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四柱のアレコレ推命


「干支」は「60のサイクル」で、「60ヶ年」、「60ヶ月」、「60ヶ日」、「60ヶ時」を示すモノで、単純な「甲乙・丙丁・戊己・庚辛・壬癸」の十ヶの漢字と「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の十二ヶの漢字の組み合わせで、それらを示すモノです。たとえば歴史上の記録で「乙巳の変」、「壬申の乱」とあるのは、この「六十干支の循環」です。  十二支は動物にもアてられ、「鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鳥・犬・猪」ともなっています。ナカ(鳴・啼・哭・泣)ないのは「兎」と「蛇」です。  ナゼか「虎支」と「龍支」が同じ「東の方位の聖獣青龍の中」に存在し、「うさぎ(兎・兔・乙)」を挟んでいる。ウサギは「東方の旺支(卯=甲乙)」ですから「王さま」ですが、これを両脇で護っているのが「虎支」と「龍支」。「虎」は「虎」でも「白虎」は「西の方位の聖獣」です。しかも、この「西の方位」は「白虎」と重なって「麒麟(キリン)」も護っている「聖獣」です。  「壬申の乱」を考えると示唆深い。「青龍」は「中国(唐・則天武后=周)王朝の象徴」で、その「青龍の方合支=寅卯辰」の中に「虎」と「龍」、「兎」が存在している。「持統天皇」は別名が「鵜(う・ウ)野讃良」と呼ばれた。「翼の付いた虎」とは「天武天皇」であった。  「翼」ならば「占いの宿曜経」の「翼宿」の示唆は「外交官」であり、漢字分解では「羽が異なる」である。「翼」を付けた「虎」の「翼」とは当然、南方の聖獣であるトリ、「朱鷺」を味方にしていた。「鳥」とは「翼宿(アルカス=カップ)」生まれの「鵜野讃良(うの・さらら)=持統天皇」の示唆で、エジプトのナイル川の水かさが最高位の時(5月・午月)を示す上昇星座でもあった。十二支では西の「とり(酉)支」が「旺支」である。コレを護っているのが「白虎」である。「白虎」とは「西(胡=西域=白人)の寅」か、「新羅の寅」を示唆している。しかも「新羅」の別称は「鶏林」であった。  そして、「方位の中心」をドコに置くかである。「古事記」、「日本書紀」の記録者は当然にも「大和=奈良・平安=京都」に存在した。日本古代史に興味のあるヒトはコレラの「漢字」の重なりの意味を考えて見るべきだナッ。  さて、ナゼか十二支には「猫ねこ」がいない。「ネヅミ」と「ねこ」の「十二支のポジション」をメグル色々な説があるが、きっと「唐(周)」の『則天武后(武照)=ネズミ』に嫌われたカラだ。理由は「飼い猫」は「飼い主の恩義」をわすれず、「非業の死」で死んでいった「飼い主の恨みを化け猫」となってハラしてくれる唯一の存在だカラ。「則天武皇后」に理不尽に殺されたのは「淑妃=ネコ」であった。中世ヨーロッパでは「黒猫」は「サバトの魔女」の友達だった。「古代エジプト」では「猫」は「木乃伊ミイラ」にされるほど敬られていた「神さま」でもあった。  「四柱推命(占い)」は、この「六十干支」を生まれた「年・月・日・時」に配して、その関係性で「人生」の「宿命(六親関係・・性格・資質・感性・能力・健康)」と「運命(環境に対する適合性、不適合性)」を推理、推断するモノなのだ。

 基本的には「太陽」と「地球」の「位置関係(季節=24節季、72候・朝昼夕晩=12刻)」に於ける「その時のエネルギー(気=五行=天干・地支蔵干)」が「個人の人生に影響を与えると考える思想」である。  つまり、「四柱推命(占い)」とは「太陽」と「諸惑星・彗星」の天体位置に於けるエネルギー(電磁波)の相互作用、「月」と「地球」の天体位置に於けるエネルギー(重力・張力)の相互作用、そして、「太陽」と「月」が「生物が存在する地球」に及ぼす天体位置の影響、スナワチ、地球上から観察した「生年月日時」の「天文学上の日月星辰の配置=天文暦」を「社会生活のレベルとしての個人の宿命と運命」に重ねて「推理する」と言うことに尽きる。  