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「日本語の世界」(3~)


        「日本語の世界」(3~)  ギリシャ文明の源泉はエジプト・オリエントにあった。ギリシャの知識人が盛んに当時のエジプトを訪れ、特に「アレクサンドリア」の図書館で、その知識を吸収していることである。天文学や幾何学、代数学や化学、もちろん建築学も・・・「エジプト」は「科学の国=魔法の国」であったのだ・・・中世、「蛇=巳」と同様に「エジプトの神」であった「猫=黒猫」は「悪魔」として忌み嫌われたのである。  「蛇(φιδι=フィディ)」は「バイブル」では「アダムとイブ」を唆(そそのかす=素祖退かす)して、「禁断の木ノ実=林檎(枇杷)」を食べさせた「デヴィル(悪魔)」なのだ。だが「蛇」は元々「知恵の神=知識の神」であった・・・エジプトの墳墓に描かれた「太陽」を「縁どっている『蛇』」はナニを意味しているのか・・・「エジプトの十二宮には半月の月」が描かれてあった。「珍敷塚古墳の舟首に鳥と、その上に『蛙』」が描かれている。「蛙(かえる)」は「月の象徴」であり、「天体の月」である。日本語の「かえる(かへる)」は「かはづ・かじか」とも云われた。この語源は「変化=かわる」からきたとも考えられる。何故ならば「つき」も「かえる」もその満ち欠け、成長プロセスで目に見えてハッキリと「形が変化」するコトが観察されるからである。「憑依ヒョウイ=表意(つ)」かれて「変わる」のもツキによる人格の変貌をイミするモノだろう。とくに「かえる」は「蜥蜴」同様に「易占・ト占」の表徴で「ヒフの色」も変化する。しかも音読み「蛙(ア)」である。「月に存在するモノ」としての「漢字」には「月桂樹・硅砂・娃人・鮭」等で、「圭=ケイ・たま・かど・目方の単位・黍64粒の重さ=土(十一)+土(十一)」との合字になっている。  娃(たやめ・ア・アイ)  佳(よい・よし・カ・カイ・ケ)  恚(いかる・うらむ・イ・ケイ・エ)  哇(はく・アイ・エ・ワ)  桂(かつら)  珪(たま)  鞋(くつ・わらじ=草鞋・カイ・ゲ・アイ)  袿(うちかけ・もすそ)  褂(うちかけ・うわぎ・はだぎ)  罫(とどこおる・め・すじ・めすじ・カイ・エ・ケ)  网+圭(さまたげる・はばむ・かける)  畦(あぜ)  硅(やぶる・カク・キャク・シリコーン)  鮭(さけ)  閨(ねや・ケイ・ケ・閨房)  挂(かける・カイ・ケ)・掛(かける)  奎(また・ケイ・キ・十六星からなるアンドロメダ)」  などである。これらの漢字の音は基本的には「ケイ・カイ・キ」で、同音だが漢字の変化と云うことである。これら「ケイ・カイ・キ」の同音漢字は、日本人にとってはいずれも重要な示唆をしている。例えば「警戒・啓開」、「会稽・会計・海罫・塊茎・快慶」、「木・鬼・気・記・紀」等である。  「蛇」が「龍神」で、「天体の象徴」であるならば「辰星=水星=彗星」である。当然にも「蛇は河川」の象徴であり、「天の川」であり、「雨」であり、「稲妻」である。・・・普遍的に云えば「水の神」である。だが既に述べたように「エジプトの黄道十二宮(螺旋<渦巻>状に猫・犬・蛇・甲虫・ロバ・獅子・山羊・牡牛・鷹・猿・紅鶴・鰐と絵が描かれている)」を見ると、「舟」にでも乗っているように「頭をもたげて、まっすぐに身体を伸ばした『蛇』」の背中上に「獅子」と「鳥」、あるい「鳥」ではなく「舵取の人物」が存在している。「獅子」は王者の権威の象徴であったが「女神テフヌト」の化身として描かれた絵が存在するし、旅人に謎掛けをし、「ピラミッド」を護る「スフィンクス」そのものである。その頭上には「蛇」と「隼(鷹・鷲)」、その向き合っている所に「マント狒狒」が描かれている。「狒狒」は「猿」の類だが「サル」は「ゲフ(ギフ)」と呼ばれていた。「マント狒狒」、これは本来ならば、  黒鴇・鴾トキ=朱鷺(ゲメト・派生語のゲミ、ゲメフは見る、見つけるの意味)

         (イビス・ヘブ=ジェフーティ)  の「月神・学問・文字の神=トト」である。「トト=とき」が「記録・文字の神」とされたのは単純に「トキのクチバシ」が「ペン先のように長い」からではないのか。「トト神」、スナワチ、「鶏(にわとり)の鬨とき・コウ・グの声」であり、「鳥の足跡・鳥迹=蒼頡の漢字」であり、「書記・記録係り」である。さらに「バビロニアの黄道十二宮」には「蛇」の上に「双子・蟹・獅子・歩く鳥・木に止まる鳥・山羊」が描かれているモノがある。「エジプト・バビロニア」では「蛇」の表徴の象徴は「船」であった。  「水星」はギリシャ神話では「マーキュリィ(Mercury)=ヘルメス(Ερμηs・エルミス)」である。「魔阿球里=マア(馬阿)紀有理」、「経留眼諏=減留女洲(雌)」、「重留壬洲=獲る魅洲」・・・  エジプトで「ヘルメス(Ερμηs・エルミス)」に比肩される「神」は「トト」であり「書記・文字・暦」の「神」である。だが「トト(朱鷺)」は「ホルス(鷹)」と同じくその「顔」は「鳥」であるが「口嘴のナガイ鳥」である・・・湖水や沼、川岸で「小魚(こざかな=古座仮名)」を「啄(ついば=柘意場=対場)む」のだ・・・トォー、トォ、トット・・・は「鶏」に「餌」をやる「かけ声」だが・・・「鳥」は「日本」ではすべからく「メデタイ」ものなのである。だが、「鵜(盧+鳥)」は漢和辞典には「しまつとり」とある・・・「始末とり」である。  「白雉(しろきじ)」の発見、「朱鳥(とき)」の年号、「鶴(つる)」の恩返し、「鷹(たか)」狩、「鳶(とび)」の天気、「雁(がん)」の月、「雀(すずめ)」の舌切り、「鴨(かも)」の祇園の神、「鴎(かもめ)」の水兵(神)、「鴛(おしどり)」の夫婦、「鴬(うぐいす)」の美声、「燕(つばめ)」の子安貝、「鳩(はと)」のお使い、「白鷺(さぎ)」の橋、「鳰(にお・にほ・かいつぶり)」の琵琶湖・・・何故か「烏(ウ・からす)=鴉(ア・からす)」は「太陽」にもかかわらず、微妙な存在だが「熊野神社の守護神」である。怖いのは「始末する鳥」の「鵜=盧+鳥」だ。  そして、「鳥(チョウ)=(肇・はじめ)=(周・まわる)=(眺・ながめる)=(蝶・鯛・蔦・張)」も、「蛇(ジャ=邪=よこしま)」も、「虫(チュウ・むし)」も、「魚(ギョ・うお・まな)」も、「蛙(ア・かえる)」も、「蜥蝪(セキエキ)=石龍子(セキリュウシ・とかげ・いもり)」も。  そして、「蜘蛛(チシュ)=蜘(チ・くも)」は「交尾」した後、「オス」は「牝」に喰われ、「孵化した無数の子蜘蛛はイトをヒイテ、乱れ飛ぶ」のである。  「カマキリ」も「メス」に喰われるのは「オス」である。  すべて、これらは「卵生(ランセイ=乱世=みだれるよ=観誰留与=たまごう=玉子得)」で、  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ・「雛孵化(スウフカ=崇不可=ひなかえる=一名化重留・日中獲る)」  ・・ ↓↓↓・・・・・・・・↓↓↓  ↓↓↓↓↓・    ↓↓↓     ↓↓↓  雛形換える=「模型・見本・書式」変える   ひょっこ     崇(あがめる)べからず   比夜晦拠    ↓ ↓↓↓↓ ↓   肥与砥姑    ↓ アガメムノン(トロヤ戦争時のギリシャの総大将)   ↓↓↓↓    ↓   卑与都子    スウ=洲烏(水州烏=スイシュウウ=水集鵜)   妃与柘虚    ↓  諏鵜(言耳又八弔ノ鳥)=棲・(木妻盧鳥)   干余図拠=戌亥 ↓  素卯(菟)=丑寅(牛虎)   ↓↓↓↓    吸=速吸門(神武東征中に『槁根津日子』に出会った所)   ↓↓↓↓    ↓  吸収・・・九州・旧習・急襲・球周   秘預妬虎    数=數=かず=ワ=杷(さらい・さらひ・かく・ ならす)               ↓    沙羅意・去螺日・較・ 奈良州               ↓     拐 意 作螺肥 郭  名羅諏               ↓     甲  斐        ↓               和=倭=我=吾=羽=琶=環=話   ラ               和=輪       杷=窪    覶・拉(拉致・誘拐)

                               螺・裸・等・蠃  である。「杷」は「琵琶の果実」であり、「『酉(とり・ユウ)の日』に賣られる『熊手(くまで・ユウシュ)』」で、落葉(おちば・ラクヨウ)や塵(ごみ・ジン)をかき集めるモノである。あなたはキット、漢字変換の同音異字で私が謂わんとしている意味がワカってくれると思うが・・・?・・・イカガ仮名。  「漢字」を「鳥の足跡」から発明したのは「蒼頡(ソウケツ=ツンギ)」と言う人物であった。だから「漢字」は「鳥跡(チョウセキ)」、「鳥迹(チョウセキ)」とも云うのである。

 「シューメル(オリエンタル)文字」、「ユダヤ文字」は原則的には「楔形文字」である。「粘土板を用いた文書作成はメソポタミアの楔形文字」で、その形象、象形は「楔形文字」である。  くどいが、私の云いたいコトを解ってくれるだろうカナ・・・「ながい」が「チョウ」、「たまご」が「ランシ」、「まくらー」が「チン」、「はね」が「ウ」・・・「はなし」が「ワ」であることを・・・無理、カモ、ナ、ッ。  「一匹の蛇とその上に鳥(鷹)」が描かれているのはエジプトの「蛇王蹟石」である・・・アテネ(アシナ)のアクロポリスの神殿には人間の頭を有する「三匹の大蛇」がトグロを巻いている・・・「クレタ」の「クノッソス」から出土した「蛇巫女神」は「二匹の蛇」を両手に握っている。エジプトの「ラムセス六世の墳墓の天井の絵の下部に列している人物の右から八、九番目に蛇頭の二人の人物」が描かれている。中国出土の「伏羲・女媧(女咼)」は「下半身が二匹の雌雄の蛇」で、その相互の「身体と尾」を絡ませ「定木と分回(ぶんまわし・筆規・コンパス)」を手にしている。

