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「コイ」せよ「乙女(をとめ)」・・・音目・・・

2022/07/01・金曜日・・・追加添文・・・

・・・「乙女」を戦場に駆り立てるプーチンの侵略・・・くたばれ・・・

夏の色々は・・・ザンコク・・・

色即是空・・・史記(意賂)則施句有(得・胡)

空即是色・・・句有(得・胡)則施史記(意賂)

般若心経・・・班(版・範・判・汎・叛・伴)

       似也

       心境(信教・新疆・新京・新教・進境

          侵狂・親共)

↓↑

いろ-せ=色-施(是)

いろ-と=色-譯(通)

いろ-ね=色-音(値)

いろ-は=色-葉(ハ=捌=さばく=佐幕・裁く=サバク・沙漠・砂漠)

↓↑

いろは=同母の「兄・弟⇔弟・妹⇔兄・姉」⇔・・・?

↓↑

 ・・・「弐千壱拾八年二月十八日壱拾六時・日曜日」・・・「戊戌・甲寅・辛巳・丙申」・・・

 風も吹かず、雪も降らず、雲も見当たらず、冬の真っ青な空を背景に雀達が低く巨人が握って投げた飛礫(つぶて)のように飛んでいく・・・物置小屋とガレージの平らな屋根の上に厚さ1mほどに積もって固まってしまった雪を除雪・・・屋根で凍り付き、重くなってしまったユキはドウしょうもなく厄介である・・・家の裏には2階建ての宿舎の高さを越えてモンブランのように集積された雪の山・・・なんか、遠方に視える蒼に映える雪山と、御近所の家々の屋根、集積された雪の塊りが構図よくマッチしている・・・カナ・・・まだ、春は近からず・・・晴れの日の晩は急激に冷え込む・・・  「亀(かめ・龜)」が「万年生きるのは甲羅が鎧になっているから」・・・「八角形の甲羅(河図洛書)の玄武」だから・・・「占い」は「転ばぬ先の杖」・・・それでも「八方塞(ふさがり)」で幾手(活きテ)を拒まれる・・・「ゆくてをはばむ=前進を妨げる・妨害される・行く手を阻まれる・行く手を塞がれる・行く手を遮られる・行く手に立ちはだかられる・目の前を塞がれる・立ち塞がられる・障害される・邪魔される・ブロックされる」・・・  浜辺に産卵されたカメの数万、数千のタマゴが孵化し、浜辺から海へ辿り着き、小亀から大亀になって「万年」も生きて行くのは極わずか・・・今年は「九紫火星」が八方に塞がれているが・・・「塞ぐモノ」は発芽までの活き道を護っても呉れる「殻(殼)」でもあるかな・・・「ツチ・ミズ・クウキ」の奇蹟的な存在条件(物質相互の密度)を得て蠢きだす・・・タマゴをメザス、セイシの脱落、億万個・・・生存競争で生きて蠢く宇宙的時間は僅か・・・「恋せよ、乙女(おとめ)」だが、「請(乞)いせよ、童男(をとこ)」・・・  ・・・「をと兄(いろせ)といづれか愛(は)しき(古事記 垂仁)」・・・  「此天皇、以沙本毘賣爲后之時、   沙本毘賣命之兄・沙本毘古王、   問其   伊呂妹曰  「孰・・・孰(いず)れか   愛・・・愛(いと)しき   夫・・・夫(をとこ)   與・・・と   兄・・・兄(いろせ)・・・「いろせ⇔いろと⇔いろね」         いろは=同母の 兄・弟⇔弟・妹⇔兄・姉⇔?        「せ⇔いも」=男女や夫妻を示す対        「え⇔おと」=男女とも年齢の上下を示す対               兄弟・姉妹        「せ(兄・背)⇔いも(妹)」         なぜ、「兄=瀬」なんだか?⇔背信=配信                      ⇔配偶を裏切る者?         上代「いも(妹)」は、         男性が         妻や恋人や姉妹の親しい女性を呼ぶ用語         恋愛の対象となる女性を呼ぶコトバ    歟」・・・(與+欠=か?)⇔疑問の「歟=や・か・ヨ」   答曰  「愛兄」   爾   沙本毘古王謀曰  「汝寔思愛我者、   將吾與汝治天下」   而、   卽   作   八鹽折之紐小刀、   授其妹曰  「以   此小刀、   刺殺   天皇之寢」   故、天皇不知其之謀而、   枕其后之御膝、爲御寢坐也。   