野介は、「咸臨丸」で浦賀からアメリカへ渡航した人物であった。不思議なコトに「小栗家」と「、「日下家」は親戚関係にあるらしいのだ・・・「日下数馬」は「小栗上野介」の母方の伯父・・・以下は  「近現代・系図ワールド」  http://kingendaikeizu.net/oguritadamasa.htm ・・・「系図」を確認して貰いたい・・・

だが、旗本「日下家」とはナニ?・・・ ___  会津へ脱出した小栗家の女性たち  護衛隊は小栗家の三人の女性を護って会津へ向かった。  夫人道子(30)・・播州林田(姫路市林田町)藩主、建部政醇(たてべまさあつ)の娘。  上野介の母くに・邦子(63)・・元新潟奉行小栗忠高の妻。  小栗忠清の実娘でしばらく男子がなかったので忠高を婿として迎える。  のちに弟、数馬が生まれたので、数馬を日下家へ養子に出す。  又一の許婚、鉞子(よきこ・15)・・旗本日下数馬(小栗邦子夫人の実弟・日下家へ婿入り)の娘。  6歳で小栗家の養女となる。 ____  以前にも調べた「日下(くさか・玖沙訶)」の「姓」は、「古事記・序文」に初出し、本文の「神武天皇」畿内侵攻で敗北した上陸地点「日下」の地名であり、「仁徳天皇」の子供である「大日下王(男)」、「日下王(女)」の物語で、「雄略天皇」のワナにはめられた人物の名前である。そして、「天武天皇」と「持統天皇」の子供「草壁(クサカベ)皇子」である。  ・・・「神武天皇」の和名は「磐余比古(イワレヒコ)」であった。  「磐余(バンヨ・イワのアマリ)・・・Banjo?      ↓ ↓      ↓ yo=水夫などの掛け声      ↓ Jo=女の子の名前・恋人      ↓      Bam=だます・かつぐ      Ban=禁制・禁止・反対・批難      Bang=衝撃音・どんどん、バンバン      Bang=マエガミの切り下げ      Van=荷車・前衛・ひ分け器・フルイワケ・翼」  で、「委の倭の海人の譽」、同音異字の「バンヨ=播与・播預・播輿」ならば、「明石」がある「播磨(はりま・兵庫県南西部)=播州」である。その東の対岸は「淡路島」であり、この島は元は「阿波(あは・徳島県)=粟国・阿州」に属していた。同じ音名の「安房(あは・千葉県房総半島南部)=房州」は「相模(さがみ・神奈川県)=相州」の「三浦半島」と向かい合い、この海峡が浦賀水道であり、江戸(東京)湾 の入り口である。東京湾沿いの三浦半島には観音崎、横須賀、横浜、川崎、江戸と連なっている。「三浦按針」とは「イギリス人」で徳川家康の「顧問」となった「ウィリアム・アダムス」のことである。1600年慶長五年3月豊後(ブンゴ・大分)に漂着したオランダ船「リーフデ号」の船長であった・・・「ブンゴ(豊後)」とは「文語・文誤・文悟」であり、「聞語」、「分語」である。とにかく「按針」は日本国三浦半島に領地を得、帰化人となって「和英辞典」か、「英和辞典」、ソレに類するモノを必要としたハズだ。「エゲレス語=日本語」である。1620年元和六年4月に死亡。1666年は、前年の大地震で死亡者多数、本丸倒壊、大雪災害に続き、水戸、伊予、土佐、伊勢、濃尾が大雨大洪水の災害年で、「千姫」が七十歳で死亡し、「山鹿素行」が播州赤穂に流された年だった。「三浦按針」の混血子孫は、生きていただろう・・・か?  その後、1613年慶長18年にイギリス使節「ジョン・セリース」が英国王「ジェームズ1世」の書を駿府で徳川家康に渡している。  「日下」の地名は戦国時代には「朝倉」氏の「日下庄」、宮城県白石(北緯38度)の南西に福島県相馬、その延長に「日下石(にっけし)」の地名。「日下石(北緯37度45分)」は福島から真東の延長でもある。「37度30分」には「会津若松」があり、その北方には腰のあるラーメンの旨い「喜多方」、その西に「山都」。その北の「37度45分」に「耶麻郡」の地名がある。磐梯山の西も「耶麻郡」となっている。  徳川家康が天下をとり、征夷大将軍となった後には「天下」と云う漢字は、武芸、芸能、技芸などの専門職の「天下一=日本一」と言う称号がはばかられて「使用禁止」とされたらしい。その「天下一」の代わりに「将軍=お天下さま」以外には「日下開山」と言うコトバが使用されるようになった・・・お相撲の最高力士の称号としても「日下開山」は使用されたらしい。  ・・・と言うことは「日本一」とは「日下一=日下開山」であり、「日下=くさか=ひのもと=日本=天下」となる。