「日本語の世界」(1~2)
トリトン・・・「鳥遁」・・・「天の鳥船」・・・
「鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)」
「天磐橡樟船(あまのいわくすふね)」
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「古事記」 葦原中国平定(古事記) 「天鳥船」神が 「建御雷(タケミカヅチ・タケミカヅチノオ)」神の 副使として 「葦原中国(あしはらノなかつくに)」に派遣 「事代主」神への派遣使者 「事代主(ジダイシュ)=ことしろぬし =言代主(ゲンダイシュ)」神 別名 「八重言代主」=「やえことしろぬし」=「八重事代主」 =「ハチジュウゲンダイシュ」 「八重事代主」=「ハチジュウジダイシュ」 ↓↑ 「日本書紀」 「稲背脛」が・・・伊奈西波岐(いなせはぎ) 伊奈西波岐神社(いなせはぎじんじゃ) 「事代主」神に派遣 「稲背脛」は「熊野諸手船」=「天鴿(合鳥)船」 鴿=はと・ゴウ=鳩・鵤 斑鳩(いかるが) 「熊野諸手(くまのもろて)船」は 「美保神社の諸手船神事の元」 ↓↑ イザナギ・イザナミが産んだ 「蛭児(ひるこ)」を 「鳥磐櫲樟=とりのいわくすふね=鳥之石楠」船 に乗せて流した(日本書紀) 「蛭子(ひるこ)」は 「葦船(あしぶね)」で流した(古事記) ↓↑ 「日本書紀・神武天皇=磐余(いわれ)毘古」で 「饒速日(にぎはやし・ジョウソク)命、 ・饒(ゆたか・ジョウ・ニョウ) 天磐船(あめのいわふね・テンバンセン)に乗りて、 太虚(おほぞら・タイキョ)を 翔(めぐり・ショウ)行きて、 是(こ・ゼ)の 郷(くに・キョウ)を 睨(おせ・にらむ・ゲイ)りて 降(あまくだ・コウ)りたまふ」 「先代旧事本紀」には
「饒速日尊が天磐船で大和に天下った」と記述
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「日本語の世界」(1) このタイトル、「日本語の世界」と云う本は、「言語学の大家(?)」である「大野 晋」先生の著書で、やはり名古屋の上前津の地下鉄の側にある古本屋で五百円で買ったモノである。定価は千八百円とあった。発行は「中央公論社」で昭和五十五年九月二十五日となっていた。この本も「日本語」を知る上では一読する価値のあるものだ。さすがに「一流の学者の勉強法」と云うものは「別なイミ」で凄いなと思うのである。私が云うのも不遜であるが、もし、あなたもチャンスがあるならば是非、公共無料の図書館での一読を薦めたい。 ・・・先生の研究は日本人の言語がインド東南部の「ドラヴィダ系語族」の「タミール族の言語」に「文法的」にも「語彙的」にも、その発生源があるのではないか、との論なのである・・・なるほど、「多診る語」で、「他診る語」ではあるな。私はその前段階は「ギリシャ」、「トルコ」、「インド」、「東南アジア」、「中国東沿岸」、「台湾・沖縄列島」経由の「イモ洗い混合言語」ではないのか、と考えているのだが・・・もっと初源を云うなら「エジプト=『埃及』=Egypt=Αιγυπτοs(エギプトス)」に違いない・・・だが、「現漢字使用の『現存・古事記』」の「作成年代」はどうかナ?・・・と・・・もちろん、「源・古事記」は「別なモノ」として存在していたには違いない・・・「古事記」研究家大和岩雄氏の説が詳しいのだが・・・イロンもある。 先生の「ヤムイモ文明論」も感心するし、「日本の東西文明論」も「致密(?)」で「納得性(?)」のあるものだが・・・「やむいも」ではあるな。現在的に世界的に凄い影響力を有している「日本」であるのに、どうやら「学者達」は「日本列島」からの各時代的な「文化波及・言語的語源波及」は考えたくないらしい。各時代の日本列島は吹き溜まった地理的場所だけではなかっただろうに・・・「現存・古事記」の問題は複雑である。 エジプト・紀元前1450年頃と言われる「セン・ネフェル墳墓」内を撮影した写真を見ると両サイドに「マントヒヒ」、その中央に「蛇が縁どり巻いた円、その中は赤いモノ(太陽)」を頭上に載せた「ホルス神」、その神が「船首に鳥のとまっている舟」の上に乗っている絵がある。 「ホルス神」とは「太陽神・オシリス(Wsjr=ウシール)」が「弟」の「セト」に殺され、死後の世界で「妹」の「大地母神・イシス」と結ばれて生まれた「太陽神・オシリス」自身の「再生=蘇生=甦生」された存在と言われている。 複雑だが、これは「弟」の「須佐之男」の乱暴に怒った「天照大御神」の「岩戸隠れ」、そして「再生、蘇(よみがえ)り」の物語と重なっている。しかもこれは「猿田彦」の後を嗣いだ「宇受女=猿女」がダブッている。強いて云えば、「卑弥呼=鬼道・軌道」の「祇=死・支」と、その後、「帯方郡・張政=黄道・張宿」に助けられて「卑弥呼の座=鬼宿」を嗣いだ「宗女・十三歳の壱与=柳宿=姫(黄帝=軒轅氏の姓)=媛=猿女」の話に重なっているのだ。「兄弟・姉妹」の呼び方だが、大野晋先生の本から抜粋し、「陽陰(ヨウイン)=+-=兄弟(えおと)」を加え参考に掲げておく。 