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シルクロード・サイ・シコウ


 「前嶋信次」先生の「シルクロードの謎(大和書房・昭和六十年六月発行)」を、例の大須観音交番前の古本屋で百円で手に入れた。もう一冊は「古代文明評論家(?)」の佐治芳彦氏が「華夷帝国・遼(契丹)」と記録している「謎の契丹古伝(徳間書店)」である・・・「華夷」が「カイ」のヨミなら「蝦夷」だろうな。日本戦国時代ならば「甲斐の国」は武田信玄の甲府である。大国主命の子供、「建御名神」が葦原中国=出雲から逃亡して引き籠もった信濃(シナの)国の諏訪湖周辺は「養蚕産業」が盛んな所であった。この「建御名神」の兄の名前が「八重言代主神」であった。建てる音の名、であり、八重の言葉をカエて、ウシ、である。  建御名神・・・・・・・建てる音の名  八重言代主神・・・八重の言葉を変えて、ウシ(得詞)  人物なら伊達騒動で「伊達・安芸・宗重」を切り殺し、自分も切り殺された「原田・甲斐」か、それとも田原藩の蘭学者「渡辺・華山=崋山」・・・中国の陝西(センセイ)省にある山・・・「陝(セン)」の類字は陜(キョウ)で・・・違いの字体は入入(いる・はいる)と、人人(ひと・びと)である。他の類字は  陜(かい=Χ)=キョウ  陜(キョウ)=せまい・」山間・やまかい  狭(キョウ)=せまい  峡(キョウ)=かい・はざ間・谷あい  浹(ショウ)=あまねし・めぐる・広く行き渡る  侠(キョウ)=任侠  夾(キョウ)=はさむ・・・夾帯=秘密の携帯  挟(キョウ)=はさむ・・・あまねし  ・・・「挟書律」は・・・焚書坑儒の法律であったかな・・・いずれも「亠人+人人(ひと・びと)」である。2004年6月1日火曜日の朝日新聞の「陝西(センセイ)省」の「西王墓・遺跡」発見の大見出しの漢字「陜(キョウ)」は誤りであるなっ。小さい漢字ならば読者には判別出来なかっただろうに?  で、これらの「シルクロードの謎」と「謎の契丹古伝」は面白かった、ナッ、の一コトである・・・この二冊の本を下敷きにして、例の「同音異字」を重ねるコトから「古事記」考えて、展開してみたいとは思うのだが・・・  一体全体、シルクロードとはナンであろうか?・・・前嶋信次先生はその「歴史」を淡々と語られているが、私の感慨は、ヒトビトは預言者、宗教者を産み出し、カミを崇め、国を造り、そして戦争で、その国を壊し、壊され、今尚、この現代に於いても同じパターンを繰り返している、のかな、と思うコトである。  今日(2004/5/5/水曜日)の中日新聞の一面には「(アメリカ兵が)イラク人虐待・計画的」との見出しが不気味に貼り付けられ、四面にも「米の信用失墜に拍車」とあり、朝日新聞の一面には「三菱自動車・再建案」と、なんらトップを飾らなくてもイイような見出しが貼り付けられていた。それでも、二面にはカラー写真とともに「イラク人虐待事件・米軍の信頼、急降下」の見出しと記事が掲載されていた。  私が問題にしたいのは中日新聞が一面で、朝日新聞が二面で報じていることだ・・・朝日新聞は社説やコラムで「人道主義的な論調」を載せているが、報道記事や見出しのタイトルがフに落ちない。セイフの「御用新聞」のような臭いと、感じがする。日刊スポーツ新聞にある紙面の政治、事件のタイトル、記事の方が「アサヒ」よりも、はるかにそのイワンとしていることがマトを得ているように思うのだが・・・  歴史と考古学・・・その朝日新聞の三面に「蝦夷の地に争乱時代・やじり200点・縛られた人骨出土」の記事が載せられていた。青森県八戸、平安時代の林ノ遺跡(10~11世紀)からの発掘報告である。平地の集落ではなく、山の上や、環濠、土塁で築かれた「防御性集落」らしい・・・しかも両手を後ろ手にしばられ、両足も縛られている全身骨が発掘された、との記事である・・・当時の「蝦夷(カイ・えぞ)族」の悲惨さは「征服・侵略者」の結果だとは思うが・・・現在の「アメリカ軍」、それに金魚の糞のように存在する「日本自衛隊」・・・「戦争」、「戦場」に於いて「人道主義」はありえないし、現場の兵士は大義名分がどうであろうと「生きるか死ぬか」、隣に一分、一秒前で話していた戦友がその後にはハナシの出来ない「ムクロ(骸・躯)」となってしまう状況にいるのである。「戦友」を失ってしまう状況の場所にいる彼に「理性」を期待するほうがオカシイ、と言うものである。兵隊の野蛮さを「個人的に告発」したアメリカ軍人はベトナム戦争にも存在した。そして、イラク人に対する虐待、虐殺でも。だが今回も、ベトナム戦争の時も「兵隊個人の罪」をまるで「市民社会の犯罪」のように告発している、と言うことだ。そして、「軍事裁判での処分」・・・その責任は「国家」にあるはずなのに。戦争は命の取り合いなのに、「国際条約違反」だと声だかに叫ぶヒトもいる・・・宮本武蔵ではないが「命を賭けた果し合い」は「活殺剣の思想」があるだけである・・・戦闘機からの爆弾投下、モニターを見てのゲーム感覚でのミサイルボタンの発射・・・戦闘機、ミサイル発射要塞が壊れない限り、「活殺の思想」なんかは、ありえない「ゲームの感覚」である。