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プラトン、古事記を語る(9)


       「ある」  存在(μενω=メノ)、と言う意味の「有る」、

「あれ(αυτο=アフト)」のギリシャ語・・・  ・・・・υπηρχεω(イプェルクェオ?)=(イピレクェオ?)  ・・・・・・・・・・・・・・・・・(イピルヒ  オ?)  底存在するモノはこの宇宙自体の存在であり、初めもなければ、終わりもないモノである。だが、「ヒト」にとって初めに必要としたコトは「認識対象=もの=物」に「言葉=おと=音」を「与える事」であった。  「言葉」は「静的存在物」とその「動的存在の変化=モノの始終・終始のプロセス」を説明するモノで、人と人、人と物を関係させる「情報伝達手段」であり、同時にその関係性を「内的(頭の中)思考」させる「手段(テコ)」でもある。  「言葉」は「口」から「発声」される「音」を「耳」の「聴覚」で受け留めるモノと、「手=身体」で描かれた「図形」と「文字」を「目」の「視覚」で受け留めるモノとからなっている。  「デカルト」だって悩んだのである。「自明の理」として「学んだ言葉=記憶された言葉」は「如何なるモノ」かと。「自明の理」なくしては、如何なるモノも考えることは出来得ない、と・・・だが、その「自明の理」を考えた末の結論は、彼にとっては「自明ではなかった」と言うことなのだ。  「底存在(初めからアルモノ)」する「動的(うごめいている)宇宙」は、自ら生み出した人類と、彼の「外的感性=存在の感知能力(五感)」で、その「対象存在(あらゆるモノ)」を「思惟する手段(考えることが出来る言葉・語彙)」を得て、初めて「意識的(頭で考え得る)存在」としての「実在(意味のアルモノ)」となったワケだ・・・天文物理学者が云っている「始源的ビッグ・バーン」があったか、どうかは知らないが。ソンナモノは無かったんじゃぁ~ないか・・・「宇宙は唯、循環的にウゴメイテイルだけ」だとワタシは考えているモノだ。  とにかく、云ってみれば「初めにコトバありき」は「意識的人間=考える人」が「主語」である。「初めに人間のコトバありき」が前提だ。「神」は「意識されたヒト」の「言葉の中」に存在するワケだ。その「ヒトに意識された神々」は初めは「変化する自然」であり、「変化する宇宙」であった。だから全ての「神々」は「変身の名人」であった。「変身」しないのは「神」ではないのだ。「ヒト」自身も「変化」した。だから男は死んでから「神」にもなれた。女は確実に生きながら「変化」して子供を生み出した。だから「神」であった。人は彼の周囲にある「実体」として感知できる全てのモノに「言葉」を与えたのだ。そして「絵」にした。「象」にした。だが、いつしか「神」を「実体の無いモノ」として考えるようになってしまった。「コトバ自体」が「神」になってしまったのだ。・・・そして「カミ(紙)」や「ヨウシ(羊紙)」、「カバ(樺・椛)のカワ(皮・革)」に記録された「文字」が「神・仏」になってしまったのである。・・・まさに「革の命・皮の尊」とはこのコトだ。  まさに、「α」であり、「ω」である。「南無・・陀仏」、「南無・・・・経」である。だが、人は「古代エジプト人」のように目に見える「形」ある「実体」が欲しいのだ。・・・「曼陀羅」であれ、「仏像」であれ・・・「子牛」であれ。  「ギリシャの哲学者」はエラかったのだが、「偉(えら・い)」と言う漢字を考えだした中国人(?)も「エラ」かったのだ。  そして、「偉い=エライ」と訓(ヨン)だ日本人(?)は、もっと「エラカッタ」のである・・・「コトバ」とは、まったく「シンドイ」なぁ~。「エラ」は「さかな・まな」が水中から「サンソ」を「キュウシュウ」するところだから・・・サッ。  「え・らい」=重頼・重瀬・重来・重雷・重莱・重禮=「え・らし」  「えら・い」=鰓鮪=「えら・し」    ↓   鰓(サイ・シ・えら・あぎと)=魚(まな=真名=漢字)+思(タのココロ)          得羅 安岐兎    =水棲動物の 呼吸器。頭部の頬の下にあり、深紅色の櫛形をしている。     ↓      ↓↓↓    ↓     ↓↓↓ ↓↓     衰勢奴烏分柘 ↓↓↓    補嗚     辛苦色 駆使過多=句詞過多 ↓↓↓    ↓↓  ↓ 姑救記    ↓↓  意賂=いきながたらひめ=神功皇后(成務天皇40年~69年4月17日)

仲哀天皇の皇后

気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・・・・・隠岐

息長帯 比売命(おきながたらしひめのみこと)・・・壱岐

大帯比売命(おおたらしひめのみこと)

大足姫命・・・・「聖母マリア」に「掛作音多」のだろう

                   「尾(御)補垂(誑)らし」

       ↓↓  壱岐→委路=飴鷺 弧球槻    尾=将=麻=夫=緒 古旧記    保 虎究起    捕 己求岐    浦 子泣祈    輔 故宮姫    補 胡扱記    舗 粉舅紀 鮪(イ・ユゥ・しび・まぐろ)=魚(まな=真名=漢字)+有