爾其后、   以   紐小刀   爲刺   其   天皇之御頸、   三度擧而、   不忍哀情、   不能刺頸而、   泣淚落溢於御面」   ↓↑  「垂仁天皇記」 ーー↓↑ーー   「天   垂(日月星辰)象   見吉凶   聖人   象之、  (天の垂れる形象、   聖人はこの形象の吉凶を見)   河(黄河)   出圖、   洛(洛水)   出書、   聖人   則之」、  (黄河の出す図形、   洛水の出す書文字、   聖人はこの法に則=のっとる)  ↓↑  「古者   包犧氏   之王   天下也(いにしえ、包犧氏が天下の王)   仰   則   觀象   於天(天空に於ける形象を仰ぎ、則、形象を観)   俯   則   觀法(俯瞰=鳥瞰=見降ろして、則、法則性を観)   於地   觀   鳥獸   之文   與地(地上に於ける地に与える鳥と獸の文様を観)   之宜   近取諸身   遠取諸物(これを宜=むべ・うべ             よろしく適合、適宜・便宜        近くの諸々の身体の有り様、形態の機能・機動        遠くの諸々の物体の在り様、構成の機能・機動)   於是   始   作   八卦(是に於いて八卦を作るコトを始めとする)」  ↓↑    八卦=☰乾・☱兌・☲離・☳震・☴巽・☵坎・☶艮・☷坤      天・ 沢・ 火・ 雷・ 風・ 水・ 山・ 地  ↓↑   天=乾(ケン)⇔太陽・乾燥・乾(かわく)     沢=兌(ダ)⇔兌換(とりかえる)・悦楽・鋭利       火=離(リ)⇔分離(はなれる)・厭離・離間         雷=震(シン)⇔雷光・雷鳴・雷雨                    震動(ふるう)           風=巽(ソン)⇔従順・卑下の徳                   長いもの一切             水=坎(カン)⇔穴・窪・凸凹・陥没               山=艮(ゴン)⇔不動・痕跡                   艮・根・恨・痕・眼・限                   銀・墾・懇                 地=坤(コン)⇔大地  黄河から現れたのは龍馬・・・魁罡(戊戌・庚辰・庚戌・壬辰)                魁罡=河馬⇔河豚                埃及で北天星座が河馬となった                トゥエリス(タウレト)                Thoeris・Taweret・Tauret               「カバ座(りゅう座、エジプト)」                ライオンの足                ワニの尻尾                妊娠している牝のカバの神                セティ1世の墓の天井の女神?     セティ1世(Seti I・在位、紀元前1294年~紀元前1279年)     古代エジプト第19王朝の第2代ファラオ     ラムセス1世の息子・名は「セト神の君」  洛水から現れたのは亀・・・・玄亀=「tortoise・turtle」  河図や洛書は        陸亀=「tortoise」                   (トータス)⇔尊いす  その背にあった文      海亀=「turtle」                   (タートル)⇔他蛙訳留                terrapin、slider、cooter               (テラピン・スライダー・クーター)  ↓↑  「網(モウ)=あみ=罒(モウ)」・・・網膜・網目・・・  「網=あみ=糸・竹・蔓・縄・針金などを縦横を交差させ        方形・菱形・円形・あらゆる形に編んだもの」     緯度、経度の交叉の中に描かれた「地図」・・・     デジタル映像モニターは方形の「網糸の目の集合」・・・     原稿用紙の文字は升目(桝目)の中の楷書がイイ・・・  ↓↑  「包犧氏=伏羲・宓羲・包犠・庖犠・伏戯・伏義・伏儀」などとも記録、「三皇の一人・姓は風・兄妹、or夫婦と目される女媧(ジョカ)と共に、蛇身人首の姿」・・・  じゃぁ、「鶴」が「千年生きる理由」はナンだろう?・・・「長い脚(足)と、長い嘴(くちばし)」・・・「鶴(寉+鳥)=カク=確(石+寉)」・・・「寉=隺とは、硬い、高く飛ぶという字・寉とは別」?