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「ほとけ」と「こじき」(1)・(48)


     「ほとけ」と「こじき」(1)・(48)  さて、さて、またもや古本屋で三冊百円で手にいれた「岩波新書(648)」、「渡辺照宏(1907年生)」著の「お経の話(1967年6月20日発行)」を参考にして「古事記」と「仏教」の関係関連を私の「勝手な方法」で重ねてみたい。仏教に関する「 」の中身は殆どがこの渡辺照宏先生の本から抜粋したモノである。「仏説」も先生の説で、これを下敷に「古事記」、「日本書紀」を重ねてみようと展開した部分のみが「私の説」であるから誤解なきように読んでもらいたい。それにしても「学者」先生の「読書の量」にはとてもとても時間のない私には無理である。「ホトケの不思議」にあやかりたいモノだ。  「ほとけ」と言えば、「のり」と「ぼうず」で、ワンセットの「仏法僧」である。何故、「僧侶」のことを日本語で「坊主(ぼうず)」としたのか?  ・・・漢字訳では「比丘(毘丘)」の漢字なのに「ビク」とヨマしているが、私が素直にヨメば「ヒキュウ・ビキュウ」で、「比べるオカ」か「ヘソのオカ=中心のオカ」で、漢字分解すれば「坊主」は・・・「坊=土+方=土の方角=丑未辰戌」か、「坊=十一亠刀=東西南北の初めの音の略(東の支始は寅=イン・とら)、あるいは(亠=針鼠の頭、あるいは猪の頭)の方名(かたな・ホウメイ)」、あるいは「坊=十一ゝ一丿フ=壱拾位置(位地)の始めの印(点)の辺津の府」である。・・・鼠(ねずみ=子)は北、猪(いのしし=亥)で西北、重ねれば「北北西(補句浦狗声=ワンワム)の頭(主=ぬし・奴姿・帑子・駑師)」だ。漢和辞典には「帑(ヌ・ド)」は「金蔵・金袋・子、妻子、子孫」、そして「鳥の尾」とある。「酉の将」、「鶏の嗚」である。この「トリ」の示唆するモノは日本古代史ならば「随史・倭人伝」に記録されている「鶏」と、「御輿の象徴」である「金鳥」だ。もちろん「輿」は「地理の意味」である。  そして、「ぼうず」は漢字の造りの「偏旁」の「旁」であり、「ヨコシマ」の「ム・冒」であり、「解剖」の「剖」であり、「うさぎ」の「卯」であり、「つちのえ」の「戊」であり、「はは親」の「母」であり、「あぶ」の「虻=阿武」であり、「めくら(盲)」、「あばく(暴)」、その他の「ボウ=ボ・ウ」と「ヅ・ズ」の同音異字の意味である。「阿武」は「則天武后」が「淑妃」から罵られた「蔑称」である。確かに「別称」ではアルナ・・・。  漢和辞典には「坊(ボウ・ボッ・ハウ・バウ)」は「村や町の一区画・市場・店・部屋・房・家・建物・皇太子の宮殿(春坊)・役所の典書坊・僧の住居・寺・堤・防ぐ」であり、「国語」の意味としては「幼児を親しんで呼ぶ言葉・他人を『親しみ(したしみ=詞他史見=施多史診)』、『嘲笑=あざけて=字懸弖=亜座家・=鴉(雅=太陽・蛙=月)左掛出』言う言葉」で、「解字」には「方形」とある。日本には「坊主」と言う地名が「日高・日置・日下」等とブロック単位で存在する場所がある。どうやら、素直に読めば、「丘を比べる」と、「アルジ(在時・或地・有る字)はボウ」で、「比丘」=「坊主」の「謎」は、  「比丘   (毘丘   )」+「坊  主」  「オカの比較(オカの中央)」+「方形のヌシ(方位の中央=土=戊己)」  「将日の比較(国十の飛球)」 「□・彡又支」  「日球=火球(火丘・火山)」=肥球磨                   =「阿蘇頂上、中央を通過する太陽の道」  であり、占いの方位学、「氣門遁甲」の「五黄の土・五黄の戊」であるらしい・・・あるがまま、なすがままの「方形のヌシ=法経(ホトケ)の主=包茎の主」だったら「割玲=禍鬥令=割禮(ユダヤ)の主」ではないだろう。  「日本人=私」にとっては「お経」の「漢字訳」の「漢字」は単なる「梵語」の「借音」ではないのだ。「梵語」は「インド」の「サンスクリット語」だが、私の頭=脳味噌は、「梵」を、  梵=林+  凡   =輪盆=臨本・・・・盆=分皿・・・臨=臣・品     ↓  ↓     ↓   ↓   =はやし・あまねし  倭本・話煩    ↓↓↓ ↓↓↓↓   ↓↓ ↓↓    葉哉詞・海女子史 和本・羽盆   =木+木+几+丶    ↓ ↓  ↓ ↓    記 紀 基 天(点・典・転・添・槙・顛・貼・填・店・展・辿・添・纏)  「古事記」、「日本書紀」の「基」の「仏典」とヨミ、「テン」である、とヨンでしまうのだ。 私には「神様」、「仏様」に対して、存在するか、しないかと云う意味での「信仰心」はないけれども、「人間・ひとびと」が「人の子であったクリスト」と、「人間であったシャーキャームニ」をどのように「信仰」対象として考えて来たのかには「現存・古事記」と関連させて頗(すこぶ)る興味深々、「野次馬根性」なのである。「ヤジウマ・コンジョウ」、スナワチ(砂の窪地)、  「野(ヤ=哉・耶・夜・家・冶=の=廼・之・乃・埜)」の  「次(ジ=地・字・時・事・似・示=つぐ=継・接・嗣・訃・注)」の  「午(ウマ=馬・宇摩・馬・烏間・卯間・間)」  の「根性(今生・紺青・懇情)」で、「午」の次は、「未」の「金(欽)娘」の「筋定」は「坤嬢」と「艮嬢」であるからなのだ。  ・・・死んでから、かくも人間は「極楽」に行きたいものなのか。私が曼陀羅図を観てイメージすることは、菩薩達がその階級に見合った場所で順序よくお釈迦の側にはべって退屈そうに座っている世界である。「天国・極楽」に階級があるなんてのも奇妙キテレツ(紀手列・記出列)だが、「本」もなければ「映画」も「TV」もない、もちろん「鯛を食う」こともない。すべてが「完結されたように充されている世界(?)」のようであるから一喜一憂するような出来事もない。もちろんコレと云った「精神的、肉体的な苦痛な仕事」もないようだ。あるとしたら現世に生きて存在する人々を仏陀の教えで教化指導し、その人々を死んだ後に「極楽」に連れて行ってやるコトぐらいで、それも専任の菩薩が役目を担うらしいからヤルことは「なぁ~んにもなぁ~い」である。どぉ~してソンな処へ・・・私の「極楽・天国」のイメージはどおしても貧困にならざるを得ないのだが。  何故も「地獄」に行くのが厭なのか。地獄図を観て感心するのは、息つく暇もなく、とっても忙しいそうに死んだ人間達をイジメる「鬼」達とイジメられる人間である。どうやら「鬼」達と「人間」はイジメ、イジメラレる仕事に多忙で休日とか休暇はないようなのだ。「『虎』のフンドシをした鬼」にも階級があるらしいが、「鬼」には「誰」がなるのだろ・・・人間が「地獄の鬼」になれるとしたら「資格試験」があるのだろうか?。「鬼の資格」を得たら大したヤリガイのある仕事が出来るはずだが・・・最近、TV(NHK)で無罪の男が監獄から逃亡するアメリカ映画(「ショーシャンクの空に」脚本フランク・ダラボン=「ショーシャンクの空の下」)をみたが、「監獄」に無期懲役で入獄した人々の悩みは「ゴク中でナンにもするコトのない余った『時間の長さ』をどうするか」と言うことだった。「無期懲役」の監獄は「極楽」にも似て、「地獄」でもある。  小さい頃に「泣いた青鬼(赤鬼だったかも?)」と云う「浜田広介(?)」氏の童話を読んだことがあるが、あの「二人の鬼」さんは「友情」で結ばれていた。「泣いた青鬼」は人間の子供達と仲良しになりたかった。そしてなれたのだが・・・彼も地獄から来たのだろうか。  「猿(佐留・娑婁・狭流)」と「雉(生地・紀地・記事)」と「犬(委奴・狗・戌・意納)」をお供に  「桃太郎=唐太郎・・・桃=(木+兆=キチョウ=基調・記帳・帰朝・記肇)        桃=もも=腿・股(また・亦・俣・又)=百  に「征伐」された「鬼」達は「地獄」ではなく「鬼が島=鬼国=紀州」で生活していた。あの「鬼」達は「地獄」から逃亡してきたのか、それとも「閻魔」さまの許可を得ていたのだろうか・・・ここは「鬼」の漢字を調べろ、である。  とにかく、「地獄」のイメージはガンジス河の砂のように無限に広げていくことができる。理由はどんな人間の生涯もこの「現実社会」に「生きて存在」し、人間関係に於て傷つけ、傷つけられ、あるいは一個の人間の肉体が痛さを伴って病んでしまうと言う「理不尽な出来事」に遭遇し、それが余りにも多い、と「考えるコトが出来る存在」だからなのだ。「苦痛としての地獄」のイメージの材料はその辺にゴロゴロしているからなのだ。  殆どの「人々」は何等かの「宗教心・信仰心・信条心」を有して日常生活を過ごしていると思うが、その「必要性」の根本的なものは「神」や「仏」が教えてくれた(?)ところの「日常生活(共同体)のルールをマモルこと」だ。  私が勝手に解釈すれば、すなわち、坊主ならば「仏教教団」内で生活する規範、「律」と呼ばれるモノを守ることだ。一般の生活者にとって「天国・極楽」、「地獄」の話は「規範厳守=律厳守」が出来たか、出来なかったか、の結果の死後の代償としての「はなし=方便」に違いない。