史記・書(1)・(46a)

史記・書(1)・(46a) ちゃん、チャン、ちゃん・・・前口上でゴザル・・・ さて、さて、歴史を「読(讀・詠)みアカさん」とする、「アナタ」の「恒常」的なる「向上」心に「厚情」をもって「交情」し、 「ワタクシメ」の「口上」をここに「モウシ」あげぇたてぇ~マツリぃ~たぁ~くぅソウロゥ(候)~ 「史記」を重ねて視る目の瞼(まぶた)、二重(ふたえ)どころか、 三重(みえ)、四重(よむえ)、五重(いつえ)、 六重(むえ)、七重(ななえ)、八重(やえ)、 キョウは、九重(ここのえ)の「『古事記』」カナぁ~ 重ね合わせる『古・事・記』とは、漢字なり、真名仮名なぁ~り マズは「一」、「―」、「・」と「ゝ」の漢字の合体を 毛筆、羽ペンにて墨、インクを染みらせ、白きカミに記されたモノォ~ これを、 ヨマ、 ヨミ、 ヨム、 ヨメ、 ヨモの声の音ォ~ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ① 与磨 予三 代務 世女 代模 ② 世間 輿見 夜務 預女 代母 ① 「『与』えたのは『安』萬磨、『予(あらかじ)』め、『三』(参つの序 文)にヒント、『代(かえる)』とは、時代、年代、歴代、代々、世代、 代謝、代馬=北風、代用、代筆、代表、代弁、代作、代書、代署、代理 を替えることに『務』めよ。『世』とは三十年間(年巻・年鑑)、その 代にあった『女』、それは『夜の星座・星宿の参宿(オリオン座=折音 座=狩猟・首領・珠了)を拾って撚って観』るコト。『代』えて『模倣 ・模索・模型・模糊・模刻・模写・模造・模様・模擬・模楷・相模(さ がみ)』のサネサシ」のウタの意味を知るぅ~ ② 「渡る『世間』に鬼はなし、ならば、渡(亘・航・亙)る『夜間の星・瀬 間の港・与件の事件、関与・予見』に『牡似・将迩・悪児・緒尼・伯父 (おじ)』は無しぃ~。『輿=地理』の『見』聞、『御輿』の検分、『風 見鶏(酉)』ィ~。『夜間のホシの観察』、天皇(すめら)は巫の『勤 め』。『預(あずか)』る『女(おんな)』は『伊豫』の『愛媛』。『 代』える『母』は、『大分』、『拿異母』の『大母』、『台母』の『 弟母』の『代母』ォ~は『キリスト教徒の洗礼名』を神の代理として授 ける女性ィ~ 「古(コ・ふるき・いにしえ)」の合体は 「十(ジュウ・たり・とお)」と、 「口(コウ・くち)」、 「ジュウコウ」は「重厚、重工、銃口・『獣兎虎烏』」 「たりくち」は「多陸地・他理句知・足り琥致・多裏句置」 「とおくち」は「都奥地・斗尾玖致・渡将供稚・屠汚苦恥」 「事(ジ・こと)」の合体は 「一(イチ・はじめ)」と 「口(コウ・くち)」 「イチコウ」は 「位置光、位地考、委地古得・壱姑菟・一虎烏」 違地顧得・縊血姑有・意知拠宇・・・ 「ヨ(彑=ケイ・ブタのアタマ・ハリネズミのアタマ)」と 「(ケツ・カチ・かぎ)」 「記(キ・しるす)」の合体は 「言(ゴン・ゲン・いう・ゆう)」と 「己(キ・おのれ・ツチのト)」 十重(とえ)と「問(と)わば」、 そは、永遠、永久、久遠の場の「斗輪巴」 天宮の空、永遠に位置する北斗の輝き、妙見なぁ~り これ、アキラムルは「シキ・ジ」なる「史記示」の「児」、 「目次」の「字」、「黙示禄」の「事」ィ~ そは、「子(こ)」なり、「字(あざな)」なるかカナぁ~ 「始期・時」、「識字」、「死期時」なるカナぁ~ 「殯(もがり)の宮地」から「荒城(あらき)の宮地」へェ~ 「虎落(もがり)」の矢来、竹垣、册地、 「虎落(もがり)」の物掛け、ホシてカワカセ、ソメモノやぁ~ さても、さて、さて 「死期」にウルサイ 「式辞」、「式次」の「シノビゴト(誄)」、 「敷島」の「祇祁」の「詞祈」、 「崇神天皇」の宮の場所ォ~ 「敷島の宮」、何故にか重なる「欽明紀」 「参拾弐年五月、河内の『古市』にモガリする」ゥ~ 「磯城・志木・敷」の「史紀」の「施記」ハぁ~ その「姿」、「お亀」の「私記」なるカナぁ~ 「始姫」は「姉姫」、「姿鬼」、「斯鬼」は「稲荷山」ぁ~ 「史・魏」の「詞義」、「史疑」、「使疑」、「始疑」、「死疑」、 「肆議」を「試疑」、「師疑」、「柿疑」せん「カナ(仮名)」ぁ~ 「真名仮名文字」、「仮名文字」にアラズ、 「十三・『重曹』・縦走・重奏」たる「アラヤ識」ィ~ なんでもカケマス(掛懸升)、加計升、重なる『曹』は『張政』かぁ~ 「宗祖有」、「愁訴雨」、「重祚嫗(芋)」、 「周桑」、「秋霜」、「収蔵」、「修造」、「銃創」、「中宗」の 人々、出来事なぁ~り、 「生々」、「生成」、「清々」、「整斉」 「倭人伝」の「史記」の「覗基」は「アラヤ識」の「基層」ナリィ~ 「四季」の「柿のキ」、「クリ三年」の「カキ」のカナぁ~ 「ダイダイ(橙々)」は「熟れガキ」の「カーキイロ」、 「キトウ」、「軌道」は「黄橙のイロハ(母)」の「鬼の道」 「帰嶋」、「機動」は「黄岱弟のイロネ(姉・姐)」の「ハタの道」 「遅々八年の桃」に及ばず、その長さぁ~ 「娑羅の早熟、嫁」なるか、「左羅の蘇有受句、諌早」か、 「沙羅の双樹苦、白」なるか、「更の素迂授区、初更」か、「甲夜」 とにも、かくにも、トキの移り気、柿栗、桃の「差は五年」で、 「作は語の撚」、「唆は后の祢の武」、「沙は娯の念」、 「狭(カイ)は互年の期撚」で 「書き繰り、謄写」の「ヨコシマ、互撚」 「早(ソウ)」、「狭(カイ)」と「作は后捌の『語(期)』撚」 「掃海」、「総会」、「蘇迂回」、「措鵜飼」 「『則天武后』」の「側の伝聞高」、夜に「測天分考」、 「記事」を貼付け「のり・澱粉・糊」でくっつけ ならば、「即」と「則(のり)」なら「海の苔」 「海苔」を食べたい「大海部(海女・尼)」の側、『天武后』 「走嫂・葬送」と「海改・掛意、甲斐」 「疾きこと、風の如しの『風林火山』の旗印」 「ミナル」は「秋のキ」、「万象」、「万障」、「ミレイ」も「晩鐘」 「響く」は「長安」逃げたる 「ラクヨウ(洛陽・落陽・落葉)」の「イロモ」カナぁ~ 「詞伎」は「詩芸(藝)」か「手芸」、 「アシもヨシな」に、「ヨシもアシな」に、 「足掛け台形」、「足(脚)芸三年」、 「糸芸」の「糸口」、 殺した女の「猫のたま」、夢にうなされ、幽霊怖くて 「偉業」の「遺業」、「医業」の「異形」の 「逃げた機織イロモ」の「足跡辿(たどる)」ゥ~ 「鳥の鴫(しぎ)」も「思議」なら何故にか「国字」で、「圀示」 「信貴山縁起絵巻・三巻」、漫画の鼻祖 「鴫」の「田圃」に尻尾ハヤすは、「トリの鴨(かも)」 「芦鴨(アシかも)」、推量、「推古」は「葦のタレ」ぇ~ 「鴫」の「田(デン)」に尻尾ハヤすは、「鴨」の「甲(カン)」 「甲(カン)」とナル波は、「加茂」の鐘ぇ~ 「鴫」も仕儀なら別名、異名、違名、捌名は「ホトトギス」 「しぎ」の別字、異字は「鷸(イツ・イチ)」のトリィ~ 何故か「かわせみ・かはせみ」にナッタ・トヨぉ~ 「鷸(カワせみ)や、ツゲルは雨降るキザシ、前ブレ、予知の鳥」ィ~ 『鷸羽(イチウ)』の冠、頭に載せるは 「昔(いニシえ・古)」の「天文官吏」 「イワク(磐句=盤句=晩句=萬句=板口=版句)」は、 「磐余(いわれ)」、「神武天皇」の「和名」ナリィ~ 「鷸冠(イチカン)」、「エキ(駅=役=亦=股=足=脚=俣=葦)のヒト」 「役の人」なら「種子島」の西、そこ位置する 「屋久(掖玖)の島の人」ォ~ 「鷸(イチ・かわせみ)の姿」は 「アシ長、嘴(くちばし・シ)長」の「ヤクのチョウ」ぉ~ 「長い銃口、『鉄砲』伝来(天文十二年八月)」なるは「種子島」 「フランシスコ・ザビエル来タルは「天文十八年の七月」カぁ~ 「鹿児島」とは「加護の嶋」 『鷸蚌之争』は『戦国策・燕』の記事ィ~ 『漁夫之利』なるは『第三者』の利益ィ~ 「鷸=矛冏鳥」で、類字は「橘(たちばな)」ァ~ 「井上陽水」うたうは「帰郷」の「血反吐みせるホトトギス」、 「咽喉に丸紅装い」の「カッコー」 「ヨルの床」でも「ほととぎす」、 「ミヅの上」では「補都富来洲」 「水主(カコ)」になったら「阿倍比羅夫」か 「水夫」の「帆渡途帰守」 「加古」になったら「マエのホト・トキ(補都・時岐)州」 「過去」になったら「アトのホト・トキ(補都・土岐)守」 「加護」を願うは「明智光秀」 狙うは「本能寺」、「織田信長」の「首」ィ~ 「トキはイマ、心、乱れるサツキかな」 これ、トクならば、 「トキ」は「朱鷺・時鳥・桃花鳥(トウカチョウ=唐、家長)」 「イマ」は「移魔・葦間・意真・移間・居間・今=現在」 「ココロ」は「箇々路=竹(丈・長・武)の古国の道」 「ミダレル」は「診誰(垂・足)留」 「サツキ」は「五月・皐月・殺気・左晦気」かなァ~ 