プラトン、古事記を語る(10)
アシ舟・・・遣唐使・遣隋使・・・検討史、見随史・・・ギリシャ語の「幾何学の数字」
「ある」(x8y) 「亜紀」は「あまねし・のり」だが、「アキ=空」なら 「空ッポ」で「空虚」な言葉の羅列だ。 ・・・「ヒトシイ」とは、「等しい」で、「日の渡りは四囲」に、「妃と都」を「私意」したのは、等しくない「藤原不比等」・・・なのか・・・当然である。ナセナラ、「比べるに、竹の土の寸に、アラズ」だからだ。「カマ・カケ」の「フヒト」と自分から名乗ったのならばタイしたモノであるが・・・「藤原鎌足」はもと「中臣」であった。「おかま」なら「官宦」で「子供」がいたとしても「養子」の類である。養子なら「中大兄皇子」にコケにされた「孝徳天皇」の「胤」が「藤原恵慧」らしいが・・・しかも「大化改新の事績」は「日本書紀」ではすべて「孝徳天皇」に帰するのに・・・「中大兄皇子」は単なる「蘇我氏」の暗殺実行者に過ぎないのだ。「中大兄皇子」が必要としたのは「老いぼれた斉明天皇」であった・・・何故か・・・「天皇=女神の巫=『Αθηνα(アシナ)』=アテナの女神の巫=足名椎の女」でなければならないからだ。「中大兄皇子」は「斉明天皇」の後継者であるべき「間皇女」をも「孝徳天皇」から拉致していった。「斉明天皇」の「男弟」である「孝徳」は「天皇」ではなかったのだ。もちろん、「天智」も「天武」も「天皇」にはなれなかったし、「天皇」ではなかった。 「卑弥呼の時代」から「天皇(すめらみこと)」とは「女性」なのだ・・・「素女羅尊」、「洲女羅命」、「須女裸巫都」・・・「女王国」の「女王」であり・・・「アマゾネス=海女蘇根州」である。 「藤原氏一族」は「聖武天皇」の代に流行病で「全滅」した・・・のだ・・・。「藤原氏」が「外戚」の「地位」でしか「権力」を握れなかったのはその「蔦(つた)の花=紫色の房の様な垂れ花」としての「政治戦略」からではない・・・栄養分を他の樹木か吸い取る「寄生植物」・・・結果、たとえはそのとおりカモしれないが・・・「紀勢色物」・・・男は「天皇の呼称」を許されない「伝統」があったからだ・・・何が他人(A学者)の記録(説)を引合いにして、さらに他人(B学者)の記録(説)で批判することが「逆説の歴史」・・・なのかナ?・・・「推理したブンだけ」が「逆説」・・・日本の歴史学者は「宗教」をわかってイナイらしい、が・・・ ・・・批判の対象は「学者一般」ではない「御用学者」らしいが・・・「政治的立場」に立ったら「彼」も同じ穴のムジナだが、今現在の「立場」は何だ・・・? 「①記録の研究(読み手)」と「②記録した人物の立場(書き手)の研究」と「③その記録研究結果の自己の立場(読み手)からの評価」は「区別」するのは当然であるし、当然「記録自体」がそのような「存在」なのだ。 わたしが「主観的」に考えれば「逆説の歴史」の著者は、 「②」は「コトダマ・おんれい・おんりょう」として、 「③」の立場は「歴史的現在」を「過去の歴史」から「反省」して 「現在の自分の政治的立場(客観主義?)を主張し、 「①」他者(歴史学者=御用学者?)批判」 をしているらしいが、「コトダマ・おんれい・おんりょう」にとらわれている「日本人そのもの」をも批判しているらしい・・・?。だが、「歴史的事実」は「精神・感情」的な「コトダマ・おんれい・おんりょう」のみならず、「琴霊・恩礼・温良」としても、その「心的動因」となる「基礎」、すべての「生活諸利害」の「生産諸関係」としての中で「ダイナミック」に展開してきたのだ。「生産諸関係」が「物質生活」にプラスにもマイナスにも振幅すると言うことは、「心的生活」にもプラス、マイナスと振幅するのだ・・・そして「心的生活」は逆に「物質生活」を、と・・・相互諸関係と云うことだが・・・マァ、そんなことは「彼」にとっても当り前か・・・とにかく、歴史的に登場して来た人物の「心理的立場」を知りたいのか?ネッ・・・それとも「政治的な立場」を明らかにしたいのか?・・・で、自分自身の「立場」はどうなんだかね・・・「政治技術(手段)的な思想の体制支配者の擁護」らしい・・・「天下布武」・・・か・・・立場は「支配者の論理」だな。 「コトダマ・おんれい・おんりょう」は特殊、「日本人だけ」の特権じゃあないのは自明と云うものだが・・・「戦争のない世の中・人殺しのない世の中」を「思想」するのは「立場」が「おんれい・おんりょう」だからである。 いかなる「思想的立場」をとれ、「現実」の状況が「思想・理想・理性」をふっとばし、そうすべきである、と自覚し、知っていても「現実」の「心理・的・感情」が人々をして「パラドックス的」な、自分でも不可解な行動や立場に追いやるカモしれないのだ。「あなた」も「歴史的存在」であるなら「例外」じゃないかもサッ・・・「時代的に生きる人間の知行一致」とは並み大抵のことじゃぁナイ・・・「一致」させようと「固守」すればスルホド「観念とのズレ」は拡大し、自分も他人の「命の犠牲」も甚大になるかも・・・とにかく、わかったような「イイ」ことを云うヒトが一番危険かもね・・・ 「源実朝の和歌」を研究発表した「思想家?」がいるらしいが、彼の立場は一体何かねっ?・・・「自立の思想」って、現実、実際の立場は「小ぶる+αか、+Ω」だろうに・・・「制度の実朝」に自分の立場を重ねたのか?・・・ズゥ~ット、逃げ道をさがしているん、カイナッ・・・「今現在の制度としての己自身」は何処にいるんだか・・・ジジィはアソビの名人だな・・・将軍になった彼の「和歌」は「政治的実践の駆け引き的心情の葛藤記録」だろうさ・・・? 「記録=歴史」はあくまでも「記録=書物」として存在し、その「記録=歴史」に動かされるとしたら「そうあるべきだ」とする「読み手の価値判断」が「歴史を哲学」させ、人を消極的にも積極的にも「思想的に実践」させるのだ。「現実的な実践」はそのほとんどが「心理的感情」による・・・記録が例えなくても人は「口承」され、「伝承」され、あるいは「経験」を踏まえ意識的、あるいは衝動的に動く(生活する)のだ。さらに云えば「口承」も「伝承」もなくても、「自己存在」していこうとスルのである。時には煽られて動く場合が多いのだが、扇動される、されないも、諦めも、諦めないも「人々の心的な利害と一致」なくして「歴史的事実」としてはナニモ起こり得ない・・・起こったならば煽る中心的人物の「歴史性=思想性=実践性」こそが、時代の象徴としての「利害関係」として「記録」されることにもなるのだ。しかもこれは「歴史性」に限ったことではない「人間生活」に於ける「技術・芸術」に関してもそうなのである。人間は「記録」も遺すが・・・「猿」が海水で「芋」を「剥いて洗って食べる」ことを覚えた。ゴリラは体調がおかしくなるとある「特定の木の葉を採取」して食べる。「学習」を重ねたチンパンジーは「計算機を駆使」して計算する。「訓練」された「イルカ」は「字形を識別」して行動を起こす・・・これらは某TV番組で紹介された「事実」であるが・・・・・・「芸術」とは「占い=非合理」であると漢和辞典が説明するところだ・・・況や、人間をや、である。 「①」はどんな場合でも「既知の知識を基礎にした読み手の新たな知識としての吸収」だ。あらたな観念的判断には模索の時間がいるのさ・・・その判断も「現実的な実践」とは即ならない・・・そのプロセスで「感動・共感・反発」があれば「①」に対して、「③」が「思考機能」し、「価値判断」があったと云うことだ。だが「②」の「AとB、あるいはC」の「比較」が既になければ「③」はないのも自明である。 ここでの「記録」とは「歴史」と一般的に言われているモノだが・・・事実報告の部分なら新聞記事だ・・・だが、歴史とは「五W」の「WHY?」の部分である。コレは「読み手の自由(?)な立場」である。そして、今現在の対処と未来的な展望としての「HOW」である。ダレもがそれらのテーマを「悲観的マイナー」な展望としては考えたくないだろう。 「歴史家」の「自由」とは「人間諸関係の理不尽な、非業な事実」に対する「理由」とは何か、の追求とそれを踏まえた未来的な立場だ。