「年」とは「天体十二区分」の「木星(歳星≠太歳星)12年間の位置」。  「月」とは「天体十二区分」の「月(太陰星)1ヶ月約30日間の位置」。  「日」とは「天体十二区分」の「太陽360+5日間の位置」。  「時」とは「天体十二区分」の「北極星を中心にした北斗七星(αβ星)             が描く円周、360度÷12刻=30度の位置」。  12と30は、「12×30=60」で、「60」が、その「最小公倍数」。天文学的には「木星(幸運の星)の公転周期12年」、「土星(不運の星)の公転周期30年」。「月(感情の星)の1年12ヶ月」と「朔望周期、約30日」。これらはの関係は「60のサイクル」で、同一の場所で一致し、重なります。「60干支」が「暦のサイクルの数」とされたのは「漢の『武帝』の紀元前104年(丁丑年)」の『太初歴』だが、「甲子年」は「紀元前117年(元狩6年)」で、「紀元前104年」の「13年前」。その年の1月1日の0時を、  「甲子年・甲子月・甲子日・甲子時」  として基準にした。「甲子月」が「12月」とするなら「冬至の日=甲子=元日」。  「60干支」とは、これら「年月日時」に重なって、その期間の「エネルギー(気)」の「質」を象徴する。そして、この「年月日時」の各「干支」を「生日干」との関係で、「占い事象である『変通星』」、  01・比肩  02・劫財  03・食神  04・傷官  05・偏財  06・正財  07・偏官  08・正官  09・偏印  10・印綬  に変換し、これらの相互関係から「個人の宿命と運命」をヨミとっていくモノである。・・・推理された結果を信じるか、信じないかは、コレは個人の勝手。その「事実性」は人生の「結果」がそれを明らかにしてくれるハズだが。  「甲乙・丙丁・戊己・庚辛・壬癸」・・・「十干」   ↓  ↓  ↓   ↓  ↓  「±木 ・±火 ・±土 ・±金 ・±水」・・・「五行」  「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」・・・「十二支」   ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓  「鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鳥・犬・猪」・・・「十二獣」  「五行」とは「占い」としての「コトバ」だけではなく、モノのすべてを「十干」である「甲乙・丙丁・戊己・庚辛・壬癸」と、「十二支」である「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の「箇々の一漢字」に、「五行(±木・±火・±土・±金・±水)の一つに関連、連鎖」させ、ありと、あらゆるこの「世界の象徴的な事象と意味」を「多重的」に説明していき、この「五つの基本的な区別性(±木・±火・±土・±金・±水)と「関係性」で、「世界=宇宙」のすべてを説明しょうとするモノなのだ。「一つの漢字」には「『一行に関連』して異なった意味が多重的」に重なっている。そして、「十干(五行の±)」と「十二支」の組み合わせで「六十の干支を象徴」として、「宇宙=世界」は「循環変化」し「完結」していく、と言う「思想=哲学=考え方」なのである。  「世界が広がる」とは「自分の認識範囲が広がる」ことに他ならないよね。つまり、「存在世界≠自分の知識・認識=認識世界」で、最終的には「世界(宇宙)の中に存在している自分自身の存在を知る、知りたい、知っていくコト」だよね。自分の存在が「チリ(知理・知里・地理・塵【聖書】)」であるコトを。あるいは、  「死生有命、富貴在天(顔淵・論語)」、 「死中求活(岑苓伝・後漢書)」の漢字変換、   ↓            ↓           ↓       ↓  「氏姓有名、封記天在(願猿・賂務語)」、「史中究化柘(倣例伝・互換書)」  カモねっ。  「天文、地理学の干支概念」を基盤にして成り立っている『四柱推命』は本来、『淵海子平エンカイシヘイ』と呼ばれている「ウラ・ナイの学問体系」である。