古代での兄弟姉妹の呼称 「兄(え・陽)→呼称←弟(おと・と・陰)」←呼称←「姉妹(いも)」 「姉(え・陽)→呼称←妹(おと・と・陰)」←呼称←「兄弟(せ )」 奈良時代での夫婦の呼称 「男(せ )→←女(いも)」 「女(いも)→←男(せ )」 現代での兄弟姉妹の呼称 「兄(あに)→呼称←弟(おとうと)・妹(いもうと)」 「姉(あね)→呼称←妹(いもうと)・弟(おとうと)」 エジプト神話の兄弟姉妹の近親相姦 人物名の漢字変換 ↓ ↓ よみがえる=読み替える オシリス(兄・え)死後蘇(甦)る 牡尻州(鴛浬洲・尾尻州) ウシール ↓ 黄泉帰る 牛移留(卯支位留) ↓ ↓ (烏死移流) 兄を殺す 牛土屍九素 ↑ 兄と妹の子供 セト (弟=瀬戸=背妬) ホルス(子供) 掘州(補留州・彫州) (せ・おと) ↓ セトに殺される ↓ 北+月+女+石 手(氏一・弖・又)屍出蘇 出=山々=3×3=9 イシス (妹・いも)=女+未=(巫日辻) 石州(医師素・遺志棲)=石出 (母=ぼ・戊・暮・墓=も=喪・毛・模) ↓ 兄オシリスと冥界で結婚 一ノ口川ゝゝゝ(点・天) 兄の分身甦生としての ↓ 子供ホルスを産む 石=岩=磐=巖 ↓ 蛮素=磐素=盤措=晩姐=幡祖 ↓ 磐余=神武天皇 「兄弟姉妹」のコトバの関係を「オシリス(ウシール)」→兄妹←「イシス」→姉弟←「セト」と出生順番の二番手に「イシス=女」を措けば、「兄弟姉妹」の四漢字は三人の「長男+女+次男」でスベテ使用されて当てはまる。次男「セト」に殺された長男「オシリス」は、冥界で妹「イシス」と結婚し、現世で蘇生されて「ホルス=オシリス」として誕生する。「ホルス」の誕生で「兄弟姉妹」の関係は「夫婦(兄妹)=両親(父母)」とその子供(ホルス)、「伯父(兄)・叔父(弟)」と「甥(ホルス)」、「叔母(妹)」と「甥(ホルス)」の関係になってしまう。「甥」は「生=牛一」+「男=田力」との合字であるが、これをヨメば「ウシのハジメはタジカラ」である。「古事記・日本書紀」では「岩戸隠れの磐」をコジ開けたのは「タジカラの命」であった。そして世の中が明るくなったワケだ。ここはスベテのカタカナに同音異字漢字を当てて診て欲しい。「イシス」を中心にすれば「セト」に肉体ニクタイ・ジクタイ=字句他意をバラバラにされた「ホルス(息子)=オシリス(夫)」の「蘇生(甦生)」をした「女医(母親)=巫女(妻)」であった。このハナシは「大国主の母親」と重なっているのだ。ところで「姪(めい)」もいたハズだが漢字分解では「姪=女+至(一+ム+十+一)おんな+いたる(ハジメのヨコシマ、トウのハジメ)」であるのだが。 兄弟(キョウダイ)殺しは「バイブル(聖書)」では「カイン」である。そして、この「エジプト神話」と「古事記」の「兄弟・姉妹」の「筋としての話」は同類である。 近親相姦の話は「バイブル・創世記・父親のロトとその二人の娘」にも似たような話がある。「古事記」では「木梨の『軽』皇子」と同母妹の「衣通王」の関係(奸=たわけ・よこしま)が有名なのであるが・・・「卑弥呼」と「壱與」の「話」や、「持統天皇」と「姉の太田皇女」の「話」は「殺しの話」はないが(?)、この二人の子供の「草壁皇子」、「大津皇子」の関係をみれば「母親である姉妹の確執」である。「天智(兄?)」、「額田王」、「天武(弟?)」の関係は「大和三山」の歌にも掛けられて有名である。「額田王」は「万葉集のウタ」では「薬草栽培園(シメ野)」にも関係していたらしいから「女医=巫女」で「イシス」にも重なる。 「セト(弟)」の「オシリス(兄)」殺しに関連させてもう少し云えば「同族相殺」は「古代・天皇家」だけではなく、「どの時代の古代国家」も「王権」を握る為、「血縁者同士の権力闘争」は「宿命」であった。そして「武家の世界」でも。その裏には決って「女同士=母親同士=妻妾同士」の「確執」が存在する。古代から現代まで「アジア社会」が、「西欧社会」が、「中東社会」が、「アフリカ社会」がどんなに「男性社会としての理念」を据えても「母親の実権」は現実である。理由は簡単で、すべての「動物社会の牝」は最初から「生まれてくるだろう存在者の臍の緒」を握っており、「命を産み、育み」、その自ら産み出したモノに多大な影響力を有するからだ。 ・・・「犯罪の裏(陰)に女あり」とは「ヨコシマな『あみ・モウ』の『うら・リ』に『おんな・ジョ』あり」であるのだ。「女(音名・恩納=因+心+糸+内)」とは特に「娘・嬢・むすめ・婦人・夫人」のことであるのだが・・・「娘々=ニャンニャン」、「嬢々=ジョウジョウ」、「フジン」とはね。 「いも」だが・・・古語辞典には「妹背山婦女庭訓(いもせ・やま・をんな・ていきん)」は「近松判二らの合作の浄瑠璃。時代物。五段。明和八年(1771)、大阪『竹本座』初演。『中臣鎌足』が『蘇我入鹿』を滅ぼすことを主題に種々の情事をしくんだもの」、とある。 他に「いもせ」は、 妹背・・・・「いも」と呼び、「せ」と呼ぶ間柄。親しい男女の関係。夫婦。 兄と妹、姉と弟。「妹背鳥」は「つつ」、「鶺鴒(セキレイ)」 妹背仲・・・夫婦仲。恋仲。 妹背結び・・夫婦の縁を結ぶこと。結婚。 妹背の山・・和歌山県伊都郡かつらぎ町。紀ノ川を挟み北に背山、南に妹山。 妻恋いの歌が多くよまれた。奈良県の吉野川を隔てて両側にある 山。西岸に背山、東岸に妹山がある。 と、ある。 「夫婦(めおと=女音=女声=女乙=女己=女語=女娯=愛児=目音)」は、「パチくり」、 「夫婦=二人女帚(ほうき・はく・ははき・ソウ・サウ・シュウ・シウ=ヨ〈彑・互〉一巾) ジニン・ジョソウ=(自任・自認・辞任)・(女装・助走・序奏・除草) =フタリ(蓋理・釜足=鎌足)の オンナ(音名・ジョ・汝 助 序 叙 所 鋤 処) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 汝を助けるのは序文に叙述する所である ソウジ〈掃除・相似〉=ツギのヒトのオンナはハク =フウフ=普ウ府=賦ウ敷」 である。「ウ」は云うまでもなく「得」で、「ウ・う」は 「烏・卯・鵜・・・迂・有・芋・宇・雨・羽・右・胡・兎・・菟・呉・武・黄・于・竿・・・・」等々で、ワープロにない漢字の組合せで、漢和辞典には「う」は、 「(秋+鳥)=シュウ・シウ・シュ・う・しまつどり