有(一+ノ+月=イチのヘツの月)  「え・ら・い」=恵裸慰=え・ら・し=重螺詞(史)            ↓           餌螺彙=えさ・にし・語彙  偉=人+韋(イ・なめしがわ・そむく=背く・かこい=囲い)  ↓     ↓    ↓ 名女姉我倭 素無垢  過去意  「六韜(韋+爪+臼=リクトウ)」は戦争に於ける「戦略・戦術」の書であるが、一般的には「虎の巻」と呼ばれているものである。スナワチ、「駆引き=かけひき」の書である・・・「加計引き」、「掛け比記」、「珂家妃記」、「賭悲喜」で、「書け」、そして、「比企=八を留め、比べよ」、である。  ・・・「比企一族」は「鎌倉」時代である・・・なぜ「カマ・クラ」なのか・・・かま、鎌、釜、窯、蒲・蛙・・くら、鞍、蔵、暗、句羅、宮等・・・琥羅。  ・・・何を「くらべる」のか?  ・・・さきに述べた「偉(イ)」の漢字の示唆を、である。  「偉書」、「違書」、「緯書=天文書・占術書・未来記」、「諱書=諡号・忌み名の処」、「医書=巫・匠の書」、「遺書」の「経緯」、「異書」の「謂処」をである。・・・「異(田共=デンキョウ・伝教=たとも(多土模・多度模)書」の「謂う処(所・常呂)」・・・囗(くに)+十(東西南北の『クロス=玄州』=信玄の国=甲斐の国)。まさにこれは「古事記」、「日本書紀」、「戦国史」。  ・・・あるいは・・・  ・・・「新旧の聖書(?)」・・・ギリシャ神話、「エジプトの死者の書(?)」       ・・↓・・・・・・       ・「バイブル=本」 ・・・・聖書の「目次の漢字」をミヨ       ・ ↓↓↓↓ ・・・・・・・・「申命記」等の漢字       ・ 罵意分留 ・       ・ 婆囲分流 ・       ・ 馬移歩留 ・       ・ 場位古(振る)=煤降る・灰降る       ・ 賣 振 ・・・・賣=売=女=おんな=音名       ・ 倍 振 ・・・・倍=弐倍=二倍       ・・・・・・・・・         ↓         バイ         ↓ ・・・梅毒とはコロンブス、アメリカ発見の所産だ。         ↓   ↓        亜米利加・米国・美国         買 培 梅 媒 賠 ・楳・・・狽 陪 吠 貝 唄 煤 苺         ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・↓・ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓         売 栽 梅 媒 賠 ・楳・ 狼 陪 犬 貝 長 煤 野         買 培 雨 介 償 ・里・ 狽 審 吠 葉 唄 煙 苺(莓) ↓梅 里  の、「懸け」ではないか。 ↓ ↓  ・・・ちなみに「梅(楳)里」は、「大日本史」を「編纂」させた「徳川光『圀』(みつくに)」の「號=号+虎」である・・・ヒカエヨ、ここに居らせられる方をナンとココロエル・・・この「印篭(しるしかご=イン・ロウ)」の「葵(あおい・向日葵・はかる・ビロウの葉の団扇・うちわ=キ・ギ)」の「御紋=ゴモン=語文(問)」をミヨ・・・「前の副将軍」・「水戸黄門(問)」さまナルゾ!・・・『圀』は中国の「周(唐)」の『則天武后』の発明した「新(周)字」である。「現存・古事記」・・・ミエタかな・・・「篇纂の時代」が・・・?・・・アヤシイ「張本人」かも。  さて、「認識主体=人」を欠いた「意識されない存在」は無意味であり、アレ、コレと「言葉の規定性」を与えられない「実存在」などは有り得ない。  だが、人間は有り得ないモノをも「空想」、「妄想」として考えるコトが出来るし、そのイメージの「コトバ」をも創り出したのだ。  これは「仮定としてのA(ここでは偉=イである)の言葉」であるが、「抽象概念」であり、ある「人物」に与える「傾向説明の言葉」で、これも「空想」、「妄想」できる意識的、思惟的人間の「別の言葉」があってこそ、出来たのだ。  幸いにも日本人にとって特に「漢字」と云う「文字」は、「思惟・伝達」する手段のみならず、その「形象的」な文字構造から「視覚的」に「イマジネーション」の世界を多大に喚起してくれる。  まさに、見えない「音」を伴った「絵画的」な「芸術」なのだ。  既に検討説明したが「芸術」とは「占いの術」であった。   ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・  ・ヒッポクラテス・は言った・人生、短し。芸術、長し・と。   ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・  ・筆  法句・出素

ヒツ ホウク・テス・ ・帯に 短し 襷(たすき=多素記・他諏記・足す記・侘州記)に長し    ↓     ↓        十文字にカケてキモノのソデを   ・・↓・・↓・・・・↓        カタに纏(まと)めるヒモ「X・〆・×・メ」   ・日 方蔵 手諏・      ・・・↓     ・・・・↓・・・     ・・・↓       暗・・=氐=氏一 主    ・・・↓          ↓          ↓       闇  弖=弓一主      ↓           第十一代・垂仁天皇、纏向・の珠城に遷都                     ↓                     真紀無垢↓麻紀椋                     巻 剥く ↓薪  椋                          ↓                          ↓                        臥・薪・嘗胆  ・・・「十の文の字」に「架け」て「鬼者・肝之・紀物・姫者・祁模廼キモノ」の「鼠出(移)=イエス・クリスト」を「形=潟」に「真都女留」・「紐(糸+丑)」である・・・「聖書の目次の漢字」をみよ、ダ・・・「イト忠商事」ってあったっケ、ッ・・・戦後に東南アジア占領諸国の賠償でぼろ儲けした商社で、その指導的な人物はシベリアに抑留され、卑怯にも旨い具合に生き残った「関東軍の高級軍人」であったらしい。後には戦後政府の要人となったヤツだ。  ・・・「第十一代・垂仁天皇」は、「師木(しき)の玉垣(たまがき)=纏向の珠城に遷都」した人物である。「崇神天皇の『弐拾九年生まれ』、『垂仁・九拾九年七月没』、『在位・九十九年』、倭名は『伊久米伊理毘古伊佐知=活目入彦五十狭茅(いくめ・いり・ひこ・いさち)』、皇后は『沙本姫=佐波遅比賣=狭穂姫』、『氷羽州比賣=日葉酢姫』」である。「垂仁・弐拾五年・内宮起源の伊勢五十鈴川上の斎宮を建て、『参拾弐年』に『殉死』を『埴輪』に替えた」・・・エライ、命を大切にしたのだ。  第十一代・・・・・・・・・・だいじゅういちだい=台・重・壱(位置)  垂仁・・・・・・・・・・・・・・すいにん=出人  師木・・・・・・・・・・・・・・しき=史記  玉垣・・・・・・・・・・・・・・たまがき=多摩書き  纏向・・・・・・・・・・・・・・まきむく=真記鵡句  珠城・・・・・・・・・・・・・・たましろ=他真始賂  遷都・・・・・・・・・・・・・・まわるみやこ=選図  崇神・・・・・・・・・・・・・・あがめるかみ=趨尋  天皇・・・・・・・・・・・・・・あましみかど  弐拾九年生・・・・・・・・にひろうくとしう  垂仁・・・・・・・・・・・・・・たれひとし  九拾九年・・・・・・・・・・くひろうくとし  七月没・・・・・・・・・・・・ななつきしずむ  在位・・・・・・・・・・・・・・あるくらい  九十九年・・・・・・・・・・つくもとし  倭名・・・・・・・・・・・・・・わな  伊久米伊理毘古伊佐知・・・・いくこめいりびこいたすけるち  活目入彦五十狭茅・・・・・・・・かつめいるひこごじゅうせまいかや  いくめ・いり・ひこ・いさち  沙本姫・・・・・・・・・・・・・すなほんひめ=作本秘め  佐波遅比賣・・・・・・・・・・たすけるなみおそいびめ  狭穂姫・・・・・・・・・・・・・・かいほひめ  氷羽州比賣・・・・・・・・・・こおりはねくにびめ=比場州・比葉素  日葉酢姫・・・・・・・・・・・・ひはさくひめ  垂仁・・・・・・・・・・・・・・・・たれじん  弐拾五年・・・・・・・・・・・・にひろうごとし  内宮起源・・・・・・・・・・・・うちみやおこすもと=台宮紀元  伊勢・・・・・・・・・・・・・・・・いいきおい  五十鈴・・・・・・・・・・・・・・ごじゅうすず  川上・・・・・・・・・・・・・・・・かわうえ・せんじょう=選常  斎宮・・・・・・・・・・・・・・・・いつきみや  建・・・・・・・・・・・・・・・・・・たてる・たける  参拾弐年・・・・・・・・・・・・さんひろうにとし  殉死・・・・・・・・・・・・・・・・じゅんし=巡視  埴輪・・・・・・・・・・・・・・・・はにわ=葉似話  替・・・・・・・・・・・・・・・・・・かえる=蛙・変える・換える・買える  あなたが、これらの「数字」と「・・・」、『・・・』の漢字に注目して理解できるなら、私と「同類」の人間カモ、ネ・・・。 存在(μενω=メノ)、と言う意味の

