プラトン、古事記を語る(11)
「漢和辞典」にある「部首」(xx9) 驚くべきことに、頭に「T」のアルファベットが付く「英語」、あるいは、その対訳の「ギリシャ語」を試みに調べてみると、その「日本語・訳の意味と音」は・・・「日本書紀」、「古事記」に重なっているのだ?! 「T」は「Tree=木=系図=十+八」や、日本語の「タイ=台=鯛」、「タナ=棚=店」、「トリ=鳥」、「トラ=虎」の頭文字でもある。 本当かどうか、とにかく、英和辞典を手にして「T」の項目を開いて順次その「言葉」を調べてほしい。 アルファベットの 「二十番目の T」 「二重の盤目の T(ti:=手=弖)」 「廿 の晩目(女)のT(ti:=手=氏+一)」 である。 ギリシャ語辞典ならば、 「十九(壱拾九)番目のТ=т」 「T=300000=参拾万」・・・サンを拾うマン、 「'T=300=参百」・・・サンのモモ、ヒャク である。 「Tonight!」は映画、大ヒット作の「ウエスト・サイド物語」の「今夜こそ!」である。まさに「西側=似詞化和」、「廼=題=弟」のギリシャ神話は「夜空の星」の話(はなし=ワ=環=輪=倭=和=羽)、 「σημερα-βραδυ,το(シメラ・ヴラディ)」 至女羅 婆羅出移 始女羅 「σημερα-νυχτα,η(シメラ・ニヒタ)」 史女螺 迩妃侘 である。 英語では「大文字のT」を見れば、 「to a T exactly=正確に」 「cross the T’s=pay careful attention to very small point」は 「T字の横線を引く」。「細心の注意を払う」、 とある。 一文字の「T」そのものには、 「Tsquare」=T形の定規=線引きの道 具 ドウグ=同倶=同句=同虞=藤愚 「Territory」=領域=περιοχη(ペリオキ) 編理麻木 起=置=隠岐=沖 「Testament」=聖書=διαθηχη(ディアスク) 出移明日区 曜日は第一日が日曜日で、 「Sunday」 =日曜日=第一日=Κυριακη(キリアキ) にち・ヒ 記理亜紀 季理秋 安芸 明 「Manday」 =月曜日=第二日=Δευτερα(デフテラ) つき・ガツ・ゲツ 出附出羅(螺・拉) 寺 照 「Tuesday」 =火曜日=第三日=Τριτη(トリティ) ひ・カ 採理綴 鳥 帝=鳥羽・後鳥羽天皇? 鳥 艇(偵) 鳥 舟 「Wednesday」=水曜日=第四日=Tεταρτη(テタルティ) みず・スイ 手足 定 出他留帝 弖蛇流定
氐多留綴 曜日の第5日目が 「ダイゴ=太古=代語=台后=題語=岱語=醍醐=大子=泰子=太鼓」の 『Thursday』 =木曜日=第五日=Πεμπτη(ペンブティ)で、 き・モク・ボク 編 部綴 偏 部定 片 部訂 Friday =金曜日=第六日=Παρασκυη(パラスケヴィ) こがね・キン・キム・ゴン 葉裸素懸部位 助 部意 Saturday =土曜日=第七日=Σαββατο(サヴァト) つち・ド・ト 差婆娃柘 作場図(娑婆跡) 鯖 痕(沙婆土) Hollday =祝 日=αργια(アルギア) 吾留義阿 =祭 日=γιορτη(ヨルティ)
因留綴 夜 定 依 躰=選る綴 Everyday =毎 日=καθημερινοs(カシメリノス) 可視目理廼州 小文字の「t」には 「tea-spoon」=κουταλακι του(クタリキ トウ) 句他理記 答(問) 口多利器 「tense」=χρονοs(ヒロゴス)=比呂語素 ρηματοs(リナアトス)=理名亜渡諏 「territory」=περιοχη(ヘリオヒ)=経理緒一 「time」=χρονοs(ヒロゴス)=干呂語素 καιροs(ケロス)=懸呂素 ωρα(オラ)=嗚(緒)螺 「tons」=τονοs(トゴス)=渡語素 「town」=πολη(プオロ) κωμοπολη(コモポリ) 附緒呂 古模補理 「township」=πολη(プオロ) πλοιο(プリオ) 譜将路 不離緒 附嗚賂 布里尾=尾張名古屋? 「transitive」=μεταβατικοs(メタバティコス) 女他場帝移虚素 妹他葉綴異古諏
米多場定粉州=亜米利加? と、ある。 言語は「Language=γλωσσαα(グロサ) 句露差=句賂作 =βρομολογα(ボロモロラ) 補芦模鷺等 =λογικη(ロギク)」 露祇句=蕗菊=賂記句 呂聴く(規矩=起句)=露訊く である。 「方合」は「正四角形=□」の東西南北の「一辺」である 東=ανατολη(アナトリ)=孔(穴)鳥=燕
娃名取=侮 ↓ 「燕(つばめ)」=乙鳥=鳦 「ツハメ(津羽目・柘填・晦填)」 西=δυση(ディシ)=出医師・出李氏
出意思=「出石(いづし・イツシ)」 ↓↓↓ 「伊豆支=壱支=溢支=何時支」 「逸 史=乙詞=伍姿=七ッ半~六ッ半」 委頭姉 ↓ ↓ ↓ 暮=兌↓ 意図施 音 語 申と戌の間「酉」 観 ↓ ↓ユウ・イウ(謂) ジュツ(述) もうす(模烏巣) 南=νοτοs(ノトス)=能都州 濃土州 納渡須 能登棲 =廼砥素 之斗素 ↓ ↓ 喉 素=コウ(熊鮫鴻蛤皇后)のス=声の要 咽 諏=イン(寅隠姻陰)のス=音を問い訪ね謀る 北=βορραs(ヴォラス)=薔薇州=婆将羅素=振らす=降らす ↓↓↓↓ ↓ ボオラス=棒羅州=暮卯卯州=母烏羅州=模鵜羅諏 ホ ラス=補羅州=洞州=帆裸守 ブ ラス=武羅州=部等守=舞羅州 ブオラス=婆将羅素=魚羅州 武将(不詳・不正・不肖・不精・無精)の螺素 ブオルス=武夫留守=譜降ろす である。 もう、こんな妄想にハマッテしまちゃぁ、どうにもナラナイ人生は焦るばかりだが 次に存在の「存」を検討していこう。 「存(ソン)」は、 ソン・ゾン・ある・たもつ・とう(問う)・ねぎらう・なぐさめる・みる おもう・かんがえる・しる・あきら・あり・さだ・なが・のぶ・まさ やす・やすし と「ヨミ方」がある。二十である。 「ソン」の同音異字は、 孫(まご)・樽(たる)・鱒(ます)・尊(みこと)・村(むら) 餐(のみくい)・噂(うわさ)・損(そこなう) 巽(たつみ=ゆづる=したがう=そなえる)・遜(ゆづる) 邨(むら=駐屯された邑(むら) である。 「在(ザイ)」は「一のイの土(十の一)」