「子(こ)の規(のり)」でも「ほととぎす」 「シキ」は、「冬至、春分、夏至、秋分」 「当時の府喩、主務文の張留、外史の拿柘、醜聞の亜紀」かァ~ 「子(コ)夫(フ)見(ケン)」、子、夫、遣かァ~ 「子(シ)夫(フ)見(ケン)」、示府県、古府県、子有遣 「根の普賢」が「子規」なら 「コ」は「海苔」、「海部草」、特産「天草のり」、 「昆布=坤部」は「艮分」、 「海草」、「海藻」、「若芽」の「海葬」、 「乙橘姫」の悲哀の回想カァ~ 「子規」、「空中分解」したならばぁ 「一了二人目足」は「始終、府の多くの里の女、乃、阿を嗣」 「子(ね=音・根・禰・値=こ=虎・虚・姑・古・胡・弧)」 「規(のり=海苔・糊・乗・朔・弼・矩・憲・載・典・法)」 「のり」は「掟(おきて)」、「糊・接着剤」は「背柘摘哉」 「空中文会」したならば、南方の 「ホトトギス(朱鷺・時鳥・桃花鳥・朴鵑・郭公・蜀魂・杜字・不如帰)」 「スナのワチ、カエラズ」 「ほととぎす(補斗図儀諏)」なら「北斗」の「七星」 「私儀」、「私議」の「史紀」の「仕儀」 「士気」を「指揮」する「志木」の「師企」 「メザス」は「指旗」の場所は「物干・竿(母之星・座尾)」 「色璽(いろたま)」に狂うは「オンナのタラシ」 そは、「後醍醐」の「帝」の「醍醐味」なぁ~り 「建武の中興」ぉ~ 「鋪・敷・識・シ・キ・シ・キ・シ・・・」ならば 「識字」に狂う「史記狂い」 「古事記」に狂う「漢字=真名」狂い 「乞食坊主」は「ハラ」が減っても「古色」に狂う 「乞食(コツジキ)・頭陀(ズダ)」の修行僧 『コウの全ての同音漢字』を『色々』調べてくれと、 『キツ・ジキの全ての同音漢字』を『色々』調べてくれと、 『托鉢』を手に持ちながら乞うて、歩くかなァ~ 『コの全ての同音漢字』の時期 『コジの全ての同音漢字』の記 『コ・ツ・ジの全ての同音漢字』の記 『コツ・ジの全ての同音漢字』の記 『コ・ツジの全ての同音漢字』の記 「コ・ウ・ジキ」となれば 「虎氏記」か「顧(古・姑・子)宇治記」 「高直」に「師」を加えるならば、 足利時代の『高師直』、分解するならバァ~ 「高(亠口冂口)直(一ノ目の乙)」 「高=亠(音) 口(句知) 冂(真紀賀魔得) 口(コウ)」 ↓ ↓ ↓ ↓ 名部普多 句知 懸伊賀前 甲=甲賀(黄河・江河) 「直=一(始め)ノ目(女)の乙(音・緒柘)」 「硬(石更)直」 「后勅(束力)・・・束即力(りょく=緑=美土里=診奴里=美鳥=未酉)」 速 力(掛) 測 力(化) 側 力(嫁・加・珂・・・ 『禍』=『唐女禍』) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 清・趙翼撰二十二史 ↓ 『武 韋の禍』 剳記巻十九 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 『韋氏』は『中宗』の皇后で、 ↓ 『武三思』と密通し、『中宗』 ↓ ↓を毒殺 則即天武后=『則天武后・武照』 唐の『高宗・晋王治』は伯父(母の兄)の『長孫無忌』の後楯を得て皇帝となり、父親、「太宗」のかって女官であった「尼」僧の『武照』を現俗させ『武昭儀』として宮廷に入れた。『武照』は高宗の皇后であった『王氏』と王妃『蕭淑』を陥れて、「二十八歳」で皇后『武后』となる。彼女は『蕭淑』王妃から『阿武(アブ)』と罵られて『鼠(ネズミ)』とも罵られた。『蕭淑』王妃は『猫』となって『鼠(ネズミ)』となった『武后』の咽喉を締め付けてやると言って呪ったのである。 『阿武(アブ)』、『罵(ののし)る』、『鼠(ネズミ)=子』、『蕭淑(シュクシュク)』、『猫(ネコ=根子)』、『武后』、『咽喉(のど=能登)』、『締め付ける』、『呪う(ジュ)』の漢字と意味に注目されたし。 さてさて、ここで、『則天武后・武照』の事績を追ってみようかなぁ~。 ここでは「現存・古事記」、「日本書紀」との関係を前提にして「年号」、 「人物名」、「事件」、「場所」、「時期」、「西暦年数」等を・・・重ねるのだ。 とにも、かくにも「日本史の大転換点」で、彼女「則天武后」は、『龍朔三年(663)』に『白村江』での『倭・百済』との『海戦』で勝利したのだ。 そして『高宗・晋王治』の御座の後ろにて『簾(みす)』を垂らして皇帝を操る『垂簾(スイレン)の政治』をやったのだ。