極東の国際関係の古代と現代
「胡拿意訳(コダイ)」の「壬申年」
と
「解務拿意(ゲンダイ)」の「丙申年」との混乱
これから展開していく叙述はすべて「古事記」に関連させて進行していくものである。私が「古事記」にパラノイヤ的にとりつかれ、混乱しながら、その「謎」を「遊び半分」に「解いたモノ」であって、深刻な「学術論文」ではないことを宣言しておこう。 「古事記」を読んでいくプロセスで、アレアレッ、これはナンダ、ちょっと調べて考えてみようとして、ノートに書き留めたコトを気楽に展開したモノなのである。 結果的に、「古代史」、「古代天文」、「占い」や「宗教」、「国語・言語学」や「漢字」、「姓名学」や「地名学」に興味のある人々にとっては決して「ツマラナイモノ」ではないだろうナッ、と・・・思っているのだが。 きっと、この書き上げたモノを読んでくれるアナタには、「古事記の文字」自体が「推理小説」以上の「推理」を始めから終わりまで、その「漢字の一字・一句」に「期待」し、その「謎を解き証される」ことに「挑戦」しているのだ、と云うことを理解してくれるのではないか、と・・・。 とにかく、「日本最古の記録文書(?)」であるらしい「古事記」に対するあなたの「興味」と「理解レベルの知識」が既に前提的に必要であり、「卑弥呼の古代史」や、「歴史そのもの」に興味のナイ人にはドウデモいいコトなのはイナメないであろう・・・だからここまで「立ち読み」したヒトには、ここまでか、ここからか、が既にハッキリとしている、と云うわけだ・・・ドッチにしても選択は、あなたの自由の範疇である。 ・・・かって、「ボキャボラリィ天国」の「タイトル」を掲げてのTV番組があったが、その感覚で読んでくれれば「結構、毛だらけ、猫灰だらけ・・・」である。 最初から言ってしまえば「古事記」に 使用されている「漢字」を「片仮名」、「平仮名」でヨンで展開し、「ハジメ」から「オワリ」まで、それに「同音異字」で「ヨマレるカンジ」や「エイゴ語」、「ギリシャ語」、「エジプト語(?)」を「与え」、その「イチジ・イック」のツナガリの可能性を追求したならば、「ナゾ」は「トキ・アカ・サレ・ル」のではないのか、と、一九九一年からズーッと考えてきたモノをまとめたモノである。 すなわち、「英国=エイコク=ぶりてん=分利点」、「英語=エイゴ=いんぐるす=音具(愚・虞・倶)留守」。「希臘国=キロウコク=えりにこ=得理似詁」、「希臘語=ギリシアゴ=えりにこ=重理似子」、「ギリシア」は「ギリシャ=義理者」、「埃及=エジプト=えじふと=絵字譜図」と敢えてヨムことをも含め・・・。 とにかく、私のノート、メモ書きを「序文」として、マヅは読んでホシイのだ。もちろん、あなたの手には「漢和辞典」があることを前提として・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 遊古史交・・・交故事考・・・考漢字振 ・ ・ 「古事記」の「存在、意図」は何処にあるのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 「古事記」への疑問 ・ ・ ・ 一、「タイトル」そのものの意味は? ・ 二、「序文」そのものの意味は? ・ 三、「古事記」に使用されている ・ 「漢字・文字」と「漢字・音」の意味は? ・ 四、「太安萬侶」その人は何者であったのか? ・ 五、「稗田阿禮」その人は何者であったのか? ・ 六、「天照大御神」とは誰なのか? ・ 七、「豊受大神」とは誰なのか? ・ 八、古事記に展開されている「場所」は何処であったのか? ・ 九、古事記に展開されている「時期」は何時であったのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ごく常識的なモノで、既にこのような設定で研究し、その「解答(?)」を「古事記=文学=歴史書(?)」としての「枠内」で導き出されていらしゃる先生方もアマタ多い。だが、これは「太安萬侶」自身がその「古事記・序文」で「古事記」を書かざるを得なかった理由を述べている「理解範囲の枠」での研究、解答でしかない・・・ジャァ、それ以外におまえには「ナニ」があるのか?、と言うことだが・・・まさに、「ゴカン」は「ナニ」と言う研究と、その結果の「解答」が「ゴ・カ・ン」と「ナ・ニ」であったと言うワケである。 スナワチ、私の場合は、これらの項目を日本人の学生が学校の「漢文授業」で使用する「漢和辞典」、その中で展開されている個別的な「漢字」の「日本語的(?)意味説明」と、たいがいには、その「漢和辞典」の後ろのページに展開されている「漢字自体の形成歴史に対する知識の説明」や、「日本人がいかにして歴史的に自国のコトバで漢文を読もう」として、その「法則」を形成してきたのか、その「読み方」を踏まえて検討したならば「古事記」が「何故存在」しなければならないモノのなのか、が明らかになった、と言うこと(?)