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2007年8月・・・追加添文・・・

2022/6/19・日曜日・・・追加添文・・・

私はカイにもムシにもなりたくない・・・

 2007年08月04日23:211

 ・・・「不老革命(マイケル・フォッセル著・1997年7月・株アスキー発行)」には「寿命を決定づける時間のメカニズム」の「時計」があるそうだ。この「時計」は「遺伝子の中」にあるそうである。前回述べた「観念の時間」ではなく、これは生物学的、生理学的な「変化」のプロセスのコトを言っているらしい。この「時間」とはあらゆる生物の「形態変化」、強いて言えば、物質存在の変化のコトで、「変化=時間=速度」の比較くすべき「絶対基準」を設定しないかぎり、あるモノの「変化=時間=速度」を「ハカル」と言うコトバは造られなかっただろう。  大体からして「不老革命」と言う「革命」の文字は余分で、この本のタイトルは自然界の動植物の「発生と死滅」を探求するにはそぐわないような気もする。古代にも現代にも権力者サイドや金満家サイドでは「不老不死」と言うコトバの意味を実現させたい願望があるらしいが、「不老革命」をボク的に考えれば「延命革命」だろう。その「延命」の倫理、道徳的な善悪も「臓器移植」をみれば個人的な事情によるだろう。  ただ、一般的な「遺伝子生物学」を理解するのに、わかりやすい比喩として、この本の著者は、  ゲノム・・・・・図書館  染色体・・・・・書籍・・・主題  遺伝子・・・・・文章・・・知識=意味説明  DNA塩基・・・文字・・・単語=言語規定  としているのは、理解しやすい。  文字(DNA塩基)を使用し、各テーマごとの知識の内容説明が「5W・1H」で文章(遺伝子)として記録され、書籍(染色体)となったモノが、集められて保存されているている図書館(ゲノム)・・・知識の文字記録保存された集積場所が「図書館」・・・現代的には「コンピュータ」である。その諸々の知識を基盤にした人間の社会的生活への技能、技術とした実践、応用・・・「知恵」も含めての・・・そしてコンピュータの起動は人間の意志と実行が必要だ。  だが、自然界に於けるある物質を「形態変化(細胞分裂)」させる「初源的起動」を人間は未だに知ってはいない。

 2007年08月07日00:301 view

 ・・・コンピュータのキイボードがイカレタ・・・

 母音の「A(あ)・I(い)・U(う)・E(え)・O(お)」がモニターに表示されなくなってしまった・・・癇癪を起こしてキイボードを部屋のKEYで叩いたが、言うことをきかない・・・アキラメテ、新しいのをなけなしの1450円を投じて買って交換した・・・「愛、餓え、嗚」・・・  かきこみたいグチはタクサンあった・・・けれど、止めた・・・あつい・・・また「台風六号」・・・原発、「IAEA(国際原子力調査委員会)」の検査調査中に「地震」とはヒニクだね。調査しても廃絶しか「安全性」はあり得ないのだから。現地の海水浴場、旅館、ホテル、海産物関係者が「風評」で困っている、と言ったって、原発が地震でどうなっているかをTV、新聞で知れば、「事実」である。やはり、日本人はコトの重大性を認識していないのか、認識出来ないのか、認識を避けているのか・・・  「アベ」ちゃんが「広島」で何を言おうが、ダレも「信じない」し、「信じたくない」だろう。  「アベ」ちゃんが嫌われたのは事実だが、歴史的な元凶は「ジュン」ちゃんなのに、あまり「ジュン」ちゃんを責めない日本人が多いのはナゼ何だか・・・今現在、「郵政民営化」でコマっていない、と思っている日本人って、ダレ・・・?  今夜の「タケシのTVタックル」・・・東京副知事として釣られた「イノシシ」って、やっぱ、庶民感情、庶民理性に反する「権威・権力主義者」だってコトを暴露していたけれど・・・「しんたろう」や「ジュンちゃん」、「アベちゃん」と同類・・・なんか、あの言辞にはウラがある?・・・あいつ、「お前は全共闘」だったて、「悪党党の親分」にイジメラレテイタ時があったけれど、「原点的立場」が元々なかったじゃないのか・・・