 「有る」、「あれ(αυτο=アフト)」のギリシャ語

    ・・・ ↓ υπηρχεω(イプェルクェオ?)・=(イピレクェオ?)

    ・・・・・(イピルヒ オ?)

 さて、特に日本人を越えて「漢字混合」と、「外来カタカナ語混在」の「日本語文字」こそ、「視覚的」に「聴覚」をも「喚起」させる最高の「文字言語」であるかもしれない。 これとは少し違うが似たモノがある。夜空の天体に散らばっている「ギリシャ神話の星座」である。星の光を結んで絵にした物語である。沈黙しているがその輝きと動きで饒舌に話しかけ、天界の事情を教えてくれる。原典は「エジプト」だ。だが、ギリシャ神話の起源を探ろうと云うわけではない。 「古事記」、「日本書紀」、時代の話し言葉で伝承され(?)、「日本的文字」で記録された「物語の起源」とその「コトバの根元(?)」を探ろうと云うわけである。 私の「空想」、「妄想」で「古事記は・・・かも知れない」と考えたことを、「漢文字・字音」、「呉文字・字音」、「国字=和字・字音」の「漢籍・書籍」に、「ギリシャ文字・字音」の「聖書」や「ギリシャ神話」、「エジプトの死者の書」「インド仏教経典」に重ねたたらどうなるのか?・・・と云うことを。 もちろん、「漢和辞典」、「古語辞典」、「ギリシャ語辞典」、「エジプト神聖文字辞典」が必要なことは云うまでもない。さらに、「漢籍類」、「古事記原文(?)」、「日本書紀原文(?)」、「日本通史」、それに日本の「物語原文」、そして「ギリシャ神話和訳」、「ギリシャ・ローマ古代史」、「古代エジプト史」、「インド仏教経典」の知識が必要である。 ・・・・それに、特に「弘法大師空海」が唐から招来した「占いの経典」=「宿曜経」の知識である。これらの「知識のレベル」が無い人は勉強するしかない。いくら「私」が文章を分かりやすく展開しても、この「本」の「理解」は難しいに違いない・・・このことは、頭がイイとかワルイとかには全く関係ない、あなたの「勉強」=「読書時間の消費の量」の問題である。

・・・・「υπηρχεω」

・・・・・イピレケェォ  ひれ

    ↓↓↓↓↓ ↓↓

   意鰭 懸重尾・・鰭=魚耆

    ↓↓↓↓↓     耆=キ・ギ・シ ・(イプエルクエォ)=存在

   イピルヒ オ

   ↓↓↓↓↓↓↓

   移日留日 緒(尾・牡・将)

   ↓↓↓↓↓↓↓

   意増える句重緒=「意」味が増える句、端「緒」を重ねる

   ↓↓↓↓↓↓↓

   彙増える句重緒=語「彙」が増える句、

   ↓↓↓↓↓↓↓

   委婦得留句重緒=「委の婦」、句を留め、端「緒」を重ね得る

   ↓↓↓↓↓↓↓

   葦殖えるクエ将=「アシ」、殖える、クエ(案山子=カカシ)の大「将」

   ↓↓↓↓↓↓↓        「久延毘古」=句重比故

   異譜得留供重嗚=「異」なった「譜」、人共に留め、「嗚」を重ね得る

   ↓↓↓↓↓↓↓

   斐普得る句重緒=甲「斐」の「並ぶ日」を得る、句は端「緒」を重ねる

   ↓↓↓↓↓↓↓

   異府得る句重尾=異なった「府」を得、句を「尾」張に重ねる

   ↓↓↓↓↓↓↓

   イフエルクエオ

   ↓

   謂=諛=言+臾( 臼人=キュウジン)

     ↓

     ユ=喩(さとす)

     ↓

     諛言=へつらう・へつらい・おもねる いう・ゆう

        ウス(有珠・碓)

        ↓ ↓

        ウズ(渦・卯頭)

     諛諂(ユテン)=阿媚(アビ)

     欝=蔚=打

     ↓ ↓

     酉・熊・邑 伐=撃=討

     諛媚(ユビ)=指→ゴ本

 ギリシャ語、「υπηρχεω(いふえるくえお・イピレケェォ・イピルヒオ)」の意味は「存在」である。 この「存在」を文字分解すれば、

 「存(ソン)」=(一のイの子《一了=始終=四拾=肆重・肄習》)、

 「在(ザイ)」=一のイの土(十一)

 である。 だが、「一」の読み方は次の

 「一」=イチ・イツ ひと・ひとつ はじめ おなじ・ひとしい もっぱら・すべて・みな ある・あるいは すこし・わずか かず・かた・かつ くに ただ ひじ・ひで まこと・まさし もと で、

 「一」の漢字が「ヒトツ」で、「ヨミ」方は、なんと、「二十四」で、これらの「ヨミ方」にさらに、「同音異字の漢字」を充てれば「物語」になってしまう・・・「二十四の瞳」なんて物語もあった。作者は「壷井栄」、物語の場所が「小豆島」だなんて、できすぎだが・・・「作家」とは元々怪しい存在なのだ。

 「一」・・・何故だろうか?・・・意味も一つじゃなくてニュアンスがかなり違ってもいるようだ・・・ナゼだろう? これを「神話」で「ヨミ(夜診)明かし」ていこう、と言うわけである。

 ところで、モノに対して「言葉」を与え、それを駆使した「モノの分析」は「科学」である。厳密に云えば「科学言語」だ。 そして、モノに与えた「言葉」で細部に「分析」した「多数のモノ(言葉)=要素」を「再構成」して「一つのモノ(言葉)」として「言葉=概念」を与えるのも「科学」である。 「一つに構成」されている「モノの各要素」を「言葉」で「説明」し、その「構成存在のあり方と機能」を「一般概念(コトバで説明)」とし、その「一般性」を踏まえ「個別性」と「特殊性」に於てその説明の筋道が「実証的・実験的」に成り立つコトを「科学」と言うのである。