この占い書を「日本語訳」した人物が幕末の「儒学者」であった東北仙台出身の『桜田虎門(名は景質・字は仲文・号は虎門、鉄斎・1774=安永三年~1839=天保十年十月三日死没)』と言う人物であった。「歴史」が好きなヒトは、  『淵・海・子・平エン・カイ・シ・ヘイ』や、  『桜・田・虎・門、景・質、仲・文、虎・門、鉄・斎』  と言う各「漢字」そのモノの意味を漢和辞典で調べてみて下さい。そして、この各「漢字」の『同音異字』をとってミテ下さい。たとえば「エンカイシヘイ」は「宴会・沿海・遠海・塩海・燕貝・縁甲斐」とか、「紙幣・死併・史併・詞併・支併・詩併・氏併・視併」とか。とにかく、「シを併せる」は「古事記」、「日本書紀」、「日本史」の「ナゾ」を解くカギかも。  次に「干支」の組み合わせを示そう。「十干」と「十二支」を「十干」にそろえていけば次のような組み合わせで「60の干支」が示されます。当然「二支」がはみ出す。コレが「四柱推命の占いの一部分」である「空亡=天中殺」と言うわけである。 1~10                                      空亡 十・・干 01甲 02乙 03丙 04丁 05戊 06己 07庚 08辛 09壬 10癸  十二支 01子 02丑 03寅 04卯 05辰 06巳 07午 08未 09申 10酉 11戌12亥 11~20 十・・干 01甲 02乙 03丙 04丁 05戊 06己 07庚 08辛 09壬 10癸  十二支 11戌 12亥 01子 02丑 03寅 04卯 05辰 06巳 07午 08未 09申10酉 21~30 十・・干 01甲 02乙 03丙 04丁 05戊 06己 07庚 08辛 09壬 10癸  十二支 09申 10酉 11戌 12亥 01子 02丑 03寅 04卯 05辰 06巳 07午08未 31~40 十・・干 01甲 02乙 03丙 04丁 05戊 06己 07庚 08辛 09壬 10癸  十二支 07午 08未 09申 10酉 11戌 12亥 01子 02丑 03寅 04卯 05辰06巳 41~50 十・・干 01甲 02乙 03丙 04丁 05戊 06己 07庚 08辛 09壬 10癸  十二支 05辰 06巳 07午 08未 09申 10酉 11戌 12亥 01子 02丑 03寅04卯 51~60 十・・干 01甲 02乙 03丙 04丁 05戊 06己 07庚 08辛 09壬 10癸  十二支 03寅 04卯 05辰 06巳 07午 08未 09申 10酉 11戌 12亥 01子02丑 西暦一年 一月 一日  0時一分は「干支歴」では    ↓  ↓  ↓  ↓   庚申 戊子 己卯 甲子  となりますが、  一年間の始まりはその年の「二月節分」からとなりますから 西暦一年 二月 五日  0時一分は「干支歴」では    ↓  ↓  ↓  ↓   辛酉 戊寅 甲寅 甲子  となり、この「年月日時に生まれた人の『干支』パターン」ともなる。  (参考までに、中国の「古代」には「正月元日=一月一日=一年間の始まり」を「冬至(12月25日頃)」としていた時代もありました。そして、「唐(周)」の『則天武后』の時代「10年間」を「子月=現在の12月冬至」を「正月元日」としていました。)「冬至」は「西暦のクリスマス・イエス、クリスト降誕祭」と重なっています。日本では『日本書紀』での正月は『寅月=現在の二月節分』です。太陽暦を採用したのは明治5年旧暦12月3日で、この日が明治6年太陽暦1月1日となったのです。)  この「西暦元年の干支」は「辛酉シンユウ革命」と言われているモノで、「時干支」は「甲子カッシ革令」と言われているモノである。それに、「月干支」の「戊寅ボイン・つちのえ、とら」、「日干支」の「甲寅コウイン・きのえ、とら」。これらの「同音異字漢字」からアナタは「歴史上の何」を推理するだろうか?・・・  「ぼ=母・模・姥・保・浦・歩」と、  「こう=庚・候・公・講・孔・交・請う・国府・府中・航・行・考・孝・好・乞う」等の  「とら=虎」、  ・・・あるいは、「イン=印・音・隠」等から。  