「古事記」と「古代インド」・(3)・56y)
さて、インドの「クシャーナ王朝」、「マウリア王朝」、「チャンドラグプタ(月護王)」のインドの統一帝国は「アレキサンダー大王遠征」の影響が多大であったその結果である。 「ピンドゥサーラ」は「チャンドラグプタの子供」で、「ナンダ王家出身」で、 「マウリア(孔雀)」を「トーテム」としていた。ニュジーランドの「マオリ族」は航海族であるらしいが、航海の道案内は「海鳥」と「星・月・太陽」である。「パータリプトラ」は「花の都」と呼ばれ、「パリ」も、「室町」も「ハナの御所」であった。なるほど、フランスは「仏国」ではある。 影響と云えば「秦の始皇帝」はギリシャ人、「カウティルヤ」の「実利論」に通じる「法家」の思想を国家体制とし、「度量制度」も整えた。 「アッショカ-(無憂)王」は「ピンドゥサーラ」の子で、「チャンドラグプタの孫」である。「孫」とは三代目(女・賣)である。子供より、孫が好きなのは何処のジジ、ババも一緒ではある。そして、「歴史上」ではやり手である。 「ウパーサカ」は「在家信者」のことである。仏教典では「唯摩経」が他のどれよりもイイと日常生活にある私は思うのだが。「サンガ」は既に述べたが「仏教教団」である。「アッショカー王」は「カリンガ国」征服後に熱心な仏教信者となった。そして、「ギリシャ人の諸王にも仏教帰依を勧めた」らしいのだ。勧められたギリシャの人物は、「アンティオコス(シリア王)」、「プトレマイオス(エジプト王)」、「アンティゴノス(マケドニア王)」、「マガス(キレーネー王)」、「アレクサンドロス(コリント王)」であった。 インド「スーラストラ」地方の「大守(ラージャン=王)」はギリシャ人の「トゥシャースパ」であった。「マハマートラ」とは「大守の下の懸令」である。 とにかく「アッショカー王」は「法(ダルマ)の巡行」をした。「スシーマ」は「アッショカ王」の長兄であった。「アッショカ王の石柱」は有名で、三十柱あり、直径80センチ・長さ十二~十五メートルのものである。 「ラージャン」は「王」の称号で、「マハーラージャ」は「大王・帝王」である。以下のカタカナの漢字変換はあなたに任せた。 「ヴィジタ(征服地)」 「ラジュカ(収税官)」 「ユタ(管財官)」 「プリーサ(高級官吏)」 「マハーマータ(大官)」 「アスティノモイ(都市管理官)」 「アナネーヤ(債務の返済)」 「ガーマ(ムラ)」 「プラ(町)」 「ナガラ(都市)」 「タイラ(村落の長老)」 「バーガ・バリ(分け前・持ち分)」=賦課租 「クラ(男系血族集団)」 「クラサンガ(血族集団)」 「ダーサ(奴隷)」 「プリタカ(隷僕)」 「ミイラ」の漢字は「木乃伊」である。エジプト第十八代王朝(紀元前1478年滅亡)の「ミイラ」には「インド藍」と「インドのモスリン」が使用されていたらしい。 「バクトリア王朝」の「メナンドロス(メナムドロス)」は仏教典に記されている「ミリンダ」である。「ミリン」とは「酢(ス=酉+乍=トリ+モッパラ)」のことで、「ダ」は「雫・唾・拿」ではないのか・・・オスシには酢を混ぜるのだが・・・「女何度路州(メナンドロス)=女難努賂州=女納戸賂主=女那ム奴賂州」であり、「北緯33度」の線である。この東西の線上に八丈島と九州の「ヨコシマ(横島=ム=邪)」と「阿蘇山頂」が並び、中国の「会稽山」が並ぶのだ。 「イリ(伊犂)」は中国甘粛省の西部(敦煌の西方あたり)、紀元前二世紀の「烏孫(烏=太陽+孫=天孫)」だが、ここに「月氏族」が存在した。「匈奴」がこれを撃ち破って、この「イリ(伊犂)」地方に侵入したのである。そこの原住民スキタイ系の「サカ族」を南に追い、この「サカ族」がカシュミールに侵入。「月氏」の支配下にあったバクトリア地方の「トカラ族」の「五土侯」の一つの「クシャーナ(クシャーン)」家がギリシャ人の王国「バクトリア」を奪った。 ギリシャ語で「イリアス(Ιλιαs)」とは「ιλαδα(イリアダ)」で、その叙事詩では鷲(ワシ・αετοs=アエトス)を黒き聖鳥と称えられた。「Ιλιον(イーリオン)」とは「トロイア」の別称である。「Ιουλιοs(ユリヨス)」とは「七月」である・・・「ιδιοs(イデイヨス)」とは「同じ」の意味だ。そして「ηλιοs(イリヨス)」とは「太陽」であった。「Elis」とは「古代ギリシャ西部地方」・・・「ιλη」とは「cavalry company」で「騎兵軍団・騎兵中隊」である。 押しだしの図式は、 匈奴が中国北西部の月氏を討つ(紀元前二世紀後半) 月氏、西部イリ地方へ移動(紀元前139年) ↓ イリ地方のスキタイ・サカ族移動してガンダーラ・カシュミールに侵入 ↓ 烏孫族がイリ地方に移動した月氏を討つ ↓ 月氏が西に移動してトカラ族等のバクトリアを征服支配 ↓ クシャーナ王朝 である。 「ヤヴァナ」とは「ギリシャ人」のことであるが、「バクトリア」の諸侯クシャーナ家の「クジュラ・カドフィセス」がクシャーナ王となって、「ヤヴァナ(ギリシャ)」、「バウラヴァ(パルティア)」の政権を滅ぼすのである。 「ヘルマイオス」はインダス左岸の「ギリシャ政権の最後(紀元前25年)の王」であった。 この時期はローマ皇帝「ネロ」が「パルティア」交戦。「九十九年」にはインド王がローマ皇帝に即位する「トラヤンヌス皇帝(九十八~117年)」に使節を派遣したらしい。 「ヒッパルコス」はギリシャ人だが、45年頃モンスーンをの周期を発見し、航海術に影響を与えた。 「ナンディ」は「牡牛」のことである。「ウシ」は「主=王」であるから、これを踏まえれば「難出葦(伊・移)」、「南出意」、「楠出委」が日本史の王朝の南北、東西対立の流れであるコトに気が付くだろう。 