「現存・古事記」と江戸時代の知識人・「蛮社のコジキ」・(1)・(55)
さて色々な角度から「現存・古事記」を追求してきたが、「江戸時代」の「知識人」を調べてみよう・・・ 「現存・古事記」に関連する人物を「世界百科辞典(平凡社)」を参考にして抜粋し、推理類推していくと・・・ 「三浦 按針(案針)」 「1600年」に大分に漂着した英国人。「ウイリアム・アダムス」の帰化名。 彼に関しては別なところで展開したので、それを参考にして欲しいが、「船乗り」であった彼の人生は日本の「豊後(ぶんご)・大分」に漂着して「一変」したのに違いない。一介のイギリス野郎(私がここで使用した『野郎』は『奴』と同じ歴史的概念で、『蔑称』ではなく、『別称』であることを断っておく)であった彼が、当時、イギリス本国に帰国したなら、そのシステム(国策・オランダ東インド貿易会社)から「難破・遭難」の「責任の罪」に問われたのは明白である。 その一介のイギリス野郎が「徳川家康」の「顧問」となり、この日本の地で安住を保証され、「相模」に領地を貰い、嫁ももらい、子供もつくり、死ぬまで「日本とはナニか?」を研究したのに違いないのだ。 逆に「日本人」は彼から多大な「文化的=科学的=言語的」影響を受けたのに違いないのだ。ちなみに「1999年」で有名な「ミシェル(Michael・ミカエル=マイケル)・ノストラダムス(Nos・tra・da・mus=Nostredamvs・1503年生~1566年死没)」は「予言者」であり、「医者」でもあった。特に「ペスト(黒死病)」がヨーロッパ全域に猛威を震っていた時代の人物である。このペストで彼は妻子を失い、「8年間放浪」していたとされるが、実際はイタリアの商業都市、「トリノ」に隠遁していたらしい。著書の「諸世紀」は「トリノ」に戻った「1556年」の翌年に発行されているのだ。「現存・古事記」の秘密の場所は「とり・の」であるハズだが。そして、彼の生まれた年には「ユリウス二世」がローマ教皇になっているのだ。「ユリウス」とは古代ローマの英雄、「ジュリアス・シーザー(カエサル)」の「ジュリアス」と同名で、「七月」のことだ。もちろん、古代ローマの英雄で、自ら「クレオパトラ七世」を君臨させ、その「エジプトの太陽歴」を参考にし、「ユリウス暦」を制定した人物である。「シーザー(カエサル)」が歴史に頭角を現すのは「紀元前60年」の「ポンペイウス・カエサル・クラックスの『第一回三頭政治』」からである。「ブルタース」に裏切られ、暗殺された人物である。 「ノストラダムス」は「1555年3月1日」に「息子の『シーザー=セザール=『カエサル』)』」に「予言」に関する遺言を遺しているのだが、「シーザー(カエサル)」とは「皇帝」をも意味する。日本語で「しいざあ」、「せざーる」、「かえさる」は何を意味するコトバなのかは、「四維(礼・儀・廉・恥)を挫す吾」や、「四夷(東夷・西戎・南蛮・北狄)に座す娃」を「思惟」し、これを「座視」して、悟った語を全て換えさってみればイイ。「世猿(施吾詐留)」、「掛重作留(変えさる)」・・・ 「1600年」には「英国東インド会社」の設立で、同年「豊後(大分)」に漂着した「ウイリアム・アダムス」も、彼、「ノス・『とら』・ダム・ス」の影響を受けていた年代の人物であったハズである。そして、「ノストラダムス」が死没した十年後、彼は「1666年」に何かを「視ていた」はずだ。「ロンドンの大火」の「情報(文書・手紙)」である。「八日間」燃え続け、「四百五拾万エーカー」が焼失したのだ。そして前年(1665年)の「ペスト(黒死病)流行」を避けながら「ニュートン」は「林檎の木から赤いリンゴが落ちた」のを観ていたのだ。 「天災」は毎年やって来るが、この年、日本では「水戸の大洪水(四月~六月)」に続き「伊豫・土佐・伊勢(七月)」、「濃尾の大洪水(七月~八月)」であった。