プラトーン、「古事記」を語る(4)
プラトン(Πλάτων・Plátōn・Plato・紀元前427年~紀元前347年) 冥王星(Pluto)
ギリシャ語・モノ
「木花之佐久夜姫」は、別名「神『阿多』都姫」で、『阿多』を音で採れば「あだ=仇(かたき=堅・姫?)=艶(つや=通夜)」である。彼女は「富士山の浅間(あさま・サンゲン)神社」の祭神なのだ。「鍛冶屋のカミさん」である・・・ギリシャ神話では「醜男、鍛冶屋のヘパイストスのカミさん」は「美の女神、ヴィーナス」で、「宵の明星」、「暁の明星」と呼ばれる「金星」である。・・・「ブイ名素」は、なるほど「海に浮くガラス玉」である・・・「部位茄子=米茄日=皿那須」・・・とにかく、別名、「貝から誕生」した「アフロディテ」だ。「阿府呂出移手」、「阿武芦出意弖」でもある・・・「娃が風呂を出、衣て」ならば、温泉で湯浴みして出た「天女が羽衣」を身に着けて、だが・・・ところで、富士山頂で「竹取物語」に登場する「カグヤ姫」の養父母の「ジジとババ」は姫からもらった「不老不死の薬」を惜しげもなく燃やして「煙(ケムリ)」にしてしまった。 「ケ(懸)・ムリ(無理)」は、「藤(藤原氏)」、「宇治」、「不治」、「不時」、「不死」等に、九州の「有明海」の「不知火(しらぬい)=フチビ」を「浅間神社」の「木花之佐久夜姫」に無理に懸けたのだ。・・・婦、夫、父は「チビ」で、「少名毘古」かアイヌ伝説の「コロポックル」で、「姑(琥)露歩晦矩留」だ。 「ケムリに巻く」とは次に展開するイイようのモノだ。 「ケ」・・・「毛」は日本語で「け」、中国語では「マオ・モウ」である。「マオ」は「真緒」、「真将」、「間尾」、「魔牡」。「モウ」は母烏(ははカラス=太陽)で、「七ッの子(水、金、地、火、木、土等の六星に月)が、ある」から「カァーとナク」のだが、この「カラス」は「ケンちゃん演じる馬鹿殿さま」が言うように「トキタマ」、「カラスの勝手」で、「モウ」と鳴くのだ。 「モウ」と「ナク」のは」「牛=丑支」である。「『金』牛宮=Taurns(トウラス)」は星座の位置で、「牛」はギリシャ神話の「神さま、ゼウス(Jupiter=木星)さまの化身」である。太陽から「二番目の金星(Venus=ヴィナス)」がその「座宮」の「守護星」なのは、「ギリシャ占星術」が大好きな人にはスグわかるだろう。 「シュメール、カルディア人起源」の「天文学」、それに基礎を置いたギリシャ人、「クラウディオス・プトレマイオス」の「天文書=アルマゲスト」、そして「占星術書=テトラビブロス」。 「ゼウス(Jupiter=ジュピター=ユピテル=木星)」の片仮名の文字に注目してほしい。 ゼウス ジュピター ユピテル 1586年頃の日本史に登場する人物でキリスト教徒としての洗礼名が「ハビアン(不干斎・巴鼻庵)」が存在する。大坂のセミナリオ、長崎のコレジョでキリスト教を学び、天草コレジョで日本語教師となり、林羅山と論争もした事のある人物として「5W1Hの知的世界史(香内三郎・東京大学教授著・発行:情報センター出版局)」に紹介されている。 「ハビアン(不干斎・巴鼻庵)」は1605年にキリスト教教理の正統性を記録した「妙真問答」を著作し、1607年にキリスト教を転向し、著作した「妙真問答」を否定する「破・提宇子(デウス)」を著作した。「デウス(提宇子)」とはキリスト教の「神」のことであるが、ギリシャ神話では「ジュピター」であり、 ゼウスは、ギリシア神話の主神である。 「ハビアン」は「ゼウス」を「提宇子(デウス)」と漢字を当てているのだ。 提・宇・子=デ・ウ・ス である。 提宇子(デウス)は「雷」を司る天空神であり、オリュンポス十二神を初めとする神々の王なのだ。そして、人間と交わるときの「デウス=ゼウス」は「白鳥」や「黄金(欧筋)の雨(あめ・あま・ウ)」などに変身する。 「古事記」に登場した英雄、「ヤマト・タケル」は「ヤマトオグナ(倭男具那)」であり、「小碓命(ヲウスのミコ)」であった。しかも「小碓」は最後には死んで「白鳥」となったのだ。 ワダングナ=倭男具那 ↓ ↑ 話談、そなえる名(拿・納)、 「黄金(オウキン=欧言=欧筋=西欧のスジ) の 雨(あめ・あま・ウ) 提・宇・子=デ・ウ・ス→変身→白鳥 ゼ・ウ・ス ↓ ↓ 小・碓=ヲ・ウ・ス→変身→白鳥 トウラス ヴィナス シュメール、 カルディア クラウディオス・プトレマイオス アルマゲスト テトラビブロス あなただったら、この「カタカナ」をどんな「漢字」で、書き換えてみるだろうか。私だったら「日本書紀」、編纂時代の人物や事件に重ねてしまうのだが。 そして、ギリシャ神話では「黒いカラス」は元々は「白いカラス」であったのだ・・・「シロ」である・・・そして、「マリア・カラス」は世界的なオペラ歌手である。何故、美声の歌姫がガラガラ声の「カラス」であるのか?・・・すぐ謎はわかる・・・ギリシャ語では「カラス」は「美しい」であるからだ。 「白い虎」は「西」の守護神であるが、「東」ではない・・・「虎=寅支」は「北東」に存在するのに・・・理由は方位学の規矩である。その反対方向に「猿=申支」があり、この「サル」と喧嘩(衝・冲)したのだ。「猿」に負けて、「東北」を「ウ・サギ=ウサ・ギ」に任せて、「西」を護ることになったのだ。・・・「トラ」に勝った「サル」も何処へ去った・・・「北」に行って「鼠=子支」と、「南東」へ行って「龍=辰支」と仲良くしたのだ。 これは、どう云うことか・・・「虎」は「日本書紀」に記されている「吉野」へ坊主となって隠居した時の「天武天皇」の例えだが、この「虎」に「翼」まで着けて、「ウワサじゃぁ、翼の着いた虎を放つようなモノ」と言っているのだ。「虎=寅支」は「馬=午支」と「犬=戌支」と「三合会局・火」と言う「連合」を結ぶのだが、「翼」を持つ動物ではない。羽根があるのは「鳥=酉支」なのだが、「鶏(にわとり)」では、肉か卵で虎の餌なのだ、喰えるが、体重が増して天空を自由に駆け巡れるようなシロモノではナイ。だが、虎は「西」の守護神、「翼」をも有する「白虎」になった。ナント「翼」を「虎=寅支」と「三合」する「馬=婆=午支」が持っていたのである。 ギリシャ神話では「天馬=人馬宮=射手座(Sagttarius=サジタリュウス=ケンタウロス族のケイローン)」で、その守護神は「雷艇」に乗る「木星=ジュピター」、その「聖鳥」は「鷲(わし)=Eagle(イーグル・鷲・鷹)=αετοs(アエトス)=Kite(カイト・鳶・鷺)=χαρταετοs(カルタエトス)」である。バビロニアでは「マルドウク神」だ。