の合字で、 ある・サイ・ゼ・おる・すむ・である・あきらかにする・ほしいまま・います いなか・あき・あきら・すみ・とお・まき・みつ と「ヨミ方」がある。十六である。 「ザイ」の同音異字は 才(たち・もちまえ・うまれつき・わづかに・やっと・はかる・かた・たえ・とし・もち)。 材(まるた・あきら・もと・しろ・たち・もちまえ・はたらき・うでまえ
たから・はかる・きりもりする・えだ・もとき・き・もとし)
は「才能」。 罪(つみ・とが・あやまち・しおき・わざわい・しわざ)
は「魚を捕らえる竹の網」のことである。 斉(ととのえる・そろえる・あわせる・まとめおさめる・ひとしい・なか・うづ・へそ・ほぞ・かぎる・つつしむ・おごそか・はやい・すみやか・ものいみ・もすそ・きよ・ただ・ただし・とき・とし・なお・なり・まさ・むね・よし)で、 肆(シ・つらなる)とヨミ、
「肆」は「四」である。 財(たから・ふち・たつ・はかる・きりもりする・はたらき・わずか)
で、 積(ツミ=罪)重ね蓄(タクワエ=多加え)た貨幣(加平)、 貨物(嫁仏・歌舞津)、 宝物(法仏・放物)
の意味である。 剤(きりそろえる・まぜあわせる・くすり・そろえる・ととのえる)
で、 薬剤(訳祭・厄宰・妬妻)の
混合(金剛・金光・混交)である。 一体(一対、一帯、井=胃地帯、亥地帯)、
全体(前胎・繕他意・膳台・禅諦)、
「日本語」とは「何か」・・・答えは「名の似の掛」である。 漢和辞典を見れば「ヒトツ」、「ヒトツ」の漢字の「造り」は違うが「ヨミ方」において重複しているモノが数多くあるのを発見するであろう。 唐突になるが、江戸時代の先人、まさに、滝沢馬琴の長編物語、 「伏姫」と 「犬」の「八房」のまぐあいから始まり、 「伏姫の自殺」、 飛び散った 「仁義禮智忠信孝悌の八つの珠を持つ勇士」の 「南総里見八犬傳」は 「ナンのスベテ」 「里巫・捌懸・天」、 「聡美・八卦務・転」、 「差・兎観・発見・典」である。 ちなみに 「伏」は「矢の長さをはかる単位。指一本の幅」。 「十二束三伏」とは「太平記」の言葉らしいが・・・。 もちろん、 「曲亭馬琴」=「極帝午禽」の 「八珠=日月星辰」と、その 「矢が指す卯支=夜の耶也」の 「布施」と 「臥せ」である。 「滝 沢 馬 琴」の正体は、 ↓ ↓ ↓ ↓ 「水+龍+水+尺+馬+王+王+今(八+ラ)
御津の留、御津の釈、午の並ぶ二王の坤(艮)」、 「たきのさわまこと=多 紀 之 佐波 誠」
=「多くの日本書紀」の
「佐波=佐波知(沙本)媛の話
=垂仁天皇の紀・佐本毘古の反乱」
は「誠(真事・真古都)」。 滝 沢 馬琴(ウマの二王の今) ↓ ↓ ↓↓ 「ロウタクマキン」=漏侘球磨禽 蕗雨多苦真古都=付記の編め多くの苦心の言 「ソウタクバキン」=嫂宅場金 素得多句葉記務=基歌句、場所の規の務 「ラウタクマキン」=裸歌句真近 裸兎詫玖間禽(酉)=幡多の化、球磨の近く ↓↓↓↓ ↓ ↓↓ ↓熊 西=熊本の西 ↓↓↓↓ ↓↓↓ 北斗七星の爾志 因幡の白兎・・・・・委名婆(場)の史漏(朗)の詐欺 「滝沢 馬琴」は「夜の天体」の「モノのべ」の系譜の人物らしいのだが?「なんそうさとみはっけんでん=楠(南・南無・名務)・操作・斗見(斗未・登美・渡魅)・発見・傳」かも。
ギリシャ語、「存在=υπηρχεω(いふえるくえお)」に戻ろう υπηρχεω イピ ルケ オ ユヒルケオ ひぅるこ ↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓ いふえるくえお 意日流化緒 喩卑留家将=比喩蒜子 ↓↓ ↓↓ ↓ 妃癒蛭子 ↓ 意増える句重緒 日向流子 ↓↓ ↓↓↓ 一有留虚 葦殖える貢恵麻 一迂流拠 ↓↓ ↓↓↓ いふえるくえお=存在= (一のイの子、一のイの十の一)意味 ↓↓↓↓↓↓↓ 北斗 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 位普得る区柄尾 七星破軍星 初 位 支 位置意 獣 干土晦・・天体 ↓↓↓↓↓(牡) (丑) (牛)(己)・・干支 ↓↓↓↓↓↓↓ 始 移 子 始 移 重 位地・・・天体 ↓↓↓↓↓↓↓ 胆 居 弧 葦 日渡中 位置・・・天体 異譜得留句重緒 (月旦 ↓ 宮 足 井胃宿 未酉支)・宿曜 惟譜得留句重緒 しかばねふる=史賀場音振留 「惟=イ・ヰ・ユイ・おもう・おもふ」の熟語は「惟神=かんながら・神代のまま」で、「惟一=唯一=結一=遺一=由比一」である。「ユ・イ・イツ」ならば「喩・惟・壱」である。「喩譜(婦・夫・父)得留句重緒(苧・烏)」は「諭す婦(夫・父)を得て」、「留める句(狗・玖・琥)に」、「重ねた伊都の者」。「山田の案山子(かかし)」で・・・「サンタ(聖)の案、纂史=簒諮=蚕糸=讃史=傘(笠=リュウ=劉)史=蒜詞=算支=参施」・・・「久延・毘古」であった。 ゆいふえるくえお=存在=(一のイの子、一のイの十の一) 意味 ↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 喩惟婦恵婁供衛麻 始 委 姑 初 意 中 位置・・倭人伝 ↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 楡蔚斧獲瑠九娃夫 市 井 子 位地委 衷 乙(音)・改新 ↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 癒慰夫獲琉玖栄将 何時威 施 逸 以 侘理恥女・日本書紀 ギリシャ語もその発音は日本人(私)には確かではないが、ここは「イト的」にヨムのが「私の流儀」と心得たし。さて、それで「古事記」をどのように「ヨム」のか?・・・当然にも読み方の「オト」は「同音異字」の漢字で「重ね」られているとするならば、その「意味」も一つや、二つどころではない。多数の意味が重複されているから、多数の意味を採らねばならないのは云うをまたない。が、「歴史的背景」を持つ「古事記」の編者はそのポイントを絞ったハズである。 1 歴史に対する「真実」を明らかにしたい・・・・・・事実を知っていた(?) 2 権力周辺からの疎外された人々の「復権」・・・・・怨みと嫉妬(?) 3 当時の「現権力者」への「批判」・・・・・・・・・敵対関係の宣伝 4 編集の方法は「類似する事件名、地名、人物名」を登場させる 中国の「漢籍・故事」に重ねた 5 物語の筋は
「新旧約・聖書」、