・・・「寉(宀+隹)≠隺(冖+隹)」・・・「ウ」ではなく、「ワ」・・・  「隺(冖+隹=冂+隹)」は「高く至るなり」、「夫れ乾は隺然として」、「隹の上りて冂より出でんと欲するに從ふ」、「隹+冂の会意・冂から飛び出ようとする意」、「冂で隹が飛ぶのを抑えこもうとする意」、「鶴は愛玩のため屋内で飼われたから宀+隹の会意」、「丹頂鶴の象形」・・・「冂=国境・城郭・境界」・・・  「冂=けいがまえ(冏構・冋構)⇔経が前⇔景(行)が前は垂仁天皇」、「景行天皇(紀元前13年~130年12月24日・垂仁の第三子・日本武尊の父)」・・・  「冂=まきがまえ(牧構)⇔巻きが前は神代」、  「冂=どうがまえ(同構)⇔銅(和銅)が前は     慶雲(ユスリカ=揺蚊)    =708年以前の年号・704年~708年」、    =慶雲(ケイウン)は     新羅の     金憲昌が用いた     私年号・822年     新羅の第41代     憲徳王の14年(822年)3月     王族の「金憲昌」は     父の「金周元」が     王位につけなかったことを不服として反乱     熊州(忠清南道扶余郡)を拠点とし     朝鮮半島南西部を占拠     国号を長安とし     慶雲元年と宣言     同月、反乱は平定され     慶雲年号は直ちに廃止    『三国史記』巻十・新羅本紀第十    ・憲徳王紀(十四年三月)     熊州都督     憲昌     以父     周元不得為王、反叛。     国号長安。     建元     慶雲元年」  「冂=えんがまえ(円構)⇔両?     円空の先(後)なら木喰?」  「冂=えながまえ(胞構)⇔(柄長前?)     恵那が前なら・・・隣接しているのは     瑞浪市・中津川市・加茂郡八百津町・白川町」  ・・・「傕、㩁、蒮、榷、𤌍、㹊、𦞦、㿥、䮤」・・・  「榷=専売の意味」 ーーーーー  「穀(もみ・コク)=士冖一禾几又」  「穀(もみ・コク)=士冖 禾几又」  穀物=コクモツ  穀(もみ・コク)≠殻(から・コク)  ↓↑       ↓↑  殻=士+冖+几+几+又   =士+冖+几+殳  殼=士+冖+一+几+几+又   =士+冖+一+几+殳    から・カク・コク    シェル(shell)  殼=士+冖+一+几+殳=壳+殳  壳=士+冖+一+几  ↓↑  外殻(ガイカク)  甲殻(コウカク)  耳殻(ジカク)  蟬殻(センカク・せみがら)  地殻(チカク)  皮殻(ヒカク)  卵殻(ランカク)  殻竿(からざお)  から=物の表面をおおっているから     卵や貝のから・物の外側をおおうかたい皮  殻=殼    から・カク・コク    物の表面を覆う堅い外皮    貝殻・茶殻・ 籾殻 (もみがら)    苧殻(おがら)    枳殻(からたち)  ↓↑    生物の外殻構造    貝殻、卵殻、種皮など    表面を保護するために発達した硬組織    節足動物ではクチクラ    甲殻類ではキチン質    などで外骨格を構成    蕎麦(そば)殻・籾(もみ)殻    原子における電子殻の略  ↓↑  「甲羅(こうら)=Turtle Shell・turtle-back  「甲羅 carapace(キャラペイス・亀などの)      mail(亀などの)⇔?・郵便物・メール・封筒               postal matter・package?      mailed(甲羅のついた)      shell(シェル・カニ・エビ・貝・昆虫)」  ↓↑  shelter=風雨、危険などを避ける避難所       避難小屋  核シェルター=nuclear bomb shelter  防空壕  敵方の航空機の攻撃(空爆、機銃掃射)  ミサイル攻撃から避難するために  地下に造られた施設  避難壕(シェルター)の一種  ↓↑  「カミ(?)」からの防御、防衛・・・  ↓↑  崇神天皇  紀元前148年~紀元前29年  御真木入日子印恵命  (ミマキイリヒコイニエ・古事記)  御間城入彦五十瓊殖天皇  (ミマキイリビコイニエノスメラミコト・日本書紀)  御肇國   ↓↑   肇  異体字=肈       戸(戶)⇔所啓肇      「擊(う)つなり、攴に従ひ、肈の省聲・説文解字」 ーーーーー  高野 長英  文化元年五月 五日(1804年06月12日)  ~  嘉永三年十月三十日(1850年12月03日)  甲子(壬・ ・癸) 庚戌(辛・丁・戊)  庚午(丙・ ・丁) 丁亥(戊・甲・壬)  癸巳(戊・庚・丙) 戊子(壬・ ・癸)     午未=空亡  ↓↑  弘化元年(1844年)六月三十日  牢屋敷の火災に乗じて脱獄  西暦1844年8月13日  甲辰(乙・癸・戊)傷官  壬申(己・壬・庚)劫財  乙丑(癸・辛・己)食神  ↓↑  蛮社の獄  天保十年(1839年)5月  言論弾圧事件  ↓↑  安政の大獄  日下部 伊三治(くさかべ いそうじ)  文化十一年(1814年)   ~  安政五年十二月十七日(1859年1月20日)  幕末の水戸藩、薩摩藩士  海江田訥斎連の子  母は  樫村昔行の娘  諱は信政、後に翼・九皐・実稼と号  深谷佐吉、宮崎復太郎の変名を用いた  通称は伊三次  家名の  「日下部」は  海江田氏の本姓が日下部氏  ↓↑  神武天皇を助けた  「高倉下=タカクラジ」        ・・・なぜ、「ゲ」でなく「ジ」なのか?  