「鳶職」とは「高場」で「井形」に「足場」を築く職人のことだ。 中国の天文学では「馬=午支=南方位で、丙=太陽」、守護神は「朱鷺=朱雀」なのである。エジプト神話では「ホルス」で、「鷹」で「太陽と蛇」である。 サジタリュウス ケンタウロス ケイローン イーグル=αετοs(アエトス・ギリシャ語) カイト=χαρταετοs(カルタエトス・ギルシャ語) バビロニア マルドウク 英語の「鳶(とび)=Kite(カイト)」は他の意味が「詐欺師」で、「ペテン師」、凧(たこ)、英語では「鷲(わし)」は「Eagle(イーグル・たか・鷹)」、「鳶(とび)=鷺(さぎ)」は日本語の発音そのものが「サギ=詐欺」である。 鳶(とび)も鷲(わし)も、鷹(たか)も、鷺(さぎ)も空中で「円を描きながらエモノ」を狙う。「目の視力は抜群=女の資力、死力は八(罰)軍」なのだ。 「凧(たこ)」は国字で、漢字では「風箏(フウソウ)」と書き、「風鈴」や「琴=古都」の意味もあり、「竜田姫」は風霜=封綜で、「絶つ」だ。「凧」ならやはり、空中で「糸(いと・シ)に操られて円を描く『玩具(おもちゃ)』」である。 「マルドウク」は神だが、「まる・どう・く」で、「丸同句=魔留度得琥」。 「サジタリュス」は漢字を当てれば「挫の璽、多くの瑠の素」。 「ケンタウロス」は「瞼太雨露素=圏多雨露州=繭多盂絽笥(簾)=華奴侘芋蕗州」。 「ケイロン」は「形論(経論・鶏賂務=卵)」で、これらの共通する形は「まる=丸=円=真留」である。そして、同音異字でみれば、 とび=斗美=北「斗」七星が描く円の美 わし=和紙=「環支」の循環 たか=「多くの花」は円 さぎ=「磋(瑳)技」は玉を磨く技。座議=円座の議論 たこ=タコは手や足に出来る丸いマメ、疣(いぼ)。 「蛸」はアシタカ蜘・カマキリの卵。
「鮹」は八本足に丸い吸盤を持つ。 タコちゃんはスミを吐く である。・・・たこ焼き屋の若いオバちゃんか・・・なるほど。 ・・・しかも丸い天体、太陽はその中に黒点が「カラス=烏=鴉=三脚の足を持つ鳥」のような形を見せるのである。・・・烏、香良洲、枯らす、嗄らす、苅らす、駆らす、刈らす、穫らす、狩らす、唐州、華羅州、韓羅州、空諏、空き巣・・・ ・・・「アキス泥棒(どろぼう)」とはコレだが・・・ ・・・「どろぼう」は中国語ではなく、発音からして「日本語」である。 さても、アキス泥棒・・・「空き巣ドロボウー!」である。安芸州のドロボウか、それとも安芸州が泥棒されたのか・・・安芸州(あきす・アンゲイ・芸州)とは現在の広島県だが、その背後の国は石見である。戦国時代のこの安芸の支配者は毛利藩で、幕末は長州藩とも呼ばれた。アキツシマとは何処の国なんだか、イザリのコジキさん・・・カイを採るんだか、マナを捕るんだか・・・泥棒(盗人=ぬすっと)できなくなったら乞食でもやらなくちゃネッ、桂小五郎(木戸孝允=キドコウイン・きどたかよし)・・・アゲクは参議兼文部卿、変節漢の征韓論者・・・西南戦役の最中に病死か。 あき・す・どろ・ぼう=秋・州・泥・棒 ↓ ↓ 水+尼 ↓ ↓ ↓ 立田姫 ↓ 木+奉=キをタテマツル=紀宝(宝姫) ↓ 姫 絶て祭る ↓ ↓ ↓ 炊事 =推字=誰似 ↓ ↓ 推古天皇 ↓ 火欠コト 水+尼=ミツのアマ・・・平家物語の尼 三 の海女 十五夜の丸い月にも「赤い目をしたウサギが杵(キネ=鬼子)で臼(ウス=卯州)を衝いている姿」のように見えるのだ。 ・・・しかも現代では三つの惑星、天王星、海王星、冥王星が知られているが、太陽を母親とすれば、「6+3=九惑星」である。中国では「氣門遁甲」と言う「占いの一部」で、「九星学」と言われる「魔法陣」の数は、方形、3×3=9の縦横斜めの三っの升目の中心に「五」を置き、一から九までの数字を他の升目に入れて「加算が十五になるパターン」を基礎にしてこの数字の年月日時の動きで運勢を占うのである。あなたも一度は占ってもらったんじゃぁナイのか・・・「高島易断」 ・・・多分、ギリシャ人にその知識を伝えた「古代カルディア人」は肉眼で見えない星の存在をも、何らかの方法で宇宙空間に立体的に動いているのを知っていたのだ。 ・・・プラトーンは「冥王星=メイ(明・盟・姪)・オウ(横・姶・王)・セイ(生・誓・政)」である。 「明度=冥土」で、「冥土=ワ+日+六(亠+八)」。 カルディア=「珂瑠皇子」は文武天皇、「軽皇子」は孝徳天皇である。「化」して「留」め、「出」す「意」の「吾(蛙=かえる)」である。「元禄忠臣蔵の時代」に・・・「おかる」と言う「女性」が「祇園」にいたが・・・
腱=「スネ=脛=髄=臑」のウラの筋
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
月(肉偏=ジクヘン=字句片)
+
需(アメ+シカ)
↓ ↓
骨+有+辷 編 詩歌
↓
月+一+巛+工
阿女 史家 州根 志賀 素子=素音 鹿=王 膝=月+木+八+水=つ きき やつ みつ 都 危機 奴 壬頭 晦 鬼気 夜都 未頭(満・充・萬=萬葉) 柘 器機 耶都 箕頭(蜜・密・三=参=纂) 焼津 また、漢字分解では「腱(ケン・ゴン)=月+建」で、北斗七星の尾が示す季節の「月の方位」でもある。 「トロイの木馬(甲午=カンゴ=干支の参拾壱番=漢語・看護・監護・巻後(古事記以後)」・・・甲午年は持統天皇八年である・・・事件は?・・・あなたが調べて欲しいが・・・
・・・名古屋=尾張人なら「トロイ」の代わりに、「タワケ(戯=ギ・奸=カン)」とも怒り、笑って馬鹿にするだろう。だが、「タワケ」の語源を考えてみるがいい。「田分け」である。田圃を他人に分けることは「アホ(阿呆)」なのだ。スナワチ、領地を分割されるのは、まずい、負け(魔気)戦争(いくさ=伊具佐・あらそい=阿羅訴位)の結果であるからだ。「秦の始皇帝の西安に築いた阿房宮」も燃えてしまった(紀元前22年)。もちろん、「タ・ワ・ム」は「多話ム(よこしま)」で枝が曲がる、「し・な・う」は「支那雨」は「科有(トガあり)」だ。「科」とは「学科=科擧」で、「専門分化した学問=弁(辯・瓣・辨・わきまえる)学問」でもある。「弁財(才)天」は琵琶を持つ「弁恵(慧)」の女神だが・・・ ・・・歌舞伎の「勧進帳」では「安宅の関の関守」の「富樫(トガシ)左衛門」の前で「源(ミナモト)義経」は「配下」の「弁慶(ベンケイ)」に「酷く棒で打たれた」が・・・しかも読み上げる「巻物は白紙」であった・・・「カン(ム)ジン(ム)チョウ」である。 関西語の「アホ」の語源は「阿保=阿母=娃補=吾捕」に違いない。