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ギリシャ(ア)語と伯拉多、そして「古事記」 「プラトンおじさん」達が「コジキ」を語れば(1~4)


    「プラトンおじさん」達が、「コジキ」を語れば(4)・(35)  「アリストテレス(BC384~322年・62歳死没)」  「アリストテレス」は「十七歳」でアテネを出、プラトンの「アカデメイア」で「二十年間」学んだ。「BC341年」に「アレクサンドロス大王(BC356~323年)」の家庭教師であった。大王の父親は「暗殺」された「マケドニア王のフィリップ二世」であった。  「ヘラス」とは「ギリシャ本土」のことだが、「マケドニア」は「ヘラス」の北方で、その「東」が「トラキア」であったのだ。「トラキア」は「アテネ」の「北東」に位置するのだ。「鬼門」である。「スパルタ」は「裏鬼門」の南西に位置する。「トラキア」は、「酒と疫病の神」、「バッカス(ディオニュソス)」の出身地であった。  私が「ギリシャ(希臘・希蝋・厄勒祭亞・Ελληνικο・エリニコ)」を訪問したのは「1973年の夏と冬」であった。一度はヒッチハイクで「伊太利亜(イタリア)」の「ポンペイ」を観た後、「ブリンジジ(?)」から船で、二度目は、当時、同窓の女子学生であった「W」さんの尽力によって中古車の「ボルクス・ワーゲン」で「ブルガリア」を抜けて、「土耳古(トルコ)」から・・・どちらも友人「K」君が留学していた「ドイツ(獨乙・獨逸)」の「ケルン」を基点に・・・ギリシャの内陸、なんとなく風景は「日本の山村」に似ていた印象がある。「テサロニカ」で、「亞歴山(亞歴散大・アレキサンダー)」の「モザイク画」を視て、「デルフィ(Δελφοι)」の「劇場(θεατρο・セアトロ)」の舞台の上から、視えない、かっての古代ギリシャ人に向かって語りカケのだが、「音響」効果は抜群の構造であった。あそこで私が作詞作曲した歌を歌いたい、それが今の願望だ。  アテネ(Αθηα)に着いてパルテノン(Παρθενωνα・パルセノナスs)の神殿(ナオス・ναοs)にはエッコラ、エッコラと数回登ったが・・・神殿の梁に「大蛇」がトグロを巻いているとは気が付かなかった・・・一回目の「博物館(μουσειο・ムシオ)」への訪問で、「クレタ島(Κρητη・クリティ)」の「クノソス(Κνωσοs)宮殿」や、各地から発掘されたモノを視たが、鮮やかな黄色の色彩で描かれている「飛び魚の壁画」を見落とし、一度「ケルン」に戻った後、「有名なソレ」は確実に「アテネ博物館(μουσειο・ムシオ)」にある、と聞き、二回目の訪問時に、それを果たした。当時(1973年)のアテネの人々は「古代ギリシャ」のイメージとは異なり、顔も衣装も「トルコ(Τουρκια・トゥルキア)風俗」、「イスタンブール(コンスタンディヌポリ・Κωνσταντινουπολη・君府・君士担丁堡)」の延長のようだった記憶がある。当然にも、「ギリシャ」は「オスマン・トルコ」の支配下に「1822年」迄あったのだから。その前年「1821年」、日本では「1818年」に死亡した『伊能忠敬』の「大日本沿海輿地全図」が完成した・・・古代遺跡を巡るときには事前に歴史の勉強と場所と遺物の情報、少なくても、その国の『文字知識(アルファベット)』が必要であると、痛感したのは帰国後であった・・・観光でも、遺跡巡りでもない「目的の無い放浪の旅」であったのだが・・・「トロイ(土魯韋・Troy・)」には行かなかった・・・吐露意、瀞移、登呂慰・・・行かなかったとは、トロイ(盪=湯+皿)奴であった・・・漢和字典には『登高(トウコウ)』は、「陰暦九月九日、一月七日、十五日の行事」で、「赤い袋」に「茱萸(シュユ・ぐみの美)」を入れ、「臂(ヘキ・ひじ・うで)」に、「ヒッ掛」け、「山頂」で「菊酒」を呑んで「厄払いをする日」とある・・・「誰」の「ヤク(厄-介・役-目・屋久-島・翻-訳・新旧-約・焚-如・薬-師・疫-病・焼-酎・灼-熱・嫉-妬・哉句・耶苦=邪求・夜区・埜矩・八×九=七拾弐・八+九=壱拾七)」であったろうか?  「マケドニア」は北方の「田舎(いなか)」であったのだ。「田舎」を「いなか」と訓じているのは「井戸の中のカワス・カハス」から来ているか、重ねられたモノだ。  緯度の中の掛倭州       華和州・掛倭図・樺葉州・耶倭州・河州・川州       革州=韃靼(トルコ・タタール・蒙古)・靺鞨(北方蒙古)       革素=辛酉、甲子、戊午の「三革」、改新、革新の年の干支       皮諏=皮膚・ひふ=被布(被風)、肥普(日普・火府)  「交わす」である。「交わす(交換・同盟・契約)・躱す(避ける)」とは「樺太、華山、韃靼、靺鞨の文図」とのことだ。「田舎(デンシャ)」は「伝(傳)者(写)」である。「渡邊華山」は「再稿・西洋事情書」の冒頭で、暗に幕府支配層と「儒者」を批判して、『井蛙管見』の例えを引用している。  さて、「アリストテレス(亞立斯度徳)」は「アルケー(根源)」を「プラトン(伯拉多)」の考えた「イデア(現実世界の彼方に存在するモノ)=天界」ではなく、「エイドス(形相)」とし、それは「現実世界の形」として考えた・・・いわば、「形態(モノの分析思考された観念・概念・説明の言葉)」である。「エイドス(形相)」は「フォルマ(形式・form)」の語源であるらしい・・・それは「ヒューレー(質料)=素材(マテリィ)、材料(マテリィ)」からなるモノであった。  「出版」に例えるならば、第一に「木版」、「原版」の「材料」は、「木」。第二に「実相」はその「材料」に「原稿(原字・原画)」を「左右逆」に彫ったモノである。第三に「木版」は「紙(材料)」に刷られて「エイドス(製本=形相)」になっていく。だが、「形相(エイドス)」は「実相」ではない「謄写形態」である。結果、「文字」として刻印された「イデア(観念・概念)=アイデア」の印刷物である。このプロセスはほとんどが「職人」による。  出版以前的に、「原稿」そのものを「作成」する「作者」には「言葉の教養、知識」と「創作、創造力」が必要である。そして、「現存・古事記」作者にも、その「読者」にも「元(本・基)」になるモノが必要であった。「作者」には『種本』、「読者」には『漢和字典』である。特殊な読者には『特殊な字典』である。そして、「作者」が「イト」するモノは「現行の言行」で「ヨメ」、と云うことだ。  私の「あそび」に関して云えば「漢字」の「形相」で、「扁旁冠脚」の「字形」の「変貌換脚」である。結果は「脚本(現本=現存・古事記)」の「形相の漢字」を「分解」し「扁旁冠脚」の意味をヨミ、あるいは「同音異字」に「交換」して「オリジナルの形相」を「実相の漢字に変貌」させて「読み取る」と云うことなのだが・・・  これを踏まえ、「哲学=形而上学(刑事上学・形字上学)」して「日本地図(輿)」と「日本歴史」に重ねて読み取るならば、  エイドス・・・・重る緯度の州・・・絵医努諏・形相=英の怒諏(長英の怒り)                   ↓↓                   景葬=高橋景保                   刑争=渡邊華山                   敬蔵=小関三英                   敬蔵=伊能忠敬                   係争=継争(世継ぎ争い)  マティリ・・・・摩(高山)の出入・真の定理・質料=磨綴理(萬侶の序文)                   ↓↓                   室糧=高給                   漆領=漆国=輪島、宇和島                   執料=原稿料  ヒューレー・・・日輸霊(太陽)・・比喩の例・素材=卑喩励(卑弥呼の告喩)                   ↓↓                   組材=伊都の祖在                   措財=措斉(斎明女帝)                   楚在=木木疋(記紀引く)                  蘇座位=蘇我(耶蘇キリスト)                   訴罪=原罪・現在                   姐在=卑弥呼・壱与                   祖在=祖先・先祖                   素材=比喩                   組材=歴史的事件  である。