「古事記字源・語源・天国」への「長いナガイ『序文』」
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・古事記に使用されている
・「漢字・文字」と「漢字・音」の意味は?
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結論的に云えば、
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・「漢字」の「文字懸け」
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である。
これは既に「日下」の漢字を例にとって前述したように
ある「漢字」を「音・訓」ですべて読み、その「同音異字」の漢字の意味、特に
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・中国の書籍・漢籍の「故事」の人名・事件・地名・年号を検討し、
・更に「訓」でよんだ「音」に「一字・一音」の「歴史的な象徴漢字」をあて
・更に「漢字の造り」の「合字」を「部首」に「バラバラに分解」し、
・その「部首」の説明をよんで、更に「同音異字」をあてて検討すれば、
・「現存=古事記・神代・歴代天皇」の物語に展開されている、「漢字」は
・「邪馬台国」の事件に「重なり」、
・更には
・「大化改新」、
・「白村江の戦い」、
・「壬申の乱」、
・「持統天皇」の事件説明に重なっている・・・1600年代頃までも(?)
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と云うワケだ。「現存・古事記」に限れば「南北朝」当時の「現代史(1600年代頃までさえも?)」にも記録されている「漢字」の「同音」は「異字」の「漢字」に変化し、「複数の歴史的事件(国際的にも?)」を「重複的」、「多重的」に懸けられているのがアナタには理解されるにちがいない(?)・・・と。
私はこの「文字懸け」を、
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・『文字霊振り』
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と、「言霊」とは別な視点から意図的に「概念規定」したワケである。
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・「太安萬侶」その人は何者であったのか?
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「太安萬侶」の「立場」を考えてみたい。結論的に云えば
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・「卑弥呼」と「壱与」の物語をベーシックに
・この「日本」で起きた「歴史的」な個々の事件を、
・「方法論的」には「弘法大師・空海」が唐の「恵果」から伝授され、
・招来した
・「占星術・宿曜経」の「宮・宿」の「占盤上」と「中国占術理論」
・あるいは
・「ギリシャ天文学・神話」の「コトバ」を「重ね置」いて
・「モノガタリ」を展開した日本最初の「戯作者」である。
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もちろん、絶対的に当時(初唐)、国際的なギリシャ文化の影響を受けたであろう「中国天文学・占星術」の知識を持った人物でなければならない。
と、同時に当時の中国で著作されたあらゆる「漢籍・書籍」の知識を有する博学多彩な「漢学者」、「数学者」であり、国際的な「神話学者」でもあった。これは「中国漢籍の故事」の引用の多彩なことからいえるし、世界の神話(?)を網羅していると思われるからである。
と、同時に「日本国」の初期の「国語(?)」を確立させた「国語学者」でもあった。
多分、「太安萬侶(?)」は、(私が現在、尊敬の念をもって使用している「大修館・漢和辞典」の、この漢和辞典には漢籍の故事、歴史上の人物、その人物の業績と年代が網羅されているが)、「オリジナル的」な「漢和辞典」を作った「人物」とも思われるからだ。
その根拠は
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・「漢和辞典」にある「一つの漢字」の
・「序列、順番的な日本語(訓)の数多くの意味・説明文」に
・「一字・一音」の「古事記使用の漢字」をアテハメれば
・説明文とは裏腹に「他意のコトバ」となり、
・その「言葉」の由来が「順序よく」理解できるようになっている
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からである。
大修館・漢和辞典に於ける【雨】の例
【雨】 ウ ・① ウ yu
あめ・あま・② ウ yu
一 ①あめ ②友人。「旧雨」 ③やわらいだ 気 二 ①あめふる
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飴 熊人 仇卯 耶倭羅委拿 姫 天 降る
天 酉人 宮得 八輪螺意出 企 娃女府留(婁)
編 遊人 扱宇 夜話等謂楕 記 亜眼付留(流)
あめが降る ②ふる (降る) イ ゆきやあられがふる