「エジプト神話」、
「ギリシャ神話・歴史」、 「インド神話・仏教経典・説話」
を下敷にした 6 人物展開は「天文学=占い」での
「天体現象」の「規矩概念」を使用した 7 「万葉仮名」を利用して
「同音異字の真名仮名=漢字文字」に変換すれば 「対」となる「二律背反」の漢字が浮き上がるようにした 水に「油・脂」を落とせば「アブラ」がその表面に浮き上がって凝り固まる「比喩」である。 「アブラ」が浮くとは「古事記・上巻」の
「天地初發之時。於高天原成神名~云々」、
「次國稚如『浮脂』而。」である。しかも「旧約聖書」の
「アブ・ラ・ハム=アブラム」で、
「油=λαδι(ラディ)・脂=βουτυρο(ヴテイロ)」、
「オリーブ(月桂樹)・胡麻(ごま)・菜種(なたね)・獣脂・魚脂」等の
「油脂を食む」である。
「油売りの商人」は「斉藤道三」であった。
「由比」とは「由比正雪」であった。
「塩売りの商人(証人)」とは「赤穂・浅井家」と「吉良・上杉家」の専売商人(もっぱら・め・あきんど)であった。
「塩」になったのは「ロトの妻」である。
「幕府の執政」に怒ったのは
「大塩平八郎」であった。
「岩塩」が「粗い白石」であるならば、
「鬼」と呼ばれた「新井白石」である。
「死海」と謂えば
「塩の海(νεκροs θαλασσα)
= ネクロス サラサ」か、
「αλατι πελαγοs=アラティペラゴス)」である。 ゆいふえるくえお=「存在」の「初捌」の時の意味説明 ↓↓↓↓↓↓↓ 喩意浮得留句重緒=「古事記・上巻」 ↓↓↓ 「天 地 初 發 之 時」 ↓↓↓ ↓ ↓↓↓ 天 智 書 捌 乃 都記 ↓↓↓ ↓ ↓↓↓ 「於 高 天 原 成 神名~」 ↓↓↓ ↓ ↓↓↓ 老いて多寡海部覇螺為す感銘 ↓↓↓ ↓ ↓↓↓ 逐 尭 海士波羅拿洲間盟 ↓↓↓ ↓ ↓↓↓ 置意手高 馬 源 星 甲命・・・射手座・木星 ↓↓↓ 汚 行 転 厳 正 身命(神明) ↓↓↓ ↓→元 正 天皇 「次國稚如浮脂而。」=自国若く即ち有苦、阿の武等の時(而=時下・事掛) ↓↓↓↓↓↓↓ ↓ 時刻知如付支時 鹿=志賀・滋賀 治国置鋤婦支持 ↓ ↓↓ ↓↓ 遅刻値汝父師事 王 長津 大津 ↓↓↓↓↓↓↓ ↓↓ 四国地上迂指示 博多=波方 ↓↓ ↓↓ 安芸 愛媛 ↓↓ 伯方 「久羅下那洲陀用幣琉之時。」=句ら解、為す、拿用、柄(丙=並)の解き ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓↓↓ 海月↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 愚等改・・・くらげ=水月・水母・暗気 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 鞍 家為す打用へ居る能登記=句等支多、成す、懸倭詩句用へ居る音氣 ↓ くら げ なす だ よう へい りゅう の しじ 舅等の下、拿洲、妥の傭 兵 の劉(笠)に 支持(師事) 句等 仮 名素 拿 葉 柄 留(籠) 指示(私事) 瀧=鳴滝塾
(置維波斯徳利)=シーボルト=蘭学
「~如葦牙因萌謄之物而。」=即ち、 あしき婆、因 報答の模の字 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 素名話知 悪き 婆 姻、法統の仏 事 乃話知隠報謝之者児=スナの倭地の話 悟 知らせる感謝の者の子の報 汝医臥蔭法統私物寺=難事の巫、臥して、日下の陰に載、私物の蒔 叙位雅音報答死武柘字 「成神名。」=納留巻名 =拿留漢名 =名流観謎=那瑠甲銘=鳴く神名・・・雷神 ↓↓↓ ↓↓↓↓ 素戔嗚 ↓ 精神命 鳴加美那 ジュピター ↓↓↓ ↓↓↓↓ ゼウス ↓↓↓ ↓↓↓↓ ユピテル 誠心盟 鳴 海 =鳴 門=阿波=安房=飽田=秋田=安芸 清心謎 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 成心迷 亡き宇美=拿記宇美 =納留図=泡=沫=粟 =穐侘=亜紀 星辰明 空=虚=淡海 =渦 =宇土 =明 =開 何故、「古事記」を「万葉仮名」で記録したかったのか、理由は歴然としているのがわかるであろう。「日本語」を「万葉仮名」で叙述したら「長くなる」などと言いながら、その実は、「万葉仮名使用のカ所の『音訓・訓音』」にこそ「背反・表裏するコトバ」を懸ける狙いがあったのだ・・まさに「忠君・恩君・君恩」は・・・「註訓、音訓、訓音」で、「沖君・怨君・君隠(穏・袁=長袖の衣)」だ。・・・音組、音酌、音汲。 さて、「鳰(かいつぶり)」は「にほ=にお」と呼ばれる「鳥」だが、国語辞典には、私の漢和辞典では発見出来ない漢字で、「(辟+鳥・厂+虎+鳥)」とある。 「辟」=尸口辛(立十)=ヘキ・ヒャク・ヒ・ビ
のり・おきて・のっとる・おさめる あきらめる・きみ・おっと・めす・のぞく すてる・しりぞける・ひらく・はらう・さける つみ・つみする・よこしま・かたよる・かたむく・ひがむ さく・よける・たとえる・たとえば
・・・こんなにも音訓読がアルト、ドウしょうもないだろう・・・「辟易」である・・・ 「辟」・・・尸口立十=屍(しかばね)の口(くち)を立(たて)十(たり) ↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ 詩歌撥條 句知 起て 足り 史家葉根 琥治 絶て 他理 志賀婆子 玖治 建て 詫理 頗禰 久慈 楯 垂 滋賀場音 朽ち 舘 汰里 「厂」・・・がんだれ・カン・ガン・がけ・きし
雁の略字・暦、歴の略字
断崖の巌(いわお) 「虎」=虍(虎の皮の模様)+儿(ひと)・・・コ・ク・とら・たけ 「辟(ヘキ)」、「厂(ガン)」、「虎(コ)」、「鳥(チョウ)」・・・「碧眼の姑の肇」、「碧眼の子の長」、「珀玩の虎の重」、「伯諌の句の調」・・・「日置眼の弧」で・・・「がんだれ(玩誰・元誰・翫誰)?」である。 とにかく、「カイツブリ」=「海津不離」で、「鳰」は「鳰海・鳰湖」で「琵琶湖」のことである。 琵琶湖には滋賀(志賀)「大津京」が存在した。天智天皇の都である。 「大津」は九州の「那賀津=那賀津=『長津』」も「大津」と呼ばれて「日本書紀」をヨムものにはその場所を混乱をさせているモノだが、「天武天皇」と「太田皇女」の子供に「大津皇子」がいる。 「天武天皇」と「持統天皇」の子供に「草壁(くさかべ)皇子」がいるが、彼は「九州・大津」の生まれとされているのだ。 「日下(クサカ)」の姓名の源流は