『高宗・晋王治』の死後、彼女の子ども『中宗(哲)』、『睿宗(予王旦)』を皇位に付けたが、背後で実権を握ったのである。 『光宅元年(684)十一月』、『李勣』の孫の『李敬業』、『李敬猷』、そして『駱賓王』が『揚州』で反乱したのを鎮圧。 『僧懐義』を『白馬寺』の主として愛人とした。 一族の『武承音』が『白石』に『聖母、人に臨めば、長く帝業を盛んにせん』と記して『水中』より出たとして献上し、これにより彼女は『聖母神皇』と称した。 そして彼女は『則天文字』を創作。『徳川光圀』の『圀』はその知られている『十七文字の一つ』であるそうだ。『僧法明』が偽経の『大雲経』を作り「武后が彌勒仏の化身」であると記した。そして各地に『大雲寺』を造営した。 『載初元年(690)九月』、国号を『周』とし、年号を『天授』として自ら『聖神皇帝』と名乗った。『金輪・聖神皇帝』、『越古・金輪・聖神皇帝』とも称したのだ。 愛人の『僧法明』の横暴に死を与えたが、その後、美少年二人を寵愛し、特別な『文学サロン』の役所を設立、儒教、仏教、道経の集大成、『三経珠英(壱千参百巻)』を編纂した。 『中宗』の娘、『永泰郡主』が美少年の寵愛を非難したとして『十七歳』であった『永泰郡主』を殺したのだ。 『神龍元年(705)』、『長諌之』によって『中宗』に譲位することを同意させられ、『十一月二十六日』にその女性権力者としての地位に休止符をうったのである。 (以上の「則天武后」に関する参考資料の殆どは「布目潮風・山口修・世界の歴史・4・教養文庫・社会思想社」によった) さて、噺は「コウチョク」にもどりまセウ。 「広勅」・・・『広』=隋の『煬帝(ヨウダイ)』の名前なり =高句麗の『廣開土王・好太王』の名前なり 「広捗」するの 「捗」は「おさめる・うつ・はかどる・ホ・ブ・チョク・チキ)」で 「広」く「進捗」するぅ~ 「語得千代句・虎兎蜘(熊)代句」 さても、さて、さて、カンジ、漢字の狂ってチカン、 ミコのテンカン、イタコのテンカン、 ヒを観てテンカン、ミズ視てテンカン 降りて来るのはクチカリ、オン、ヲン ナンデモ、「霊媒」、あのヨの「戻賣」 『痴漢・置換・遅緩』で、 『癲癇・天漢・展観・転換・天眼・天顔』でゴザル、カナぁ~ ワタクシめの口上、漢和辞典を右座におき、何とぞ、何卒、「日本史」のイイカゲンの湯ヲバ、ゴ推察のほどを、お願い申しタテマツリたく・・・チャン、チャン、ちゃん・・・(幕)
史記・書(1)・(46ax)
「史記・律書・第三」
さて、あなたは「中国」のかの有名な「史記」を読んだ事があるだろうか。たとえ読まなくてもその著書の存在を中学校や、高校の世界史の時間に習ったであろうとは思うのだが・・・私も「史記」そのもののすべてを詳細に読んだわけではないが・・・昔、小説家の「武田泰淳」氏が書いたモノ、「史記の世界」を読んで、「史記の編纂者」である「司馬遷」の立場に対して、よくぞ、ここまで深く洞察を、と凄く感動したことがある。
ここで、「史記」の内容云々を展開したいわけではない。また、「司馬遷」の「史観」を云々したいわけではない。
「史記」、特に「天体」に関して記述されているところと、「現存・古事記」の関係を「現存・古事記」そのものの「物語」と、それに使用されている「漢字」を踏まえ、その「漢字」の「同音」を維持し、「同音異字の漢字」を重ねたらどうなるのか、と云うことを検討し、展開してみたいのだ。
特に「史記(シ・キ)」と「司馬遷(シ・バ・セン)」に関係する「数字」、すなわち、「年代・月・日(西暦も含め)」、「巻数」等の「数字」と、「人物名」、「場所」等を注目していきたい・・・偶然とは考えられないほどに「イト的」な「オト」が重なっているのだが・・・イワバ、天地の方位と時間。スナワチ、場所と時間の動きの重なりである。
理由はいままで私が腐るほど述べてきたことの繰り返しになるが、「現存・古事記」は中国の「漢籍」、インドの「経典」、ギリシャの「神話」と「新旧の聖書」、古代エジプトの「死者の書(チベットの死者の書も含む)」等の古代文明が「記録」してきたあらゆるモノを「下敷」にし、その「漢字音」を媒介しながら「現存・古事記」の「編纂時代の状況」を説明したかった・・・らしいと思われるのだが・・・果して、あなたなら、どう考えるであろう?
