「国語学」とは何か?
多邇具久=谷蟆・谷蟇
=ヒキガエル
=たにぐく?
「他字具句」・・・多似具句・・・蟆・蟇=昆虫の「ぶと・ぶゆ」=メ・バ・マ・バク・ひき=がま(蝦蟇→カハ・かま・カバ・カバク・ひきがえる=蟇蛙・蟾蜍・ひき蛙)・・・「引き換える」・・・詹(セン・いたる・みる)文・・・詹・担(擔)・胆(膽)・澹・譫・・・字を引き換えるであアル・・・カナ・・・蟇股(かえるまた)・蟇蛙・蟇(ひきがヘる)・蟇子(ぶゆ)・・・
さて、ここに「東京大学出版会」発行の「国語学」と言う本がある。私が名古屋の地下鉄上前津駅付近の古本屋で二百円で買ったものである。私と同類(?)の人間が読んだものらしく、本の中には鉛筆とペンで細かな注釈や線びきがいたるところにしてあるのだ。この本自体も面白かったが、それ以上にこの本のかっての「持ち主の興味の対象」がさらに面白かった。定価は1700円とあった。この著書は「日本語」を考える上でイイ「参考書」だとは思うのだが、あなたも「日本語」に興味があり、読む時間とチャンスがあるなら一読すればイイ。 この著者は「築島裕」先生である。この本発行時(1983年2月十五日)には「東京大学文学部教授」となっていた。「国語学」の権威。 この本の「目次」をザートみるだけで私の「興味」と重なる部分が多大にあることが直観され、中身を読んでいくにつれ、「二百円の本」だなんて、ラッキョウ(拉津鏡・裸柘教・螺都興)、ラッキーと思わざるを得なかったのだが・・・。 とにかく「日本語」が歴史的にどのような人物によって研究され、その考え方がどのようなモノであるのかと云うことが紹介され、資料写真も掲載され、それらの比較検討の上、なお「築島裕」先生自身の説が展開されていたのだが・・・。 それにしても、本との出会いとは・・・あな、不思議、あな、かしこ・・・。 ここでは、「築島裕」先生とは違った角度、「古代史=邪馬台国」を意識的に踏まえ、「あいうえお」と「いろは歌」、「あめつち・たゐにの歌」を、 「蛙意有重尾(アイウエオ)」 「異賂葉有多(イロハウタ)」 「阿女都知(アメツチ)・他意似(タイニ)」 「阿毎都置(アメツチ)・台爾(タイニ)」 として、ちょっと検討してみたい。 ひらがな書体表 〔歴代名書家が書いた変体がなを集めたもの(大修館・漢和辞典より)〕 ↓ ↓ 管弦音義〔五十音考(佐藤誠実)より〕 ↓ ↓ 天文本倭名類聚鈔字切の図 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ あ 安阿愛悪 阿 阿 い 以伊移意 宇 伊 う 宇有憂雲 伊 烏 え 衣盈要江 乎 衣 お 於 衣 於 ↓ ↓ ↓ か 加可閑家賀駕 訶 可 き 幾支起 倶 枳 く 久具九 幾 久 け 計介遣 古 計 こ 己古許故 計 古 ↓ ↓ ↓ さ 左佐散差 娑 左 し 之志新事 須 之 す 寸須春數 志 須 せ 世勢聲 會 世 そ 會所楚處 世 楚 ↓ ↓ ↓ た 太多堂當 多 多 ち 知千智 都 知 つ 川徒都津 知 津 て 天亭轉傅 土 天 と 止登東度 天 都 ↓ ↓ ↓ な 奈那南名難 奈 那 に 仁爾耳丹二 奴 爾 ぬ 奴努 仁 奴 ね 禰年音 能 禰 の 乃能農濃迺 禰 乃 ↓ ↓ ↓ は 波者盤半八葉破 波 波 ひ 非悲飛日 不 比 ふ 不布婦 比 不 へ 阡邊幣遍 保 倍 ほ 保本奉報寶 遍 保 ↓ ↓ ↓ ま 末万萬満馬間眞漫 摩 摩 み 美見三身 無 彌 む 武無舞牟无 美 牟 め 女免面馬妻 母 咩(口+羊) も 毛裳母茂 免 毛 ↓ ↓ ↓
や 也夜屋哉耶 耶 夜 い 由 以 ゆ 由遊 以 由 ゑ 恵衞 與 江 よ 与餘余夜世 衣 與 ↓ ↓ ↓ ら 良羅蘭 羅 羅 り 利里梨理離 留 留 る 留類流 利 利 れ 禮連麗 呂 禮 ろ 呂路露論盧 禮 呂 ↓ ↓ ↓ わ 和王 和 和 ゐ 為遣 宇 為 ゑ 為 有 を 遠越乎 於 恵 ん 恵 遠 これらの「漢字」を「音」だけではなく、「『天文本』倭名類聚鈔字切の図」の記録であることも踏まえ、その「意味」を「↓」の方向に「訓」だらどうなるであろうか? 安(阿愛悪)・・・・アン・やすい・あまんずる・いずくんぞ・いずくに ↓ 以(伊移意)・・・・イ ・もちいる・ひきいる・もって・を・て・して・ ↓ ゆえ・おもえらく・なす・はなはだ・やむ・ ↓ おわる・およぶ・より・から・すでに・これ・ ↓ さね・しげ・とも・のり・もち・ゆき ↓ 宇(有憂雲)・・・・ウ ・のき・のきば・ひさし・やね・いえ・そら・さかい ↓はて・つくり・かまえ・すがた・こころ・たましい ↓おおきい・おおう・うま・たか・のき ↓ 衣(盈要江)・・・・エ(イ)・ころも・きぬ・きもの・けさ・つつみ・おおい ↓こけ・はね・かわ・きる・きせる・おこなう・ ↓えきぬ・そ・みそ ↓ 於・・・・・・・・・オ(ヲ・ウ・ヨ)・ああ・より・おいて・おける・ここに ↓ここにおいて ↓ 加(可閑家賀駕訶)・カ(ケ)・くわえる・くわわる・たす・そなえる・ます・ ↓かさねる・つける・きる・きせる・ほどこす・ ↓あたえる・おくる・しのぐ・たかぶる・あなどる ↓まさる・ますます・かててくわえて・また ↓ 幾(支起枳)・・・・キ(ケ)・いく・きざし・けはい・かすか・おだやかに・ ↓あやうい・ほとんど・すんでのことに・あらかた ↓ちかい・ちかし・こいねがう・ねがう・ ↓こいねがわくは・いく・いくばく・どれほど ↓のり・ふさ ↓ 久(具九)・・・・・ク(キュウ・キウ)・ひさしい・ながい・ひさしくする・ ↓ながくする・とどめる・とどまる・ ↓おくれる・つね・なが・ひこ・ひさし ↓ ↓ 計(介遣)・・・・・ケイ(カイ)・はかる・はからう・かぞえる・かぞふ・か ↓ずしめ・かんがえる・くらべる・はかる・ ↓みつもる・おもんばかる・はかりごと・ ↓くわだて・いとなみ・ばかり・ほど・くらい ↓だけ・かずえ ↓ 己(古許故)・・・・コ(キ)・おのれ・じぶん・つちのと・おと・な・いとぐち ↓はじめ ↓ 左(佐散差娑)・・・サ・ひだり・陽(ヨウ)・した・しも・ひだりする・さげる ↓くだす・とおざける・うとんずる・しりぞける ↓いやしめる・たすける・あかし・しるし・たがう ↓もとる・よこしま・いやしい・ひくい・ほとり・ ↓あたり・そば・すけ ↓ 之(志新事須)・・・シ・ゆく・いたる・でる・これ・の・くに・つな・のぶ・ ↓ひさ・ひで・ゆき・よし・より ↓ 寸(須春數志)・・・スン(ソン)・すこし・わずか・いささか・はかる・とき ↓き・ちか・のり ↓ 世(勢聲會)・・・・セ(セイ)・よ・とき・とし・よよ・つぎ・つぐ・とき・ ↓とし ↓ 會(所楚處楚)・・・ソ(ソウ)・すなわち・かって・なんぞ・これ・かさなる ↓かさねる・ますます・ひまご・たかい・あがる ↓ふかい・すえ ↓ 太(多堂當)・・・・タ(タイ)・ふとい・ふとる・はなはだしい・はなはだ・ ↓こえて・ずうずうしい・うず・おお・しろ・ ↓たか・と・ひろ・ます・み・もと ↓ 知(千智都)・・・・チ・しる・みとめる・さとる・わきまえる・おぼえる・ ↓つかさどる・しらせる・しらせ・しりあい・たぐい・ ↓もてなし・あしらい・あき・あきら・おき・かず・ ↓さと・さとし・し・ちか・つぐ・とし・とものり・ ↓はる ↓ 川(徒都津)・・・・セン・かわ・あな・はら ↓ 天(亭轉傅土)・・・テン(デン)・あめ・あま・そら・いただき・きみ・ちち ↓おっと・ひ・にち・めぐりあわせる・ ↓めぐりあわせ・うまれつき・かみ・たか・ ↓たかし・おおぞら ↓ 止(登東度都)・・・シ・とまる・とめる・あし・あしあと・ね・ねもと・ ↓とまる・とどまる・たたずむ・たちどまる・おる・ ↓いる・やすんずる・おちつく・やどる・さだまる・ ↓あつまる・とめる・とむ・さだまる・あつまる・ ↓さしとめる・ひきとめる・おさえる・ひきしめる・ ↓とらえる・とりこにする・とらえる・さる・のぞむ・ ↓すてさる・なくなる・なくする・おさめる・そご・ ↓へらす・いたる ↓かえる・まつ・せまる・かぎり・しきり・ようす・すが ↓た・ふるまい・とどめ・ただ・とめ・とも・もと ↓ 奈(那南名難那)・・ナ(ダイ・ナイ)・からなし・あかなし・いかん・ ↓いかんせん・いかん・なに・なんぞ・ ↓どうして・いかんとも・どうにも ↓ 仁(爾耳丹二)・・・ジン(ニン・ニ)・いつくしむ・したしむ・したし ↓あわれむ・なさけ・おもいやり・ ↓あわれみ・めぐみそだてる・しのぶ・ ↓ひと・うるおい・きみ・きむ・さと・ ↓さね・しのぶ・ただし・と・とよ・ ↓のり・ひさし・ひと・ひとし・ひろし ↓さし・み・めぐみ・めぐむ・やすし ↓ 奴(努)・・・・・・ド(ヌ)・やっこ・しもべ・めしつかい・やつ・やつがれ ↓やつ ↓ 禰(年音)・・・・・ネ(デイ・ナイ)・おたまや ↓ 乃(能農濃迺)・・・ダイ(ナイ)・すなわち・そこで・かくして・しかるのち ↓しかるに・かえって・なんと・とりもなおさず ↓まことに・さきに・むかし・なんじ・ ↓おまえ・それがし・なにがし・の・いまし・ ↓おさむ ↓ 波(者盤半八葉破)・ハ・なみ・なみだつ・ごたごた・もめごと・うごく・ ↓めつかい ↓ 非(悲飛日比)・・・ヒ・そむく・わるい・よくない・あやまち・つみ・そしる ↓せめる・とがめる・あらず・いな・ない・うらむ ↓ 不(布婦)・・・・・フ(ブ・フツ・ブチ・フウ)・ず・ざり・じ・しない・ ↓でない・あらず・しからず ↓しからざれば・いなや・ ↓おおきい・おおいなり・ ↓はなぶさ ↓ 阡(邊幣遍)・・・・セン・みち・あぜみち・はかみち・さかん ↓ 保(本奉報寶)・・・ホ(ホウ・ハウ)・たもつ・もちこたえる・そのまま・ ↓まっとうする・やすんずる・さだめる ↓たすける・かばう・やしなう・うけあう ↓ひきうける・たのむ・つく・しる ↓やすらか・とりもつ・やとい・とりで ↓おおきい・お・まもる・もち・もり ↓やす・やすし・より ↓ 末(万萬満馬間 ↓ 眞漫摩)・・ミ(ビ)・いまだ・まだ・いまだし・あらず・ない・ ↓いなや・どうであろうか・ひつじ・いま・いや ↓ひで ↓ 美(見三身彌)・・・ビ(ミ)・うつくしい・うまい・おいしい・うるわしい・ ↓みめよい・よい・りっぱ・よみする・ほめる・ ↓うま・うまし・きよし・とみ・はしはる・ふ・ ↓みつ・よし・よしみ ↓ 武(無舞牟无)・・・ブ(ム)・たけし・たけだけしい・あさましい・ほこる ↓あなどる・もののふ・つわもの・あと・あしあ ↓と・つぐ・ひと足の長さ・かんむりまき・いさ ↓いさむ・たけ・たける・たつ・ふか ↓ 女(免面馬妻)・・・ジョ(ニョ・ニョウ)・おんな・め・むすめ・なんじ・ ↓めあわす・めあはす・こ・たか・ ↓め・よし ↓ 毛(裳母茂)・・・・モウ(ボウ・バウ・マウ)・け・けがわ・けもの・けをむ ↓しる・いけにえ・かるい・ ↓こまかい・わずか・ ↓いねのみいり・あつ ↓毛人谷(えびたに) ↓毛枚(もひら・もむら) ↓毛馬内(くまない・けまない) ↓ 也(夜屋哉耶)・・・ヤ(エ)・なり・である・や・なる・の・かな・たり・ ↓また・もまた・あり・ただ・また ↓ ↓ 也(夜屋哉耶)・・・ヤ(エ)・なり・である・や・なる・の・かな・たり・ ↓また・もまた・あり・ただ・また ↓ 漢和辞典の「也」の用法例文に「子之燕居、申申如也、夭夭如也」が掲げられている。これはこの例文を「シのエンキョするヤ、シンシンジョたり、ヨウヨウジョたり」と漢文で読み下しても、そのままでは意味がとっても難解である。 