前年の「1665年」には「高田大地震(十二月)」で死者多数、「本丸の倒壊」があり、二年後の「1668年」には「日光大火事」、「江戸大火事」で「江戸城の大奥が焼失」し、「1669年」には「小倉城焼失」、「福井大火事」、「出雲・加越能・豊前・肥後・肥前」等が「大洪水」である。「1690年」、「1696年」の前後の「地震・雷・火事・おやじ」と「水害」等はあなたが日本史年表を調べてみてくれ。そして、世界史、日本史のとにかく「6」と「9」の付く「年号を全てみよ」、である。「6、60、66、69」年、「9、90、96、99」年、「600、『660』」、『666』は「悪魔の数字」である。『999』が「悪魔の数字の逆」であるなら「天使の数字(?)」であるハズだが。現代史に於ける「1960年」、「1966年」と「1969年」には何があったのか、当然「1999年」前後には同じ様な「災害・疫病」が席巻し、「大事件」が起こるハズだ・・・。 あなたが「数字」の「・・・6」と「・・・9」が重なる年号に「イト的な共通項の事件」が「クク」られているコトを発見する人物であるならば、かなりの「歴史通」デハあるナッ、と言っておこう。チナミに「1796年」は英国人の「エドワード・ジェンナー」が「種痘法」に成功した年であり、「ナポレオン」がイタリアに遠征した年でもあった。・・・これが「歴史の必然」ならば、ワタシは「カミなる存在」を信じたくもなるのだが・・・「癧」の「三毒」にかかって「癡(痴呆)」になって「地痞・痞棍」なった方がイイ。 とにかく、「言語学者」がこの「江戸時代初期~後期まで」の「イギリス文化」の「言語的影響」を欠落させ、「和英・英和事典」も調べずにいるところが問題であると私は思うのだが。確かに「日本語」は古代から「北方」、「南方」からの渡来した人々の「ジュウソウ的」な影響があったと言える。だが、「江戸時代」に受けた「外来言語」はいうに及ばず、「英語」を「漢字」を媒介にして「日本語」にしてしまった(?)、あるいは「日本語」に重ねてしまった(?)のは「英語事典の単語の訳と説明」を診れば明かであろう。これは「漢和事典」に於いても同じである。 「古事記」の乱暴者は「素『戔』嗚(須佐之男)」であった。類字の『箋(セン)』は「便箋」、「詩箋」、「箋紙」、「箋釈」、「箋註(注)」で、「箋=はりふだ・付箋・ときあかし・注釈・ふみ・書き物・手紙・ふだ・短冊の類・名札・名刺・上奏文の文体」で、英語の「ページ(頁)」である。『箋』の解き証は「1999年7月7日の『中日新聞』の学芸覧の記事」にもあるので、この「章」の後半部分にも紹介しておいたが、「英国歩兵第二十連隊・『バード・中尉』」が持っていた「英和辞典」である。スナワチ、『箋』とは「辞典(事典・時点・自転・字典)」の意味である。コジつければ、「バード・ちゅうい」とは「トリ(酉・鶏・鳥・禽・とり)」で、「場蛙(かえる)土」の「注意」ではあるナッ。「風見鳥」、「風邪にカカレば熱が出、痒い『疥癬(カイセン・ひぜん)』が発疹し、『疝気』にもなって咳と痰」が出るワケでもある・・・「甲斐戦(カイセン)」、「回旋」、「解箋」で、「肥前(ヒゼン)」の「イチ(ich)」は、「iching」とはね・・・この単語、「バード中尉」が持っていた「英和辞典」にあるか、どうか(?)は現在の私にはワカラないのだが。 「素『戔』嗚(須佐之男)」の『戔』は「そこなう・多い様・少ない・わずか」で、「戔戔」は「明らかに現れる様」である。「嗚(呼)」は「ああ、とため息、感心の声」、「嘆きむせぶようなすすり声・なげく・いたむ」である。「素『戔』嗚(須佐之男)」の正体は「ひどい手段で殺す『癘(レイ・ライ・えやみ)』」であり、「これら(コレラ=虎列刺)」の意味なのだ。「虎」の漢字をあてている薬草では「虎髭(さじん)」、「虎耳(ゆきのした)」や「虎杖(いたどり)」がある。