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「プラトンおじさん」達が、「コジキ」を語れば(3)・(36)


 「渡邊 崋山」は1793年(寛政五年九月十六日)、江戸、「麹町・半蔵」門外、「三河国・田原藩」、藩邸の「長屋」で誕生した。  彼が「罪」に問われた原因は「花井『虎一』」による密告で、その密告を「『鳥居』耀蔵」がありもしないことを粉飾して老中「『水野』忠邦」に訴えたからである。その訴状の一つに「奥州『金華山』」沖の「無人島」探査があった.  古代ギリシャの哲学者であった『プラトン(BC427~BC347)』は「プロポネス戦争(BC431~BC404・スパルタとアテネの戦争)」開始後、「四年目」に誕生したらしい。  その彼の著書『ティマイオス』、『クリティアス』の中で『アトランティス』のことを言及しているのは有名である。『プラトン』が『アトランティス』を実際にみたわけではない。彼の生きた時代ではなく、エジプトの「サイスの神官(アイギュプトスの神官)」が保持していた記録を『プラトン』の「曾祖父(ドロピデス)」と「親友」であったらしい、アテネの「アルコン」であった『ソロン(BC638~558)』に説明したモノとして『アトランティス』が『プラトン』の著書に記録されているのである。スナワチ、『ソロン』が、その『アトランティス』を「過去の出来事としての記録を説明された」と云うことに基づいて、『プラトン』が『②クリティアス』の言葉に仮託して「叙述」したモノなのである。しかも、その「『ソロン』の記録」は『②クリティアス』の祖父(ドロピデス)が有していたモノであったらしい。            ・・・カルミデス            |  プラトンの家系図   |・・|・ ・・・ペリティオネ(母)・・プラトン・            |            ・・・・・・・・・・・・・・・                   |                  グラウコン・・  ①           ②       |  ドロピデス・・クリティアス・・□・・クリティアス・・・|   |                   |   |(身内・友人)      カライスクロス・・・  ソロン(アルコン=執政官)          |                      |                       ・・・③クリティアス  ここでコレラの「人物の名前」を漢字変換して「アソビ(阿蘇尾)」、「アソンで(阿孫出)」みると、  ドロピデス・・・・・ 努賂比出州・・・賄い努めよ、出る州の比較  クリティアス・・・・ 区里程阿州・・・区の里程は阿蘇  グラコン・・・・・・ 具羅今・・・・・現今の国に具備する  カライスクロス・・ 化羅委州区賂州・国を化し、国境に委ね、国を賄う  カルミデス・・・・・ 化瑠診出州・・・瑠(朱玉)を化し、出る国を診る  ペリティオネ・・・・縁出意尾根・・・経る里程の尾根  プラトン・・・・・・・ 普羅渡務・・・・並ぶ国、渡(亘理・航・亙)りの務め  以上のようになるのだが・・・  『ソロン』はギリシャ「七賢人の一人」で「アテネ(アシナ=足名・葦名・芦名・椎名)」と「メガラ(女賀羅)」との戦争に政治的手腕を発揮し、「BC594年」に「執政官(アルコン)」に選出され、「ドラコンの立法」を廃棄して「新法」を樹立し、「ギリシャ民主主義」の基礎をきづいた。「土地制限」、「財産の多寡」にかかわらず「市民」の「政治的な権利義務」の平等、「税の軽減」、「裁判官の公選」等を定めた。政治から退いた後、東邦に十年間旅行した後、ギリシャ内紛中に帰国。自分の「立法」がなされていないのを嘆いた、とされる人物だ。  「現存・古事記」で云えば、「あしな(椎名)」は「須佐之男」が行った「出雲の国」である。当然にも「めがら(女賀羅)」は「女王(卑弥呼・壱与)の国」で、「天照大御神の国」である。『ソロン』は「アシナ」の「アルコン(執政官)」であるから「軸」は「出雲(あしな椎の國・大山津見祇)」、「須佐之男」と「大國主」、「少毘古那」、「大物主」が重なっているハズである。  地理的には「メガラ」は「アテネ」と同緯度の「北緯38度線上」の「西」に存在するのだが、東洋の同位置には中国の「天津」、朝鮮半島の「海州・開城・板門店」、日本の「新潟・紫雲寺」、「宮城県・『七ヶ宿』・『白石』」が存在し、「38度15分」には「仙台」、「仙台湾・石巻湾」、「牡鹿半島」の先端に『金華山』が存在するのだ。・・・「メガラ」の名前は英雄「ヘラクレス」の妻であり、「テーバイ王」、「クレオン」の娘でもあった。『ヘラクレス』の名前の由来は継母で、嫉妬に狂った「ゼウス」の妻の名前、「ヘラ」から採ったモノで、『ヘラ女神の栄光』と云うものである。釜(かま)や飯弼(めしびつ)から飯(めし)を碗によそおう「箆(へら・ヘイ・ヒ・ビ)」の漢字を調べるなら私の「あそび」は「言語学的な学問」になる(?)・・・ハズだ。  箆=へら・ヘイ・ヒ・ビ・うえ・たが・くし・すきぐし・の   =①毛筋たて・髪の毛の筋を正し、分けるのに用いるもの     ②かんざし     ③うえ(うへ)、また、たが     ④櫛(くし)。透き櫛   =国語の意味では、     ①へら。竹きれを細長く平たく削ったもの     ②の     ③矢竹。矢に用いる竹     ④矢がら。矢の幹   =漢字分解すれば、    箆=竹+口+メ+比(竹の国の女の比)  「へら(辺羅・経等・経・)」は「やま(耶麻・邪馬・山=サン=纂・算)」の「かみ(神・祇・加味・髪・加美・守・上・紙)さん」の持つ象徴で、「汁(しる・知る)」をスクウ、「しゃもじ(写文字・舎模字・柘文字・斜文字・洒文字・社文字・娑文字・這文字・煮文字)」と同類の意味である。  「メカラ」ならば「目下等」、あるいは「目禍拉()」で、もちろん、「蛮社の獄」であるならば、「幕府の目付け役・目下の目あかし」の「拉致・災禍、厄介」の示唆である。「女嘉裸」なら「オトコ」がみて喜びそうな「官能的」な「猿女のストリップダンス」だが、「洞窟」から覗き観たのは「天照大御神=女神」である。「小説」の「イメージ」ならそれもイイだろう。だが、「哲学者」の「プラトン」は「洞窟」での「影」からの「解放」として、「真なるイデア」としての「善=光=景」を考えたのだ。そして、「プラトン=ソクラテス」は「国家論」で、「覗き」なんて云う「俗な意味」からではなく、「女性の裸」での「体育・競技」についても「男性」と同様に「可美」としているのだ。当然、ここは「現存・古事記」の「洞窟」からの解放場面で、「上巻」の「形而上学的(哲学的)」な「くらいまっくす」だ。  「クライ、影=かげ・陰・蔭・嗅・禍外・下下・可解・崋解=景+彡        =ケイ・景(景行天皇・景教・高橋景保)」        =ひかげ(日影・日陰)  からの  「アカルイ、光=ひかり・陽・要・葉・蝿・用・耀・卑呼理・比科理          =コウ・高(高野山真言密教・高野長英)」          =ひなた(日向)  による「解放場面」であるワケだよ、ネっつ・・・君のハハサンはとにかく、明里はドウ、オモウ・・・?・・・『新井白石』は通称、「勘解由(カゲユ)」とも謂われたんだけれども、「言語学」的研究の著書には「東雅(二十巻)」、「同文通考(四巻)」があるらしいが・・・私には未だ読むチャンスがないが「タイトルの漢字」だけで充分である。  ・・・さて、「ソロン」の漢字変換は、  ソロン=楚論・曾(曹)論・姐論・蘇論・鼠論・素論・遡論・措論      =組んで、賄う、『夢』  「訴呂(侶)務」・・・「訴える『太安萬侶』の勤め」、スナワチ、「太(タイ=他意)の安(アン=案)、萬(マム=真の『夢』)の、侶(リョ=慮=考慮)」だ。  ・・・アルコンの漢字変換は、  アルコン=有る今・或根・       =阿留魂(坤=未申=羊猿・艮=丑寅=牛虎)」  「阿(蘇)に留る魂(たま=玉・球磨・熊)」・・・「現存・古事記」の作者は「プラトン」、「ソロン」を知っていた(?)。  『ティマイオス』は「ロクリス」の哲学者で天文学者、『②クリティアス』は『プラトン』の曾祖父である。この『クリティアス』の対話編に『アトランティス王国』は「アテネ」に敵対来攻したモノとして語られているのだ。その存在は「ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)」の外(大西洋)、スナワチ、「アテネ」の「西」にあり、「リビア(アフリカ北岸)」や「アジア(中央アジア)」よりも大きい「島」で、『プラトン』の時代から過去「九千年もの間」に何度も大洪水に見舞われ、最期には「地震の為に海底に没し、泥土と化した国」として言われているモノだ。  『アトランティス王国』の始祖は「『海神』ポセイドン」であり、彼は人間の娘『クレイトウ』を妻にして、「五組の男子の『双子』」を産ませ、国土を「十の領地」として最年長の子供『アトラス(ア・トラ・ス)』を王として支配させた。「アトラス」は「地図」のことだが、「蛙(唖)虎素」、「阿(蛙=かえる)図羅素」で、「ア」の漢字に「安+頁=ア・アツ・アチ・アン・はなばしら・はなすじ」がある。分解してヨメば「安」の「頁(ページ)」である。「現存・古事記」と関連させ、『海神』と、この「五組の『双子』」と云うところに留意されたい。  「双子」の物語はギリシャ神話では「ゼウス」を父とする「二卵性」の「アポロン・太陽の男神」と「アルテミス(ダイアナ)・月の女神」や、前に述べた「ヘラクレス」と「イピクレス」が存在する。この双子の母親は「アルクメネ」であったが「ヘラクレス」のみが「ゼウス」の「血」をひく子供で、しかも「ゼウス」の最愛の子供であった。「ヘラクレス」の悲劇は妻の「メガラ」と自分の「子供」を「ヘラ」の嫉妬による策謀で気が狂い、殺害してしまったことである。この後、「エラクレス」の物語は「化物退治」の話しと展開されていく。スナワチ、「ヘラクレスの十二の功績」で、  ① ネメアの「獅子」の皮剥ぎ退治 ・・・・・・・・・・・・子(コ・ね)  ② レルネーの「水蛇(ヒドラ)」退治 ・・・・・・・・・・・巳(ミ・へび)  ③ ケリュネイアの「鹿」の生け捕り ・・・・・・・・・・・ 鹿(カ・しか)  ④ エリュマントスの「猪」の生け捕り・・・・・・・・・・・亥(ガイ・い)  ⑤ アウゲイアス王の「厩」の掃除 ・・・・・・・・・・・・ 午(ゴ・うま)  ⑥ ステュンパウロスの森に棲む「鳥」の追放 ・・・・酉(ユウ・とり)  ⑦ クレタ島の海神ポセイドンの「牡牛」の捕獲 ・・・丑(チュウ・うし)  ⑧ トラキア、ディオメーデス王の「牝馬」の捕獲 ・・ 馬(マ・うま)  ⑨ アマゾン女王、ヒッポリュテイの「帯」の獲得 ・・・帯(タイ・おび)  ⑩ ゲーリュオネスの「牛」の捕獲 ・・・・・・・・・・・・・丑(チュウ・うし)  ⑪ ヘスペデリスの黄金の「林檎」の獲得 ・・・・・・・ 林檎(リンキン)  ⑫ 冥府の番「犬」、ケルベロスの捕獲 ・・・・・・・・・ 戌(ジュツ・いぬ)  であった。①~⑫の漢字変換の意味を「古事記」と重ねてみると「事件」が見えてくるはずだ。  そして、「双子の物語」は、やはり「二卵性」の「ジェミニ(双子座)」の「カストル」と「ポリュデウケス」である。「アルゴー号」での冒険、妹「ヘレネ」の救出、「海神ポセイドン」の息子「イダス」と「リュンケウス」との戦いの話しである。これらの双子は「二卵性(ニランセイ)」であると云うことだ。似乱世(歳)・・・尼乱政・・・爾(字)覧整・・・時蘭勢・・・である。  そして、幼児期に「チグリ河」に流され、助けられて「牝狼の乳」に育てられた「ロムルス」、「レムス」は「ローマ(羅馬)の建国者」であった。この話は「ロムルス」が後に「レムス」を殺して権力の座に就くと云うものだが、「日本」では「大碓皇子」や「小碓皇子(日本建)」であり、「双璧の兄弟」は「中大兄皇子」や「大海部(人)皇子=翼を付けた虎」、「大津皇子」や「草壁皇子」である。「対なるライバル」の名前の人物達で、「双方」ともに悲運で、悲劇的な最期である。  これらのツインの人物を「漢字で記録された名前」をヨメルかぎりの「音訓」で読んで、なおかつ「分解」してヨンでみるのだ。  大碓・・おうす・・・ダイタイ(テ)・ 一  人  石  隹(崔・サイ)         ↓  ↓    ↓   ↓  ↓   ↓(スイ・セ)         代 替    壱   比都 委話 差異(推・施)         台 岱    ハジメのヒトはイワのフルトリ         大 体   イチ のヒトはイシのキジバト         ↓  ↓         拿遺体(委他意・意他意・意替・痛い)  小碓・・をうす・・・ショウタイ ・・・八  亅   石   隹・・こうす  ↓ ↓      ↓     ↓  ↓   ↓   ↓  考 素  ↓ ↓      ↓     ↓  ↓   ↓   ↓  交 素  日本建     正体(招待) ハチのカギはイワのフルトリ  ↓        書得他意(尚胎)ヤツのケツはイシのフルトリ  ↓       ↓     ↓  ↓        所胡多意・初有多意(戴・鯛・太・胎・対)  似本懸(二翻懸・時翻懸)        亅=(鈎・鉤・カチ・クワチ)  「台載」とは「邪馬台の代替(魏志倭人傳に掲載)」で、「台=ム(よこしま)な口(國)」の「他意=鯛・胎・対・太(おほの安萬侶)」であり、「一人=壱の人=壱与(卑弥呼の宗女)=位置」、「石隹=岩(磐)の崔(高山)=積水・積載・籍施・責世」である。「正体」は「招待・商隊」で、「照他意・証台・証鯛」で、「八=葉知・頗地・端地・歯智(尚歯)」の「亅(かぎ)=鍵=化義=釣り針」である。もちろん、「・(亅)」は「山幸彦」が「海幸彦」から借りた「釣り針」である・・・「鯛」、「竜宮城」の「乙姫さま」との遭遇・・・「未知との遭遇」ではありませんか、コレッて・・・。  「錠=ジョウ=ロック(lock)=賂柘句・侶柘句(太安萬侶)    =κλειδαρια=クリダリア(ギリシャ語)=句理拿裏蛙    =嬢(帖・定・序有)                   ↓    =譲(高野長英の名前)」              かえる=変える  が必要とする  「鍵=キイ(kye)=貴意=κλειδι=クリディ(ギリシャ語)=句裏出委=記意」  の  「ポイント(point)=先端・岬(みさき)・鼻の先・眼目・見地・度              =ακιδα=アキダ(ギリシャ語)                    =飽 田=安芸多=安岐他                          ↓                         太安萬侶の多芸                    =秋 田=亜紀太(古事記の他意)」  の「指示」なのだ。「対語」の「鍵錠(ケンジョウ)=錠鍵(ジョウケン=条件・畳鹸=歳の重なり・擾顕=争擾の顕緒・嬢遣=卑弥呼、壱与の派遣・上巻=古事記の上巻・帖懸=控え帳の科仮・聶件=噂の事件・譲兼=高野長英も兼ねる)」で、「古事記の上巻」と「対」である。「献上・謙譲・健常」の  「建(日本タケル)=懸」と「譲(高野長英)」  「嬢(娘・乙女=音目・卑弥呼・壱与)=場(擾)       ↓↓    ↓      =丞(魏の丞相・曹操)」       イツメ=何時女=キの トのオンナ=鬼の都の女               ↓  ↓  ↓ ↓               記の斗の音 名               鬼の徒=姫(来)能都・機能登(基廼渡)               ↓     ↓ ↓ ↓               新井白石  目子(愛子)媛               ↓               渡辺崋山の「秘真機論」  なのである。ちなみに、「ロック」の日本語表示の発音は同音だが、英語のアルファベットは「L」と「R」が異なっている。スナワチ、「lock」と「rock」の違いで、  lock=ロック=①rock(岩・暗礁)        =πετρωμα・πετρα(ギリシャ語)=ペトラ        =②rock(振動・揺する)        =③rock(糸巻き竿)」  である。・・・ナルホド、「rocabilly」の「真相」とは「静かなるrockbottom」・・・と云うワケだな。  中大兄・なかおおえ・チュウダイケイ・中(口-)一人口儿(ル)           ↓ ↓ ↓ ↓  ↓ ↓  ↓ ↓           柱  台 形   コクボウ  国人(留・流)           丑  拿医経   国 防の始めの人           衷  拿意景           註  内  経           駐  打夷傾           忠  拿畏敬           昼  拿緯景                ↓               景行天皇(日本建の父親)               景教(唐代のキリスト教ネストウリ派)               ↓             高橋景保(シーボルト事件で処刑、塩漬け)  大海人・おほあま・・ダイカイジン・・一人    水(氵)  毎(ノ一・毋)人           ↓ ↓ ↓ ↓↓      ↓ ↓    ↓          廼 改 人  ハジメのヒト   サンスイ ↓ ↓          拿異掛異人  覇示女 人    纂 出  后徒 人          拿医科偉人              ↓                            則天武后の渡 人                            ↓↓↓↓                            即天武皇  大津・・おおつ・・・ダイシン・・・・一人水(・) 聿(イツ・イチ)         ↓↓↓↓     ↓   ↓         拿維新(夷臣)  見図(密)ふで(ついに・ともに)                     筆 (のべる・はやい)  草壁・・くさかべ・・ソウヘキ・・・・艸日十尼(尸匕)辛(立十) 十一         ↓ ↓    ↓                  ↓         双 璧(日月) クサのニチのタリのアマのカラ ↓                区差 似地 他里 阿摩 架羅 重位置  「現存・古事記」の作者の「同音異字漢字」に掛けたい「問題意識の一」は「幕末」に於ける「国防」と防るべき「領土=地理(輿)」である(?)。  「対」なるモノは、神話では「左目から生まれた天照大御神(太陽・日)」と「右目から生まれた月読命(月)」、「山幸彦」と「海幸彦」、「大国主命」と「大物主命」であり、「味鋤高日子根」と「天若比古」、「沙本(佐波遅)比古」と「沙本(佐波遅)毘賣」、「大日下王」と「若日下王」であった。そして、「大化改新(回心・改心)」後の左右(蘇我・阿部)の大臣達である。言葉や、漢字で云えば「対語」に注意せよ、である。  地図の「北」を「上」にして観るとすれば「上=北=子=鼠(ソ)」で、「下=南=午=馬(バ・マ)」。「左=西=酉=鳥(チョウ)」で、「右=東=卯=菟(ト)」となるであろう。  上北子鼠(ジョウホクシソ)・・・ 定保句詞素  下南午馬(ゲナンゴマ)・・・・・・解名務語磨  左西酉鳥(サセイユウチョウ)・ 作施意喩胡著有  右東卯菟(ウトウボウト)・・・・・得答模胡図  「左右の対」の「中央」は「中心(忠臣・衷心・忠信・中震・注進・忠心・駐辰=駐龍=駐留)」で、突き出た「鼻(岩・巖・磐)=岬」である。「鼻(ガン・ビ)」から生まれたのは「海主」になるべき「須佐之男(素戔嗚)」であった。だが、彼は「海洋(科畏耀)」の「主」になるよりも「母(募)の国(石)」、「黄泉(奥泉)=よみ」にいきたく、「哭(コク・ないた)」のだ。これを「高野長英」にかければ、「科(とが=罪)」、「畏(おそれる)」、「耀(鳥居耀蔵)」、「主(牢名主)」、「母国(岩手・水沢)」、「黄泉(交泉・奥仙=仙台)」。  さて、「海神ポセイドン」の妻となった『クレイトウ(呉以東・句例意読・繰、意、問=答=盗=統=藤=頭=唐)』の産んだ「五組(語組・語句診・語酌・呉貢務)の男子の『双子(創始・扱史・捜史・曹史=曹操の魏史倭人傳)』の名前」は次の通り(図将理・渡欧理)である。  アトラス   アン ペレス  ムネセアス エラシッポス  アザエス  ↓     ↓      ↓     ↓     ↓  阿都累州  案 経例諏  務音経阿洲 重羅詞柘補諏 字重州  ①       ②     ③     ④    ⑤  ↓       ↓     ↓     ↓    ↓  エウメロス エウアイモン アウトクトン メストル ディアプレス  重烏眼路州 重烏阿移門 阿有渡区遁 女州渡流 出意阿普例州  ↓  ガデイロス=臥出委賂州  『クリティアス』には『アトランティス王国』の領土や地理、王宮の形態、政治形態等は細かく語られており、王宮のあり方は「中央の島」を軸にして「二つの陸地環状帯」と「三つの海水環状帯」から円形に構成され、その見取図は「天体星図に配置」された『紫薇垣』の様であるのだが・・・戦国末期から江戸時代にかけての平野部に造られた城、壕に囲まれ、岩壁の上にそびえる築城は、その構造がほとんど類似する。また、火山活動によって出来たカルデラ湖の中に浮かぶ島の構造や、九州の阿蘇山の内輪、外輪の構成にも似ているし、円形ではないが構造は外堀、内堀に囲まれた「前方後円墳」にも似ている。そして「現存・古事記」に記述されている「その矛の末より垂り落つる鹽(塩)、累なり積もりて島となりき」、「それ『淤能碁呂島』なり」の形成プロセスに起こる「滴による水の隆起と、それを中心に円の波紋形態」に類似するイメージである。