「異国のコキシ=コ吉支=朝鮮王族・貴族」と「姓名学者(?)」が言っているが、その由来の説明が無い。 「古・貴司」は「古・貴須」で、海事、通訳や文書作成保管の役職である。「訳語」と言われる人々である。「訳田(おさだ)」の名前は初期の「遣唐使」につけられている。「訳拿=約拿」なら「通訳」である。
もちろん「田」は「囗+十」で国(口)の交わりを重ねるだ。「キス」、「舟を漕ぐヒト」ならコレだ。・・・英語に「kiss」と云う「単語」がある。漢字では「接吻」だが、ギリシャ語では
「φιλω(フィロ)」、
「στομα(ストマ)」
である。一般的には
「唇(くちびる)=クチ(口)」
と
「唇(辰+口=龍+口)=クチ(口)」
を重ねることだが・・・英語辞典には・・・ kiss・・・接吻・軽く触れること・玉突で球と球が接触すること
砂糖菓子の一種
小児語(ヨウジゴ)で乳や茶に浮く「アワ」のこと 「kiss away」は「オンナに入れ揚げる」こと 「kiss the dust」は「服従する・屈辱を受ける・殺される」 「kissinggate」は「一度に一人だけが通れる狭き門」 である 「kissmequik」は「野生の三色すみれ」である 「kissoff」は「おはらい箱」である 「kismet」は「運命・宿命」 である。あなたがここまでこの本を読んで来て「私の云っているコトがナントなく理解出来た」と思う人ならこの「kiss」の意味もわかるだろう。「キソ」は「基礎」であり、「木曾の御岳山」である。そして、「接吻=口合わせ」なのだ。 ・・・「日本書紀・大化改新」時に燃え盛る「蘇我氏」の邸宅から古い記録を持ち出したのが「舟史恵坂」であった。 「舟(ふな・ふね)の史(ふみ)」は・・・府名・府那・婦名・・・鮒=淡水魚 「海士=海部=海女=尼」の「歴史=記録」、 真名付 「恵の坂」は 「めぐみ(女虞魅・め組)」の、・・・「め組」は「火消し」で「江戸の花」 「江戸の華」は火事と喧嘩・「吉原の華魁(おいらん)」 「オイラン」は「甥(老)の乱」で 「甥=姪=命=名=明」、
「姪(女に至る)」である。
「命」と「尊」は区別すべき漢字である そして「将意乱(ラン・蘭・覧)」 「笈(竹及)は行脚僧、修験者が背負って アルク竹の箱」で、「将夷(蝦夷)の覧」だ 「坂=十一厂又(ガン)・壱拾壱反」は「さ(早・佐・娑)」と「か(花・嫁・蝦・家)=佐賀・嵯峨」で、 「ソウシ・ケイハン」なら、 「宗 史 経 版」、「嫂使鶏叛」、「宗氏(草子)継版」、「双史競判」 「聰 子 軽 叛=(軽皇子の謀叛=孝徳天皇)」 ↓ ↓ 聖徳太子=厩戸豊「聡耳」皇子=上宮皇子・・・本人、あるいは子供の軽皇子 である。「日本書紀・孝徳天皇(天萬豊日・軽皇子)の第二十五巻」には「中央集権国家」としての「法的決定事績」の記録が盛りだくさんである。 副詞の「こきし」は「はなはだしく(甚だしく)・たくさん(沢山)」と古語辞典には説明されている。これを同音異字で採れば「花々詩句・多句纂」である。 「こきしく」は「しごきおとして敷きならべる」とあり、和歌では花を散らしたり、紅葉を散らしたり、稲穂を「こいたり」して敷並べることだが、同音異字でこれを採れば「詞語気・音支手・識(敷)・並べる(陳べる・列べる)」である。 「古希・詞」は「杜甫」の詩にある「人生七十古来稀也」の「長寿」の意味だが「古希・詞(史)」なら字面とおり「古き史を臨め」である。 「孤疑」は疑い惑う。 「呼氣」は吐き出す意気。 「古義」は昔の解釈。 「古記」は当然にも「古文書」。 「姑姫(嬉・鬼)」。 そして、「虎記(コキ)」なら「虎の巻」である。 「カイツブリ」=海津武利・海都武理・海図不離・解柘不離・・・柘本=版本を解くには不離の存在である。 ギリシャ語「λ(ガマ・ガンマ)」に相似する漢字が「入」である。最近、「イリ王朝説」などとも言われているが、「λ(ガマ=蒲=蝦蟇=蟆蛙」は月に存在する「蛙」と、「蒲=葦=蘆」は「大国主」の助言(序言=女言=除源)で「稲葉の白兎」の身を護った「ガマ」の「蒲」である。・・・「月」こそ「キイ・ポイント」だ。 「カマ」なら「鎌=金兼ねる」で、 「釜=父(ハ夂玉・八チ球=八致宮=未宮=山羊座)は金」 「釜=フ=斧=まさかり=雅雁(牙の旧い鳥・ガンダレはイの旧い鳥)」、 「カマを懸ける」とは、主語は「鎌足」である。 「窯=ウのハチはヒツジのヒカリ」・・・烏の葉値は日柘字の光。 ・・・カマ・・・カエルとくれば「釜足(鎌足)が換える」である。
スナワチ、
「藤原鎌足」と
「榎本武揚」=「釜次郎、号は梁川・榎、釜を分解した「夏木金八(郎)」は変名である。北海道(蝦夷)共和国総裁で「伊能忠敬の元弟子であった幕臣・榎本武規(箱田良助)の次男」であった。 「ガンマ」なら、 「玩間=あそぶ(阿蘇武)玩具の部屋(あいだ)」、 「翫間=習元(奈良元)の部屋(あいだ)」、 「眼真=鑑真=勧進=漢人=贋磨(偽りを研く=欺謙)」、 「岸間=貴志=新羅)」である。 とするならば、「入+鳥」=「鳰」は、琵琶湖、大津に入る鳥=鶏=酉=禽=「金」である。・・・「金」とは誰か?!・・・「キン・キム・コン・ゴン・かね」・・・ ・・・「金春秋」と言う人物なのか・・・?・・・とにかく「志賀・大津京」に入ったのは「大友皇子」に勝利した「大海部皇子」であった。 鳰(かいつぶり)=海津不離=鳰(にほ=鳰海・鳰湖=琵琶湖)=解柘不離 貝 螺 里 =法螺理・・・出たら目=出鱈女 ↓↓ ・↓↓・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ぼら(鯔)・・おぼこ→いな→ぼら→とど ・ 名前が成長するにつれて変わる「出世魚」。 ・ 卵巣は「カラスミ」の材料。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↓↓↓・・・・・・・・・・・・・ ↓↓↓ カラス=カ・ラ・ス=ガ・ラ・ス=カラ・ス=カ・ラス
κοραξ=カラス=美しい 鴉・烏=香良洲=華・羅・洲=賀・螺・素=韓守=掛・裸諏・・・枯らす
↓ ↓↓ ↓ ↓
