伯拉多の「長恨歌・・・120句・840字」(4)
長 恨 歌(56~)・(23x) 56 東望都門信馬帰 東のかた都門を望み、馬に信せて帰る ↓ トウボウ・ トモン・ シン バ・ キ 逃 亡 杜門 申 場 氣 東 卯 斗門 進 馬 起 ↓ 東 望 都 門 信 馬 帰 ひんがし のぞむ みやこ かど まこと うま かえる 貧 餓死 臨 む 宮子 過度 魔湖東 魔 科得る 斌 臥子 乃祖武 宮古 華奴 真古都 鵜真 変える 賓 畫史 野蘇無 箕耶姑 化努 魔古都 得真 化重留 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 妃 賀 阿蘇 三野 華 麻鬼 華 「魏志倭人伝」に「蘇奴国」、「華奴国」と言う国が記載されている。 記載された順序を追っていけば「邪馬台・女王の都するところ」は「狗邪韓国」から「九番目」である。「蘇奴国」は「十九番目」、「華奴国」は「二十一番目」である。 ①狗邪韓国、②対馬国、③一大国、④末廬国、
⑤伊都国、⑥奴国、⑦不弥国、⑧投馬国、⑨邪馬台国。 その他の「旁国」は、 ⑩斯馬国、⑪己百支国、⑫伊邪国、⑬都支国、⑭弥奴国、⑮好古都国、 ⑯不呼国、⑰姐奴国、⑱対蘇国、⑲蘇奴国、⑳呼邑国。 ②①華奴国、②②鬼国、②③為吾、②④鬼奴国、②⑤邪馬国、②⑥躬臣国、 ②⑦巴利国、②⑧支惟国、②⑨烏奴国、 そして再度、⑥奴国の記載。 「女王国に属さず」の国、「狗奴国」が「参拾番目」
・・・「日本書紀」の「持統女帝紀」は「参拾番目」である。 魏志倭人伝記載順の国 ↓ 支 方位 二十八宿 座宮 宿足 語の変換 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ① 狗邪韓国 亥 北西 奎壁室危 魚座 経る日は 置後月 クヤカン・句夜間 ↓ 軽僻質起 孔夜間 ↓ ② 対馬国 子 北 虚女牛 宝瓶 危虚女 危うい虚の女 ツイバ ・対場 ↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓ 椎 罵 ↓ 虚所語 ③ 一大国 丑 北東 磨蠍 女牛斗 女は牛の北斗 イチタイ・位置帯 位地他意 ④ 末廬国 寅・・・ 木馬 斗箕尾 斗は三野の鼻眉 バツロ ・罰路 マツロ ・末路 ⑤ 伊都国 卯 東 斗箕尾心房・亢 蠍虫 尾心房・ 媚の心は忘 イト ・意図 ↓↓↓↓↓ ↓↓ 異図 都箕尾晋傍 出岬 ⑥ 奴国 辰 南東 秤量 ・亢角 氏の一は音規格 ヤツ ・冶津 ド ・土・度・堵・怒・努 ⑦ 不弥国 巳・・・ 小女 角軫翼 核心は両羽が異 フヤ・フミ
普夜 ⑧ 投馬国 午 南 角軫翼張星柳鬼 獅子 翼張星 津婆娑は長逝 タマ ・珠 ↓↓↓↓↓↓↓ 球磨 核心翌朝清流気 ⑨ 邪馬台国 未 南西 巨蟹 柳鬼井 劉が寄生 サマダイ・座間廼 叉魔台 その他の「旁国」は、 ⑩ 斯馬国 申 南西 陰陽 井参觜 凄惨の始(史) シバ ・司馬 ⑪ 己百支国 酉 西 井参觜畢昴胃婁 青牛 觜畢昴 試筆の冒(暴) キヒャクシ ↓↓↓↓↓↓↓ 記百史 生産試筆房慰労
記比訳詞(史) ⑫ 伊邪国 戌 北西 白羊 昴胃婁 暴威の郎 イザ ・諌 ⑬ 都支国 亥 北西 巫魚 奎壁室 継僻の嫉(失) トシ ・歳 肇 ⑭ 弥奴国 子 北 奎壁室危虚女牛 宝瓶 室危虚 後月は虚 ヤド・ミヌ宿 八度 ⑮ 好古都国 丑 磨蠍 虚女牛斗 空の女、中途 コ コツ
箇々津(通・椄) ⑯ 不呼国 寅・・・ 木馬 斗箕尾 登美は将(緒) フコ ・敷子 普虎 ⑰ 姐奴国 卯 東 斗箕尾心房・亢 蠍虫 尾心房・ 将辛抱の手 ソド ・祖土 ⑱ 対蘇国 辰 南東 秤量 ・亢角 氏一和名は晦乃 ツイソ ・追訴 ⑲ 蘇奴国 巳 南東・・・ 小女 角軫翼 核は陳が与句 ソド ・素度 措土 ⑳ 呼邑国 午 南・角軫翼張星柳鬼 獅子 翼張星 翌朝の星は金星 コユウ ・固有 ②① 華奴国 未 南西・・・ 巨蟹 柳鬼井 留気勢 カド ・門・角・過度 ②② 鬼国 申 南西・・・ 陰陽 井参觜 成算詞=生産始 キ ・記 双児 清算史=凄惨姿 紀 起 ②③ 為吾 酉 西 井参觜畢昴胃婁 青牛 觜畢昴 史筆の素婆留 イゴ ・以後 ②④ 鬼奴国 戌 北西 白羊 昴 胃婁 妨意の流意 キド ・木土 姥得(有)囲留 木戸 ②⑤ 邪馬国 亥 北西 巫魚 奎壁室 掛日置の執 サバ ・佐波 鯖 ②⑥ 躬臣国 子 北 奎壁室危虚女牛 宝瓶 室危虚 誌柘記は去 キュウシン 球心 ②⑦ 巴利国 丑 北東 磨蠍 虚女牛斗 猿女が欺熊 ハリ ・杷里 ヘリ ・経理 ②⑧ 支惟国 寅 北東・・・ 木馬 斗箕尾 計る壬日 シイ ・四囲 シユイ ・支由比 ②⑨ 烏奴国 卯 東・斗箕尾心房・亢 蠍虫 尾心房・ 微震旁手 ウド ・宇土 ⑥ 奴国 辰 秤量 ・亢角 手の甲を掴 ド ・兎 讀 「女王国に属さず」の国、「狗奴国」が「参拾番目」である。 「参(シン・サン)」は、 「參=厶厶厶八彡=三つのヨコシマは八つの毛羽」で、 ↓ 「参=ム一人彡 =ヨコシマは壱の卑の屠の蹟」。 「シン」=「新」=臣・申・辰・親・矧・娠・審・神・津・晋・針・秦・薪・侵 ↓ ↓ ↓ 寝・深・診・唇・榛・槙・真 「サン」=「参」=纂・簒・山(やま)・蚕(かいこ)・算(かぞえる) 讃(たたえる)・産(うむ)・賛(たすける)・傘(かさ) 三(みつ)・散(ちる)・酸(す)・桟(かけはし) 惨(みじめ)・撒(まく)・珊(さんご)・燦(あきらか) 餐(のみくい)・蒜(ひる)・杉(すぎ)・彡(けば) の同音異字漢字を「拾」う 「バン(番)」 「メ(目)」 ↓ ↓ 「晩(日免・罷免)」の「女」・・夕暮れ、黄昏は「七つ半ばの時刻」 ↓ 「纂重盤目」・・・・編纂に重ねたのは天盤の目 「讃従伴女」・・・・讃岐(サヌキ・讃良)に従い伴う女(ムスメの音) 「蚕中蛮芽」・・・・カイコのナカはエビス(アナドル)の日の下のキバ の 「狗奴(獣の句は女の又)」・・・・ケモノのクはオンナのアシ(右手) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 「重 区は女の又」・・・・・磨羯宮(山羊座・土星)の女宿 ↓ 「獣の玖は所の又」・・・・・獣帯の王宮の所の亦(股・俣) ↓ 「獣の琥は序の真多」・・・・懸模乃の王は虎(寅)の序文が真の詫 ↓ 「拾う九は汝の申」・・・・・ヒロウのクはナンジの猿のマタ ↓ 「九度(くど)」・・・・球磨(熊)の亘理の北斗七星 ↓ 「句務(くむ)」・・・・組む(汲む・酌む)は「柄杓」 「イヌ(犬・ケン)のヤ(家)のツ(柘)」 ↓ ↓ ↓ 「懸 の夜 の晦」=アガタの一のイトの心は音イ夊日毎 である。 ちなみに、「旁国」の「旁」は「漢字の右側」の造りでもある。「カンジ」は「監事」で、「監」は次のような説明が漢和辞典にある。 監・・・上から見おろす。見張る。取り締まる。監察、監督、天監。よくみる。 しらべみる。鑑みる。鏡に写してみる。てほん。いましめ。「歴史の跡 にかんがみる」。かがみ(鏡・鑑)。目つけ役。見張りの役人。 おさ(宰)。かしら役。太監は宦官。国子監。牢屋、監獄。 「あき・あきら・かね・ただ・てる・み」と訓辞る。 もとは「臥」と「皿」の合字。「臥」は人が大きく目を見開いてうつ・ むいている様。容器に盛った水を身体をかがめて水鏡を見ていること 音付では「看(カン)」の意。 監本・・国子監=貴族の子弟や全国から選抜された秀才を教育するところで
