プラトーン、「古事記」を語る(2)
プラトン(Πλάτων・Plátōn・Plato・紀元前427年~紀元前347年) 冥王星(Pluto)
ギリシャ語、「μονο(モノ)」
さて、ギリシャ語で「μονο(モノ)」は、「たったの=exclusively 」、「単に=just」、「ほんの=only」であった。当然、日本語では、この後に「・・・だけ」と言う言葉が添えられる。 「ダケ」は「岳・嶽」で、「竹・丈・茸・炊け・焚け」、そして、「他家」と「長け」、「武」である。「ダ・ケ」なら「拿」、「懸」で「あわせカケル」である。 「ほん(本・叛・翻・奔)の(野・之・乃・埜・廼)・・・だけ(岳=丘+山=キュウ・サン=おか・やま)、ヨ」で、「μονο(モノ)・οροs(オロス=山)」、あるいは「μονο(モノ)・οροσειρα(オロシラ=山脈)」で、「単一の山脈」である。ならば、「探位置のサンミャク(纂診訳)」と云うことデアル。
「モノ=物=者=母乃=ははすなわち =巴頗素拿輪地、 母之=ははこれ・ぼし =葉葉凝 ・母子=模詞=星」 「オロス=降ろす=下ろす=卸す=山」 「オロシラ=将鷺新羅=尾路白=山脈」
「俄」は 「ガ・にわか・にはか・たちまち・すみやか・ほどなく・かたむく・たかい」 とよみ、「『俄』羅斯」は「オロシヤ」で、「ロシア」であった。 同類の漢字は「『峨』=『娥』眉山」と「蛾」で、これは「天女の山・仙女の山・月女の山」である・・・「素娥」は「色白の美人」・・・「蘇我の美人」・・・「蘇=艸+魚+禾」であるが、「魚+禾」だけの漢字は見あたらないから「蘇」は「日の下の真名の能義=よみがえり=読み換え理」とよむのだ・・・「鮮卑」は「興安麗の東を根拠地とした蒙古族で、慕容・宇文・拓抜の三氏」が出、「拓抜氏は北魏を建国」した。この三氏の名前を素直に読めばいいのだ。「簿要・胡文・拓本の抜粋」と・・・「朝鮮」は西の隣国である・・・「鮮(セン・あざやか)」は「真名」は「ひつじ(筆字)」で「日辻」・・・「大きな山から離れた小山」である・・・九州の島原、「普賢岳」の側に「眉山」があるが・・・「雪」を頂く「白山」や・・・「富士山」の示唆で・・・「フケン」の音の「鎌懸け」である。 「ほんの・・・ψωτια(フォティア=焚け)」なら「本の焚書坑儒(孔儒・乞授)」で「本の紛書の口授」である・・・ちなみに、「モノトーン=monotone」はギリシャ語で「μονοτονοs(モノトゴス) ηχοs(ヒホス)」でもある。意味は「単一の音」である。
とにかく、この「ほんの・・・だけ」の検討に入ろう。 「本」は「木+一」か、「十+八+一」で、木の根元(一)が「本」で、「もと」、「ホン」とよみ、同音異字に「翻(ひるがえす)・叛(そむく)・奔(はしる)」の訓みの「漢字」がある。 何故、このように「もと」と訓んでしまったのだろうか?・・・「キのネ」は「モ・ト」であるからだ。「モ・ト」は「母の屠(しかばね)」で「根の国」、「黄泉(ヨミ)の国」と云うワケだ。「古事記」では死んだ「伊邪那美の国」である。 そして、「母の都」、「母の妬」は「石女(うまづめ=馬爪=午詰=烏・卯間津女)」で、「母の嫉妬」の話は「仁徳天皇」の皇后「石之姫=磐之媛」である。 ・・・誰に「嫉妬」したのかは詳しくは「古事記」をよむがイイが、「吉備の海部直」の娘、「黒媛=黒日賣」に対してである。「石之姫=磐之媛」は「葛木(かづらぎ)曾都毘古=葛城襲津彦」の娘である。「履中天皇=いざほわけの命=伊邪本和氣命=大兄去来穂別尊」の母であり、彼女は「仁徳天皇」の妃である。この天皇の妃も名前は「葉田宿禰」の娘、「黒媛」である。
石之姫=磐 之媛・・・「葛木(かづらぎ)」曾都毘古=葛城「襲 津」彦の娘 委話詞 華面 疑 龍衣水聿=姐柘 黒 媛=黒 日賣・・・「吉備の海部(あま)」直(じき)の娘 九呂 秘め 海女 自棄=時期=字記・事記 黒 姫・・・・・・・「葉田(はだ)」宿禰(すくね)の娘 波田=秦 州九子=素句音(根) 圃
嫉妬は「木花之佐久夜姫」の姉、「石長姫」もしたに違いないし、「垂仁天皇」に醜いと嫌われた「美知能宇斯王」の娘、四人姉妹の下の「二人」の「弟(おと)姫」と「圓野(まどの)姫」も「上の姉の二人」に嫉妬したに違いない。だが、彼女、「圓野(まどの)姫」は地名を残した・・・相楽(さがらき=相良羅記=佐賀羅記)の「懸木(さがりき=懸け紀)」と、堕国(おちくに=越智国=越知国=緒知句似)の「弟国(おとくに=音国=音句似)」だ。これは「彼女の言った言葉」をみればすぐその意味がわかる。「垂仁天皇・円野比売」から抜粋してみれば、