「カニシュカ王(迦膩色迦王)」は「クシャーナ王朝の大王」で、即位七十八年(異説128、144年説)であるらしい。・・・カニシカ王は「蟹種化・可児主化(化似史化)」で、鹿児島のことだ。「猿蟹合戦」のオトギ話しにはそれなりの歴史的事実が比喩化されているのだ。 首都は「プルシャプラ」で「佛楼沙国」と当時訪れた「法顕の旅行記」に、そして「布路沙布邏」と「玄奘の西域記」に記録されているらしい。 「アギシュラ(アゲシラオス)」はギリシャ人であり、「カニシュカ王」の時代の寺院建築(インド・ペシャーワール付近)の監督であった。当然、「アギシュラ」は「亜祇(亜紀・安岐・空・秋)朱・」、「アゲシラオス」は「安芸史(始)羅将守」である。 「カニュシュカ王」は「馬鳴」の説法を聞いた人物でもあった。この意味するところは、すなわち、天球円盤の「十二星座」、「二十八宿」、「東西南北」、「馬宮=午宮」の説であり、「午=南方」で、星座は、「朱鳥」の方角にあり、円周を「108」の目盛り(この目盛りを「足」と云う)を「二十七宿+牛宿」に区分配置した次の「南の宿」である。 井宿(双子座・ 象意=屋伏)・・・対になるモノ・大碓と小碓(倭武) 鬼宿(双子座・獅子座・象意=瓶)・・・・鬼道の卑弥呼 柳宿(獅子座・海蛇座・象意=蛇頭)・・・八俣大蛇 星宿(海蛇座・ 象意=牆・垣根)・柿・ついじ・さかい・重ねる・塀 張宿(牡牛座・ 象意=杵)・・・・張政・地名の「・杵(きね)・」 翼宿(コップ座・ 象意=跏趺)・・・足(脚・葦・股・俣・亦)家世 軫宿(乙女座・鳥座・ 象意=牛)・・・・壱与・西・牛(女王) スナワチ、「朱鷺(トキの流れ)」で、日本史に関連させれば「朱鳥(持統天皇)=鴇(卑弥呼)=穐(安芸・毛利)=土岐(明智光秀)=辰=龍(竜田姫)=劉(劉仁軌・漢王朝の姓)=笠(木花之佐久夜姫・迩迩藝命)」である。 「ボット=ブッダ=ポチ」は「仏」のことで、「裏の畑でポチが哭く」のは「花盛爺」のハナシである。 「サールナート(鹿野苑)」は「佐有る名痕」で、「志賀・滋賀」と「シカ」の付く「半島地名」と建物である「鹿苑寺=金閣寺」である。 「マトゥラー」は「クシャーナ王国」の首都だが、九州佐賀の「松浦」。 「モッガリブッダ」はアショーカ王時代の仏教徒の「第三回の結集(サンギーティ)」であった。「ヴァスミトラ(世友)」はアショーカ王時代の仏教徒の「第四回の結集(サンギーティ)」の主宰者であった。そして、「発智論(二十巻)」の「注釈書(大毘娑沙論)=マハーヴィバーシャ(二百巻)」を作成したのである。 「上座部系統(小乗仏教)の説」は「説一切有部」と言われ、「菩薩が菩提樹の下で悟りをひらいても、前世の煩悩によって生まれでたモノである業をそのまま受け継いだ存在」であるとした。 スナワチ、 「煩悩→善業悪業→業の結果として→苦 ↓ =実体存在としての過去→現在→未来→十二因縁→輪廻転生→煩悩を断ち切って ↓ →解脱→修行を積んで阿羅漢(アラハント・聖者)になる」 と言う説である。 ↑ 小乗 「発智論(ジュニャーナ・プラスターナ)」=「カターヤニープトラ(迦旃延子)」の作。この「発智論(ジュニャーナ・プラスターナ)」の解釈の相違 大乗 ↓ 「大衆部系統(大乗仏教)の説」=菩薩が幾度も生まれ変わるその姿は、既に煩悩をすべて乗り越えた仏陀が人々を救うことを願って、かりにその姿をとって生まれでたモノ(願生化身)。 「実体存在ではない現在的思考→一刹那→一切空→性得仏性心→全てのモノが仏陀になる」 と言う説である。 マァ、どんな人でも「救われる」と言う「親鸞」が最高では有るな・・・煎じ詰めれば「善人も悪人もいない」のだ、ヨネッツ。「親鸞の宗教に命の善悪のレベルは無い」のである。だが、「俗世間」では「ルール違反者」は「悪人」である。英語はチャンと「OUT LOW=悪人」と言っている。 「ミリンダパンハ(ミリンダの問い・那先比丘経)」はギリシャ・バクトリア時代のギリシャ王である「メナンドロス(ミリンダ)」と仏教の比丘「ナーガセーナ(那先)」の哲学問答である。 「ナンディ(牡牛)」は「シヴァ神」の象徴で、「リンガム(男根像)」の形を崇拝した。 「モーリエス(マウリア)」=木造家屋に住むインド人の意味。「毛利」の姓はコレだろう。 「サンダルを履いた仏」とはガンダーラ美術のギリシャ的象徴だが、いわゆる「靴・沓」である。「くつ」は「足に履くモノ」だが「藤の木古墳」からは「金ぴか・粒頭」の「大きいくつ」が出てきた。「くつ」には「あし」と関連して特別な意味があるのだ。漢和事典には「靴(カ・クワ・くつ・革靴)」で「変化する意味」とある。靴の漢字分解は「革命」の「革=廿+中+十」と「化=人+牝(雌・女)」ではある。「鞜・沓(トウ・タフ・ドウ・ドフ)」で、中国漢字の意味は「流暢にしゃべる・水があふれる・重なる・多い・冒す・犯す・むさぼる」であり、「国語」が「くつ」なのだ。何故、「沓」は国語になってしまったのか?この漢字の「音」と「字形」にこそ謎解きの鍵がある。「鞜・沓=水(壬・癸)+日(ヒ・いわく)」の同音漢字を総て「トウ(問う)・タフ(他譜)・ドウ(同)・ドフ(土譜)」のだ。「沓」の逆字は「泉」である。「和泉、出水、出石、出雲、伊豆・伊豆美」に関する日本史のハナシの示唆である。そして「履(リ・はく・ふむ・ふみ)」も「くつ」なのだ。「履歴書」は知ってのとおりだが、「履帝位」は帝王の位に就くことである。しかも「領土」の意味なのだ。「屡(ク・はく・くつ)」は「麻で出来たクツ」である。ワラジの類である。 「大足・大股・大脚・大髄・長髄・大脛・大迹」が「帝王」の意味で、「古事記」の「亦の名」が「王」であることがわかるであろう。「沙本毘賣、『亦の名』は佐波遅比賣」で、女王としての名前が「佐波遅比賣命」なのである。