そして「歴史的人物の立場」ではなく、「今現在の自分自身の、アンタの立場」である。「怨霊思想」がなくなったらどうなる、と言うのか・・・制度としての象徴であったから、それが「ドウだ」と言うんだ。 アンタ達の立場、野次馬・・・? 「がんだれ」は「林=はやし」を「止=とめる」ところの「史(シ・ふみ)=記録」である。 ・・・「中臣一族」は「獣」でも「鳥」でもない「中心=那賀の臣」、「心中の逆」の「コウモリの傘=笠=加佐」だからである・・・「ナカトミ」を分離したのか・・・それとも異種を合併したのか・・・合併したならダレか・・・「ハシ」で「つまんだ奴」カモ・・・「秦」・・・「泰」・・・この漢字、比較すると微妙ではある・・・ナぁー・・・「シン」と「タイ」とは。 ・・・「モッパラ」は「百舌原の専螺」で、 「博多」らしいが、 「専」ら専一でない長ったらしい名前、 「天津日高之御子、虚(そら)津、日高」の 「山幸彦」と、その子供、 「天 津 日高 日子 波 限 建 鵜葺草 葺 不合 命 」 (あまつ・ひだか ひこ・なぎさ・ たけ・ うがや ふき あへず・の・みこと)、 「ウ」 ↓ 「ウ=鵜・得・有・迂・宇・雨・・・ 烏(太陽)・卯(月)」 ↓ 「鵜 葺 草 葺 不合」 「ウ・ ガ・ヤ・ フキ・アエズ」 「羽(葉)・ 化・耶(夜哉)・ 付記・会えず」の 「ミコト(観事・見古都)」の話は 「虚偽(ウソッパチ)」・・・だが、 何か別の「迂闊」で「穿」った意味を持たせたモノ・・・なのである。 「卑語」、「庇護」、「肥後」の「言葉」に「限」って「懸」ければ 「うがや(羽化屋・雨下屋)」は「ふきあえず(付記会えず)」 であるのは明白である。 ・・・真面目に「字面通」り「鵜葺草葺不合」と考える研究者はサイワイナル仮名、ジュンスイナル仮名・・・ロマンがナイ仮名である。 うがってコトバの意味を考えれば、「関西芸人・漫才師」が「噺す」登場人物は「お笑い草(日下日十=ヒノモトノヒト=者)」でしかないからだ。 「スベテ」は「全て」で、「マタ=又・股・俣・亦」・・・「タマの逆」。 漢字分解すれば、「全=八の王」である。「又」は天球の十二区分された「円弧」であり、その「八」である。十二支の「八支」は「未(ヒツジ)」である。「古事記」では「八十神」によって「キマタ」に夾まれ、肉体をズタズタにされた「大国主」の再生、「甦生」=「蘇生」の話があるが、この箇所の話は「古代エジプト神話(セトに殺されたオシリス)」にも発見するだろう。・・・もちろん、「ギリシャ神話」の「ヴィーナス=アフロディア」に愛された「アドニス」にも・・・ そして、「新約聖書」の洞窟から蘇った「イエス・クリスト」にも・・・ 「蘇生(ソセイ)」とは、次の同音異字のカタマリである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・蘇生・組成・粗製・塑性・甦生 ・細胞・構造・乱造・粘土・回復 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ネズミ」が自らの分身を「粗製乱造」すると「笛吹き=増え拭き=不壊不帰」が「川」へ導いて溺れさせてしまうのである。「悪魔が来たりて笛を吹く」、そんなタイトルの探偵小説があったが・・・。 もちろん、物語の中で「蘇生」させられるモノは「蘇我=蘇我氏」であり、「蘇鼠=キリスト」であり、「紫蘇=紫式部」であり、「蘇芳=赤の染色の色重ね」であり、「姐姓」であり・・・とにかく、漢和辞典の「蘇」をミメである。 ちなみに、「遣随使・小野妹子」のことを「蘇因高」と随の役人は呼んで、この漢字をあてたのだ。 「随」なら「随史」に関連する事件と登場人物である。 「神道」が「カンナガラの道」であるならば、 「随(ズイ)神道」=「惟(ユイ)神道」 で ある。・・・「随所」、「随書」、「随諸」、「随緒」、「随渚」、「随初」にあるとはね、これは「事実」だ。 これらの「漢字」そのものが「日本神道」の由来を示唆しているのは明白だ。 「未=羊」は神への「燔祭」のイケニエ(犠・牲・犢・贄)である。 ・・・子羊は「牛=神」への犠牲なのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・「股」は「直角三角形の長い方の一辺」 ⊿ ・「句」は「短い方の一辺」 ⊿ ・「弦」は「斜めの一辺」 ⊿ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ である。・・・ここでは「股」、「長」、「句」、「弦」の「音(オト)」と「文字(モジ)」が注意事項である。 「股」、「長」、「句」、「弦」 ↓ ↓ ↓ ↓ スナワチ、 「真他」、「喋る」、「句」、「言」 ↓↓↓↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ 諏名輪弛 臣詫 重 苦 言 沙 倭治 申侘 肇 玖 源 須名和知 ↓ ひげ・・・髭・卑下・妃下 「日下」・・・・・・・肥後 「天文学」の「又」は「天文十二支」の「天球区分」で、「十二宮の一」、マタは「股=脚=足(アシ)」で、密教の占い、「宿曜経」の「星宿の目盛り区分=108」で、「煩悩(ボンノウ=本之胡・ウ=烏・卯・鵜・雨・ノウ=能生)=本能・本納」を吹き飛ばす「除夜の鐘の音」である。 「総て」は「糸の小、八のムの心」で、「伊都」は九州で、「意図=異図」する漢字で、「ハム」は食べるで、英語での「ハン」は「HAN=中国の漢王朝」。「HAM」は「干物、乾燥させた食用肉」。「昔の町や村」・・・大洪水で生き残った「ノア」の次子「HAM(ハム)」、その子孫は「ハム族」で、アフリカ東北部の「黒人種」のことだ。・・・無線通信は「ハム」・・・「HUM(ハム)」は「口ごもる・ためらう」であり、「悪臭」、「ペテン師・詐欺師」のことだ。 「ハン」は、 判・凡・犯・叛・繁・半 磐・釆・斑・飯・反・班 販・藩 版・伴・阪・坂 畔・板・範・頒・蕃・搬・幡・煩 帆・汎・旛・袢・絆 だ。 「ハム」が「マン」、「バン」ならば、 「萬(万葉集)=晩(夜の星)=盤(宿曜経)=版(古事記)=判(判別)」 すべて、 「心の真の信、晋の進、唇を震い、賑を振って申す」、 である。 「統べて」は 「糸(いと・ベキ・ミャク・シ)=異図・可・脈・シ=詞・始・史・姿」、 「充(ジュウ)=亠(音の略字)+ム(よこしま)+儿」 ↓ 重=かさなる=化作名留=笠名留=加佐拿留) 「充」=「亠(なべぶた=鍋蓋=名部分他・音の略字)+『ム』+儿」 ↓ けいさんかんむり=計算冠(言拾+竹目廾+冠《冖+二+儿+寸》) ↓ ↓ 廾 冖 二 儿 寸 ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ わ に 足 すん ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ 王 仁=鰐(魚咢) ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ 驚愕=鏡学=鑑学=歴史 ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ 鍔=きっさき ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 切っ先 ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 記柘作起 ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ 倭の大貳の阿史の州務 ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓(太宰府の次官) 懸違算 巻 無理 廾(キョウ・ク・ こまぬく) ↓ 纂 巻 狂 句 故真抜句 ↓ 山 間 ↓ 参 観 ↓ 参 看 ↓ 三 巻・・・「古事記」 ↓ ↓↓ ↓↓↓ 「亠」=音の略字=『オト・オン・イン・ネ』の掠字」 ↓↓ ↓ ↓ ↓ 尾斗 遠 因 根 将徒 怨 隠 子(支・示・詞・史) 因 子 「ム(ヨコシマ=邪)=肱(コウ・かいな= 『解名』) =腕(ワン=かいな= 『戒名』) =ム=『私』=わたくし=『倭侘駆使』 ↓ ↓ ↓ ↓ 綿 串= 棉 櫛 =自(ジ・おのずから)=『緒之頭珂羅』 ( みずから )=『御津から(韓)』・・・三韓 ↓↓ ↓↓ 参巻 =己(キ・おのれ)=『緒之戻(霊)』 ↓ 鬼記 姫紀 鬼気 危機 ↓ 『キ・己=おつ』 ↓ (つちノと )=『鎚のと』・『槌のと』 ↓ ↓↓ ↓↓ ↓ 之砥 埜妬 ↓ 『椎のと』・『壌のと』・『土』 ↓ ↓↓ ↓↓ ↓ ↓ 能登 能都 十一 ↓ ( おと )= 『音』 ↓ 「 しばし も やすまず むら の かじや」の『鎚 の 音 』 ↓↓↓ ↓ ↓↓↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓↓ 司馬史 模 止 まず 鵡螺 之 鍛冶爺 柘恥 将徒 「村の鍛冶屋」は小学校 「儿=アシ・にんにょう」が充ちている、のではないか。 ↓↓ ↓ ↓ 阿史 任 女 娃史 人 尿 吾史 認似様 亜史 妊迩曜 ・・・「一」の「ヨミ方」はマダ、まだある。 「みな・ある・あるいは・すこし・わずか・かず・かた・かつ・くに・ただ・ひじ・ひで・まこと・まさし・もと」は暇があれば読者が片手に漢和辞典を手にして「考」えて解読してくれればイイと思うのだが・・・。 「古事記・日本書紀」に関連させて「一つの言葉=句音」を同音異字の漢字(真名字)で採れば二律背反の「たたえ→賛美=怨恨←うらみ」の「ことば」が多重しているのを発見するであろう。
「漢和辞典」にある「部首」(09) 「漢和辞典」にある「部首」は「古事記」の「漢字」が「何を意味」しているのかを、さらに教えてくれている。
漢字の「部首(ブシュ)」は合字される基本的な「字」で、その
「かんむり・かしら」、「あし」、「へん」、「つくり」、「たれ」、「かまえ」、「にょう・にゅう」
の説明と「讀み方」である。 特に「扁・偏」の意味は「漢字の《左側》の部分の字」である。廾 「部首」の同音異字は「日本語の歴史性」と同時に「日本史そのもの」の「見方」を示唆しているのだ。
よぉ~く、次の漢字と、にら目っこしてほしい。 「X+扁」の漢字を・・・。
「偏」=ヘン・・・変=變、騙、翩、蝙、褊、諞、編、篇、辺=邊、遍、卞、 片、平、
ベン・・・弁(ム+廾)=辮(辛+糸+辛) =(立+十+幺+小+立+十)
幺=いとがしら
便、勉、娩、鞭、采、
ヨの類似・・・彝、彜、彑、彗、彖、
これは、 亦の夂が「変」、 糸(ヘキ)と糸(ベキ)に夾まれている 言の夂(ノ+又)が「變」、 「変」、ようするに「おかしい=将可視意=牡化詞意=牡下肢異(牝)=緒加私意=男仮思惟=尾家仮死意?」のだ。
馬(午)の扁が「騙(だま)されている」、 扁は羽が「翩(ひるがえ)る」、
虫の扁は「蝙蝠(ヘンフク」で、コウモリ、 「かわほり」は、 「化話補理」の意味で、返復の示唆。 「蝠(フク)」は毒蛇のマムシ。 マムシは真務詞、真無視、真無私。
ネの扁は「褊(せまい・きびしい・きみじか)」で、 知識や思慮の浅い意味だが、重なる言葉は、 「施米」、「吉備思惟(四囲)」、「黄身(君)字化(治禍)」である。
言の扁は「諞」は言葉巧みに言い回す意味。
糸の扁が「編(あ)む」、
竹の扁が「篇」で、ふみ、一綴りの書物、詩歌、文章。詩文を数える語。 巻、書物の部分け。はりふだ=tag=丁付。 刀(カタナ)が 辷(シンニュウ)する中(アタリ)の当(アタリ)が「辺=邊=辷+白+ワ+方」、
扁の辷(シンニュウ=進入=新入=侵入=浸入)が「遍(あまねし)」、
片は「片仮名」で、 「木」を半分にした片割れのカナ。
平は「平仮名」で、 「タイラ(他意拉〈裸・螺・羅〉)」にした 「平」城京、「平」安京の、「巫・坐」の 「逆児」の「虐事」の「逆字」、「平(一八十)→←坐(人人十一)」 「タイラ」の「ヒョウ」である。
ベンなら、わきまえるが「弁=辮」で、 事物=巻(古事記・日本書紀)の「変」と「編」を 「ワキマエル=和気真得留」
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腋 脇 湧 涌 沸
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倭鬼前留(わきまえる) ことである。
「卞」は「法(のり・きまり)」、「軽々しい」、「せっかち」、「空手で打つ」、「冠」等の意味で、「卞和(ベンカ)」と言う人物が「周王(萬王・武王)」に粗製の岩の「玉=璽」を献辞て「左右の足」を切られ、後に「文王」に認められた話は示唆的である。
中国「周王朝」の「蛎王」 →「 武王 」 →「文王」は、
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日本の「禮=霊王=豊玉姫」→「天武天皇」→「文武天皇」 に対比されているからだ。
「宀」も「ベン」とよみ、「ウ・カンムリ」で「烏=卯(胡)の観は武の理」、あるいは「鵜(弟+鳥)=【ウ】の姦(三女)=【ウ】の鑑(間・巻)は無理」。
「鑑(かがみ)」とは「歴史書」であった。 これは、「古事記」編者の立場と、「編纂時」の時代的状況の説明に懸かっている・・・ハズだ。
「傍」=ボウは「かたわら」とよみ、「あまねし」ともよむ。
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化他倭羅 海部子史
「傍=旁」は「漢字の《右側》の部分の字」で「偏」の対字である。 スナワチ、日本語の漢字は合字された「左右」、「上下」の字を分割して読め、との意味である。
当然、「磐余(イワレ)=神武」は「余った方の謂れ」で、 「磐」は「舟」、「几」、「又」、「石」、 「余」は「八」、「一」、「木」 であるのだ。
「偏」、「イ+扁」の「イ」は「ひとヘン」であり、「ジン、ニン」で、「壬、人」。
「扁」は「戸(とだれ・とかんむり)」で、「斗は誰・斗貫は武の理=斗姦は無理=図鑑の務は里=理数」。 更に分解すれば、「一」と「尸(しかばねかんむり)」と「册=冊(さく・サツ)」である。 すなわち、「ヘン」の「部(べ)の首(カシラ)」、「ヒト・の・べ・のカシラ」、「編=篇」は、「火都=妃斗=日都=日渡」の「部民→←民部=部曲=かきべ」の「頭」である。
「部曲」は上代豪族の「職業・私有民」から、「大化改新」では、国家の「公民=民部」となった。ヨミは「カキベ」で、同音異字なら「書部」だ。
「柿本人麻侶(かきもと・ひとまろ)?」とヨンでいるが、
「柿本人麻侶(こけらもと・ひとまろ)」ともヨメるのである・・・このことは類似している漢字だが、「柿(かき)」と「柿(こけら)」の比較とその音訓の意味するところを「模の柿(ものかき)」は注意せよとのシグナルである。
「一」+「尸(しかばねかんむり)」+「册=冊(さく・サツ)」
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札・察・撒・刷・殺
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作=索・咲・朔・削・錯・裂・割
「一」は「シカバネ」=支化場音=施化馬子=史加芭祢=紫 臣=祇屍-乾武里
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「壱」は「シカバネ」=始椛 子=姉華 嫁=姿掛婆子=史家馬子=詩歌罵子
歴史上の「蘇我馬子」とは「何者」だったのか?・・・ 「思(惟)、椛音」、 「史家馬子」とは 「司馬遷」の「馬子(まご・バネ・まね・バシ)= 孫・葉音・真似・真語・把史まご・バネ・まね・バシ」 だが・・・男、あるいは女。・・・・実在したのか、単なる「午子」の「天文学」上の「十二支」の象徴なのか?