なるほど「黒田節」は「ひのも~とぉ、イ~チィのォ・・・」と唄っている・・・中国の記録には「日本は元、小国。この日本が倭を合併した」とあるのだが・・・「日(ジツ・ニチ)」と「曰(エツ・ヲチ・オチ)」の漢字は類字だが「異字漢字」である。「曰」の造字の「囗」の中にある「一」が「右」に接していないのである。  日・・・◎  ジツ・ニチ・ひ・ひざし・ひあし・ひび・か・あき・はる・ひる  曰・・・  エツ・ヲチ・オチ・言う・しゃべる・となえる・名づける・よぶ・いわく(いはく)・のたまう・のたまわく・ここに・いわ(は)く・いわ(は)れ  「曰」の解字は、「口(くち)・囗(くに)」と「L・乚=口気の出る形」の合字とある。「囗=国・國・圀=くに・コク」で「一」ならば「国の壱(いち)」である。邪馬台国の卑弥呼のツギの女王は十三歳の「壱與」であった。  漢字の「L」は「乙の変形」である。「乙」とは、陰陽十干の「甲乙(コウオツ・木兄=きのえ、木弟=きのと)」、南からの渡り鳥の「乙鳥(ツバメ)・燕」、午後22時以後二時間の「乙夜(イツヤ・オツヤ)」、既婚前の「乙女(おとめ)、竜宮城の乙姫(おとひめ)」の「乙(イツ・オチ・おつ・おと・かがまる・まがる)」である。「乙女」とは「処女(ショジョ)・生娘(きむすめ)」と漢和辞典にあり、「乙」は「本を読んでその読み止まりの所に付けるしるし」、「文章の脱字を補う時のしるし」とある。カギ括弧の」の逆字で、釣り針の「L・レ・」・亅(ケツ・カチ・鉤・鈎)」である。釣り針に似ているのはアルファベットの第十番目の「J・j」なのだが・・・「J」の象徴意は「joule(電気エネルギーの単位)・justice(公平・公明・正義・法・判事)」である。  「L」は英語の「エル」で、ローマ数字の「50」である。「LX」と記すれば「50+10=60・六拾・陸拾」となる・・・「五(ゴ)を拾い」、「壱(イチ)を拾い」、足して「陸奥(むつ)を拾(ひろ)え」となるのだが、「陸奥」は日本本州の東北、最北地方に位置(イチ)し、現在の青森、秋田である。明治元年までは「陸奥」とは「岩代+磐城+陸前+陸中+陸奥」の合体総称であった。  英語の「L」の象徴は、  Lady(貴婦人・淑女)  Late(おそい・おくれる・前の・近頃の)・too late!  Ltain(羅典・仏蘭西+伊太利亜+西班牙+葡萄牙+羅馬丹亜)  Left(左・「leave」の過去形=去る、出発、別れる、退く    (許可・葉が出る)  Liberal(字義にとらわれない・自由・自由訳)  London(倫敦)・  Lord(神・主人・君主・支配者・領主)  そして江戸時代の数学者であったらしい「日下誠」、そして幕末、1864年「元治一年」の「七月」に「蛤御門の変」で自刃した長州藩の「久坂(日下)玄瑞」であった・・・・のだが・・・  「堀達之助」は「高野長英」とまったく同じように獄に繋がれて、江戸の大火で他の罪人と共に牢屋から釈放された・・・違うのは「長英」は逃亡し、「達之助」は逃げず、その後に「英和辞典」作成に没頭したのは故「吉村昭」氏の小説「黒船」に詳しい・・・ペリー艦隊来航時、主席通詞として日本初の本格的な英和辞書「英和対訳袖珍辞書」を編纂した・・・この辞典は長方形で「マクラ」のようだったらしい、のだ・・・「枕詞」、「マクラ掛け」・・・  「三浦按針=ウィリアム。アダムス」とは「イギリス人」で徳川家康の「顧問」になったのだが、「HP」や文献には彼の「言語生活」の記述は皆無である。「ウィリアム・アダムス」は当初、「ポルトガル」や「イスパニア」の宣教師(バテレン)を通訳として徳川家康と「会話」をしていたらしきことが若干記されているのだが・・・「エゲレス語」の「日本語意味」を彼の周囲の配下の者達に理解させなかったであろうか?  ・・・ボクは、彼が「英語(単語)」を使用して「帆船」の造船の指揮監督を「日本語の意味」でしたと考えるのだが・・・  「タンゴ」を「たんご=単語=丹後=端午(五月五日)=Tango=TANG(唐・刀根・刃根・昆布・高音)=ダンゴ」と遊べるのは「蘭学者+漢方医」しかいないだろう・・・ コメント beau(ぼう)

2007年03月19日 22:42

メッセージありがとうございましたm(_._)m 歴史が大好きなので、真剣に読ませていただきました。 mixiでこんな素晴らしい文章を書く方のページは 初めてですが、ちょっと感動です(^^)v

コメント

2007年03月23日 16:24

ヨンで下さって、ありがとう!


