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「ウシの群来(群在)するところ・魚(鮭)の群来(群在)するところ」



 ・・・ジシン・ヂシン、ドウオンのカンジ、結構あるなぁ~・・・「9日午前1時32分ごろ、島根県西部を震源とする地震があり、震度5強」・・・「平成30年4月9日13時53分・気象庁発表 ・震源地、島根県西部(北緯35.2度、東経132.6度)・震源の深さは約10km、震度5強・地震の規模(マグニチュード)は3.2と推定」・・・  戊戌(辛・丁・戊)  丙辰(乙・癸・戊)  辛未(丁・乙・己)   ↓↑  戊子(壬・ ・癸)0時  己丑(癸・辛・己)1~3  甲午(丙・ ・丁)11~13  乙未(丁・乙・己)13~15 ーーーーー  ・・・ハルだけれど・・・   ↓↑  群来(くき)・・・九鬼・久喜・茎・久木・句記・「岫=山+由」                   九期・旧記⇔国記?        岫=くき・いわあな・みね・シュウ・コウ・ユウ          山の洞穴・山の峰・土窟・岩穴・巌穴          「骨(かばね)、巌(いはほ)の岫に積みたり」           (欽明紀)          「玉釧(たまくしろ)まき寝し妹(いも)を           月も経ず置きてや越えむこの山の岫」           (万葉集・三一四八)           岫雲==山の窪みから出る雲  群来=「魚が産卵」のために沿岸に大群で来ること     グンキ⇔軍記・軍旗・軍器   ↓↑  鰊(魚+柬)・・・柬=えらぶ・カン・ケン  鯡(魚+非)・・・非=あらず・ヒ  鰊=鯡=ニシン=二審・二進・二神・邇神・にしん  春告魚=シュンコクギョ=隼国禦・・・隼国御示?  が産卵のため海岸に大群で押し寄せ  産卵・放精によって海の色が  乳白色になる・・・乳=孚(爫孑)+乚(乙)            はぐくむ・かえす・卵をかえす・孵(フ)            養い育てる・孚育・まこと・まごころ            信じる・あう・授ける・覆う・育む            孵と通じて卵を孵す            俘と通じて虜囚、囚える            稃と通じて穀物の外皮            莩と通じて新芽            浮と通じて浮かぶ           白=丿+日(曰)・いわく・しろ・新羅           色=⺈(魚の頭)+巴(横倒しの日+乚)             横倒しの日=日置=鹿児島県日置市             日置市(ひおきし)=鹿児島県の             中央部(薩摩半島) に位置             薩摩焼の歴史的地域             旧東-市来町美山地区の窯元、陶器の街             日置(ひおき・ひき・へき・ニッチ・ジッチ)  ↓↑  群来(くき)  ウシ=うし=牛・丑=アイヌ語、ペコ(peko)  アイヌ語で  「ウシ」は「ある・有る・在る・或る」  アイヌ語で「にしん」を「ヌーシィ」  アイヌ語で「にしん」を「ヘロキ」、「エロキ」             「ヘルキ」、「ヘロギ」  数の子=ニシンの別名(アイヌ語語源)で      鰊(かど・レン)・・・鹿渡・過度・加斗or鍊・聯・連      その玉子(卵)なので「かどの子」が訛った      春告魚(はるつげうお)      ヘリング Herring・Häring      鯡(にしん・はららご・ヒ)・・・似審・似震・邇神or非  「ウシ=・・・の群来(群在)するところ」      魚(鮭)の群来(群在)するところ」   ↓↑ ーーーーー  群議 群居 群系 群游 群聚 群鴉 鶏群 晶群 群峰 群僚 群棲 群狼   ↓↑  群疑満腹(グンギマンプク)  群蟻附羶(グンギフセン)  群軽折軸(グンケイセツジク)  群雄割拠(グンユウカッキョ)  群竜無首(グンリョウムシュ)  鶏群一鶴(ケイグンイッカク)  鶏群孤鶴(ケイグンコカク)  邑犬群吠(ユウケングンバイ)  離群索居(リグンサッキョ)   ↓↑  一群 逸群 岩群 魚群 魚群 群泳 群起 群議 群居 群系 群行 群婚 群山 群衆 群集 群書 群小 群臣 群雀 群星 群棲 群生 群生 群青 群籍 群叢 群像 群体 群団 群鶴 群党 群島 群盗 群発 群飛 群舞 群峰 群雄 群羊 群来 群落 群吏 鶏群 語群 混群 出群 晶群 星群 大群 超群 馬群 抜群 離群 一群 群雨 群雲 群肝 群集 群竹 群遊 竹群 群聚 群游 群烏 群群 群鴉 群山 群雀 群鳥 群馬 ーー↓↑ーー  ザスーラ(Zathura)       Zat・・・オランダ語=Zat            日本語=土=Tsuchi       ZAT(Zariba of All Territory              全地域防衛機構)         zariba=アフリカで             村や宿営地の防衛柵             Protective wall             バリケード             barricade、阻塞             バーリア             barrier、柵・障壁      バリア=障壁・関門・関所・防壁・柵      境界・検問所・障害・(柵)障害物      仕切り・国境の砦      進行・接近を阻むもの   ↓↑  ↓↑      バーリヤ(Balija)=賎民・コジキ      セルビア・クロアチア・ボスニア語      の侮蔑語で      ボシュニャク人への蔑称   ↓↑    ↓↑         hura      ・・・フラ(ハワイ語: hula)は      ハワイの伝統的な歌舞音曲      フラにはダンス、演奏、詠唱、歌唱      の全てが含まれる      カヒコ(古典的なスタイル=古典フラ)      アウアナ(現代的なフラ)      フラは総合芸術で      同時に宗教的な行為      フラ⇔振ら・降り・震る・富良・普羅         フら・フり・フる・フれ・フろ      を学ぶための教室を      ハラウ・・・祓う      フラの師範を      クム・・・・組む・汲む・酌む      クムフラ   ↓↑  ↓↑  ・・・thura⇔トゥラ⇔トーラ(Torah)  モーセ五書(モーセごしょ)  トーラ(Torah・ヘブライ語: תורה )  ↓↑  Thura=トゥーラ  Thura  トゥーラ・トゥラ  Carpodacus thura   《鳥》マミジロマシコ・・・眉白猿子?  