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「名=な・メイ」=「仮」ではない「眞(真)の漢字」?

2022/11/18・金曜日・・・追加添文・・・

・・・真名仮名=「名=な・メイ」とは「仮」ではない「眞(真)の漢字」

 ムシ目出るヒメ・・・

 ・・・「弐千壱拾八年二月十八日壱拾六時・日曜日」・・・「戊戌・甲寅・辛巳・丙申」・・・風も吹かず、雪も降らず、雲も見当たらず、冬の真っ青な空を背景に雀達が低く巨人が握って投げた飛礫(つぶて)のように飛んでいく・・・物置小屋とガレージの平らな屋根の上に厚さ1mほどに積もって固まってしまった雪を除雪・・・屋根で凍り付き、重くなってしまったユキはドウしょうもなく厄介である・・・家の裏には2階建ての宿舎の高さを越えてモンブランのように集積された雪の山・・・なんか、遠方に視える蒼に映える雪山と、御近所の家々の屋根、集積された雪の塊りが構図よくマッチしている・・・カナ・・・まだ、春は近からず・・・晴れの日の晩は急激に冷え込む・・・  「亀(かめ・龜)」が「万年生きるのは甲羅が鎧になっているから」・・・「八角形の甲羅(河図洛書)の玄武」だから・・・「占い」は「転ばぬ先の杖」・・・それでも「八方塞(ふさがり)」で幾手(活きテ)を拒まれる・・・「ゆくてをはばむ=前進を妨げる・妨害される・行く手を阻まれる・行く手を塞がれる・行く手を遮られる・行く手に立ちはだかられる・目の前を塞がれる・立ち塞がられる・障害される・邪魔される・ブロックされる」・・・  浜辺に産卵されたカメの数万、数千のタマゴが孵化し、浜辺から海へ辿り着き、小亀から大亀になって「万年」も生きて行くのは極わずか・・・今年は「九紫火星」が八方に塞がれているが・・・「塞ぐモノ」は発芽までの活き道を護っても呉れる「殻(殼)」でもあるかな・・・「ツチ・ミズ・クウキ」の奇蹟的な存在条件(物質相互の密度)を得て蠢きだす・・・タマゴをメザス、セイシの脱落、億万個・・・生存競争で生きて蠢く宇宙的時間は僅か・・・「恋せよ、乙女(おとめ)」だが、「請(乞)いせよ、童男(をとこ)」・・・  ・・・「をと兄(いろせ)といづれか愛(は)しき(古事記 垂仁)」・・・  「此天皇、以沙本毘賣爲后之時、   沙本毘賣命之兄・沙本毘古王、   問其   伊呂妹曰  「孰・・・孰(いず)れか   愛・・・愛(いと)しき   夫・・・夫(をとこ)   與・・・と   兄・・・兄(いろせ)・・・「いろせ⇔いろと⇔いろね」         いろは=同母の 兄・弟⇔弟・妹⇔兄・姉⇔?        「せ⇔いも」=男女や夫妻を示す対        「え⇔おと」=男女とも年齢の上下を示す対               兄弟・姉妹        「せ(兄・背)⇔いも(妹)」         なぜ、「兄=瀬」なんだか?⇔背信=配信                      ⇔配偶を裏切る者?         上代「いも(妹)」は、         男性が         妻や恋人や姉妹の親しい女性を呼ぶ用語         恋愛の対象となる女性を呼ぶコトバ   歟」・・歟(與+欠=か?)⇔疑問の「歟=や・か・ヨ」   答曰  「愛兄」   爾   沙本毘古王謀曰  「汝寔思愛我者、   將吾與汝治天下」   而、   卽   作   八鹽折之紐小刀、   授其妹曰  「以   此小刀、   刺殺   天皇之寢」   故、天皇不知其之謀而、   枕其后之御膝、爲御寢坐也。   