「ルルドの泉の水」・「ベルナデッタ・スビルー」
「小保方」さん・・・「ベルナデッタ」を想い出すが・・・今も、昔も「時代の風潮」は重なっているのカモ・・・「科学者(?)」、「ジャーナリスト=売文情報屋、評論屋(?)」、「科学的人間(?)」って・・・ナンなんだろう・・・現今、21世紀までに「科学的(?)に証明」されてきたモノとはナニ・・・ ーー 「ベルナデッタ・スビルー(Bernadette Soubirous)」 1844年1月7日 ~ 1879年4月16日
1844年1月7日
~
1879年4月16日
大運1873年5月(29歳)戊辰食神
癸卯(甲 乙)正官・偏印沐浴⇔己卯傷官
乙丑(癸辛己)印綬・正官 養⇔戊辰食神
丙戌(辛丁戊) ・正財 墓⇔己巳傷官
甲午(丙 丁)偏印・比肩帝旺⇔庚午偏財
午未空亡 張宿丙戌 壁宿己巳
↓↑ フランスのシスター 南仏のルルドで「聖母」の啓示を受け 後にヌヴェールの 愛徳女子修道会の修道女となる 写真に撮られたカトリック教会の 最初の聖人 「ベルナデッタ」によって発見された 「ルルドの泉の水」 ・・・不治の病の治癒例・・・ 「68例」・・・たったの「68例」らしい・・・だけれど・・・「治癒」した?・・・ ーーー 御船 千鶴子 1886年7月17日
明治十九年七月十七日
~
1911年1月19日
明治四十四年一月十九日
大運1909年10月(23歳)壬辰偏財
丙┏戌(辛丁戊)偏印・印綬 墓⇔庚戌食神
乙┣未(丁乙己)正官・正官 衰⇔己丑劫財
戊┣寅(戊丙甲) ・偏印長生⇔己丑劫財
戊┗午(丙 丁)比肩・偏印帝旺⇔庚午食神
申酉空亡 虚宿戊寅 角宿己丑
↓↑ 熊本県宇土郡松合村(宇城市不知火町)生まれ 1911年1月18日 新聞の攻撃で 重クロム酸カリで 服毒自殺、 翌明に24歳で死亡 ーーー 高橋 貞子 1868年~? 岡山県和気郡和気町生まれ 念写はトリックと非難され 以後、所在不明・・・ ーーー 長尾 郁子 1871年 ~ 1911年2月26日 長尾郁子の能力を疑う学者が 「詐欺」とし 報道陣に発表 長尾郁子は以後、 実験を全く拒否 2ヶ月後、 急性肺炎で急逝 ーーー 長南 年恵(登志恵)
1863年12月6日
文久三年十月二十六日
~
1907年10月29日
明治四十年十月二十九日
大運1904年5月(40歳)戊辰劫財
癸┏亥(戊甲壬)偏財・正財 胎⇔丁未偏印
癸┣亥(戊甲壬)偏財・正財 胎⇔庚戌傷官
己┣亥(戊甲壬) ・正財 胎⇔辛亥食神
庚┗午(丙 丁)傷官・偏印建禄⇔甲午正官
辰巳空亡 氏宿己亥 張宿辛亥 ↓↑ 羽前国庄内高畑(山形県鶴岡市)生まれ 享年 満43歳10カ月
↓↑ 1900年(明治三十三年)七月九日 「全国紙新聞記者」の目の前で
空瓶の中に水現れた 1895年(明治二十八年) 詐欺行為(医師の資格なしに病気治療)を 行ったとして、逮捕 山形県監獄鶴岡支署に 7月から60日間勾留、 証拠不十分で釈放 拘留中の「不思議」な現象は 監獄側の資料や公式の文書などに無記録 年恵側が山形県監獄鶴岡支署長宛に送りつけた 「事実証明願」の中での記録 監獄側はこの「証明願」を却下 1896年(明治二十九年) 二度目の逮捕 山形県監獄鶴岡支署に10月10日より一週間拘置 1900年(明治三十三年) 三度目の逮捕 大阪空堀町にある弟の長南雄吉の所に滞在中 8月ごろ、新聞記事での騒ぎで、10日間拘置 1900年(明治三十三年)12月12日 拘置に対して、 神戸地方裁判所で再審 ↓↑ 判決は証拠不十分で無罪判決 弁護士たちが長南年恵に個人的な試験を申し込む それに応じて霊水出現の試験 封をした空きビンに水を満たす 実験の前に長南年恵は全裸 密閉空間の別室に閉じ込められ 精神集中 12月14日の 大阪毎日新聞の記事によれば その後 空きビンに濃い黄色をした水を満たし、 裁判長に渡した 裁判長はその水を持ち帰った・・・ ーーー ・・・「時代」は違うのに・・・「魔女狩り」・・・ 「長南年恵(おさなみ としえ)」の 「霊堂」は 山形県鶴岡市 南岳寺の境内 淡島大明神の堂宇 に、あるらしい・・・ ーーー 以前にも貼り付けた(ウイッキペデアからの抜粋) ↓ 1900年 干支「庚子」年 明治三十三年 皇紀2560年 清国 光緒二十五年十二月一日 ~ 光緒二十六年十一月十日 朝鮮 大韓帝国 光武四年 ↓ 1月2日初の電気バスが ニューヨーク(紐育)市で開業 1月15日東京市がペスト予防のため 鼠(子)の買上げを開始(1匹あたり5銭) 1月17日凸版印刷創業 1月27日各国公使団が 清国に義和団の鎮圧を要求 1月28日社会主義協会発足 2月13日足尾銅山鉱毒事件 農民らが東京へ陳情へゆく途中で 警官隊と衝突 (川俣事件) 3月10日治安警察法公布(3月30日施行) 4月8日井上円了 「漢字不可廃論」発行 ーーーー↓ 以下、 「明治期日本と〈国語〉概念の確立─文学者の言説をめぐって 増田周子」 からの参考した「部分抜粋」の添付です。