=水鳥の名。青黄色で鶴に 似て足が長い。中国南方の湖水にすみ、魚を常食とする貪欲な鳥。 禿秋(トクシュウ)、扶老(フロウ)とも呼ばれている」 「(茲+鳥)=シ・ジ・う・しまつどり・かわう =(茲+鳥)・(此+鳥)・(慈+鳥)と同字」 と、ある。 「鵜(ロ・う・しまつどり)」も同じ「う」と訓じらているが「漢音」は異なっており意味も少し違う。「盧+鳥」は「鴨に似て黒く、のどは白い。水にくぐって魚を捕らえることが巧み」とあり、国語では「鵜(テイ・ダイ・う・ガランチョウ)」と同じとある。これらの漢字は「a(x+y+z+w)=う」で、その意味は「a=鳥」で、「x=秋」、「y=茲」、「z=盧」、「w=弟」である。すなわち、歴史的な各々の「鳥(チョウ=長=重)」は、「秋」、「茲・此・慈」、「盧(類字は廬=广+虍+田+皿)」、「弟」である、と云うことだ。これらの「漢字」のすべての「音」を採って調べてもらいたい。きっと、その意味するところが・・・あなたならワカルだろう・・・ さて、「妹(いも=女)・背(せ=男)」で、「女未(羊・ひつじ)=音名は日辻」、「北月=記侘柘(津・都・晦)紀」、「北=八=捌」で、この「共通の意味」は「背反・分かれる」である。 何が「分かれるのか?」・・・ 「八月(はちがつ)=捌月(よりつき)=葉月(はげつ)=酉月(ユウゲツ)=鳥付(チョウフ)=禽槻(キンキ)=取り付き・・・とりつき・・・憑依・・・彪威・・・表意」で、 捌=ハツ ・・初・髪・鉢・溌・発・醗・撥・發・・・波津 ハチ ・・鉢・蜂・椀・・・・・・・・・・・・・・・・・頗津 ヘツ ・・・・・・・・・・・・・・・・経柘・・辺津・・偏柘・編柘 えぶり・・・枝ぶり・柄分理・重部理・江分理・・・絵歩理・娃舞履 さらえ・・・・・・・・・・・・・・・・・竹把・浚う・攫う・復習う やぶる・・・・・・・・・・・・・・・・・・破る・敗る うつ ・・・・打つ・伐つ・撃つ・討つ・欝・渦・宇津・宇受・宇土 おのれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・己 さばく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・裁く・砂漠・沙漠 わける・・分ける・湧ける・涌ける・沸ける・・・和気流・話掛留・訳留 の同音異字である「表裏・背反」、すなわち、「『表意文字=ヒエログリフ=神聖文字』の言葉を分ける」である。「八」の意味は、これである。そして、「ハチ(蜂)の巣分け」で、「ハ・チの諏訪家」だ。諏訪神社の祭神は「大国主」の子、「建御名方神」である。ここは、「懸音名方針(ケンオンメイホウシン)」、「たけ・おん・めい・ほう・かん」、「たてる・おん・な・ほう(かた)・しん(かみ)」とヨムのだ。すると、「庭訓(テイキン)」とは「ナニ」か?・・・もちろん、「庭訓(广廴壬言川)」で、「にわ=丹羽=二羽」を「よめ=嫁=読・讀・詠」で、「二の奥羽」。「まだれ・のぶ・みずのえ・いう・かわ=真誰・允・美津濃江(御津乃兄=壬)・云う・化話」である。 そして「テイ・キン=テイ・クン」の同音異字の懸けである・・・ テイキン 帝 欽(金欠) ↓ ↓ ↓ ↓ 帝 欽 (みかど)・(あくび・つつしむ・うやまう・たれる・かがむ) (すめらみこと=素女裸美娯妬・諏目羅巫都・洲女螺巳拠斗) 天皇ならば「第二十九代・欽明天皇」である。日本名は「天国排開広庭」である。 ここで「欽」は「あくび・つつしむ・うやまう・たれる・かがむ」と訓(よまれ)ているが、「意味」ではなく「音」で漢字を採れば、「あくび=亜句日=娃首=阿首=蛙首(月の頭=朔)」、「つつしむ=津都史武=都柘詞務」で、「筒支六」なら「つつ=鶺鴒(セキレイ」は「長い尾を上下に振る水辺に棲む鳥」で、別名が「いしたたき」である。ここで、「長」、「尾」、「鳥」、「水」がポイントで、「筒」も「長い空洞、中空のある円筒」である。「し=始・死・姿・姉・史・詞・施・誌・至・祇・子」で、「ろく=録・鹿・麓・漉・緑・肋・碌・六」である。「筒支六」を分解すれば、 竹同十又亠八=(チク・ドウ・ジュウ・ユウ・オン・ハ) 地区 道 重 酉 音 葉(波・羽) 知句 導 拾 夕 音 把 軽(車+又+十+一) ↓ 帝 軽 (みかど)・(かる・かろ・いやしむ・すばやい・わずか・キン・ケイ) テイケイ=綴型=定型=提携=定形 「軽(かる)」がつく天皇は「第三十六代・孝徳天皇」で、日本名は「天萬豊日=転萬豊肥=典満包皮」である。彼は「難波・長柄・豊碕宮」で「大化改新」を押し進めた中心人物である。 「かる」は「珂瑠」であるならば「第四十二代・文武天皇」である。日本名は「天之真宗祖父=典の真相の措辞(素地)」で、父は「草壁皇子」、母は「元明天皇」、祖父は「天武天皇」で祖母は「持統天皇」であった。そして、カルは「木梨の軽皇子」であり、「歌舞伎・忠臣蔵」の「おかる・かんぺい」の「おかる」である。