この「生年月日時の『干支』」を「60干支暦」から割り出せば、あとはこの「干支の関係」を「個人の占い」としてヨミとっていきます。  2001年を60で割れば、「33」と「あまり『21』」。  「辛酉年=西暦1年」ですから「辛酉=1」から「60干支」を循環させていきますと、アマリの数字『21番目』には「辛巳」があります。2001年は「2月節分から『辛巳年』」となります。  ですからその年の「2月節分以降に生まれた人」ならば、その生年である「西暦年数」を「60」で割って「アマリの数」が「60干支」の「辛酉=1」から「何番目」にあるかわかれば、それがアナタの「干支年」となる。  月は一年間「十二ヶ月」です。ですから月の「干支」は「60ヶ月=5年」で一巡し、「5+1年後の1月=60+1=61ヶ月目(干支)」は最初の「干支=1=戊子」。  2001年間に12ヶ月は2001×12=24012ヶ月。  この24012÷60=400で、アマリ「12ヶ月=1年」。  西暦1年1月1日の「月の干支は『戊子=1』」でした。6年後の1月1日も「戊子月=1」。2001年の1月1日も「戊子月=1 」となる。  「2001年÷5年=400あまり「1=戊子」でも「戊子月」である。  その「2月」は「節分」から、他の「各月」は「節入り日」から「新たな干支」が始まりますから、その「1月の5、6日前後」から「子月=12月」ではなく「丑月=1月」になる。  生まれた月の「干支」は「生まれた年の『干支』」でも決まります。ちなみに「2001年1月1日」は「2月節分前」の前年の「庚辰年」で、「1月節入り前」で、「子月=十二月」です。  下図に示した「年の庚」と「12月=十二月=壱拾弐月=子」の交差点に「戊子」があります。 十干年     01甲   02乙  03丙  04丁  05戊 十干年     06己   07庚  08辛  09壬  10癸          ↓    ↓   ↓   ↓   ↓  二月・・寅 月 02丙寅  戊寅  庚寅  壬寅  甲寅・・・占いの年始の月 三月・・卯 月 03丁卯  己卯  辛卯  癸卯  乙卯 四月・・辰 月 04戊辰  庚辰  壬辰  甲辰  丙辰 五月・・巳 月 05己巳  辛巳  癸巳  乙巳  丁巳 六月・・午 月 06庚午  壬午  甲午  丙午  戊午 七月・・未 月 07辛未  癸未  乙未  丁未  己未 八月・・申 月 08壬申  甲申  丙申  戊申  庚申 九月・・酉 月 09癸酉  乙酉  丁酉  己酉  辛酉 十月・・戌 月 10甲戌   丙戌  戊戌  庚戌  壬戌 十一月・亥 月 1 1乙亥   丁亥  己亥  辛亥  癸亥 十二月・子 月 12丙子  戊子  庚子  壬子  甲子 一月・・丑 月 01丁丑   己丑  辛丑  癸丑  乙丑・・・占いの年末の月                             ・・西暦の翌年一月  日にちは「60日」で一巡しますから「(365×2001+閏日数)÷60」で計算しなければなりません。「グレゴリオ13世」の時代(1582年)から西暦の暦は「2月閏日」は「4で割れる年に1閏日」、「400で割れる年に1閏日」とし、「400で割れても、100で割れる年(1700、1800、1900)は平年」としています。  一体全体あなたは「西暦元年正月一日(己卯)」から「何日目(何の干支)」に生まれたの?  (365日×2000年間)=730000日  (2000÷4)=500=閏年の日数  (2000÷400)=5=閏年の日数           500+5=閏年の合計日数  (2000÷100)=20=閏年としない日数  (505-20)=485・・・2000年間の閏日数  (730000+485)=730485・・・2000年間の総日数  (730485÷60)=12174・・・45  「己卯=1番目」として、それから数えて  「45番目」の「干支」は「癸亥」  「2000年12月31日」は「癸亥」、その次の日の  「2001年01月01日」は「甲子」  西暦元年の1月の「1日」の干支、「己卯=1」から今日までの「総日数計算」するのはとっても面倒くさい。  