「カスベ」・・・メガネカスベ(眼鏡糟倍)=エイ
・・・「かすべ・カスベ」とは、北海道で「メガネカスベ(眼鏡糟倍)」などの「エイ」類を指した言葉で、北海道で獲れるモノに「ガンギ(雁木)エイ(かすべ)」、「メガネカスベ(真カスベ・本カスベ)」と「ドブカスベ(水カスベ)」と呼ばれている種類があるらしい。「岩内では、メスをマカスベ、オスをドンと呼んで区別」しているらしい・・・「眼鏡貸(めがねかす)べ」、「交化素(まかす)べ」、「本貸す(ほんかす)べ」?・・・「マカスベ(真滓(糟)べ)」は「任す・巻かす・蒔かす・播かす・撒かす・負かす」の「べ=部・邊(辺)・俳・弊・倍・唄」・・・「かすべ(エイ=(鱏、鱝、鰩、海鷂魚)」 ーーーーー ↓↑ 鱏(魚+覃)、・・・・覃=ドン・タン・シン・エン うまい・するどい およぶ・のびる ひく・ふかい 譚=物語 ↓↑ 覃=襾(鹵・塩)+亯(早) 亯=亠+口+日(曰) つぼ(壺・壷・坩)ならば 塩漬けの容器だろう・・・ 鱝(魚+賁)、・・・・賁=ヒ・フン かざる・かざり 美しい彩(あや)もよう 六十四卦の一 大きい 奔(はし)る・・・奔放・奔流 火砕流・土石流 山に掛かる落日の夕陽・・・? 噴火だろう…?・・・噴煙? or 憤怒、 墳墓カモ・・・? 山火賁(賁 離下 艮上) 上九、白賁。无咎 「白賁」は白雲(白煙)か、 白雪か、雪崩か? 咎(罪)め無し・・・潔白? 自然災害は咎める事が出来ない 鰩(魚+䍃)・・・・・䍃=ヨウ・長く揺(ゆ)れる 遙・搖)、・・遥=ヨウ・エウ(はるか・さまよう) 揺=ヨウ・エウ(ゆれる・ゆする) 地震(第一類・天文事変) 地震を云ふ 恐喝・かつあげ 海鷂魚=海+䍃+鳥+魚・・・鷂(はしたか・ハイタカ) 兄鷂(このり)=ハイタカの雄 「疾(はやき・とき)鷹」が語源? 「オス(兄鷂)は背面が灰色 腹面に栗褐色の横縞」 「メス(鷂)」は背面が灰褐色 腹面の横縞が細かい」 ならば、 「灰褐色の鷹」が語源だろう・・・? ↓↑ 「エイ」とは「䍃(ヨウ・エウ)の魚」のコトである。すなわち、海中、海底に「ひらひらと揺(ゆ)らめく灰褐色の魚」である。 「かすべ」 の名前の由来だが、ブログ記事(秋田のかすべ料理・永井登志樹氏)によれば「米の商売を牛耳っていた近江商人が、「唐(から)の貝(かい・バイ・ハイ・shale)」だといって法外な値段で売りつけたことに由来」するらしいが、「カラカイ」が「かすべ」に繋がる理由説明にはなっていないが、「からかい」=「揄(からかう・揶)=揶揄(ヤユ)=冗談」なのか、実際に法外な商売(売買交換)したのか?・・・更に「かすべ」の語源は「安くて不味(まず)い魚の滓(カス)」という意味から名付けられたという説も述べている。「かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた」とも。すると、前説は「ジョーク」だろう・・・だが、「酒粕・酒糟」の「かす=粕・糟」ならば「魚の粕(糟)漬け」である・・・ ーーーーー 以下は「津軽のことば・231~240・鳴海助一氏」のブログ記事だが・・・ ↓↑ ーーーーー 「かしべ」(2) 総合日本民俗語彙第一巻・三五一頁の説明がおもしろい。 ↓↑ 「かすべ(漁)=菅江真澄 の 天明五年=1785年(一七〇年前)初秋の旅行記に、 2016-1785=231・・・1955年の記録 津軽の 大鰐(おおわに・ダイガク)で、・・・「ワニ」である? カスベというのは 王余魚の類で、 「カスエイ」という 魚の乾肉(カンジク)である。・・・眞名(魚)の 訓所為(燻製)? ・・・ここにとあつて夏の頃、 エゾ(蝦夷)人がこれを捕って、 秋味(アキアジ)に積んで来るという。(外ヶ浜風)。 秋味というのは 秋の頃 北海道松前から来る船のことだが、 「カスベ」という名前も、アイヌ語の 「カシュムベ」と同じ意味のものか ↓↑ 去々。また同書に、 「カスベキ」(漁)=壱岐で鯛(たい)の子をいう、 とも書いてある。 