 2007年08月10日01:011

 ・・・暑い夜の街、薄ボンヤリした商店街の軒下でゴロゴロ寝ているホームレスの人が結構いる。そして自転車を押しながら、これもホームレスらしきおじさんがゴミ箱をあさり、沢山、透明なビニール袋にスチールやアルミニュームの空カンを詰め込み、荷台に載せて運んでいる・・・暑い夏、ボクも小さい頃、タブン、小学校に入る前、近所の五、六人の友達と石炭で汚れた川の中から鉄屑を拾って、各々子供用の三輪車に積んで、行列をつくり、かなり遠い街の雑品屋さんに売りに行った事がある。売った金で風船ガムやグリコのオマケ付きキャラメルを買って、「公平(?)」に分けて食べた。そして、友達の誰かが、キャラメルを食べていたのが発覚して、彼の親にバラしてしまったのか、子供達の親の間で、「買い食い」が問題になったらしく、ボクの母親にもその事情を訊きに来たらしい。友達のランクはあったが首謀者らしき者はいなかった。だが、鉄屑を漁り、その鉄屑で金がもらえ、その金の使い方を知っていた賢いヤツの提案だった・・・・友達すべて、彼等の親達から「買い食いした」と言うことで怒られ、説教されたらラシイ・・・ソレを友達の親から知らされたボクの母と言えば、ボクには何にも怒ったり、注意するコトもなかった。当然、母には鉄屑を売りに行ったコトは正直に話した。母は、「・・・そうだったの。炭川は汚いし、深みに足を取られて転んでズブ濡れになると危ないから、川でのアソビは気をつけて。アソビ友達みんなが病気になったり、命を落としたりすると大変・・・」と言ったぐらいで、「買い食い」のコトには「フ~ゥン・・・」だけであった。ボク自身、あまり、鉄屑がお金に交換され、そのお金でガムやキャラメルが買えたコトを理解してはいなかった。だが、結局、「事件の首謀者」は、アノ子であるらしいボクであるらしかった。  この「豊かな日本社会」で昔も今もホームレスになっている人の「事情」はさまざまだとは思う。  ボク達の時代の「山谷ブルース」は「日雇い肉体労働者」の哀歌なんだか、賛歌なんだか・・・「役人」が行政命令で強制退去を「公園」からそこの「住人」を追い出してから随分とたったけれど、彼等が存在しなくなったワケでもない。今年の早い時期には大阪でも「公園」から追い出された「住人」がいた。  ・・・高校生のグループが「ゴミ掃除」だと言って、公園のベンチで寝ている男性にオイルをふりかけ、火をつけたり、女性にタバコの火を押し付けたり・・・チョット前は少年達のグループが、ホームレスの男性から金を強奪したり、橋の下で生活していた女性を殺してしまったり・・・  今現在の「日雇い」の「フリター」が「ネット喫茶」で寝る場所を確保しているのもムカシの「山谷ブルース」事情とはかなり違う・・・オリンピックを目前にした大陸中国人の農村からの「出稼ぎ労働者」は都会のスモッグに汚れながらドンな歌を唄ってんだろう・・・「木綿のハンカチ」を田舎の恋人たちは期待しているのだろうか・・・ ・・・友人の「猫頭鷹(大野 きよ子さん)」が「中国大陸のカタ田舎」に居すいて記録した「写真展」をしているらしい・・・