ちなみに、上の計算で、紀元1年1月1日から「あなたの生まれた前年の12月31日」までの「日数」がわかれば、それを「60で割」れば、その「干支」が「己卯」から「何番目」かもわかる。あとは、その「次の日の干支=XY」が「あなたの生まれた年の1月1日」の「1日の干支=XY」です。そこから「あなたの生まれた日数」まで「XY=1~60干支のサイクル」を繰り返して数えていけばいい。  ここで、「古事記・序文」、「干支アレコレ」から「リンク」して飛んできた人に、「西暦サイクル」と「干支歴」の関係における問題提起です。当時「西暦0年」と言う概念が有りませんでした。「紀元前=BC」、「紀元後=AD」の考えを「BC←1年12月25日→AD」として、「イエス・キリスト」が降誕した日にちを、  「紀元前1年          12月          25日」とすると、      ↓             ↓            ↓  「庚申コウシン・かのえ、さる年」、「戊子ボシ・つちのえ、ね月」、「壬申ジンシン・みずのえ、さる日」  「紀元1年           12月          25日」とすると、      ↓             ↓            ↓  「辛酉シンユウ・かのと、とり年」、「庚子コウシ・かのえ、ね月」、「丁丑テイチョウ・ひのと、うし日」  となり、この各「干支」の「漢字」の「同音異字」や「意味」、それに「古事記」、「日本書紀」にドノヨウに関連しているのかを考えてみて欲しい。「辛酉シンユウ・かのと、とり 」とは「中国」では「革命の年」である。この思想、元々中国のモノであったのか「ドウなのか」・・・同、七日?  「60干支」の「甲子=1番目」から数えた  「57番目」の干支「庚申」は「庚申講」の「三尸の虫」と「帝釈天」、あるいは「猿田彦」に関係し、  「25番目」の「戊子(ボシ)」は「音」の同音異字である「ボシ=母子・星・墓誌・拇指・母指・干し・模史」に関係し、  「9番目」の「壬申」は「壬申の乱」そのものに「掛けられている」のがワカルであろう。  「申」は「壬申之乱みずのえ=はらみ、もうす、これ・シ、みだれる」で、「ジンシン人臣・人身・人心・壬辰・尋真・人神の覧」の「申す」である。「申」は「十二支の9番目」で、中国「上海」の俗称である。そして、日本からみて「南西の方角」に存在する。  「猿蟹合戦」の「猿」は「蟹」を騙して「おにぎり」を「カキの種」と交換し、さらにカニが育てた「柿の実」を奪い取った狡であった。蟹の仇を討ったのが「蜂(はち・ホウ・フ)」と「臼(うす・キュウ・キウ・グ)」と「栗(くり・リツ・リチ・ととのえる・おおい)」である。コレラの各漢字を「漢和辞典」で前後の漢字も含めて調べて欲しい。「猿」のあだ名で、有名なのは「豊臣秀吉(木下トウキチ郎・日吉丸)」で、彼は「ハリネズミ」のあだ名でも呼ばれた。「柿」の名前を有するのは「柿本ヒト麻呂」。「柿」の漢字に類似するのが「コケラ落とし」の「柿≠木+朮コケラ=(虚仮・転・扱・苔・痩・鱗)+等」で、「後家等」かも。  しかもこの「庚申」、「戊子」、「壬申」の「干支番号の数字」は、  「57(五拾七)」=「5+7=12(壱拾弐)」・・語重漆・位置重尼(似)  「25(弐拾五)」=「2+5=7(七)」・・・・・・・二重語・七=漆=牝  「9」=「九・仇」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・句・口・玖  と置換できる。  この「申」と「子」は「半合水局(壬)」を形成し、「占い上の星」では、  年 偏印 偏印 長生→→ 偏印 比肩 帝王  月 偏官 劫財 帝王→→ 偏官 比肩 帝王  日 比肩 偏印 長生→→ 比肩 比肩 帝王  となる。  「半合水局(壬=比肩・帝王ヒケン・テイオウ)」、  このパターンは、  「劫財・帝王=羊刃格ゴウザイ・テイオウ=ヨウジンカク」となります。  「劫財・羊刃格」、「比肩・建禄格」、いずれのヒトも「人生波乱」、「良くも、悪くも大勢の人々に影響を与えやすい」のですが、まさに世界は、未だに「イエスの人生」に影響されている。