とにかく、「五W」と「一H」を踏まえて私の説を聞いてくれ・・・「W(ダヴリュウ)」の象徴意は星座の「かしおぺあ(Cassio+peia・かしお=柏尾・樫尾・掛塩・華史緒、経亜)」で、ギリシャ神話では「エチオピアの王女」だ。「wednesday(水曜日)」、「woman(女性・おんな)」、「west(西)」、「double(一対)」。「H(エィッチ)」は「エチモロジー(etymology=語源学)」、「エッチュウード(研究・試作・習作・練習曲)」、「エッチング(銅版画・銅版印刷)」、「エッヂ(端)」、「hand(手=又)」、「hare(野兎)」、「harpy(女面、女身、羽翼、鳥爪のある怪物)」、「harridan(醜い鬼婆)」、「ハイドロゲン(水素=スイのソ、みずのもと)」である。
「現存・古事記」の「編纂時代」とは「紀元1600年」以降である。
しかも、「日本史年表」にある「歴史的な人物」の「名前」には「架空」の存在である可能性が「大」である。例えば「虎・関・師・錬」などと云う名前などは実在した人物の「ペンネーム」かも知れないが、歴史の裏を示唆する「暗号」として「歴史」に「挿入された『架空』の人物名」に違いないのだ。その名前、「『虎』・関・師・錬」の「漢字」の「意味」と「音」を採って「同音異字」を充てれば、この「人物名」を歴史に登場させた人物の「あそび」が見えてくるだろう。
・・・もちろん、「アソビ」は阿蘇尾、阿蘇鼻、阿蘇眉、阿蘇毘(口十比)、阿蘇備、阿蘇美、阿蘇火で、「阿蘇山」が存在する九州である。そして、「安蘇日(比・肥・一・飛・妃・卑)」で、「案蘇碑=ヨミガエリを案内するヒ」である。
その原点は「遣隋使」の「小野妹子(おのノいもこ・コノのイモコ・ショウヤマイシ)=蘇因高=素の因の項」の「カンジ」そのものなのだ。ここに「現存・古事記」の「字源」がすべて存在する・・・
「遣」・「隋」・「使」
「小」・「野」・「妹」・「子」
「蘇」・「因」・「高」
まずは、これらの漢字の「同音異字」を、そして、これらの各漢字の「一文字」を「部首分解」して「すべての音訓」で読んでみるのだ。その後に、さらに「真名仮名=漢字」で意味を取っていくのである。
「妹(いも)」の「子(こ)」であるならば、「女(おんな)=く(L=乙)+ノ(丿)+一」、「未(ひつじ)=キ+八」、「了(おわり)」、「一(はじめ)」である。・・・ハジメであり、オワリなのだ。
すなわち、よみがえらせる女神は「古代エジプト」の女神「イシス(医師・蘇)」で、「石主=石出・意志・遺志・意思」で、「石=ペトロ」の「主(あるじ・ぬし・うし)」である。
「ペテロ」はギリシャ人で、初めは「キリスト教徒」の弾圧者であったが後に「奇跡」を啓示され、熱心な「キリスト教徒に改宗」して伝道の人物となったのである。
スナワチ、「ペトロ」ならば「キリスト教」=「耶蘇教」=「景教」の「岩の人」であり、「ペトロ」の「主(あるじ=亜留字)」とは「キリスト=クリスト」、その漢字名は「移鼠=移子」である。「鼠=子」が移って「牛=丑」、「丑」の次に「虎=寅」、「寅」の次に「兎=卯」・・・「ウサギ」と競争して勝ったのは「カメ」である。だが、ギリシャの数学者が「虚数」を用いては「亀」は「兎」には勝てないのだ・・・
とにかく、熟語の「虎子(コシ)=寅子(インシ)=トラのコ」は、
「便器・おまる・しびん・強健な子・虎の子=大切なモノ」
である。ことわざに、
「不入虎穴不得虎子=虎穴に入らずんば、虎児を得ず」
「虎変(變)鼠=虎、鼠に変ず」
「虎子(コシ)」はどのように変化するのか・・・
コシ=「古史・古詩・輿(地理)・腰・古志・枯死・越し・濾し・超し・漉し」
である。「不入虎穴不得虎子」は、
フ ニ ウコ ケツフ エコシ
↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓↓↓
「敷(史記)似、得芝(司馬)、結 譜、得古史」
「 虎穴 に入 らず んば、虎児 を得ず」
↓↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓↓
「故懸柘・ 似意・羅図・武場・古事(孤児=乞食の子・虎事)をえず」
である。
とにかく、漢和辞典の「虎」、
「虍部」の「虐・乕・虔・九+虎・號・虧・虚・處」
や、「虍」のつく、
「饕・顱・驢・鯱・櫨・濾・爐・盧・瀘・艫・蘆・褫・遽・醵・鑢・鑪・轤・顱・墟・・廬」
を調べろ、である。
「トラ」、「トリ」、あるいは「トラ・・・、・・・トリ」と音声され、関連類似する日本語の「とら・とり・とる・とれ・とろ」のあらゆる「コトバ」のみならず、この「トラの同音」を「『全』世界的規模」に「広」げトッて検討し、記録したことを「現存・古事記」の「作者」は「自己満足」すると同時に、この「記録したウラの秘密の謎を解き明かされるコト」に「期待(キタイ・のぞむ)」し、そのヒントを「古事記『序文』・『本文』の『随ショ』」にバラ撒いて、それを視て、讀む読者に漢字トラバーユすることに「挑戦(チョウセン・いどみ、たたかう)」しているのだ。
そして、ヒントは『隋書』である、と。
「隋」の「煬帝(ヨウダイ)=廣(広)」は何故か、「倭(イ+妥)の天皇」が「無礼な親書」を彼に贈ってきたのか「首をナナメに傾げた」のである(推古十七(壱拾七)年七(漆)月・607年)。しかも、その無礼な文面にこみ上げてくる「憤怒」を抑えることが出来なかったのだが・・・考え直して帰朝する「小野妹子」に同行させて「倭國」に使者を派遣(608年四月)したのだ。その使者が「文林郎・裴世清」だ。
その後、「倭」の国名が「日本」になったことを疑問視し、「問い正した」のは「唐(トウ・から・記号の~)」である。
「唐」の役人は「?」であった。
「倭人」自身も「?」であった。
・・・知っていた人物は・・・『則天武后』と『劉仁軌』、そして『持統天皇(高天原広野姫)』と、唐で『則天武后』と謁見(長安三年・703年)した『朝臣・真人』であったのだ・・・「翼のついた虎」と「日本書紀」が記す『天武天皇(天渟中瀛原・真人)』も『真人』と呼ばれた人物だ。「?」に対しては私の前口上と『真人』の漢字がその謎を既に「トイ」ているのだが・・・あなたは「トライ(TRY・試みる)=渡来」しえみる?