「校定出版した本」。 「監」・・・この漢字が「日本書紀」編纂の「古代史」の意味をすべて説明しているし、巨大な石造神殿を遺したギリシャの「円錐土器」や、中国の「鼎状の口拡青銅器」、日本の「縄文土器の底が円錐、あるいは鼎状の口拡の壷」の目的が「何」に使用されたか・・・「大川誠市」氏は漢字の「始源」を執拗に「天河」に求める論者だが・・・彼の説の是非はおいとくとして、「水盤状の土器に水を張って『天体』を覗き看た」のは「事実」である可能性が大である。 しかも、こも「水盤」は「卑弥呼」の時代には「巨大な青銅鏡」にとって替えられたハズだ。漢字の説明には、「容器に盛った水を身体を『かがめ』て水鏡を見ていること」だが、覗いて見たのは水面に写っている「顔」であると同時に「天体」であることは「顔」の漢字を分析すれば「カタラヴェノ」である・・・ 顔=彦+頁・・・美しい「あや(文+彡)」模様・・・相似の甲斐模様 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 綾・「彪」・彩・文・絢・亜矢 ↓ 「頁」=一ノ目人 ↓ (ケツ・ゲチ・コウ・シュ・ヨウ・おおがい・かしら・こうべ・う ↓ なじ)」=大貝。ページで書物の頁数を意味し「葉」に通じる ↓ 「彦」(ゲン・ひこ)」=「立(リツ・たつ)」、「ノ(ヘチ・ヘツ)」、 「彡(ケバ・あと)」 ・「彦星(ゲンセイ)」=「牽牛星(鷲座のα星・女宿星)」 ・ ↓ 言 生 ワシ=倭史 ↓ ・ ↓ Altair アルタイル(阿留他意留) ・ ↓ alter=祭壇・改変・去勢 ・ ↓ ↓ αλλαγη=μεταβολη ・ ↓ ↓ 阿 乱 女 他 模 留 ・ ↓↓ ↓ ・ 対 天河 対 白鷺(シラサギ)の橋・・加佐の前 ・ ↑ 支羅作義 梯・端・箸 ・ ↑ 改 晩 詞 ・ ↑ 頭 手 阿児 州 ・ ↑ ↑ ζητιανοs ・ ↑ ↑ beggar=乞食・赤貧・奴 ・ ↑ Vega ベガ(部臥・婆賀・舞雅) ・ ↑ 侮芽=あなとるきば ・ ↑ 事 孔 採 機婆 ・ ↑識 声 コト=古都 ↑↑ お針子 ・「織星(シキセイ)」=「織姫星・琴座のα星・牛宿星」=「七夕津女」 「顔(ガン・かほ)」の「彦(ゲン・ひこ)」と「頁(ケツ・おおがい)」は詰まるところ、「牽牛星」と「織姫星」の「七夕祭=星祭り」の物語に懸けられている「古事記=こじき=乞食」の「文字転換」の「言生」の「原点=原典」なのだ。しかも当時、「随・唐」の「国際都市」に洪水のように流れ入った「外来語」は「中央アジア」、「東西のローマ帝国」の「国際言語」となっていた「ギリシャ言語」であった。もちろん、「日本」から見れば「西の国」の「コトバ」である。 故郷を出て目的地への長い旅路の行程では知識としての「方位」が重要である。すなわち、「天文地理学」と「天文海洋学」である。その末、目的の異国の地に移民や移植した人々は、その場所に於ける先行きの「自分の運命」が知りたいのは誰しもである。 「顔」は「命」とも言われる。「命」は「星」とも言われる。砂漠では「水」が「命」とも言われる。「星」は天体の「孔」であり「穴」でもあり、「点」の輝きである。・・・「アナ」どってはいけないのは、「命=星=霊」をとってはイケナイのであり、「星=孔=穴」はトレナイのだ。「汝、殺すなかれ」は「聖書の十戎」である。「あなど(侮)る」の日本語の原点は遠く、遠く、迂回してその意味を「識声」され「識整」されてきたモノなのだ。 日本の「言語」の「源泉」を追求するには「単純」に「音」のみを追求してはダメなのだ。「文字」、しかも「漢字の意味」を媒介にしない限りダメなのである。当然であるのは「漢字」そのものが「日本語」であるからなのだ。 「言霊」と云う「コトバ」がある。「言霊信仰」と云う「思想」もあるが、これは何も「日本人」だけの「思想」ではないのはアキラカである。日本人の特殊な言語は「言霊」に「異霊」が懸けられた「文字霊」である。しかもコレを「文字霊振り」としたのは「彦士」であり、「彦聖」のインテリなのだ。 「彦士(ゲンシ) 」=「才徳のある人物」 「彦聖(ゲンセイ)」=「才徳のある人物」 ↓↓ 「サイトク・祭督・斎督・災解・妻徳・歳讀」 「西 都工(矩・句・琥)=西都は随唐の都の長安の匠」 ↓ 酉・金・兌・西方・秋・すむ(棲・栖)・うつる(遷) ↓ 少女・喜ぶ・換える・直し・穴・成就 の「意味」と「ゲン・ひこ」、「ケツ・かしら」の「同音の漢字」の「意味」を内包する漢字であることがわかるであろう。 「万葉仮名」のその意味するところは「同音異字」に「変化する仮名の文字」と云うことである。「アルファベト」とは異なる単なる「表音文字」ではないのは、「表記」そのものが「漢字=真名文字」自体であるからなのだ。 「古事記編者」にとって、「喜怒哀楽によって表情の変化する顔(かお・かほ)」とは「天体の化甫」でもあるのだ。「大根水増す」とは「歴史書=かがみ=鑑」の年代順の暗記の常套である「大」、「今」、「水」、「増」に「かがみ」である。 いまや、縄文時代は「土器」のみならず、その計画された「組織的な生活形態=集落(青森・北海道)」に於ても、遺された「巨大木造建築(富山)」の残害にも、「畑作(北海道)」にも「たくみ」であることが事実として明かにされつつある。 「監」は「臥」と「皿」の合字、格好の故事、「『臥』薪嘗胆」の「臥」である。 「臥=かがみ=鏡=屈み=香我美」はこの故事がキイ・ポイントであるのは別項で既に述べたが「香我美原=各務原」は「古代天文所(?)」の場所で、そこには巨大な「水瓶=水盤土器」を据え置いて天体運行を監じたのである。 多分・・・その場処は「天体配置を地上に写」したストーン・サークルやウッド・サークルが存在した神聖な聖域(セイイキ=声域)なのだ。 「幹事」の「幹」であるなら、「カン・みき」で、「草木の枝葉を生じ支える太い部分」であり、「六拾干支陽陰の兄弟(えと)・干支の干」である。これらの訓ヨミは読者各自が検討してみるとよい。 さて、「宿曜経」は「弐拾八宿=念捌(28)の宿」である。「古事記・序文」の「稗田阿礼」も「二十八歳」であった。数えられている「邑国」は「弐拾九番目」で、敵対国、「ヤマタイ連盟国」番外の「狗奴国」が「参拾番目」ある。「日本書紀・第参拾巻」は「巻尾の持統天皇紀」だ。「二十九-二十八=一」なら、まだ「一宿が余分」である。・・・「日本書紀」が「天皇第参拾代」、「『磐余・彦』=盤外=神武」とした「一宿」はコレである。そして、実際の「宿曜盤」では「二十七宿」しか「実占」に使用しない・・・「牛宿」が隠れて用を足さないないのである。 少し専門になってしまうが、「⑯の不呼国はオヨバズの国」なのだ。「寅=イン=隠=太陰(月・月の朔)」、「太歳星(木星の対沖にあると仮定した虚星で、寅支から右周り)=ゼウスのカリの姿」、「歳星(木星の実星で、丑支から左周り)=ゼウス」。「⑯の不呼国」は「壱拾六=位置は拾うも無」で、「鬼門遁甲」、「鬼は甲(カン=干=よこしま)に隠れる」のだ。そして「月=卯=乙=音」に隠れてしまった「弐拾七宿+牛宿=二十八宿」の「牛宿」は「女(オンナ)と斗(ハカリ)の間」に見えかくれし、「月軌道の五倍の位置」に存在し、「男神=牡牛=主=虎」の出る幕は「白道」には存在しないのである。実際、「壬申の乱」では「虎=寅=天武天皇」は「分野・折木の箕(美濃)・尾(尾張)」に存在して指揮をとった。「参拾」は「三重=三野=美濃」で、「番外=盤外=絆外=八幡の外」である。これが、「卑弥呼の時代」に懸けられた「天文・星占いの天球座宮の円環」であるならば、「地上の円環」は「阿蘇山頂上を中心とする外輪に位置する国々」であるはずである。「女王国」は常に定位置には存在せず、「僻=日置=ヨコシマ=横島=邪」に移動・遷宮するのだ。
長 恨 歌(57~)・(23y) 57 帰來池苑皆依旧 帰り來たれば、池苑、皆、旧に依る ↓ キライ・ チエン・カイイ・キュウ 起禮 地縁 怪 異 及 鬼羅移 遅延 廻 意 球(舅) ↓ 帰 來 池 苑 皆 依 旧 かえる くる いけ その みな よる ふるい いにしえ 還える 来る 委家 祖の 御名 夜 振る意 移西 柄 替える 句留 意懸 祖乃 美名 選る古い(篩=ふるい) 「帰來」の「帰(キ・かえる)」は「嫁ぐ、嫁入りする。妻が離縁されて実家に戻る」が主要な意味である。出戻りである。訓じれば「よる・なつく・くみする・みかたする・ゆだねる・まかせる・あつまる・おさまる(蔵)・おわる・しぬ・おくる・あたえる・もと・より」とよむ。 「帰去来兮」は「晋の陶潜(東晋・陶淵明・五柳先生)の語」、「帰りなんイザ(來)」と訓む。「晉の陶潜」は「一ムム一日・阜の勹の缶(午一山)・潜(ひそむ・水夫の夫の日)」である。「陶の村」の「淵に潜む」のは「蛇姫」だ。 日本古代の「壱拾七代・天皇」に「伊邪本和氣命=去来穂別=履中天皇」が存在する。「仁徳天皇」と「石之姫」の子供である。 エピソードは天皇の弟、「墨江中王」の反逆と、別な弟、「水歯別命」の策謀に唆された「墨江中王」の家臣、「隼人・曾婆加里(ソバカリ)」が「廁(かわや)」で主人を暗殺したことである。「水歯別命」はその「隼人・曾婆加里」の手柄を誉め一旦、家臣にした後、主人の「墨江中王殺しを責め」て殺したことである・・・・このハナシに似たモノが紀元前88(前漢・武帝・後元一年・癸巳)年の「ローマ帝国史」にある。執政官「スラ」と護民官「マルピキウス・ルクス」の内戦で「ルクス」の奴隷が主人を裏切って暗殺し、「スラ」が戦勝し、その奴隷に「市民権」を与えた後、主人を裏切った罪として死刑にしたハナシである。