漢字の意味を・・・ 「申(シン・もうす・さる・のびる・のばす・かさねる・かさぬ・のべる・のぶ・いう・つげる・いたす・あきらか・しげる・み・もち)」とよみ、 「申=西南西・夕暮れ時の3時から5時の間(暮れ六つ)・陰暦七月・中国の上海の俗称=さる=去る・猿・坐留・箕(簑・蓑=みの=美濃・味野・三野)」であると踏まえ、さらに、 「夭(ヨウ・エウ・オウ・アウ・わかい)=成長の様子・のびやか・にこやか・ わざわい・わかご・生まれたばかり の鳥獣の子=ヒナ(雛・夷・恵比寿 ・恵比須)・はらご・わか木・わか じに・わかじにする(夭折=ヨウセ ツ=溶接・用節・耀説)・折れる・ かがむ・屈して伸びない様・ふさぐ ・人が首を曲げている様子」 と踏まえれば、一応、 「子、ツバメの住居するところにユク、申申の方角、南西にイカンや、ワカク、ノビヤカにイカンや」 であろう。そして、前にあるごとく、「申」と「夭」の意味と「訓」は漢和辞典を見る限り、数多く重複して説明されているのだ。これは確かに「漢文」ではあるが、「也(たり)」は漢和辞典の説明例題では「形容詞に付けて、その意味を強める助字」として掲げられているのだ・・・ここで、これを同音異字に転換すれば、「掲揚のシ(史)に就けて、姐(あね)の乃(沙の和地)、委(国)の箕(みの)を都とし、嫁を留、叙事(女児)する」・・・「京様の姿に柘化て、素廼、囲美を付与(余)芽留」・・・シは「始=女の台」、「姉=女の市」、「姿=次の女」、「史」、「詞」であり、「也(たり)」は「也(ヤ=夜)」である。 「子之燕居、申申如也、夭夭如也」 ↓ シのエンキョするヤ、 シンシンジョたり、 ヨウヨウジョたり 子、これ燕国に住居する。新進するは女たり。 幼 養 女の足である。 ↓ 姿、往き燕居(円虚・円弧・猿拠・媛拠)、 心身(真親)を助けタリ、 洋々(揚々・要用)の女(鋤・除・序・徐・叙・恕・所)なり 「燕(エン)」が何を意味するか、あなたが自分で「燕の項目」を漢和辞典調べるといいだろう。もちろん、「つばめ」も。 「夭いヨウ・あやしい・わかい=若い・和歌意・話化異」ならば、「わかい=稚い=若い=和解=若井=話解=和歌意」で、古代の「天皇」に「兄弟関係」の序列を無視して「ワカ」が付くのが「わかろう」というものだが・・・ワカは和気、湧け、沸き、脇(月力力力)、腋(月夜)で、「訳」である。 由(遊以)・・・・・ユ(ユウ・ユイ・イウ)・よし・よる・もとずく・へる・ ↓ たよる・したがう・のっとる・ ↓ まねる・もちい・る・より・ ↓ から・わけ・いわれ・てだて・ ↓ (なお・・・ごとし)・ ↓ (なほ・・・ごとし)・ ↓ ちょうど・ひこばえ・ただ・ ↓ ゆき・より・ゆく・みち・ ↓ ただす ↓ 「由」は濁酒(ドブロク=水+蜀+水+酉)で・・・「奴武呂句=土部録(埴部の記録・風土記)=十一立口邑録=壱拾壱部の記録」?・・・「古事記」あるいは「日本書紀」の「十一の部分」か、あるいは「土=土師=埴の部分=奴=度=怒・努・堵」をこして「糟(かす=華州・花素・化諏・嫁州)」を取る「駕篭(かご=過誤・加護)」である。 慧 ↓ 恵(衞與江)・・・・エ(ケイ)・めぐむ・あわれむ・いつくしむ・あたえる・ ↓めぐみ・あわれみ・ほどこし・たまもの・ ↓したがう・すなお・さとい・かしこい・ ↓おたより・あや・さと・さとし・しげ・ ↓とし・やす・よし ↓ 与(餘余夜世)・・・ヨ・あたえる・くみ・なかま・したがう・たすける・ ↓ゆるす・みとめる・と・および・ともに・あたえる・ ↓あたえほどこす・ために・より・よりは・いずれぞ・ ↓か・や・かな・あずかる・あ・あと・すえ・とも・ ↓のぶ・ひとし・もろ・よし ↓ 良(羅蘭)・・・リョウ(リャウ)・よい・よし・ほどよい・とむ・かしこい・ ↓すぐれる・まさる・長じて・うつくしい・ ↓めでたい・やすらか・おだやか・すなお・ ↓おとなしい・いちばん・もっともすぐれた ↓よく・まことに・ふかい・はなはだ・やや ↓しばらくして・はじめ・かしら・うまれつき ↓てがら・いさお・おっと・むこ・はかる ↓ほどこす・あきら・お・かず・かた ↓さね・すけ・たか・つかさ・つぎ・なお・ ↓なが・ながし・はる・ひこ・ひさ・ふみ ↓まことみ・ら・ろ・ろう ↓ 利(里梨理離)・・リ・きく・とし・するどい・すばやい・とく・たくみ・ ↓よい・もうける・もとめる・むさぼる・もうけ・とみ ↓いきおい・ちから・かち・きく・きき・かが・かず・ ↓さと・と・とお・る・のり・まさ・みち・みのる・ ↓よし・より ↓ 留(類流)・・・ル(リュウ・リウ)・とめる・とまる・とどまる・とどこおる ↓おくれる・長引く・やむ・中止・とむ ↓とどむ・おさえる・やめ・とどこおらせる ↓おくれさせる・ひさしい・うかがう ↓すばる・たね・と・とめ・ひさ ↓ 禮(連麗)・・レイ(ライ)・いや・のり・おきて・おじぎ・あいさつ・あき ↓あきら・あや・いや・うや・かた・なり・のり ↓ひろ・ひろし・まさ・まさし・みち・ゆき ↓よし ↓ 呂(路露論盧)・ロ(リョ)・せぼね・長い・おと・とも・なが・ふえ ↓ 和(王)・・・・ワ(オ)・やわらぐ・やわらげる・なごむ・なごやか・おとな ↓しく・おだやかに・しずまる・たいらぐ・やわらぎ ↓のどか・うららか・ほどよい・ととのえる・こたえ ↓る・あう・まぜる・やまと・なぎ・にぎ・くわしい ↓やわらかい・あい・かず・かた・かつ・かのう ↓たか・ちか・とし・とも・な・のどか・まさ・ます・ ↓みきた・やす・やすし・やまと・やわ・やわら・ ↓よし・より・わたる ↓ 為(遣)・・・・・・イ・なす・する・という・おもう・である・する・す・ ↓なぜ・ゆえ・たり・である・なる・つくる・ ↓こしらえる・おさめる・のす・まなぶ・ならう・ ↓いつわる・まねる・ふり・しわざ・もちいる・もし・ ↓に・すなわち・これ・それ・その ↓のやか・たすける・ため・ために・(まさに、す)・ ↓(をして、しむ)・れる・られる・らる・さだしげ・ ↓す・すけ・た・なり・ゆき・よし・より ↓ 「為」の原義は「猿が爪を頭にやっている形」である。