 「説明」の出来ないコトは「想像」と「空想」、「妄想」で補うより手段がない。だが、「イマジネーションの世界」も「事実・実体」とは区別されながら「脳ミソの思考」を媒介にして最終的には「言葉」で「説明」せざるを得ないのである。

 この「頭の機能領域」の世界を「哲学分野(?)」と言うのだ。 難しいコトではない、「実証」されようが、「実証」されまいが「結果はどうでもイイ」、とにかく「・・・カモしれない」、「・・・にチガイない」と「推量」し、「可能性の問題」として「コトバで考えるコト」が「哲学(?)」なのだが、この「テツガク」なる言葉は「西・周=にし・あまね」によって発明された「日本語」であるらしいが、「てつがく」の漢字を分析、哲学すると、

 哲学(學)=手+斤+口+ツ+ワ+子 ・・・

    學=臼(うす・キュウ)に夾まれた

      「メメ」の「ワの子」

 哲=扌(手)=五指(ゴシ)

      =ノ+二+亅+斤(キン)

      =て(氐=氏+一)

      =て(弖=弓+1)

      =シュ(種・珠・狩・主)

          ゴシ=語詞 詞喩の

             諏・腫・首・繻の

     斤=キン=斧、まさかり、きる

          重量の単位・心、知の明かな様

          いつくしみふかい様

          目方

      口=コウ・くち

 学=ツ+ワ+子

       子=小=亅+八

   =∴=三点=参天=ооо=三輪

   =爪=津女

    + ワ=輪・和・倭・羽・環・我・吾・話・杷・窪

    + 子=一+了=始終

 「丸(圓・円・輪・環・吾・サークル=作亜句留)の循環の始終」を「言葉」で「學(まな=真名)」ぶ、「習(なら=名羅・名螺・拿・・納・)」う、ことになる。

 漢和辞典には

 「學」は「体系的に組織された知識=天文学」、

 「覶=ラ(辭に類字し、右の旁の辛が見になっている漢字)」は

 「序・詳しい・ついで・嬉しいげに見る」と、ある。

 「ラ=縷(ラル)」は「詳しく細かい」である。

 「拉典語(ラテン語)」、「拉致(ラチ)」と云う言葉もある。

 クワシク・コマ カイ

 ↓ ↓↓ ↓↓ ↓

 桑 示句 小間 蚕・・・相似句は「独楽回=掃除 苦 小間芥」

 ↓ ↓↓ ↓↓ ↓

 桑 詞句 湖間 開・・・

 相似 句 虎間海=掃除 垢 湖真改

    ↓↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓↓

股間解(怪・塊・・・金玉?)

鍬 史供 駒(狛)飼

素貴志供 馬 飼=洲貴誌句姑真解

↓ ↓↓ ↓↓ ↓

スキシク ウマ カイ

鋤 詞句 独楽 回

好姫詞句 湖間解

漉詩句鋳濡花囲

「・・・カモしれない」、「・・・にチガイない」・・・「鴨」は「茅ヶ以内」に「違いない」・・・「鴨(かも)」は「鴎(かもめ)」に「近い」・・・「神女=おカメ」は「地階=地界」の「誓い」・・・「神眼かもめ」の「視界」は「四海=死海」の「司会」・・・「嫁母」は「市会=壱改=位置甲斐」で「誓い」・・・「神」は「三輪=箕輪」の「地階=地海」・・・「ミノワ」の「智解」・・・「ミノワ文明」は「海底火山」による「カルデラ」の外輪山(島)、「クレタ」に存在する・・・「サントリス島」の爆発は「3600年前(?)」だった。 ・・・空想、妄想・・・「カモしれない」、「チガイない」とはコレだ・・・が・・・「モウソウ」は「申そう」で、「ござる」である。 あなたが「聖書」を持っているなら「申(さる)」と「命(みこと)」、「記」の漢字がつく「目次(モクジ)」を発見するだろう。

 「黙示(モクジ・モクシ)録=天啓録」とは

 「Revelations=επιστροωη(エピストロン)=apocalypse(アポカポリス)」

 であった。

 「黙示録=the Revelations of St.John」は、使徒ヨハネが、ローマ皇帝ドミティアヌス時代にエーゲ海、パトモス島に流されていた西暦95年頃 にイエスから啓示された記録と言われるモノである。 「Revelations」は隠れたモノを現す、暴露する、漏らす、知らせる、示すの動詞、「reveal」の名詞である。「revel」は酒盛り、馬鹿騒ぎであった。

 ギリシャ語「επιστλη(エピストリ)」は「手紙」のコトである。 この「ヨハネ」の

 「西暦95年頃」の前後の中国では、

 「西暦87年(章和一年)~西暦105年(元興一年)」の間に

 後漢(ゴカン)の・・・・互換・語幹・五巻・五感?

 「和帝」が即位した時代である。年表を見れば、

 91年(永元三年・ 辛卯)・・・王充・・・論衡

 92年(永元四年・ 壬辰)・・・斑固・・・両都賦・白虎通徳論・「漢書」執筆

             斑昭・・・「漢書」を完成(116年・安帝三年・丙辰)

             崔因(馬+因)・・・七依

 ↓

 95年(永元七年・ 乙未)・・・ヨハネの黙示録

           ・・・与葉根=代葉音

 ↑

 100年(永元十二年・庚子)・・許慎・・・「漢説文解字」・

             ・・文字学の基本資料 101年(永元十三年・辛丑)

             ・・賈逵・・・左氏伝解詁・「国語解詁」

 102年(永元十四年・壬寅)・・斑超・・・西域経略

 105年(元興一年・ 乙巳)・・蔡倫・・・紙(かみ=神=加味)の製法を完成

 である。後漢(ゴカン=語幹=互換=後閑)の「和帝」には「倭帝」が掛けられており、「和綴(ワテイ・倭の綴り)」が掛けられているのだ(?)。そして、この時代の年号、干支、人物、著書、事件のその「文字」を綿密に調べれば、それ自体が「黙示録」になっているのが理解されるだろう。

 「コトバ」は「言の葉」であるからその「比喩」は「枝葉」と「根幹」、「花」と「実」であり、「木」そのもののあり方、「変化の形態」が基本であるはずだ。

 ・・・さて、コトの是非はどうであれ、「コトバの音」を「イト的に考えてみること」にしょう。

 「一(いち)」とヨメば、 「壱」の「位置」と 「くらい」の「位地」、 「市」の「委治」で、 「一(いつ)」の同音異字が 「五(いつ)」。 「乙(キのト・イツ・オツ)」は「木の弟(おと)」で、 「己(キ・ツチのト)」も「オト」。 「キのオト(音)」は、 「木霊(コダマ・児玉)」で 「やまびこ(山毘古・山彦・山幸彦)」、 「耶麻美姑」、 「矢真備庫」、 「癒・真備・子」の 「オト」である。