↓↓↓↓↓ ↓↓ ↓↓↓↓↓↓↓↓↓
天 河敷流 鮒留 往き夜有られ畫譜留
阿女賀府留 婦婁(振る) 湯来冶阿羅禮賀夫瑠
海女臥賦留 夫留(古 ) 結城家阿羅麗峨普留
ロ 空中 から物 が落ちる ③うるおす さめ・ふる
↓↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓ ↓↓↓ ↓ ↓
アキナカラモノガオチル ウルオス サメ フル
秋那賀化羅母野臥越智留 卯婁起州 沙女 府瑠
雨 象形。
上の一は天 を表し、
↓
上の一は海部将彪史
冂は雲を表し、
↓
巻が前は玖母将兵史
水が その間より 落ち る 様に 形どる
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
箕津が祖の空より 越智 留 作真似 化多知努留
嬢・壱・海女・阿羅・倭姿・甲姫・前・玖喪・苧・評始
じょうの・イチ・アマの・アのクニ
ワのスガタ・カンキが
マエ・クモ・いも
ヒョウのハジメ
↓
御津が姐の姦、預里 落ち流 挫魔貳 肩地 捕
「太安萬侶」が「古事記」を記録人物と「同人」か「否」かは別にして、「立場」は・・・「権力」に批判的な人物・・・当時の権力者に対する「反権力」のインテリゲンチャであった、と言える。この「反権力」には補足説明が必要だが・・・もともとは「天武天皇」、あるいは「後醍醐天皇」とゆかりのある人物で、敢えて云えば「天武系=南朝」が「天智系=北朝」に権力交代した時に「権力周辺」から疎外された人物である・・・。
何故なら
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・「古事記」の重要な叙述の「語句」は漢字の「同音異字」と言う
・日本的な「音読み」の特殊性を武器に、「音」での叙述構造が
・同じでも「視覚」的に「別の漢字」を選択すれば
・肯定とも、否定とも採れるような、 あるいは意味の全く違う
・「二律背反」する「言葉=音」で記されている。
・
・ 表の言葉=保身 裏の言葉=反逆
・ ↓ ↓
・例 善=(よし)=葦=(あし)=足=脚=悪(わる)
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これは現在的な「日本語」の「アイマイ」さ
の原点ともなったモノであると考えられるのだ。
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・「稗田阿礼」その人は何者であったのか?
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「稗田阿礼」は実在の人物と敢えて考えなくてもよいだろう。だが、「稗(ヒ)」、「田(デン)」、「阿(ア)」、「礼=禮(レイ)」の漢字の「同音異字」と、日本語の「訓」のすべての意味と、「訓でヨマレタ音の別な意味」である。例えば「阿=ア」の同音異字、「阿=くま(曲がり)」だが、「くま=熊・句真」と漢字を当てるのだ。「稗」は「禾(のぎ)+卑(ヒ)」の合字である。能義の卑弥呼・・・退きの卑弥呼・・・「卑」は「イヤシイ」とよんでいるが「癒やし位(意・居・委・医)」かも。
とにかく・・・この人物は多分、
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・「宿曜経」そのものであり、
・彼の「年齢」が敢えて「二十八」と記しているところから推理すれば
・「宿曜経・天球円盤の星の宿」の「二十八宿」を重ねているのだ。
・
・また、「舎人(トネリ)=斗根理」である、としているところからすれば
・「舎」は「星宿であり、星座であり、星のいどころ」である。
・「兎練り」なら「ウサ・ギはイトのヒガシのサト」で、
・「ウサ(右左)」の「ギ(祇・祁)」の「ネリ(音理)」である。
・また、「舎(シャ)」は
・「私、自分の謙称」と漢和辞典にあり、
・「舎人」は「牛車の牛飼い、馬の口とり」である。
・「シャ」は「同音異字」のスベテに懸けられているのである。
・ 社・者・娑・捨・沙・謝・車・斜・射・写・砂・紗・煮・赦・遮・卸 ・
・ 柘・這・洒・奢・寫
・
・「宿曜経」の「牛宿」は別格で「牛=神の宿」であり、月の白道位置から
・外れ、「空海」が招来した「占い」では使用しない「宿」である。
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故に彼は「牛宿=神」の人物であり、
「人の命宿」には存在しない人物であり、
「宿曜経」の「二十七宿」の
「斗宿」と「女宿」の間に挟まりながら
「二十七宿」を「統括」する「主=神」そのものなのだ。
「女=オン・ナ」と
「斗=ハ・カ・ル」の
「狭間の上の倍支」の
「牛=ウシ」
音 名
葉 化 流(留)
把座間 培詞
得支
「舎=私=吾」ならば「太安萬侶」その人、本人のことであるが、
「舎人親王」は「日本書紀」編纂の中心人物であった・・・
彼の系譜が「太(おほの)=多」であったかも知れない。
あるいは、
「舎人親王」の「良心(両親)の呵責」の産物が
「源・古事記」であったかも・・・
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・「天照大御神」とは誰なのか?
・「豊受大神」とは誰なのか?
