伯拉多の「長恨歌・・・120句・840字」(3)
長恨歌(43~45)(22x) 43 黄埃散漫風蕭索 黄埃、散漫として、風、蕭索 (蕭=かわらよもぎ) ↓ 埃=アイ・ちり・汚れた・汚れた・・・エジプト(埃及) 蕭=よこしま・ななめ・ショウ・セウ ↓ 蕭何=漢の沛人・文終 ↓ 蕭統=梁人・武帝の長支 ↓ 昭明太子 オウアイ・サンマン・フウショウ・サク 往 合 散 漫 不 詳 朔 横 娃 蚕 萬 不 承 册 邑 姶 傘 蔓 不 祥 策 ↓ 黄 埃 散 漫 風 蕭 索 ↓ き ほこり ちる おだやか かぜ かわらよもぎ ひく 鬼 誇 散 小田家 化風邪 掛和等与模擬 引く 「黄埃」=艸一田人十一ム矢・・・奇人、貴人、鬼神、記尋 「散漫」=艸一月支水日网又・・・纂満 「風蕭」=几ノ中ム艸粛・・・・・封宿 「索」 =十ワ糸・・・・・・・・隠・・・壱拾は話のイトをヒク ・・・「日本書紀・斉明女帝5年6年(660)」に「阿倍比羅夫」が「粛慎(みしはせ)を討つ」と言う記録があり、「粛慎(シュクシン)」と言う種族が登場している。北陸から東北裏日本の「海族」であるらしい。 この時代は「百済救援」に於て「白村江(663年)の海戦」で「倭軍」が敗退した「四年前の事件」である。 漢和辞典には「粛慎(シュクシン)は現代中国の松花江(ウスリー江)・黒流江あたりに住んでいたツングース族・その国の名前」とあり、「わが国ではミシハセと呼ぶ」と記されている。果して同一の種族か?・・・「熟語」として使われる場合は「うやうやしくつつしむ」とある。当然にも「古語辞典」にはその説明はない。「古語学者」、「言語学者」は「漢字」を何処かへふっとばして「日本語」を考えようとしているからだ。ナムサンである。「粛慎(審)=『粛妃』」とは誰か?。 ヨモギの異字で「蓬」がある。「蓬莱山」の「ホウ」である。やって来たのは「秦」の「始皇帝」の「お抱え学者の『徐福(ジョフク)』」である。「徐福」は「徐市(ジョフツ)」とも呼ばれ、この「市(フツ・フチ)=一+巾」は「ひざかけ・まえだれ」で「市(シ・いち)=亠+巾」と似ているが「異字」である。 この「字」は、「ニ・ジ=似・字=尼・児=丹・地=迩・璽=二・時=二・事」を示唆している重要な「漢字」であるのだ・・・が・・・。もちろん、「徐(ジョ)」の「漢字」も「重用」なのだ。スナワチ、「女」であり「序」、「助」だ。 ・・・「徐皆(ジョカイ)」と言う人物は、「宋の学者。『徐鉉(ジョゲン)・宋の太宗の命によって〈説文〉に校注をつけた人物の弟』。その著『説文繋伝(セツモンケイデン)』は『説文』の注釈書の最初のもの』」と漢和辞典にある。 ・・・『皆』は漢和辞典には(金+皆)と記されているがこのワープロには無いのでとりあえず『皆』とするが、日本語の原点は漢字であるからして昔の漢字を簡略化しては言語起源や歴史が見えなくなるのはこれで理解されるだろう。言葉使いと言うよりも漢字を「当用漢字」にするなどとは「日本文化」の原点を行方不明にしてしまう『愚の骨頂』ではあるのだが・・・。 さて、「説文」だが、「説文解字」のことで、漢和辞典には次のように記されている。 ・・・書名。三十巻。漢の「許慎(キョシン)」の著した字書。九千余字が載せてあり、五百四十部に分かち、六書の意を推究して文字の意味を明らかにしたもの。中国文字学の基本書の一。その注釈書としては「清の段玉裁(ダンギョクシ)」の「説文解字注」が有名・・・ 私が使用しているこの漢和辞典は「大修館・新漢和辞典(昭和六十年四月一日・改訂版第四刷発行)」のモノであるが、この「抜粋」した箇所に「ナニ」かを発見した読者は「タイシタモンダ」と言っておこう。・・・もちろん、この全文を同音異字に変換するのだが・・・この「漢和辞典」の「下敷」を作った「人物」は「日本古代史」や、「日本中世史」をよく「理解」し、その「意味」で、「漢字」の「意味」を明かにし、「日本語」での「意味展開・記録」した人物であるハズである。・・・だが、この「漢和辞典」を編集作製した「学者達」はその「叙述編集の意味」を「理解」してイナイのではないか?! ・・・「諸橋先生」はどうであったのだろうか・・・知っていた(?)・・・重要な漢字が記録されている漢和辞典の「索引頁数」の「数字」は意図的なものとしか考えられない・・・偶然にしてはアマリにも頻度が高すぎるのだ・・・「粛慎」である。・・・「許慎」である。・・・「徐皆(ジョカイ)」であり、「徐鉉(ジョゲン)」であり、「序文」、「女文」・・・紋(糸文)、聞、問、悶である。 ・・・珠矩進=宿進=諏苦心・・・虚心=嘘申・・・女界=序諧・・・女玄=序言=助言・・・である。 もちろん、「古事記」の「序文」がすべての「鍵」である。 しかも「市(フツ・フチ)」と「市(シ・いち)」に「木偏」が付くと「柿(こけら)」と「柿(かき)」である。「柿(かき)」と「柿(こけら)」は似ているが「異字」の漢字である。「柿(こけら)」は「木」+「朮」とも書き、「朮(シュツ・ジュツ・チュツ・ジュチ)」とよみ、その説明には「もちあわ・おけら・草の名・根を健胃薬に用いる・うけら・えやみぐさ」とある。とにかく「柿(こけら)」は、桧(ひのき《舞台》)、槙(まき《巻・真紀・薪》)の皮(かわ《化話》)を剥(は《矧・葉・頗》)いだモノである。「柿(かき)」は「柿本人麻侶」で「萬葉集の歌聖」、「柿(こけら)」は「柿落し=こけらおとし」で、「芝居小屋新築落成記念の初演興業」である。 何故、この「柿(かき)」と「柿(こけら)」が紛らわしく「歌」と「芝居」に関係するものとして「日本では使われて来てしまっている」・・・のか? 「聖」は何故、「ひじり」とよむのか・・・「日字理」であり、「比耳理」、「比字理」、「日時理」、「日尻(尾=ビ・毘・備・美・琵・媚)」だからだ。「ヒの尻をサス」とは「古事記」に重複されて出て来る「表現」であるが、「俗な面」に捕らわれると他が見えなくなる。「白石先生(?)」のように考えれば「言葉の流れ」を拒否して「カタブツ」な考えしか出来なくなるのだ。「原語」はまさに「歴史時代の流れ」に添って使われた・・・意味が多重するのが当り前で、「概念」が特別な「哲学用語」なら、「『哲学』の概念」も「西周(にし・あまね)」によって出来たのだ。 「こけらおとし」は同音異字で、「鱗(こけら)落し」がある。