オランダ語で  「チュラ=thuraのお花(お花屋さん)」  「Thru」は「through」を省略した形  ↓↑ ↓↑ ーーーーーー  文武四年六月庚辰条  寛国使瓢劫事件  薩摩半島北部に居住の  薩末比売    久売    披豆  薩摩半島南端居住の  衣評督 ・助督の  衣君  大隅半島西岸部居住の  肝衝難波  肥人が連合し  南島へ派遣された  寛国使を剰劫  南島=大隅諸島~沖縄諸島 (南西諸島)の総称   ↓↑   ゴホウラ貝輪   護法螺・水晶貝種・巻貝   釧(くしろ)の材料   北海道釧路?   ↓↑  くしろ(釧・釼・镯子)      金+蜀(いもむし・ショク・ゾク)      鐲・钃・躅・鐶      蜀=      ↓↑      蜀は群れから離れて暮らす      オスの野獣の意      古くから四川省を指す地名・・・      ↓↑      钃=金+犀(サイ・かたい・するどい)       さい「屬」の「蜀」の部位を「牛」      屬=尸+=+l+=+罒+勹+中+ム        異体字、属(簡体字・新字体)        ショク・ゾク        さかん・つく・やから        ↓↑        屬=仲間・同類     「浮屠の屬にたぐへて     (野ざらし紀行・松尾芭蕉の紀行文)」      屬=仲間・同類      明治の官制で      各官庁の下級の補助文官・判任官           ↓↑      律令制で      坊・職・寮の主典(さかん)      生物の分類上の一段階      科の下、種の上     ↓↑   釧=古代の腕輪     貝・石・青銅・鉄などで作り     青銅製のものには鈴をつけたものもある     ひじまき・たまき   釧=歴史民俗用語で     古代     飾りとして手首や臂(ひじ)にはめた輪     石・貝・金属などで作る     たまき・ひじまき・ひじたま     くしろ     中国語訳     鐲(镯)子・手鐲(镯)     日本語     釧(クシロ)     古代の装身具の一つ     手首や肱(肘・ひじ)につける輪状のもの   ↓↑  「北海道の地名の   釧路は、   この古代の「釧」とは全く無関係・・・?   古くは         有関係である   「クスリ」と言い   「久寿里・久摺・久須里」   とも書いた・・・   以下は「釧路」の地名の由来説   (1)   松浦武四郎著『蝦夷地の道国郡名字上書』   「クシル(越路)と命名仕度候 <中略>   舎利領、又根諸領の土人往来の処なれば、   クシルと申候事に御座候。   又一説、   クスリにて温泉の薬水の義とも申候」   ↓↑  くしろ=釧      ひじまき・たまき      くしろつく=釧着く      枕詞      釧を着ける手から      地名     「手節(たふし)」にかかる     「―手節の崎に今日もかも」      (万・四一)      万葉・九・一七六六     「吾妹子は      久志呂(クシロ)に      あらなむ      左手の      吾が奥の手に      纏きていなましを〈振田向〉」   ↓↑  語源説  (1)朝鮮語 kusil(珠)と同源    (万葉集=日本古典文学大系)  (2)クシシロ(櫛代)の義か  〔和訓栞〕  (3)クサル(鏁=金偏に巣の旧字)の    名詞形クサリの転    珠や鈴に鎖つけたのがもとか〔大言海〕  (4)クシ(奇)に接尾語ロを付した語             〔日本古語大辞典〕  (5)コヱシラセ(声令知)の義で    鈴の音をいう語〔名言通〕  ↓↑  『広辞苑』  くしろ(釧)  装身具の腕輪  多く古墳時代の遺物  石製品が多いが、銅・貝製品もあり  小玉・小鈴をつけたものもある  ひじまき・たまき  ↓↑  『大辞林』  くしろ(釧)  古代、飾りとして手首や臂(ひじ)にはめた輪  石・貝・金属などで作る  たまき・ひじまき・ひじたま  ーー↓↑ーー   太平洋の熱帯・亜熱帯海域  日本では  奄美大島以南の  水深10m程度の珊瑚礁に生息  殻高約18cm、殻質は重厚  殻口は非常に大きく  上方が螺塔より高い  外唇縁は肥厚し  上縁は丸く張り出し  下縁には深い切れ込み  ↓↑  弥生時代初期から九州北部などで  ゴホウラの殻を縦切りにして  製作した貝輪  当時の権力者(主に男性)の  ステータスシンボル  ↓↑  貝の供給地  前期は  奄美大島の  笠利半島  や  沖縄本島東中国海側・・・  中期は  徳之島の東南沿岸部など・・・  縄文時代後期中葉の  市来式土器は  奄美大島・徳之島・沖縄県にまで  万之瀬川河口で  奄美系土器が発見  縄文時代後期に交通が開始  ↓↑  天武八(679)年  の遣使の二年後  使人によって  多禰嶋の地図がもたらされ  三年後  大隅・阿多隼人の朝貢  天武十三(684)年二月  信濃の遣使  地形が調査  同年閏四月に  信濃国の地図がもたらされ  四年後  持統六(688)年  蝦夷の朝貢  信濃国は  蝦夷の国である越国と境を接していた  ↓↑  文武期  「遣務   広弐   文忌寸博士等   八人干   南嶋寛国   因給戎器」  と、武器(戎器)を携えている  遣使が行われた翌年に  南島からの朝貢  だが  文忌寸らは  薩摩半島  大隅半島居住の  隼人によって攻撃された  隼人による  寛国使  剰劫  696年五月  契丹の  李尽忠  孫万栄  がおこした乱により  河北道から  遼東半島にまたがって混乱・・・  698年の時点でも継続  遼東半島・山東半島を経由する  北路を避けて  南島路の開発・・・   「寛国」=国設置のための調査  隼人が有していた  南島との交通公益利害  ↓↑  「薩末   比売・久売・波豆、   衣評督   衣君願   助督   衣君   皇自美、   又肝衝難波、   従肥人等   持兵剰   劫覚国使刑部真木等。   