何故なら「気(鬼)の強い(つよい=晦夜帷=キョウ=狂=怯=凶=しい=四囲=私意=思惟=椎=あしな)・女の領主=淀君=茶々(治屋池家)」を守って大阪城は落城したからである。すると正妻であった「禰々(ねね=子々)」が「北の政所」と言われた意味も解るであろう。 天文六年(丁酉)二月六日生まれの秀吉の母は「仲」であった。「豊臣秀吉」の別名は、「日吉丸=藤吉郎=猿=針鼠=『ヨ・彑(類字は互)』」であった。彼の軍師は「竹中半兵衛重治」であった。その子供、「竹中重門」は「豊鑑(豊臣家の歴史)」を著作した人物である。秀吉は自分の命令で「秀吉・古事記」なるものを作らせたらしいのだが、私は未だにそれを見たことがない・・・とにかくここに挙げた人物名と著書に注目してほしいのだが・・・「黒田勘兵衛」も、「蜂須賀小六」も・・・ 「古事記」では「鈍い=邇侮委(にぶい)=ドン=土奴=怒武」なら「邇邇藝命」が「神『阿多』都姫=木花之佐久夜姫」と「笠沙御前(カササのミ・サキ)」で出会い、「一宿(ひとや)」で妊娠してしまった事に対して、そんな馬鹿な話はない、と姫を「侮蔑(ブベツ)=あなどって」し、それに対して姫が「八尋殿=穴」に篭り、火をつけて「三人(三柱)の子供」を産んだ物語である。 祝福されて生まれた「末子」が「火遠理命」で「神武天皇」なのだが、その裏のイミは、「火遠理命」は「火の力や勢いがニブイ=蘯(とろい)=鈍(のろ)い=呪い」時に生まれた、カラなのだ。 ちなみに「豊臣秀吉」が造った「大阪城」は「黒色(北の色)」、「徳川家康」が造った「江戸城」は「白色(西の色)」である。とにかく、秀吉恩顧=関西方の大名の城はクロ、家康恩顧=関東方の城はシロで統一されたのだ。双方、このイロにこだわった白黒の理由は「源平の政権交替思想」にあるハズだ。 もちろん、「お月さま」の周期、朔の新月から望の満月の上弦の変化の期間を「白博叉=白分」と言い、満月から晦日の下弦の期間を「黒博叉=黒分」と言う、この現象を重ねているのだ。 検討してみよう。 アル =有る=或=在る=阿留 掘り出しモノ =補理拿下のモノ とんでもないヤツ=飛んで模内=跳んでもない 團 出母乃 博 多模廼 富武出母那内 価値のないヤツ =カチ(勝ち=与え=與え=吾耐え)の ナイいヤツ 内・乃・亡・無 価値のあるモノ= カチ(勝ち=与え=與え=吾耐え)のアルモノ 華地=中国・中華 有・或・在・存 副詞 =伏支=伏詞=葺史=覆史 形容詞 =掲揚支=京様詞=鶏幼子(ひよっこ)=経要旨 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本語 =・尼本後=二本語=似本誤=弐翻語=貳叛娯 ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 修飾語 =就職=秋色は変化多=愁色 昔話(むかしはなし) =昔噺=夢仮死話=昔離し=昔放し 賦歌詞花詩=牟下肢離し=矛架支把名詞 =シャクワ=借話=借倭=釈輪=杓環=石和=赤環 ここ掘れ、わんわん =箇々、浦と嶺、湾、倭武
ポチ =母地=墓地=模地=募知=牡地=暮地=姥地=蒲地 ↓ 塚 相模 呉 松浦 仏 花咲爺=鼻先時事=塙埼時事・・狗のハイをマイてハナサク ↓ 句 葉異 真意 派名索 ハナサカジジ 把名左記時事=木花之佐久夜姫 宝物が埋まっている場所= 宝姫(斉明女帝)が 卯末 出・・ウマツテ=馬都手 ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ウ祭って 婆津主 法仏(法部柘 )画、 有真柘手居る 忠犬=中堅=紐懸=丑(ウシ)懸=注顕 =忠建(ヤマトタケル) ウス=臼・薄・有珠・碓 =渦=雨土 =宇土 意地悪爺 =壱倭婁時事=位置環流時字=位地悪時事 「宝=タカラ=多唐・太唐・他掛等=ホウ」
が出るか、 出ないかは 「爺=時事=時字」の 「質=室=失=七=牝=雌=女=おんな=音名」によるのだ。 これらの「ハナシ」を「文字」で検討したら、こうなったのだが・・・。 私の頭は混乱しているのだろうか、整理がついているのだろうか・・・。 この「爺=時事=時字」の「質=室=失=七=牝=雌=女=おんな=音名」から人物関係を推理すれば、「意地悪爺=イチワル爺=委地を割る爺=位置を割るジジ=位地の環に留る時の字」は、「壱、倭に留る時事=帯方郡使の張政」なら「人質」になっているのは「ポチ」で、「浦地の牝犬(狗)=ケン=建(クマソ・タケル)」、「七女=ななめ」は=午(馬)支(司)の女(むすめ)=馬子の女=司馬の女」、「狗奴国の婆の女(むすめ)」、「室=シツ=蛭女=櫛灘(名田)姫」、「失=うしなう=喪う=雨姉菜鵜=牛名得=ウ支名得=得子名鵜」。 ひるかえす そむく はしる ↓ 本を昼 替 州、蘇無垢、把知る・・・蘇我氏は無垢であるを把握? ↓ ↓ ↓ ↓ 翻 す、背 く、 端折る ↓ ↓ 品 夜
化柄素 鼠牟供 走る・・・ ↓
品(ほん・しな・ヒン) 科(とが・しな=支那=中国=中華=震旦
=振旦=真丹=旃丹=カタイ(契丹)
の与、替え州、
訴(甦) 武 供 葉知留 「古事記」の言いたいコトは・・・ 模図(百舌)は沙の輪地、阿蘇山の九州、都の母を重ね、津を模した娃=「持統天皇」への批判、非難を「字当は天球の天体(転貸)として納(治める=おさめる=長目留)る」なのである。 ・・・地頭は尼の治め・・・!? ・・・北条政子の鎌倉幕府の時代だが・・・。 参考に他のギリシャ語も挙げておくと、 「λιγο(リゴ)」は「少し」で、理語=裏語。 「μαζι(マズイ)」は「いっしょに」で、まずい=真髄。 「σχεδον(スヘドン)」は「ほとんど」で、 ・・・鹿児島人、西郷隆盛は・・・オイどん、と連発したらしいが・・・据に呑む=末の児、乃(沙の倭地=和知)務。 「βεβαια(ヴェヴェア)」は「もちろん」で、 辺 部 吾=編部語・・・経(邊)部は唖。 ベ ベは着物(キ・モノ)の「ア」である。 「καθολου(カ ソ ル)」は「ぜんぜん~ない」で、 化す素を留=全然(マタのシカり・・・内)。 「ισωs(イソス)」は「おそらく」で、意の蘇を守=将に空の句。 委祖洲=磯州=磯城=敷島。 「πιθανον(ピサノン)」も「おそらく」で、御祖らの苦=美作、之、無 ↓ ↓ 久 野鵡 将空 句 「ευχαριστωs(エフハリス トス)」は「喜んで」で、 「娃婦は利す とす」・・・重賦葉理諏