そして、母親が神の足跡を踏んで生まれたのが「姫」の姓を有する「軒轅氏=黄帝」であった。「ウィリアム・アダムス=三浦按(案)針」が立ち寄ったであろうセイロン島の神の足跡と言われる大岩の窪地の「アナ」は、「アダムス・フット」と言われている聖跡の地である。「あなどり」がイケナイのは「帝位簒奪」はダメダと言うことである。そして、「くつ」は「洞窟」であり、「天照大御神」がカクレタ「イワヤド」で、「卑弥呼」の死後、埋葬された「大塚」でもある。考古学者の気持ちはワカルが「墓暴き」は「よくない(κακο=カコス)」・・・ネっ。マァ、「タイムカプセル」としての人類の遺産の「恩恵」は大だが・・・起源(αρχη=アルヒ=或る日)を知るとは・・・「エナ(ενα)=重名=恵那」は「岐阜の恵那峡」で「一番」と言うことか・・・「δεκατοs τριτοs=デカトス トリトス」は十三番目だが・・・ ギリシャ天文学の影響 「スールヤ・シッダーンタ」は「太陽神・スールヤ」が「ローマカ(ローマあるいアレクサンドリア)」の町でこの書の内容を啓示したモノといわれているらしい。この書物は104年の「プトレマイオス」の天文学に一致するらしいのだ。「ローマ・シッダーン」は「太陽年を365日5時間55分12秒」のことであり、また「アーリアバティーヤ」は「グプタ時代」の天文書であるらしい。 さて、南インドの方ではどうか。 南インドには「アーンドラ王朝」が存在し、ここは「タミール地方」と呼ばれ「タミール語族」が存在する。「他見入る語族」である。・・・日本語の「たみ(民)」じゃないのか、これは。「タミル国」の貨幣だが、「アーンドラ銀貨」には船の図が描かれている。国内では「鉛貨(エンカ)」を流通させたらしい。まさか「艶歌・怨歌・猿歌」の歌舞伎、猿楽じゃぁないだろうが・・・。 紀元前二十七年初代ローマ皇帝に「アウグスツゥス」が就き、エジプトを支配下におき、地中海の制海権を握り、さらには南インドとの貿易を船で行った。しかも南インドの「チェラー(ケーララ)王国」に軍隊を派遣し「駐留」させたのである。ちょっと前の「植民地・租界政策」である。紀元前二十年には「バーンドヤ」国王は「アウグスツゥス」に使節を送り、すべての「ローマ市民」に国土を自由に通行することを許しているらしいのだ。武力をチラつかせて自国の利権を行使するのは何時の時代も同じであるらしい。 ・・・もう、そろそろ嫌になってきたので、やめるとするか・・・ とにかく、「現存・古事記」のカンジを調べるには楽しいが、「歴史」は重いし、長いし、広いのでヒマ人でないと、トテも、トテモ・・・「自国の歴史」をイマの時代に教訓としてイカスなんて・・・出来れば幸いだが、「学者先生」。とにかく、「歴史」は個人としての「趣味」ですよ、「シュ・ミ」・・・「歴史」と「神」を学んでそれを実行、実践した人物にロクなヒトはいない。「学者」や、「学者」ぶっている「歴史屋」、「歴史哲学屋」は言ってるコトを自分で実践してみろ、である・・・イヤ、暴言、失礼しました。 次のカタカナの部分は興味があったら自分で調べてみてください・・・。 北インド・・・グプタ王朝 「クマーラデーヴィー」=「チャンドラグプタ一世」の王妃 「サンドラブクタ」=「チャンドラグプタ一世」の王子 「チャンドラグプタ二世」=「サンドラブクタ王」の王子 「クマーラグプタ」=「チャンドラグプタ二世」の王子 「総督(ゴープトリ)」 「ナーガ王家」 「ヴァーカータカ王家」 「アーリアバティーヤ」=天文学・幾何学・円周率での地球の周囲計算(3300ヨーガナ)としたモノらしい。 「バースカラ・チャルヤー」=グプタ時代の天文学者で「引力の法則」を明らかにしたそうである。 「パーティー・ガニタ(数学)」=アラビア語で「数学」は「粉末の計算」といわれるらしい。 「シッダーンタ(定義・定説)」 「アーリアバティーヤ」=「アーリアバタ」の著作。 「ヴァイセーシカ学派」=物理学の学派で「原子論」を発表したらしい。 「スシュルタ」=医学の集大成。アラビア医学に影響したもの。 「ハルシア王」=「ヴァルダナ国」の国王である。
「古事記」と「古代インド」・(4)・(57) 古事記とインド語源 さて、これから述べていくことは既に述べた繰り返しになるが、学術的な「言語学」としての展開では毛頭ない。言語学者である諸先生方には申し訳ないが、先生方が苦労した「研究」をチョットお借りして、「現存・古事記」と「インド語」を重ねてみたい、そして、「日本の歴史」を重ねて「あそんでみたい」、と言う思惑からのモノであるから、この本を読んでくださる(?)読者はクレグレも勘違いのないように・・・おネガイ・・・シマス。 サンスクリット語(古代インド・アリアン語)は次のように分化しているらしい。 ①ペルシャ語(イラン諸語) ②古代ギリシャ語 ③ラテン語 ロマンス語 ④ケルト語 ⑤ゲルマン語 イギリス語・ドイツ語 ⑥スラブ語 ロシア語 ⑦バルト語 リスアニア語 アルメニア語 アルバニア語 ⑧トカラ語 アグニ語・クッチャ語 ⑨ヒッタイト語 アナトリア語 ⑩カーフィル語 アフガニスタン語 「スピルリウマ」=「ヒッタイト王(紀元前1380~1346)」 と 「マティワザ」=「ミタニ王」 の「同盟条約文」に記録されている「神々」と「インドの神々」は共通しているらしいのだ。 「ミタニ人」の「キクリ」が「ヒッタイト語で記録した「馬匹の飼育」に関する語、「廻り」の語は共通で、 「wartanna(ミタニ・ヒッタイト語)」 ↓ 「vartanna(インド・アリアン語)」 単語はアルファベットで書けば、「w」と「v」が違っているだけである。私がこれをヨメば「ワタナ」か「ヴァタナ」である。