於是勅二筑志総領へ 准犯決罰」  「寛国便謝劫事件」に関わっている  ↓↑  隼人=薩末・衣君     肝衝氏・肥人  ↓↑  持統元 (687)年五月乙酉粂  賞賜  隼人、大隅、阿多の魁帥等  三百升七人。各有差。  持統六(692)年閏五月己酉粂  ↓↑  詔筑紫大事河内王等日、  宜道三沙門於大隅与阿多、  可伝教  『延書式』隼人司大衣条  ↓↑  凡大衣者、揮譜第内、  置左右各人(大隅為左、阿多為右)  ↓↑  天武八(679)年  倭馬飼部道連を大使とした  多禰鴫-の遣使  ↓↑  朱鳥元(686)年九月  大隅 ・阿多隼人とともに  倭・河内馬飼部道が  天武の残宮で許  天武期  ヤマト国家  と  阿多隼人との接触期で、移住期  ↓↑  百済王  豊章の弟、  禎嘉王(ジョウカ王)  崔姫(サイヒ)  を手厚く遇したのは  日向隼人の長(おさ)  直坂麻呂(なおさかのまろ)       ・・・直=あたえ・じか・チョク・ジキ(ヂキ)            古代の姓 (かばね) の一つ            大化改新以前の国造に与えられた            「費」、「費直」とも書く  ↓↑  宮崎県  宮崎郡  田野町  田野天建(あまだて)神社  神社所蔵の  巻子(かんす)本  「田野大宮大明神縁起」  冒頭に、  「百済王   禎嘉   流れさせ給ひ   豊   秋津州   日向の国   油津に御舟をよせ給ひ   我がいまそがりける処は   何(いづ)くぞと   詠(なが)めさせけるに   北にあたりて遥かなる山に   五色の雲一むら   まいさかりけるを   まいさかりけるを   これぞ我が住まいし処ぞと   おぼしめし処ぞと   おぼしめし」  ↓↑  日向で  禎嘉王  一家を  遇したのは  日向隼人の長(おさ)・・・日向の隼(隹十)の人  直坂麻呂(なおさかのまろ)・・・直の坂麻呂  ↓↑  隼人首領  木乃宮  佐多彦  とその妻  結(ゆい)・・・禎嘉王の孫  長子  宇多彦  彼ら、三名の首は  晒された  九州王朝  と  「百済」王族は滅びた・・・?・・・帰化人として生延びた ーーーーー


 ・・・「魚座(キリスト教⇔パウロ教?)の時代の終焉」・・・  地球  自転・公転  歳差運動=南極点を中心に独楽回転  一回転=25920年  12星座の配置上の  春分点の位置が  一星座30度を  2160年で移動  星座を1度移動するのに  72年・・・七十二候?  紀元前一年~2000年  春分点は魚座で  魚座時代  魚座のシンボルは  二尾の魚・・・・弐尾=耳鼻=字備・・・尾張・吉備=備前+備後  が  「黄金の紐」  で結ばれている・・・神々の宴会に怪物・テュポンが襲いかかった            女神、アフロディーテ            とその子            エロス(キューピッド・ヘルメス)は            慌てて魚に化けてナイル川へ            逸(はぐ)れない様に            尻尾を結んで飛び込んだ            結ばれた尻尾とは           「尸(かばね)の九」と「尸(かばね)の毛」           「尸=し、しかばね=屍・かばね=姓・かたしろ           「𡰣=コ+丿・¬+厂」は本字(正字通)」  ↓↑  象徴的人物はイエス・キリスト  イエス・キリストは  ヨハネの子  シモン  に  弟アンデレの紹介で会った  シモン兄弟は  ガリラヤの漁師であった  ↓↑  ペテロ(シモン=Simon      シメオン=Simeon=原義は「聞く、耳を傾ける」)  ケファ=ケパ=ペテロ=岩  を弟子とした  キリストは  「最後の晩餐」  の後  「あなたは   鶏が鳴く前に3度・・・鶏が鳴く・・・にわとり=鶏・雞  ↓↑        「俀王             姓 阿毎             字 多利思北孤             號 阿輩雞彌」            「王妻             號 雞彌            「卷八十一 列傳第四十六  ↓↑         東夷 俀國(隋書)」  ↓↑        「鶏鳴狗盗(斉の孟嘗君)」  ↓↑        「鶏口牛後(蘇秦の対秦、六国従合策)   私を知らないというだろう」  と・・・  ↓↑  瓊瓊杵=ににぎ=邇々芸  と  木花之佐久夜毘売=木花開耶姫          =神阿多都比売=神吾田津姫          =鹿葦津姫=葦津姫  の  三子の  魚師=海幸彦(長兄・あに・え)・・海人・阿毎     海幸彦(火照命)     ↓↑・・・交替・交換・・竿と針          互いの漁猟の道具を取り替え           交替・交換・・弓と矢                (弓箭=ゆみや)  山師=山幸彦(末弟・おと・と)・・山人・詐欺     山幸彦(彦火火出見尊・穂穂手見命         火遠理命)  ↓↑  記紀の名称表記  山幸彦=火遠理命(古事記)      彦火火出見尊(日本書紀)  海幸彦=火照命(古事記)      火闌降命(日本書紀)  ↓↑  「日本書紀・本文」  ホスセリが  第一子、山幸  ヒコホホデミ(ホオリ)が  第二子、海幸     ↓↑  「我が故(もと)の   鉤(ち)に・・・・鉤=金+句=釣り針   非(あらず)ば、   多(さわ)なりといえども   取らず」  ↓↑  シオツチノオジ(シホツチノヲヂ)  塩竈明神とも言う  塩椎神(しおつちのかみ)(古事記)  塩土老翁・塩筒老翁(日本書紀)  塩土老翁(先代旧事本紀)  別名、   事 勝 国 勝 長 狭 神・・・狭=せばめ・さ・キョウ・ギョウ  (ことかつくにかつながさ)   ジショウコクショウチョウキョウ   事象  石 章  調  教(経)?  ↓↑   石=ペテロ(Pétros・Petrus)  パウロ(Paulo・パウェル・サウロ)             ・・・小アジアのローマの属州                キリキア州                タルスス生まれの                ローマ市民権をもったユダヤ人  の紋章は  魚(まな)がモチーフ  水瓶座のマーク  ↓↑  「魚座時代」  ↓↑  BC1〜AD2015・・・  ↓↑  「水瓶座時代」  ↓↑  AD2015〜約2000年後・・・ ーーーーー  春分点(vernal equinox)  黄道と天の赤道との  2つの交点のうち  黄道が  南から北へ交わる方の点(昇交点)  この点が  赤経0時  かつ  黄経0度で  この点を  太陽が通過する瞬間が  春分  (地球から見て、太陽が動いている)  春分点は  黄道座標  赤道座標  の原点で  天球上における春分点の位置は  地球の歳差によって  西向きに移動し  その周期は  25800年  ↓↑  Ariesは  黄道十二宮の  白羊宮(黄経0°~30°)で  紀元前2世紀に  「おひつじ座」に春分点があったので  白羊宮が  十二宮の起点となった  ↓↑  キリスト教  「うお座」を神聖な星座   'Ιησους Χριστος ,   Θεου   'Υιος Σωτηρ   (イエス・キリスト、神の御子、救世主)の  頭文字 Ι-Χ-Θ-Υ-Σ- を繋ぐと  ギリシア語で「魚」を意味する   'ιχθυς (ichthys)  となる  キリストが生まれたとき  春分点が  「うお座」にあった・・・ ーーーーー  ・・・ 「うお座」・・・「♓」・・・「二尾・弐尾」・・・  ↓↑ 「♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓」・・・ ーー↓↑ーー  日置=へぎ・へき・ひき・ひおき     幣岐・戸岐・比企     職名に由来     長門市は     鍛冶屋、鑪、火渡、金焼などの     鉄冶業関連地名も多    「日置」の語源も    「火起=ヒキ」に由来・・・    「愛智郡日置神社」     平安時代初期の     宮中の年中行事や制度を記した    「延喜式」に載る     祭神は天太玉命、応神天皇など     日置の地名、社名は、    「日置部」のあったところから起こった     日置部は     暦を司った     祭神     天太玉命(あめのふとだまのみこと)     配祀左     品陀和気命(ほむだわけのみこと)     配祀右     天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)     由緒、創建は不詳     延喜式の    「尾張国愛智郡日置神社」     社名は     暦を司る日置部に由来 ーーーーー  日置  ↓↑  岐阜県郡上市、愛知県一宮市、三重県津市  愛知県愛西市日置(ヘキ)町発祥  平安時代から記録、分布  ↓↑  京都府宮津市日置発祥  奈良時代から記録  ↓↑  大阪府堺市東区の日置(ヒキ)荘から発祥  平安時代から記録  地名は「ヘキ」とも発音  ↓↑  鹿児島県日置市日吉町日置発祥  鎌倉時代から記録  ↓↑  鳥取県鳥取市の  青谷町を流れる  日置川の付近(日置)から発祥  平安時代から記録  ↓↑  三重県津市一志町日置発祥  平安時代から記録  地名は  「比於木」、「幣木」、「幣岐」とも表記  ヒヘキ、ヘキの発音も・・・  同地に分布  ↓↑  宮崎県児湯郡新富町日置発祥  鎌倉時代に  「倍木」の表記で記録のある地名  地名の現地音はヘキ  宮崎県児湯郡  日置山城から  同地に  上日置(ウワベキ)城があった  ↓↑  暦を司る日置部  ↓↑  高句麗系  京都府京都市に平安時代に  日置造の姓氏があった  ↓↑  日置  ヒオキ(日沖)  コビキ(小日置)  ↓↑  ヒオキ(火置)  ヒオキ(氷置)  ヒオキ(旭置)  ヒ キ(比企)  ヒ キ(比気)  ヒ キ(樋木)  ヒ キ(日岐)  ヒ キ(日木)  ヒ キ(比氣)  ヒ キ(挽)  ヒ キ(飛気)  ヒ キ(飛木)  ヒ キ(比木)  ヒ キ(疋)  ヒ キ(引)  ヘ ギ(枌)  堺市東区  日置荘  「日置部(ひきべ)」集団の居住地  中世には興福寺の荘園であった  「日置荘」がおかれたことに由来  明治時代  萩原天神に合祀  日置荘西町に  日の神をまつってきた  「日高宮(日高神社)」があった ーー↓↑ーー  鹿児島の日置・・・鎌倉時代から記録  北緯31度38分1.4秒  東経130度24分8.8秒  日置市  日置市位置図  ↓↑  1889年4月1日  町村制施行  現在の市域に以下の村が発足  日置郡  中伊集院村・下伊集院村  東市来村  日置村・吉利村・永吉村  阿多郡  伊作村  ↓↑  姉妹都市・提携都市  旧東市来町との提携  弟子屈町(てしかがちょう)  北海道  釧路総合振興局管内  川上郡にある町  ・・・弟子(でし)が     屈=尸+出(山山)⇔偏屈?屈強?               屁理屈? ーーーーー  ・・・???