斗素 鳥栖=九州の地名 なのである。 「牽強・付会(ケンキョウ・フカイ) =兼 業 譜解 検 校 不絵 現 況 附加意 元 凶 負荷威 顕 教 不快 源 経 不解 言 響 扶諧 元 京 府会」 「コジツケ」も「イイトコロ」と笑うなら「ソレ」も「ヨシ」、である。 何故なら、まさに、漢和辞典に「虚字」は、「形容詞と動詞に使われる字で、実字、助字意外に使用される字。例は高、行」・・・コジ(故事)はケイヨウシ(掲揚史・京葉詞)とドウシ(同志)にツカワレ(遣われ)るジ(字)。「虚辞」は、「ウソのコトバ」。「虚」は「中央のくぼんだ丘」であると記されている。 当然、「虚」は「空」であり、 「秋=穐=安芸=亜紀」 「虚=虍(虎の皮)+並(ならぶ)」 ↓ ↓ 奈良武 寅=音 ヒ=日・干・妃・卑・秘 イン ↓ ↓ ↓ 「虎の妃」は、天武天皇の妃、鸕(鵜)野讃良であり、 彼女の母は 蘇我越智娘で、 父は天智天皇で、
「別名」、「別称」は 中大兄皇子で、 天命開別尊(あめみこと・ひらかすわけ) 天 命 開 別 尊・・・ あめみこと・ひらかすわけ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓ てんめい・かいべつ・そん 娃女三古都 卑羅化素訳 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓ 天 明 海 別 存 蛙女美古都 比良化素倭家 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 転 名 改 別 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 顛 名 解 捌 樽=木の尊はタル・・・既存・毀損 鱒=魚の尊はマス 噂=口の尊はウワサ 巽=辰巳(たつみ)・辰己(シンキ) 南東・南島・何頭・・・蛇が二頭 寸=ハカルはスン である。 「ひらかす」は「みせびらかす」とも言うが「中大兄皇子」は「海=海女」とは「別」系統なのだ。 「開別(ひらかす・わけ)」の「ひらく・ひらける」をここで国語辞典から検討してみよう。 戸がアク・・・・・・・・一の尸(しかばね)がアク(阿玖) 花がサク・・・・・・・・艸(日下)の化(家・嫁)がサク(錯) 差がヒラク・・・・・・・羊(未・卑津時)のノ(経津)の工(たくみ)がヒラク とどこおりがナクナル・・滞りがナクナル・・・水の三十のワの巾がナクナル わだかまりがナクナル・・蟠りがナクナル・・・虫(中ム)の番がナクナル 胸がヒラク・・・・・・・月の勹のメの凵(かんにょう)がヒラク ややワキにムイて構える・稍々、腋に向いて構える ・禾肖禾肖、月夜に向いて木(紀)冓(みそ・晦)る 無位 鎌得る・・・藤原鎌足 ややワキにむく・・・・・稍々、脇に向く 身体がヒラク・・・・・・身(妊娠・み=三・未・見)のイ本がヒラク 見本の異本がヒラク 窓をアケル・・・・・・・ウのハのムの心をアケル ・ 破 頗 真 巻物をヒロゲル・・・・・日本書紀をヒロゲル 店をアケル・・・・・・・广(またれ・真垂)の占いをアケル 啓蒙・・・・・・・・・・ケイモウ 説をアキラカ(啓)にする・言の八の口の人を戸の夂の口にする 蒙をヒラク・・・・・・・艸のワの一の豕をヒラク 荒れ地を開墾して
ヒラク・艸の亡の爪の土の也を門の鳥居の豸の艮の土して ヒラク 歓迎会をモヨオス・・・・・の隹の欠の卯の・の八の二のムをモヨオス 運をヒラク・・・・・・・ワの車の・をヒラク 乗根をモトメル・・・・・掛算の根をモトメル 懸け参、鬼(姫)の艮(東北)・坤(西南)を求める 嬢恨、女が情の恨み 嬢痕、女が丈の痕 商魂、安芸・穐の昏(たそがれ・黄昏・暮・呉) 性根、申請は木金・身上は既婚 傷痕、意は加味差し、ヒの一の勿、病める魂 招魂、真根玖はタマ(珠・球磨) 上根、卜の一、鬼金、鬼昏 條痕、常今 「この花のヒラケくるほどをも(源氏物語)」 「尊(みこと)」は何か・・・美(診)古都、巫都、観虎斗、見事である。この漢字を検討して行けば「尊敬」と対の「軽蔑(ケイベツ=閨別・経部柘・経捌・鶏捌)」である。「尊号」は「秦の始皇帝」や「漢の高、武皇帝」の類。「尊公」は「足利尊氏(?)」だ。「孫公」は「孫悟空」。「孫権」は「仲謀」。「孫呉之略」=「孫武=孫子」+「呉起=呉子」・・・共に兵方家で兵方書。「孫庚」は「御史大夫」、・・・「螢雪之功」は受験生の苦労である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・「孫策」・・・「孫権の兄」で、「刺客に殺された」。 ・「孫賓」・・・戦国時代の「斉の兵方家」。 ・ 孫子の子孫、 ・ 「魏」の「ホウ(广龍)涓(イン)」にその「才」を ・ 妬(ね・たま)れて、(そねまれ)足切りの刑を受けた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「尊」は「損(?)」をしたのでは・・・あるかなぁー・・・ とにかく、あなたも辞典で確かめてみて、これらの「漢字」を視体験をして見てほしい・・・ 「故事=古時=古事=諺」は、「コジつけもイイところ」なのだが・・・ ↓ (コジ=古字・弧字・姑治・虚似・故事・固辞・固持・誇示・居士・孤児) (ツケ=付け・漬け・着け・突け・就け・衝け・附け・津懸・柘化・晦気) (イイ=言い・飯・云い・謂い・居い・射夷・鋳委・良意・善違・好威) (トコロ=所・処・常呂・渡弧路・斗股芦・渡虎鷺・図挙留) ↓ 都古婁=ミヤコのフルイ、フイゴウ=竜 田の 風邪、ゴホン、語本のセキ 宮子 振る意 不意合 絶つ柘他 化是 后本 悟本 施紀
↓ 背記・籍・積 (ソレ=反れ・剃れ・祖霊・素例・姐戻・蘇戻・鼠励) 世紀 ↓ 三十年間 (ヨシ=葦=アシ=悪し)・好・吉・由・佳・善・芳・義・禎・止し・良) ↓ ↓ ↓ 持統天皇=鵜野讃良 ↓ ↓ 日本書紀・第三十巻 なのである。 ・・・ドオッシ、ョウぉー・・・ヘンな「本」を「ヨマセテ」しまって「ママ」に怒られてしまう・・・受験生には余りお薦め出来ないなぁー・・・ ・・・でも、「ヤマ」は「オオキイ」、「クニ」である。
モノ・・・もの・・・者・・・物
さて、「モノ」の検討だが・・・ 「物」は「牛(うし・ギュウ)」と「勿(なかれ・ブツ)=入り交じる意味」、さらに「牛」は「ノ一(かみさし=簪・櫛=くし)」と「十(とお・たり・ジュウ)」から合字されている。「物」を漢和辞典で検討すれば、 「物」・・・ブツ・モツ・モチ・もの ① もの。
イ、万物。天地間にあるいっさいのもの。ロ、こと(事) ハ、品物。物品。財物。ニ、世事。また、世間。「物外・物議」 ② 「旗」の名。「周代」、「大夫」や「士」のたてたもの。 ③ 名づける。 ④ 見る。うかがう。 ⑤ なくなる。死ぬ。 「国語」 もの。