だが、敵と向かい合って銃を撃ち合う地上軍、陸軍はそうはいかない・・・イイたい問題はそんなところにあるのではない。国家の指導者が「戦争」をしたい、「戦争」をしなければならないトコロの「根拠」である。  ヒトビトは・・・「民主主義」とか、「自由主義」とかの大義名分の上っ面のコトバにダマサレてはいないか?  「シルクロード」のかってのオアシス(oasis・サバクの中の緑地・慰安となる眺め・慰安の景観)の人々は「大義名分」で生活していたワケではない・・・・よなっ。じゃぁ、サバク、沙漠、砂漠、裁く、捌くの中のミドリ(見取り・エン=塩・円)のチ(知)の出水、和泉、泉水、泉美、伊豆見の生活の場所である・・・江戸時代、伊豆守、和泉守の「守の官名」を有する人物とはダレだったか?・・・イヅミが訛って、イヅモ(出雲)の守とは「立花種恭」で、1868年(慶応三年)の在職で、所領は「筑後・下手渡」の人物であった。イツモ「島根(しまね)」が「トウコン(当今・問恨・答恨・唐金)」ならば、出雲「島根」に近隣する「伯耆守」、シロウサギ(史郎詐欺)の「因幡守」も関連するかも・・・とにかく、イヅ・ミのカミは、  松平信綱(伊豆守)・1632~1635              ・1635~1662・所領、武蔵・川越  松平乗寿(和泉守)・1644~1654・所領、遠江・浜松  水野忠之(和泉守)・1717~1730・所領、三河・岡崎  松平信祝(伊豆守)・1730~1744・所領、遠江・浜松  松平信明(伊豆守)・1788~1803              ・1806~1817・所領、三河・吉田  松平乗完(和泉守)・1789~1793・所領、三河・西尾  松平乗寛(和泉守)・1822~1839・所領、駿河・沼津  松平信順(伊豆守)・1837/5~1837/8・所領、三河・吉田  松平乗全(和泉守)・1848~1855              ・1858~1860・所領、三河・西尾  水野忠精(和泉守)・1862~1866・所領、出羽・山形・失脚  松平崇広(伊豆守)・1864/7~1864/11    〃    〃   ・1864~1865・所領、蝦夷・福山              ・    〃   〃    ・朝命による失脚  「失脚」とは「アシ」を「うしなう」と言うことだが・・・水野忠精(和泉守)の所領が出羽で山形、1866年(慶応二年)に失脚し、12月には孝明天皇が死亡しているのだ。松平崇広(伊豆守)・の所領が、「蝦夷」で、福山、1865年に「朝命による失脚」・・・サバカレタのである。1865年とは「慶応一年」であった。戦国時代の末期には「管領・細川晴元」の執事「三好長慶」が「和泉・河内」の代官であったのだが・・・。  で、この「イズミ」の意味するところは、  「出羽=では=出葉」、  「山形=さんかた=纂掛多」、  「蝦夷=カイ=解・・・「昔(借・籍)脱解」は古代朝鮮の王  「福山=ふくさん=伏纂」、  「失脚=シッキャク=漆(うるし・七)記訳」  の「オ・ア・シ・ス」である。「昔(借・籍)脱解」もまともにヨメば、その意味するところは理解されるであろう。ムカシを脱会(奪回)。借りて脱し、理解。書籍を奪回。戸籍を脱会して理解・・・「甲斐」の意味は「キのエのアヤ(斐=非文=ヒブン=秘文・碑文)である。  ・・・「コジキ」と重ねて、こんなコトを考えるのは「ラン・ガク・者」であるなッ。  「スキタイ人」・・・アジアの遊牧民。「マッサゲタイ人」に攻められて「アラクセス河=アラス河」を渡り、「キンメリア」地方に移動した。スキタイ人は南ロシア地方に侵入して来た「イラン系の騎馬遊牧民」であるらしい。彼等の金細工工芸品の原料は「ウラル・アルタイ」山脈が原産地であったらしいのだ。  騎馬遊牧民・・・1)キンメリア人(アッシリアの記録・黒海の北部、東部に存在)、            2)スキタイ人、            3)サルマティア人  「パレティア人」によって西にもたらされた「絹(ケン・きぬ・シルク=silk)は「セル」と呼ばれた。絹を造りだす生産者は「セレス」と呼ばれた。英和辞典には、  Silks and satins put out the fire in the kichen.  の諺(ことわざ・ゲン)がある。和語訳は「着道楽(キドウラク)は竈(かまど・釜戸・台所)の火を消す」である。「silk-worm」は「蚕(サン・かいこ)」で、米語では「落下傘兵」とある。「silk」の隣にの類字単語に「siller(銀・金銭)」、そして「sill」があり、その意味は「土台」、「岩床」、「岩層」である。「sillily(愚鈍な・ばからしく)」、「silliness(愚鈍・バカらしさ)」、「silly(愚かな・ばかげた・バカ・アホ・タワケ)」がある。そして、やまとたける(倭男具王・倭建御子・小碓命)が姨(をば)の倭比賣から貰った「silic-(火打石・珪土)」であった。