爾其后、   以   紐小刀   爲刺   其   天皇之御頸、   三度擧而、   不忍哀情、   不能刺頸而、   泣淚落溢於御面」   ↓↑  「垂仁天皇記」 ーー↓↑ーー   「天   垂(日月星辰)象   見吉凶   聖人   象之、  (天の垂れる形象、   聖人はこの形象の吉凶を見)   河(黄河)   出圖、   洛(洛水)   出書、   聖人   則之」、  (黄河の出す図形、   洛水の出す書文字、   聖人はこの法に則=のっとる)  ↓↑  「古者   包犧氏   之王   天下也(いにしえ、包犧氏が天下の王)   仰   則   觀象   於天(天空に於ける形象を仰ぎ、則、形象を観)   俯   則   觀法(俯瞰=鳥瞰=見降ろして、則、法則性を観)   於地   觀   鳥獸   之文   與地(地上に於ける地に与える鳥と獸の文様を観)   之宜   近取諸身   遠取諸物(これを宜=むべ・うべ             よろしく適合、適宜・便宜        近くの諸々の身体の有り様、形態の機能・機動        遠くの諸々の物体の在り様、構成の機能・機動)   於是   始   作   八卦(是に於いて八卦を作るコトを始めとする)」  ↓↑    八卦=☰乾・☱兌・☲離・☳震・☴巽・☵坎・☶艮・☷坤      天・ 沢・ 火・ 雷・ 風・ 水・ 山・ 地  ↓↑   天=乾(ケン)⇔太陽・乾燥・乾(かわく)     沢=兌(ダ)⇔兌換(とりかえる)・悦楽・鋭利       火=離(リ)⇔分離(はなれる)・厭離・離間         雷=震(シン)⇔雷光・雷鳴・雷雨                    震動(ふるう)           風=巽(ソン)⇔従順・卑下の徳                   長いもの一切             水=坎(カン)⇔穴・窪・凸凹・陥没               山=艮(ゴン)⇔不動・痕跡                   艮・根・恨・痕・眼・限                   銀・墾・懇                 地=坤(コン)⇔大地  黄河から現れたのは龍馬・・・魁罡(戊戌・庚辰・庚戌・壬辰)                魁罡=河馬⇔河豚                埃及で北天星座が河馬となった                トゥエリス(タウレト)                Thoeris・Taweret・Tauret               「カバ座(りゅう座、エジプト)」                ライオンの足                ワニの尻尾                妊娠している牝のカバの神                セティ1世の墓の天井の女神?     セティ1世(Seti I・在位、紀元前1294年~紀元前1279年)     古代エジプト第19王朝の第2代ファラオ     ラムセス1世の息子・名は「セト神の君」  洛水から現れたのは亀・・・・玄亀=「tortoise・turtle」  河図や洛書は        陸亀=「tortoise」                   (トータス)⇔尊いす  その背にあった文      海亀=「turtle」                   (タートル)⇔他蛙訳留                terrapin、slider、cooter               (テラピン・スライダー・クーター)  ↓↑  「網(モウ)=あみ=罒(モウ)」・・・網膜・網目・・・  「網=あみ=糸・竹・蔓・縄・針金などを縦横を交差させ        方形・菱形・円形・あらゆる形に編んだもの」     緯度、経度の交叉の中に描かれた「地図」・・・     デジタル映像モニターは方形の「網糸の目の集合」・・・     原稿用紙の文字は升目(桝目)の中の楷書がイイ・・・  ↓↑  「包犧氏=伏羲・宓羲・包犠・庖犠・伏戯・伏義・伏儀」などとも記録、「三皇の一人・姓は風・兄妹、or夫婦と目される女媧(ジョカ)と共に、蛇身人首の姿」・・・  じゃぁ、「鶴」が「千年生きる理由」はナンだろう?・・・「長い脚(足)と、長い嘴(くちばし)」・・・「鶴(寉+鳥)=カク=確(石+寉)」・・・「寉=隺とは、硬い、高く飛ぶという字・寉とは別」?