「形相(ケイのソウ=景の叢・刑の訴有)、(カタチのソウ=潟地の扱=湾・方知の相・片字の相)」、「質料(シツのリョウ=悉の領=悉達多の領)・(シチのソウ=七の捜・死知の虜有)」、「素材(モトのザイ・シロのザイ=本の罪・白の座位、死路の罪)」ともヨメる・・・「白の座位」とは「白砂=被告人の座位=裁判での被告席」である。そして、「新・井・白石」の「座位」で、「宮城、仙台、蔵王、白石」の「座標」である。  「エイドス(絵意努諏・重医努諏)=形相」とは、「人体図鑑の言葉の意味」で苦労していた人々「杉田玄白」や「前野良沢」等の「蘭学者」の「タフェールアナトミヤ(解体新書・1774年)」の翻訳、「蘭学事始(1815年)」の苦労の「形相」であろう・・・「1775年(安永四年)」には「スウェーデン(瑞典・雪際亞)」の「植物」学者の『カール・ペーター・ツンベルグ』が「蘭館医」として来日している。彼は『日本の花』を著作し、当時の「日本研究家」の「第一人者」であった。彼以前には「元禄三年」に渡日した『ケンペル』が存在し、著書の「江戸参府紀行」や「日本誌」はヨーロッパで「日本ブーム」を巻き起こしたらしい。とにかく、「日本」は「孔子」、「始皇帝」、「マルコポーロ」の時代から「聖人の国」、「蓬莱山の国」、「黄金のジパングの国」であったのだ。更に彼以前の来日人は「1600年(慶長五年)」の英国の「ウィリアム・アダムス」こと、「三浦案針」、そして、イタリア人「シドッチ(1708年・宝永五年)」の「屋久島」に密入国であった。彼らは「現存・古事記」の『獨り神』に重ねられているのだ・・・「宣教師」は「独身」であるのはアタリマエで、「独身」は「bacheleor」で、「学士」の意味であった。  「ヒューレー(質料)」、「質料」を踏まえて同音異字で転換すれば、「ヒ・ユ・レィ」とは・・・木材の「桧(ひ)」、「楡(にれ)」、貝細工の材「蛎(牡蛎・かき)」と薬草の「苓(苓耳・巻耳・みみなぐさ・おなもみ・かんぞう・茯苓=まつほど・蓬莱=よもぎ・茘=おおにら・まさきのかづら・藜=あかざ)」等の「霊・例」であろう・・・  「ト・アベイロン(無限定なモノ)」とは「図、晦、蛙、邊、色、夢(霧・鵡)・星・言葉自体」であるが・・・人物にカンシテ云えば、「ハッキリ」しない「アイマイ(曖昧)」なヤツ(奴)で、怪しいヤツ等とは、  ト・アベイロン  ↓ ↓↓↓↓  「斗・阿部異論」=「渡・阿部異論」=「図・蛙部異論」=「土・ 阿毎異論」    ↓↓ ↓↓    ↓↓ ↓↓   ↓↓↓↓  ↓   ↓↓↓↓    阿部内麿    阿部仲麿    安倍真直   拾壱 随書    阿部晴明    阿部将翁    阿部茂兵衛    阿部正外    安倍貞任    阿部比羅夫    安倍頼時     阿部正弘    阿部宗任                    阿部正之  等々である。  「アリストテレス」は「リュケイオン(公立の体育館、体育場)」の学校で講義(BC335年)を開始した。  「メタ・フイジカ」=形而上学(メタ・フィジックス)・・・彼の著書「自然学(フィジカ)」の「後」に出来たので「メタフィジカ」と言われた。「メタ」とは「後・のち・あと」、「超える」で、「こえる」は、  肥重留・越える・乞える・恋える・子得る・声留  である。「肥える」は「太るコト」だ。「肥国」を「肥える太陽」であり、「被告」を「乞える詫の意」である。「メタ」は、  「眼太=太陽・女多=八丈島   ↓  目他=モクタ=模句他  芽他=草加の牙のイナリ     ↓     日下の賀(鴉)のイ也     記の場の伊那、伊奈の里(北緯35度 55分)          ↓  ↓     ↓    ↓         意名 異名     参拾五・五拾五  メ ッタ  ↓↓  雌蔦(葡萄のツタ)・滅汰・・・?・・・つた=蔦=日下鳥  である。  「テオリア」は「見ること観照・観想」であり、彼は「哲学はアルケー(棟梁)の学」で、「テオリア(観照)の知」で、「原因(アイテイオン)」を知る事であると云った。  「テオリア(観照)の知」・・・出将理蛙(かえる)・・出緒里阿  「原因(アイテイオン)」・・・蛙(かえる)異綴音・・鴉(太陽)移定尾牟                  ↓        ↓                  相       手(出)意音  同音異字で「カンショウのチ」とは多数あるが、「鎖国」に対するなら列強欧米の諸外国、あるいは、「御政道」に対する在野の「蘭学者」であるならば、「干渉」に「致(いたる)」、「原因」である。  そして、彼は人間の行為を「①観る事、②実践する事、③生産する事」の順でランクづけをしたのだ。「みるコト」が「一番」である、と。  ① 物事のウーシア(実体)は、    ト・テイ・エーン・エイナイ(何であるか)?=原因・形相    ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓↓       ↓ ↓    徒 弟 重縁 重医名意・・・・・・・・・・・・・重円、得以内  ② モノのヒューレー(質料)、ヒポケイメノン(基体)    ↓  ↓↓↓↓     ↓↓↓↓↓↓↓   模乃 比喩得例     比歩家囲目之務・・・測地、測量の家   ↓              ↓   模廼            医女=囲之娘・異の音名=イネ   母埜            夷女=卑弥呼・壱与   裳野            依目  ③ モノの運動=アルケー(始まり)  ④ モノの運動=目的(テロス)、終わり・・・テロス=出る州(素)  そして、「形相」は「ロゴス(言葉による説明)」によって明らかになる、とした。  「アリストテレス」の「ロゴス」は「モノに対する説明方法」の「概念」となったのである。「アルケー(根源・根拠)」は「ウーシア(実体)」の「ロゴス=説明の言葉」によって明らかになるのだ。これを「古事記・日本書紀」に重ね、更に「蛮舎の獄」に重ねて「漢字転換」して診ると、   ウゥシ ア   ↓↓↓↓  迂牛 娃=金牛宮のイシス女神=月読命        =ウウシア         ↓↓↓↓         有烏死蛙・・・太陽と月の重なり=日食         ↓        =天照大御神の変遷=太陽         ↓         胡主 唖=西洋の神はオシ(推・緒始)                      ↓                   ・・・「本牟田和気命」  宇丑 雅=ア=カラス=ギリシャ語の形容詞で「美しい・うまし」  ↓↓    ↓  宇宙    蛙(かえる=変える)=月のムシ           =脊椎動物で両棲類、 無尾類            ↓↓↓↓ ↓↓↓   夢備類            ↓↓↓↓ 侶得声類 (太安萬侶)            ↓↓↓↓ 旅迂施意類 対案満慮            ↓↓↓↓            せきついどうぶつデ、両棲、無尾               