「子」は「こ」であり、「ねづみ」で、「シ」、「ネ」・・・「こねづみ(庫鼠)」は、「しね(死ね)」なのだが、「鼠」はいつも「古事記」、その物語の「火の中」で「主人公」の「大国主」や「ヤマトタケル」を助けてくれるのだ。
しかも、「日本書記」では「蘇我入鹿」が惨殺され、雨に晒された死体を「席障子(むしろしとみ)で覆われた」のだ。父親の「蝦夷」は「火の中」で滅び、助かったモノは「国記(くにつふみ=九貳津文=句似『都府』診=句似柘『富美』=『句』似柘『践』み)」である。
しかも、「鼠」は「日本書紀」の「大海部皇子」と重なる「古人大兄皇子」が「蘇我氏」に諭す言葉でもあり、「鼠の移動」は「遷都」の暗示でもあった。
「鼠(ねずみ)」の「音」は「ソ」でもある。 「ネズミ」が「リス=木鼠(き・ね・ず・み=記・音・素・診)」ならば・・・『移鼠』は、・・・「イエス・クリスト」の「当て字」であった・・・まったく「当て字」で「漢字の謎解き遊び」である。
とにかく、『移鼠』は「イエス・クリスト」のことなのだ・・・これは唐代に勢いを得た『移鼠』「景教=ネストリウス派」の碑文にある漢字である。 漢字では「イエス・クリスト」は『移鼠』「移鼠」=「翳数」=「夷数」とも書かれる。
ギリシャ語で、 ネズミは 「πονγικι(『移鼠』ボンデキ)」 ・・・盆溺=分+皿+水+弱=本出来(紀・姫) ・・・盆には土用波が高く溺死が多い(記・鬼) ・・・
梵 =本 =煩 =凡
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梵語 本品 煩雑 平凡
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梵=林+凡=『移鼠』キキ(記紀)・あまねし・言葉
「梵」=清浄・プラーマの音訳・梵天王、宇宙創造神・サンスクリット語
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府羅海女 纂 諏句裏柘斗
「本」=書物
「煩」=わずらわしい=和図裸話思惟=倭柘拉「吾」思惟=倭拓・「呉」四囲 「凡」=あまねし=海女子史=尼子史=海部子史
リスは 「σκιουροs(スキウロス)」・・・
洲基(鋤=好=耒) 迂路州 素記
↓ ↓
雨露諏 スキ
↓
レイ=霊 耘=耙=耜=耡=耨
鍬=くわ=桑=句話
神は 「Θεοs(セオス)」・・・瀬将洲・・・施牡(雄)・・・世汚素=世悪素
↓
押=手は甲
推=手は旧鳥
圧=厂(まだれ)は十の一
↓
真妥励は十字架の壱
麻妥禮 日辻 位置
摩雫戻 冬至 異字
魔打霊 当時 医事
真拿例 答辞 意字
「真妥励(マダレイ)は十字架の下の壱」・・・「マグダラのマリア」である。
「音」を漢字に採って見れば「古事記」の「神」の所在が転々としたことが判るであろうことは言うまでもない・・・宣教の場所で岩(磐=ペテロ・ペトロ)の上の教会である。 ・・・と私意的に思惟するのだが・・・モウソウである「申命記」。
「鼠=ソ」なら「遡・曾・措・甦」の「祖・蘇・姐・素」である。・・・「木鼠(キソ=基礎=木曾・木曽=起訴)」・・・キをカジル小動物である。日本書紀を、噛じる・・・鍛冶婁・・・化字留である。
「子=ネ」が 「一」と「了」の合字で「始終」と「終始」の
「ハジ(始=女+ム+口)マ(真・魔・摩・磨・間・麻)リ(理・里)」と、
「ヲ(終=糸+冬)ワ(和・環)リ(理・里)」の循環、
「箸女=箸墓=梯葉加=頗始把蚊(華)=巴支葉加 =大市=将(尾)補位置」から「尾・張」まで、 と言うわけだが・・・。
十二支が時計の右廻りならば、西から東へ、酉(とり)から卯(うさぎ)へ、夕暮れの黄昏から真夜中、そして夜明けへと、「廼(ダイ・の)」なのである。
ギリシャ語で、
「左右の翼」のある「鳥」は 「πουλι(プリ)」、
「左右の長い耳」のある「兎」は 「κουνελι(クネリ)」で、
「プリ=フリ」は、 「府里」、「不離」、「不利」、「降る」、「振る」、「古」である。
「兎角(トカク)不理」で、「ツノのアル」、「ウのサギ」には「理、アラズ」、「長い耳」こそ「情報収集の武器」で「利、アリ」である。
・・・弔辞か・・・ 「鳥」が「翼」を「振り」ながら空中に舞い上がり、 そして地上に「降り」てくる言葉に懸かっているのだ・・・
・・・「高千穂に降臨」というわけだが、「光輪」である。 「好淋」は「女(オンナ)の子、御津のキにナラび、生やす(囃す)」、「光厘」ならば「女子の淋しい熊のガンタレの里」である。
・・・何故か、「尾形光淋」は「絵かき」であった。作品は「かきつばた・あやめ」が代表作である。「カキツバタ」とは「花期都場田(他・侘)」で、「夏期柘婆詫」、「牡蛎柘場太」、「柿唾多」、「書き『晦』場多」である。
もちろん、「暗闇の晦日(みそか)」には「世界史的・歴史的・宗教的事件」が重なっているのだ・・・と言うよりは「花=華の種類の名前」をイト的に他の事件、事象と重ねたのだ。
「漢和辞典」にある「部首」(09x) 「クネリ」は、「句練り」で、個々の「音」を採れば、 「玖《(九=球=旧=宮) (狗=犬=戌) (琥=琥珀=虎目石=王のクネリ虎の女のイシ=五黄の寅=語往の図羅) (口)・(矩)・(孔)・(垢)の 子(禰・祢・根・音・値)の 理《李・里・利・履・裡・裏・梨」 の「句の練(糸の東)り」、「句の根(木の艮、混、坤)の利(李・梨・莉)」、「苦の禰の恨(金)」、「狗子里」、「琥子里」、「仇禰狸」、「九音理=久遠理=旧恩理=旧怨理」、「宮子里」、「球値利」、「句の音の理(裏)」に言葉が懸かっているのだ。 「金」さん、
「狗奴」さん、「虎=寅(イン)」さん、
「糸+寅=長い・ひく」
「虫+寅=つくつくぼうし・寒蝉・みみず(蚯蚓)」、
「水(みず・スイ・サンズイ)+寅=水虎(スイコ=『推古』=『水滸』)」さんの「寅」は、
漢和辞典には「『申(さる=猿)』と通じ、身体を曲げずにまっすぐに伸ばす意味で、つつしむ(慎む・謹む・晦津施武・筒史鵡=竹同史武鳥=筑紫と同じ歴史の武を重ねる)意」とあり、
「寅(虎)=申(猿)」さんで、「沖支(対冲・衝)」だが、出てくる「己」は「同一人物」である。
「水虎」とは「海虎」で、「尾張名古屋の天守閣」に飾られている「鯱(シャチ)」のことだ。「狸」さん、「仇」さんの「歴史上に重なる名前」はダレであろうか・・・。 もちろん、「九禰履」、「仇蘇里」、場所は「九州の球磨」であり、「太宰府」であり、その場所の方位の「九宮」と「十二支宮」の「言葉」の「同音」の重なりで、「人事」を説明しているのだ。 そして、その天空の「円盤上」では、 十二匹=壱拾弐、 匹(ヒツ・ヒチ・ひき)=匚+ル ↓ 匚(マキがマエ)+ル(留・瑠・流・琉・婁・・) ↓↓ ↓↓ 真紀構え(麻紀が前=巻臥前=真紀臥前=・薪臥前・) 魔姫賀真重=磨起駕真重=麻紀畫真重 匚(カン がマエ)+ル(留・瑠・流・琉・婁・・) ↓ ↓↓↓ 漢 河真柄=観蒲江=串蟆枝=漢臥間重=姦雅舞え ↓ ↓↓ ↓ ↓前・・・・・「まえ」、「さき」で「訓」じられ ↓ ↓↓ 「以前」と「以後」が懸かる ↓ ↓↓ 漢 が前・・・・「前漢」→秦→→周→→→商→→夏 ↓↓ ↓ はた まわる あき なつ ↓↓ ↓ 葉他 真話留 吾記 納柘 ↓↓ ↓ 葉多 真倭流 亜紀 拿柘 ↓↓ ↓ シン チョウ ショウ カ ↓↓ ↓ 慎 重 正 化 ↓↓ ↓ 深 長 唱 歌 ↓↓ ↓ 伸 張 商 家 ↓↓ ↓ 伸 長 商 科 ↓↓ ↓ 神 諜 笑 加 ↓↓ ↓ 身 長 称 化 ↓↓ ↓ 新 調 昇 華 ↓↓ ↓ ↓ 漢 が先(後)・前漢→新→「後漢」→魏呉蜀(三国) ↓↓ ↓ 全巻 申 交換 偽誤植 ↓↓ ↓ 前巻 神 好漢 戯語殖 ↓↓ ↓ 乾 前 =戌亥が前は酉・・・ユウ(熊・結・邑・憂) ↓↓ ↓ いぬいまえ ↓ ↓ 先は子・・・ネ (音・根・値・禰) カン ゼン カン マエ コウ 干 間柄=甲 