・・・「寉(宀+隹)≠隺(冖+隹)」・・・「ウ」ではなく、「ワ」・・・  「隺(冖+隹=冂+隹)」は「高く至るなり」、「夫れ乾は隺然として」、「隹の上りて冂より出でんと欲するに從ふ」、「隹+冂の会意・冂から飛び出ようとする意」、「冂で隹が飛ぶのを抑えこもうとする意」、「鶴は愛玩のため屋内で飼われたから宀+隹の会意」、「丹頂鶴の象形」・・・「冂=国境・城郭・境界」・・・  「冂=けいがまえ(冏構・冋構)⇔経が前⇔景(行)が前は垂仁天皇」、「景行天皇(紀元前13年~130年12月24日・垂仁の第三子・日本武尊の父)」・・・  「冂=まきがまえ(牧構)⇔巻きが前は神代」、  「冂=どうがまえ(同構)⇔銅(和銅)が前は     慶雲(ユスリカ=揺蚊)    =708年以前の年号・704年~708年」、    =慶雲(ケイウン)は     新羅の     金憲昌が用いた     私年号・822年     新羅の第41代     憲徳王の14年(822年)3月     王族の「金憲昌」は     父の「金周元」が     王位につけなかったことを不服として反乱     熊州(忠清南道扶余郡)を拠点とし     朝鮮半島南西部を占拠     国号を長安とし     慶雲元年と宣言     同月、反乱は平定され     慶雲年号は直ちに廃止    『三国史記』巻十・新羅本紀第十    ・憲徳王紀(十四年三月)     熊州都督     憲昌     以父     周元不得為王、反叛。     国号長安。     建元     慶雲元年」  「冂=えんがまえ(円構)⇔両?     円空の先(後)なら木喰?」  「冂=えながまえ(胞構)⇔(柄長前?)     恵那が前なら・・・隣接しているのは     瑞浪市・中津川市・加茂郡八百津町・白川町」  ・・・「傕、㩁、蒮、榷、𤌍、㹊、𦞦、㿥、䮤」・・・  「榷=専売の意味」 ーーーーー  「穀(もみ・コク)=士冖一禾几又」  「穀(もみ・コク)=士冖 禾几又」  穀物=コクモツ  穀(もみ・コク)≠殻(から・コク)  ↓↑       ↓↑  殻=士+冖+几+几+又   =士+冖+几+殳  殼=士+冖+一+几+几+又   =士+冖+一+几+殳    から・カク・コク    シェル(shell)  殼=士+冖+一+几+殳=壳+殳  壳=士+冖+一+几  ↓↑  外殻(ガイカク)  甲殻(コウカク)  耳殻(ジカク)  蟬殻(センカク・せみがら)  地殻(チカク)  皮殻(ヒカク)  卵殻(ランカク)  殻竿(からざお)  から=物の表面をおおっているから     卵や貝のから・物の外側をおおうかたい皮  殻=殼    から・カク・コク    物の表面を覆う堅い外皮    貝殻・茶殻・ 籾殻 (もみがら)    苧殻(おがら)    枳殻(からたち)  ↓↑    生物の外殻構造    貝殻、卵殻、種皮など    表面を保護するために発達した硬組織    節足動物ではクチクラ    甲殻類ではキチン質    などで外骨格を構成    蕎麦(そば)殻・籾(もみ)殻    原子における電子殻の略  ↓↑  「甲羅(こうら)=Turtle Shell・turtle-back  「甲羅 carapace(キャラペイス・亀などの)      mail(亀などの)⇔?・郵便物・メール・封筒               postal matter・package?      mailed(甲羅のついた)      shell(シェル・カニ・エビ・貝・昆虫)」  ↓↑  shelter=風雨、危険などを避ける避難所       避難小屋  核シェルター=nuclear bomb shelter  防空壕  敵方の航空機の攻撃(空爆、機銃掃射)  ミサイル攻撃から避難するために  地下に造られた施設  避難壕(シェルター)の一種  ↓↑  「カミ(?)」