あなたには「祇園」が何を意味しているのか、理解できるであろう・・・ギオンである・・そして、「手鏡」で「手紙(文)」を盗み見た「おかる」である・・・ ここでの「かる」を同音異字であげれば、 駆・・・馬+区 苅・・・日+下+メリ・・・・艸=日下 刈・・・メ+リ 借・・・イ+日+下+一+日 仮・・・イ+反 猟・・・豸+爪+几+十+一 穫・・・禾日下隹又・・・隹=旧鳥=古鳥=鴣(きじ)=鵲(かささぎ) 狩・・・獣+ウ+寸 獲・・・獣+日+下+隹+又 雁・・・厂+イ+隹 である。ここでの「かる」の共通項も「鳥」であるのだ。「鵠(くくひ・くぐい)の鳥」を見て「アギトイ(阿藝登比=安芸土肥=亜紀問)」と云ったのは「垂仁天皇」と「沙本毘賣」の子供、「唖」の「品牟都和氣(本牟智和氣)命」であった。「鵠(コク)」は「白鳥」であるが、「コクチョウ(國帳・國肇・國長・國調)」は「句句異・句具意・九九位=八拾壱」。 「軽=ケイ」ならば「鶏(ケイ)」で「にわとり」だ。
「雞=ケイ」の漢字は「都於邪靡堆、則、魏志所謂、邪馬臺者也」の
「隋書俀國(倭国)伝」の
「開皇二十年 俀王
姓 阿毎
字 多利思北孤
號 阿輩雞彌・・・あわきみ(や)?・・・アハイケイビ(ミ)
遣使詣闕」である。
「彌=ビ・ミ・や・いや・いよいよ・いよ・ひさ・ひさし・ひろ・ます・まね・み・みつ・や・やす・よし・わたり・わたる・端~ハシまで届く意から、A点からB点までの時間や距離」、「汎(洽・遍・普・徇・溥・徧・不偏・普遍・不変)=あまねし=汎」・・・「天音詞=あまねし=海人(海部・海女・贏・甘・雨・尼)」・・・
「ケイ」は 「継・形」で、
「ケイ」の同音異字漢字、同音異義漢字は
「競・刑・圭・兄・掛・計」である。
仏教では「迦楼羅・迦留羅」と云う「鳥」が存在する。 「軽=キン」ならば「禽(キン・とり)」で「猛禽類」は「鷹・鷲・鳶・隼・・」等の「トリ」である。もちろん、噺の筋は「白鳥」になった「ヤマトタケル(矢的・竹留=他家流)」である。ギリシャ神話では「白鳥」は「ゼウス(是碓=小碓)」の化身である。そしてアポロンの伝言の鳥は元々は「白いカラス(烏・鴉)」であった・・・伝言を間違えて「黒いカラス(烏・鴉)」にされたのである・・・ 少なくても「賢瑜」が
「写経」したとする「真福寺・本」の
「現存・古事記」、その作者は
「白鳥(キクノス=κυκνοs)」の正体を知っていたし、
「カラス(コラカス=κορακαs)」が
「美しい(カラス=καλοs)」であることも知っていた・・・のだ。
そして、
お城の「天守閣」、「瓦」の色は
「大坂城・西軍(外様大名)」が「黒」で、
「江戸城・東軍(親藩)」が「白」であり、
その有名なモノはスパイ映画、
「007(ジェームス・ポンド)」にも登場した「白鷺城」である。主役俳優が「ショーン・コネリー」だとは・・・「宿命」、「運命」、「輪廻応報(往訪)」なのか、どうなのか。この小説を書いた英国のスパイ作家は実際の「英国諜報部員」であったからして、「日本國の歴史」を勉強していたのではないのカナ・・・戦争に負けるとは「相手の情報が無いコト」に尽きるのだ。 迦楼羅・迦留羅・・・・・想像上の鳥。仏法守護八部衆の一。身体は人、頭部 は鷲、翼は金色、その長さは三百万里、口から火を 吹いて龍を捕って食らう。 別名が「金翅鳥(コンジチョウ)」 禽(八文凵ム冂)・・凵=かんがまえ・かんにょう ↓ ・・冂=まきがまえ・けいがまえ ↓ 帝 禽 (みかど)・(とり=たか・わし・とび=猛禽・猛鳥) ↓ 御門 「御門」がつく天皇は「第八十三代・『土御門』天皇」である。日本名は「為仁」、「行源」、「承久の乱」で流された場所をとって「土佐院」、「阿波院」とも呼ばれている。父は「後鳥羽天皇」であった。 テイクン 帝 君=天子・諸侯、卿、大夫・封号(武安君、県君) ↓ ↓ ↓ ↓ 鬼神の敬称・天、太陽、日 ↓ ↓ ↓ ↓ 帝(みかど・テイ)君(きみ・おっと・つま・おさ・かしら・つかさ・クン) ↓ クン=訓
↓ 帝(テイ) 訓(クン)=(おしえる・みちびく・いましめる・したがう・わけ 綴(テイ) 訓 よみ・くに・しる・とき・のり・みち)
綴(テイ) 訓(クン)=綴(つづ)り方のヨミ
これらの「クン(訓=言の川)」は「帝王が知るべき学問」であり、「帝王の欽定」である。 「禽」は「猛禽類」の「鳥」である。「木」が付けば「林檎(リンゴ)」の「檎」である。「鉢」は「頭蓋骨」で、「鉢兜(ハチ甲=八甲〈八甲田山と云う山が青森県に存在する〉)」で、「冠」でもある。漢和辞典には「鉢(ハチ)は呉音である」と記してある。 エジプトの「神々の頭に載せているモノ」をチャンスがあるなら「エジプト図鑑」を開いて、あなたの「眼」で確かめるとイイ。・・・ここでエジプトの神を「文明誕生(世界文明社・発行)」から抜粋して掲げておく。 アトゥム・・・・ヘリオポリスの太陽神。水神「ヌ・ヌン」の子供 アモン・・・・・テーベの最高神。「アメン」、「アモン・ラーとも呼ばれる」 プハタ・・・・・メンフィスの創造神。彫刻、「鍛冶屋の守護神」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・オシリス・・・・冥界の神。死んだ王と同一視される ・ 弟のセトに「セケルの沼地」で「溺死」させられた ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クヌム・・・・・ロクロを用いて世界と人間を創造した神 コンス・・・・・月神(ホンス)。