 「四匹の蛇」、「五匹の蛇」はいまのところ確認していないが、「四=肆(シ・つらなる・ほしいまま・わがまま・みせ・いち)」ならば、あとは「匹(ひき・ヒツ・ヒチ・ヒキ・たぐい・つれ・とも・あいて・ひとり・卑しい・ならぶ・つい)」で「金銭勘定の単位で、『鳥目十文』を『一匹』、後に『鳥目二十五文』を『一匹』にした」の意味だ。

 「五匹」は「ゴビ砂漠・呉比企のカワ」かも。「六匹の蛇(コブラ)」は、前と同じ絵で、エジプトの「ラムセス六世の墳墓の天井の右」に並んで描かれている。そして、中国の湖南省の「長沙・馬王堆・一号漢墓」から出土した「衣帛」にも「蛇」が描かれている。カンボジアの「アンコール・ワット寺院」は「七匹の蛇」がその回廊の屋根にトグロを巻いている。蛇は「ナーガ」と言われている・・・建築物は見あたらないが「古事記」には「八俣大蛇」が記録され、北陸には「九頭龍川」の地名が存在する。  「蛇神」はエジプトから東遷してきた。そして「ナガイものに卷かれた人々がいた」のだ。・・・長いモノには巻かれろ、と。  さて、以上のことを踏まえたときに「古事記」から知り得る「古代・日本」とは何であったのか?  考え得る可能性は多数ある。「言語学的」にも「考古学的」にも諸先生方が「推理」してきたことはどの説にも確かに「一理」がある。「古事記」の「資料としての批判」を踏まえても「時間的な流れ」は大筋で間違いがないだろう、とも思われる。だが「現存・古事記」は「源・古事記」とは違うのである。「甲類」、「乙類」の分類に於てさえも「時代性の意味」がそれほどあるとは思われない。あるとすれば「母」と「毛」は「も」ではなく、「母=ボ・ハハ・カカ・モ・ナカレ(毋の類字)」、「毛=モウ・マォ・ケ・カミ・(ノ二・=ノ二乙=ノ十七=壬・〈ミヅのエ・右に曲がったカギ〉)」としての別な意味で重要なのだ。確かに「古事記」は「万葉仮名=漢字音」と「漢字=熟語」の混交で「記録」されたもので、ある「部分」が「万葉仮名」であるからこそ「書き手」の「聴覚」から確認した「音」を「文字」にして記録する「同音漢字の選択」は「自由」であったハズである。いわば、「文字」から「古代の『正確な音声』」を「確定」するのは例え出来たとしてもナンセンスである。解り得るのは「正確な音声」ではなく、「標準的な音声」であり、「ナマ」った幅のある「類音」でしか有り得ない。「音声の言葉」が「生き物」なら「記録する文字」も、また「生き物」である・・・「プロの先生方」には、そんなコトは百も承知であろうが・・・同時代に於いてもその「文字使用」の「規矩」が確立されていないモノなら、なおさら「多数の同音異字の漢字(真名)」を「日本語」を表現する為に「万葉仮名的」に使用したはずである。何も「記録者」が「寺」で学んだ通りに正確に記録しなければならなかった、と云うことはないのだ。「記録=文字」は、いや、すべての「創造・模倣・表現」は「社会的な現実生活」と密接にかかわりながらも、「独り遊びの部分を内包」している・・・人類の発生と「時間的な段階」での「進化」があったとするならば、そのプロセスでの「生活手段」の獲得は、「生産手段=道具」の「生産」に対する「技術→知識→技術→知識→技術」の集積であるが・・・それは「個人」としての幼児~少年少女~青年~成年~壮年へと成長していく経験的、学習的な知識の獲得と技術的、技能的な実践確立のプロセスであり、社会的な生活実践のなかで培われていくが、そのプロセスには「自己満足な独り遊び」があるのだ。幼児、子供は「遊び」ながら「モノ=知識」を得ていくのだ。・・・大人だって「面白い遊び」には「メがないホドに大好き」であることには「例外」はない・・・「メ(女)・ガ(臥)・ナ(拿)・イ(慰)・ホド(××)」に「夢中」になれるのは「ハジメテ(一)のヒト(人)で、女の子」と「ムツミ」あうことだ(?)  「胎児」に於いてさえも億年単位の「進化」を「子宮(μητρα・ミトラ)内」で僅か十ケ月のスピードで生物の「形態」を「亜素備」として変化させながら「獲得」してしまうのだ。  ・・・噫嗟・・・「心臓(καρδια・カルディヤ)」が「ドキドキとアブル」である。「カル(軽・珂瑠)デ(出)イ(葦)ヤ(哉・谷・野・埜・家・八・耶)」・・・である。  既に話したが「旧約聖書に出て来る人名」はすべからく「古事記の重要なコトバの音」に懸けられている・・・「創世記・『第十一章』」の冒頭に「全地は同じ発音、同じ言葉であった」と記しているのだ。「言語が分裂」したのはかの有名な「『バベル(婆部留=場邊留=芭部流=馬部留=葉経留)』の『塔(トウ=渡卯=渡烏=斗迂=島=頭=統=東=倒=答)』」の「破壊」からである。  「カルディア」は紀元前1500年頃にバビロニアの「南部」に存在した人々の「地名」でもある。「旧約・バイブル(創世記)」によれば「カルディア」は洪水で有名な「ノア」が「五百歳」の時に生んだ「三人」の子供達である「セム」、「ハム」、「ヤペテ」の一人、「セム系の人々の原点の地」である。あなたの側に「バイブル」があるなら手に取って「セムの系図」を見てみればいい。    ・・・・兄弟・・・・    ノア・・・子供→・セム・ハム・ヤペテ=のあ・せむ・はむ・やへて  ①セム       ・・・・・・・・・・・・    ↓  ②アルパクサデ=あるばくさで  ③シラ    =しら  ④エベル   =えへる  ⑤ペレグ   =へれ(い)ぐ  ⑥リウ    =りう(りゅう)  ⑦セルグ   =せるぐ  ⑧ナホル   =なほる(なおる)    ↓  ・・・ ↓・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ・ ⑨テラ・・・・「カルデヤ」の「ウル」を出た。  =てら・デラ  ・      「ハラン(地名)」で死亡  ・兄・・⑩アブラム・妻=サライ・・・妾=ハガル =あぶらむ・あぶらはむ  ・弟・・⑪ナホル ・妻=ミルカはハランの娘   =なほる(なおる)  ・ ・・⑫ハラン =ウルの地で死亡      =はらん  ・     ↓  ・     ↓  ・    兄・・⑬ロト           =ろと  ・    弟・・⑭イスカ          =いすか  ・    妹・・⑮ミルカ(娘)        =みるか  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  これらの「カナ」にあなたはどのような「漢字」をアテルであろうか・・・私ならば・・・「シラ」には「白」、「ナホル」には「直る・治る・尚留」、「テラ」には「寺・出羅・手等・弖羅・氏+一+賂」、「アブラハム」には「油食・阿武羅波矛(鉾)」、「サライ」には「沙羅得・皿鵜・更菟・早羅・沙羅・砂羅・竹把(熊手)・浚う・攫う・復習う・再来」、「ハラン」には「波乱・破欄・葉乱・把蘭=蘭学」、「ウル」には「賣る・売る・得る・烏琉・卯瑠・雨流」等々である・・・他の「仮名」も同じだ・・・。  「おも『しろ』し=面白し」は古語辞典では「花鳥風月」に対するものとして「興味深い・風流がある・愉快である」と説明されているが、「面(おも)」が「顔」ならば「彦頁(ゲンケツ・彦の頁)」は「山幸彦・海幸彦」の「ページ」である。そして、「ゲンケツ」ならば「元結=言結=諺結=源結=厳潔=舷蕨」で、九州の古墳に描かれている「太陽・舟・鳥・蛙・楯・蕨」の「蕨=わらび」の意味も見えて来る。「ワ・ラビ」、「ワラ・ビ」、「ワ・ラ・ビ」である。「ワ」の「ラビ」とは「死者を冥界」に送り出す「坊主」のことではないのか・・・「ゲンケツ=現懸晦=解武家柘=下鵡懸柘」で「外牟卦晦(夕卜ム・十卦日毎)」である。  とするなら、「顔の白い花」、「顔の白い鳥」、「顔の白い風邪」、「顔の白い月」である。これを踏まえて「面シロ」、「母シロ」、「主シロ」、「重シロ」、「思シロ」、「表シロ」、「オ・モ・シ・ロ・シ」とするなら、あなたは、この「片仮名」の部分にどんな「漢字」を連想するだろうか。「白粉」は役者が「顔」に「ヌル」ものだ。  分かる=解る =判る  =和歌留  わける とける はんじる  話仮留  若   留(婁)・・ジャクル=雀留 ・弱屡・惹来(惹起)・邪来・蛇九流  なんじ・とめる ・・ナンジ =難治 ・汝 ・何時   ・難事・爾(迩)  ごとき・とめる ・・ゴトキ =語解 ・娯説・古都記  ・姑時・虎時  もしく・とめる  ・・モシク =母始玖・模史九・喪詩句・藻死苦  しく ・とめる  ・・シク  =支句 ・詩句・祇句・死供・敷  かりに・とめる ・・カリニ =雁児 ・借似・苅迩・刈尼・花里児  稚   流 ・・稚子(チシ)は幼児。天子以下卿大夫の嫡子。「竹の子」  いとけない ・・イトイケナイ=伊都委家拿移・意図活内・異図(三)池内  おさない  ・・長内・長乃・長無・長亡・長名意・(押・雄・牡・圧・推・食)  おそい ・・遅・襲・嗚祖移・尾祖縊・麻祖囲・阿蘇囲  を参考に「オ・モ・シ・ロ・シ」の同音異字を考え、「重ねて理解」して「ホシイ」のだが・・「シ・ロ」は「古事記」には「四面の一国、筑紫の国は白日別(しらひわけ)」とあるが「九面=球面=九州」ではない・・・「新羅比ワケ(訳)」かも。  ・・・「現存・古事記」の編者には「彼の時代としてのコトバ(記録)遊び」があったのだ。「偽書」と言う「タグイのモノ」ではなく、「アソビ(遊び・阿蘇毘)の類」である。彼の時代の人々は「ソレでヨカッタ」のだ。学者(?)なんぞは・・・真に受けて「騙される奴が悪い」のである。彼が「遊び」を提供してくれたなら、「遊び」で応えるべきカモねッ・・・「聖書研究家」の「山・本・サン」・・・イヤ、暴言、マコトに後免くだされ!!・・・私は結構、真剣なんだが・・・「コトバがカルイのがタマにキヅ」、充分自覚の上・・・ヒラに平に御容赦あれ。  「古事記使用の漢字」が「時代的」に「普遍性」があったとは言えない。ましてや「方言」があったのは自明と思われるから「古事記」が「712年モノの上等な一品」であったとしても「音声言語」に於いては「禁中内」での限定された空間だけのモノであったろう。大野晋先生はこの著書の中でも言われているが「東西日本の言語空間」の「対立」があったと認めている。であるとしたら「小さな地域的な言語空間」に於いてはどうなのか。もちろん、「同一言語」に於ても、その「発生音=抑揚・イントネーション」に「小さな差異があった」はずだ、と「北海道生まれ」で、現在「名古屋」に住んでいる私は考えたい。この「尾張」に於いてもチョッと移動しだけでも「会話での音声」は微妙に違うのである。三十年前の当初、この当所で「友人の母親」と電話で話したコトがあるが「早口」で「意味不明」、理解できないことがあった。「名古屋市」からワズカな距離にある「瀬戸市」に移った時にも「瀬戸の言葉」も異質であるな、と感じたことがママあった。名古屋近辺、何処に行っても明確に違うなと感じるのは「言葉のオワリの尾音(?)」である。九州では・・・トット、・・・バテン、・・・チ、・・・ケン、・・・シャン、・・・ジャン、と云うらしいが、尾張では・・・ニャァ、・・・ダガャ、・・・ダラァ、・・・ダラ、・・・ズラァ、・・・等々である。・・・ああ、「ばべる」かなぁー。  最近、出土した「木簡」に書かれている「漢字の使用も一用ではないコト」や、「聖徳太子」が経典を「注釈記録」したモノも「漢文そのものの使用法」ではない、と「学者」である「先生方」も云われている。  私は年寄りになりつつあるが、この私も含めて現代の「学生」も「正確な漢字」を使用して文章を記録することは難しいのである。小さな「作文応募」の「諸先生方の批評」を読むと必ず「文の内容」と言うよりは「国語の先生」のように「作文」の「誤字・脱字・用法」の「批判」がある。これらのお偉い審査員の先生は「夏目漱石」の「文章」を読んで、彼の作品に使用されている「漢字」、「流石=さすが(砂州賀)」には「ケチ」をつけないであろう。だが、私が「ナガレのイワ=リュウセキ=リュウガン=ルセキ=ルガン」と読めば「ケチ」がつくであろうが・・・教養(権威?)がないからデアル。  もちろん、その「漢字」の「量」もさることながら「漢字」の「同音異字」が無数にあることがその「原因」である。音声としての「会話」の中には「見えない同音漢字」が無数に飛び交うのである。「会話」や「朗読」、「歌唱」で「音声」として展開される「コトバ」と、「文字」で展開される「言葉」は云うまでもなく違うのは自明である。「会話」が「音楽」に比喩されるなら、「文字記録」は「絵」である。そして、表現者が表現手段とする「音楽」も「絵」も「個性的」で、「特殊性」があるなら「享受者」としての「聴賞(?)者」、「観賞者」も「個性的」で、「特殊性」であるのも云うまでもない。スナワチ、感性的な耳障り、目障りの「好き嫌いに尽きる」のだ。