「ほとけ」や、「ぼさつ」になれるかどうかのハナシは、これは「社会生活の規範(のり)=律(リツ)」厳守の為の「手段」である。「厳守」出来ない者は「地獄」に行くと云う「おどし」としての「手段」なのだ・・・だから「シ・ゴの世界」のことなどはどうでもイイハズである・・・だが、人間には「幻想」こそが「絆」となるのだ。  「三蔵(ピタカ)」とは、インド語で「篭(かご)」を意味している。  この「籠・篭(かご・こもる・もっこ・鳥かご・えびら・ロウ・ル)」に入っているものが、  ① 経・・・おしえ=釈迦から聞いたハナシ=教説(五・ニカーヤ)  ② 律・・・守るべき社会・集団生活者同士のルール  ③ 論・・・理屈=哲学理論  である。「駕籠」の熟語があるが漢字分解では  駕=加える馬・・・加える馬韓・加える司馬遷・加える司馬達人  籠=竹の龍・・・・筑紫の留=笠⇒流⇒隆(百済皇子)・劉(唐の将軍)  である。  カゴの同音異字とは「歌語の過誤の加護」・・・であるな。  「①経」は「説法=教説」だが、「奇跡のお話」の「お経(大乗経)」がワンサカとある。まるで「未・開」人が「文・明」人に遭遇して彼らの「科学的行動」が「奇跡」であるとしか「理解」できないような「有難いハナシ(言葉)」なのだ。「カル・チ・ャ・ァ(火留智冶亜・可留知夜娃)」ショックである。「日本書紀」では「仏教」を重んじて、「神道を軽(輕・あなづる・カルんじる・ケイ・キン)んじ、『神木』を伐った皇子」は「軽(輕)皇子(孝徳天皇)」であり、同音異字の「カル皇子」は「可留皇子(文武天皇)」である。「軽(輕)宮」の記録もある。ここは「軽(輕・かるい・あなずる・ケイ・キン)」の漢字を調べればその本来の意味と、音訓の「同音異字」の示唆するところの意味は明白だ。「苅る葦・借る意(彙・異)・狩る亥」で、「軽(輕)」とは「敵陣にまっしぐらに突っ込む戦車」であるからだ。「戦車」とは「イクサの為の乗り物」である。「軽(輕)=車又土(車一巛工)」は「車のスポーク」で、漢字分解では「クルマのマタのド」か、「クルマのイチのカワ(三く)のタクミ」である。仏教では「大乗・小乗」であるが「軽輪」だから「小乗」だろう。「競輪」ならば、「オオヤケの博打(ばくち)・博奕(バクエキ)」だ。ここは何故「バクチ・バクエキ」が「博」と「打」、「博」と「奕」なのか「博多」の地名との関連であなたが調べればイイだろう。そして、「漠地・瀑池・暴恥」をも・・・ナイル河が流れる「西岸」の砂漠には埋もれた何か「三角形のモノ」があるだろう。  「文明人」とはその「コトバの文が明かであるヒト」なのだ。現代の「科学的人間」にとって「奇跡=不思議」とは「科学知識=科学レベル=言葉」の理解力の差であると思うが、「信者」にとっての「奇跡」とは「遭遇した出来事」が理屈ではない「身体自体」が官(感)得する直感(直観)による「法悦=官能」であるらしいのだが・・・たぶん、「空海」が「感得」した「金星(ヴィーナス)」が意味するモノである。  「奇跡」が無いところには、「宗教」は存在し得ないが、「奇跡」が必要とさせるものは「社会・集団・組織」のとして生きて行かなければならない人間同士の「秩序維持」と「約束ごと=ルール」を守らせる為の「精神的なショック」ではないのか。すなわち「②律」を守らせる「手段」なのだ。  そして、特殊「仏教」が他の諸宗教、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教と決定的に違っているのは「根本的」な「規範の原点」が『すべての生きているモノを殺生するな』である、と私は考えるのだ。「ユダヤ教=旧約聖書」の「十戒」、「汝、隣人を殺すなかれ」は未だ「民族の枠内」であり、「ユダヤの神」は「異民族」の土地を「血」であがなったのだ。さらには「ノアの洪水」と「ソドムとゴモラの破壊」である。「家畜の燔柴(ハンサイ)・生贄」は「殺生」である。彼らの「神」は「牧畜・狩猟民族の神」なのだ。  「釈迦」は「生きている全てのモノを殺してはならない」と言ったのだ。さらには「相手を生かす為には自分の命を与えよ」とも言った。ここでは「正当防衛」などと言う思想はないのである。彼の生存期間、「紀元前(566~486年?・463~383年)」の「八(捌)拾年間」の「四(肆)拾五(伍)年間」は宗教活動であった。その後、「クリスト(紀元元年~參拾年)」の宗教活動はおよそ「参(參)年間」、そして、「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と言ったが、「命を与えよ」とは言わなかった。ましてや「仏陀」となった「釈迦」が自ら「殺生」などとは・・・釈迦は敢えて「肉食」をしなくてもよい「農耕」が安定していた時期の「人物」なのだ。ここでの「漢数字」に注目して欲しい・・・  八(捌)拾年間・四(肆)拾五(伍)年間・・・拾=ひろう  三(參)拾年 ・参(參)年間・・・參=ムムム一人彡                  ↓                 ・・・三ッのヨコシマに重なるハジメの人の痕  サン=蒜(ひる=比留・日留・卑留)=十+一+示                   十+一+示                   ↓                  拾う壱を示し並ぶ      蒜=のびる・にんにく(葫=日の下の胡)・・・邇務似句・壬似句     =蛭(ひる=虫+至=中+ム+至)     =ひる=昼=晝=書+一・・・書のハジメ・書の一     =ヒル=HILL=おか=阜・陸・丘・岡・小山  その意味があるのだろうか?・・・あるのだ。  さて、「三蔵」である。「古事記」では「三」と「蔵」の漢字自体の構造と意味、その「音・訓」が「重要」なのであるのはいまさら云う必要がないであろうが、「ピカタ」が「篭」を意味するインド語ならば、「カゴ」は「加護」、「過誤」、「駕篭」で、「篭(ロウ・ル・こもる)=竹+龍(たつ・リュウ・リュ・リョウ・リョ・ボウ・バウ・モウ・マウ)」ならば、これらの同音異字こそが「古事記」や「日本書紀」が暗示する事件の内容説明である。「タケ(竹=他家・丈・茸・嶽・炊)」の「リュウ(龍=劉・流・留・瘤・柳・瑠・琉・粒・隆・笠・硫・竜=辰)」である。中国の「唐=周」時代の「則天武后」の信頼、信任ある将軍は「白村江の海戦」で指揮をとった「劉」氏であった。  伏線は「瘤(こぶ=昆布・鼓舞・古部・虚部・姑武・虎武=瘻=屡=婁)とり爺(じじ=時事)」のハナシである。「卑弥呼」をトッタのは誰か、である。  そして「ピカタ」は云うまでもなく「日方・干潟」であるのは太陽の「黄道」を機軸にした「東西南北=十=壱拾」とその場所の示唆である。「ピカタ」って、小麦粉とタマゴを衣にしたイタリアの肉料理だよな。母子像の「ピエタ(悲劇)」ではないよなッ。「ピカタン」は「長官」だが・・・「日(卑)に加担」か?  「方便」であるが、ポピュラーなのが「ウソ(嘘)も方便」と云うコトワザである。「方」と「便」の熟語であるが、漢和辞典を調べれば「方便」は、「①機会、②仏が衆生(シュジョウ)を導くためにカリに使った手段、③転じて、間に合わせの手段。その場をうまく処置する手だて。また、手段」と説明されている。 有名なのは「法華経」の「方便品」で、家の中で夢中になっていた子供達が火事になったことを気が付かず、親が子供を家の外に出すために「外に面白いものがある。羊や鹿や牛に引かせた車がある。早く出てきてこれで遊ぶがいい」と云って「火宅」から救いだした話だ。  「日本書紀」の「方法=手段」は「羊(未・ひつじ=日辻)」と「鹿(史家・詩歌・紙価・市価・志賀・滋賀)=王位=蘇我入鹿=豊浦大臣=島大臣」、「牛(丑・烏始・卯姉・ウ姿・主)」と「車(くるま・句留真)=車持大臣=藤原」である。「火宅で死んだ」のは「三蔵の大臣」である「蘇我馬子」の子ども「蘇我蝦夷」である。「火宅」から「船史恵尺」に救われたのは「国記」らしいが・・・「火宅の人」と言う小説もあるがこれに引っかけているのだろう。とにかく「方便」は今風に云えば「know how/how to」で、「方法」のことだ。  「古事記」に関連させるならば「方(ホウ)」と「便(ベン・ビン)」である。「ホウ」と「ベン」の同音異字を調べて、その重なる意味をヨメ、である。とりあえず「ホウ」は、「訪問客(まろうど=間卯怒=磨得度=真侶得度=人麿の怒、あるいは努)」の「おとずれる(音ズレる)」だ。「人麿」とは「柿本人麿」か、「太安萬侶」である。「訪問客=旅人=度比斗=足袋肥渡」であるなら、ここでは地理的な「方向」として「豊(豊国)・飽(飽田)・鴇(時岐・土岐)・泡(安房・阿波)」の「邦」と、「時間」としての「鴇(とき・辰・疾)」、「草」としての「芳・蓬・蔀」、「大切なモノ」としての「宝(寶)=三種の神器」と、「暦法」としての「章(十九年)の四倍」である「葆」と、言葉(漢字の構造、造りと音訓)としての「法」をあげ、次に見慣れぬ漢字だが「莽」である。