バラの名前(1)
バラの名前(1)
「古事記の構造・・・バヴェルの塔の崩壊 ・・・ドウシの混乱」 ↓ 同志の混乱
動詞=努胡詞=奴牛=怒主
私の「現存・古事記」の読み方は「あそび」であるから、この本を読んでくれるヒトもソノつもりでヨンでもらいたい。何年か前に「007」初代の主役で有名なイギリスの俳優、「ショーン・コネリー」が『薔薇の名前』と云う映画に出演してシブさを魅せていた。その後、この『薔薇の名前・上下巻(ウンベルト・エーコ著作・河島英昭訳・1990年4月5日・6版・東京創元社発行)』と言う本の日本語訳を買って読んでみたが、理屈っぽく、それが私の性格にはあっていたのかとっても面白かった。読んでいる途中で、『第一日・九時課の後・128ページ・十二行目(上巻)』に、 『また、ページの片隅には、頭文字のLが撓(たわ)んで下半分の姿が龍になっていた。』 とあり、続いて、 『他方ではまたVerba[言葉]と言う単語の書き出しの大文字Vが、曲がりくねった葡萄の樹になり、そこに蛇がぐるぐると巻きついて、枝葉の数だけたくさんの蛇の首が描いてあった』 と書かれていた。とにかく・・・『L』と『Verba[言葉]』と云う単語が私の眼の中に飛び込んで来たのだが、伊太利亜(イタリア・伊太利)にも私と似たような発想する人間がいるらしいな、とは思いつつ読んでいたのだが・・・『L(アルファベット第十二字・ローマ数字の五〇)の直角九〇度・漢字の・(乙=L)に相似』で、「L」の象徴は、 Lady・・・・淑女 Late・・・・遅い Latin・・・ラテン(拉典) Left・・・・左 Liberal・自由 London・・倫敦 Lord・・・・首長・君主・主人 で、「L」で始まるのは「letter」もである。「レ(L)」、と「ラ(R)」の発音は日本人には区別が難しいが、同音に聴こえるならば、 rhetor([古代ギリシアの]演説法教師、 [一般に]演説家(orator) rhetorical(修辞学・演説法・美辞・いやに華美な言辞・作文書) rhetorical question(修辞的疑問 ・[強調のための形式的疑問] No one knows Who know?) rhetorical(演説法の・修辞法の・美辞的・綾のある) retell(再び語を換えて述べ直す・繰り返す) である。「修辞学」とは「言葉をうまく使って、美しくタクミ(巧・工・匠=巫女・託美・多句見・他組・拓見)に表現すること(技術)・レトリック」である、と国語字典にはある。「しゅうじ」を濁音も含めて同音異字を採れば、 収支・宗旨・秋思・修士・修史・終始・愁思・習字・重視・従姉・獣脂・十字・住持・従事 である。これは『薔薇の名前』の示唆であると同時に、『現存・古事記』の示唆を意味する「漢字」にも思える。 『V』は「アルファベットの第二十二字・ローマ数字の五・漢字の人・八の逆字に相似)の正三角形」、英和字典にある「V」の象徴は、 Venerable・・・尊敬するに足る人物(『高齢者』)・尊師 Vice(バイス)・・・悪徳・邪悪・代理・副・次??・・V I S E ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓ 万力・査証 ↓↓↓ ↓↓↓↓ ↓↓↓ vice versa ↓↓↓ 逆に・反対に・逆も同様 ↓↓↓ (類似)voice ↓↓↓↓ ↓↓↓ ↓ ↓↓↓↓ 煤 素=賣棲=梅守(梅里=徳川光圀) 声=模 意諏 ・・・倍数 場異州=婆遺諏=毎州(阿毎の王) 模 異素 ・・・場位蘇(阿蘇) Victoria・・・・・英国女王の名前・勝利の女神 Viscount・・・・子爵・・・・・・・・・・・・始借・史釈・詞尺 Voluteer・・・・渦巻・回転・螺旋・・・・・・化懸・回天・羅撰 Va・・・・・・・・・・乙女・処女 va・・・・・・・・・・[楽]続けよ である。 「Venerable」は「尊敬するに足る人物(『高齢者』)」であり、「尊師」である。「尊(ソン)」は「古事記」を「訓」で読ませる時に「みこと」と「発音」させている。「命」も「みこと」と読ませている。そして、一般的に「敬」は「訓」では「うやまう」と発声する。「足」は「たる・たり・あし」で「音」では「ソク」と「発音」する。「人物(ジンブツ)」は「ひともの」である。『高齢者』は「コウ・レイ・シャ」で、「たかい・よわい・もの」であるが、「コウ・レイ・シャ」の同音異字の「漢字の組合せ」は無数に考えられる。例えば「考例舎」と考えてみよう。一般的な熟語は「①恒例・②好例・③高齢・④皇霊」だが、「考例」としてもその意味は理解出来るであろう。だが、考えてみる例としての「舎」とは何か?が問題である。「古代・日本史」に於ける「舎」の概念は『舎人シャジン=写人(とねり)』であり、『舎人親王』は「日本書紀」編纂者等の「総裁」であった。ナニが「と・ね・り」なのか、マッタク、巫山戯ふざけ・ザサンギるんジャナイョッ・・・ルビ振り人はッ・・・。「舎」は「宿舎」で、「牛馬の畜舎」で、「宿曜経の二十八宿星座」の「宿」であった。私が考える「コジつけ」とは以上のモノである。 「①恒例の・・・」は「恒例儀式」、「恒例行事」であり、「慣例の・・・」と同じ意味だが、年間に於ける同じ時期の同じ「イベント=しきたり」である。 「恒=心+一+旦」は「コウ・ゴウ・つね・いつも・ひさしい・ふるい・あまねし」とヨム。「恒」は「審位置旦」か「心胆」、「こころ・はじめ・あした=箇々賂・葉字目・阿詞他」である。 「例=人+列(一+タ+リ)」は「レイ・レツ・レチ・たとえ・たぐい・ならわし・しきたり・ためし・さだめ・おきて・おおむね・あらまし・いつもの・きまった・さえぎる・ただ・つね・とも・みち・ならぶ・つらなる」である。 「慣=心+毋+目+ハ」は「カン・つらぬく」である。 「②好例の・・・」は、「適例の・・・」、「格好カッコウ=郭公・渇仰の・・・(カクスキの)」と同じ意味だが、「郭公」とは「不如帰=ホトトギス=時鳥」だが、「日本書紀」に登場する『郭務宗』ではないのか?・・・漢字構成での『好』は漢字分解すれば『女+子』で、その訓よみが『おんな+ね』となり、その同音異字は『音名+禰(根・値・音・祢・寝)』、音よみが『ジョ+シ』で、その同音異字は『序+詞(史・始・誌・示・試・諮)』等となる好例の漢字」である。 「格好」は「格子(合志・孝子・高士・講師・厚志・公私)=牢・廊」が「好事」で、「孝行息子で、高士で、講師」であった人物は「廊廓」と「永牢(牢獄)」の「好事者」、そして「尾州・厚美(渥美)半島」に住んでいた「有名」人の「好事(女子事・後事)」の示唆である。 「格好=木(キ・もく)+各(カク・おのおの)+女(ジョ・おんな)+子(シ・こ・ね)=規格(企画)の助詞(序詞・女史)=記・『小野』・音名・拠(値)」である。『小野妹子』、『小野小町』、とにかく、歴史上の各『小野・・・』の「姓」を有する人物の「事績」が格好の例となる示唆だろう。 「③高齢」は「老人」の意味であるが、「高(コウ・たかい)」と「齢(レイ・よわい・とし)」で、「高+歯+令」=「コウシ令」である。あなたは「コウシレイ」にどんな同音異字の漢字を採るだろうか?私の場合はスベテの同音漢字を当てたいのだが。②を適用すれば、 コウ=「口(調)」・「講(述)」・「交(差、換、歓、感)」・「好(漢)」・「黄(帝)」・「孔(子)」・「廣(仁)」・「工(巫・医・匠)」・「皇(帝)」・「高(宗)」・「(武)后」・「後(悔)」・「孝(徳、謙)」・「熊(本)」・「甲(府)」・「(諸)侯」・「塙(保己一)」・「(開)港」・「光(圀)」・「江(戸)」・「(瑞)皐」・「向(寒)」・「(原)稿」・「(推)敲」・「頁(数)」・「行(間)」・「甲(乙)」・「控(帳)」・「公(刊)」 ・・・「乞う指令・請う司令・交史齢」等・・・ と、「たかい(他界・多会・多甲斐・他改・他解・太解)」である。歴史上の「人物」、「場所」、「書物」、「記述」の重なりで、「年齢」である。 「高」の「齢(歳・年・歯)=歯+令(葉+霊)=指令(司令)」の、『高』とは誰か・・・?