 さて、例のごとく、私の癖で随分と話はアッチ、コッチに飛んでしまったが、「古事記・作成年代=712年」には「日本の人々」に「エジプト神話」、「ギリシャ神話」、「バイブルの神」は知られていたのであろうか・・・知られていた。・・・時代は国際文化の地、「唐王朝」である。  「古事記・講筵年代=812年」には「紀臣広浜・阿部朝臣真勝・多朝臣人長」に「エジプト神話」、「ギリシャ神話」、「バイブルの神」は知られていたのであろうか・・・知られていたカモ・・・。  「倭奴国の王(57年)の時代」には「倭奴の人々」に「エジプト神話」、「ギリシャ神話」、「バイブルの神」は知られていたのであろうか・・・?・・・可能性は有り得る。・・・キリストがハリツケ(桀)になって間もない時代である。信者の伝道への殉教情念は並のモノではなかった。それは「仏教」の伝播と、「仏教」への渇望を重ねればわかるであろう。  「倭奴国の王(107年)の時代」には「倭奴の人々」に「エジプト神話」、「ギリシャ神話」、「バイブルの神」は知られていたのであろうか・・・可能性はある。・・・105年に「蔡倫」は「紙」を発明したのだ。彼が「中国人」であったのか、あるいは「中国人」であったとしてもオリジナルな発明だとは思えない。「パピルス=紙」は、遥か紀元前3000年以上も前の「古代・エジプト人の発明」であった。「歴史的に記録」されている中国人の始祖は「人面蛇身」の「伏羲」であったのだ。「ギを伏せる」とはナントイウ意味の名前だ。・・・「蛇神=龍神」は「河川の神」で、「水神」。エジプトでは「パピルス(芦=葦=蘆=脚=足)」は「紙(かみ)」の原料であり、「水に浮く舟」の材料であり、「舟」は「ホルス」を乗せて運ぶ「蛇」として描かれていた。もちろん、九州の「珍敷塚古墳の壁画」に描かれている「構図」は「エジプトの壁画」や、それを描いた「パピルス」の「死者の書」を「知っている人物」でなければ決して描けないものダ、と断言できる。しかも「死者の書」で有名なのは「『アニ』のパピルス」であるが・・・「金印」と同ジに怪しいかもネ。・・・「阿仁(王仁)の葉比留素」は「千字文」・・・  紀元前552年に「孔子」は「魯(ロ)」に生まれた。漢和辞典で「ロ」の同音異字の項目を見るがいい。先ずは「魯」である。確認したかな「魯魚之誤」を。そして「ろ=ロ=炉・蕗・櫨・鷺・路・呂・芦・蘆・魯・櫓・露・賂・濾・絽・・・鹵」等々である。そして「鹵(ロ)」は「塩=鹽(しお)」のことである。「鹵田(ロデン)」、「鹵莽(ロモウ)」、「瘠鹵(セキロ)」はいずれも「塩を含んだ痩せ地・不毛の地」と説明されている。「鹵獲」は「略奪・敵の軍用品を奪い取る意味」である。「鹵掠(ロリャク)」は「うばう・かすめとる」であり、「鹵簿(ロボ)」は「天子の行列・天子が行幸するとき、前導に用いる大盾」だ。前述した九州の古墳にも「楯を持つ人」が描かれてあった。そして、大野晋先生が研究し、その「銘文」を「ワカタケル」とヨンで注目された埼玉県「稲荷山古墳出土の剣」にある「獲加多支鹵」の「鹵(ロ・ろ)=占+※」である。だが、誰がこの「漢字」を日本語でヨメと考えたのかネッ。漢文調での読み下しはドウナルのか?「古事記」の冒頭では「塩=鹽(しお)」の滴がタラーリ、タラーリと「杖の先」から「ポトン、チャポン」と水面に音をたてながら落ちて「島」が「形成」されたこと(?)が記されている。水面にモノが落ちて水がどのような形態をみせるかあなたは観察したことがあるだろうか・・・ヨーロッパのチャーチに吊されている釣鐘のような形・・・「島」の形は「円錐形」、すなわち、「火山の島」のイメージであり、漢数字の「八」である。火山は「ウス(碓・臼・有珠)ダケ」と呼ばれるのもその「形」からだ。伏せた「釜(かま・フ)」にも「似(に・ジ)」ている・・・「摺鉢(擦鉢)」にも・・・そして「摺漕ぎ棒」で胡麻を摺る・・・「蝿が手を擦る、足を擦る」は小林一茶の句だが・・・情景とおりにこの歌を解釈するのは「バカヤロウ」である。「雀の子、ソコのケ、ソコのケ、オウマがトオル」・・・