「魚(さかな=うお=まな=真名=漢字)」の「鱗(うろこ・リン)落し」であり、「苔羅(螺)落し」は「艸の台=日下の邪馬台」の「おとし(音詞・音施・緒都史)」であり、「痩化(懸・毛・華・気・家)羅(螺・裸)落し」で、「転気羅の尾斗支」である。「古希羅麻渡至」・・・「古記」、、「古義」、「語義」、「誤記」、「五畿」、「御忌」・・・「後家裸嗚妬詞」かも・・・ねッ。・・・「苔の蒸すまで」と言う「ウタ」があるが、「苔をオトス」と「ナニ」が現れるのであろうか・・・?!・・・「磐・岩・巖・石・委話」である。ちなみに「市」は「刑場」であり、「仕置場」でもある。 ・・・オッソロシイ、クワバラ、クワバラ・・・言わぬがホットケ・・・かも・・・。 「蕭(艸+肅=かわらよもぎ)」を分解すれば、 「艸=くさか=句作(差)化=日下」 「粛(シュク・つつしむ・すみやか)=肅」 ↓ 八+一+隶(ヨ水)・・・逮捕 八+一+隶(ヨ水)・・・逮捕・・・退歩 ↓ ↓ 彑(ケイ) 他意補 ヨ=針鼠、 ↓↓豚の頭・・・幡子(八幡の子)、 ↓↓ 巫侘(御子は横島) ↓↓ ↓ ↓ フ(毋=ブ・ム) ↓↓ ↓ 鼠(移鼠=イエス) 毋(ナカれ)=一+女 ネズミ=子逗箕=値罪・音柘見 ↓ =名賀例=那賀嶺 針=金十=希務の十字架=禁中 女性が犯されるのを拒止 鼠=臼爪雨水 ↓ ↓ ↓ 有珠津女海部御津 母は「毋(カン)」の類字 針鼠(はり・ソ)=審訴=親疎 ↓ ↓ 貫の源字 ↓ 張祖=弓+長+ネ+且(かつ・シャ・ショ)・・且字=仮の字名 架けられた素(祖・姐・甦・蘇)・・・イエス・クリスト 張り付け=貼り付け 「肅」=聿(イツ)+片(ヘン)・・・編・偏・遍・篇・辺・扁・変 (かた)・・・方・形・型・肩・潟・過多 +爿(ショウ)・・将・生・姓・照・咲・鍬・鍾・章・正 (ゾウ)・・・蔵・造・象・増・會・像・贈・臓・憎 (きぎれ)・・機宜令 (ほこ)・・・・矛・鉾・母虎・保護・補語 (ねだい)・・寝台・子弟・祢貸・根代・音替・値妥意 シンダイ ↓ 金貸して利息を取る 「両替屋」=領がえ家 借りる ・・・粛慎・・・・・(み し はせ) 未(箕・壬・三・巳・診)支に馳(長谷=長家) 詞・史 波瀬=葉施 粛 慎・・・・・(シュクシン) ↓ ↓ 宿 申=(辰・晋・臣・親・矧・新・審)=南西・坤 索=(十 の 冖 の 糸 )・・・索引 ↓ ↓ ↓ ジュウ ワ イト ・・・重話意図 中 倭 伊都 伊達の都、仙台・・・「伊達正宗」の話 戦国武将、「伊達正宗(童名は梵天丸・独眼龍正宗・陸奥守・従三位・権中納言・永禄十年・出羽米沢で生)」の数奇な宿命、運命を歴史好きなあなたなら知っているであろうとは思うが、彼は幼児期に病で「片目」を失い、母親の「義姫」に嫌われ、「天正十二年(1584年)・十八歳」で家督を継ぎ、「阿武隈川」の川岸で、敵の「二本松義継」の虜になった「父親」を無念にも助けれずに見殺し、翌年、 仇の「二本松義継」を討ち滅ぼし、「天正十七年六月(1589年)」、「蘆名義広」を攻略して、「蘆名」氏を『常陸水戸』に追いやり、「佐竹」、「結城」、「石川」、「岩城」、「相馬」氏を駆逐し、「会津十余郡・仙道七郡」をおさめて「黒川城」に移った。 その後、「豊臣秀吉」の圧力が及び、「実弟」を藩主にしょうと策した母親「義姫」に「毒」を盛られて暗殺されそうになった。だが、「九死一生」を得て、「実弟」を殺し、「母親」を実家の最上家に追放した。 ・・・彼の「暗殺未遂」、「九死一生」・・・「案冊未遂」、「九史壱章(九詞壱承)」である。 「蘆名」氏は「足名」とも「芦(葦)名」とも記録されている。しかも、「常陸」に逃げたのである。・・・「あしな」である。 「現存・古事記」には「須佐之男」の「『高志』の八俣大蛇(やまた・をろち)退治」の所に「国津神=大山津見神」である「足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)」が登場する。彼らの娘(嬢)には「八稚女(やをとめ・八人の娘)」がいたが、既に「七人の女(むすめ・娘・嬢)」は犠牲になっており、残って生きているのは「櫛名田比賣」が唯一人であった。「須佐之男」は「櫛名田比賣」を嫁に貰う条件として「『高志』の八俣大蛇(やまた・をろち)退治」したのだ。 「コシ」は、 ①越・②古志・③古史・④古詩 ⑤輿(地理・御輿・嫁入) ⑥腰(袴、刀等の数詞・紐・和歌の第三句の五文字)・() ⑦枯死(木十口一タヒ) ⑧濃(美濃・信濃・赤紫色の濃さ) で、これらの言葉の意味を「超・故詞・来詞・漉・濾」、「鯉(魚里)」、「恋・乞・請」して「八俣大蛇(やまた・をろち)退治」したのだ。ここは古語辞典で「こし・こじ」を調べて貰いたい。 「中つ国」から「追放」されたのは「須佐之男」であるが、彼は「高志の国」から「八俣大蛇」を追放したのである。「独眼龍」に「常陸・水戸」に追放されたのは「蘆名(あしな)」氏であった。「大国主(大穴牟遅)」は二度も、「八十神」の兄弟達に殺されて「母親」と「神産巣日之命」、「木國の大屋毘古神」の尽力で「生き返った」のであるが・・・その後、彼は正体不明の「少名毘古那神(神産巣日神の御子)」と協力して國作りをするが、彼の正体を証したのは「久延毘古(クエビコ・山田の案山子)」であった。「サンタのカガシ」である。だが「少名毘古那神」は「常世國(渡古代・譲与)」に行ってしまい、その後「大物主」と協力して國造りを始めたのだ。その後、「大國主」は「天照大御神」配下の「建御雷神=起てる音、カミナリ(ゴロゴロ・語呂、語賂)」と「天鳥船神=転(添)朝鮮」に脅かされて國を譲り、「海没(甲斐没)」し、息子の「八重言代主神=八重事大主神」も「海没(甲斐没)」した。一方、もう一人の息子の「建御名方神=起つ音名は方陣(法人・邦人)」は戦ったが「信濃(科野=トガの)國の諏訪(州羽=スウ)」に逃げた・・・これは複雑だが、「覇権(派遣)者」が西の九州から裏日本(山陰)、北上(東北)へとその勢力を伸ばして行ったプロセスで、戦国時代の物語が重なってはいないか・・・もちろん、「邪魔台国」、「十字架」を象徴する「耶蘇(楚)教=切支丹=吉支丹」の同音異字、年号の数にもである。 また、「伊達正宗」は「豊臣秀吉」が「北条征伐」の命令を下したときに出遅れ、「白装束」に身を包んで、「関白・豊臣秀吉(木下藤吉郎・日吉丸)」に命を乞うて許しを得たのだ。 