 「プラトンおじさん」達が、「コジキ」を語れば(3)・(36x)

 『現存・古事記』の作者は『プラトン』が述べた『アトランティス』の記録を読んだであろうか、あるいは聴き及んでいたであろうか・・・?・・・「可能性」は無きにしもあらずである・・・では、「可能性」があった人物で、「日本人」と関わりを持った人物は誰か?・・・「織田信長」時代の渡来した「西洋人の航海士」、「キリスト教の宣教師」達だが、「1600年」に「豊後大分」に難破漂着した『三浦案針』と日本人の姓名を有し、「徳川家康」から「相模」に領土をもらった英国人の『ウイリアム・アダムス』の存在が考えられる。マァ、私の妄想であるが、時代は「世界大航海時代」と呼ばれる時期である。1275年、「忽必烈汗」に謁し、後に顧問にもなった「マルコ・ポーロ(1254~1324)」の「東方見聞録」等を既に知っていた当時の十六世紀の西洋人、「海士達」が「帆船」に乗って未知の世界を冒険、探索してみたい「衝動」の一つは、黄金の島、『ジパング』であり、「プラトン」が記録した『アトランティス』の存在であったのに違いない。  だが、「日本」に渡来した「西域人(異邦人・ギリシャ・ペルシア)」は「712年(古事記の上奏)」以前にも存在したハズである。もちろん、話題の発端は『プラトン(BC427~BC347)』の時代である。彼らは『アトランティス』の存在を知っていた可能性はあるだろう。  そして『アトランティス』があったかどうかの「事実(?)」は『ソロン(BC638~558)』の時代以前の過去『9000年間』のコトである。『プラトン』以後、今世紀まで航海に出る「海士族」は何時の時代でも「未知なる『アトランティス』」を追い求めたきた・・・エジプトの「ピラミッド」を「錦絵」に描いたモノをめでていた江戸時代の知識人は『アトランティス』の話しを知っていた・・・「医学の父」と呼ばれた『ヒッポクラテス(BC460~BC377)』、あるいは「日月形の定理」を樹立した数学者の『ヒッポクラテス(BC450~BC430)』、多分、前者の肖像画を描いた『渡辺崋山』とその周辺の「蘭学者達」はそのギリシャの「哲学者の系譜、事績の知識」を有していたのに違いない。『プラトン』は、科学的論理体系を構築し、十三歳の『アレクサンドロス(大王)』の家庭教師となった『アリストテレス(BC384~322)』の先生でもあった。ちなみに『アリストテレス』は『高野長英』の著書『遠西水質論』にもその名前が記録されている。  『渡辺崋山』とその周辺の「蘭学者達」は鎖国にもかかわらず、「長崎・出島」をピンホールとして、驚くべき「世界的な知識水準」を有していたのだ。  彼らの悲劇は「蛮社の獄」から始まったが、この事件を通して『現存・古事記』の「読み方」も「蘭学者」の「哲学的な記号論(暗号)」としてヨマレた・・・?・・・のではないのか。  当然、弾圧された「蘭学者」の問題意識は「幕藩体制」としての「国家」としての「国防」、「領土防衛」であった。「仙台藩」にゆかりがあった『林子平(1738~1793)』の「海国兵談」と、『工藤平助(1734~1800)』の「赤蝦夷風説考」。「関(関孝和)流、和算家」で江戸の『音羽』に住み、「越後・村上」生まれの『本田利明(幼名は長五郎・通称は三郎右衛門・1744~1820)』の「西域物語」・・・もちろん、『渡辺崋山』の「真機論」、『高野長英』の「夢物語」、『小関三英』の「輿地誌」等は「鎖国国家」が突きつけられた「海防問題」に対する危機感によるモノであった。  ・・・『本田利明』の「西域物語(上中下)」は単なる「国防」ではない。幕閣と豪商が肥満するのとは裏腹に、彼が東北で見たものは農民百姓の「飢饉・飢餓」による数十万人にものぼる「餓死者」の「屍(しかばね)の山」であった。コレを見た人間ならば、行き着くところは『プラトン』の『国家論』であるハズだ。チョット、遠い時代ではあるが「為政者」の「倫理・道徳」として「撫育」を『本田利明』は強調しているのだ・・・幕臣である『大塩平八郎(1793~1837)』が「組織化した怒りの叛乱(天保八年)」は、「知行一致」の「陽明(朱子)」学者の彼にとって、もはや状況として『本田利明』に応えるべき術の「拉致外」にあったのだ。  『本田利明』は先ず第一に「窮理学」を学べと云い、「天文」、「地理」、「航海」を西洋から学べとした。そして、国力の盛んな国を次のような「漢字」をあてて記した。  ①都爾格(トルコ)  ②魯西亜(ロシア)  ③意太利亜(イタリア)  ④波羅泥亜(ホロシア=ポーランド)  ⑤入爾馬泥亜(ゼルマニア=ドイツ)  ⑥仏良察(フランス)  ⑦伊察巴尼亜(イスパニア)  ⑧諳厄利亜(アンゲリア=イギリス)  ⑨和蘭陀(オランダ)  そして、これらの諸国住民は火事に耐久できる「石造の住居に住む」と云っている。また彼は『新井白石』の著書『采覧異言』を引合いに出して、中国「清朝」に渡来し、西洋の学問を伝えたのは「琶牛(ヘゴウ=ラングーン)」の人、「利瑪竇(リマトウ=マティオ・リッチ)」であった、とも記している。さらには「エジプト」、「アレキサンデル大帝」、「ジュデヤ(ユダヤ)」、「ハルシア(ペルシア)」、天文学者の「チィコ(地谷)」、「コヘルニキユス(刻白爾=コペルニックス)」、「阿瑪港(マカオ)」等の地名、名前を記しているのだ。そして、彼は「政治の道」を云うのである。スナワチ、  「政治の道と云うものは、農民の困窮を救うのを先ず第一にする」。「国君の天職は農民の困苦を取り払う公共事業土木工事、農産物の高価買い上げと、その産物の他市場への輸送による安価な供給、物価の安定を図ること」。これを「君主の果たす『撫育』である」  と云うものだ。さらに「島国日本」に急務な『撫育』は「航海・運送・交易」である、としている。また、「天文暦」にも触れて「頒暦」に於ける「西洋占星術の区分の宮」に言及し、西洋では十二宮の「磨羯宮の初度に日輪(太陽)が入る日をその年の正月一日」と記している。  「西域物語(中)」では西洋の記録文字「アルファベット二十五文字」に言及し、「漢字」よりも「仮名」の有用性、合理性を説いている。私はこの『本田利明』が云っている、  「中国の文字(漢字)は数万有るのを記憶しようとすれば、生涯精を込めてつとめても、けっして達せられないであろう。これこそ大変な無駄である。また、例えすべてを暗記する人があらわれたとしても、国家のために益になることはあるまい」  と言うことを敢えてしているらしいのだが・・・確かに「国家の益」になるコトはあるまい、である。そして「七不思議」である巨大な建物があることを紹介している。スナワチ、「エジプトの尖台(ピラミッド)」、「バビローニャの高台(ジッグラト)」、「ロデス島(ロドス島)の巨銅人形」、「モスコビヤ(モスクワ)の大鐘」、「ロンドンの石橋」等である。そして「新井白石」が尋問したイタリア人「シッドッチ」のことが記され、「岡本三右衛門」と日本名を付けられていた、とも記録しているのだ。「オカモト」である。  「西域物語(中)」では「オランダ開祖」を見本にして「国策」を論じている。そして鍵は「蝦夷地の開発である」と云って、「最期のしめくくり」を記している。  「西洋人はまず、わが身を削って他に与えようとする策であるから、みなこれを助けようとする。中国人は最初から他の骨肉を削り取ろうとし、相手もこれと同様な手段で対抗する。これが戦争の原因だ。最後の目標は両者異なるところはないと云うものの、最初に与えるのと取るのとは事情が表裏の関係であり、つい眼前の損得に眼がくらみがちであるが、このところに成否がかかっている」  と、・・・「最後の目標」とは「属国」、「カイライ政権国家」、「植民地」にスルと云うコトか・・・それとも「毛沢東」や「マッカーサー」なら「解放」と云うのだろうか・・・  何時の時代でも「商人」と「政治家」が「癒着」すれば「国家」は揺らぐのだが、本来『プラトン』が展開している「寡頭制」とは「トラシュマコス」が開陳した主張と、「金儲け主義を基盤とした国家体制」らしいのだ。なんだか、現今の時代は「古代ギリシャ」と変わらない。  もちろん、『プラトン』が『国家論』で『ソクラテス』に言わせているコトは「国家の倫理・道徳」であり、それは「国家指導者と国家成員、市民個人の倫理・道徳」でもあった。「善なる国家」=「善なる国家指導者」=「優秀者支配制」であるのだが・・・  奥羽の飢饉を目の当たりにし、時代の国際状況をも考えた『本田利明』は暢気に話している「プラトンの倫理・道徳」なんかを越えちゃって、「現実的な国家」のあり方を考え、焦っているのだが、餓死寸前の人々を前にして「路銀」を与えようとし、同情もしたが、救済は出来なかったのだ。「国越えの禁止」で身の移動も出来ず、「食うモノそのものがない」のだから「路銀」が何の役にたとう・・・彼は「同情」すらも拒否され、逆に旅の安全を「飢えている者」から言われた。  『大塩平八郎』と言えば、「餓死者」を目の前に「叛乱後の国家」のあり方も考えることなく、焦るどころか、爆発してしまったのだ。しかも戦術的に「敵」である「大将(大坂奉行)の首一つ」捕ることなく、たった「一日の叛乱」でポシャッタのだ。「正規戦」は「武装訓練」された「兵数」と「武器の優劣」、「情報の多寡」、「戦場の地形」、「戦時の天候」、「陣形配置」、「兵糧」、「戦意」等が勝敗を決めるが、「孫子」を読んでいなかった(?)『大塩平八郎』は「正規戦」も、「ゲリラ戦」も、ましてや「揣摩(心理戦)の術」をとれようはずもない直情型の「御家人」であった。「裏切り者」もでるのは「儒教=朱子学」的限界(?)なのか、単発の打ち上げ花火に終わったのだ。「百姓一揆」を指導する「百姓」だって、もう少しは「用意周到」に、したたかに事にのぞんだに違いないハズなのだ。「組織(社会・国家)のリーダー」は「戦争の目的」と、「戦争(政治)技術」に長けているモノでなければ務まらない。逃亡中の『高野長英』は「三兵答古知幾(さんひょう、たくちき)」や「知彼一助(チヒイチジョ)」の兵法書を著作しているから「クラウゼヴッツ」の「戦争論」を読んでいたハズ(?)だが、アキレルほどに楽天的で「無警戒」であった・・・イヤ、「歴史的に暗殺」される人物は、「敵」に対しては「過剰なまでの警戒心」を有しているが、「味方」に対しては「過剰なまでの信頼」か、「疑心暗鬼」をしすぎて「裏切り」にあうのだ。  ところで、「三兵答古知幾(さんひょう、たくちき)」とヨンでいるが、「参の兵、古=イニシエに、答えあり、幾=兆しを知る」、「箋(辞書)の表、多の句の知の記」で、「知彼一助(チヒチジョ)」は「彼を知る一の助」、「比=くらべ、知=シル、一=イチの、助=タスケ」、「比較、詞の留、意の智、多の諏の懸」と読めるのだが・・・「兵方書」ならば「虎の巻」で「六韜三略」で、「六韜」は「呂尚(太公望)」、「三略」は「黄石公」の著書である。もちろん、「孫子」は「孫武」の著作だ。  三=横にした川(かわ=掛話)=みつ(密・蜜・御津・水)=セン=選  兵=つわもの(柘話模埜)=ヘイ(並・併・丙)=ヒョウ(評・彪)  答=こたえ(虎多重)=トウ(当・問・唐・藤・統・頭・島・等・図有)  古=いにしえ(意西重)=「コ」の全ての同音異字漢字  知=しる(詞留)=「チ」の全ての同音異字漢字  幾=きざし(記座詞)=「キ」の全ての同音異字漢字   =知幾其神乎(キを知るはソレ、神か・易経の繁辞下)   =幾の熟語「幾微・幾諌・幾許・幾何・幾時・幾多・幾重・幾分・無幾  三兵  答 古知幾・・・・・御津の兵、渡胡(唐)、故(虎)知紀  ↓↓  ↓  ↓↓↓  算経・委唐・古地記=古字記=古事記  知彼一助  ↓↓↓↓  知卑壱女  置比位置所  地比位置所=字比意知序=地(肥・火・日・氷・斐)位置所  知比委(禾=能義の、女=音名)の、恥(耳心=字審)の序・・・古事記序文  智秘委値序  さて、私は、「中国の漢字文字が数万有るのを日本語で読もうと生涯精を込め、けっして達せられない大変な無駄に時間を費やし、国家の益にもならないコト」をしているのであるから、『高野長英』の「三兵・答・古知幾(サンヘイ・トウ・コチキ)」を「サンヘイ(纂経意・纂併・唆武経意・讃経意)」、「トウ(問・読・唐」、「コチキ(古地記=古事記)」、そして「知彼一助(チヒイチジョ)」を「知比(卑)壱女」、「置比位置所」、「地比(肥・火・日・氷・斐)位置所」、「知比委恥(耳心)序」、「智秘委値序」等と漢字変換してヨミタイのである。  コレを前提に、興味のある人は「現存・古事記」と「世界史・日本史」、ここは特に江戸時代の「蘭学者の事件」や、「一揆」、「乱」を重ね、今まで書いてきたことを読んで欲しいのだ。とにかく、「現存・古事記」は「漢字」で記録されているのだから如何ともシガタイし、だからこそ・・・いくらでも「私意(思惟・椎・強い・四囲=四国)」的に解釈できるシロモノなのだが。  さて、「国破れて山河あり」の「国家体制」、「国家の存亡」が問題であった。この「国家体制」を「プラトン=ソクラテス」は如何に考えていたのか。  ソクラテス 「支配者たちはその任につくと、兵士達を、我々が先に述べたような住居へ連れて行って住まわせるのであるが、そこには誰にも何一つ私有されるものはなく、それはみなの者に共同の住居であるということ。さらにこのような住居のほか、所有物一般についても、君が憶えているなら、彼らがどのようなものを持つことになるかということを、我々は同意し合ったはずだ」  グラウコン 「憶えていますとも。我々の考えたところによれば、彼らは誰も、今日一般の人々が所有しているようなものを何一つ所有してはならず、いわば戦争の専門競技者であり国の守り手であるから、他の人々から守護の任務に対する報酬として、仕事に必要なだけの糧を一年分受け取り、自分自身と他の国民の面倒をみることに専念しなければならないと、こういうことでした」 ・・・・  ソクラテス 「国制・・・かのクレタ、及びスパルタふうの国制がある。それから第二番目の国制で第二番目に賞賛されているもの、〈寡頭体制(財産評価に基ずく、金持ち体制=金権者制)〉と呼ばれている国制があり、これは実に多くの悪をはらんでいる国制だ。それから、その敵対者であり、それにつづいて生じて来る〈民主制(無政府的、無秩序的平等体制)〉。そして、これらすべての国制にたちまさる高貴な〈僣主独裁制(民主制を基盤に生じて来る)〉、これが第四番目にあって、国家の病として最たるものだ」  ① 優秀者支配制  ② 寡頭体制  ③ 民主制  ④ 僣主独裁制  この「ソクラテスの国家論」の「第一番目の〈優秀者支配制〉=〈名誉支配制〉の国家」の担い手は「幼少児からの(自ら自由で、個人の資質、素質を踏まえ上で、ソレを伸ばさせるような)教育」によった「勇気・気概」と「文芸・音楽の教養と練り合わされた理論的知性」を有した人々であるらしい。この「第一番目の〈優秀者支配制〉」は、また、その意味で「優秀者=君主・王」とも言われている。そして、この「国家」は「理論上」の「理想的な範形」、「模範国家」であるともことわっているのだが、この「理想国家実現」として「自分自身(哲学者)の内にも理想国家を建設しようと望む『善』なる実践的立場」を強調しているのだ・・・『善』とは「非物欲」、「非利己」らしいのだが(?)。  「プラトン」が「ソクラテス」に言わせている「民主制」とは「自らの生産を基盤」にした「社会的平等な富の再配分」と、それを保証する「政治的な権利配分」、「政治的義務」のシステムではなく、既にある「金権者=寡頭体制」の「富」と「権利」の「再配分」の「要求」と、「過度なる自由=利己主義=無秩序」のコトであるらしい。しかも、「金権主義」の立場をとる「口のうまい弁論者」に煽られた「市民の多数決」よる「体制」であるらしい。故に「民主制」を担う「市民」の立場は「金権者=寡頭体制」と同じモノとなる。ここでは、「ソロンの民主主義」は何処にいってしまったのか、「意図的(?)」に欠落させている・・・この「民主制」には敢えてその発生した「歴史性」を、かつ「民主制の義務」を欠落させたモノとして言われているようなのだ・・・とにかく「プラトン=ソクラテス」は「人間のもって生まれた資質」を前提に「善なる倫理、道徳で教育された優秀者」の「政治体制」を望んでいるのだから「民主制」は、お嫌いなのだ・・・平たく云えば「民主制度」とは「政治的指導者」を「全体の市民(人民・国民)」が「多数決で選ぶコトのみ」に眼目があるダケだから選ばれた「指導者」に「善なる政治、すべてを期待」できるワケがないのは自明である・・・。  歴史に於て「高貴な〈僣主独裁制〉」は、確かに「民主制」を基盤に、その崩壊後に生じて来たようにみえる。「士師記」後の「サウエル・ダビデ・ソロモン」、「ギリシャ的民主制」後の「アレクサンダー」、ブルタースが望んだ「民主制」にもかかわらず「アウグツッス」のローマ帝制、「ジャコバン党革命」後の「ナポレオン」、「ワイマール憲法崩壊」後による「ナチス」、「ロシア革命」後の「スターリン」、「農奴解放」後の「毛沢東」等による「独裁」。この「民主制」とは「リーダー」を欠落した混乱時期に発生し、「僣主独裁制」への過度期の「政治システム」と言えるだろう。「民主政治」とは「君主政治」に対比されるが、「政治権力を行使」した「責任=義務」の「所在」を言っているのだから、「責任=義務」が「みんなにある」か「ひとり」にあるかの違いである。「王様独り」に「義務=責任」を負わせれば楽でイイのに決まっているのだ・・・古代航海の「持衰(魏志倭人傳)」や、古代の「王様(金枝篇)」はコレであった・・・混乱期を経て「独裁者」は「聖人・英雄」として登場する。混乱を収拾するからだ。「聖人・英雄」が「僣主独裁者」となってしまうのは、その「権力」を「利己主義」として行使するからだ。  「民主制」が「アルコン(執政官・大統領)」を選ぶだけのシステムなら、「民主制」で選ばれても、その「与えられる権力」は「聖人」、「凡人」、「悪人」であろうが、ともに「同じ権力」である。そして「民主的合法制」とは「多数決の立法」であることに尽きるのだ。「多数決の立法」とは「多数決の立法をも無」にできる「システム」なのだが・・・  近代的な「法思想」であるかどうかは知らないが、「多数決の立法」で変えられないモノは「憲法」であるハズだ。「憲法」とは「変えるコトができないモノ(基本法)」ではないのか・・・「憲法」は「内戦」か「クーデター」によって変えられるか、他国との戦争で「壊滅的な敗戦」による「勝利国の圧力」よっても変えられるのだ。「主権」がドコニあるにせよ。  「営利的個人企業の社長は民主制的運営では利潤(儲け)を得られない」し、「営利的大企業(株)の社長は投資家(株主)の利潤(儲け)を保証することによってのみ、その地位を保証される」のだ。