チナミに「ペスト(pest・黒死病=鼠病)」の伝染は「鼠(蚤・虱・『黴菌=細菌』)の繁殖と移動が原因」であるが、「古事記」では「大国主」が「素『戔』嗚(須佐之男)」の「火攻め」にあった時に助けてくれたのは「鼠」であった。そして「倭建(やまとたける)」が「相武(さがむ)の國で火攻め」にあった時に助かったのは「火打ち石」と「草薙剣」に依ってであった。また「鼠は穴に伏して生き、穴を失いて死ぬ」とは、「蘇我入鹿」を嗜(たしな)める「古市大兄皇子」の言葉であり、「鼠が都に向かう」とは「遷都の兆し」であると「日本書紀」に書かれている。「蘇我蝦夷」は「火攻め」で滅んだが、名前は「蘇我=我(われ)、蘇(よみがえ)る」である。「イエス(移鼠)・クリスト」は「十三日の金曜日にゴルゴダの丘で死してヨミカエったヒト(カミ)の子」であった。「ミッシェル(ミカエル=マイケル=Michael)・ノスとらダムス」は「ペスト」を防いだ「医者」で、「予(豫・預)言者」で、「星相家」でもあった。「みっしぇる」とは、フランス語読みで、 密使得・密詞得・・・蜜子恵留・蜜刺餌瑠 ↓↓↓↓ 八支重留=未支(ひつじし・日辻祇)=羊子=牧師 御 津 司重留・・・水死江流・水司衛留=推思考留・出詞重留 おんしんしえる・・・音信詞重留 三史重留・・・・・・水史重留・光史重留=徳川光圀の「大日本史」 三子得・・・・・・・三人の子供を得る 三支重留・・・・・・寅支(インシ=音詞・因子・印紙・印字・印璽) ↓↓ 虎詞(コシ=古史・古詩・輿・腰・枯死・古志 越・濾・超・漉・故事) で、「密(視柘)詞重留」で、「秘密の言葉を重ね留める」である。ラテン語読みの「みかえる」ならば、「実香重留・見返る・診変える」、英語読みの「まいける」ならば、「痲萎気留・魔意蹴る・米気留(酒)」で、「蒸留酒」で「アルコール」である。「ミキ(Mickey)」は「Michael」の略称であり、「mickey finn」とは「麻酔薬を入れた酒」である。「酔っぱらう」ワケだ・・・「mickle」は「大きい、たくさん、多量」の意味で、 Many a little makes a mickle Many a pickle makes a mickle はコトワザの「チリも積もればヤマとなる」である。「ミクラ(micra)」、「ミクロン(micron)」と言えば「微小・微量」で、「microbalance」とは「天秤」であり、「microbe」とは「微生物・細菌・病原菌・発酵菌」であり、「microbiology」とは「微生物学」である。「microbism」とは「細菌・黴菌」による「腐敗・化膿」である。「小球菌(病原菌・発酵菌)」は「micrococcus」である。「痲萎躯論(まいくロン)・身躯論(みくロン)」の「身黒部(みくろべ)・見比べ」ではある。 「ペスト」も「コレラ」も「鼠=媒体動物」による「伝染病」である。「鼠」の「天敵」は「猫(ねこ・ビョウ)」であるが、「miaow(みぁう)」、「mew(みゅぅ)」は猫の鳴き声だ。「mew」の意味は、「①にゃぁ、②かもめ(sea mew)、③鷹駕篭(鷹の羽毛の抜け変わりの間にいれる箱)、④閉じ込める、⑤鷹が羽を脱ぎ変える、⑥鹿が角を落とす、⑦弱くなく、⑧うまや」である。 「モォ(ゥ)」は私の猫の名前だが、「牛のなき声」である。英和辞典には、「モォ(mho)」は「オームの抵抗を有する物体の電導率に相当する単位で、ohm(Ω)の逆綴り」とある。なるほど「伝道の網」の同音異字ではあるな。「ミクロ」の「アナグラム(anaglam)」なら「みろく(診録)」で、末法の世から救済してくれる「彌勒『観音』菩薩」でもあるわけだ。「観音」の「mi(ミ)」なら「八音階、全音階の第3音」である。ちなみに、「miasma(みあさま?)」は「マラリア病毒」で、「mica」は「雲母」、「Micah(マイカ)」は「旧約聖書に記録され紀元前8世紀頃に登場する預言者、『ミカ』」である。当然にも、「mice」は「マウス(ねずみ)の複数形」である。 