「莽=艸+犬+ナ+十」の造りの漢字は「雑草・覆う・雲がおおう様・粗い」、「『犬(狗・戌)』が『兎(菟・卯)』を追い出す」の意味と、その音よみの「ボウ」、これらを重ねて参考にしよう。そして「ベン」は「娩・采・鞭・采・勉」であり、これらの漢字の音と意味と構造(造り)を「弁(わきまえる・分別する)」のである。  さて、「ホウビン」とよめば、「占星術」の「宝瓶(寶瓶)宮」=「水瓶座」である。「宝姫(財姫)」と言えば「皇極・斎明女帝」である。「宝・瓶(寶・瓶)・宮」と「水・瓶・座」の各漢字をじっくりとその「造り・音・訓・意味」を漢和辞典で調べ、その「解字」から示唆を得よ、である。  「文殊菩薩」の「宿曜経=二十八宿」ならば「水瓶座=ペガサス座(守護星は鎮星=土星)」と「磨羯宮=山羊座」に架かっているのは「虚宿=から星」で、これは梵語では「植物のハリタキ」で、「摩登伽経」では「飛鳥」となっている。  すなわち、尻とり遊びのように連鎖していくと、  虚宿=飛鳥=あすか=娃州掛(化・禍)=亜素化(アマネシのモトの変化)         =明日香(日月の日の退き、あるいは能義の日)         =安 宿(ウのオンナの宿泊地)=奈良         =空 宿(そらやど・あきやど・クウシュク・アキシュク)         =穐諏句=秋祝(秋分)=安芸(安岐・亜紀)諏句         =鬼宿  で、「飛鳥(ヒチョウ・とぶとり=斗分酉・渡武都里)=火鳥(鳳凰=ホウオウ=法王=ノリのキミ=海苔の畿味・宇美古家)=秘帳」だ。  そして「比帳(比べる帳・較べる帳)」で、「肥長(肥の長・コエのオサ)=肥の国」、「卑の国の重」、「一の国の調」、「妃の国の帳」・・・なるほど、渦の音に秘められた「アワジ(淡路)=亜和字=あまねし和字」の「鳴門秘帳」ではあるな。  ・・・「磨羯宮」の「羯」は「般若心経・般若波羅蜜多大心経」にある「真言」の「羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提莎訶」の「羯」でもある。呪文で、「彼岸に到れり、菩薩に。めでたし」とされ、一般的には意味不明らしいが「羯=羊+日+勹+・+ム」の漢字を調べればその「意味」も見えるハズである。羯=去勢された羊。  「羯=羊+  日+        勹+  (乙)  + ム」     ↓   ↓         ↓    ↓    ↓    「ヒツジのニチ(ヒ・ビ・カ・ジツ)はツツムのオツニョウのヨコシマ」     ↓   ↓         ↓    ↓     ↓     ヨウ   クサ         ク   イツ・オト  シ・カイナ  である。「羊=廿+キ」で「芋(いも)」に類似しているのだが・・・。  「お彼岸」は「春分・秋分」の日であり、「昼夜等分の日」であり、その「太陽出没の方向」ではあるが、この日が「菩薩」なら、その同音異字は「ボサツ(捕殺・母殺・模刷)」である・・・「日輪・月輪・観音・文殊」等の菩薩は文字通りの意味だ。「観音菩薩」は「ボサツの音を観よ」である。だとするならば、「真言」の「羯諦=ギャーティ=義夜定」は「月(チャンドラ)の位置する磨羯宮」で、ここの「宮座の各宿星」は、「斗・牛・女・虚」等の宿(星座)であり、その「磨羯宮」の守護星は「土星(鎮星)」なのだ・・・「磨羯宮」は「鎮魂のホシ(保支・星・干)」であり、「鎮魂」されるのは、当然にもその宮にある「斗(はかる)・牛(うし・ぬし)・女(おんな)・虚(あき)」等の宿命の人物である。小峰有美子氏によれば「空海」は「女宿の日」に生まれたと記録にあるらしい。  中国の「蘇州天文図」によれば、その配置図は、  同音異字  ↓  「斗は二十五度・幽洲」=「都土、(弐・拾・五・努)、優秀・憂愁・有終」  ↓       ↓  はかる     かくす=墓留・隠す・・・・・測る二十五度、劃素  「牛は七度  ・星紀」=「義喩土、(七・奴)、世紀・精気・西紀・生起」   ↓     ↓   うし・ぬし   ほし =有死・主(奴死)・・烏(卯・鵜・雨)七奴、捕死  「女は十一度 ・揚州」=「序努、(壱・拾・壱・怒)、要周」   ↓     ↓   おんな   あげる=音名・・・・・・・・遠那、壱拾壱度、安芸留  「虚は九度  ・元号」=「去土、(九・土)=九州、言合」   ↓      ↓   あき     もと =亜紀・・・・・・・・明(秋・穐・飽・空・安岐)  の句のタビ(侘美)のモト  である。  「羯(カツ・ケツ・ケチ」は「去勢された羊・五胡の一で『匈奴』・羯鼓は太鼓の両面をバチで打ちならす両杖鼓」で、「かつ」とヨマれる「」は「(エイ・ヨウ・満ちる・肥える・伸びる・余る・余り・『勝つ』・怠る・みめよい)」で、「『秦』の王室の姓」である。『秦』は「はた」と訓み、「秦氏」の「はた」で、「倭人伝」では「秦王国」と記録されている「秦」である。そして「」、この訓(よみ)の漢字は「古事記」と「日本書紀」の重要なモノとして使用記録されているのだ・・・アマリ(余)は「磐余彦(いわれひこ)=神武天皇」の「余」である。「」の類字の「瀛(+=ミズがカツ)」は「エイ・ヨウ・『海』・湖沼」で「瀛寰(エイカン)」は「天地・宇宙・世界」であり、「瀛洲」は「中国の東海にある三神山の一で空中に浮く『蜃氣楼の島』」である。しかも「天渟中原『瀛』眞人=天武天皇」の「『瀛=おき』」である。  私がイイタイコト(いひたいこと)は・・・「天武天皇=瀛」が「『蜃氣楼の嶋』」なら・・・「振起(心機)鷺鵜の詞魔(志摩・史間・施真・縞)」で・・・「まぼろし=まほろし=まほろば」は、存在しない、と言うことなのだ。  『匈奴』の「匈」の類字、「+匈=洶(キョウ・ク)」は「わく(湧・沸)・水がわき(和気=子辰申=亥子丑)あがる音」である。「渤海の音」か「出水(和泉・泉)の湧く音」か、「鳴門の渦音」で、「猪鼠牛猿龍」の鳴き声で「ぶう・チュウ・モウ・キャッ・キーン(?)」である。

     「ほとけ」と「こじき」(1)・(48x)  「ハリタキ」は漢訳では「カリロク(訶梨勒)」とされている。「訶梨勒」を分解すれば「言可禾刀十八革力」である。  すなわち、   言  禾  刀     可       十  八       ↓  ↓  ↓     ↓       ↓  ↓  「言葉は能義の形名(方名)の日置(碧・壁・僻)、重なる言葉を知るは  革      +     力  ↓            ↓  かわ=皮・川・河・側    ちから  日輪          置日羅(治下羅)  ↓            ↓  カク(角・掴・較・獲・郭)  リキ(利器)              リョク(緑・虜貢・慮句)  である。  同音異字の「カリロク」ならば、「借り録(借りた記録)」か「日理路区(太陽の黄道の区分)」である。「ハリタキ」も同音異字で採れば「波里(頗理)多岐(多紀・多伎)」で、「ヨコシマな理屈、紀(日本書紀)には多くの伎(わざ)で記している」、「葉利多気(言葉の利、多くの氣)」だ。  そして「危宿=あや星」があり、「双魚宮」=「魚座」に架かって「室宿=はつい星」がある。「あや」はもちろん、「文飾」であり、「危険」な「綾・彪・亜矢・絢・文・彩」であり、「はつい」は「葉対」であり、「シツ(漆=七・失・疾・湿・質・嫉・叱・膝・悉・蛭・櫛・執)」の「発意」である。  「方」は、漢音で「ハウ」ともヨマレたのなら・・・これならまさに「how」じゃないのか・・・  方・・・ホウ・ハウ・かた・ならべる(ならぶ)・あわせる・ならんだ舟。も       やい舟・筏(いかだ)・筏する・くらぶ(くらべる)・比較する。「       比方」・わける。区別する・たぐい。しな。種類・とも。なかま・角       (かく)。四角。真四角。「方円」・正しい。きちんとしている。「       品行方正」・みち。つね。のり。道義。「義方」・いた。木の札。文       字を書く四角な木の板。「方策」・かど。四角なものの隅・地。大地。       天は円、地は四角・よも。四方。「方百里」・ところ・国。邦国。「       異方」・かた。むき。「方向」、「方角」・向かう。向かうところ。       一定の方向・手だて。やりかた。仕方。「方法」・わざ・技法・神仙       術。仙術。「方士」・医術。「医方」・薬の調合。「処方」・あたる       ・まさに。丁度その時。また、いま。「方今」・はじめて・たもつ・       さからう。「方命」・ほしいまま      国語・・・かた・他人を呼ぶときの敬称・係。「道具方」・ころ。時           分。「夕方」・お・かた・しげ・すけ・たか・ただし・た           もつ・つね・なみ・のり・ふさ・まさ・まさし・み・やす           ・より・方波江(かたばみ)・方波羽(かたばみ)・・  解字・・・象形。