「高倉下(たかくらじ)」  夢で見た神託により  神武天皇に  霊剣(レイケン)・・・例建  「布都御魂」・・・「布都のミタマ」   フツオンコム    都に御霊の剣で布(し)く  「附椄音 込む」?   ・・・「天下布武」              織田信長が朱印に用いた             印章の印文・・・「印恵(いにえ)」               御眞木入日子「印恵」命?             天下統一の意志             岐阜進出直後             1567年(永禄十年十一月)頃              三十四歳    をもたらした  ↓↑  第十代崇神天皇  御間城入彦五十瓊殖天皇・・・瓊殖(にえ)  (みまきいりひこいにえの すめらみこと・日本書紀)       五十瓊殖=いそにえ    御眞木入日子印恵命・・・印鑑・印刷・印字・印璽・印綬  (みまきいりひこいにえのみこと・古事記)  御眞木天皇  (みまきのすめらみこと・古事記)  御肇国天皇  (はつくにしら すすめらみこと)  享年  日本書紀で120歳・・・・1+2+0=3  古事記 で168歳・・・・1+6+8=15⇔1+5=6  ↓↑  古事記  「所知初國御眞木天皇  (はつくにしらししみまきのすめらみこと)」  ↓↑  日本書紀  「御肇國天皇  (はつくにしらすすめらみこと)」  「神武天皇」とダブル・・・  在位  紀元前97年2月17日~紀元前29年1月9日  紀元前88年  四人の皇族に  将軍の印綬を与えて  四道将軍とし東征・・・東北遠征軍⇔征夷(蝦夷)派遣軍  ↓↑  孝元天皇の第一皇子である  大彦命(おおびこのみこと)を北陸道へ  大彦命(おおびこのみこと)の子である  武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海道へ  孝霊天皇の第三皇子である  吉備津彦命(きびつひこのみこと)を山陽道へ  彦坐王の子である  丹波道主王命(たんばのみちのうしのみこと)を山陰道へ  派遣  ↓↑  東征中に  孝元天皇の皇子  武埴安彦(たけはにやすびこ)  と妻の  吾田媛(あたひめ)  が  都の襲撃画策し  異変を察知して引き返した  大彦命は  武埴安彦の軍勢を打ち破り  吾田媛の軍勢も  崇神天皇が派遣した軍に敗れ  反乱失敗  四道将軍の派遣は再開  紀元前87年  各地方を平定した  四道将軍が帰還、上奏  ・・・「意富多多泥古=大物主の末裔」      おほたたねこ  紀元前65年  任那国が朝貢  大和朝廷は畿内から全国へと支配権拡大  紀元前48年  活目入彦五十狭茅尊  (いくめいりびこいさちのみこと)  立太子した後  紀元前三十年  死亡  崇神天皇と言う諡号は  漢風諡号を持たない  神武天皇~元正天皇までの  44代(弘文天皇と文武天皇を除く)  に対して  奈良時代の文人  「淡海三船」が  漢風諡号を一括撰進し  「崇神天皇」の漢風諡号が贈号  古事記では  御眞木入日子印恵命  (みまきいりひこいにえのみこと)  日本書紀では  御間城入彦五十瓊殖天皇  (みまきいりびこいにえのすめらみこと) ーーーーー  ・・・細胞の合体・裁縫の縫い合わせ・毛糸の網併せ・文字の組み合わせ・・・文字の交換、文書の変換・・・

ーーーーーー

 ・・・???・・・

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・

 ↓↑

 ボクの「古事記字源」の発端・・・

 ↓↑

 干支歴

 ↓↑

 追加添文

 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」



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