 「751」年の「遣唐」の「副使」は「吉備真備」。この前年に「下道真備」が、「朝臣」となって「吉備姓」を賜って「吉備真備」となっている。 「朝臣=麻矧=アサシン」なら「暗殺者(ヒットマン)?」だが・・・「ゴルゴ十三」か、「レオン」で、国家に雇われた「女の子の殺し屋・ニキィータ」もいたが。

 「ケントウ・シ」、「ケントウ・フクシ」は、 「健闘」、「検討」、「見当」、「拳闘」、「献(南犬)灯(火丁)」の 「シ=史=刺=氏=詞=詩=言葉」・・・「副詞」ではないか・・・

  「ヤマト・タケルの東征」で

 「乙(弟)橘姫」が「犠牲」になった時の歌が

 「佐泥佐斯・佐賀牟能袁怒迩・毛由流肥能・本那迦迩多知弖・斗比斯岐美波母」

  ↓

 「さねさし・相模の小野に ・燃ゆる火の・火中に立ちて ・問いし君 はも」

 と訳されている。 この歌は既に前にも「アキレス」のところで掲げたが・・・これは「漢字」自体ををもっと「素直」にヨメば「意味」するところが解る「ハヅ」だが・・・その表面的な情景を「理解」しても「ショウガナイ」と言うモノだ。「事件(歌)の背景(裏)」を理解しなければ意味がなく、「ワカ」らないのでは「和歌」ではないのだ。そして、「ワカ」そのものが「コトバの鍵」なのだ。 だから「サネサシ(佐・泥・佐・斯)」の漢字そのものが「アタマ=ア・タマ=アタ・マを載せる枕詞」であると言われる由縁なのだ。

 もちろん、「漢字」の「一字」、「一字」の「形=造り」の文字分析と、「字音」の「意味分析」をし、さらに、その「同音異字」が「他意・多彙」にあるコトがわかれば「和歌」はその目的を果たしたコトになるハズだが・・・

 「哲学者、兼、歴史学者(?)」は「カイ」の解明にド・エライ長い論文を書いていたが・・・「歌の聖」と「茂吉」は「迷惑」であったのに違いない。 ・・・「茂吉」の「名誉(?)」も崩れはしまい・・・

 「古事記」も「日本書紀」も「万葉集」も「使用されている漢字」の「表意」や「表音」のみに「トラワレ」て解釈をしてはダメなのだ。 これらの「記録文書の漢字」はその「真意(?)」を理解させるための「目的実現」の「カケ=賭=懸け=掛=加計」として

 「多様」に、「多用」に、「他用」に

 「字形」と「字音」における「意味懸け」をされているからだ。当然、「カイ」は「狭」でも、「海」でも、「拐」でも、「堺」、「下位」、「界」、「開」、「怪」、「懐」、「芥」、「潰」、「壊」、「晦」、「蟹」、「階」・・・・カイ、カイ、「皆」、「掻い=癬疥=痒い=iching」、「解」であるからして「聖(ひじり)」の思惑はそんな「ケチ」ではないのである。

 ・・・何故、このような「文字言語」を「使用」するようになったのかは「歴史性」をみれば単純明快である。 日本列島は多人種が移民してきた極東の最果てで、「同音異意」のコトバが混在し、炉壷の中で混沌と渦巻かざるを得なかったからである。絞っても、爐っても、搾っても「オト(音=乙)」のみが、「カナクソ(仮名句素=金糞)」のみが、「シロチチ(白智値=白乳=乳酪(バター・醍醐)」のみが残るのだ。 ・・・コレは「視覚=目」として「漢字」は区別され、意味が区別されるが、「日本人的」に「発音」される「漢字」の「同音」は、「聴覚=耳」では「ドチラ=度知羅=土地羅=奴治羅」でも「意味解釈(釋)」される「漢字」の便利さ、効用性を発見したからだ。いわゆる、「どちらにも『効き目(亠ハメカ目=音波乂の力のメ)』がある」と云うヤツである。しかも、同音漢字の「多様性」は、他言語にも「他用性」され、その「多用性」は無限(∞=横にした8)で、「猪八戒」の特技なのである。 これが・・・「権力批判」には「都合」のよい「表音文字としての漢字」の「利用」と、さらなる「片仮名」、「平仮名」の発明となったのだ。「おんな」の「ちえ」とは「嫉妬」から出たとしてもタイシタもん、なのである。 だから、「古事記」、「万葉集」の「万葉仮名」を単なる「表音文字」である、として「先入観」でヨムと「本居宣長」式の「歌の心」は「自然に=情景解釈」の「枠内」でしかできなくなるのは当然である。

 「ウタのココロ」・・・

 「歌(カ)、詩(シ)、唄(バイ)、唱(ショウ)、謡(ヨウ)、詠(エイ)」の「心」は

 「得多埜『虎=寅』頃」、

 「『烏=太陽』太乃姑去芦」、

 「『卯=月』侘廼小子路」、

 「『鵜=ウ』詫之虚雇賂」、

 「『胡=五胡』多廼古『呉濾=呉越』」、

 「『羽=奥羽』他の顧虎路」、

 「迂多廼『弧虚露=天文の弧角の虚宿(玄武)の暴露』」、

 「『宇多野=宇拿野=宇土野』個々(箇々)呂」で、

 「宇=宇宙(空)=から・あき」

 「多=(夕・夕)=おおく」

 「野=里(さと)を予(マア・真吾・ヨ・夜・世・代・与)=あづかる」

 「個々=イイ(人々・ヒトビト・日斗・一渡)の固固=口古口古」

 句知降る

 九字振る

 久慈降る・・・

 高千穂 高知補 拘置捕

 「箇々=竹竹(たけたけ・丈丈・長長・竹田家)の固固

    =かたい=方位・形意」

  ↓ ↓ ↓

↓ ↓ ↓

ο βορραs

東 菱紋 ォ ヴォラス

硬=石更=意志讃良 将 母 羅州

堅=臣又土=将視股度

西

↓ ↓

η δυση ・← 十字 ・→η ανατολη

十一=壱拾壱

ィ ディシ

ィ アナトリ

蘇我堅塩媛=欽明天皇妃

   意 出石

   意 穴 鳥(鴪) 難=楠=危難=鬼難

   医師 ο νοτοs

    亜 名 取

     ↓

     楠正成難=鬼難 遺志

     ォ ノトス

   過怠=すぎ・おこたる

        小 野鳥栖

      素義

        将姑詫留

      南 諏技

 尾弧他留 「呂=せぼね=口と口をつなぐ(綱具)」、

 「胡多之子頃」であり、

 「菟田野心」、

 「菟狭乃箇々路」、

 「烏侘=鴉太」の「箇々賂」でもある・・・

 もちろん、場所は「月」であり、「九州」である。

 日本列島は多人種、多言語が大陸、朝鮮半島、琉球列島の環境の流動性によって移民流入して来る「地理」として存在し、しかも漢字のヨミが「呉音」、「漢音」で、「言語」そのものが当時からイマダニ混乱している「時代状況」なのに、「甲類」、「乙類」の文字分類にいかほどの意味があるのか・・・あるなら「甲乙の漢字そのもの形と音訓の意味自体」と思うのだが・・・言語学者なら「多数の方言」が都市に「存在」するコトがわからないワケじゃぁあるまいし・・・漢字研究なくして「日本語」は「ウロツク(迂路着句)バカリ」である。