からの防御、防衛・・・  ↓↑  崇神天皇  紀元前148年~紀元前29年  御真木入日子印恵命  (ミマキイリヒコイニエ・古事記)  御間城入彦五十瓊殖天皇  (ミマキイリビコイニエノスメラミコト・日本書紀)  御肇國   ↓↑   肇  異体字=肈       戸(戶)⇔所啓肇      「擊(う)つなり、攴に従ひ、肈の省聲・説文解字」 ーーーーー  高野 長英  文化元年五月 五日(1804年06月12日)  ~  嘉永三年十月三十日(1850年12月03日)  甲子(壬・ ・癸) 庚戌(辛・丁・戊)  庚午(丙・ ・丁) 丁亥(戊・甲・壬)  癸巳(戊・庚・丙) 戊子(壬・ ・癸)     午未=空亡  ↓↑  弘化元年(1844年)六月三十日  牢屋敷の火災に乗じて脱獄  西暦1844年8月13日  甲辰(乙・癸・戊)傷官  壬申(己・壬・庚)劫財  乙丑(癸・辛・己)食神  ↓↑  蛮社の獄  天保十年(1839年)5月  言論弾圧事件  ↓↑  安政の大獄  日下部 伊三治(くさかべ いそうじ)  文化十一年(1814年)   ~  安政五年十二月十七日(1859年1月20日)  幕末の水戸藩、薩摩藩士  海江田訥斎連の子  母は  樫村昔行の娘  諱は信政、後に翼・九皐・実稼と号  深谷佐吉、宮崎復太郎の変名を用いた  通称は伊三次  家名の  「日下部」は  海江田氏の本姓が日下部氏  ↓↑  神武天皇を助けた  「高倉下=タカクラジ」        ・・・なぜ、「ゲ」でなく「ジ」なのか?  「高倉下(たかくらじ)」  夢で見た神託により  神武天皇に  霊剣(レイケン)・・・例建  「布都御魂」・・・「布都のミタマ」   フツオンコム    都に御霊の剣で布(し)く  「附椄音 込む」?   ・・・「天下布武」              織田信長が朱印に用いた             印章の印文・・・「印恵(いにえ)」               御眞木入日子「印恵」命?             天下統一の意志             岐阜進出直後             1567年(永禄十年十一月)頃              三十四歳    をもたらした  ↓↑  第十代崇神天皇  御間城入彦五十瓊殖天皇・・・瓊殖(にえ)  (みまきいりひこいにえの すめらみこと・日本書紀)       五十瓊殖=いそにえ    御眞木入日子印恵命・・・印鑑・印刷・印字・印璽・印綬  (みまきいりひこいにえのみこと・古事記)  御眞木天皇  (みまきのすめらみこと・古事記)  御肇国天皇  (はつくにしら すすめらみこと)  享年  日本書紀で120歳・・・・1+2+0=3  古事記 で168歳・・・・1+6+8=15⇔1+5=6  ↓↑  古事記  「所知初國御眞木天皇  (はつくにしらししみまきのすめらみこと)」  ↓↑  日本書紀  「御肇國天皇  (はつくにしらすすめらみこと)」  「神武天皇」とダブル・・・  在位  紀元前97年2月17日~紀元前29年1月9日  紀元前88年  四人の皇族に  将軍の印綬を与えて  四道将軍とし東征・・・東北遠征軍⇔征夷(蝦夷)派遣軍  ↓↑  孝元天皇の第一皇子である  大彦命(おおびこのみこと)を北陸道へ  大彦命(おおびこのみこと)の子である  武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海道へ  孝霊天皇の第三皇子である  吉備津彦命(きびつひこのみこと)を山陽道へ  彦坐王の子である  丹波道主王命(たんばのみちのうしのみこと)を山陰道へ  派遣  ↓↑  東征中に  孝元天皇の皇子  武埴安彦(たけはにやすびこ)  と妻の  吾田媛(あたひめ)  が  都の襲撃画策し  異変を察知して引き返した  大彦命は  武埴安彦の軍勢を打ち破り  吾田媛の軍勢も  崇神天皇が派遣した軍に敗れ  反乱失敗  四道将軍の派遣は再開  紀元前87年  各地方を平定した  四道将軍が帰還、上奏  ・・・「意富多多泥古=大物主の末裔」      おほたたねこ  紀元前65年  任那国が朝貢  大和朝廷は畿内から全国へと支配権拡大  紀元前48年  活目入彦五十狭茅尊  (いくめいりびこいさちのみこと)  