「又隨其后之白、喚上美知能宇斯王之女等、比婆須比賣命、次第比賣命、次歌凝比賣命、次圓野比賣、并四柱。然留比賣須比賣命、弟比賣命二柱而、其弟王二柱者、因甚凶醜、返送本土。於是圓野比賣慚言、同兄弟之中、以姿醜被還之事、聞於隣里、是甚而慚、到山代國之相楽時、取懸樹枝而欲死。故、號其地謂懸木今云相楽。又到弟國之時、遂堕峻淵而死。故、號其地謂堕國、今云弟國也。」
これを読み下したモノを私が漢字転換してよめば、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・同 兄 弟之 中、 以姿醜 被 還 之事、 ・↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓↓ ・↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓↓ ・同 じ 兄 弟の 中に、 姿醜 きを もちて 還 さえ し事 ・ドウジ キョウダイ チュウ シシュウキ ジシテ カンサエ シジ ・↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ 持ちて ↓ ↓↓ ・同 字 鏡経 台題 衷 史集 記 字詞弖 巻 叉重 指示 ・↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ↓↓ ↓↓ ・は ら か ら の なかに すがたみにくき もちて かんさえ しこと
・↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓ ・頗羅 化 螺 乃 那賀似 素賀侘美似句記 模置出 監査得 史古都 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・聞 於 隣里、 是 甚而慚、 ・↓ ・隣 里 に 聞こえむ これ 甚 慚 し ・リン リ ジ コレ ジン ザンシ ・倫 理 路 之 尋 懺 史・・・(纂史) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ちかさと に きこえむ これ いとはずかし ・置化叉塗 似 紀姑得務 之 伊都頗頭下肢 ・治下差都 貳 記虎重武 し はなはだはずかし ・ 詞 葉名把拿把図懸史 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ジンサンシ=神参詞(神記)=仁讃詞(仁徳記)=陣山師(壬申記・関) ・尋 纂 詞 ・尽 傘 史・・・ツクシのカサのシ=筑紫の加佐の始 ・壬 算 支・・・ミズのサンのシ=亥・子・丑の占術の「合沖刑破害」 ・ 申・子・辰の占術の「合沖刑破害」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これはアキラカに「古事記」と「日本書紀」の「差異」を云っているのだ。 そして、「又・『隨』・其・后・之・白」は、
又(また=亦=股=俣)=サ・シャ・・・・・・・・王 隨(ズイ=随=髄=瑞=蕊)・・・・・・・・・・・隋王朝・随(惟)神道 其(キ=箕=鬼=穐=季=記=企)・・・・・・・・期(紀・記) 后(合=業=轟=郷=號=傲=語)・・・・・・・・後 之=これ(来れ・是・此・惟)・・・・・・・・・・惟 =シ(詞・史・師・祇・姿・姉・始・支・誌)・・施 白=しろ(代=城=新羅) =ハク(箔・粕・珀・泊・拍・舶・柏・迫・薄 ・狛・博・伯・栢・掃・履・噴)・・・・剥 =いわく(曰)=磐句(磐余=神武天皇) =盤句(宿曜経・天文飛泊)
とヨムのである。 ・・・「随王朝=『煬帝(ヨウダイ)』」の「残党」、「新羅」である。 『煬帝(ヨウダイ)』の末裔は 720年・「大隅隼人・直坂麻呂」に殺害された 『陽侯(ヤコ)史麻呂(ふみまろ)』である。 『陽侯(ヤコ)氏』は学問で朝廷に仕え、 西海道に勢力を有していた一族である。 「虫(インセクト=insect)=『エンドモ(εντομο)』」の 「ヤゴ」は 「宙返り(翻筋斗・somerset)」する 「トンボ=アキツ(蜻蛉・蜻蜒・・)=ドラゴンフライ(dragonfly) =サルタンビコス(σαλταμπικοs)」 の「幼虫」である。 「ドラゴン・フライ」の直訳ならば 「飛龍」であり、 「比劉」である。 「劉」は「漢王朝の姓」であり、 「白村江の海戦」で勝利をおさめた 「劉仁軌」将軍である。 当然にも「神武天皇記」に記されている 「登美・能・那賀・須泥・毘・古」は、