また、平凡社大辞典の一説には、 「粕倍えい・かすべえい」の下の語を略して 「かすべ」という、とあるが、 その 「粕倍」も、前掲の 「カシュムベ」の転訛の 「カスベ」の当て字かとも考えられる。 同書にはまた、 「雁木(ガンギ)えい類」の方言(東北地方)、 とも記している。 なお、 「王余魚」は、 「カラエヒ・カラエイ」と読み、 約(つづ)めて 「カレイ」となり、 津軽方言では 「カレ」と短かくいうようだ。 これは 「鰈」の字を当てる。 要するに 「かすべ」は 「鰈」・・・・鰈=魚+枼(ヨウ・テウ・チョウ) 枼=世+木 うすいきふだ 薄くて平ぺったいモノ 即ち 「カラエヒ」の一種だ、ということになる。 源順の和名抄(一〇〇〇年前)にも、 「加良衣比・俗に加礼比」 とある。 「エヒ」の漢字は、むりに示そうとすれば、 魚扁に「賁」の字などがあるが、 あまりクドくなるから省略する。 ーーーーー と、あった・・・多分、 「エイ=(鱏、鱝、鰩、海鷂魚)」は「鰈(かれい)」の類いなんだろう。その大きい魚が「かすべ=滓倍・糟倍・粕倍」とした・・・?・・・ 「和名類聚抄=和名抄=倭名抄」は 「分類体漢和対照辞書 源順(みなもとのしたごう)撰(せん)」で 承平年間(931~938)ごろの成立したらしい・・・ 「源に順(したが)って撰(えらべ)」とは哂っちゃうけれど、 「加良衣比・加礼比」の漢字の意味通りに考えれば、 「良い衣(ころも)比べ、加える」 「禮を比べ、加える」 である・・・ で、 ボクなら 「かすべ=化術(掛術・仮術)」 と漢字を当てて説明したいのだが、 北海道方言の「べ」だが、 「・・・うんだべ(や・か)、 ・・・そうだべ(や・か)、 ・・・やるべ(や・か)、 ・・・しないべ(や・か)、 ・・・あるべ(や・か)、 ・・・ないべ(や・か)」 は断定、推量、あるいは、促がしのコトバである・・・ 北海道は幕末、明治初期の「文明開化」の最先端の洗礼の地で、その地名は 「松浦武四郎(文化十五年二月六日=1818年3月12日~明治二十一年=1888年2月10日・71歳歿)」 が名付け親である・・・そして、「地図」として明らかにしたのは 「上総国山辺郡小関村(千葉県山武郡九十九里町小関)」 で生まれた 「伊能忠敬(延享二年一月十一日=1745年2月11日~文化十五年四月十三日=1818年5月17日・73歳没)」 で、前回、言及した 「千葉」の・・・千字文、撰の言葉?・・・和邇←鰐? 「九十九里浜」 の生まれである・・・ そして、 「最上徳内(宝暦四年=1754年~天保七年九月五日=1836年10月14日)」 「近藤重蔵(明和八年=1771年~文政十二年六月十六日=1829年7月16日)」 「間宮林蔵(安永九年=1780年~天保十五年二月二十六日=1844年4月13日)」 などである・・・ ダイタイからして「北海道=蝦夷」の地形は、ナゼ、「かすべ=エイ」に似ていると云われたのかは、「蝦夷地の地図の全地形」を俯瞰、鳥瞰できた後のコトである・・・「サカナのカスベ」の名前は「北海道の地図」が作成される前に命名されていたのか、どうなのか?・・・アイヌ語(東北語)がオリジナルで、「カシュムベ」であろうが、これを「かすべ」として漢字の「糟倍・粕倍・滓倍」としたのは幕末の人間だろう・・・そして、明治の文明、文化である・・・ 「カレイ(鰈・かれい )」は「かれい・カレイ」であって、「かす(糟・粕・滓)べ(倍)=エイ=(鱏、鱝、鰩、海鷂魚)」ではない・・・ ↓↑ ーーーーー エイ(鱏、鱝、鰩、海鷂魚) 板鰓亜綱に属する軟骨魚類の 鰓裂が 体の下面に開くものの総称 鰓裂が側面に開く サメ(鮫)とは区別される 約530種 世界中の海洋の 暖海域から極域まで広く分布 一部は淡水にも適応 一般的に上下に扁平な体型 細長い尾、 5~6対の鰓 多くは卵胎生 尾の棘に毒を持つ種類も サメの一部の系統から 底生生活に適応して進化した系統のひとつ トビエイのように 二次的に遊泳生活に戻ったものもある・・・ ↓↑ サカタザメのように サメという名を持つものもある 区別点は、 サメは頭部後方側面に開く鰓裂 