・・・「日置」・・・  「置=罒+十+目+乚(乙)」     横目を交わらす     縦目の乚(隠れる・イン        乙=おつ・イツ)  「乙」の字形  「匿(かく)るなり   𨒅曲(キキョク)・・・𨒅=辶+只=曲行するなり                怖れる、恐らく   して   隱蔽する形に象る(説文解字・巻十二)」   隠すための衝立のようなものの象形  「讀みて隱の若くす」  で、隠と音義ともに通じ  「隠の異体字」・・・  「ツバメ(燕・乙鳥・鳦)を表す   𠃉と同一視される」こともある  ・・・燕国=エンコク       =三国時代の公孫氏の国  ↓↑  公孫=公(諸侯)の孫     公の子である公子までは公族     その子の公孫からは臣籍に下り     公孫を氏とする・・・  公孫僑(子産)=春秋時代の宰相  公孫竜=戦国時代の思想家  公孫鞅(商鞅)=戦国時代の政治家  公孫衍=魏の官である犀首(公孫衍)      更元七年(前318年)      魏・趙・韓・燕・楚の      五ヶ国の合従を組織し、秦を攻めた  ↓↑  遼隧の戦い(りょうすいのたたかい)  三国時代の戦乱  遼東で半独立政権を築いた  公孫氏(燕王)と  魏が  遼隧(遼寧省海城市)で武力衝突  遼東  公孫氏  は滅亡  ↓↑  晋書巻九七四夷傳  「名を卑弥呼と曰う   宣帝の平らぐ公孫氏なり」  と記載  卑弥呼は  西晋の始祖  宣帝(魏の司馬仲達)に滅ぼされた  「公孫氏」であった・・・  東漢の外臣で  4代50年に渡って  遼寧省一帯に君臨した  公孫氏の太守、  渕(えん)を  西暦238年に討ち  曹魏の遼東平定が成る  ↓↑  237年   呉の  孫権は高句麗と通じ  遼東へ親征を行おうとした  魏は  毌丘倹  を派遣し  鮮卑の軍を動かして遼東に駐屯  孫権は親征を断念  魏は公孫淵に対し上洛を命じたが  公孫淵はこれを拒否  挙兵して  遼隧で  毌丘倹  を撃退  同年  公孫淵は  燕王を称し  年号を  紹漢と定め、独立  周辺部族を掌握して  玉璽を与え  魏との国境をめぐり  抗戦を継続  ↓↑  遼隧の戦い  238年  曹叡は  司馬懿  に4万余の兵を与え  公孫淵征伐を命じ  公孫淵も  卑衍・・・卑の衍=あまる意・文章中に誤って入った余計な文字           衍=語句中にまちがって入った不必要な文字             衍字(エンジ)       卑弥呼の余り?・・・壱(壹・臺)與or磐余  楊祚・・・楊の祚=天からくだされる幸福・福祚       天子の位・皇祚・聖祚・践祚       重祚 (ちょうそ) ・帝祚」  らに  数万の軍を与え  遼隧に派遣・・・ 隧=スイ・ズイ             墓の奥へと通じる道             地中の通路・トンネル(tunnel)             隧道(すいどう・ずいどう)・隧路             隋道・随道⇔隋所・隋書?  卑衍が  司馬懿を攻撃したが  司馬懿は  胡遵らを派遣して  卑衍を破った  ↓↑  公孫淵は  遼隧に数十里(二十里、六、七十里)の塹壕を掘り  司馬懿の軍を迎え撃った  遼隧の  公孫淵の防衛陣が堅固と見た司馬懿は  東南に退却したとみせかけて  国都の  襄平を侵攻  公孫淵は遼隧の軍を撤退させ  都の守備に当たらせたが、  敗退を繰り返し  司馬懿に襄平を包囲される        ・・・司馬の懿(壹+次+心)              懿徳天皇=第四代天皇              大日本彦耜友天皇(日本書紀)             (おほやまとひこすきとも)              大倭日子鉏友命(古事記)  ↓↑  長雨の時期で兵糧が底を突き  公孫淵は人質を出して和睦しようと画策  司馬懿はこれを許さず  公孫淵を捕え、処刑  公孫淵の子  公孫脩をはじめとする一族も討たれ  遼東公孫氏は滅亡  戦後  司馬懿はこの地に魏へ反抗する勢力が再び生まれぬよう  当地の15歳以上の男子を皆殺しにした  ↓↑  公孫淵は  孫権に援軍を求める使いを出し  239年  孫権は援軍として  羊衜・・・羊の衜  鄭冑・・・鄭(奠の阝)冑(由の冃)  孫怡・・・孫(子の系)怡(心の台)  を派遣  曹叡が死去  魏は遼東に対する配慮がなく  羊衜  らが  遼東の牧羊城(旅順口)で  魏の  張持・・・張の持・・・・張(政)の持つ黄幡?  高慮・・・高の慮・・・・高(句麗)の思慮?  らを破って、  その男女を捕虜として帰国  ↓↑  朝鮮半島中西部の  帯方郡を境に  南は韓と接し、  東北は高句麗  西北は烏丸・ 鮮卑  西南は漢・魏の幽州と接する  漢・魏は  公孫氏政権があった為、  遼東以東を  絶域とみなし  東夷諸国との通交を行わなかった  二世紀後半  黄巾の乱後の混乱に乗じ  公孫度が遼東地方に半独立政権を樹立  高句麗・後漢と争いながら  楽浪郡・山東半島まで勢力を拡大  204年  公孫度の子・・・公孫の度(たび・ド)  公孫康が・・・・公孫の康(やす・コウ)  楽浪郡の南に  帯方郡を設置  ↓↑  公孫度が  黄巾の乱以来の混乱に乗じ  遼東地方に  半独立政権を樹立  民族・風習とも  漢民族であるが  その領土は  朝鮮半島中西部の  帯方郡を境に  南は韓と接し  東北は高句麗  西北は烏丸・鮮卑と接し  公孫氏の勢力圏である  遼東以北の地は  中華圏の北東端  漢・魏など  時の中華王朝からは絶域とみなされ  公孫氏の勢力圏は半独立的な地方政権  漢人の  公孫氏3代  度(タク)  康(コウ)  淵(ふち・エン)=潭=渕       ・・・水を深くたたえている所・海淵・深淵          物事の出てくる根源・淵源          底が深く水がよどんでいる所・瀬          容易に抜け出られない苦しい境遇・苦境  が  50年にわたって  遼東半島に樹立した  地方政権(190~238) ーーーーー  ・・・公孫氏・・・天孫降臨・・・辿遜交隣・・・   遜=辶+子+系    へりくだる・ソン    退いて他にゆずる・遜位    へりくだる・謙遜・不遜    ひけを取る    帝位を譲る    劣る    遜る=相手を敬って自分を低くする       謙遜する・へりくだる       ひけを取る       遜色 ーーーーー  ・・・