2007年03月19日16:28  248日目・・・「原子力発電」で、日常生活では随分と「恩恵」を受けているようだけれど、三途の川で綱渡りのような生活をしているんだョネッ・・・広島、長崎、チェルノヴィリ・・・の悲惨さをあんなにも見せつけられても・・・ ____  志賀原発事故隠し、臨界で警報12回…モニターに記録 (読売新聞)  北陸電力志賀原発1号機(石川県志賀町)の臨界事故隠しで、臨界状態にあった15分間に原子炉内の複数のセンサーが異常を感知し、計12回にわたって中央制御室に警報音が鳴り響いていたことが17日、わかった。  当時の原子炉内の状況を示すモニターに記録されていた。原子炉自動停止信号が出ていたことも示されており、当時の緊迫した状況が浮き彫りになった。  モニターは、当時の関係者が保管していたコピーで、臨界直前の1999年6月18日午前2時11分から、炉内で降下した制御棒3本が再挿入された同33分までの運転状況が記録されていた。  それによると、午前2時17分27秒に制御棒の降下が始まり、同18分43秒に中央制御室で核分裂の炉内計測器から最初のアラーム(警報)が鳴った。これを含め、約1分間に計6回、警報が作動。さらに、同19分59秒には四つの警報音が同時に鳴り出すなどした。この間、原子炉自動停止信号が出され、中央制御室内にいた作業員らが制御棒の再挿入を試みたとみられるが、必要な調整弁が閉じるなどしていたため、すぐに再挿入できなかった。  [ 2007年3月18日3時3分 ] ____  「志賀原発事故隠し、発覚発端は社員の内部告発」  (3月16日17時18分配信 読売新聞)・・・  北陸電力志賀原子力発電所1号機(石川県志賀町)の臨界事故隠しで、問題発覚の発端は、当時働いていた1人の社員の内部告発によるものだったことが分かった。  同社は原子力安全・保安院の指示を受けて、昨年12月に発電設備点検委員会を社内に設置。「不適切な取り扱いなどはないか」など技術系の社員ら数百人を対象にしたアンケートが行われた。  この中で1999年6月の事故発生当時に同原発で働いていた1人の社員が「臨界事故を隠しているようだ」などと指摘した。  点検委員会は、さらに内部告発者を含めて、当時の関係者から聞き取り調査を行い、3月13日に「ほぼ間違いない」と事実を確認し、15日になって発表した。  (最終更新:3月16日17時18分) ____  「笑えちゃう」のが、この事故の「1999年6月」って言う日付・・・アブナカッタ!!・・・「ワラエチャウ」なんて・・・身の毛もよだつけれど・・・それ以外にドンナ「ことば」を今現在、吐いたらイイんだッ・・・  浜岡原発でも・・・東京都と名古屋の中間点に存在する・・・ ________  <原発制御棒落下>  浜岡、女川でもトラブル 志賀原発と酷似  (3月19日11時42分配信 毎日新聞)  中部電力は19日、浜岡原発3号機(静岡県御前崎市、沸騰水型軽水炉、出力110万キロワット)で91年、定期検査中で停止していた原子炉から、核反応を抑えるブレーキ役の制御棒3本が抜けるトラブルがあったと発表した。  また、東北電力も同日、女川原発1号機(宮城県、沸騰水型軽水炉、出力52万4000キロワット)で88年、定期検査で停止中の原子炉から制御棒2本が抜けるトラブルがあったと明らかにした。  いずれも臨界には至らなかったが、浜岡原発では、原子炉本体(圧力容器)とその周囲の原子炉格納容器のふたは開いており、北陸電力志賀原発1号機の臨界事故と似た状況だった。  両社とも社内で原因と再発防止策をまとめたが、社外には公表していなかった。  臨界に至らず、緊急停止もしていないため、法律上の国への報告義務はなく、経済産業省原子力安全・保安院は隠ぺいにあたらないとの見解だ。  しかし、当時公表していれば、その後の事故防止につながったとみられ、両社の姿勢が問われそうだ。  中部電力によると、91年5月31日午後5時58分ごろ、185本ある制御棒のうち3本について、炉に完全に挿入されていたはずの制御棒の位置が不明との信号が中央制御室で出た。  当時は、制御棒駆動装置(水圧式)の弁を次々に開ける作業の途中だった。制御室は、制御棒が抜けかけていると判断。急いで弁を閉めるよう指示し、午後6時6分に制御棒の落下停止を確認した。1本は完全に抜け、もう1本は3分の1、最後の1本は8分の1抜けていた。午後7時過ぎ、弁を操作して制御棒を元に戻した。  一方、女川原発では、原子炉圧力容器と同格納容器のふたは閉じていた。東北電力によると、88年7月9日午前10時9分ごろ、すべて炉に完全に挿入されているはずの制御棒の位置がずれ、抜けかけているとの警報が、中央制御室で鳴った。やはり、制御棒駆動装置の弁178個を開ける途中だった。制御室はすぐ弁を元に戻すよう指示。制御棒89本中1本が8分の3、1本が24分の1抜けていた。  いずれのトラブルでも弁の操作手順が不適切なため水圧のバランスが崩れ、駆動装置が異常に作動したとみられる。制御棒同士の位置が遠かったため、臨界にはいたらず、核反応を示す中性子の量も増えなかった。  【高木昭午】  最終更新:3月19日13時15分 _____  アンタやオレ、そして子供達、おジィちゃん、おバァちゃん・・・「サーカス」なんかじゃァ、ないんだぜッ・・・  「独裁体制国家」を必死でまもろうとして、駆け引きしているお隣のバカな「将軍様」よりも次元が低いのが判ってんのカナ・・・金にしか興味の無い「日本国の経済、政界の指導者」には「国民」なんて眼中にないらしい・・・あの政治屋大臣の「水道、光熱費」って、直に「原発」から繋いでんじゃないのか・・・どっかから組んできた「ボトル、5000円の水」って、原発で垂れ流された放射能汚染の「ミズ」じゃぁないョ、なっ・・・「水道水」はアブナイかも・・・

