「ゼロ」の存在・・・
2012年08月03日
Kap?, regia di Gillo Pontecorvo. Trailer
・・・「ゼロ地帯」と云う映画を観たのは中学校の二年か、三年の時だった。物語の始まりの映像とともに流れ出したのは「チェンバロの音」だった・・・初めて聴く音だった・・・学校で音楽の女性教師に形は「ピアノ」と同じなのに「音」が異なっていたその楽器の名前を訊ねたけれど、ボクの説明が拙かったのか、楽器の名前の答えは不明だった・・・あとで、「ハープシコード」とか「チェンバロ」であると教えてもらった。 「楽器の名前」が二つで呼ばれている。世界中には異言語が多数あるのだから当然である。だが日本ではナゼかこの二つの名前が一般的であるらしい・・・記憶としては「ハープシコード」の名前をスグ思い出すが、「チェンバロ」の名前がスグに出てこない。このボクの現象は最近では「マーガレットの花の名前」を思い出すのに「サッチャー」→「バター」→「マーガリン」→と連想して、やっと「マーガレット」がでてくる・・・記憶の回路が迂回して目的を果たす面倒くささである・・・で、この「楽器」を調べてみると、 「チェンバロ(独: Cembalo, 伊: clavicembalo)は、鍵盤を用いて弦をプレクトラムで弾いて発音させる楽器で、撥弦楽器(はつげんがっき)、または鍵盤楽器の一種に分類される。英語ではハープシコード(harpsichord)、フランス語ではクラヴサン (clavecin) という 」 と説明されていた・・・「プレクトラム」って?・・・さらに調べると、 「16世紀から18世紀にかけて西洋で重用された。時代や地域により、楽器としての...外見はグランドピアノに似るが、音の出し方は全く異なる。 鍵を押すと、鍵の向こう端に垂直に立つジャック(木製の打弦槌)が飛び上がり、その側面に突き出た爪(鳥の羽軸または革製で、プレクトラムと呼ばれる)が下から弦を引っかく。この点が、ハンマーで弦を打って音を出すピアノとは大きく異なり、全く別種のタッチを必要とする。」とあった。 ・・・「プレ・ク・トラ・ム」とは、「鳥の羽軸または革製で下から弦を引っかく」モノであるらしい・・・「振れ句、虎のヨコシマ」・・・「鳥の羽軸」、「革製」、「弦」、「引っ掻く」である、カナ・・・
・・・「ゼロ地帯(kope)」は以前にも書いた記憶があるけれど・・・「他人の生死」は「日常性」であっても「自分の生死」がその「他人の生死の狭間の日常」にあるコトをあまり「自覚」していないらしい・・・「ゼロ地帯」は「人間の自然的寿命」としての「生死環境」ではなく、「生殺与奪環境」に置かれた「人間:である・・・「人間」が生きるのを「イヤ」になったら、どうするのか?・・・そもそも「イヤ」になる「根拠」は「人間としての自己存在を否定」されたと「認識」する「自覚根拠の能力」を有するからである・・・だが、「人間として・・・」は初めからあったモノではない・・・社会的「人間=人の間(の関係性として)」が「公平の理性」として歴史的に「克ちとってきたモノ」である・・・自分にとっても、相手にとっても「イヤな事件」も「イイ事件」もソコから始まる・・・人間の自己存在する「生死期間」の根源的環境・・・「衣食住の社会的生活環境」は未だ「無自覚」な「意識」としての「生殺与奪環境」にある・・・「自閉症」とは・・・
2012年08月05日
つめたい部屋の世界地図 井上陽水
・・・オリンピックの競技、特に「サッカー」は「観ているモノ」の心臓に悪いし、「心情」を「ナショナリスト」にしてしまう・・・自分自身のコトだけれど・・・兎に角、「男女とも日本チーム」が勝って、今夜は眠れそうだ・・・「日の丸」が美しい・・・ その後のTVで「雑学」の番組をみたけれど・・・〆の手打ち、三(シャン、シャン、シャン)、三、三、の「イヨぉ~ッ」って云う「掛声」の説明が「藤真奈美」さんからあったけれど・・・「イヨぉ~ッ」は「江戸時代」の「仲直りのコトバ」が語源とか・・・ ・・・ボク的には「イヨぉ~ッ」は「壱与(與)」さんの名前だと思う。そう、「邪馬台国の卑弥呼の宗女、十三歳の壱与(與)」のコトです。