そして、日本語、あるいは漢字にすれば、「廻り(wartanna・vartanna)」の意味を踏まえ、「ミタニ・ヒッタイト語」は「迂回」、「渡那」で、「綿名」、「和多名」で「渡辺・渡邊・渡部」となり、そして「インド・アーリアン語」ならば「巴亜柵」、「馬(午)娃太那」、「波亜多那」、「葉蛙他名」と変換してしまうのだが。これら二国の「共通語」には、数字の「一」も、 「一=aika(アイカ)」 「一=eka (エカ)」 であり、ギリシャ語では「エナ(ενα)」であった。「一(イチ・壱=一+拾+一+ワ+ヒ)」の意味を踏まえて、「アイカ」は「亜意化」で、「合日・合化・姶化・哀歌」、「エカ」は「重日・柄化・江河・重河・娃嫁・・・・枝化」となり、「ア・イ・カ=アイ・カ=ア・イカ」と「エ・カ」の全ての音の漢字変換の意味するところになるだろう。 古代インドの「バラモン教典」である「ヴェーダ」は本来「知る」を意味する「語根」から造られた単語であると「辻直四郎」氏がその著書でおしゃられている。日本語はその漢字からして「コト・バ」の音を「言・葉」と記録し、「植物」の「枝」に繁る「葉」としている。「葉」と言えば「葉隠れ」と言う日本人の記録したモノがある。 私の追求したいのは、この「植物の根・幹・枝・葉・花・実・種」の「葉の裏」に潜んでいる「ハガクレ」の「虫(?)」である。 これから展開していく基礎的なモノは「辻直四郎」著の「インド文明の曙(岩波新書)」からのモノで基本的に「 」内の説は辻先生からの抜粋である。これを下敷にして重ねた部分が私の「あそび」の説である。 さて、「アヴェスタ」は、古代イラン(ペルシャ)の「ゾロアスター(ザラスシュトラ)教の教典」で、その記録された古い部分「ガーサー語」と、古代インドの「ヴェーダ」は最も近い言語であるらしいのだ。 辻先生は「インドでははやくから『言語の霊力』をヴァーチュの名のもとに紳格化した」とし、「ヴァーチュ女紳は一切の神々を担い、一切のところに遍在し、一切の依所と謂れ、ほとんど最高紳の地歩を占めている」とおしゃられている。これを依りどころにしても「日本人だけ」が「言霊の民族」ではないのは明白で、世界史的なモノである。 「ヴァーチャーは後に聖河サラスヴァティーと同一化され、弁舌、学芸の女神となった」。「仏教の弁才天」はこれに由来する、のだ。 さて、「ヴァーチャーは言語の神」で、この神を「辻直四郎」著の「インド文明の曙(岩波新書)」の「リグ・ヴェーダ(10・125)」から抜粋して考えてみたい。 ① われは(ヴァーチェ)は、ルドラ神群・ヴァス神群と共に行く、われはアーディティア神群・一切神群と共に。われはミトラとヴァルナとの両神を担う。インドラとアグニと、アシュヴィン双神を。 ② われは豊饒なるソーマ(神名)を担う、われはトゥヴァシュトリ(同上)を、またプーシャン(同上)を。われは供物を捧ぐる者に富を授く。ソーマ液を搾り、よく讃歌を唱えて祭祀する者に。 ③ われは財宝を集むる支配者なり。賢明にして、崇拝すべきもののうち第一人者なり。神々はかかるわれを、多くのところに配分したり、多くの居所をもち多くの形をとるわれを。 ④ われによりて人は食す。見るもの、息するもの、言葉を聞くもの(またしかり)。それと知らずして彼らはわれに依存する。聞け、知者よ、信ずべきことをわれ汝に語る。 ⑤ われみずからこれを語る、神々によりまた人間により承認せられたることを。われいかなる者を寵愛するとも、彼をして強豪たらしむ。彼を讃歌に長けたる者、詩聖、賢慮ある者となす。 ⑥ われはルドラ(神名)のために弓を張る、彼の矢が聖語の敵を殺さんがために。われは人間に競争をかもす。われは天地に浸透す。 ⑦ われは父を生めり、この世界の先端に。わが本源は水の中、海にあり。それによりてわれは万物の上に広がる。顱頂をもってかなたの天に触る。 ⑧ われは、万物を把握しつつ、風ごとく吹きわたる。天のかなた、地のさらにかなたに、われはかくばかり偉大なるものとなりたり。 この「リグ・ヴェーダ」の歌詞の「⑦ 我は父を生めり、この世界の先端に。吾が本源は水の中、海にあり。それによりて我は万物の上に広がる。顱頂をもってかなたの天に触る」は、この意味からすれば古代エジプトの「イシス女神」ではないのか。 辻直四郎氏の著書では「*父を生めり」と「**水の中」のヶ所の註に「*おそらく造物主を指す。しばしば見られる神秘的循環発生」。「**創造の最初に現れる原水。海は詩的霊感の源泉の意をかねる」とあるが、「**原水」はイイとしても、「*父を生めり」は違うんじゃァないの・・・と、私は思うのだ。「『父』を(子として)生み出す」とは、エジプトの「女神・イシス」の息子「ホルス」の出産のことである。スナワチ、「イシス女神」は「夫のオシリス」を、夫の「弟のセト」に沼地で殺(溺殺)されたので、「霊界」にいって「夫のオシリス(霊魂)」と会ってベットを共にし、「夫の霊魂を妊娠(はら)ん」で、現世に戻ってき、実体(肉体)としての「息子(ホルス)」=「夫のオシリス(霊)」を産んだことである。夫と息子が重なっているのだ。「父」とは「息子の父(オシリス)」である。つまり、古代エジプトの「再生・蘇生・甦生」のハナシが重なったのである。 死んだ人物の「再生・蘇生・甦生・『祭政』」の噺と、「建国」の噺には対(ペア)の「双子・双児」のエピソードがついてまわる。「イエス・クリストの兄弟」の話はその「奇跡の蘇生」の種明しとして、「ローマ建国のロムルス兄弟」はその飢えを「オオカミの乳」によって生きながらえ、古代バビロニアの「ギルガメッシュとエンキドウ」は人間の不死の追求譚として、ギリシャ神話の「カストルとポルックス」は死ぬ運命にある兄と、不死身の弟とのハナシとして、同じくギリシャ神話の「レエトの産んだアポロン(ヘリオース・太陽)とアルテミス(セレーネ・月)の兄妹の二卵生双生児」、「古事記」では「天若彦・味鋤高日子根命の相似の親友」、「大碓・小碓(ヤマトタケル)」、「大国主・大物主(あるいは、少名日子名彦)」・・・「神の子の再生誕の奇跡」など信じたくない、「死んだ人の子の甦生」には納得がいかない疑い深いヒトは、「生き残った双子の兄弟の一人」や、「ソックリさん」を考えて納得したくなるのだ。