が前は丁・・・テイ・チョウ(長・調) ↓ ↓ 帝 重 きのえ ひのと=日野徒 ↓ 先は乙・・・オツ・オト・イツ ↓ ↓ ↓ きのと=鬼の徒 コウ 庚 が前は戊己・・・キ・おのれ・おと ↓ ↓ かのえ つちのと=津茅野徒 ↓ ↓ ↓ の先は辛・・・シン・からい・つらい ↓ かのと=狩野兎=鹿野徒 ↓ 壬・・・ジン・み ↓ みづのえ=美津濃江=水野重 カン まえ=巻前=鑑魔重=鑑舞え=猿女命 ↓ ↓↓ 「三女神=三姿のヘカテー」・姦 舞え=三女(宗像)が前は天照大御神 ↓ ↓↓ ↓ ↓↓ ↓↓ ↓ よこしま ↓↓ 先(御・後)は大国主 月の女神=セレーネー 横島 真重 纂の「おんな」が重なる 地の女神=アルテミス ↓ 元明・元正・孝謙称徳天皇 冥土の女神=ヘカテー ↓ が前は持統天皇=鵜野讃良 ↓ 先は光仁天皇=白壁 ↓ 天宗高紹 ↓ 後田原 ↓鵜野讃良 ↓ ↓ ↓ 賛助が前は天武天皇=大海部 ↓ 韓 構え=参韓が前は蘇我入鹿・皇極天皇 ↓ 蘇我蝦夷=毛人 ↓↓↓ ↓↓ ↓蝦夷=中ム段一弓人 懸日斗 ↓ 先は孝徳天皇=軽皇子 ↓ かまえ 天万豊日 甘 釜柄(娃)=天智・鎌足・斉明 ↓ 前は蘇我氏 あまい 海部異=尼=海女 先は大友皇子=弘文天皇 海士威 先は天武・持統天皇 とにかく日本で使用された「漢字」の「音」では一般的には、「中国南方」の「呉音」で読まれた「漢字」が伝わったのが先で、「北方」の「漢音」は時代が下るのである。しかも時の権力、「桓武天皇」はその在位「延暦十二年(793年)四月」に「漢音」を修得できなければ「坊主(得度僧)」にはしない、と言う厳しい「制度」まで作ってしまったのだ。「漢音の修得方針の決定」は前年(792年)であった・・・何故であろうか。当然にも宗主国である中国の権力(唐)が「北方」に存在したからであるが・・・「邪馬台国」の時代(239~248年)は、中国の「三国史(魏・呉・蜀)」の時代と重なり、その「魏」は「北方」で、「呉」は「南方」であったのだ。「倭国内の二つの権力」はその延長にもあったのだ。 カンガマエ ↓↓↓↓↓・・・・・・・・・・・・・・・ 世界史に於いても日本史に於い 観 構え=諌構え・・・関が前は吉野 ても「戦略上」の「要」は「国境 巻 構え=三巻が前は三巻(古事記)の序 上」の「守備・防衛」の「砦」で ある。これは「関(カン・せき) 序第一段 稽古 照今 」と言われるモノである。これは ケイコ 商魂 、山地陸上に於いても海上河川に 性根 於いても「関」と言われる場合が 傷痕 多いが、「つつみ」、「さかい」 招魂 とも呼ばれている。「関」は「合 聖痕 戦」の要所であり、「合戦」その 序第二段 撰 録の発端 ものも「・・・の関の合戦」と、 センロク補柘談 歴史上謂われる。 「不破の関」、「関ヶ原」、「 序第三段 古事記の成立 函谷関」、「下関」、「赤壁関」 ↓↓↓↓ 星律 「関左=関東」、「関右=関西」 ↓↓↓↓ 西立 は「逢坂の関」を中心に分けたモ 除代算段 ノ。ここは「関」を調べて同音異 ↓↓↓↓ 字を診よ。「関ヶ原の戦い」以前 汝代算段 は「豊臣」、「不破の関」以前は 女代纂断 「大友皇子・近江・滋賀・大津」 ・儿(じんにょう・にんにょう)=人女得・・・「ル=る」 ・ ↓ ↓ ↓ ↓↓ ・ 尋 女 妊 如 卯・・・ハラムはウのゴトシ ・ ↓ ↓ 葉羅鵡 宇 語斗支 ・ 尿(屍の水) 月 ・ 史華婆禰(馬子・場音)の診図 「十二支=壱拾弐匹」の「動物=獣」達がお互いの関係性で、結合したり、反発したりして物語を展開させているのである。「歴史」も「暦支(六十干支)」に重ねているのであるならば「年号・年月日時」の「干支」が重要であるのだ。 次にこの関係を示すと、 「子=鼠=ネ=音=コ=弧=シ=支=姿=詞」を主体にすれば、 「子=鼠」は「丑=牛(主)」と「支合(詞合)」して 「土(奴・度)」となり、 「子=鼠」は「辰=龍(臣)」と「申=猿」と「三合」して 「水(御津=音柘)」になり、 「子=鼠」は「亥=猪(夷)」と「丑=牛」と「方合」して 「水(御津=音柘)」になり、 「子=鼠」は「午=馬(婆)」を「・=沖=衝」して「反発」し、 「相殺(総裁・葬祭)」となり 「子=鼠」は「未=羊(幼)」を「害」して「剋害(国外・刻該)」し、 「子=鼠」は「酉=鳥(塚)」を「破」して「剋破(国破・酷頗)」する 関係になっているのである。 「星占い」も「人事の未来予測」としてまったく同じこの言葉を用いているのだ。 天球円盤を「昔の時計」に例えれば「短針」は「真夜=子=九ッ」から「真昼=午=九ッ」、「真昼=午=九ッ」から「真夜=子=九ッ」と回って行く。 子 真夜 九ッ 三更=丙夜 参考・御津娑羅=(算皿・平野) 丑 夜 八ッ 四更=丁夜 思考・余津娑羅=(読皿・長谷) 寅 暁 七ッ 五更=戊夜 悟考・委津娑羅=(語皿・保谷) 卯 六ッ 日出(明け=アキ=秋=安芸=飽=亜紀=空) 辰 朝 五ッ 日夜渡=ピヤト=πιατο=皿=さら=トレイ サララ ↓ 巳 昼 四ッ 持統天皇=鵜野讃羅良 斗令 午 真昼 九ッ 十二(重二)=壱拾弐支宮=天球盤(晩) ↓ 未 昼 八ッ 美日毘(たひ=他比) ↓ 申 夕 七ッ 第二支=丑(ウシ=卯支)の音のダブリ ↓ 酉 六ッ 日没(暮れ=クレ=来=來=呉=語=繰) ↓ 戌 宵 五ッ 初更=甲夜 初考・頗津娑羅=(捌皿・広野) ↓ 亥 夜 四ッ 二更=乙夜 事項・布津娑羅=(字皿・夫通夜)↓ ↓ 何故か、「一ッ、二ッ、三ッ」の「寺の鐘の音が無い」のだが、それに代わる「初更=甲夜、二更=乙夜、三更=丙夜、四更=丁夜、五更=戊夜」がある。 これには「理由」があるはずだが「いつ=何時」からこのような「時計の音」になってしまったのだろう・・・「耳」に知らせては「イ・ケ・ナ・イ・コ・ト」の「音」だからだ・・・「耳」のタブーの「夷家名意言」・・・。 「聖徳太子(?)」が「随」の「煬帝(ヨウダイ)」に送った、と言われている「手紙」には日本の「天皇」の政務は「暮れ」から「明け」までと記され、この時間帯は「初更=甲夜、二更=乙夜、三更=丙夜、四更=丁夜、五更=戊夜」の間である。 「天皇」の仕事は「夜」だったのだ。もちろん、「夜の天体観測」である・・・「卑弥呼」の時代から「天皇」とは夜の天体を司る「鬼道の女王」のことである。「夜間観測」を司る「女性=巫」にのみ「天皇(すめらみこと=諏女羅御子斗)」の称号が与えられるのである・・・「黄帝の巫(御子)」である。 すると、「聖母マリア」・・・漢字では・・・ ・・・・・・・・・ ・「未艶=室女」・・・・ミタイ=シツジョ=ビタイ=未だツヤあらず ・・・・・・・・・ 診鯛 蛭 女・・・調べよ、蛭女(七女) である! 「未艶(ミエン)=室女(シツジョ)」・・・美円=みえん(見えん)=未媛=未娘=「壬猿(申)」=三媛=三女(サンジョ)・・・「三序(古事記序文)」 ・未だ壬申を援助することが出来ずにいる質女=櫛女=蛭女・・流された未熟児 ・・・未熟字 ・・・「十市姫」である。・・・十支は「酉(とり)」、十一支は「戌」(いぬ) 「子=(鼠)=音」は、 「辰=(龍)=晋=臣」と 「申=(猿)=援=媛=親」に「三合」し、「みつ(密・御津・蜜・水)」 「丑=(牛)=犠烏=主」と「支合」し、「つち(土・椎・壌・鎚・槌・柘知)」 「寅=(虎)=雇=姑」と「支合」する 「亥=(猪)=夷=伊」に援助され、 「寅=(虎)」が「三合」する 「午=(馬)=婆=場」と 「戌=(犬)=懸=委奴=狗=句」、その 「午=(馬)=婆=場」に「冲=沖=衝=隠岐」・・・・隠す岐=怨諏記 ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ 註 駐 将(正・証・消) 画す紀(記・鬼・姫) するのだ。 