エイでは腹面に開く 両眼の後ろに水の取り込み口が開く 一般的なエイは頭部から胴部と 胸びれが一体になって全体が扁平 大きく水平に広がった 胸びれの縁の薄い部分を 波打たせて遊泳 肛門はその後端に開き、 腹びれ、尻びれはその近くにまとまる それ以降の尾部は急に細くなり、 後端は細長くなって終わり、 尾びれはないものも多い・・・ 背びれが退化するものも多く、 アカエイなどでは 毒針に変化している 多くのエイで 体の外周付近は体盤(たいばん) エイの大きさを表す用語として、 縦の長さ (吻端から胸鰭の末端までの長さ)は 「体盤長(たいばんちょう)」、 横幅(両胸鰭間の最大幅)は 「体盤幅(たいばんふく)」で表される ↓↑ ノコギリエイ 体は厚みがあって細長い ガンギエイなどは エイらしい姿ではあるが、 尾びれははっきりとしている ↓↑ おとなしく、 砂底の 貝などを食べる 底性の種は 砂に潜ることができるものも多い ↓↑ 淡水エイは熱帯魚として観賞・・・ サメと同様に 尿素を体液の浸透圧調整に用いている 組織には尿素が蓄積され 鮮度が下がると 加水分解してアンモニアを生じる ガンギエイのヒレを 乾物にしたものは 「エイヒレ」と呼ばれる エイの皮革は、 日本刀の柄や革製品に利用 エイの棘を 矢につける鏃にしたものが 古墳時代の遺跡から発見されている ↓↑ 秋田県や山形県、 北海道では、 ヒレの軟骨部分の干したものを 長時間煮て 甘辛く煮付けたものを 「かすべ(秋田)」 「からかい(山形)」 と呼ぶ ↓↑ 北海道では 「カスベ」とは、 「メガネカスベ」などの エイ類を指した言葉で 下処理済みの状態で販売 「カスベ」と呼ばれている ヒレの軟骨部分を長時間煮て 甘辛く煮付けたものを 「カスベの煮付け」と呼ぶ ↓↑ 「アカエイ」などは 背びれが毒針に変化している ↓↑ 「シビレエイ」は 強力な電気を発する ↓↑ サメ亜区 Selachii →サメ エイ亜区 Batoidea シビレエイ目 ノコギリエイ目 ガンギエイ目 トビエイ目 ーーーーー ・・・ひェ~ッ・・・今現在、5月11日の朝の5時・・・寝なくちゃぁ~・・・ しらす・・・王の余りのモノのサカナ・・・ 2016-05-11 23:39:25 | 古事記字源
・・・昨日は「かすべ」と「蝦夷=北海道」の形だったが・・・「王余魚=しらうお・オウヨギョ=王餘魚」を調べていたら、「ヒラメをも含めた言い方」、「シラウオ(shirauo)シラウオ科の体長十センチほどの小魚。干し魚として美味しい」・・・「白子(しらす・Whitebait)」?・・・「カタクチイワシ・マイワシ・ウルメイワシ・イカナゴ・ウナギ・キビナゴ、アユ・ニシンなど、体に色素がなく白い稚魚の総称」・・・ 「シラス(白砂、白州)=九州南部一帯に厚い地層として分布する細粒の軽石や火山灰」、「白砂台地=九州南部、 鹿児島県を中心に分布する・シラスでおおわれた台地で、台地上には、霧島山、桜島などからの火山灰が厚さ数メートル堆積」、「北海道の支笏湖周辺や、東北地方の十和田湖周辺もシラスと呼ばれたことがある」・・・ 「シラス=西暦50年頃に活躍した初代教会の預言者、伝道者、聖人。ローマ市民・バルナバの代りにパウロの第2回伝道旅行に随行し、ガラテア、トロアス、ピリピ (パウロとともに入牢)・使徒行伝」・・・ 「白州次郎=白洲次郎(1902年2月17日~1985年11月28日)」は、「兵庫県芦屋市出身・放蕩息子・1929年(昭和4年)、英字新聞の『ジャパン・アドバタイザー』に就職し記者・終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任・連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近・終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた・吉田茂の側近として連合国軍最高司令官総司令部と渡り合う・憲法改正案(松本案)がGHQの拒否にあった際に、GHQ草案(マッカーサー案)を提示された・吉田政権崩壊後は、東北電力の会長を務めるなど多くの企業の役員を歴任」・・・ 