「営利的国家の元首はどの様に選ばれようとも全国民に『営利』を保証すると、『幻想』を与えるかぎり支持される」のだ。  歴史的な「独裁国家」は「〈優秀者(あるいは前衛)支配制〉」でなかった故(?)に「彼らの制度」は破綻した(?)・・・彼らは「〈優秀者支配制〉=〈名誉支配制〉」のように「勇気・気概」、「倫理・道徳」と「文芸・音楽の教養と練り合わされた『理論的知性』」を有してはいなかったのだろうか?・・・有していたハズだが「善」ではなかった。では「悪」であったのか?・・・そうでもなかった。  ・・・「プラトン=ソクラテス」の「理想国家」は「一つの巣に生態し、社会生活をする『蜜蜂』や『蟻』に例えられた『倫理、道徳』の都市国家」であった・・・『女王蜂(蟻)』を中心にする「箇々の『蜜蜂(蟻)』の体型」はその役割分担によっても異なっている。特に「巣」周辺を防衛する「番兵(蜂・蟻)」は体形も「クチバシ」も大きくて鋭い。そして「一巣」に於ける「内乱」に類似する事件も起きるのだ。「一巣」に「女王蜂」が存在するにも拘らず、内部の蜜蜂のある集団は「新しい女王蜂」を「育成」し、「新旧二匹の女王蜂」を対立させ、「巣分かれ=他の場所に植民」するのだ。「人口問題」の解決である。  そして『女王蜂』の交尾時期にのみ「複数の羽の生えた雄蜂」を「育成」し、『ハニームーン(蜜月)』には「複数の雄蜂」と飛び立つが、『女王蜂』と「交尾」出来るのは「一雄蜂」である。「役立たずの雄蜂達」も「交尾出来た雄蜂」も役割はそれで終る。『内乱』の例えはコレであるが、都市国家「アテネ」を守護しているのは「男神」の「ゼウス」や「アポロン」ではなく、「戦争の女神」、『アテネ女神=女王蜂』である。「プラトン=ソクラテス」の「理想国家」はコレを観察することによった「アナロジー」であるはずだ。「国家形態」は「社会主義的」で、「国家の指導者」を育成するには、「プラン=ソクラテス」も「養蜂家=善なる哲学者」によった、特殊な「場所(環境)」での「善なる優秀者」の「育成」である。ここでは「男女平等」を云いながら、にもかかわらず、「女」は「優秀者=男」の「共有財産」であるらしい。決して「男」が「優秀者=女」の「共有財産」ではないのだ。「ゼウス男神の頭から生まれたアテネ女神」は「男(プラトン=ソクラテス)」にとって「頭の痛い存在」でもあった。そして、「国家指導者=優秀者」は「国家防衛」の為、「無償の立場(限定された報酬のみ)」をとらねばならない。「事件」の解決を果たした「指導者」には「名誉」のみが与えられる。いわば、「オリンピック」の「月桂樹の冠」のみがその「報酬」なのだ。現代「オリンピック」はその精神から大きく逸脱した「参加する事に意義がある」どころか、「参加する事」は「儲ける事」であり、その精神は「金権主義=儲主義=物欲主義」で運営されている。  「養蜂の国」、「ギリシャ」の漢字訳は『希蝋=希臘』で、『蜜蝋=蜜臘』の『蝋=臘』であるわけだ。  『内乱』は先に述べたことで「解決」出来たとしても、外敵「スズメ蜂」が襲ってきた場合、「防衛戦争」は避けられない。「蜜蜂」にとって「異質な種族の侵略」にあっては「共存」は不可能である。そして、なによりも「蜜蜂」のエネルギー源を提供してくれている「植物の花の蜜」が採集できなければ「蜜蜂」も敵対する「スズメ蜂」も存在出来ないワケだ。  「一国家」である限り「〈優秀者支配制〉=〈名誉支配制〉」も、「民主制」も、「高貴な〈僣主独裁制〉」も「外敵」が存在する限り「戦争」勃発は常に不可避性を秘めているのだ・・・外からの「圧力」や「侵略」の危機があれば、状況によっては「内乱」を誘発する。「ペルシャ戦争」で、「アテネ」には「ペルシャ」に内通する裏切り者が存在した。「裏切りの原因」は「自己保身(利己主義)」であった。「裏切り」ではなく、「ペルシャ帝国」に「荷担したギリシャ内部に存在した異人種」は「身分(奴隷)的解放の期待」であった。この戦争でどちらにも「荷担」しなかった、あるいは「荷担」した「人種」は「交易商人」であった。直接「生産」に携わらない「交易商人」には「集積地」、「中継地」は必要だが、「税関」が存在する「国境」は不必要なのだ。「諸生産物」を「運送交換」するのが「商人」である。「海洋国家」、「オアシス・キャラバン国家」とは基本的には「交易(商人)国家」だ。「土地国家」と「土地国家」の生産物を仲介交易をすることで成り立っている「国家」である。運送手段は海では「木造船」であり、砂漠では「ラクダ・馬・ロバ」の類である。  本質的に「土地国家」とは「農耕地」に根ざした「生産者=農民」が前提的に存在して成り立っている。「土地(農耕地)が崩壊」すれば「土地国家」は存在しなくなるのだ。「海洋国家」とは「港」と「木造船建造技術者」、「航海技術者」の存在が前提である。「木造船」の材料である「森林が崩壊」すれば「海洋国家」は存在しなくなるのだ。  古代国家の繁栄とは生産物の「余剰」による「都市=消費地」の建設拡大、繁栄であった。「都市」への「消費人口増大」は「農耕地」の「生産人口減少」であり、「土地の荒廃」と「余剰生産物」の「激減」、「商品(生産物)の流通(経済)」と「富」は「商人」に握られ、「土地」を基盤とする「国家体制」の衰退と滅亡にもつながる。この「国家」は新たな「生産地(植民地)」を必要とするだろう。  古代から「エジプト」は「ナイル」の恩恵(洪水)が「農耕地」を肥沃なモノとしてきた。定期的な「ナイル氾濫期」には避難すべき「両岸の台地」が存在した。支配者が替わろうとも、「生産物」は確保出来たのだ。だが現在は「アスワンダム」によって、「土地」は萎えてきているらしい。古代メソポタミアは「ダム(潅漑)管理」によって「土地」を肥沃なものとしてきた。手を抜くと土地は常に「塩害」で萎えるのだ。それ以前に不定期な「大洪水」は「農耕地」と「都市」を流してしまった。その時期、避難すべき「台地」が存在しなかった。彼らには「避難場所」を兼ねた「都市建設」が必要であったハズだ。泥土に埋まった土地や、河川が変わった地形に「再建設」もしたが、「都市移動」が手っとり早かったに違いない。だが、「洪水」や「自然災害」で都市建設の「担い手」である「知識人」や、「職人」、そして「農民人口」が「壊滅的」であれば、それまでである。  「国家間」による「戦争」での「国家の滅亡」は、「他国」を侵略しようとする「支配者の意志(意思)」にあるが、その「意思」は様々である。最大のモノは「共同体(国家)の飢え」が原因であるが、「国家的指導者の利己的な物欲と私意的支配拡張欲」によっても「戦争」は起こる。  「〈優秀者支配制〉=〈名誉支配制〉」であっても「戦争」に負ける可能性は大である。「戦争」の「勝敗」は「倫理・道徳」と異なる「戦争技術」の問題であるからだ。負けた「国家」はどうなるか。昔ならば「根こそぎの滅亡」もあった。現在ならば「独立」を保っても、その「根幹」は敵国進駐軍による「カイライ政権」である。  過去には「制度」に関係なく「自然の猛威」によって「自滅」した「国家」が多数存在した。「アトランティス王国」の類は「戦争」で滅んだ訳ではない。王国が存在する「大地」そのものが「海の泥」に沈没したのだ。そして「国家の滅亡」は「疫病」の流行と蔓延にもある。ヨーロッパに於ける周期的な「ペスト(黒死病・三日コロリ)」や「コレラ(虎列刺)」では中世には「2000万人」からの人々が死亡したと言われているのだ。現在、「国民の半数以上」が「エイズ」にかかっているアフリカの「国家」が存在する。  時代的限界として「プラトン=ソクラテス」の「国家」に欠けていたモノは『汝、隣人を殺すなかれ』と云う思想の「国際化」であった。コレは何も「宗教規範」ではない。『汝、他国の人々に対しても、殺すなかれ』である。  だが「戦争」も「内戦」も、「国家」が乱立して存在する限り「国家内諸階級」と「国家支配者間」の「利害関係」から必然的に起こるのだ。極論すれば「国家の意志」は戦争遂行、内戦(叛乱)抑制(鎮圧)するために存在する。「侵略・被侵略」があったとしても「自国内の特殊権益」を防る為に「戦争」をするのだ。もちろん、その「特殊権益の恩恵に属する者」は国家内の支配階級である。「国家」としての『善』なるモノは、「形而上学」的な「階級幻想」である。「〈名誉支配制〉」とは「運命共同体」の「幻想」にこそふさわしい。何よりも「名誉」とは「物質的な褒賞」を持たない「観念的」なモノであるからだ。  「プラトン=ソクラテス」の「国家の善」とは、『トラシュマコス』にとっては「理解困難」であり、「人情家」の「フウテンの寅さん」にとっては、とっても「理解曖昧なモノ」に違いない。  「動物」にも「疎外感」を持って「自殺」するモノもいるが、「観念的なモノ」で唯一「死を選択」出来るのは人間である。  「トロイ戦争」であれ、「ペルシャ戦争」であれ、原因は「ヘレネ」ではないことは明かであるが、「ヘレネ」は「ギリシャ支配階級」の特殊利害であると同時に、「普遍的利害」とする「共同体幻想」の「象徴」でもあった。  「国家」の存立条件は「優秀者支配制」であれ、「民主制」であれ、「僣主独裁制」であれ、「分業」による「食物の『余剰』生産物」があるかどうかに尽きるのだ。そして、これらの「諸体制」は、この「『余剰』生産物」の「諸階級」への「再配分」の「仕方」の違いでしかない。「善の問題」は単なる「国家体制」の問題で、「国家の存立」問題ではないのだ。  『大塩平八郎』は「飢えの時代の人」で、「義憤の人」であった。  『本田利明』は「飢えの時代を観た人」で、「先をよんだ人」であったが「実践」の人ではなかった。  『高野長英』は「自己本意」で、「楽天家」で、「蘭学馬鹿」で、「時代の先端を走った科学者(理論家)」であった。  『高橋景保』は「天文馬鹿」で、「地図作成」に「命を賭けた人物」であったが不用意であった。  『間宮林蔵』は「冒険と探検の人」で「幕政」に忠実な御家人であった。  『渡辺崋山』は「田原藩の重職」にあり、立場上「藩の財政、政治改革」を実践し、「世界情勢を分析」し、「鎖国政策」の「不利」から「幕府の海防を考えた人」であった。  彼らはいずれにしても「幕藩体制」の忠実なる「御家人」であろうとした人々なのだ。  『高野長英』も『渡辺崋山』も取り合えずは「蛮社の獄」で責められたが、『高野長英』は「牢獄に火付けし、逃亡」、『渡辺崋山』は「閉門蟄居」で「一命」は何とかなったのである。その後、「幕府政治」に対する「批判」らしきものはまったく避けたのである。  「佐藤昌介」氏の研究に私見をはさめば、『高野長英』が「夢物語」で「政治上の問題を道徳上のソレにすりかえた」とし、逃亡中の「彼の記述からも『渡辺崋山』の政治的立場はうかがえない」とするのは、「幕府」が彼の「理論」を受け入れてくれるに違いないと考えたからである。そして身の安全の保証がいつかはアル、と「楽天的」に考えたからであった。『高野長英』も『渡辺崋山』も「心外なイチャモン」をつけられたモンダと「身の潔白」を訴えているではないか。しかも、『渡辺崋山』の書簡をみれば「愚痴」ぽい。『高野長英』は「自信家」で、「科学的理論家」であると同時に、彼自身の「身の安全」を考えれば「極力不用意な言葉を避けよう」とする「理論展開」をするのが当り前ではないのか。『高野長英』の「夢物語」は少なくても彼周辺の人々に閲覧されるモノとして書いたのだ。「シーボルト事件」を踏まえている彼が「言葉を選ぶ」のは当然である。「鎖国批判」は命とりであるの百も承知であるハズだ。『渡辺崋山』もその意味で「真機論」は公にはしなかったし、決して見える部分では「御政道批判」はしなかったのである。それに、『尚歯会』の構成会員が如何なるモノであれ、時代は「蛮社の獄」の風評的な象徴として『尚歯会』は存在したのだ。  「佐藤昌介」氏の「経世家崋山と科学者長英(日本の名著・中央公論社昭和48年十一月発行)」に記されている「蛮社の獄の真相」の見解、『渡辺崋山』と、その周辺の人々が関わった事件の真相研究は全く、その通りであると私も思う・・・だが、『高野長英』に関する「経世思想の立場」を『渡辺崋山』と比較して云うときは「科学者」であることを持ち上げても、チョットきつすぎる。「道徳・倫理」の問題は「政治」の根幹ではないのか。『渡辺崋山』は「物理学・実学の啓蒙者」で、「実践者」であったが周囲に迷惑がカカルことを気にし、「武士階級の名誉」としての「死」を選んだのだ。ここでは、「彼の思想的な立場(反鎖国・反儒教的幕政批判)」で「自殺」したわけではない。だが、「悪法もまた法」として毒杯(牛の血?)を仰いだ「ソクラテス」に似ていないこともない・・・逃げたのだ、「善なるイデア」に。『高野長英』は「医者・兵方者・翻訳者」として「自己存在」の必要性を周りの迷惑なんのその「生」として選んのだ。「伍長」からは遥かに「国家意志」を動かす存在としての「参謀」に成長していたのではないか。  『渡辺崋山』は「退役願書之稿」に青年時代の自分を「小鳥(隹=旧鳥・短尾鳥=耽美帳・尾端調・美談鯛)」に比し、詩を書いている。私はこれを「現存・古事記」に重ねて、勝手に「他意、役(重記)、元書、埜(キキ=記紀、重、位置)頁」と読みたいのだ。  嗤ふなかれ、鷦鷯の鵬雲を試むるを  決起して楡を搶き、初めて分を見る  遊子もとより知る、風木の歎き  花朝夕月、何ぞ君を忘れん  「嗤ふなかれ」・・ワラウナカレ=話・(拉)胡名化例・口山中ム  「鷦鷯」・・・・・・・セキリョウ =世紀齢 ・焦鳥、僚鳥  「鵬雲」・・・・・・・ホウウン =方運 ・月月鳥、雨二ム  「試むる」・・・・・ココロムル =箇々賂務留 ・言式  「決起」・・・・・・・ケッキ =懸月 ・水夬、走己  「楡」・・・・・・・・・ニレ =似例 ・木喩  「搶」・・・・・・・・・ツク =柘句 ・手倉  「初」・・・・・・・・・ハジメ =葉字目(女=音名)・衣刀  「分」・・・・・・・・・ブン =文(聞) ・八刀  「見」・・・・・・・・・ミル =診留 ・目儿  「遊子」・・・・・・・ユウシ =喩胡詞 ・辷方・子  「もとより知」・・・モトヨリシル=模図輿理史留 ・矢口  「風木」・・・・・・・フウボク =附得模句 ・几ノ中ム、十八  「歎」・・・・・・・・ナゲク =名解句 ・艸口口二人欠  「花朝」・・・・・・・カチョウ =化帳 ・艸イヒ十日十月  「夕月」・・・・・・・ユウゲツ =結胡解柘  「何ぞ」・・・・・・・ナンゾ =名武(務・夢・六)蘇(甦・楚・姐・鼠・素)  「君」・・・・・・・・クン =訓(勲・薫・釧・汲・酌・組)=軍・群・郡  「忘」・・・・・・・・ワスレル =話素礼(阿礼)留 ・亡(亠乙)心  また、「画道」と「治道」を比べて、「士農工商」の「四分」に於て「士」は「農工商」の「三民」を「治め」、「治安」に「心を用いなければならない、といっている。『渡辺崋山』は「士」であるのだ。私にはこれが次の様に聞こえるのだ。スナワチ、「画道」と「字道」を比べて、「詞(史)、能生、口承(考証)」の「詞分(史文・詩文)」に於て「詞」は「廼(埜)宇高証」の「纂診務」を「修め(長女)」、「字案」に「心を用いなければならない」、と。  そして、さらに「水を引く者は源を濁さず」と云って「殿様」を諌めているのだ。ここのところは「ソクラテス」の「優秀者制」の「政治者」の「善」なる立場である。同時に「万物の根源は水」と云ったのは「ギリシャ七賢人の一」の「タレス」さんでありましたカナ・・・  「鴃舌少記」には「オランダ人商館長」の「ニーマン」を紹介し、その博学(一般地理)を賞賛している。そして、彼が江戸の「防火設備」を批判し、「放水器」を開陳していることを記している。  「鴃舌或問・序」には「西洋諸国の住民は、聖人の道に反する偽りの教えを信じ、その風俗は金権主義に徹し、貪欲で野卑である」といい、にもかかわらず、「西洋の風俗」を知るには「異変が生じたときには役にたつ」とし、この記録には自分の憶測もあり、「三伝して虎を信ずる」式の誤りもあるかも知れないが、「君子は知らざれば、すなわち止む。これを知れば、すなわち物に滞らず」からである、と云っている。「問答形式」の本文には「日本人」と「トルコ人」の性質が似ていると記録している。そして「医学」、「科学一般」に関する西洋事情を記録し、最後にイギリス人「モリソン」のことを記している。  「真械論」では「モリソン」の風評と「西洋諸国の情勢分析」を踏まえた「鎖国日本」の「海防危機」を記録している。 「西洋事情書」、「外国事情書」は西洋諸国の歴史的分析と、現実的な事件を踏まえた現状分析を記録している。そして、「国家体制」を「専制君主国」、「立憲君主国」、「共和国」として紹介している。そして、問題意識は「イギリス」と「ロシア」が将来的に関わって来るだろう「日本」に対する動向であった。  「獄中書簡」に関して「鈴木春山」に宛てたモノに「事件の発端・原因」を的確に「鳥居耀蔵」の「姦策」である、と推理している。確かに「花井虎一」を利用した「鳥居耀蔵」の「姦策」であった。老中「水野忠邦」が失脚したのも「鳥居耀蔵」の「裏切り」によってであった。  詰まるところ、「佐藤昌介」氏の「経世家崋山と科学者長英(日本の名著・中央公論社昭和48年十一月発行)」に記されている「蛮社の獄の真相」の見解、「鳥居耀蔵」は『渡辺崋山(登)』に師事したライバル、「伊豆国韮山・代官」であった「江川太郎左衛門英竜」の「失脚」を標的にしていたらしいのだ。それも「嫉妬」と「私怨」にあったらしい・・・のだが、「官僚」の「国家行政」、「軍人」の「国防」に対する「問題意識」が「私怨」であるとは・・・もし、知ることが出来るなら「鳥居耀蔵」の「海防」、「国防」に対する「思想的立場」を知りたいものだ・・・  蘭学者弾圧=蛮社の獄→・・デッチあげ・・・・                ↓  老中執頭      北町奉行 目付け 配下  水野忠邦          ↑                ↑              ・・大草(安房守)高好                ↑              ・・鳥居耀蔵                ↑              ・・小笠原貢蔵                ↑               ・・                ↑               ・ 密告 ・                小人頭   小人納戸口番               柳田勝太郎 花井虎一                ↑    ↑               ・・・・・密告・・・・・  「鳥居耀蔵」の父親は儒学者「林述斎」の「次男」であった。「鳥居耀蔵」は「鳥居家」の養子に入った人物であったのだが。「林家」は過去に「新井白石(筑後守)」とも対立していた。「新井白石」を支えた時の老中格は「間部詮房(越前守)」であった。  とにかく、「鳥居耀蔵」の「姦策」によって老中「水野忠邦(越前守)」に告発された『渡辺崋山(登)』は「渥美半島」に領地を有する「田原藩・三宅・土佐守」の「家来」であった。  「崋山口書」で、「餓虎渇狼(ガコカツロウ)」、「井蛙小鷯(セイアショウリョウ)」、「盲瞽相象(モウコソウゾウ)」の言葉を使用しているのだが、「現存・古事記」と重ねるならば、漢字転換は、  餓虎渇狼(ガコカツロウ  =賀枯活路胡・・・過去掛柘賂得)  (うえるトラ、かわくオホカミ=胡得る図羅、掛話句、将緒神)    ↓  ↓  得重留虎 科話句緒補掛見  井蛙小鷯(セイアコリョウ=施意蛙古漁・・・姓阿顧慮有・施彙古侶有)        (セイアショウリョウ=歳蛙渉猟・・世意蛙商量)        (イのカエル、チイサナミ ソサザイ=意、変える、知差名診蘇作座位)         ↓ ↓   ↓    ↓         医 科重留 地位差並 組作材  鷯(よしきり)=輿仕切り・世仕切り・代史紀理  鷯(よしわらすずめ)=与施話羅州図目・預史話羅素図女  盲瞽相象(モウコソウゾウ=模胡拠創造・・・母胡古想像・蒙古創造)  (メクラ、メシイ、アイ、ゾウ=女貢羅、女史意、愛、憎)  ↓   ↓   ↓   ↓  女狗羅 女思惟 娃遺 贈   と、なろうか・・・  佐藤昌介氏による現代語訳の「日本の名著・渡辺崋山、高野長英(中央公論社発行)」の『渡辺崋山』の「幽居中の書簡」に於ける「松崎慊堂」に宛たモノ(天保十一年三月四日)に、  ・・・今後は洋説はもちろんのこと、政治向きのことは、いっさい口にいたさぬことを誓います。吉田兼好の言を引用してお諭し下さいましたように、なんとしてもこのまま挫折して朽ち果てようとは思いません。たしかにお言葉のとおり、洋学は『新井白石のいう「形而下」の学』にすぎません。これからは第一級の形而上学に心がけるつもりです。そうすれば「高木」に移り住むごとく、おのずから深淵な思想を身につけることができるでありましょう。・・・  とある。ここの『新井白石のいう「形而下」の学』に対する注釈も、佐藤昌介氏が記しているので抜粋すると、  ・・・新井白石の『西洋紀聞』に潜入の宣教師シドッチについて「凡そ其人博聞強記にして、彼方多学の人と聞えて、天文地理の事に至ては、企て及ぶべしとも覚えず。(割注略)其教法を説くに至ては一言の道にちかき所もあらず、知愚たちまち地を易へて、二人の言を聞くに似たり。ここに知りぬ、彼方の学のごときは、其形と器とに精しき事を、所謂形而下なるもののみを知りて、形而上なるものは、いまだあづかり聞かず」・・・  と、ある。『渡辺崋山』は先輩『新井白石』を充分に自分の知識の中に読み込んでいたのだ。さらに「現存・古事記」の『作者』は当然にも彼ら、『渡辺崋山』と『新井白石』の記録の「漢字」を充分に駆使しているハズだが・・・ここで、「形而上」、「形而下」の「而(ジ・ニ)」を検討してみたい。  而=ジ・ニ   =順接の意の接続詞=て・して・にて・にして・しかうして(しこうして)                  ・しかして・そして   =逆接の意の接続詞=しかも・しかれども・けれど・しかるに   =累加または並列の意の接続詞=および・と   =語勢を強める助字=なんじ・すなはち(すなわち)・そこで   =仮定、既定の助字=ば   =句末に添えて限定の意の助字=のみ   =ごとし・もって・よく・ひげ   =解字・・・口の上の髭。顎髭。頬髭   =而已(のみ)   =而已矣(のみ)   =而已乎(のみならんや)=それだけであろうか、否。   =而下(ジカ)=以下   =而後(ジゴ)=以後、今後。これから。   =而今而後(ジコンジゴ)=これから   =而立(ジリツ)=三十歳  「形而上」とは「言葉」であり、「観念」であり、「思想」であり、「ロゴス」であるのだが、

