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ギリシャの哲学・ヒッポクラティスと  「古事記・字源」(3)


 「虎視耽耽」

 ギリシア語で、  「マクラー(ながい)」とは  「万葉集(和歌)」に於ける「枕詞(?)」で、  「ナガイ」とは  「那賀意・名賀意・名臥易・那珂易   長い・永い・長家(長屋)・永居・仲居・中居」で、  「古事記」に登場する  「伊邪那岐」  「伊邪那美」  の「那=國=賀の意味」だが  「長い弓のような国」なら日本そのもので、  国内の地名漢字の  「長崎・長野・陸奥」だろう。  「中居」ならば中国(中華・支那)、長州(中国・毛利藩)で、  「仲居=人+中+尸(屍)+古(十口)」ならば  「人は中、屍の古」で、  古代の「中」か「仲」の名前に関係する人物だろう。  隣の「朝鮮・韓国」も長い半島である。  朝鮮の人にとっては中国との国境線で区切ると  「うさぎ」に見えるらしい。確かに「うさぎ」に見える。  「因幡の白兎」と「大國主」の話し、  「月に住む杵で碓を衝く兎の姿」、  「亀と兎の競争」、  「三月に狂う兎」の話しだ。  「rabbit」は俗に「かける(駈ける)」と言う意味だが、  「呪う・臆病・聞きたがりや・ツラレミヤ病」。  で、「hare」だ。  なるほど諺には  「First catch your hare  (先ずは事実確認せよ)」がある。  「かける」とは  「梯子を倉にカケる」、  「十字架にイエス(殉教者・罪人)を磔刑としてカケる」、  「橋を川にカケる」、  「高い橋をカケる」、  「一所懸命」の「命」をカケルで、  「県(懸)名・「県(あがた)の名」でもある。  日本の歴史上の記録に関係するなら  「倉梯麻呂」、  「高橋=膳部」、  「切支丹」、  「都道府県の県名」である。  そして  「掛ける」、  「懸ける」、  「欠ける」、  「書ける」、  「賭ける」である。  「hare」に単語が似てるのは  「hear(聞く・聴く)」と  「here(ここ)」、  「hair(かみ)」だ。  「巻紙」か「頭を護る長い髪の毛」で、「神」であるな。  「let down one,s hair(カミをトク)」  である。直訳すれば  「カミをオロス」である。  曲解、音訳すれば、  「神を説く」、「神を降ろす」ではアル、ナっ。  宇佐の信託の疑義はドウなったのかねッ・・・阿部皇女?・・・ワケのキヨマロに裏切られたって・・・マっタクぅッ・・・キタナ麻呂めにッ。  「シャム(タイ=泰)王国」の先端「マレー(マライ)半島」はまさに「蛇の頭」であるが、「七世紀」ころの地名として「狼牙修(リンガスカ)」と「赤土」、「羅越」の漢字が記されている。  「シャモ」とは「アイヌ(蝦夷)」が「日本本土(?)」の「和人」を呼称したモノだ。  「ベトナム」は「越南・安南」で、その北部のハノイ地方を昔は「交趾(コウチン)」」といった。  「名古屋(尾張)交趾(コウチン)」と言えば食肉用の鶏肉のニワトリ(鶏・雞)である。ニワトリの鳴き声と云えば  「孟嘗君(モウショウクン)=田文(?~紀元前279年)・姓は嬀(ギ=女+爲)・鶏鳴狗盗」、函谷関の鶏の鳴き真似の食客、狐白裘を盗みだした泥棒の食客と、  キリストとは関係ないと、三度、裏切った  「ペテロ(岩の人)=ケパ=シモン」のハナシである。  「越鳥」とは「南国」の鳥で「孔雀(クジャク)」のコトだ。  「駝鳥(ダチョウ)」とは首が長く、足の長い鳥で、高速で韋駄天のように走る鳥である。  「越女(エツジョコウ)」とは  「越王・句践」が「傾城」の美女として  「呉王・夫差」へ贈った愛妾  「西施(セイシ)」であった。  「越絶書・十五巻」とは漢の  「袁康」、  あるいは  「子貢」の諸書と言われ、  周代の越国の興亡史である。  「越度(エツド)」とは無法者の旅で、  日本語では  「落ち度、過失、失策」である。  「越前・越中・越後」とは  能登半島を中心とした北陸道、裏日本の地名である。  外国の「長い足のような國」とは  「イタリア(伊太利亜)」である。  ギリシャも半島であるが、ギリシャとトルコ、クレタ島に囲まれた「エーゲ海」を透かし彫りにしてみたら、  「ロールシャファーの実験」でなくても、  まごう(真合・馬合)ことなく、  「獅子が怒って後脚で立ち上がり跳びかからんとしている姿」  にみえる。