 2007年08月11日01:571

 ・・・昨夜は「ランボー」・・・今夜のTV番組「太田総理」・・・一番真っ当なコトを言っていたのが小学生の女の子の「田中秘書」の側に居てコメントをしていた「小さな秘書」であるカモ・・・「原爆の問題」よりも「戦争そのモノの問題」だって・・・それに何時も「民族国家」を軸にモノを言う「金」女史が「議論が枝葉末節に流れて本質を議論していない」って、「真っ当なコトバ」を吐いていた。きっと、「原爆」は「国家間の国境を越えた人類の問題」であるコトを言っているんだろうなッ?・・・確かに「本質」は「人間の国家間戦争の問題」である。そして「生きている人間の意識の問題」である。更に言えば「戦争結果の生きている人間の感情の問題」である。  「人間意識・感情の問題」だが、「人間認識の問題」でもある・・・「事実を知る」・・・原爆投下した「アメリカ国家内」で「被爆して死んでいったアメリカ軍人」が大勢いることを「一般アメリカ人」も「一般日本人」も知らないらしい・・・日本への原爆投下の前に「アメリカでの原爆実験」があったコトを忘れているか、気にもしないか、その「実験調査」にかかわって、被爆したアメリカ人の現実を「秘密」にされているコトを知るべきである。  日本であろうが、アメリカであろうが、ロシア、中国・台湾、韓国・朝鮮、印度、パキスタン、イスラエル、パレスチナっであろうが・・・すべての世界の人々は「諸人種、諸民族、諸国民、諸国家」と言う枠内の「階級・階層」序列の「利害関係」で「命の軽重」がはかられているのをアタリマエに思っているらしい・・・過去も現在も「ダレのタメ」の「戦争」だったのか、「戦争」なのか?  「原水爆」も「靖国の御霊」も、既に死んだ人々の問題ではない、「今現在、生きている人間の問題」で、「生きようとしている人間の問題」ではあるナッ・・・「ランボー」・・・

 ・・・八月11日・・・君は「週刊こどもニュース(NHK)」を見たか?・・・

 この現実を見よッ!!・・・

 「こどもたちが描いた戦争」・・・

 2007年08月13日00:031

 ・・・「731部隊(石井部隊)」・・・戦犯免訴・・・戦後医学会の重鎮・・・ミドリ十字・・・厚生省・・・血清エイズ・・・「十七年セミ」・・・「鬼太郎の玉砕」・・・「タイフーン」・・・それでも、ボクのアタマの中は昨日の「週刊こどもニュース」の「子ども達が描いた絵」が渦巻いている・・・カラフルな「おかぁさんと女の子」が描かれた絵には「髪の毛」が天に向かって逆立っていた・・・劣化ウラン爆弾・・・少年兵が銃でダレかを撃ち殺している・・・誘拐された少年達が「兵隊」となって故郷の村と「オカァさん」まで・・・かって、ブラジルの貧民街の大勢の少年達が商店街から金銭をもらった「警察官」に撃ち殺されているニュースがあった・・・かって、「ポルポト」が子ども達に「文字を読める大勢の大人」を棍棒で殺させていた・・・かって少年少女の「紅衛兵」は・・・2000万人(?)もの・・・少年兵隊・・・「大日本帝国・軍国少年」は「国家殺人命令」を忠実に遂行する殺人予備軍だった・・・「悪」を退治する軍服の陸軍の戦車隊、海軍の軍艦・潜水艦、艦載機のゼロ戦は格好イイのだ・・・機械を操作し、メカニックの中にいることが「少年・少女」のアコガレだった・・・「ガンダム」・・・格好ワリィ~のは新米徴兵陸軍「二等兵」・・・  ・・・キリがない・・・「人間」が悩むほど「人間の命」は重くないらしい・・・  戦場で戦友を失い、片腕を失った「水木しげる」が生き残って、イヤ、生きていることにこみ上げるような笑い声で白い歯をみせながら「笑っていた」・・・生きてワラエルなんてッ・・・きっと素晴らしいんだろゥナッ・・・「鬼太郎」も「目玉オヤジ」も、「ねずみ男」もキライだけれど・・・カッコゥ、ワリィ~ッ・・・格好イイのは「カムイ」なのさッ・・・

 2007年08月14日00:561 view

 ・・・「テロメア」・・・「テロメア」とはギリシャ語の「テロ(終り)」と「メロ(部分)」を合体させた「造語」であるらしい。「テロメア」とは染色体上の「DNA」の両端にあるモノらしいのだ・・・細胞は23対、46本の染色体を有し、その46本の両端に存在するから全部で「92」の「テロメア」があることになるらしい。