 「バルカーノ(volcano=ηφαιστειο・イフェスティオ)」とは「火山」である。「火=φωτια=フォチア・πυρα=ピラ」の「山=βουνο・ヴノ」+「山=οροs・オロス」=出、「バルカン半島」である・・・「vocable=φωνη(フォニ)」・・・音・声・・・「vocal」。「カマ」なら「草刈の『鎌』」である。形は「三日月」で、その象徴の「旗」に描かれているのは「月氏・大月氏」のモノで、姓名学の権威、丹羽先生の著書によれば、日本なら「土岐氏」、「三島」、「毛呂」、「久津見」、「三宅」、「美濃部」、「望月氏」の紋所である。「月星」は「和多田」、「犬塚」、「久須見」、「角南」の紋所である。  さて、「塩」になってしまったのは「旧約・バイブル」では「ソドムとゴモラの街」が「神」に破壊された時の「ロト」の「妻」であった。こんな神は願い下げだが、このマチの状況は日本も含めた現在的な「西欧諸国」ではある。  英語で「ロト」と私の耳で類似の音を探れば「lot」で、「クジ」であり、「運命」である。「クジふる」とは「古事記」にあるコトバだ。そして「競売品の一山、一組」、「地区、地所」、「土地の区分・商品の口分」、「たくさん、おおく、どっさり」、「やつ、しろもの」で、「a bad lot」は「悪者、悪党」である。「lat」は「ラトビア(バルト海東岸の国・古代フィン族の地)の貨幣単位」である。「loot」は「略奪品」であるが、「ロウト」の類似音は「漏斗(ロウト=funnel・ファネル)」で「じょうご」である。「形はアサガオの花形」で「花に水を注ぐもの」だ。言語の「畳語・冗語」とはなんであるのか。「古事記」では「深淵之水夜禮花神」だ。「lout」は「ぶこつ者(武骨者=分骨者)・いなか者(田舎者=伝舎邪)」。「ジョウゴ」は「上戸」、「冗語」、「畳語」で、「譲姑」、「上古」である。「濁点」をとって「ショウコ」なら「正午」、「笑語」で、同音異字ならば、「証拠」、「称呼」、「尚古」は「なお、古く」で、「ロウト=鷺羽渡」は「七夕の天の川に架かる白鷺の橋を渡る織姫星と彦星」だが、「漏斗」、「廊図」で、「ロウト製薬」と言う名前の「目薬屋」もある。「雨が降れば橋は架からない=川を越せない=恋人同士は逢えない」。「越せない川=コセナイカワ=濾せない皮=漉せない革=濾過できない渦輪」。「ホシのフルヨの七夕」は「コセル」のだ。「濾過できるモノはカミのアミ」か「ヌノのアミ」を「張ったロウト」である。  「ロウト=濾得途=濾菟斗(水虎思艸免斗=御津の古史、句差、〈免斗=面諮る〉オモいはかる=水古詩姐面図=推古・施・日下・面・斗)」である。  「rot」は「腐る・朽ちる・枯れる・たわごと」だが、「アブラハム」が「対等(?)」に「神(?)」に対して、その「くだすべき審判」、「ソドム」と「ゴモラの破壊」に異議を唱え、「正義の人々がもし十人いたら街を滅ぼさない」と約束を取り付けたにもかかわらず、「街は滅ぼされた」のである。・・・「十人」も存在しなかったのか・・・「正義の月光仮面」はナニをしていたのか・・・ここでも、「アブラハム」は「神に対してシニカルな批判者(?)」ではないか・・・。ここでも、と云うわけは既に別なカ所で前述した九十歳の妻、「サライ」の「妊娠の約束ごと」である。・・・密入国の宣教師の「処女マリアのハナシ」に「へ理屈」だとアキレ(タ)果てた「新井白石」だって、サラにも首を傾げるに違いない・・・そして、「ロト」は「ソドム」と「ゴモラ」の破壊された後、自分の二人の娘と「酒を飲んだくれてネタ」のである・・・タワケ(奸)たコトを・・・。そして、娘二人から生まれ出たその子孫が「アモブ」であり、「アンモン」の人々であったのだ。  「root」は「根」である。「rout」は「群衆・暴徒」で、「豚などが鼻で土を掘ること」である。「猪八戒」だ。「鼻から生まれたのは須佐之男」だ。とするならば、「土を掘る」とは「ドをホル」か、「十一をホル」である。「掘=手屍出」であるからして私がイワンとしているコトがアナタには理解出来るだろう。  「route」は「道・道筋・通路・行程・航路」である。  「rat(ラット)=mouse(マウス)=ποντικι(ポンディキ)」は「ネズミ(鼠・子)」で、「裏切り者で、脱党者」である・・・キリストの十二人の使徒の一人、「『会計(会稽)係』のユダ=イスカリオテのユダ」には違いないが、「ユダヤ民族」を真に裏切った者は「移鼠=キリスト自身」である。・・・『会計(会稽)係(懸)』は腐るほど言ってきた・・・  「ネズミ」の話は「大国主命=『葦』原色許男」が「須佐之男」の「火攻め」の試練から「鼠」に助けられたことだ。・・・「『葦』原色許男」のどこが「醜い男」なのかを「学者」は謂ってミロ、である。「小碓命=倭男具那王=倭建命」も「火攻め」にあって「草(艸早〈日十〉)を薙(艸雉〈矢隹〉)」った。だが、ここでは「ネズミ」が彼を助けたのではない「姨・倭比賣命」がくれた「ヒウチイシ」と「ツルギ=草那藝之大刀」であった。この「草那藝之大刀」は「須佐之男」が「八俣遠呂智」を退治してその「其中尾=キ・那賀(長)・尾(屍の毛=屍の母)」から得たものだ。「草(薙)=叢(雲)」とは「人民」ではなかったのか・・・いや、「北条早雲」だ。「日本書紀・巻第二十四・皇極天皇」の記録では「聖徳太子」の子、「山背大兄皇子」を殺そうとした時に「古人皇子」が「蘇我入鹿=鞍作=林臣」に「鼠『穴(あな)』に伏して生き、『穴(あな)』を失いて死ぬ」と諌めている。この『穴(あな)』は、「穴(戸)」で、その類推(?)から「海峡」の説もあるが違うのだ。「穴」は「仲哀天皇」が座した「筑紫=九州」の「穴戸」と記されているから「場所」である。「穴戸=長門」であれば山口県で「長州藩」である。だが、「長州藩の長門」そのものではない。重なる「長津=大津=長柄豊碕=那賀津=名賀津=中津」である・・・「穴=ウ八」のチである「アナ」である・・・「巻第二十五・孝徳天皇」には「鼠の移動」が「遷都の兆し」であると記している。船から鼠が騒ぎ出し海に飛び込むのは「沈没」の前兆である。「曾我物語」の兄弟は「佐賀=蘇我=須賀=姐臥」の話を懸けたのだ・・・「アダ」を討ったのだから。場所は、「子(北)=鼠=マウス」と「口(くち・mouth)」で、「申(もう)す」の「南西=坤=ひつじ・さる」である。・・・中心はもちろん「阿蘇山」であるなら「長崎の島原天草」だ。  「rabbi」は「ユダヤ教の律法博士で先生」だ。「rabbit(ラビット)=κουνελι(クネリ)」は「うさぎ」であり、東洋では「卯=月(つき)=φεγγαρι(フェンガリ)=σεληνη(セリニ)」であり、「rabid」は「狂水病」であり「狂犬病」である。「三月の兎=菟が狂う発情期」で、満月の霊が憑いた「狼男」への豹変だ。「イヌの神」は「シリウス(大犬座の星=カニス=マイラ)」であり、「アヌビス」である。  「rota」はラテン語で「車輪」のことである。  「rata」は「配分・割合」と記されてある。英語でも「rate」である。現在なら「為替レート」とも云う。  さても、「ロ(ろ=3)」の話しであったが・・・またもや・・・である。  「ロ=鹵=鹽=塩=しお」の「海=うみ」は「イスラエル=ユダヤ」民族の「バイブル」の地、「死海」である。  前586年に「ユダヤ王国」は滅亡した。「孔子の儒教」と「旧約・バイブル」に関連がありはしないか・・・。さらには「釈迦」は通説に従えば前486年に誕生している。「チベット」にも「死者の書」がある。何故、「チベット仏教」が「鳥葬」なるものをするのか・・・「鳥=禿鷹」に「喰われて天に登(昇・上)る」のだ。「鳥」はエジプトでは「たましいを運ぶモノ」であり、「神」であり、「太陽」の象徴であった。「モーゼ」の「出エジプト」、その言葉どおり、「時間的な宗教の原点」はまさに「エジプトが初源で出発点」なのである。  「卑弥呼の時代=238年」、「魏志倭人伝」の著者「陳寿(233~297年)の時代の中国の人々」には「エジプト神話」、「ギリシャ神話」、「バイブルの神」は知られていたのであろうか・・・当然にも知られていた。「陳寿」は純粋な中国人であったろうか・・・彼が参考にした「魏略」の著者である「魚豢」はどうか?・・・この名前の漢字を見れば、此の著書があったとして記録した中国人(?)はカナリのユーモアセンスのある奴。それを信じたくなるのは日本人、日本知識人の癖であり、宿命である。「正直者」なのだ。「魚豢」の「魚(まな)」は「すなどり・いざり」ともよむのだ。「いざり」は「足萎えて這ずる人々=乞食(コジキ)」である。だが、「這ずって寺に向かう儀式」は「チベット仏教の信者」でもある。・・・「足萎えてタオレタ」のは「倭たける」であった。「コジキ」を「しまつ」したのはダレか・・・「しまつ鳥」とは「ウ(う)」のことである。  イエスの弟子の「シモン=ペテロ」、「アンデレ」、「ヤコブ」、「ヨハネ=ボアネルゲ」は「漁師」でもあった。「ボアネルゲ」は「雷」のことで「雷光の稲妻」である。「稲妻」は「龍神」であり、「蛇」なのだ。・・・古代ローマの地下貯水池の「土台=石柱台」に「横」に彫られた「蛇の髪の毛を生やすメドウサの首」は、しかるべき場所にあるのは「皇帝の意志」ではなく、「建築家の意図」である。・・・「水の守神」だからコソである。・・・宗教は歴史や言語と同じく、「重層的」なのである。そして、実体としての「知者=学者」の欠落や、「知識=学問=記録」が「欠落(焚書)」するときに「一つの文明」は「巨大な遺跡」を遺して「滅びる」のだ。廃墟になったアンコール・ワットをミヨ、「水」こそが「命」であった。  ・・・「日本語」としての「一つの漢字自体」には「人類の過去の知識」が・・・「a lot of・・・」なのである。  「賢瑜(1372年)の時代」には「日本の人々」に「エジプト神話」、「ギリシャ神話」、「バイブルの神」は知られていたのであろうか・・・知られていた。  「キリスト教の宣教師、ザビエル(1549年7月・鹿児島上陸~1551年・インドに)」は「日本の人々」に「エジプト神話」、「ギリシャ神話」、「バイブルの神」を教えたであろうか・・・当然にも「バイブルの神」は確実に教えていたのだ。だが「一神」の神を語るとき「多(他・侘)神」の「神」も教えざるを得ない宿命なのである。・・・「神」とはまさに「記録された歴史的なカミ」であるからに他ならない・・・コトバ、サキにアリキ・・・だが、「マルクス」は「まるくす」であった。ナニが「逆説の・・・」なのだ・・・私同様に「勉強不足」とはキミとキミの「先生」のことナノだ・・・違ったアナのムジナメが・・・「人を殺す」ようなことになってさえも「汝、人をアヤメルなかれ」である。思想なのだ。  宣教師達はその後、多数日本に来たが人物と関連事項をあげると・・・  「バルタザール=ガゴ (1552年)」  「ルイ=アルメイダ  (1553年)」  「御伽   草子   (1555年)」の流布   ↓↓   ↓↓   音解   創始   音砥(研) 草紙    時   相思    ↓   壮士    とき=朱鷺=鴇=穐=辰=疾=説=溶=釈=解=解脱  「コスメ=デ=トルレス(1556年)」  「ガスパル=ビレラ  (1559年)」  「ルイス=フロイス  (1565年)」  「ジョアン=ガブラル (1575年)」  「ヴァリアーニ    (1579年~1590年)」は「印刷機」を伝えた  「切支丹版・さんとす (1591年)」が「肥前・加津佐」で印行  「切支丹版・どちりなきりしたん