           ↓  ↓   ↓ ↓  夢備            施記柘意怒胡分拓出 ↓ ↓                    ↓  ↓                    両聖 務備  宇宙    カエル=月(ゲツ・解柘・柘記)  空中   掛重流(婁・留)・・・クウチュウ(句得中)     ↓       ↓        換える     躯有治癒胡(得・菟)       ↓ ↓ ↓↓↓      因幡の白兎       ↓ ↓ ↓↓↓       雨のウシ=飴・天・海女・編の主=クモ(句模)の主       烏のウシ=カラスの主=唐州の主       兎のウシ=ウサギの主=大国の主       羽のウシ=ハネ の主=頗(ヨコシマ)の根の主       鵜のウシ=・ の主=持統天皇の主(天武天皇)       芋のウシ=イモ の主=夷母の主(壱母の主は卑弥呼、晋)  である。  「オン」はギリシャ語で「ある」であった。スナワチ、  オン(ある)=be(英語のbe動詞・ある・居る)・・音          ↓         ブ~ン=文・武運         bee(蜂・ハチ)=ビイ・8・八・捌・葉智・∞               =微意・毘意・備意・日意・美意・眉意                 鼻意・尾意・琵意・火意・薇意・媚意  存在=エグジステンス(existence・exist)                 exi t=出口・「死去」  「説明」は「コプラ(連辞・繁辞)」で・・・「古府羅」、「虎敷羅」、「姑訃羅」、「胡譜羅」等の「練字・版字・磐字」、「犯(ヨコシマ)な字(ジ)」の連鎖である。  彼はモノの説明に「十(壱拾)」の「範疇(カテゴリア・述語)」をあげた・・・カントの「範疇(カテゴリア)」は「思考の枠組み」であったが・・・スナワチ、  ① 主語(実体・本質)  ② どのようなモノか(性質)  ③ どれだけのモノか(量)  ④ 他に対してどうあるか(関係)  ⑤ それの働き(能動)  ⑥ それのされること(受動)  ⑦ どこに(場所)  ⑧ いつ(時間)  ⑨ どんな状況に  ⑩ どんな状態で  として、「文を分析する能力」・・・「X(主語)」は「Yである(述語)」の「Y」の部分を掲げたのだ。ギリシャ語の言葉を「さぐれ」ば、  「実体」=形相(説明様式)・・・説明は洋式・幼死期・妖死期・葉識・陽色 用史記・耀指揮・楊色・鷹志気・・「鷹」 『たか』とは「渡邊華山」の妻の名前だ       類(ゲノス・たぐい)・・・・・・・解、埜(キキ壱拾壱)の諏       普遍(カトルー・ユニヴァーサル)・華採る・価図留       基体(ヒポケイメノン・資料)・・・日補継目之務・・太陽の軌跡          ↓      ↓          比保景眼乃務・・高橋景保          否捕刑女廼夢・・連座の女達  「可能態(デュナミス)」・・・加納他意・化膿腿・叶諦(鯛)      ↓↓↓↓↓      出喩名診諏  「現実態(エネルゲイア)」・・言実他意      ↓↓↓↓↓↓      音留解意蛙  「ゲネシス」=生成(質的な変化)・・・解音資諏        場所的な変化は「運動(キネシス)」・・・記音史諏  「能動的なモノ」=「ポイエーサン」・・・・宝飯重纂=皇極紀、推古紀  「プシュケー」=魂(ラテン語ではアニマ)・腑主氣(唖似魔・阿似摩)                   ・浮腫化(氣)壊(疽)  「デ・アニマ」=「霊魂に就いて」・・・・・出、阿  似 磨(巻)            ↓ ↓  ↓ ↓ ↓                 山+山=纂纂、阿礼、爾、萬侶            「動物(アニマル)=魂を持つもの」  「エンテレケイア」=完成体 ・・・円出霊景阿          ↓↓↓          寛政多意・官政体・巻声帯・換声帯・諌政体  「霊魂」=「自らの内に運動と静止の原理を持っている       特定の自然物体(生命体)のロゴス」  「テレイオン」=完全なモノ・・・出例音・手冷温  「ファンタジア」=表象・・・不安多事(他事・多字)蛙(吾)  「アリストテレス」は「中庸(チュウヨウ)」を重視した人物であったらしい。  「仲・中・沖・冲・衷・重・那珂・那賀・名賀・長」  の  「用・要・耀・鷹・幼・楊・陽」  である。  「人間は政治的動物である」=「ゾーン・ポリテイコン」  「フユシス」=「自然に」・・・冬 死す・・・天冬衣命は大国主の父             ↓ ↓             婦喩詞諏(卑弥呼の告喩)  「オイコス」=「家政・経済・エコノミー」・・・緒意漉・追い越す・甥越諏                    ↓      ↓                    濾   超  肥越諏  「アリストクラシー」=「優秀者支配制度」・・・蛙(変える)リスト句裸視            ↓↓↓↓↓↓↓           憂愁者紙背精度           有終者賜杯聖徒              ↓           夷得蒐写、紙背、精度           結う蒐者、詞配、声度  とにかく、「アリストテレス」は「ロゴス」を「物事(本質)」の「説明」としたのだ。「阿の里州土の照れ州(素)」、「蛙(かえる)理、素図、出す例の諏」である。

 「エピクロス(BC342~271年)」  「エピクロス」は「快楽主義者(享楽主義・エピキュリアン)」で、「神」は「人間に無関心な原子」であると云った。そして、  「死は我々にとっては無関係である。なぜなら我々が現存するときは死は現存せず、死が現存するときには我々が存在しないからだ」  とも。・・・まさに「同感」する言葉ではあるナ。  快楽=解楽・甲斐絡・改羅句・華意拉(・)句  享楽=教楽・峡絡・経羅句・鏡裸句  の「主」の「疑(戯)」である。  そして、「重ねて比べ、句を賂い、諏る(エピクロス)」は「今日(現在)、絡める、諏の欺」の「重比句、賂諏」である。  彼は「アタラクシア」の状態、スナワチ、「身体の健康と魂(心)の平安が究極の幸福」なのだ、と云った。  「幸福(コウフク)」が「乞う覆(くつがえす)」なら、「降伏(おりてふす=折て臥す)」でもあり、「胡(西洋人)を得て、付ける句」、「己(よこしま)を得て、付ける句」である。「故を得て、付ける句」であるならば、「鬼」とあだ名された「新井白石」の「折りたく柴の記」か、「古史通或問」か、「西洋紀聞」である。  「アタラクシア」は「阿多(仇)の羅、苦死の娃」、「阿多の裸、躯誌の吾」、「新の句詞(駆使)、蛙(変)」で、「古事記」なら「娃の蛇の羅の櫛の蛙」である。「足名椎」の娘「櫛名田比賣」だ。もちろん、「記(紀・岐)に伏す、名を拿せ、比べる」である。  「ドクサ」は「臆見」であった。「臆見」でモノを見ちゃぁ~イケナイとは「渡邊華山」が度々彼の著書で云っているのだが、  ドクサ・・・毒茶・毒差・菟草・土草        度の区差=緯度、経度        ↓↓↓↓        タビ クサ=旅草・足袋の孔差・多備句差  で、   臆=月(つき=津岐・柘記)=肉(じく=軸・字句)   +   意=(音の心・立つ日の心)  を「見る」で、「尾久・邑久・将句・嗚狗=わん=湾の奥」を「見よ」、である。  「ストア」派の「哲学」は「ローマ時代の良心(倫理・道徳)」であったらしく、「神の摂理(ロゴス)に従う生活」を求めたモノであった。「神」は「プネウマ」と呼ばれる「気息」で、「火」とするモノであった。スナワチ、  プネウマ=敷子(音・史)午(馬・語)=子午線・・・司馬遷(太史公)  ↓      ↓ ↓      ↓↓  ↓      恩 師       ↓馬子=孫・・・(羅)馬祇=ローマの神  ↓               鼠  気息(規則・記則・紀則・木足=根・希素句=希臘語、希蝋語)=音声  火 (比・妃・卑・秘・一・日)  である。  