「蕭(かわら よもぎ)」は・・・ 華倭羅 与母犠・・・卑弥呼=母・・・壱与=宗女・・・牛の犠牲 化ワラ 預母義(義姫は伊達正宗の母、東北、最上藩主の娘) 稿 =原稿=現行=言行・・・わら=藁=ノギ=禾=穎 ↓↓ ↓ 河原 与模擬・・・河原乞食!? ↓↓ ↓ 三宝 河原 蓬 =カゲン(加減=下弦)の艸(日下)の逢(・夂三|) 川原 蓬 =センゲン=専権=浅間=先見=先遣 参謀 香春 蓬 瓦 余模擬 日輪羅 夜模擬 「粛慎」が「うやうやしくつつしむ」の意味もこれでわかろうと言うものだ。・・・すなわち、「粛慎」とは「阿倍比羅夫=阿毎の干の羅の夫」に討伐される東北の「粛慎=蝦夷=敵対者」ではなく、「卑弥呼」の「同族」なのだ。そして「則天武后」に「阿武」と罵倒し殺された「淑妃」の示唆でもあるのだ。 「比羅夫(ヒラフ)」の名前は「一羅婦(ヒラフ)」で、「一累(婁・琉・瑠・流・留)婦」、「比裸婦(ヒラフ)」、「妃裸婦」、「宇受女=猿女」の「海女=海部=海士=尼」であり、「天=店=点=典=転=展=添=顛=填=辿=槙=殿=纏=甜」の順序の「比較せよ」の「示唆=支差=シサ」である。 44 雲棧榮紆登劍閣 雲棧、榮紆して、劍閣に登る・・・(閣道=北斗七星の柄) ↓ ウンセン・エイ ウ・トウケン・カク 運 船 曳 迂 刀 剣 欠 雲 仙 永 烏 討 建 拡 ↓ 雲 棧 榮 紆 登 劍 閣 くも はし さかえ めぐる のぼる つるぎ くい 句模 葉示 唆還 巡 る 廼歩流 晦留氣 句言 蜘蛛 箸 阪得 女來る 登 都留祁 悔い 佐賀重 雲 棧 榮 紆 登 劍 閣 ↓ ↓ ほこ まがる=曲がる=迂る 補語 まつわる=纏わる=真津倭留 保護 からみつく=絡み着く=唐貢ぐ なわ=縄=名和=那倭=拿話 「雲=雨云=海部運」、「棧=木戔(サン・ザン・セン)=基線=機先=貴賎=起算=帰参」。「榮=火火ワ木=ならぶヒのワのキ」、「紆=糸于=イトのウ」 45 峨嵋山下少人行 峨嵋の山下、人の行くこと少なし ↓ ガビ・サンゲ・ショウジン・ギョウ(コウ) 華美 山 気 精 進 暁 臥妃 傘 下 将 申 仰 ↓ 峨 嵋 山 下 少 人 行 われ まゆ やま した すくない ひと ゆき 話例 眉 耶麻 史多 少 ない 人 倖 和霊 繭 家増 した 州玖那委 妃都 油木 「古事記」には「七歳の眉輪王=目弱王」と言う人物が登場する。彼は「仁徳天皇=大雀命」が「日向・諸懸の君、牛諸が女=髪長姫」との間に産んだ子供、「日下王=波多毘能太郎子」の子供である。すなわち「仁徳天皇」の「孫」である。「日下王」は「甥」の「安興天皇(穴穂御子)」の罠にはまって殺害され、あげくに「姪」である妻の「長田太郎女」は略奪されて、「眉輪王=目弱王」を連れ子にして「天皇(弟)の皇后(姉)」にされてしまった。その「眉輪王=目弱王」が「叔父」であり、「義父」である「安興天皇」の根首を欠いて「父=日下王」の仇を討ったのだ。だが、「眉輪王=目弱王」は「安興天皇」の「弟」、「雄略天皇(大長谷王子)」に殺されてしまうのである。すなわち、「叔父」が「姉の子供」、「甥」を殺したわけである。そして「雄略天皇(大長谷若王子)」は「叔母」である「若日下王=波多毘能太郎女=長日姫=長目媛」を「皇后」にするのである。・・・「叔父」と「甥」の「関係」の災難である。「長田太郎女」と「若日下王」に絞れば「姪」と「叔母」の「関係」の「災難」である。「仁徳天皇」からすれば「孫」の災難である。「長恨歌」は美女、「楊貴妃=玉環」の「長い恨みの歌」である。 重なる「古事記」のヒロインは「長田太郎女」と「長日姫」だ。系図を書けば、 石之姫・・・ ・・ ・・木梨 仁徳・・・・・・允恭・・・・・・・・・・・・長田太郎女・・・・ ・・ ・ ・ ・ 髪長姫・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・ ・ ・・境之黒日子王 ・ ・ ・・眉輪(目弱)・・安庚(穴穂命)・・ ・ ・(媚の話) ・・軽太郎女 ・・大日下・・ ・・八瓜之白日子王 ・・若日下(長日姫) ・・雄略(大長谷若建命)・・ ・ ・・橘太郎女 ・ ・ ・・酒見郎女 ・ である。「長田」が「おさだ」ならば「訳田(譯田・訳他・約侘)」だ。 「楊貴妃」はもと「玄宗皇帝」の「十八(壱拾八)番目」の息子「寿王瑁(ジュオウマイ)」の「妃」であった。尋ねよ王・・・「瑁(ボウ・モウ・バイ・メ・マイ)」は「王冒」なら「王はヨコシマのカン」、「王日目」なら「王のヒメ」、「寿王瑁(ジュオウマイ)」なら当然、「呪王妹」だ。「タイ(王毒)瑁(マイ)」は「亀(キ)=穐」の一種で「鼈甲(ベッコウ)の材料」・・・「別項」の材料である。もちろん、「十八番(おはこ)」はマ(巻)ってましたの「古事記」か「日本書紀」の「餌食」としてである。 「別項」の「材料」とはこうである・・・ 755年、唐の「玄宗皇帝」は「李林甫」の讒言で「宰相」の「張九齢」を退け、「李林甫」に替わらせた。その後「楊国忠」が「宰相」となったが、これを不満として「胡人」の「安禄山」が「安史の乱」で皇帝を称し、「国号」を「大燕」としたのだ。そして、初期に「開元の治」を実行した「玄宗皇帝」は「安史の乱」で、最愛の「楊貴妃」を殺してしまったのだ。彼女は別名は「玉環」であった。 玄宗皇帝・・「幻想」は元部・玄武の「亀にとぐろを巻いた蛇」 李林甫・・・・「李(すもも)」の「林(はやし)」の「甫(ほ)」 諏桃 囃(葉香具師) 蒲・補 讒言・・・・「ザンゲン」は「残源」 宰相・・・・「斉嫂」は「ウの辛のキの女(得唐の記録された女=相似・掃除)」 張九齢・・・「弓」の「長」は「九」の「弱い司令・指令」 球磨 他家 九州 与話移 史例 楊国忠・・・「やなぎ」の「くに」の「中」の「心」 八薙 邦 那賀 箇々炉 胡人・・・・「西・螺・爾志・似史」の人は「迩迩芸」 安禄山・・・「闇鹿」は「岩戸隠れ」 安史の乱・・「闇時の覧」 国号・・・・「酷号」は鶏の鳴き声 大燕・・・・「大津婆女」 開元の治・・「開眼」、「改元」、「海元」、「海彦」 楊貴妃・・・「幼貴志」、「用忌避」、「要記秘」。「楊=柳=劉」で「葉」 玉環・・・・「珠話」、「霊倭」、「球輪」、「球磨話」、「熊環」、「玉観」 「ヨウキヒ」は「葉紀比」で、「容器と匙」、「陽気日」であり、「妖気秘」、「預卯(烏)忌避」、「曜木妃(日)」、「用紀秘」は「夜徽比」の「要記卑」で「卑弥呼」、「踊姫一」は「宇受女」、「羊己日=己未日」で「壱与」である。 