 ・・・「古事記」は「尼=比丘尼=日国=女乞食坊主」の「タワゴト(多輪言)」である。

 古代では「卑国」、「火国」、「肥国」。中古代以降では「備国」、「尾国」、「琵国」。

 天体では「薇句璽」・・・「サルスベリの句のタマ」で、「紫薇台の玖の霊」である。

 「吃」っているのは「坊主」の「漢字音」じゃなく、「字訓=ジクン(自君)」だろう・・・「観音さま」は「弁天様」、「弁財天」と呼ばれる女神なのである。

 「音」を「観よ」、「天」を「弁えよ」と漢字をあてているのだ。 「乙女、乙姫、弟姫」の祈りの言葉は「七夕の乞巧奠(キッコウデン)」の星祭りにこそ、その意味を発揮するのだ。「両手を擧げてその指を星で飾る」のである。

 何故、「聖書」が「音書」と「文字」でかかれているのか・・・「福」の「音」そのものである。「復員」、「幅員」、「副因」、「複音」・・・「覆音」、「伏音」・・・の漢字を見れば理解されるだろう。

 「古事記」は「乞食姫」の「乞奠伝」であり、「亀甲伝」の「拮抗伝」である。 吃=キツ・コチ・しぶる・たべる・のむ・すう・わらう=どもる 訥=ドツ・ナチ・トツ・おそく・にぶい =どもる 吶=ドツ・ナチ・トツ・ジュツ・ニュチ =どもる 謇=ケン・むずかしい・ああ(発語)・まこと =どもる 「どもる=度盛・怒盛・土盛・努洩・堵漏」のである。そして、 訖=キツ・コチ・おわる・およぶ・とめる・ついに・いたる・つきる・つくす 「つきる」は「月流(留)=尽きる=つくす=筑紫」なのだ。 だが、 訛=ガ・カ・いつわる・いつわり・うそ・あやまり・なまる・かえる・うごく の漢字は「ナマル」、「ナマリ」である。「ナマリ」なら「鉛(エン)」=「金+八+口」である。金に似て「柔」らかく、「熔」け易く、「重」いのである。 「エン」の同音異字は「円」、「媛」、「燕」、「猿」・・・「怨」で、延々と「エンの音」が多数の「異字漢字」に連鎖し、その「訓(ヨミ)」=「言+川」も、意味も「川の水の流れ」のように「渦巻」ながら「勢い」と「場所」を変えていくのだ。その「要所=洋書」が「紅葉=黄葉=もみじ」の「タッタ川=竜田川」なのだ・・・。これは既に記述したが、まあ、「エン」の「索引=咲く胤=割く印=裂く姻=策隠=柵寅(作虎)=朔陰=錯音(韻)」の流れを漢和辞典で確かめてホシイのだが・・・うんざりデ、イヤになっちまう・・・かナ。

    「ある」  ・・・・・存在、と言う意味の「有る」、「在る」のギリシャ語・・・  ・・・・・υπηρχεω(イプェルクェオ?)

           (イピレクェオ?)