コメント イヌきち

2007年03月19日 21:42

コワイ世の中だ。


2007年03月20日16:29

 249日目・・・ボクは「Y(女性)」さんと出遭った時から随分と日本最古の記録文書であるらしい「古事記の漢字のヨミ方」に執着してきたのだけれども・・・切っ掛けは、彼女が高校生時代に使用していた漢和辞典、「大修館・新漢和辞典」をプレゼントに貰った時からだった・・・ヒェ~ッ、既に「二十年近く」も・・・「光陰矢のごとし」である・・・  自分自身の人生、最早興味のアルコトはないし、「ヤルコト」がないんじゃないのかって・・・チガッタ・・・ヤルコトは腐るほどあった・・・時間もワガママにその「ヤルコト」に費やしてきた。  で、「字源物語(漢字が語る人間の文化・加藤道理(明治書院・平成十一年12月7日発行・定価1500円)」と「続・字源物語」の本、二冊、1600円を例の古本屋で買って読んだ。面白かったけれど、「字源の考え方」がボクと「加藤道理」先生とは違う。  「加藤道理」先生は「色」の漢字を「象形文字」から面白く説明している。たとえば、  「色」は女性のしゃがみ込んだ姿の後背(巴)を、男性が抱え込んで(刀)、性交をしている文字  と説明されている。  ボクの考え方は「刀(トウ・かたな)」で「巴(ハ・ヘ・ともえ・ヘビのトグロ巻き・渦・尾っぽ)」に合体させた文字として「既に完成した漢字の分解」の意味から追求したモノであって、「象形文字=甲骨文字」の「形象」から追求したモノではない。  だが、「色」が「色情・情欲」の唯一の象形文字の完成漢字となると、「色即是空・空即是色」の羅列漢字の意味が俄然、具体的なイメージにも見えてくる。ボクはこれらの意味を「色=認識」、「空=存在」として考えてきたのだが・・・ムラムラ・・・フゥ~ッ・・・ダョ・・・コマッタ・・・  ボクの考え方は「字解・解字」のすべてではないが「出来上がった文字の偏旁冠脚」等の「分解」から、それらの「意味」で追求したモノである。しかも、新旧の「漢字」もマジエテ。タトエバ、  「色」は「刀」と「巴」  「大」は「一」と「人」  「田」は「囗」と「十(一+I)」  「眞」は「ヒ」と「乚(乙)」と「目」と「ハ」   ↓  「真」は「十」と「目(囗+二)」と「一」と「ハ」  として、「一」の意味は「いち・ひとつ・はじめ」、「人」の意味は「ひと・にん」として・・・「目」の意味は「め・メ」として・・・そして、これらの「音訓」の「同音異字」の「め=女・芽・眼・雌」の意味としても。加えるに「メ」の類字としての「X・十・ナ・〆」の意味として・・・も。  だから当然にも「加藤先生」の解釈からはかなりの距離があり、その「意味」の採り方は「ヨコシマ」で、「邪道」である。  ボクも「学問」として「白川静」先生のように「甲骨文字」から追求したかったのだが、なんせ、本屋でも、古本屋でも「白川先生」の書籍や辞典が高額だったし・・・「大修館・新漢和辞典」の「諸橋轍次」先生は漢和辞典編集にどうもアソンデイルらしいので、ボクは「古事記」を読みつつ「諸橋」先生の「アソビ(?)」を彼の「漢和辞典」の中に発見しつつ、「アソビ」として追求するコトにした。  すなわち、「古事記」に「使用」されている「漢字」をその「象形=甲骨」文字の「字源」の意味と、「漢字音(亞・亜・ア)の訓(あ・あまねし)の意味」だけとしては無理だな、と考えるようになったワケである。  で、「字源物語(漢字が語る人間の文化」の著者「加藤道理」先生からは、興味深く学ぶことが沢山あった・・・「加等道理」である。  加藤先生は「孟子(軻・子輿)の性善説」と「荀子(況)の性悪説」の対比に於いて、「荀子」は必ずしも「性悪説」を説いたわけではないことをおっしゃられている。  本能=情欲←抑制←偽(イ)=人為(理性)  本能を抑えて理性で表面を繕う行為、作為とは、「荀子」は「心理学者」である、ナッ。確かに「礼儀」、「道徳」には「人為」としての「教育」が必要だ・・・「偽(いつわる)」の意味もナルホド・・・「何時悪」、「逸悪」で、「一話留」である・・・カナ。