・・・「尚歯会」の「司令」・・・「高野」・・・「(瑞)皐」で、ラン学者で火付け、牢破り、逃亡の「高野長英」ではないのか? 「④皇霊」は「天皇・皇后・皇帝の死後(死期)の霊魂(例混)」で、「降霊」である。「年代・年号・月・日」の「齢混」の重なりの示唆だ。 とにかく、「L」も「V」も私にとってはコンパスの『形』である。すなわち、「円を描き、その度数を計る道具」である。自分の意識に添ったモノにしかみえない「何モノかのエ(文字)」は、心理学として「ロールシャフの絵」が、その意味を教えてくれているのだが・・・私に関しての「自分の世界」は、一応、「他人の世界(古事記研究)」をみての、比較前提にした「自分の世界(現存・古事記の推理研究)」ではあるのだが・・・。 『Verba[言葉]』を「ヴァバ」、「ばば」、「ばぁば」と声を出してヨンでみたのだが、「バァ」は「古代エジブト語」では「霊魂・聖霊」であった・・・「婆婆」、「婆阿婆」・・・頭にイメージされたのは漢字の、 「馬場(午場)」・・・・・・・・・・・・・・・・ゴバ 「婆場(老婆の場所=伊邪那岐(黄泉))」・・・・キセン・よみ 「婆把(老婆の把握)」・・・・・・・・・・・・・ロウバ 「罵葉(罵倒の言葉)」・・・・・・・・・・・・・バトウ 「罵覇(ローマの覇権)」・・・・・・・・・・・・ハケン 「芭場(芭蕉の場所・伊賀・旅・宿・さび)」・・・ミチのク 「葉把(言葉の把握)」・・・・・・・・・・・・・ハアク 「把頗(ヨコシマの把握)」・・・・・・・・・・・ヨコシマ・ジャアク 「波般(磯)」・・・・・・・・・・・・・・・・・キ・いそ 「羽葉(筆、ペンで記録された文字)」・・・・・・ハバ 「爬歯(爬虫類の歯・トカゲの歯)」・・ハチュウ ルイのシ ↓↓ ↓↓ ↓ 葉中 留意 師 歯虫 留飴 漬 歯中 留遺 詞 ↓ 「尚歯会」の仲間の死(史) で、『尚歯会』は「江戸時代の『蘭学者のサークル』」であった・・・とにかく「バ」と「ハ」の同音の重なった漢字なのだ。 ・・・『バ・ラのナ・マ・エ』である。厳密に云えば「バ・ラ・カのハ・ナのナ・マ・エ」の秘密である。「紫薇苑」とは星座の配置である。「薇(ビ・ミ・えんどう・からすのえんどう・ふなばらそう・ぜんまい・わらび)」は「さるすべり=百日紅」である。・・・美・味・沿道(遠藤・円筒)・香良洲の沿道(援問)・舟場羅総・喘摩医・倭羅備・・・ それで、私は「ヴァバ(verba)」の音が無性に気になって「英和辞典(エッセンシャル英和辞典・昭和42年3月15日・重版発行・㈱)旺文社発行」を開いて捜したのだが、「verba」の単語はなかった・・・あったのは、「verbal」である。「l=L」が語尾にくっついているのだ。・・・類似音の「バァバー(baber)」は「理髪師・床屋」である。だが・・・スペルが違う・・・でも英和字典には「昔は外科医や歯科医を兼ねた」とあるのだ。『外科医(下界)』と『歯科医(視界・四海・斯界)』である。「babery」は「ヘビノポラズ属の植物・その実」とあり、「baber’s itch」は「もうそう(毛瘡)」とあるのだ。「妄想」ではあるなッ。 「ヴァブ(verb)」は「動詞」であるが、「ヴァバ(verba)」ではない。「vavasor」は「陪臣の小大名」で、「vavasory」は「小大名の領地」とあった。 「バァバル」、「バァベル」、「バァブル」、「バァボル」と声を出してヨンでみて・・・「バベルの塔の崩壊、破壊」が私の心象の中でおぼろげながら映し出されていったのだが・・・やはり、スペルが違う、だが、 「①Babel」・・・・「旧約聖書・バベルの塔・摩天楼・架空的計画・ 言語の混乱」 「②babble」・・・「片言・お喋り・無駄口・[小川のサラサラと云う] ざわめき・秘密を喋り漏らす」 「③babbler」・・「片言を云う幼児・お喋りする人・[秘密を]喋る 人・[小鳥の]つぐみの類」 「④bubble」・・・「あわ(泡・沫)」・・・・・「粟・阿波・安房」 「アワせる」・・・・・・・・「併せる・合わせる」 である。「『B』のページ」のそれらを確認して、「var」をみると、 var=variant・・・・相違する・異なる・[写本の]異本・異文 variation・・不同・変化・変動・語尾変化 variety・・・・多様性・別種・取り合わせ variometer・磁力計・気圧計 various・・・・異なった・様々な・多方面の・多芸の variola・・・・・・・・天然痘 varioration・・・・種痘 varialectio・・・・[ラテン語で]異本・異文 「variant(ヴァリアント=バアリアント=馬有鞍徒・葉有按図)」はまさに、「相違する・異なる・[写本の]異本・異文」であるのだ。もちろん、「現存・古事記」、「日本書紀」である。 そして、再度、1476ページを開くと、その一行目には「venter」、訳は、 「腹・腹腔(フッコウ・母)」 「 a son by another venter」 「the son of another venter」 「腹違いの子」とある。「異母兄弟」である。なるほど、「母親」の別称は「お袋(ふくろ・タイ)」で、「タイ」ではあるな。国名なら「タイ」とは東南アジアにあり、昔は「シャム」と云った。漢字ならば「舎務・社務・写務・柘務・洒夢・娑務・沙務・詐務」だが、なまった言葉が「軍鶏(シャモ)」で、「タイ」の博奕(博打・賭博)で「民衆的なカジノの鉄火場」である。「闘鶏(統計・東経)=鶏闘(傾倒・系統)=鶏頭(ひゆ科の一年草)」である。「統べて計る、東の経」でならば、「古事記・日本書紀」の類だ。 『薔薇の名前(上巻・第二日・172頁・五行目~173頁・八行目)』を抜粋してみると、興味深いことが記されている・・・ 私たちは施療院に着いた。ヴェナンツィオの遺体は浴場で洗われた後、そこへ移されてきて、セヴェリーノの薬草係詰所の大きな台の上に横たわっていた。ガラス製や陶製のさまざまな蒸留器、その他の器具が並んでいて、錬金術師の工房(人の噂に聞いて私はそれを知っていただけではあったが)を連想させた。壁を背にして造られた長い柵の上には、色とりどりの薬剤を入れた壜や壷や甕の類がぎっしりと詰まっていた。 「すばらしい蒐集だね」ウィリアムが言った。 「みな、ここの薬草園で採れたものかね?」 「そうとは限りません」セヴェリーノが言った。 「この地方には育たない、数多くの珍しい植物を、毎年、世界各地から集まって来る修道僧たちが、ここへ届けてくれるのです。この土地の薬草から容易に抽出できる物質のほかに、入手のむずかしい貴重な見本も混ざっています。ご覧なさい・・・カタイの国から来たアガリンゴの粉末、アラビアの学者からもらったものです。インディア諸島から来たソコルトリーノ・アロエ、最高の傷薬です。水銀、死人を生き返らせると言うが、正しくは気絶した者を目覚めさせる草です。砒素、非常に危険で、飲むと命を落とす劇薬です。瑠璃草、肺病によく効きます。郭公草石蚕(かつこうちょろぎ)、頭蓋骨折に効能があります。乳香、これは肺炎や重度の炎症を抑えます。没薬(もつやく)・・・」 「あの三博士が贈物にしたものですか?」私がたずねた。 「あの三博士が贈物にしたものです。ただし、ここでは流産の予防に用いて、バルサモデンドロン・ミッラという樹木から採取します。そして、これがムーミアです。滅多に手に入らないもので、ミイラ化した死骸を解体して作ったものですが、いろいろな薬の調合に用いると、奇跡に近い効果をあげます。薬用マンドラーゴラ、これには覚醒作用があります・・・」 「それから欲望を掻きたてる効果も」と、ウィリアムが補足した。 「そう言われてはいますが、ここではそのような処方はいたしません。もちろん、お察しいただけることだとは思いますが」セヴェリーノが微笑んだ。 「では、こちらをご覧ください」そう言って、一つの壜を手に取った。「酸化亜鉛、眼病の特効薬です」 とあるのだが、このヶ所は「現存・古事記」の「編集意図」の示唆と同時に、ここに使用され、記されている「漢字(強調文字の部分)」は、私が「同音異字」として検討してきた重要なモノである。