    テロメア=TーTーAーGーGーG      ↑     3アミノ酸の配列      ↓     T=チミン     A=アデニン     G=グアニン  「テロメア」は細胞分裂、染色体が複製を造る度に「短くなっていく」らしいのである。

 この短くなっていく「テロメア」の回数が

 「生命活動」を鈍くして死(寿命)にいたらしめる「回数=時間」らしいのだ。  「テロメア」とは「体内時計」である。

 「四柱推命」には「大運」と言う概念があるのだが

 人間の外的環境から影響される

 「運=地球時間」  一年=天文黄道獣滞12分割の木星回座位置と太陽周期  365日=一年  8760時間=24時間×365日  1ヶ月≒30.4日  72侯≒5.7日  24節気≒15.2日  1日≒24時間  1日≒1440分間  1日≒86400秒間  とは異なるモノで、その考え方は

 生まれた時から「一年~十年間の枠内」で

 決定される個々人の「立運」を基礎にした

 「立運以後の十年間毎の期間」を言う。  そして、「大運十年間」の事象は

 その「人間=命式」に影響を与える十年間の変化の「大枠」であるが、

 一年間のプロセスの出来事、

 その結果は

 「命式→(⇔)大運→(⇔)地球年(流年・歳星年・木星年)」

 との関係による、とされている。  「テロメア」の消耗回数がこの「立運・大運」に関係しているのかも。  「立運期間」は「節入り日~誕生日」の日数を「3」で割った期間である。  「十二支」の「蔵干配列」とその「区分」は、染色体配列・・・  (TーT)ー(AーG)ー(GーG)  の「3アミノ酸の配列」の「生命現象」と関係あるのかも・・・


 ・・・「危険がいっぱい」・・・

 生き物って命をもらった時から「危険がいっぱい」なんだよねっ・・・

 2007年08月16日02:071

 ・・・八月15日・・・「敗戦記念日(?)」・・・負けても「記念日」なのかな・・・  「NHK」番組・・・日常生活で生きていること自体が既に「命を賭けて生きている」のに・・・ボクも「エゴイスト」で「セルフッシュ」だけれども、スゴイ、ョねっ・・・みんな驚くほどに「セルフッシュ」だね・・・でも「命を賭けてセルフッシュ」であることを「自覚」していないんだろうな・・・  「原発事故」・・・ナントカ国際イイ会が「思ったほど深刻ではない」の報告を受けてナントカ知事が「風評」に対して「これで実質、安全宣言がなされた」だって・・・「思ったほどの基準」はドコにあるんだか・・・「安全宣減」だろうッ・・・  「日本国憲法」・・・ルールってナンのタメにあるんだか・・・「ルール違反」って、「違反結果」はどうなるんだか・・・どうしてきたんだか・・・  コラムニストの「綾小路まり」さんが八月13日月曜日の「名古屋タイムズ」に  「でも・だって・だから」自己かばいシンドローム  と言うオモシロイコトを書いていたのでチョット・・・「日本国憲法」の「解釈」は「でも・だって・だから」の三点セットなんだろうな・・・当然、この解釈は「政治屋・裁判屋」と、「行政官僚屋」の常套手段で、多分「財界屋」の国民を言いくるめるあらゆる「三段論法」・・・もっとも彼女のコラムの内容は毎回同じ失敗を繰り返しながらその度に彼女にアドバイスを求める「愚痴り屋女」のイイワケで、愚痴女をとりまく「不利な諸状況」の「事実・現実・他者」への責任転嫁らしく、主体を吹っ飛ばした「自己反省ナシ」の・・・でも・だって・だから・・・らしい。  で、「日本国憲法」は記録された条文どおり、文字どおり、そのコトバの意味どおりで「でも・だって・だから」は通用しない「ハズ」なんだが・・・  その「ハズ」が「現実、事実」状況の「戦力」、「自衛隊」、「同盟関係」、「集団自衛権」、「国際外交」は「でも・だって・だから」は通用するらしい。  裏金搾取も、年金詐欺も・・・「でも・だって・だから」・・・ムカシ、「デモはデモでも、あなたのデモは・・・」って「モリヤ・ヒロシ」が歌っていた。それに「アリガタヤ節」も・・・漢字はタシカに「有り難し」だが・・・「あり得ない」が「サンキュウ(THANK YOU)」なんだろうか?・・・感謝(THANK)をアンタ(YOU)に言うよ・・・それとも「詐夢杞憂」・・・  2007年08月17日02:461