(イピルヒ オ?)  784年、桓武天皇は遷都セント・泉都・撰図の為、 山背国やましろのくに・サンハイコク=参敗扱く=纂配虎句=纂は異国「乙訓」郡長岡村を調査させた。・・・「乙訓」・・・「音訓(おとよみ)」ではないか・・・そして「長岡宮」への「遷都」である。既に前に述べたが「垂仁天皇」の物語で「円(圓)野比賣」が 「樹き=記・ジュの枝え=重・シに首くび=句備・シュを懸けかけ・ケン・兼・・・懸命・賢明・件名・県名、くくろう句句賂胡・区々賂胡とした場所」 は、その由来をもって「山代の國・弟國の相樂(さがら)とした」であった。これは、山背国「乙訓」郡長岡村を「古都」の「地名」を懸けるべきしてこのエピソードを「伏線を張って挿入」したものだ。すなわち、「佐賀羅」、「嵯峨羅」、「相模」、「作臥羅」である。  「イチ」は、「何時」、   ↓  「イチ(壱)、ニ(似)、サン(纂)、シ(史)」から  「イツ」へ「位置」と「位地」を   ↓  「伍(イツ)・呉・胡・護・互・軍隊仲間・午・后・後・語・誤・宕」に    ↓  「『委津=囲津=夷津=伊豆=移津』」へと  「溢(あふれて・溢死)・洩れ、漏れて」、  「六(ムツ)・睦・陸奥」へ  「逸脱」して、変わってしまったのか。  「呉音」から「漢音・唐音」の移行時期だが・・・・これは移民、遷都で人々が混乱していたコトではないか・・・。  811年、「陸奥国」に「和我、稗縫、斯波の三郡を置く」とあり、  この年、「最澄」が「羯磨金剛目録」を作った。    ・・・・「羯磨金剛目録」     ・・・「羯磨」は・・・       ↓↓  「山羊座=磨羯宮の逆」・・・ひつじ=じつひ=実比・日一・字柘比       巨蟹宮    未支の逆は丑支              日辻  「金剛」は「混合=水+日+比+八+一+口(国)」で、  「目録」は「まなこ録(しるす)」、   ↓  「真名虎録」・・・録は「歴史」、   ↓  「魔菜姑漉」・・・魔は「鬼」、  「目鹿=女自家=雌鹿(女王)」、       「埃及=エジプト」  「眼緑・・・碧眼」・・・緑、翠、水、壬、人、仁、神、尋、塵(ちり=地理・埃)       「日置眼」・・・・嬰児・・・みどり女・・・未酉目・・・              ↓        ↓             貝貝女旧人(足)  魅禽女  である。「加治木」氏の説のように・・・「古代史」に於いても、「中世・近世」に於いても、きっと「ミドリ眼の女性」が関わったのには違いないが・・・「葦篭に入れられてナイル河に捨てられた『嬰児』」の話は「モーゼ」であり、『過ぎ越し』で「エジプト人の長男を皆殺し」にした話や、「ヘロデ王」が「キリスト出生」を恐れて「二歳以下の幼児」を皆殺しにした話、これら「初子(初児)を殺して『神』のイケニエ」にする話は「カルタゴ」の神殿遺跡から発掘された「焼かれた幼児の数百(千?)の死体」や、「古代宗教」の伝承から世界的には一般的なコトであった。ごく、最近でさえ「エスキモー」人は「初子」として出生した「女児」を極寒の野外で「イケニエ」とする習慣があったのだ。  「ヒト」とは、  「妃都の人」  「卑(卑弥呼)」  「屠(屠殺)」  「塗擦の秘図した干土、日渡、肥土の妃徒」  ではないのか。  ・・・「雄略天皇」と狩りを競争して勝ち、遺恨をかって「土佐」に流された「日下老人」は「肥後」の人物・・・これが「基層」だ。  「ヒトツ」の「トツ」とは  「秘密を塗柘、塗布し、塗抹」した  「コト(古都・琴・言・異・事・子斗)」の  「干(ヨコシマ)」の逆・・・漢逆の・・・「土」、  「土(奴=八=破瓜=十六才の女・六十四才の男=墓=博多)」の都、  「比砥津と誹妬都」、「日斗晦と火吐津」を「比図柘」することではないのか。  ・・・「重なったコトバを比較して区別」することなのだ。  「ハジメ」の初めは始めで、文字記録の  「肇」らしいが、「録」は            一尸夂聿=初めの屍のチ述        「金」の「ヨ」の「水」・・・「彖」、「隶」、「縁」               ↓       「嬰児」=「緑子」               ↓           美土里児               ↓           みどり ご               針鼠の頭・・・金+十のキリストのコウベに水                         洗礼→先例・・・ヨハネ  「箸女(ハシメ)」は「大市古墳」の別名、  「箸墓」を護る女性で、その  「梯目」を登る  「乙女の壱与」、  「巴(ともえ)」を治める女で、  「葉の字の芽」を創り出した女性・・・当然、女は巫で、  「音-拿(オン-ナ)」であるからだ。  「恥女」は「破る璽の女」で、「耳の心のくノ一」  「覇を持つ女=持統女帝」は  「卑しい女」なのか・・・まさに「日本史」を歪曲し、  「字を統一」せんとした「暗殺者」としての  「ジョ(序・鋤・汝・恕・除)帝」だからである。  ・・・「同(おなじ=御名字=女字)」は  「将(オ)に名(ナ)の事(ジ)」で、  「マサニ、尾(北斗破軍星)の名の字」、  「麻を納める時はアキ」、  「旦(アサ)の朝は農事の納期」で、「麻」は「大麻(タイマ)」である。  「巫」が、あるいは「ダッタン=タタール」人の「権力者」が「兵士」、「暗殺者(アサシン)」に与えたモノは「マリファナ」・・・「ハシシ」とも言うモノだ。  「ヒトをコロすモノ」は「コロされるコト」を恐れては「イケナイ」のである。  だが、「汝(なんじ)、ヒトを殺すなかれ」は「聖書」の「モーゼ」の「十戎」であるが「汝、隣人(同胞)を殺すなかれ」。  ・・・「申命記」とは・・・「サル・みこと・シルス」=「もうす・いのち・しるし」だ・・・

ーーーーー

 エジプトを出た  モーゼと民が  放浪し、  ヘツェロト  にいたとき、  モーセ(Moses)の  兄アロンと  姉ミリアム(Miryam)は  モーセが  クシュ人(スーダン地方の黒人?)の  女性を妻にしたことを非難し、  ミリアム(Miryam)は全身が白くなった・・・  ・・・樵(きこり)の「白蝋病(ハクロウビョウ)」か、  「白癩(びゃくらい・しらはたけ・しろかったい)病」・・・?  ・・・なぜ、回教徒の婦人は「ブルカや二カーブ」を被る様になったのか?・・・  「白郎(しろろう)」?、  万葉集では「白水郎 (あま) =海女」だが、冷たい海に潜れば血管は萎縮し、肌(膚)の皮膚は白く、顔は「(白く)青褪める」だろう。血の気が退く・・・「新羅(しらぎ)」に掛けた?   ↓↑  「ラモーゼ」  アメンホテプ三世~四世のエジプト宰相  父はネビィ・・・アメン神殿で穀物の管理者  母はアプヤ   ↓↑  モーセにに関連する  エジプトの  神官  「マネト」・・・まねと?  ↓↑  による記録に  ヨセフスの引用ヶ所に  アメンホテプ3世  が地を清めるためにと   ↓↑  皮膚病患者を隔離した際、  ヘリオポリスの祭司の  Osarseph(オサラセフ?)が  皮膚病患者の一団の監督者  皮膚病患者たちはかつての  ヒクソスが首都を置いた  アバリスに収容され、  Osarsephは  エジプトで禁じられている  あらゆることを指示し、  エジプトで許されている  あらゆることを禁じた。   ↓↑  ヒクソスを国に引き入れ  エジプトを再征服し、  13年間彼らと統治した。  後、  エジプトの地を追い出され  Osarsephは  「モーセ」の名を名乗る・・・?   ↓↑  エジプトに災いをもたらす  モーセという名の宗教指導者が存在した  エジプト北方に勢力を持った  西アジア系移民が存在した  その異分子は  ヘリオポリス(オン)の  宗教指導者と近しい関係を築いていた  皮膚病を利用した  エジプト人と異なる法を敷いた  エジプトの地から出た。   ↓↑  「マネト」は・・・・真似るヒト=学ぶ人?  エジプト人で  彼の時代  紀元前300年前後は  プトレマイオス朝の時代  プトレマイオス1世・2世に仕えた・・・プトレマイオスはギリシャ人  マネトの著作は現存せず  断片部が引用されてその内容が知られている。  『アイギュプティカ   (古代ギリシア語: Αἰγυπτιακά・Aegyptiaca・エジプト誌)』  古代エジプトの時代区分は  アイギュプティカに基づいている。  他に  マネトが記したとされる著作は現存しないか、どうかは  不詳・・・

 「ネフェルティティ(Nefertiti、NeFeRTiTi)」  エジプト新王国時代の  第18王朝のファラオ、  アクエンアテン(イクナートン・アメンホテプ4世)  の正妃で、  「トゥト・アンク・アメン(TuT-aNKH-aMeN・ツタンカーメン)」  の義母。  「アクエンアテン」は、  紀元前1334年、or 紀元前1333年に死亡、  29歳、  17年間王位。  「スメンクカーラー」は4年間、  アクエンアテンの共同統治者。  「ネフェルティティ=スメンクカーラー?」・・・