・
・古事記に展開されている「場所」は何処であったのか?
・古事記に展開されている「時期」は何時であったのか?
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「現存・古事記」から私が推理した「日本・古代史」は次のごとくである。
すなわち、「古事記」に展開されている「地理(輿)と人物(姓名)」は・・・
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・1、地理的な場所は阿蘇山を中心にした東西南北の「九州」である。
・ 理由は日本の九州は、中国大陸の「九州」とその「地名」が
・ 「故事的」に「音」をとって日本の九州に重ねられたからである。
・
・2、物語は「北(子)=博多=伊都」、「西(酉)=長崎=諌早」、
・ 「東=大分(卯)=宇佐」、「南(午)=鹿児島」の地域、及び、
・ 九州周辺の島々と本州西南、四国、そして「朝鮮半島」での展開ある。
・
・3、「古事記・神話」に展開されている人物は
・ 「魏志・倭人伝」に展開された「卑弥呼」、「壱与」の
・ 歴史的「事実」を下敷にし、中国の漢籍、書籍に記されている
・ 「故事」によって説明されている。
・
・4、「邪馬台国の都=女王国=斎宮」は
・ 「九州内の各地域」に時代的状況によって移動=遷都した。
・ 「遷都」したのは「邪馬台連合国」の「宗主国=斎宮=西宮」で、
・ 「宗主・女王国=斎宮」である。
・ その場所は九州に現在も地名として残されている各「横島」である。
・ ・
・ 九州の政治権力は「卑弥呼」の死後、「三分」されていた。
・ 西は「日=左目=烏=鴉=阿=肥の国」と
・ 東は「月=右目=卯=兎=宇=豊の国」、
・ 北は「時=中鼻=子=鼠=禰=筑紫国」
・ ・
・ 「卑弥呼」は中国の「呉国」、朝鮮半島の「公孫淵・燕国」と関係があり
・ 「台湾・沖縄琉球・九州南西」に影響力を持つ海女族の「女王」であり、
・ 「長崎半島・島原・天草半島」に存在した。
・ 「壱与」は「帯方郡派遣」の「張政」と縁籍の者で「人質(?)」であっ
・ たが「卑弥呼」殺害後、「玉名・横島」に存在し、その後、「豊国」の
・ 「宇佐」に遷都した。
・ そして、この「三つの権力」の影響を受けた人々は縄文・蝦夷族の地
・ 山陽、山陰、西海、東海、北陸、東北へと移動、移民した。
・ ・
・ 「白村江の海戦」後に「志賀・長津」から「滋賀・大津」に遷都し、
・ 伊勢内宮に遷宮したのは「壱与・百済」系・・・?
・ 「壬神の乱」後に「大和」に遷都し、
・ 伊勢外宮に遷宮したのは「卑弥呼・新羅」系・・・?
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・ 「ヨコシマ(横島)」と読まれる漢字は「感冒」の「冒」をはじめに
・・=(宀+九)=横・邪・姦・干(カン=諌=甲)・佞・・・侘・差・左・ム・私
・・=(宀+九)=侈(シ)・佻(チョウ・ジョウ)・犯・毎・曲・奸・淫・自・己
・
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「(宀+九)=(キ・よこしま)」は
「邪悪・姦・・悪者・盗人」と
諸橋轍次先生の
「大修館・新漢和辞典(改訂版)」にはあり、
「究」の「八」を欠字させた漢字である。
「菅原(すがわら)」の「菅」も「よこしま」と訓れている・・・
漢和辞典を注意してみないと
「よこしま」とヨマれている漢字を見落とす事になる・・・
もちろん、太宰府に流刑された
「菅原道真」の「菅」である。
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・ 現存する「横島=ヨコシマ」と呼ばれている地名の場所は
・
・ ①熊本県玉名郡「横島」 各「横島」を結ぶと逆「台形」になる
・
・ ②大分県南海部郡「横島」
・
・ ③愛媛県南宇和郡「横島」
・
・ ④愛媛県「日振島」に隣接する「横島」
・
・ ⑤長崎県北松浦半島、田平沖北方に存在する「横島」
・
・ ⑥広島県、倉橋沖南方に存在する「横島」
・
・ ⑦天草諸島を東西に横切り、西に天草、東に「横島」
・
・ ⑧長崎県「諌早=伊 邪 早(日 十)」
・ ↓ ↓ ↓ ↓↓・
・ 伊の邪(ヨコシマ)の 日の十(叉=交差)・
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この現存する「よこしま」は単なる偶然ではない・・・もちろん、「イト的」なモノである・・・