=平家物語  (1593年)」が「肥前・天草」で印行  「伊曽保物語   =(イソップ物語) (1593年)」が「肥前・天草」で印行  「オルガンチノ (1595年)」  「山城・大和・会津に    大雨で大洪水 (1595年)」  「畿内大地震 (1596年)」  「浅間山大噴火 (1597年)」  である。  「三浦按針(1600年・漂着時~1620年・死亡)」は「日本の人々」に「エジプト神話」、「ギリシャ神話」、「バイブルの神」を教えたであろうか・・・当然にも教えていたのだ・・・そして、「日本語の原点」が「何処にあるのかも気が付いた」・・・「縄文時代」からの「日本の言語」の「原点」を・・・

 その後の「水戸光圀」は「知識=言語=歴史の欠落」を探ろうとして、「烏合の衆」を集め、その後の「新井白石」は「日本の歴史を疑った」のだ。どこまでしっていたのか、・・・残念ながら彼の「記録」したものの「一部」が行方不明になっている。江戸の大火の時にも、地震の時にも慎重な彼は「自分の記録」したものも、買い求めた「書物」も、将軍から賜った「書籍類」もその保管に万全をきしていた・・・のに・・・「タイカのカイシン」は「645(むしごろし)」と中学生(小学六年?)の時に暗記させられた・・・「大火」である。「蒸し殺し」で、「虫殺し」である。・・・「船史恵尺」である・・・  だが、「知っていた奴」が存在した・・・「河原乞食」と謂われた人々の類である・・・「乞食坊主」と謂われた放浪の人々である・・・手を変え、シナを変え、「本筋」をとおして作品を遺していった「戯作者達」の・・・ハズだ・・・。  そして、・・・「御禁制の書物」を覗いた「森林太郎(鴎外)」である。

    「日本語の世界」(4~)  「長 恨 歌」は「古事記」の下敷かも・・・  さて、とっても、とっても、トッテオキ面白い「ギリシャ(ア)語」と「英語」と「古事記・語」を比較しながら「言語天国」を展開してみよう。  「 ο βιοs βραχυs    η  δε τεχνη μακρα」   ホォ ビオス  ブラキュウクス   ヘー デー テクネー   マクラー   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓↓  ↓↓ ↓  ↓↓↓↓   ↓↓↓↓   ほぉ びおす  ぶらきゅうくす   へぇ で   てくねぇ    まくらぁ   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓↓  ↓↓ ↓  ↓↓↓↓   ↓↓↓↓   保於 毘隠寸 府羅着由有供守  平重 出  帝供寝恵   枕 蛙(かえる)   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓↓  ↓↓ ↓  ↓↓↓↓   ↓↓↓↓   舗 帯 牡  分羅宮 玖珠   経柄 出  手区子枝   間琥羅娃   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓   ↓↓ ↓  ↓↓↓↓   ↓↓↓↓   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓   ↓↓ ↓   手工禰得   補緒 備将諏 付螺究 樟   経重 出  出句音重   真句ラ亜   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓ 紀章   ↓↓ ↓  第九音枝=九支=申   ↓↓ ↓↓↓ 負西紀由得句素  ↓↓ ↓   ダイク禰=大工=匠=ヨセフ   ↓↓ ↓↓↓ 冨西記喩有句素  ↓↓ ↓   弟工子恵=大工のヨセフの子   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓  工守  経重 出   拿謂句=詫苦診   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓  ↓↓  ↓  ↓   大 工の子=キリスト   浦将 備夫州 武羅救  九州  兵  出   弖供子会   蒔苦羅螺   ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓  ↓↓  ↓  ↓          まくらぁ    褒 美推薦  部等旧  玖珠  衛  出   出琥子栄   真供羅吾    ↓              ↓      ↓  ↓        ↓              ↓      弟  手=弖   等    ↓              ↓      ↓  ↓ ↓    ↓              ↓      音 の主は弓の一、氏の一    ↓              ↓      ↓  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓    ↓              ↓      ↓  ↓ 宮の始め丑が初め    ↓              ↓      ↓  うし=牛=丑=紐=沖    ↓              ↓      ↓  ↓  ↓    ↓              ↓      ↓  うし=烏始=卯姿=雨姉    ↓              ↓      ↓  ↓  日  月  天    ο              η      ↓  ↓    男性定冠詞         女性定冠詞   あるじ=有る字=在る時                              或 事      βιοs βραχυs、  δε  τεχνη  μακρα       ↓    ↓      ↓    ↓      ↓     「人生は   短く      そして 芸 術  は 長 し」       ↓    ↓      ↓    ↓   ↓  ↓      ジンセイ  ミジカク     ソシテ ゲイジュツ   ナガシ      字務施意 診字画     素詞出 解意樹柘 葉  納画史      時武歳   診事加琥    組詞出 外意述  把  那賀史       ↓    ↓      ↓    ↓   ↓  ↓     ①人世    深自覚     訴師手 解意述  葉  名賀施       ↓    ↓      ↓    ↓   ↓  ↓     ②仁政    未治禍苦    遡始出 下医術  把  拿我詞       ↓    ↓      ↓    ↓   ↓  ↓      垂仁・仁徳・仁賢・淳仁・光仁・仁明・仁孝天皇等など↓  ↓       ↓    ↓      ↓    ↓   ↓  ↓     ③尋 聖  未児嘉苦 蘇始出  解遺受柘 葉 名臥詞        ↓  ↓↓    ↓    ↓   ↓        ↓  未艶の児  蘇我氏 甲斐 柘植(告げ・接げ)        ↓  ↓↓          拓本(巻物・書物)        聖母 マリアの子=イエス・キリスト        聖徳太子=「豊聡耳・厩戸」皇子                    そして  げいじゅつ は ながし     ④事務世位 診持郭      祖師出 外異治由柘 頗 拿画史        ↓    ↓↓                   ↓        ↓    ↓郭務宗(則天武后・唐周の使者) よこしま(邪)        ↓     持統天皇(  天武天皇の第二妃・後皇后)        「世」は三十年間の意味。30巻は日本書紀+系図1巻=31巻     ⑤訊武世位=中国・朝鮮・日本の歴代「武帝」     ⑥神武世位=神倭伊波禮毘古=磐余彦=四十五歳~百三十七歳                      =九十二年間(9+2=十一)     ⑦壬武世位=壬申の乱の武     ⑧陣武整=戦場の陣の「武」を トトノエル                   ↓↓↓↓↓                   渡土廼重留=斗図之柄流(婁・瑠)     ⑨塵生西=チリ、ニシに「ショウズル=照図留」          ↓↓ ↓↓          地理 似視     ⑩尽世遺=ツクシの、ヨに、ノコス・・・筑紫の「(壱)与」に之古州  「大工の子が栄える」とは「十三(δεκατρειs=デカトリス)日の『金』曜日=Παρασκυη(パラスケヴィ)」に「ゴルゴダの丘」で「十字架」に「桀(ハリつけ=張り付け)」になり「『死』して『ヨミがえ(蘇=甦え)』」った「イエス・キリスト(クリスト)」ではないのか・・・「壱与」は「十三歳」で「卑弥呼」のあとを嗣いだが・・・。既に漢字の、  「大」、「工」、「子」、「十」、「三」、「日」、「金」、「羽」、「隹」、  「几」、「五」、「留」、「呉」、「妥」、「丘」、「字」、「架」、「張」、  「イ」、「寸」、「屍」、「黄泉」、「蘇」  は、その意味するところを「漢和辞典」を典拠として「随所(隋書)」で繰り返し説明してきたのだが・・・ワカッタだろうか。  「桀王」は「夏(カ・なつ)」王朝の暴君で、殷(イン・おおきい)王朝の「紂(チュウ)王」と並び、「桀黠(ケツカツ)」で悪賢い代表だが、「桀溺(ケツデキ)」は春秋時代の楚(ソ)の隠者で「長沮(チョウソ)」と畑(ハタケ)を耕していたときに「孔子(コウシ)」に道を尋ねられた人物(論語・微子)である。(・)の仮名と漢字をよく観てほしい。「古語」の「意味」と「音」の原点を「科学的な立場(?)」で追求した「白石」先生には怒られるが、「倭」としての「歴史」時代の「漢字」は「日本の文字」になってしまったと同時に「日本語」の「音」と「意味」でもあるのだ。  「キリスト(クリスト)」と、同時にヨミガエッタのは「牡牛座宮の守護星・金星・象徴数字は6(六・陸)」、「金星(キムセイ・金姓)」の「女神(古代エジプトのイシス女神は息子のホルスに首を切られたが、トト神によって牛首を据え付けられて蘇った)」、「帆立貝=牡蛎(かき・レイ)貝=前方後円墳=大塚」から誕生した「ミロのヴィーナス」ではないのか?・・・彼女の夫は「醜い鍛冶屋=ヘイパイストス」である。  金星=太白=Αφροδιτη(アフロディティ)・・・娃風炉出委帝                        ふいご=婁                        付「伊語」                        負以後                        ふいごう=吹子                        たたら=鞴  明けの明星=Αυγερινοs(アヴゲリノス)・・・阿倍解理之素                         アベ=めでたし  宵の明星=Εσπεροs(エスペロス)・・・・・・柄州経路諏              恵素経呂素  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ・暁(あかつき)=αυγη(アヴギ)・・阿倍祇(技・疑・戯・擬・欺・蟻)  ・        =αυγη(アヴギ)・・dawn(夜明け)  ・                  day break  ・        =  break of day (και μτφ)=晦務諏  ・                    カ イ ム ス=貝蒸  ・                   化 意 務 諏=開武州  ・          και       and/even if/so what?  ・          καικι    caique=トルコの軽船  ・          καιλα     burn  =火事  ・          καιμακι  cream =クリーム・乳脂肪  ・          καινοs    new  =新  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  あなたならドウ、考えるであろう?!  「大工、ヨセフ」と  「聖母、マリア」、  「セイボ=(生母=歳暮)」、  「『アベ(阿倍・阿部・安倍・安部・阿毎)』、  「『マリア(茉莉・鞠・麻里・掬・真理亜)』の子」・・・「クリスト」。  「大工」とは、建築物の設計、技術者で、「太宰府の『貳』」は「官名」であると同時に「大工の長官・梁領・頭領」であった。  「大(ダイ)」=「一(はじめ)+人(ひと)」・・代・台・鯛・帯・対・胎  「工(ク・コウ)=杢(木工)=たくみ(巧み)=多組(糸且)=他組(伊都且)            =匠         ↓↓     ↓↓            =医=醫=医者=慰謝 委都の加柘  ローマの都                 薬師=訳詞 異図の家柘            =巫         葦都の禍津  羅 馬            =かんな  ぎ=(覡)・・・巫見(みこみ)            =かんな(鉋)技       見込み            =神 拿(名)技(伎)=神業             ↓        =かみわざ(加美話座)            =かんなぎ            「諌 凪」=カン凪(薙・奈義・名義)=風邪止                 ↓ ↓   風車止                 ↓ ↓         化是止                 ↓ ↓         科背止                 ↓ 几(きにょう・ひじかけ・つくえ)+止                 ↓   鬼女得 日出掛け 柘句重                 ↓ 風邪・・・フウジャ・封邪(よこしま)                 ↓ カゼ=可是        几+止                 諌「禍邪を止める」 歌施詞   貴 誌                 ↓ カセ                 ↓ 課是=言+田木(多義・他義)日一卜人                 ↓ ↓↓            ↓↓↓↓                 ↓ 校↓            卑壱巫肥都                 ↓ 科↓            ↓↓↓↓                 ↓ 綛↓            ↓↓↓↓                 ↓ 枷↓            ↓↓↓↓                 ↓ 械↓            ↓↓↓↓                 ↓ 椛施=樺畝=蒲瀬     卑壱巫肥都                 ↓ ↓↓  ↓                 ↓ 九州の ↓                 ↓ 五島  亠田久=音の略の他句                 ↓(木花方・也)=木花、呆、カミサシ、也                 ↓ 葉詞  ↓  キカ=帰化・幾何・気化                 ↓ 葉セ  セ一=セの壱=やぶにらみ・巫女                 ↓   ↓      ↓                 ↓   ↓ 巫(ブ・ム・フ・みこ)                 ↓  葉セ(バ・メ・巫・やぶにらみ・姓)                 ↓  はせ=長谷=支(支倉)  ↓                 ↓(セイ・ショウ・シャウ・やから・かばね)                 ↓ ↓                「諌 早(日十=ビ  ビ   ビ   ビ=未(日辻)                    ↓  ↓  ↓  ↓   ↓                    比重=鼻従=毘獣=備中=尾駐=微衷)」                          ↓ 中央・ヘソの獣                          ↓  ↓五黄の虎(寅)                   はや     毘=田+比+拾=対重                   ↓       ↓                   速=刃矢  須佐之男(鼻から生)                     羽也(奥羽也)=頗也(横島也)      凪=風(フウ=夫)が止(留・泊)まる      ↓     「那岐」の「拿義」、「拿岐」、「名義大分」、「盟議」、「喩す」      ↓↓   ↓      ↓↓   女威儀(意義)帯文      ↓↓   ↓      ↓↓   ↓↓↓    ↓↓      ↓↓   ↓      ↓↓   女壱誼    帯方郡      ↓↓   ↓     将補意多(板=版)=おおいた=豊国・宇佐      ↓↓   「須佐之男」が「薙」る「八俣遠呂智」=「耶真太将炉地」      ↓↓   ↓    ↓↓↓↓↓  ↓↓↓↓↓↓      ↓↓   ↓    奴津遠路致  邪馬台証櫓地      ↓↓   ↓    ↓↓↓↓↓   ↓