ーーーーー  「アブない」、「あぶナイ」、「阿武ない」、「阿夫ない」、「阿父ない」、「阿婦ない」、「危ない」、「娃府ない」、「阿武隈山地」である。  ・・・「アブラカタブラ」は魔術師の呪文である。  ギリシャでは「イヲ」が「ゼウス」に「牛」にされ、「嫉妬深いヘラ」に「耳」の「中」に「虻」を「挿入」され「苦しん」で、「吾夫の庇護」のナイママ、「エジプト」まで狂いながら放浪し、やっと「ヘルメス=水星」に「救援(キュウエン=たすけられた=足姐・蹴ラレタ」のである。とすれば「足=ヘラ」。嬰児の時、「エジプト」へ逃れた人物は誰あろう、「イエス・クリスト」であった・・・鼠の移動である。  ・・・無意識なのか、意識されてなのか、かの「書物」の「タイトル」は「神々の流竄」・・・であった。  ・・・愛知県、名古屋近郊に「足助(アスケ)」があり、かって、「FUO=空飛ぶ円盤」が現れたと噂された「猿投(サナゲ)」があるが・・・。  足助(アスケ)・・・足を助けた・・・ソクジョ=息女・則序・あしたたすける         口卜人且(月一)力        ↓

   葦 多々諏懸留                          ↓

  娃史他侘州家留  猿投(サナゲ)・・・猿を投げた・・・・・エントウ=援唐・円筒 さる なげる=猿投          獣十一口衣手几又    遠島(島流) 猿 名解留          申=臣(目を見張る)          詐留拿下留        もうす=毛州・網素・猛子・母州・模諏=申せ=モーゼ?・・・申命記  ・・・すると、「朝臣(あそん=アサシン=暗殺者)」とは・・・「太安萬侶」とは・・・「コトバの毒(主+母=どく=讀=大麻=ハシシ=頗姉始=箸史)」を「古事記」に盛った人物ではないのか?・・・・「稗田阿礼」・・・どおして、学者は「稗」の漢字を調べなかったのか・・・「大月姫」が「吐き出したモノ」・・・「キリスト」が「口から吐き出す汚きモノ」に注意せよとは「シンガク者の言葉」に対してであった。  ・・・「シンコウ・ウスキ者よ」・・・とは・・・  稗=ハイ・ベ・ひえ・ちいさい・こまかい・いやしい  稗官(ハイカン)=昔、政治の参考にするために民間の細かい言い草・物語など          を集めることを司った役人。稗は細かで民間のこまごました          した言い草を集める意味。小説、小説家。  稗史=正史に対して民間の細かい物語を書いた書。小説風の歴史。伝記小説。  まさに、稗・田(侘=ヨコシマ)、麻(あさ・マ)、稗(ひえ・ハイ)、麦(むぎ・バク)、アレである。  マ・ハイ・バク・・・麻葉維縛・・・真吠曝は「裏の畑のポチ」の「ナキゴエ」に依る「曝露=馬喰」で、「白蝋」で、「」ある。  「安芸の穐(アキ)」、「安岐」、あるいは  「秋」の「亜紀=亜記」は・・・  アキの空きで、カラッポを意味している・・・「空海」・・・天と海の境界                            ↓  宇宙は常に動的なプロセス・・・・・・・・・・・「恵果」・・・経過                            ↓  天空は星々で満ちており、・・・・・・・・・・・・「不空」・・・普空                            ↓  真言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「辰魂」・・・星言   ↓  「密教坊主」は「即身成仏」のプロセスで「護摩」を焚いた・・・この「護摩」とは一体、何であったのか・・・。  護摩・・・ゴマ・・・胡麻・・・独楽・・・狛・・・小間・・・・駒      語真  古月  獣中ム 獣  地異祭 馬句      魔誰    學   白      馬具=鞍      囃し    愉思惟 掃く     婆虞=場倶  「修行したモノ」だけが知り得る「神秘的な境地」とは「最高の悟り」らしいが、あくまでもこの「境地」は修行者個人に属するものらしい。しかも「覚醒した悟りの境地」は「コトバ」では説明し得ないモノとなっているが、「法悦」とも言われる。・・・コトバを代えれば「確かでないモノ、曖昧なモノ」で、道理、理屈では説明できないモノだ。  「胡麻」の漢字の「胡(コ・ゴ・ウ・なんぞ・えびす)」に関連した「胡乱(亂)=ウロン」、「烏乱(亂)=ウロン」は「確かでないこと、怪しくて疑わしいこと」とある。「胡麻」の「胡」は呉音で「ウ」とよむなら、「胡麻」は「ウマ」である。・・・ウマ・・・馬・・・午・・・「胡(古月)亂」も「烏(日)亂」も月と太陽の乱れなら「日月食」である。あるいは季節の曖昧な時期・・・秋である。  呉音で「武」、「黄」、「呉」も「ウ」である。  「覚醒」、「法悦=悦楽=快楽=恍惚=解脱(?)」をコトバで敢えて説明すればニュアンスこそ違え、「セックス的な快感の極み(?)」に近いモノではなかろうか。「大日如来」の教えるところは「理諏経」で、「セックス」である。  自然界の動物、特に昆虫類や、回遊する魚類の「種を残す一過性の生殖行為」は「死」を前提にしている壮絶な営みの様に見える。  「蜘」や「カマキリ」、「蜜蜂」等、「螺」の「雄」はまさにそうであるし、「鮭」や「鱒」の河川にのぼっての「生殖行為」は確実に「死」と交換される。私には「肉体=精神」的な「快感」の「代償」なくしてその「死を前提にする行為」はあり得ようがないように思えるのだ・・・が。  坊主にとって「女犯」が「破戒」であるならば、それに代わる「坊主の法悦」とは何であろうか、と考えてもみたくなる。禁じられた「女犯」、「男犯(?)」の結果・・・「空海」の口には「金星」が飛び込んで来たのである・・・ヴィーナスの精霊以外にはないではないか・・・彼の「覚醒(?)」はこれ以外には語られていない・・・らしいが。  とにかく、「即身成仏」とは「生身の間々に覚醒し仏になる」と言うことらしいが、「生死一体感」に浸る「精神状況」のことだろう。これは激しい生殖行為の結果に経験するような肉体感覚と「精神的恍惚感」ではなかろうか。坊主になったことがない、いま現在、生きている私が言いうる「快感」である。「坊主の法悦感」であろうが、「凡人の悦楽=恍惚感」であろうが、「感」であるが故、その「感」の説明はまさに、「理屈ではない」のだ、と・・・ポルノとも思える男女交合のチベット曼陀羅図、ただ、無表情(?)にひたすら行為に一念没頭している男神と、女性の苦しそう(?)に喘いでいる表情を見て・・・その行為から解放される瞬時に、「感知し得るモノ」を、私はそう思うのだが・・・。ここは漢和辞典で「胡(コ・ウ)」、「感(カン・コン)」の同音を見てホシイ。・・・すべては「ヨコシマ」に通じているのが理解されると思うが・・・ウカン・コカン・・・へ。


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