ギリシャの  「エビア島」も長いが、  「ボロス湾」を囲んでいる半島はまさに『鈎』だ。  私には「半島」の多くは「ナガイ蛇の頭」のように見えるが、岬のことを「鼻」とも云う。人体の「先端」にあるのは「鼻」であるが、性的に「興奮した男」ならば「ペニス」となるだろう。「女」ならば「二π(Π)」である。だが、「高い鼻」の持ち主は一般的には「天狗」か「西洋(西域・胡人)」である。「鼻の患い」に関しては「鼻ガミ」が必要なのは云うまでもないが、「鼻」から生まれたのは「須佐之男」であった。とにかく「鼻祖(ビソ)=元祖(ガンソ)」の「耳鼻科」である。トウゼンにもコトバは「眼(ガン)科」の「メ」にもカカるのだ。  そして、当然にも「ダチョウ」は「拿帖・妥長」の「ダ調」である。  「菜害(なガイ)」なら  「釈迦」の「仏滅」の原因は「毒茸の中毒」であったらしいが、「毒茸」や、「茄子」の「食合せ」の食あたり、過度の「野菜類の食いすぎ」であるが、日本では季節の「七草(七種)」は「厄払い」の「健康食品」であった。別な意味で「くいあわせ」とは建築材木の組合せ、組立で、「くひあわせ」とは「歯(は・シ)を噛み合わせる」ことだ。  「歯」の別な意味は「齢(歳・年)」である。  歯科医は「デンタルドクター」ではあるな。  江戸時代の『尚歯会』とは種々な説もあるが、「通説」は「蘭学者」の「サークル」であった。もちろん、中心人物は「渡邊崋山」、「高野長英」、「小関三英」のトリオであった。「デッパ」の人間は夜には「大熊座(the Big Dipper)」の天文を観察していた人物、  文政十一年(1828年)  十月十日のシーボルト事件で逮捕され  伝馬町牢屋敷で死亡後「塩漬け」にされ、「斬首」された  「高橋景保」かも・・・「グロビウス(Globius)」とは洗礼名?  「名臥意」なら「名を臥(伏)せる意味」である。  「名賀意(国名の意)」、「拿賀意(国の連合、同盟の意)」ならば、「名害」で「名誉毀損」である。  「拿害(六合・六害)」の「害(そこなう・さく)」は「干支占い(四柱推命・淵海子平)」では、「地支六害」と云う。「地支六合」である協力や、和合、仲良くさせない「邪魔だて」や「妨害の関係」である。スナワチ、「仇害」、「横やり」、「意地悪(位置割る・委地倭留)」である。

 合=「B」と「C」は「+(支合)」で仲良し  害=「A」は「B」を「→(支冲)」で衝突して「C」に邪魔・害  合=「C」と「B」は「+(支合)」で仲良し  害=「D」は「C」を「←(支冲)」で衝突して「B」に邪魔・害

  A→B+C←D   A  →←  B  +   C   →←  D   ↓ ↓ ↓ ↓ ↓     ↓     ↓      ↓   丑→未+午←子・・・牛→(冲)←羊+(合)+馬→(冲)←鼠   亥→巳+申←寅・・・猪→(冲)←蛇+(合)+猿→(冲)←虎   戌→辰+酉←卯・・・狗→(冲)←龍+(合)+鳥→(冲)←兎   酉→卯+戌←酉・・・鳥→(冲)←兎+(合)+狗→(冲)←鳥   巳→亥+寅←申・・・蛇→(冲)←猪+(合)+虎→(冲)←猿   午→子+丑←未・・・馬→(冲)←鼠+(合)+牛→(冲)←羊

 「冲」は「衝突」と同意で「衝(ショウ・あたる・つく)」とも言われるが、ぶつかり合って砕ける意味で「冫」は「氷」である。堅いモノが衝突すれば砕けるのは合理で道理である。似ている漢字は「沖」である。「沖」で白く砕け散るのは「イワ(磐・岩・巖・違和)」にぶつかる「ナミ」である。  この漢字の類似(字)の示唆を深読みすれば  「阿倍仲麿」の中国名『朝衡』、天秤の「平衡棒」、「合従連衡」の「衡(コウ・よこ・くびき・横木・てすり・はかり)」である。  「冲」の類似(字)は「沖」であるが「冫(氷)+中」と「さんずい(水)+中」の違いである。「こおり(氷・郡・桑折・凍)の中」にあるものは「氷=冷(つめたさ・つめたし・レイ)」、「郡=字(あざ・あざな・ジ)」、「桑折=道具(ドウグ・道を具える)」、「凍=結晶(ケッショウ・結ぶ晶)」である。「つめたさ(津女多差、詰め太作)」、「爪足し」、「詰め他誌、他氏、他紙」、「例、齢、霊、蠣」である。  何故「桑折(又=十=日=右手)」が「道具」なのか?、  何故「凍」が「結晶」なのかは  「桑」の漢字の造り  「三又(サンユウ・サンウ・サンイウ・みつまた・三日)+木(モク・き)」と、  「凍」の漢字の造り  「氷(ヒョウ・にすい)+東(トウ・ひがし・ひんがし・あづま)」と、その「音」の同音異字にある。