「壬申の乱」での二万の軍を率いて天武天皇に味方した「尾張国司・小子部・連且(金+且)鈎」が乱後「八月(庚申月)・(朔甲申日)」に「自殺」したのを天武天皇自身がこの「自殺」を訝(いぶか)っているのだが・・・ワナにはめてダマス策謀とは戦略戦術である。「揣摩の術」である。 ちなみに、紀元前97(前漢・武帝・天漢四年・甲申)年には「司馬遷」の「紀伝体の史記」の完成であった。 ここでは「伊邪本和氣命=去来穂別=履中天皇」の名前と、「隼人・曾婆加里」の名前を注目するといい。「隼人・曾婆加里」は「祖婆の刈」であるとするなら「墨江中王」は「祖婆=女性」である。「卑弥呼」であるハズだ。これは「廁」での事件だが、「尻(しり)」や「陰(ほと)」を「突かれた人物」を重ねてみるとハッキリと見えて来る・・・「機織女」、「三島の湟咋の娘」の「勢夜陀多良比賣」、「御諸山=三輪山=美和山」の「活玉依毘賣」、「小碓命=日本建」に殺された兄の「大碓命」と、「熊襲建」。これは女性同士(道士)の戦いである。 「天皇」は「女性」なのだ。・・・「壬申の乱」も「巫=オンナ」の戦いだ。 「長恨歌の楊貴妃」は「古事記」編者の「餌食」になっているのだ。 「池苑」は分解すれば「水の也の日下の巴夕」である。「也(ヤ・エ・なり・かな・や・も、また・また)=セ(バ・メ・巫・やぶにらみ)+一」で、水占いの巫と、その場所での、既に述べた「水鏡の占い」である。「皆依旧」は「比、白(いわく=磐区)、イ(伊=ヒト=碑砥=日斗)のコロモ(拠路母)はフルイ(普留囲=旧=一は日の左)」で、「すべて、キュウ(球=球磨=熊)による」、である。 58 太液芙蓉未央柳 太液の芙蓉、未央の柳 ↓ タイエキ・フヨウ・ミ(ビ)オウ・リュウ 体 液 不溶 身 旺 留 台 亦 浮揚 備 王 留(劉) ↓ 太 液 芙蓉 未 央 柳 おほ えき ふよう いまだ なか や なぎ 将補 易 浮揚 意真拿 那賀 八 拿木 大 江寄 付用 意まだ 中 谷 薙 太 亦 扶養 伊真妥 長 家 亡 「太液」・・・台の江の記・侘意の水の与る・詫慰、御津は選る 「芙蓉」・・・不用・不要・扶養・不溶・浮揚・腐葉・舞踊・賦与烏・付与卯 蚋(ブヨ)羽・・・蓮(はす・はちす)の別名 「未央」・・・箕王・美王・壬王・未凹・彌王・三王・巳逐・看応 「柳」こそ、秘密の「楊=木易=ねこやなぎ」である。 「柳 」・・・龍・琉・ 劉・笠 ・流・竜・留・粒・隆・瑠・溜・硫・理・柳 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 営 虎 球 仁 糾 露 宮 意 沙 運 璃 飲 化 由 眉 59 芙蓉如面柳如眉 芙蓉は、面のごとく、柳は眉のごとし ↓ フヨウ・ ジョメン・ リュウ ジョ・ビ 不用 除 免 笠 所 媚 扶養 助 面 留 序 備 ↓ 芙蓉 如 面 柳 如 眉 ふよう ごとし おも や なぎ ご と しま ゆ すなわち 扶養 娯 夙 母 屋 凪 後 豊 島 喩 ↓ 几+止=記詞 なぎ=薙=名義 扶養 後 都市 主 耶 那嬉 護 渡祇 麻愈 不用 後 年 麻喪 家 拿岐 子 都市 麻愉 「眉輪王=目弱王」のことは述べたが「眉はスナ・ワチ(如)、女の国」である。 「柳=木+卯=キ(鬼・記・希・来・姫・紀・氣・基)・木(キ )=希 ウ(宇・有・鵜・↓ ↓ ↓ ↓ ↓)・ 卯(ボウ)=望 =リュウ= 笠・瑠・留・龍・劉・隆 瘤) 「瘤取り爺」とはコレでは、「小太り・鼓舞徒吏・昆布採り・誇武徒理」だ。 「やなぎ=矢薙・哉名義・家名義・埜名義・夜拿義・耶名疑・八茄祇」、 「柳」は「緬」で、スナ・ワチ、伊都の面(緬・メム=女武・女務)」である。 「お芙蓉」はスナ・ワチ、「阿片・鴉片(アヘン)=麻薬(マヤク)」である。 「芙蓉」は「蓮華(はす=波洲=葉素) レンカ(廉価=簾科=連歌=錬華) (レンゲ=諌家=いさめる・いえ 練る中華 =喩嫁=さとす・よめ =鎌懸=かま・かけ) で、「鎌足(?)」、「釜・蒲・窯・化真・化魔・・・」。 「ハチス」なら「鉢州=蜂巣(賀)=椀洲=葉知素=波地須=土師諏」・・・「鉢=金+本(コンポン・かねもと)」で、「乞食坊主の托鉢」の道具だが、「コンポン」ならば、 根本=√(ルート) 混本=水日比 恨本=恨み、怨みが本・・・呉越の戦い 艮本・坤本=東北・西南の鬼門、裏鬼門 「今本」は、「現代が本(時代は江戸時代)」で、「蜂須賀『正勝』小六」は「豊臣秀吉」配下であった四国『阿波』徳島の大名である。「阿波・浄瑠璃」とは何であったのか?・・・「淨めるガラス(賀羅素・臥螺諏・からす=韓州=唐州)」であり、「水の争い(一揆)・王留(将雨留)・王離(将雨離)」である。「淨(・+爪+ヨ+亅)メル(女留)」である。 『正勝』は「天照大御神」と「須佐之男」との戦いでの「誓約」で生まれた「正勝・吾勝・勝速日・天之・忍穂耳・命」の名前である。これを「音」で読めば、 正勝・吾勝・勝速日・天 ・之・忍 穂耳・命 「制勝・後生・消息日・転(添・填)・埜・人(認・訊)保持・名」 ↓ 木木十一=記紀重位置=鬼気獣位地 となるが、戦での「正勝(セイショウ)」は「清勝・清祥・斉唱・政商・歳照」で、「制勝」でもある。これは「戦で勝利を制した後の世に生まれた消息日(誕生と死亡の日)、凝れ、重ねて記録してある」なのだ。「現存・古事記」は「阿波」で「誕生」し、その産みの親は「蜂須賀家」に関係した人物らしいのだが。 「天照大御神」に「反乱」したのが「須佐之男(海の國)」ならば、「大國主命(出雲)」の息子「建御名方命」も「反乱」して「信濃(科野)の諏訪(州羽)」に逃亡した。「古事記」の物語の場所としての「制勝」のプロセスは「九州・高千穂↓出雲↓諏訪」だが、「敗北者」の「撤退・逃亡」のプロセスでもある。 古代では山代の「建波迩安王=武埴安彦」や、妻の「阿多」の反乱敗北である。 60 對此如何不涙垂 此に對して、如何ぞ、涙、垂れざらん ↓ ツイコ・ジョナン・フルイ・スイ 追 古 女 難 古 委 帥 対 虎 汝 難 震 移 垂 ↓ 對 此 如 何 不 涙 垂 たい こ こ い かん づ なみだ たれる 太 古 故 意 姦 津 波 汰れる 台 子 請 意 巻 頭 涙 垂れる 泰 子 乞 い 干 頭 波 立れる 太 子 子 移 神 頭 並 拿 他嶺留 漢和辞典には「對此」の「此(シ・ここ・かく)」は「有徳人此有人、有人此有土」や「此心去彼取此」、「如此若此」の諺、故事がある。「此学」は儒学」、「此君=竹の別名」で、「晋の王微之」が竹を指して「何可一日無此君」と言った、とある。もちろん、「此君」は「是を訓じる」とよむのだ。 「如何」は「イカン」である。移管、遺憾、偉観、異観、衣冠である。 「不涙垂」は「フルイスイ」で「古い水」、「怖類推」、「婦留守囲」、「振(降・古)洲移(意)」である。 61 春風桃李花開夜 春風に桃李の花、開く夜 ↓ シュンフウ・トウリ・カカイ・ヤ 筍 夫 東 里 加甲斐 家 瞬 封 討 李 可解 哉 ↓ 春 風 桃 李 花 開 夜 はる かぜ もも すもも はな ひらく よる 波留 風邪 母模 州母模 葉名 一羅句 与留 張 化是 百百 諏母喪 把模 日落 因 貼 掛施 藻裳 素母模 椛名 片 句 選 「春風(はるフウ)」は「貼る封」で「封印」である。「秘密」は「シュンプウ=駿婦烏、駿府迂、駿馬府会、筍婦卯」。 「桃李=木兆木子=キチョウキシ=基調貴志(貴紙・棋士・騎士・貴誌・紀史・記史・鬼始・岸=眼=目=女=芽)」は「トウリ=斗卯里、渡賣(女)、妬賣、統理、通り、道理、土澱(淀)」。 「花開夜」は「化加意也(セ一=覡棒=干薙暴)、化海也、加会也(三合)、掛珈移冶、珂嫁医(巫)夜」。 「春日神社」は藤原氏の祭神であるとするならば「夜」は「爺=八メ耳邑」。 