これを踏まえた「占いの象徴意」と「漢字」から推理すると「・(氷中)=沖(水中)=チュウ=おき)」は「隠岐」で、歴史的には「獣=十二支」に「重」ねて「象徴」される人物と人物の「相剋」の結果、負けた方を「隠岐に流罪」したことらしいのだが・・・「隠岐」に流罪された人物は「後鳥羽天皇」、「後醍醐天皇」だが・・・他には存在しないか?・・・ 「オキ」とヨム漢字に「瀛」があり、「天渟中原『瀛』真人」とは「大海部皇子」=「天武天皇」のことで、「日本書紀」では「虎」に例えられている人物である。彼は古代史の中心人物にもかかわらず、実際は謎めいて「正体不明」なのだが、・・・「流罪」になったのだろうか・・・一体、「トラジ=虎児=虎時=虎事=寅次=インジ=隠事=音字」とは・・・誰だろう?!・・・「寅」の次は「卯」だ。・・・「天武天皇=大海部皇子」とその次は「持統天皇=鵜野讃羅良」だ。 古代ギリシャには「トラーキア」の地名が「エーゲ(アイガイア)」海の北に存在した・・・現在は「トルコ共和国」との国境で、かっては「ビュザンティォン帝国・東ローマ帝国の首都」があった地域である・・・世界地図、そして、地球儀があれば、「地球=球形」として「鳥瞰」的に見て欲しい。 古代「トラーキア」は、「蛇の頭」の様になっている「古代ケルソネーソス(ゲリボル)」半島の西側と「サロス」湾を形成し、その地形は「三角形」である。東側は対岸をトルコと向い合い、「古代ヘレスポント(ダーダネルズ)」海峡を形成しているのだ。この海峡は「黒海(プロポンチス)」と連結している「マルマラ」海、その「マルマラ」海と「アイガイア(エーゲ)」海を結んでいるのだ。「マルマラ」海の東の入り江の奥に「イズミト」が存在し、しかも、エーゲ海に出る海峡の東に「古代トロヤ」が存在していた。この「トロヤ」の東は「古代ハッチ(ヒッタイト)」と呼ばれた国家が存在した。これに添ってトルコ西岸を南に行けば「イズミル」湾と「イズミル」の地名がある。トロヤ遺跡の「緯度四十度」の西にギリシャの「カルキジキ」半島と「テルメ湾」があり、その西に「ピーエリア」、「オリンポス」山が存在する。その「オリンポス」山の南に「アヤ」。・・・これらの地名は日本語の「音」と重なっているように思われるが・・・考えすぎだろうか・・・試みに漢字を重ねると・・・ トラーキア 寅起吾 ケルソネーソス(ゲリボル) 華瑠祖音重素諏・(解理母婁) サロス 作芦洲 ヘレスポント(ダーダネルズ) 経れ洲本渡・(打阿多子婁頭) 黒海(プロポンチス) 風炉(府迂路)本地洲 マルマラ 円間羅 アイガイア(エーゲ) 相害娃=亜以外吾=亜遺骸阿 イズミト 出水渡=和泉渡=伊豆水戸 エーゲ 得え解 トロヤ 瀞家=登呂家=吐露哉 ハッチ(ヒッタイト) 初治=捌地・(筆他意都) イズミル 和泉留 カルキジキ 化留記事基 テルメ 照る女 ピーエリア 比委得理娃 オリンポス 将里武洲 アヤ 綾・彪・彩・文・絢・亜矢 である。 「トロヤ遺跡の緯度四十度」を指さしながら地球儀を東へ、東へとたどって、その「緯度四十度」近辺の地名を見ながら日本までたどり着いて欲しいのだが・・・現在の地名音ではあるが、あなたは「ナニ=名似」を発見するだろう。「トラブソン」、「フルサ」、「アンカラ」、「シワス」、「エルズルム」、「聖書・ノアの箱船」が漂着した「アララト山」、「エレバン」、「クラスボドスク」、「ネビトダグ」、「ブハラ」、「ヌラタ」、「サマルカンド」、「タシケント」、「コーカンド」、「フエルガナ」、「オシ」、「アルツシ(阿図汁)」、「マラルバン(巴楚)」、「トムシュク(図木舒克)」、「アクス(阿克蘇)」、「クチャ(庫車)」、「ブクル(輪台)」、「コルテ(庫爾勒)」、「バクラシ湖」、かってはオアシスの国であった「ローラン(楼蘭=樓蘭)」、「玉門関」、仏経典が大量に発見された「トンホワン(敦煌)」、「アンシー(安西)」、「ユイメン(玉門)」、「チャユイコワン(嘉峪関)」、「チンター(金塔)」、「チウチュワン(酒泉)」、「チャンイエ(張掖)」、「ウウエイ(武威)」、「ニンシャ(寧夏)」、「パオトウ(包頭)」、「タートン(大同)」、「ペキン(北京)」、「シャンハイワン(山海関)」、朝鮮の「タントン(丹東)」、朝鮮半島東の「ハンフン(咸興)」。 ・・・そして、「男鹿半島」、「秋田」、「秋田」の北は「青森」で、北緯四十度三十分を東すれば「白神岳」がある「白神山地」、「大鰐」、「十和田湖」、キリスト渡来伝説がある「八戸(ヘライ)」。「弘前」の北西には「岩木山」・・・「三内丸子山」遺跡はすぐ近くである。「秋田」の東は、「岩手山」、「岩手」、「盛岡」、「岩泉」、「宮古」である。 ギリシャの「アテネ(アシナ)」は「北緯三十八度」に存在する。この延長線上には中国の「銀川」、「楡林」、「太原」、「石家荘」、「天津」、朝鮮の「長山串」、「海州」、「平嬢」、「束草」。そして、この東端には「佐渡島」、「新潟」、「米沢」、「川西」、「宮城県」の「白石」と「阿武隈山地」から太平洋に流れ出る「阿武隈川河口」である。
「漢和辞典」にある「部首」(09x) では、同じ方法で「北緯三十二度五十分(約33度近辺)」にはナニを発見するだろうか・・・これは私が既に述べた問題の「阿蘇山山頂」で、 「玉名」の「横島」、 「島原」の「諌早」、 「長崎」、「時岐」、 「三野」、 「五島列島」、 この延長を西にたどれば中国の 「東台(トンタイ)」 である。 その西には「蛙阜」、「南陽」の北に「伏牛山脈」を見て、さらに西に行って「漢中」の北の「秦嶺(チンリン)」に「太白山」を発見するだろう。 その南には「大巴(ターパー)山脈」が存在する。更に更に西に行けば「バクダード」、1948年に「国連」で承認された「イスラエル共和国」を建国した「イスラエル(ユダヤ・ジュダヤ=Jew・Jewry・Jewish・Yiddish)」の「エレサレム」に突き当たる・・・「ユダヤ人」の漢字の当て字は「猶太人」である。紫色の野菜の「なすび(茄子・那須)」は「Jew's apple」で、「キクラゲ(木耳)」は「Jew's ear」である。アメリカ移民の日系人の下部層の一部(1970年代のハナシ)では彼ら「ジュ(Jew)」を陰で「イチ・キュウ」と呼んでいた・・・日本人は白人からは「ジャップ」と呼ばれていた・・・「人種差別の問題」ではない、これは「教養」と「偏見の問題」である。ワタシのイワンとしていることがワカルカナ・・・。 さて、ギリシャだが、エーゲ海を見渡せば島々が点在している。ザーッと北の 「トラーキア」から「タソス」、 「サモトラーケー」、 「インブロス」、 「レームノス」、 「スキューロス」、 「キオス」、 「ケーオス」、 「アンドロス」、 「テーノス」、 「ミュコノス」、 「デーロス」、 「イカリア」、 「サモス」、 「セーリポス」、 「シブノス」、 「パロス」、 「ナクソス」、 「アモルゴス」、 「コース」、 「クニトス」、 「メーロス」、 「イオス」、 「カミーロス」は「ロドス」に、 そして「カルパトス」、 その東に「キュウプロス」、 エーゲ海、南の最大の島は 「クレーテー(クレタ)」 である。これらの語尾の「ス」は「島=州=巣の意味」に違いない。 「島」は「司馬(達等)氏」の「娘」で、「日本最初(?)」の「比丘尼」だった。「島」は「蘇我氏」の「邸宅」で、「蘇我馬子」は「島大臣」と呼ばれていた。 「島」は「欽明天皇=天国排開廣庭=磯城・島・天皇」であった。「敷島に遷都して金刺宮と号した」と「日本書紀」にある。「シキ」は既に検討したが「始期・死期・識・四季・士気・志木・指揮・敷・式・織・鋪・志気・識=史記」の言葉が彼の事績と「物語」である。漢字の共通項は「欽(金+欠)・金・鋪(金甫)」である。「欽明天皇」は「継体天皇」の子供だが、 「継体=糸+乙+米+人+本=鶏台」で、 「伊都の乙女の一の本(叛・翻・奔)」 の子供だ。 「志摩」は「伊勢」で、「三重県」だが、「筑紫志賀島」は「糸島半島=伊都島半島」で、「後漢の光武帝から賜った金印(?)」が出たところではあるが、「伊都の半島」は「長崎半島・『島原』半島・天草半島」である。 