「三(みつ・サン)」の「又(また・ユウ・イウ・ウ)=右手」は「叉」に類似する。  元々「インド密教」は「仏教」と「ヒンズー教」とが結びついたモノだ。そして「中国密教」は更に「道教」が結びついたモノだが、  「日本密教」は更に唐に伝播したあらゆる宗教、  「景教(キリスト教)」、  「回教(イスラム、マホメット教)」、  「ゾロアスター教(拝火教)」  等が包含されモノに「日本山岳宗教」が結びつけられたモノである。どんな「宗教」でも「結論的な共通項」は  「天体」に集約されていく。  その「日月星辰」の循環する観測記録は「暦」であった。  「占い(四柱推命=淵海子平)」とは「暦(年月日時の60干支の循環)」であり、その円盤図形配置の「幾何学の数理」の諸関係による「示唆」と。それらに「五行思想」を重ねた「暗示」である。  「林子平」、  仙台の儒学者  「桜田虎門」が  『推命書』という名称で  『淵海子平』の訳本を著した・・・  「害」と同じく  「そこなう」と訓じられる漢字に  「地支相『破』」がある。

  巳→破合←申   ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫   未→破刑←戌   子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥   子→破 ←酉   寅→破合←亥   午→破 ←卯   辰→破 ←丑  図を見ればわかると思うが、ある「支」から数えて  「十番目」と  「四番目」にある関係である。  十二支を円上に循環させれば必ず「十番目」と「四番目」にあたる。一般的には「十目(とめ)」、「四目(よめ)」と云っているものだ。  「相破」であるから「両者共に破(そこなう)」である。  違っているのは  「巳→破合←申」  と  「寅→破合←亥」は「破合」であり、  「相、破(そこな)いながらも和合」だ。  「未→破冲←戌」は「破冲」で、  「相、破(そこな)い、さらに衝突」の結果で、  「己(キ・つちのと・おのれ・よこしま)」が出て来るのだ。  ところで、古語の名詞では「とめ」は「老婆・老女・嫗・媼・媽」で、動詞「とむ(尋む・求む)」の活用形で「とめ(憶測すれ)バ」である。「留め場」は江戸時代なら「伐採、漁労の禁止場」、「劇場の取締り人の詰所」、「芝居小屋の木戸番の所」だ。そして「富め・泊め・止め・渡女・斗目・留め・渡目・登目」である。  「よめ」は「嫁・嬬・嬪・妃・妻・婦」で、動詞ならば「よむ」の活用形の「読め」で「数をかぞえる」、「文章、詩歌、経文を声をだしてヨム」で、ある。  「よも」ならば「東西南北・前後左右・四方」である。形容動詞ならば「よめ(良め)」だ。そして「夜目(暗中で読む・夜の眠り)」である。副詞の「ヨモ」ならば、「打ち消し推量の助動詞」の「じ」をともなって、  「よもや、まさか、決して・・・で、あるまい、なッ」  である。またく、  「現存・古事記」はヨモヤ、  古代ギリシャ人の  「イシャ・クスシ」を  「マクラー」の  「ヒッポクラテス」を掛けているのでは・・・あるまいな・・・!?   とにかく、「害」と「破」は「姑」と「嫁」の関係であるらしい。  だが「嫁姑(カコ・よめ、しゅうとめ)」の「相性」をこれで考えるなんて云うのはナンセンスであるとは思うが・・・  『華岡清洲の妻』なんて云う凄い小説(有吉佐和子著)もある。  『華岡清洲』は「賀茂真淵」が『万葉考』を完成させた  「宝暦十年(1760)」に「紀伊」に生まれ、  「天保六年(1835)」に死没している。  名前は「震(ふるう)」、字名は「伯行」、通称は「随賢」で、  「全身麻酔」の実験で妻を「失明」させながらも、  麻酔薬「麻沸散」を開発し  「文政二年」に「乳ガン手術」を成功させた人物であった・・・ここは「嫁姑の確執」よりも「カコ(過去・加古・水主=水腫)」と「医者」を考えてみるべきである。  「害・破」は「天文・地理誌・(占術)」の概念なのだが、「夏(暑い)月の生まれ」は「冬(寒い)月」に弱い、あるいはその逆に冬生まれは夏に弱いとか言われる場合の、ある「生月支」に生まれた人が「健康上の弊害」を被る「周期の月支」の言葉でもある。  特に季節が身体に影響するモノは『皮膚』に著(いちじる)しく現れる。  「ヒッポクラテス」は  「季節に対応する流行病」をも観察、研究した人物であった。  