62 秋雨梧桐葉落時 秋雨に梧桐の葉、落つる時 ↓ シュウウ・ゴドウ・ヨウラク・ジ 愁 胡 悟道 踊 楽 児 拾 得 語同 用 絡 字 ↓ 秋 雨 梧 桐 葉 落 時 あき あめ あおぎり きり は おちる とき こと=古都 安芸 編 仰 理 切 葉 越智留 時 穐 天 仰 理 斬 葉 落ちる とき 亜紀 編め 扇 力 理 芭 堕ちる 解き 空 天 仰 ぎ理 起裏 葉 越知留 説き 「秋雨」=禾火丁冂水=のぎひひのとかんがまえみず (廼気一妃能登巻 臥真重見ず) 「梧桐」=木吾木同=きごきどう (季語起動・鬼語軌道・姫護機動 ・箕子姫同・氣互基同) 「葉落時」=艸世木艸水夂口日土寸 =くさかよきくさかみずすいにょうくにひつ ちそん =(日下予期日下観ず出女卯国逼地損) 63 西宮南内多秋草 西宮、南内、秋草多く ↓ セイグウ・ナンナイ・タシュウ・ソウ 星 宮 何 内 他州 相 斉 虞卯 難 亡 侘州 嫂 ↓ 西 宮 南 内 多 秋 草 にし みや みな みうち おおく あき くさ 爾志 美闇 波 うち 多 く 安芸 苦狭 螺 壬谷 三波 撃ち 大 苦 阿姫 貢早 尼詞 見也 皆 身内 将補供 阿記 苦詐 「西宮」=申酉戌=シンユウボ=親友墓・真勇募・深憂姥 =サイキュウ=災救=歳宮=祭球磨(熊)=碎球=埼玉 =にしみや=螺巳耶=似史見也 =サイグウ=星宮=叉移遇=差位星具卯(烏) 「南内」=巳午未=ミゴビ=美語尾・箕娯媚・三子火=産後妃 =ナンダイ=難題=何台=南台 「多秋草」=タシュウソウ =他集装=多種嘘得 =太 周桑 =他意州鍬 64 宮葉満階紅不掃 宮葉、階に満ちて、紅、掃はず ↓ キュウ ヨウ・マンカイ ・コウ フ・ソウ 宮 曜 満 会 江 府 相 急 用 卍 回 甲 府 争 ↓ 宮 葉 満 階 紅 不 掃 みや は みつる はし べに づ はく 彌弥 葉 美鶴 端 辺尼 津 波玖 宮 は 満 橋 紅 津 舶 宮 倭 御津留 箸 呉 津 珀 「宮葉」=急場・弓馬・救婆・球芭=(ウ呂艸世木) =迂路日下良き =実や葉・美耶倭・実家話 「満階」=幡海・萬諧・鰻回・蔓解・真向=(水艸両阜比白) =御津日下二つ丘(おか=尾花=老婆=キュウ=宮)比べる代 =三橋・御津梯・密は支・三羽支(鳥の支・南方位の朱鷺) =桟橋・三郷 「紅不掃」=熊扶桑・好婦嫂・甲府争・江府總・好父祖胡・虎卯婦祖 =糸工一ノ卜手ヨ一巾=伊都匠始経晦、占弖、子乃頭、初めの葉芭
長恨歌(65~)・(24) 65 梨園弟子白髪新 梨園の弟子、白髪、新に ↓ リエン・テイ シ・ハクハツ・シン 離縁 停 止 白 髪 臣 李淵 挺 之 博 発 進 浬猿 帝 史 迫 捌 侵(真) ↓ 梨園 弟 子 白 髪 新 ↓ なし その おと ね しろい かみ あらた 名詞 礎埜 音 根 代 意 化看 亜螺汰 那始 祖乃 弟 姉 姿芦委 神 阿羅侘 名始 祖廼 音 古 詩路易 化観 娃羅詫 拿始 祖の 音 値 白 い 神 荒 田 「梨園」の「梨」は「古事記」では既に述べた「男浅津・若子宿禰命(をあさづまわくこノすくねノみこと)=允恭天皇」の娘、「長田太郎女」の兄に「木梨之軽(きなしのかる)王」がいる。「長田太郎女」は「大日下王」の妃であった。だが、「坂本の臣」の讒言により「安康天皇」に夫の「大日下王」は殺され、彼女の身は天皇に略奪されてしまった。しかもその後「安康天皇」は、彼女と「大日下王」のわずか「七才」の息子、「眉輪王=目弱王」に殺されたことになっている。 「七」は「バイブル」でも「神の復讐の数字」であった。 絶世の美女「クレオパトラ七世」は同名の女王が歴史上、「七人」存在したのだ。 黒澤明監督の映画の「タイトル」は何故か、「七人の侍」である。 「午支」は「第七番目」の「十二支」である。「織姫=婁宿」は「七夕津女」だ。 「七」の記録されている原典=「旧約聖書」には、「弟殺しのカインの肩族」に対する「他から復讐をする者に対しての戒めの数字」は「七倍」である、とされている。「七つの大罪」の原因は「一(はじめ)」の「原罪(現在)」に由来する。 「モーゼ」は紀元前十五~十三世紀の人物と百科辞典にはあるが、世界歴史地図の地中海・中央アジア周辺をみれば、この時代には「ギリシャ」、「ハッチ=ヒッタイト」、「ウラルトゥ」、「ミタンニ」、「アッシリア」、「バビロニア」、「エラム」、「カルデア」、「エジプト」等の国名が記されている。紀元前600年頃には「トラキア」、「ヘラス」、「リディア」、「キリキア」、「メディア」、「エラム」が出現する。これらの国名の「音」の由来は何であったのだろうか・・・「ギリシャ(Greek=エリニカ・Ελληναs・Ελληνικα)」とエーゲ海を挟んで東に存在した「ハッチ」、「ヒッタイト」は「鉄の国」であった・・・まさかとは思うが、 「ハツ=初・髪・鉢=『金本』・捌・溌・発・醗・撥・發」の「地」、 「ハチ=鉢・蜂=『蜂の針=鉄剣』・椀・八」の「地」、 「ハ・ツ=葉柘・波津・端津・破津・『刃柘』・覇都」の「地」 かも・・・古語辞典には「ハッシ・と」は「硬い矢じりと矢じりがぶつかる音」とあるのだが・・・「はつ地」は「泊つ地=停泊地」、「果つ=終わる・死ぬ」・・・「地」である・・・が・・・ 「モーゼの神」、「バイブルの神」はみずから「妬(ネタミ)の神」であると自称しているが、「エジプトから敢えて(?)救いだしてやったイスラエル人」に当然にも「厳しく戒律を護る」ことを要求する。だが、「戒律を護らない民族」であることを百も承知している「神」なのだ。しかも「申命」した「十戒」を「護らない民族」、と言うよりも「知らない民族」は「婦女子、幼子ともに根こそぎ絶滅」される対象なのだ・・・イスラエル・パレスチナの協調は難しい・・・カモ。 「七」、「ナナノ(?)」は草原の遊牧民族、モンゴル族の「靺鞨・狄・狛」の自称でもあるらしい・・・「靺鞨」は、紀元前四世紀後半に「粛慎」、前二世紀後半に「把婁」、「把婁」は一世紀前半に出現した「高句麗」とともに、その北東に二世紀中ごろにも存在し、これら「粛慎」、「把婁」の「同地」に重なって、七世紀初頭に出現した「名前」なのだ。 「粛慎」、「把婁」、「靺鞨」・・・八世紀中ごろに「勃海」、十世紀中ごろには「女真」そして、 「金」 ↓ 「女直・女真」 ↓ 「後金」 ↓ 「清」 ↓ 「満州」 が重なっていく。 彼らは「アベル」の末裔の「ダッタン=タタール」人なのだろうか?・・・まさしく、歴史は「七倍の復讐者」であったことを証明しているようにも思えるが・・・ギリシャ語でも既に前述したように「崇(タタ)る」なのだ。 長田太郎女(おさだのいらつめ)=譯田埜(木木十一=の=乃・廼・野・之) 訳 田の委羅津女・・・飴羅津女 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 訳 他 意拉柘目・・・尾差舵 篦 ↓ ↓ ↓ シ 訳 多 意・詰(キツ・キチ・つめる ヘイ ↓ ↓ ヤ・ショ ↓ なじる ヒ ↓ 廼=迺=西に進 ↓ しかる ビ ↓ はじめて・この 鬼津・木津・紀柘 ↓ すなはち・なんじ (ながたのたろうめ) ↓ ダイ・ナイ ↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓ 那賀侘の蛇瑯音名 けすじたて・かんざし (ちょうだのいらつめ) うへ・たが・櫛・へら ↓↓↓↓↓↓↓↓ 矢竹・矢がら・矢の幹 長 蛇の畏羅津女 長 拿の苛 津女 坂本の臣(さかもとのおみ) 佐賀本の尾箕・・・長崎半島の尾の箕(三野) 木梨之軽(きなしのかる)王=木利木之車又十一 ↓↓↓↓↓↓↓↓ 記理伎詞写作重位置 氣利器支舎股獣位地 この「木梨之軽王」は「天皇位」を嗣ぐ「太子」としての人物であったが、同腹の妹、「軽大郎女=衣通(そとほし)郎女」と深い関係になり、弟の「穴穂命=安庚天皇」に「伊豫」に流されてしまうのである。 「允恭天皇」は「意富本杼(おほほど)王」の妹、「忍坂の大中津比賣命」を「皇后」とし、彼の子供、「男王=五人、女王=四人」の「九柱(ここのはしら)=キュウチュウ=宮中・旧衷」は、すべて「忍坂の大中津比賣命」が産んでいる。 一見、疑問のないような記述ではあるが、「九柱」の「九」は「ノ(ヘツ=経津・ヘチ=経智)」と「乙」の合字であり、「九州」の「キュウ」であり、同音異字は「球・旧・宮・仇・求・究・及」である。「エジプト」の漢字は「埃及」だ。 ここで注目して欲しいのは「坐遠飛鳥宮(とほつアスカのミヤにましま」した「允恭天皇」の名前である。しかも彼は「七十八=漆拾捌=七拾八」歳で死亡し、その墓は「河内の恵賀の『長枝』にあり」と記されている。 彼の皇后は「意富本杼(おほほど)王」の妹、「忍坂の大中津比賣命」と記録されている。 允恭= ム 儿 共( 艸 一 八 ) ・(心) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ よこしま ひと とも くさか はじめ やつ こころ 予古詩真 日図 斗模 日下 葉字女 夜津 弧股芦(子虎路) 与子志摩 妃都 渡母 玖邪 耶卑女 耶都 姑去呂 久坂 男 浅 津 ・ 若 子 宿 禰 命(いのち・メイ) を あさ づ ま わく(か) こノすくねノ みこと 尾 旦 晦 間 環九 音 宿値 名 将 麻 都 魔 倭工 姑 州貢子 委野地(いのち) 夫 阿佐 都 真 話 過 去 洲九子 箕古都(みこと) 「允恭天皇の系譜」とは「宿曜経」の配置であり、「魏志倭人伝」の「卑弥呼」と「壱与」の話を「懸けて記録している」のだ。 