「お白洲(おしらす)=江戸時代の奉行所などの訴訟機関における法廷が置かれた場所」・・・江戸幕府書院番、目付、山田奉行、普請奉行、江戸南町奉行、寺社奉行兼奏者番の「大岡忠相越前守」、桜吹雪の入れ墨(刺青)の「遠山金四郎景元」は「北町奉行、南町奉行、大目付」・・・ 「能舞台と観客席との間の、砂利を敷きつめた所」・・・ 以下はブログ記事で見付けたモノで「日本の旬・魚のお話(春の魚-12)・真子鰈(まこがれい)」から・・・参考、参照として少々改作して抜粋添付・・・ ーーーーー 王余魚 ↓↑ 中国では、 ヒラメ(鮃)の・・・・・・平目・日等目 比等馬・秘等愛 二つの眼が・・・・・・・・二つ目・附他通米(国) 並んでいることから・・・・并・倣部 「比目魚」というが、 ↓↑ カレイは 「王余(餘)魚」と呼ばれ、・・・餘=あまる・あます あまり われ この名は、 春秋時代 (日本の縄文晩期)の話に由来する。 越の王 「勾踐(コウセン・クセン)」は 船料理で 魚を片身だけ・・・・・・真名(漢字)の扁・旁 食べて海に捨てていたが、 捨てる片身は 骨付きの方とみえて、・・・乞付記・胡通符紀 故椄附 その半身が・・・・・・・・中身・中味・中見 水中で元気良く泳ぎ出し、 魚になったという。 これ以来、この魚を 王が余って捨てた魚として 「王余(餘)魚」と呼ぶようになった。 青森空港の南西約4kmあたりに、 「王余魚沢(かれいざわ)」・・・王の贏の圄宅(魚拓) 衍(衍字・衍文)の他句 敷衍・衍義 という地名があり、 縄文時代の遺跡である青森市内の 三内円山遺跡と結びつきがあるのか謎である」 ↓↑ 命名 『大和本草』に 「此魚 背黒く 腹白くして 魚の半斤の如し、 カタワレウオ・・・・・掛多和例眞名(漢字) と云う意にて略して カレイと名づく。・・・魪・鰔・鰈・・・掛例 目は一処に二つあり近し」・・・寄り目 ↓↑ 『広辞林』に 「韓鰾 (カンヒョウ・からかれい)の約。・・・揶揄の例の訳 朝鮮近海に多く産するより、いう」 『漢和辞典』に 「鰈域の約。 鰈域は朝鮮の別名、 朝鮮の近海で 鰈が多く獲れるのでいう」 ↓↑ 「韓鰾」の意は 「エイ」より旨い「エイ型の魚」 or 朝鮮近海に多い 「エイ型の魚」という二つの意味にとれ、 このどちらかが 「カレイ」の語源と思われる。 漢字は 「蝶」のように 薄すっぺらい魚から、 「鰈」の字が当てられた・・・ ↓↑ 地方名 アマテ(瀬戸内・鹿児島) 「アマテ」とは 手が脹れて病むこと、 また、 手のことを方言で言う。 カレイにしては身が厚く、 脹れた手の形に似た魚形から。 ↓↑ ウソ(富山) 藁製の 足半草藁・・・・・・・ソクハンソウコウ (あしなか草鞋)・・・芯緒を利用して 鼻緒を前で結んだ 小さな形のわら草履 大きさが足裏の なかばほどしかないので アシナカと呼ばれ 長草履と区別している 足裏に密着し 鼻緒が丈夫なため 滑り止めとし武士階級が利用 走り易いようにの 踵(かかと)の部分のない 短い草履(ぞうり) 足半草履 半物草(はんものぐさ) のことを方言で 「ウソ」という・・・・促判草稿(下書)? それに似た 形や感触からの呼名。 ↓↑ チクラ(仙台) 「チクラ」とは、 九州の筑紫と 朝鮮の新羅のことを言い、 転じて この間にあるものを意味する。・・・百済・対馬・壱岐 つまり、 「どちらともつかず」の意・・・文禄・慶長の役 壬辰・丁酉の倭乱 の「対馬」の立場? ↓↑ クチボソ(富山) 口が小さいことから。 ↓↑ タバコアサバ(富山) 煙草の香に似た魚の意 アサバは カレイ類の異称。 ↓↑ ホウショウ(七尾) 体表に多数の斑点や斑紋のあることから、 「疱瘡魚」の意で呼ぶ・・・疱瘡(ホウソウ)・瘡蓋 ↓↑ メダマ(山口) 両眼が接近して 大きく突き出ているため。 ↓↑ 城下かれい(大分県日出)・・・日出=ヒジ=秘事・肱・肘 別府湾の最奥にある 日出町の海で獲れる マコガレイ。 