スパイ小説のトリックであるなら「ダブル」で、現代なら「生物学的・遺伝子学的」としての現実となった「クローン」のハナシである。 すなわち、「ギリシャ人」、あるいは「ギリシャ神話」に影響されていた人物が記録した「新約聖書」の作者は、「キリストの蘇生」は「双子・双生児(操所為字・相似)座=(Gemini)」の話しを「双魚(叢漁・総真名・操禦)座」で説明したい、と云うわけなのだ。だが、このハナシの源泉は古代エジプトの「イシス女神」と「オシリス=ホルス」のハナシである。 「イシス(女)」を中心に考えれば次の図式になるだろう。 イシス・・・・・(母) |・・・・・(妹・妻) ・・・・ホルス(オシリスの魂を持つ) | |・・・ ・(イシス母神とオシリス父神の子供) オシリス・・・・(父) | (兄・夫) | イシス(息子の母) (息子の妻) スナワチ、「ヴァーチャー神(『言語の霊力』)」が「父を生む」とは「ホルスの父=ホルス自身=オシリス」を生んだコトことであり、「ヴァーチャー神」の源泉はエジプトの「イシス女神」なのだ。しかも「ヴァーチャー神」が「言語の神」であるならば、この「インドの女神」が日本語で謂れ、記録されている漢字の意味は自ずからハッキリしてくるだろう。もちろん、「現存・古事記」に関してであるが、「現存・古事記」の作者は「日本人」と接点を持った古代インドの「ヴァーチャー女神(『言語の霊力』)」と古代エジプトの「イシス女神」の知識を有していた「外来人物・帰化した日本人」、あるいは「師弟」としてその知識を学び有した「日本人」である。 スナワチ、インドの「ヴァーチャー神」は日本の「弁・才・天」で、この漢字から逆に探れば、「弁」の意味は「区別・分ける・分かれる・分離する・わかち・わきまえる」で、「才」の意味は「たち・持ち前・うまれつき・素質・知能・能力・才能・始めて・哉・わづかに・やっと・はかる・はかり定める・俗に年齢の略字・漢学・芸術・芸能」である。その漢字の意味と、分解の意味の「弁(辯・瓣・辨)=ム+廾」、「才=一+亅+ノ」、「天=二+人」等と、同音異字漢字の「ベン・サイ・テン」である。 「ベン」は、多数あるので、トリアエず、以下の漢字をあげておく。 ベン ↓ 卞・和の璧(和氏の璧・連城の璧)。 卞=一+卜 便・利(都合の良いこと・重宝)。 便=イ+更 勉・強(精を出す・品物を安く賣ること)。 勉=免+力 娩・痛(お産の痛み・陣痛) 娩=女+免(兎) 鞭・朴(役人を罰するムチと学生を罰するムチ) 鞭=革+便 采・女(うぬめ・女官) 采=爪+木 宀 (四方に垂れた屋根の形) 家=宀+豕(猪・豚) 面・面(めいめい・おのおの) 面=一+ノ+(囗+目=回) 「ヘン」と読めば、トリアエず、「辺(邊)・編・片・偏・返・遍・篇・変」の漢字で他にも多数ある。 「サイ」も多数の同音異字漢字が、漢和事典には並列、列記あるが、トリアエズず、「斎・斉・歳・西・祭・碎・塞・殺・宰・犀・妻・災・菜・彩・最・再・載・差異・切・採・裁・財」で、「弁済・勘弁」してもらおう。 「日本書紀=サイ」では「皇極女帝」=「斉明女帝(財姫)」となった「年月の歳の事件」の示唆であろう。この女帝は「同一人物ではナイ」はずだ。 「ヴァーチャー(ばぁぁちゃぁ)神」=「言語の神」=「弁才天」=「聖河サラスヴァティー(さらばすてぃぃ)」の源泉、源河はエジプトの「いしす女神」であり、「ないる(地震)河」から海へ注ぎ出ての「あま(海女・海部・海士・尼)ノかわ(化和)」を越えて、インド、日本にやってきたワケである。 古代「三大文明」はどれも「大河の沿岸や河口の洲」に存在し、古代の人々は「夜間」には「現実の幅の広い河」はその水を「水平線」の切れ端しから「アマのカワ」に注ぎ込み、その「天の川」と連続して、結び付いていると考えていたのだ。事実、見た目は河口の水は海に注ぎ、海水は「海平線の境目(端しっこ)で天の川と連結」するが、その「海水を注ぎ込む断差の滝・天の川の河口堰」を船で追い求めても決して「宇宙の天の川」に入ることは出来ず、事実は現実の地理上の「異境の港」に漂着するだけであった。海の境界線から「天の川」へ転落することもなく、異境へ漂着すると言うことは「天の導き」である。近代「合理主義者」はその「思想」を「宇宙の天体と地球との位置関係の理屈」で考えてみたいだけである。・・・だがガリレオ以前の人々や古代人が「地球」を「単に平面的に考えていた」とは単純すぎると言うモノのである。古代エジプトに於いても、古代シュメール、古代ギリシャ、古代インド、古代中国に於いても「知識人」は「地球」が「球形」であることを「知っていた」のだ。「宗教者(哲学者)」の「比喩」が「無知」の人々に対して「比喩」でないモノになった時に「物語=非科学」になるのだ。