医者が用いる「カルテ」は日本語訳で『処方箋』である。「箋」とは「辞典」にも使用された文字である。「カ・タ・イの国」の国とは何処の国なのか知らないが、「硬(・)・堅・固・難・過怠」で、「掛他意の句似」である。では、「郭公草石蚕(かつこうちょろぎ)」が、「頭蓋骨折に効能」ありとは何か?・・・『郭(くぐつ・郭務宗)』、『公(おおやけ・公孫氏)』、『草(くさ・草壁皇子・日下王・日下姫・皮下)』、『石(いし・蘇我倉山田石川麻呂・石川五右衛門・石州=岩国)』、『蚕(かいこ・懐古・回顧・解雇・改拠・甲斐虎・天中ム)』、『頭(かしら・可視羅・橿羅・下肢裸)』、『蓋(ふた・譜多・敷他・分他・豚)』、『骨(ほね・骨太・骨髄)』、『折(おる・尾留・将留・緒留・緒方洪庵)』、『効(きく・起句・規矩・聞・聴・記句・紀句)』で、『緒方洪庵』は「文化七年備中」に生まれ、十六歳で大坂に出、蘭学医の『中天遊』に学び、その後、長崎に遊学し、「天保九年」に大坂で『適塾』を開校。幕府「奥医師」、「西洋医学所頭取」を兼務し、「喀血」により「文久三年」に江戸で死没した人物である。・・・彼の育てた門人の「名前」を見よ、である。 さて、話は跳んだが、「タイ国(シャム)」の「闘鶏(統計・東経)=鶏闘(傾倒・系統)=鶏頭(ひゆ科の一年草)」である。 ・・・日本に関係した「シャモの系統の比喩掛の位置念想の人物」とは、『山田長政』で、「シャムの太守」となって1630年に「六昆」で暗殺(毒殺)された人物である。「山田」は、ここでは「サンタ」とヨンでもらいたい。「サンタ(纂多)・クロス(句賂素)」の「ニコラス(似凝らす・爾凝らす・字凝らす)」である。「古事記」の「山田の案山子(かかし・アンサンシ=暗算詞・安産施・案纂史)」、「くえびこ(久延毘古=崩彦・句重比古)が知っている人物」は「少名毘古那神」であった。「少名毘古那神」とは「神産巣日神の御子」であった。ここは・・・「訓ヨミ」に騙されてはいけないのだ。 少名毘古那神=ショウメイビコナシン(カン) ↓ ↓ ↓↓↓↓ ↓ 証 明 備胡拿申 (鑑・巻・漢・艦・姦・諌・換・・・) ↓ ↓ 照 明(名・命・盟・姪・鳴・謎・女意・眼医・芽萎) ↓ ↓ 正 銘 ↓ ↓ 姓 名 である。そして、 神産巣日神の御子=シンサンスヒンのオンシ=カンサンスヒカン ↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 審 纂 諏比務 音 詞・ 巻 纂 誰 換 ↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 辛 酸 洲貧 恩 賜・ 換 算 諏比鑑 心 算 素品 恩 師・ 甘 酸 酢匙換 ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 清 惨 守貧 遠 思・ 諌 纂 酔漢 (水汗) これは、「清国」が西欧の列強諸国に植民地化されている惨状を恐れ、「日本国=江戸幕府」に「過去の同類の歴史事件を重ね」て、諌めている示唆ではないのか・・・もちろん、「少・名・毘・古・那・神」、「神・産・巣・日・神・御・子」の各漢字の全ての「音訓」でヨンだ「同音異字」の意味の「歴史的事件」の示唆でもある。 さて、「鎖国以前」、東南アジア諸国には「日本人町」が多数存在した。「1621年」の「年表記事」を素直に信じれば、「3000人の日本人がマニラ近郊の『ディラオ』に日本人町を復興する」とある。「麻似羅(魔似・・磨似拉)、参千人(サンチジン=三千人・纂地尋)、出意苧(尾)羅の似本帳、復校」である。「ジャガタラ芋」とは何処の原産か?を考えて欲しい。・・・『ジャガタラ・お春(ゼロニモ・マリア)』とは異国人の父『ニコラス』と長崎の日本人の母『マリア』との間に「寛永二年」に生まれ、「寛永十六年二月」の十五歳の時にジャカルタに追放された女性である。夫は『シモン』であった。恋しい、恋しい日本への追慕は、「日本恋しや・・」の文であった。 1630年代・・・西洋諸国ではキリスト教国は「カトリックとプロテスタント」に分裂対立していた。「鎖国」の主なる原因の発端は「オランダ・イギリス」と「ポルトガル・イスパニア」の利害関係にあり、「オランダ」が「日本貿易の独占」を狙って「カトリック諸国」を「宣教師=植民地政策の手先」と批判、非難したことに幕府が「危惧・疑懼」したからである。 「腔(コウ・あな)」は「月+空」である。前ページには「vent(穴・もれ口・通風孔・噴気孔・銃眼・[大砲の]火門・[管楽器の]指孔・[鳥、魚類の]肛門・[感情の]はけ口)」があり、「[追われたカワウソが呼吸するために]水面に浮かぶ」とあるのだ。「将、話の例、多。カ・ワのウ・ソ、コキュウ(虎扱・古究・拠旧)、スイメン(出面・諏意女六・炊女務・帥女武・水女霧・誰女武・推医夢)にウカブ」である。 「venter」の同じページの最後の行には「venu」、訳は、 「裁判地・陪審員の召集される場所・裁判管轄区」 とあり、江戸時代なら「奉行所」の「白砂」である。「お白砂」と言えば、登場するのは「桜吹雪の入墨」、『遠山金四郎』と相場が決まっている。 次の行には「Venus(ヴィーナス)」・・・「那須高原(栃木県)」には皇族の別荘地があり、「茄子」が「長円形で紫黒色の実を結ぶ一年草の植物」であることはあなたも知っているに違いない。源平合戦での「屋島の戦い」では「那須之与一(宗高)」は「強弓」の名人であった。彼は「下野(しもつけ・栃木)の総領」であった。 言葉の「なす」は「連体修飾語」の「・・・のうように。・・・のような」である。そして「ビイ(B・美意・尾位・備意・日位・薇位)」の「生す・為す・成す・済す・作す」でもある・・・その最後の行には「verd antique(蛇紋岩・美斑岩)」である。この「単語」は「教会建築」に使用される建材である。同音異字は「拿文元(駄文含)・毘半眼(批判眼)=大仏」である。そして、この「金星の女神」と「蛇紋岩・美斑岩」の間に問題にしたい『verbal』があるのだ。 「Venus」・・・愛と美の女神・金星・太白星・・・他意葉句施彙 ミロ・ヴィーナス=診ろ、美(備・薇・尾)名素 「vracity」・真実を語ること verb・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・動詞 ↓↓ ↓↓ ↓↓ 同志・同誌・同氏・同市・同視 ↓↓ 同士・同紙・道師・道士 バアブ=罵阿武(則天武后への罵倒) 同じココロザシの「同志」である。「同志の混乱」である。原因は「同誌(古事記?)」の「言葉を動かせ」で、「言葉を変化させよ」との問題提起に「混蘭(混入させよ蘭学)」させたコトにである。 verbal-mistakes・・・・語句の誤り verbal-criticism・・・・語句批評 verbal-image・・・・・・・言語心象 verbal-contract・・・・・口頭契約 verbal-translation・・・遂語訳 verbal-message・・・・・口上・伝言 verbal-note・・・・・・・・・外交上の口頭通牒、口上書 verbal-noun・・・・・・・・・動名詞・不定詞・分詞 ↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓ 同盟士 不貞士 分子 同名詞 婦綴詞 文詞 文士(戯作者) 「同盟の史(始・姉)」とは、「邪馬台国の連合の始(女+台)=卑弥呼、姉(女+市)=壱与」である。歴史上の概念としては中国戦国時代の「合従連衡」で、地理的に「縦と横に並ぶ国家間の同盟」だが、江戸時代の「同盟(連盟・連合)=同名」の「志士」とは誰か? ・・・「何の為」の「合従連衡」であったのか?・・・国防・・・己句謀(?)