登 美 能 那賀 須 泥 毘 古=鳶(鷹)の長巣根・斗診(箕)長諏音 と み の なが す ね び こ=渡 美濃 長洲子 尾来
であり、 「エン(円=つぶら)」を描く動物や虫に出来事、場所、地名と「天文学盤=占い盤」と「重複」させているのだ・・・「随王朝=『煬帝(ヨウダイ)』の興亡」・・・その前後の歴史を、である。 「石之媛=磐女」なら、中国の宇宙を発生させた男女神、「天地開闕の天子」の「盤古」と「五色の石を練って天の割れ目を補い、オオガメ(大亀)の足を切って天を支える柱」とした「女(女+咼)」である。チャンスがあるなら彼らの絵を見て、その「手」に「何」を持っているのか確かめてみるとイイ・・・ ギリシャ語の 「Γ(ガマ)=γ」、 「T(タフ)=τ」、 「N(ニ)=ν」、 「Λ(ラムダ)=λ」 の「アルファベット」は何を意味するのか・・・ 英語の 「C(シ)」、 「T(テ)」、 「N(エヌ)」、 「V(ヴィ・ビ)」 の「アルファベット」が何を意味するのか・・・ ギリシャ語を転換すると、 「臥真・侘婦・尼・羅武拿」・・・ 「がま=鎌(鎌足)・釜(鍋釜)・窯(窯土)
蒲(蒲穂)・蟆蝦(ガマカエル=蝦夷)・畫真(真を書)」
である。 ・・・英語を転換すると「仕・手・重・奴・部位(賣)」・・・・
(ガマ)=γ T(タフ)=τN (ニ)=ν Λ(ラムダ)=λ 臥真 侘婦 尼 羅武拿 鎌(鎌足=草刈) 多父(オホのフ) 貳 螺鵡妥 釜(鍋釜) 太父=大夫 児 ラ(等)無駄・羅武拿 窯(窯土=木花之佐久夜姫の八尋殿・・ようど=用度=酔怒) 蒲(蒲穂=白兎と大国主の話・・・・・しろうさぎ=史郎詐欺) 蟆蝦(ガマカエル=月の象徴・・・・・類字は蝦夷=蘇我蝦夷) 畫真(真の書・賀の真)
C(シ) T(テ) N(エヌ) V(ヴィ・ビ) ↓ 仕 手 重奴 部位(賣・毘・日) ↓ 詞 出=氐=弖 柄奴 分彙 日 鎌形=半月 山+山=山重=30 エン=円 ↓ サンサン=3×3=9=球=求=宮=舅=久=旧=鳩 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・天 地 開 闕 の天 子の「盤 古」と ・テンチ カイ ビャク のアマ コの バンコ ・転 地 開 百 海女姑 蛮 姑 ・天 智 拐 珀 海部虎 判 虎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・五色の 石 を練って 天 の割れ目を補い、 ・ゴショク イワ ネッテ アマ ワレメ オギナイ ・誤植 飴話 音柘手 海女 倭蛎女 緒疑名飴 ・胡触 異話 子晦主 尼 我 女 嗚畿内 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・鼈 の足 を切って 天 を支える 柱 とした「女咼(女+咼)」 ・オオガメ アシ キッテ アマ ササエル ハシラ ジョカ ・大 賀女 阿始 鬼都手 海女 娑早得留 頗姉螺 女嫁 ・将補娥女 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先に述べたことを「私の漢字遊び」と思ってくれて構わないが、「ヨコシマな途方もない学識の奴」が「現存・古事記」を記録したコトは「真実」である。・・・「はた・はた・はた」と思えば「ハタ=秦=太野=多」氏の係累であろう・・・これは既に「大和岩雄」氏の研究が詳しいので興味があるなら彼の著書を読んで欲しい。だが、「大和岩雄(ペンネーム、本名?)」と言う名前も不思議だ・・・「長」を研究するべくして当然の人物が有する名前そのものカナと・・・だが、彼は「偽書」と言う「漢字」の研究をしなかったのであるカナぁ~(?)・・・。 ・・・「岩(磐・巖・石)の人」ならば「新約聖書=バイブル」の「伝導者」、「岩」のように「イシ」が「カタイ」人物は「ペテロ」である。「ジャンヌ・ダルク」と同類で、「幻覚を視たカクシンハン」だな。
「歴史的な人物」が登場するにはその「時代的な必然的背景」がある、と云うことだ。