・・・2018年4月11日目・・・「1111年」って、何があったんだか?・・・「記録所」・・・? ーーーーー  鉤=鈎(かぎ・こ・こう・はり・ち・はぜ)    先が曲がった棒状の、金属製の器具    曲がった部分を何かに引っ掛けて使う    フック(hook)    「かぎ」と読む    分野によっては他の読み方をする    手術用器具    組織を引っかけて牽引するのに使用    漁具・魚類や貝類などを捕獲に使用    武器の種類    長い柄の先が曲がっており    敵を引っ掛けて倒す    鉤縄    銀鉤(ギンコウ)    銀の鉤    銀製の釣り針や、銀製のすだれかけ    三日月の別名    巧みな筆跡    uncinate(アンシネィト)安史婦負人?         うんしなと(て)         云 支那人(訳)      ・・・運 指名手(弖)?    鉤状の    解剖の本などでは   「鈎」の字を使用    鉤状束(コウジョウソク        Uncinate fasciculus)    大脳にある連合線維    外側溝の下部を横切り    前頭葉の脳回と    側頭葉の前端を繋いでいる    膵鉤部    uncinate process of the pancreas,    pancreatic uncinate process.    鉤鼻 ーーー↓↑ーーー   鈎=金+勾(勹ム)=かぎ・・・句=ク・コウ                  匂=におい                  匃=こう・あたえる                    カツ・カチ・カイ                  匇=いそがしい・ソウ=匆                  勺=くむ・シャク・酌・杓                  匀=ひとしい・イン・キン    物をひっかけたりとめたりする    先の曲がった金属製の道具    つりばり    鉤曲    かける・ひっかける    鉤距・鉤索    おびどめ    帯鉤    まがる・まげる・かがむ    銀鉤(ギンコウ)・帯鉤(タイコウ)    釣鉤(チョウコウ)    鉤(かぎ)・鉤裂き(かぎざき)    鉤形・鉤状(かぎなり)・鉤鼻(かぎばな)    鉤樟(くろもじ)    鉤餌(コウジ)・鉤縄規矩(コウジョウキク)    鉤欄(コウラン)・鉤素(はりす)    ↓↑  勾=まがる・くぎる・勾配    かぎ・鉤(コウ)    とらえる    勾引・勾留    勾引(かどわ)かす    勾引(コウイン)・勾当(コウトウ)    勾配(コウバイ)・勾欄(コウラン)・勾留(コウリュウ)    勾欄(てすり)・勾玉(まがたま)・勾(まがる)  鈎=かぎ    型をして物をひっかける金具    かぎ棒・とめ金・鎌カマ・つりばり    さぐる    深い所にあるものを、ひっかけてとりだす    物事の道理をさぐる    ひっかけてたぐりよせる    いざなう    拘・・・拘束    直角三角形の三辺のうち    直角をはさむ、辺の短いほう    転じて、型をなしたもの    句とは、筆跡の巧みなことのたとえ    ↓↑    鈎股弦(こうこげん)    和算で、直角三角形の三辺    「勾」は直角三角形の短辺    「股」は長辺    「弦」は直角に対する斜辺    鈎股弦の定理(こうこげんのていり)    「 ピタゴラスの定理」    「三平方の定理」    鉤餌(こうじ)=つりばりにつけたえさ    鉤虫(こうちゅう)    十二指腸虫(じゅうにちちょうちゅう)    鉤虫科の寄生虫の総称 ーーーーー  椎=木+隹    しい・つち・ツイ    ブナ科の常緑高木の総称    椎茸(しいたけ)    つち=槌(ツイ)・鎚(ツイ) ・物を打つ道具       うつ・打ちたたく    せぼね=椎骨・脊椎(セキツイ)    おろか・にぶい・椎鈍    胸椎(キョウツイ)・頸椎(ケイツイ)    脊椎(セキツイ)・鉄椎(テッツイ)    腰椎(ヨウツイ)    椎間板(ツイカンバン)    椎輪(ツイリン)    Uncus=鉤(かぎ)状のもの        突起        Unc=アンク=ank        曲げる・弓を引く・屈服させる        ねじ曲げる        釣針(angle)        錨(いかり)        頼みの綱・力となるもの    椎=日本海軍の駆逐艦    ブナ科の常緑高木    ツブラジイ・スダジイの総称    暖地に自生    大木・古木となる    葉は革質で長円形    雌雄同株    果実はどんぐり状で食用    材は建材・家具材    椎茸の原木などとする    樹皮は染色    ↓↑  椎(ツイ)=物をたたく工具・つち・鉄椎        せぼね    椎骨・椎間板・胸椎・頸椎 (ケイツイ)    脊椎・仙椎・腰椎    木椎 (さいづち) ーーーーー  卑衍(ヒエン)・・・飛燕   衍=彳+氵+亍・・・「氵=水」が余り     文章中に誤って入った余計な文字   衍=語句中にまちがって入った不必要な文字   衍字(エンジ)   卑弥呼の余り?⇔壱(壹・臺)與or磐余    ↓↑  木(キ )の国=日本・倭・和  金(キン)の国=高句麗・朝鮮・遼    ↓↑   女真(女眞・ジョシン・女直・ジョチョク)  満洲の松花江一帯から  外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の  外満州にかけて居住していた満州民族  聖地は長白山  10世紀ごろから記録  17世紀に「満洲(マンジュ)」・・・饅頭?  「女真」の漢字は  「ジュシェン・ジュルチン」の当て字?