ガラス ↓ ↓ ↓ クリスタル ルリスタル 鴉(ア) 烏(ウ) 玖璃州太留=クリ廃る=瑠璃素多留=クリストの尊 鴉 ↓ ↓ ↓ 雅 タイ=庫裏=台所・宝物、財宝 烏
太陽=鴉(ア) ⇔ 太陰=蛙(ア)=月=卯(う)=兎(ト) ガラス=ヒアロス(γυαλινοs・γυαλι) 日鴉路守 ↓ ガラス=璧留離
↓流離↓琉璃↓瑠璃 硝 子=鉛ガラス・ソーダガラス エン 曹 達 ギャマン=ビードロ ガラスの伝播は最近、「NHK・人間大学・ガラスと文化(1996・10月~12月)」で、由水常雄氏が興味深い説を展開なさっていた。ガラスは既に五千年前からメソポタミア、アッカド王朝期(BC2140~2030)に人為的に生産されていた、ということである。しかも、その日本への伝播の一部分は「新羅」を媒介にしていたらしいのだ。ローマングラスが「新羅の古墳」から必ず出土しているとも言っている。私たちは「吉野ガ里遺跡」から出土した「青いガラスの管珠」を知っている。そして、長崎県原ノ辻遺跡からBC5~4世紀、中国戦国時代のモノと考えられている「ガラスのトンボ玉」が出土しているのだ。 「新羅」の古墳の構築法だが、由水常雄氏によればこれは「積石木槨墳」と呼ばれるモノで、中国や高句麗、百済との共通性は殆ど希薄であるとのことである。スナワチ、「新羅」の文化は中国文化から独自性をもって存在する。そして、この独自性を従来の「歴史学者」は言及してもいない、と由水常雄氏は論じている。 これは、年代史的にも言えることで、中国への朝貢は337、382年の二回後508年までの125年間は断絶しているらしいのだ。
日本の状況はどうだろう?・・・新羅と重ねて年代史をあげてみると、 57年・・・倭奴国王が後漢の光武帝から金印を賜る 107年・・・倭国王、帥升が安帝に朝貢 146年・・・邪馬台国、女王「卑弥呼」が擁立される 239年・・・6月、卑弥呼、帯方郡に使者 12月、魏の明帝が卑弥呼を「親魏倭王」とする 226年・・・女王「壱与」、「西晉」に朝貢 284年・・・百済の阿直岐が来日 285年・・・百済の王仁が来日し、論語、千字文を献ずる 297年・・・恵帝元康七年(丁巳七年)陳寿が三国志で、邪馬台国を記録 316年・・・「西晉」が滅び、五胡十六国時代。馬韓が発展し百済の成立 313年・・・コンスタンチヌス皇帝、キリスト教会を公認 337年・・・新羅、秦へ朝貢 366年・・・「斯摩宿禰」、卓淳国に至る 367年・・・丁卯年仁徳天「五拾五年」?・武内(竹内)宿禰死亡?
中国 東晋=太和二年 前涼=升平十一年(東晋の元号を継続) 前燕=建熙八年 前秦=建元三年 代=建国三拾年 朝鮮 高句麗=故国原王三十七年 百済 =近肖古王二十二年 新羅 =奈勿王十二年
382年・・・新羅、秦へ朝貢 ・・・この期間、倭は新羅と対立 391年・・・高句麗、広開土王 ・ 倭は百済と親密 392年・・・キリスト教がローマ国教となる 395年・・・ローマ帝国分裂 399年・・・倭軍、新羅を侵略 安帝隆安三年(己亥)、法顕がインドへ 400年・・・倭軍、新羅から撤退 404年・・・倭人が帯方郡の故地、境に進入 508年・・・新羅、北魏へ朝貢 継体天皇2年(?) 521年・・・新羅、梁へ朝貢 527年・・・近江毛野臣、六万の軍隊と任那へ派遣。 「筑紫・国造・磐井」が反乱、「近江・毛野・臣」を阻止 528年・・・「磐井」、殺される 531年・・・欽明天皇即位 536年・・・河内、尾張、伊賀等の屯倉の穀物を博多に集積 537年・・・大伴大連金村の子、任那に派遣、新羅を討つ 538年・・・仏教伝来の記録一 552年・・・仏教伝来の記録二 560年・・・新羅、入貢 562年・・・新羅、任那を滅ぼす 564年・・・新羅、北斉へ朝貢 568年・・・新羅、陳へ朝貢 570年・・・新羅、陳へ朝貢 571年・・・新羅、陳へ朝貢 欽明天皇、任那再興を詔する 572年・・・新羅、北斉へ朝貢 574年・・・新羅、日本へ朝貢 578年・・・新羅、陳へ朝貢 579年・・・新羅、日本へ調と仏像を献ずる 583年・・・「火ノ葦北・国造」、阿利斯登の子、達卒日羅を任那復興の為、 百済から召還しょうとする(任那へか、あるいは火ノ葦北へか?) 592年・・・推古天皇即位 593年・・・聖徳太子、摂政 594年・・・新羅、随へ朝貢 600年・・・新羅と、境部臣救援の任那が戦う。 日本、随に遣使 604年・・・十七条憲法が聖徳太子によって成る 607年・・・小野妹子が遣隋使として煬帝(広・英)の隋へ 煬帝(広・英)は文帝(楊堅)の第二子=次男 小野妹子の中国名は蘇因高 隋書は「唐の太宗の時代、魏徴」などが編纂した 隋書妥(イ+妥)国伝に阿毎王朝の記録あり 608年・・・新羅人、多数帰化する 621年・・・新羅、唐へ朝貢 623年・・・新羅、これ以降毎年、唐へ朝貢
関係に政治的にも文化的にも断絶があるが、「倭国」との関係性は断絶と言うよりも「日本書紀」では「対立」である。そして、「新羅の王」は「白村江の戦い(663年)」、「壬申の乱(672年)」、「大化改新(645年)」以前に、倭国同様に「善徳女王(632~642年)」を王としていたのである。女王である。その後は「武烈王=金春秋」、「文武王」の時代だ。 近親者ほど、愛情とそれに反する根深い憎悪の「対立」があるのは現代でも同じである。「愛憎の二律背反」は「利害関係の特殊性」があればこそである。 新羅古墳は「南シベリアのバズィルク、パシャダル、トゥエクタのBC5~BC3世紀のスキタイ・サカ人」のモノと同種である、と由水常雄氏は言っている。この地名と人種の「音」に注意して欲しいのだが。 さらに、彼は新羅古墳から出土した「金製樹木形宝冠」は「ギリシャの神々が頭にダイアデムを巻き、そこに聖なる木の枝を三面に差して飾った形式」であると云っている。そして、「金銀製の装身具」はその殆どが「粒金細線細工」という特殊技法で造られ、この技法は「ギリシャ・ローマの特殊技法」であることらしいのだ。 ・・・これらの文化伝播はなにも陸路からばかりではない。三国史の「呉」と「台湾」、「琉球」、「燕」の海路からも伝播したのだ。 時代を上げればいまや、北海道、青森、東北の相次ぐ「縄文時代の文化遺跡」の発見は「古代メソポタミア、ギリシャ」に匹敵することが見え始めている。「琉球人」と「アイヌ人」は「同類の人種」であることがわかってきた。