名前の由来は、 日出藩の城主 木下氏の居城前の海で獲れる カレイだから 木下家の家老の日誌には、 江戸時代の 参勤交代の折には将軍家に・・・参斤=食パン3斤=一本分 纂(簒)筋、一本文の交替 簒=サン・奪う・うばいとる 横取り・簒奪・簒立 干し物を献上し、 また4年毎の閏年は 活魚で献上したという。 物流コストは、 大阪までが50両、 大阪から江戸まで200両だった・・・ 早馬では海水を浸した 厚紙に包んで箱に入れて配送した・・・ 日出-(船)-室津(兵庫県)~(手漕ぎ船)~ 大阪-(早馬)-江戸 ↓↑ 英名 Marbled sole(マコガレイ) Brown soie(マガレイ) カレイ目カレイ科マコガレイ属マコガレイ 日本近海に約80種 カレイ科の 御三家は マガレイ、マコガレイ、イシガレイ 続いて ソウハチ、ムシ、メイタ、 マツカワ、ヤナギムシ、 ナメタ、ヌマガレイ、オヒョウ、 アブラ、ヒレグロ、 アカバ、アサバ、カラスガレイ 等など・・・さかな(魚) 肴=「メ+有=爻(コウ・メ乂)+月(肉)」 骨(爻・交)付きの肉 爻=まじわる・コウ・ギョウ 一本の横棒「-」を陽爻、 隙間の横棒「--」を陰爻 爻を縦に 三つ組み合わせて卦 爻は陰陽の2通りがあるので 三爻で八卦を表す 「酒を飲む際に添える食べ物」 「調理した骨つきの肉・魚」 「肉や魚を使った料理」 「酒を飲む時、副える料理(つまみ)」 おかず=御数・数を取り揃える意 混ぜ合わせる意の 「糅(かて・まじ)」る 「糅てて加えて=かててくわえて」 「御巡り(おまわり・おめぐり)」 さかな=「酒菜(野菜)・酒肴(肉)・酒魚」 ↓↑ 形態 口が小さいのが特徴。 マガレイとの違いは、 マコガレイには 両眼の間の鱗(うろこ)がなく、 吻部(フンブ・ブンブ)が マガレイに比べて円くない。 マコガレイには 無眼側の 縁辺(エンペン)部に 沿って走る 淡黄色の帯もない。 ↓↑ 水深40mから数mの 砂泥質の海底に棲息。 雑食性 底生生物が主食で定着性がある。 ↓↑ 産卵・・・散乱・燦爛・・・参考の覧(阿蘭陀)? 瀬戸内海では 10月中旬頃から釣れ出し、 産卵のために浅場に接岸し 「のぼりガレイ」という。 殆どのカレイは 浮性卵だが、 マコガレイは 付着性卵・・・ 産卵を終えた カレイは 再び接岸(セツガン)・・・岸(吉士)に接する これを 「もどりガレイ」といい、・・・摸訳理臥例? 桜の開花時期にあたるので、 「花見ガレイ」とも呼ばれている。 ↓↑ 成長 稚魚は普通の魚と同じ様に泳いでいるが、 2~3週間経って体長4mmぐらいなると 左目が移動を開始し、 体長1cm頃には 頭のてっぺんに移動し ヒレ(鰭)が形成され始める。 体長1.3cmほどになり、 左目と右目が並ぶころには、 これまで垂直だった体が 左傾し、 扁平形となって海底に着定 ↓↑ 底生生活では ゴカイ類などの・・・誤解の類い 多毛類・・・・・・・蝦夷、アイヌの多毛人 二枚貝類、・・・・・似交意の類い クモヒトデ類、・・・蜘蛛(熊)人出 魚類などを摂取 摂食は昼間 わずかに 頭部を浮かして体を静止させ、 餌に対して 口吻を延ばし吸い込むようにして捕食 ↓↑ 左ヒラメに右カレイ 見分けの 目安にそう呼ばれているが、 例外もあって、 ヌマガレイは ヒラメと同じ側に眼がある。 また、 ヒラメ類なのに メガレイ、ナンヨウガレイ、 ホウズガレイ、アラメガレイ などという名の魚もいる。 ーーーーー ・・・