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・5、物語の「天照大御神の岩戸隠れ」は「卑弥呼の死」であり、
・ 「太陽=鴉(ア)=カラス=烏(ウ)=呉」の失権であり、
・ その「卑弥呼」の復活は
・ 「月=卯(ウ)=ウサギ=兎(ト)=與=与=夜=代」の
・ 「宇受女=猿女」その人への権力譲渡であり、
・ 「卑弥呼の宗女」である「壱与」への権力「委譲」である。
・ 「與」に類似する漢字は「輿(みこし)」であるが、この意味は「地理」
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・ ちなみに「卑弥呼」は海底に溺れた「猿田彦」でもあり、
・ 「猿田彦」の跡目を継いだのは ・
・ 「猿女」となった「宇受女」であり、「壱与」でもある。
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人物も地名も「ケフ、九重の八重サクラ」で、化訃して重なる「桜=娑玖羅=サクラかな」で、アル。
「九重」、「八重」を単なる「多い、たくさん」であるとする説は説明不足であるのは漢和辞典で「九」、「八」の項目をみれば明かだ。
「サクラ」は「商売人」、特に「大道商人・露店商」が客寄席のために利用する「人物」として「客を騙す」意味で使用している。まさに、前に述べた「商売」の「売=女」の意味、「売子=売史」で、「イツワリの歴史」である。まさに「日本史」は今も昔も「売史」の伝統を踏まえていると云うわけだ。
とにかく、これを考えれば「九」と「八」+「サクラ」が他の多くの「同音異字」に変化し、その意味も「多重に変化」して、読むものにどれを選択したらよいのか結果的な「判断を迷わすように懸け」て歌っていると言うことなのだ。「ヤシ」も同じ様なコトバとして使われている。・・・「椰子の実の中」は「水」である。
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・卑弥呼=天照大御神=太陽(鴉=カラス=烏=ウ)=猿田彦
・壱 与=豊受大御神=月 (卯=ウサギ=兎=ト)
・ =宇受女=猿 女
・ うつめ=さるめ
・ ↓ ↓
・ 埋 女=去る女=作(詐)留 音名・・・十一里女
・↓ ↓ 埋葬女 座留女=申女
・↓
・木花 之 佐久 夜 姫
・↓
・きか の さきゅう よるひめ
・↓
・帰化 廼 挫宮 依 秘 舞奏女 娑婁女 ・
↓ ・↓・・・・・・・・・・・・・・・ 欝 女 蓑流目
・木花 之 佐久 夜 姫 ・ 蔚 女 詐留女
・こはなし さきゅうよるひめ ・ 打女・猿女
・↓ ・ 討女・えんじょ
・小話 作究 選 秘 ・ 伐女・燕女
・↓ ・ ウツメ 援 助
・虎話 座宮 因る秘 ・ 宇津女・さるおんな
・ 古話 叉球 選る ・叉留音 名
・ 姑噺 砂丘 選る
・ コカ シ サク ヤ キ
・ 古歌 詞 作句 訳 記
・ こかし=転かし・扱かし糊化し・固化し
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「現存・古事記」をよく読めば「大国主」は「壱与」の重なりであることがわかる。また、「倭タケル」も、彼の妻「乙橘姫」も「壱与」の重なりである。また、「白村江の戦い」で海没して死んだ「倭水軍」、「壬申の乱」の志賀の大津で最後を遂げた「大友皇子」も「壱与」の重なりであるハズだ・・・。
この謎を解く「鍵」は単純明快な「水没」と云う言葉である。これらの登場人物は「水没」、「海没」、すなわち「水に溺れる」ことを共通項にしているのである。この「水没」と云うことに関して云えば「猿田彦」は「倭水軍」の「提督」であり、「阿倍比羅夫」と重なっていると云うワケだ。
参考に「猿田彦」の溺れた時の別名を掲げておこう。
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・猿田彦 =さるたひこ=エンデンゲン=淵伝源=去る汰(多)肥子
・軒轅氏=黄帝
・
・底度久 =そこどく =テイトク =提督 (サル=申=上海の俗称)
・祖姑退く テイドキュウ=程度宮=訂読
・
・都夫多都=つぶたつ =トフタツ =都二つ=柘二つ
・津武絶つ =粒(螺)起・・・粒=米立=八方位
・柘分裁つ 螺=中ム田糸(幺・小=八・)
・阿和佐久=あわさく=阿波柵=阿波は久をたすけた
・ =阿波(安房・安和)を割く(割譲)か、作