物まねがうまい動物であるからだ。「猿の津女を頭(かしら=頭領)にする」である・・・「猿女=宇受女」である。 ↓ 遠(越乎)・・・・・エン(オン)・とおい・とほし・はるか・ひさしい・ うとい・まわりどおい・ぼんやり・にぶい とおざける・はなれさせる・へだてる・ おいやる・うとんずる・なれしたしまない とおざかる・とおくな・る・たがう・ とお 「遠」は「とおい(十囲・十位=ジュウイ・重囲・獣医)」、「とお(十・壱拾=ジュウ・重・中・獣・汁・廿・充・住・縦・柔・什・戎・揉・絨)」で決着がついたのだが・・・ とにかく、「訓(クン=君・薫・勲・釧)=よみ・詠み・讀み・余箕・与箕・世魅・予見・代診・夜観・預三・輿診(地理、地図をしらべる)・・・」の意味を充分(十分・重文)に注意して見て欲しいのだが・・・ ・・・よくも、まぁ、こんなに「ニホンゴ」でよめるものだ、と感心するのだがネッ・・・その「にほんご」が問題であるのだが。 ・・・さあ、あなたならこの「あいうえお」順の「文字」をどのように読んで「文章」を作成していくだろうか・・・しかも、(・・・)の中の「漢字」をもだが・・・もう、アトはキミに任せた。 ・・・ウームムム・・・私はネムタイ(合歓体・眠たい・寝むたい)・・・布団(婦團・父豚・夫屯・府惇・婦遁)に入って、ネムリ(合歓里・禰無理)、ネムル(子武留・音鵡流・値務留)、ネル(音留・練る)・・・のだが。 デワ、「いろは歌」はどうなのか・・・ いろは 伊呂波、有他 ↓↓↓ いろは 色は 委の鷺の葉 以呂波 始期 イのサギの言葉 伊路八 ↓↓↓↓ にほへと 匂へど 貳の将の重の都 耳奉へ止 琥妃経渡 背きの将軍が重なるミヤコ 尓保及都 ↓↓↓↓↓ ちりぬるを 散りぬるを 地理は奴の瑠の尾 千利奴流守 蚕李奴琉緒 チリはヤツのルのオッポ 知理沼留遠 ↓↓↓ わかよ 我が世 話は化(人ヒ)の預 和加餘 倭化与 和歌が変化して預かる 王可与 ↓↓↓ たれそ 誰そ 垂れが祖 多連曽 足禮蘇 天皇(垂仁)が姐 太礼祖 ↓↓↓↓↓ つねならむ 常ならむ 津の子は奈良の武 津祢那良牟 壌楢 鵡 真の根は天武 ツ年奈羅旡(尢) ↓↓↓↓↓↓↓ うゐのおくやま 為の奥山 初は邑の久の耶麻 有為能於久耶万 酉移乃将供蚕 邑は宇に移、長の邪馬 宇抬乃於九也末 (飴) (麻) ↓↓↓↓↓ けふこえて 今日越えて 境の肥の・(弖・出) 計不己衣天 京 声得テ 堺の妃の鵜児の一 介布古迺弖 (氣符) ↓↓↓↓↓↓↓ あさきゆめみし 浅き夢見じ 吾の早の岐(阿坐姫)、喩女魅姉 阿佐伎喩女美之 專記六圏史 百舌 の紀、 喩す如の序 亜作幾由馬弥志 (面)(七) ↓↓↓↓↓ ゑひもせず 酔ひもせず 重の日の母の背津 恵比毛勢須 水師模背図 長の妃の母の世柘 曾伎文世寸 (迥非裳) 上の「いろは」は『金光明最勝王経音義』に「ルビ」られるように「異字併記」されたモノである。「萬葉仮名」の原点となっている『いろは・うた』の「漢字」もむやみに選ばれ、使用されているわけではないのは、個々の『漢字』の「幹事」を「監事」て、「感じる」ならばその「意味」するところは『イト』的であることは明白であろう。 あめつちの歌 あめつち 天地 編め都治 ほしそら 星空 補始祖ら やまかわ 山川 耶麻化倭 みねたに 峰谷 美祢他似 くもきり 雲霧 蜘蛛斬り むろこけ 室苔 武路転け ひといぬ 人犬 日渡委奴 うへすゑ 上末 烏重据 ゆわさる 硫黄猿 磐猿 巖申 おふせよ 生ふせよ 王施与 尾臥せ豫 えのえを 榎の枝 柄之重尾 重の柄牡 なれゐて 馴れ居て 慣れ射て 拿蛎意出 「雨(天)の土(国・壱拾壱)の補」、「始の祖(素)の羅」、「耶摩(邪馬台)の花(化)」、「倭(話・環)の美(鼻・日)は子(音・値)」、「鬼の里の武」、「芦(足・脚)の虎(胡)の懸」、「人(日斗)は犬(戌・狗)の上(亥・嬢)」、「末(据え)は磐(晩・盤)の猿(円・媛)」、「王の施の与」、「柄の乃が重」、「御名(音名)に戻す」、「・(氏一)=弖(弓一)=出(山々)=載」 たゐにの歌 大為伊天 田居に出で 台為す委の海女 奈徒武和 菜摘む我 奈良徒、武の倭 礼遠曾支 れをぞ君 霊園の祖の支 美女須土 召すと 美女の棲の奴 安佐利(お) あさり追 阿娑の里の将 比由久也 い行く山 比喩久しくなるや 末之呂乃 城 の 末、これ、芦、スナワチ 宇知恵倍 打ち酔へ 有は知恵を賣 留古良毛 る子ら藻 留める古き良き家 波保世与 葉干せよ 名美を保ち世に与える 衣不祢加 え船こ 虎も芦も模して禰を加えず 計奴 けぬ 言葉を計る度は奴(ど・ぬ・やつ・な) これらの「ウタへの漢字の当てはめ」は、一つの例で、考え方である。同音異字は「採り始め」たら「キリ」がない・・・だが、時間がある人は全ての「漢字」を当てはめて意味がとおるかどうかを試みてみるべきだ。もちろん、「古事記」や「日本書記」を踏まえて・・・とにかく、「にほんしょき」は「似本書記」、「二本所期」であり、「尼叛初期」でもあるからだ。 「古事記」には以下の「遊び」が溢(アフ)れているのは明白である。「古事記」研究の原点は「漢字」そのものと云う単純明快なところから始まらなければならないのではないだろうか。スナワチ、漢字の『文字霊振り=文字霊不離』の研究の必要である。 ことば遊び(大修館国語要覧から) 一、なぞなぞ=(謎、謎)・・・・・・・・言の迷は米(八方位)に・ 二、しゃれ =(洒落)・・・・・・・・・水は西(爾志・螺・虹・似詞・貳史 二支・丹祇・尼姉・児史) から 日の下の水(御津=音柘)にカク 1、しゃれ =(洒落) 2、むだ口 =(無駄口=牟田玖治=務詫久慈=無駄公事) 3、無理問答=(武李文導=武里紋同) 三、回文 =(海文=海女文(天文=尼文)=甲斐文=改文=諧文=繪文 四、折句 =(節句・絶句) 物名 =(仏名・佛名・者名) 沓冠 =(水と日の冠=水+日+ワ+元+寸) 八重襷 =《八を拾いネを與(与)、手(弖=弓一=・=氏一=出=載)》 五、文字遊び=(亠乂ウ了一・方・子=門司夕美・紋字優美)