立太子した後  紀元前三十年  死亡  崇神天皇と言う諡号は  漢風諡号を持たない  神武天皇~元正天皇までの  44代(弘文天皇と文武天皇を除く)  に対して  奈良時代の文人  「淡海三船」が  漢風諡号を一括撰進し  「崇神天皇」の漢風諡号が贈号  古事記では  御眞木入日子印恵命  (みまきいりひこいにえのみこと)  日本書紀では  御間城入彦五十瓊殖天皇  (みまきいりびこいにえのすめらみこと) ーーーーー  ・・・細胞の合体・裁縫の縫い合わせ・毛糸の網併せ・文字の組み合わせ・・・文字の交換、文書の変換・・・


 ・・・随分と混乱・・・「印恵=いにえ=五十瓊殖」・・・印紙や印税の問題・・・?・・・・印鑑詐欺・・・「篆書体(テンショタイ)」の印鑑を捺印されて、後日、これ、ワタクシの「印章の姓名」ではありません、って云われても・・・「印鑑証明」・・・「漢委奴国王=かんのわのなのこくおう=漢委奴國王=カンイ-ド-コクオウ・カンイ-ヌ-コクオウ)」の「印」・・・「奴=ド(漢音)・ヌ(呉音) 」・・・漢の「イヌ=委奴」・・・「漢に委(ゆだ)ねる奴(やつ)」・・・「漢のイヌ」って・・・「鶏鳴狗盗(斉・孟嘗君=靖郭君-田嬰者、宣王之庶弟也)」・・・イツかはヤクにたつ、って?・・・ダレにトッてなんだか・・・傭兵・ガイジンブタイ・・・ ーーーーー  ↓↑  懿徳天皇十七年(前494年・丁未) 第四代天皇   会稽山の戦い(前494年・丁未) 大日本彦耜友(書紀)                (おほやまとひこすきとも)                  大倭  日子鉏 友(古事記)                「すきつみ=耜友=鉏友」?               耜(耒㠯)友=鉏(金且)友                  㠯=イ=以・已(すでに)                          素手に?                 鋤(金+助)罪?  懿徳=懿=壹+次+心・・・壹(壱・臺・台)與(与・ヨ)     徳(トク)     よい・りっぱな・うるわしい     特に、「女性の徳」をほめる語・・・懿徳天皇は女帝?     懿業・懿親・懿績     懿旨(イシ)・懿(うるわ)しい・懿(よ)い  孝霊天皇十一年(前280年・辛巳) 大日本根子彦太瓊(書紀)                (おほやまとねこひこふとに)                  大倭根子日子賦斗邇(古事記)      十二年(前279年・壬午) 第七代天皇  ↓↑      ↓↑  孟嘗君  ?~    紀元前279年・壬午)  戦国時代の四君の一人  姓は嬀(ギ・女+爲)・・・嬀=わるがしこい・キ・ギ  氏は田  諱は文  諡号が孟嘗君・・・嘗(な=甞・舐)める君(きみ・クン)  ↓↑     臥薪嘗胆(ガシンショウタン)の訓         会稽山の戦い(前494年・丁未)         呉王-夫差(在位・前496~前473)         VS        孝昭天皇三年戊辰         越王-勾践(在位・前497~465年)  ↓↑               孝昭天皇十一年丙子  斉の威王の孫           観松彦 香殖稲(書紀)                 (みまつひこかえしね)                  御真津日子訶恵志泥(古事記)                  第五代天皇 ーーーーー  神武天皇  01年 02年 03年 04年 05年 06年 07年 08年 09年 10年 11年 12年  BC660年   ↓↑              BC650年 BC649年  辛酉 壬戌 癸亥 甲子 乙丑  丙寅 丁卯 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申  ↓↑↓↑   ↓↑    BC659年 BC657年  ↓↑    ↓↑        開化天皇        41年        