・・・「連行」されたモノの「告望(刻暴・酷暴・獄房・極模胡・語句謀)」・・・「誰」が「連行」されたのか? verbal-concordance・・要語索引 ↓ ↓↓↓ ↓ ↓↓ コン コウ ダ ンス 混 交 箪 笥 丹 州 金 光 檀 州・・・新羅 コン コ ァ タン ス 根 虎 娃 誕 州 ↓ ↓ 探 諏 verbalism・・・・・・・・・・言語的表現・語句批評・語句拘泥 語句詮索 verbalist・・・・・・・・・・・語句批評家 verbalize・・・・・・・・・・・を動詞に変える verbally・・・・・・・・・・・・言葉で・遂語的に 口頭で・動詞で verbatim・・・・・・・・・・・文字とおりに・遂語的に・遂語訳 「verbatim et literatim」 ↓ 一字一語変える事なく(ラテン語の文句) verbena・・・・・・美女桜(櫻・索羅・佐倉・佐句裸) ↓↓↓ 作拉・作羅=讃良・詐螺 美女王 ↓↓↓ 火女王=木花之佐久夜姫(八尋殿) 肥女王=こえる女王=越える女王 比女王=比較女王 卑女王=火所 ↓↓↓ 秘序謳・・・古事記・序文・負 verbigage・・・・・・・冗長、冗語の多いこと・ 語句 選択 ↓↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓↓ 太 乞途 極 潜他句 ↓↓ ↓↓ 他意言(異)↓ ↓↓ 嬢朝 上戸(上古) 告 戦託 ↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓ 卑弥呼・壱与 国 戦託 ↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓ 譲帳 定語 極 箋拓 ↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓ 『高野長英』=(譲長) 綴語 獄 辞書 verbose・・・・・・・・冗長な・くどい・口数の多い言葉 verbosity・・・・・・・多弁・冗長・冗漫・くどさ verboten・・・・・・・当局より禁止された verbum sat sapienti ↓ (賢人には一語にて足る=verb sap) 「verify(ベリファイ)」は「パーソナルコンピュータ」を所有しているヒトならその意味で「コピー(複写)」する時に何度も使っている言語であろう。「立証する・照合する・事実が予言を立証する」である。 「古事記(ko ji ki コ ジ キ)」の構造 ↓ ↓ ↓ co gi ta ti on(コジティション) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓(故事綴所武) ↓ ↓ 太 知 音 ↓ ↓ ↓ GIドレミファソラシドの「シ」 ↓ ↓ ↓ ↓ 幼児語のアリガトウ(タァ) ↓ ↓ 米国兵士・官給品・軍規格の・胃腸の(g・i) ↓ 共同の・共通の・余・補 ↓ Company(商会)・紹介・照会・哨戒・詳解 ↓ County(州)・・・集・醜・周・宗・終・囚・収 ↓ 秋・楢・酋・襲・鷲・蒐・拾 (郡)・・・・・・グン・こおり=氷・凍・桑折 ↓ ↓↓↓ ↓ 胡将理=虎将裏 軍(いくさ)・群(むれ) ↓↓↓ ↓↓ 委句作 武例 cog・ i・ ta・ ti・ on ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 歯車 私 感謝 第七音 (前置詞= ↓ preposition) 興味 音階シ ↓(on) ↓ 支持・接触・付属・に、の interast 近接・側・の近くに、に 動作・感情などの方向、に 基礎・根拠・理由・で 時間・に事・して 関係・従事・して 方法・状態・で、して 手段・道具・で 累加・で、 (副詞=adverb) 接触・被覆・上に・に 動作・時間・前方へ・にて 継続・し続けて・継続して 流通
バラの名前(2) 『薔薇の名前(上巻)』の「264頁」には師匠と言われる『ウィリアム』が「謎の文字」に対する見解を見習い修道僧の弟子『アドソ』に述べる下りがある・・・
「出来るとも、アラビア人の知恵を少しばかり知っていれば。隠された意味の解読に関する最良の論文は、いずれも異教の学徒たちの手になるものだが、オックスフォードにいたころ、いくつか講義を聞く機会があった。ベーコンがいみじくも言ったように、知識の獲得はさまざまな言語の学修を通して行われるのだ。アブー・バクル・アフマド・ベン・ワシーヤ・アン・ナバーティは何世紀も前に『古文書の謎を解読したいと願う信徒の気違いじみた願望の書』を著して、魔術に用いるだけではなく、軍隊と軍隊とのあいだの通信や、王と使節のとのあいだの秘密連絡に用いる、謎の文字について、その組合せ方法や解読の規則をたくさん披露してみせた。その他にも、じつに巧みな方法を列挙した、アラビアの文献を、何冊かを見た覚えがある。たとえば、ある文字を他の文字と入れ換えてもよいし、綴りを逆さまに書いてもよいし、文字を逆に配列する場合もある。一つ置きにする方法もあるし、まったく別の方法を用いて、いまの場合のように、文字を黄道十二宮に置き換える場合もあるが、そういうときには隠された文字に数値を付与させたり、別のアルファベットに基づいて数字を別の文字へ変換することもある・・・」
と。この『ウィリアム』の見解は私と全く同じモノである。 私にとって『薔薇の名前』とは、「現存・古事記」に於ける『キクの名前』でもある・・・そして、「この漢字自体」こそが、『謎の文字』なのだ。『薔薇の名前(下巻)』の92頁から93頁には、この師弟が「ウェルギリウス」に関しての会話が記されている。
「わが故郷の島国の人間はみな少し狂ったところがあるから」ウィリアムは誇らしげな口調でそう言った。 「別の書棚を覗いてみよう」 「ウェルギリウスです」 「いったいどうしてここに?ウェルギリウスの何が?『農耕詩』か?」 「いいえ、『摘要』です。話にも聞いたことがありませんでした」 「それはあのマローのほうではない!トゥールーズのウェルギリウスだ、われらが主の生誕後六世紀に出た雄弁家だ。賢者として大変に名が高かった・・・」 「芸術とはポエーマ〔詩〕、レトリア〔修辞〕、グラマ〔文法〕、レポリア〔諧謔〕、ディアレクタ〔論理〕、ジェオメトリア〔幾何〕である。とここに記されてますが・・・いったい何語ですか、これは?」 「これもラテン語だ。ただし、この人物の考えだしたラテン語で、こちらの方がずっと美しいと思いこんでいるのだ。ここを読んでみるがよい。こう書いてあるぞ。天文学とは黄道十二宮の記号の研究であり、それらはモン、マン、トンテ、ピロン、ダメト、ペルフェッレア、ベルガリック、マルガレト、ルタミロン、タミノン、それとラパルトである」 「気でも狂っていたのですか?」 「それはわからん、わたしの故郷の島国の人間ではなかったから。よいか、さらにこうも書いてあるぞ。火を書き表すのには十二の方法がある・・・云々」 と『ウィリアム』が『アドソ』にその方法を教えるくだりがある。その「・・・云々」のヶ所は片仮名で記されているが、これを「平仮名」にして箇条書きに抜粋してみると、
①イグニス、コクィハービン(生き物を煮炊きする言い方を持つがゆえに) ②アルド、カラクス(熱を発するので) ③フラゴン(炎の立てる音から) ④ルジン(赤い色から) ⑤フマトン、ウストラクス(焦げることから) ⑥ウッティウス(仮死状態の手足を生き返らせるがゆえに) ⑦シルレウス(火打ち石から打ち出すので。 そしてこれも、火花を打ち出すとき以外には正しくは 名ずけられていないので) ⑧アエネオン(アイネイアース神から。なぜなら、この神はその中に 住んでいて、彼によって基本要素の息吹がもたらされるがゆえに)
と、あるのだ。そして100頁には、『アドソ』が師匠の『ウィリアム』に「一角獣」に関して尋ねる下りがある。