     ↓↓   ↓    ↓↓↓↓↓  櫓=木+魚+日=キマナビ

夜股円呂置  恥股焔炉薙 記真名備   「伊邪那岐命」が「伊邪那美命」を「薙」る。

       ↓ ↓       山+支=三支  羊+大=窯台(ヨウダイ)        ↓          ↓

    「煬帝(隋・随)」    「ミコト」=未子屠=羊子兎=日辻弧渡=筆字拠菟 =一津次子屠         ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓↓  大津↓↓↓         壬古都 容姿菟 比柘字古都↓↓↓↓   ↓草壁皇子?         三嗣図 養子都 妃津児渡 秘柘持虎徒 大津児使徒         ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓         纂志士 曜使途 妃津路間他亘理  ・・・なのである。  「ほふる(はふる・抛)」、「ほうる(放)」、「ほうむる(葬)」は「ホール(hole)」で・・・「アナ」・・・「あなどる」とは「軽んずる」で、「軽皇子」とは「孝徳天皇」であった。そして、「軽」は「キン・キム」とヨム。漢字分解すれば「車又十一」である。「十二支宮座」に存在するのは北西の「戌・犬・狗」である。「キン=金」の方位は西で「酉・鳥・禽」であった。  すなわち、ギリシャ語の「あな」は、  τρυπα・・・・・トリパ・・・・屠理把・酉端・酉巴・鶏羽・採葉・菟理葉  ανοιγμα・・・アゴイムア・・阿児医務娃  χρεωμενοs・カレオメゴス・借れ尾女語素・嫁励将女後巣           刈れ麻女後州  美女呉洲・・虞美人=虞姫・楚の項羽           彼 男女互諏    ↓      の愛妾                     互素(sex)=喪祭の名・埋葬を終わ                           って家に帰り霊を安ん                           ずるために行う祭  である。  ここは「穴かんむり」の漢字をすべて検討すればイイだろう。「あなどる」の言葉が見えて来るに違いない。しかも「穴」は「洞窟」で「墓地」である。「卑弥呼」は大きな「塚」に葬られた。「天照御大神」は「洞窟」にかくれた。「ダイアナ(大穴)」が「月の女神」なら隠されたのは「太陽(アポロン)」と「木星(ジュピター=ユピテル)」である。イギリスの小説に「洞窟(岩窟)の女王」と云うモノがあるが、テーマは「女王の再生誕」であった。「キリスト」は「岩窟の墓」に葬られ、その後「蘇(ヨミかえ)った」のである。「聖書」は「聖ペトロ(岩)」の「事蹟」を「使徒行録」に記録している・・・「ペトロ、跛者(あしなえるモノ)を全癒せしむ」と・・・「ヤマト・タケル」は「三重に足萎えて、ついに死んで白鳥」となった・・・「白鳥は海の青にも空の青にも染まずただよう(若山牧水?の歌)」・・・「バイブル」とは「旧(キュウ)約聖書(Παλαια Διαθηκη=パライア・ディァシーキ)」と「新(シン)約聖書(Καινη Διαθηκη=カイナ・ディァシーキ」の対である。「キュウ」と「シン」の漢字を法(νομοs・ノモス=乃模素)、理性(νουs・ヌース=奴得諏)的に検討すべきなのだ・・・臼=碓=有珠(うす)・娠(はらむ)・・・ναυs(ナウス)は「舟=ふね・婦子・府史・賦音」として・・・  スナワチ(乃・即・則・就・曾・而・斯・尓・爾・『沙(砂)の輪地』・『素名(納)話地』・『蘇名和知』)、  ナンジ(難事・難字・難治・乃・何時・廼・汝・『女』)の「卜者(ボクシャ・牧者)」は「ミコ(巫)」であり、「観弧(孤)」で、「御子(音音・音値・鼠禰)」で、石女(うまづめ)の「ねね(北の政所=豊臣秀吉の正妻)」であり、「鼠蘇・鼠姐」は「キリスト・クリスト」であり、「聖母マリア」であるのだ。  ・・・牧者、「アベル」は「阿倍流」で、「随書」に記録されている「阿毎」の流れだ。  「阿倍(ave・めでたし・happy)の婁(ロウ・ル・ふいご・鞴=府以後・不意語・釜以後=鎌足以後)」である。・・・すなわち、「中臣(藤原)鎌足」の以後は「阿倍」である・・・「藤原氏」が権力の座から転落したのは西暦737年・天平九年の「聖武天皇」の時代、「藤原房前(ボウゼン・ふささき)」、「麻呂(あさろ・まろ)」、「武智麻呂(ブチマロ・むちあさろ)」、「宇合(ウゴウ・うまかい)」が疫病で死亡したからである・・・「藤原」氏は全滅したのではないのか・・・とにかく、彼らの「巫山戯た名前」は一体、ナンなんだ。「(テ=氏+一)宿←房(宿)前=呆然・茫然・謀全→心宿」、「麻(あさ・ま)+呂(リョ・ロ・背骨・長い・おと・とも)=まろ(私・ム・丸・円)=あさろ=漁賂・阿佐・安佐・痣露・字魯」、「ぶちまろ=斑痲慮」、「うまかい=馬かい=ウゴウ=烏合・卯合・鵜合・胡合」・・・。  ・「聖武天皇の後」は「孝謙天皇」で「阿倍」  である・・・彼女は「阿倍(阿毎)一族に関係する女性」ではないのか・・・  「ave(アベ)」はラテン語である。「阿毎(アマイ)」は「随書・・国伝」に記録されている「大王」の「姓」である。・・・「随所・随書・随処」に記録されているのダ。  「ダイク=第九」で、「第=竹の弔いをノ(へつ)」、   九(εννεα=エネア・ενατοs=エナトス)=ク・キュウ   九=ノ+乙     キュウ=宮=みや          =見也=ミヤ(μια)=一  「十二支の九」は「子支」から始まれば「申支」、「丑支」から始まれば「酉支」で、どちらも方位方角は「『金』局」である。  ・「十三日の『金』曜日=壱拾参似智の鬼務豫卯毘(美・未)」に  ・「ゴルゴダの丘   =語留悟拿の将耶」で  ・「十字架     =重字化(懸)」に  ・「ハリつけ     =架りつけ=張り付け=貼付け=葉理柘懸」になり  ・『死       =(シ=支=史=詞=始=姉=姿=施)』して  ・「ほおむられ    =(はふる・抛=ほうる・放=ほうむ(葬)」られ  ・  ・『よみがえる    =読み換(カン=干=巻=漢)える  ・(蘇る=甦える)  =読み替(タイ=対=体=他意)える』  ・・・ ↓・・・・・・・・・    ↓    蘇我 蘇生=甦生=そせい       ↓     組成      耶蘇教    粗製      切支丹    塑性      吉利丹    祖政      邪楚教      天主教   「イエス・ キリスト (クリスト)」   ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓   委枝州・鬼里州土(句理素斗=繰 諏鍍)・・・栗州鳥・・移鼠(イエス)   ↓↓↓ ↓↓↓↓                ↓↓ 癒え須   意重諏・句理素図                改竄=カイザン                                   ↓   「あなどるネズミ」は「モグラ」で「大黒さん」のお使い 穴+鼠(子)    阿名取る音柘美  模鞍   大国          ↓   「ウス(臼)」は「薄」、「有珠」、「碓」           ↓   「ウス(渦)」は「蔚」、「打」、「撃」、「討」で欝  ウ+八+臼+爪+水   「ツメ(爪)」は「ソウ(サウ)」、「ショウ(セウ)」  得 葉智 究 積 三      ↓   創 作得   証  施得          ↓      ↓                       御津      爪=ノ(ヘツ・ヘチ)レ(ケツ・カチ・クワチ)レレ    箕津         経津 辺地  結 価値 桑地=鍬地・・河内の瑞                          川内 ↓                          仙台 ↓                          泉内 ↓                          高知 ↓                             王+山+而