意 富 本 杼・・・おほほど王 ↓ ↓ ↓ ↓ イ フ ホン・ジョ(杼・チョ・ショ・ひ) 意 符 本 序 緒 初 比 意 符 本 徐 著 書 一 異 符 本 除 楮 書 秘 イ フ ホム ジョ 箸 処 飛・・・箸墓・箸の話 異 父 捕武 女(汝)・・・イフ=畏怖・委府・移府・異夫・畏婦 ↓ ↓ の妹 一大卒(率・卆・祖津)=魏志倭人伝 ↓ 忍坂 の大 中 津 比賣 命 ↓ ニンハン タイチュウ シン ヒバイ メイ 認 版 他意衷 心 肥培 姪 ↓ 壬 叛 対 沖 申 卑婆医 女鮪(まぐろ=真黒=暗闇) ↓ ↓ 卑弥呼は波の女の巫、 日食=磐図隠れ ↓ ↓ 沖 ↓ ↓↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ 一倍=イツバイ=五倍=吾倍=阿倍 壬申乱 寅=虎=姑=箇 天盤=天晩 もちろん、「子(ネ)」と「虎(コ)=寅(イン)=允(イン・まこと)」は、古代天皇につく「根子」であり、「猫」の「おたま」の「ネ+コ=猫」であり、歌舞伎の「鍋島藩・番町・皿屋敷」の「怪猫」なのである。古語辞典には「番町で、目あき、盲に、道をきき」と言う「川柳」が紹介されているが「盲」とは「塙保己一(はなわほきのいち)」である、と説明されている。 「鼠(子=ネ=音)」に騙された「猫(ビョウ・ミョウ・ベウ・メウ)」は「十二支」には存在せず、「いん=音=隠」である。 「猫」=(ビョウ・ミョウ・ベウ・メウ) ↓ ↓ ↓ ↓ 鴉+兎 病 冥 部得 女有 烏+卯 描 明 邊得 目右=月読命・・・明=日+月=日食 「猫」=ねこ=根子=音鼓=立 日 十 豆 支=十又=十支=酉 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ たつひ とう まめ ささえ 起つ卑は倒る、魔女の挫娑得 卑弥呼 娑良=皿=更=沙羅=早羅 そして「二十八宿・占い」で隠れて見えないのは「女宿」と「斗宿」の「間」にある「牛宿」である。 「女=おんな=音名」を「斗=はかる=葉化留」れば「牛=うし=得史(詞)」が見えて来るのだ。 ・・・女=オンナ=音名と、斗=マス・はかる=升量る(鱒・計る・墓留)の、 アイダ=蛙(娃・吾)謂(意・移・異)妥(拿)である。 ↓ ↓ ↓ かえる ゆう おだやか 変える 熊・酉 織田家掛=尾他夜化 「うし=牛=丑(チュウ)=ウシ(卯支=ボウシ)」なのだが・・・防止・帽子・某氏・・・「卯(ボウ)」の同音異字は、「旁(かたわら)」で、「望(のぞみ)・妨(さまたげる)・冒(よこしま)・棒(うつ・たたく)・亡(なき)・母(はは)」を「恭(キョウ・うやうやしい)」し・・・これらの漢字を「バラバラに解剖」すれば・・・亡き月の王、「女」の方、日の目、木(基・鬼・記)に奉じる、音の略の乙にょう、くの一の乳「房」。 ・・・「旁」は漢字造りの右方で、「柳(やなぎ・リュウ)」の漢字の右片は「卯」である。「柳」は「楊(ねこやなぎ・ヨウ)」で、「楊貴妃」の「姓」である。「ネコヤナギ」は「春に白い艶のある毛花の芽を出す植物」である。 「猫」は「古代エジプトの女神」でもあった。英語では「キャット(cat)」であり、「When the cats away the mice will play」は日本語訳では「鬼のいぬ間に洗濯」とされている。どういう訳か「cat-o 9tails」は「九本なわの鞭」の意味もある。ギリシャ語では「ガタ(γατα)」である。日本語では「・・・の方」とは女性への敬称だ。「形・型・潟・肩・片」で、「過多」でもある。 「猫(ねこ・ビョウ)=狗(いぬ・ク)+苗(なえ・ビョウ)」 ↓↓ ↓ ↓↓ ↓ 委奴 貢 名重 描 ↓↓ ↓ ↓↓ ↓ 戌=犬 拿枝 秒(のぎ・かすか・わずか) ↓ ↓↓ ながさ・ビョウ (三合支・戌午寅)狗 萎(なえる) みあうし 魅合う支=鬼+未=鶉首=南南西=秦(シン・はた)国 秒=のぎ・かすか・わずか・ながさ=ビョウ 禾=穎 =能義・珂州耶・倭津華・長 娑・廟 (退き 課素科 倭津嫁 那賀娑 病) =度(ながさ・ド)の単位。一尺の十万分の一。 亳(ゴウ)の十分の一。忽の十倍。 時間の単位。一分の六十分の一。 角度の単位。一度の三千六百分の一。 「時間の単位」と「角度の単位」は「時計」であり、「北斗七星の柄杓」の「天球移動区間=弧・又」であり、「区間」は「十二支」である。その「出支(でし)」は「弟子=出子(出自=子支=嗣子=獅子)=山山子=(3×3=9支=申支=陰暦七月)=(3+3=6支=巳支=陰暦四月)」であるのだ。 ちなみに獅子は「ライオン・λεονταs=レオンダス)」である。虎は「タイガー・τιγρη=ティグリ」である。来音(ライオン)・・・「霊を音出す」・・・「他意臥亜(タイガァ)」・・・「帝の愚な理」・・・かもネッ。 「弟子」は「弟の子供」なら「甥(おい)」か「姪(めい)」である。「生まれた男」は「オイ(老・逐・追・雄意)」て、「女に至る」は「メイ(明・名・命・冥・盟・銘・迷・鳴・謎・瞑・雌意)」。 「カイシ」と読めば「弟子=海士=海子(あまこ・カイコ=蚕)・開始・会誌・懐紙・解詞・会支・介士)」。 「おつこ」なら「乙己=イツキ=五木・委津姫・一期・逸機・一揆・移月・伊月」。「おとし=音子」。 「オンシ=恩師・恩賜」。 「だいし=大師・台紙・題示=廼支=題詞=台史=代史」で、「台詞」は「せりふ」である。 「テイシ=帝支・帝史・訂詞=停止」。 「でいし」なら「出委史=出石(いずし)」で、場所は「出雲」である。 人物が古代の天皇ならば、「第四(ダイシ)天皇」は「懿徳天皇=大日本彦鋤友」で、 『鋤(金 助=コンジョ=坤女・艮女=恨女=根序) (キンジョ=禽汝・近所・欽女) すき=鍬・好・隙・漉・酸・透』の「友」 である。 「懿(イ)」の意味は、 「うるわしい=賣婁倭史意=麗しい(山麗)」 感嘆、発声の 「ああ=阿吾・亜唖・娃蛙・噫々」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 口意 ↓ ↓ 女土土(度々)中ム土土(度々=旅足袋) ↓あまねし・おし=海部音潮(汐・塩)詞 あご=阿児・顎・吾語 である。 「大師」とは誰か・・・「密教経典=宿曜経」を重要視した「伝教大師=最澄」と「弘法大師=空海」である・・・この密教開祖に歴史上有名な「姪」や「甥」はいるだろうか・・・存在するのだ・・・既に前に述べたかも知れないが調べて見てホシい・・・。 古代の婚姻関係は「伯父・叔父」と「姪」、「伯母・叔母」と「甥」の関係が入り乱れているが、「事実」と同時に「伯叔(ハクシュク・おじおじ)」と、「甥姪(セイテツ・おいめい)」の漢字と音にも注目して欲しい。 同音異字は、 「ハクシュク=泊宿=箔縮=舶縮=博宿」 「セイテツ =星轍=製鉄=逝撤=西綴」 これは「白村江の海戦」で「倭水軍」が壊滅状態を暗示しているのではないか・・・しかも「天智天皇」は「大津京」に転地。「天武天皇」は「壬申の乱」で「大津京」の「大友皇子」を破り、「平城京」を都とした。 「伯」は「人は白」、 「叔」は「卜の一の小は又」、 「姪」は「女に至る・一ム十一」、 「甥」は「生まれる男・髪差しの十一は田の力」 である。 コトワザに「弘法も筆のあやまり」というのがある。同じようなコトワザに 「猿も木から落ちる(猿猴取月・僧祇律)」 「申も貴家等(羅・螺・裸・驢・拉)落ちる」 「援母『箕』華羅落ちる」 「『燕』母帰韓麻地留」 「=媛喪『鬼華』羅越智流」 は「卑弥呼」か、「壱与」ではないか。もちろん、「サル」は「豊臣秀吉」であり、「猿田彦」で、「猿女」・・・猿面勘者(間者)も舞台から落ちるのだ。 「厭模穐『虚(空)』墜ちる」 「媛模帰化等堕ちる」 「笑む貴下ら『越智(尾地)』留」 「円模幾何羅牡知琉」 で、「天文幾何学の知を留る」である。 「水(サンズイ)+君(トン・イン・はく・もどす)」の熟語に「沌灘(トンダン)」があり、「十二支の『申』の別名」で、「水がめぐり流れる」とある。「申」は「上海」の別名でもある。上海の北に「会稽山」と「東台」があることは何度も述べた。「越王・夫差」と「呉王・句践」の「宿敵の戦場」である。再度ここにその記録を挙げておく。 置胆於坐臥即仰胆。飲食亦嘗胆也日、汝忘会稽之恥邪。(史記、越世家) 「サル」は「猿田彦」の後を嗣いだ「猿女=宇受女」で、「怨女」ならば、まさに「長い恨みの歌」のヒロイン、「円女=玉環」の「楊貴妃」であり、「曜輝日」である。・・・「柿本佐留(人麿?)」