「斯摩王」は「朝鮮半島の王」で、「筑紫の各羅島」で生まれた「武寧王=隆」であった。「各羅島」は「カラ島」、「キャクラ島」、「カクラ島」で、漢和辞典を信じて「訓む」ならば「おの・あみ・しま」である。「各」は「各々(おのおの)」で、「ひとりひとり・ひとつひとつ・べつべつ・まさ」とよみ、形声は「夂(チ)」が意符で「上から降りて来る足」、「足のとどまる場所」、「下につく・至り着く」、音符が「口(コウ・カク)」で、「挌・降・郭」であり、「意見の対立」の意味である。「郭務宗(心+宗)」とは何者であったのか。「各田」は「ぬかだ」とよみ「額田」、「各牟」は「かがみ」とよみ「鏡=銅鏡」、「鑑=歴史」、「各務」も「かがみ」とよんで「香我美」なのだ。「かがみモノ」とは「大鑑」、「今鑑」、「水鑑」、「増鑑」であった。 「島」は「トウ・ズ・ト・ヅ・あたま・かしら・こうべ・ほとり・かみ」とよみ、「トウ」は「頭」で、「ズ」は「図・豆・厨・酢・逗」、「ス」は「洲・酢・素・棲・蘇・子・諏」・・・水の州、酉の乍である。 「天武天皇=大海部皇子」の諡号、「天『渟(ぬま)』中原『瀛(おき)』真人」の「渟」は「淳」に似ているが、「亭=亠口・冖丁(一・)」と「享=亠口・了一」の部分が違っているのだ。 「亠」は「針鼠の頭・音の略」の「口」で、「シン・ソ・トウ・コウ」=「申姐投降(陶工・灯光・当行)=さるあねとうこう=早瑠阿子渡宇江=猿姉逃行=エンシトウコウ=燕史当行=怨死陶工=厭死島甲」である。 「子」は「一(はじめ)と了(おわり)」だが、「冖(ワ)丁(チョウ)」は「親疎和朝(和調・倭長・和帝・倭底)」で、「ワの一(はじめ)の・(ケツ・ケチ=左に曲がった『鈎・鉤=かぎ=化義』)」である。「・=ケツ=結・欠・決・血・頁・穴・訣・潔・傑=尻=岬=三崎」、「ケチ=吝・毛地・懸地・華地=鼻地=岬」・・・「左に曲がった半島の中原の『瀛=沖』」である・・・「朝鮮半島の中原」・・・「長崎半島・島原半島・天草半島」の「中原」だ・・・「沖島」の地名はポピュラーだが、その理由があるはずだ。 「沖島」がある所は 「島原半島」の「諌早の北」。 そして、愛媛の「宇和島の南」、 「御荘の真南」に「母島」と「沖ノ島」があり、 その西には「姫島」が存在する。 土佐の「幡多郡・宿毛」を中心にして「西」に延長していけば 「御荘」、「西海」、その延長線に「a横島」を発見するであろう。 そして、その延長の 大分の「鶴御崎・間越の南」に同名の「b横島」も発見するだろう。 しかも、豊後水道、「由良沖」の北に 「日振島」とさらなる「c横島」と「沖ノ島」を発見するに違いない。 これらの「a・b・c」の「横島」は結べば「三角形」である。 「a・b」の延長には「阿蘇山・頂上」、 その西には「玉名・d横島」が存在する。 前述したが「横島」は広島の「広島湾・倉橋島の南」、 その南西の「屋代島・橘」の延長に「横島」、 長崎の「松浦の北西」にも「横島」が存在する。 そして、 天草諸島の「天草の東」、 「栖本の南」と、 「獅子島の北」に交差するように「横島」が存在している。 現在、実際の「島」ではないのは「熊本の玉名郡」の「横島」である。 いずれの「横島」もその周辺の地名や島名をみれば「岬・尻・長・鼻・半島」のつく場所になっている。それだけではない「古事記の漢字」が咲き誇っているのだ。確かに、「ヨコシマ」はありふれたような「名前の島」であるが・・・「関西」、「関東」、「東北」には「ヨコシマ」の地名は見あたらないが「横浜」、「横須賀」はある。 「諌早湾=潟(セキ・シャク・かた・ひがた)=水+臼+勹+弓(四のゝ=光・火=烈火=連火レッカ=レンガ)」で、「塩地・苦土・砂丘などによって外海と分離させられて出来た湖沼・内海」・・・「むつごろう(陸奥五郎)」、「渡り鳥」の「棲み家」の危機だ・・・だが、地形が似ている「半島」は日本には多く、「地名音」も類似する。周到に漢和辞典は「模」を「かた」とよませ、「潟(セキ)」は「湿地やぬかるみを歩くのに用いる『二重底の靴』であり、転じて入り江、入海、湾」である、と説明しているのだ。 「新潟」は「新しい潟」で、ギリシャの「アテネ(アシナ)」の「北緯三十八度線上」に存在するのだ・・・ 「吉野」から脱出し、「関」に「陣」を構え、「壬申の乱」を勝ち抜いて権力を握った「天『渟(ぬま)』中原『瀛(おき)』真人」の「大海部皇子=天武天皇」ならば当然にも残る「名前」である。 何故なら「天文観測=占い(氣門遁甲)」と「海洋技術」に長けた「縞」紋様の「虎の皮」を着た「海士族」であり、「商」業航海をし、新たな「島=場所」から「島」へ移民し、地名を残し、さらには移動して本地に「帰還」する人種だったからだ。類似する境遇の人物は「三河」の「徳川(松平)家康」だが・・・「松平」であるならば、「松(まつ=末)」の「平」氏は「源」氏ではない・・・「松=木(十八=重八)八ム」と「平=一(八十=八重」・・・「八重」が「八支」であれば「未支」であるが・・・。 「十二支が刻まれた占い上の円盤」を「イト的」にヨメば、 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 ね うし とら う たつ み うま ひつじ さる とり いぬ い ↓ ↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓↓ ↓ 音 得使 途羅 歌 柘↓ 美 宇真 筆 字 差類 採理 移縫 意 値 鵜使 徒等 詩 罪 巴 得真 筆 字 作留 斗理 意縫 委 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ シ チュウ イン ボウ シン シ ゴ ビ シン ユウ ジュツ ガイ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 史 註 陰 謀 審 詞 誤 微 深 憂 述 劾=我意 ね うし とら う たつ み うま ひつじ さる とり いぬ い 鼠 牛 虎 兎 龍 蛇 馬 羊 猿 鳥禽 犬狗 猪 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 祖 主 捕 烏卯鵜 絶起 邪 魔 逼時 延 長取 権 威 その 「寅=虎=彪=(表)=艾(ガイ・ゲ・よもぎ・もぐさ)」は 「酉=鶏=鳥=(取・採)」が 「沖=冲(註)」する 「卯=烏=・=鵜(音調)=(得)」の前支(前史・全史)。 そして、 「卯(迂)」は 「戌=犬=鷲柘=(述)」と 「支合(詞合)」するが、 「戌(述)」と 「沖=冲(註)」する 「辰=竜=龍=劉=(留)」に「害」するのだ。 「劉」の名前を持つ人物・・・どうやら・・・「劉仁軌」とか「劉仁願」、「劉徳高」とかの人物らしいのだが。彼らは「百済の白村江」で「倭海軍(水軍)」を壊滅させた「唐の海軍提督」である・・・「倭海軍(水軍)の提督」は「誰」で、「何処」に行ってしまったのか・・・「日本書紀・斉明紀」に登場し、「蝦夷」を「粛真」をやつけた「阿倍比羅夫」はどうしたのであろう? 方位の天球円盤を十二分割し、円の中心から伸びる半径の「二線」とそれを結ぶ「弧」の「形」は「扇子形(おうぎがた・アウギガタ)」で、「センス(占素)」の「奥義(おうぎ・アウギ)」は、その「対角」にある「相似形」の「対比=対沖(冲)」と「アウギガタ(合う気の象)」の「支合」、「三合」、「方合」である。 「対比(タイ・ヒ)=対衝(タイ・ショウ)=対沖(タイ・チュウ)」は、その漢字の「オト(音)」を同音異字として、検討するなら「竜宮城の『鯛=台』の喉の中に刺さった釣り針(魚+更)」と、「神功皇后の子供、『胎中(応神)』天皇」を「古事記」の中に発見するだろう。 次にいままで述べたことをギリシャ語の「音」を重ねて、検討してみるとどうなるのか・・・。 虎(天武天皇)の周辺は「随王朝」の残党か?!