もちろん、「楊=猫やなぎ(音拠哉拿欺)=柳(リュウ)=『劉(仁軌)』=龍神紀(日本書紀)」である。 「峨嵋山」は「四川省成都の西南130キロ岷江の左岸の奥にある山」である。「蛾」は、「蚕、きくらげ、蟻、足のない虫」。「蛾眉」は「美人」。「眉」は「長生きして眉毛の長い老人」。「眉・」は「額(ひたい)」。「眉月」は「三日月」のことで、「初月」、「新月」。「眉目秀麗」とは「みめ麗しい女性」、「揚眉」は「目をあげてみる」、「斂眉」は「まゆをひそめる・まゆをしかめる」である。「媚」は「女性のこびる様」である。「媚子」は「賢人、愛する女子・頭の髪飾り」、「阿媚(アビ)」は「へつらう」の意味である。 「峨嵋山」=ガビサン=「画美燦」、「蛾眉蚕」、 「蛾眉 」=「宛転『蛾眉』馬前死」はこの「長恨歌」の別行、 =「劉希夷、代悲白頭翁詩(宛転『蛾眉』能幾)」 「眉山」は日本の九州長崎島原の「普賢嶽」に並ぶ「山」である。 「ガ」は「蘇我」、「臥薪」、「画家」、「志賀」、「滋賀」、「我慢」、「歯牙」、「虎牙」、「若芽」、「優雅」、「駕幸」、「駕説」の「ガ」である。 「ビ」は「美人」、「雁皮」、「華美」、「吉備」、「野火」、「ひび=皸・罅」、「虎尾」、「龍尾」、「真備」、「優美」、「予備」、「裸美」、「炉火」、「揖斐」、「海老(エビ)=蝦=蝦夷」の「エビ」である。 隠されている秘密は「蘇我蝦夷(毛人=盲人=メクラ=女句裸)」である。 杖を突いて歩く「盲人」の仕事は「按摩」、「針灸師」で、最高位の官名は「検校(佼)」と呼ばれている人だが、辞典に記されている意味は「物事を改め考えること・寺社内の事務を監督する僧侶」である。 そして「物語る人」で「琵琶法師」であった。 「四川 省成 都 西南 岷江 の 左岸 の奥山」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 「支線(視線) 招請 斗 西南 明光 の 左丸 の億燦」 (簑玩=美濃王が元=土岐) 簑=竹が衰える ↓ 箕=蓑=味野=三野=三野 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 「死線 勝勢 都 政難 罠好 の 詐贋 の横纂」 (甥難)(皇・后) 邪簒 ↓ よこしまを省く ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 「私撰 小成 図(塗) 正三波箕武考 の 佐願 の邑久纂」 小生 柘 時代は「白居易=白楽天」の前に「李白」が居るが、彼の「峨嵋山月歌」に「峨嵋山月半輪秋」の詩があるが・・・いわんとするところは明白だ。 「峨嵋山下少人行」の・・・ 「下少人行」・・・ゲ(外)小人業 ・した(舌) 外=夕の卜 ↓ ゲ(解)承認形 ・した(史他) 角を刀は牛 ツノのカタナはウシ 柘之 方名 丑(得支・卯支・烏支・主)・・・ ↓ ゲ(解)商人交 ・した(市多) アキヒトのマジワリ ↓ ゲ(解)証人稿(考・頁・項) ・した(詞汰) ↓ ケ(化)・・・変化・気化・帰化 ↓ ケ(家)・・・懸 ↓ ケ(華)・・・中華・支那・唐・漢
46 旌旗無光日色薄 旌旗、光なく、日色、薄し ↓ セイキ・ムコウ・ヒヒキ・ハク 正 規 無効 秘弾 剥 西 紀 向日 卑妃記 履 ↓ 旌 旗 無 光 日 色 薄 はた はた ない ひかり ひ いろ うすい 将 幡 乃 光 緋 色 碓氷 葉多 把他 名意 日化理 比 意濾 得素移 「旌旗無光日色薄」・・・生気武熊緋色伯 「旌旗」を分解すれば、 旌 旗 「方 ・ ノ一生(牛一) 方 ・ノ一其」 ↓ ↓ ↓ ↓ ほう かみさし うしはじめ ほうかみさしもと 邦 家箕指し 卯支始め 放火家見作史模斗 豊 懸美砂史 得詞葉字女 放歌加味作史母都 この「セイキ」の同音異字は、「正規」、「精機」、「盛期」、「精気」、「性器」、「生気」、「生起」、「清規」である。「無光(ムコウ)」は、「無効」、「向日」、「剥こう」、「武光」、「六甲」、「務孝」、「牟行」、「夢虹」、「歩行」である。 47 蜀江水碧蜀山青 蜀江、水碧、蜀山青し ↓ ショクコウ・スイヘキ・ショクサン・セイ 色 光 水 璧 殖 産 生 織 工 水 日置 埴 産 西 ↓ 蜀 江 水 碧 蜀 山 青 あおむし かわ みず たま あおむし やま あお ↓ ↓(とうまる=鶏) 娃夫無視 禍倭 御津 霊 青 無死 耶麻 碧 碧 武姿 花倭 美豆 珠 蒼 無私 耶麻 娃将 「蜀江水碧蜀山青」を分解すると、 「蜀」=「网勹中ム」・・網・堤構え・中・横島・・・編みつつ身構え名化横島 「江」=「水工」・・・・水・匠・・・・・・・・・・御津匠 「水碧」=「水王白石」・水・邑・城石・・・・・・・見ず定跡(嬢国・娘石) 「蜀」=「网勹中ム」・・網・堤構え・中・横島・・・阿見津柘美佳前重邪 「山青」=「山主月」・・・・・・・・・・・・・・・耶麻主津其(駕津・懸津) 「网(あみがしら・あみ・ボウ・モウ)」の造りの漢字には、 「蜀」=青虫・毛虫・蝶や蛾の幼虫・とうまる・ひとつ・独り・祭器・四川省 「罕」=カン・とりあみ・鳥を捕る柄の長い小網・旗・まれ、たまに 「罔」=ボウ・モウ・ム・鳥獣魚の類を捕らえる網・法律・掟 あみ・むすぶ・ない・なみする・こじつける・あなどる・しいる あざむく・いつわる・くらい・うれえる・すだま・みずは 「罘」=フウ・ブ・あみ・兎あみ・鹿あみ・重ねる・鳥あみ 「罟」=コ・ク・あみ・魚あみ・目の細かいあみ・法律・おきて 「罫」=カイ・エ・ケイ・とどこおる・め・すじ・すじめ 「罠」=ビン・ミン・わな・つりいと・あみ・兎あみ・鹿あみ・猪野あみ しかけ・計略 「衆」=シュウ・あつめる 「買」=バイ・かう 「罵」=バ・メ・ののしる 「罨」=エン・アン・あみ・おおう・おおいかぶせる 「罪」=サイ・サイ・セ・つみ・とが・あやまち・しおき 「罰」=バツ・バチ・ハツ・ボチ・つみ・しおき・とがめ・こらしめ 「罹」=リ・かかる・うれえ・なんぎ・なやみ・こおむる・あう 「署」=ショ・わりあてる・てわけする・やくわり・しるす 「置」=チ・おく・き・やす 「罩」=トウ・チョウ・かご・魚とりかご・竹で編んだたかご・こめる 「睾」=コウ・さわ・きんたま 「羅」=ラ・あみ・とりあみ・あみさうる・つらねる・かかる・こうむる・あう うすぎぬ・あやぎぬ・うすもの・綺羅 「羅敷(ラフ)=羅布」=戦国時代の趙の邯鄲(カンタン)の女。 