なぜか彼女の漢字は「姨(をば・イ)=女+夷」と記されている・・・姨(をば)は「母の姉妹・妻の姉妹・妻の妹」と漢和辞典の説明にはある。だが、漢字分解での意味ならば、女は蝦夷(カイ・えぞ・えみし)・・・である。  「鬼道(キドウ)の羅宮(ラク)」は「カマド(窯土)の妃」を、「化素・懸州(ケス)のサン(纂・讃)」ならば、「卑弥呼」か「木花之佐久夜媛」の「八尋殿」のハナシでは、あるカナ。「軌道」の「等(賂・婁)句」なら月(陰暦)の周期の星座占い、宿曜経の「鬼宿=婁宿」である。  シルクはギリシャ語で、  「μεταξι(メタクシ)」  で、「虫の蚕(かいこ)」は、  「μεταξοσκωληκαs(メタクソスコリカス)」  である。カイコのフン(糞)で、「メタ糞、素、凝りカス」だな、これは。失礼・・・  「目(女=おんな=音名)多・句素・諏・古理・化素」で、英語単語の「meta(メタ)」は、  met・a-(メタ)・・・「間に・共に・後の・変化して」等の意味          ・・・母音のまで「met-」。             気息音の前では「meth-」  で、ギリシャ語で「μετα-」である。メタは「化学言語」に使用されているモノだ。「メタノール」など、と。とにかく、英語の「meta」は、  met・a-(メタ)・・・「間に・共に・後の・変化して」等の意味          ・・・母音の前では「met-」。             気息音の前では「meth-」  で、ギリシャ語で「μετα-」である。メタは「化学言語」に使用されているモノだ。「メタノール」など、と。とにかく、英語の「meta」は、  met・a-basis・・・・・・・病状転換・主題転換  met・a-bolic・・・・・・・新陳代謝の・同化作用の  met・a-centric・・・・・傾心の・外心点の  met・a-phor・・・・・・・・隠喩  met・a-physics・・・・・形而上学・哲学  meta-galaxy ・・・・・銀河外宇宙  meta-l・・・・・・・・・・金属は「カタイ・キンゾク」である  meta-llinguistics・・後段言語学  meta-llograph・・・・金属板印刷機  meta-llurgist・・・・・冶金学者・鍛冶屋・・・錬金術師  meta-thesis・・・・・「文字・語・綴り」などの転換、置換  mete・・・・・・・・・・・・割り当てる・はかる・境界標識の石  metempsychosis・・輪廻・生まれ変わり               transmigration               リインカーネーション               re-in-car-nation                 ↓                 in-ca-r-nation                 ↓                 肉体化・化身                   ca=circa・circular                    ↓Circassian=コーカサス北部の人種                    ↓Circe=魔女・オデイッセイの部下を                    ↓     豚にした魔女                    ↓ capital account=資本勘定                    ↓                     r=アルファベット第18文字                    ↓  ローマ数字の80                    car-nation                    ↓淡紅色・肉色                    ↓                    ↓ nation                    ↓ 国民                    ↓               花のカーネーションは               誕生月一月の花で               五月の第二日曜日の               母への感謝日の象徴花                    ↓               in-car-nation の類字                  ↓               in-can-tation=魔法・マジナイ  meteor・・・・・・・・・流星・隕石  meteorite・・・・・・・隕石  meteoroid・・・・・・・流星体・隕石体・小流星  meter・・・・・・・・・・計量器・詩文の韻律  method・・・・・・・・・方法・順序・秩序・体系  で、「meta-basis(主題転換)」としては、  「meta-l」とは「カタイ・キンゾク(金族)」ですなッ。  ついでに「すね=脛・髄」は「カラミ(καλαμι)」で、「あし=足・脚・肢・股」は「ポディ(ποδι)」である。「メタクシ=目多句詞・女蛇躯肢」、「カラミ=唐(隋)見」で、「ポデイ=補出意・歩出意」であるかな・・・「ホホデミ命」だな・・・私には、「シルク」は都合よく、「知る句」である。