 ・・・八月(戊申)十四日が新月の「庚辰」、十五日が「辛巳」の「支合申ー巳」、十六日が「壬午」、十七日が「癸未」・・・「チリ地震」・・・関係あるのかな?・・・日本の東部沿岸は「津波」にも注意・・・それにしても「あつさ」は異常・・・古舘さんの「ニュースステーション」では北極海の氷が消滅しつつあるそうだ。北朝鮮では大洪水らしい・・・  今日はお客さんから貰った招待券で「梅沢富男・前川清」の特別公園をデカイ劇場で見てきた。劇場でこんな「ショー」をみるのは二十前後にオフクロと東京で「日劇ダンサー・ショー」を一回見て以来である。さすがに「若い人」はほとんどと言っていいくらい観客席にはいなかったがオジィちゃん、オバァちゃん、中年の家族連れ・・・で、席に着いたボクはなんとなく孤独を感じてしまった。招待券は二枚貰ったのだが、一緒に行ってくれるヒトがイナかった。それにしても「大劇場のロビー」って、なんか北海道の千歳空港のロビーの売店みたいだった。  帰ってきてTV番組の映画「戦場に架ける橋」を観た。ムカシも観たけれど、今回も「戦争」って言うのか、「人間の仕業」って言うのか、「生き物のサガ」なのか、宇宙、自然界のあり方なのか「造っては壊し、壊しては造り」の繰り返しの連続・・・この映画監督はかなり「日本人(武士道?)」を「勉強」しているヒトなんだろうな、とは思う。  だまっていても、いずれは老化、死滅する個的人間なのに、生きている間の「戦争」って、社会的人間諸関係で、その時間帯で「如何に生きるか」が「意味」を持つんだろう、ナッ・・・  「捕虜」になっても「軍人の階級性を厳守」する、と言う「国際条約」を作って「戦争」するなんて、ダレの思惑なんだか・・・アホらしい・・・そもそも「国家間の戦争殺人」に「ルール」を作りましょうって・・・「文明国同士の戦争殺人ルール=国際戦争ルール」・・・笑っちゃうけれど・・・なんせ、美化された騎士道も武士道も、「平和な時期」に「支配階級の秩序に都合よく物語化」された中世の「武人・軍人・武芸者」の個人的な「戦の心構、立場」で、忍者、間諜、諜略者には関係ないシロモノだし、鉄砲発明以来、「大量消滅作戦の中世、近代戦」でも無意味なのに・・・当然、「現代戦争」に於いてもである。  命令絶対遂行と服従・・・戦勝日本帝国軍人   ↓↑  強制労働・・・・・・・・捕虜   ↓↑  国際条約厳守・・・・・・敗戦捕虜英国軍人   ↓↑  個的延命願望・・・・・・捕虜脱走アメリカ軍人   ↓↑  戦争任務遂行・・・・・・コマンド英国軍人  映画は日本、英国双方職業軍人が

 「国家間の戦争目的」を忘れてしまって

 「木材橋梁」を造ることに埋没没頭してしまうのだが・・・


 ・・・「お盆」も終わってご先祖様の霊も帰ってしまったダロウケレド、帰りたくないとウロウロしている霊も意外と多い見たい・・・生きている間にしたいコトは山ほどあったんだろうな・・・生きている間に何をしたかったんだろうネッ、ウロウロしているヤツは・・・

 霊魂になってしまった人間は肉体を与えられ、現世に生まれ変わってくるより方法がない。問題は現世で肉体を与えられて生きている人間の「生き様」である、とは思う。ヒトから生かされ、ヒトを生かし、自分も生き、人生を全うして魂になる・・・コレがナカナカ難しい。