「古事記」と「古代インド」・(5)・(57x) 古事記とインド語源 さて、「リグ・ヴェーダ・サンヒター(本集)の構成は十巻、1017の賛歌、補遺歌の十一篇からなっている」そうだ。 ① グリツァマダ ② ニシュヴァーミトラ ③ ヴァーマデーヴァ ④ アトリ ⑤ バラドヴァージャ ⑥ ヴァシシュタ家の賛歌 ⑦ ヴァーラキリア(補遺歌) 「ヴェーダ文献」は「祭式」と「呪法」である。 「リグ・ヴェーダの神々」は「天・空・地・水」に住んでいると考えられていた。その数は「33神」と言われ、「全ての神々は33」と一括され、包括された。または、「3339神」とあるらしい。数字は「0~9」までの「単数」によって無限に数えることが出来る。極まる数字が「9」であるとするならば「33」は「かけ算」による「3×3=9」の示唆である。「足し算」ならば「3+3=6」で、「9」の逆字の「6」。「9」も「6」も形は「巴紋の勾玉(霊)」で、「69」は「蟹座」のマークだが「蟹座の守護神」は「月」である。インドの偉大な王さまと言えば、 ① 「月護王」とは「マウリア」王朝の「チャンドラグプタ王(紀元前321 年ころ即位)」である。彼はギリシャの「アレクサンドル大王」と会い、 「マガダのナンダ王朝」征略を勧めたと謂われる(プルターク英雄伝?)。 ② 「無憂王」とは「仏教に帰依」した「アショーカ王(紀元前232年ころ 即位)」。 ③ 「カニシュカ王(カニシカ王・紀元後128年ころ即位)」も「仏教に帰 依」した「クシャーナ王朝」の最大の王。 である。この「カタカナ(片仮名)」に固執して私は「コジツケ」てみたいのだ。スナワチ、 ①チャンドラグプタ・・・知夜、務「虎(寅)」句、譜多 マウリア・・・・・・・磨「卯=月」里娃(蛙) アレクサンドル・・・・阿礼句、纂(賛)、渡(奴)留 マガダ・・・・・・・・磨(魔・真)掛「蛇(打・陀・多・侘・他)=巳」 ナンダ・・・・・・・・南田(楠多・男汰・軟妥・難舵・何だ?)=「午支」 ②アショーカ・・・・・・亜書「将(尾・未)」掛=亜処化=阿所化=唖処掛 ③カニシュカ・・・・・・蟹(甲斐・「掛亥」・魁=北斗七星)主掛 カニシカ・・・・・・・掛似「詞掛(史家・子掛・仕掛)」 クシャーナ・・・・・・句舎亜(鴉=黒烏・太陽)名=(駆使夜亜名) の「十二支・十二宮の獣帯」と、「古事記」のその「語る常呂(ところ・所・処)」である。 この数字の「33」の「3」は既に他所で述べたが、「十二支」の「三支」は「寅(虎)支」で、「現存・古事記」と、「日本史」に関して云えば、「纂史」は「イン史・古詩・とら史」で、「インド=天竺の南東・ドラヴッタ」と「トラ=天竺の北西・耽羅・吐火羅(ペルシャ)・トラキア(ギリシャ)」が重なるのだ。モチロン、「虎史」は「古事記・序文」にある「天武天皇」で、「古事記」解読の「鍵」の示唆は「序文」にある「くさか(『日下』=囗+一+一+卜)=『玖沙訶』」、「たらし(『帯』=丗+冖+巾=『多羅詞』)」のヶ所である。「翼をつけたトラ」は「日本書紀・天武天皇紀(第二十八巻・第二十九巻)」に記録された「大海部皇子=天武天皇」そのヒトである。 「印度」が「天竺(竹+二)=テンジク(点字句・典字句・転字句)」ならば「天(あま・あめ)の字句」、「天(あま・あめ)の軸」で、 「あま=尼・海女・海部・海士」、 「あめ=雨・飴・編・阿女・亜女・娃女・蛙女・吾女」 の「音訓」のスベテ(総・統・全・總・綜)の「音と意味」が重なるのだ。数字の「33」の秘密も同じである。 「三×三=九・玖・宮=九州の王宮・熊本城・九支の酉(西)の方角」、 「三、三、九度」とは「婚姻・結婚・婚礼の祝杯」の儀式で、 「三十三=六・陸奥・奥州=東北」に「ムツム」で、 「産十三(岩木山麗の十三湊)」。「十三」を「とさ」とヨムなら 「秋・田・懸」、「青・森・懸」、「土・佐・懸」とは 「字」とこれらの「漢字分解」そのものの意味であり、 「參拾參=(ム+ム+ム)の(人)の(彡)の(ム+ム+ム+人+彡」 であり、「ム」は「よこしま」と訓じ、 「横島(ム・邪)が並ぶ三(蒜・ひる=比留)の日渡の山」の「阿蘇山」 である。「横島」は現実に「九州の熊本県の玉名郡」にある地名なのだ。 「33=参拾参=みつ・ひろう・みつ=サン・ジュウ・サン」を「近世・日本史」に関して言えば、 みつ=壬津(水戸)=御津=美都=箕津=三津=三重の津=水=蜜=密 で、怪しいのは「水戸」であり、「カクさん」、「スケさん」が「葵の印篭」をチラつかせて、「ミナのモノ、ズが高い、このカタをナントココロエル、ひかえおろう!」、「水戸黄門さまでアルゾ」、である。 「日本書紀」に関しては言えば、 「纂重讃=三十纂=第三十巻・持統天皇紀(日本書紀)」、 「纂中蚕=(日本書紀・篇纂)」の 纂(産・山・讃・算・傘・酸・珊・餐・燦・蒜・惨・撒)で、 中(中大兄皇子・那珂・名賀・那賀・長=長津=大津)の(杉・サン)、 蚕(天+虫=二人中ム=二人のナカのヨコシマ) ↓ ↓ キの捌け(彡) カイコ(回顧・懐古・海虎・改古・甲斐虎)=解雇」 ↓ ↓ ↓ 鯱 武田の虎 ↓ 上杉の虎 「鯱鉾」は尾張名古屋城の「天守閣」にある。 ↓ 尾州 の「カケ」である。理由は、 「蚕=天(二の人・海部・海女・尼)+虫 + 虫(ムシ・武志=天武天皇の志=則天武后=周の女帝)」 であり、『則天』、『天則』とは「天の法則」で、インド語で「リタ」と言うのだ。漢字を充てるなら、「利他」、「利多」であるが、「天則=宇宙の法則理論」ならば、「天の理多」で、 「理侘・理太・履他・李太・里太・・裏多・・・」 である。そして、この「リタ」に「日本書紀」を重ねるならば、 「纂中讃=宇野讃良(持統天皇)の大津皇子・長津皇子(草壁皇子)のカイコ」 である。 「天守・閣(郭)」の「鯱鉾(娑治補虎)」とは「郭務宗」であり、 ↓↓ ↓ ↓↓↓ 天主・較(カク=カ・ク=くらべる) ↓↓心+宗=シンソウ ↓つとめる くるわ・くぐつ の同音異字漢字の総ての比較(皮革=かわ・がわ・川・河・側・加話)の「革=描・書・客・覚・化句」である。おもてにトラワレルことを「皮相」とも言うのだが。うらをミルことを「卜相」と言うモノだ。 「天守」は「キリスト教の天主教・耶蘇教」で、「アキナイ(商・安岐・安芸・飽田・秋田)」の「店主」は「タナのヌシ」である。