病気治療の医療神 父アモンと母ムトと三位一座をなす セベク・・・・・ワニの頭を持つ男神 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・トト・・・・・・ジェフテイ。神々の書記。知恵の神 ・ 文字と暦の発明神(朱鷺・イビス鳥) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「トト」こそ問題の「神」であるのだ。彼は「イシス」と関係したことを「ホルス」に疑われ、「ホルス」は母親の「イシスの首を切り落としてしまう」のだ。そして、「トト」は首のない「イシス」に「牡牛の首を据え付けた」とも云われている。それ以来、「イシス」は「牡牛(トウラス・金牛宮)座」の守護神ともなった。「トウラス唐等洲・読等諏」である。ギリシャでは「金星」の「ヴィナス(♀)」が「守護星」である。「金姓」である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ホルス・・・・・王権の保護神(鷹) ・セト・・・・・・「ナカーダ」付近の「オンボス」の神。嵐の神 ・イシス・・・・・オシリスの妻でホルスの母。棺(ひつぎ)を守護する ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ネクベト・・・・・・上エジプトの守護神 ネフェテュス・・イシスの姉妹神。「棺(ひつぎ)」を守護し死者を悼む ハトホル・・・・・多神格の女神。王の乳母。信仰地はデンデラ ムト・・・・・・・・・カルナック大神殿の南「アシェル」の神。戦争の神 ヌト・・・・・・天空の女神・・・(濡都・奴土) ・・オシリス・イシス・ネフテュス・セト ゲブ・・・・・大地の男神・・・(下分・外部) シュー・・・・空気の男神・・・(主) ・・ヌト・ゲブ テフネ・・・・蒸気の女神・・・(出婦根・・譜音)・・・乞=水蒸気の略 アヌビス・・・・死者の番人。「金狼犬」 アピス・・・・・「聖牛神」。「メンフィス」の「セラピス」神殿の主語神 面 府威州 世羅比州=施羅秘州=背羅比素 女武怖葦洲 世=三十年間(撚鑑=捌巻)
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「日本語の世界」(2)
矢島文夫氏の「エジプトの神話(築摩書房・発行)」によれば、エジプトの「ヘリモポリス」は古代に「八」を意味する「フムン=シュムーン」と呼ばれたらしい。ここの神々は「八柱神」で「原初の水(ヌ・ヌン)」の守護神であった、とされている。 ・・・水が「ヌ」ならば「倭人伝」に記されている「・・・奴国」の「奴」ではないのか・・・片仮名そのものが「又(また)」の漢字である。 男神 女神 意味 同音漢字変換文字 ↓ ↓ ↓ 姿形 蛙頭 蛇頭 ↓ ↓ ↓ 男神・女神 ナウ・・・・ナウネト・・・・ 深淵・・・・・・(名得・名得音斗) フフ・・・・・ハウヘト・・・ 無限・・・・・・(譜符・葉得経賭) クク・・・・・カクウェト・・・暗黒・・・・・・(句句・架空干支) アムン・・・アマウネト・・不可視性・・(編武・亜真得音斗) これらの神々は後に「トト=ジェフティ(計測するものの意味)」神にとってかわれた。そして、姿は「朱鷺(トキ)」であるが、しばしば「サル(猿)=狒々・霏々」の姿であった(アニのパピルス)。・・・「サル」で「ヒヒ」である。 エジプトは「上エジプト」が「セト=葦(あし・よし・ロ)」で象徴され、「下エジプト」が「ホルス=藺草(ゐぐさ)」で象徴され、神殿の左右の門にこれらの「植物」は飾られたのである。
そして、「分裂」した時に大地の神「ゲブ」が他の「九柱の神」に上下エジプトの統一支配者を「ホルス」である、と宣言した、と矢島氏は記して紹介している。 まったく、好都合な音と組み合わせだ・・・
「セト」が「アシ」、
「ホルス」が「イグサ」・・・で、「ゲブ」。コレが偶然とは思えない。エジプト語、もう少し云えば「蜜蜂」は「ビト」と発音された。もちろん、ギリシャ以前の「メリサ」から「養蜂」されていたのだ。「8=∞」の文字を描いて空中浮揚する「ハチ」の「蜂蜜」が大好きな動物は「熊(くま)」なのだが、「クマンバチ」とはネッ。
「熊蜂」=「コシブトハナバチ科のハチ。大形で,体長約23ミリメートル。体は丸く,黒色毛に おおわれ,胸部には黄色の毛が密生する。枯木・木材に穴をあけて巣を作り,花粉・蜜を 蓄えて幼虫を育てる」
もし、「ビト(蜜蜂)」に漢字を当てるとしたら「尾砥(斗)」か「毘斗(図)」で、「比図」、「ヒト(比斗)」、「ミト」・・・「水戸」であるな。「尾宿」は「メリの宿」で、「あしたれ(足垂れ?)星」で、「毘賣」は「姫・媛」の「ヘソ(毘・中心・中央)」であった。「芦=葦」や、「い草」の付く日本の地名は何処か・・・茨城、茨木、栃木・・・等々・・・で、「水戸」は「常陸ひたち・ジョウリク」にあるのだが。 漢和辞典には「藺(ゐ・リン)」は「灯心草」で、「投げ石」とある。「戦争で武器として城壁から投げ落とす石」である。 「茨の冠」を被らされたのは「イエス・キリスト」であった。「石投げの刑」から「娼婦」を救ったのも「イエス」であった・・・「まずは、罪なきものから石をもて、そしてウて」・・・。 「藺相如」は「趙(チョウ)」国の「恵文王に仕え、『和氏』の璧を秦に持参した人物で、『廉頗』将軍と対立、その後親友となった人物」とある。「廉」の「頗」だ。「簾(すだれ)の頗(よこしま)」は「則天武后」の政治であった。 