2007年03月22日22:58

 250日目・・・「2007年3月16日の報道」である「初の英和辞書の草稿発見・幕末の通訳らが編さん」の記事、 _____  「1862(文久2)年に幕府の命で編さんされた日本初の本格的な英和辞書「英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書」の草稿や校正原稿が、古書市で発見されたことが15日、分かった。これまで存在が知られておらず、幕末のペリー来航時に通詞(通訳)を務めた「堀達之助」や英学者らによって日本の英和辞書が成立する過程を解明する貴重な資料。  手書き原稿約20枚は、和紙の左側に横書きの英語、その右側に意味が対応する日本語が縦書きで書かれていた。朱で校正され、「森」など担当者とみられる名前が記されている。 (共同) 2007年03月15日 23時33分 ____  に関連して、ボクは自分の「HP」  http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/cyouei/cyouei1.htm  に次のようなことを書きこんだの思い出したので、その部分をココにも貼り付けておこう・・・興味の有る人は上記の所にリンクして読んで欲しい・・・ ____  「1999年七月七日・水曜日」の「中日新聞・夕刊・E版」の記事には「【ロンドン7日共同】幕末の鎌倉で(じょうい)浪人に殺された英国軍人の署名がある英和事典がこのほど、ロンドンの古書市場で見つかった。  日英交渉史を研究している恒松郁生『ロンドン漱石記念館』館長が競売で入手した。」とある。  この辞書の内側のページには「英国歩兵第二十連隊バード中尉、1864年8月13日」と書き込みがあるらしい。右から ____  「安政四年稟准」  「井上修理校正」  「英語箋」  「一名 米語箋」  「村上英俊閲」 ____  と印刷されている。そして、英語で、  ・・・・  ・AN ・  ・EINGLISH AND JAPANESE ・  ・AND ・  ・JAPANESE AND EINGLISH ・  ・VOCABULARY ・  ・COMPILED PROMANTIVE WORKS・  ・BY ・  ・W,H.MEDHCRST ・  ・ ・  ・BATAVIA ・  ・PRINTED BY LITHOGRAPNY ・  ・・・  と印刷されている。  ちなみにこの「バード中尉」は「1864年(元治元年)」の「十一月二十一日」に「鶴岡八幡宮前」で事件にあって死亡したらしいのだ。  外国人が絡んでくる事件は「1792年」の「北方の海」からであった。 _____  「日本語」が「西洋の言語」と接点を持った順番は、「フランシスコ・ザビエル」が日本に「宣教師」として上陸してから、として、単純に図式化すれば、  ①日本語→西班牙語→日本語としての外来語   日本語→羅典語→日本語としての外来語   (イエズス会などのカトリックの宣教師)   ↓  ②日本語→葡萄牙語→日本語としての外来語   (イエズス会などのカトリックの宣教師)   (バチカンへ派遣の天正十年少年使節と    九州、大友・大村・有馬の諸大名と    ポルトガル人宣教師・ヴァリニャーニ)    ↓  ③日本語→阿蘭陀語→日本語としての外来語   (オランダ貿易商)   ↓  ④日本語→英語→日本語としての外来語   (ウィリアム・アダムスなどの漂着者)   ↓  ⑤日本語→伊太利亜語→日本語としての外来語   日本語→羅典語→日本語としての外来語   (イタリア人宣教師、シ・ドッチと新井白石)   ↓  ⑥日本語→露西亜語→日本語としての外来語   (ロシア領沿岸に漂着し、帰国した日本人    大黒屋光太夫とラックスマン)   ↓  ⑦日本語→亜米利加語→日本語としての外来語   (漂流中濱万次郎と黒船ペリー提督)   ↓  ⑧日本語→仏蘭西語→日本語としての外来語   (竹内保徳・榎本武揚・津田道夫・西周らと    フランス政府要人)   (幕府雇用フランス人らと小栗カンジョウ奉行)   ↓   日本語→「蘭学語=西洋学語」としての外来語  であった。②のポルトガル人宣教師・ヴァリニャーニは「印刷機」を1590年、帰国少年使節と共に日本に持ち込んでいる。  江戸時代の主流は「鎖国」による「長崎出島」の「ヒラト(平戸)」で、幕末まで「阿蘭陀語」であったのは言うまでもないが、江戸時代初期に徳川家康であるトップの顧問として活躍したのは「三浦按針」こと、英国人の「ウィリアム・アダムス」であった。  