        「日本語の世界」(5~)  「むかし、むかし」と言ってもそう、古い話ではない。「今は昔」と言うのは「イマ」のことは「ムカシ」に「懸けた」と、言うことだ。・・・私の「説」が「真実(?)」ならば「古事記」を「編纂=篇纂」した「奴」はナミ(並=波=浪=名診)のスゴさ(凄さ=素語差)ではないのである!・・・「コトバ」をカケにカケて、懸けまくったのだ・・・「現存・古事記」は、「712年編纂」の「源・古事記」であるハズがナイ・・・?!。  あるとすれば「阿倍一族」の「言語に長けた誰か」の「戯れ」であるハズだ。  770年・宝亀元年、六十五歳の「白壁王=光仁天皇」即位の年、唐の地で死亡した遣唐留学生の「阿倍仲麻呂」・・・の「才能」のタマモノか・・・  781年・長安の大秦寺に「大秦景教流行中国碑」が「景淨(ペルシャ・アダム)」によって「撰文」され、建立された後の「人物」か。「三浦按人(案人)」も「アダムス」と云ったのだが。「三・浦・按・人(三浦案人)=ミ・ウラ・アン・ジン(ジム)」とはクサイ名前だ。コノ名前の同音異字を採って見て欲しい。  986年・・・あるいは「阿倍倉梯麻呂」の子孫、「土御門家」の祖と言われる「陰陽・推算の術・天文」家、「花山天皇」の譲位(寛和二年六月二十三日)を占断した「阿倍晴明」の仕業カモ。  1062年・康平五年の「前九年の役」、陸奥の「俘囚の徒の長」、「阿倍頼時」の子供、「阿倍宗任」は別称を「鳥海三郎」と謂れ、伊豫、太宰府と流され、筑紫で「僧」になったのだが・・・  「稗田阿礼(ひえだあれい)」とは、「冷えた娃霊」であり、「アレイ」とは国語辞典には次のように説明されている。  「腕力をツケる為の鉄球、木球の唖鈴(アレイ=dumb・bell=ダム・ベル)で、円柱の両端に球が付けられているモノ」であると。  まるで「作品」も「ペンネーム」も・・・僕たち幼少年の時代に心を躍動させ、感動させ、その考えと行動に多大な影響力を与えたマンガの中の主人公・・・「天馬博士」が交通事故で最愛の一人息子、「飛雄」を亡くし、科学の粋を集めて生み出した「アトム大使」に登場する「鉄腕アトム」と「御茶の水博士」・・・物語は「地球の存在物」とまったく鏡に映すがごとく「相似」であった「対なる惑星」からやってきた「対なる宇宙人」。「ケンちゃん」も「たまお君」も「シブガキ」も「ヒゲオヤジ」も「ランプ」も「ハム・エッグ」もすべての地球人とソックリな宇宙人。違うのはその星が壊滅崩壊し、その星の住民は新たな居住地を求めて宇宙に飛び立ったコトだ。そして「アトム」も存在しなっかた。彷徨ったアゲク、地球にたどり着き、地球人との共同生活が始まったのだ。もう一つ違うところは彼らは自らの食物を空中からの「科学的チッソ合成物(マナ?)」で採取していたことだ。だが地球人は穀物を栽培採取し、「残酷」にも生きた家畜を屠殺し、その肉を食べていた。そのうち宇宙からやって来た彼らも地球人の「生の食物」をコッソリと食べるようになっていった。「マナ」よりも美味しかったのだ。人口の増加は食糧事情の枯渇問題だ。「地球人の天馬博士」は科学省の長官であった。彼はこの問題を「宇宙人の天馬博士」が発明した「縮小液」で解決を謀ろうとしたのだ。スナワチ、「渡来宇宙人」の抹殺である。何時の時代でも「不均衡で地域的な生産性の食糧事情」と、食料の「再分配の不平等」は「戦争」を引き起こすのだ。「旧約聖書」に登場する「ヨセフ」の哲学は忘れ去られ、食べるモノがなければ他者から奪う、これが生きて存在していく「愚かな地球人の宿命」であった。抹殺されようとした「渡来宇宙人」との戦いを調停する「アトム大使」の登場。まるで現在的な地球事情である。だが、「アトム大使」は存在しないし、1945~1960年代に生きた少年少女達を感動させた「手塚イズム」、コレを思い出させることもなくかっての少年少女達は脂ぎった「私利私欲」にまみれたオトナになってしまっている・・・そして「鳥人」が登場する「ロック冒険記」や、「鳥人伝」の「マンガ」、これらの作品を描いたのは「手塚治虫」である・・・重なっているのは「偶然」か、「必然」か・・・幕末「和英辞典=枕辞典」を編集したスッタフに「手塚」なる人物が参加していたのだが・・・姓である「手塚てづか・シュチョウ・シュチュ」の意味は何か。この「音訓」でヨンだ同音異字が示唆していると思うのだが・・・「手(又=右手)」の「塚」とは平安時代に「源頼光」に切られた「大江山」の「酒天(顛)童子」、あるいは京に出現した「夜叉(薬叉)」が「藤原忠平(貞信公)」に「切られた手」、ソレが埋められた塚ではないのか?・・・私の使用している漢和辞典(大修館・新漢和辞典)には「字解と熟語」は「冢」もミヨ、とある。  もちろん、私も「マンガチック」ではあるが・・・真面目に「漢和辞典」を調べれば、「コウ」なるのだ・・・もはや「古事記パラノイヤ『痴漢』」だが。  円柱=κυλινδροs(キリンドロス)・記輪土呂素              ↓↓↓↓↓