「中国の占い」は「漢方医学の基礎」を成すモノであるからヒトが誕生した「生年月日(時)」の「干支のバランス」によって「ある季節に対しての箇々人の健康上の快調、不調」の判断もする。  治療方としては「身体患部に対する温熱と冷却」のバランスである。  「ヒッポクラテス」もその医学上の治療方法は  「バランス」と云うことであった。  「人相」や「身体相」、「手相・爪相」などは「ヒッポクラテス」にとっては「病人・患者」に対する「医学上の観察診断」の経験的にして知識的技能のうちであったのだ。  私は原著の日本語翻訳を読んだが、漢和辞典には  「黄帝素問(二十四巻)」は  「黄帝(軒轅氏・姓は姫)」と  名医の  「岐伯」との医学的問答書であると記されている。  これは  「ヒッポクラテスの医学」  と重なっていないか?・・・「ヒッポクラテス」の記録をみれば「解剖学的」な知識もあったようだ・・・当然、古代エジプトの継承「知識」である・・・ここは「黄(き・こ・やむ・やまい・かつみ・オウ・コウ・ウ)」の熟語、故事を漢和辞典で全て調べて、同音異字も検討してみることだ。  「黄」は中央、日光、  「三歳以下の子供」である。  『黄梁一炊夢』とは唐の「李泌」、あるいは『沈既済』の作った小説らしいが、物語の内容は少年の  「盧生」が  「邯鄲」の旅宿で仙人の  「呂翁」に出会い、  その  「枕」を借りて寝たところ  一瞬の間に都で立身出世をする夢をみた故事である。  これは『邯鄲の夢』、『邯鄲の枕』、『一炊の夢』とも云われるモノで、この本のタイトルは  『枕中記』と呼ばれているのだ。  「夢枕」とは「神仏、死者が夢に登場し何かを警告してくれること」である。上代古語では「ゆめ」は「いめ」と発音したらしい。  この「枕」は「枕詞」と関係ありや、なしや・・・  「枕がへし」とは「死者の枕を北向きにかえること」とある。  「橘則光」と結婚し、長子「則長」を産み、離婚、その後「藤原棟世」と再婚して娘の  「小馬命婦」を産んだ  「清少納言(諾子=なぎこ)」の  「枕草子」のタイトルの意味は何か?  「諾子(なぎこ)」の著作の別名が「清少納言記」であるならば「枕草子」は何かの示唆であるハズだ・・・  草薙・・・彼女がおよそ  「七年間(正暦四年・993~長保二年・1000)」仕えていた  「中宮、定子」は「三人の子ども」を産んだが、  「第二皇女」出産の時に  「二十五歳」で死亡したのだ。もともと彼女は病弱ではなかったのか・・・自然の変化、時間の流れ・・・  「ヒッポクラテス」は「妊娠」した婦人達の「やまい」の経過を鋭く観察、記録している。   とにかく、  「やまい」の『枕詞』は『足引き』であった。  「伊吹(息吹)山の白猪」との戦い疲れて  「足なえ、足を三重に折って曳づた」のは  「ヤマト・タケル」であった。  そして「白鳥」になったのだ。  「猪(亥)」が「害」するのは「猿(申)」である。  とするならば  「猿(申)」は「ヤマトタケル」と言うことだ。  当然、「古事記」の「猿」とは海に沈んだ  「猿田彦」  と、その後をついだ  「猿女」である。  「申」は「もうす」で、  『旧約聖書・モーゼ』の「申命記」である。  同音異字を採るなら「喪碓・藻臼・母兎州・模胡州」である。  「ヤマトタケル」は  『小碓命』であった。  「黄帝」は「軒轅(ケンエン)」であった。  しかもその「姓」は  「姫」で、「姫」の本義は「跡」の意味である。  『姫水』のほとりに住んでいたからと謂われる。  彼の母が「巨人の大きい足跡」を踏んで彼を産んだのである。  これは古代中国の『周王室』の「姓名」の由来でもあった。  唐時代の『則天武后』は彼女が権力を握った期間の  国号を『周』ともしていた。  「姫(ひめ)」の同音異字は「媛(エン)」である。  「亥(ガイ)=猪・いのしし・異之獅子(嗣子・宍・四肢・志士・司史=司馬遷の『史記』)」が  「相破」し「相合」するのは  「寅(イン=音・隠・引)=虎(コ・とら=斗拉・図羅・渡羅)」  であった。  「臥意(ガイ)」するのは  「音(イン・おと・おん)」と「印」である。  老いて「やまい」になったら日毎「黄草(よもぎ・コウソウ)」を煎じて飲み、モグサ(蓬莱・艾)のお灸でアッ、アッ、アッチィチイと治療し、指を折って太陽の「黄道」をみながら「何時になったら・・・なおるんかいなぁ~・・・」と嘆息しても、人世、人生、短かろうが、長かかろうが最期は『黄泉(よみ・コウセン・オウセン・きいずみ)』に逝くのである。  