「骨相学」からは「肥国人(長崎・熊本)」と「東北縄文人」は共通するらしい。「随書」には「琉球人の風貌」は「中央アジア・西域の人と同じ」である、と記録している。「眼」が「碧=青」で、「肌」が「白」、「髪」が「金髪・赤毛・栗毛」なのは「白人種」の特徴である。あなたの「瞳」を「鏡」でジィーと見つめて観察して欲しい・・・「眼の色」が薄い人もいるとは思うが、たいがいは「瞳の中心」が「黒」で、その「外枠」が「茶色」、「茶色」の「外枠」にさらに「色」がカサなっているハズだ。「青色」であったり、「橙々色」、「灰色」だったり、これらを発見するに違いない。「現在の日本人」は「混血人種」だ。更に云えば「混血でない人種」はこの「現在世界」には希(まれ)である。・・・特に「支配階級」は「人種」の「純粋性」を保てないのは「宿命」であるのだ・・・大地に「キッス」したり、「キッス」させたりして「異人種の混血」で「王朝支配の接点」を保たざるを得ないからだ。それを「軍隊=人民」規模で政策としたのは「ギリシャ・マケドニアの王」、「アレクサンダー大王」であった・・・阿礼の句・纂に拿わせた・亜(あまねし)・・・?・・・かも。「白旗」は「源氏の旗」で、「赤旗」は「平家の旗」である。「赤族」は「一族皆殺し」の言葉であった。「赤神」は「中国南方の神」で、「呉」である。「赤馬」に乗ったのは「楚国」の「項羽」であったし、「虞美人草」は「赤」である。「天武天皇」の軍隊は「衣に赤の印」をつけた。「白旗」は「降伏の象徴」である。人類の文化伝播は自己批判をしようともしない従来の「学者の仮説」からは遥かに異なっているのではないか・・・。 「世界的」な文化の伝播は「大津波」に匹敵する速度を持つのである。 さて、「コトバ」の伝播も「文法」を省けば例外ではない。「文化」とは「言語=音・字」に支えられた「イデオロギー=思想(言葉で考えた理屈・計画・設計図)」の「物質化=創作・創造・表現物」であるからだ。 「古事記」、「万葉集」の「万葉仮名」は「真名仮名=漢字」とは区別されるが、「漢字」であることには変わりがないのである。 「一字=一音」が原則ではあるが、例外もある。しかもこの「万葉仮名の一音」は「音」だけを採るために選ばれたわけではない。意識的にその「漢字の意味」を踏まえ「一字=一音」とされたのだ。 「いろは歌」も、「あめつち歌」も、同時に「あいうえお」も、その「字」は意識して「選択されたモノ」であるのは自明である。何故なら「ウタ=歌」として「一切合再」されたからだ。その「歌」の「一字一音」を「一音=同音異文字=多重な意味」として、「コトバの伎・技術=芸術=占術」として「駆使」されているからである。・・・・・・「人生は短く、芸術は長い」である。 「ο βιοs βραχυs η δε τεχνη μακρα」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
ホ ビオス ブラ キュス ヘー デ テクネー マクラー 男 人生 短い 女 そして 芸術 長い 断 仁政 探 助 鼠支手 迎述 調 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 捕 尾将素 分羅 球 州 辺江 出 手琥子 真句羅 ↓ 男・・・おとこ・・・・・音子(尾斗虎) ↓ 人生・・ひと・うまれる・日斗(卑都)・烏真霊留・卯間戻流 ↓ 短・・・みじかい・・・・魅次会(未自壊・壬自戒・壬時海・診字解) ↓ 女・・・おんな・・・・・音名(怨拿・乙那=乙国) ↓ そして・・・・・・・・・蘇史手(阻止手・素志手・祖師手) ↓ 芸術・・わざ・すべ・・・環座(話座・和座・倭早) ↓ 長・・・ながい・たけ・おさ・・名臥意(那賀囲・那珂委) 名雅意 多懸 将差=おさ=訳・譯 さて、「古事記」は「乞食」である。これは漢和辞典で「古・事・記」、「乞・食」の「漢字」を個別的に調べればその意味は即座に氷解するだろう。 「古事記・神武天皇」に「登美彦=足那賀毘古=長髄毘古」を裏切った人物に「ウマシ」と言う人物がいる。その以前に「神代」で「宇麻志阿斯訶備比古遅神」と言う神もいる。 これを検討してみよう。 「宇麻志阿斯訶備比古遅神」=うまし(美しい=καλοs= カラス) ↓↓↓吾詞化日比故事↓ 旨(匕+日) καλωs 鴉 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓ ↓ λ(ガンマ)に相似 ↓ ウマシアシ↓↓↓↓↓↓ 牝のヒ 入=入+鳥=鳰 ↓ ↓ ↓↓ ↓↓↓↓↓↓ 宿曜経=占・天文学 ↓ ↓ 午 支足 華美干故字加味=丙午の足(目盛りで、【張星柳】の宿) ア ↓ ↓↓ ↓ 馬 司吾史(婆史亜史・罵至娃史=場弛蛙姿) 張政留=調整劉=長生留 ↓↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓ ↓ 卑弥呼 羅馬亜史 月の替える姿 鶉 火=鳳 心=周 ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓ ↓ 壱 与 ローマの 壱拾壱の日置 朱鳥の躯 ↓ ↓ ↓ ↓↓↓↓↓↓ ↓ 鵜讃良 亜史 卯の変える史 鳥のうずら(撃つ羅・螺) ↓ ↓↓ 芦=パピルス=カミ=神 欝・蔚 垂仁天皇妃 ↓ ↓↓ 討・渦 ↓ 葉比留諏 加味・・・・日婆須比賣=日葉酢媛 「蛙(ア・かえる)」、巳(シ・ミ・まむし・へび)・・・虫類の「蟻」は「虫の義=忠義」で「義=ヨシ」の「虫=ムシ」・・・中のム(よこしま)、忠義を変える、だ。 ヨシ=葦=好=吉=佳=美=芳=由=止=禎のムシ・・・六支=巳支=真無私=まむし=間武(桓武=観鵡=諌務=『桓、霊帝の間』)の史で・・・岐の亘理(わたり)の珠(朱玉=太陽=態様=大洋)を定める詞(支)である。 「一所懸命」に「ハタラ」く「義・蟻」は、信義(申命記=旧約聖書)のムシ=無視=無死=無私=蒸(嬢・上・条・譲・丈)。錦、西紀、螺記、二史記、「尼始期・尼指揮・尼死期・『似史記』・アマのシキ」の・・・無視・・・どうでもいい仮名・・・である。 私の主観は「一の所に懸ける命(みこと・メイ=名)」だが・・・「学なり難し」と、いうものだ。「ガクナリガタシ=額(鰐)名理臥他詞(史)」なら「額田部=推古天皇」で、「額田王」は「万葉の女流歌人」だが「天智天皇」と「天武天皇」が「恋の鞘当て(?)」