の「娘」か「妻」かも・・・ネっ 「水(サンズイ)+君=スイ・クン=推訓・水軍」である。「太子」とは「太陽の子」であり、「態様の詞」であり、「大要の示」であり、「対耀の支」であり、「耐用の詞」であり、「対様の史」で「秘事理(ひじり・日字理・日児里)」の「聖徳太子」である。いまだに「聖徳太子」を「廟」を護っているのは「太秦(うずまさ)」の「秦氏」の子孫であるらしい。 「白髪」は「大長谷若建命=雄略天皇」の後を嗣いだ「白髪大倭根子=清寧天皇」がいる。何故、「白髪」なのかも春に白毛の芽を出す「楊=ねこやなぎ」を見れば明らかだ。「楊貴妃」の懸けである・・・ 彼、「白髪大倭根子=清寧天皇」の曾祖父は「仁徳天皇=大雀命」で、「仁徳天皇」の姉は「木之荒田郎女=紀、これ新に意、裸して詰め」で、彼らの父親は「応神天皇=品陀和気命=本無駄訳」で、母親は「中日賣命=那珂卑秘め意の知」。 ・・・「姉」はまさに「新=あらた=荒田」の「媛=怨」である。 荒田=日下亡(亠L)爪田・・・日の下の音が隠れる詰め(津女)の伝 ↓↓ ↓隠の古字・・・「レ(かぎ)」、「乙(オツ・イツ)」とも トウ・ズ・なべぶた・けいさんかんむり・・・音の略字 頭 図 鍋 蓋 計 算 唐 図 名部附多 掛違算巻武理 ↓ ↓ 稽 纂 ↓ 艸十一ム皿(日下重一ヨコシマのサラ) 鍋 ↓ 金の咼(化・科・禍・珈・嫁・・・) ↓ カ・ケ=肉と骨を分ける(裂く)口 ↓ ↓ ↓ コツ(忽・乞)・ほね(補音) ジク(字句)・にく(似句) しし(宍・嗣子・獅子) ↓↓ 始支・史始・始死・姉姿 いずれにしても、「男」よりも「女」を重視する、とはこの「長恨歌」の「二十六行詩」である。・・・「弐拾六・凝視」・・・「弐拾六・凝視」・・・ギョウシ=行支・業死・仰志・形姿・暁示・尭史・凝視するのは「ニ」と「ろく」で、「二+六=八」でもある。 弐が拾う六=尼が拾う録=海女が披露する碌=海士が疲労する漉(越州) 児が拾う麓 海女が披露する鹿 海士が疲労する肋(月力=潮汐) 似を重る録 天 が披露する肋 海士が疲労する麓(並ぶ岐の志賀) 「ロク」の同音異字の訓は、 「禄(ふち=不知・付置)・鹿(しか=詩歌・史家・志賀)・麓(ふもと=梺・婦元・府元・普元=付言=普賢)・漉(こす=越・超・濾)・録(しるす=記・知素・姉婁州)・六(むつ=陸奥・睦)・緑(みどり=美土里・美鳥・箕奴里)・肋(たすけ=足家・他助・侘州家)・碌(あおさび=阿長鼻)・陸(りく=理句)」 である。・・・もちろん、「古代の天皇」は「天気を拝する女性」の「巫」なのである。彼女らの「夫=男」の地位は「大夫」以外の以上でも以下でもない。 すなわち、西暦238年(景初二年六月)、「倭の女王」、「卑弥呼」によって「魏」に派遣された「大夫」は「難升米」と「都市牛利」であった。この「漢字」を元来、派遣された彼らが自ら「サイン=署名」として使用していたなら「邪馬台国」は「漢字・文字」としての「天文地理の知識」を有していたのだ。もちろん「卑弥呼」も自らの「呼称・名称」としてその「卑弥呼」の漢字を「サイン」としていたに違いない・・・「陳寿」や「漁豢(拳)」が彼らの名前を聞き及んで「記録」したのなら「想到」に「ウイット」に富んだ記録者と言える・・・だが「陳寿(239~297)」は「西『晉』(280~316)=(爾志・螺)+(一ムム一日)」の「史官」であった。彼等は・・・「サイン」があった「当時(魏)の記録」を参考にしたのだ・・・「卑弥呼」が死んだのは西暦245年前後であるから・・・「陳寿」が生まれて、「245-239=6」ならば、「六才」前後の事件であり、「史官」になってから、「280-245=35」年前の出来事である。 大夫・・・①周代の官名・卿の下、士の上 ②爵位の名・秦の時、功労者を賞する為に制定したもの 第五級の位。 ③ひろく官位のあるものをいう ④医者 ⑤松↓大夫樹 ⑥大名の家老 大夫識(中宮職・春宮職)の長官 五位の通称・俳優、能役者などのおもなもの 歌舞伎の女形・上位の遊女
長 恨 歌(66~)・(24x) 66 椒房阿監青娥老・・椒房の阿監、青娥、老ゆ ↓ ショウ ボウ・ アカン・セイガ・ロウ 照 卯 吾観 星河 婁 将 亡 吾諌 正画 労 消 防 アカン 制火 牢 ↓ 椒 房 阿 監 青 娥 老 さんしょう ふさ まがり みる あお おんな おいる 参 照 夫差 間借り 見る 碧 音名 逐い留 三 唱 絃 曲雅理 美留 亜尾 穏納 笈帷留 蚕 桑 腐挫 麻刈 観る 娃将 怨名 負い留 「山椒」の「椒」はそれ自体「さんしょう」とよみ、 「サンショウ」=参照・三唱・参将得(烏・卯・鵜・宇・迂) 「はじかみ」=恥神=恥じ噛み=葉字化見 「ショウ」=小・将・承・生・姓・照・咲・鍬・章・娼・匠・・・鐘・象・・・ で、「椒房」は「皇后の御殿」である。「椒蘭=ショウラン=照覧・笑覧・妾覧・将乱・・」は「香りのよい焚きもの・香木・匂木」で、「匂(国字・和字)」の酷似する漢字は「勾践」の「勾」である。そして、「塩=潮・汐・志雄」、「胡椒=湖沼・呼称・誇称」、「砂糖=佐藤・差等・左党・左藤・簑島」で、「佐唐」。「左(ひだり)」は「よこしま」である。 「森鴎外(オウガイ=横臥委)」が何故、友人の「雅号=鴎外」を借りて「山椒太夫」のタイトルで小説を書いたのか、「理解=カタラノヴェ=語りの部」出来るだろう。「人身売(賣=女)買」を「厨子王」が告発したのだ。・・・「壬申の賣(女)買」で、「あきない」での「交換」である。 「阿監」は既に「阿=阜(ふ=府=婦)+可(へき=璧=日置)」と「監=かがみ=香我美=屈観=水鏡=歴史=暦支=檻」であることを前に検討したが「アカン=朱鵡=朱鳥=朱鷺=アカム=娃歌舞=垢(十一后)無」で、「あかん」は「ダメ=駄目(妥女)=拒否(こばむ伊那・伊奈・委姉)」でもある。 「応神天皇紀」・・・「金の卵」から生まれた「赤玉姫」の話はまさに、この部分である。だが、これは「天武天皇紀・壬申の乱」に懸けられているのだ。 人質の、 「赤瑠姫=壱与=X(額田王)?=十市姫」、 逃げた姫を追って 「但馬=投馬=都間=球磨=隅 =熊(ム月ヒヒ・=光) =ユウ=憂=雄=酉 =白(いわく=磐玖=盤句=晩矩=天文)」に 渡来(孝昭王・四年)した 「新羅の皇子=天日矛=天武=金春秋=Y(大友皇子)?」。 「日本書紀・持統天皇九年(乙未)」に「新羅」から渡来した人物をあげてみると、 ① 金良淋 ② 朴強国 ③ 金周漢 ④ 金忠仙 ・・・ヤケに「金」さんの「姓」が多いのも理由があるはずだ・・・しかも「名」もアヤシイ・・・「大火事」に苦労したのは「火消しのメ組」だろう。 次に、「魏志倭人伝」に於ける「地理名」と「登場人物名」を挙げておく。 三国志・魏書 巻三十 烏丸鮮卑東夷伝 陳寿(西晋) 夫余、高句麗、東沃沮、邑婁、歳、韓 地位 名前 同音 異字のよみ ↓ ↓ ↓ 女王・・・・卑弥呼・・ひみこ・一御子・日巫 ↓↓↓ 日観姑=干看古=肥御子 大夫・・・・難升米・・なんしょうまい・南生妹・南場(難波)虎女・楠嬢舞 ↓ ↓ ↓↓↓ 葛娘妹 難 書 得真意=難女麻囲=拿務諸得魔委 郡太守・・・劉夏・・・りゅうか・笠華・柳樺・留奈津・龍拿都=『劉』家(下) ↓↓↓ 理由下=流化=硫化=龍珂=龍嫁=竜禍=ヤマタの大蛇 粒化=コメを立てるヒトをメス=砂・沙・娑 次使・・・・都市牛利・といちうしとし=妬姉宮里・渡姿仇浬・肇委治丑歳 ↓↓↓↓↓↓↓ 十一迂始渡姿=問い地卯(烏)示都市 壱拾壱丑 都市=斗位地卯 子渡支 郡太守・・・弓遵・・・きゅうじゅん 旧准(なぞらう・たぐえる・準) ↓↓↓↓ ↓↓准后=准三后=准三宮=女官が皇子、 ↓↓ 皇女を産んだ時に賜った称号 究順・宮順・鳩淳・厩巡・舅殉・九循 ↓↓ 球巡=球磨巡=熊廻=北斗七星 建中校尉・・梯儁・・・帝舜・汀筍・帝峻(崇峻=泊瀬部) 太夫・・・・伊声耆・・以西紀 ・・・・掖邪狗・・易役・亦訳・柄軌夜句 郡太守・・・王・・・・姶姫・皇鬼・王箕 狗奴国王・・卑弥弓呼・妃箕救虎 倭の使者・・載斯・・・妻子・才子・祭司 ・・烏越・・・羽越・上津・迂柄津 塞曹掾史・・張政・・・調整・調製・長生・長逝 宗女・・・・・・壱与・・・一世・位置夜・位地預 「青娥老」は「主は月=卯=毛は白、目は赤」、「蛾=蚕=繭は白、目は青(緑・翠・翆)」、「娥は女の我=女の賀、媚美=十一(ジュウイチ=獣位地=獣医地=重囲地)のノ(ヘツ=経柘)のヒ(メス=牝=ハシ=箸・梯・橋・端)」。 「古事記」では「青娥老」は「白髪大倭根子命=清寧天皇」の後を「称制」した「忍海郎女=飯豊青皇女=青海郎女」にでも重ねてあろうが、「清寧天皇」は老人だが、彼女は「老女」ではない。