「トラ・トラ・トラ」は第二次世界大戦時の対アメリカ合衆国、ハワイ奇襲攻撃の「大日本帝国海軍連合艦隊」の暗号であった。
・・・アメリカはこの暗号の意味を「解読」していたと言われているのだが・・・真実なのか?・・・「虎・関・師・錬」・・・「虎の関の試練」とは熊本城を造った「加藤清正」の「虎・タイジ」の試練か、「藤堂高虎」の「関が原」の試練、錬金術である。遠くは言うまでもなく「不破の関」の「虎」の「師錬の試練」・・・「壬申の乱」の「虎=天武天皇」である。
「虎関 師錬 」=虎(とら・天武紀)巻、試練。虎の関、試練=関ヶ原
↓↓ ↓↓ =虎(とら・寅=イン)干支連
コカン シレン
↓↓ ↓↓
「弧間 肢連」=十二支の区分、三十度。月支の連なり
「股間 示聯」
=股(また・直角三角形の長い方の一辺)=俣=イ口二人
また=又(手)=亦(エキ) ↓ 位葦児被都
間(あいだ) 水俣 火の葦の北
示(しめす) (俣は和字・国字)
聯(連盟=連名・連合・同盟=同名)
「姑間 試練」=姑=女古(くの一、十口)=めこ=女互=女子=愛子=女后
=女虎=音名寅=武州女
「姑鑑 覗簾」=女虎の歴史=『則天武后の垂簾』の政治
「姑姦 覗憐」
=姑(しゅうとめ)
姦(おかす・よこしま)=強姦=弓ム中ム三女=毋・類字は母
↓ 三序 ↓
覗(のぞく) ゆみ(喩診) ↓
憐(あわれみ) 女が犯されるのを拒否する
「姑観 示漣(さざなみ=小波=湖波
古葉=振る葉=降る場=古婆=虎の海女(海部)
小母=伯母・叔母 耽羅
虎場=虎馬=寅午(戌)=三合 会 局
とらうま =三互有甲斐挙句
↓ ↓↓ 海・貝・蟹
=寅 卯間=七ッ・七ッ半
=戊夜・五更
=暁=宵の明星=与葦の三輿場
「トラウマ」って、「心が傷ついたヒト」だよね。コレって「何語」・・・?
「古巻 史連(練=ねる・錬=ねる・聯=つらなる)」
「虚鑑 詞連」
=虚(嘘・空・許・居・距・擧・挙・巨・拒・据・拠・苣・去)
鑑(かがみ・歴史)
詞(ことば・言葉)
連(つらなる)
虎(とら・コ)
=猫科・全身黄色に黒の縦じま
眉間に『王』の字に似る印・虎皮は敷皮
=酒を飲み過ぎた酔っぱらい
=トラ毛
とら
トラ刈
トラつむぎ(虎鶫=黄八丈=八丈島特産の織物)
トラの尾
トラの子
トラの巻
トラ髭
とらふ(虎斑)
=トラの威を借る狐
=トラの尾を踏む
=トラを描いて犬に類する
=トラを野に放つ
寅(とら・イン)
=十二支の第三番目
=東北三〇度の方位
=時刻の五更の二時間・戊夜
銅鑼(ドラ)
=紐でぶら下げた青銅製の盆形円盤をバチで打ち鳴らす打楽器で、
寺院や船の合図に使う
どら=道楽者・どら息子・どら猫
渡来=伝来・舶来・外国種
=トラキア(ギリシャの北東・イスタンブールの南西)
┌───────────────────┐
│カエサルの妹の孫、アウグスツゥス(オクターヴィアヌス) は
│「八月、トラキア・アクティムの戦いに勝利」
└───────────────────┘
┌───────────────────┐
│トラキアは現在のアルバニア・ルーマニア地方でその地名は
│五世紀後半頃までとどめている
└───────────────────┘
トラバンコール
トラ川
トラシメヌス湖
トラスヴェレ
トラック島
トラブゾン
トラッペズス
トランケバル
トランスヴァール
トランスオクシアナ
ドラヴィド(インドの南東)
ドラ
ドラウ川
ドラクサラーマ
ドラベスコス
ドランギアナ
トランス-ジョルダン(中東のヨルダン)
トランス-ジョルダニア
トランシルバニア(ルーマニアの中、西部)
トルキスタン
トルコ
┌────────────────┐ の海戦は英国海軍提
│トラファルガー(スペイン南西部の岬) 督がナポレオンの仏
└────────────────┘ 国海軍を撃破
┌──────────────┐
│トロジャン(トロイ・トロイ人)・・・トロイ戦争はアキレ
│ スが戦死した場所
└──────────────┘
=トライ(こころみる・ためす)
=ドライ(乾燥・ほす)
=トライアングル(三角形)
=ドライバー(運転者・ネジ回し・馬使い・棒)
=ドライブ(馬車旅行)
=ドライヤー(乾燥器)
=トラヴァース(登山で山腹、岩壁を横切ること)
=トラクター(牽引車)
=トラコーマ(トラホーム・結膜炎・眼病)
=ドラゴン(飛龍)
=ドラスチック(急激な)
=トラスト(企業合同、同盟)
=トラック(運搬路)