で火花を散らした女性となっている・・・が、「額田部=額田王=糠手妃皇女(舒明天皇の母)」が「他史(詞)」ならば「彼女の歌」は「恋歌」なんかじゃぁなく、「筑紫」と「大和」を結ぶ「政治的存在=巫=天皇」としての「キッスの歌=『木曽のナぁ~御岳さぁ~ん』=接吻の歌=キス、なだ、ホン」なのが見えて来るのだが・・・「女性=巫」は二重権力の要である。 「蒸=ジョウ=むす」は「武の州」で、「武蔵」であり「旡狭志」でもある。古語では「むさし」は「汚らしい=きたならしい」である・・・「来た名らしい」、「記他名羅思惟(四囲・私意・椎・強い)」で、「木田(喜多・北)・奈良(拿羅・乃楽・寧楽)・諮意(施異・史異)」・・・ 水蒸気( スイ・ジョウ・キ) ↓ ↓ ↓ 湯気の霧=「出 嬢 記=卑弥呼・壱与」=簾位聶記 ↓ ↓ ↓ 垂簾の政治 ↓ 「則天武后の政治」 弓削(道鏡=道教)の斬り(切り・雰=編め訳) 「むす・び」である。・・・「お・むす・び・コロリン」の話だが。「むすびの神は獨神」で、「戦争和平の仲介者」で、「女」と「男」の戦いを「讀審・得心・特進」し、「和」を「むすぶ人物」である。「丞相」とはもちろん「魏の曹操(武帝)」で、「倭擾乱時期」の「告喩の張本人」である。「毘(び)」は「中央・ハラの臍(へそ)」で、「おむすび」の中心には赤い「梅干し=楳干し」だろう。 水(ミズ・御津・密・蜜・三)=スイ=誰(ダレ)=垂(タレ) ↓ =酔(ヨウ)=粋(イキ)=推(オス) ↓ ↓ 様 ↓ 域 ↓ 雄 ↓ 酉九十 米九十 手古鳥(旧鳥) ↓ 邑苦渋 妹苦汁 主級長 ↓ 久住 久住 究調 丞記=「魏志・倭人伝(傳)」 嬢記=娘記=擾記=乗記(仏経)=茸記 醸記=畳記=常記=靜記=丈記=常軌 上記=ウエツ、フミ 飢え都、 植え柘、 羽(呉)越、 語悦の文、 雨重柘の文 ・・・「現存・日本書紀」の完成年代も怪しくなる・・・。 「古事記=故事記=乞食=高直=恋う時季(春・秋) =濃羽時期(美濃・信濃・上野=こうずけ・かうづけ)」の 「上記」が「娃女」=「阿女」=「雨」=「飴」=「編め」=「天」=「阿毎」=「海部」=「阿倍」=「αβ」に重なるのだ。 では、「アベ」を検討してみよう。 アメ 娃女=月に住む天女である。「佳子」は「ヨシコ」ともヨム。 「ヨシコ」は良子、好子、善子、宵孤、酔壷・・・ ↓↓↓ 夜示呼=与支弧 「鵜野讃羅良」は「持統天皇(高天原広野姫)」である。 「神阿多都姫」は「木花之佐久夜姫」であった。 「阿女=阿多(田)」は「建埴安彦」の妻である。 「阿毎」は「随書倭人伝」に登場し、608年、随使、「裴世清」が会見した 「阿蘇山」が見える場所の 「大王」の「姓」である。 「海部」の「大海部皇子」は天武天皇である。 「海女」は海に潜って海産物を収穫する女性達で、女性の一般名称である。 「尼」は女性の「坊主」である。 「阿倍」=「阿倍比羅夫」は「蝦夷・粛真」を撃った「海軍提督」である。 「阿閉」は「元明女帝」で、「草壁皇子」の妃であった。 「阿倍」は「遣唐留学生」の「阿倍仲麿」であった。 「阿倍」は「孝謙・称徳女帝(高野姫・法基尼)」の名前である。 「阿倍」は「花山天皇譲位」を「占い」であてた「阿倍清明」である。 「阿倍清明」の著書は「金烏玉兎集」である。 「金烏玉兎集」、すなわち、「烏=太陽=日」、「兎=月=月」の占いである。 英語で「A・B」と言えば「水兵、海兵」。 聖書で「Abe」は
「アブラハム(アブラム)」の略。 羊使いの牧者、「Abel」は、 兄の、農業、耕作者「Cain=カイン」に殺された弟「アベル」である。 「カイン・嫁姻・庚印(金印)・鹿の胤・花院」、すなわち、「華姻=中華の姻(婬・淫)」で、「寅(イン・とら=虎)」は「阿倍の婁」を殺した。 何故か、聖書の「神」は「百姓」の先祖である「カイン」を祝福しなかったのである。「神」は「穀物」よりも「羊の肉」を「燔祭」に好んだのであった。当然にも「牧畜民族の神」であったから「肉食が好き」だったのである。暗示は「肉偏(じくヘン)」が「月」になること、そして「食」は「月食」であることだ。そして「舟偏」が「月」にもなることだ。「ふね」=「婦子(フシ・フね)=創始(ソウシ)=宗氏」は「空(クウ・そら・あき)=飽(ホウ・あきる)=ア・キ・ル」である。兄の「カイン」は、弟の「アベル」に嫉妬したのだろうか、そして殺してしまったのだろうか。「珂胤」、「嫁と寅(隠=虎)」、「阿倍の留(流)」・・・逃げ隠れた「カイン」を「神」は「何故?」と「問うた」・・・当然、私も「何故?」と「神」に問いたい。兄は弟への嫉妬にではなく、「神」の祝福が「カイン」の収穫した穀物にないことに憤ったのである、と私は考える。アメリカ人の政府や司法、警察がときたま使う、「オトリ」に似ていないこともない。「カイン」は「神=カン=姦=巻」の「罠(毛民)=わな」に填められたようなモノである。 「日本人」にはこの「神の試練」をなんとも理解し難いのではなかろうか。この「神」の存在の仕方は日本人が考えている「神=善=仏」とは違う。日本人にとって、「神」も「仏」も願う人にとっては「『神に犠牲を払えば』都合よく困難から救済」してくれる「存在であるべき」なのだ。現実的な結果はどうであれ、利害関係の「ギブ、アンド、テイク」、「利用価値のある『都合のいい』存在」であるはずの「神=ネギ(葱・禰宜)をしょった鴨」である。「ホトケ=日本人のカミさま」は「なおもて、悪人おや!」で、すべてに「寛大」なのである。「旧約聖書の神」は「初めから優しく」はなく、「約束厳守の神さま」で、「他民族」にも「厳しい」のだ。しかも自分から「ネタミの神」と自称しているのだ・・・何故、「アベル」だけを祝福したのか?・・・「カイン」が「弟」を「ネタミ」させたところの「原因」は誰が作ったのか・・・「ネタミ」は「タタリ」ではないのか・・・だが、「日本人の神」への犠牲の代償は「命」である時もある。・・・「神に願(ガン)を掛(カ)けるコト」は並み大抵の「努力」ではないのである。「神を裏切ったとき」には「神はイカル」のだ。「神(自然)の怒り」に触れた時、親族、血族、運命共同体の延命への、危機存亡を賭ける時には、彼らにとって一番大切なモノを犠牲的代償とせねばならないのだ。己の命、巫、御子、「女王」の「命」である。これは古代「日本」だけのものではない。