「では、古代の学問の大家たちは、どうして、一角獣の本性に関する啓示を、神から得たのでしょうか?」 「啓示ではない。経験だよ。たまたま一角獣の棲む地方に生まれ合わせたとか、さもなければ、このあたりで、まだ一角獣の棲んでいた時代に生まれたとか」 「でも、師匠、あなたが一貫して足跡を追い求めてこられた古代の学問を、あまりにも勝手な解釈で歪めながら、虚偽の書物が伝えてきたとすれば、これ以上どうして信じられましょうか?」 「書物というのは、信じるためにではなく、検討される対象として、つねに書かれるのだ。一巻の書物を前にして、それが何を言っているのかではなく、何を言わんとしているかを、わたしたちは問題にしなければならない。この点に関して、聖なる書物の昔の注釈家たちは明晰な考えを持っていた。これらの書物に語られている一角獣は、倫理的、寓意的、神秘的な真実を隠しているのであって、純潔を高貴な美徳とする考えが真実として留まるのと同じように、それを真実として留まる。ただし、これらの三つの真実を支える、文字の上の真実に関しては、どのような根元的な経験の事実からその文字が生み出されたかを、調べてみなければならない。文字は検証されねばならないのだ、たとえその超越的意味が有効に留まるとしても。ある書物の中に、ダイヤモンドを切れるのは山羊の血だけだ、と書いてある。わたしの偉大な師ロジャー・ベーコンはそれが真実でないと言った。理由は簡単だ。それを試してみたが、成功しなかったからだ。しかし、もしもダイヤンモンドと山羊の血の関係に、より高次の意味があれば、それは損なわれずに留まるはずである」 「では文字の上では嘘をつきながら、より高次の意味を述べることができるのですね」
と。さらに、158頁で、『ウィリアム』の考え方を披露している。
「・・・じじつ、私たちの時代においても、<名辞ハ事物ノ結果デアル>という者がいるとはいえ、にもかかわらず『創世記』はこの点に関して非常に明確なのだ。すなわち、神は人間のもとへすべての動物を連れていき、それらを何と呼ぶかを見られた。そして人間がそれらの生き物の一つ一つを何と呼ぼうとも、それがそれぞれの名前にならねばならなかった。そしてこの最初の人間が、エデンの園の言語において、非常に明敏であったが故に、一切の事物や動物に対してそれぞれの性質に応じた名前をつけたとしても、だからといって一種の至高な権利を行使して彼が、自分の判断よってそれぞれの性質にふさわしいと勝手に考えた名前を想像しなかった、とは言えないであろう。なぜなら、現に、人々が同じ概念を表すためにつけた名前が、まことに多様であり、万人とって同一なのは概念だけ、つまり事物の記号だけであることが、すでによく知られているのだから。したがって、〈名辞〉はたしかにギリシア語の〈ノモス〉すなわち〈掟〉から生じたのであるが、何よりも数々の〈名辞〉が数々の人々によって〈随意に〉、すなわち勝手な共有の取り決めによって、与えられてきたのである。」
と・・・。これらの抜粋したヶ所の考え方を、私は「古事記」と言われるモノに対してやってきたのである・・・のだが。 そして、『薔薇の名前(下)』の334頁~335頁には『アリストテレース』の「ギリシア語の筆写本」である、『詩学』の『第二部』をみせてもらいたいと『ウィリアム』は盲目の『ホルヘ』に要求する場面がある・・・そして、その部分には、
「第一部」では悲劇を取り扱い、それが憐憫と恐怖とを掻き立てることによって、どのようにして感情の浄化を行うかについて述べた。先に約束したとおり、今度は喜劇を(むろん風刺劇や無言劇をも含めて)取り扱い、それが諧謔の喜びを掻き立てることによって、どのようにして情念の浄化を達成するかについて述べてみよう。情念が考察に値することは、すでに霊魂論において言及したが、それは・・・すべての生き物のなかにあって唯一・・・人間だけが笑いの能力を備えているからだ。それゆえ以下においては、喜劇がいかなる型の行為を模倣するかについて定義し、ついで喜劇が笑いを掻き立てる手段について検討することにしょう。この手段こそは所作であり話法なのだ。したがって、以下において、所作の諧謔がどのようにして生ずるかを、すなわち、最善を最悪へ同化させたりその逆を行うことによって、欺きながら人を驚かすことによって、不可能なことや自然の法則を蹂躙することによって、無関係や無定見によって、登場人物を貶めることによって、剽軽で低俗な無言劇を用いることによって、不調和によって、無価値なものを選び出すことによって、それぞれに生ずることについて示してみよう。ついでまた、話法のが諧謔、異なった事物に対する似通った言葉と似通った事物に対する異なった言葉の取り扱いから、饒舌や反復から、言葉の遊びから、縮小辞から、発音の間違いや誤用などから、どのようにして生ずるのかについて示してみよう・・・
と記されたあった。・・・その『第二部』には、『ウィリアム』のことば(340頁~341頁)を抜粋すれば、
「・・・喜劇は〈コマイ〉すなわち農村で、食事や宴会の後に述べられる戯れの祝辞として、発声した。それは知名の人士や取り立てて有能な人物について語ろうとするのではなく、歪小で滑稽な、だだし邪悪でない人物ついて語るのであり、主人公の死をもって物語は終わらない。それは平凡な人間の欠点や悪癖を示すことによって、滑稽さがもつ効果に達する。ここで、アリストテーレスは笑いを誘う傾向を認識の価値さえ高める一つの善良な力と見なそうとしているのだ。なぜなら、辛辣な謎や、予期せぬ隠喩を介して、あたかも嘘をつくかのように、現実にあるものとは異なった事象を物語ることによって、実際には、それらの事象を現実よりも正確にわたしたちに見つめさせ、そうか、本当はそうだったのか、それは知らなかった、とわたしたちに言わしめるからだ。この世界や人間たちを、現実の姿や、わたしたちがそうだと思い込んでいる姿よりも、悪しざまに描き出すことによって、要するに、英雄叙事詩や悲劇や聖者伝などがわたしたちに示してきた方法とはことなり、悪しざまに描き出すことによって、明るみに出された真実。そうであろう?」
と。だが、・・・『アリストテレース』の「ギリシア語の筆写本」である、『詩学』の『第二部』は、この物語の中では「灰塵」となってしまった・・・ 「デカルト」と言う「哲学者」が存在したが、彼の有名な「命題」をあなたは知っているに違いないとは思うが・・・「世界人名辞典(㈱東京堂出版・昭和41年4月5日発行)」をみれば、彼はフランス人であり、「1596年3月31日誕生~1650年2月11日死没」と、ある。日本なら「1600年」は「関ヶ原の戦い」であるから、その「50年後に死亡した人物」である。彼は「哲学」のみならず、「数学」、「物理学」、「法律学」、「医学者(解剖学者)」であった。「十八歳で志願兵」、「音楽提要」を著作、「三次及び、四次方程式の根を抛物線と円とによって作図することを考案した。1621年軍籍を脱し、数年欧州各地を旅行。1626年~1628年まではパリに生活、1629年~1649年まではオランダに住んで著作に専念した。1649年、「スウェーデン(瑞典)女王」の師傳として招かれ、ストックホルムに赴き、進講しながら学会で活躍した」とある。『瑞・典の序・謳』である、彼は江戸時代の誰かと似てはいないか?・・・『瑞皐(高野長英)』の「辞典(事典)」・・・そして、「古事記」の「序文」である。 その哲学的著作は、
「方法叙説」・・・Discours de la methode 「第一哲学省察」・Meditationes de primaphilosopha
「哲学原理」・・・Principia philosophiae
「情念論」・・・・Lespassions de lame
である。
「Dscartes(デカルト)」 ↓ 「cogito ergo sum」=我、 思う 故、 我あり 我、 思惟、 故、 存、 我 ↓ ガ、シイ、 コ、 ソン、 ガ 賀 四囲 拠 孫 臥 雅 強 涸 鱒 河 餓 死委 虎 蘇無 我 ↓ 畫 史異 古 措夢 画 ↓ 画 詞意 胡 蘇夢 物語 ↓ I think there fore I exist ↓ 愛 素 イン ク 是 阿 夫緒吾 愛 意気地諏徒 吾意 諏 音 句 背 亞 敷将吾 遺 意句字栖渡 娃委 州 寅 貢 是 亜 府将唖 愛 育 児守菟・・・佐本比賣 愛 辛 苦 是 吾 補 襾 合 医句字諏図 ↓ (ア・カ・ケ)=おおう(覆う)=奥羽 欧胡 で、あるのだが・・・?