「與(ヨ・あたえる)」は「鶏」が載る「神輿・お御輿」の「輿(ヨ)」に類字するが、「輿」は「地図」のコトである。「九」に「ゝ=ヽ=チョン」が付いて「丸」になるのは「九州の古代王朝の和平同盟」で、「乱がオサ(治・収)マル」である。「乱が収拾」したのは「卑弥呼」の登場と「壱與」の登場のトキである・・・「江戸時代」の「古代史学者(蘭学者)の考察」が、その「語源」・・・九州の「水俣(みなまた)」の「俣(また)」は「国字」である。この「俣」は「二俣城」にも使用されている「国字」である・・・「酷似」であるのは記録された「歴史文書」である。そして「コトバ」を「告示・告知」したのは「江戸時代」の「歌舞伎」の「戯作者」で、「脚本家」でアッタはずダ、ッ・・・「イヨぉ~ッ、チョン、チョン、チョン(拍子木の音)」・・・ イヤァ~ッ、「仲直り=同盟」・・・ツイデに興味のある人は「二俣城」と、「鳥居強右衛門」や「鳥居 耀蔵」を「ウイキペデア百科事典」などで調べてみるがイイ・・・ 「二俣城」を「ウイキペデア百科事典」でサワリを調べてみれば、 「二俣城(ふたまたじょう)」は、「遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)」にあった山城。「天竜川」と「二俣川」に挟まれた天嶮の中世の城郭。「武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた」 と、ある。「戦国時代の走れメロス(マラソンランナー)」・・・これも、どこかのTV番組で二、三日前やっていたのだが、「二俣城」で有名な「歴史的登場人物」は「足軽」の 「鳥居 強右衛門(とりい すねえもん、天文9年(1540年) - 天正3年(1575年)5月16日(もしくは17日)」 である。「強右衛門(スネえもん」の「強(つよい・キョウ)=弓+ム+虫」をナゼ「スネ・すね」と訓せているのか・・・「すね」は同音異字漢字で、 「すね=脛(ケイ)・臑(ジュ)・腱(ケン)・髄(ズイ)・髓(ズイ)」 であり、 「あし=脚(キャク)・肢(シ)・蘆(ロ)・葦(ロ)・芦(ロ)・足(ソク)」 であり、 「また=股(コ)・亦(エキ・ヤク)・又(サ・ぬ)・叉(シャ)・跨(コ)・骻(コ)・胯(コ)・髄(ズイ)・髓(ズイ)・復(フク)・岐(キ・ギ)・俣(また)・也(ヤ)・有(ユウ)・却(キャク)・還(カン)」 である。「現存・古事記」には「神武天皇=磐余彦」の記事に「長すね毘古」が登場する。ブログの抜粋記事には、 「ながすねひこ【長髄彦】」とは。意味や解説。 日本神話上の人物。 神武天皇の東征のとき、反抗した「大和国鳥見(とみ)」の土豪 ↓ 登美・能・那賀須泥・毘古 (とみ・の・ながすね・びこ) と、アル・・・ 「家名の鳥居姓が同名」なのは、 「鳥居 耀蔵(とりい ようぞう)」で、 生誕 寛政8年11月24日(1796年12月22日) 死没 明治6年(1873年)10月3日 別名 忠耀(諱)、胖庵(号) 蝮の耀蔵、妖怪(渾名) 戒名 青竜院殿法雲大輪居士 墓所 東京都文京区吉祥寺 官位 従五位下甲斐守 幕府 江戸幕府中奥番、徒頭、西丸目付 目付・勝手掛、南町奉行、勘定奉行勝手方 主君 徳川家斉→家慶 氏族 林家(大給松平氏)→鳥居氏 父母 父:林述斎、母:前原氏 養父:鳥居成純 であった。 ・・・「現存・古事記」の謎を解明する「糸口」である・・・ 「江戸時代の幕臣、旗本。耀蔵は通称、諱は忠耀(ただてる) 」 ・・・マラソン(マラトン)、飛脚、兎に角「心臓破りの丘」は「長距離走者」には「キツイ」・・・ ・・・「古事記」のモノガタリを「日本児童文学全集」で読んだのは小学校6年生の「夏休み」の時で、北海道は駅の裏の青い海が一望できる小樽富岡町の父親の実家で、雑貨屋を営むオバぁちゃん(名前はカジさん)の家の拾畳間の客室、応接間だった・・・その本棚に収まっていたのが「日本児童文学全集」だった・・・興味は「凸凹=男女」の「ナリなりて余るところ、ナリなりて足りぬところ」だったけれど・・・
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