             基倫都賂蘇=本はロンドンでの賂              麒麟の泥州       (賄賂・贈物)の翻訳              麒麟=身体は鹿、尾は牛、蹄と鬣は馬に似て五色に                 輝く。                 前漢の「武帝」が麒麟捕獲を記念して「宣帝」                 が「蘇武」等に描かせた麒麟閣の絵。  「麒麟」は「青龍」の対で「西」を守護する聖獣だが「白虎」と重なる。「玄武(北)」、「青龍(東)」、「朱雀(南)」、「白虎=麒麟(西)」である。  円柱=κυλινδροs(キリンドロス)  ・ ● ●・・● (アレイ=dumb・bell・・英語・・・阿礼(稗田阿礼)  ・ ∥            ↓  おし ↓  ・ ●=ギリシャ語    唖=押し 鈴=珠洲=錫=鑾=篠(しの)  ・              ↓   κουδουνι  ・              ↓   コ イド イニ(子緯度位2)  ・              ↓   καμπανα  ・              ↓   カ ムラ ガ(架邑賀・駕)  ・              ↓   γαβγισμα  ・        ア     ↓   ガ ベギ スマ(賀邊岐 州真)  ・        ↓     ↓   壁箕危鬼須磨  ・        唖=βουβοs=αφωνοs=βλακαs  ・           ボウ ボ ス アフォゴス  ブラ  カ ス  ・           卯  姥 州 娃府将後州 武羅 化 州  ・αλτηραs=唖 鈴  ・アルチムラ ス=在る薙(艸+雉=日下の雉=句差化記事務螺素)蒸らす  ・↓↓↓↓↓ ↓ ア      ル   チ ムラス(もらす)  ・阿婁地武羅 州=亜(あまねし)の流れ着いた地を漏らす・・・球磨  「麒麟老而劣駑馬(戦国策・燕)」=若年期に才能発揮しても老年期は無用。  すなわち、「唖鈴」は「鳴らない球」であり、「ナラナイたま=奈良乃球磨=奈良、即ち、球磨(熊・隅・隈・久万」、「無口な霊(タマ=球磨)=珠洲=天体」と言うわけである。「篠(しの・スズ)」は「群生する細い竹。ヤダケ、メダケ」で、「篠=竹の條(人+1+夂+木)」ならば「筑紫=九州の条(ジョウ=場・譲・嬢・娘)」である。  九州の場所に流れ着いた「人物」は誰か・・・留まった「人物」は誰か・・・イギリス人、「ウイリアム・アダムス(帰化名は『三浦按針』)」・・・「弘法大師・空海(姓は『佐伯』・幼名は『真魚』)」・・・  「唖の皇子」は「沙本(佐波遅)姫」と「垂仁天皇=伊久米伊理毘古伊佐知命」の子供、「本(品)牟智(都)和気の御子」であり、下っては「白村江の海戦」の出陣を控えて「朝倉宮」で死亡した「斎明女帝」、彼女の孫、「建(たける)皇子」であった。「三重」で「足(アシ)萎えた人物」は「ヤマト・タケル」であった。「アシナ」は「Αθηνα(アシナ)」で「ギリシャの『アテネ』」である。「須佐之男」が「神やらい」されたのは「足名椎(あしなつち)の国」であった。中国は「Κινα(キナ)」と言われている。・・・「キ」と「ナ」の漢字の同音異字をすべて検討して「キナ」にすれば「中国(中華・から)」が、「日本(にほん・本朝)」の何処かが見えるハズだ。  「錫(すず・たまもの・あたえる・セキ・シャク)」は「合金」の「ハンダ(盤陀=半田=鉛と錫の合金)」に使うものである。  金(八+口+日+一+勿)=X・・・  『金(キム・かね)属(族)』を『併せるもの』=合金  『鉛錫=エンセキ=宴(燕)席=円赤=遠戚=エンシャク=円尺=燕雀』  であるのだ。  「円尺」は「円周率=π=パイ」で、「几(つくえ・ひじかけ=肘賭=日出懸け=秘事懸け=肱掛け=菱描け・キ)」。・・・甲斐、武田家の「菱紋」の旗、そして「風林火山」であり、「日の丸」だ。  「燕雀」は「燕の国=公孫淵」と「雀の国=みささぎ=三朝祁(偽・欺)」の合体である。  「燕(つばめ・つばくろめ)=χελιδονι(ヘリドニ)」は「乙鳥=音調」で、「燕頷(エンガン)虎頭」は「遠い国で封侯となる人相。後漢の斑超の故事」。  「燕京は春秋戦国時代の燕国の都で現在の北京」。  「燕子花=あやめ(阿八女)=菖蒲」。  「燕支(脂)=紅。美人。匈奴の山名」  「燕雀安知鴻鵠志=小人物には大人物の志しは理解できないとの史記、陳渉世家の故事」  「雀(すずめ・さざぎ)=σπουργιτηs(スプルギティス)」  「大雀命(おほさざき・ダイジャク・タイシャク)=仁徳天皇。天皇の御陵は『ミササギ』である」  「雀鼠(ジャクソ)=リス=木鼠=きねづみ」であり、「移鼠(イソ)」は中国に伝教された「景教」、「大秦景教流行中国の経文・碑文」の漢字であった。  その意味は、まさに「イエス・キリスト(クリスト)」であった。  「縁者琥(王+虎=玖=狗=九=矩)」  「鑾(すず・ラン)」は「天子の馬・天子の馬の鈴」、あるいは「鸞鳥(ランチョウ)の和らいだ声」である。・・・本の乱丁、音の乱調である。  「鑾」は「糸+言+糸+金」で、「亦+金」。キム(金)に載ったコトバ(言)がフタツ(二)のイト(糸)に夾まれている漢字である。  「親鸞」の「鸞(ラン)」でもある。「森の大鳥の乱」、「親台帳の覧」だ。  「鸞」は「糸+言+糸+鳥」で、「亦+鳥」。チョウ(鳥)に載ったコトバ(言)がフタツ(二)のイト(糸)に夾まれている漢字である。  「無口」になったのは「古事記」では「天の宇受女」が「猿田彦」の後を嗣いで「汝(ナンジ・すなわち=沙輪地=佐波遅=笥那倭地)は天つ神の御子に仕へ奉らむや」と「諸々の魚(うお=烏将)」に問うに、「海鼠(なまこ)」だけが反抗し、「答え(応え)」なかったのだ。「なまこ」は「海鼠(カイソ・うみねずみ)」である。「ナマコ=拿魔子=名真子」は「改組=開祖=海姐・・・宇美音柘観=海姉=貝蘇=嫁威疎」・・・拷問に屈しなかったのは「キリスト」本人と彼への殉教者達である。「史記」を書いた「宮刑」の「司馬遷」の信念である。  そして「ナマコ」はその「口を折(さ)けられた」のだ。  「海鼠」とは一体、誰なのか?  ・・・答えは「竹が合う」、応(應=丶+雁+心=テンガンシン)えは、「广(まだれ)の心、(イ隹心=人はフルトリのココロ)」で、「まさに・・・すべし」の再読文字、「推量の意をあらわす」で、その「応答(應答)」の「音訓のスベテ」である。「應」の類字に「広=廣」がある。これだと「广(まだれ)のム(よこしま=邪)」であるが・・・「鷹(ヨウ・たか)」も類字である。  海鼠(なまこ)  =拿魔姑=名真語・・・卑弥呼     (カイソ)  =開 祖=改組=海姐      (うみねづみ)=宇美子頭箕=宇美根頭未(宇佐の南南西=熊本・天草・                          宇土・八代・水俣・出水・川内)     (あまねずみ)=海部子津箕(罪・積・摘)               海女音=尼子・・・雨音=雫(滴)・・質琥・室苦=雨+下                          しづく  ↓                          史柘句 斤+斤+目+人                              金+金+目+皮菟                              ↓   ↓ ↓↓                              虎   目 肥宇佐                              キンナラブ                              筋 並ぶ女の比図                               紀(記)務奈良武女人  「稗田阿礼」は「弐拾八歳」だが「記憶力」が抜群であった。その「キオクリョク=几臆慮矩」の「秘密」は「天体の円盤=天文学=星占い」である。  スナワチ、「二十八宿の『宿曜経』」なのだ。  「ヒエタアレイ」  「妃得た亜例 」であり、  「一得た有霊 」、  「日得た在れ移」、  「干重他娃令 」、  「比枝多吾例 」、  「卑の得た侘(よこしま)の阿(まがり)に戻(もどる)」、  「卑弥呼」の得た侘(ヨコシマ)の阿(クマ)に戻るのだ  ・・・阿蘇山(αθωοs・アソス・innocens=無罪・潔白)である。  αθυρμα(アシルマ・アスルマ・toy plaything)は「玩具でお遊び」だ。・・・玩具=王元目(女)一人  「Long long time ago」・・・昔、むかし(務可視・六歌詞)  「ロング、  ロング、  タイム、 アゴォゥ」・・・   ↓    ↓     ↓    ↓   論 語  賂鵡語  他位六 蛙語尾得   ↓    ↓     ↓    ↓   長い   永い    時    前   長い=long(ロング)=那賀委(囲)=名賀意(異)=長居=那珂位         ↓         論 具         ↓  「μακρα(マクラー)」・・・・・・・・・・枕詞  「μακρυs(マクラムス)」・・・・・・・枕夢州  「εκτεταμενοs(エクテタメゴス)」・枝句手多女語州  「εκτενηs(エクテンガンス)」・・・・・枝句手岩州  時=time(タイム)=朱鷺=鴇=穐=土岐=辰=解記=説記=溶氣=釈記       ↓       他意務  「ωρα、η(オラ・へ)」・・・・・・・・・・牡羅・経                  将拉・経                  緒羅・経=尾羅・経  以前=ago(アゴォウ)     ↓ ↓     ↓ 亜語将得=阿児王  =鴉誤逐= 蛙語往=婀娯邑=阿虞横=顎王     ↓ 吾=悟  唖児=兄 烏=太陽 卯=月 Y=二股 鰐=王仁     ↓      「豈(アニ、はからんや)」=反語の疑問副詞  「περασμενοs(ペラスメゴス)」             ↓             減らす女語素(州)  「παρελθονταs(パレゥルソンタス)」              ↓              巴霊卯留孫足諏              葉令得婁尊足す  「昔、昔(シャク・尺・借・杓・赤・石)」・・・艸(くさか・日下)一日  「むかし、むかし」・・・・・・・・・・・・・・武下賜・務化詞・六化施  「今は昔」・・・・・・・・・・・・・・・・・・今、葉、借(尺・釈)  「Onece    apon   a time」   ↓       ↓   ↓  ↓   一度      上   一  時   ↓       ↓   ↓  ↓   わん す   あぽん  あ  たいむ   王  諏   阿本   蛙  他意務・・・・・阿本=阿羅本   ↓  ↓   ↓↓   (な)  ↓↓↓↓   和務 洲(諏)  吾本   名  対意六(陸奥・武蔵・奥羽)   ↓  ↓   ↓↓   ↓  ↓↓↓   湾   州   阿本   吾  多意務   話鵡 素   亜本   値    無   倭武 州   亜本   価    武   和結      阿叛   仇   忌む   話六 素   胡本   蛙  他意鵡   腕(ム・肱ひじ・コウ=かいな=海名=改名=戒名=甲斐名)   ↓   椀  長恨歌・・・長い   恨み     の    歌   碗       ↓↓   ↓↓     ↓↓   ↓   鉢     英語↓↓   ↓↓     ↓↓   ↓   ハチ・ハジ   long   grudge    of    poem   八  ↓    ロング   グル ディ(ヂ)     ポーエム   蜂 age    露武虞  愚瑠 出委       補 重務     edge   ↓ ↓↓  ↓↓      ↓↓  ↓  ↓          ↓ ↓↓  ↓↓      ↓↓  ↓  ↓    ギリシャ語   ↓ ↓↓  ↓↓      ↓↓  ↓  ↓          μακρα μνησικακια ποιημα          マクラー   ム ィヂ  カ キ ア ポ イ マ             ↓  ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓            (枕) ( 武 遺児 書 き 亜)(補 意 真)             ↓↓ 無 異字 化 記 亜 保 意 真             ↓↓ 務 位置 書 き 亜   宝 飯間             ↓↓ 無 位児 柿   亜   斉明・推古             ↓↓ 矛 異字 化 鬼 あまねし  ↓ ↓             ↓↓ 保古維持          ↓ ↓             ↓↓ 捕姑意地          ↓ ↓             ↓↓ ↓ 医事          ↓ ↓             ↓↓ 補去意字          ↓ ↓             ↓↓ 浦子遺時=浦島太郎     ↓ ↓             ↓↓ ↓     ↓       ↓ ↓             ↓↓ ↓     ほい=天「菩比」は初めの派遣の神             ↓↓ ↓     ウ ラ  シ マ  ↓ ↓             ↓↓ ↓     卯 羅 志 摩 ↓ ↓             ↓↓ ↓     烏 螺 視 魔 ↓ ↓             ↓↓ ↓     う ら  み 鬼 ↓ ↓             ↓↓ ↓     ↓ ↓ ↓   ↓ ↓             ↓↓ ↓     δυσκολια↓ ↓             ↓↓ ↓     ズイスコ  リ ア ↓ ↓             ↓↓ ↓     (髄 素古 里 吾)↓ ↓             ↓↓ ↓     随 洲拠 理 阿 ↓ ↓             ↓↓ ↓     頭意州姑 理 亜 ↓ ↓             ↓↓ ↓     図意諏箇 浬 娃 ↓ ↓             ↓↓ ↓     ↓↓↓↓    ↓ ↓             なが い     うら みの     う  た             名賀 意     裏  観埜(キキ土)得  他             長  囲     浦  三野    有  侘             長  崎     裡  ミノ     詩(歌・唄)  「古事記」や「日本書紀」の「物語の展開」が地理的に「九州」の「筑紫」に「意図的」に懸けられているとするなら・・・ば、ここで、「なかつ=那賀津=那珂津=長津=中津(中努・中務・中司)=大津」の地名を、ギリシャの哲人、「ヒッポクラテース」の格言、「人生は短く、芸術は長し」と、「白楽天」、「長恨歌」を重ねて哲学してみよう。


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