cog ①・・・・・・・・歯車 cog ②・・・・・・・・いかさまをやる・ペテンにかける cog ③・・・・・・・・小型漁船・小型ボート・小舟
舟を「漕(こ)ぐ」と言う日本語は外来語であったコノ「cog」ではないのか?・・・そして、「虎(コ・とら)の愚」か、「姑(コ・しゅうと)の愚」、「誇(コ・ほこる)の愚」、「胡(コ・ウ・エビス)の愚」、「子(シ・こ・ね)の愚」、「己(コ・キ・つちのと・おのれ)の愚」かも・・・潜めているのは「股(コ・また)の愚」かも・・・
cog ④=cognate cogitable・・・考えられる・思考の種となる cogitate・・・・熟慮する・工夫する cogitation・・熟考・沈思・思案・計画・考案 cogitative・・熟考する・思考力のある cogitator・・・沈思するヒト cognate・・・・④同族の・同系の・同種の・女系親の・母系 cognation・・・女系親・言語の同族 coginition・・認識力・[認識作用の結果の]知識 cognomenn・・・古代ローマの家名・名前・あだ名
バラの名前(3) 私の「妄想」は尽きないけれど、「デカルト(出化留徒)」は「こじき(コジキ)」を「熟考」し、その「物語」の流れは「鳴滝(瀧)塾=キュウ、ロウ、ジュク」の「瑞皐(皇・敲・稿・交)」のヒトで、「ドウメイ(尚歯会)」の「塾の高野」であるとシグナルをチラつかせているようなのだが。私の使用している漢和辞典には「滝岡」は中国の江西省永豊県の鳳凰山で、宋の『欧陽脩』が父を葬った所。その時、「滝岡阡表(ソウコウセンビョウ)」と云う文を作った。「阡」は墓の道。「阡表」は墓に奉る文章、とある。「草稿(ソウ・コウ)」は「撰病(セン・ビョウ)」の全ての同音異字である。「現存・古事記」には「薬草」の「奏功」が秘められてもいるのだ。 ・・・『でかんしょ』、『デカンショ』と半年くらぁ~し・・後のハントォ~シヤぁ~ぁ、寝て暮らす・・・とは、何時の時代の誰の作なのか・・・?、『出巻書(漢書・神書・鑑書・館書・関書・官署・甘藷=薩摩薯・さつま芋』・・・「サツマいも」とは「察魔意模=魏志倭人伝」、「作柘萬(磨)遺模=古事記の模倣」・・・? では、『カント』はどうか?・・・再度、「世界人名辞典(㈱東京堂出版・昭和41年4月5日発行)」をみれば、彼はドイツ人であり、「1724年4月22日誕生~1804年2月12日死没」と、享年「八十歳」である。彼は「ケーニヒスベルク」の『鞍工=鞍作の第(代)四(肆)子(音)』として生まれたのだ。 『鞍作』とは余りにも都合のいい「職人の子供に生まれたモノ」だ・・・同じ職業名を有する人物が「日本書紀」の中に登場するのだが・・・アナタ、まさか、私が『カント』が、「蘇我入鹿(蝦夷)=鞍作」だと云っている、のだとは考えまい、ヨ、サッ。だが、「カント」は
「神徒・感砥・漢(字)鍍・韓渡・官途・鑑徒(日本書紀)・巻図(古事記)・関徒(和算の『関孝和』の門下・蘭学の『小関三英』・『関ヶ原、不破の関』の徒党)・換柘・諌徒・姦徒・艦渡(シーボルト)・館徒(鳴滝塾の生徒)・翰杜(尚歯会)」 で、「カント」だろう、さ。 1740年に生地コレギウム・フレデキアヌムの大学に進み哲学、数学、神学、物理学等を学んだが、特に『ニュートン』の自然科学(万有引力=で落下する林檎を1666年発見。この1666は1999の逆でもある。天から『恐怖の大王=リンゴ=物理科学』が降りてきたのだ)に通暁した。 1755年、『火論(De igne)』を提出してMagisterの学位を得、更に『形而上学的認識第一原理新釈』を提出。 「ヒロン」ならば「比論」で、「卑(壱)論」、「肥(飛・桧)論」、「氷論」で、「避論」ではある。 1770年、論文、『可感界並びに可想界の形式と原理に就いて』を発表した。 「カ(掛)カンカイ(官界・緩解・感懐・翰会)」と「カソウ(火葬・下層・仮装・家相)カイ(会・絵)」の形式と原理の「同音異字」の形式と原理である。 1781年、『純粋理性批判』を発表した。
「ジュン・スイ・リセイ・ ヒ・ ハン」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 循 出 裏声 比 版
1783年、入門書、『プロレゴメナ』、『道徳哲学言論』。
なるほど、「風呂屋」で「男女混浴」は「道徳的」にまずいのは確かであるナ。・・・「風呂令(例)後(語)女名」とは「湯女(喩女=ユメ=夢=夢物語)」のことか?
1785年、『実践理性批判』。 ↓↓↓↓↓↓ 「実戦利正否版」=「実撰裏声比判」
1789年、『わが上の輝く大空、わが心のうちなる道徳律』。
ワ ガ ウエノ カガヤク オホ ソラ、 ワガ ココロ のウチナル ↓ ↓ ↓ ↓ ↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓↓↓↓↓ 話 臥 上 野 加賀訳 将補 蘇羅、倭賀 箇々路之迂地名留
道徳律=道読立
1789年、『道徳形而上学の基礎付け』。
・・・さすが、「寒戸(カント)」は「奥羽」や「牢獄」である。
ドウ トク ケイジ ジョウ ガク ↓ ↓ ↓ ↓ 同 読 計 時 何 解 刑 事(慶事・掲示・掲示・慶治・経字・奎字・兄事) 上(譲=高野長英)
學・学 嶽(額=ひたい ・顎=あご・鰐=わに 楽=たのしむ・顎=阿児・ 倭爾)
の「木曾(起訴)付け」ではあるから・・・。
1798年、『自然科学の形而上学的基礎』 1790年、『判断力批判力』。 1793年、『単なる理性の範囲内に於ける宗教』。 1795年、『永久平和論』 1797年、『道徳形而上学』 1798年、『大学各部の紛争』。
私は、「フザケ(巫山戯)テイルわけ」ではないのだが、「カント」をヨンで、「古事記(?)」を考え、「現存・古事記(?)」を書いた奴は、ふざけているのか、「永久(とわ=十和・エイキュウ・エイク)平和(たいらかづ=他意拉化柘・ヘイワ)論」者なのか・・・?
じゃあ、「ショウペン ハウエル」はどうなのか? ↓ ↓ ↓↓↓↓ ・・・・「章 弁 葉植える」・・・
彼はドイツ人であり、
「1788年2月22日誕生~1860年9月21日死没」
と、ある。これら哲学者「三人」の「生死没の数字」に注目して欲しい。 彼は「ダンッィヒ」の『銀行家=金貸=両替商』の息子として生まれたのだ。母親は『ゲーテ』とも親しかった。 哲学者であるが、『カント』、『プラトン』を好んで研究し、「弁証法」の確立者『ヘーゲル』や『シュリング』には反感を有していたらしい。
1813年、『充足理由の四根に就いて』。 1819年、『意思及び表象としての世界』。 1836年、『自然に於ける意志について』 1841年、『倫理学の二つの根本問題』
・・・再三、「世界人名辞典(㈱東京堂出版・昭和41年4月5日発行)」から彼の哲学を抜粋すれば、
「彼の哲学は生きんとする盲目の意思を根本原理とする点に於て主観論、世界は迷妄と闘争苦痛の舞台と見る点に於て厭世論であり、その様な苦痛からの脱却は一時的には個体性を超越したプラトンの所謂イデアを体得することによって得られるが、より根本的には意志そのものの否定、所謂『涅槃=Nirvanaネハン=ニルバーナ』によって完遂されると説いた」
とある。
哲学は生きんとする盲目の 意思を 根本原理とする点に於て主観論、 ↓ ↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓ 異筋 望模句 医師 音翻 辞典措いて主幹賂務
世界は迷妄と 闘争苦痛 の 舞台と 見る点に 於て 厭世論 ↓ 名模得土 問総句柘有 部他意 見る典 おいて 延声論
盟母宇土 渡宇佐迂狗頭 部隊遣 纏(橿) 将尉出 遠征 ↓ 名簿胡徒 逃走供津迂廼 歩詫意図 身流転 尾移出 援請
その様な苦痛 からの脱却は ↓ 要名句柘得 華羅埜
一時的には個体性を超越したプラトンの所謂イデアを体得すること ↓ 一字 拠鯛声 調閲 敷・遁 意出阿 他意図句
によって得られるが、
より根本的には意志そのものの否定、 ↓ 音翻 委詞
所謂「涅槃」=Nirvanaによって完遂される ↓ ↓ 音判 に る ば あな 似 留 場 蛙名
である。 ・・・『ショウペンハウエル』とは、
『ショウ=証(明)・章(句)・(帥)升・商(国) (天)照・咲(夜姫)・焼(津)・(武)将 鍬(鋤=桑)・(晩)鍾・姓(名) 薔(薇)・(微)笑・(事)象・尚(歯)』、
『ペン=(辺・邊・部)=毛筆・筆ペン・翰・羽筆』、
『ハゥエル(歯羽重留)』 である。・・・もちろん、「尚歯会」のメンバーの「小編葉上留(抄の編、波状に留める)」、「照らして編纂、言葉は胡語(西洋語)に重ね留める」である。 ちなみに、『薔薇の名前』の『修道士・ホルヘ』が、かたくなに秘密にし、その意味を禁忌としようとしたのは『笑』であった。これは「シュウ・ドウシ=秀(囚=囚人・醜人・終=尾張)同志」の「稿(コウ・わら)遺(イ・のこした)の医務(イム)の記」・・・?