・沫 作 悟葉=さとる言葉=作盗言葉
・阿話簑句 心吾日下世木=真吾日下予期
・泡 裂
・粟 索・・・西のコメ(胡女)をヒイタ(一意多)
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「粟索」を分解したら「西+米+十+ワ+糸」で・・・ニシ(煮史)のコメ(込・混)、トオ(渡夫)、ワ(話)、イト(意図)・・・西のコメ(胡女)をヒイタ(一意多)・・・あるいは、尼の史、姑の女、重る話、伊都、である。
「ウズメ」の「壱与」が「ヤマトタケル」ならば、「クマソタケル」は「卑弥呼」である。と同時に「卑弥呼」が「洞窟に隠れた人物」ならば、靴を残して行方不明になった「同靴=同沓=導靴」の「天智天皇」でもある。もちろん、「白村江」で海没した「廬原君臣」、「朴市田來津」であり、「猿田彦」である。
・・・彼は「燕」の国の「公孫淵」の伝え話のダブリ(拿分理)でもある。
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・卑弥呼 (溺殺・絞殺・長崎)=干巫
・猿田彦 (溺殺・宇土・阿波)=「淵=燕」多元=「圓=媛」多言
・八重事代主(溺殺・出雲) =鉢重古都の城主
・大国主 (溺殺・出雲) =弟国主
・乙橘姫 (海没・相模) =音立花(葉名)
・廬原君臣 (海没・白村江) =葦原君臣
・朴市田來津(海没・白村江) =朴市・タギツ=田寸津姫
・大友皇子 (志賀大津) =一の人のナの又
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では「須佐之男」は誰か?
「須佐之男」は「博多・伊都国」と「帯方郡」を行き来、
往来する「帯方郡使」の「張政」その人だ。
宿曜経では「張宿」の人物は天才、才覚の人物、とある。
「帯方郡」の「帯」は「古事記序文」には
「多羅斯(タラシ)」とよむ、とあり、
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・「多・羅・斯」は
・「多く」の
・「羅(あみ)=網=毛=猛=国」の
・「斯(シ・この・これ・ここ・かく・かかる
・ すなわち・さく・ひきさく・しばらく)
・「嘶(むせぶ=咽ぶ・しわがれる=史話借れる・いななく=否なく
・ シ=支=始=姉=姿=祇=糸=至=止」の史であり、
・ ・
・「帯(おび)=牡尾=将備=麻美=牡(丑)未(羊)=烏美=弧美
・「方(かた)=形=型=片」が過多で、
・「方(ホウ)=法=豊=宝=鞄」に包まれている
・「郡(こおり)=桑折=氷=凍り」の群
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と解読するワケである。
もちろん「帯」は「タイ=台」であり、
天体の黄道であり、白道、赤道の環帯である。
「張宿」は「獅子座=師子宮」にあり、
その「座宮」の守護神は「太陽」であり、
「宿曜経」では「婆薮」である。
「スサノオ」は「州・作・之・将」であり
州=国作りの将軍である。
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・ 須 佐 之 男
・ ↓
・ 張 政=須佐之男=素戔嗚=スサノオ=アゴヒゲをタスケ、ユク、オトコ
・ ↓
・ハル マツリ 素(主糸)=ソ=もと、しろう、白絹(シロキヌ)
・ ↓
・ 春 祭り・・・春日 母砥 姉鷺烏
・ 弥 生のヒナ祭り
・ 耶与夷
・ 邪余移 ・ ・ 戔(戈戈)=サン・セン=そこなう、すくない、 ・
・ 蘇子茄烏 州狗納委 ・ ↓
・ わずか ・
・ 倭頭科 ・
・ 嗚(口烏)=ヲ・ウ=なげく、いたむ ・
・ 名解玖 委汰武 ・
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「魏志・倭人伝」にある「倭国動乱」の女王「卑弥呼」と「壱与」の権力交替は「帯方郡使」としての「張政」の策謀による「卑弥呼」の「縊殺・絞殺」、あるいは「溺殺」によるものであると推察できる。理由は「魏」と「呉」の対立による「ヤマタイ連合国」内の「女王権力」の確執である。
その後、「張政=スサノオ」は「卑弥呼」殺害による罪を着て、「イズミ=イズモ」へ移動し、「壱与」は「宇土=横島」から「宇佐=大分」に遷都移動したと考えられるのだが・・・果して如何?
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