漢和辞典には、  形而上=形のないもの。抽象的なもの。「精神」、「道」等。有象の「奥」に      ある窮極のもの。原理として想定したもの。      =形而上者、謂之道、形而下者、謂之器(易、繁辞上)  形而下=形のあるもの。物質。  とある。「形而上=ケイジ・ジョウ」の同音異字は  啓二・慶事・掲示・刑事・兄事・計時・圭二・慶治・敬治・奎事  で、「形字上」である。そして、「ケイ」のすべての異字漢字の「ジ」である。「経字」、「景事・景児」で、  傾城・ケイセイ・ケイジョウ  掛算・ケイサン・かけざん  恵慧・エケイ  鶏林・ケイリン  計量・ケイリョウ  会稽山・カイケイサン  継体天皇・ケイタイテンノウ  閨閥・ケイバツ  天恵・テンケイ  軽皇子・かるおうじ  繋茂・はんも  陰茎・インケイ  月桂樹・ゲッケイジュ  硅石・ケイセキ  系図・ケイズ  荊冠・ケイカン  京都・ケイト・キョウト  刎頚之交・フンケイ  蛍雪(螢)・ケイセツ  蛍光・ケイコウ・ほたるび  鮭鱒・ケイソン・さけます  畦田・ケイデン・あぜた  類型・ルイケイ  係累・ケイルイ  警告・ケイコク  渓谷・ケイコク  休憩・キュウケイ  参詣・サンモウ  罫線・ケイセン  公卿・くぎょう  国境・コッキョウ・くにさかえ  草馨・ソウケイ・くさか  食頃・ショクケイ・たべごろ  半径・ハンケイ  剄髄・ケイズイ  月徑・ゲッケイ  契約・ケイヤク  等の熟語と、「単字の日本語での訓読み」とその「漢字変換」、これらの「漢字」が使用されている「歴史的人物、場所、事象、時代」の意味掛である。  「形而下」とは「ケイジゲ」とは「形字の解」であり、「景の時の下」で、『高橋景保』の「時価(自家・磁化・示科・時禍)」。『渡辺崋山』の「字禍=時禍」であり、「字化=事化」である。そして、「古事記」の「蒔(巻)掛」である。 気が付いたであろうか・・・私がいままで「崋(カ・ゲ)=五嶽の一。陜西省華陰懸の南、秦嶺山脈中にある高峯山」と「華(カ・ケ・ゲ・はな・はなやか・いろ・つや・ひかり・かがやき・かざり・もよう・しろい・さかん)」の「類字」を適当に『渡辺崋山』に混用してきたのを・・・漢和辞典には「漢字」を区別していながら「崋山=華山」としている。「鳥居耀蔵」は彼の訴状に「渡邊花山」と記しているのだ・・・コレ、「哲学」すべし、である。

    プラトンおじさん達が、コジキを語れば(2)・(37)  「ピュタゴラス(BC582~493)」  「ピュタゴラス」は「ヘラクレイトス」に「ぺてん師の祖先」と云われ、「オルフェウス教」に影響された人物らしいのだが、その「存在」は定かではないらしい。とにかく、「幾何学の『鼻祖』」である。  スナワチ、「言存・古事記」は「比喩、多語の羅の祖(素)」であり、「机下・貴家・貴下・奇禍・戯畫・欺画・飢餓・起臥」学であり、すべての「キ化学」、「気化・帰化・記化・鬼化・基化・祁化・紀化・希化・姫化・木化・期化・岐化・揆化・輝化・穐化・嬉化・己化」学の「元祖」で、  タゴ(多語)のウラニ(裏似・得羅似)、うち(胡地)いで(意出)てみれば、フジ(普字)のタカネニ(高値爾・多掛音似)、ユキ(喩記)はフリ(不離)ツツ(図柘)・山部赤人(纂分蛙可否登・三分蛙掛比渡)・・・蛙=かえる=変  なのである。「柿本人麻呂」と「山部赤人」の二人を「大伴家持」は「山柿(サンシ)」と云ったらしい・・・「大判、掛字の纂史」で、「将補、萬、掛字の蚕(懐古・回顧・解雇)の糸(イト・異図・意図・伊都・緯度・井戸・医徒)」である。  「オルフェウス」の名前は「オルフィク」、「ザグレス」とも呼ばれ、殺された後に甦生して「ディォニューソス」となり、よく知られている名前は『酒の神・バッカス』だ。  スナワチ、「殺された(虎露作例多)モノが生き返る(行き交える・甦生・蘇生・組成)ハナシ」のギリシャ的神話の「原点」である。  他の別名に「プロミオス」、「イアッコス」、「リュアイオス」、「エウイオス」、「イユンギエース」、「エレレウス」、「レーナイオス」、「テュオーネウス」等の名前の持ち主でもあった。  「ディォニューソス(バッカス)神」は本質的には「植物の精霊・植物の種子」であると考えられているらしいのだが、「サケ(酒)の元首(原種・厳守・原酒)」だから、「『青藍色』のブドウのタネの神さま」である・・・『藍』は「ラン」ともヨム・・・ブドウは、武道、無道・『夢憧』・牟童(本牟智和氣)・六道(地獄)・矛道(大國主)・鵡同(パロット・九官鳥)・分道・歩道・舞道・侮怒有・悔怒得・・・多音(たね)を観(ミ)よ、だ。  「神話の神(バッカス)」は地方によって由来も名前も混乱していると考えられそうだが、自然の流れに添って「十二月」には「①葡萄酒祭」、「一月」の「②レーナイア(常春籐=きずた・竹に似た蔓)祭」、「二月」に行われた「③花祭」、「④樽開きの祭」、「⑤枡祭」、「⑥壷の祭」があり、「三月」には「都のディォニューシア祭」で、場所と時期によって「神(葡萄の種)」は「変名(栽培・育成・収穫・醸造・発酵・試飲・醸成・蒸留)」する理由があったのだ・・・これを「シーボルト事件」に重ねて診るならば、  ① 武道主(ブドウシュ・蕪は同種・不同は諏・不動を守・悔(くや)む同志        の諭・侮(あなど)る同志を喩(さとす)・婦の道を試て喩)  ② 女有、主夢図、得(ジョウシュントウ・譲は瞬読・譲は瞬答)  ③ 把名(ハナ・華・鼻・塙・葉の名・歯の名・頗の名)  ④ 損壊(ソンカイ・村の会・邑を改・尊の解・孫は『甲斐』  で、「古事記」では「日子坐王」の子どもは「佐本毘古王」と「佐本毘賣」は「日下部連、『甲斐國造の祖』」であった。なるほど、「甲斐の國」は「山梨」で「葡萄」の産地である。「足る開き」とは「開化天皇」だ。  ⑤ 磨素(マス・升・枡・桝・舛・益・鱒・増す・摩の州・魔の巣・磨の諏)  ⑥ 柘模(ツボ・壷・壺・坪・拓模)」の「磨柘理・摩都里(まつり)  栽培・育成・収穫・醸造・発酵・試飲・醸成・蒸留  ↓↓ ↓↓  ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓  ↓↓ ↓↓  才培・育勢・終獲・譲造・発行・死因・状勢・譲留(流)・・・譲は高野長英  の漢字変換である・・・「植物採取」に興味ある人間は「本草学者」と言われ、「薬草学者」、「薬師」で、「医者(醫者)」でもある・・・『シーボルト』も「本草学者」であり、「植物の採取者(コレクター)」で、『日本植物誌』の著者であった。日本人の妻は『楠本タキ』で、彼の娘の名は『イネ』だ。  「シーボルト」・・・彼の「真の目的」は極論すれば、彼が結果、どのように評価されようとも、「鎖国」で西洋知識を渇望をしていた日本のインテリ青年を「蘭学者養成」を建前に、「無自覚な秘密結社員」の「育成(心理学的な洗脳)」と、彼らを「テコ(傘下)」にした・・・未知の国、「鎖国日本」の偵察、「スパイ活動」であった。だが、「渡邊華山」の「立場」は自覚的な「開国国防論」であった。また、変節の結果どうであれ、「高野長英」、「小関三英」の「立場」は、唯、単に「学問」を追求したかった「科学者」であった。純な「科学者」は無節操に「利用」されやすいのだ。「高橋景保」と「間宮林蔵」は「国境(国教)を越えた世界」と現実的に接点を持った人物であった。『高橋景保』が『グロビウス』の名前を有するのは・・・「隠れキリシタン」となったからではないのか・・・『間宮林蔵』は現実的に「清国」に渡航した人物で、かの国の「情勢・情報」を「生」で知った人物であった。  「常春籐(きずた)」の「常」は「常識・常盤・常葉・常緑・常陸・常滑・常夏・尋常・常套」等々の熟語があるが、「常(つね・ジョウ)」は「長さの単位」、「日月、黄龍の旗」で、漢和字典の「解字」には「布」が「意符」で、『尚』が「音符」とある。・・・『尚歯会』である。  「ディォニューソス+陪神サテュロス(ロバ耳のパーン)」、その「複数の名前」は「大国主+長耳の白ウサギ」が別名を複数有するのと同じである。「王様の耳はロバの耳」である。「ロバ(驢馬)」は「ウサギ馬」とも。  しかも「植物の種子」なら「現存・古事記(崇神紀)」では、「美努村(味度樽)=巳土=三輪山」、「陶村(萄樽)」の「意富多多泥古(多田・太田種子)」なる人物の暗示だ。「ディォニューソス」のタタリによって「蔓延」した「疫病」、「女達の気触れ」を鎮め、「プロイトス王国」の領土の「三分(山分)の一」、さらに加えて兄の分として「三分(纂文)の一」をその「報酬(幸卩又酉州)」として手にいれた「メランプース(医者・覡)」である。デ(出)、あるとするならば、「大物主」のタタリで、「疫病」で悩んでいた「崇神天皇」は「プロイトス王」である・・・「フロイド(Freud・オウストリア(澳斯多利・墺地利・墺太利・墺土利)人・1856年5月6日~1939年9月23日)」と言う「精神分析学者」が存在したのだが。「夢判断」なる『揣摩(シマ)』の術者であった。日本年号では江戸時代の「安政三年~昭和十四年」まで生存していた人物である・・・まさか、この期間に「現存・古事記」は記録された?・・・だが、1867年(慶応三年)までは「江戸時代」なのだ。しかも西欧米に派遣された「留学生」は「結構毛だらけ、猫、蝿だらけ、ケツのまわりがクソだらけ」の「寅さん」の「口上」、すなわち、「揣摩の術」を学んで、「クチのまわりがヤシだら毛」の「渥美半島ゆかり(床理=常理・由佳理・由香理・喩家理・油化理・縁所)」の「人間」でも・・・アッタ?  事件である。酒職人の「イーカリオス」が「蒸留酒」のキツイ酒を振舞ったことから、酔った人々は「毒」を飲まされたと勘違いし、彼を殺害してしまったのだ。彼の娘「エーリゴネー」は行方不明になった父を忠犬「マイラー」とサガしまわり、葡萄の蔓が絡みつく樹の下に埋められているのを発見し、絶望のあまり、彼女はその樹に縊れて自殺、「犬のマイラー」も彼女の死を悲しんで餓死したのだ。これが、乙女座(ヴィルゴ)の「スピカ」と、大犬座(カニス)の「シリウス」である。この事態に怒った「神」こそが、「エーリゴネー」を愛し、「醸造、蒸留、葡萄酒(ワイン・ブランデー)」の製法を彼女の父「イィカリオス(意、怒り推す・委、伊香莉緒の酢・夷、医科の理、将守・伊井を狩る雄)」に伝授した「カモス(発酵・醸・科を模す・火を燃す・比べて模し、諏)」、スナワチ、「鴨守、加茂諏(祇園・義恩・擬音)」の「ディォニューソス(バッカス・罰禍素・発酵素)」であった・・・「赤玉ワイン」の創設者は現在の洋酒メイカー、「サントリー(寿屋)」の後先祖さんは、「佐治さん?」。「ニッカ・ウィスキー」は北海道、蝦夷、「小樽・余市」の「スコッチ」メーカーである・・・マッサカっネッ・・・でも「小樽・余市のニッカ(日下)」だが・・・洋酒メイカーの確執か・・・ハテナ(?)だが、乙女座(ヴィルゴ)の「スピカ」と、大犬座(カニス)のハナシは「邪馬台国」の「卑弥呼・壱与」と、「狗奴国」の「卑弥弓呼」に懸けられてはイナイカ。だとすると、彼らの「対立」はなかったことになるし、「乙女の壱与」に忠実なのは「狗奴国」である。そして、「大犬座(カニス)」は「可児州=鹿児島」であったハズだ。「陳寿」や「魚豢」は一体、全体、何者であったのか・・・仮名理、ギリシャ神話の知識を有していた人物か、それとも時代は「国際都市」であった「唐の洛陽」であったから・・・「ギリシャ人」そのものカモ・・・  「ディォニューソス(バッカス)」は「ゼウス」と「ペルセポネー(セメレー)女神」との子供で、その姿は「大蛇」であった。  「セメレー女神」はロシア(於露斯亜・Ρωσια)語の「大地」を意味する「セメレー(Zemlya)」と同じらしい。  ギリシャ語では「ギ(Γη)」である。第3文字の「Γ・γ(ガマ)」は、逆さまの英語のアルファベットの第12文字の「L(える)」で、ローマ数字の「50」である。日本語では「ガマ」は「かえる(蛙)」か、「蒲」か「鎌」、「釜」と「窯」である。字形は「鎌」に似ている。とにかく、「変える」だ。「L字形菅(得る字、景観)」で、家の「雨樋(あまとい)」で「翼・袖」とも。「菅(カン・くだ)」は「よこしま」とも訓じるのだ。「γ(ガマ)」は第16文字の「π(パイ・ピ)」、第20文字の「Υ(イプシロンの大文字)」、ロシア語の第4文字の「г」、英語の第18文字の「r」に似ている。形は「釣り針・碇・錨」である。ギリシャ語「η・Η(イタ・意多・おおいた=大分)」は「七番目のアルファヴィト」で、英語の「八番目」の「h・H(エイッチ=絵一致)」だ。「hard(鉛筆=延筆・円疋・援畢)」の「カタサ(硬度・高度・光度)」で、「水素」の原子記号である。  ちなみに、「軟度」は「B」である。「HB」は「適度」である。舶来の「鉛筆」を最初に使用した日本の人物は「徳川家康」であった(?)。  第 3文字の「Γ・γ(ガマ)」 ギリシャ語    ↓    賀摩・蝦蟇・蛙 希臘語    參=纂は「晋・三のムの一の人は歯華」 記漏胡  第12文字の「L(える)」・ローマ数字の「50」 英 語   ↓↓    重留  ふさご  壱拾弐=位置を拾う似  房 瑚  第16文字の「π(パイ・ピ)」 ギリシャ語   ↓↓     葉意 比・毘   壱拾六=位置を拾う陸奥  第20文字の「Υ(イプシロンの大文字)」 ギリシャ語   ↓↓     意普私論・意付試論の他意文字   弐拾=似を拾う    念  第 4文字の「г」 ロシア語    ↓    於魯西亜語    肆=長い聿(津) 魚日=真名比   第18文字の「r」 英語    ↓↓  あぁる・阿蛙留・在・有・或    壱拾八=位置を拾う頗地(捌)   第 7文字の「η・Η(イタ・意多・おおいた=大分)」 ギリシャ語     ↓       意他     漆=水の木の水=瑞(皐)の記の水  第 8番目の「h・H(エイッチ=絵一致)」 英語    ↓         重一致・恵医柘知    捌=手の別=種別・・諏別・主別・酒部柘(柘植・拓殖)  「酒=水+酉」の「酉(ユウ・イウ・ユ)」は「酒樽・酒壷」の意味で、類字の「酋(おさ・シュウ・シウ・ジュ)」は「熟酒・終了・優秀・酋長・蒐集」の意味がある。「蒐集(シュウシュウ)」は「収集」と同じ意味だが「草加(日下)の鬼」である。「鬼」の付く漢字は「塊・隗・魁・傀・嵬・醜・餽・槐・魄・魃・魏・魍・魎・魑・魅・魘」で、「魑魅魍魎(チミモウリョウ)」とは、「地診蒙領=蒙古」か「知診模胡領=胡狄(虎荻)」、「字診モウ漁=字典」、「地味母雨量」で、「葡萄酒」を呑みすぎた時の気分(奇聞・記聞)であろう。  「バッカス」の出生譚だが、カマド(竈)のカミサン、「ヘラ(Ηρα)」は夫「ゼウス」の浮気相手を誰であろうとも憎むべきモノとした「嫉妬の女神」で、「復讐(復習・付句集)の女神(序審・音名の加診)」でもあった。「白髪の老婆」に化けた「ヘラ」は妊娠した「セメレー」に通う男が本物の「ゼウス」かどうかを確かめるよう忠告し、その「神の姿を視るよう」に唆(そそのか)すのだ。罠にはまった「セメレー」は「ゼウスの実体(雷電)」を視て焼け死んでしまうが、妊娠した神の子(胎児・他意の字)は死なず、「ゼウスの『腿(もも)』」に縫い込まれ、「月日を経」て無事にこの世に生まれ出たのだ。そして「トラキア(ニューサ)」の「ニンフ」に預けられて成人したのだ。  この未熟の「胎児(他意字・太地・退治)」が「ゼウスの『腿(もも)』に縫い込まれた」と云うところを注目してもらいたい。「古事記」も「日本書紀」にも「足」の「名」の付けられた天皇が存在することを。「胎」の付く天皇は「応神(胎中)天皇」であった。ならば、「モモから産まれた」のは「鬼退治の桃太郎」で、「記の替字、モモ」、「桃=木兆」、「記帳は他意漏」である。そして、「登美の那賀須泥毘古(長髄彦)」の「スネ」は「腿」である。しかも「古事記・序文」では「帯」を「たらし(多羅斯)」とヨメ、と云っているのだ。  「多羅」の「斯《シ=其〈そ・それ・その・キ・ギ・ざる、みの=箕・指示代名詞・助字〉+斤〈おの・まさかり・きる・キン・コン・めかた・十六両・一六〇匁・のり〉=飢饉》)」だ。熟語に「温其如玉(オンとしてソレ、タマのゴトシ)」があり、「其諸(それこれ)」は「疑いの辞で、おそらく、多分の意味」である。  「タラシ」とは、  垂・又=手・足・髄・脚・脛・臑・腱・亦・股・俣・奎  と連鎖していくコトバだ。「ディォニューソス」は「ゼウス」に侍る「大蛇」の姿をしていたが、「俣」は「国字(倭字・和字・新字)」で、「八俣の大蛇」と敢えて使用されているのだ。「楠字(楠本タキの女児、イネ)」をシンジても、「男事」をシンジちゃぁイケナイのだ。とにかく、「俣」の地名は九州の「水俣」である。モチロン、「垂」は「垂仁天皇」に使用されている漢字である。「アキレス(腱)」の「トロイ攻略」の大将は「アガメムノン(崇めむ之、夢)」、「奎宿(アンドロメダ座のβ星のミラク《M31大星雲とM33星雲の真中に存在・古代アラビアでは魚の腹・とかきぼし・桝形星》・奎文」・・・「ケイのフミ=景(教)の富美(登美・図診)=高橋景保)」とは文章による「吉祥運」であったのだが・・・「景保」は獄死で、塩漬けの極刑で、「赤族」であった。  「高橋景保(子昌・蛮蕪・観巣・作助・グロビウス=Globius)」の著作は「日本辺界略図」、「日本輿地全図」、「新訂万国全図」、「北夷考証」、「蕃賊排擯訳説」、「満文輯韻」、「満文散語解」、「増訂満文輯韻」等で・・・事件の原因は「クルーゼンシュテルン」の「世界周航記」の翻訳、「奉使日本紀行」で、「青地林宗」との共著とも云うべきモノであった。「グロビウス=Globius」とは「隠れキリシタン」の「洗礼名」・・・?・・・「高橋家」の「氏文」とは祖先の「磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)」が「景行天皇」の東国巡幸の途中で「白蛤(しろはまぐり)を膾(なます)」にして奉って「膳臣(かしわでのおみ)」となったことの由緒が記されていた・・・要は、これを根拠にライバル「安曇(あづみ・アンドン=行灯・行燈)=渥美(渡邊華山)」氏との席次争いで、その主席を得た、と言うことが記されていたらしいのだが・・・怪しいモンだが、「暗闇を照らす行灯、行燈」で、「アンドン」は「唐音」である。