二つの舟を並べて、そのへ先をつなぎ合わせ並べた           形。並べ合わせた舟の意を表す  と、ある。これを「古代史」に重ねれば見えて来るところは「卑弥呼」であり、「巫」であり、「仙人」であり、「占い」であり、「前方後円墳」であり、「天地の方位の支」であり、「舟」であり、「魏志倭人伝」である。とにかく漢和辞典で「方」の熟語をみよ、である・・・「方音」、「方員」、「方外」、「方伎」、「方壷」、「方丈」、「方輿」、「方略」等々を。これらの漢字を見て、あなたが「古代史」が大好き(スキなだけではダメなのだ。大スキであることが条件である)なら、私の謂わんとするところを理解してくれるハズだが・・・  では「便」はどのような意味を持つ漢字なのか・・・  便・・・ベン・ビン・ヘン・ヒン・たより・都合がよい。「便利」・つて・つ       いで・おとずれ。音信。「郵便」・やすらか。くつろぐ。また、普段。       「便殿」、「便衣」・手がる・慣れている・習熟している・すばやい。       身軽・いばり。小便。くそ。大便・すなわち。すぐに。たやすく・へ       つらう・わける(弁)・やす      解字・・・人が意符。更が(古音ヘイ。転音ベン・ビン)が音符で事           をおさめる(弁治)意を表す。原義は、召し使う人の意。           引いて。都合がいい。便利の意味に用いる。  である。この「漢和辞典」の編者(?)は「漢字」の「説明文」を「同音異字で採ってみよ」、と云っているのだ。ヒントは「便利=都合=ミヤコ(宮古・宮子・都)を合わせる」であるからだ。「都合」は単なる「当て字ではない」のである。もちろん、「クソ(句素)はスナワチ(州名和地・諏名輪地・素拿和字)をヘツラウ(経津羅迂)ことでワケル」であり、「コト(古都・異・言・琴・胡土・弧度・子登・虎斗・姑杜・湖都)をオサメル(将作女留・譯目婁・長女留)」のは「弁字」である。  「古事記」に関連させれば「古都は異なる」、「古都の言葉は琴にある=神功皇后の琴(瑟・筑・箏)占いの言葉=天皇の死亡=武内宿禰との新羅侵攻(新羅親交・神・信仰)」であり、「宿曜経」に関連させれば「十二支宮の方位、虎斗=寅度(インド=天竺)=寅支(東北)=弧度(箕・太蔟)の胡土(湖土=諏訪湖)」であり、「日本書紀」に関連させれば「湖都(琵琶湖・大津京)を治めた天智天皇の子怒(大友皇子・持統天皇=・野讃良)」であり、「魏志倭人伝」に関連させるならば「姑奴の古都の卑弥呼・壱与」である。  「故土」が「胡土(ウド=宇土)」なら「西域」で、「仏教=大日経」の極楽と、「エジブト(埃及=塵及=砂塵=地理究)の神々の神、太陽神=アモン・ラー」の死後の極楽はナイル河の西岸で、共に「西方浄土」である。日本の「宇土」なら九州熊本の「三角」の地名がある宇土半島で、半島の付け根にある「宇土」である。また、この「宇土」は、「不知火」の北に存在する。  「新羅」の「文武王」は「武烈王=金春秋」と「文明夫人」の子供であり、「第三十代(在位661~681年)」の王である。その「水中陵」は現在の韓国、慶州の石窟庵の「南東の沖合い」に存在する「大王岩」にあり、その岩礁は「十文字」に溝が掘られてあり、その底に「文武王」が眠っているのだ。このことは水谷慶一氏の「続・知らぜざる世界(日本放送出版協会・昭和五十九年・第3刷発行)」著に詳しいが、水谷氏は何故かこの「大王岩」から日本への「南東」へ線引きをしなかった・・・「東海(日本海)」を越えて引けば・・・「萩(はぎ)」かも(?)。  ・・・何故、「東南」なのか・・・「辰己(辰巳・巽)」・・・確かに「お彼岸」の方角であるが、「将悲願(おひがん)」は「龍(竜・辰・立・起・建・発・燵・経・断・絶)」に対するモノである・・・多分、「リュウ」は「百済滅亡前後」、「白村江の海戦(663年・天智天皇二年)」の「新羅」時代を考えて推理すれば、『劉』と言う人物に対する「防御」で、『龍=辰』を抑える対冲の位置に存在する「西北」の『犬(狗)=戌』こそが重要なのである。水谷氏は中国の「東南西北」と、日本の「東西南北」の方位の呼び方の違いに言及しているが、同音が「盗難遮兵」であるなら「東南」は「盗難」に対するモノだ。  もちろん、「日本書紀・下巻・二十九、三十」に記録されている「龍田神社」の意味は「平城京の西(酉・鳥)」に存在するモノであるから、これに対冲の位置する「東(卯・卯)」の「防御」こそが重要なのである。  水谷氏は「『虎』と『熊』が人間になりたく、天神に祈って『蓬(艾・よもぎ・ホウ)ひとにぎり』と『大蒜(葫・にんにく・)二十個』をもらって『物忌み』をしたら人間になれるだろうと言われたが、『熊』は三十七日目(二十一日目)に人間の『女(ジョ・ニョ・おんな・あま)』になったが、『虎』は『人間(ジンカン・ニンゲン・ひとま・ひとあいだ)』にはなれなかった」との話を「檀君神話」から抜粋しているが・・・  「よもぎ(蓬=ホウ)」は「世(輿=地理・与・預・代・豫・夜)模擬」。「にんにく(大蒜=おおひる=ダイサン)・葫=コ・ゴ)」は「おおひる=将補日流(昼=尺旦)」、「ダイサン=第三・帯三=(胎蜜)=廼纂=経意簒=他意纂」、「コ=古・姑・虚」、「ゴ=語・後・伍・吾・呉・娯・后・誤・・・」で、そして仏教の「忍辱(にんにく)」に掛けたのだ。日数は「三十七=参拾七=(3+7)=10(十・壱拾)」の「ヒ(日)・メ(女)」、「二十一=弐拾壱=(2+1)=3(三・参)」の「ヒ(日)・メ(女)」である。もちろん「虎(コ・とら)」は「白虎の方角」と「寅の支」であり、「天武天皇」。「熊」は「ユウ・ユ・くま・かげ・ひかり」で、「小熊座(北斗七星)」と「大熊(座)」で「球磨の親子が描く円周」の方位と時間であり、「夕(友・邑・又・猷・雄・酉・由宇・憂・遊・有・右・湧・由・郵・涌・融)」を結ぶ「おんな(音名)」の「世(三十年間の代=三十撚巻)」・・・「持統女帝」である。  ところで新羅の「武烈王(金春秋)」は「第二十九代」の王だが、彼以前の「新羅王」は「第二十七代」が「善徳女王」、「第二十八代」が「真徳女王」なのである。  代数 新羅王 代数  倭王  ↓        ↓  三十三・推古(日本書紀巻廿二・古事記下巻)  二十四・真興 三十四・舒明  二十五・真智・・・三十五・皇極・・・・・・・そが氏       古人皇子  二十六・真平・・・三十六・孝徳・・・・・・中おおえ皇子・間皇女  二十七・善徳・・・三十七・斎明・・・・・・大あま皇子・額田王  二十八・真徳・・・三十八・天智・・・・・・大あま皇子・倭姫       大友皇子(明治に三十九代と認定・弘文天皇)  則天武后(唐・周の女帝)  劉仁軌 (唐の将軍)  劉高徳  劉仁願  郭務宗  二十九・武烈・・・三十九・天武(日本書紀巻第二十八・上)・2+8=壱拾       天武(日本書紀巻第二十九・下)・2+9=拾壱       草壁皇子       大津皇子  三十 ・文武・・・四十・・持統(日本書紀巻第三十巻)・四拾=肆拾      ・・・・四十一・文武              ↓       ・・・・・・・・・・元明             つらなる       ・・・・・・・・・・元正             ほしいまま       ・・・・・・・・・・聖武       ・・・・・・・・・・孝謙       ・・・・・・・・・・淳仁       ・・・・・・・・・・称徳            弓削の道鏡  ここに記した「数字」をみて「ハッ!?」と、問題意識を持つ人間はかなりの「古代史研究家」である。「新羅」と「日本」が重なっているのだ。しかも「天武天皇」は「日本書紀」の「巻二十八」と「巻二十九」の「二巻」にわたって記録されれている。これは明らかに「意味のある数字」として示唆しているのだ。  さて、素朴な疑問だが「仏(佛・ほとけ)」って、何故にこのように「日本語」で音声されてしまったのだろうか。  例のごとく、漢字の同音異字で「ホ」、「ト」、「ケ」の組合せである。とりあえず、ここでは「解け(ほとけ)」は・・・  「ホ・ト・ケ=補・土・懸」  「ホ・トケ=母(模・戊・暮)・説け(解け・釈け・融け・疾け                    刺・研・遂・柘植・告・継・接)」  「ホト・ケ=陰部(補説)=寅部(虎武)・毛(懸・祁・家・気・化・掛)」  であるコトにとどめよう。  例のごとく「お経」の「経」を分解すれば「糸+又+土」、あるいは細密に分解すれば「幺+小+又+十+一」である。これを私がヨメば・・・  「イト(伊都・委奴・葦土・意図・異図・井戸・緯度)」の  「マタ(真他・麻田・俣・亦・股)」の  「ド(土・奴・怒・度・努・堵・ト              ト             ↓    都・杜・斗・登・兎・渡・図・鍍・屠・菟・途・徒・妬・砥・塗)」  である。