「グノーシス(知識)主義」は「善悪二元論」で、「この世は堕落(悪)したヤーヴェ(エホバ)によって創造された」とした。なるほど、「ヤーヴェ(エホバ)」のやったことは「水と火」による「人間への災い」ばかりだ。ミズカラも「旧約聖書」では「ねたみ(妬)の神だ」と云っているのだ。それ故に「悪神」とする彼らの説は、「神の人間への試練」とする「カトリック(カソリック)」から「異端」とされた・・・「禍、とりつく(化、反り付く・蚊=中ム文、とりつく)」ではあるナ。「ヨモギ(蓬莱)の蚊取り線香」が必要だ。  「グノーシス」は「愚能志守」か?・・・「具能詞素」・・・「虞之呉誌諏」・・・「虞美人=呉美人」・・・「項羽(項籍)の愛妾=降雨の哀傷、愛称(羽)、相性、愛唱」・・・「劉邦(沛公)=漢の高宗」・・・「四面楚歌」・・・「虞淵」は「太陽が入る場所」である。「虞」は恐れ、憂いであり、「喪葬の祭」であった。しかも、他意は「山沢を司る官吏」、スナワチ、「山師・鉱山師・地理、地形測量士」である。「ちけい測諒(了)」・・・「字形、則、慮ウ(得=える・有=ある・芋=いも・胡=えびす・烏=からす・卯=うさぎ・兎・菟・宇=そら・羽=はね・迂=まわる・雨=あめ・鵜=弟(おと=音)+鳥(とり=採)」である。『諒(了)』のコトワザに、  「匹夫匹婦之為諒(了)也」・・・多くの人が理解出来る真実   ↓  比句符比句普埜議了(技量)の哉・・・筆符筆、不思議、慮胡哉  「不諒(了)人只」・・・人は、只では信じない   ↓   不良  人士・・・・不慮、胡の神の死  「諒(了)不我知」・・・まことに、私を(私は)知らない   ↓   ↓   慮胡  符臥置・・・・侶(太安萬侶)、有譜、画地(字)  がある。「了解・終了」の「了」は「(子)-(一)=了」で「足がもつれる・手がひきつる」の「指示文字」である。「現存・古事記の文字」に関しては・・・「師事・支持・私事」の「文字」ではあるナ。とにかく片仮名であれば「ア」である。  「リョウ」の同音異字では「齢(歳・年齢)=よわい・両(ふたつ)・領(くに)・嶺(みね)・霊(たま)・料(かて)・糧(かて)・量(はかる)・漁(あさる)」等がある。  「垂仁天皇記」にある「人名」、「地名」の漢字を転換してみれば「古事記」の読み方もわかるだろう。「本(ほむ)・品(ボン・ひむ)」は「本の音」、「梵=記紀本+句知」である。「は・ば」はすべて「言葉」の「葉」、場所の「場」、「幅(はば)」である。「じ・ぢ」は「字」と「地」である。「布多遅能伊理毘賣(ふたじのいりひめ)命」は「普他事(多事・他字・多字)、納(濃)、意理(医理・異理・夷理・遺理)、他比(多比)、音名(遠名・音拿・将夢拿・将武名・尾矛名=草薙・叢雲のムラクモの剣)」等である。  「布多遅能伊理毘賣(ふたじのいりひめ)命」は「倭(日本)建命」の「后」である。「建」が「誰=言+隹」であるか、「何=人+可」であるかは、  「隹(スイ・サイ・セ)」が、  「長尾(ながいお・ながお)の鳥」ではなく、  「短尾(み じかい  お・みじかお)     ↓ ↓↓ ↓     診、 自壊(自戒)の鼻(華)の鳥(調・重)」であり、他意は  「旧鳥・雙鳥・崔嵬(高山・交わる・入り乱れる)・嶺)」で、  「何=人(ひと)+可(丁口・一亅口・べき・へき)     =イ(夷)+カ(化)     =伊香・医科・異化・易化」が     「比図・日渡・肥土・避都・被(非)登」、   可=ベキ     ↓↓     「邊記・部紀・部記・碧・璧・僻・壁・癖(久世)・日置」  に懸けられているモノであるコトが、わかろう、と云うものだ。  ・・・「長英・三英・華山」である・・・そして、  虞之呉誌諏・・虞(虎+呉)、凝(魏)、呉志(互史)、種子(趣旨・主旨)  虞美人=呉美人=項羽の愛妾             =コウウ・・・乞得有(羽・宇・卯・烏・胡・芋・鵜)             =降雨の哀傷・愛称・相性・愛唱             =ひなげしの花              ↓↓↓↓ ↓              日名夏至の過              比名解死の華(塙)  劉邦(沛公)=漢の高宗(コウソウ)              ↓            高層・構想・好走・抗争・公葬・後送・降霜・高僧            高燥・乞うそう・恋うそう・(瑞)皐の叢  四面楚歌・・・「項羽」が「垓下の戦い」で敗北、「烏江」で死んだ時、降伏       (裏切り)した自軍(楚軍)の兵達が敵陣営で

楚の歌を歌わされた          ・・・「劉邦(沛公)」の心理作戦  虞淵=太陽が入る場所=西・黄昏・夕方  虞=恐れ・憂い・おもんばかる・そなえ・のぞむ・えらぶ・さからう・もとる    安らか・安んずる・たのしむ・あやまり    =古代中国の「舜」が「尭」から帝位を譲られた後の王朝時代の名    =喪葬の祭    =山沢を司る官吏  「山沢を司る官吏」とは「地面師」の「高橋景保」の役職であり、「山沢=三沢=沢三伯」とは「高野長英」の「偽名」であった。  「禍、とりつく(化、反り付く・蚊=中ム文、とりつく)」とは「現存・古事記」の『中巻』の「ヨコシマな文」である。あるいは『第十四代・仲哀天皇』の記述の部分である。・・・「嫁(読め)、憑衣(酉津句)=表意文字」・・・である。  「古事記」の「グノーシス(知識)主義」は、「善悪(膳と渥)、二元(似言)の論」で、「エホバ(重保場・絵保場・江保場・恵保場・衛保罵)」であった。  「プロティノス(204~269年)」  「プロティノス」は「エジプト」で誕生した。この「エジプト」こそが問題であるのだ。「エジプト」の「漢字訳は、「埃及」である。スナワチ、  埃及(ちりおよぶ)=塵及=地理及=輿及=散将輿分=纂将輿分     (ジンキュウ)=人究・神究・陣究・仁究・壬究・腎球             =事務旧・字務扱・治務弓・似鵡鳩・時夢究・・・  である。彼は「新プラトン主義」の開祖であった。彼の使った「アルケー(根源・神)」の概念は、「一者(ト・ヘン)」と云うものであった・・・「壱の者」は「卑弥呼の宗女の壱与」である。「ト・ヘン」なら、  卜偏(旁)=訃(言卜)、朴(木卜)、仆(人卜)」  であり、「一者」なら「独身」で、「古事記」の「独神」ではあるナ。  「図(ト)の片(ヘン)」であるならば、「シーボルト」と「高橋景保」の「双方一片の地図の交換」だ・・・  「一者(ト・ヘン)」は「善者(タガトン)」とも呼ばれた・・・「他(多・侘)の賀に遁(トン)づら」だが、「侘=横島」、「多賀=茨城日立の南西・滋賀彦根の南東・兵庫氷上の西に多可」で、「たが(誰が)」、「問」なのか?・・・「世阿彌」の「能の曲」、「二番目物」、「熊谷直実(蓮生法師)」が「一の谷」で殺した『平敦盛』が、彼の「夢に亡霊となって問う」で、ある。『平敦盛』は彼の「回向(エコウ)」によって極楽往生した物語だ。「回向(カイコウ)」でなく、「エコウ」とヨマせているところが憎いのだ。「エコー(Echo)」とは「森の女神」で、「こだま・やまびこ」、「ヤッホー・・・ヤッホー」の繰り返しの「反響」だ。「鵡がえし・将捕無我絵師・雄武賀衛詞・将補夢画重史」・・・とにかく、「トン」である、  敦(あつい・人情・怒る・恨む・ただす)=能の曲、二番目物、「敦盛」  惇(あつい・心情・真心)  沌(ふさがる・混沌・暗い・水流))  水+君・(はく=吐く・イン・申支・水流)  亦、「誰」が「問」で、「誰」が「遁」なのか?