「国語学」(16x) さて、「国字」と言うものがある。「日本人」が新たに「漢字」を「創作・製作」したものであるが・・・その作った理由は何であろうか? 「国語学・築島裕著」から抜粋して、次にあげてみる。 国字(和字・倭字)として新たに「創作・製作」したモノ 俣(また)=イ+口+天(二人)・・・・・真侘・・・・・・・・・亦・股・又 俤(おもかげ)=イ+弟(八弓ノ丨)・・・主影・主陰・将模化解・面影 働(はたらく)=イ+重+力・・・葉多羅句・圃絡・・・・機楽 凩(こがらし)=几+木(十八)・・・子臥裸支・・・・・・・木枯 峠(とうげ)=山+上+下・・・・途有解・・・・・・・・登得下 噺(はなし)=口+辛(立十)+斤・・・・葉名詞・・・・・・・・話・離し・放し 榊(さかき)=木+ネ+申・・・・逆木(鬼)・坂城・坂解 毟(むしる)=少+毛・・・・武知・六史留・無視流・無私流 畑(はた)=火+田・・・・・把他 躾(しつけ)=身+羊+大・・・・史柘懸・室懸・詞付け・仕付 辷(すべる)・・・・州邊留・諏経留・・・・滑る・統べる 颪(おろし)=下+几+虫・・・・夫路史・・・・・・・・卸・下ろし・降ろし 鱈(たら)=魚(刀田光)+雪(雨ヨ)・・・・・他羅・侘羅・多螺 鴫(しぎ)=田+鳥・・・・・私儀・市議・私議・仕儀・思議 麿(まろ)=广+林+呂・・・・・麻呂・真濾 杢(もく)=木+エ・・・・・木(キ=姫・鬼・記)・目(メ=女)・黙(唖)・匠・巫 西洋科学の輸入により、漢字を新に作ってあてたモノ 鋲(びょう)・・・・秒・病・平・錨・苗・廟・描・猫 腺(せん)・・・・・先・船・線・占・選・專・撰・仙・千・栓・旋・潜・戦・ 繊・洗・染・泉・宣・川・銭・鮮・詮・揃・扇・羨・践・ 蝉・釧・尖・栴・煎・亘・茜・苫・閃・銑・賎・浅・薦・ 煽・穿・箭・舛・筅・筅・喘・餞・箋 漢字の本来の意味を日本独自な意味に転用したモノ 偲(しのぶ)=イ+田+心・・史の武・篠武・支の部・氏の部・始乃部・詩の部 =忍(刃+心)・・トウ(唐)のココロ(箇々賂・胡虎賂) 掟(おきて)=手+定(ウ一ト人)・・将規・(弖)・麻来て・起きて 沖(おき)=水+中(口丨)・・・・・・・・・・・・・・壱岐・隠岐・「冲」 萩(はぎ)=艸+秋(禾火・穐=禾+亀)・・・葉議・・・・・・・矧・剥ぎ 鵺(ぬえ)=夜+鳥・・・濡江・・・・・・・縫え・奴衛・・・ヌエ=又+エ 漢字本来の原義から意味を転用したモノ 串(くし)=口+口+丨 唄(うた)=口+目+ハ 森(もり)=木+木+木 呆(あきれる)=口+木 淋(さびしい)=水+木+木 国語が多義に分化した為、訓によって意味が転じたモノ 預(あずかる)=予(マア)+頁(一ノ目八)・・・参与・・・寄託・・・・・編柘華(中華=支那)留 調(しらべる)=言+周・・・音調・・・点検・・・・・示羅経る・・・新羅経留 儲(もうける)=イ+言+者・・・設備・・・利益・・・・・模得懸留 砌(みぎり)=石+切(七刀)・・・・雨垂・・・時節・・・・・見切り・右理・診記裏(吏) これらの「国字=和字=数字=話字=噺事」を検討してみると「新たに製作」された理由が見えて来るだろう。すなわち、「製作」理由は、 「意図的=イ+ト+白+勹+ゝ
=仆フ・ホク・たおれる・伏す・くつがえる・ころすの「葉句点・白天」 =伊都テキ・異図テキ」 なもので、これらの漢字を「視る人々」に、その文脈や、特殊な文書から「裏のコトバ」を点滅させて、その意味を知らせているのである。これらの漢字はその造りを「分解」してみれば、更に明確になるハズであるのだが・・・ 「宛字」に関してもその理由無しには使用するハズがないのである。 「目出度(メデタク=目で足し)」は明らかに「宿曜経・円盤」に於ける「目盛りの度数=足」であり、音を懸けて「女出託(メデタク=目で足し)」は「卑弥呼」が「邪馬台連合の女王」となったことからであるし、「目」はエジプトの「ウジャトの眼」であり、「ホルス神の眼」である。いわゆる「ウジャトの眼が左右に並ぶ意味」は「日月」のことなのだが、この「ウジャトの眼」には「足」があるのだ。「めでたし」の意味は「ラテン・ギリシャ語」で「アベ」なのである。もちろん、「アベ・マリア」は「めでたし生長みち(盈)満ちている、聖母マリア」である。 「阿倍(あべ)」の「姓名(せいめい)」の源流は「随書(ズイショ=随所)」にある九州王朝の「阿毎(アマイ・アバイ・あべ)」であるが、「元明女帝」は「阿閇(アヘ・アヘイ)」、「孝謙・称徳女帝」は「阿倍」である。七夕の星祭りを宮中で催したのも「孝謙・称徳女帝」で、彼女の相棒は悪名たかき「道鏡」であった。 「兎角(トカク)」は「一般的には・・・トカク・・・である」の用法であるが、「兎(うさぎ)」に「角(つの)」は無いのであり、あるのは「長い耳」である。そして、ありもしない話や、真実味の無い「噂(うわさ)」の類に使用される言葉だが、「ウサギ」は「ワニ」を騙したり、「カメ」に負けたり、「三月」に狂ったり、「大国主の兄弟」に騙されたりで、「有(得)詐欺」で、その話は「古事記」では「重要な箇所」になっているが、その意味を解いた人物のハナシは未だに私は聞いたことが無い。 「兎(う・ト)=宇佐=卯=月」であり、「宇佐神宮」に「孝謙・称徳女帝」は「和気清麻侶」を派遣して彼に裏切られたことは「日本書紀」にもある。彼女は憤怒して「清麻侶」を「汚麻侶」にしてしまった。 「呉呉(クレグレ)」は「クレグレも・・・しないように」での用法であるが、「呉(ゴ・ウ)」に重なって、荷担しないことの「諭し=喩し」である。