「趙飛燕」は美人で「燕」のように舞う「舞姫」でもあった。 「藺(ゐ・リン)」を分解すれば、「艸=草=日下」、「門」、「隹=旧鳥=古鳥=鴣(きじ)=鵲(かささぎ)」である。「共通項」はここでも「鳥(とり・チョウ)」である。 ・・・これを同音異字でとるならば「キジ(記事)」=「カササギ(笠詐欺)」であり、「笠(かさ・リュウ)」は『龍』であり、『劉』の『詐欺』である。「かさ」は「量(はかる)」で、「怪我をしたときに出来る瘡蓋(かさぶた)」の「瘡」も「かさ」である。イッチング(itching)、ヒゼンの虫・・・カキたいし、ハガシたいのがカサブタの処であるだ。これらの「音懸(掛・加計)」の「常套手段」は「江戸時代の『戯作者』」が権力に「おもね(阿・面音・緒模音・将母寝)」て使った方法だが、「万葉集」、「日本書紀」の時代からの「伝統」であるのだ・・・瘡蓋、鍋蓋、釜蓋、鉄瓶の蓋、天蓋(テンガイ)・・・「蓋(ふた・ガイ)」は「亠(ふたかんむり・ズ)=音の漢字の略字」である・・・ 「旧」は「雙(並ぶ古鳥の又)」である。「また(亦)」は「迹(セキ・シャク・あと・あしあと)=跡」で、「足(たり)=股・脚・脛・腱・髄」であり、「垂(たらし)」、「帯(たらし)」は『古事記・序文』の訓よみ、「日下(くさか)」を『玖沙訶』とし、そして「帯」は『多羅斯』とヨメ、と記録されている「帯(タイ・おび)」である。
「鳥跡・鳥迹」とは「文字。中国の古代に『蒼頡(ソウケツ)』が鳥の足跡をみて文字を思いついた故事による」と漢和辞典には記されている・・・これはエジプトの「鳥の姿をしたトト神」そのものである。 前述したエジプトの「死者の書」の「舟の絵」だが、この構図と「そっくりな絵」が九州、福岡県の「珍敷塚古墳の石室」に描かれている。絵は「船首に鳥・舵取の人物・太陽・楯を持つ人・蕨」。そして、さらに「鳥舟塚古墳の石室」にも描かれている。「船首と船尾に鳥・舵取の人物・太陽・蛙・楯を持つ人・蕨」の絵だ。双方の古墳に「船首に鳥・舵取の人物」が描かれているのだ。明らかに絵の構図は「エジプトのモノと同じ」である。 「古代エジプトの神々」は「絵文字=表意文字」に於て、その「頭」に載せている「冠」で区別されているが、これから推理、類推すれば九州の古墳にある「舟の上の人物」はその頭上に「太陽」を有しているから「ホルス神」であるに違いない。 注目してもらいたいのは「ホルス神の冠」は「蛇が円となって太陽を縁どっていること」だ。しかもこの「蛇」は「舟」にもなっている「絵図」がある。 古代エジプトでは「舟」は「芦=葦=蘆」で造られ、「カミ=パピルス=アシ=よし・ロ」も造られたのだ。 「カミ=ハヒルス=アシ」・・・すなわち、 「神 =葉比留守=悪史」で、「アシ(悪茨・悪施・悪史・娃姿・亜史)」なのだ。「茨城懸(水戸・常陸)・茨木市(大阪摂津近辺)」にはかって誰が存在していたのか・・・『水戸黄門』さんと、・・・誰?・・・副将軍「徳川光圀」・・・ ?・・・「イバラキ」って、「井原記」・・・「オランダ俳諧」などと、かっての「貞門派」から評された『井原西鶴』・・・カモ(鴨)・・・。 ローマ時代の「エジプトの黄道十二宮(螺旋<渦巻>状に猫・犬・蛇・甲虫・ロバ・獅子・山羊・牡牛・鷹・猿・紅鶴・鰐と絵が描かれている)」を見ると、「舟」にでも乗っているように「頭をもたげて、まっすぐに身体を伸ばした『蛇』」の背中上に「獅子」と「鳥」、あるい「鳥」ではなく「舵取の人物」が存在している。さらに「バビロニアの黄道十二宮」には「蛇」の上に「双子・蟹・獅子・歩く鳥・木に止まる鳥・山羊」が描かれているモノがある。 「蛇」はどうやら「舟」に見立てられているようだ・・・ (順旋陽暦)⑪ ⑫ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ (順旋陰暦)⑩ ⑪ ⑫ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ 月 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 中国支 亥 ・子 ・丑 ・寅 ・卯 ・辰 ・巳 ・午 ・未 ・申 ・酉 ・戌 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ( 冬 ) ( 春 ) ( 夏 ) ( 秋 ) エジプト 猫 ・犬 ・蛇 ・甲虫・驢馬 ・獅子 ・山羊・牡牛・鷹 ・猿・紅鶴・鰐 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ギリシャ 蠍 馬 羯 瓶 魚 羊 牛 双子 蟹 獅子 女 秤 ↓ ↓ ↓ ↓ ば まな ふたご おんな 場 真名 敷多語 音 名 ↓ ↓ ↓ ↓ 冬至 春分 夏至 秋分 弐拾弐日頃 弐拾壱日頃 弐拾弐日頃 弐拾壱日頃 中国の「十二支」に「猫」は存在しないが、
「エジプト」の「十二宮」には「蠍座」に換わって、私の大好きな
「ねこ=バステト・エジプト語」
「ガタ=γατα・ギリシャ語」
「キャット=cat」・・・・・・・・・・・・・なるほど「カット=cut」されたんだ・・・
が存在したのである。
「ネコ王二世」も存在した。「ニャンニャン(娘々)」の「ねこ二世」がいるなら「ねこ一世」もいたハズだ。
「バステト(猫)」は「牝猫の女神」として下エジプト「ブバスティスの主神」であった。