本文は ↓ http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/kosh/2013-11-29/s001/s029/pdf/article.pdf ↓ 「内田魯庵」 「封建の旧習が抜け切れなかつた為めに 僅かばかりの洋学塾も 学問の背骨としては矢張 漢学を教へてゐた。 随つて漢学が 其頃の 知識標準であつた。 役人は威厳を保つ為めに、 書生は豪放磊落を衒ふ為めに 盛んに漢語を使つたもんだ。 四民平等といふのは実は名ばかりで、 役人が依然肩で風を切つてゐた其の頃は、 役人や役人の卵である書生が無暗と 漢語を使用すると 世間一般は矢張風化されて、 人に解らうと解るまいと闘はず、といふよりも 寧ろ人に 解らないのを却て 得意とするやうな 自分流儀の 変梃来の漢語を 勝手に使用したもんだ。 ↓↑ 当時の先覚者は大抵詩や漢文が作れる漢学の素養があつた 海外の事情を究めるにも洋書から直接に学ぶよりは 支那人の著書を通じて 間接に知る方が多かつた 一千年来支那人を指南番に仰いだ日本人は 欧羅巴の新文明を移入するにも支那人の著書におっていた ↓↑ 「井上円了」 明治三十三年 「漢字不可廃論」 「漢字にはおのづから一種の長所ありて、 西洋の文字も遥かに及ばざることを述べ、 我邦の文章は 漢字に仮名を交ゆるものに定むべきと述べ、 終りに至りて余が国語改良の方法を示しました。 余の漢字保護に関する意見は、 国字改良論者の意見の如く狭隘なるものにあらずして、 非常に遠大なるものである、 先きに一言せしが如く、 今後は独り漢字を奨励し、 多年の後には、 支那四百余州を一統して、 東洋の最大帝国となり、 然る後に 国字改良を議して遅しとせぬと云ふ意見であります (中略) 洋字に一長あると同時に、官学にも一長がある、 且つ将来は国字改良の問題にあらずして、 世界の文字を一変する必要が起るであらう、 (中略) 最上完全の文字を作り、 之を万国共通の 文字と定めたいと思ひます・・・ ・・・、「漢字万歳 漢字万歳 漢字漢学万々歳」 ーーーー 4月11日米海軍が 初の潜水艦ホーランド (潜水艦) 就役10月12日 4月15日パリ万国博覧会開催 5月14日パリ五輪(第2回夏季オリンピック大会) 5月16日アーサー・エヴァンズが クノッソス遺蹟を発見 6月20日義和団が 北京各国公使館を包囲 ドイツ公使を含む 数百人の欧米人を殺害 6月21日義和団の乱 清が日本など8か国に宣戦布告 7月2日ツェッペリンが初飛行(ボーデン湖) 8月14日義和団の乱 連合軍が北京総攻撃開始(翌日陥落) 8月30日幸徳秋水 「自由党を祭る文」発表(萬朝報) 9月8日米国ガルベストン (テキサス州)が ハリケーンで壊滅(死者六千名以上) 夏目漱石 文部省留学生として英国に留学 9月14日津田梅子 女子英学塾(津田塾大学)開校 9月15日立憲政友会結成 10月18日義和団の乱 北京列国公使会議開催 10月19日第4次伊藤内閣成立 11月8日三笠(戦艦)進水式・・・北海道の地名 12月5日東京女医学校(東京女子医科大学)創立 12月7日マックス・プランク 黒体輻射の法則を発見 12月14日マックス・プランク プランクの法則 エネルギーの量子化の エネルギー量子仮説を提唱 12月22日星亨逓信相辞職(東京市会汚職事件、後任原敬) 12月23日桂太郎陸相辞職(後任児玉源太郎) 12月25日第15議会召集 12月31日福澤諭吉 慶應義塾生らと 「19世紀・20世紀送迎会」を開催 日付不詳 ダフィット・ヒルベルトがパリで行われた 国際数学者会議において、 「ヒルベルトの23の問題」を発表 カール・ラントシュタイナー ABO式血液型を発見 翌年、論文発表 ポール・ヴィラール 透過性が高く 電荷を持たない 放射線を発見 gamma ray(ガンマ線) 高峰譲吉と 助手の 上中敬三が ウシの副腎から アドレナリンを世界で初めて結晶化 3月 新渡戸稲造 Bushido The Soul of Japan(武士道) 内村鑑三 「聖書之研究」創刊 エドムント・フッサール 「論理学研究」 アンリ・ベルクソン 「笑い」 ーー 誕生 1月2日伊丹万作、映画監督 1月25日石坂洋次郎、小説家 1月25日テオドシウス・ドブジャンスキー 遺伝学者・進化生物学者 ーー Network(紐育) Time Protocol 時間表記の起点が 1900年1月1日00時00分00秒(UTC) ーー ・・・
Comments