「バラ(rose)」は「イングランド(英国)」の「表象」であった。 「rose」は[じょろ]の「散水口」である。・・・「序呂」とは「古事記序文」の『太安萬侶』の「纂出句知」である。「じょうろ」ともヨメば、「譲露(路・鷲=倭史)」の「纂諏意」である。「じょろ」は『女路・女賂(音名を賄う)』の「産水口(纂の推敲・推考・遂行)」なら、「子宮孔(史旧交・師旧交)」と、その「性器(西紀・生起・盛期・世紀)の膣口(知柘頁・帙皐)」である。もちろん、「皐」とは『瑞皐』こと『高野長英』である。 「rose」は[鳥の目]の「周囲の隆起」である。 「the rose」は、「rose daiamond」の意味で、[医学用語]での「丹毒」である。「丹毒」の同音異字は「単独」で、「耽読」である。 「the rose of」とは「第一の美人」、「・・・の名花」である。日本語なら「・・・小町」である。 「the rose of Jericho」とは「安産樹(暗算樹=算盤?)」である。「安産の記」ならば、現在的な「産婦人科の医書」であり、「暗算の記」ならば「かけ算の九九」か「数学」であろう。 「the rose of May」とは「白水仙」である。直訳すれば「五月の白バラ」で、「皐月の死路薔薇」である。「白」は『沢三泊』、「皐」は『瑞皐』で、「バラ、バラ」は「乱れる・個別的な部分、部分」、船底に敷く「バラス」は『小石』で「バラスト(ballast)」の略。江戸時代『小石川』は「医者」の居場所で「診療所」があった所だ。「バラス」の言語は「殺す・屠殺」で、『塗擦』で、「塗って擦り込むコト」では、あるナ。しかも「秘密をバラス」である。 『bar』は「かんぬ木・横棒・牢獄の格子・弁護士・法廷・障害・酒場・砂州・関所・城門」で、「閉門蟄居」である。 『Barbbas』は「クリスト架(磔)刑」の代わりに無罪放免された盗賊であった。なるほど、これも、「バラバ」、「クリスト」・・・「馬羅場・婆羅場・罵螺婆・薔薇場」の「句理諏図・庫裏守徒・栗栖渡・刳素塗・繰諏斗」に「掛ける経」ではある。 『barb』は[矢尻・釣り針]の「かかり・逆刺(さかとげ)」で、「古事記」では「鯛の咽に刺さったモノ」である。 『bare』は「裸の・あからさまの」で、「猿女命」の「ストリップ」だ。 『bear』なら「くま=熊(ユウ・コウ=・・光)」で、「支える」であり・・・「干支(カンシ=漢詩・漢史・冠詞・神視・環視・監視・官史・巻詞・換詞・・・)」の同音異字の全てである。 『bal』なら「バランス(balance)」の略で、「天秤」である。
「the rose Sharon」とは、「シャロンの野草」で、「オトギリ草」である。「音擬(オトギ=御伽)、理想(リソウ=利曾=そろり新左衛門?)」で、「写(シャ)す論(ロン)、廼(ノ)の叢(くさ)」ではある。 「under the rose」とは「秘密に」、「内証で」である。 「the Wars of Rrose」とは、「York(ヨーク)家」と「Lancaster(ランカスター)家」が対立した王位継承の「ばら戦争」であった。「薔薇戦争」の「薔薇」の由来は「家紋」にあるだろう。 「the white rose of virginity」とは、「白バラのような清純な乙女」である。「白馬羅」とは「新羅の乙女(?)」・・・「無垢・無罪・潔白」・・・これは「務(鵡)句」、「武・罪(財=宝)、「欠伯(懸柘葉口・結葉句)」に関して「白痴」か「無知」と云うことではないのか。「夢物語」、「武王の罪」、「天武天皇・斉明天皇(財媛=宝姫)」、「伯父が欠(郭・客・塙・較)」・・・『伯林』とはドイツ(独逸・独乙)のベルリンだ。 ・・・「Innocent’s Day」とは「12月28日」にユダヤの「ヘロデ王」が幼児虐殺をやった日である。「東邦の三博士」が「イエス・クリスト(キリスト)誕生」を祝って「ベツレヘム」を訪問し、「未来に王となるべき御子は何処にいますか」と「ヘロデ王」に尋ね、その預言を恐れた王が、「幼児を虐殺させた記念日」なのである。 だが、「ベツレヘム(捌例経夢)」の「クリスト(矩理素斗)」は「エジプト(埃及=ちりおよぶ=地理(輿)及ぶ=ジンキュウ=神宮・神救・尋旧・人求・尽究)」に逃れたのだ。
「ようじぎゃくさつ=要事(葉字)逆察(欺訳詐柘)」 「ちりおよぶ =地理(智理)、尾、預分(部)」
とは「地理、尾張(渡邊華山の在住地)に分け(訳・和解=翻訳)て預けた」ではないのか・・・。 『渡邊華山』は「愛知県・渥美半島・三河国田原城主宮宅氏」の家臣で、藩の儒者、『鷹見爽鳩(星皐)』の門弟になった人物である。画家であり、『高野長英』や、『小関三英』に依頼、翻訳させた「オランダの書物」をテコに世界情勢を的確に分析判断し、『慎機論』、『西洋事情』、『諸国建地草図』などを著して江戸幕府の政策に「批判的立場」をとった政治家であった。 当時の地図をみれば、『渡邊華山』、『高野長英』、『小関三英』の江戸屋敷は「江戸城御西丸」の「外」に「正三角形」を結ぶように存在していた。 「現存・古事記」は元、「愛知県・尾張・名古屋」の「大須文庫」に存在したモノである。「故おおす、ういろ会長」であった『山田氏』等の尽力で、東京に貸し出されていたモノが、現在は名古屋市博物館に存在するのだ。
「rosemary」とは「まんねんろう(萬念労・萬撚漏・万年牢)」で、「万年牢」とは「永牢」のことだろう。 ・・・ダとするならば、「萬念労」とは「太安萬侶の想念、思念した労作」で、「英弄」とは「高野長英がもてあそんだ英(語)と(希)臘(語)」ではないのか・・・? 「rose」とは、「rise(あがる・のぼる・甦生・蘇生・復活)」の「過去形」である。「過去(加古・水主=船乗り)の形(潟地)」の「蘇生、組成、復活」である。
ことわざに、
「No rose without a thorn」
がある。一般的には「きれいなモノには刺がある」と言われているものだが、英和字典には「楽あれば苦あり」とある。ならば、「羅句(ラテン・ギリシャの文句)・阿例場(阿礼の婆)・句有り」ではないのか。「古事記」には「阿礼媛」が登場するが、「古事記」を語った「語り部」が『稗田阿礼』であった。「比拿蛙齢」の示唆で、「比べあわせ、カエル(還・返・代・帰・換)」、「歯=年・齢・歳」である。ちなみに、『稗田阿礼』の年齢は「弐拾八歳(28)」であった。「似、拾う、葉知、再」である。そして、「古事記学者」は『稗』の漢字の意味を調べろ、である。 『Rosetta stone』とはフランスの『ナポレオン(Napoleon・拿破崙・拏破崙)』がエジプト遠征で「1799年」にエジプトのロセッタ付近で発見された「エジプト(埃及)神聖文字」と「ギリシャ(希臘)文字」で「同じ事績が記録」が刻された「石碑」で、「象形文字」解読の端緒になったモノだ。 「rosette」とは「[リボン・毛糸などで作った] バラ花飾り・バラ結び・バラ形の装飾・バラ形の窓」であ る。『Rosetta stone』のスペルとは語尾の「a」と「e」の違いがあるだけである。 ・・・「現存・古事記」の作者の問題意識は ロセッタ・ストーン
ではないのか?