「ヒラト(平戸)」とは、「比羅徒」か「比羅渡」、「比羅頭」で、「阿倍比羅夫」とか「安曇比羅夫」にカカるコトバである。「A・B=(ア・ベ)」は英語では「二等水兵・二等海兵」を意味する「able bodied seaman」の略語である。しかも「片附・片譜(ヒラフ)」は同音異字で、両方、対になっているコトバの一方である。「比羅夫・平夫」とは「平な凡夫」で「比良譜」で「比べて漁(リョウ)の譜」だな。「漁」とは「いざり・いさり=漁り」ともヨム。「イザリ」とは「黒田如水」や「ヤマトタケル」の最期の末路、足の不自由な「イザリ(躄)」であり、「コジキ(乞食)」の俗称であり、同音異字は「古事記」である。  いずれにしても「日本語」と「外国語」を相互に媒介理解させるモノは、人間同士であれば「通訳」の「耳=聴覚」で理解した意味と「口=音声」でのヤリトリであり、人間と「異文字の書籍・記録文」であれば、その媒介翻訳は「字典・辞典・辞書」であり、記録された「異文字」に対する「目=視覚」で理解し、「手」でその意味を記録した「翻訳書記」である。  とにかく、「和英辞典」か「英和辞典」が「三浦按針」には必要だった。そして、「英語」は「日本語」になちゃった、のさッ。  「単語外来語」としてはモチロンのコト、「古代日本語」は「文法的」にも「中国大陸の南北」、「朝鮮の南北」、「満州・樺太」から「影響」があったハズだが、その「文書記録」は存在しない。記録文書は「奈良、平安時代」からである。  そして、この「奈良平安時代」は大陸中国では「隋・唐」の時代である。一般的には「正倉院の文物」が遺されて研究されているが、「天竺・印度(インド)」、「波斯(ペルシャ)」から「シルクロード」を経て日本にやって来た事は確実に判っている。当然にも日本語は、かの国々から影響を受けてた「外来語」が存在しているが、この「言語」の研究はあまり追及されていないようである。  「弘法大師・空海」は「唐」から膨大な「密教仏具」ばかりではなく、「文書記録・経典・巻物」をもたらし、「真言宗」を「高野山」に打ち立て、当時の朝廷、支配上流階級に膨大な影響を与えた。  「密教・真言」とは何を意味するのか?・・・「真言」を「密教」にする「真言」とは何か?・・・「真言」であるからには「真の言語(ことば)」である。ナゼ「秘密」の「教え」とするのか・・・「凡字・梵字」と記されている漢字の意味自体は何か?・・・ボクの愛用している「大修館・新漢和辞典」の「113頁(ページ)」に「凡」の意味説明が記されている・・・  凡・・・113ページ・中段、【几部】きにょう  ボン・ハン・およそ・おおむね・大体・大略・おしなべて・すべて・一般に・すべて・みな・ことごとく・合計・並・常・普通・おおし・おし・ちか・つね  「平凡・凡夫・凡人」などの熟語があるが、ボクが切望する「あまねし」のコトバが端折られている・・・「解字」にも諸説があるらしいが、「几」は薄絹やカミなどの「袋」であるらしく、「ゝ」は「空気(気体)」らしく、浮き上がって飛んでいく様、とある。ならば、風船か、気球船である。「Bonn」ならドイツの都市だが、「Bomb」なら「爆弾・手榴弾・爆撃」であるな・・・「風船」も「気球」も爆発するけれど、「ツエルッツペリン」。  梵・・・460ページ  ハン・ボン・清らか・清浄・梵語(プラーマの音訳字)・梵天王・サンスクリット(Sanskrit)語・バラモン(婆羅門・Brahman)教徒  「梵音」は「釈迦(仏)の声」、「梵天王の声」であり、「梵天」とは「昔の劇場でヤグラの左右に立てた招き」であるらしい。漢字分解では「梵」は「林(木+木)」と「凡」の合字である。「林は平凡、凡夫」か、「記紀は凡記」であるな、「平凡パンチ」。なるほど、週刊「プレーイボーイ」の「ヌード」には負けたな、クレヨン画の「わたる(渉)さん」・・・  とにかく、「キキ」は「あまねし」である。  しかも、その「真言密教」の心髄は「宿曜術」と言う「陰暦サイクル=月の朔望」を要とする「二十八宿の占星術」であった。この「占星術」の原点は中東であるが、現在の「西洋占星術」とは東西に分岐し、東方にやったてきたモノである。  ハナシが大分、反れちゃった・・・「英語=イングルス」であるかな、「日本語」が江戸初期の「三浦按針」からズゥ~ッと「音愚留素」になったのは・・・もちろん、「蛙(かえる)・女(おんな)・理(ことわり)・化(ばける)」・・・のメリケンコ(小麦粉=込む戯拠)・・・だろう?