=ドラッグストア(兼業くすりや)
=トラピスト(沈黙、祈祷、労働を戒律とする修道院の一派)
=トラブル(紛争・災厄)
=ドラマ(劇・脚本・戯曲)
=ドラマツルギー(作劇法・演劇論)
=ドラム(たいこ)
=トランシット(角度の測量機械・転鏡儀)
=トランス(変圧器)
=トランプ(かるた)
=Tr
tra(trans-=変換・かえる・精神的な恍惚状態)
trap(わな)
trapeziod(台形・梯子形)
tri(三重の)
trial(未発見のモノを知る方法)
tribe(イスラエルの十支族)
true(真実の・本当の)
truss(干し草の束・縛り首にする橋桁)
tread(あるく)
treason(反逆罪)
tree(樹木・十字架・系図)
tropic(回帰線)
tropical(熱帯・比喩の
・太陽年365日5時間48分46秒)
trot(虎の巻を使用する・駆ける・案内する)
「Tra-」に関連する単語である。
「trot」は「俗語」で「虎の巻を使用」するである。「トラキア」はローマに、「トロイ」はギリシャに、「トラファルガー海戦」ではナポレオン海軍が敗北したのである。
「トラ・トラ・トラ」で始めた「大日本帝国海軍・連合艦隊」の真珠湾攻撃の情報を耳にした「イギリス・元海軍大臣」の「チャーチル」は小踊りして、はしゃいだ、と言われている。彼の「ワナ」にハメられ、結果、「ミッド・ウェイ(中央の途)海戦」で、全滅したのが「トラ・トラ・トラ」の「大日本帝国海軍・連合艦隊」だ・・・勝ったのは「米国=美国」海軍である。
「midd・way」=「中央(中王)・中間(中艦)の途」である・・・歴史は「繰り返す」のか、「繰り返される」のか・・・
当然にも「trade」は「手を使う商売・貿易」であり、「あきない」で、「交換」である。「tradition」は「伝説・口碑・経外伝説」であり、「translation」は「翻訳」である。
まあ、英語に関してはタイム・トンネルをくぐって「西暦1600年」に日本に漂流した「三浦案針=ウイリアム・アダムス」に聞けばいいだろう。
三 浦 案 針・・・・サンポ、アンシン
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 纂補 案、申
み う ら あんじん=診裏案人(案神・安心)
未 得(有・胡) 羅 編 神
未 卯(烏・宇) 羅 亜務尋(申)
巳 得 螺 蛙鵡字務
元イギリス人、日本に帰化した「三浦案針」の子孫は誰だろうか?・・・まさか、同郷で、あの「継子」いじめで有名な、「氷点」作家の「三浦綾子」氏・・・「編纂の案件を申し上げます」・・・・?
しかも「1510年(永正七年)四月」、「三浦の乱」が朝鮮の「薺浦・塩浦・釜山浦」の日本人居留地で起こっているのだ。この年号、「1540・7・4」これはもう、「衛星=月」の概念が出来上がって、それを知っている時代の人物の作品だろう・・・と。
さて、「史記=太史公書」は漢の「司馬談=太史令」の子で、「景帝・中元五年(西暦前145年)」、あるいは「武帝・建元六年(紀元前135年)」に生まれたと言われている「司馬遷=字は子長・太史公」の「撰著・編纂」したものである。
これを分析すれば、
司馬談 =始場の段(四場段・芝団・柴團・支場旦・祇場檀)
=姉婆談(女市波女言炎=音名位地並音名根補之緒)
=(女壱名未女古都補之雄)
景帝 =景行天皇
中元五年=中本(古事記)互撚(倭建命の薨去)
西暦前145年=1+4+5=十=壱拾(イチをヒロウ)=酉支
武帝 =神武天皇・天武天皇(天府・添付)・『則天武后』
建元六年=たつもと無念=絶つ本、無念
紀元前135年=1+3+5=九= 宮=九宮 =申支
に生まれたと・・・
「史記=太史公書」の「太(タイ)」は『太安萬侶』の「太(おほ)」である。「公書(コオショ・コウショ)」の同音異字を採れば「虎尾処=虎将書」である。『虎』は「天武天皇」であった。
┌──────────────────────────┐
│「虎の尾を踏む」とは「中大兄皇子(天智天皇)」と、「斎明女帝」
│で、「踏まれた虎」は、怒った『則天武后=則天皇帝』なのだ・・・
│「天武天皇」は即、『則天武天皇』の側近の配下「劉仁軌」、そして
│「劉仁願」、「劉徳高」、「天智八年(西暦669年)十二月」に大
│大挙、弐千余人を率いてきた『郭務宗』その人か、『郭=傀儡』なの
│だ・・・「天無天皇」である。・・・存在したのは「持統天皇」と、