「呉音」、「漢音」、「宋音」で、「騒音」だが、「ギョウトウ」であるならば、  「行灯(ギョウトウ・仰東、火+丁=日長=比長=高野長英)」  「行燈(ギョウトウ・凝読、火+登=日登=比登=渡邊華山))」  で、「コウトウ」ならば、「高等・高踏・高騰・口頭・江東」の示唆だろう。「白、蛤膾(ハク、コウカイ=噴く、降灰・伯、後悔・迫、航海・履、更改・葉句、皐解=サツキの解)」、「蛤(中+ム+合)」は「カジカ」で、「カエルの一種」であり、「柏手(かしわで)」とは「手を併せ、音を鳴らす儀式」である。「高橋家」の祖先が「磐鹿六雁命(挽歌録元名・晩夏録巌名・『萬』掛夢柘眼目異(医)・『蛮禍』、陸奥の岩の名)」である。「安萬侶」、「蛮=亦中ム」。しかも、「柏・栢・かしわ」の「手(シュ)」なら「鶏の肉(にく・じく)の羽根(はね・うね)」である。「新羅(鶏林・朝鮮)」と関係が深かったのは「新井白石」だ。・・・「間宮林蔵」は「樺太」に渡り、海峡を渡って「黒龍江」を遡行し、「デレン」に達して「清国の官吏」と面会、「樺太」が離島であることを確認し、海峡は「間宮海峡」として「シーボルト」によって命名されたのだ。そして、「樺太離島」の「地図」は「高橋景保」によって記録されたのだ。もちろん、「樺太(からふと)」の名前に当てた漢字は「樺太=木華一人ゝ(チョム・テン)=記、『華山』、初めの比の図、著務(填)」への「尊敬」からであり、「古事記」の「木花之佐久夜毘賣」にカケられているハズだ。  「呉茂一」氏の著書「ギリシャ神話(上)」によれば「ディォニューソス」は、「dies」、「diou-」は「ゼウス(天神・Διαs・θεοs)」で、「nuso」は「息子(νιοs・ヨス)」で、その合体が「Diounisuis(ディォニューソス)」で、  「天の(ουρανιοs・ウラニオス) 父(μπαμπαs・ババス)」  と  「地の(Γη・ギ) 母(μανα・マナ)」  の  「間(αναμεδα・アナメダ)」  に出来た  「子供(παιδι・ペディ)」  である、と云うことを紹介している。「間」は・・・穴目拿(あなめだ)・・・浦(裏)におす、婆場(馬場)州。擬(疑)の真名(磨名)。「阿那女蛇(蛙名女拿)」の「経出意(辺出慰)」・・・「間」は「間者」で、「隠密同心(音密道心・怨御津童心)」であった。忠義者で、純粋、苦労、辛苦のモノは・・・『間宮林蔵(官給、諌糾、感泣の淋憎、隣争、臨葬)』でもあった。  「ディォニューソス(バッカス)」は、「ピュタゴラス」が信仰していたとされる「オルフェウス教」の主神「ザグレウス(ザグロス)」でもあった。別なハナシでは、嫉妬した「ヘラ」が「タイターン(巨人族)」を使って「ザグロス」を殺させ、「タイターン(巨人族)」は、その彼の肉体を煮て喰ってしまう、と云うものだが、彼の「心臓」は父の「ゼウス」、あるいは母の「セメレー」にもたらされて、呑込まれ、再び「ディォニューソス」として甦生(蘇生)された、とするモノのだ。  「人の心臓」を食らう話しは「ロビンソン・クルーソー」や、「パールバック」の中国を舞台にした小説、「大地」にも描かれているが・・・敵の英雄の肉体を喰うのはその「勇敢な精霊」が己の肉体の中に取り込まられると言う事らしいのだ・・・撃墜され、モウ、一刻、太平洋を浮袋でさまよっていたなら「ブッシュ大統領」は危なかった・・・敵に喰われては現在の「アメリカ」は存在していないだろう。もっとも、「喰った奴」は「思想などは微塵」もない、「自らの玉砕」を目前に、おののき、狂いつつあった単なる「cannibalの指令官」であった。  「ゼウス」は「ザグロス(バッカス)」を喰った「タイターン(巨人族)」を焼き滅ぼして灰にし、その灰から「人間」を創造した。これ故に「人間」は「ザグロス+タイタン」の「神性」と「性悪」、「邪賢」を兼ね備えるコトになったらしいのだ。  「オルフェウス教」の「聖餐」とは「牡牛(幼児?の犠牲)の生肉」を喰う「儀式」であったらしい・・・これは、エジプトの古代神殿から「生贄にされたらしい幼児の骨」が何体も発掘された事実があるのだが、「生贄」ではなく、「幼児期特有の病(麻疹、おた福風邪)等で亡くなった幼児」の埋葬と考えたい。実の親が自ら産んだ子供を生贄にするはずがない・・・あったとすれば、「略奪」、「サラワレ」て来たモノだ。「神隠し」である。  昔は幼児期の「七、五、三」の歳で厄払いだが、「七歳」まで無事育つ子供は少なかったのだ。例えれば「新井白石」の子供達はほとんどが「三歳」ぐらいで死亡しているのだ。「縄文人」の子供の「土偶」も、「雛流し」も、「生きた子供」の健康を願えばコソの風習であった。そして、「近代の医学」は「牛」から「ジェンナー」の「種痘」を発見した。「牛の肉(乳)を喰う」とは「経験的な防疫知識」であったと考えたいし、「蒸留酒」は「消毒薬」でもあった・・・とにかく、「白牡牛」は神聖な「ゼウス(蘇生主)」の化身であり、「イシス女神」を守護神とする「白牛宮」であった。  そして、「宿曜二十八宿」では「華」に類字した「畢宿」の場所は「牡牛座α星のアルデバラン」で、「牛の右眼」にあたる。「古事記」で「右目」と云えば「月読命」である。  「ゼウス」の「子供(大蛇)」、「ザグロス(バッコス・酒の神・たたり、狂喜の神)」は、「海蛇座α星のアルファルド(孤独な蛇)」にあたり、別名が「コル・ヒドラエ(ヒドラの心臓)」で、「宿曜二十八宿」では「柳宿」にあたる。そして、「蟹座」に重なって存在する。「柳宿」に産まれた人は、「油商人」で、マムシと呼ばれた「斉藤道三」、「鬼」と呼ばれた「新井白石」が存在した。「柳」に跳びつくのは「雨蛙」である。それを観ているのは唐傘(蛇の目カサ)をさしている「小野道風」である。  ちなみに、「バッカス」の思想と儀式を踏まえた「オルフェウス教」の「オルフェウス(オルフィク)」とは「アポロンの息子」で「音楽の鼻祖」であった。しかも、「オルフェウス」は死んだ妻「エウリィデイケ」をおって「黄泉(よみ・冥府・死者)の国」へいった人物となっている。重なるのは・・・「伊邪那岐」が死んだ妻の「伊邪那美」の「黄泉(よみ・ヨモ)の国」へ行ったハナシだ。その「境界」は「出雲の黄泉・比良坂の坂本(酒本)=伊賦夜坂」であった。「黄泉」を「オウセン・コウセン・ウセン・きいずみ」とはヨマずに「よみ・ヨミ・ヨモ」とヨマませているところが「ミソ」なのだ。「伊邪那岐」はミニクイ(醜=酉鬼)妻の姿、容貌を視て逃げだしたが、「桃子三箇(意富加牟豆美)」で助かったのだが、  桃(ピーチ・peach      ・ροδακινο=ロダキノ・露蛇記之・賂拿紀廼)  は「健康、長寿」の食べ物で、「水蜜桃」とも呼ばれ、「善人、美人」の意味があるのだが・・・英語の「peach(桃)」には『[共犯者を]密告、告発する』の意味もあるのだ。「蛮社の獄」で「密告」したのは『花井虎一』と、『間宮林蔵』だ・・・「無実」を「告発(?)」しているのは「現存・古事記」の作者だ・・・ピィチ(比位置・肥位置・否意知・非意知)・・・誰をか・・・「水(野)忠邦」と「鳥(居)耀蔵」を、である。  桃子三箇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      木兆了一  三 竹囗十口  ↓↓↓↓                 ↓↓↓↓   ↓↓ ↓↓↓  ももこみっつ=模模拠三拓(図)=沢三伯   ↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓  桃子三箇・・・トウシ(トオス)サンケ(サンコ)  記帳の終始、御津の他家拠  ↓↓↓↓  ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓ ↓ ↓    ↓↓    ↓↓  ↓     ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓ ↓ ↓    ↓↓     水戸  ↓    問う史(図尾州)三 家(纂 胡)  貴重=機長・帰朝・基調  ↓            纂 懸 山 拠    ↓↓ ↓↓  意富加牟豆美=意は 附、掛夢図備      企長の終始 修士 宗旨  オホカムツミ   ↓  ↓ ↓↓↓        ↓↓ ↓↓ ↓↓  ↓↓↓↓    意 符   ↓↓↓        ↓↓ ↓↓ ↓↓  夢罪      畏 怖   ↓↓↓        ↓↓ 習史 終止  蝦陸奥視    医 父   夢物語        高野長英 ↓↓  ↓ ↓    ↓ ↓   ↓↓          ↓↓  姦  罪    異 父 太閤記(浪速の夢又夢) 豊臣秀吉 大坂  諌  罪    畏 怖 信長公記(夢まぼろし)  織田信長 尾張留  勘  罪     囲 府   甲陽軍鑑(かがみ)  武田信玄 甲斐  上  罪     夷 怖   眞機論(蜃氣楼)   渡邊華山 渥美  神  罪    委 父   耶蘇伝(夢占ヨセフ)  小関三英 羽州              (ダニエル夢判断)  大神晦視   慰 婦   日本書紀(かがみ)  舎人親王 大和  卑弥呼 柘視  慰 扶   魏志(かがみ)    陳寿   晋  そして、その後、「伊邪那美」は夫に「號」されて「黄泉津(よもつ)大神」、「道敷(ちしき)大神」と言われた、とある。追いかけてきた彼女を遮った「千引(ちびき)の石(いは)」は「道反(ちがえし)之大神」、「塞(さやります)黄泉戸(よみど)大神」と云う、である。  黄泉津(よもつ)大神・・・・・・・・・・預模柘  道敷(ちしき)大神・・・・・・・・・・・知識  千引(ちびき)の石(いは)・・・・・・・字引の意葉  道反(ちがえし)之大神・・・・・・・・・字替え試の廼(埜・乃・野)  塞(さやります)黄泉戸(よみど)大神 ・差哉理真諏  もはや、「現存・古事記」は、「麹・糀」を混入して「醸・発酵」させ、「醸造・醸成」させ、「蒸留」させれば「ワイン・ブランデー」で、「タル」の底に残ったモノは「粕(かす・糟)」で、「米(こめ)白(しろ)↓米(こめ)曹(さばく)」で、「白曹」は「白葱(しろねぎ=白の音義)」で、「法曹=裁判」で「無罪」、「乞食(こつじき)」である。そして、「惚(ほれる)時期」、「忽(おこたる・たちまち)・忽必烈(元冦のフビライ)時期」、「骨(ほね)時期」、「水蒸気(出意譲記=高野長英)の時期」・・・すべての『曹』の「意味」と「熟語」を「込め」た「汝(なんじ)が曹(ともがら)」の「言存・互字記」・・・「股字生」・・・  『曹操(154~220)』は「三国志」の「魏」の「雄」。「清国」の『曹霑(雪芹)』は「1764年」に亡くなった『紅楼夢』の作者であった。  悟・語・誤・呉・胡・湖・拠・姑・虎・子・仔・雇・琥・弧・箇・故・壷  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓  性 彙 字 越 人 沼 所 馬 穴 午 羊 用 珀 周 箇 事 天  「胡蝶之夢(物我一体の境地)」、「壷公(仙人で薬売り。商売後に店頭の酒壷に入って酒を楽しんでいた)」等々の「恋(亦のココロ=箇々賂)・乞(汽=水蒸気の略字・・のオツ、イツ、キのト・乙=髪挿しの音=加味、作師の音・水蒸気の音=出譲記の恩=高野長英の記録・華美の挿しの音=渡邊華山)」の「字記」である。「壷(コ・ゴ)」の類字の「壼(コン)」は「宮中の道・女訓・秘密・オンナ」の意味だ。  「須佐之男(素戔嗚)」は「母(類字は毋=カン・貫・諌・換・ガン=岩)の国(ゴク=獄・語句・極・石=岩・巖)」へ行きたいと「哭いた」のである・・・「高野長英」は「奥州の陸中・岩手県・水沢」の出身であった。そして、「江戸、伝馬町の牢獄に火付け」をし、「脱獄」後は意の一番に母親に会いに行ったのである。  ・・・「須佐之男(素戔嗚)」がダレか、推して知るべし、だ。

 プラトンおじさん達が、コジキを語れば(2)・(37x)  「ピュタゴラス」は、  「数(數・スウ=崇・嵩・崇・雛・枢・趨・吸)・(かず=和=倭)」を世界の  「アルケー(根源・根元=キ+艮+二+足)」  としたのだ。  「数」と「根元(アルケぇ=在る氣重=蛙留懸重=歩く恵=タビの景)」で、「或」る「祁・卦・毛・華・袈・仮・家・懸・掛・計=稽)」の漢字の連鎖は次の通りである。  数=數=かず・かす(化す・粕・科す・課す・貸す)      =和=わ(ハァモニィ・ハルモニア)         =倭=輪・吾・話・輪・羽・琶・環・我・杷・窪           は=葉・頗・端・把・爬・破・波・歯             派・刃・播・覇・巴・芭・琶・般             簸・塀  根=ね・・・・禰・祢・寝・値・音    =コン・・・魂・恨・献・痕・金・近・混・坤・艮  源=みなもと・診名模図・・・水(スイ・みず)+原(ゲン・はら)                ↓ 見図    ↓ 把羅                素意      諺(解夢)                ↓             (氵=さんずい=纂隋)                     ↓         ↓  元=もと・・・模図・基・素・本=ほん・・・・・・・・隋書國傳     ↓     品・斌・賓・彬・頻・瀕・牝・貧・稟     浜・濱  これが、「現存・古事記」の作者がイトするモノだ。  マタ、「ピュタゴラス」は「ヘスティア」を「世界(宇宙)の中心の『火』」と考え、その周りを天体が運行している、と考え、「中心の火」が世界(宇宙)の「アルケー=根拠」であるとも考えた。  「有る形(景・稽・経・刑)」の「ワ」は・・・「忠臣の比」、「忠信の非」、「忠心の批」、「衷心の卑」、「注進の秘」、「中震の被(震度四・器物の中の水がこぼれる程度)」、「中心の肥(阿蘇山、山頂)」、「沖(子午線・沖天)晋の日(太陽)」である。  「人間は死すべきモノ」としたのは「ギリシャ人、ギリシャ神話の定理(綴理・諦理・体理)」であった・・・「万物は死す」であろうコトは自明であるのだが、「穀物」は一年間のサイクルで刈り取られ、種籾によってマタ再生するのだ。「神」は「シナない」のである。「死んだ人間の肉体」は再生されず、「塵(ジン・ちり=地理)」にカエリ、その「魂(たましい・コン=恨)」だけが「冥界」に逝くのだが、新たな肉体をもって「輪廻」するのか、「転生」するのかどうなのか・・・チベット(西蔵)の「ダライラマ」はそうなのだが・・・「ピュタゴラス学派」の哲学者は「モノの背後」にある見えないモノを「根元(アルケー)」とし、それを「数」とし、「火」とした。だが、単純に「人間は死すべきモノ=冥界逝き」として「満足(萬措句)」していたわけではないらしく、「数学・幾何学の研究」は「モノの背後の法則性=神の摂理=神」と、「人間の魂」との「合体・合一」、スナワチ、「魂の不死(天界逝き)」を目指す「修行(魂の浄化)手段」とした・・・この「魂」なるモノは「生きた肉体に宿っているモノ」で、「肉体(ジクタイ)が朽(く)ちた後(あと)」に「分離」するモノらしいのだが・・・確実に目に見えて「朽ちるモノは肉体」である。何時の時代にも「考える人間」は「朽ち(病・怪我)」て「死にたくナイ」らしいのだ。だが「肉体」が朽ちてもキリスト教徒は「最期に懺悔の言葉」を、仏教徒は「最期にお題目」を唱える「チャンス(機会)」がありさえすれば、「死後」救われる(?)らしいのだが・・・「例外」はあったが、原則的に古代ギリシャ神話では「星」になっても「転生」も、「輪廻」も、「甦生(蘇生)」もなかった。  「戦士」は「戦死」をどの様に考えていたのだろうか・・・考える古代ギリシャ人は単純には「冥界」には逝きたくなかった。朽ちて、「星」になりたかったのだ。「戦場で戦死する戦士」はテンのキラメク「星」になった。「星座」にしてくれる存在は「神(ゼウス)」であった。ゼウスの実体は「雷電」であった。  古代エジプトでは「鳥(鷹)」になって「ラー(太陽)と一体化」することを望んだ。「イシス女神」は夫(オシリス)を「ホルス(息子)」として「現世」に「甦生(蘇生)させた。古代エジプトではナンに増しても「現世」がイイのだ。  「刺國芳姫」は息子(大國主)を甦生させた。  そして、「ピュタゴラス教団」のギリシャは「星」や「太陽」に「魂が一体化」することによって、さらに「地上の生き物に輪廻」すると考えていたらしいのである。だとすると、「ブッダ(釈迦・ホトケ・ポチ・ゴウタマ、シッダルタ)」の生存期間が「BC566~486年」であるならば、「ピュタゴラス(BC582~493)」と重なる。16歳年長である。「輪廻思想」はそれよりも古い古代「エジプト」のモノだ。「死の根拠」を追求したのは「シュメール」の「ギルガメシュ」も、である。  ピュタゴラス・・・・・・(BC・582~493) 89歳  ブッダ・・・・・・・・・・ (BC・566~486) 80歳  「古代エジプト」は「輪廻」があるとし、「現世」を甦生を望み、「現世輪廻」がイイとした。  「ブッダ」は「輪廻」があるとしたが、「輪廻」することよりも「輪廻」しないことが「悟った魂」とした。  「古代ギリシャ人」は「輪廻」は無いとした。  「ピュタゴラス教団」は「輪廻」はあるとしたらしいが・・・  「源存・古事記」があったとして、「現存・古事記」の「大國主(出雲神話)」の記述部分が「不自然」で「前後関係」がスンナリと「連結」していない理由は『改作された挿入部分』があり、「原・古事記」に使用された『文字』の「再生、甦生、蘇生」を企及(気球・危急・帰休・希求=ねがう)すべき、その「部分の意味」こそ「誰か」に必要であったからだ・・・『部分』とは「序文」と「亦の名は云々・・・」だ。  菟に角、南イタリアの「クロトン」を根拠地とした彼らの「学派」は「ピタゴラス教団」とも云われ、貴族主義的な「秘密厳守の共同体」でもあった。何故、『秘密結社』的と言われるのか?・・・「幾何学」を「秘密」にしたかったからではあるまい・・・『秘密結社』にならざるを得ない単純な理由は時代の「倫理・道徳の異端」で、「弾圧」されるべき「存在」であったからだ。時代は「王制~貴族制~民主制」への過度期であった。「哲学者」にとっての「民主(政治的平等)」とは厭(イト)うべき「アナーキー(無政府)」の代名詞であったらしい。要するに「ギリシャの哲学者」は月桂樹の下で寝ころんでは空を視、思索して居られるか、自由気ままに「旅」が出来る人種で、「都市国家の中では生活の余裕がある支配階級に属していた」のだ。「民主(政治的平等)」とは「政治的権利(特権)配分の平等」だから「ミンナが同じ」になるのは「面白くないワケ」だ。なるほど・・・「日本語」が、スゴイのは「ミンナ」であったり、「オモ白クナイ」ってトコだ・・・「オモ黒イ」のは中世からゴク、最近の現代まで「人種差別」されていた人々の「容貌」であり、古代インドの「被征服人種」の「容貌」であった。現代的に「黒人・ニグロ」とは「蔑称・差別用語」として使用している言葉ではない。文章、言葉の前後関係を無視して「差別用語禁止」を云う人種は、「歴史的概念」である「差別用語」を「無かったモノ」として、その「歴史的な人類のイム(忌む)べき事態の反省」を何処かに「ふっとばしているコト」になるのだ。そして、「印税収入」と妥協(?)したのか、「賣文作家」に徹したのか(?)知らないが、「唯野先生」に類する人種は「作家失格」ではあるナ。「歴史的概念としての忌むべき言葉」は忘れちゃぁイケナイのだ。・・・だから「差別用語」を「歴史的な理屈」で説明出来ない「奴」の関係状況では「感情的」な「オルギア(オルギー)=狂騒」ともなるのだ。  ギリシャ的古代信仰、「人間、死すべきモノ」と言う当り前の「常識」は「神話の基盤」でもあった。だが、「階級(王・貴族・平民・奴隷)社会」の「分業的立場」が明確に差別されてこその「思想的常識=形而上学」であったのだ・・・「ピュタゴラス教団=オルフェウス教」が「不死の神との合体」を目指したのは「階級社会」の「政治的混乱状況」の反映なのだ。「自然災害」、「飢饉」、「戦争」、「疫病」である。