「古事記」の言語=文字を探求、追及しましょう、が、私の立場だから、これは「シルク」で繋がった、と言うワケである。マッ、「牽強付会」は「縣経附解」で、私の立場でもあるのだが・・・蛾(ガ・ギ・moth)の種類で、繭イトを吐き出す娥(ガ・moth)だけが月に住む美人として好かれるが、成虫としての娥(ガ)に成る前に湯をカケられて殺されてしまう存在である・・・MOTH + ER・・・我の人物化・・・母とは娥の存在、と言うことだ。なるほど、「女の我」を主張できる存在は「母」である。母権と言うことだ。  モスの同音のmoss は「苔(こけ)」であった。漢字分解では「クサカ・ン・ムリ(日下・草加・草薙・久坂+武+無理)+台」であるのだが・・・虚仮(コケ)と言うわけだ。  そして・・・ mos は months の略だ。  2003年2月21日に「なかい」さんからメールで「カタイの国?」について教えてもらったコトを勉強ついでにココに展開してみたい。スナワチ、私の「カタイの国」が何処の国を指しているのか勉強不足で不明だが・・・」に対する  「なかい」さんからの教唆が、  「カタイの国」って,Cathay,中華人民共和国ではなく,支那のことでしょう.(なかい)  であった。  今回、「コ文書評論家」ではない「古代文明評論家」であるらしい佐治芳彦氏の「謎の契丹古伝(徳間書店)」を読んで、「なかい」さんが教えてくれた「カタイの国=支那」」でアルコトを納得、理解できた。  で、「セル(Ser)」とは「きぬ(silk)」である。「セル(cell)」は英語で細胞(サイボウ)のことだが、漢字の裁縫(サイホウ・sewing・needlework)は布を縫い合わせて衣類を作り上げることだ。やや同音の「セェル(sell)」は「商う、あきなう」である。「sell」の過去形は「sold(ソルド)」で、「solder(ソルダー)」は「ハンダ付け・結合物・かすがい・きづな」で、「soldier(ソルジャー)」は「軍人・兵士・闘士」である。  この「sold」に類字するのは「i(アイ)」を加えた「固い・カタシ」を意味する英語「sol-i-d=solid(ソリッド)」で、哲学用語としての「実体」も意味する。「solidity」は固体のコトである。そして、「Seljuk・Seljukian」とは、セルジュク・トルコの王朝(1037~1157)であった。その東方の国家とは「ハード(hard)」ではない「中国(カタイ)」であった。  「おカタイ」にも英語となればイロイロある。「ライトハウス和英辞典」から抜粋して見ると  石のようにカタイ                  hard←対→soft  堅く引き締まったようにカタクなったモノ    firm←対→loose  外部の支えがなくても中が詰まってカタイモノ solid←対→fluid  容易に曲げられないカタイモノ          stiff  肉や野菜がカタイ                  tough  文体のカタサ・学者ぶったカタイ文体      bookish  ニホンゴで「カタイ(堅い)」と「ガタイ(難い)」ではドウ違う?・・・仮態は、我態か・・・下腿は、駕態か・・・邪台は、駕他意か・・・我、太(おほの・安萬侶)の臥戴・・・  That's enough fo suchs talk.  So much for such serious talk.  とにかく、「カタイ」とは「中国(北方)」のことであった。参拾参代「推古天皇」の父親は「欽明天皇」で、母親は「蘇我・堅塩・媛」であった。「堅塩・媛」とは「カタイ」の国の女性なのだろうか?ならば「蘇我一族」、当然にも「蘇我蝦夷」も「カタイ」の国から渡来したヒトである。  秦(シン)・・・Chin(シン)          Cina(チーナ)・・・・・サンスクリット語・・・支那(漢訳仏典)          China(チャイナ)・・・・英語(イングルッシュ)          Cathay(キャセイ)・・・・英語(イングルッシュ)・・・「契丹(キッタン)」語から          Chine(シーヌ)・・・・・仏語(フランス)          Китй(キタイ)・・・露語(ロシア)          Khitai(キタイ)・・・・・・トルコ語・イラン語・・・・「契丹」語からの派生          Khatai(カタイ)・・・・・蒙古語・・・・・・・・・・・・・「契丹」語からの派生          Κινα(キナ)・・・・希語(ギリシャ)          Thin(チン)・・・・・・・・サンスクリット語・・・脂那(漢訳仏典)  That's a sell.  とは「詐欺に会った・一杯食わされた」で、「sell」は「詐欺・ペテン・くわせモノ」とある。なるほど、「くわせもの(桑施モノ)」であるのは「養蚕業者」である。英語単語には「詐欺」に関する単語が結構多い・・・ダマサレルニンゲンが多いことの警告かも。