この漢字の同音異字の示唆を考えてみるとドウナルか?は、アナタに任せた。  とにかく、「キリス教」が「ローマの国教」となったのは「コンスタンチン大帝」の「西暦313年」からである。この大帝以後に「イエスの生涯が不明」であったモノ、「生誕・布教・伝道・奇跡・死亡・復活」等を「理論的に再構築」させたのである。  以上を踏まえて、「イエスの誕生日」が「西暦紀元前1年12月25日(冬至頃)」ならば、通説の「イエス死亡」は「30歳」で、「13日の金曜日」、「ゴルゴダの丘」で「十字架」に「磔刑」にされ、「死して葬られた」。そして、その「3日後」に「よみがえり=復活・再生・蘇生・甦生」したとされている。これは現在、「春分後の最初の満月直後の日曜日を復活祭=イースター」としているモノだ。「金→土→日」ならば、「13日→14日→15日」で、「イエス復活」は「現在の太陽暦の春分3月21日頃の3日後」。「西暦30年=庚寅年」の「3月=己卯月」、「日曜日」と言うことになる。だが、当時の「ユダヤ歴」は「陰暦=月の朔望サイクル」で、「曜日=7日サイクル」。「金曜日」は現在の「太陽暦」に換算すれば、「13日」→「15日=金曜日=甲子日」、あるいはその「7日後」の「22日=金曜日=辛未日」。問題の「当時の陰暦13日=金曜日」は、彼が「十三夜じふさんや月の金曜日に死んだ」ことが人々に「記憶」されていた?。「十五夜月」の形は真円で、「月の原形の復活の完成」です。イエスの復活がその「3日後」だとすれば、満月であった。  陰暦「13(金曜日)→14(土曜日)→15(日曜日)の月」  陽暦「15(金曜日)→16(土曜日)→17(日曜日)の月」  あるいは、  陰暦「20(金曜日)→21(土曜日)→22(日曜日)の月」  陽暦「22(金曜日)→23(土曜日)→25(日曜日)の月」  「十三夜」は「陰暦九月十三日の月・栗名月・豆名月・後の月」、「十四夜」は「待宵月」、「十五夜」は「名月」、「十六夜」は、「いざよひの月」と呼ばれている「月」です。「いざよひ」は「ぐずる・ためらう」で、記録されたモノには「十六夜日記(建治三年~弘安三年)」とか、「十六夜清心」がある。「十七夜」は「立待月(陰暦八月十七日の月)」と呼ばれ、「十七夜代待ち」とは「乞食の別称」である。ここでは、副詞の「たちまち」の意味、でも考えて欲しい。そして、二十日=はつか(念)、22日=2+2=4(肆)、23日=2+3=5(伍)、25日=2+5=7(漆)の数字、( )の漢数字の意味、音訓でも考えてもらいたい。太陽の再生回帰日起点=冬至ではなく、もし、磔刑が「陰暦3月13日=十三夜月(金曜日?)」なら復活の「十五日=十五夜月(日曜日)」は「満月=復活」で、筋が通る。  だが、東洋の陰暦起点日の「朔日(1日)」は「新月」で暗闇。太陽暦=西暦29(己丑)年ならば、3(丁卯)月9(癸丑)、16(庚申)、あるいは23(丁卯)、30(甲戌)日が金曜日である。11(乙卯)、18(壬戌)、25(己巳)、翌月4(戊辰)月の1(丙子)日が日曜日。ここで、仮に「イエスの誕生年月日」を「西暦0年」として考えると、「事件(西暦30年)」のあったとされる「年月日」の「干支の関係」を示せば次の通り。  「西暦0年12月25日(月曜日)」→庚申・戊子・壬申・・・・・壬申                    ↓   ↓  ↓      ↓↓                   刑冲  刑  三合    克刑冲                    ↑   ↑  ↑      ↑↑  「西暦30年3月15日(金曜日)」→庚寅・己卯・甲子→17日=丙寅  「西暦0年12月25日(月曜日)」→庚申・戊子・壬申・・・・・壬申                    ↓   ↓  ↑      ↓↓                   刑冲  刑   ↑      ↓↓                      ↑   ↑  ↑      ↓↓   「西暦30年3月22日(金曜日)」→庚寅・己卯・辛未→24日=癸酉  「丙寅ヘイイン=兵員・閉院・併音」は「ひのえトラ(虎コ=故・胡)」であり、  「癸酉キユウ=杞憂・記遊・紀有」は「みずのとトリ(鶏・鳥・禽・取・採・盗・獲・録・写)ケイ・チョウ・キン・シュ・サイ・トウ・カク・ロク・シャ」等です。