特に「疫病」の蔓延は「階級差別なしに平等」に襲って来る。「ピュタゴラス教団」は結社の中で特別な「健康と精神的な癒し」が欲しかったのだ。更にこの地上に「輪廻」することを。そして、「思想的、階級的立場」はどうであれ、「弾圧」とは何時の時代でも「権力を握った側の実力行使(ゲバルト)」である。  「ピュタゴラス教団=オルフェウス教」に「神との合一」と云う影響を与えた「ディオニュソス(酒の神バッコス)信仰」とはギリシャの北東、「フリギア」、「トラキア」から伝播渡来してきたものらしい。「トラキア」である。「飲んで、呑まれて大虎」になるとはね。「sex」の一瞬の刹那よりも、「酒」や「大麻」、「芥子(阿片・鴉片)」は持続的に「エクスタシー(脱自)=忘我・恍惚=いい気分」に導くものだ。また「傷害」や「病」の「痛み」からもヤワらいでくれるモノ(麻酔)なのだ。当然にもこの「感覚」は「神」と直結するモノである。いわゆる、「神経」に作用するものだ。「酒」、「大麻」、「鴉片」の「カンジ」に於ける共通項は「酉=鳥=小鳥の餌」である。「華岡清州」が研究していたようにある種の薬草は「意識、感覚」を「麻痺」させるのだ。スナワチ、「物我(仏画・分柘臥)一体(異痴態・異地帯)の胡蝶(誇張・己喋・虎鳥)」となって「飛んじゃう」のである。  「オルフェウス教」の「瞑想的な思索と、神との合体」、「ディオニュソス(酒の神バッコス)」の「飲んで騒いで、神との合体」の違いは「インテリ」と「非インテリ」の違いで、「祭のドンチャン騒ぎ」でストレス解放し、「共同体の一体感」は得られても、酔って騒いでイちゃぁ「幾何学の問題」なんかは解けはしないのだ。  「オルフェウス」は「リュラ(竪琴)」の名人であったらしい。「イヤシ(癒)の音」はこの「リュラ(竪琴)」の「弦」を「爪弾(つまび)く、掻曵(かきひ)く」ことで出る。そして、「リュラ(竪琴)」の「初源形態」は「弦」が張られた「弓」であるのに違いない。「矢(耶=邪)」を射る「弓(究=求)」は「弦楽器(言学記)」でもあったのだ。そして、「リュラ(竪琴)」の「弦」をカナで、その「弦音」の「調和(ハーモニー=葉蛙模似)」を研究したのだ。  「音(声)」は見えないモノである。すなわち、見えないモノが「アルケー」であった。「見えるモノ自体」は「アルケー」ではないのだ。その各「弦」の「太さ」と、「張り」の「長さ」によって「発音」する「異なった音階の調和の比」を「見える『数(数次・数字)』で考えた」のだ。「臭い・匂い・香り」、「味」も「見えないモノ」である。「数値(和知・羽地)」で知るのは「音階」よりも「難しい(陸奥可思惟・務柘化思惟・睦華氏意・夢図化思惟)」のだ。「見えるモノ(文字)」の「背後の摂理」の「調和」こそ、「アルケー(根拠)」の「ロゴス(比)」であった。見える「宇宙の日月星辰の動き」も「調和の比」として考えたのだ。肉体を健康的に維持(医事)するには「食物(薬草)」の「分量比」と、その「属性」である「味」と「臭香」を極める「ヒト=比徒=比図=専門家=薬師」が必要だ。「ピュタゴラス教団」は「肉体(ジクタイ)の病(ヤマイ)の汚染」が「魂の浄化」を妨げるモノとしたのだから。  「比喩多語羅州教壇」の「現存(言存)・古事記」の作者は「ジクタイ」を「ハクシ(白紙・博士・白士・伯氏・白志)」にし、「ヤマイ(邪魔意)」を清めねばならなかった。  「古事記」では「臭(くさい=自+大=時代)」の「字」は、「におう(仁王=イ+二+一+土)」、「偉人、異人の初めの土(十一・壱拾壱)=国」で、「草意」は、「久佐迦延能(くさかえの・日下江の)」、「久佐加辨(くさかべ・日下部)」で、植物、樹木の新緑が香るのは「初夏」である。  「日下の江」とは「大坂」の地名であり、「神武天皇」が上陸作戦で負けた場所であった。  「日下部」とは「下剋上」の「戦国大名の元祖」とも言われている「越中・朝倉氏」の原住所であった。  「日下」とは「東国」をさす一般的な名称であった。  「日下」とは「異国の王の姓」であった。  『日並知皇子の尊』と言われた「草壁皇子(岡宮御宇天皇)」で、位は「皇太子」で、「浄広壱」であった。  にもかかわらず、「天武天皇」が死んでも草壁皇子は「天皇」にはならなかった・・・何故か?・・・「大津皇子」は「暗殺」されたらしいが、「草壁皇子」も「暗殺」された(?)のだ・・・と云うよりも「双璧の皇子」達は「同一人物」ではなかったのか・・・「双子の皇子」は「大碓皇子」と「小碓皇子(倭男具那・大和建)」であった。彼らは「双子の兄弟」ではなく、「同一人物」である。「一卵生(一乱世・一蘭聖)」であるならば、背負った「星」は同じであるハズだ。もしくは「ギリシャ神話」に登場する「二卵生・似乱世・二蘭聖」の「双子(草紙・創始・壮士・相思)」のバリエーションである。ギリシャ神話の「ジェミニ(双子座)」は白鳥に姿を変えたゼウスとスパルタ王妃の「レーダ」の間にできた双子のハナシで、兄の「カストル」は乗馬、弟の「ポルックス」はボクシングの名手だった。生身の人間「カストル」は戦死、神の血を持つ「ポルックス」は不死身であった。弟を亡くした「ポルックス」は死を望んで不死を解いてもらい、カストルと一緒にふたご座になった、と言うハナシだ。ローマの建国は「牝の狼」に育てられた双子の「ロムルス」と「レムス」であった。・・・メス(女性)のオオカミ(大神)である。  「草間直方」は京都の商家「桝屋」で生まれ大坂「鴻池屋別家」の「尼崎」の「草間家」の女婿となって「両替商人」として「南部藩」、「肥後藩」の御用商人となった人物である。「近藤守重」や、盲目の学者「塙保己一」の著作「群書類従」の出版のスポンサーであった。「ミズ(ワァー、ゥワァ)」と最初の音声を発した「ヘレン・ケラー」の先生は「サリバン女史」であった。  「日下聖(鈴木誠政・貞八郎・五瀬)」は「安島直円」の高弟子で、師の「不朽算法」を編算し「関流正統第五伝(関孝和の和算)」の「数学者」であった。江戸時代、「麻布・日下窪」で家塾を開校した「ピュタゴラス」は「解放的な人物」であったらしい。  「日下(くさか)」と同類の音でヨマレるのは「吉田松陰」の門下で、「高杉晋作」の妹を妻にしていた「久坂玄瑞」である。「義兄弟」だ。「久坂玄機」は彼の兄で、「緒方洪庵」の弟子で「春適塾」の「舎長」ともなり、「治痘新局」を翻訳した「蘭医学者」であった。  「第十七代・履中天皇」の妻「草香幡梭皇女」  「第二十代・安康天皇」に殺された「大日下王」とその妹「若日下王」  「第二十一代・雄略天皇」の妻「若日下王=草香幡梭姫」  そして早世した「大津(長津)」で生まれた「草壁皇子」であった。「草壁皇子」を偲んで歌ったのは「柿本人麿」である。「ひんがしの、のにたぎろひの、たつみえて・・・」は有名ではあるが、これは単なる「皇子」を讃え、情景を重ねた詩ではない。「草壁=日の下の日の十、居る辛の土=ソウヘキ」だ。「ソウヘキ」とは「蘇得経記・措胡経記・双璧・総日置」で、「漆喰の壁=白い石灰の壁」である。「匂(にほい・似補意=句牝・苦卑・句比・くひ・悔い)」、「香(かほり・華補理=禾日=禾卑=稗(小説・フィクション・稗田阿礼=肥田蛙例・飛騨蛙例・比重拿吾例)・退き日)」。同音異字を重ねてヨムと云うことだ・・・意味は無限(∞・8・∽=相似・総字)に採れるのだ。これが、「日本(ニホン)文学」と云うものだ・・・?  「味(口+未=口火)の字」の神は、「阿遅志貴高日子根」で、  阿遅志貴 高   日 子 根・・・庵治師、貴公、彦根=彦根藩、伊井直弼  ↓  ↓ ↓   ↓ ↓ ↓  庵治指揮 多 寡 比 拠 音・・・按摩(暗示)、死期、多禍、比拠、禰  阿知 識  他  化 比 古 音・・・阿礼、知識、他意に変化、比較、古音  鯵  識   多  可 比 拠 値・・・阿地、始期、嵩、比、拠根  ↓ ↓  ↓  ↓ ↓ ↓ ↓   ↓↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓↓  ↓ ↓  ↓  ↓ ↓ ↓ ↓  阿父 死期 鷹 比 根拠  ↓ ↓  ↓  ↓ ↓ ↓ ↓  ↓ ↓  ↓  ↓ 比 菰(こ・こも・真菰・はながつみ=華が罪・鼻が罪)  ↓ ↓  ↓  ↓ ↓                華山 須佐之男  ↓ ↓  ↓  ↓ 比 薦(こも・酒樽・乞食)=胡模・・推薦・水仙・垂線  ↓ ↓  ↓  ↓ ↓  ↓ ↓             水洗  味 識 『蛇』 化 比 『虎』音・・・大蛇=ディオニュソス(酒の神バッコス)  ↓           虎=トラキア         葡萄酒の神  胡模 ↓           ↓               寅           匍匐(はらばう・ホフク)                             把羅場胡                             這=言+進                       地を這うのは蔓か巳虫の類  で、「瓜二つ」に似ている死んだ「天若日子(転字訳比古・点字訳比拠)」の友人であった。だが、「阿遅志貴高日子根」は「天若日子」と「間違われた(比較)」のを怒って、彼の「喪屋(模哉)」を「美濃國(美嚢語句・尾納語句・鼻納語句・備納語句)・藍見河(青美皮)」まで蹴っ飛したのだ・・・阿児(吾事)の死期(始期・指揮・識・式・四季・色・志気・志紀・試記・師記)が違っているのだ・・・「瓜二つ」なのは「蹴る球」の「日本書紀」の記述ではある。「サッカー」で「中臣鎌子」と「中大兄皇子」が「樹の下」での「会見」とはネッ・・・「会見(あいみ)」は「鳥取・米原」の南の地名であるのだが、ここは「藍見河(ランケンガ)」とヨンで、「覧懸の畫」、「蘭の顕の賀」である。  「藍山」とは逃亡中の「高野長英」を招き、「英国式兵制」を採用した「八代・伊豫・宇和島藩主」の「伊達宗城(むねなり・1818~1892年・文政一年八月~明治二十五年二月十日)」の号であった。「安政の大獄」で隠居、「公武合体」派として活躍。「朝議参与」。明治維新後は『修史館副総裁』となった人物である。「修史館副総裁」になって何をしたのか、ダテ男・・・。  「藍本」とは「絵の下書き・原本」の意味で、「地図」と「原書」である。「藍玉(ランギョク)」とは「藍澱(ランデン)・藍綻(ランテン)」は「藍染(蘭、措、目=女=音名)=蘭箋(オランダ字典)」の「粉粒(胡名柘分)」で、「ラテン(羅典・拉典・羅甸・拉丁・臘丁)」である。「藍尾酒」とは「最後に飲む酒」で、「一滴(イッテキ・医柘手記)・ひとしずく=均図区=日渡志図区・比徒志頭供」。「むさぼる(夢作模留)酒(諏)」は「暴飲(旁韻)」である。「藍縷」は「乞食が着るぼろきれの衣服・やぶれ衣」である。・・・「こじき」だ。  「阿遅志貴高日子根」の「伊呂妹(いろも=色模)」の「高比賣」が「兄の御名を顕はさむ」と思って歌ったのは「夷振(ひなぶり・比名振り)」と記している。これを単純にヨンではイケナイのだ。複数、重ねてヨムのだ。  ①阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流迩   ↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓↓   あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる みすまるに   雨 鳴る哉 音 他名場他之 宇名臥背留 多摩乃見州間留 見州間流丹   蛙女名留哉 将都侘名端多乃 宇那賀競る 侘間乃美州間留 美州摩留似  ②阿那陀麻波夜 美多迩 布多和多良須 阿遅志貴多迦  比古泥能迦微曾也   ↓↓↓↓↓   ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓↓↓↓↓↓   あなたまはや   みたに ふたわたらす  あじ しきたか   ひこねのかみぞ   阿名多摩般谷  巳蛇似 敷太輪蛇羅州 阿地誌記他加   比胡音埜加味素野   蛙名侘間葉哉  神谷  普侘輪侘羅州 蛙字詞記多可   彦  根之守 曾哉  「葡萄(ブドウ)」の類字は「古事記」では「火の神(かぐつち)」を産んだ「伊邪那美」が産後の「産褥、肥立ちが悪く」て死に、夫の「伊邪那岐」が彼女の「枕元、足元に臥して哭いた」と言うヶ所に「匍(ブ・ホ・はう・つまづく・ころぶ)=倒れころげる・急ぐこと」、「匐(フク・ボク・はらばう・這う・伏す)」と読ませている漢字で、「匍匐(ホフク・ブボク」が使用されてある。「保父区・補付句」、「武僕・侮撲・侮冒・撫睦・撫墨」だ。「葡萄牙」とは「ポルトガル」であるが、「葡萄・蒲萄」の「葡(ホ・ブ・ヒ・ビ)」は「そなえる・備える」の意味でもある・・・葡萄酒ならば、ここは、先祖供養、神に「供える酒」だろう。「萄(トウ・ドウ)」は「果実の一種、草の名」とある。  そして「籐・陶・唐・読」の「村(邑)」には「三輪山の蛇の子孫」、「意富多々根子」である。「ディオニュソス(蛇・疫病・氣触れ・酒の神バッコス)」の「飲んで騒いで神との合体」、「幾何学、神の摂理を学んで合体」、「禰宜(ねぎ)らう」のだ。「にんにく・たま葱・長ねぎ」が嫌いなのは「満月」に狂うトラキアの「悪魔(バンパイヤー・吸血鬼)」でもあるな。  「ピュタゴラス教団」での「カタルシス」とは「浄化・排泄」のコトだが、「語る誌諏・語る死す・語る師諏」で「吐き出すコト」だ。「ロゴス」は「賂語諏」で、「比・比較・比例」で、「弦」や「図形」の「比」である。「ハルモニア」とは「音階・調和」であった。さらに、数字に「奇数=男性(3)」、「偶数=女性(2)」、「結婚・婚姻=結合(5)」、「4元数=1+2+3+4=10」、「完全数=十」、「無限=偶数」の意味を持たせた。そして、「ラチオ(レイショナル)」とは「理性・理由・合理的・割当・分配」であった。「羅智(拉致)将」、「令書(例書・齢所・嶺所・霊所)成る」だ。  「蘭学者」の領域なのか、「神の領域」なのか・・・「乱学」・・・「現存・古事記」の作者は「ラン学者」であった。

 プラトンおじさん達が、コジキを語れば(2)・(37y)  「ヘラクレイトス(BC540~484)」は「万物は流転する・万物は火の交換物」で、「在るモノは変化」する。「ロゴス」とは「変化を支配するモノ」として考えた。  コレを転換すれば、「萬(太安萬侶)のモノ(古事記)は、留典(流転)」するである。「太安萬侶の古事記は『火(比較)』し、交換(肴=真名の漢字)」である。「阿(蛙=月・鴉=太陽)の礼(例・霊=多摩)は、編纂の片化」であり、「ロゴス(賂語素・漢字)」とは「変化を支配するモノ」である。  「パルメニデス(BC554~501)」は「無から有は生ぜず、有は有なり」、「有から有は生ぜず」、「在るモノは在る」とした。スナワチ、「トートロジー(同義反復)」で、「存在するモノ」を「球」として考えたのであった。 コレを転換すれば、「武(夢・夢物語)から優(憂・喩得)は生(正)ぜず(是図)、憂(喩得)は邑(国)なり」、「罪(柘診)の者(高野長英)は、財(優才)」である。「存在するのは球磨(隅・久万・熊=ユウ=酉=雄=憂)」で、「苦間」、「句真」であり、「九摩(九州の高い山の区間、西)」である。  ギリシャ語で「オン(on)」とは「ある(been)」である。英語では「上」である。「オントロギー」とは「存在論」のことであるが、「音の吐露の欺意」である。日本語では「おん=音」のすべてであり、「びいぃん=備意韻」であり、「所が変われば、品も変わる」とはこのことで、「女(おんな)が代われば、気品(キヒン・きほん・貴賓・記本=紀本)も変わる」、「なんじ(汝・爾・難事・難字・難治・何時)かわれば、基本(記本)も変わる」である。  「エンペドクレス(BC493~443)」は「弁論・自然学・医学・占術」者であり、「神との合一」を目指し、「エトナ火山」の「火口」で「投身自殺」した人物であった。そして、「変化しないアルケー(根源)」は「土水風火」であり、この「四元素の結び付き」を考えた。  コレを転換すれば、「巻(古事記・書記・鑑=歴史・諌=告喩・姦=官)との合一」を目指し、「エトナ(干支名・絵図名・重徒名・画渡名・江戸名)」、の「渡邊の華山(禍惨・加算・加纂)」の「化工(河口・加工・下降)」で「答申(投信・等身)」の「事札・字冊・辞察」した人物であった。そして、「変化しないアルケー(亜流刑・蛙留刑・阿留景)」は「土水風火(怒誰夫有禍・奴出封禍・努出普胡禍・度素意風化・渡邊の諏意、封禍)」、「水野の努力の風化」と「死の元の模図」を考えた。「モズ」とは「百舌鳥」で、「ほととぎす不如帰・子規・時鳥・あやなしどり」と同類の小鳥だ。そして、「吐血」する「結核」で、「労咳」である。  「デモクリトス(BC460~370)」は「財産家、資産家の息子」で、当時の「世界各地を旅」し、世間のつまらぬ所行を 「あざ笑」い、「笑う人」と「あだ名」された。「あるもの」と「あらぬもの」に分け、「有と有の間」には「有がある」とし、「アトム(アトマ=原子)」がその「ケノン(空虚・空間)」を埋めているモノとして考えた。「色、甘味、苦みがあるが、真実は『アトム』と『ケノン』があるのみ」とした。そしてこの現象(色・味)は「アトム(魂)」の組合せ(結合)の「形」であるとした。「原子(原始・元始・原資・源氏・言詞)結合」である。「現象(アトムとアトムの結合形態=分子・文士)」の背後にある変化しない「アトム」を「ウーシア=実体」と云った。  「デモクリトス(出模句理図諏)」である。「あだ名」が「笑人(竹+禾+人)=たけ=焚、炊、丈、長、嶽、武、他家の能義の人」で、「精進の人」は「坊主」だが、「尚人(尚歯会の蘭学者)」で、「ショウニン」の人々は色々だが、「証人(花井虎一)・商人(安芸の人・草間直方=鴻池屋伊助=京都桝屋の息子・高田屋喜兵衛=淡路の人・蝦夷御用船頭)・承人(多摩分留の人)・上人(官僚人=新井白石、神人=神主の人)・升人(帥升)・昇人(公家)、召人(渡邊華山)、将人(武の大将の人)・焼人(殉教者、高野長英)・庄人(小関三英)・照人(天照御大神)・消人(消火の人)・正人(水野忠邦)」で、「常人(常陸の人)」は「水戸の人(徳川光圀)」である。「アトマ(アトム)」が「跡磨・後磨・蹟磨・痕痲」なら「太安萬侶の語の跡」で、「子(玄武=亀+蛇=北・背後)の奇跡・軌跡」である。「跡(あと)のム(ヨコシマ=横島=邪)」だ。その実体は「うぅしあ(烏卯祇蛙)」=「太陽、月、神、かえる」、「日月辰、変える」である。  「デイアレクテイケ」とは「対話」である。本来「問答法」、「弁証法」と訳されているモノだが私の漢字訳は「出意、在れ句(阿礼句)、定(綴)、懸」である。日本人の「問答書」とは「新井白石」の「古史或問」であった。「尋問・諮問」調書とは「法曹裁判」に必要なモノだ。「渡邊華山」もこの形態で「取り調べ」られた時の「文書」を遺している。さすが「渡邊華山」は彼ら「ギリシャ哲学者」を知っていた。彼が「肖像」として描いたのは「コス島」出身の「外科医学者」、あるいは 「キオス」出身の「文字記号使用の数学者」の「偉大な二人」の「ヒッポクラテス」のどちらかであったから・・・多分、前者の顔だろう。  「弁証法」を漢字の「形而上学=形字上学」から考えてみると、  弁証法・・・弁=ム(私・ござる・かいな・シ・ボウ・ム=よこしま=邪)  ↓      +  ↓      廾(手手・キョウ・ク=両手を高くささげる)=一+ノ+|  ↓       (手をこまぬく)  ↓ 肱(コウ)の古字=肉(ジク・月・舟)+ナ+ム  ↓       腕(うで・ワン)=肉(ジク・月・穴・舟)  ↓              +