イ、接頭語。
ロ、言葉。言語。
ハ、苦情、も いい。ニ、もののけ。たね・物集(もずめ) 解字=形声。牛が意符。勿が音符で、また、いりまじる意を表す。さまざ まなもの、万物のこと(牛はその代表として用いた)。一説 に、原義は雑色の牛。万物はふぞろいであるところから転じ て、もの、万物の意味。 なぁーるほど、 「雑色=九木隹スイ・サイ・セ・とり・ふるとり色+シキ=識・史・四季・死期・織・式=ショク・いろ(刀巴)」 で、同音漢字の「雑食」の「食」は「人+一+白+ヒ」の合字で、「白+ヒ」の上下反対の合字は「旨(うまい)」である。「物=牛+勿」とは、 「九木キュウボク=九牧=九州の長官・ここのき箇々の記(旧記・九鬼)」 の「萬物=萬もの=萬者=萬分柘=萬部柘=萬附柘」 で、「太安萬侶」の「附した柘植、拓殖、拓本」だ。そして、「物」とは、 「天地間=宇宙にある『一切(いっさい)』のモノ」であるのだ。だが、この「一切ひときれ・イッセツ」は「全部」ではある、と理解していたが・・・この漢字、「一切」を見て考えてみると、私には何故か、「一切」が「全部」であるとは、「イッタイ、ナンだ?」・・・「生物細胞のホロン(?)」・・・「全部の残った一切れ、全部の余った一切れ。余った一切れが残った全て」・・・「前部の一切れ=古事記前部の一切れは序文(?)」、「膳部ゼンブ・かしわでのヒト切れ」とは「高橋景保(?)」、「繕部はひときれ(?)」、「禅部の一切経」と、またまた、疑問が渦巻いて頭が混乱してしまうのである。私としては単なる暗記的な、「A=B」式の記憶じゃあ、イヤダァーなのだ。目に見える「幾何学」的な「図形」での「論証」がホシイのだ。 国語辞典によれば、 「すべて・・・アル」 「残らず・・・ある」 「そっくり・・・アル」 の意味。「副詞」として、 「(下に打ち消しを伴って)全然・・・ナイ」 「まったく・・・ナイ」 の意味。「フクシ(福祉・副使・福士・伏詞)」なのだ。熟語で、 「一切がっさい」は「すっかり」、「みな」 である・・・コレも・・・「?」でアル・・・で、「がっさい」とは漢字で「合切(財)袋」とあり、その説明に「細々とした携帯品を入れるくくり袋。『信玄袋』とも言う」とある。・・・多分、戦国時代の武将「武田信玄」に関係する言葉に違いない。「一切=合切(財)=くくり袋」・・・ナントナクわかる。「個々別々、細切れのモノを、一緒にして、袋に入れ、まとめたモノ」、英語とギリシャ語で云えば「equipage(εξοπλισμοs)・equipment(εφοδιασμοs)」で「軍装備品一式の入れ物」である。・・・「個々の一切れの大根(沢庵漬け)は、合わせれば一本の大根。これが漬物として樽の中にアル」なのだ。コレが、「全部」なのだ・・・すると、「宇宙の枠」は、「ククリ袋」で、「樽」と云うワケなのだ。 漢和辞典では、「一切」は、 すべて。みな。ことごとく。おしなべて。 『不揃いの物を切って一様にそろえる』ことから言う。 同時。一時。しばらく。 国語では、「ひときれ。一つのきれはし。一片」 とある。 漢和辞典の説明はスゴイ、ナァールホド、コレだ。「一切とは不揃いの物を切って一様にそろえること」なのだ。だが・・・考えてみると「宇宙=全部は不揃いのモノ」であるが、「一切されたモノ」ではない。「一切」は「宇宙が存在する『全部』のコト」ではない。「一切」とは、「宇宙全部の不揃いのモノを一切れにして、そのすべてを『一様』にソロエたコト」なのだ。・・・星座を想定し、コトバで整理する、と云うことだ。 「宇宙=天間と地間=天球+地球=アップルパイ=円全部」を 「一切れづつ十二」に分け、 「一様に同じ形の弧」にし、 それに「一葉=一言=コトバ」を「与え」て、 「そろ{(揃)=手止月刀(形名) =手止舟(肉・宍)刀 =出止宍 (じく・磁区・竺・軸・字句・にく=似句・貳苦) かたな(方名)}えたモノ」 にしたのだ。カギは 「月(つき=柘記)=舟(ふね=譜音)=肉(にく=似句・じく=字句)」 の「偏」のヨミ(夜観)である・・・「星座表=天文区分」である。 しかも私の頭は、当然にも「混乱」しているモノを漢字の「同じ音」で揃え、漢字の「異なった形」で、その「意味」を知ろうとする・・・当然である。 だから、 天 地 間 に あ る いっ さい の も の。 こと(事) テンチ カン に あ る イッ サイ の モ ノ。 コト ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 天、置 換、 璽 鴉=蛙 流 何時 採 之 模 廼 言 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 転 字 干=甲 似 吾 留 乙=音 再 之 模 埜 コト ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 殿 痴 漢 尼 娃 留(流) 逸 殺 之 模 乃 去塗 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 傳 知 鑑 似 亜 婁 移柘 差異 乃 母 之 顧土 と、「ヨン」でしまうのだ。 「一切」とは「天間地間のモノに与えたコトバ」の「整理」である。「辞典=事典=字典」である。「天間=『転換』=展観」され、、「地間=『置換』=遅緩=弛緩」されたモノ・・・ちなみに、『痴(癡)漢』は婦人(おんな=音名)に「イタズラスルオト・コ」である・・・「天間=地間」の「モノ(存在)」を、「コト(出来事、あり方の意味)」として、「コトバ(音と文字)」で「表現」し、さらに、「別なモノ」ではあるが「同音のモノ」を「別な文字」で、その意味を「区別、整理」したのである。 ここで、出来上がってしまった「同音異字」を「逆」に「文字分解」して、その「部首」を訓んでみよう。・・・訓んだら「別な漢字」に「転換置換」してみるのだ。 ジテン 辞典=舌(ノ ・ 古 =十口)・ 辛( 立 十) ・曲 儿 ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ した(へつ・ふるい ↓↓)・からい(たつ・たり)・まがる あし ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ↓↓ 唐 意 多柘 他理 真我留 亜史 とくち=讀知=解智=説字 たりくち=他理句知=多理矩知 じゅうくち=重句知=拾九字(申=猿=作留) とおくち=斗尾区智=北斗七星の十二区分の動 事典=一 口 ヨ(彑) 亅 曲 儿 はじめ くち けいがしら かぎ・まがる あし ↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓ ↓↓ 葉字目 句知 化意畫示拉 仮義 真画留 亜詞 ↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓ ↓↓ 巴時目 区知 氣移画支羅 化義 間畫流 足=脚=葦=娃支 ↓ 巴=巳とは陰陽(●○)の天盤で「宿曜経」の「十二区分・二十八宿・壱百八足・七曜の天文盤」である。 