・・・  「女真・女眞・女直」の意味も採った・・・  「女直」は  「遼興宗」の諱  「耶律宗真」に含まれる「真」の字を避けた  (避諱)・・・   ↓↑  金王朝を滅ぼした  モンゴル帝国=元王朝時代   ↓↑  女真人の  完顔阿骨打が  1115年に満州に建国  都は  上京会寧府  (1153年に燕京   1214年に汴京に遷都)  宋王朝は  遼王朝を倒す好機とし  金王朝と同盟し  1125年  遼を滅ぼした   ↓↑  その後  金王朝は中国本土への侵出  1127年  (靖康の変)  宋王朝の都  開封を攻め  徽宗  欽宗  の親子を捕らえて滅亡させ  江南に逃れた宋は  高宗が  南宋王朝を建て  華北の金王朝  と  江南の南宋王朝  の対立が続いた  金王朝は  女真族の軍事組織である  猛安  謀克  を  女真族の統治に適用  支配下の  華北の漢民族には  州県制を適用   ↓↑  遼河  満州南部を流れる大河  河北省、内蒙古自治区  吉林省、遼寧省を流れ  渤海に注ぐ河流   ↓↑  遼東半島  朝鮮半島の北西に位置  満洲南部から海を挟んだ対岸の  山東半島へ向かって  西南西へ飛び出した形  半島の付け根は  鴨緑江  と  遼河に挟まれ  半島部は  西を渤海  南を黄海  南東を西朝鮮湾  に囲まれている  主要都市  最西端部の  旅順や大連  半島付け根の渤海側に  営口  北東から  千山山脈   ↓↑  春秋時代  燕の領土  後漢末  公孫氏が支配  三国時代  公孫淵が  呉と通じ  魏から独立  司馬懿により滅ぼされた   司馬懿は  遼東に住む15歳以上の男子、数千人殺害  遼東  公孫氏政権の滅亡・・・  卑弥呼による魏への遣使・・・ ーーーーー  1900年  北清事変  後  ロシア軍が  遼東半島全域を占領  旅順に要塞を築いた   ↓↑  日露戦争  旅順要塞で  日露両軍の攻防  1905年  ポーツマス条約  日本は  遼東半島の先端部にあたる  関東州の租借権を  ロシアから獲得  関東都督府(関東庁)の  本部は旅順  南満州鉄道の  本社は大連に置かれた  1919年  関東都督府は廃止  1932年  関東軍が  東三省全土を占拠し  満洲国を建国  租借権の設定は  日本が満洲国から受けている形式に改定  1937年  満鉄附属地の  行政権を満洲国に返還  ↓↑  ↓↑  1945年8月  ソ連対日参戦で  ソ連軍に軍事占領され  後、  中ソ友好同盟条約で  中華民国から  ソ連が  旅順と大連の租借権を獲得  1949年  中国共産党の  中華人民共和国成立以後  国共内戦で  中国共産党政府を支援したソ連が  同国に「返還」し  以降同国の政府が統治   ↓↑  ↓↑  ↓↑  遼  遼王朝  916年~1125年  内モンゴルを中心に  中国北辺を支配した  契丹人(キタイ人)  耶律氏(ヤリュート氏)  の征服王朝  最初の異民族王朝  征服王朝(金、元、清)の最初  中原の支配はない  内モンゴル自治区の東南部  遼河の上流域にいた  契丹族の  耶律阿保機(太祖)が  907年  契丹可汗の位につき  916年  「天皇帝」・・・天皇?       則天武后の夫、唐の高宗も名乗った  と称し  年号を  「神冊」とした  太祖  耶律阿保機  西はモンゴル高原東部の  モンゴル族を攻め  926年  東は渤海を滅ぼし  東丹国を建て  満州から  モンゴル高原東部までの  帝国を拡大  2代  耶律徳光  五代の  後晋から  華北の  北京・大同近辺(燕雲十六州)  の割譲を受け  渤海旧領とあわせ  農耕定住民を抱えた  遼は  モンゴル高原の  遊牧民統治機構(北面官)と  南朝宋式の  定住民統治機構(南面官)  を持つ二元的な国制を発展  ↓↑  宋の  太宗は  燕雲十六州の奪還をもくろみ  北伐軍を派遣  が、  遼に撃退された  遼は  皇帝の擁立で内部争い  6代  聖宗  内部抗争を収め  中央集権化  1004年  宋へ遠征軍を送り  澶淵の盟を結び  毎年大量の  絹と銀を  宋から遼に送ることを約束  和平条約を結んだ  遼と宋の間に  100年以上平和が保たれた  経済力をつけ国力を増大  西の  西夏を服属させ  北アジアの最強国となった  財政を背景に文化を発展  中国から様々な文物を取り入れ  繁栄  遼の貴族層は贅沢  建国時の強大な武力は弱まっていった  服属の  女真族などの収奪も激しく  恨みを買った  ↓↑  女真は強大化し  1115年  自らの  金王朝を建国  遼に反旗を翻した  遼は大軍を送って  鎮圧しようとするが大敗  遼の弱体で  宋は金と盟約し  遼を挟撃  1125年  金に滅ぼされた  一部の契丹人は  耶律大石  に率いられて中央アジアに移住し  西遼(カラ・キタイ)を立てた  (耶律淳の北遼   13世紀成立の   耶律留哥の東遼などもある) ーーーーー  遼の政治体制  遊牧民  と  農耕民  をそれぞれ別の法で治める二元政治  契丹族を代表とする  遊牧民には北面官があたり  燕雲十六州の漢人や渤海遺民ら  農耕民には南面官があたる  北は契丹族や他の遊牧民族には  固有の部族主義的な法で臨み  南は唐制を模倣した法制で臨んだ  北面官の機関  北枢密院・宣微員・大于越府  夷離畢院・大林牙院  北枢密院が  軍事・政治の両権を一手に握って最高機関  当初は  大于越府が最高機関で  北枢密院が作られてからは有名無実化  名誉職になった  南面官の機関は  南枢密院を頂点とし  三省六部  御史台と言った  唐制に倣った役職が置かれて統治  南枢密院は  北枢密院と違って  軍権は持っておらず  民政の最高機関  ↓↑  二元政治は  聖宗期を過ぎた頃から  契丹族内での中国化  ↓↑  遼の兵制  北では国民皆兵制で、国軍  南では郷兵と呼ばれる徴兵制で  地方守備軍  指揮権は南面官にはなく  各地方の長官が持っていた  南軍も時に  北軍に従って遠征軍に入った  ↓↑   遼  北宋政和元年  遼天慶元年(1111年)・・・壱壱壱壱               壱千壱百壱拾壱 ーー↓↑ーー  1111年???