「ウイリアム・あだむす(蛙拿武州・阿他務簾・『仇蒸=敵を蒸し殺す』)」は「相模」に領地を貰って、その地名、「三浦・案針の町」を残した英国人で、「帰化人」である。「帰化人」こそ「島国日本」へ「外来文化」を「伝播」させ、そして、「日本文化」の「発掘者」であり、「担い手」であった。 岩波文庫の「古事記(倉野憲司・校注)」には「焼遣」は「静岡県焼津町。従って古事記に相模の国としているのはおかしい」とあるのは素朴な疑問ではあるな・・・ あだむす ↓↓↓↓ 蛙拿武州・・・武州を併せカエル ↓↓↓↓ 阿他務簾・・・「阿多」は「建波迩安王」の妻であり、「木花之佐久夜毘賣」 ↓↓ の「亦の名」、「神・阿多・都・比賣」である。 ↓↓ 「阿武」は「垂廉政治」を行った「則天武后」に対する「蔑称」 ↓↓ であった。「アブ(虻・蚊)」は「吸血虫」である。 『仇蒸』・・・・「敵を蒸焼きにして殺す」か、「アダを蒸し返す(繰り返す)」、 「蒸民(庶民)の敵(かたき)」である。 「水蒸気」とは「水が沸騰した気体」で「湯気」である。 「仇=イ+九」で、医救。異字は「敵(かたき・テキ)」。 「蒸=日下+丞(補佐・大臣)+・(烈火・連火・列火・熊)」 と、言うことで「素朴な疑問」は「解消」となるではないか。マァ、「アソビ」も「キワメレ」ば「ガクモン」になる、と言うことだが・・・人の命を預かる「医者」には遊ぶ時間などは無いはずだが・・・イヤさ、スベカラク、「人の長」たる人物は大勢の人々の「命」を預かっているはずだ。 「アダムス・フット(アダムの足跡)」は別項で述べたが、「スリランカ(セイロン)」の「コロンボ・東方・100km」にある最高峰の「ピドウルタラガラ山(Pidurutalagala・Mt)」の「南西・40km」に「アダムス・ピーク」が存在する。この二つの山は「対」として「聖なる山」である。そしてこの「アダムス山」の「北西」の「麓(梺・ふもと)」に世界的に有名な「ペラデニア植物園」が存在する。この辺りは「ウイリアム・アダムス」に関係する場所ではないかと私は推理しているのだが・・・。 航海での乗組員達の一般的な「病」は「ヴィタミンC」欠乏の「壊血病」であった。この「解決策」は「黄色のレモン(檸檬)」、あるいは「橙々色のオレンジ(蜜柑)」を航海中に食べることである。 オレンジに関して言えば「オレンジ公・ウイリアム」とは「オランダ人」であり、イギリス国王「ジェームズ二世」の長女「メアリ」の夫で、「ジェームズ二世」を追放した「1688年の名誉革命」でイギリス国王位に就いた「ウイリアム三世」であった。 「きいろ(記色・紀伊賂・気色・伎医路)」の「れもん(例文・励文・戻文・齢問・令聞・蛎文=牡蛎文・禮文)」、「だいだいいろ(代々医賂)」の「おれんじ(嗚例務字・織無地)」。蜜柑は「紀州・和歌山」の特産であり、「伊豫・愛媛」の特産である。 「孫悟空」が天界で盗んで食べた「桃」は「長寿の果物」で、「古事記」の「伊邪那岐命」を救ったのは「桃子(もものみ)三箇」であった。その後、 「葦原中國の宇都志伎(うつしき=現存する=写し伎=写し記=伝染気)、 『青草人(セイソウニン)=清掃人・政争人・整操人・聖僧人・星相人 ↓ 声叢人・逝葬人・牲嫂人・西送人・西扱人 あおくさひと ↓ ↓↓↓↓↓ 葵 狗佐避渡(徒)=葵(江戸幕府)の犬の佐(役人)から避け渡る(徒) 鴉牡駒鯊狒兎(解)=からす・おうし・こま・はぜ(蝦虎魚) ひひ・うさぎ)』 が苦しく患い悩む時、助けるべし」 と、いって「桃子(トウシ=訊史・唐史・橙史・解詞=ももこ=模母子)」は、 意富加牟豆美(おほかむづみ)命 =イフ、 カム、トウ ビ ↓↓↓↓↓↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ 痿瘋痂疣痘痞 ↓ 畏怖、華武、唐 備=中華 ↓ 異父、嫁務、統 日=女帝 ↓ 異夫、家武、藤 診=武藤(武道・葡萄) ↓ 異婦、掛務、等 視=婦人(不尽)慰撫 ↓ 伊府、加務、図 視=イタリア ↓ 医付、科夢、解、胡備=夢物語の著者 ↓ ↓ 汚捕禍矛摘診・・・・醫(イ)=医+几+又+酉=医者 悪 =痍(切傷) =痿(萎える・しびれ・いざり・痲痺)」 イフ カントウ ビ =萎腑・巻 頭 ・備 ↓↓ ↓ ↓ 畏怖 神 読 関東=敢闘・艦訪 の名前を賜った、とある。