で・・・単純なコトだった・・・のだが・・・それに気が付いて実行となると単純なコトではなかったナァーと。私に関して言えば、「辞典・辞書」は「目的のコトバ」の意味を知りたい時にだけ、その「ページ(頁)」と「項目」を調べたら、それで終わり。「漢和辞典」の前後のページの「能書」などは自慢じゃぁないけれど、読んだコトがなかった。それでも、「辞典」が「引けた」のは「あいうえお」、「アルファベット」順の「耳」が付いていたからだ。誰が「知りたいコトバの『耳=丁付(チョウフ)』を引く」と言う辞典の索引方法を教えてくれたのか、私には記憶がない・・・ナントなく・・・自然に、と言うハズはないのだが・・・。 それにしても「ページ(page)」が何故、「頁」の漢字が宛てられているのだろうか、あなたは不思議に思ったことはないだろうか?・・・この疑問は「漢字」に「とり憑かれた」わたしだけの特別なモノなのだろうか・・・とにかく、漢和辞典には 「頁」・・・「ケツ・ゲチ・シュ・コウ・ヨウ・エフ」 と「音」ではよまれ、「訓」では 「頁」・・・「おおがい・かしら・こうべ・くびすじ・うなじ」 とよまれているのだ。訓でこれを既知の漢字に宛てれば「大貝(おおがい)・頭(かしら)・首(こうべ)・首筋(くびすじ)・頚(うなじ=項=領)」であるが、 おおがい=大解・多解・覆解・多害・大劾・大我意 かしら =可視裸(羅・螺・拉・等)・下肢裸 こうべ =神戸・交部(邊・辺) くびすじ=句備素字・句美諏字・句比素字 うなじ =有名字・得拿字・卯(月)拿字・烏(日)拿字・鵜納(茄)字 と「同音の漢字」を宛てることも出来るのだ。 「頁」は漢和辞典の「解字・象形」には「人の頭と身体・人がひざまずいて稽首(頭を腰より下にさげる)の礼を行っているさま」とある。 「ページ(page)」は確かに英語にもかかわらず、私の使用しているワープロでは「ページ」と入力して漢字変換のキイを叩くと「頁」と変換されるのだ。・・・外来語が漢字になってしまうとはなんとも不思議であるのだが・・・ 頁・・・・・・・丁付・貼付 ↓↓ ↓↓ 調布 長訃・・・調譜 page・・・・記録・書物・歴史上の事件・挿話 [peid・] ペィジ・・・・・ヘイジ ↓ ↓ 平 時・平治・平字・柄時・並字 「並ぶ字」ならば「page(ページ)」に並ぶ単語は「pageant(ページェント)」である。 pageant・小姓 ・近 習 ・見 習 い・給 仕 コショウ・キンジュウ・ケンシュウ・キュウジ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ 呼称 ↓ 禁 中 検 収 球 璽 故障 ↓ 金 中 献 酬 旧 時 湖沼 ↓ 襟 中 研 修 宮 事 誇称 ↓ 恨 中 懸 州 究 字=旧事 ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 古書得 筋 柱 懸 収 球 事 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・その土地の「歴史的事件」を演ずる野外劇、見世物 ・行列・虚飾・みせびらかし 意味は「小姓」、「近習」、「見習い」、「給仕」、「その土地の歴史的事件を演ずる野外劇、見世物」、「行列・虚飾・みせびらかし」である。 ・・・「球」とは「何か?」である・・・「球磨」あるいは「琉球」・・・? ついでに「ギリシャ語」を調べてみると、 page・・・ギリシャ語では 「σελιδα」 (セリダ) ↓↓↓ 施理拿・・・芹田・競他 台詞拿・・・迫出 科白出・・・背理出 「νεαροs υπηρετηs」 (ネ アロ ス) (イピ レ ティス) ↓ ↓↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓↓↓ 音 亜賂 諏 意一 戻 帝 諏 並字は字が並ぶ、並次は次々と並ぶ、閉字は閉じられた(綴じられた)字ならなんとなくわかりそうだが・・・訓が「おおがい」なら・・・「頁」は「大貝」・・・「大海」。「おうがい」なら・・・「横臥意」、「王我」、「王害」、「王外」、「王涯」・・・「負う害」・・・「鴎外」。「おほがい」なら「麻穂苅」、「覆劾」・・・「被開」で、「将補解」なら・・・「まさに補う理解」で、納得出来そうだが・・・。「頁」が部首分解した「頁=一ノ目の足」ならもっと理解度は増す。何故なら「足」は「あし=脚=葦=パピルス(紙)=亜詞=吾詞」だからだが・・・これをヨメば「始めのヘツ(経柘)のマナ(真名)のタリ(他理)」となる。あなたには飛躍し過ぎて理解困難かもしれないが・・・「吾詞(アシ)」は「語詞(ゴシ)」であり、「娃詞(アシ)」は「娃=月の女=天女」の「コトバ」で、「亜詞(アシ)」は「あまねし=海女子の史」であることは、あなたにも追々理解されてくるハズである。・・・だが、何故、「足利(あしかが)」とヨムのか? 足 利 ↓ ↓ 亜史・加賀あし・かが 蛙史・掛・我あし・か・が(臥・俄・峨・蛾・娥)
・・・かえる、歴史、ワレ、カける・・