誰が「喩した」のか? ・・・「中国三国志(魏・呉・蜀)時代」の「卑弥呼」と「卑弥呼の宗女」である「壱与」だ。 「春秋戦国時代の呉・越」で、「呉王=夫差」、「越王=句践」を諭し尽くしたのは両国の参謀・大臣達であるが・・・呉国は「孫子(孫武)」と「楚国」出身の「伍子胥(ゴシショ)」であり、越国は「范蠡(ハンレイ)」と「大夫種(タイフショウ)」であった。「伍子胥(ゴシショ)」は「夏国は妹喜、殷(商)国は妲己、西周国は褒似(女以)」によって滅びたことを「呉王」に諭し、「傾国=傾城=女」に陥らないように警告したのだが、イカンセン、「范蠡」の策謀によって贈られた美女、「西施」に陥って自国を滅ぼしてしまったのである。 「クレ(句例・貢禮)グレ(愚例・虞例・具禮)もオンナ(音名)には注意セヨ」である。 「七夕の星祭り」を宮中で催したのが「孝謙・称徳女帝」であるなら、「クレグレ=暮れぐれ」の「ボンヤリした黄昏=申の刻・酉の刻」に注意を促しているのだ。「煩鑓(ボンやり・鑓は国字で熟語は水鑓=みずやり)」=「火頁金遣」=「ヒのケツ、キムのツカイ(柘本・変化・意味)」、「ヒのページ、金の派遣」かも。 「丁度」は「ちょうど・・・で、ピッタンコに合う」の用法で、背丈や大きさ、意味の合致するに使用し、「丁(チョウ=長、調・テイ=帝、綴・ひノと=ヒの渡・都・兎・斗)の度(ド・たび)数」で、「丁卯・丁丑・丁亥・丁酉・丁未・丁巳」を「調度」することを促しているのだ。 「丁」に類字する英語の「T」、ギリシャ語の「T」、「天秤座」は、もちろんのコト、古代エジプト「アニのパピルス」、「死者の書」に描かれている「天秤の絵文字」も、「分量を計測する器械」を意味するのだ。「罪の軽重の有無」、「薬の混合分量」をハカる「スケール」である。「おもり(重・錘)」は「毛」である。もちろん、「長短を測るモノ」は「メジャー(measure・巻き尺)」、「ナワ・ヒモ」で、「L」の「曲尺かねじゃく・キョクシャク・まがりじゃくの物差し」で、「円周を測るモノ」は「コンパス・ぶんまわし」で「V・Λ」である。「度量単位のメートル法」の「g(グラム)」、「m(ミリ)」とは「フランス」が定めて「国際化」したものだが、イツのことかネッ?・・・まさか「712年」ではないよな。英語の「Mete・Meter」やツイデに「medium」、「method」、「Metathesis」、「mes・mess」、「message」、「met」等の関連単語を詳しく調べてみろ、である。「メゾ(mezzo)」、「メチエ(metier)」、「メッカ(Mecca)」、「メシア(Messiah)」も発見したかな。「メッチエン(Madchen)」はドイツ語で「少女・乙女」であるナ。「めどぎ・めどはぎ(蓍=艸+老+日)」とは「占いの筮竹」であった。「T+M」、「T×M」から色っぽい「凸+凹」、「陽陰」、「+-」をイメージ直観できるヒトは「H」である。「T.M」とは「trench mortar(迫撃砲)」、「true mean(真平均)」・・・「T-man」とは「税取り役人」である。「tmesis」とは「分語法」である。 「丁(ヒのト=火の弟)」は「妃・一・比・日・氷・卑・干・肥・皮」の「都・土・斗・図・音」である。 「天文・占い(淵海子平)」では「丁(チョウ・テイ・ひノと)」の「卯・亥・未」は「三合会局・『木』」であり、「丁(チョウ・テイ・ひノと)」の「丑・酉・巳」は「三合会局・『金』」の「正三角形」の結合である。 「呑氣(のんき)」は「のむき」で、「野(廼・之・乃・埜)牟喜」で、「牛の鳴き声」だろう。しかも「牟(ボウ・牛の瞳)=ム牛」で、「ヨコシマのウシ」が「ワ」をかいてゆっくりと「西」から進むのだ。 もちろん、 天照大御神=テン・テル・ダイ・オン・ジン =テン・ショウ・ダイ・ゴ・シン 添 書 宇 内 誤 審・・・宇佐神宮神託事件 添 書 迂 醍 醐 臣・・・後醍醐天皇勅書をふれた臣 添 書 得 大 子 臣・・・(聖徳)太子の臣、小野妹子 典 書 有 載 悟 信・・・新約聖書、載悟信 転 書 胡 他意 誤 診・・・西洋書籍の転書翻訳の間違い 顛 書 呉 載 娯 診・・・美女「西施」 手六 処 羽 替 語 振・・・守、陸奥、奥羽、 天 書 得 岱 護 身・・・藤原鎌足、不比等 出武 書 拿異 后 辰・・・持統女帝、則天武后と劉仁軌 が、伊勢に落ち着くまでの「遷都」の「旅」であり、「ギリシャ神話」の「エジプト」にたどり着いた「白牛のイヨ」のはなしでもある。 築島裕先生は「万葉仮名」の「用法は複雑」で、その「万葉かな漢字で表現された国語の意味と、漢字本来の意味とは無関係」である、と、おっしゃっているが、これに関してはいままでクサるほど展開してきた私の考えと異なるのだが。 「複雑」なのは「謎掛けの遊び」がその作られた「文章・文句・文字・漢字」に「意図的に多重」に込められているからだ。読み手にはそれらの「前提」が同じレベルとしてあらねばならない。すなわち、これらの「知識・教養」が「相互」的に前提となっているのだ。よっぽどの「暇人」でなければこれらの「知識の積み重ね」は無理と云うものだが、時間がある人間とは「国家的財政」、あるいは「私的財閥」に支えられた「坊主」か、「公家」の類である。 「運命共同体」を支えるモノとしての「秘密」の「知識・技術」が時として欠落するのが歴史でもある。 