姓は秦。趙王の家老王仁の妻、陌上桑(ハクジョウソウ) 「罧」=网林 「罷」=ヒ・ハイ・ベ・やめる・しりぞける・かえる・つかれる・にぶい おろか・まかる・みまかる 「罸」=トウ 「羂」=ケン・わな・縄で獣をくくる 「羆」=ヒ・ひぐま・しぐま・毛が赤茶色の大熊 「羈」=キ・おもがい・つな・つなぐ・ほだし・わずらい・たび 「羇」=キ・たび・たびびと・おもがい(馬具飾りの一) 「羇旅之臣」=旅人として客扱いを受け家来となっている人 すなわち、ここでは「網(あみ)=阿観(阿字観)=モウ(牟・卯・冒)=猛(たけし)=妄(みだり・でたらめ・うそ)=盲(めくら)=毛(け)=懸」が懸かっていると言うわけである。網で捕らえるモノは「旁」の鳥、獣、魚の漢字だ。 48 聖主朝朝暮暮情 聖主、朝朝、暮暮の情 ↓ セイシュ・チョウ チョウ・ ボボ・ジョウ 清 酒 長 調 暮簿 情 西 主 長 弔 母墓 場 ↓ 聖 主 朝 朝 暮 暮 情 ひじり ぬし あさ あさ くれ くれ なさけ 日字理 主 亜作 吾差 繰れ 繰れ 名作懸 卑地理 奴至 阿座 蛙坐 句例 呉 名差化 「聖(ひじり)」は「歌聖の柿本人麿」と「聖徳太子の豊聡耳厩戸皇子」である。このことは「聖徳太子」が存在しようが、しまいが何を示唆しているのかは理解できるはずである。「聖」は「耳と口の王」であり、「豊かに聡い聴覚の耳を持つ旧都の皇子」なのだ。もちろん、「柿本人麿」は「書きの本の肥の都の真の侶」であり、「柿(こけら=苔羅)落しの為の本」である。当然にも彼らの存在した場所は「豊国」と「肥国」であり、「記録」した「下敷」はすべて「聖書」である・・・あるいは「伊都的」に「聖書」にその「音」を「聖主」と「聖母」を重ねたのだ。もちろん、「卑弥呼」と「壱与」、「ギリシャ神話」の「女神」達にも。 「聖主」=「姓種」、「朝朝」=「長調」、「暮暮情」=「姥母嬢」
49 行宮見月傷心色 行宮、月を見れば、心を傷ましいの色 ↓ アングウ・ ケンゲツ・ ショウシン・ シキ 暗 偶 懸 月 昇 進 始期 安 宮 建 傑 焦 心 磯城 ↓ 行 宮 見 月 傷 心 色 ゆく みや みる つき いたむ こころ いろ 往く 宮 見る 月 移他務 個々路 胆呂 喩句 観冶 箕留 津鬼 悼 む 心 色 逝く 魅哉 未婁 就 慰詫務 箇々路 委呂 天子の旅が「行宮(あんぐう)」と何故、よまれているのか?・・・坊主の旅を「行脚(あんぎょ)」ともよんでいる。「行(アン)」は「唐音」と漢和辞典にある。「ン」はほとんどが「ム(ゥグ)」の音声であったろう。だが、「暗愚(アング)」は、暗闇の道で、道理が解らないことである。とするならば、「アムグ・ウ」は「道理のわからない奴」の、「編む愚の『・』」への批判ではないのか・・・もちろん、『・』は「・野沙良=持統女帝」で、彼女の「百姓が多忙な時期」、「農繁期の邪魔になる度重なる吉野への旅行」をも、である。・・・たぶん、「卑弥呼・壱与」の「闇宮(アングウ)=暗倶烏=暗具卯=朔=闇夜=月の始まり日=新月」、あるいは「日食=闇の昼」ならば、「みまかり=逝く」の「場所=墓」であり、「みま・かり=美馬(午・母・婆)の禍里(苅)」であろう・・・「女王の屍の場所=塚=古墳」か「黄泉=よみ」である。「行宮」は「宮に行(往・逝)く」で、「天文盤=天文占い盤=星占い」ならば、「十二区分=宮」の「日月星辰の移動」である。「行脚」は「脚(足=又)に行(往・逝)く」で、「108宿の足(度数)」である。「式盤」とは、 ・占いの「宿曜盤」であり、「六壬神課式の盤」・である。 「天(海部・海女・海士・尼)」の「子(シ・ネ・おと・こ)」の 「旅(度=ド=土=怒=努=堵=奴)」、 「僧(草・嫂・宗・綜・葬・)」の「侶(リョ・ロ・とも・なかま・つれ)」の 「旅(たび・足袋=ソクタイ)=束帯(たばねる・おび=田場値留・帯=畔) ソクタイ 流・帯=河川 速 大 =測台=即他意 婁・苔=老体 =あしふくろ=吾支扶句賂=葦(足)復路=阿始府玖路=亜史復路)」 「古事記」では「畔(あぜ)の破壊」は「須佐之男(諏作之緒)」の「狼藉(ロウゼキ・漏籍)」である。「藉田」は漢和辞典に「天子が祖先の祭に用いる米を作るために自ら耕す田」、「天皇の田植」。「藉」は漢字分解すれば、「くさか(艸・日下)の禾(能義・退)の昔」である。「音訓」すべての「音」をとれば、 「藉(シャ・ジャ・セキ・ジャク・しく・しきもの=敷物 ・かりもの・かりる・かす ・かこつける=口実・よる=原因 ・たよる・たすける・ゆるす・いたわる ・もし・かりに・たてまつる・みだれる・ちらばる ・ふむ・ふみにじる ・なわ・つなぐ・しのぐ・はずかしめる)」 である。云うまでもなく、ここの「音」は「本来の意味」も採るが、「同音異字」の意味もとるのだ・・・「しく(敷く)」=「詩句・市区」、「かこつける(格好付ける)」=「過去・加古・水夫・水人・水主」等と・・・ワカルカナ・・・この「コトバ」の「ワザ」が・・・何度も何度も・・・納戸も南度も難奴も・・・ひつこいくらいに、「南土=未」も・・・サッ。 「卯(月)」が「烏(太陽)」に重なる「日食」は「朔」で「新月」の時に起きるのである。すなわち、地球・月・太陽の「位置」関係である。「月食」は「望」で「満月」、月・地球・太陽の「位置」関係で起こるのである。「暗闇」の影響は「日食」が大である。この自然現象は「邪馬台国」の「卑弥呼」の時代にも起こった。もちろん、「記録」されたモノは「卑弥呼」と「壱与」の権力交替の「原因」にも「カサ」ねたのだ。 そして、「古事記」にもそのパターンは「コトバの音」として意図的に「カサ」ねるモノとして「物語の中の文字」で「同音異字」の意味を「示唆」しているのである。・・・サギをカサネタ・・・わけダヨナ・・・「木花之佐久夜毘賣」は。 すなわち、「カサ(笠=龍=『劉』・留・『柳=楊=煬』)=加佐・傘)」なるのは「鵜(う・弟鳥=乙採=音取=音調)」と「鵜(ウ・持統女帝)」である。 