・・・「ロ 路=みち・・・・・・・・・未知・満・盈・道 芦=あし、よし・・・・・・足・脚・股・髄・葦、義・芳・好・佳 呂=せぼね・・・・・・・・施模音 鷺=わし・・・・・・・・・倭史 賂=まかなう・・・・・・・真仮名有 濾=こす・・・・・・・・・拠州・古州・虎諏・胡州 露=あらわ・・・・・・・・阿羅倭州
セ ッタ ↓ 競(せ) った=きそう・・・起草・寄贈・奇想・帰巣・記総 ↓ 雪 駄(雪踏)・・・説多・窃多・設多・洩他・接他・摂多
ス ト オン・・・石・医師・意思・遺志・意志 ↓ 州(素)図(土・訳)音 ↓ くに、 はかる、 おと・・・・句似、諮る、音(緒と・尾と)」
ダ、とするならば、「ナオポレオンのエジプト遠征」を知っていた人物である。 「なぽれおん」・・・彼の漢字の宛名は「拿破崙=拏破崙」で、その「崙(ロン=崑崙山=コンロンサン)」の類字は
「侖・倫・崘・輪・綸・論・淪・龠・籥」 である。「侖=集+冊」・・・コンコウ(崑岡)、シャミセン(沙彌山)も同じ「崑崙山(混論纂)」の意味である。「金光・混交」、「三味線・蛇味線・柘診箋・作診箋」である。「箋」は辞書であった。辞書、スナワチ、「虎の巻」だが、『ナポレオン』の名言は「余の辞書に不可能と言う言葉はない」であった。 あわせる(拿)、 やぶる (破)=石+皮 =セキヒ=石碑 =イシのカワ= やぶる=哉武留=葉) やま (崙)=論 =聖山=声纂・西纂 なぽれおん・・・「名補例音」、「医師(いし・遺志)の避(ひ・秘)」であり、「委史の一(卑弥呼・壱与)」は・・・既に別項で述べたが、 卑=ヒ (いやしい)・・・委耶(夜・八・哉・埜・也・冶)思惟(四囲・私意) 弥=ビ・ミ (彌の俗字・ひさしい・ひさし・あまねし・わたる・月日を重ねる・覆う・ 満ちる・みなぎる・はこびる・ひろい・とおい・ふかい・おおきい ・窮める・おわる・おふ・つくろう・縫う・弛む・いよいよ・ますます ・いや・や) 呼=コ・ク (よぶ・となえる・なづける・呼称・称呼・さけぶ・ああ・うん ・おと・こえ) の「同音異字=導音意字=奴(土)有音委字=道恩医事=道『遠』維持=同怨意地(遺児)」である。「道」とは「七道」の「東山道・北陸道・東海道・南海道・山陰道・山陽道・西海道」に、「北海道」である。「遠」が存在する「道」は「東海道」の『遠州=遠江(とおとうみ)』であった。 もちろん、「壱与(いちよ)」は「位置(位地)輿(預=伊豫)」である。「巫」は「匠・工・医=醫」である。漢和字典には「同=々」は「人+工」と同じとある。 さても、『ナポレオン(Napoleon・拿破崙・拏破崙)』がエジプトに遠征したのは「1799年」であった。 この同年正月の日本では「東蝦夷地の浦河、知床の間を七年間、幕府の直轄地」とし、勘定奉行を『石川忠房』、目付けを『羽太正養』を「蝦夷地取締り御用掛」としたのであった。二月には若年寄『立花種周』に「蝦夷地」を監督させた。三月、『近藤守重』を「蝦夷地」に派遣。六月、「石灰売捌の自由」、「蛎殻(かきから)灰の取り扱い」は元どうり。「昌平坂学問所落成」。八月、「東蝦夷地は上知」となる。『高田屋嘉兵衛』が「エトロフ航路」を開拓。十一月、江戸、大坂に打ち壊し。『寛政重修緒家譜』の編纂、『中井竹山』が「逸史」を幕府に献上。翌年の「1800年(寛政十二年)」には『伊能忠敬』が「蝦夷地の測量」。銀座を「蛎殻(かきから)町」に写す・・・である。このヶ所の「各漢字」を読んでピーンと来る人物は「ロセッタ・ストーン」解読にも興味を持つだろう。「漢字」で「カカれた書物」が「ロセッタ・ストーン」の『神聖文字』である。「漢字」の「解読」を可能にしてくれるのが「音訓の平仮名・片仮名」で、「ロセッタ・ストーン」の『ギリシャ文字』の部分である。「漢字の音訓」が記録されているモノは「漢和字典」である。江戸時代、世界情勢を教えてくれるモノは「蘭学の書物」であった。「蘭学の書物」を理解するには「蘭和・和蘭字典」が必要であった。「蘭学」とは「オランダの学問」と云うわけではない。「出島・オランダ館」を「出入り口」にした「西欧諸国の近代的学問」である。だから、「辞書」の必要性は「ラテン・ギリシャ・スペイン・ポルトガル・イギリス・ドイツ・フランス」等の「字典・辞典・事典・辞林・箋」がその時点で、必要であったのだ。 『ナポレオン(XNapoleon I、Bonaparte)』は、フランス人、「1769年8月15日生~1821年5月5日死没」。軍人、政治家、皇帝(在位1810年~1814年)。コルシカ島生まれ。小貴族の子。経歴は、 1792年、コルシカ独立運動に参加。 1793年、家族と共にフランス本土に移住。革命軍に投じ、 砲兵隊長としてツーロン砲撃に成功。 旅団長となってジャコバン党に入党。 1794年、ロベスピェールが倒れ、逮捕拘束、拘禁された。 1795年、執政政府のバラーに認められて王党鎮圧に成功。 1796年、イタリア方面指揮官。対イギリスの為エジプト遠征。 1799年十一月、クーデターにより政権獲得。 1800年、アルプス越でオーストリア軍を破った。 1801年、リュネヴィュ協定によりライン左岸の獲得。 1802年、イギリスとアミアン協定。 1804年~1810年、「ナポレオン法典(Code Napoleon)」 1810年、10月トラファルガー海戦でネルソンに完敗。 12月アウステルリッツで大勝。 1812年、モスクワ遠征失敗。 1813年、リプチッヒで敗北。エルバ島に流刑。 後に脱出して百日天下。 ワーテルローで敗戦。セント・ヘレナ島に流刑 である。「甥」は『ナポレオン三世(1808年4月20日生~1873年1月9日死没)』、皇帝在位期間(1852年~1871年)。「普仏戦争」でドイツ軍の「捕虜」となって終戦まで「拘禁」された。1871年3月廃位。イギリスに亡命して死亡。 江戸幕府に派遣された『竹内保徳』等が1862年3月に謁見したのは『ナポレオン三世』であった。「古事記」の「竹内」とは、誰であったか・・・まさか、『竹内宿禰』の寿命延長が江戸幕末までなされたワケではあるまい・・・同年9月、『西周(にし・あまね=セイシュウ=声周・声集・声蒐)』等がオランダ留学生として派遣されたのだ。『西周』は「西洋哲学」の日本への紹介者であった。「デ・カン・ショ」である・・・ 「古事記」は「1657(明暦三年)年二月十日~1725(享保十年)年五月十九日」までの間に生存していた『新井白石』も読んでいた。イタリア(伊太利亜)人、『シドッチ』が屋久島にきたのが「1708年八月」であった。「1712年二月」には江戸の善竜寺で「オランダ人のカピタン」、『コルネリス・ラルダイン』に「西洋事情」を尋ねている。この年、『読史余論』を将軍に進講しているから既に「源(元)・古事記(?)」を読んでいたのに違いない。 「1724年(享保九年)」に『史疑』を書いたのだが・・・この古代研究の書物は「湮滅(インメツ=隠滅)」されてしまった(らしい)・・・何故か?・・・『アリストテーレス』の「詩学の第二部」も「湮滅」してしまった(?)・・・漢和字典には、「湮(イン・エン)」とは「しずむ(沈む)・うもれる(埋もれる)・ほろびる(滅びる)・ふさぐ(塞ぐ)・とどこおる(滞る)・むすばれる(結ばれる)」とあり、熟語には「埋湮」、「湮没」、「湮淪」がある。「湮(イン・エン)」は「水+西+土(十一)」の合字である。「淪(リン)」も沈む意味である。類字に「渝(ユ・かはる・かわる・かえる・あふれる・変更させる・改める)」がある。「淪」は「水(サンズイ)+侖」の合字で、「水(さんずい・さんすい=纂髄・纂推・纂誰・纂垂・纂出・産巣日〈次の高御産巣日・次の神産巣日〉)」であり、「水(みつ・みづ=御津・密・蜜・三・瑞)」である。「瑞」は『瑞皐』の「瑞(ズイ)」でもあった。「侖」は「集+冊(簡符)」の合字で、いわゆる、書物の項目の札であり、順序立てる、筋道を立てるである。 「現存・古事記」は「712年のモノ」ではあるまい。 「現存・古事記」は「ドウシ(同志)の混乱(今覧)」に対する「メッセーッジ」として「改作」され、「記録(?)されたモノ」に違いない・・・? 『新井白石』のような合理的精神に富んだ人物でさえも、自分の娘、『ます』の婚期、縁談を心配して「占い師」を訪ねた(1717年・享保二年)、と云う。だが、「占い師」の言葉を鵜呑みに信じたとは思えない。「合理的懐疑論者」で、読書家であった『新井白石』は中国の「運命学」にも興味を抱いたハズに違いなく、どのようなモノなのか、その関係の著書も読んでいたハズである。幕末の蘭学者と関わった(?)朱子学者で、伊達藩、仙台に生まれた『桜田虎門(名は景質・字は仲文・別号は欽斎・1774年生~1839年十月三日没)』と言う人物が「推命書」なる「占いの本」を出版した。日本では「四柱推命学」と呼ばれるモノで、中国の「運命学(淵海子平)」を最初(?)に翻訳したと言われるモノである。いわば、個人の「生年・月・日・時」の「干支」を調べて、その人物の「宿命」と「運命」を「推理」する「学問体系」である。彼は江戸の『服部栗斎』の門下となり、そこの「麹渓書院」の助教となり、後に「順造館」を創立、督学となり、更に仙台の「養賢堂」の指南となったが学頭、『大槻平泉』と対立、引退して著述に専念した。著作には「経世談初編」、「四書摘疏」、「近思録摘説」、「詩職名」があるらしいのだが。 ・・・不思議なのが地震や火災に対処して、あれだけ慎重になって、自分の書籍類を守った『新井白石』なのに彼の著書、『史疑』だけが何処かへ消えてしまったのである。・・・だが、誰かがこの『史疑』を読んでいるハズだし、「写本」も何処かに埋もれているに違いない・・・のだが、この『史疑』は「現存・古事記」の『鍵(キイ)』かも・・・ 「バラの名前」のモウ一つ秘密は口に「薔薇の花」をクワエて、タップを踏み鳴らし、フラメンコを踊り狂う「カルメンの情熱」であった。