字典 =宀 子・曲 儿 うかんむり こ・まがる あし 時点 =日 寺 (十 一 寸 )・卜 口 (光) ひ てら (たり はじめ すん) ・うらない くち ひかり 次点 =氷 欠 (勹 人 )・卜 口 (光) こおり かく(まがり ひと) ・うらない くち ひかり 自転 =ノ 目 ・車 二 ム へつ まなこ ・くるま つぎ(ふたつ) よこしま ↓ かいな(肱) わたくし(私) セイリ 整理 =束(一口1八) 攵(攴) 正(一止)・王(三I) 里 たば うつ ただしい・おう さと 生理 =牛(・十) 一 ・王(三+I) 里 うし はじめ ・おう さと 星里 =日 生(牛+一)・里 ひ うまれる ・さと テンカン 天間 =二 人 ・門 日 ふたつ(つぎ) ひと・かど ひ 転換 =車 二 ム ・手 刀 网(冂ハ)一人 くるま ふたつ(つぎ) よこしま・て かたな あみ はじめひと 展観 =尸 共 衣(亠从)・・ノ一 隹 見(目儿) しかばね とも ころも ・かみさし ふるとり みる 癲癇 =病 眞 頁 病 門 月 やまいだれ(ひのえ) まこと おおがい・やまいだれ かど つき チカン 地間 =土 (十 一 ) 也 (セ | ) ・門 日 つち(たり はじめ) なり うらない ぼう ・かど ひ 置換 =网 十 目 乙 ・手 刀 网(冂ハ) 一 人 あみ たり まなこ きのと・て かたな あみ はじめ ひと 遅緩 =尸 羊 辷 しかばね ひつじ すすむ・ 糸(幺 小 ) 爪 一 友(一丿又) いと(おさない ちいさい) つめ はじめ とも 弛緩 =弓 也(セ―)・糸(幺小) 爪 一 友(一丿又) ゆみ なり ・いと つめ はじめ とも 痴 =病 矢(・大〈一人〉) 口 やまいだれ(ひのえ) や くち 漢 =水 艸 (廿) 口 二 人 みづ くさ(はたち) くち ふたつ(つぎ) ひと あなたが「コンピュータ」を持っていて「ワードプロフェッサー」の「日本語・漢字・転換ソフト」があれば「イト、おもしろき文章」に置換されるのが即座に解るだろう。その「転換置換」された「漢字」の「同音異字」が「コトバ」として意味がとおるか、どうかはあなたの蓄積された「教養」に依っているのだが。「辞典」の旧字は「辭典」である。この「辭」に類字するのが「亂」と、ワタシのワープロには存在しない「ラ()」と言う漢字である。既に別なところで述べたが合字された漢字の「扁(左側の漢字)」の意味は「おさめる」で、そのままで、「旁(右側の漢字)」が「見」となって、その意味は「詳細に調べる・楽しく調べてみる・序ついで」であった。「序で」とは「序文」の「序」である。もちろん「現存・古事記」の「序文」である。その「扁」になっている漢字の分解が、 「爪+マ+冂+ム+又つめ+マ+まきがまえ(かんがまえ)+よこしま+また」 である。「又」は「右手(ウシュ・みぎて)」のことである。序でに云えば「辞・辭」の「辛」は「罪の意味」であると漢和辞典にあった。「辛い=カライ」が罪であるとはナンだ。多分、「辛=立+十」の合字で「十字架の磔刑」を示唆しているからだろう。「キリストの背負った人類の原罪」の象徴と云う奴だ。では、「カライ」の発音は何を意味しているのか・・・「唐の意味・加羅の意味・空の意味・殻の意味」である。ジャア、「乱・亂」の「旁」の「L・レ」の意味はすぐわかるだろう。「ヒッ掛ける鈎(鉤)」である。 「イト、おもしろ(面白)き文章(文字記録)にスルこと」に関して、私の場合は「古事記」と「日本史」、中国の「漢籍故事」と「歴史書=倭人伝」、そして、「インド(天竺・印度)哲学・仏典」、「古代天文学=占い」、「エジプト神話」、「ギリシャ・ローマ」の「歴史」や、伝承されてきた「物語=ギリシャ神話」や「イソップ物語」、「新旧の聖書」と、「モノ」そのものの「コトバ」の「音」と「意味」の「重なり」をとおしてである。 さて、「球(たま・キュウ)の中」に、「球」が「タマタマ(偶々=グウグウ)」と重なっているのだ。「湯(ゆ・トウ)であがった鶏(にわとり・ケイ)の卵(たまご・ラン)」を考えてみればイイ。「堅(かたい・ケン)い卵殻(たまごから・ランカク)」があり、「半(なか・ハン)ば透明(すきとおるあきらか・トウメイ)」の「薄皮(うすまく・うすかわ・ハクヒ)」と「白卵(しろたまご・ハクラン)」に「包(つつ・ホウ)」まれた「黄卵(きたまご・オウラン)」。 このパターンは古代中国や古代ギリシャでは「宇宙哲学」の「比喩」として考えられたモノである。「タマゴ」は「古事記」の物語では・・・ 球(たま・キュウ)の中(なか・チュウ・ジュウ=重) ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ 霊 宮 那珂 柱 球磨=九州熊本 ↓ 珠 扱(久) 拿歌 註(紐) ↓ ↓ 多摩 仇(阿多) 那賀 忠 多摩=埼玉武蔵(新羅移民多) ↓ 侘間 求 ↓↓ 名化 衷 菟狭(渡橿)・武蔵=无邪志 ↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓ ↓ ・・・・・・・・・・・・・・・八尋殿=窯器罷 ↓ ↓ 琥球 神阿多比賣=木花之佐久夜毘賣・・・・・・ こころざし ↓ 琉瑠・・・・・・・・・・・・・・・笠留・劉・柳=楊 箇々呂座視 ↓ ↓ タマタマ(偶々=グウ グウ)・・・・↓ ↓ 遇 ・寓 ・隅 宮・・・龍宮城・楊貴妃=玉環 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 遭遇 寓話 熊(球磨) 宮座 陽忌避=陰氣 ↓ 熊(くま=求間・究真) ↓ ↓ ↓ (大熊座・小熊 座のギリシャ神話・・・母子が遭遇) クウ=句得 ↓ ↓ グウ ↓ ↓ 具烏 虞鵜 倶卯 宮=寓=偶=隅=遇 星々が遭遇 ↓ ↓ ↓ ↓ 太陽 語音 月 空・・・喰う=日月食 「日本語」の「たまたま」の語源は「星座」と、それを「原点」とした「モノガタリ」の意味を象徴とした「漢字そのモノ」の「音符」と「意符」の「連鎖」にあるのが理解出来るだろう。 