BC117年        甲子        ↓↑        崇神天皇        41年        BC57年        甲子        ↓↑     ↓↑  垂仁天皇         ↓↑  29年  30年       ↓↑  BC1年 AD1年 2年 3年 4年  ↓↑           ↓↑  庚申  辛酉 壬戌 癸亥 甲子  皇紀  660年 661年 ーーーーー  古事記では   御眞木入 日子印 恵  命  (みまきいりひこいにえのみこと)  日本書紀では   御間城入 彦 五十瓊殖 天皇  (みまきいりびこい にえのすめらみこと)   瀰磨紀異利寐胡   美麻紀伊理毘古 ーーーーー  大毘古命、  罷往  於  高志國之時、・・・高志=こし・・・高句麗・高麗・金王朝             =越・古史・超し・虎視・輿  服腰裳少女、・・・なんで          「服=ふく=伏・副・吹く・葺く・附句」          「腰裳(こしも)の少女」?なのかは          「こし=越・古史・超し・虎視・輿」           の組み立てで視えてくるカモ・・・  立山代・・・・・・建てる、サンダイ・・・  之・・・・・・・・シ  幣羅坂・・・・・・へらさか・・・兵ら叛?  而  歌曰、  美麻紀伊理毘古・・・御真木入日子  波夜・・・・・・・・はや  美麻紀伊理毘古・・・御真木入日子  波夜・・・・・・・・はや  意能賀袁袁・・・・・おのがをを  奴須美斯勢牟登・・・ぬすみしせむと  斯理都斗用・・・・・そりととよ  伊由岐多賀比・・・・いゆきたがひ  麻幣都斗用・・・・・まへととよ  伊由岐多賀比・・・・いゆきたがひ  宇迦迦波久・・・・・うかかはく  斯良爾登・・・・・・しらじと  美麻紀伊理毘古・・・御真木入日子  波夜・・・・・・・・はや  (古事記) ーー↓↑ーー  九月丙戌朔甲午、・・・九月九日  以  大彦命  遣北陸、  武渟川別  遣東海、  吉備津彦  遣西道、  丹波道主命  遣丹波。  因以詔之曰  「若有不受教者、   乃舉兵伐之」  既而  共授  印綬  爲  將軍。  壬子、・・・九月二十七日  大彦命、・・オオビコノミコト  到於  和珥坂上、・ワニサカノウエ・・・和仁・和邇・話似・鰐・王仁        大和国添上郡        奈良県天理市-和珥(わに・カニ)  時有  少女、・・・  歌之曰、・・  ↓↑  一云、  大彦命・・・大=おほ ・ダイ・・・太・対・碓・台・他意        彦=びこ ・ゲン・・・比後・庇護・肥後・比護        命=みこと・メイ・・・見事  到  山背平坂、・・・山背(山城)の平坂          奈良の北の          般若寺坂から         「木津」の間?  時道側有・・・・ジドウソクユウ          事同 素句有(云う・謂う)  (ときにみちのそばに)  童女・・・  歌之曰、・・・  ↓↑  瀰磨紀異利寐胡-播揶・・・美麻紀伊理毘古⇔御真木入日子  (みまきいりびこ-ばや)   瀰=氵+弓+爾・・・山水の弓形の事=隈の様な所の流れ?  ↓↑ ながれ・ながれる・ひろ・みつ・わたる・ひさしい     とおい・いよいよ     あまねし・や・いや・わたる     海女子偲・鰥・厭(嫌・射矢・委也)・渉(渡る・亘る)          鰥=寡婦・鰥夫=やもめ     ミ・ビ・「瀰漫=蔓延・はびこる」・・・  ↓↑         ↓↑             万延=安政の後、文久の前                1860年~1861年            『後漢書・馬融伝』            「豊千億之子孫、歴万載而永延」?             