しかも、「長恨歌」はその「作者」も「時代」も「古事記編纂者」の格好の「漢字文字」を「カサ」ねて「歴史の流れ」を語る「改竄文字」の「ゲン材料」であったのに違いないと考えるのだが、「源罪」だよネ。「暗禦(アンギョ)」とすれば、 「闇魚=や みまな=八観真名=ハチの漢字=夜美真名=八支の漢字は未」 家 任 羅 である。「未=ミ=美=ビ=尾=梶=毘」、「毘」は「大日如来」、「東大寺の大仏」である「毘・盧遮那如来(仏・佛)=ビ・ル・シャ・ナ・ニョライ(ブツ)」の「毘(ビ)」でもある。しかも「大日如来」は「身、獅子座」の「守護星」である「太陽=烏=鴉=カラス」であり、ギリシャ神話なら「アポロン」であるのだ。「アポロン」は時として「旅人の守護神」でもあった。「源・古事記(?)」の時代は「初唐」の「712年」であったが、「ギリシャの星占い」は「紀元前」であった。「クレタ島の人々=ミノワ文明の人々=B線文字の人々=ギリシャ周辺の地中海の島々の人々」は、およそ「3600年前」に「海底火山」によって甚大な被害を被った。「縄文文化人」と重なるのだ・・・ウミの人々、航海の人々、テンモンの人々、「神の言葉を占託」し、「預」かる「女の巫」を「盟主」とする人々・・・「さん(キリオス=κυριοs=男)・(キリア=κυρια=女)」の「人々(コズモス=κοσμοs)・(ラオス=λαοs)」が「旅(タクシディ=ταζιδι)」をしてタドリ着いた「倭=日本=青森三内・丸子山遺跡」?! 「天の子」の「牛車の旅(トレック)」は同時に「星座・星宮」の「日月星辰」の「行宮」でもある。「見月傷心色(ミツキショウシンシキ)」・・・「子・水・壬・御津の気象」は「申・辰」と「結びつく」のである。 「申(サル=去る・もうす=母烏州)」、「辰(リュウ=理由・たつ=発=發=癸=葵=揆・キ=己)」は当然、「猿女=宇受女」である。三月は「卯月」、「衝心の始期」。「欝姫」、「焦心の四季」。「御津の鬼」、「焼身の死期」。「箕津岐」、「昇進の示期」。「纂記」、「正真の識」。「三記」、「将申記(申命記)」、「旧約聖書・申命記」にはモーゼが「アラバ」にてイスラエルの民に告げた「神が導いた過去の事と、守るべき神の戒めのコトバ」が記録されている。「神が約束した地の敵」は「背の高い種族・アモリ・アナク」であった。ギリシャ神話での「巨人族」は「タイタン族」だ。物語は重なっている。果して「古事記」の作者がここまでも「意識的」に「長恨歌」の漢字に重なった「コトバ」を見つけて「懸けたモノ」なのか、どうなのか?・・・私の妄想(?)は尽きないのだが・・・ 50 夜雨聞鈴腸斷聲 夜雨に鈴を聞けば、腸、斷ゆるの聲 ↓ ヤウ・ブンレイ・チョウダン・セイ 様 文例 長 短 整 八得 分戻 調 探 成 ↓ 夜 雨 聞 鈴 腸 斷 聲 よる あめ きく すず わた たつ こえ 夜 天 規矩 州諏 訪他 辰 子柄 予留 編め 起句 珠洲 倭侘 他津 肥 「夜雨」=「八女・病女・耶女・冶女・夜天」・やさめ・八娑女・やう=陽 「聞鈴」=「文例=問例・武矛令・武務励、分霊」・きくすず・起句・規矩・菊 「腸斷」=「調團・長灘・鳥断・弔談・張断・長談」・わたたつ・綿裁・倭他津 「聲 」=「生・勢・星・西・世・正・聖」・こえ・肥・越・乞・恋 「八女」とするならば、「九州八女」。この話は「古事記・仁徳天皇」の「八田若郎女」や、「女鳥王」と「速總別命」の悲劇が懸けられているのではないか。・・・天皇の皇后、「石之姫」の嫉妬もさることながら、彼の妻に対する遠慮からの優柔不断さをなじられての悲劇かも・・・「陽」は朝廷に仕えた随王朝の末の姓。 51 天旋地轉廻龍馭 天旋り、地轉じて龍馭を廻し ↓ テンセン・チテン・カイリュウ・ギョ(ゴ) 転 戦 地辿 海 流 禦 填 潜 知典 解 留 語 ↓ 天 旋 地 轉 廻 龍 馭 あま まわる ち ころがる まわる たつ あやつる 海女 回 る 治 転がる 回 る 辰 操る 海部 間話留 智 湖櫓駕流 真倭留 他津 阿耶都留 この部分は「漢字」そのものが「古事記」であり、「武王の上奏文」であり、「宿曜経」、「夜間星座の点線図形」、「天体軌道位置の天文学」である。 「天旋」・・・点線 「地轉」・・・地点 「廻龍馭」・・海流を操る(あやつる=御す=ぎょす=魚州=まなす=真名諏) 「馭」・・・・ギョ・ゴ・あやつる・馬を扱う・御者・乗り物。騎乗・車駕 統べる・おさめる・人をうまく使いこなす 「馭極」は天子の即位。「弛馭」は政治が手ぬるいこと。 52 到此躊躇不能去 此に到りて、躊躇して去るを能ず ↓ チコ・チュウチョ・フノウ・キョ 知故 中 緒 不納 虚 知古 注 重 婦悩 拒 ↓ 到 此 躊躇 不 能 去 いたる ここ とまどう あた わず さる 良たる 個々 と惑 う 仇 和頭 作留 委足る 姑虎 都真土得 娃侘倭頭 差留 「到此」・・・一 ム十一刀・止匕 ・・・・始めのヨコシマは 中 一 島・留める女州 ↓ ↓ ↓↓ ↓ 臺・ 臻 邪 那賀 位置島 「躊躇」・・・足 壽 足 著・・・・・娃史はコトブキ ・阿姉はイチジルシイ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓↓↓↓ 葦は嬬、足は箸 古都分記・阿姉は一時留四囲 古都分岐 四国 「葦」は「火葦北(九州)」だが「足」そのものは「足利(あしかが)」である。何故、「足利(ソクリ)」を「あしかが」と訓辞たのだろうか。ソクリ=即理・息(いき)理・測(はかる)・促(うながす)理=素句理・祖繰・・・祖先を繰るアシナ。「壽」は「コトブキ=琴賦記=言付記=事附記=異付記=弧斗不軌=古都武器=古都侮記=姑渡歩岐=虎跳紀」で、「ジュ=呪=受=樹=綬=鷲=授=儒=濡=竪」・・・「琴竪」は「アポロン」が盗まれた「牛」と交換条件に「ヘレメス」の「竪琴」を得た話ではないか・・・チュウチョ=中緒ならば「古事記・中巻はイのモノ」であり、「註観は伊都の模之」。天文学的には「沖干(甲・乾=北西)」は「甲戌」の「対沖」で「戊辰・巽=辰巳」である。九州阿蘇山を中心にしたならば「佐賀・松浦=北西」の対は「宮崎・日向(ヒュガ)」である。「日向」は既に述べたが「比喩のガ」で、「較(車交)べ里州」、「比べ諌(いさ)める=ヒレン=悲恋・比鎌・秘錬」である。鎌倉・・諌早・・錬金。「足利」は「足利高氏(尊氏)」の姓で、「室町幕府」である。 「足利氏」は「源氏の嫡流」であった。