それともダマスことのイトでダマス、ダマサレルの単語、熟語を網羅しているのかも。西暦2004年、「ウソはドロボウのハジマリ」なんてイイながら堂々と「ウソ」をつく内閣官房長官がニホン国に厚顔無恥にもふんぞり返っていたんだから・・・ア・キレルまでもないのだが。このヒト、「責任」をとって辞職したのかと思ったらゼンゼン違うらしい。あとカマに就いた「ホソダ・なんとか」は自分の雇用した運転手に「国土交通省・公団」関連の「会社」から「3100万円」もの給料金額をカタガワわりさせていた・・・辞職はしないらしい。  「Khitan(キタン)・Khitai(キタイ)」、「Khatai(カタイ)」が中国北方民族、「耶律阿保機(ヤリツ・アホキ)・907~926」の「契丹(遼)国・916~1125」からの派生語であった。「契丹(遼)」の興隆時に「唐」は907年に滅亡するのである。  「耶律阿保機(ヤリツ・アホキ)」はの「アホキ」は「略奪者(Abugoci・アブーチ)」からの由来であると佐治芳彦氏は言っている。「則天武后」・・・、『則天武后(武照)』の高宗の皇后位の獲得には様々な確執があった後、「永徽六年(655)」の「王皇后」と「蕭淑妃」の「鴆毒誣告事件」を契機に正式な「高宗」の「皇后」となった。「王皇后」と「蕭淑妃」は『則天武后(武照)』の怒りをかって「杖刑一百」で刑死したのである。その時、「蕭淑妃」は『則天武后(武照)』に怨みと呪いの言葉で罵った。  『阿武(アブ)』の奴め、私は『猫』となり、おまえが『鼠』なった来世で、おまえの咽喉を噛(咬)み切ってやる  であった。「ネズミ」の天敵は「ネコ」であった。  なるほど、英和辞典を開けば『阿武(アブ)』に類似する音の単語は「罵倒、罵言・罵詈雑言(abuse・アブゥス)」で、「ブンブンと騒がしい(abuzz・アブ)」、そして「深淵、奈落の底(abyss・アビィス)」で、「エチオピアの別名(Aby-sin-ia・アビシニア)」産の「猫(cat・γατα=ガタ=ギリシャ語)」で、「cat and mouse」と言うことだ。  で、佐治芳彦氏の著書にある「華夷(遼・契丹)の國」に関連する興亡、「略奪者(Abugoci・アブーチ)」の「アブウチ」の言語音と意味も連鎖的に理解できる。「アン・ド・ロ・メ・ダ」の母親「カ・シオ・ペ・ア」はアビシニア=エチオピアの王妃で、北斗七星と「W字形」を形成した所に「北極星(子支=ネズミ=鼠)」を挟み、コレを見出す目標の星座であった。  物語は「カシオペア」が「娘(アンドロメダ)の美貌の自慢」をしたため「海神(ポセイドン)」のイカリをかって、彼女の娘が「化け鯨」の生け贄され岩礁に吊るされていた。ペルセウスは「鯨=ゲイ・くじら」に襲われそうになっていた「アン・ド・ロ・メ・ダ」を救おうとして「魔女メドゥーサの首」をクジラに向け石にしてしまった、と言うモノであった。  阿武(アブ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・虻  罵倒、罵言・罵詈雑言(abuse・アブゥス)・・・馬倒・婆権・張理・増権  ブンブンと騒がしい(abuzz・アブ)・・・・・・・・・文分・聞分  深淵、奈落の底(abyss・アビィス)・・・・・・・・阿備夷州  エチオピアの別名・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・重知於比亜  Aby-sin-ia・アビシニア産の・・・・・・・・・・・・・阿備詞似亜  猫(cat・γατα=ガタ)・・・・・・・・・・・・・・描(ガタ=画多・ねこ=音拠)  cat and mouse・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ナぶりモノにする  略奪者(Abugoci・アブウチ)・・・・・・・・・・・・簒奪写  アン・ド・ロ・メ・ダ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安土露(賂)女拿  カ・シオ・ペ・ア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・化・塩・経亜  アビシニアン=エチオピア人・・・・・猫の種類  北斗七星・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北辰信仰の妙見さま                        妙音は弁財天さま  W字形・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ダブリュウ=拿武劉  北極星・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北支=子支=ネズミ=鼠  海神(ポセイドン)・・・・・・・・・・・・・アマ人(補施意土武)  イカリ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・意化理  