興味があるなら、この各漢字の同音異字がドウなるか、ワープロで一括変換して試してみる?  最近ではキリストの処刑は「西暦三十三(癸巳)年」が有力らしいが、この年を基準にすれば、「三(乙卯)月」で、「二十五(庚寅・金曜)日」、復活は「二十七(壬辰・日曜)日」。もし、「十二(甲子)月二十三(癸亥)日」の「金曜日」ならば、その復活は「二十五(乙丑)日」の「日曜日」である。  「西暦0年12月25日(月曜日)」→庚申・戊子・壬申・・・・・壬申                     ↓   ↓  ↓     ↓↓                      合  刑  刑冲   比・半合                     ↑   ↑  ↑     ↑↑   「西暦33年3月25日(金曜日)」→癸巳・乙卯・庚寅→27日=壬辰  この「十二支」の漢字と、その「関係性」を考えてみれば「古事記」、「日本書紀」に登場する人物と重なり、さらにその「確執」を示唆しているように思える。  「申(猿)の子、子の申(猿)」、  「巳(蛇=邪)の卯(鵜)、卯(鵜)の寅(虎)」、  「合」、  「刑(刑罰・死刑)」、  「刑(死刑)冲(沖流し・流刑)」  当然、「申」は「唐(上海)」、「猿田彦(帝釈天)」、「猿女」、「卯」は「鵜野讃良(持統天皇)」、「寅」は「虎(天武天皇)」、「子」は「鼠(則天武皇后)」、「辰」は「龍(劉仁軌)」・・・?  「古事記(712年)」、「日本書紀(720年)」の「現本の源本の原本の元本」があったとすれば、コレラは、「桓武天皇」の時代に「改作・改竄」されたモノらしいのだ。  怪しい・・・「空海」+「景教(キリスト教)」、「蘭学者」+「隠れ切支丹(耶蘇教・邪蘇教)」の産物かも。   「紀元1年             12月         25日」とすると、       ↓              ↓           ↓ 「辛酉シンユウ・かのと、とり年」「庚子コウシ・かのえ、ね月」「丁丑テイチョウ

                               ひのと、うし日」                     辛酉・庚子・丁丑     丁   丑                      ↓   ↓  ↓     ↓  ↓                      三合  刑    正官(干合)・破                      ↑   ↑  ↑     ↑  ↑    「西暦33年3月25日(金曜日)」→癸巳・乙卯・庚寅→27日=壬   辰  誕生日の「丁丑」と復活日の「壬辰」の関係は「丁x壬=正官(セイカン)干合(カンゴウ)」と言う占い上の法則で、この「セイカン・カンゴウ」の漢字転換は、  セイカン=生還・精悍・静観・星間・青函・正看・清鑑・政管  の  カンゴウ=勘合・官合・漢合・韓合・巻合・観合・鑑合・貫合         菅合・菅合・桓号・奸合・姦合・歓合・棺劫  等である。キリストの事件を考えれば「生還」、「棺劫」で、蘇(よみがえ)り、棺(ひつぎ)から劫(うば)う、である。そして「丑(うし=主・チュウ)」は「辰(たつ=龍・シン)」を破るである。

 「太陽暦」で考えれば、「太陽の復活」は「冬至」で、「天照大御神」の「岩戸隠」と「蘇生・甦生」のおおかたの研究者の説は「日食」。これは、「太陽(男神)が月(女神)に食われる」と言うことの象徴(?)。そして「♂(陽)×♀(陰)」の重なりで、主体は「♀(陰・イン・めす・おんな)」である。その逆の「月食」の主体は「♂(陽・ヨウ・おす・おとこ)」である。「日食=朔月・月食=望月」は「月」と「太陽」の「衝・合」と呼ばれる位置関係の重なりだが、「占い」では「冲・合」とも呼ばれているモノである。


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