偏旁冠脚(ヘンボウカンキャク)・・・垂繞構(スイニョ ウコウ) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓↓↓ 変 貌 閑 却 水 尿 光 変 貌 観 客 酔 如(女) 宇高 諏意爾与 有虎羽 漢字の「造作部分」をこのように云うのであるが、 漢字部分 訓み ↓ ↓ 偏(ヘン)・・左部分・・・かたよる・かたむく・かたわら・かたかた・ かたがわ・はし・ひとつ・ひとり・たぐい・ ともがら・くみ・ひとえに・いちずに・ひたすら・ あまねし・ひるがえる 旁(ボウ)・・右部分・・・かたわら・かたはら・わきそば・ほとり・あまねし ひろい・あまねく・かたよる・つくり・そば・ かたがた・つでに・がてら・かねて 冠(カン)・・上部分・・・かんむり・かむり・とさか 脚(キャク)・下部分・・・あし・すね・はぎ・もと・すそ 垂(スイ)・・冠となって上から左に垂れる部分 ・・・・・・・・たれる・たれさがる・したたる・たらしさげる・ したたらせる・のこす・つたえる・しめす・ あらわす・たらす・ほとり・かたほとり・はし・ ふち・なんなんとす・なりなんとす・しげる・たる 繞(ニョウ)・脚でありながら左から右へかかる部分 ・・・・・・・・まつわる・めぐる 構(コウ)・・四方から囲む部分、あるいは上下左右のいずれかを欠き囲む部分 ・・・・・・・・かまえる・こじつける・しいる・むすぶ・あわせる かじ・かぞ・こうぞ・かまう・かかわる・つくり・ しくみ・かまい・せわ・ほねおり・さわり・ さしつかえ 同音異字を採れば 「変貌閑却」、「変貌観客」で、「水尿光」は「小便」であり「小便=ポ(ン)イション(宝飯庶務・本書六・本書武・品書鵡)」。 「小便=ポンション=八・人更(頗地を釣る人は沙羅)」は蝦夷地のアイヌ人が子供に付ける名前である。 「酔如(女)宇高」は宇宙空間を見上げた時に酔ったようにクラクラっとメマイがするのか、ヨッタ女は得(ウ・エ・有)の熊である。撰(選)ったのは云わずと知れた「山幸彦」の妻、「鰐(ワニ)族」の「豊玉毘賣」の妹、「玉(珠)依毘賣(姫)」だが・・・。 「山幸彦」と「豊玉毘賣」の子供が、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合」であり、その子供と「玉(珠)依毘賣(姫)」が結婚して生まれたのが「神倭伊波禮毘古」の「神武天皇」である。 「言葉の名の美を限って立てればウ賀の家、付記会えず」なのである。 彼、「神武天皇」は「叔母」と「甥」の関係から生まれたのだ。 ここは「皇極=斉明天皇」の「夫」との関係、「天智・天武」の女性関係、「持統女帝」の「男」、「甥」の関係、さらには「天台宗開祖」の「最澄」とその「弟子」達の経歴を調べてみる価値はあるだろう・・・「円珍」、「円仁」の。 「叔母」と「甥」の関係を、である。 ところで、「偏旁冠脚(ヘンボウカンキャク)」、「垂繞構(スイニョウコウ)」の日本語での「訓」だが、ここでは「訓よみ」の「意味」を採らないで「音」を採るのである。何度も「くどい」ことを云うようだが「句問い」なのだ。 例えば、「偏(ヘン)」は「かたよる・かたむく・かたわら・かたかた・かたがわ・はし・ひとつ・ひとり・たぐい・ともがら・くみ・ひとえに・いちずに・ひたすら・あまねし・ひるがえる」と漢和辞典にあるが、原則的に一字、一音で、漢字を宛てて、「他の意味の言葉に置き換えていく」のだ。 かたよる=偏る・・・方選る・方因る・片寄る・・・化他与留 かたむく=傾く・・・・・・・・・・・・・・・・・過多剥 かたわら=傍ら・・・形藁・片稿・・・・・・・・・掛侘倭(話)羅(拉) かたかた=方々・・・花多形(片)・・・・・・・・嫁(珈)侘科詫 かたがわ=片側・・・潟川(河)・・・・・・・・・化他賀倭・加多賀話 はし =端・・・・箸・梯・橋・・・・・・・・・葉詞・把史・巴支 ひとつ =一つ・・・・・・・・・・・・・・・・・卑都柘 ひとり =一人=独り・・・・・・・・・・・・・・妃採り・日取り・飛鳥 たぐい =類・・・・田咋・・・・・・・・・・・・多愚意・他虞移・多具意 ともがら=輩・・・・供我等・・・・・・・・・・・採模画羅・智臥羅 くみ =組・・・・久美・汲み・酌み・・・・・・句診 ひとえに=偏に・・・一重に・単に・・・・・・・・秘問え似 いちずに=一途に・・壱頭尼・市図似・位地逗迩・・位置図似 ひたすら=只管・・・日田州羅・肥田素羅・飛騨諏羅・稗田諏螺 あまねし=普し=遍し・尼子史・海女禰姉・・・・・海部子史・天子詞 ひるがえる=翻る・・昼代える・蒜買える・蛭蛙・・干留化枝留 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓ 秘留科重流 ↓↓↓↓↓サン かえる ↓ ↓↓↓↓↓三 かえる ↓ チュウダイ シチかえる=七かえる 注 替=中代 「かたわら=化他話拉」ならば、「拉(ラ・ラツ・ロウ)」の訓は「くじく・くだく・ひしぐ・ひっぱる・ひっぱってつれていく」である。これを踏まえて、私が翻訳すれば「化他話拉」は「他の話を引っ張って変化させる」である。 「拉致」と云えば「金大中拉致事件」であるが、「根台注拉致」、「古武替衷拉致」、「金弟沖(瀛)拉致」ならば歴史の類似性には驚きだが。「日本書紀・持統天皇九年三月(695)・・・新羅の王子、来朝、国政を奏請する」・・・新羅皇子とは誰か?・・・・「金良琳(麻)」、「金周漢」、「金忠仙」・・・字面からすれば「金忠仙」の可能性が大である・・・が。 「かたわら=過多倭・・歌多話・」の「ラ(【ラ】)」は「うれしげにみる・詳しい・ついで(序)」であり、「(ラ)縷(ル)」は「詳しく細かい」である。とうぜん、「序文」と云えば「古事記・序文」である。そして、「等(ら・ひとしい・など・トウ羅・比都市意・名努・唐、島、当)」である。 「築島裕」先生は著書の中で「万葉仮名」に宛てられる「漢字」の「音」を詳しく述べられているので、これを参考にすればいいだろう・・・だが「万葉仮名」の「音」は「言葉の『名=音』の美を限って立てればウ賀の家、付記会えず」なのである・・・「多用、多様、他用にカンジをヨム」ことが鍵である・・・と思うのだが・・・サテな。 