「タナにアゲル」、「タナにノセル」、「タナからオロス」のは「品(本・梵・牝)モノ」で、「タナおろし」は「シナ(支那)モノと帳簿(記録)の帳尻を合わす」ことである。「多拿・多名・多那・他名」で、「(牛)柵の主=ゴータマ=『インドラ』=牛の主=牽牛の主=彦星」なのだ。だとすれば、『インドラの妻』は、「織り姫」で『七夕津女・婁宿』で、「猿」に嫉妬した「インドラーニー」である。 さて、神々を一括する数字は「3339」でもあった。「3+3+3+9」の数字を加算すれば「3+3+3+9=十八・壱拾八」で「イチをヒロウ、ハチ」であり、「33・39」と分けて、「かけ算」するなら、「3×3=9(玖・句・宮)」と、「3×9=27」になる。「二十七」の数字は占いの「宿曜経」の「二十七宿+『牛宿』=二十八宿」のことである。「足し算」するなら「三十三=6」と「三十九=12」、これを「かけ算」するなら、その「積」は「二十七の逆数」で、「6×12=七十二・七拾弐」となる。暦と時刻、方位の区分で云えば、「六支」は「巳支(陰暦四月・四ツ・朝十時・巽=辰巳・南東)」、「十二支」は「亥支(陰暦十月・四ツ・夜十時・乾=戌亥・北西)」である。「七十二」と言えば、季節区分の「七十二候」である。そして、「3×3×3×9=9×27=243」で、「弐百四拾参」である。・・・似模、母与都、比賂胡、御津・・・「似股(亦・俣・又・脚・腿・髄・跂・足=葦・垂)始終纂」・・・スナワチ、「相似する王を終始、偏纂」したのが「現存・古事記」なのだ。 「リグ・ヴェーダの神々」を検討していこう。 ①天神ディアウス(牡牛)・・・ウス=牛(うし)、有珠、碓、臼、薄、渦 天地両神と呼ばれる時は「ディアーヴァー(天)・プリティヴィー(地)」 ↓↓↓↓ 転地領訊・・・転地の領国を訊ねよ(?)・・・鈴木氏は「すすき・すすぎ」 ↓↓ で、水ですすぐ(浄化) (両塵・両尋・量尋・領壬・了人・領尽) 両塵=二つのチリ(地理・輿) 両壬=二つのミヅノエ 漁人=スナドリのヒト(・野讃良=持統天皇)・キリスト教の宣教師 猟人=カリュウド=掛(華)龍奴=劉仁軌) ・禍理喩胡怒 ②太陽神スーリア・・・日曜神・・・数理亜・素得里娃(蛙・阿・唖・亞・吾) 「サヴィトリ神」は「スーリア神」の日暮れ、夕暮れ、落日、日没する時の 光で、太陽の属性。・・・・・・・「くれ=繰・呉・句霊・句例」 「プーシャン神」は万物の育成力で、太陽の属性。・・・「賦胡社務」 「ヴィシュヌ神」は光照作用で、太陽の属性。「天・空・地」の「三界」を 「三歩=(歩幅も広く三重に闊歩する)」で「跋渉」する神。 「山にありて自由に歩む・三歩のうちに万物は安住する」。 「三歩もて測りし神」。・・・・・算舗=寅舎、水の女の理、ネは申(南西) 「三歩は蜜に満ちている」。・・・山母は御津に盈ちている・纂模は密が満 「三重で足萎えたのはヤマト・タケル」 「トロイで腱を矢で射られたアキレス」 「戦国時代に足を傷めた武将達・・・黒田如水・山本勘助等」 ③暁紅神ウシャス(女神)・・・日本語、「牛(うし)?」の語源。牛夜須。 「ウシャス」の歌には「ここにかの繰り返して立ち返る光明は、東方に現れた り。暗黒より離れ、万物を分明に区別しつつ。今や、輝かしき天の娘なるウシ ャスは人間に道を開けかし」とある。 「ウシャス=鵜舎守・胡写諏(素)」は「日本書紀篇纂の舎人親王を守る鵜(持統天皇)」である。そして、「鵜謝簾」、「得写素」である。この「暁紅神」は天体の「金星」なのだ。日本では「明けの明星」、「暮れの明星(宵・よい)」である。「宵(よい)」とヨマれるには内惑星である「金星」が見かけ上の運行が、「逆行、止留」するからである。スナワチ、「酔っぱらいの千鳥足」である。英語の「ダッチ・ロール=飛べない巨大な鴕鳥の歩き方」は「アスタカ山」に激突した「航空事故」で一般化したコトバだが、「飛行機事故の前兆の有様」で、「飛行機がフラフラ」することだ。もちろん、「鴕鳥」は飛べない・・・のだが。 「ウシャス」とは「ウ・シャ・ス」、「ウ・シ・ャ・ス」の異字漢字のスベテであり、 得=(宇=空・卯=月・兎=宇佐・烏=太陽・雨=あめ、あま 鵜=盧+鳥=しまつとり 羽=奥羽・得・右 胡=西国 迂=迂回 芋=いも=妹) の シャ=(写・舎・社・洒・車・・・・者) の ス=(諏・素・須・酢・栖・洲・州・守・笥・巣・棲・簾・・・) のスベテの「意味」である。インドの「神々の歌」とは「宇宙の星座と天体」の「説明」のことなのだ。 「ウシャス」のウタを抜粋してみると、 1 女神ラートリーは近づきつつ、その眼(星)もていたるところをうち眺めつ。(女神は)あらゆる美を身につけたり。 2 不死の女神は広大なる空間を満たせり、低きところも、高きところも。(女神は)光明によりて暗黒を駆逐する。 3 女神は近づきつつ、妹なるウシャスと交替せり。暗黒もまた遠ざからんことを。(*暁紅の女神から転じて、ここでは昼の女神) 4 女神は今日われらのためにあれ。その汝の到来により、われらは家に帰れり、あたかも鳥が木の巣に帰るごとくに。 5 村人も家に帰れり。足有るものも。翼あるものも帰れり、はたまた餌を貪る鷲すらも。 6 牝の狼を遠ざけよ、牝の狼を。盗人を遠ざけよ、夜の女神よ。しかしてわれらのために越えやすかれ。 7 闇は黒さを増しつつ、まざまざとわれらに近づけり。ウシャスよ、負債のごとく、そを取り立てよ。(*暗黒を除き去れとの意) 8 われは汝に(賛歌を)捧げたり、(牧夫が)牛群を(牛舎に)やるごとく、ー天の娘、そを受納せよ、ーあたかも勝利者に賦頌を捧ぐるごとくに、ラートリーよ。 とある。天体の「金星」の運行が語られており、この「金星」は外来語も含む日本語として知られているあらゆる「キンセイ」の同音異字に懸けられているのだ。