「古事記」の「コトバ懸け」は第一に「天と地」にある全ての「大中小」の「形の丸い・円いモノ」の「○」と「●」との「カサ・ナリ」である。 ・・・「多摩の乱」・・・これじゃあ、トッテモ「タマラン」なぁーッ・・・。 湯(ゆ・トウ)であがった鶏(にわとり・ケイ)の卵(たまご・ラン) ↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ↓↓↓ ↓ 喩 訪 尼倭渡里 継 珠 子 乱 需 子 羅務=樹脂爛 ↓ ↓ 背虫=瘻瘤=巫=卑弥呼 (邪馬台国の乱) 湯(ゆ・トウ)であがった鶏(にわとり・ケイ)の卵(たまご・ラン) ↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ↓↓↓ ↓ 油 嶋 煮話吐理 頃 汰間期 覧 ↓ (「古事記・神代の初め」) これは「魏志倭人伝」に記録されている「倭国の乱」の事件で、「卑弥呼」、「壱与」と「帯方郡使」の「張政」の「確執」の暗示である。と、同時に「古事記・神代」の「覧」を見よ、である。これは、さらに「壬申(ジンシン・みずのえのさる)の乱」に懸けられているのだ。 ・・・誰がこのような手の込んだ「コトバ」の「転換・倒置・循環」を考えだしたのか・・・当時の「国際文化」にどっぷり浸かっていた「インテリ・帰化人」である・・・この「帰化人」は「痴(癡)漢坊主」であったのに違いない。 「痴(癡)漢」は欲求不満の男が満員電車の中で、婦女に性的なイタズラ行為をするモノだと思っちゃぁ、ダメなのだ。漢和辞典には、 「漢字に狂ったパラノイア」、「漢字クレージ」 のこと、とあるのだ。 だから、「古事記」は「日本語の原典(?)」ではあるが、「日本語そのものの原点(?)」ではないのだ。ヤッパリ、「猿真似文化」と言われるようにどこかの「オリジナル文化」を「転換・倒置・循環」、変容させた「素晴らしい模倣文化」の最たるモノなのだ。 この「古事記」編集作者の才能には驚嘆を禁じ得ないが・・・「獅子座寄り」の「蟹座の人」で、「上昇宮」は「乙女座」であったであろうことも間違いないだろう?! ・・・「縄文文化人」と「混血」した異質な才能を有した天才、カモ。 堅(かたい・ケン)い卵殻(たまご から・ランカク) ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓ 硬 剣 球 宕 庚羅 乱 獲→←撹乱=混ぜる=高覧 難 顕 霊 語 空 欄 欠 霍乱(亂)=眩(メマイ) 過怠 倦 侘間后 科螺 嵐 拡 と、吐き下し 固 懸 詫真子 華羅 蘭 描 が激しい 方位 建 多間後 化羅 欄 較 日射病 包囲 間 汰魔護 渦羅 濫 拡 =光乱 ・半(なかば・ハン)ば透明(すきとおる あきらか・トウメイ) ・ ↓ ↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ・ 那賀婆 絆(イトはん)鋤と居る 安芸羅珈 頭 名・・・伊都範 ・ 長 場 叛(反乱) ・ 穐(秋)嫁 ・ 那 珂 磐(石・医師) ↓ ・ 中 盤(夜の晩) ・ 禾+亀=禾+火 ・ 判(判断) 鍬=好鬼(スキ) ・ 斑(斑鳩)・・煩(煩雑)な飯・・・豊御「炊」屋姫=推古天皇 ・ 版(木版) 火頁 菟与音ヒカク八秘 ・ 氾(氾濫) ↓ 比較 耶卑女 ・ 犯(よこしま)第四代・懿徳天皇=懿(壹次心)徳(彳十网心) 「古事記」では「すきとも」と言われている「天皇」が記されている。「第四代・懿徳天皇」である。この天皇の事績の説明はあまりない。この天皇が何故、「懿徳」と「諡号」されたのか? 「諡号」は「最澄」が「比叡山・延暦寺」となる山荘に庵を構えた「785年」に「六十四歳」で死亡した「淡海三船」によってつけられたと言われるモノのだが、「淡海三船」が生まれた「721年」には「元明上皇」が死んで、その前年の「720年」に「日本書紀」が撰上された。だが・・・その時、「淡海三船」は一歳であった。 彼の生年月日が正しければ、「日本書紀」ができあがった時点では「未だ天皇の諡号はされず」である。 「日本国」の大王たる「天皇」の漢字は「天武天皇」がハジメに称した、との説があるが・・・中国唐では「則天武后(武照儀・武媚)」に実権を奪われた(654年・甲寅年)夫、唐王朝第三代皇帝の「高宗(683年死亡)」に付された「號=号+虎」である。「則天武后」は父(武士獲)の一族のある「武氏」を憎んでその姓を「蝮氏」としたとの記録がある。彼女の母は隋王朝の「楊氏(観王の楊雄)の姪」で、次女として生まれた。「郭行真」は「則天武后」のお気に入りの妖術使いの「道士」であった。日本書紀には「大海人皇子」は「気門遁甲」の使い手でもあった、と記録されている。 何故、「大海人皇子=天武天皇(686年死亡)」が「天皇」を称したのか・・・?・・・「日本書紀」の記録をみるかぎり、「白村江の海戦・663年」で負けたのは「大海人皇子」ではなく、その主体は「天智」と「斎明」であった。しかも「則天武后(即位690年・705年死亡)」配下の将軍「劉仁軌・劉仁願」に敗戦したのだ。 「高宗」に付された「號=号+虎=天皇」・・・「高宗天皇大聖大弘皇帝」 ↑↓ ↓ 「則天武后」、「劉仁軌」 ↓ ↓↑ ↓ 「皇太弟」が「虎に翼」=大海人・天皇・・・誰?・・・郭務・・・郭行真? ↓↑ ↓ ↓ ↓ ↓↑ ↓ ↓ 道士 ↓↑ ↓ ↓ ↓ ↑↓ ↓則天武后の妹は郭素慎の妻 壬申の乱・672、3年 大海人の妻 ↑↓ ↑ 「持統天皇(702年死亡)」・・・・・・天智天皇の娘 ↑↓ 「則天武后」が701年に遣唐使、栗田真人などに麟徳殿で謁見し、司善卿を授ける 「淡海三船」は「葛野王」の孫で、「葛野王」は「天智天皇」と「天武天皇」の孫である。「葛野王」は「天武天皇」に「志賀・大津」で滅ぼされた「大友皇子(弘文天皇)」の子供なのだ。 ・・天智天皇・・・・・大友皇子(弘文天皇・・・志賀・琵琶湖の大津で自殺) ・ ・ : ・ ・ ・・・葛野王・・・池辺王・・・淡海三船 ・ ・ 兄 ・・太田皇女(持統天皇の姉) 弟 ・ : ・ ・ ----大津皇子(持統の甥で天皇に殺される) ・ ・ ・ ・ ・持統天皇 ・ ・ ・ ・ ・・・・草壁皇子(九州の大津=長津で生まれたとされている) ・ ・ ・・・・・・・・天武天皇 ・ ・・・・・十市皇女(額田王との子供) ・ : 額田王 大友皇子 785年七月に「淡海三船」は死亡しているが、八月(?)