ウ+タ+卩(セツ・セチ・ふしつくり)  ↓                   手形、割符・(巳)に類字  ↓  辨=辛(シン)+リ+辛=からい+リ+からい=華裸意、理科螺意  ↓ 審理神(辰・晋・心・唇・身・振)  ↓  辧=辛(シン)+刀(トウ)+辛=からい+かたな+からい    心頭身 =変羅医        家多 中 拉医?  とにかく、「弁」は「わきまえる」で、「話記(倭紀・輪岐・羽岐・和気)真得る」である。「華弁」は「渡邊華山」か、「華岡清州」の示唆である。  「アルケー(根源)」は「イデア」であり、「存在の氣・あるけー(歩け・有る祁・或家・在毛・娃留懸)」で、「古事記」なら「履中天皇」である。  「ソクラテス(BC470~399)」  「ソクラテス」の父は「彫刻師」で、母は「産婆」であったそうだ。彼は「汝自身を知れ(自分自身の無知を知れ)」と説きまわった。「アテネの三十人政権(貴族派・帰属葉)」との関係もあり、「281対210」の評決で死罪が決定。「悪法もマタ、法である」と云って「毒杯」をあおって飲んだ。弟子の「プラトン」によれば、彼の思想は「イデア(変化しないモノ・神的・不死・知性)=霊魂」、「肉体(変化するモノ・人間的・死すべきモノ・分離、解体されるモノ)」であるらしい。  「ソクラテス」は「ソクラテス以上の知者はいない」と云う「デルフォイの巫の神託」を信じた。信じた理由は単純なモノで、彼が「智者」であると思っていた人々と問答(論争)して、彼らが「ソクラテス以上の知識」を持っていなかったことであるらしい。ようするに、彼らは「ソクラテス」の「問」に答えることが出来なかった、と云うわけだ。「教養不足」だったのだ。だが、「智者」であることが「賢者」である、とは言えまい。「理屈ポイ人間」が「サリン」を撒くのと同じではある。「ヨシモト(隆明・興業・鉱業)」がボケバカになったのか、バカを演じているか、定かではないが、「60年」で「死ねない(実存を賭けられないと悟った?)」とした彼が、「毒物(讀物・獨仏)」をばらまいても、とにかく「ドクラテス」のようには「毒」は呑まないだろう・・・サッ・・・  「ディアローグ」は「対話」であり、「ディアレクティーケ(弁証法)」は「対話問答の技術」であった。「詭弁家(詐欺師)」に騙される若者や、老人、一般人も多いのは「無知」であるからではない。「モウカル鴨知れないカケゴト」に翻弄されているからなのだ。「まだ余裕がある」からなのだ。  なるほど、「ドクサ」は「思い込み・先入観」で、「毒茶」ではあるな。「よりよく生きるための真の知識、『エピステーメ(真の変わることがない知識)』」を教え歩いた「ソクラテス」とは、その結末をみれば「賢者」ではなかったであろうコトも明白ではないか・・・彼が求めたのは「たましい」だから・・・「現実の世界」ではなく、「死後の世界」のみが「アルケー」であった。イイコト云う奴には気をつけた方がイイのだ。  「プロタゴラス(BC481~411)」は「トラキア」生まれで「万物の尺度は人間」であると云った。彼は「実際家」で、「現実家」であったらしい。いかにも「よりよい生活の基準」は「生活の糧の安定」だ。「国家の善なるあり方」も論じたらしいが、学ぶ弟子達にとっては「彼の哲学」は「私事の安定」の「手段」に限られたのは云うまでもない。教育ママゴンが子供に押し付ける「学歴・履歴」の結果的人間の育成と同じである。「万物の尺度は『私事的』な人間」であるのは「心理」であり、「心裏」でもあり、「真理」でもある・・・とにかく、喰えなくちゃぁ、どうしようもナイのだ。キレイゴトばかりではネッ・・・。  「現存(言存)・古事記」の「審理」は、「バンブツ(萬者=太安萬侶)の尺度」は「ジンカン(人間・字夢噛・事務官・字務掛務・尽漢)」であり、「ヒト(日渡)の間」の「時・字・事」であるのだ。  「プラトン(BC427~347)」  いよいよ、「プラトン」である。「アトランティス」である。「国家」である。『伯拉多』である。「プラトン(BC『四百弐拾七~参百四拾七』)の誕生の「生年」と死亡の「没年」は、「現存・古事記」、「日本書紀」と「通説・日本史」を重ねながら検討してみる価値はあるだろう・・・ついでに『西周(にしあまね)』も・・・  四百弐拾七=よつ・もも・に・ひろう・ななつ(シチ)         ↓       =輿津 模藻 似 披露  名納柘 詞地」  参百四拾七=みつ・もも・ よつ・ ひろう・ ななつ         ↓        三  桃   与柘 披露  名拿柘(伊邪那岐の三桃)        蜜  模茂 預柘 披露  名名柘(旧約出エジプト・モーゼ)  である。彼は「二十歳」にして「ソクラテス」に就いて「八年間」、「師事(シジ=支持・指示・私事)」した。「BC399年」にアテネを去り、「メガラ」派の「エウクレイデス」の所に赴く。「キュレネ」、「エジプト」、「南イタリア」、「シシリー」を旅。「四十歳(BC389年)」にアテネへ帰国。「六十歳(BC367年)」に「シラクサ(師落差・白句作・代九唆・新羅琥娑)」へ二回の旅、だが、「哲学政治の計画」は「水泡」に帰したのだ。命からがらに逃げ帰ったのさ、「アシナ(足名・芦名・葦名・芦品)」へ・・・「不羅遁・府羅遁」である。  著作は「六十四巻」で、  「Apologia(弁明)」  「Kriton(クリトン)」  「Euteyphron(エゥテュフロン)」  「Kharmides(カルミデス)」  「Symposion(饗宴)」  「Phaidros(ファイドロス)」  「Theaitetos(テアイテトス)」  「Parmenides(パルメニデス)」  「Politeia(国家)」  等である。以下、「プラトン」に関する主要なモノは、  「イデア」   =アイデア=世界の根拠・原型・形相・観念(近代)           =イデア(医出蛙)はロゴス(露胡州)によって明らかにな            る  「パイドン」  =プラトンの代表作・魂の不滅とイデアに関して           =似たものは似たもの(同音異字)によって知られる           =ソクラテス(哲学者)の死はプラトン「二十八歳=稗田阿            礼の年齢」の事件であった。「二十八宿」は「宿曜経」の            「数」  「ウーシア」  =実体・・・「胡牛蛙(娃・雅・阿・吾・唖・意)・得牛吾」  「アナムネシア」=想起(早期・総記)・「蛙名六根志吾・阿名夢音詞蛙」  「メテクシス」 =分有(大分)・・・「目手句詞諏・目手駆使素」  「プラトン」の哲学、スナワチ、コレラが「現存・古事記」の読み方「哲学」の「方法」である。  「プラトン(BC427年)」誕生の「二年前」に「ペリクレス(BC498~429年)」は死亡しているが、「三十年間」、アテネ(アテナイ・アシナ)の「アルコン(執政官)」であった。この時期は「アテネ」の「デロス同盟」の盟主として全盛期であったのだ。「アテネ(アテナ・アシナ)」を護る守護神は、「ゼウス」と「タイタン(巨人族)」の「メティス女神」の間の娘だが、「ゼウス」は妊娠中の「メティス女神」を丸ごと食らい、結果、「ゼウス」の頭から生まれ出たのが「戦略・戦術の女神」、「処女神のパラス・アテナ(Athena・Αθηνα=アシナ)」だ。その彼女の象徴、聖なる樹は「月桂樹(オイーブ)」で、聖なる鳥は「突きでた耳」と「大きい丸眼」の「ミネルバ(Minerva)の梟(キョウ・ふくろう・みみづく=木菟・号+鳥=ヨウ、キョウ・氏+鳥=シ)」であった。そして、「アテネ」は人々にあらゆる「知恵」を与え、「工芸・医術」を教えた女神でもあった。「ミネルバ(Minerva)=巳寝る場・嶺留場・診音留頗(把・葉・歯・羽)だ。「土の有機物を喰う貧毛類、環形動物の長いミミズ」は「蚯蚓」で、「中のム(ヨコシマ)」の「岡引き=目明かし」で、「同心の手先」である・・・  「魚豢」、「陳寿(AD233~297年・建興十一年丑癸~元康七年丁巳)」の「邪馬台国」の「卑弥呼・壱与」のハナシは怪しい・・・と云うモンだ。  理由は「魚豢=ギョケン=魚鰹(カツオ)」で、「陳寿=チンジュ=陳鷲(ワシ)」だから。  「ミュートス」は「神話・物語」である。「カタラベノ」は「理解」であった。「語り部」は「稗田阿礼」であった。「物述部」は「国津神」を語り、それを「外津神」から護った「物部」であった。  「プラトン」の「バイドロス」は「恋を主題とした作品」である。「エロス」は「性愛(股の合体)」ではなく、「精神的」な「恋」だ。「亦の心」である・・・何故、かくも「異性」に魅かれ心が乱れてしまうのか?・・・「真のエロス(恋=真、善、美)」は「イデア(神)」に帰依するが故に「肉体を有した魂」は「マニアー(狂気)」となる・・・恋焦がれる「愛」は「イデア(天界で神と合一したモノ)」であったラシイから・・・だが、これじゃぁ、結果としてのこの世での「異性との合体(精神的にして肉体的な)」には説明不足だ・・・「魂魄」とは「魂=男のタマシイ」、「魄=女のタマシイ」で、この世で「対」として「合体」しなければ、あの世のでの「神との合体」もないからだ・・・プラトニックラブとは「純粋な者」が「純粋な者」に魅かれる「精神的な愛」らしいのだが・・・それじゃぁ、「天に上昇し、神との合体」は無理なのである・・・この「魂魄合体論」は誰の「論」であったか?・・・漢和字典では「魂=精神を司るモノ」、「魄=肉体を司るモノ」と説明し、熟語に「魂魄不曾来入夢(白居易・長恨歌)」、「魂魄結兮天穴穴(李華・弔古戦場文)」とあり、字典の解釈と私の記憶する「魂魄論」には合致しないが、「曾=こしき(蒸器・甎)・せいろう」とあり、同音のモノに「こしき(轂・車輪の中央)」がある。濁点をつけて訛れば「こじき・こぢき」である・また、「魄」は「月光、月の輪郭の光の無い部分・旁魄=満ちふさがっている様・魄然=やすらかに落ち着いた声の形容」との説明があるから「妊娠する女のタマシイ」と考えたいのだが・・・男女合体、分離死亡、どちらかが天国の門で先に待、後から来る者を迎えて共に「一対合体」して「天国」に入る、である。  とにかく、「プラトン」にとって、「産まれる」と云うことは、天から地上に落ちた「魂」と「肉体」との合体で・・・「イデアの世界(天界)」を最も多く見た「魂」は「知・美・音楽・恋」を求めるヒトの「肉体に宿り」、二番目の「魂」は「王者」に、三番目の「魂」は「政治家・豪商」に、・・・七番目の「魂」は「職人・農夫」に、八番目の「魂」は「ソフィスト・デマゴーグ」に、九番目の「魂」は「テュランテイノス(タイラント・暴君・僣主)」に宿る、と考えた。ならば、「天界」を「多くみた」か、「少なくみた」かで、現世は決ってしまうワケだ。天界で「神と合体」していた時にも「差別」があったと云うわけだ。じゃあ、「天で神と合体していた意味」は何なのだ・・・合体は程度の問題であるワケだ・・・「平等」ではないワケだ。  「テュランテイノス(タイラント・暴君・僣主)」とは「アテネ」と「スパルタ」の「プロポネソス戦争(BC431)」によって「アテネ」が不利になり、その「ポリティア(都市国家)」の政治支配権が「スパルタ」等の勢力により「非合法的」に「独裁政権」として打ち立てられたモノだ。古代では  「天智天皇死亡」   ↓  「則天武后」   ↓  傀儡   ↓  「天武天皇(郭務宗?)」   ↓  「持統天皇」・・・「暴君」  ・・・江戸時代では「亡君」、  「潜主」、「藩主」   ↓  「将軍継子問題」   ↓  「擁立」   ↓  「傀儡=郭公」  ・・・そして「欧米の列強」の「蛮主」の圧力・・・「スターリン」と「毛沢東」がやった「かいらい(傀儡)政権」のボスだ。もちろん、「米国」の大統領もヤッタのだ・・・  「プロポネソス」・・・「普賂骨措素=白骨、骸骨、骨格」、「付賂補音蘇州・風炉保音措素(ふいごう・ふいご・婁・鞴・送風機・ベンチレター・ベント(通風孔)」である。「痛風」とは「神経痛」である。「proponent(提案者・支持者)」で、「propolis(蜂蝋)・はちろう=八郎・葉知賂胡」だ。「ベンチ」は「職人の仕事台・動物の陳列台・長椅子・長腰掛・法廷の席・裁判官・議席・台地・ベンチホール(便所)・ベンチマーク(測量の水準基標)」。「ペンチ」は「くぎぬき・くぎきり・針金きり」である。「へんち」は「辺地」で「静かな漁村か村」である。そして「偏字」だ。  「ソーマ」は「肉体・死すべきものの墓場」であるが、インドのベーダでは「聖なる飲物」である。日本の地名なら「相馬=祖馬=祖場=祖有婆」で、「祖先の墳墓」である。「相場」は「商品流通」の「価格」の「目安」だ。  「プラトン」の「ポリティア(国家)」では「タガトン(善)のイデア」は思惟よって「真理(光)」を得ることが出来る、と言い、これは、  「洞窟の暗闇の影」   ↓  「太陽=光」   ↓  「実在の形」   ↓  「感覚(視覚)」   ↓  「真理(ロゴス・思惟)=実在のあり方の認識」  と、「神秘」を「言葉(ロゴス)」によって「合理的に説明」していくモノである。「多賀屯(遁)」である。  逆説(パラドックス)的だが「暗闇の中でのドンチャン騒ぎ」で「天照御大神」が「洞窟」から覗き観て最初に確認したのは「鏡に映した己の顔、姿」であった。彼女は「光=真理=洞窟(同句柘)=ロゴスの天界」の中にいて「光=真理」を知らなかったのだ。だが、「暗闇」によって「己(ヨコシマ)の存在=光」を知ったわけだ。・・・「塙保己一(寅之助・1746~1821年)」は「五歳で失明し盲目」であった・・・寅之助は耳学問の達人であった(日本書紀・皇極天皇四年を診よ)が、「桃(peach)」でもあった?  「暗闇」の漢字分解は  「暗=日+音(立日→日立の逆=西=落陽・洛陽・落葉=尾千葉)」、  「闇=門+音(立日→日立の逆=西=落陽・洛陽・落葉=尾千葉)」  である。「館山(たてやま・カンザン)」、その先には「伊豆諸島」の流人の島「八丈島」である。流されたのは・・・「蝦夷地探検・大日本恵土呂府の木標設置」、「高田屋喜兵衛」と親交、その後「紅葉山文庫の書物奉行」、「大坂弓奉行」となって「大塩平八郎(1793~1837年)」、「草間直方(鴻池屋伊助・1753~1831年)」と親交、その後幽閉、閉門「蟄居三年」で死亡した「近藤重蔵(守重・1771~1829)」・・・その息子の「近藤富蔵」だ。「音」は字典の解字には「音=言+一」とある。  「ユートピア(理想国)」は「何処にもない所(ギリシャ語)」の意味であった。だが、「プラトン」はそれを希求(企及)したのだ。だが、彼の「国家」とは「三階級(哲学者=守護者・軍人・農夫、職人)」に選別された「秩序」ある国家であった。その「国家」の「道徳・倫理」は「ピュタゴラス教団の生活原理」を踏むものである。もちろん、「囚人」の解放はあっても、「奴隷」の解放はナイのだ。「ゴルギアス」は「弁論術」であり、「ポイエシス」は「制作・生産する」の意味で、彼の「秩序」とは「ポイエシス」に於ける目的とそのプロセスで、それは彼の「イデア」であった。  「プラトン」は「十二年間の遍歴」を「三度目のシシリィ(獅子利)の旅」で終え、「アカデメイア」を創設した。「重る、似せて撚る巻、遍の歴」、「三度目の志尻入の旅」、「蛙華出女医娃」・・・「かえる、華山の産、音名の意、かえる」・・・近藤重蔵、近藤富蔵・・・混同、混同・・・重ねて蔵、富んで蔵・・・  弟子には「ディオン」が存在した。すなわち、  デイオン(出意音・台音・題音・載音・替音・対音・腿音・胎音・他意音              ↓             体温=三十六度・五分、参拾六度五分)  である。「ディオン」は「シュラクサイ国王(シシリィ)」である「ディオニュシオス一世」の義弟であった。この王が死んだ後「ディオニュシオス二世」をテコにして「プラトン」と「ディオン」は「ユートピア(理想国)」を建設しようとした・・・ワイン、ノンダクレの王ではハカナイ「夢」であったのは自明であろう。  ・・・アトランティス・・・「花井虎一」が行きたかった「金華山・無人島」・・・「近藤富蔵」が流刑された「八丈島」は「女ヶ島」・・・「高橋景保」の「横島」、「阿蘇山頂火口」の「33度」・・・「塩漬け『夢』の島」は「淤能碁呂島」・・・「渡邊華山の噴火」は「イカリの孤島」・・・「小関三英」果たせぬ脱出「エルバ島」・・「高野長英」逃げて「青藍」、「宇和島」、「日振島」+「横島」フリ、フレ、「太陽」であったが・・・「青山」で、「撲殺」・・・「江戸のカタキを長崎」で「ウテ」たのか、どうなのか・・・?・・・夢のマタ夢・・・アキのソラかな・・・

     「プラトンおじさん」達が、「コジキ」を語れば(1)・(38)  さて、「ギリシャ」の哲学者達にイヨイヨ登場してもらい「現存(言存=ロゴス)・古事記」をどのように「ヨン」だらいいのか、「『母』をたずねて3000里」の「マルコ」のように尋ねていきたい。旅する「マルコ」には「地図(輿)」と「コンパス」と「リックサック(カバン・鞄)」、「旅沓(靴)」、友達の「イヌ」が必要だったハズだが・・・「はは(頗葉)」を尋ねて「参撰理=纂撰理」・・・日本人の「コジキ(乞食・古事記)」の「マルコ(磨侶拠・萬侶子)」の旅に必要なモノは、  草履(ぞうり=造理)  日傘(ひがさ=比賀差)  合羽(がつぱ=臥柘葉)=外套  水筒(出納・みづつつ)  弁当箱(弁読場拠・勉唐馬古・便嶋場胡        ・便登場拠・わきまえ、あてる、はこ)  手甲(趣向・酒肴・手交=出交・種交・て、きのえ・て、つめ)  脚絆(記耶判      ・伽蛮=西洋の御伽噺、阿伽は水の事、頻伽は鳥の名前          =客犯・脚本・各般・郭叛)  一反風呂敷(一端、一旦、赴路視記)  杖(譲・序有・女胡・ジョウの全ての異字)  等であるのだが・・・「寝(ね・神)」場所は「木賃(きっちん・睦陳)宿」か野宿(夜宿・耶主苦)で、「ござ(茣=蓙・御座・誤差・語差)」と「むしろ(莚=蓆・寧ろ・武代・務史賂・夢施路・務白)」が必要ではあるな。  「ミレトス学派の哲学」と云うものがあるが、私は、具体的な地理的場所としての「ミレトス」を「1991年の湾岸戦争」まで調べたことがなかった。  「ミレトス」は古代ギリシャの「商業都市」であった。世界地図を観れば地理的な場所は現在の「トルコ」である。  「トルコ」の漢字訳は、私が調べた範囲で、  ① 土耳古・・・図事故・・柘(拓・津・渡・登)地診み振るい  ② 土耳斯・・・図地詞・・柘(拓・津・渡・登)知診み箇々  ③ 土耳格・・・図字画・・柘(拓・津・渡・登)事掛句  ④ 土耳其・・・図時期・・柘(拓・津・渡・登)事記  ⑤ 都爾格・・・渡自覚・・宮古地較・見耶拠虎・綴じ掛句  ⑥ 都児格・・・渡時較・・宮古、宮子互角・診夜拠璽較・味也故事較  なのだ。「土」は「国土」の「土」で、漢字分解ではアキる程、耳が腐る程のワタシの繰り返しだが、「土=十一・壱拾壱」なのである。  耳=みみ・のみ・ふち・へり・ジ・ニ・ジョウ・ニョウ  爾=なんじ・かれ・それ・その・しかり・しかく・かくのごとく・のみ  ↓  爾(なんじ)=(汝・難事・何時・難字・難治・南地・何地・男児・軟字            何似・何示・楠時)          =糸巻(いとまき・異図磨記・意図蒔                暇  記・緯度真記・伊都馬記)  (ばかり・か・ちか・ちかい・しか・みつる)   ↓ ↓ ↓  ↓  ↓  ↓  馬鹿理 掛 治下 治下移 史掛 診柘留  とヨムのだ。「ひらがな」は「本来的な意味」と同時に、この「ひらかな」の「同音異字の意味」をミヨ、である。  児(旧人・舊人)=兒(臼人)・こ・に・わらべ・ジ  「①~⑥」等の漢字は単なる「当て字」でアルはずがナイと私は考えるのだ。  「兒(臼人)」は「古事記」では双子の兄弟「大臼(大碓命)」と「小臼(小碓命・倭男具那王・日本建)」である。名古屋の私の現在的なボロアパートは「大須(おおす)」にあるのだが。「大須文庫」も存在する。「臼(うす)」の熟語は「臼歯」で、「急使・旧師・究詞・窮死・宮支・球史・及次・仇使」、「九死に一生」でもある。「急死」が「誰か」は、「尚歯会」のメンバーである、「臼岳(嶽)=うすたけ」の「火山=崋山(渡邊登)」であり、「失(う)す丈(たけ=他家=獄・ゴク・語句・極)」の「長=丈=譲(高野長英)」であり、「現存・古事記」に記されている最後の「炊(たけ)=豊御『炊』屋(とようけかしきや)ヒメ=第三十三(参拾参)代推古女帝」であり、「焚=焚書坑儒=日本書紀にある国記、帝紀の紛失」で、「蘇我蝦夷邸宅の火事での焚書」である。「うす」は「有珠(うづ)・有図・胡徒・渦=宇土=阿波=安房=あわたつ猿田彦神」で、「蘭学者」の「玖珠(葛・屑・くす)=薬師」である・・・「兒(臼人)」は「皃」に類字するが、同字は「容貌」の「貌=皃」である・・・「白人」とは・・・誰か?・・・「・+貌」は「遥か・遠い・あなどる・かろんづる・もだえる・うれえる」で、「貘(ボウ・バク)」は「歯が強く鉄や銅を喰い、人の『夢』を喰うケモノ」、「縛」は「束縛・捕縛」、「幕」は「幕府」である。  「『夢物語』の高野長英(譲・悦三郎・瑞皐・暁夢楼主人・驚夢山人)」、「『真機論』の渡邊華山(登)」、「『耶蘇伝』の小関三英(貞吉・好義・篤斎・鶴州)」、「『新訂万国全図・日本辺海略図』の高橋景保(作助・作左衛門・子昌・蛮蕪・観巣・グロビウス)」・・・「シーボルト事件の示唆」である。  語学、天文学(暦学)、地理測量学(地図)作成等の「天才」は「ラランドの暦書」を研究し、「ケェンペル」の『日本史』の抄訳『蕃賊排賓訳説』を著作し、「ロシア(於呂斯亜)語」、「蒙古(満州)語」に精通していた『高橋景保(号は子昌・観巣、通称は作左衛門)』であった。無念であった、残念であった・・・「シーボルト」の不用意な「甘言=地図の交換」によって「獄」に下るとは・・・でも、「天才」で「秀才」であった。  ・・・明里の遠い親戚・・・カモネッ・・・『高橋景保』の父親は「伊能忠敬」と並び『日本地図の父母』と言われた『高橋至時(作左衛門・子春・東岡・梅軒)』であった。  高橋・景保=タカハシ・  カゲヤス= コウキョウ・ケイホ・・・景教=耶蘇教        ↓↓↓↓ ↓↓↓↓   ↓  ↓  ↓ ↓     邪蘇教        侘架端施 日下谷州・ 広 狭  渓 歩(稽保=会稽=東台)        ↓↓↓↓    ↓↓       鶏 歩(継歩=会計=解掛)・・・鶏足跡        他化葉詞    邪州=邪馬台国   蒼頡(ソウケツ)=黄帝の書記官