「海老」も「眉玉」も「勾玉」も「稚魚」も「獣」も「胎児」も「老人」も「月」も「丘」も、その「姿」が「瘤のように曲がっている」と云うことが共通項である。曲がっているのは「阿=吾=我=私=ム」である。 青娥老・・・青馬(あおうま)祭・・・あおうま祭・・・馬=女=をうな=乙女 ↓ ↓ 白峨楼(冬の峨媚山・蚕繭) 正月七日の節会 ↓ ↓ 白髪老・・・白馬(しろうま)祭・・・あおうま祭・・・馬=婆=おうな=嫗 「白馬祭(あおうま・まつり)」は漢字で「しろうま」と記されて何故「あおうま」とよませるのか(?)のヒントでもある。単純に云えば「シロ」と言いたくないのである。古語辞典の「馬そのものの実体の色=中間色」の説明は疑ったほうがいいが「中間色」は別の示唆、「仲間のイロ・名賀真のイロ・那珂魔のイロ」である。「白(いわく=磐区=盤句)=ノ日」は「しろ(死路・支路・詞賂)」、「ノ日=経津妃=経柘秘」、「青(あお)=主月」は「あお(娃将・蛙雄・吾緒)」で、「実体の色」ではなく、言葉の「同音」が他の言葉に懸かる「漢字の意味」を「忌み嫌う気持ち」の「白黒」なのだ。・・・「しろ」を誉めて「酒など」で浮かれたくはなかったのだ。「白」が「新羅」では「メデタクはない」からだ・・・。 そして・・・これは「白髪」の老女と「緑の黒髪」の早乙女の「壱与」の権力交替の示唆ではないのか・・・「尾花(をばな)」は「薄野花=芒(すすきの花)」で、「馬の尾」に似ているから云う、と古語辞典にある。・・・ナゼか、「牛の尻尾」ではダメなのである・・・「鶏頭(系統・傾倒)となるも、牛尾(祇得美)となるなかれ」である。 問題の第一の示唆は「すすきの花」は「十五夜の名月」にはダンゴと共に欠かせない供えモノである、と言うことだ・・・つまり、「杵で臼を衝く目の赤く毛が白いウサギの神様」に供えるのだ・・・「臼の中」にあるものは「稗」に違いない・・・。さらに古語辞典には「襲(かさね・ソ)の色目」の名。「襲」の文字は「龍(リュウ)の衣(イ)の色女」。表は白色、裏は「薄(うす)はだ」色。秋に用いる。「尾花色」は「枯すすき」のように「白に薄い黒色の混ざった色」である。下地が白の、黒の「斑(まだら)、斑点(ハンテン)」があるものか、「縞模様」であろう。 問題の第二の示唆は「尾花粥(をばながゆ)」である。「すすきの花を黒焼きにして粥に混ぜたモノ。宮中で、八朔(はっさく=八月一日)に疫病よけに食べた」とある・・・ナゼ疫病に効くのかの説明がない。「疫病」は「死んだモノのタタり」によって起こるのだ・・・これは「迷信」であると考えるのはハヤトチリである。「腐ったモノは伝染病の原因」であることを考えれば「合理的」なのである・・・バイブルの「申命記」にも「自然に死んだモノ(病死)は食べてはならない」とある。「タタり」と云うのは知識の無い人々に説明する「対策・手段・方便」であった。「生活の為に殺したモノ」は「腐らない限りは食料」であるから「タタる意味」が違うのだ。「酒」も「漬物・納豆・豆腐」も「穀物が腐(発酵)」って「薬」や「精進食」になるのだ。「クサ(濁)」って、かえって「清めの水」に使えるモノになるのだ。「巫」も「坊主」もその立場は「医者」なのである。漢和辞典を調べれば「巫=医=匠=工」である。「タクミ」は「科学者」であり、「技術者」で、「合理的精神」を有するインテリであったのだ。 ・・・「古語辞典」の役に立たないところは例題が多い割にその「依って起つ原因のナゼか、の説明」がないところだ。 「尾花(をばな)」は「薄野花(すすきの花)=芒の花」で、「馬の尾」に似ているのはそのとおりであるが、「尾花」と「薄の花=芒の花」と「馬の尾」の漢字と、その「音訓」が懸けられているのが理解出来ればその「歴史的概念」も見えてくるのだ。 尾花・・・・をばな・ビカ・尸 毛 艸 イ 匕 将婆名 美化 屍の母烏 日の下 医の牝(ヒ) 薄の花・・・すすきのはな・ ハクカ・ 艸 水 專(十田ゝ寸)乃 素州鬼乃鼻(塙) 波久賀 日の下 御津 百舌原の 沙倭地 葉句化=白化=伯化=泊化 芒の花・・・すすきのはな・ボウカ・ 艸 亡 艸 イ匕 濯 鼻 姥烏化 日の下 哭 漱 歯名 母卯化 無 煤 羽名 牡羽化 鳴 馬の尾・・・うまのを ・バビ・ 烏魔乃将 婆梶 卯磨野男 罵鼻 真目乃緒 芭日 「すすき(洗濯)」は「汚れ=煤煙=煤塵=煤(すす)=火山灰」を払いたいのである。すなわち「おハライ」というものである。その「道具」は「水」であり、「箒(ほうき)」であり、「叩(はた)き」であり、「雑巾」である。「気持ちが汚れた」なら「鬼のイヌマにイノチのセンタク」で、「太鼓」をバチで「叩(たた)」き、「鈴」を「振って淨める」のである。そして、「同音」の「忌みコトバ」になった時は「サケ」るのである。・・・殺された、あるいは自然死した「婆=バ=馬」や「羊」、「山羊」、「牛」が「腐敗」したならその「屍」には触れないのがヨイのだ。「腐敗」が終わって「ミイラ」や「白骨」になったら「塚」に「埋葬」する・・・生きている人間の「衛生」は「永世」し、「永逝」し、「衛星」は「太陽の光」を遮って「地球」に「影生」するのである・・・「古代天文学」をアナドッテはいけないのだ。 「平仮名」、「片仮名」になった「素酢垢=そそぐ=すすく=ススク」は「濯」と「煤」の「表裏一体」、「二立背反」の「音」の「コトバ」になってしまったのだ。「漢字=真名文字」のみがその「意味」を明らかにしてくれる。 「延喜式・927年」に「青馬」から「白馬」になったがその「呼称」は依然と「あおうま」とした、との記録だが「漢字」そのものの「記録」である。 ・・・「速・須佐之男=素の娑の夫」に「斑馬(ふちこま=縁駒)を「サカハギ=逆剥(逆=ゲキ・ギャク・よこしま=ゲキ=檄)+(剥=ハク・ホク・はぐ・むく=ハク=履)」され、殺された「白髪の老婆=老女」=「卑弥呼」と「張政」と共に「告喩(諌めた)」した「緑の黒髪の少女=早乙女」=「壱与」の交替だ・・・しかも「斑」は「斑固=漢書」であり、「馬」は「司馬遷=史記」の象徴暗示でもある。 速・須佐之男(すさのお)=素戔乎=素の娑の夫=主早将=主左将(阿部左大臣) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ソク ↓ ↓ 諏 作 緒=簾座之将=簾垂の将 塞 ↓ 乎古止点(點)=をことてん=漢文に朱点し訓 はやい ↓ 牡古史天 じたモノ 早 ↓ コ・ゴ・か・や・かな・に・を・より ↓ ↓ はやし=生やし サン・ザン・セン 林 そこなう・多い・少ない・わずか・明か ↓ はやし 囃 斑馬(ふちこま=縁駒)=サカハギ=逆剥 ↓↓↓↓ ↓↓ ↓ 不治姑間 不知狛 ↓剥=ハク・ホク・はぐ・むく=ハク=履 狼に似る 逆=ゲキ・ギャク・よこしま=ゲキ=檄 ↓ ロウ・・・・・・・・・・・・狼=おおかみ ↓ ↓ 婁=楼=老=瑯=王は郎(詑裸) 大神 ↓ 白髪の老婆=老女=「卑弥呼」と「張政」 告喩=諌めた 緑の黒髪の少女=早乙女=「壱与」と「張政」 「魏志倭人伝」には、 「遣・塞曹掾史・張政等・因齋詔書・黄幢・拝假・難升米・ 為檄・告喩之」 「復立・卑彌呼宗女・壹與・年十三・為王・國中遂定・政等・以檄・告喩・壹與」 とあり、「告喩(諌めた・イサメタ)」場所は長崎の「諌早」周辺であり、その中心地は「阿蘇山頂」を東から西に太陽が横切って行く「横島」である。 ・「 告 喩」 ・ ↓ ↓ ・ 牛口・ 口 八 一 月 巛 ・ 牛光 熊 夜 卑 下柘 撰 ・ うしひかり くま やつ いち つき かわ ・ 卯支比懸理 矩地 奴 位置 津基 懸倭 さて、「しろうま=あおうま」だが、「しろ=死路」を「忌み嫌った」・・・ これは、867年~930年の「宇多天皇」から譲位された「醍醐(ダイゴ)天皇在位期間」の歴史的事実を重ねれば明らかになるだろう。 すなわち、飢饉、疫病、盗賊、下総騒乱、天災の多発と「三善清行」の「辛酉革命の議、上奏」、「菅原道真」の「太宰府への左遷」、「竹取物語」と「伊勢物語」の完成、「円珍伝の国史所への推薦」、「空海に諡号、弘法大師を賜る」、「新羅明神を比叡山麗に祀る」、「風土記の勧進」、「深紅色を禁ずる」、「新羅金州王の使者を放還(?奉還)」、「宮中」に落雷し、「藤原清貫」らが「死亡」、・・・・「藤原時柄」に「天文の道」を「学ばせる」等である。 「新羅」と対立(?)した「醍醐(ダイゴ)天皇」は「第五代孝昭天皇=観『松』彦香殖稲」に懸けられているのだ。