・・・「鷹(ホルス=太陽・たか(渡邊華山の妻)」と「高(高野長英)」である・・・そして「一者」と「現実世界をつなぐモノ」を「知性(叡智・ヌース)」と考えたのだ。「英知・知恵」だが、「現実世界をつなぐモノ」は「海・海路・航路」であり、「英知」とは「絵位置」であり、「見取図」の「世界地図」である。  又有州(ヌウス)・・・又(右手・手・出)臼・(手・出)碓・・・デウス=神  奴有珠(ヌウス)・・・女のマタにあるタマ(陰核)・・・・・・・キリスト(クリスト)  俣迂図・・・・・・・・・・水俣の蛇行の図・・・・・・・八俣大蛇(悪魔)  亦胡徒・・・・・・・・・・亦、子月(十二月)の徒・・クリスマスの徒  また宇州・・・・・・・・また、宇和島国・宇佐・宇土・宇部・宇島・宇都宮     ↓     渦=淡路島  である。手繰れば、  「存在(パルメニデス)」   ↓  「善のイデア(プラトン)」   ↓  「一者(プロティノス)」   ↓  「全能の神(キリスト教)=景教(ネストリウス)」   ↓  「景」の教え・・・景行天皇・・・携行・傾向・蛍光・経口・径行      ↓  「高橋景保」の「地図」  である。  「アウグスティヌス(354~430年)」  「アウグスティヌス」はアルジェリアで誕生。著書に「告白・神の国」がある。青年期に「マニ教(善悪二元論・戒律と占星術)」を信仰したが、「回心」して「キリスト教徒」となった。彼は「父・子・精霊」の「三身一体」を基本的な「教義理論」として確立し、世界は「終末(最後の審判・ハルマゲドン)」として滅びるとした。その後に「神の降臨」によって「神の国」で「信仰厚きもの」は救われるらしいのだが、「うすき(薄き・臼杵・宇州岐・碓記=小碓=日本武=倭男具那)もの」は救われないのだ。コレを「第二の死」と云うらしい。イワユル、「ハルマゲドン」である。  ハルマゲドン=葉留真 解呑(貪・曇・富)        =ハルマ、解図務        =張る、曲げの「弩弓」と「牟剣」        =把留、磨(太安萬侶)、解、努、武(夢・矛・睦)  ・・・であるカナ。「ハルマ」とは「和蘭語辞典」である。  「タルソス」に生まれた「パウロ(サウロ)」もユダヤ教徒だったが「三十六年」に「ダマスコ」への旅の途中、「神の天啓」を受け、キリスト教に「回心」した。「樽祖州・足る楚(キキを疋く)諏」、「騙す胡(己)・多摩州の拠」だよ、ナっ。・・・日本語で「裏切り者」を「コロビモノ」と云うのだが・・・「キリシタン」を裏切った「神父」を「ころびバテレン」と云ったのだ。  「トマス・アクィナス(1225~1274年)」  「トマス・アクィナス」はイタリアで誕生。「ドミニコ会の修道士」。「スコラ(余暇・学校の意味)哲学の王」と呼ばれた。 「理神論(神の存在証明)」の人物であった。「斗升(トマス)」は、いわゆる、「モノ量」の「ハカリ物」では、あるナ。「渡摩州」は「渡(登)る摩天楼(高山)の州」でもある。  「ロゴス」であるが、この言葉も時代と人によって、「ころころ」と変わるのだ。  ① プラトン=自然を超えた超越的な世界へ「ロゴス(善の魂)」が上昇  ② アリストテレス=自然を「言葉(ロゴス)」で説明  彼はこの  「① 神(超越者)」と、  「① 神(超越者)」を証明する  「② 論理(神学)」の「合体、合一」の  神学者であった。  彼が描かれている肖像画の「眼」は厳しく、優しさが無い・・・据わっている「眼」だな・・・ナニかにトリツカレタ「メ」ではアルナ。  「ウィリアム・オッカム(1285~1349年)」  「ウィリアム・オッカム」はイギリスのスコラ哲学者で、「唯名論」者であった。  「将つかむ・尾つかむ・緒つかむ・乙(音・何時)咬む・嗚(男・意)都掛牟・唖柘咬む」だな。「異端審問」で「ピサ」に逃亡し、「ミュンヘン」で「フランチェスコ教団」の重要人物になったらしい。著書には「皇帝と司祭の権力に対する師と弟子との対話」、「古代のあらゆる思惟技術についての黄金的説明」がある。「こがね(古、姑、股、虎、胡、子、拠兼ね)的説明」である。「唯名論」とは、  「モノの後にある名」、「声(音声)として発する完全(な意味を持つ名)」  と、するものだ。ようは、「三十歳」まで「長い髭」、「唖の皇子」、「本牟都和気」のハナシである。「皇子」の名前をどう呼ぶのかと「垂仁天皇」は「佐本媛」に問いかけたヶ所である。すると「ナナメの斜塔」が存在する「ピサ(避座・日座)」は「安芸・出雲」、「肥国」。「名前の無いモノに、音声で名前を付けたモノ」と云うことらしい。「姓名判断の占い師」が儲るわけだ・・・生まれてきた自分の「赤子」には他人と区別する「個別、特殊」的な「名前」が必要だから・・・「重要(重用・充用)」なのだ。  「ルネ・デカルト(1589~1650年)」  「ルネ・デカルト」はフランス人で、「薔薇十字会」に属したらしい。「デカルト」の「哲学方法」は「夢で得たモノ」らしいのだが・・・「方法敍説」、「第一哲学省察」、「哲学原理」、「情念論」・・・「譲撚論」で、「譲」の名を有する「高野長英」の重なりだ・・・  「われ、思う故に、われ在り」=「Cogito,   ergo  sum」               コ ギ ト  エルゴ  サム               ↓ ↓ ↓   ↓↓↓  ↓↓               胡 義 図   得留語   纂  である。

 「ガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)」  「ガリレオ」は「等速直線運動」を発見した人物である。  等速直線運動  ↓↓↓↓↓↓↓  読即勅撰有無道  ↓↓↓↓↓↓↓  当即著句施務産盗 竹 合=長号  ↓               嶽+合  ↓                ↓     ガリ レオ  問→「唐・騰・籐・陶・東・頭・藤」→「訊」・・・「答」=「畫里嶺尾」  「等しい時間内」に「等しい距離を通過する運動」=(運動=距離・時間)の関係である。これは、「太陽」が、  「横島」→「阿蘇山」→「横島」→「諌早」→「三重」→

「時岐」→「東支那海」→「中国の会稽」→「東台」  と移行する、  「北緯、緯度・参拾参(33)・度・線」で、  「魏志倭人傳」にある  「邪馬台国の位置」  である。  「落体の法則」=「運動の始まった地点」から「距離に比例」してその「速度を増大」する。   S=1/2g2t・・・「絵図」は「二分の一」の「ジ」の「二丈の綴」  「羅区帯の法則」は「有無同の葉の字の間、柘の多(侘)、字典」から「許理に比例」して、その「測土(即奴)を造拿夷」する、のさ・・・  「ニコラス・コペルニックス(1473~1543年)」  「ニコラス・コペルニックス」の著書は「天体の回転に就いて」であった。  当然にも、「似、凝らす」であり、「古経、留る、似た柘の句の諏(玖珠・薬師=医者)」である。  「コメルニックス的転回」とは「180度の転回」、「壱百八拾度の展開」である。スナワチ、「逆」であり、「反」の「位置、模模(もも)、葉知(把知・歯知・頗地・覇地=欧米列強=英国)、重、土の典解」であり、  壱   百    八  拾 度の展開  ↓    ↓    ↓  ↓ ↓ ↓↓  位置、 模模(もも)、葉知 重 土 典解           ↓↓           把知・歯知           頗地・覇地=欧米列強=英国、土の典解  「現存・古事記」の「伊邪那岐」に登場した「桃(pexach)の逆」で、「美人↓ブス(分州)=醜女(しこめ・仕込め)=酉(西・鳥)の鬼(おに・尾似・キ)のオンナ(音名)」の「密告・告発」である。  「ニコラス」とは「悪魔」の代名詞である。スナワチ、「悪魔のニコラス」である。  