ペルセウス・・・・・・・・・・・・・・・・・・経留施得州(臼・有珠・碓)  鯨=ゲイ・くじら・・・・・・・・・・・・・・・芸・解意・句字等  魔女メドゥーサの首・・・・・・・・・・・・眼動作・女同差の句備  化け鯨→石・岩=鯨=魚(まな)+京(みやこ)→イシ・いわ(夷倭)                  真名    見夜拠     違和・異  石・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・意思・意志・遺志・遺子・頤使                        医師・縊死・李氏                        遺史                        良・好・慰  アナタはコレラの同音異字の連鎖と漢字分解、その意味から「コジキ」の時代的意味を考えるコトが出来るであろう?  しかも、「蕭淑妃」の「蕭」は、可汗(カカン・カガン)=頭領の「耶律阿保機(ヤリツ・アホキ)」の妻が回鶻(ウイグル)族の「蕭」氏であった。  で、「耶律阿保機(ヤリツ・アホキ)」の「耶」は「邪馬台国」の「邪」と混同されている漢字である。「阿」は隋書人伝が記す「阿毎王朝」の「阿」でもあった。「Khitai(キタイ)」、「Khatai(カタイ)」が西洋人、胡人から、「中国」を意味するならば、倭人にとっては「Khitani(キタン)」、「Khitai(キタイ)」の音は「紀談・記譚(キタン)」、「鬼台・鬼胎(キタイ)」で、「Khatai(カタイ)」は  「カタイ=掛他意・華太意・掛侘委・掛台」、  「カタイ=日帯(日垂・黄道・獣帯・横道)」  「カタイ=日帝・掛綴・歌多意」  「カタシ=堅塩(ケンエン=軒轅(黄帝・姫)=縣縁・鰹円=繭円=繭玉)」」  「かつお(鰹・堅魚)」を屋根に掲げた家を造っていた「志幾の大懸主」が雄略天皇に火を掛けられそうになった記録がある。前段には「目弱王(眞輪王・繭羽・眞余話)」を匿った「訶良(カラ)比賣」の父親「円の大使主=つぶらおほみ=都夫良意富美」の滅びが記録されている。  この記録は「古事記」を読む読者に対するメッセ-ジかも。  かつお=華の都の尾(尾州・尾張)  鰹・堅魚=乾物の魚=巻物の真名(漢字)  堅(かたし)の魚(まな)=カタシ(華他史)のマナ(眞名)  志幾=史記・私記  大懸主=他意を懸けるウシ(得史)  目弱王=メクラ・盲目・眞の余の話  まゆわ=繭の羽(葉)  訶良(カラ)比賣=唐を比較する葉(バ)の意(イ)  都夫良・意富美=都の夫は良い、富と美の意味  つぶら=円=瞳(日登美)=螺等=粒螺=津の武の等  単純にニホン語ならば「キタ・イ」は「来たイ・北の亥・北の夷・木田の委」で、「カタイ(仮他意)」は「華太夷」で「樺太(からふと)」となるのだが・・・支那は十二支の那(ナ)で、脂那は脂肪(あぶら)の那(な)である。「古事記」冒頭のアブラナス国である。現代的に石油の産地は「イラン」、「イラク」、「アラブ」で、中東と言われる地域である。かっての古代世界に於いても「石油、瀝青の国」であった。アラジンのランプに使用されたであろう石油はともし火にも使用されたが、近世、近代は西洋では捕鯨による「鯨油」がともし火の原料であった。  「シルク=(セル=施留・是留・競る)」・・・絹(ケン・きぬ)に「金糸(キンシ)」を織り込んだ物が「にしき=錦」であるな。「きぬ」は「夏は来ぬ」の「来ぬ」も同音である。「夏」は古代中国の事だ。なるほど、歴史的にこれらのコトバを転換、置換するならば、「キヌ(金武・欽・今・筋)」、「コン(混・恨・魂・坤・艮)」とは「金史(キンシ)」を織り込んだモノが「サイホウ(西方・再訪)」の「ニシキ(西紀・弐式・二色・西木・西記・二誌記)」でもあるワケだな。裁縫が上手になる事を乙女が願うのは「七夕の夜空」にである。彦星(ゲンセイ)、織姫(ショクキ・シキキ)の「乞巧奠(キッコウデン)」である。「織烏(ショクウ・カラスを織り込む)」とは太陽の別称と漢和辞典にはある。「日の丸」とは日本の国旗だ。  「謎の契丹古伝」では佐治芳彦氏が、浜名寛祐著作の「日韓正宗溯源」をベースに「古代文明評論家」として「契丹」の歴史を探求しているから詳しくはコレを一読、参考にするとイイ。  絹の西方伝播は「桑蚕西遷説話」が有名である。ダンダーン・ウィリクとは古代のシルクロードの「扞彌(カンミ・ガンビ)国」で、そこでそのハナシの顛末をえがいた「奉納額」が発見された。  絹の生産、製造は中国の専売特許で、于人(ホータンジン)はその製造法を中国の王女の降嫁を願い、その嫁入りの時に「桑蚕(ソウサン)」を秘密裏に運ばせた、と言うものである。そしてホータンは「絹(ケン)」を生産出来るようになった。この降嫁(コウカ・考課・弘化・リュウカ)した王女の持ち込んだ蚕(サン)は本場中国の絹と生産で競り合うことなったのだ。  さて、「古事記」に重なるシルクロードの「モノガタリ」はとり合えず、前述したとこで出揃ったコトになる。  マボロシの湖、「ロプ・ノール」・・・タクラマカン砂漠に流れ込む「タリム川」は出口が無いのにも関わらず水量が一定している。