細密には・・・  「ヨウ (幼・要)」  「ショウ(少・衝)」  「サ  (作・早・娑・砂・左・叉・簑・狭・乍・詐・ナ・座)」  「ジュウ(中・重・拾・絨・住・十・従・縦・充・充・揉・獣)」  「イチ (壱・位地・位置・市・一・弌)」  である。  「お経」は「インド(印度・寅度=虎怒)」では『スートラ(sutra)』と云われているモノで、その他意は「糸・紐・教訓・教理・『金言』」で、「数語からなる短文による集成」である。もちろんのこと、『スートラ(sutra)』は「スウトラ=素得『虎』=枢『寅』=洲得渡羅=数斗螺(・)」で、「古事記」、「日本書紀」では「トラ・とら・虎・寅」が「歴史的記録」の原点なのだ。  すなわち、「翼」のついた「虎」は「天武天皇」であり、「古事記」の作者は世界史、日本史の歴史上のあらゆる地名、人物、モノを「トラ」に掛けて「日本史の裏」を「説明」しょうとしているのだ。すべての「熟語」の「・・・トラ」とか「トラ・・・」はその「トラ」の意味説明である。  「富永仲基(1715~1746年)」と云う人物が存在した。渡辺照宏氏は彼は『出定後語』を著作し、それには「釈迦入滅後に順次に時代を追って様々な経典が制作されたと論じた人物」と云っている。私からみれば「富永仲基(1715~1746年)」は「現存・古事記」に関係あるらしい(?)人物として怪しく思うのだが・・・登美・名臥・・・ナカ・モト。 初期の聖典は「アショーカ王」の「バイラート法勅」、「七の法門=七経」であると言われている。  「7」である。言うまでもなく「七」は「初七日」であり、「旧約聖書の七」であり、「七夕(たなばた)の七」である。「七」の類字は「匕(めす)」であり、「ヒ(サジ=匙=スプーン)」、すなわち「『箸墓古墳(大市古墳)』のハシ=箸(端・橋・梯)」である。  小中学校では「小乗仏教」とか、「大乗仏教」は日本へ南方から、北方からとしての地理的伝播、「自力本願(字力叛含)」、「他力本願(多理基翻元)」ぐらいの意味にしか教わらなかったと思うが、ここで「仏教理論・仏教概念」の解釈を展開しよう等とは思わない。展開させたいのは「古事記」と関連させた「仏教経典」の「人物名」や「地名」、「物語」、「事件」の重なりであり、そこに「記録された漢字」である。そして「仏教」に関係した諸々の「歴史的人物の事件」の「古事記」への重なりである。  「小乗」、「大乗」の「乗」は「大小の乗り物」のことであるが、音は「ジョウ」である。「古事記」が意識しているのは「ジョウ」の同音異字である「譲・場・丈・嬢・擾・城・貞・錠・上・娘・情・条・丞・浄・穣・醸・蒸・畳・剰・縄・聶・・・」等である。これらの漢字を先ずは意味で採り、「訓」でヨミ、「熟語」を調べれば「古事記」の主題が見えて来ると言うものだ。  「丞相」とは中国三国時代の主役、「魏」の「曹操(孟徳)」である。「丞相」とは「後漢の献帝」の時代の彼の役職である。彼の子供「曹丕(文帝)」によって「武帝」と対尊号された人物だ。彼は「宦官」の養子であった。だとするならば「古事記(712年)」の下敷は「魏志・倭人伝」の「卑弥呼・壱与」である。もちろん「武帝」の「武」は「天武」と「則天武后」、「武烈王(金春秋)」、「文武王」の重なりでもある。  吉川英治の物語での「宮本武蔵」は「『一乗』寺の決闘」で、仇敵の吉岡一門の「主将」となった「幼い子供」を策略をもって殺してしまった。そして「武蔵の哲学」は「活殺剣(?)」であった。「仏教」もここまで解釈されたら「庇理屈」であろうが、「武蔵の哲学」は「殺生を禁じている仏教」ではない。「戦の現実世界」は解釈しなくても「敵味方のイト(意図・異図・伊都・異都・移都・移徒・医徒)的で相対的な活殺(生死)」である。 「蔵壱阿含」は、ここまで私の説をよんできてくれたあなたなら言うまでもないだろう。個別的な漢字の「蔵(くら)」、「壱(いち)」、「阿(くま)」、「含(ふくむ)」の「音訓」の同音異字と意味であり、「古事記・日本書紀」での使用ヶ所である。  「小乗」の「蔵壱阿含」は「五蘊(ゴウン)」、「十二処」、「十八界」、「地・水・火・風・空・識」の漢字訳で説明されて、「仏陀は唯一人」であり、「四向四果の八段階の階級」があり、「最高位はアルハト(阿羅漢)」ということらしい。「修行方法」は「パーラミター(六・波羅蜜)=完全・極致」と呼ばれ「布施」、「戒律」、「忍耐」、「努力」、「禅定」、「知恵(知慧=空の認識によって得るモノ=万物の観察とその真相を知ること)」であり、「般若波羅蜜」とよばれるものだ。「客観(色)」と「主観(受・想・行・識)」の両方からそれらが「我」であることを否定していくことらしい。結果、「真我」が得られるモノらしい。ここにあげた漢字を「同音異字」で採るとドウ・ナ・ル・カのか。  五蘊(ゴウン)・・・・・・・・語運  十二処・・・・・・・・・・・・壱拾弐書  十八界・・・・・・・・・・・・壱拾葉知改・重葉知掛異  (地・水・火・風・空・識)・・知・素異・化・封・句得・式  仏陀は唯一人・・・・・・・・・分柘拿・結い何時尋(比酉・火鳥・日採)  四向四果・・・・・・・・・・・施行史家  八段階の階級・・・・・・・・・葉置懐旧  最高位はアルハト(阿羅漢)・・亜流(留)葉渡  パーラミター(六・波羅蜜)・・葉亜螺未他吾  完全・・・・・・・・・・・・・間然  極致・・・・・・・・・・・・・語句置  布施・・・・・・・・・・・・・臥(伏)  戒律・・・・・・・・・・・・・介立(掛異立)・・・甲斐立・海里津  忍耐・・・・・・・・・・・・・似武他意  努力・・・・・・・・・・・・・斗慮句  禅定・・・・・・・・・・・・・全帖  知恵(知慧)・・・・・・・・・地形  般若波羅蜜・・・・・・・・・・判似家把・(拉)見多  色・・・・・・・・・・・・・・史記(敷・始期・死期・四季)  受・想・行・識・・・・・・・・授・綜・形・式            郭務悰(忄+宗)は唐の使者  我・・・・・・・・・・・・・・ガのすべての同音異字と           私(ヨコシマ=横島・邪)と訓まれる漢字  「真我=間賀」は「真の我=神の賀=新羅」であり、「如来」は「女句置記=女裸(拉)意=序・(拉)意」であり、これが「如来の法身(方針・放心・芳心・芳信)」であり、「仏陀の境地(鏡置)は無常(武娘・武帖・務嬢・鵡聶)ではない」のだ。  「仏陀の入滅」は「紀元前480年ころ(?)」であり、その仏滅直後に「ウパーリが律」、「アーナンダが経」を唱えて「経典」としたらしいのだが・・・「うはり」、「あなん(む)だ」の同音異字の意味するモノはナニか?  取り合えず、「得針(ウパーリ)」とするならば「日本書紀(皇極天皇四年四月・戊戌・朔)」に「鞍作得志」から「『虎』が『柱の中の針(ハリ=葉裏)』を盗む話」がある。「鞍作得志」は「毒」で「高麗の国」で殺され、その後に「大化改新」が記述されているのだ。「ハリ」を盗んだ「虎」が「天武天皇」なら、「鞍作得志」は「九羅の特使(三蔵の大臣・蘇我入鹿の特使)」で、「句螺(西)作得史」ではないのか・・・。  ならば、まったく「あー何だ(アーナンダ)!?」と大きくうなずいて言うことは、「阿(亜・吾・娃)の南(難・楠・何・名務・納武・那六=茄六=日下を加える録・陸奥)の拿」であるハズなのだが・・・もしかしたら、かなり、ウィットに富んだ「噺家」ではあるなッ。  そして漢字訳されたものが「長阿含・中阿含・雑阿含・増壱阿含」である。ここでは「古事記」は「長・中・雑」を「亜(吾=アマネシの言葉)」は「含む(今の口=現在の言葉=現存の古事記、記録時)」である。  「シャーリープトラ(舎利弗)」と「マウドガリャーヤナ(目・連)」が仏陀に先だって入滅したらしいが、「志哉裏府都羅=斜里夫虎=七女の夫の虎」、「真得奴賀裏耶哉那」で、「黙謙練=女謙練」である。  「プラーナ」は「聖典編集」を認めなかった。これの示唆は「府羅亜(娃)那は『日本書紀』を認めない」である。  「マハーカーシャパ」と「ウパーリ」と、「アーナンダ」の対立。これは「真葉化史哉把(頗)=真墓視野把」、「得針」、「亜納武拿」。  「ピンドーラ(賓頭盧)」は入滅を許されず、「永く人々を教化」することに従事したらしいが、この「ピンドーラ(賓頭盧)」は「後宮(賓)の頭は・(盧)」のことで、「持統天皇」か「則天武后」だ。  また、西インドの「プルーナ」は「未開の故郷の布教」に努力したとあるが、当然にも「古那(振る名・降る那・府留名・普婁名)」である。  「ダルマ(真理)」であり「法身」であるが、「新里=新羅」の「方針」で、「他留真」の「足間=(又・股・亦・俣)の間=垂の間」である。  中国仏教の基礎を築いた「道安」が「綜理衆経目録(374年)」を作った。このころから「訳された経典を一括して写経」することが始まったらしいのだが・・・。