2007年03月26日21:38

 251日目・・・マタマタ「Sabot」ってしまったけれど・・・そんなことより、昨日の能登半島、輪島地方で地震の被害に襲われた皆さん、お見舞い申し上げます。とにかく、なんとか「がんば」って下さい・・・ボクはTVのニュース番組をニラムだけの存在だけれども・・・  「三重」とはボクの漢和辞典には・・・  ➀天下を治める王者としての三ッの重大なコト。礼を議し、制度を定め文を考えるコト。  ➁三つ重ね。三重苦。  とある。➀を「行政、立法、裁判に携わる政治家、国家、地方官僚」に、この「礼」を・・・「三重苦(サンジュウク)」に苦しみつつある人々をおもんばかって・・・  にも拘らず、このボクは・・・「古事記」に記されている「ヤマトタケル」の「タギタギしく、三重にアシナエタ」ところを頭の脳裏に浮かべてしまった・・・「古代妄想」・・・でも、この「礼・禮(レイ・ライ)」は「日本タケル」の「レイ・ライ」の重なりの想いなんだ・・・なぜ、「いや(ゐや)」と訓ませているんだろ・・・?・・・「うやまう」を「ゐやまう」と発音してたとしても・・・「ゐや」が住居の「居屋」にしても・・・「易耶(邪)」・・・「イヤッ、だッ」・・・委耶(邪)拿・・・厭だ、嫌だ、否だ・・・イヤダッ、じゃぁ、無いだろうな・・・


2007年03月28日21:12

 252日目・・・NHKの「プラネットアース」・・・「十七年せみ(蝉・セミ)」の何億と言う幼虫からセミの成虫になる「孵化」の様子・・・スゴイ・・・けれども、「17年間」も地中の中で生活してきた理由は難なんだろう?・・・そして二、三日の間に「交尾」し、産卵をして死んでいく理由・・・問題は「十七年セミ」のことじゃない・・・裁判官、特に最近の「検察」はモチロンだが、「裁判官」の諸々の「判断」には疑問がワンサカある。最近ではない戦前からの「法律屋官僚の体質」なんだろう・・・一体全体「法律」って、ダレのタメにあるんだか・・・「法律屋官僚」にとっては「六法辞典」は単なる生活維持の商売の道具・・・ ____  沖縄返還時の日米密約をめぐる1972年の外務省機密漏えい事件で、国家公務員法違反の有罪が確定した元毎日新聞記者西山太吉さん(75)=北九州市=が、違法な起訴や誤った判決で名誉を傷つけられたとして、国に謝罪と3300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、密約の存否を判断せず、請求を棄却した。  加藤謙一裁判長は国の主張を全面的に認め「仮に起訴などが不法行為だったとしても、賠償請求権は除斥期間(権利の法定存続期間、20年)の経過で消滅している。その後の国務大臣らによる『密約はない』との発言は行政活動に関するもので個人の社会的評価を低下させていない」と判断した。起訴や判決の当否にも言及しなかった。  西山さんは2000-02年に密約を裏付ける米公文書が見つかったことなどから提訴した。 (中日新聞・200年3月28日) ____  十七年セミの孵化じゃない、「二十年」は「賠償請求権は除斥期間(権利の法定存続期間)・・・  「裁判屋」ってイロイロいるけれども・・・「遠山の金さん」みたいな人物って、少ないんだろうな・・・芝居の中だけだけれど・・・それに「鬼平」もいないみたいだし・・・もちろん、「水戸の黄門」おじいちゃんのような「政治権力者」もいない・・・