 2007年08月21日23:591

 ・・・「フランク・コワルスキー大佐」は・・回想記「日本再軍備(THE Rearmament of Japan)」の著者で1947年(昭和二十二年12月)当時の「在日米軍事顧問団幕僚長」であった。彼のメモには「今でこそ公開できないが、現に自分のやっていることは日本再軍備」と言う歴史的な重大事である。自分の手がけている再軍備について、後世のためのメモを発表することが望ましい時期が必ずいつか訪れるに違いない」と記されている。  そして、「コワルスキー」は次のコトも記している。  ・・・アメリカおよびわたしも、個人として参加する「時代の大ウソ」が始まろうとしている。これは日本の憲法は文面通りの意味を持っていないと、世界中に宣言する大うそ、兵隊も小火器、戦車、火砲、ロケットや航空機も戦力でないという大うそである・・・  以上は「NHK・日本の戦後取材記(下)」である「終戦の決算・発行学習研究社」に資料とされたものからの抜粋である。  「大うそ」つき・・・そしてこの本の219ページには「タブーの言葉」の処には「あとは二人とも椅子に腰を落として涙が出るまで笑いこけた」とある・・・  涙が出るほどに笑いこけるタブーの言葉って?・・・多武得・・・  興味ののあるヒトは以下をクリック・・・  http://homepage2.nifty.com/heiwaoka/menu/nakao/na060928.pdf


 2007年08月25日00:001 view

 ・・・「太田総理」はかって黒澤明の「七人の侍」を観てその映画を絶賛(?)していたが・・・今夜の「私は貝になりたい」を観るべきだ・・・戦争で、そして敗戦(終戦)後の戦争犯罪人としてどのように「日本の庶民」が「裁かれて」一生を終えて行ったのかを・・・ボクはこの映画を小学生の時「フランキー堺」主演で観たし、「ジャニーズ」のダレ(あおい輝彦?)かもTVドラマでヤッタのを観た・・・所ジョージのもあるらしい・・・「カミカゼ特攻隊」も「人間魚雷」も格好イイケレド、「戦争の本質」はコレなんだから・・・今現在TVのドラマ(獅童主演)は進行中だが・・・ムカシ観たのとは「シナリオ」がかなり違うみたいだ・・・結論は観終わってから・・・

 八月二十四日・・・戊申月の庚寅日・・・丙戌時・・・  22時35分、緑色のコガネムシが机の上に置いてある箱の横にとまって上の方に上っていく・・・オフクロが来たのかも・・・  23時20分・・・ドラマは終わった・・・主人公は「深い海の貝」にはならなかった・・・妹のマッカーサー元帥に対する直による助命嘆願、そして「サンフランシスコ講和条約」を節目に娑婆に出て来る事が出来たらしい・・・  「フランキー堺」が演じた「床屋」は「貝」になったのだろうか・・・  自分自身の存在を「諦めざるを得なかった物語」と「諦めなかった物語」・・・「一井の庶民の床屋」と「インテリの将校」の二つのモノガタリ・・・不公平ダヨナッ・・・  占領下の「日本国憲法成立」と「サンフランシスコ講和条約成立」の間には「ダレカ」と「ダレか」のそれぞれの時間があった・・・アイも変わらずダレかが「ウソ」で納得しようとしている。  モノガタリ・・・モノガタリならばミンナが「カイ」にならない世の中になることを許してやる、か・・・モノガタリだから・・・  「緑色のコガネムシ」・・・「緑色の髪の少年」はどっかのヨーロッパの映画だったけれど・・・