「毘賣=ひめ=姫(キ)・媛(エン)・秘(ヒ)」は「田(口十)比士网目人=多比の誌は盲目の人=クニ(クチ)を重ねて比べ、詞の編み目を匙で斗」すれ、である。キ・エン・ヒ・・・鬼・猿(縁)・罷(火熊)・・・気炎比・機縁妃・奇縁比。 「毘(ビ)」は「中央」であり、「毘=田比(たひ・たい)=囗十(壱拾)比(卜一匕)=くに・が・まえ、の・イチを重ね拾う(披露)えば、ボク(睦)のメス(女州)」であり、「賣(バイ)」は「賣(うり・バイ・め)=ウ里・場伊(婆委)・女=士(十一・壱拾壱)・网(まき・がまえ・二つのメ)・目・人」である。 「玉依毘賣」は「タマ」の「売買」によっていた女性であるかも。「古詩・古史・腰・越・『輿=地名』」を考えれば「球磨の玉名」か「相模の埼玉」である・・・九州(キュウシュウ=球州・急襲・吸収・旧習)の地で、「吸収」したのは「越国(越前・越中・越後)」近辺で、戦国時代は「上杉家」で、江戸時代は「加賀・前田家」である。 さて、「築島裕」先生の著書「国語学」には「方言」の章もあるが、方言は「記録」されたものが少なく、「記録」されているモノはその言葉の変遷があれ、ほとんどがその時代の「支配階級=知識人」に属する言葉である、と云うコトである。下じもの「コトバ」は「混沌・混乱」していたハズだ。私が現在住んでいる愛知県の範囲の中でも同じ意味する異なった「語彙(呂)」は区域によって数多くある。 私が「日本語の語源」、「古事記」編纂時代の「日本語」が「ギリシャ語」に重なるのではないかと云うのは「単語・名詞」の「音」に限ってである。 いわば、「当時の倭の地に入ってきた外来語」である。古代に伝播された当時は「外来語」であった。コレをいまや「無意識」にその「本来の意味」から若干ズレてしまった「日本語」として、その「音」を使用しているのだ。当時、七〇〇年から八〇〇年代にかけて「漢字で記録」された「日本語」は「古事記」、「万葉集」、「風土記」、「日本書紀」等である。中国は「唐代」であった。その都、「長安」は世界最大の国際都市であったのだ。キリスト教の一派、「ネストリウス=景教」の教会もこの地では盛大であった。室町末期から江戸幕府初期には「吉利支丹・切支丹(キリシタン)」と呼ばれた信者の「耶蘇教・天主教」であった。その「旧・新の聖書」の「経典=原典」は「拉丁・羅甸(ラテン)語」か「希臘(ギリシャ)語」で記録されていた「バイブル=聖書」である。「ユダヤ」人が信奉する「旧約聖書」の原書は「猶太(ユダヤ)語」で、この漢字をみれば「猶(狗+八+酉)太(一人丶)」である。「委ねる」とは一体全体、ドコの言葉なのか・・・ ユダヤ人は現在、「Israel(イスラエル)」人と呼ばれるが、一般的には英語で「Judea」であり、「ジューリシュ」、俗に「ジュー」と呼ばれている。音を採れば、漢字では「十」である。 「X」は「ナナメにした十」であり、「十(壱拾)」はギリシャ語では「デカ」と発音し、荒木英世氏の著書によればアルファベットでは「X(ヒ・カイ)」で、「子音では咽の奥からでるx(ハ)」である。「十」も「X」も「木の棒を重ねた象徴の文字」で、「占い」を意味する。日本語では「十(とう・とお)」である。「トウ」と「発音」される「漢字」を漢和辞典でスベて調べれば「古事記」の編者が「何」を云いたいのか「理解(カタラヴェノ)」されるであろう。「タロットカードの塔」は「ヴァベルの塔(NO.16)」で、「言語の混乱」の意味である。 「ラテン語」は漢字で一般的に「拉丁語」と書かれているのだ。これは「拉致」の「拉(ラ)」である。他には「拉典」、「臘(蝋)丁」、「羅甸」とも記された。「希臘(キロウ・キラフ)」は「ギリシャ」である。 「古事記・編集者」なら「ラテン語」を「羅天護」、「裸纏娯」、「螺(にし・西施)諦務娯」、「・点語」としたい「筈」だが・・・コレは「私自身」のコトではあるナッ。 私は、これらの「外来語・文化」を「漢字」を媒介にして再確認しているのに過ぎない。だから、日本に渡来してきた「知識人」が「エジプト」、「ギリシャ」、「ローマ」、「中国」、「西方諸国=中央アジア」や「印度諸国」の「言語文化」の「ある名詞・単語」、「ある物語」を「拉致」したモノが「古事記」や「万葉集」の中に多数存在するということだけではあるが、余りにもイト的なのではないかと推理するのだ。 目だって、「中国(シナ・支那・中華)=唐(カラ)」、「印度(インド)=天竺(テンジク)」、「日本(やまと・倭・大和)=本朝」と云うが、朝鮮半島の「古代新羅の文化」は「黒海沿岸」の影響を色濃く有していた(美術史家、由水常雄氏のガラス文化の研究)。ギリシャ・ローマ文化である。沖縄諸島の「古代琉球の文化」は三国時代の「南支那」、「呉」や「越南(ベトナム)」の影響が強かった・・・最近では海底に巨大遺跡が発見されている・・・影響の強弱の度合の主導権は時代区分にあり、「相互関係で影響しあった」のだ・・・フランス言語学(?)の加持氏の研究によれば、かっての古代流通の貨幣は琉球産の「貝」であったらしい・・・「文化=経済としての『中華=中家=紐化=昼日=冲化=衷加=柱化=註価=注禍=虫禍(虫蚊・虻=阿武=則天武后=唐周の女帝)=忠化=駐禍』」はその場所を、「即、転部行」して「移動」するのである。 現在に増しても古代にも世界的に民族の流動、移動が歴史的にあったことを踏まえれば当然である。そして、「古事記」の「編纂者」は特に、「天体の言葉=天文学=天文占い=古代シュメール神話=エジプト神話=ギリシャ神話=インド神話=中国干支暦」に重奏的に「同音・同類」のコトバを「日本語として形成させ関連させていった」と、私は考えるのであるが・・・「七面倒」クサクて、「七面当」、「七面鳥」の「顔の変化」ナリ、ではあるヨナっ。なるほど、「雪之丞変化」は「変装の名人」である。