・・・まだ続いている「地震」・・・昼(12時)は北海道、夕方(17時)は熊本・・・「蜷川(似名臥話)」さんですか・・・体制を批判しながら結局は「恰好(格好)イイ体制」に飲み込まれていった・・・「格好=pose・外から見た形・外見・姿・丁度、似つかわしいサマ・体裁・世間体・みば(え)・見た目が良い・体裁が栄える・小粋・きりっとした・格好良い・かっこ良い・シック・粋・おつ・ 瀟洒・スマート・小意気・いなせ・御洒落」・・・「ユウ(祐)ちゃん」は「イカスぜ、ッ」て云ったが・・・「プチブル意識の社会」では「有名」になりたいのが「当たり前」であるカナ・・・しかも、「善悪」を問わない「有名人」になれる「自由な可能性の選択」が出来る社会である・・・映画、演劇、TVドラマを観てミンナが「主人公」になった心算(つもり)の気分にしてくれる・・・自分自身が「通行人のエキストラ」だと思う「鑑賞者」はアマリいないだろう・・・「マクベス」は黒沢明の「蜘蛛の巣城」が最高だったが、王になっても自己保身の悩みは尽きないだろうが、戦いで殺し合う一兵卒の悩みは語られない・・・数年前、日本のTVニュースのインタヴューを受けていた「大陸中国の男性労働者」が素朴に「オレタチ、労働者が主人公なんだョなッ」と云っていたが・・・労働者が「主人公」になれるのは「賃金労働者」にではない・・・素朴で純真な「労働者」が「有名人」になれるのは、「素朴で純真」を捨て、「プチブル意識社会」での「出世欲・金銭欲」への並々ならぬクロウとドリョクの「アンビシャス(Ambitious)」がなければ無理である・・・無理なく「出世と金銭」が手に入るの「労働者」ではないから・・・ 手を繋いで電車に跳び込んだ二人の演劇サークル部の女子学生は「最期の主役」を演じてしまったのか、「朱也苦」を演じたのか・・・「絶望」を感じているのはまだ生きている時の苦しみと痛みの「価値」である・・・「死を恐れず」に死んでしまっては「絶望」の「価値」もない。残された家族、友人、恋人は自分自身の心の中に「ゼツボウ」を感じているカモ・・・ 自然災害で、恐怖を経験した子供達は「恐怖の価値」を知ったのである・・・そして、彼らは「生きている」と云う「価値」も知ったハズである・・・オトナは「崩壊」した「家・事業」等での借金で「生死の選択」は「自由勝って」だが、コドモを道ずれにはするな・・・熊本県には「子供を捨てる場所(児童養護施設・赤ちゃんポスト)」もあるハズだから・・・産まれたモノは、親がいなくても生きる子供は「社会の中で生き残る」のが自然界の鉄則である・・・ 「宮城まり子(本目眞理子)」さんの「ガード下の靴みがき」は戦災孤児の唄である・・・ https://www.youtube.com/watch?v=X4j1X-_wdeQ https://www.youtube.com/watch?v=Oe39Uzy6a4g https://www.youtube.com/watch?v=3uemLdmwihI https://www.youtube.com/watch?v=PXRSQace9ak ・・・そして「ねむの木学園(ねむの木養護学校)」・・・だが、「ねむの木学園元会計管理の職員が5億円搾取(2011年2月、宮城まり子さんの口座から現金約3100万円をだまし取った)」の事件?・・・ 「2011年2月」・・・「2011年3月11日」は東北の地震、津波、そして原発事故だった・・・ 庭のサクラが散ってしまった・・・伐り倒されない限り、来年もサクに違いない・・・枯れる時は寿命マットウである・・・ 「人生の遣り甲斐」って・・・ 2016-05-13 23:57:18 | 古事記字源
・・・午前中にシャーワーを浴びて「歯医者」さんへ行ってきた・・・先月(5月)の22日(金)の予約だったのにボケで日にちを間違えて、再予約してのコト・・・朝から「天気晴朗なれど風強し」・・・前回は失敗作の写真だったが、帰りの道でピンネッシリの頭がチョコッと観えるモノを撮ってきたが・・・ 帰ってきて屋根のペンキでも塗ろうかと思ったが、体調が崩れて暫く寝込んでしまった。あんなに好きだった風呂とシャワー。ここに来てからは体調が悪くなるようだ。当然、嫌いになるし、不潔になる・・・風も強いし、起き上がってからの仕事は洗濯だけ・・・それでも食欲だけはある・・・ココに来てからモモちゃんと一緒に「生きているコト自体」が「生き甲斐」になっているが、「甲斐」と云う程のものはないが、興味のある好きなコトはワンサカある。