だが「人世」は「ハカなくはナイ」のだ。いま現在イキテいるコト自体がすごいのだ。病になっても、まだ生きている人間には「ハカ」はいらない。そして「己の死の経験」は「生きて経験」は出来ないのだ。「死」はイツモ、「他人の死」でしか有り得ないから涙も出て来る。  「臨死経験」も「生きていて話せる」のだから感嘆せざるを得ない。  だから現世がイイのである。  『墓無(はかない)』とは「自分の死後のことを心配して生きている奴の嘆き」である。特に財産、権力を握った者は「死ぬこと(病の進行)」がどうにもならないものとなれば、「死後」のことを憂えるのだが、「天国」に逝けるかどうかではない。「棺桶」と「墓」の心配であり、「死んだ自分の遺体や白骨と、その納まる場所」に対しての遺った者達の心遣いの要求である・・・  タマシイが「地下生活する場所」や「現世復活する場所」での供養にである・・・  とにかく、巨大墳墓、霊廟の造営であった。「転生」や「輪廻」を思い付いたら、タマシイの中継所である「神殿・神社・廟・寺」が必要ともなる。そして、生きているモノは「死んだモノへの鎮魂のツトメがある」と云うことらしいのだ。  だが、「スフィンクス」に護られている四面三角錐の三大ピラミッドや、三重の壕で水をたたえた「前方後円墳」造営の知恵者はどうやら「墳墓機能」だけを目的にしたのではないらしい。  「スフィンクスの謎かけの問い」は「四本・二本・三本」の「足(脚)」を有するモノとは?、であった。  その「答え」とは「赤子・成人・老人」の「人間の歩行(一生)のありさま」であった・・・巨大なモノを造営する人間にとってはそれなりの条件が必要だ。  「余剰生産物」があって、その「再分配」で「造営労働力」を確保出来る、ということだ。「余剰穀物」はそんなに長持ちはしない季節的サイクルの食物だ。「旧約・創世記ヨセフ」の「七年間の豊作」があったとして「七年間の飢饉」を賄える「貯蔵・保存」などには無理がある。  だが、「豊作物の余剰」を誰が無駄にし得ようか・・・「減反」とか「青田刈り」とかは世界の何処かで飢えている子供たちを思えば、「ツインタワァー」の崩壊以上に「犯罪」である・・・  「非直接生産者(土木建築労働者、奴隷)」に「再分配」したのだ。  そして、  「前方後円墳」はその穀物栽培の生産力を高める為、  「水利機能」をも備えたのだ。  古代エジプト、古代メソポタミア、古代インド、そして廃墟となったカンボジアのアンコールワットは「水の知識」こそが繁栄の決め手であった。  「水」の象徴とは「大蛇(ダイジャ)」と「龍(リュウ)」であった。そして「霧雨」に光が反射する「七色の虹(にじ・コウ・グ)」も「龍」である。  近世エジプトの「猫のミイラ」と同様に古来発掘された「恐竜の骨」は漢方での「薬」であった。いずれも「ナーガ」で、「ヘビ」のような「長い紐や帯」はその水の象徴である。  「枕中(チンジュウ・チンチュウ)記」は  字義通りに考えれば  「枕の中」にあるモノは「籾(もみ・ジン)殻」か、「豆(まめ・トウ・ズ)類」の記録である。  寝る道具としての「枕」に沈めるモノは「頭(かしら・トウ・ズ)」で、視たモノは「夢(ゆめ・ム)」であった。  「ム(シ)」は「私」の本字であり、「肱(ひじ・肘・菱・日出・秘事)」であり、「よこしま」と訓じる。  そして「よこしま」の漢字は「邪(ジャ)」であった。  「邪の道は蛇」である。  「宄=キ(宀+九=ヨコシマ)=記紀(古事記・日本書紀)の未知は「字也」で「酉(酒の容器)」であるのだ。酒を飲んでイイ夢が視れるか、どうか・・・  「枕(チン・シン・まくら・ねむる・のぞむ)」の漢字分解は  「枕」=「木(き・ボク・モク)」       +「宀(やね・おくや・ベン・メン)、あるいは         冖(おおう・おおい・ベキ)」       +「人(ひと・ジン・ニン)」  である。「冖(おおう・おおい・ベキ)」は「冥(ベイ・メイ・くらい=暗い)」と「蔽(ヘイ・おおう)」と同類の概念からきている、と漢和辞典には記されている。  「冥土」とは「死後の世界で暗いところ」ではある。そして  「冖(わかんむり)」は  「幎(ベキ・おおい)」、  「冪(ベキ・おおう)」の原字とある。  「枕」の説明には「車の後部の横木。軫」ともある。  カタカナの「ワ」は「冖」である。  古語辞典には平仮名の「わ」は万葉仮名漢字の  「和・丸・・+宛・倭・宛・渦・輪」  とある。