「アイッザック・ニュートン(1642~1727年)」  「アイッザック・ニュートン」は「1666年」に「「万有引力の法則」を発見した人物である・・・「萬に有る音の力」である。しかも、この年には「ペスト(虎刺列)」の大流行であった。  彼の「メハニスム(メカニズム)」とは「力学的・機械論」的な世界観である・・・「女の葉、尼の諏の夢」・・・「あまなるや・・・」  「デカルト((1589~1650年))」を再度、検討してみよう。  「デカルト」は「第一原理」を「私は考える、ゆえに、私は存在する」とし、これを「明析判明」とした・・・そして、これは本来「神」からもらった「生得観念」を自ら「気づく、自覚」することによって「判明」していくモノとしたのだ。モウ、イイ加減、イヤになってきたが、これも、重ねてみよう。                神=生得観念                ↓  デカルト=第一原理「私は考える、ゆえに、私は存在する」=明析判明  ↓↓↓↓ ↓      ↓    ↓          ↓↓↓↓  出家留登  「コギト・  エルゴ・  スム      」=名跡判明  「演繹的方法」・・・猿役=(壬)申の乱  「帰納的方法」・・・機能=記納(能生)  「精神」と「物体」   私・ 考える・ 自我(コギト・古疑徒・虎疑途・胡誼図・孤儀図・故魏図)   ↓   ↓↓  ↓↓   横島 思考  自画=邪島(耶島)・施行(嗜好・試行・私行・指向・志向           ↓↓          伺候・史交・死皇・始皇・誌項)           字臥=事画=地畫=時臥=似画  「悟性」とは「比(ロゴス)」をハカる能力で、「比較し論証する能力」       ↓       ヒ・くらべる  である。ある「モノ」とある「モノ」を「措定」し、「比較検討」し、その「構造」を「論証」する「能力」である、と云うことだ。例えば「馬(うま)」と「鹿(しか)」を比べ、その違いを見極め、区別するコトである。細かいことは「と(菟)に(似)かく(角)」として、「馬」には「角」がナイ。「鹿」には「角」がアル。「角がナイものはウマ」であり、「角がアルものはシカ」である・・・この「論証」は「バカもの」である。何故か?・・・「馬」と「鹿」の「二つの限定された枠内で比較した場合にのみ成り立つ論証」であり、「角のアル動物」も、「角のナイ動物」も「多数」いる。であるから「一般論」としては通用しない・・・「鹿」の類字に「麁」がある。スナワチ、「麁(ソ・あらい)」のである。「第二十六代・継体代天皇(男大亦王)」の「大連」であった「物部麁火(あらかひ)」の「麁(あらか)」である。この天皇には父「彦主人王」、母「振媛(ふり毘賣)」、皇后「手白香(たしらか)皇女」、「尾張目子媛(おわりめこ)比賣」が関係者として存在した。「振れヒメ」であるから「漢字のルビを振って、比較し得留(売買=交換)」である。  「第二十八代・宣化代天皇(桧前)」の時代に「物部麁火」と重なって「蘇我稲目」が登場するのだが、いろいろ詮索されているが、その「出自(出字)」は不明となっている。  「蘇我蝦夷」や「蘇我入鹿」の「蘇」は「麁」であった方がピッタンコであったハズなのに、「蘇(よみがえる)」であった・・・「読み変える」・・・の示唆か、「蘇生」、「甦生」である。漢和字典には「麁=鹿+鹿+鹿」とある。スナワチ、「鹿(シカ)が參、重なっている漢字」なのだ。「三匹の鹿」は「中原」で争った「三人の王様」の「比喩」であった。「三国志」である。そして、  シカ=志賀・滋賀・史家・歯科・詩歌・市価・紙価・師禍・死禍・誌化・詞掛     ・・・誌掛  サン=三・ 編・山・産・散・ 杉・酸・賛・讃・蚕・傘・餐・参      ↓ ↓ ↓ ↓   ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓      纂 水 巣 乱  下 化 歌 歌 虫 下 晩 加  「酸化=錆(さび)」、「酸味=sour(スッパイ)」・・・スパイ・・・ユダ、裏切り者・・・間宮林蔵(密告者・おんみつ=音充・隠密・汚務蜜=peach=桃子=意富加牟豆美)・・・「source(水源・出どころ)」の「カケ」で、  麁(ソ・あらい=粗・こまやかでない=非細密・くわしくない=非詳細・おおまか=大体、やく=abuto・あらあらしい・はげしい・ざつ=雑・そまつ=粗末・はなれる・あらぬの・ほぼ・あらまし・だいたい・おおきい・わらぐつ=藁靴・くろごめ=玄米)  あらい  新井白石・・高野長英・小関三英・渡邊華山  ↓ ↓  あら    いはく せき  ↓↓     ↓↓  ↓  蛙螺(係累) 医伯  跡  ↓  かえる   ↓  「麁」=鹿+鹿+鹿=三 鹿=ソ=蘇我・楚賀・姐賀・遡画・措臥   ↓         ↓ カ(ガ)=我  「膳部(高橋氏)」の  ↓ ↓ ↓  祖先の名    =サンカ(賛歌・参加・惨禍・傘下・酸化・纂価)           ↓ ↓↓ ↓            纂 蝦(蝦夷)・纂鹿(入鹿)      =みつしか(三志賀・御津史家・診柘歯科・三市価)       ↓↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓       ↓↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓↓ 三位置       ↓↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓ 尚歯会罪       ↓↓↓↓ ↓↓↓ 音信紙価       蜜(密)詩歌       密 使掛  「麁言細語」=おおまかな言葉と、つまらない言葉  「麁枝大葉」=文章上の細かい決まりに拘らないで           自由に筆をふるった文章の例え  「自麁入細(文章軌範・侯字集)」=文章を作るにあたって、初めは規則など                  にとらわれないで書き、熟達するにつれ                  て精密に進んで行くべきことを云う  で、あった。カナリ、雑い・・・ナ。「アラカヒ」とは誰の名前か?  「カナリア(金糸雀・時辰鵲)」は「黄色い小鳥」である・・・歌を忘れた「仮名理阿(曲げる)」は、だれが作詞したの・・・カナ?・・・とにかく、私は眠くなってきたので、雑く展開していく・・・ゴメン・・・「デカルト」の基本概念だが、  私の精神にうかんだ観念(イデア)=客観的(表象的)=オブジェクトヴア  「良識」=ボン・ソワンス=普遍的理性=認識能力  「情念」=パッション(情熱・受難)・・・語源は「受動・受身」  「心身」の二分・・・「松果腺体」が「動物精気」を媒介し体(躯)を動かす   ↓↓      ↓↓↓↓  ↓↓↓↓   新進      松下染他意  同者 盛期・・・松下村塾   心神            撰載 藤分柘 盛期・・・藤原氏勅撰和歌   深々            潜太 道歩晦 生気・・・新月の暗闇(晦・朔)                 先代 導仏 生起                 船隊 憧者  世紀                 仙台 同者 生気・・・泉内の同者の盛期                 ↓↓  ↓↓  ↓↓    ↓                せんたい どうものせいき  蘭学者                ↓↓↓ ↓↓↓↓↓ ↓                選他意 努胡模廼西紀・・・西暦  「松果腺体」=間脳の視床上部に存在する成長抑制ホルモンを出す小器官        ↓↓  ↓↓↓↓     ↓↓  ↓  ↓    ↓         完納  師承譲分     声調 与句施意補留文  章既刊         感応  師匠娘分     整調            ↓↓↓↓            死傷譲邊(高野長英=譲)・(渡『邊』華山=登)            ↓↓↓↓            刺傷丈夫  「六つの情念」=「驚 ・愛 ・憎  ・欲 ・喜・悲」        =「ケイ・アイ・ゾウ・ヨク・ キ・ ヒ」          ↓ ↓  ↓  ↓  ↓ ↓           敬 愛 贈 与久 喜 比           懸意 相 造 輿句 記 比  で、「陸奥の譲(高野長英)の撚(捌)=念」であった・・・  「バルフ(ベントー)・スピノザ(1632~1677年)」  「バルフ(ベントー)・スピノザ」はオランダ人で、「ポルトガル(勃爾俄利亞・葡萄牙)」から亡命してきた「ユダヤ(猶太)・イスラエル(伊色列・以色列)」人であった。