「随の開皇元年(581年)」に「一切経」を写経。これが「大蔵経」となったのだ。  八十一歳で死亡した「朱子行」は梵本を求めて「西域のコータンに赴き『放光般若経』を訳した。  「法顕」は六十すぎてから「399年」に長安を出発して西域に向かい、「402年」にインドに到達した。  「クマラージーヴァー(鳩摩羅汁・350~409年)」は「七歳」の時に出家し、「八歳」で母と「カシミール」に赴き「阿含」を学んだ。401年に長安に来て409年までの「九年間」、訳経に専念した。彼は「中観」派の「ナーガールジュナ(竜樹)」の「成実論」を訳した。  これらの「人名」、「場所」、「事件」、「数字」をみれば「日本書紀」と「古事記」に掛けられているのは明らかだ・・・。  「ダルマクシェーマ」の訳した「金光明経(四巻)」。  「パラマールタ=クラナータ(真諦)」は548年に「二百四十包の聖典」を携えて「南京」に到達、「梁」の「武帝」に仕えた。だが「武帝」が反乱にあって死亡し、彼は「二十年間も放浪」しながら「唯識」、「倶舎」を訳し「七十歳で入滅」した。  「玄奘」は「二十九歳(629年)に四年がかりで、マガダ国に行きナーランダーの仏教大学」で学び、「梵本五百二十包・六百五十七部」を持って「645年正月」に「長安」に戻った。そして「十九年間」この梵語本の漢字訳に専念したのだ。また「大唐西域記・十二巻」も著述した。  この「645年」は日本史では「大化改新」である。  「プニヨーダヤ=福生=那提三蔵」は「655年」に長安の「慈恩寺」に住んだ。「八曼茶羅教(師子荘厳王菩薩請問経)」、「離垢慧菩薩所問礼仏法経」、「阿咤那智経」の「三部」を漢訳した。  「義浄(635~713)」は「広東」から海路で「671年」に出発して「カルカッタ」に到着し、「ナーランダー」で「十年間」学び、「695年」に帰還した。そして「金光明経」を翻訳した。著書に「南海寄帰内法伝・四巻」、「大唐西域求法高僧伝・二巻」がある。  「無行」は「ナーランダー」に行き「大乗瑜伽師派」と「中観派」を学び、「ダルマキールティ(法称)」の「因明(論理学)」をもマナび、「大日経・七巻」を写経し、これを「善無畏(シュバカラシンハ)」が「724~725年」に翻訳した。  「金剛智(ヴァジラボーディ・671~741)」が「719年」に中国に来て「密経聖典」を翻訳した。彼の弟子、「不空金剛(アモーガヴァジラ・705~774)」は「七十七部・百二十巻」を翻訳し、「774年・七十歳」で入滅した。彼こそが「日本密教」の「空海」に最大の影響を与えた原点の人物であり、この空海のもたらした「宿曜経」こそは「日本文化」の起草(基層)的な原点なのだ。  「円測(エンジキ)」は「玄奘」の弟子であり、「新羅出身」の人物で、同門からは異端者とされていたが、その著書に「解深密経疏」がある。  「西蔵大蔵経」は「チベット」では「聖語部(カンギュール)」、「解説部(テンギュール)」と呼ばれている。これは音を採れば「観牛得留」、「天牛得留」である。  「パーリ語聖典」は「律・経・論」の三蔵で、「経」は「五部」に分かれて「長部」、「中部」、「相応部」、「増支部」、「小部」で、「第五部」の「小部」は、「ダンマパタ(法句経)」、「スッタニパータ(経集)」、「ジャータカ(本生経)」となっている。これも音を採れば「談眞頗多」、「素柘他似頗多」、「邪多可(多寡)」である。  「1890年」、イギリスの「ヴウワー(Bower)大尉」が「新疆」で「孔雀王呪経」の「樺皮のサンスクリット語写本」を手にいれた。多分、これが「孔雀明王経」ならその姿は「四本の手を持つモノ」であるから、その象徴する「四本の手」の意味は「東西南北」、方位の「四方」である。

     「ほとけ」と「こじき」(3)・(48y)  さて、渡辺照宏先生の「お経の話」から殆ど抜粋してきたモノを「古事記」、「日本書紀」と関連させてきたが、これからの展開部分も「 」がついても、付かなくても「仏の事」に関しては全て、渡辺先生の著述にあるものである。  「法身偈(ホッシンゲ)=縁生=偈縁起偈は、仏の最初の弟子「アシヴァジト」、が「シャーリプトラ」に釈迦の考え方を紹介したものだ。  諸方従縁起  如来説是因  彼法因縁尽  是大沙門説  「雪山偈=諸行無常偈」  鬼の姿となった「帝釈天(タイシャクテン)」が「雪山(せつせん)」で修行していた「仏」に教えた言葉である。「雪」=「雨+ヨ」と「山」である。  諸行無常  是生滅法  生滅滅已  寂滅為楽  「七仏通戒偈」  諸悪莫作  諸善奉行  自淨其意  是諸仏教  「パンタカ(般特)」兄弟の弟は愚鈍であったが釈迦は「私は塵を払う、私はよごれを清める」の二句を修行僧達の「履物」の「塵」を払いながら暗記させた。この「弟(おと)」は「般特(ハンドク)が愚痴も文殊の智慧」と「謡曲の『卒塔婆小町』」にあるらしい。  この「ワタクシ、チリ、ハラウ」は「倭多句史・地理・頗(よこしま)羅得」である。「ヨゴレ、キヨメル」は「与語(余呉・予後)霊(例)・寄与(喜代)・女・留」だ。「与語の例」は「古事記・序文の『日下』を『玖沙訶』、『帯』を『多羅斯』」である。「オト、ハンドク、グチ、モンジュ、チエ、ヨウキョク、ソツトウバ、コマチ」は「音・判読・句知・文授・地重・陽極・蘇(姐)柘(都)図(渡)得(卯・烏)場」である・・・  是故  比丘  無為放逸  我以不放逸故  自到正覚  無量衆善  亦由不放逸得  一切万物無常存者  「如是我聞」の「我」が「アーナンダ」であるとするならば、「女・施(世)・画(雅・賀・臥)・文(問・紋・門・悶)」で、「亜・南(何・楠・難・軟・男)田(拿・妥・楕・蛇・堕・唾)」である。  「マンガラ(吉祥・めでたいこと=アベ)」=「萬臥羅=女出他(侘)意」。         女出台 古都 ↓   ↓  「スッタニパータ(経集)」 ラテン語 ヨコシマ  「パリッタ(呪文)」 ↓阿倍・清明 ↓邪・馬台  「スッタニパータの『宝経(十七詩句)』・『慈経(十詩句)』

『吉祥経(七十経・五編・四句の詩、一千百四十九)』」  「『小部経典』の第一」の「クッダカ・パータ(小誦)」  「三帰衣」  「見習い僧(沙彌・サーマネーラ)」の守るべき「十戒」は、  ① 殺生の禁止  ② 盗みの禁止  ③ 淫行の禁止  ④ 虚偽の禁止  ⑤ 酒飲の禁止  ⑥ 午後の食事の禁止  ⑦ 遊興の禁止  ⑧ 装飾品(装身具)の禁止  ⑨ 贅沢(高・大)な寝台使用の禁止  ⑩ 金銀受領の禁止  であり、昔から人間、特に金持ちや政治家、特権的地位の権力者がやって来た事ことばかりである。「禁止=キンシ=金武氏」の条項は支配階級には関係ない、と言うことだが・・・  「三十二身分(自分の肉体構造を三十二分して学習すること)」  「少年僧問答(初心者が知っておくべき教義)」は、  ① すべての生き物は食べ物によって成り立つ  ② 名と形態(色)  ③ 三種の感受(快・不快・快、不快のどちらでもない)  ④ 聖なる真理(四聖諦)  ⑤ 五の構成要素(五蘊=色・受・想・行・識)  ⑥ 六の感覚機能(六内処=眼・耳・鼻・舌・身・意)  ⑦ 七の悟りの手段(念・択法・精進・喜・軽安・定・捨)  ⑧ 聖なる道(八正道=見解・決意・言葉・行為・生活・努力・思念・瞑想)  これに認識(聖智)と解脱を加え、完成すると「無学」となる  ⑨ 生き物の九の住居(九有情居=瞑想体験の世界)    欲界の人天・梵衆天・極光淨天・遍淨天・無想天・空無辺処    識無辺処・無所有処・非想非悲想処  ⑩ 十の資格を供えた聖者(アルハト)  である。  「転輪聖王」=「転法輪」=「転法輪経」には「苦悩・苦悩の起源・苦悩の超克・苦悩超克の道(四聖諦)」が記され、「三転十二行(相)=苦悩の起源の根絶、超克の実現・道の実践」が説かれている。  「般涅槃(般泥汨)経=ネハン経」は、「六の異本」があるらしい。「ネハン=パリ・ニルヴァーナ=完全・寂滅」と漢字訳され、「パリ(完全)」、「ニルヴァーナ(滅度)」である。「玻璃(針・葉理・波里・ハリ)=完全(ウ元八王)」の「丹瑠場穴(似留葉亜名・尼留場吾名・貳留婆娃名・ニルバアナ)=滅度(水戊一女广廿又)」・・・これは、太陽の日没の「度」である。  仏陀は「マガダ国」の「パータリ=パータリプトラ」から「ヴァィシャーリー」、そこで財産家の娼婦「アームラパーリー」の招待後、「ベールヴァー」、「バーヴァー」で信者「チュンダ」の招待を受けた後、「クシナガラ」に向かう途中疲れて川の水で顔と足を洗い、最後の在家信者になった貴族の商人「プツクア」に遭い、「クシナガラニ」到着し、四本の「沙羅双樹」が東西南北に位置する場所で横たわり、最後の弟子となった「スバドラ」を教化した後、そこで「入滅」したことになっている。遺骸は「七日間」供養され、弟子の「マハーカーシャパ」が旅先から駆けつけ、火葬にされた仏陀の遺骨は諸国に分配され、「十ケ処」の「ストゥーパ(卒塔婆)」に祭られた。