「イキ甲斐」とは「自己満足の世界」かも・・・「職人自身の繊細で精密な技術」は「自己満足」かも・・・「有名な・・・家」と云われる「専門家」は「自己保身」かもだが「有名になった後のハナシ」・・・いずれにしても「社会的労働」は結果、「他人の為の労働」でもある。好きなコトが出来るのは自分自身の時間的余裕があってコソのハナシではあるカナ・・・ 個々人の知識吸収の為の勉強も結果、「他人の為の勉強」ではあるハズだが・・・「詐欺師のワル知恵」も、「現実にはヤクに立たない地震学者の知識」も「専門家」ではあるナ・・彼らが「やり甲斐」を感じるのは、その「結果」であろうが・・・問題は「行政家=政治家」だが、「多くの人びと」を救えるかどうかは「?」である。最大の問題は「個々人の現実的な知識と知恵と実践行動」であるが、「お上(うえ)任せ」で「依存意識」ではあるカナ・・・ で、「生き甲斐・働き甲斐・遣り甲斐・やった甲斐があった・あんたの苦労の甲斐・我慢のし甲斐・甲斐性なしの男」の「甲斐(かい)」の漢字だが・・・ブログ辞典、記事を調べると、 ーーーーー 甲斐(かい・かひ・カンビ・コウビ・コウヒ) 甲斐=甲+斐 甲=口+十・・・「口の十」とは口を閉じるか、 口を重ねる・・・ きのえ・コウ よろい・かぶと カメやカニの体を覆う硬い殻状のもの こうら 「亀の甲より年の劫」 手や足のおもての面 手首から先の上側の部分(手の甲) 足首から先の、地面に接しない部分(足の甲) 十干の第一・きのえ 五行は木・陰陽は陽・大樹 甲星=木星・・・実星(左回り星)の ジュピター・ユピテル・ゼウス 乙星=太歳星・・仮(虚)の木星で暦上の 「年歳星(右回り)」・・・? 成績などの第一位 「甲種合格」 複数の物や人を区別するときに、 その名の代わりとして用いる 「旧制高校の文科甲類」 「甲が舎利になる」は 堅い鎧(よろい)が粉々に砕け、 火葬後の骨のようになる意で 滅多(めった)にありえないことの譬え 「甲に着る」は 他人の威光を借りたり、 自分の地位を利用したりして 威張(いば)ることのたとえ 「笠に着る・虎の威を借る」と同意 「甲乙・甲羅・甲板(かんぱん)」 「甲(かん)高い声」 「カピタン(甲比丹・甲必丹・加比旦)」 ↓↑ 「ポルトガル語で 「長・長官」 江戸時代 マカオ~長崎間の ポルトガル貿易に最高の権限者 マカオ滞在中は同地の最高の行政官 長崎では ポルトガル人の代表を務めた ↓↑ 「カピタン・モーロ(capitaõ‐mor)」 ↓↑ 「カピタンの名称は 他の外国人にも用いられ 中国人の代表は甲必丹(カピタン) オランダ商館長も (阿蘭陀甲必丹=オランダカピタン) ↓↑ 平戸商館時代(1609~40)には 長期間在任した オランダ商館長も多かったが 1640年(寛永17)11月 大目付 井上筑後守が 将軍徳川家光の密命を受け 平戸を視察し、 商館の一部の建物の取壊しを命じた際 日本人に キリスト教を広めないため 商館長の毎年交代を命じた」 ↓↑ 「Capitant, Henri 1865.9.15. グルノーブルで誕生 ~ 1937.9.21. アラニェで死没 フランスの法学者。パリ大学教授 1931年来日 主著はフランス民法の 最も基本的な教科書 『民法研究緒論』 Introduction à l'étude du droit civil (1929) 『民法講義』 Cours de droit civil (29,A.コリンと共著) 母校グルノーブル大やパリ大で教授 私法学をおしえる 昭和六年(1931) パリの「日仏会館」の要請をうけ来日 東京帝大、東北帝大で学術講演」 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 斐=非+文・・・「文に非ず」とは 「模様」であるが、 模す様(様子) 左右対称の模様であるならば ↓↑ 「甲斐」とは「二枚貝」である 山で採れる「貝」とは 「化石化した貝」 あるいは 「貝塚の貝(淡水貝)」である 二枚貝の 「シジミ(蜆=虫+見)」 ↓↑ 淡水二枚貝の種類 ↓↑ セタシジミ マシジミ ヤマトシジミ ↓↑ ↓↑ イケチョウガイ イシガイ オグラヌマガイ オトコタテボシ(セタイシガイ) オバエボシ カタハガイ カラスガイ ササノハガイ ↓↑ ドブガイ トンガリササノハガイ ニセマツカサガイ マツカサガイ マルドブガイ メンカラスガイ タテボシガイ カワシンジュガイ ↓↑ 斐=あや・あきら・よし・ヒ 左右反対になった模様 模様や美しい飾り ↓↑ ↓↑ 動詞の連用形や 動作性の名詞などに付いて、 その行為をした効果・効験の意を表す 収穫・利益・儲け・得 主として人間関係を表す名詞に付いて、 その人間関係の効果を発揮する意を表す ↓↑ 行動の結果として現れるしるし 努力 した効果 期待できるだけの値うち ↓↑ 代償となるもの・対価・値打ち 「『万葉集 (天平宝字三年(759年)以後編集・・・?) 二十巻本万葉集は 延暦二年(783年)頃に 大伴家持により完成・・・? 延暦四年(785年)家持の死後 大伴継人らによる 藤原種継暗殺事件 で死亡した家持も連座し 万葉集の編纂事業は 家持の罪が許された 延暦二十五年(806年)以降完成・・・?』 では 「代」、 『日本霊異記(弘仁十三年(822年)頃)』では 「債」、 少し後には 「詮」 と表記 甲斐と書くようになったのは もっと後のことで、 もちろん 当て字ですから 国名の「甲斐」 とは無関係」・・・??? ↓↑ 旧国名の一・・・令制国の「甲斐の国」 東海道に属する 山の峡(カヒ=山の間)の国 (古事記伝・本居宣長) 東海道と東山道の連結位置の 「交ひ」の国・・・? 「甲斐」の国名は 平安時代の 出土文字資料からも 確認できる・・・ならば、 「甲斐の国」の漢字は 「代・債・詮」よりも以前にあった 「甲斐の国」が後の記録 「代・債・詮」の 漢字が重なる理由があったのサッ・・・ だがコレラの漢字は「かい」とは 訓(よま)ない・・・ 代=イ(人)+弋(杭・繳=いぐるみ) 弋=鳥をとる道具) 繳=いぐるみ 矢に糸をつけ、 射たときに 鳥を繰(く)るんで 落とすような仕掛け 債=イ(人)+責(主貝) 「イ(人)の 主(ゝ=ポチ・チョンの王) は 貝(目の人、八)」 債=支払うべき財貨 「投資元金+利子」の返済 債務・債権・国債 詮=言+全・・・コトバのスベテ なすべき手段・方法・せんかた 効果・価値・かい・ききめ 煎じつめたところ・結局 選択・詮議 物事の要点・必須・眼目 ↓↑ 甲斐国司には 十三人の名前が確認 『続日本紀』に 天平三年(731年)十二月二十一日条 田辺史広足 (たなべ-の-ふひと・ひろ・たり) に関する記事 (神馬貢献 身体が黒色で 髪と尾の白い神馬) が初見 ↓ 武田信玄 (大永元年十一月三日(1521年12月1日) ~ 元亀四年四月十二日(1573年5月13日) の国 ↓ 甲府徳川家の時代 ~徳川家宣(綱豊)→六代将軍 ↓ 享保年間(1716年~1735年)に 幕府直轄領化 甲府町方は 甲府勤番による支配、 在方は 三分代官支配となり、 幕末に至る 明治二年七月二十日(1869年8月27日) 甲斐府が甲府県に改称 十二月二十六日(1870年1月27日) 田安藩廃藩 翌年にかけて領地が甲府県の管轄 明治三年十一月二十日(1871年1月10日) 甲府県が山梨県に改称 現在の 山梨県全域 甲州 山梨県北西部の市 甲府盆地の北西部を流れる 釜無川の左岸に広がる 北部は山岳・丘陵地帯で 昇仙峡がある・・・ ↓↑ ・・・スベテの「かい・カイ」の同音異字漢字の掛けである・・・ ーーーーー ・・・ボク的には「当て字」だからこそ意味があるだろうとカンガエているのだが、「換臥重留(カンガえる)」かな・・・だからコソ、国名の「甲斐」とは無関係ではないだろう・・・ 幕末、明治の「甲斐(かい)の国」とは、「貝=かい・バイ→唄・歌意」、「貝=かい=目+八=掛意・化意・戎」。「貝=かい・バイ→売買→売→比売→姫・媛・嬪・比米→女子(おんな・めご)」等など・・・
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