そして湖が忽然と消滅し、場所を移動するのだ。  さまよえる蒲昌海(ロプ・ノール=塩澤)←タリム河←亀茲(玄+玄)・・・久慈降高千穂(古事記)  楼蘭・・・滅亡後、「(善邑)善=ゼンゼン=ミラーン」・・・有翼天使像の発見  敦煌・・・トンコウ=遁甲・・・キのエが逃げ隠れる  玉門関・玉の門関・・・タマの文巻=球磨(肥後熊本・球名)の文巻  張騫・・・紀元前141年、漢の武帝が大月氏に派遣・・・前後十三年間で長安に帰還・・・張騫の鑿空       鑿空(サククウ)・・・切り開いて新しい道路を造る。出鱈目。無根拠。洞穴。       鑿(サク・ザク・ソウ・ゾウ)=穿つ・穴を開ける・切り開く・深く探る                         大工道具のノミ・いれずみ                         米を突く、しらげる・                         心・人情の機微に触れる  張の騫(ケン・欠ける・かけ損なう・あやまち・抜き取る・馬の腹の病)である。「張の騫」とは魏志倭人伝に登場する「張政」の追加説明文の「騫(ケン)」ではないのか?そして、鑿空(サククウ)である。  班超・・・後漢の光武帝、建武八年(西暦32年)に咸陽で誕生        明帝の永平十六年(西暦73年)、匈奴(フン族)との戦いで        「虎穴にいらずんば虎子を得ず」の名言  じゃあ、班超は「班固」の追加説明文で、「虎」は「壬申の乱」の「虎=天武天皇」だな・・・  煬帝(ヨウダイ)・・・姓は「楊」、名は「広」・・・「煬」はアブる・晒す・金属を熔かす意味              隋、長安を都。大興と改名。大業九年(613年)に着工した計画都市。              また、大運河の建設と、大戦艦の水軍も備えた。              長安は碧眼紅毛の「胡人」ファッションの都であった。              西域のプラハ=安国の出身者はその姓を「安」とした。              「安」はソグディアナのブラハ出身者の姓              安禄山はサマルカンド出身者で、ソグド人と突厥の混血であった。              禄山=ロクシャンはソグド語で「光」を意味する。              隋王朝を滅ぼした唐の混乱              玄宗・楊貴妃・揚国忠・安録山・・・「安史の乱」              史思明はタメルランのキッシュ=史国の出身者であった。  「安」は「安部=阿部」の「安」でもある。「史思明」とは「歴史に思いを馳せ、明らかにする」の意味であろう。              西域人=胡人の中国の姓              康=サマルカンド              石=タシュケント=石国・シル川北部のチャーチュ国              曹=カブタン              何=クシャニカ              米=マイグルム              尋(火+尋)=ホラズム  ソグド人・・・イラン系  波斯(ハシ)・・・・ペルシャ・・・逆姓の「斯波」氏は織田信長の宗家             シバ→シ←バシ=斯波←→波斯・・・司馬                    馬史=史記             波斯経教=キリスト教ネストリウス派・・・人性、神性の両分                    カトリック教会から異端とされた・・・三位一体                     ↓                    三位一体=父と子と精霊             中国伝来は唐の太宗、貞観九年(635年)             玄宗、天宝四載(745年)に大秦寺と呼ぶように詔勅             徳宗時代、西暦781年に大秦寺に建てられた石碑             大秦景教流行中国碑・・・1625年西安で発見             「序聴迷詩所経」・・・マリア=末艶、イエス=移鼠             武宗の時代に禁断  織田信長の時代に「古事記」は絡んでくるらしい・・・ちなみに真言密教の高野山には現代、「大秦景教流行中国碑」のコピーの石碑が奇特な米国人婦人の寄進で建てられている。「空海」の幼名は「真魚」であった。なるほど「真言」であるらしい「秘密」の「仏」の「教え」ではある。  マニ教・・・バビロニアのマーニーが宗祖         ゾロアスターを母胎にキリスト教、仏教、ギリシャ哲学グノーシス派の折衷混合         中国伝来は則天武后、延載一年、西暦694年         朱子学にも影響・・・明末の福建泉州の「向喬遠」はマニ教祠の存続を伝えた。                     朱子は「泉州」の田舎役人だった。  江戸時代の「朱子学」は、ここの「泉=いづみ=伊豆見・和泉・泉水・出水」で繋がっているというわけですな。先に前述した江戸時代の「いづみ」の「守」を思い出してくれればイイのだが・・・わかるかな?  