│「中臣鎌足・不比等」だけ・・・じゃぁナイのか・・・
└──────────────────────────┘
これで、「日本書紀」の「天武天皇」が見えて来ると云うものだ・・・あなたが「日本書紀・巻第二十七」を読み込んでいるなら「天智天皇=中大兄皇子」が「息長足日廣額=舒明天皇」と「天豊財重日足姫天皇=皇極・斎明天皇」の子供であることを知っているに違いない。そして、「天萬豊日天皇=孝徳天皇」は「五年十月死亡」、「天豊財重日足姫天皇=皇極・斎明天皇」は「七年七月丁巳死亡」である。ここに記されている「漢字=名前」と「数字」が偶然である、と考えるヒトには「韋書」とは何かをチョット勉強してもらいたいし、ついでに「中宗」の皇后、「韋后」の検討と、「韋」と類字の「葦=芦」もだが・・・とにかく、「日本書紀」と「現存・古事記」を解明する「虎の巻=アンチョコ=『安直』の転」は「漢和辞典」そのものなのだ。
「日本書紀・巻第二十七・天智稱制~二年」に登場する「人物名」、「場所」を「白村江の海戦(秋八月壬午朔甲午・戊戌・戊申・己酉)」から「州柔城・陥落(九月辛亥朔丁巳)」まであげると、
蘇将軍───────────┐
突厥の王子、契必加力 │何故?、「高麗の城下」
高麗の城下─────────┘
皇太子・長津
阿曇比邏夫・連
河邊百枝・臣
阿倍引田比邏夫・臣
物部・連・熊
大石
狭井連檳榔
秦造田來津
百済の王子、 『豐璋』──┐
の妻 │『多・臣・蒋敷(こもしき)』
『多臣蒋敷の妹』────┘
鬼室福信
釋道顯
春秋智
達率萬智
朴市田來津
達率金受
唐の俘(とりこ・虜)・『続守言』
前将軍・上毛野君・稚子
間人連・大盖
中将軍・巨勢神・前臣・譯語(をさ)
三輪君根麻呂
後将軍・阿倍引田・臣・比邏夫
大宅臣鎌柄
犬上君
糾解(仍=ジュウ・ニュウ・重ねて・しばしば・しきりに・すなわち)
石城
達率・徳執得
救将・廬原君臣
大唐・軍將・戦船・一百七十艘
気象
日本の伍、亂(乱)
中軍、大唐の堅陣の軍、打つ
大唐、便、左右、船、夾み、繞、戦
須臾、際、官軍、敗績
州柔城・始、降、唐・・・陥落(九月辛亥朔丁巳)
である。そして、「三年春二月己卯朔丁亥」に「大皇弟」に命じて「冠位の階名を増して換ふる」である。その階級は「廿六階=二十六」で、「華」を改めて「錦」としたのである。「階名(カイメイ)」はルビが「シナ」である。「華(カ・はな)」は「中華」の「華」だ。「錦(キン)」は「にしき」である。そして、「大建」、「小建」を加えて「二階(ニカイ)」とし、「此を以て異(け)なりと為す」との記述だ。
これらの同音異字が「玉手箱」にごっさりと詰められているのだ。付けられた「錠(じょう・たかつき・なべ・すず・こつぶ・テイ・チョウ・ジョウ)の穴」に差し込んだ、「鍵(かぎ・ケン)の棒」でコジ、アケルのだ。もっとも、「玉手函」は「帯・紐」で締められているから、「帯(たらし)=丗(凵十・山一)+冖+巾」と「紐(ひも)=糸(幺小)+丑」を「解(とけ)」ばいいのだが・・・出てきたのは「シ・ロ・イ・ケ・ム・リ」だ・・・
あなたには「丗=参拾」が理解できれば、それが「ワ(冖)・チキリ(巾)=和契=ワチ・ギリ=和知・義理=倭知・切(伐・霧・雰・桐・斬・紀理)=話知・欺理」の「始まりのハバ」であることが理解出来るだろう。「巾(キン・コン・てふき・てぬぐい・おおい・ずきん・えりかけ・ひれ・きれ・ぬの・きせる・かぶせる・はば・ちきり)」で、「巾幗(キンカク)」とは「婦人のカミ飾りで、婦人が喪中に被る冠。男子の士気のないのを恥ずかしめる時にこれを贈る」と漢和辞典にある。この熟語に「巾笥」、「巾車」、「巾箱」、「巾箱本」、「巾着」がある。ついでに「巾」に「亠」がついたら「市」で、「一」がついたら「一+巾(ソウ)=匝」で、「逆の字を逆」にしたものだ、そうだ。とにかく、「巾」の前後の漢字を調べれば面白いことが理解出来るだろう・・・「日本書紀」と「古事記」の「オンナ」が大変に興味深い存在であることが・・・
「三年・夏五月・戊申・朔・甲子」である・・・
百済・鎮将・劉仁願
朝散大夫・郭務宗(心+宗)・・・調纂他意附・書夢想(較無想・閣無双)
表函
大紫・蘇我・連・大臣の薨
島皇祖母命の薨
中臣内臣
沙門・智祥
高麗・大臣・盖金の死亡
淡海國・坂田郡・人・竹田史身
栗太郡・人・磐城村主・殷(おほ)
水城
もう、「天智四年」以降の「人物名」や、「場所」はあなたに任した。