新約聖書=バイブル(Bible=Testament=βιβλοs) 伝導者(mission=αποστολη) 岩(rock=πετρωμα・βραχοs・πετρο) 意志(will=προθμια)
「モト」は「母」の「杜=木土=キド=鬼怒・鬼奴・鬼度・軌度=木戸」で、「モリ=守」である。「木戸孝允」とは「桂小五郎」のことだったナ。なるほど、「垂仁朝廷」から「ヤマト老師木登美豊朝倉曙立王」の称号をもらった人物ではあるラシイな。マ、ッタク、お巫山戯るじゃぁナイ。「斎部広成」が「古語拾遺」で「洩れたる・・・を」と言っている意味もわかろう。「・・・」には「水」が挿入され「洩れたる水」が常套句だが・・・すると「水=御津=みつ(密・蜜=日曜日)=オンシン(音信)=言葉の音、便り」である・・・「大江山、いく野の道の遠ければ、まだフミもミズ、アマのハシダテ」を「母のタヨリは未だ手にしていない」の別な意味も見えよう、というものだが・・・「大江山」は「亀岡」にある。「生野」は「福知山」、「天の橋立」は「タンゴの宮津」であったカ、さすが「単語の診八尋」である。一五歳の才女、「小式部内侍」、「和泉式部の女(むすめ・オンナ)」に惚れた男の顔を見たいモノだが・・・彼の生存期間はタブン、幕末あたりのホンヤクシャだろうナッ。とにかく、雨漏りするのは家の屋根・・・屋根は山のこともヤネと云うが、「古事記」には「天児屋根」と云う「神」がいて「中臣氏=藤原氏」の祖先とされている。「天(二人)・児(旧儿)・屋(尸一ム十一)・根(十八艮)」である。スナワチ、
天(二人)・・・・・・二人・・・布達・府絶・蓋柘 天 転 典 児(旧儿)・・・・・・古い足り・宮訊・球陣・球磨人・久万人 字 事 辞 屋(尸一ム十一)・シカバネのハジメのヨコシマ、ジュウイチ 夜 耶 哉 ・志賀婆子 葉字女 与姑志摩 重 囲地 根(十八艮)・・・・ジュウハチウシ トラ・・・・鬼艮(丑寅) 音 値 禰 従 頗地鵜史渡羅
「天」から「山」に「降」った「雨」は「尾根」の「谷間」から「流れて来るセセラギ」の「水」である・・・海女から洩れたる御津(みつ=オンシン=音信)の言葉・・・天の星の啓示を受けた「巫の言葉」である。「杜」は「鎮守(チンジュ)の杜(もり)」であり、「森・盛り・漏り」である。「森=三キ」の「作字」の意味が理解出来れば「埜(の)=二キ十一」の意味も解るであろう。「拾遺(しゅふい・ジュウイ)=手合中一目人・」は「周囲・集異・拾意・重意・獣医・重囲」で、「中意=那賀囲=那珂委」、「柱意=派子羅移」、「紐囲=妃模移=帯位」、「註意=言主意=言趣意=権首位」、「注意=そそぐい=蘇素句意=『楚遡虞慰』=姐甦具移=掻愚意」である。「虞美人」は「楚王(項羽=猿)の妃」であった。ここは漢和辞典で「楚」を調べよ、である。「いばら・むちうつ・いたみ」とよみ、古代国家の「楚」には「熊繹」、「林子弘」、「馬殷」等の人物が登場し、「楚狂接輿」の諺もある。「イバラの冠」と言えば「イエス・クリスト」だ。心を「イタメタ」のは「マリア」である。日本の「耶蘇教徒」、殉教の地は長崎、天草、島原で、「肥の国・佐賀、熊本」である。 そして、「モト」は「喪土・喪都・喪屠」、「藻土・藻渡」、「裳塗=衣裳と化粧」、「模斗=北斗七星の動きの模倣」で、「熊」である。 ・・・「漢字」で確認出来る最古(?)の日本の文書は「古事記(712年)」と、「日本書紀(720年)」である。一応、「歴史書」と考えられているが、「歴史学者」や、「歴史研究家」でさえ認めている怪しい部分が盛り沢山の「記録文書」なのだ。当然、すべてを「鵜呑み=(之・野・埜・乃・廼)み(見・視・観・診)」には出来ない「シロモノ」なのである。とは「持統天皇=字等・辞等・字問う・辞問う」であったが・・・ はっきりしているのは、この現存の「写本されてきた『古事記』、『日本書紀』」の「記録文字」は「編纂(篇纂)」、「篇集(編集)」、「作成」された時代を「背景=事件・状況」にした「日本語」であると言うことだが・・・(?)・・・「当り前だ世(ア・タリ・マエ・ダヨ=娃・足・理・前・拿・輿=阿田の里の魔の重、拿与)」ね・・・だが、「現存・古事記」の時代は「712年(安麻呂)」も、「1372年(賢瑜)」も、「1764~98年(本居宣長)」も、怪しいモノだ。彼らのナマエがネッツ、ヒッ掛かるのサッ・・・ 「源存・古事記」のことじゃぁないから、誤解しないでくれ・・・「現存・コジキ」でアル・・・