奈良の波斯(ペルシャ人)・・・李密翳(リミツエイ)が天平八年、736年に菩提僊那などと来朝                    正倉院・・・青丹よし奈良の都は                            ↓                           セイタン=西丹=西の契丹                            ↑                           西端よし、奈良のミヤコは  アーリア=イラン・・・「高貴」を意味する               イラン高原での確執               メソポタミアのアッシリアと               イランのメディアの対立・・・紀元前600年頃アッシリアの首都ニネヴェ滅亡               スキタイのメディア王国への侵入               スキタイのアケメネス王朝(ダリウス大王)への侵入               ダリウス王の紀元前512年のスキタイ遠征失敗               マケドニアのフィリップ、アレクサンダー大王のスキタイ遠征失敗               サルマティア人のスキタイ征伐成功               農耕、重装歩兵(職業軍人)と遊牧騎馬騎兵(部族兵)の衝突               密集方陣陣形、斜線陣形と騎馬騎兵の衝突  隋王朝の統一・・・589年・・・・鉄勒(チュルク)の一部、突厥遊牧国家の成立               鉄勒、突厥は「阿支那」氏に率いられて強大化               「阿支那」氏は鉄工技術を有していた             582年・・・突厥の沙鉢略可汗が40万人で隋に侵入、敗北  唐滅亡、五代十国・・・宋王朝・・・首都は開封  「開封」すれ、とは「宋王朝」の記録である。マァ、ニホンジンの「記録」はこの「宋王朝=添う負う帖」であるかな・・・事実かどうかは確かめていないが漢和辞典(大修館漢和辞典)には「宋時代」の記録文献が記載されているから自分で調べてみてくれるコトを念ジタイ。  西夏・・・・チベット系、タングート人、拓跋氏族・・・李継遷、李徳明、李元昊                        ↓                        唐王朝の出発点  サーサーン王朝滅亡・・・マホメット死後(632年)、アラブ回教徒のイラン征服637年~651年                 ペルシャ王、「ヤズディギルド(伊嗣俟)」が                 使者「波似半」を貞観十二年(十三年?・638年)に遣わしている                 サーサーン王朝651年滅亡                 「ヤズディギルド」の子供、                 上元一年、675年「ビールーズ=卑路斯」が長安に亡命                                      ↓                                      卑弥呼じゃぁないよな?                                      ヨミは卑路斯=ヒロシだから                 「ビールーズ=卑路斯」に右武衛将軍の称号を高宗は賜う                  ↓                 日・委・留・頭・・・・コレなら重なるナッ                 751年、タラスの戦いで唐がアラブに敗北  クタイバのカーサーン突入が、西暦713年(7・1・3・ネン)、唐の玄宗皇帝、開元一年であった。どうも、シルクロードの歴史は・・・クサイなっ・・・  「紙」はペルシャ語で「カーガス」、アラブ語で「カーガド」と言うらしい。                ↓             ↓               化阿画素         化阿画奴・・・・カモ?  西方の「鬼市」の記録は・・・・杜環の「経行記」に・・・沈黙貿易、とある・・・「日本書紀」には「阿倍比羅夫」と「粛眞」がコレに似たようなコトをやっているんだが・・・  最後に絶世の美女のハナシで、惚れてみたい女性・・・「ゼノビア」、彼女、エジプトの「クレオパトラ七世」の生まれ変わりであると自称していたらしい・・・こんな女性に惚れられたらドォシヨウ、コマッチヤウ・・・けれど。  パルミュラの女王、「ゼノビア」・・・267年以後、夫オデナトス暗殺後、女王位、ローマと敵対、エジプトに攻め込んでローマからの解放を試みる・・・アマゾネス・・・是之備阿  ついでにオマケの人物。  アブー・アリー・アル・フサイン・イブン・シーナー=アビセンナ=阿備撰名?  彼は・・・医学者。日本の江戸時代で言えば「蘭学者」。著書に「カーヌーン・フィッ・ティップ(医学の法典)」があり、この書は近代医学の基礎でもあったらしい。   2004年五月二十日~六月一日


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