「漢和辞典」にある「部首」(9ya)
次にいままで述べたことをギリシャ語の「音」を重ねて、検討してみるとどうなるのか・・・。
方位(κατευθυνση=カテフシンシ)
=日手普振支
=勝・不振死
カチュウシンシ
=花中 信 姿
=勝弖 審 史
渦中 振 子
嫁手夫臣刺=勝主普請始
家中伸子=歌手賦伸子
=科・釜浸柿
円盤(κυκλοs=キクロス)
=規矩路素=起句芦州=聴蕗(葺・付記)州 菊露主=聴く路主=聞く路主
(δισκοs=ディスコス)
=出移素股洲=禰栖虎州
(πιατο=ピヤト)
=日夜斗(渡)=卑耶都
十 (δεκατοs=デカトス)
=出化鳥栖
十一(ενδεκατοs=エンデカトス)
=円(猿・燕・媛)出化鳥栖
十二(δωδεκατοs=ドデカトス)
=土出化兎(砥・土)州
分割(κοψιμο=コヒモ)
=子紐=虎妃模(母・喪)
(κοπη=コンプ)
=根府=昆布=恨婦(夫・父)
(μεριδιο=メリディオ)
=女里出伊豫
中心(και μιση=ケ ミシ)
=毛人(蝦夷)=毛美支(未支)
(κεντρο=ケントロ)
=懸吐露=建斗路
伸びる(αναπτυσσομαι=アガピツゾマイ)
=吾画筆曽於埋
「二線」(δνο=ディオ
出壱与
位置緒
γραμμη=グラマ
虞羅真
鞍 馬
ρυτιδα=リチダ)
理知拿
裏地打
結ぶ(δεν=デン)=伝(傳・殿・電・田・澱・佃・淀)
(εδεσ-α=エデラ)=重(柄・会・江)出螺(裸・羅)
(δεσ-ω=デロウ)=出路烏 寺
「弧」(τεμνω=テンゴォ ανακοπτω=アナコパト)
天 合=天哭 阿名古葉図 =穴(孔)琥鳩
「形」(σχημα=スヒマ)=諏日間=素比真
「扇子-形(おうぎがた・アウギ-ガタ)」
(αεριξω=アエリゾ=合え理ぞ
βενταλια=ベンタリア=弁他理吾
ανεμιστηραs=アネミステラス)
姉 美州照らす
(形=σχημα=スヒマ)=州隙
「占素(センス)」
(τυχη μοιρα περιουσια) ツ キ モ イラ ペ リ オ ジ ア
月 母 委羅 経 理 将 時 蛙(娃・阿・吾) s
ecretary bird (εκκριση πουλι)
(エ クリ ス プ リ)=書記鳥、蛇食い鳥、
「脚と尾が長く、長い冠毛を有するアフリカ産の猛禽」
「奥義(おうぎ・アウギ)」
(se-cret=εκκριση=エクリス) 重句理素
「アウギガタ(合う気の象)」
(καιροs=ケロス κλιμα=クリマ)
懸芦州 句理真
掛侶守
「対角(タイカク・ツイカク)」
(αντιθεση=アゲチセズ)
安芸地瀬頭
上げ 揚げ 挙げ 擧げ
「相似形」(ομοιοτητα=オモイオテンタ
主 意汚点 多
重 い 思 い 想 い
(μονοτονια=モゴトギア)
模語吐義吾
「支合」
(συνδεσμοs=ズンデゼモス
頭武出是模素
(μαζι απο κοινομ=マジ アロ コイゴウ)
真時 吾路 故意合
交じ(真字)
「三合」
(trine=τριαδα=トリアダ 止利阿多 (鳥 仇)
τριψωνια=トリフォギア 斗理譜尾妓吾 (鳥 府 荻 吾)
τριο=トリオ 鳥 将 鶏 尾 禽 嗚 採 麻
「サンゴウ」は「十二支」の「旺」に結び付く「正三角形」で、
「中国の占い」では「三合会局」と言われているモノで、
長生 旺 墓 △
↓ ↓ ↓ ↓
申 子 辰 =△
亥 卯 未 =△
寅 午 戌 =△
巳 酉 丑 =△
である。もちろん、「正三角形」の各々の角度は「六十度」からなっている。
3×60= 1 8 0 ・参 睦零
↓ ↓ ↓
1+8+0=9
壱 奴 霊 宮
アルファベットで
第3はΓ=γ(ガマ)」、3=Τρειs(トリス)、
Τρια(トリア)
蒲=蟆 鳥 州
酉 阿=蛙
第6は「Ζ=ζ(ズィ タ)」、6=εξι(エクシ)、
髄(随)他(侘・多) 柄駆使=重虞(愚・倶)史
60=εξηντα(エクシンダ)
重苦心 拿=会串(櫛・釧)牟田
18=δεκαοκτω(デカ オクト)、
出華(鼻) 邑久土
180=εκατον ογδοντα (エカン ト オグドンタ)、
枝干 斗 汚愚呑 他(多・太=他意=鯛)
1 +8 +0 =9
↓ ↓ ↓ ↓
(εναs=μια)+οκτω+μηδεν
=εννεα エナス
= ミ ヤ オクト ミデン エネ ア
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
江那須 宮 邑久都 壬伝 重音 吾
9=九(ノ+乙)=ヘツ(経津・辺柘)のオツ(尾頭・音) 宮(球)
トリス エクシ エネ ア τρειs=τρεια εξι εννεα
鳥 巣 枝櫛 重音 吾 第三(タイミツ・ダイミツ)、
第六(タイム・ダイム)、
第九(タイク・ダイク) 胎 密 台 御津 他意務 台 武 対 句
大 工 「大工=ヨセフ」の息子は「イエス・クリスト(?)」で、
古代、日本の大工は太宰府の「木工寮(こたくみのかみ)」に所属していた建築造営の役人である。 「大工(carpenter)=ξυλουργοs クシロイルゴス」
の 駆使呂委留古巣 句詞濾意流語素
「工(ク)=句」は「匠(タクミ)=多句診」であり、
「医師(イシ=doctor=λιατροs=ヤトロス)」であり、
「石」 冶鍍炉守
遺志・意思
「巫(ミコ=Shaman=απομιμηση=アポミユズ
阿母壬湯州
意思 =απατεωναs=アパテオガス)
阿頗手将我州 である。
アルファベットの第9は「Ι=ι(イョタ)」である。
↓↓↓
伊豫他=壱与の侘(ヨコシマ) 汰 詫
交響曲(シンフォニー)、「第九」が・・・演奏、合唱される時期はイツであろうか?!。
「タイキュウ」は耐久の大弓(おおゆみ・ダイキュウ=大球=大熊)である。
180度、「壱・百・八・拾・度」の訓みの同音異字は、
イチ(壱・市・一・位地・位置) 市
モモ(百・桃・股・腿・模模・母母・裳裳・茂藻・模母・喪母) 桃
ハチ(八・鉢・蜂・椀・波地=名箕児・頗治・葉時・派字・把事) 鉢
ヒロウ(拾・披露・疲労・日婁・干路烏=妃鷺鵜) 拾
タビ(度・足袋・旅・他日・多日・汰尾) 旅
「イのチのモモ、ハのチでヒロうタビ」、「命の桃、波の地で拾う旅」で、
「古事記」に、「伊邪那岐」が死んだ妻の「伊邪那美」を訪ねて、その姿の醜さを見て「黄泉(ヨミ)」の国から逃げてくる途中、「桃」に助けられた、と云う話に懸けられているのだ。
・・・「桃太郎」は「兵庫・播磨」の話である。
ちなみに、「1+8+0=9」、九=球(宮・久・厩・仇・旧・臼・弓・鳩・)で、「キュウ」の「漢字」を「求」めよ、である。
正三角形は英語で「traiangle」で、
ギリシャ語では、 「τριγωνο,το(トリゴノ=鳥琥野=虜乃)」 である。
四角形は・・・「視覚・死角・刺客・■・◆・詞脚=台詞」のカタチ
「τετραγωνο(テトラゴノ=手寅後之)」。
出虎 語之 卯
台形は
「τραπεζι(トラペズィ=寅辺随)」。
「寅 経随」
↓
虎(天武天皇)の周辺は「随王朝」の残党か?!