                  鶏=雞→王の阿輩雞彌・王妻の號、雞彌  子昌   =支障・師匠・死傷・師承・刺傷・史焼・史升(帥升)  観巣   =換州・巻諏・鑑州・神州・神巣        諌諏・告喩(卑弥呼・張政・壱与=壹與、臺與)  作左衛門 =索娑重彙問          ↓↓↓↓          作査英文          佐句座重悶          ↓          査=差(よこしま)洩文  『高橋景保(作左衛門)』が精通していた「蒙古(語)」は「ダッタン=タタール=トルコ」である。「ロシア=於呂斯亜(語)文字」は「ギリシャ語の変形文字」を使用しているのだ。「ロシア革命」以前は「ロシア国教」は「orthodox(オルソドックッス・ορθοδοξια)」で、「東方ギリシャ正教会」の系統である・・・「ギリシャ語」と重なるワケさッ・・・「現存・古事記」が・・・織る素、土(度)尽くす・・・と。  「トルコ」、その「Turkey(ターキイ)」は「顔色変化の七面鳥」である。スナワチ、「顔(彦頁=ガンのペイジ・ケツ=諺の経異字・欠・穴・結・蕨・血・訣=死者への訣別)」、「彦頁(ヒコのケツ、カン=比拠の結、巻=毘古の祁津、毛津=肥後の穴、換)」等の「色(シキ・いろ)が変わる七面鳥」の示唆なのだ。・・・渡邊崋山は「色彩」に関しても「絵事御返事二・椿椿山宛」で述べている。しかも、「トルコ人」と「日本人」の「共通項」を「オランダ人」から聴き及んで「記録」している。  「とるこ(図留拠)」・・・「ミレトス」は「Turkey(ターキイ)共和国」の「サモス島の南西」、「ロードス島の北西」、「カソス島の北」、「北緯37度」の海岸に面した付近あたりの「イズミル(イズミール・スミルナ)の南」に存在した。この辺の海峡の「島」は「ドデカネーズ諸島」と記されている。「イズミル(スミナル)」を漢字転換すれば「伊豆診る・出水留、和泉留、泉留(隅、州見名留)」では、あるナッ。シカも、その「南のミレトス」は、古代、そして「江戸時代の幕末(?)」も「アキンド・アキウド(賈=カ)のトシ(年=歳・齢・歯)」であったハズだが、私の現代世界地図には古代「ミレトス」の場所には「地名」が存在していない。  ここは「サモス(作模州)」、「ロードス(蝋土州・浪土州・漏土州)」、「カソス(可塑州・掛蘇州)」、「ドデカネーズ(土出兼絵図)」の「漢字」をアテたい。「ドデカ(δωδεκα・ギリシャ語)」とは「数字の12(十二・壱拾弐)」である。「英語」は「ツゥェルブ(twelve・twelfth・duodecimals)」で、「津重留歩・柘得留分」である。これを「哲学」すれば、  「商(ショウ)」とは古代中国の「殷(イン)」と重なる国家で、「日本語」では「あきんど・あきうど(賈=カ)」の「商い」であり、算数では「割り算の答え」の「商」である。「かけ算の答え」は「積(セキ・つむ)」だが、「棉ツミ・綿ツミ・わだツミ」とは「海」に関係するコトバだが「波」と「綿花」を結ぶ「共通項」は「白色」の「シロ(白)=死路・四賂・詞濾・史賂・師侶」である。私が生まれてこのかた、「日本」には戦争がなかった。が、「きけ、わだつみの声」とは「学徒出陣で死に逝く者のウタ」ではあった。「国家」などは「御破算」にしてもらいたい・・・願望ではなく、スル(州流)、シヨウ(止揚)だが・・・とにかく、「御破算」とは「白紙撤回(博士綴解・薄志姪華意・伯志綴改)」・・・「白=無罪」である。  「白」は「死に装束」、「歯」、「骨」、「雪」、「ツンドラ(シベリアのタイガー・氷土)」色、「石灰岩」、「銀(金艮」、「こぶしの花」、「白樺」、「白菜」、「塩・鹵」、「白紙」、「白人種」、「どぶろく酒」、「西(酉)」、「白虎」の「色」等々で、「老人の白髪(シラガ)」の「色」でもある。「尚歯(会)」とは「老人を敬うこと」である。「孔子」を敬ったのは高弟の「シロ(子路=姓は仲・名は由)」ではあった。隣国の「大韓民国」は八世紀には「新羅(斯盧・シラ)・鶏林」でもあった。  「白」はギリシャ語で「ασπρs(アスプロス=蛙諏付賂素)」、「岩・石」は「πετρα(ペトラ=経渡羅・辺耽羅・経虎・辺寅・ペトロ)」である。「鶏の鳴く前」に「三度」、「師のキリストを知らない」と云って裏切った「ペトロ(シモン)」であった。だが、「ローマ皇帝・ネロ(ネロはギリシャ語で水・梵語で阿伽=アカ)」によって「AD六十年に殉教」したキリスト教会の「礎(いしずえ)」であった。彼は占い「氣門遁甲(九星学)」の「シモン(死門・諮問・指紋・試問)」ではあるな。そして、キリスト教徒の弾圧者の最先鋒であった人物だが、後に「ケイジを受け、回心したキリストの使徒」は「パウロ」であった。「ぱうろ」、「葉を得て賄え」だ。  ・・・「日本書紀」で「大化改新」したのは誰だったか(日本書紀・皇極紀・中大兄皇子・中臣鎌子)?  「打伊賀回申(猿)」したのはダレと、誰であったか(日本書紀・天武紀、信公記=織田信長・木下藤吉郎)?  「タイガー(虎・寅)」の改新(壬申の乱・大海部皇子)?  「拿イカ(意化・異化・易化・『慰禍』・『伊香』色謎(伊迦賀色許賣)・烏賊・凧・紙鳶・『五十日』帯日子)の会臣」したのは誰であったか(九代、開化天皇・十代、崇神天皇・十一代、垂仁天皇)?  「他意化改新」とは、「垂仁天皇」の妻「沙本(佐波遅=差葉字=作本)毘賣(秘め)」、その息子、「三十歳」まで「唖」であった「本牟智(品牟都)和氣」の名前と「物語」の示唆である。「佐の本、他意(毘)、得留(賣)=沙(すな)環(わ)地(ち)」、「本、無知(六地・鞭)、分」、「比、夢、図の厄(hint=ヒントの訳)」である・・・suggestion・・・「hinterland」とは「奥地」のコトだ。「作助(高橋)」の、「本(地図)」、「秘(比・毘=田比=デンヒ伝秘・たひ=対)」に「賣」る・・・  ・・・江戸時代「大火の回診(改心・改新)」をした人物は誰であったか(新井白石=折りたく柴の記には明暦大火誕生、江戸の地震による大火見回り。渡邊華山=鴃舌或問にあるオランダ使節の江戸城西の丸炎上視察)?  「多医家(医科)の改新(改心)」は(鳴滝塾・杉田玄白)?  ・・・「多移加(賀・画)の化維新」は(日本地の図測量・蝦夷地、樺太の探検・間宮林蔵・近藤重蔵・伊能忠敬・高橋景保)?  ・・・「太意臥の回診」は「太安萬侶の改新の字」、「古事記の回し読み」である。  「石灰岩」は、ギリシャ語で、  ασβεστολιθοs(アズベストリソス)              ↓↓↓↓↓↓↓↓              阿頭辺州渡離蘇州・・・阿蘇の頂上の辺り、蘇州を離れ州に渡る?              ↓↓↓↓↓↓↓↓              明日経州渡里措素  である。しかも「灰白色の鋼鉄(アダマース)の利鎌」は「クロノスの武器」であった。そして、コレは「阿蘇山から東、そして西への中国蘇州への日亘理(渡り・航海)」の「緯度」「33度の延長」をミヨ(御輿)だ。  そして「商人」が主に扱うモノは食糧の「米」、「塩(鹽・鹵)」の「白モノ」と「獣・魚・家畜」の「脂(脂肪・あぶら=油)=白身」の「目方売り」である。「古事記」に記録された「四番目、五番目の神」の冒頭の「文字」は「脂(肪)」であった。  「しぼう(志望・死亡・師望・思慕胡)」   ↓↓↓  「始母烏(兎・胡)」=「一《μια=ミヤ=宮                   診耶・壬哉=水のハジメ・壬也                   視邪       =水ナリ》」  「母(《μητερα=ミテラ           三寺=さんじ・参字・讃地・山地              賛辞・惨事・産児・纂治》     《μανα=マナ=真名・魚》     《μαμαχα=ママカ・間々禍》」  「カラス《κορακαs=コカラス・黒色のトリ・烏(ウ)・鴉(ア・ガ)》            =からす・唐州・韓州」  「《καλοs=カラス=美しい、雅・καλλονηs》)」  の「カミ」である。  「烏焉(ウエン)」とは「類似する文字の誤り」の意味で、  「焉(いづくにか)」・・・伊豆国禍・何処国(句似)懸  「焉(すなわち)」・・・・素名窪地・沙倭地・砂輪地・諏名羽地  とヨミ、「漢文」にある「必知乱之所、自起、『焉』、能、治之」とは、  「必ず乱の場所を知れば、自ら起ち、   スナワチ、よく、これを治める事が出来る」  である。  これは「魏志倭人傳の卑弥呼の邪馬台国」の示唆だ。だが、同時に、  「筆致、蘭師(死)の序(如・助・叙・《汝=難事》                 ↓                《恕≒怒》                《女=むすめ・オンナ=音名》)、   時期(事記)、怨悩、事始」  であるナラバ、「蘭学者の難事件(翻訳・蛮社の獄)」の示唆だ。そして、「スナワチ」とは「砂(沙・素名)輪地=九州・阿蘇山」か、「砂(須名=須佐之男=ヒゲ(比解・比外)がタスケル(多州懸留)、コレ(拠例)、オトコ(将図拠)=『八拳鬚至于心前』=本牟智和氣・品牟都和氣)倭地=鳥取砂丘の出雲国(島根)」である。  世界であるならば「砂漠の国」とは、  「ゴビ」・・・・・・・・・・・・・・・・語尾  「タクラマカン」・・・・・・・・・・多鞍馬官  「トラウ(サリイシコトラウ)」・捕う(去り医師胡とらう)  「ギジルクム」・・・・・・・・・・・記事留酌む  「カラクム」・・・・・・・・・・・・・華羅組む  「カビール」・・・・・・・・・・・・ 華美要る  「ルート」・・・・・・・・・・・・・・ 留宇土  「レギスタン」・・・・・・・・・・・ 例疑州旦(胆)  「タール」・・・・・・・・・・・・・・ 多得る  「ネフド」・・・・・・・・・・・・・・・音付土  「ダハナ」・・・・・・・・・・・・・・拿華(鼻・塙)  「ルブ・アリ・ハリ」・・・・・・・・留分・唖(蛙)利・歯理  「ヌビア」・・・・・・・・・・・・・・・奴尾阿  「サハラ」等々に存在する国々であった。・・・「サハラ砂漠」は「ナイル河の西岸」に存在する。「娑把羅(サハラ・さわら)」とは「蘇生(甦生・再生)者の女神イシス」の「ナイル河川両岸」の「水と石、砂漠と太陽」、「金字塔(ピラミッド)と絵文字(ヒェログラフ)」の「国」、「エジプト」である。・・・「早良(さわら)親王」とは・・・さわらぬ神にタタリ(崇)なし、であるらしいが。江戸時代の「日本画家」は既にピラミッドの「絵」を描いていたのだ。「渡邊華山」はギリシャの哲学者、「ヒッポクラテス」の似画像を描いていた。もちろん、その「哲学思想」も知っていたのだ・・・「マクラ」である。  「烏卯・烏兎(菟)」とは、  「二卵性(似乱世・尼乱世・似蘭聖・似爛生・似嵐井・睨歳)   双生児(創世地・総西地・宗生児・早世児・草聖事・捜逝時)   ↓↓↓   ふたご」  の「太陽(アポロン神)と月(アルテミス神=ダイアナ)」で、「日月」のことであり、「月(うさぎ・菟・兎・卯・宇佐祇)」の示唆は「出雲と宇佐、宇土」であり、「日(からす・烏・鴉・雅)」の示唆は「伊勢と常陸、国東」である。「カラス」の色は元は「白」であった。だが、「密通」の「伝言・伝信」、「密告」を誤ったがために「アポロン」に「黒」にされてしまったのだ。  「日月」、九州に限って云えば「肥の国(肥前+肥後・火の芦北・左眼)」と「豊の国(豊前+豊後・菟狭・右眼)」である。  「日陰の国」、「出雲の大国主」を「蘇生」させた母(刺國芳姫=砂州国方比賣)は、「セト」に肉体をバラバラにされて沼地に水没(溺死)させられた「夫(兄)のオシリス」を甦生させた「イシス女神」に重ねているのだ。「出石・石州・医師州」の「母」である。もちろん、「ウサギ」を助けた「大国主」は、「オシリス」の子供である「ホルス」であり、同時に「オシリス自身」が「甦生された分身」でもあった。ならば、「刺國芳姫(イシス)」の夫は「天之冬衣神」で「オシリス」だ。殺された「オシリス」と「イシス」の息子「ホルス」は、叔父である「セト」と、「オシリス」の後継を巡って「八十年間」も争い続けるのだが・・・「陳寿」の「魏志・倭人伝」の「倭国争乱・卑弥呼擁立」も、その粉飾が怪しいし、「魚豢」の「魏略」も怪しい、と云うモンだ・・・  「ホルス(鷹《ヨウ・たか=多可・多河・多寡・多賀                =太日・他意化・大化・大火・大過・大家・逮科                =高=日高、肥厚、比高、肥高、比叡山、飛騨加                =タカは渡邊華山の妻                =高倉下は「夢の啓示」で「一振りの横刀(たち)」                  を得て「神武天皇」に与えた「大蔵解・大倉解」                =高倉下(たかくらじ=多可句羅地・多寡九羅地)                 ↓↓↓                 高宗の下・国府創の下・高僧の下・構想の下                =「出雲大社の下(外・解)」=呉湾の厳島神社                =高倉天皇は第八十代で、後白河天皇の第七子で、                  次の天皇は壇の浦で「二位の尼・時子」と「入水                  溺死」した「安徳天皇(八十一代)」である。                =雁(かり)・鷲(わし)・鳶(とび)                =隼(はやぶさ)                =高野長英》)」  「ウジャト(眼《ガン・まなこ・め・女=むすめ・オンナ              =太陽《大洋・態様・耐用・大要                 対比・待避・退避              =太日=おほひ=将歩日              =おてんとうサマ              =御天 統 様              =音転倒作真》)」  である。古代エジプトの地名「ヘリオ・ポリス(太陽の都市・ヘルモポリス・メンフィス)」はギリシャ語であり、「旧約聖書」では「オン」と呼ばれた地名なのである。「on」は英語では「上」であり、ギリシャ語では「ある(存在・有)」で、日本語の「おん」は漢字での同音異字が多数あるが、「音・恩・怨・温・穏・遠・御」である。  古代エジプトには「八柱(フムン・シュムーン・エネス)の男女神」が崇拝され、すべて「水(ヌ・ヌン)」に関係する「神々」であり、その象徴は、      ①  ②   ③   ④   ⑤   ⑥  男神=蛙・ ナウ ・フフ   ・クク  ・アムン ・シュウ ・ゲブ      ↓ 深淵  無限    暗黒  不可視  空気  大地   対  ↓ ↓   ↓    ↓    ↓  ↓   ↓      ↑ ↑   ↑    ↑    ↑  ↑   ↑  女神=蛇・ナウネト・ハウヘト・カクウェト・アマウネト・テフネト・ヌト                   蒸気   天空  である。そして、「八柱神」は「宇宙神(アトゥム)の涙」から、「人」は「宇宙神(トゥム、テム)の汗」から造られた、とする。後には「八柱神」は「プハタ神」が「九柱神」を産んだことになっているが、「中国の九州=全土」の考え方はコレではないのか。しかも、「霊魂」は「バァ」と「カァ」である。  「オシリス」死後、「ホルス」と「セト」の戦いは「八拾年間」続いて、実権は「イシス女神」が握った。「太陽神ラー(男)」の実権を「ヘビの槍」を造って、これに「咬」せ、苦しんでいる「ラーの両目」に誓わせて「ラーの本命・真実の名」を知り、譲らせたのも「イシス女神」である。  「ウサギ(白・龍・月神=ホンス)」が「カメ(黒・玄武)+ヘビ(青・黄・辰己)」に勝てない話に重なり、コレは「宇佐(宇土)」と「穐(安芸・安岐・飽田・秋田)」の戦いの「噺(はなし・漢字は和字)」の結末である。  さて、「脂肪(しぼう)」の「脂(ラード=lard、λιποs,λαρδι・ファト=fat、παχοs)」、「油(あぶら)」の「油(オイル=oile、λαδι)」だが、太りすぎ(?)で「死亡」した人物らしい・・・のだが、  「次國稚如浮   脂而」、「久羅下那州多陀用 幣流之時 」(古事記)   ↓↓↓↓    ↓↓  ↓↓↓↓↓↓↓↓ ↓↓↓↓  「字告治譲(嬢・擾)支持」、「九羅外名素他拿輿植重留能登岐」  「自国事情    指示」、「苦羅解拿素詫拿与胡重留志事 」  「自国地所鵜(ウ) 私事」、「句拉解拿州侘拿与胡絵留乃図記」           ↓         盧+鳥=鸕=鵜=う  コレが「現存・古事記」の漢字転換だ。そして、「国の形」は「こをろ(許々袁々呂々・拠尾路)、こをろ(航路)に(迩・似)」と「垂り落ちるシオ(しほ・鹽=ロ・塩=エン・鹵=ロ・潮=チョウ・汐=セキ)」によって「淤能碁呂嶋」が出来たのであった。  「鹽・塩」は「海水の塩」の意味で、「鹵」は「岩塩・西方の塩の地・かすめ盗る・略奪」の意味である。「西方の塩地」とは「死海」である。  「淤能碁呂嶋=水(みづ・みつ・スイ)に於(おいて・ああ・に・より・から・を・方の八ゝゝ《二点・バ》=冫=にすい・氷=比・日・肥)、よく、其石(軌跡・奇跡)、口の国は山頂で連なる」・・・「新約聖書・マテオ伝・第5章」の「イエスの山上からの説教の垂れである」・・・  「潮汐」は「海水の流れ・海流」で・・・「鹽の改推」で、「長跡・長関・重石・帳籍・弔席・聴席・喋席・肇施記」である。コレラの漢字はスベテ「古事記」に懸けられているモノで、「化医素意の志雄」だ。  「而引 上  時 自其矛末垂落   鹽之累積  成嶋    是淤能 碁呂嶋」   ↓↓ ↓   ↓  ↓↓↓↓↓↓   ↓↓↓↓↓  ↓↓   ↓↓↓ ↓↓↓  ジインジョウ ジ  ジキムバツスイラク ロシルイセキ セイトウ ゼヨノウゴロトウ  事胤 常  時 事記務罰出螺苦  賂知留異施記 正当   施世悩 頃 読  似音 畳  字 似記務抜出拉句  露詞類施記  正答  是輿廼迂語露読                   賂死類 昔  世読   ↓                     世唐・施意唐   ↓  「じひき あげるとき よこしまにもとむ すえ たれおとす                  しほのたぐいをつみ ならせる                   しま これが おのごろのしま」                     ↓  「字引(辞典) 上げるとき 与る拠は詞の真(横島)の記方(起鉾・貴方・阿蘇)に垂れ落とす エン(円・太陽)の累積  名留 島 これが 尾(岬)の後の露る 始真(島)である」   ↓  「字比記阿下留図記、時期夢末推・句 師将詞累積 名留島 背 尾能語賂詞真」


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