に「大伴家持」、九月には「藤原種嗣」が賊に射殺され、十月、この暗殺に関連して「桓武天皇の弟」である皇太子「早良(さわら)親王」が「淡路」に流刑される途中死亡している。「藤原種嗣」暗殺に連座したとされる多くの「大伴氏」と「佐伯氏」が刑罰を受けたのだ。 ここで、気が付くのは「大津=長津=延暦寺」と、「淡海=淡路」の「漢字」が共通項になっていることだ。しかも、「延暦(歴)寺=エンリャクジ=円略字=縁掠字=猿掠路」、とにかく、「エン」は「鹽」、「鹵」、「塩」で、「シオ」である。「最澄」の後をついだ「円珍」、「円仁」の名前も「エン」である。 「古事記」の「冒頭」で、「国つくり」は「鹽=塩」の「雫=滴=しづく=史柘句=史突=史筑」をタラリ、タラリとするところからなされている。「冒頭」は同音異字に「暴騰」と「暴投」があるが、「倭人伝」には「投馬国」の存在が記されている。 「冒頭」は、「冒(よこしま)=曰(いわく)+目(め・まなこ)・日(ひ・にち)+目(め・まなこ)」な「頭(あたま・かしら)」である。 785年、この事件が起きるまでの天皇の系譜をみてみよう。 579年・・・新羅、「眞平王」が立つ 589年・・・新羅の僧、「圓光」が随に入る 622年・・・聖徳太子が死亡 632年・・・新羅、「善徳」女王が立つ・・・・聖徳太子の甥が「善徳」 641年・・・「皇極」女帝 645年・・・蘇我氏滅亡 654年・・・新羅、「武烈王(金春秋)」。「皇極=斎明天皇」 661年・・・新羅、「武烈王(金春秋)」の死。「皇極=斎明天皇」の死 新羅、「文武王」。百済、「豊璋」。日本、「天智天皇」 663年・・・白江村の海戦。百済滅亡。 唐(周)の「則天武后」、彼女の将軍の「劉仁軌」 667年・・・大津遷都 672年・・・壬申の乱で「天武天皇=大海部皇子」、「大友皇子」に勝利 675年・・・新羅、朝鮮半島を統一 681年・・・新羅、「神文王」 ・・・・・・ 686年・・・九月、天武天皇死亡。年号を・「朱鳥」・元年とする ・・・・・・ 十月、太田皇女の子、大津皇子(二十四歳)謀叛の罪で、 伯母の持統天皇に殺される ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・太田皇女(姉)→←持統天皇(妹)→←大津皇子(甥) ・太田皇女(母)→←大津皇子(子)→←草壁皇子(異母兄弟) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 689年・・・草壁皇子死亡(二十八歳) ・柿本人麻呂が草壁皇子の為に挽歌を書く ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 690年・・・持統天皇(鵜野讃良うのさら)即位 ・・・・・・・・・・ 697年・・・二月、持統女帝、上皇となり、・孫の「可留皇子」・が 文武天皇となる ・・・・・・・・・・ 701年・・・則天武后(武后・)、 遣唐使、栗田真人などに麟徳殿で謁見し、司善卿を授ける 「司善卿」とは調理の司で、善部 702年・・・持統上皇没(五十八歳) ・・・・・・・・・・・・・・・ 703年・・・阿倍御主人死亡(六十九歳)・・・・誰なのか? ・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ 707年・・・文武天皇没(二十五歳)。・母の元明女帝(阿閇)・即位 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 715年・・・元明女帝、上皇となり、娘の・元正女帝(氷高)・即位 ・・・・・・・・・・ 721年・・・元明上皇没(六十一歳) 724年・・・聖武天皇即位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 729年・・・謀叛の密告で天武天皇の孫「左大臣長屋王」自殺(五十四歳) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ 734年・・・七夕祭をする ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 736年・・・「葛城王」を臣籍とし、「橘諸兄」とする ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 748年・・・元正上皇没(佐保山に火葬) ・・・・・・・・・・ 749年・・・聖武上皇となり、・孝謙女帝(阿倍)・即位 ・・・・・・・・・・ 756年・・・聖武上皇没 758年・・・「孝謙女帝」、上皇となり、淳仁天皇に譲位 760年・・・帰化した新羅人を「武蔵国」に移民させる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 761年・・・新羅征討の為「美濃、武蔵」の少年に「新羅語」を習わせる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 764年・・・淳仁天皇を「淡路」に廃し、孝謙上皇が重祚して称徳女帝となる 765年・・・「道鏡」が太政大臣禅師となる 766年・・・「道鏡」が法王となる 770年・・・称徳女帝没。「白壁王」が「光仁天皇」として即位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 779年・・・淡海三船が「唐大和上東征伝」を撰する ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 781年・・・光仁天皇没。「桓武天皇」即位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 782年・・・「左大臣・藤原魚名」が免職となる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 785年・・・七月に「淡海三船」死亡 八月(?)に「大伴家持」死亡 九月「藤原種嗣」暗殺 十月に皇太子「早良(さわら)親王」が「淡路」に流刑途中死亡 ・・・・・・・・・・・・・・ 792年・・・学僧に「漢音」習熟の命 ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 793年・・・僧になる得度の必須条件として「漢音」習熟 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・