そして「竺紫の日向の『橘』の小門の阿波岐原でみそぎはらった」とある。『青草人』とは「人民」そのものではなく、「薬草(本草・本扱)学者=若い医者達」のことだ。強いて言えば「葵の御紋の徳川幕府」の支配下にあった「江戸時代の蘭(乱・爛・卵)学者」である。『夢物語』とは「蘭学者」、『高野長英』の著作であった。ここは「病だれ」の「漢字」を調べてみることだ。 更に「スモモ(李)」や「ナシ(梨)」の名を有する歴史上の有名な「東洋人」を調べろ、である。 「皮膚病」で苦しんでいた「白兎」を「蒲の穂」で助けた「大国主(大穴牟遅・葦原色許男・八千矛・『宇都志國玉』)」は「医者の鼻祖」であり、その「母親(刺国芳姫)」は「大国主」が「伯伎國での火傷」や「木國の木俣の災難」にあった時に彼の命を救った「甦生者」でもあった。また、「蜜柑」は舅であった「素戔嗚(須佐之男)」に関係し、「垂仁天皇」の臣下であった「多遅摩毛理」がもたらした「非時の香の木實」は「橘(たちばな=蜜柑)」であった。「命を癒す神」、「病を癒す神」なら、エジプトでは「イシス女神」、インドでは「弁財天(ヴァーチュ=サラスヴァティー)」が主宰する神々の一、「金星」である「アシュヴィン双神(ナーサティア・妹はサラニウー女神)」である。「ナーサティ」とは「治療者」の意味である。 「722年(養老六年)十一月」に「初めて女医博士」を置いた。江戸時代には「女医」がいただろうか・・・「シーボルトの娘(いね)」だろうか?。そして「光明皇后」を支えて「橘」の姓名を賜ったのは「藤原不比等」の妻となった「橘三千代」であった。「葛城王」が「橘諸兄」として臣下となったのは「736年(天平八年)十一月」である。その翌年に「藤原一族」は「天然痘」で壊滅状態になったのだが・・・。 「レモン」と「オレンジ」、「ウイリアム・アダムス」に関係ありや否や・・・私の「こじつけ」に筋がトオっているや否や? ・・・「相模(相似・模倣)」に住んだ「み・うら・あむ・じ・む」は、「帆船(はんせん)」で「難破(なんは)」し、海水に「浸(ひた)」されて「豊後(ぶんご)・大分(おおわけ)」に「漂着(ひょうちゃく)」し、「衰弱(すいじゃく)」して「救助(きゅうじょ)」された「う・いり・あむ・あだ・むす」・・・である。 ウミに「ひた(浸)された(作例拿)」とは・・・「日拿」・・・飛騨、肥田、日田、火打、干拿、妃拿・比多、稗田、痺唾・・・「ヒダ、ビタのタミ(民)」・・・「ヒダ(逆はダヒ=廼・台・代)」で、「瘧(ギャク)」は「マラリア・熱病の民」、「ビタ(逆はタビ=【足袋・度・旅】の民で、ダビ=【蛇尾・茶毘=火葬】の民」・・・「蒸民(丞民・庶民)=水蒸気(水上記・酔乗記・出嬢鬼・出上記・推帖紀・水城紀)=『蒸気汽船』=湯気=諭解」に必要なモノは、 「ヴァイタミンシィ(vitamin・C) ば いたみんしい ↓ ↓↓↓↓↓↓ 梅 多実蕪漬萎 罵 夷多民 強夷=場医多診務思惟=煤多、深霧、四囲」 である。・・・いずれも「医薬・食膳」としての「青草(薬草・七草・七種)」、「果物(薬果)」であり、「医者・薬剤師」の「医療知識」に関係するのだが・・・「バラモン僧」とイギリス人の歴史家の「鼻祖」と謂われる「ビード(Bede・672生~735死没)」は亦の名は「ベーダ(Baeda)」と呼ばれたのだ。「ベーダ」と言えば「古代インド」の「医療呪術」が記録されている「バラモン教典」であるのだ。「バテレン」とは「医者」でもあった。