「⑪⑩月の亥支」が重なる「ネコ=根子=猪=亥支は子支の根」は「ネ神」であり、
「エジプトの猫(ミウは猫のエジプト語)」は
「鼠(ネ=音=子=シ=詞」を捕る為に飼われたのではなく、
「魚(まな=真名=漢字)」を漁(とる・あさる)為に飼い慣らされた動物でもあるらしい。
日本では「飼い慣らされて魚を捕る動物」は「鵜(盧+鳥)飼」の「鵜=ウ(う)」である。「うかい」は日本語であるが「迂回」、「黄海」、「芋貝」、「烏貝」、「卯晦」、「菟海=トカイ=渡海」、「得解」が「同音異字」である。
「海猫(seagulla (common) gull)」は「海中の魚を空中から急降下してトル」・・・
「かもめ(seagulla (common) gull)」だ。猫の鳴き声を真似するからではないのか「ニャァ・ミヤァ・ミウ」と・・・掛模目(カモメ)・・・「神の眼」、「ホルス(鷹・隼)の眼」は「ウジャト」である。 「根子=ネコ」は「天皇の名前」にも付けられて存在する。・・・「第七代・孝霊」、「第八代・孝元」、「第九代・開化」、「第二十二代・清寧」の各天皇である。この「代数字」はナニをイミするのか「ヲワカ(分・解・判)り」だろうのヨタレソツネ。「ネコ」が北西の「亥支」に重なるならば何処を中心にしての「北西」なのであろうか・・・九州「阿蘇山」を中心にすれば「肥国・佐賀・松浦」あたりになるのだが・・・奈良・大和を中心にすれば「出雲・伯耆・因幡」であるが・・・「阿藝(安芸・アギ)登比」と云ったのは「唖しのホンだわけ」、鳥取・海猫=カモメ=鴨目=加茂女=神女・・・島根の巫女はメリかも・・・戦国時代は「大友氏」、「陶氏」、「尼子氏」の領地で、最終的には「毛利氏」の支配するところとなった。 「古事記・日本書紀」で云うところ「崇神天皇」の「おおたタネコ=意富多々泥古」の出生地は「河内こうち=高知・高地・公知・狡知・かわち・カナイ・カダイ=課題=川内=仙台の美努の村・茅渟県の陶トウ=唐=問、答・すえ=須恵=主重の邑」ではなかったカ・・・ここの「出生譚」は「処女懐胎・キリスト誕生の秘密」の「納得のトキ証」であろうカナ。 「②①月の寅支」が重なる「甲虫」は「かぶと虫」で、同類のムシなら「くわがた(鍬形・鍬型・鍬方・鋤形)虫」である。「鍬形=金+秋(禾火)+幵(鳥居)+彡」、「鍬型=金+秋+幵(鳥居)+刀+十+一」、「鋤形=金+助+幵(鳥居)+彡」・・・「遠山の金さん、助ける、鳥居の刷毛(はけ)跡」だろう。 ・・・「鋤友」の名前を持つのは「第四代・懿徳天皇=(大日本彦耜友・大倭日子鋤友)」であった。・・・「・XX+四代」の各天皇の「共通項」を調べてみることだ・・・ 「桑方虫」なら「三又木方」で、「桑の又は十、あるいは日・太陽の重なり」であるから「三十木(十八)方」で、「参・壱拾・紀(重八=未支)・方(邦=鳳=鴻=大鳥=朱鳥)」である。エジプトの砂漠で、「太陽の虫」と言うのは「フン転がし」の異名を持つ「スカラベ=ケペラ=カペラ」である。・・・なぜ「フン転がし」であるかは「球体のバフン(馬糞・駱駝糞?)を転がしながら生活している」からである。
「糞尿」の「糞(フン・くそ=句素=九素)」には論語の「糞土之牆不可朽」がある。学問を教えても「ヤルキのない、どうしょうもない奴」の意味である。黄色の臭い、クソッタレだ。・・・句素誰(言+隹)で、狗の祖は足れ(十=十支=『壱拾=士ワ牝手合』十又=酉=鳥=鳥居耀蔵)である。 「昆虫(日比中ム=εντομο=エンドモ=猿努模)」である・・・円努模・・・円度模・・・「怨供」でもある。 「糞」と同意語に「屎(シ・くそ)」があるがこれらを「分解」すれば、 「糞=ツ一八異(田共)=ツの一はハチがコトなる」、 「屎=尸(しかばね=市価場値・鹿婆寝)」の 「米(こめ=古女=姑眼=古眼=虎目=込=混)」=「八方位」。 「米」のつく字に「粂=くめ=久米=汲め=酌め=組め」があり、 「屎」の「尸(シ・しかばね・かばね)」のつく「類字」は 「尹(イン・おさめる・つかさ・ただす・おさ・まこと)」 =左右京職の長官。弾正台の長官。「尹文子」は戦国時代の「尹文」の著 書で「道家」の思想が著述されている。 「尿(ニョウ・ネウ・ジョウ・デウ・いばり・ゆばり・しと)」で、「溺れる」 の「溺(デキ)」は「ニョウ」ともよむ。・・・女有、如右、如ウ・・・ 「尺(シャク・セキ・ものさし・ながさ・たけ・わずか・かね・さか・さく)」 =長さの単位で一尺は十寸。尺素は手紙。年齢の二歳半。 曲尺(かねじゃく)。 ことわざ「孟子」の「藤文公下」に 「枉尺直尋=一尺を曲げて八尺(尋=ひろ)をまっすぐにする」 ↓ ↓↓ ↓↓ 木+王 一訳 八訳 「屁(ヒ・へ・おなら)」・・・・・・・・・・・シを比べる 「屈(クツ・クチ・かがむ)」・・・・・・・・・屍を出す・・・墓暴き 「屆=届(カイ・とどく・いたる・きわめる)」・シの由来 「屓(キ・ひいき・さかん・きびしい)」・・・・始樺根の女(目)の人(足) 「屐(ゲキ・ケキ・ギャク・げた・あしだ)」・・シは歩く支 =木製の履物・・・木星の破棄モノ・・・金星(禁制・均整・金生・均整) 木星=「ゼウス」の破棄したモノは本妻「ヘラ」に浮気でバレてしまっ た愛娼の衛星(永逝・永世・衛生)の「イヲ=白い牝牛」で、エ ジプトの川岸で「ヘルメス=水星(彗星・水性・水生・水勢・衰 勢)」に助けられた女性である。 「金生」なら「金星」は「木星」から生じたわけだが・・ 「五行思想」では「金星」は「土星」から生じたことになる。 木星の波気なら縞模様であり、「巴輝」なら「赤色大斑点」である。 「屏(ヘイ・ビョウ・ヒョウ・ついじ・かき・ついたて・しりぞく・のぞく びょうぶ=病武・平武・錨部・鋲部・秒分・描武・猫歩・猫部)」 屍が並ぶ「墳墓」、「戦場」、脚、三重に折れてで歩く倭タケル、タギタギしい 「孱(セン・ゼン・サン