ならば「ワ=冖=わ」で、  「車の横木=軫」ならば  「わ」は「丸」か「輪」のくずしたモノだ。  そして  「枕」の右字の旁は  「尢(オウ・ワウ)」や「尤(ユウ・イウ・ウ)」の類字なのだが、  「尢」には「点(ゝ)」がない。  「尢」は「あしなえ・すねの曲がった人・背が曲がった小人・背虫」で、「足引きのヤマトタケル」だ。  また  「兀」は「尢」の俗字とある。  「兀」はギリシャ語の「Π・π」と類似するが  数学記号の「π」は「円周率」である。  「Π(パイ)」は「几(キ・肘かけ=比字掛)」と類字だ。  「尢」に「点(ゝ)」がある「尤」は  「異なる・かけはなれている・すぐれる・あやしい   もっとも・とりわけ・はなはだしい・とがめる・うらみ・うらむ」  であり、国語的には  「もっともだ・道理である・ただし・とはいえ」とされる意味で  「尤」はまったく、その漢和辞典の意味説明が極端である。  「尤」の類字は「犬(ケン・いぬ)」で、  訓でよんだ「いぬ」の異字は  「狗(ク)・戌(ジュツ・シュツ・シュチ)」  である・・・躯術、躯出・九主地・・・  ・・・「枕」=「木」+「宀、あるいは冖」+「人」とは「キのウのヒト」、あるいは「キのワ(ハ)のヒト」で、  「際・紀和・記和・鬼話・希話」のヒトだ。  「際のヒト」とは「国境の人」か「死際の人」だが、「国際人」カモ。  「キハ(基葉・姫葉・希葉・記葉)、   キバ(牙・鬼場・氣場・紀場・記場)」の人で、  「鬼門(北東=丑寅=牛虎)=冥土」の人カモ。  「紀和」は  「西暦年号の紀年の和(数)」か、  あるいは  「紀の和」で「紀伝体・紀事・日本書紀・紀暦」の  「和合、調合、混合、加算」だが、  「倭(神武即位元年)の紀元」は「あやしい」が、  『西暦紀元』の『660(六百六拾)年前』、  『辛酉年』とされている。  スナワチ、「BC・660年」である。  「ヒッポクラテス」の生誕と死没は  「BC・460年~BC・377年」であった。  「BC・660年」に重なるのは  「アルメニア(ペルシア・イラン)」の  「アヴェスタ経典(拝火教・妖教)」の  『ゾロアスター(スピタマ・ザラトゥシュトラ)』の  誕生(BC・660年~583年)である。  「七十七歳」で死没だ。  「660」と  「77」にこだわった  「古事記」、「日本書紀」の編者は  「ペルシャ人の思想」を有していた人物であるハズだ。  中国ではこの時代は『春秋時代』であった。  「丸か輪の人」で、  「丸(まる・ガン)の人(ひと)」とは  「船の人」で、  「円人・猿人・麿人(まろうど=間浪渡=客人)」だ。  「輪(わ・リン)の人(ジン)」とは「倭人」だが、  字面からは  「阿蘇外輪山の人」の示唆と  「日月の輪の人」であるだろう。  「隣(となり)人」、「鱗(うろこ)人」、  「林(はやし)人」、「淋(さびしい)人」、  「臨(のぞむ・み・うつす)の人」とは  「写実」、  「葬式の時に棺にとりついて声を挙げて泣く礼」である。  熟語には  「来臨」、「臨海」、「降臨」、「臨検」、「臨月」、「臨終」、「臨床」、「臨機応変」で、「臨本(手本)」、  「臨兆(水=サンズイ+兆)」は地名で  「万里の長城の起点」である・・・  「履武尋(リムジン)」とは  「倭の武王」か  「天武天皇(大海部皇子)」の  「履歴を尋ねよ」だが・・・  歴史上のすべての「武王」の履歴に臨め、である。  「理六壬」とは  「占いの六壬課」で  「六支=巳(蛇・ジャ)」、  「六干=己(土弟・キ・おのれ・よこしま)」、  「六=亠+八=音略の八」、  「六=陸(リク)」は「陸奥の人」・・・  ここは  「六を尋ねよ」か、  「六大陸」を調べよ、である。  「枕(まくら)」の類字は、  「眈(にらむ・たのしむ)」、  「酖(ふける)」、  「忱(まこと・まごころ)」だが、  「耽羅国」や「耽美」の「耽(タン)」を省けば  同音異字の「チン・シン」である。  「チンジュウ」ならば「沈重」で重なって沈むか、重くて沈むものだ。  「菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重」を波の上に敷いて海に沈んだのは  「日本タケル」の妻  「弟橘姫」で、「沈嬬絨(毯)」である。  海に沈んだのは「白村江」で「唐の劉将軍」に敗北した  「倭(斎明天皇、中大兄皇子)の水軍」であった。  