「禁制・近世・均整・謹製・金生・金姓・きんせい・キンセイ・・」で、「キ・ム・セ・イ」である。 ④風神ヴァーュ(ヴァータ)・・・・婆阿亜喩・場娃阿柚・場娃阿侘 ⑤暴風神ルドラ(マルト神群の主神)・・・留怒(奴)羅・流土羅 モンスーンの神で、その後の爽快な風の神。「シバ神の前身の神」。 医療、薬師(くすし)の神・・・「葛、屑、玖珠、楠、樟」の師(?)。 ⑥雨神パルジャニア・・・波流、蛇、 似吾=張、 邪、 迩娃 葉留 時家 二亜=巴留 字夜 璽亜 ⑦地神プリティヴィー(牝牛)・フリテイブイ=不離帝 部位 ↓ 振り綴 部意 府里出移武移 ⑧火神アグニ(囲炉裏神・炉神・燎原の火・火神・アータルはイラン語) ↓↓↓↓ 亜当たる 阿娃多留 「火にアタル」は暖房 「光明・火炎・煙・音・聖火」 「牡牛・仔牛・牡馬・鳥にたとえられる」 「天空地の三界にあらゆる『水(天上の水・空中の雨・地界の水)と火』の 属性としてあらわれる神である」 「三個、七個の舌を有する神」 古代インド人はモチロン、「二個の木片(アラニ)の摩擦によって、火を鑽(き)り出す方法を知っていた」と考えられるが、「火を起こす=二個の木片(アラニ)の摩擦」であるならば「木と木を重ねるコト=X・十」は占い(卦・卜)の原点である。キとキとを重ねるのは「記紀・鬼姫・期気・季期・気軌・記基・機器・器機・鬼気」で、「ヒをキリだす・ヒをモミだす」とは、 其危如一髪引千鈞 =そのアヤウキコト、イッパツもて、センキンをヒクがゴトシ 阿家賣鬼古都 委都張柘模出 選 勤 比句 語渡詞 蛙夜雨期古都 何時捌 母出 遷 禁 退く 後都至 =それ、キジョ、イチのカ、ミ、ヒク、センキン =措例、鬼女 、壱 の家、診、比句、選 勤 「比を切り出す」、「卑を鬼里拿州」、「非を記裏出素」、「記紀一初」=「危機一髪(韓愈与孟尚書書)」の十一字の単漢字、スベテの意味なのである。 ⑨酒神ソーマ(神酒)・・・相馬・双馬・双間・捜真・総摩・相場・(新酒) 「ソーマはマドゥ=蜜、蜜液・アムリタ=強壮、不死を与える飲料、甘露」 「ソーマをパヴィトラ(羊毛の水瀘)で濾過する」 「牡牛・水牛・駿馬・鳥にたとえられ、草木の首長とされた」 「太陽の顕現」 「月神=ソーマの容器(皿・鉢・壷)とみなされた」 「酒=水(みづ・スイ・北方・癸)+酉(とり・ユウ・西方)」で、「ミヅのトリ=癸酉」である。 中国、日本の歴史上の「癸酉」の「年月日時」の事件は何か? ・・・中国では「朝鮮に楽浪・玄兎・眞番・臨屯の四郡を置く(癸酉年・紀元前108年)」、「孫堅の死亡(癸酉年・193年)」、「韋誕の死亡(癸酉・年253年・魏の嘉平五年)」である。 そして「西晋の建興元年・愍帝の即位(癸酉・年313年)」で、「ローマ皇帝・コンスタンチヌスがキリスト教を公認」した年なのである。 「随の煬帝・九年」には「楊玄感の反乱(癸酉・年613年)」があり、前年は「イスラム教の成立」で、「回回教」とも言われた。 時代は跳ぶが「徐光啓」が西洋学術導入の「幾何原本、農政全書(癸酉年・1633年)」を出版した。 日本では「続日本紀(癸酉年・793年)」の上程、「井原西鶴の死亡(癸酉年・1693年)」、番外の「辛酉年」に「本居宣長の死亡(辛酉年・1801年)」、「尾藤二洲の死亡(癸酉年・1813年)」である。とにかく、「酉の年月日」の事件は「鍵=キイポイント(紀伊の先端)」である。 モチロン、六十サイクルの干支、「癸酉」の前は『壬申の乱』の「壬申」であるのは言うをまたないだろう。「みづノえ」の「さる」である。 「酉」は本来「酒を醸造する器」である。スナワチ、「タル(樽)」のことで、「御津(水・蜜・密)の多留・足る」である。「酒」に類似する漢字に「配(くばる)」があるが、これを分解すれば「配=酉(とり)+己(おのれ・ツチのト)」である。日本書紀に配された「己酉」の「年・月・日・時」を調べてみれば「『祇園祭り前夜』の『大化改新(乙巳年・645年)』決行で、蘇我入鹿の暗殺の日(戊申)、その『翌日(己酉)』は蘇我蝦夷の誅殺された日」である。 引用した「『ソーマ』は牡牛・水牛・駿馬・鳥にたとえられ、草木の首長とされた」の意味する漢字は「配当」の「配(ハイ)=己酉」である。しかも「月神の酉」は「陰暦の八(捌)月・太陽暦の九(玖)月」で、「申」は「陰暦の七(漆)月・太陽暦の八(捌)月」である。 ・・・なるほど、英語の「ヒストリィ(history)」は「歴史・暦支」で、 「歴(厂+林・木木+止)史」・・・がんだれ・はやし・とめる(止=足) 禾禾 「暦(厂+林・木木+日)支」・・・がんだれ・はやし・ひ ↓↓ ↓↓↓ 「記紀」 林羅山(1583~1657) 林子平(1738~1794) の「こよみ」である。「林羅山」は「幕府の御用学者で儒学者」であった。彼の死亡した「1657年」には「江戸の明暦の大火」があり、「大日本史」の編纂開始の年であった。「歴史」と言う概念は「誰」の発明なのか?。まさに、「がんだれ(厂=玩誰=遊ぶ玩具にしたのは誰)・林(生やし・囃し)・止める(留める・泊める・富める)」の暗示である。漢和事典には「歴」の「林」の部分は「禾禾(のき・のぎ)」が本字で「木木(き・ぎ)」と書く「歴」は略字とある。「のき=軒・退き・埜期」、「のぎ=能義・穎」で、「キギ=機宜・記擬・記欺・氣義・鬼気」である。「歴」は「天体の数・日月の整然たる間隔の運行・経過」で、「天(覘)文学的概念」である。「林羅山」は「頗椰子罹詐務」で、「ヨコシマな椰子に罹って詐欺に務めた人物」で、「癌病」で死亡したのに違いない。「林子平」は「1792年」に「海国兵談」を書いて禁固になった人物である。ここは「ガ・ン・ダ・レ・ハ・ヤ・シ」の全ての漢字を調べてみることだ。