せまい・せまる・かよわい
おとる・ちいさい・けわし・たかい)」 「孱=尸+子+子+子」
↓↑ ↓ シは三重の子(始終・十二支の子)・ 辰 ・申 ↓ ↓ 肢は三重と呼ぶ (こ)虎は、龍と申す 虎の子は、劉と申す 龍神(壬)換=劉仁軌
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劉仁軌(リュウジンキ・Liú Rénguĭ・602年~685年3月2日)
唐代の武将
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「検校帯方刺史(シシ)」となり
「白村江の海戦」で勝利
「検校帯方刺史(シシ)」
字は正則、楽城文献公
汴州尉氏出身
隋の
仁寿二年(602年)生まれ
顕慶五年(660年) 遼東征伐の漕運で失敗 59歳で一兵卒に降格 唐軍の 「蘇定方」が 百済の都、泗沘城を攻め、 配下の 「劉仁願」が 「義慈王」を捕らえられ、百済滅亡 龍朔元(661年) 百済の 「鬼室福信」らが 泗沘城の奪還を試み、 唐軍守将の 「劉仁願」を包囲 「劉仁軌」は自ら志願し 「検校帯方州刺史」として援軍に赴く 龍朔三年(663年)九月 百済残党を支援する 倭(日本)の水軍を 「白村江」で迎撃、 400余隻の軍船を焼き払って戦勝 百済故地の諸城を平定 屯田を営む 麟徳二年(665年) 高宗が泰山で封禅 新羅・百済・耽羅・倭4国の首領を率いて参加 大司憲を拝し、 右相兼検校太子左中護に進み、 楽城県男に封ぜられた 総章元年(668年) 熊津道 安撫大使 兼 浿江道総管 「李勣(李世勣)」に従って 高句麗を平定 金紫光禄大夫を拝し、 太子左庶子同中書門下三品に進む 咸亨五年(674年、上元元年) 「鶏林道」大総管に任ぜられ、 新羅の 「文武王」を討って大勝 翌年 左僕射となって朝政に参画 嗣聖二年一月二十二日(685年3月2日) 文昌左相同固閣鸞台三品として在職中に死没 享年84 死後、 開府
儀同
三司
并州
大都督を贈られ、 高宗の陵墓である 乾陵に陪葬
↓↑ 「屬=属(ゾク・ショク・つらなる・つらねる・つく・あわせる・ゆだねる・ むすぶ・およぶ・すてる・あきたる・たりる・あわれむ・めぐむ・ やから・さかん)」 ・・・・シは水のアミのマガリの虫(那賀ム)・・・シカバネはウ である。・・・「フン」は「墳墓」の「墳(はか)」で、「分数」の「分(わける)」、「魚+分=えび=海老=蝦夷」の「フン」、「焚火」の「焚(たきび)」、「噴火」の「噴(ふく)」、「憤慨」の「憤(いきどおる・おこる)」、「興奮」の「奮(ふるいたつ)」、「粉砕」の「粉(こな)」、「口吻」の「吻(くちさき・くちびる)」である。 ・・・さらなるフンの同音異字はあなたが調べてほしいが・・・ ・・・「墳墓を転がした」のは「フン・コ・ロ・ガ・シ」で、「文転がし」、「分股濾賀詞」で、「文庫賂臥(我)画『柿(木市)』史」だったりなんかして・・・ 確かにエジプトの墳墓の壁画(壁=τοιχοs=ティホス・絵画=ζωγραφικη=ゾグラフィキ)にある「ホルス神」の頭上にある「蛇の輪(円=κυκυλοs=キクロス)の中を塗っている色」は「熟した柿色」ではあるが・・・「柿本・ヒ・ト・マ・ロ」・・・コケラ(柿)の本だ。 しかも古代に「神として祭られたネコのミイラ(木乃伊)」は近代になって「薬用(ヤクヨウ=訳用=訳様)」となってヨーロッパに輸出されたのだ。 更に注目して欲しいのはここに図示した「②・①月」が重なっている「寅」と「甲虫」、「宝瓶宮」である。「寅=とら・イン」と「甲虫=かぶとむし・コウチュウ・カンチュウ」、「宝瓶=たからびん・ホウヘイ」である。 寅 =とら・・・・・・・虎・・・彪・・・猫 イン(隠) 甲虫=かぶとむし・・・・下部屠無死・・・・・・・・兜武士 コウチュウ(甲・=庚・・・・戊・・・・熊中) カンチュウ(寒中・巻中・神中・姦中・干中・乾中=十日十乞中) 宝瓶=たからびん・・・・孝羅罠・多可裸紊・鷹螺貧 ホウヘイ(方丙・方併・方柄・方平=平方) ここに「エジプト」の国名を「漢字」にしたモノ、 エジプト=埃及(ジンキュウ)=チリがオヨブ=十一ム矢及(乃乀・3人、ろ人?) =絵字府都 ↓ 又=右手 =柄字普斗 地理=輿(臼車一八)・・・八支=未(ひつじ) =重字譜図 ↓ =江地府渡 日辻=筆字 を踏まえ、エジプトの「十二宮の動物」を訓辞てみればイイ・・・ 地理(チリ=知理=チリ=塵=ジン=神・壬・陣・人・尋=輿=ミコシ)が及(オヨ)ぶ・・・のは「黄道の十二獣帯」である。 「猫・犬・蛇・ 甲虫・驢馬・獅子・山羊・牡牛・鷹・猿・紅鶴・鰐」は、 「描、懸、拿、交中(交中国)、裸馬(羅罵)、四肢(史詞)、算用(纂曜)、 将牛(緒祇迂)、太化(他意化)、円(猿・媛・沿)、口角(広角・甲殻・交 各)、倭貳(倭尼=王仁=鬼)」、 「音己・句・真六支・下部・途・無視・鵜差技・有真・嗣詞哉・磨・日辻・尾 諏・得支多寡・去部・似柘留・話煮」、 「禰姑・狗・真巳・株・兎・務祇・山陽(三洋)・横死・多可・座留・部貳都留・雄尼」・・・ イカガであろう、このタワケた「ゲン語」追究は・・・