そして海に沈んだのは  「遣唐使」であった。  ともに「沈沖(忠は忠義、忠誠。柱は命)」で溺れ死んだのである。  「シンジュウ」ならば「臣従」か「心中」である。  「耽溺」と言う言葉はボクの「漢和辞典」にはないが  「虎視耽耽」はある。  「翼を有する虎」とは「天武天皇」だが・・・  「耽溺」は酒に溺れることだから本来的には  「酖溺」であるはずだ。酒に溺れて「アルコール中毒患者」になってしまえば「幻覚」も視るようになるのだ。  十二支で「比喩」される  「南東・辰巳・辰己・巽」の方角の「動物」で、  存在しようもない「珍獣」は「龍」だが、  その実体は「水の龍神」と言われる「竜巻」であり、実在する  「高さ八尺以上の馬・名馬」、  「木星(龍尾)」、  「山脈」の比喩である。  そして「鎮守雨(兎・烏・鵜・胡・宇)」であるだろう。  「龍門」とは「司馬遷」の生地であり、  「扶風」とは「班固」の生地であり、  「龍門扶風」とは彼らの編纂した歴史書である  「史記」と「漢書」だ。  「劉(リュウ)」とは「漢王の姓」で、  「白村江の海戦(天智二年・663年)」に於いては  「唐の『則天武后』配下の水軍提督」の「姓」であった。  「枕に伏(臥)す」とは  「睡眠」か「病床の枕」であり、  「三国史」に於ける  「陳史(陳寿の歴史)」を敷いた  「古事記・日本書紀」の「枕詞」であるハズだ。  もちろん、「卑弥呼・壱与」の「邪馬台国」である。  「沈註」であるなら  「日本書紀」そのものの「註」で「一書にイワク」であるハズだ・・・  そして古語辞典で  「枕詞」と並列されて述べられるのは  「序詞」である。  「序文(序詞)」が違和感(?)をもって付いているのが  『現存・古事記』であった。  『堀達之助』も自分の著作した辞書  『英和対訳袖珍辞書』に『序文』を書いて付けたのだ。・・・多分、「枕の言葉」とは「鎮魂・鎮守」で、「不遇な死に方をした人」に対する「慰め」と「追憶」が込められ、カケているハズだ。  「ヒッポクラテス」は  「神聖病」のところでは「やまい」を  「カミ(一者)」の仕業ではなく、  「自然界の生物のバランスのあり方によって生じる」  と云っているのである。当時にあっては「自然の人体」が被った「やまい」を「科学的」に観察し、「合理的」な考え方をした「医者」なのだ。  だが、イカンセン、  「日本人」は「日本語音声」を記録する手段として  「漢字(万葉仮名)」を利用したのであった。  同時に「漢字自体の意味」も記録する手段とした。  これは古代エジプトの「神聖文字」と同じ方法である。  だが、「漢字」の意味を日本語で考えるときに「混乱」せざるを得なかったのだ。  例えば「たくみ」と云う言葉であるが、訓でよまれる「タクミ」の「異字漢字」は複数あり、この各漢字は異なった意味の「個別特殊」的なモノなのだが、これを一般概念としても「特殊概念」としても「技能者・技術者」を「たくみ」と音声で呼んだのである。逆に云えば元来、「日本語」は「語彙」が少なかった、と言えるのだ。それは「漢和辞典」を診ればすぐ判るだろう。多数の「異字漢字」を「日本語」で説明してあるが、その説明になんと「同じ日本語で重複されて説明されているモノが多い」ことか。  ニュアンス的な意味の違いは「漢字」を眼(視覚)で捉えることによってのみ初めて  「何のタクミ」かを理解できる。  「一見は百聞にしかず」である。  「音」よりも「文字」である。  御利益は「観音様」であるが、  「観音」様の「文字字体」だ。  『太安萬侶』が「序文」で「漢字」を「音訓両用」として使用する、と云っているのはまさにだが、ここは、  「古事記学者、研究者」は  その「裏の意味」も考えてみるベキだろう。  「序文じたい」が  読者の「思い込み」を誘う「落し穴」であると  同時に「ヒント」なのだ。

 石工=木工=大工=建築物の司(長官)          =匠(たくみ)=貳(次官)          =工  ↓        ↓  ↓        おさ・うし・ぬし・すぐり・おみ・かみ  杢        つかさ・みやっこ・あがた  ↓  巫(みこ)=覡(かんなぎ)=匠(たくみ)=醫=医(くすし)  神子=御子・神凪=禰宜・工     薬師     医者・神主=伎(わざ)  かんな=鉋(木を削る大工道具)  醫師  ↓↓  薬師