 2007年09月04日23:001

 ・・・8月29日・・・

 NHKの「クローズアップ現代」・・・

 信じられないようなアメリカでの「125人もの冤罪者」の無罪放免はDNA鑑定結果によるものであるらしい。・・・司法制度に問題があるのか?・・・陪審員制度?・・・警察の逮捕取り調べ?・・・死刑判決を受けて11年後に「無罪放免」・・・レイプ犯人にされた「冤罪者」は「被害者の思い込みの証言」によるものだった・・・とにかく、「125人」の人々が「死刑」から救われ「自由の身」になったわけだが、既に「死刑執行」された無罪の人々は一体全体何人?いたのか。この「ニュース」をみたボクはアメリカは西部劇の時代から「リンチ(私刑)の国」なんだと思わざるを得なかった。ハリゥッド映画によって告発された「物語」があった。「アンタッチャブル」、「ニューオリンズ」など多くあるが・・・「陪審員制度」の恐ろしさは「判事、陪審員の判断」もあるが、「陪審員、裁判官が全員買収」されてしまう。そして、「政治的判断」による一方的な決め付けによる「死刑=私刑」である。  8月31日・・・「人間らしさってなに?」・・・NHKTV番組「爆笑問題の日本の教養」・・・人間によって造られた「人間型ロボット」が「人間」に近づくとは「何を意味するのか?」・・・「大田総理」が「デカルト」の「われ思う故に我あり」と、「ニーチェ」のその「デカルトの命題」を疑う「哲学」をチラッと曖昧に言っていた。彼の「ニーチェの曖昧さ」はおいといて、多分、「われ思う故に我あり」では無く、「われ、認識するが故に我の存在あり」だろう・・・さらに、この言葉をボクなりに補足すれば「われ、対象存在を認識するが故に、我の存在を対象存在との諸関係で思惟、意識する」となるだろう。  ついでに、「人間らしさ」とは生物として発生した時点から「現在的な人間」として形成されてきた「プロセスとしての結果すべて」であるだろう・・・「多様化した言語」を有して、その「言語すべて」を実現しようとしているのが「人間」で、生物としては原生動物を含めた「他の動物」とはあまり変わらない「存在」である、ようだ。  少し前には日本に上陸し、「日本蟻」を駆逐していく「アルゼンチン蟻」の番組をTV番組でやっていたが、「社会的生活をするアリ」の存在とたいした違いはないし、あるいは蜜蜂を含めた「蜂の存在」ともたいした違いはないように思える。  「違い」があるとしたら「人間」は「実現」しそうも無い「妄想・幻想・想像」をも「言語」で「思惟・思考」する「存在」である、と、言うぐらいである。さらに言えば、「生死の意味」を考え、「自然界の弱肉強食」を「法的」な「善悪」の「悪」と考えたい存在であるらしい、のだが・・・。

 9月2日・・・NHK「ダーゥインが来た」・・・すごいなぁ~ッ、「日本蜜蜂の生態」・・・巣分かれの後の新しい「女王蜂」としての死活を賭けたタイトルマッチの戦いは、数匹の女王蜂候補としての資格のある同士での戦い。女王蜂の寿命は「3年」、働き蜂の寿命は「1ヶ月」、そして交尾の相手の雄蜂も「1ヶ月」。しかも、交尾時期の雄蜂の天敵は「ツバメ(燕)」・・・日本蜜蜂は「杉の木一家」・・・むかし、「手塚治虫」の漫画で「女王蜂と蜜蜂の分蜂」をアナロジーした「女の戦い」を読んだことがある。  9月3日・・・ボクの幼少年期から高校二年生まで住んでいた故郷に行ってきた。昔は2、3万の人口の街であったけれど、とにかく街を歩いている人々が見当たらない。家は結構モダンな造形の形をしていてヘェ~ッて思うのだがココで暮らしていた家々の風景はほんの少し。鉄道も駅も無い・・・自然だけはウッソリと緑に彩られていた。この街を貫く直線道路からは何処からでも見えるカムイの山も見えた。ボクが捨てられていたらしい「三角山」もあったし、蜜柑箱に入れられて捨てられていた、と言う橋もあった。卒業した中学校の跡地には工場らしきモノが立っていた。  9月4日・・・ジェット機は墜落もセズ、今回も傷害保険の掛け金2000円を損した・・・

 とにかく、ボクはまだ生きている「義務」と「権利」が「カミ」から保障されているらしい。  降り立ったココ(名古屋)は相変わらず蒸し暑い場所だけれど・・・

 また、帰ってきた、なッと・・

ーーーーー

 ・・・???・・・

  ↓↑   ↓↑

 移転したボクの「HP」の(中途半端な)目次

 ↓↑

 ボクの「古事記字源」の発端・・・

 ↓↑

 干支歴

 ↓↑

 追加添文

 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」





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