「現・古事記」の年代は、「室町時代」、1371年に「太平記」が「小島法師(?)」によって成った時代と重なるのではないか?・・・もちろん、1372年に「源・古事記」を「書き写した(?)」の「真福寺」の「賢瑜」であった。「書き写したモノ」なのか、「創作したモノ」なのか・・・イト、アヤシイ、と云うものだ。 「不能」・・・一ノ卜・ム月匕匕・・・・位置経津姥玖・ム津鬼女洲芽素 ↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓ 邪=横島 日下木場 壱の占、睦月(一月・六月)の女と、水無月の女 岐場 「月の名称」は中学校時代に私が暗記したモノは 「一月=むつき」 「二月=きさらぎ」 「三月=やよい」 「四月=うづき」 「五月=さつき」 「六月=みなづき」 「七月=ふみづき・文暴月」 「八月=はづき」 「九月=ながつき」 「十月=かんなづき」 「十一月=しもつき」 「十二月=しわす」 であった。だが、古語辞典、国語辞典、漢和辞典にはその「月の名称」が多数記録されているのだ・・・特に一月は 祝月・霞肇・暮新・早緑・太郎=太良・年端=年初・子日・初空 初花・初春・初見・正月=睦月=眤月=親月=陬=陬月=大簇 とある。訓はあなたが調べればイイが、 「正月=睦月=むつき=眤月=親月=陬=陬月=大簇」 の漢字は何を意味するのか、だが。 一月=いちつき=壱就・・・・・・・壱与の就き 正月=しょうがつ・むつき=一止・・位地に留 睦月=目土(十一)八土(十一)・・女の奴(度)は八度 オンナのタビのヤド 眤月=目尼(尸ヒ)・・・・・・・・女の尼(屍のヒ=海女) 親月=立木(十八)目儿・・・・・起つ姫は女の人 絶つ鬼は女の足 陬月=阜取(耳又)・・・・・・・・阜を取る=母を取る オカをとる=男鹿を採る 大簇=一人竹族(方・矢)・・・・壱の日都はタケの族 干の日斗は長の足(ゾク) 漢文では 「夷鐘」、「解凍」、「季頭」、「鶏旦」、「建寅」、「献春」、 「歳首」、「歳序」、「歳闌」、「四始」、「始和」、「娵此」、 「屠蘇」、「年甫」、「制旦羅」、「制怛羅」、 「質多羅(セイタラ)」 等、とも言われる。「同音異字」を採って調べろ・・・である。 「制旦羅」、「制怛羅」、「質多羅(セイタラ)」 は梵語の漢字訓であるが、 「生誕・裸(セイタン・ラ)」、 「七侘・羅(シチタ・ラ=メスタラ)」 である。意味する所は「生誕裸(羅・拉・・)」、「七侘羅=雌鱈=召す太良(平)」の漢字の分解である。 「六月=亠(音)八(未・羊・ひつじ=日辻=逼時)」はどうか、 彌涼暮・風待・涼暮・蝉羽・常夏・鳴神 鳴雷・林鐘・松風・ みなつき=六月=水無月=水皆尽月 =皆月=皆尽=皆熱 =盛熱=極熱=且月 「欝燠」、「火老」、「窮夏」、「金柔」、「庚伏」、「酷夏」、 「朔月」、「三伏」、「鶉火」、「暑劇」、「溽暑」、「薦弧」、 「徂暑」、「熱月」、「晩夏」、「伏暑」、「葉月」、「陽氷」、 「林鍾=林鐘」、「波達羅雖」、「婆達羅鉢陀」 である。
七月は「ふみづき」で「文暴月」だが、これらの同音異字をアナタなら、どう、変換する? 「波達羅雖」、「婆達羅鉢陀」は梵語の漢字訓だが「古事記」そのものの「真名漢字」の使い方とヨミ方が「伊邪那美」、「伊邪那岐」を例に採るなら理解出来よう。「梵」の類字は「埜」である。これは「梵=林凡=キキがナラブ、ホン(あまねし)」、「埜=林土=キキがナラブ、ド(ジュウイチ)」、「林土=ハヤシのド(奴=やつ)」とヨムのである・・・「林羅山(?)」なら、ライバルは「新井白石=鬼」か・・・すなわち、「鬼姫」と「記紀」だが、「重なるキキ」は「多数」で、「中国の天文方位分野盤」を重ねれば、「多数(多數)は「夕が重なる夕は暮れの米(八方位)の女の攴(卜の又)=子支の玄号・危・虚・女の斎」、「他數(婁攴)」なら、「戌支の降婁で魯(誤字・トリ違い=酉違い)」で、「鳥」は「朱鳥の鶉尾(巳)・鶉火(午)・鶉頭(未)」、「蛇雛(タスウ・ヘビのヒナ)」、「巳(鶉尾=朱鳥の尾=朱鳥は持統女帝の年号で、その最後)の妃名」は、「大炊王=淳仁天皇(舎人親王の子)」を「淡路廃帝」とした「孝謙・称徳女帝」である。彼女の名前は「阿倍」であった。「舎人親王」は「天武天皇の第三皇子(第五皇子の説あり)」で、「日本書紀」編纂の中心人物であり、死後「崇道尽敬皇帝」の称号を贈られた人物である。 「鶉火=午=張・星・柳=周」なら天体の星座は「海蛇座」である。 そして、「未支」の次に来る十二支が「申支」である。「サル」である。この「申支」は太陽が海没する南西西で分野は「実沈」で「参・觜」の「晉=晋」である。「晉=晋(シン)」は「すすむ・つつしむ・おさえる」と訓じる。類字に「普(フ・ならぶ)」がある。これは「晉=晋」と「魯=誤字」しやすい。既に述べたが「晉の国名」は各時代の王朝によって使われ、「周の成王の弟の叔虞」の国名であり、次に「司馬懿の子、司馬炎。孫の司馬睿」の国、次に「石敬唐」の国であった。易学では「坤下離上」で地上に明るさが出る卦で、「日の出」である。人物で「晉文」といえば「春秋時代の五覇の一人、晉の文公」であり、彼の名は「重耳」であった。在位は「九年」と漢和辞典にある。 私の云いたいコトが解ってもらえるだろうカナ・・・すべていままでの「漢字」が「古事記」に懸けられており、見えない部分をその「同音異字」の「故事」や「天文学」で説明している、と云うことを・・・さて、「サル」にいこう。 「去 」・・・十一 ム・・・・・・・・・壱拾壱(委治を拾う壱)のヨコシマ ↓↓ ↓ ↓↓ よこしま=姦=カン=観・干・甲・乾・巻・嵌=感冒(風邪) 重位置 ↓ 邪=ジャ=蛇=巳=へび=経ビ(尾・美・梶・鼻・毘) ↓ 横島 「三輪山」の「神」は「蛇神」である。「古事記」の「崇神天皇」の記録にある「蛇神」である。「三輪山」は「大国主」が「少名彦」のパートナーと分かれた後に「海を照らしながら」やってきた「大物主」の領地である。しかも、「崇神天皇」は「美努村」の「活玉依毘賣」の子孫である「意富多々泥古」を神主として「三輪山の神」を祭らせたのだ。「活玉依毘賣」は「陶(すえ)津耳命の女」である。「陶津」は「唐津」とも記され、「陶器」ならば「陶磁器・埴輪・埴・粘土・土器生産の地」である。「埴輪」は、「垂仁天皇」の「殉死の諌め」とその「代替物」であった。