 名人=タクミなワザの人物     (名は著名、有名、名誉で、「人」の形容詞だ)    =「多工見・詫口見・多躯診・他供美・多句見」のヒト    =「多汲・他組・汰酌」のヒト・・・           「斟酌(シンシャク)」            ↓↓ ↓↓            新釈・人爵    =「名人」は字面とおりの「人に名つけたモノ」と考える

 視覚的には「漢字」そのものの「意味」で、  「・・・のタクミ」であり、  「専門分野のタクミなヒト」である。  だが、古代に於いては  「たくみ」とは「百科全書」的な「技能者・技術者」であり、「専門的には未分化」な存在であった。  スナワチ、  「巫(みこ)=女王・王」とは「宗教、政治、建築、土木、医事」等、「すべての分野に於ける技能者」で、「すべる人・すめるヒト」で「たくみなヒト」であったのだ。その後は「女王・王」と「神官・坊主・医者・大工・陶工・仏師・画家・諸分野の官吏」等にその職業分野は専門分化していった。  そして「よこしま」とヨマれている漢字も複数あるが  「邪・冒・犯・姦・漢・横(閂・かんぬき・横棒)」等で、  「横=木+黄」とは、  「キ(記)は水戸『黄』門の卷貫」、  「大日本史」の「巻抜・間抜・抜粋・姦貫・諌貫」で、  「翰駑記」だ。  「芸(藝)術」の「藝」の漢字も「農芸の技術(わざ)」であるが、  「卜筮の技術・占い・卜占」であり、  訓でよむなら  「うらない」である。  やっかいなことに  「藝(ゲイ)」は  「芸(ウン)」とは異字で、  「香草の名前」で意味も違うのだ。  まったく、「芸(ゲイ)」と「芸(ウン)」の  漢字の何処が異なるのか、  「柿(シ)」と「柿(ジュツ)」、  「市(シ)」と「市(フツ)」、  「七(シチ)」と「匕(カ・ケ・ヒン・ビん)」と「ヒ(ヒ)」、  「セ(バ・メ・やぶにらみ=斜視)」と「セ」  等もまずは自分の眼で漢和辞典を調べ、確かめてミヨ、である。  この「類似漢字」が  「現存・古事記」の伝えたい(?)コトの  「ウラワザ(伎・技・業)」にもなっているハズなのだ・・・?  さても、  マタマタ、トンでしまった。  問題は「ヒッポクラテス」の記録であった。  訳文の「2(に)」を抜粋すれば、

 2 「消化器障害」において、     また自発的に生じる「嘔吐」において、     「浄化」されるべき物質が浄化されるならば「良好」であり、     「患者」にも「快適」である。     そうでなければその逆である。     「浣腸」の「場合」も同じで、     「排泄」されるべきものが排泄されれば良好であり、     患者にも快適である。     そうでなければその逆である。また、     「季節と環境と年齢と疾病」とを考慮して、     治療が必要かないかを知らなければならない。

 と、ある。「消化器(胃腸)障害」、「嘔吐」、「浄化」、「良好」、「患者」、「快適」、「浣腸」、「場合」、「排泄」、「季節と環境と年齢と疾病」の漢字は「古事記」では「何(ナニ)」を意味するのか「考慮」するに値するハズだ。スナワチ、

  消化器・・消火器・商家記・証掛紀・昇華記・照耶鬼   障害・・・・渉外・傷害・生涯   嘔吐・・・・欧渡・横徒・追徒・王都・尾宇斗   浄化・・・・城下・嬢嘉・譲渡・擾都   良好・・・・良港・両校・領崗・漁港   患者・・・・鑑邪・官邪・諌者・換写   快適・・・・海敵・甲斐敵・戒敵・解手記   浣腸・・・・干潮・館長・艦長・管長・官庁   場合・・・・馬合・婆姶・罵逢   排泄・・・・敗説・輩説・配窃・稗説   季節と環境と年齢と疾病   何(ナニ)・名似・拿似・那似・納爾(ジ)   考慮・・・・孝旅・皐旅・交慮・敲慮・勾慮      ・・・・コウ、リョ=乞う侶・恋う虜      ・・・・コウリヨウ=公理用・高利用・功利用・小売用

 等々の同音異字を重ねてみるのだ。  「現存・古事記」は江戸時代の「蘭学者」、  特に、「蘭医」、「翻訳者」の産物ではなかったか?・・・  「藍の意」ならば  『伊達宗城』で、  幼名が  『亀太郎』、『兵五郎』、  號が『藍山』  「文久二年」に  幕府『参与』、  明治維新で「議定・外国掛」、  「民部卿兼大蔵卿」、  「清国全権大使」、  『修史館副総裁』であった・・・  とにかく、「現存・古事記」の編者は  「ヒッポクラテス」の著作を読んでいたハズだ・・・


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