・・・伊知・・・壱=壹壹壹壹                台=臺臺臺臺  干支=辛卯年     ↓↑     金兎(兔・ト)・・・金兎運(云・雲)?     觔斗雲(キントウン)    「西遊記」の孫悟空が乗って空を飛ぶ仙術の雲    「觔斗=宙返り」     孫悟空が雲に乗る時に     トンボを・・・トンボ=秋津・安芸津・蜻蛉     切って     雲に・・・句摸・苦母・くぼ=久保・窪     ↓↑「落窪物語」?・・・継子物語・・・「氷点」?        日本版「シンデレラ姫」        落ち窪(くぼ)んだ部屋で        住んだので、「落窪の姫君」・・・     ↓↑「二つの石帯」は、衛門佐(三郎君)と        あなたが、一つづつ        美濃国の        荘園の地券と、        石帯ひとつは私の手元に         (石帯=束帯のとき、袍 (ほう) の腰に締める帯          牛革を黒漆で塗り、銙 (か) とよぶ          方形または円形の玉や石の飾りを並べてつける          三位以上は玉、          四位・五位は瑪瑙 (めのう) 、          六位は烏犀角 (うさいかく) を用いた          有文 (うもん) と          無文 (むもん) とがあり、身分の高下、          儀式の軽重に応じて使い分けた      ↓↑  ごくのおび・いしのおび)      ↓↑いただきましょう。      ↓↑遺言すべてを無下に断っては、      ↓↑故大納言の遺志を      ↓↑無視するようなものですから」      乗ったので      師の須菩提が、特に授けた術で     「觔斗雲の術」は      10万8000里/1跳び(=宙返り1回)の速さで      空を自在に飛ぶ  日本=天永二年     皇紀1771年  中国=北宋=政和元年  遼 =天慶元年  西夏=貞観十一年・・・貞(ただし)て観(み)る十一年  ↓↑  記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)  平安時代の  荘園調査機関  令外官の1つ  略して  記録所という。  ↓↑  1069年(延久元年)  後三条天皇の発布した  延久の  荘園整理令の実施に伴い設置  反摂関家的な  源経長  大江匡房  らが起用  業務は  不正荘園の調査・摘発  書類不備の荘園の没収  後三条の死後には消滅  1111年(天永二年)・・・壱=壹壹壹壹・・・壹與              台=臺臺臺臺・・・臺與                壱千(阡)壱百(陌)壱拾(足)壱  1156年(保元元年)  にも設置  後白河法皇によって  院庁に吸収  1187年(文治三年)・・・・文の治の三年(残念・竄撚)?  訴訟や  儀式の遂行に関する業務も含めた形で復興  記録所は  内覧  九条兼実・・・憲法の九条を兼る実?  の管轄下に置かれ  公卿の陣定に匹敵する発言力が与えられた  後鳥羽上皇の院政開始とともに  院庁に吸収(機能消滅?)  ↓↑  後嵯峨天皇の時代  再置され  常設化  1293年(正応六年・永仁元年)  伏見天皇が  徳政推進の機関として充実化  その権限が拡大  記録所の職員を  6班に分け  寺社・公務・所領争いなど  訴訟の分野ごとに  担当する日付や班が定められた  (後の   建武の・・・建=たける=武   新政における   雑訴決断所の分離・設置にも影響を与えた)  ↓↑  鎌倉時代  1321年(元亨元年)  後宇多法皇に代わり  親政を開始した  後醍醐天皇が  記録所を再興  1333年・・・・壱参参参         壱千参百参拾参  鎌倉幕府・・・なぜ、「鎌の倉」なんだか?  ↓↑  ・・・「カマ」は洞穴、クラは「岩」の意?      ・・・「竈口は鎌倉の異名          竈谷(かまくら)の義          竈口(かまくち)」          「アイヌ語の「カマクラン=山を越していく」         「カマ・クラ=平板な石の山」という意      ・・・「高座(たかくら)→高倉→高麗(こま)          高麗座(こまくら)→かまくら」になった?      ・・・「綾瀬市の宮久保遺跡出土の木簡に          天平五年(733年)・鎌倉郡鎌倉里」         「相模国封戸祖交易帳に  ↓↑      天平七年(735年)・鎌倉郡鎌倉郷」  ↓↑      鎌=かま=釜・窯・罐・缶            かみ・かむ・かも  ↓↑        かめ=咬め・噛め・亀・甕・瓶・鹿目  が滅亡  後醍醐は  建武の新政を開始  八省の外に  記録所を設置  建武政権における  最高政務機関とし  重要審議を処理させた  ↓↑   荘園整理令  平安時代に発布された一連の法令  ↓↑  1069年(治暦五年=延久元年)      ・・・治(おさめる)の暦(こよみ)の五年(御念・語撚)  後三条天皇  全国の荘園を  一斉整理する目的で発令した  延久の  荘園整理令で  150年前の醍醐天皇の時代から  天皇の代替わりごとに  度々発令  古くは  「荘園を禁止する法令」  とする認識がされる場合もあったが  実際には違法な手続によって  立荘された荘園を  整理・停止することを意図した法令  正規な手続によって  成立した荘園については  公認する性格を有していた  中央政府による  荘園整理令とは別に  諸国の国司が独自に  荘園整理令を申請し  太政官における陣定の  「諸国条事定」において  審議され承認された場合も存在・・・ ーーーーー  ・・・政府の認可事業は特定利権者とする・・・「総理大臣の案件」って?・・・モリカケ・・・記録廃棄の有無・・・

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