著書に「神学・政治論」があり、「汎神論者」であった。  彼は云う、スナワチ、  「思惟」は神の属性である。あるいは「神は思惟するもの」である(エチカ・定理一)  「延長」は神の属性である。あるいは「神は延長したもの」である(エチカ・定理二)  「観念の秩序および、連結」は「物の秩序および連結」と「同一」である(エチカ・定理七)  と。そして、彼は「神=自然」、「自然=神」と考えた人物であった。・・・それにしても、「イスラエル」が「伊色列・以色列」とは「画家・絵かき・絵の具屋」としての有名な人間がいたコトの示唆だろう。「画家」と「重ねよ」で、ある。  「ゴットフリード・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646~1716年)」はドイツ人であった。「微積分学」の創始者である。  「モナド(モナス)」=ひとつのモノ(精神的な実体=アトム)。  「アトム」=「物的実体」  「モナド」=模拿度・「モナス」=「模拿諏」で、「アトム」=「蛙渡夢」である。  「パスカル(1623年6月19日~62年8月19日)」  「パスカル」はフランス人である。著書に「パンセ(瞑想録)」がある。また「パスカルの原理」を発見した人物でもあった。  「ジョン・ロック(1632~1704年)」  「ジョン・ロック」はイギリス人。経験論者で、「経験」がすべての「観念=知識」を形成すると云う、「認識論」を「哲学」の「要」にした人物であった。「自由主義的・個人主義」のはしり。  「タブラ・ラサ(石版)」=「白紙」・・・赤子の心の状態  「何も書かれていない石版」・・・・・・・白石  「認識論」とは認識主体の外部に存在するモノを「経験的時間」によって「感覚」で捉え、そして、その捉えたモノを基礎として、自分の「こころ」の作用を「内省=認識」し、その「モノの知識」を自分の知識として蓄えていくモノとした。 「一般(普遍)」とかは「個別的な実在の事物」には属さぬモノであり、考える上で便宜上、便利である、と言う「知性」の「結果としての記号」にのみにあるとし、「一般性はただ『知性の能力』としてのみ存在する」とした。  「ディビット・ヒューム(1711~1776年)」  「ディビット・ヒューム」はイギリス人である。  「知識」=「蓋然性(確からしいモノ)」=「懐疑論」  「イマヌエル・カント(1742~1803年)」  「イマヌエル・カント」はドイツ人。著書に「純粋理性批判(五十七歳の著書)」、「実践理性批判」、「判断力批判」の「三批判書」がある。  「物自体」=「デイング・アン・ジッヒ」  「現象」=「感性が捉えたモノに対する印象」       =「経験によって得た知識」       =「感性が捕らえた形式を内的にも時間と空間の形式を踏まえたモノ」  「先天的(先験的)」=「ア・プリオリ(より先にあるもの)」               「旋転(センテン)」的、               「先見・専権・浅見・先遣(センケン)」的  「8=3+5」は「経験に左右されない」ところの「万人に普遍的なモノ」で ある。  「後天的」=「ア・ポステオリ」・・・「荒天・好天・好転・交点・公転」的  「① 法則性(自然の規則的運動)」  「② 法則(①)を観念(言葉・数字)で把握したモノ。悟性(判断能力)」  「形像(イメージ・委明治)」・・・「図式(シエーマ・視絵馬=示纂額)」  「統覚」=「総合する働き」  「イデー(イデアル)」=理性・理想  「アンチノミー」=二律背反(似立廃藩=廃藩置懸)・・・安置乃箕(診)移   按茅野診位   案地埜診遺  「理念」=思惟されたモノ  「啓蒙」=エンライトニング      =エアクレアルンク(光をあてること・明らかに すること)       ↓↓↓ ↓ ↓↓       重阿呉 或 務句      =「啓=ひらく」、「蒙=劣った考え・蒙古」  デカルト=精神と自然、「主体」と「客体」  カント =「現象の世界」と「叡知界」、「理論」と「実践」の意識の二分  「正義は成就されよ。世界は滅ぶとも。・・・真なる命題である」  「汝・・・なすべし(定言命法)」=「・・・は・・・だ」と断定  「格率」=「日常生活の規範」  「自由」=「外界に左右されない個人の内面」       =「物自体」       =「人格性」  「普遍的立法」=「道徳」           =「リゴリスティック(厳格主義的)」  「最高善」=「実践の目的」        =「理念の実現へと無限に近づいて行くこと」  「意識=ゾレン(当為)」と「存在(ザイン)」の分裂  「ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762~1814年)」  「ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ」は「反ナポレオンのイデオローグ」であった。著書に「ドイツ国民に告ぐ」。  「自我」=「イッヒ(Ich)」=人類的な「自我」       =「認識する自我」と「実践する自我」は「同一」である。        ↓↓  ↓↓   ↓↓  ↓↓         認式  字臥   日遷  時過  「自我」=「認識論」ではなく「存在論」としての「自我」   ① 自我は根元的に絶対的に、自己自身の存在を定立する   ② 自我に対して絶対的な非我(自我でない自然)が反定立される   ③ 自我は自我の中に可分的な(制限された)自我に対し、     可分的な非我を定立させる  「自我に対する三原則」=「全知識学の基礎」  「自我」=「イッヒ(Ich)・ドイツ語」       =大文字の「I=私・自我」=「アルファベットの『9番目』の字」  「Ich」=「いっひ・いっち・いち」      ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓      何時比 一致 位置・・・異字      逸地  位地  維持・・・医事      壱地    市    意字・・・遺児・意地      ↓    ↓    ↓   ↓      ↓  「お市(小谷)の方」の三姉妹      壱与(一輿)=卑弥呼の宗女  「フリードリヒ・ヴェルヘルム・シェリング(1775~1854年)」  「同一哲学」=「精神=自然」  「絶対的な自我」=「直観」を通して知られる  「ゲオルグ・ヴィルヘルム・ヘーゲル(1770~1831年)」はドイツ人。著書に「精神現象学」、「大論理学」、「エンチュクロペディ」、「法の哲学」等。「コレラ(虎刺列)」で死亡。  「学」=「ヴィッセンシャフト」=知識の体系   ① この世界は自我の運動によってもたらされる   ② 私と絶対者のあいだには絶対的な区別はない   ① 一切を左右する要点は、真なるものを只単に実体として把握し、表現す     るのみならず、まったく同様に主体としても把握し表現する   ② 真なるものは全体である。