「しろ」の「崇り」を恐れた・・・「くろ」ではなく「あお=鴉将(カラスの将)=蛙将(カエルの将)=亜将(アマネシの将)=娃夫(タオヤメの夫)=吾雄(ワレ、ユウ)」の「馬=午=ゴ=牛」なのだ。 「白」は潔白の色でもある。「黒」は汚れた色なのだが「水の色」は「黒」である。「白紙」を染める「墨汁」は「ふで」に染みらせて記録する「スミの文字」である。「白」は昼間の白昼で、「黒」は闇夜の暗闇である。婚礼は「白」で、葬礼は「黒」であるが、「死者の白装束」でもある。 「しろ=死路」よりも「くろ」よりも「アオにヨシ」である。単なる「青丹よし」ではないのだ。「あ・お・に・よ・し」、「あお・に・よ・し」、「あおに・よ・し」、「あお・によ・し」、「あおによ・し」と漢字を当ててヨメ、である。 「一白水星=水・西・『死者』」は「雨で、暗闇の黒」、「二黒土星=土・北・『老婆』」は「大地で黄土」、これらは「鬼門遁甲術」の一部分で、「九星学」と呼ばれているモノだが、「青」は「三碧木星=雷・東北・『巫』」で「春の雷光の稲光、稲妻の青光の色」で「青い石」、「四緑木星=風・南西・『長女』」で「風にそよぐ木の緑葉」、「黄」は「五黄土星=中央・『皇帝』」で「黄砂の地色」、「六白金星=天・南・『天皇』」で「太白の輝き」、「七赤金星=澤・東南・『少女』」は「雨雲に漂う鳶や、湖沼の水面に集う、朱鳥の赤光」、「八白土星=西北・山・『少年』」で「隆起した岩山の土色」、「九紫火星=火・東・『智者』」は「日の出の太陽の光」である。 この「九星学=鬼門遁甲」の象徴する「漢字」に注目して欲しい・・・そして「同音異字」を当てるとどんな漢字になってしまうのか。 ・・・あなたがワープロを持っているなら即座にその変換した漢字が「日本古代史の記録」に直結されたモノに重なっているのがわかるであろう・・・ 一白水星=水 ・西 ・「死者」・「雨 で、暗 闇の黒」 壱代 御津・爾志・ 使者 ・ 海女 鞍 怨 哭 城 箕津 貳司 試写 編 音 案 古句 ↓ 太宰府の大工の頭梁 二黒土星=土 ・北 ・「老婆」・「大地で黄土」 児玖呂 津地・ 岐拿・ 浪婆 ・ 帯致 鬼遺 柘知 記多 漏葉 対字 企努 ↓ 風土 記=几ノ中ム十一の言の己
古 事 記 三碧木星=雷 ・東北 ・「巫 」 御津球 かみなり みこ 蜜 霊 神 也 巳己=大蛇・・・「雄略紀・小子部」 禍彌也 ・嶋浦狗 ・魅子・・・鬼は未 キ ミ=君・訓 いかず ち しんがしきた フ(府・符・怖・父・婦) 行かず地・神 賀磯城 侘 みこ(診拠) 申 臥支木田 臣 我示鬼他 「春 の 雷光 の 稲光、 稲妻 の 青光色 青 石 」 はる らいこう とうこう とうさい せいこうしき せいせき 張 来航 投降 登載 精巧識 婿 昔 でんこう いなつま あおひかり あおし 貼る 伝口 訊虎羽 意名嬬 吾将妃刈 吾生石 いなひかり せい し 伊那比借り 正 史 意名比化理 意名柘真 亜緒比化理 ただしい はる いかずち ひかり いろ 他拿史意 葉留 意化図智 比化理 意賂 多拿詞意 四緑木星=風 ・南 西 ・「長女」・「風にそよぐ木の緑葉」 史録 封 ・箕拿三 迩至 嶽所 風邪姐与倶鬼 壬鳥羽 かせ なむ せい ちょうじょ 化施・名務 声 緒得序 掛背措与具気 力与得 なが むすめ ↓ 長屋王娘 五黄土星= 中央 ・「皇帝」・「黄砂の地色」 呉王 柱負 ・ 行程・ 鬼坐 璽色・・・琥珀色 十王 ・ 校訂 ・ 王差 似意賂 おうさ じいろ 将宇佐児移呂 六白金星=天・南 ・「天皇」・「太白 の輝き」 録葉句 填・拿武・ 海女王 帯迫 危 転・名務・ 典納 他意葉句 記 七赤金星=澤 ・東南 ・「少女」 史地跡 佐波・島箕並・ 将助 作話・盗難 ・ 初得所 「雨雲、 湖沼の水 面 に集う、朱鳥の赤光」 海女運 誇称 御津 津羅 晦道 土岐の者柘交 八白土星=西北・山・「少年」・「隆起した岩山の 土色」 斎捕苦・惨・正念・ 劉来 委倭冶間 土記 聖補句・纂・詳念 流記 和歌耶麻歳紀 九紫火星=火・東 ・「智 者」・「日の出の太陽 の光」 ひ あつま とも もの ひ て たいよう ひかり 妃 吾妻 卑・阿頭麻・ 治 者 ・卑 出 帯曜 肥花里 東(ひがし) ↓ 干菓子・・乾菓子(かし=仮死・下賜・可視・下肢・ ↓ ↓↓ 歌詞・歌誌・樫・橿・河岸) ひむ がし ↓ ↓↓ 比 非鴾(とき)餓死 蜂(はち)・・蜂準長目=長い鼻、細長い目。英敏思慮の人相 巫(みこ)・・卑弥呼・壱與 矛(ほこ)・・大国主 袤(ながさ)・長さは丈(たけ)、おさ(訳) 釜(かま)・・藤原鎌足 武(たけ)・・天武天皇=大海部皇子・・・他家=竹内宿禰 婦(よめ)・・ 父(ちち)・・ 夫(おっと)・ 毋(母=はは・かかの類字・なかれ・カン・貫) 「物語」のすべての原点は「女(おんな・むすめ)」であり、「母(はは・かか)」である。この大地が天から降り注ぐミズに潤されてあらゆるモノが生じて育まれて行く。同時に時としては大洪水となってすべてのモノをウミへ押し流してしまうのだ。そして、自然に添った出来事は「ヒト」の「コトバ」となっていく。 「懸けられたコトバ」を調べたらきりがないであろうが、「古都の婆」さんのコトバを知るには「弧斗場=北斗七星が描く円と、その円弧の宮座」を手がかりにせねばならない。 ・・・「白楽天=白居易」がその自分の「姓名」を意識して「漢詩」を創作したとするなら、「天体」とその「天体の動き」を充分観察し、しかも「天文学」の「言葉」を勉強しつくしたであろう。彼が生きて活躍した当時の「唐」は国際都市であった。あらゆる知識が集中し、「漢字」として記録され、「集積」される場所であった。 「天文学」は人々の「生活」の指針を与えてくれる「学問」である。 「遊牧=放牧」、「漁労」、「狩猟」、「栽培農業」は「天候の動向」が「命の糧」を左右する。365日、日月星辰の動きは「季節」の「寒暖」を教えてくれる「暦」に集約され、その動く位置は「方位・分野」に定められ、「地理・地図・輿」となる。「地理」は南北東西の環境を明らかにし、その場所での生活スタイルを明らかにしてくれるのだ。 すべて「基準」となるものは「数字(和字・国字)」とその「計算」である。 住む場所を定めたならばその環境にあった「住居」の「建設」である。大地の地質によって建築構造を考えるのだ。まさに、岩や砂、草原、森林、山地、海岸、海上、湿地、雪上等の地質によってその構造物をあわせてきたのが人間の知恵と云うモノである。 冷暖房がすべて自然の流れによって決定されていた「時代」には「風」と「水」の「流れ」を見極めることに依って住居の方位構造を決定し、その生活空間を確保したのだ。現代に於て密閉された住居内での、この根元的な「風」と「水」の流れは「換気扇」によって調節され、「水」は「水道」によって調節されている。闇雲に「風水」などの「占い」に乗ってはバカを見ると云うものだ。だが、一歩外に出れば大きい自然の流れを人間の手に依って完全にコントロール出来るものは何もないのは自明である。 「日本」の古代人に於ける「遷都・遷宮」は「外敵からその空間を護る」と言う時代の要請であると同時に自然環境、「風水」に添った場所を選択し続けたことだろう。 生活空間の安定は「文化」の基礎である。生活に追われては「漢詩」などを創作する暇もないだろう。 「白楽天」にはリストラしても「天」を「楽」し、「白」する時間と余裕があった。そして、「居」を「易」して、「白」することが出来たのだ。「暇人(?)」でなければモノゴトの「流れ」の「喜怒哀楽」を観察し、それを「漢詩」などには出来はしまい。「暇人」だからこそ人々の「喜怒哀楽」を自ら感嘆し、「感激」し、それを「漢詩」として表現し、読む人々に「感動」を与えるコトも出来た・・・だが、私には日本の「歌謡曲」と違って、ここに引用した「長恨歌」の「書き下されたモノ」を読んでもあまり「感動」は湧かないのである・・・作者の表現した「漢字」の裏が見えてコソ・・・「アア、ソゥッか!」・・・なのだ。あなたならどうだろう。中国に生まれて中国語に堪能ならば「漢詩」の朗読を聞いて、その「音声」から感動出来るのに違いない・・・だが、私にはソレは無理と云うものだ・・・「漢詩」のイマジネーションが膨らむとしたならば「漢字」を視覚で捉えた時であろう。私にとっては漢字は「文字」ではあるが「絵」でもあるのだ。 いまだ、意味の理解出来ない(?)謎めいた古代エジブトの「神聖文字」だが、主観的なイマジネーションはその世界を宇宙にまで広げてくれる。同じように「文字」であっても「梵語=サンスクリット」や「アラビヤ文字」、「表音文字」のみの「文字」は闇夜にカラスで真っ暗だが・・・「メ」は見えるカモ。