2007年03月30日15:031 view  253日目・・・友人の「furu」さんとこに貼り付けたモノに付け加えたモノだけれど・・・まさにね・・・「個人的人権」の「相互諸関係」が「ルールの基本」なのにね・・・「相互諸関係の約束事」は「制約」だから、決して「個人そのものの自由奔放」と言うことではないけれど、「主権在民」を基盤にしている。しかも「民主主義の法」は「既存の少数支配権力者」から「克ち取ってきたモノ」なのに、「与えられたモノ」と思い込んでいるヒトが殆どみたいだし、「疑問」を持って「ルール」を調べるヒトもあまりいない。学校教育で「ホームルームの時間帯」にその「意味」と「現実」の違いを教えてあげる「先生」も今は少ないみたいだ・・・  NHKの土曜日の「週刊こどもニュース」はその「基本点」を先ず説明して、「事実事件の説明」がガッチリとなされて理解されやすいように制作されている。そしてNHK教育テレビの「手話ニュース」もその基本からの事実事件の説明があり「理解」できる。  「法律」も「みんなの法律」になっていない、んだと、殆どの人々が気づかない体質・・・「靖国神社」と、かっての「厚生省」の「戦没者合祀取り決め文書」には「厚生省」の方からの働きかけで「戦犯ABC」級の「合祀」を促していた。しかも、「厚生省」側は「余り目立つコトがないように」との「文言」まで記録して・・・訳すまでもないけれど、この日本語、「こっそりと、皆に気が付かれないように」だょ・・・当時は敗戦日本国民にとって「政教分離」を謳っている「日本国憲法」は「民主主義」のタカラだった。しかも当時の「日本人」の殆どは「日本国憲法の意味」を「コトバ」の意味として「共通理解」していた・・・「国家」と「特定宗教」の一体化は「憲法違反」だって・・・チョット前は「教育基本法」に関する「タウンミィーテング」があらかじめ政府の役人が依頼し、決めていた「発言者」に金銭を渡し、政府の都合に合わせた発言を「バレないよう」に「自発性を装うことまで」指示し、させていた。そのコピー文言文書が暴露され、「政府のヤラセ」がバレタのに・・・騒いでいたアレってどうなったんだか・・・もはや「終わった事件」なんだよなっ・・・今現在は「陪審員導入制」で「法務省」が「某マスコミ」に「資金=税金」を垂れ流し、あたかも「民主主義」的な「法制度改革」等とキャンペーンを行って、その「改革意図の裏」を隠しながら「画策」しているらしいのに・・・。  「裁判官」に対しては国民がその「罷免の是非の権利」を有している・・・のに・・・どんな「判決を下した奴」なのかを「国民」に意識的には「知らせていない」・・・「国政選挙・地方選挙」でも、ある事件の「判決」を下した「裁判官」の「具体的事例」を併せて「広報、告示」して、その「判決の是非」を「国民」にハカルべきだ・・・  だいたいからして、「同類の事件」の「判決」が異なって判断されている「裁判」とは何か・・・しかも「裁判官」は「裁く法律が無い」と逃げ口上・・・「立法」する義務を背負った「議員屋」も己の私腹を肥やす奴ばかり・・・「法律・裁判」のよって立つ「基盤」は「ダレのタメの法律」かを考えず、出世、私腹の「裁判屋」、「検察屋」、「弁護屋」になりさがった奴ばかり・・・  同じコトをマタ書くか・・・人間諸関係の「ルール基盤」は「裁判官」でなくても「① 盗むな」、「➁ ウソつくな」、「➂ 殺すな・傷つけるな」、「④差別するな」・・・これらに背反するような「①’盗んだ」、「➁ ’ウソついてダマシタ」、「➂ ’殺した・傷つけた」、「④ '差別した」等の「事件」に対する「制裁」も「①➁➂④」の立場である。  ・・・「十戒のモーゼ」は「人間の本質(ケモノ?)」に苦労した・・・「栄華のソロモン」は「人間の本質(ケモノ?)」の立場を擁護した・・・けれど・・・生きている「人間」を「軸」にしたら・・・  勝手に無断で、騙して、暴力を振るって、他人の「モノ」も「ココロ」も「ヌスムなッ」が「ルールの原点」だ・・・ コメント Harry

2007年03月31日 21:34

読ませていただきました。 日記の内容は完全に的を得ていると思います。 一体この国はどうなって行くんでしょうかね? 徐々に右へ舵を取っていく『偉い様』たちは、

もう一度「敗戦」を味合わないと目が覚めないのかも。

ー↓↑ー--

 ・・・???・・・

   ↓↑   ↓↑

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)

  +

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・

 ↓↑

 ボクの「古事記字源」の発端・・・

 ↓↑

 干支歴

 ↓↑

 追加添文

 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」








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