「十ケ処」は、「八、六、七」等の諸説がある。  「般涅槃(般泥汨)経・異本」には「昼餐(チュウサン)=昼食)」に「チュンダ」が献立した「栴檀樹耳(センダンジュジ・キノコ)=茸」が原因で死んだらしい示唆がある・・・「中纂」、「沖拿」、「耳(みみ)」の付く「日本古代史」の人物はダレ・・・か?  「せんだんじゅじ」の同音異字は「専断樹字(嬬児)=船団呪時(受児・授時)=戦團『戍』事=戦拿武『戍』事=施務拿『武嬬』時」。ここでは、   戊(ボウ・モ・ボ・つちのえ・寅の刻=午前四時・五更)   戉(エツ・オチ・ゲツ・ガチ・まさかり=儀式用の斧・越える)  『戍』(シュ・ジュ・まもる・とどめる・たむろ・守備兵の陣屋)   戌(シュツ・シュチ・ジュツ・いぬ・十一位の戌支・陰暦九月・北西・土)   成(セイ・ジョウ・ジャウ・なる・なす・国語では貴人のおいで)  の「類字」の漢字に注意しよう。いずれも「戈(ほこづくり)」に「丿」に「印・点」が付いているか、どうかの違いだが、その「印の位置」によって「ジュ」とヨムのは「戍」である。「茸(きのこ)=草加・日下の守備兵」・・・  まさに「キノコ(木の子)」である。「ほとけ(蒲土祁=かまどの神)」であり、「ブツ(武都=部柘=物=弗=沸=布津=払)」は「勿(ブツ・モチ・なかれ=泣かれ・鳴かれ・哭かれ・名借れ)」であり、「シャカ」である。  しゃか=斜日=者化=舎化=写化      =射掛=いかけ・いるか・・・海豚       ・・・猪(亥)の肉を喰ってあたったと言う説もでてくる      =「葦加計(あしかけ・足は『宿曜占い盤の目盛りの108足』)」         =いるか=入鹿             =いるしか=位留始家=委婁志賀=言留史家             =移流志賀=葦瑠始嫁=畏留史家=意留史家  「きのこ」=「『来(飢・鬼)』之『虎(子・姑・胡・雇・湖)』」に・・・「ほとけ」が殺された暗示・・・だ。  また、・・・「紀(記・鬼・姫・機)」、「之」、「虚=空=から=唐=嘘」でもある。  また釈迦が昼餐に食べた物は「スーカラ・マツダヴァ」で、「豚肉料理」であると言う説がある。釈迦が「豚を肉食」されたとは思えないが、「豚」が「猪」であるなら、「茸」か、あるいは「豚=猪」を食べて「釈迦が死んだの論争」が「仏説史」にあったとすれば、「イノシシ=北西=亥(ガイ・いのこ)」は「古事記」、「日本書紀」に於いてこそ重要なのだ。「猪」が登場するのは「古事記」では「ヤマト・タケル」の「死因」となった「伊吹山の神=白猪」との遭遇である。「茸(キのコ)」であるならば「記(紀)」の「虚」か、「艸=草=叢=書籍」の「耳(ジ・みみ)」で、「記の音」は成仏=涅槃した、と言うことだ。  まさに、「仏典」の漢字訳、翻訳をサラには「古事記・日本書紀」に何年間(三・八年?)も「あしかけ」て「編集」しているのである。  「マハーヤーナ(大乗)」は「偉大な乗り物」のことで「教説」とその「実践手段」である。「ヒーナヤーナ(小乗)」は「歪小(ワイショウ・卑しい=イヤシイ=移椰子意)な乗り物」のことだ。これは「邪馬大国」の  「卑弥呼=台女・得(烏=カラス・雅・鴉=太陽・日)」=「大乗」=大嬢  「壱与 =少女・得(卯=ウサギ・菟・兎=月   )」=「小乗」=小娘  の掛けである。「日輪」、「月輪」、残るは「時輪=辰(とき)=龍(たつ)=木星」と「歳輪=犀(さい・一角獣)・隹(サイ)=年輪=太歳(歳星・木星)=差異=木の目」、「分輪=わけ=訳=和気=彼岸」、「秒輪=猫(ねこ)・彪(虎彡)=わづか(環図化・倭頭家)=のぎ(能義)」の漢字である。  「天竺・唐」の「乗り物=車(船)」とは、「月の扁旁」=「肉(宍・ジク)=舟(ふね・ソウ)」の漢字の意味を踏まえ、時間の流れ(変化)と、距離の長短、方位の留め(定位置)をメザスのである。  「大乗経典」は「大蔵経」の中で、「般若」、「法華」、「華厳」、「宝積」、「涅槃」、「大集」、「経集」、「密教」の「八部類」である。その特徴は「瞑想・直観」的で、「瞑想体験の描写」であるらしいが・・・。  全ての人間は「菩薩候補者=如来蔵」であり、「心本清淨」であり、それが「客塵煩悩」で曇っていることを自覚した時に「菩薩」を目指すのモノであるらしい。この実践を「菩薩行」と言う・・・なるほど、「シン本・セイジョウ」で、「脚人(客訊)・煩能生(本能・模務廼ウ)」で、「模刷の行」ではあるナ・・・「菩薩行(六種のパーラミター・波羅蜜多・波羅蜜)」は「布施」、「持戒」、「忍辱」、「精進」、「禅定」、「智慧」であることは既に述べたが、これらの漢字の「同音異字」を採って「日本古代史(日本書紀)」と重ねて診ろ、なのである。  「大乗」の根本精神は「自利」ではなく、「自己犠牲精神」であるところの「懸命(命がけ)」な「利他=他者への奉仕」であるらしい・・・コリャァ、「隣人」への実践は難しいと謂うモノだ・・・敢えて言えば「模(模倣)=母=おんな(音名)」は存在したその時点から「利他」なるモノだとは思う・・・妊娠、出産には命懸けである・・・だが、そのマタ、原点を辿れば「おとこ(音顧)=(他人)」との関係によるのだ・・・この「関係性(男・おとこ)」に「命(名)を懸(掛・書)けた」と言うことではないのか・・・蜘蛛やカマキリの「オス」は「メス」に、「メス」は生まれて来る「コ」に・・・人間の「オス」はどうなのか・・・「観音菩薩」に祈るばかりダ・・・とにかく、「空」、「仮」、「中道」などの理屈もコトバだ・・・「自利利他円満」、なかよしこよしはイイコトだが・・・。  仏は「変化身(応身)」として何処にでも存在するらしいが、その本体は「法身(真如・法性・諸法実相)」として「天」に居るらしい。その「仏」を信仰するモノに姿をみせられることを「受用身(報身)」と言う。  この「法身」は「ヴァイローチャナ(毘盧遮那仏=大日如来)」とされているから「太陽」の位置の変化、すなわち「太陽」の動きで「ハカル時間」であるに違いない。「サトリ」とは「太陽」の「動きを知るコト=暦」なのだ。もう、これは「古事記」、「日本書紀」の事件の「数字(和字)」、「コヨミ(歳月日時)の世界」である。  インド人「ナーガールジュナ(龍樹)」は大乗哲学の元祖と謂れ、著書に「中観論」があり、「般若経」を研究し「空」と「縁起」を解明した人物である。その一派に「ブッダパリータ(仏護)」、「バーヴァヴィヴェーカ(清弁)」、「チャンドラキールティ(月称)」が存在した。  「ナーガールジュナ(龍樹)」を継承し、「アサンガ(無着)」、「ヴァスバンドゥ(世親)」が「唯識派(ヨーガーチャーラ・瑜伽師派)」をたてた。  この派から「スティラマティ(安慧)」、「ダルマパーラ(護法)」、「ディグナーガ(陣那)」、「ダルマキールティ(法称)」等が出た。  さて、私の説を援護してくれるモノが「維摩経・第一章」の  「仏以一音演説法・衆生随類各得解」  であり、渡辺照宏先生はこの著書の中で「日本語解釈」として「仏は一音をもって法を演説したまい、衆生は類に随って各、解を得る」とされている。 これは「私の説」と重ねるならば、とりあえず、  「仏 以 一音 演  説  法」   ↓  「譜柘意・壱音・重務・施柘・法(方・包)」  「衆生 随  類  各  得 解」   ↓  「修正・頭意・留意・化句・得・日意(化意・甲斐)」  の懸けである。そして、「音」、「訓」、でヨンで、「一音」の意味を採るのだ・・・これが「古事記」、「日本書紀」の漢字のヨミ方である。「一音」の「同音異字」の意味であるからその意味も「多重」する、と言うわけだ。  仏(佛)・・フツ・ブツ・ブチ・ヒツ・ビチ        ・ホツ・「ポチ」は「犬の名で、ここ掘れワムワム」だ。        =ほとけ・・・・・・・・・・・・・補読懸        =イ+ム(イ+弓+八)          以・・・・・イ         =ひと・・・・・・・・・・・・・・比斗         =レ+丶+人         =已を逆さまにした意味・用いる          一・・・・・イチ・イツ・ひとつ・はじめ・・・一(比斗柘)          音・・・・・イン・オン               =おと・ね・・・・・・・・・・・・音(将斗・値)          音=立+日  演・・・・・エン・イン      =のべる・・・・・・・・・・・・・之部留      =(水)+寅(ウ一由八)        説・・・・・セツ      =とく・・・・・・・・・・・・・・斗句      =言+八+兄(口儿)  法・・・・・ホウ・ボウ      =のり・・・・・・・・・・・・・・乃理      =(水)+十+一+ム  衆・・・・・シュウ・シュ      =あつまる・・・・・・・・・・・・亜柘真留      =网+人+イ+人  生・・・・・セイ・ジョウ      =うまれる・・・・・・・・・・・・得真例留       =牛(ノ一+十)  随・・・・・ズイ       =したがう・・・・・・・・・・・・詞(史)違う       =阜+ナ+月+・  類・・・・・ルイ       =たぐい・・・・・・・・・・・・・多愚意                  他句意       =米+大(一人)+頁(一ノ目八)  各・・・・・カク・キャク       =おの・・・・・・・・・・・・・・将埜(小野・斧)         ↓         各=夂+口 小野妹子=蘇因高  得・・・・・トク       =え・う・・・・・・・・・・・・・重・有       =彳+日+一+寸  解・・・・・ゲ・カイ       =とく・・・・・・・・・・・・・・土句       =角(刀冂十一)+刀+牛(・十)  である。  