しかし、全体とは、自己展開を通じて己を完     成する実在である  「弁証法」=「運動の論理」        =意識の経験・・・のあり方=ビルドウインク(教養・形成)         ビルディング         ビルド=画像・建築(懸地句)                  ↓↓                  たける・きづく                  倭建  気づく        =「歴史の狡知(高知・拘置・公知・巧遅・河内                          =川内)」                           ↓↓                            仙台                            泉内  世界史がどのように不条理でも世界精神を実現していく  =意識が社会的に果たす労働  =社会の弁証法  =哲学史の弁証法  =人間が「絶対者」を理解していく運動、  =「絶対精神」が「自己自身を実現していくこと」の「世界史」  =「意識」と「対象」の「関係そのものの変化」  =意識

知覚(物自体)

↓悟性(物自体の法則)

↓関係存在を意識  =わからないモノ(物自体)の          ↓          一面がわかったモノ(悟性)の          ↓          あらゆる側面(存在の関係)を          ↓          理解した意識          ↓          自分(自我)  =「知識(主体・意識)=存在(客体・対象)」  =即自(オンマイセルフ)    ↓   対自(フォマイセルフ)    ↓   即かつ対自   自体的    ↓    自覚    ↓   音埋(真位)競る敷 賦(伏臥)将(尾)間伊勢流布  モノジタイ=模埜字体・者事態・モノ辞退   「精神現象学」=意識             ↓             自己意識             ↓             理性             ↓             精神             ↓             宗教             ↓             絶対知             ↓   =論理学      ↓    自然哲学      ↓    精神哲学  「労働」=「実践的な教養」  「自由」=「所有権」  「市民社会」=「法が所有を保護する社会」  「放埓な享楽(資本家)」と「悲惨な貧困(労働者)」  「市民社会」=「諸個人が物を媒介にする外面的な関係社会」=頽廃的社会  「精神」=「ガイスト」  「ミネルヴァの梟(みみずく・ふくろう・鳥+木)」・梟首、熊襲梟帥、梟名   ↓      ↓↓↓↓ ↓↓↓ ↓ ↓   ↓    ↓  ↓   ↓      ↓↓↓↓ ↓↓↓ ↓ ↓   晒首  賊将    名声   ↓      診身図句 臥苦労 図理記(地図)   アテナ女神=阿手名=阿弖名=蛙出名=吾・拿=(宛名・当名・充名)          ↓   ↓   ↓   ↓          又    弓+一 変   呉             氏+一=(太伯・孫)          ↓    ↓   ↓  ↓          真多   究    換   悟          亦   仇    鑑   語  ① 正(定立=テーゼ)  ② 反(反定立=アンチ・テーゼ)  ③ 合(総合=ジン・テーゼ)  「止揚・揚棄=アウフヘーベン」=棚上げ・もちあげ=否定し、高め、保存  「宥和」=「アンゼーヌンク(神の息子になること)」  「人倫」=「ジットリッヒカイト(共同生活・道徳、秩序・風習、制度)」  フランス大革命(自由平等博愛)             ↓            ジャコバン             ↓            ロベスピエール             ↓            ナポレオン             ↓            ナポレオン法典             ↓             民法             ↓            ナポレオン戦争(ヨーロッパ侵略)  「カール・マルクス(1818~1883年)」は「プロイセン・ライン州の「トリール」に誕生した。  「ヘーゲルが人間の自己産出をひとつの過程としてとらえ、対象化を対象剥離として、外化として、およびこの外化の揚棄としてとらえていると云うこと、こうして彼が労働の本質をとらえ、対象的な人間を、現実的であるがゆえに真なる人間を、人間自身の労働の成果として概念的に把握していると云うことである(経済学・哲学草稿)」  「人間は社会関係の総体である(ドイツ・イデオロギー)」  「資本論(capital)・・・死本論・史本論・詞本論」  capital・・・首都・頭文字・資本・元金・柱頭・・・主力艦・優秀   ↓  死罪・死刑宣告・・・a capital crime ・ capital punishment  「セーレン・オービュエ・キルケゴール(1813~1855年)」はデンマーク(丁抹)人  「実存主義」とは「言葉や歴史に解消されない、私の現在のあり方を中心にすえる哲学」である・・・どうでもイイヤ、「他人」のことなんか・・・いま、現在のワタシである・・・ヨコシマ、タソガレである。  私の夢想、妄想、「カガムソウ=郭務」ではあるが、「現存・古事記」の作者(?)、あるいは改作者(?)はコレラの「西洋哲学書」、あるいは、「西洋哲学史」の知識を有していた人物と思われるのだ・・・イカガ・・・  「西洋哲学書」に於ける「翻訳」の根本的な欠陥は「翻訳者」の「概念規定」が曖昧であることと、「主語」と「述語」が曖昧であることである。そして「て・に・を・は」の「使用」が曖昧であることに尽きる・・・まるで、「漢和字典」の「日本語の説明」が「曖昧」であるのと「同じレベルのモノ」である。「一字の漢字」に「多数の意味説明」をし、しかも、その「意味の明暗度数」の「是非の幅が白色→←灰色→←黒色」まであるのだ・・・多分、「漢字」を媒介にして「理解し得る日本語」は「相当イイ加減なモノ」で、「イカレポンチ」であるのに違いない。  モチロン、「現存・古事記」に限らないが、特殊、「現存・古事記」の「理解」とは「一般的・普遍的なモノ」として「理解されるべきモノ」ではなく、「ただ特殊的に、個別的に読まれ、『理解』されるモノ」に過ぎない。その証拠は「無数の研究書と解説書」が存在するコト自体である。しかもソレラ「学術書(古事記に関する)」には「漢字自体(字体)」の「説明」が「虫喰」いのように「意味不詳」として「アナ」をあけたママになっているのだ。  ある読者がソレを読んで残るモノは特殊な「或るカス」であり、その「或るカス」とは「ミズカラの有する経験的に限定された『コトバ』の知識の枠内」での「臆測(憶測)的な判断理解」でしかありえないであろう。  「プラトンの国家」程度でヤメトケばよかったのに・・・アトランティスを「シヲ」に埋めたまま・・・ある時、手ごろな本、小阪修平氏の「イラスト・西洋哲学史(JICC出版局)」を古本屋で手に入れたのが「タマにキズ」であった。であるからして、「哲学概念」とその「理解程度」はすべて、この著書「イラスト・西洋哲学史(JICC出版局)」によって「抜粋したモノ」である。  「ワタクシ」としては大変「参考(?)」になったのでカンシャ、カンシャであります。


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