「はじし」は「埴師(はにし)」の転音で、「土師」と記されるが・・・誤解されるような「文字」が「日本語訳」の「バイブル」に記録されている。・・・「士師記」である。 「三輪(ミワ)」は「三ノ輪」ともヨマれる。「ミケーネ」、「ミノワ文明」である。「クレタ」である。ギリシャである。九州は「水縄」である。山陽は広島の「呉」である。「奈良」は「三輪山」の「ヘビ」であり、「マムシ」である。ギリシャのエーゲ海、「サントリィーニ島の海底火山=カルデラ」であり、「阿蘇山の陥没による外輪山の地形」であり、「バイブル」である。 ・・・「漢字訳」の「バイブル=旧約聖書」の「項目」を看てもらいたいのだが・・・ 53 馬嵬坡下泥土中 馬嵬、坡の下、泥土の中 ↓ バカイ(ガイ・・ワイ)・ ハ(ヒ)ゲ・デイド・チュウ 馬飼 我意 倭委 剥 毛 禰 怒 註 婆堺 害 話異 矧 懸 出委奴 註 破壊=破戒 頗 ↓ 海=開=貝=蟹=晦=化意=華囲=解 ↓ 馬 嵬 坡 下 泥 土 中 うま けわしい どて した どろ つち なか つつみ・ さか 得真 懸倭詞意 筒 箕 ↓逆 度路 津知 名化 ↓ ↓ ↓ 環 見 參・觜 午 気和四囲 包 未 作化 奴呂 晦地 拿加 午 己 未 佐賀 怒炉 頭地 那賀 ↓ 木花之佐久夜姫 ↓ 天照大御神 どて した 土手 史他=十一諏支他=戌・酉 うま けわしい どて した どろ つち なか ↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓ 鵜魔 仮倭史移 奴手 刺侘 怒芦 津致 那賀 つつみ 卯間=月間(干)柘罪 乾 烏間=日間(干)津都箕 佐賀 諌 「馬嵬」は「楊貴妃」が殺された場所で、「陝西省興平県」の西である。「陝西省」の「陝」は「セン」とよみ、一見余程注意しなければ見間違う「陜」の「類似=類字=累次」に「陜(コウ・ギョウ・キョウ」とよみ、訓じて「せまい・やまあい・やまかい」とよむ漢字がある。「陜(コウ)」と「陝(セン)」の違いは「人人」と「入入」である。 「坡(ハ・ヒ)」、「下(カ・ゲ)」、「泥(デイ・ネイ)」、「土」、「中」 「馬 」=マ(真・間・麻・摩・磨・魔)・バ(場・婆・ 芭・罵) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 実 花 沙 天 滅 道 外 所 娑 蕉 倒 「間花」=あそびめ=阿蘇美女 「麻沙本」=粗悪で間違いが多い出版本 =榕樹(あこう・あこぎ)を用いた版木 ↓ 赤穂 阿古偽 ↓ ↓ 妖気 晩期 ↓ 曜授 万機(盤儀) 「摩天楼」=高層の楼閣 =高僧の聾客(老化句) 「摩滅」=すりへる=諏理経留 「魔道」=鬼道(キドウ=軌道) 「場外」=ジョウガイ=娘害・譲害=場違い 「婆娑」=バサ=腰の曲がった老婆 ↓ 古詩の紛った蝋場・・・ロウマ=ローマ=羅馬 古史の迂った浪場 古志の曲がった弄罵 =場差・婆差・・・卑弥呼と持統女帝、午支の場所と人物の差 =午(うま・ゴ) 「嵬 」=カイ=険わしい(阜僉) =山+鬼=やまおに・(サンキ=山気・纂記・参箕) 「坡(ハ・ヒ)」、「頗・卑」 「下(カ・ゲ)」、「耶・解」 「泥(デイ・ナイ・ネチ)=濘(ぬかる・ネイ=水・寧)」、 「土(ト・ド)」、「斗・土」 「中」・・・。 「坡 」=坡老・宋の蘇東坡(蘇軾・ソショウ=蘇長公) =土+皮=つち・かわ(椎壌鎚槌)・ドヒ(土肥・奴卑・度比) 「下 」=カ(化)・ゲ(解=カイ)=一+卜=イチ・ボク(位置・睦) 「泥土」=どろつち・デイド(出緯度)・ネイド(子緯度) =水+尼(尸匕)+土(十一=壱拾壱) 「中 」=なか(名化)・チュウ(・)・ジュウ(重)・・・中央・中王 ここには「邪馬台」と「古事記・日本書紀」と「宿曜経」の「コトバ」が「古都場=虎鳥羽=後鳥羽=湖渡場=姑鳥羽=虎斗場=異場」として重なっている・・・意図的に・・・異図的に・・・伊都的に・・・批判を込めて重ねられている。 ・・・すると、「古事記」、「日本書紀」の編纂年代は「長恨歌」以後となるのだが・・・。 「チョウコンカ」・・・張の婚家・・・「張政」の「婚家」は「根」であり、「坤」であり、「艮」であり、「金」であり、「魂」、「恨」、「混」である。 54 不見玉顔空死處 玉顔を見ず、空しく死せし處 ↓ フケン・ギョク ガン・ クウ シ・ショ 父権 極 間 空 史 書(處・所) 婦権 玉 岩 久烏史 書(諸・渚・杵・黍) ↓ 不 見 玉 顔 空 死 處 づ みる たま かお そら し ところ 図 箕留 球磨 下尾 蘇羅 示 渡去芦 図 見る 多摩 花尾 反ら し 常 呂 「不見」=ふみ=富美・文・践み・踏=フケン=婦懸・普賢 「玉顔」=たまかお=侘魔(真)顔=ギョクガン=玉岸・・・玉名の岸 「空死」=そらし=反らし・逸し=クウシ=空支=食うし=玖烏(卯・鵜)支 「處 」=ところ=虎の処・・・寅支 「図」は地図=「輿」のことだろう。「箕(みの)」は「美濃」か「味野」か「三野」である。「三野」は長崎である。「玉」は「球磨」で、熊本である。「顔(かお)」は「耶(か)麻(お)」で、「邪馬台」であり、「顔=彦頁=肥後の穴(血・結・蕨=わらび=倭羅尾)」である。もちろん「玉」は「女」の「コト」だ。 55 君臣相顧盡沾衣 君臣、相、顧りみて、ことごとく衣を沾し ↓ クンシン・ ソウ コ・ジンテン(セン)・イ 訓 真 相 互 事 典 (撰 ) 依 薫 槙 倉 庫 時 点 移 ↓ 君 臣 相 顧 盡 沾 衣 きみ おみ あい かえりみる つくし あらう ころも 起見 男観 亜意 替え理見る 附く詞 吾羅得 虚濾模 鬼箕 牡魅 哀 歌襟 見る 衝く詞 阿羅烏 姑路模 黄身 麻実 和い 香得李美留 突く匙 ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓↓ 黄卵 尾美 和い 回顧=蚕=懐古=解雇=海子 ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓↓ 邑乱 将備 倭委 海部 無視 筑紫 荒有 頃 も 「君臣相顧盡沾衣」=クンジン ソウゴ ジン テン イ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 訓 人 相 互 人 転 移 字務 尋 天 意