「華厳経(大方広仏華厳経・六十華厳三十四章八編)」には「普賢菩薩(サマンタバドラ)」と「文殊菩薩(マンジュシリー)」、この二人の主役と諸々の菩薩が登場する。そして「財善童子(スダナ)」も・・・彼は「娼婦(ヴァスミトラー)」との「抱擁」、「接吻」をも修行経験としていく・・・羨ましい修行ではあるナぁ~。  「維摩経」の主人公は在家信者の「維摩(ヴィマラキールティ)」である。コレは・・・「日本史」の、「ユイマ=イマ」で、「由比真(結摩・遺磨・喩意真)=今(現在)=居間」で、シカバネのフルイ、アイダ、である。  多分、・・・「由井正雪の変(1651年=慶安四年七月)」の懸けでも・・・由緒右折だ。  「勝鬘経」は、北方の国「シラーヴァスティ国」の「プラセーナジト王」が妃の「マリカー」の感化で仏教に帰依し、その妃は女子の「シリーマーラー(勝鬘)」を生んだ。そして、この女主人公「シリーマーラー(勝鬘)」が「ヤショーミトラ(友称王)」に嫁いで、両親から釈迦に「帰依」することを勧められて物語が展開するのだ。  「勝鬘経」は彼女の物語なのである。「女性=おんな」の物語とするならば、「古代日本史」に於て、この「お経」の主役である「女性」は誰かに「重」なって「懸け」られている筈(ハズ)である・・・  如来妙色身・・・女羅異名施記(始期・姉来・姿姫・志鬼・史記)診  世間無与等・・・予見武与羅・与件務与統          ・・・施兼務(懸武・化鵡六・建武)与渡鵜(斗卯・渡烏・唐)  無比不思議・・・武妃普私儀(仕儀・私議・鴫・姉妓・史疑)  是故今敬礼・・・施古今傾例(懸異例・家慰霊・甲斐例)・施古今華委例  如来色無尽・・・女羅移始鬼務尋 威令  智慧亦復然・・・地重真他伏前(全)  一切法常住・・・一再方定十(重・獣・縦・中・拾・方位の東西=卯酉)  是故我帰依・・・背虎臥鬼重・施姑賀記重  「シリーマーラー(勝鬘)」は未来、来世に於て「サマンタバドラ(善光)如来」になることを釈迦から約束されたのだ。しかもこの約束成就は「摂受正法(身体・命・財産の三っの放棄)」によって果たされる。「からだ・いのち・とみ」は「唐侘・異乃(埜)地・塗美」、スナワチ、「日本書紀」に記録された「唐のよこしま」、「威(権威)の埜(葉ヤシの努=言葉の嘘の努力)の恥」、「塗(塗説・塗布・塗抹)の美」=「登美(毘古・彦=ゲン)」を捨てて「サマンタバドラ(善光)如来」=「善行(善形)」になるのだが・・・。  「シリーマーラー(勝鬘)」は、全ての生き物は仏になるべく「如来蔵=如来の胎児」であると説明し、この「胎児」を「①真理を理解している人、②真理の理解力を持っている人、③真理の理解力のない人」の三つに分類した「③」に例えた。「③」の人々は「唯ただ仏の徳と慈悲の教えを信じて帰依」し、実践し、「胎内」で出産を待つ存在である。 中国には「勝鬘経」を注釈した「嘉祥大師吉蔵(549~623)」の「勝鬘宝窟」があるらしいが、この「勝鬘宝窟=月券長彡日网又ウ玉ウ八尸出」の漢字をみれば「古事記」、「日本書紀」の神話が見えてくるだろう。  「法華経(妙法蓮華経)」には釈迦が「マガダ国」の都「ラージャグリハ」の郊外、「グリドラクータ(鷲の峰)」で、大乗の教えを説き、禅定に入って眉間から光線を放ち東方の一万八千の仏国土を照らしだし、その後、仏陀は「仏の境地を説くには難しいので三乗(小乗)の教えを説く」と言ったのだが弟子達(シャーリプトラ=舎利弗)は「三度懇願」し、「大乗(一乗)」の説話を望んだので、それを「お説き」になった、と言う話である。その時、「三乗」で満足していた他の「五千人(語潜妊)」の「弟子(音詞・音施)」達は席から立ち去ったのだ。・・・大嬢(卑弥呼)と小娘(壱与)の分裂である・・・  「法華経」には「多宝如来(プラプータラトナ)」と「多宝塔」出現の話がある。「法華経」を「シ・ン・ジ・レ(信)ば功徳(句読)」、「ソ・シ・レ(讒・詆・誹・謗・譛・譏・疵・毀・非)ば不幸(普考)」である。ここは漢和辞典で「そしる」を調べよ、である。  「小乗経典」は「出家教団の為に説かれたモノ」であり、実際的で「現実の描写」である。「教義を説明し、その解説」をしているから理性的に理解が可能である。「アビダルマ(ダルマ)」は「教義」についての「解説」であり、「存在論」である。「菩薩」とは「仏陀の成道以前のこと」である。  仏陀入滅の地、「クシナガラ」はかっての前世の仏陀であった「マハースダルシャナ王」、「大善見・大善現・大善賢・大快見」王の都であった。この「マハースダルシャナ王」が何故、「①大善見・②大善現・③大善賢・④大快見」と漢字訳されているかは、「賢明(ケン名・懸命)」なあなたならすぐに理解できるであろう。「マハースダルシャナ」は「真葉諏拿留史耶那」か、「真把諏拿留者名」、「磨葉素妥婁舎名」、「魔頗洲雫流捨名」等など・・・である。  「未来出現(降臨・下生)」の「『彌勒(みろく・マイトレーヤ)』菩薩」も、「西方浄土(極楽・彼岸)」の「位が七番目の『阿彌陀(あみだ・アミターバ)=(無量光・アミターバ)=(無量寿・アミターユス)』菩薩」も、「診録(みろく・マイトレイヤ=真意図例委耶=真伊都麗谷)」、「編拿(あみだ・アミタバ=阿見侘場)」の「模刷(ぼさつ・ボサツ=母娑津)」である「音」が懸けられているのだ。  「観無量寿経」は「マガダ国」の「ビンビサーラ」王、その妃「ヴァイデーヒー(韋帝希)」、その娘「アジャータシャト」との話である。その「ヴァイデーヒー(韋帝希)」を主人公としているのだ。悪者は「アジャータシャト」である。「アジャータシャト」は、父親の「ビンビサーラ王」も母親の「ヴァイデーヒー(韋帝希)」も幽閉してしまうのである。母親は仏陀に祈願し、苦しみのない「西方浄土」をみたいと願った。そして「阿弥陀如来の極楽浄土」に生まれ変わりたいとして願い、仏陀はその「生まれる実践方法(三福)」を教えたのである。「孝養」、「十善」、「仏法僧への帰依への実践」と「十六の観想」である。  「十六の観想」であるが、その第一が「日没」、「観世音と大勢至」、「日」、「水」、「地」、「樹」、「八功徳水」、「宝樹」、「宝地」、「宝池」、「蓮華」などの「観想」である。これらの漢字は「漢和辞典」の調査項目の示唆ではないのか。  「比模柘」、「巻施音・代施意詞」、「見柘」、「置」、「戊」、「八句読素意」、「方戍」、「方置」、「連解」の・・・。  「大日経(大毘遮那成仏神変加持経)」は「シュバカラシンハ(善無畏)」が「一行」を助手として「725年」に翻訳したモノである。「六巻・三十一章」で、「七巻・五章」は「補足」である。特徴は「方便を究境」であり、その「方法・手段」が最高の意義を持つのだ。  「究境」は「パリアヴァサーナ(最頂点・絶頂・窮極)」の意味らしいが、漢和辞典では「ケイ・キョウ・つきる・おわる・おわり・きわまる・きわめる・あまねし・あまねく・わたる・つらなる・ついに・かえって・しかるに・さかい」とある。「境宴」は国語では「宮中では祭事・書物の講義や編集などが終わった後で開く宴会」とある。打ち上げパーティである。この片仮名、平仮名の音訓の「同音」を「古事記」、「日本書紀」を踏まえて「異字漢字」にするのだ。 「理趣経」の説くところは「一切法自性清淨」であり、あるがままのものすべてを肯定し、法悦の絶対体験は「性の歓喜」に例えられ、「適悦」、「大楽」とよばれ、絶頂感(オーガニズム)の極みである。  「こじき」の「絶頂感」は「説帳巻」、「説長間」、「舌長噛(咬)」、「是柘重鑑」、「背柘調諌」の・・・「絶肇鑑」、ゼツチョウカンである。  ・・・あなかしこ、亜名化史古(四股・指呼・四顧・施故)、吾泣かし姑・・・  ・・・羯  諦、羯  諦、波羅羯  諦、波羅僧羯  諦、菩提莎訶     ↓  ・・・疑耶亜帝、義夜亜定、葉累伎哉吾綴、頗羅争議耶宛意、母代措倭化     葬儀也亜帝  ・・・ハンニャ、はらみつた、シンギョウ・・・

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