秦王朝時代にすら「黄河の神」に生きた処女を投げ込む風習があった。フレーザーの研究によれば閉ざされた「原始社会」では近代、現代にもあったらしい。古代中南米の社会にも「生贄」は存在した。「死んだヒト」は「神」になるのである。「神と一体」になると云えばいいだろうか。そして、「恨みの神」は「タタル」のだが、「古代日本だけのモノ」ではないのはチョット海外旅行をして「仏教国」であろうが、「キリスト教国」であろうが、「社会主義国」であろうが「現地の田舎の人」に「神」なる考えを聞けばすぐ解ることだ。「神」なる存在は「死者=先祖」と重複的、複合的に重なって生きた人間に「メグミ」もすれば「タタリ」もするモノとして考えられているのだ。いったい、「ハムレット」の「殺された父親」の存在は「タタリの亡霊」ではないのか。「ハムレット」にとって一番大切なモノは「母親」ではなかったのか?・・・彼は自分の「命」も、「母親の幸福(叔父との再婚)」も「死んだ父親」の為に犠牲にしたのだ。違うであろうか、ホレイショよ。 日本は「秋津島」と言われるが、「秋=商」にコトバが重なるのは「秋の収穫の交換」が、「商(あきない)」であるからに違いない。「秋内=飽きない=アキタ」は収穫の豊穣とその食物種類の多様さとも重なっている。しかも、自分の収穫を分けて他のモノと交換するから、「全部」を「等分分割」して他のモノと「等価交換」して得る部分が「商」であるのも当然だ。割り切れない「商」の「余りの部分」が「儲け=利潤」と云うことだろう。「磐の余り」とは「神武天皇」だが、「アキ」にとっては「アマリにも割り切れない存在」と云うことだ。「二十八宿・宿曜経」で云えば、「3(参・蚕・蒜・『纂』)で割り切れないのは『牛(うし・ギュウ・ギウ)宿』」の「主・義勇・祇兎・祇烏・偽鵜(・)」である。武家政治(豊臣・徳川)の時代、「商い人」は「流通交換」で「富(生産物)の余った部分を蓄積」し、さらにそれを「流通交換」させて生活をする存在にもかかわらず「士農工商」と言う「最下位」の「身分」でもあった。「士」は寄生虫で「生産物」の部分、あるいは全部を「暴力」を楯にカスメとる存在だ。本来、「王」はその「全生産物の余り」を「運命共同体」維持の為に「公的再配分」する人物であった。「士」は「運命共同体」を外敵から護る「兵隊」として「分業」を担う存在であった。「蜂」や「蟻」の社会が「女王国」の「模範」であったハズだが・・・ 「アキナイ」は・・・死農耕「小」・・・姉濃考「証」・・・死之交「渉」・・・死納口「承」・・・かも。 古代中国には「商」という国が存在した。「商」は「殷」の別名だが、 夏(カ)→商(ショウ)=殷(イン)→周(シュウ)→秦(シン)→漢(カン)」 夏 秋 寅 冬 春(榛)診 乾 化 象 隠 惷 真 観 掛 相 韻 巡 申 鑑 加 証 音 集 振 巻 並べてみれば「カショウインシュウシンカン=仮称因襲(因習)新刊」か、「過小韻調心肝(神官)」だ。 「神」が何故、「カインの穀物(こくもつ)」を嫌ったのか、その説明は「聖書」にはない。「家畜」の天敵は「オオカミ=狼=大神」ではある、が・・・「虎」かも。穀物を守ってくれる「稲荷」は「狐」だがウソツキで「狡(ずる)賢(かしこ)い」のだが、「ゴンきつね」は違う。「コクモツ」を何故、嫌ったのかは「古事記」の作者なら「漢字」からしか理解出来なかったかも・・・「国物」、「国持」、「告母津」、「刻模柘」、「告喪都」、「酷侮晦」・・・「酷仏」、「国分柘(津・都)」、「古(故)句模柘」、「虎句模柘」、「虚句模柘」、「顧苦母都」、「国物」、「国払」と。
だが、「アベル(弟、牧畜人)」を殺した「カイン(兄、農耕人)」と、彼の末裔は「農耕民」としてではなく、「鍛冶屋」として生き残ったのだ。すなわち「金属の道具、武器、兵器」を手にして「アベルの復讐」を防いだのだ・・・ここは「天智」と「天武」、そして、「小野妹子=蘇因高」の「謎の部分」でもアルだろう・・・
「斧正」・・・「他人の書いたものに遠慮なく筆を加えて正す こと。詩文の添削を頼むときにへりくだって用いる語」で「斧正を請う」・・・ 遊牧民の「胡の供物」は「家畜」、しかも「牛」や「羊」である。「家畜」、スナワチ、「家(ウ+豕=ウの豚・ウの猪=ウの猪八戒=ウの亥=北西)」、「畜(玄+田=北のタ・デン)=木田の傳=クロタ・デン=句賂他・傳」を守るのが「犬=狗=句」である。「鶏=経・にわとり」は「時=朱鷺・辰・土岐=土記=怒気=時岐」を「告げ=柘植」、「卵=乱=覧=藍=濫」を「生む」のだ。 「聖書」のこのカ所は「砂漠・牧草」に生きる人々に対する「反面的」な教訓を示唆しているのかも知れない。「騙す」、「騙されない」と言うことではなく不意に襲ってくる現実的な「災難」にあった「時」の「先読み」として。当然にも「農業」を営む人々に対しても「七倍の罪」で「護って」はくれる「約束」なのだが、どうも公平ではない・・・ 何故なら「旧約聖書」の「神」も「民」も、彼ら「以外の民」と「和」と言うことでは「拒否」している。「妥協」はないのである。「約束の地」には既に「他の民」が住んでいた。「神」は侵略への地を「約束」したのである。侵略とは言っても「生かして搾取」と言う支配原理ではない。「虐殺による全滅=赤族」を前提にしているのだ。当然、侵略される人々も「同じ立場」に違い有るまい、との前提がある。なんともこのような「思想」が根幹に有る限り、「他民族」との平和を願う人々はこの「物語の記述」を恐れるに違いない。自らの「平和」は「暴力=軍隊=武器」で護らざるを得ないからだが・・・いまだ、「同胞」のみの「汝、殺すなかれ」の「旧約聖書の時代」なのである。「仏」は「全ての生き物を殺生するなかれ」である。「シャムの王様と英国の『私』」は「王様」がエライのだ。 誤解されないように付け加えるが、「旧約聖書」の「物語」に記述されている「部分」のことに言及したのであって、「新旧・バイブル」の「すべて」を信奉し、信仰して現在的な現実(心の葛藤)生活を営んでいる人々のコトではない。 だが、時代は遥か2000年前に既に「国際化」した「新約聖書=魚座」の「時代」に入ったのにも拘らず、人間のすることは「旧約」なのだ・・・ましてや、「水瓶座」の「時代」とは・・・「水瓶」だが「蜜亀」か、「御津亀」、「密咬め」、「三加女」、「讃加女」、「蒜のオカメ」・・・「纂加女」かも。