金銀交換比率の国際相場             金の量目を大幅に減らし             万延小判等の発行(幕末の通貨問題)  ↓↑         ↓↑             小栗 忠順             文政10年6月23日(1827年7月16日)             丁亥(戊・甲・壬)             丁未(丁・乙・己)             丁卯(甲・ ・乙)             戌亥=空亡  丁⇔乙・強旺格             ~             慶応4年閏4月6日(1868年5月27日)             戊辰(乙・癸・戊)             丁巳(戊・庚・丙)             癸丑(癸・辛・己)             ↓↑             父は小栗忠高             母は小栗くに子(小栗忠清の娘)             妻は「建部」政醇の娘、「道子」        嘉永二年(1849年)        播州        林田藩の前藩主        建部政醇の娘・道子と結婚        子は「国子(小栗貞雄妻)」        養子(とりこ)は「鉞子」        従妹の        鉞子(よきこ、           父・忠高の義弟、日下数馬=庄次郎の娘)        鉞子の許婚として駒井朝温の次男・忠道を養子        忠道は高崎で斬首された             ↓↑             勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行             通称は又一             日米修好通商条約批准の             使節として渡米を命じられる             安政七年(1860年)             日米修好通商条約批准のため             米艦ポーハタン号で渡米             地球を一周して帰国             万延元年(1860年)十一月八日             目付から外国奉行に異動    ↓↑                           磨=みがく・マ⇔磨=广(ま-だれ)は            ハヤシ(囃)の中のイワ(イシ)            わっしょい=祭りの掛け声            ワッショイ=和通背負            和通緒(初・書・祥)意            倭連所為            そいや=添いや・副いや(叶う・実現する)     紀=糸+己=キ・・・書紀・紀伊・紀年法・紀伝体      異=田+共=ことなる・イ・異伝・異人・異邦・異国       利=とし・リ・・・利用・利害        寐=ねる・ねむる・ビ・寤寐(ゴビ)・夢寐(ムビ)          寝る・眠る         胡=えびす・コ・ウ・胡人(コジン)・恵比須           夷子・蛭子・戎子・蠻・惠比壽          播=まく・バン・ハ・播磨・播種・撒播            条播・伝播           揶=からかう・はぐらかす・ヤ             揶揄(ヤユ)     飫迺餓鳥塢・・・・・飫=飠+夭=あきる・さかもり・ヨ・ヲ  (おのがをを)     厭聞飫聴・厭飫  (おのがウを)     食夭迺食我鳥土烏                  鵞鳥=ガチョウ=画帳  志齊務苔・・・苔(こけ・ダイ)=艹+ム+口=moss(モス)  (しせむと)  農殊末句志羅珥・・・「農、殊、末句、志羅、珥」?  (ぬすまくしらに) 竊(窃・ぬす)まく知らに            かすめ取る⇔盗窃=セットウ=接頭           「農殊末句=ぬすまく」?  比賣那素寐殊望 ・・・比賣、    那素寐、殊望  (ひめなそびすも) 比較売(瓜)、茄子び、殊に望む     ↓↑  一云  「於朋耆妬庸利・・・意冨(いふ=if=畏怖=移付・言ふ)  (おほきとより)  木戸(伯耆国・妬=女石⇔石見国)?  ↓↑        庸利=租庸調=税利・・・傭兵            庸=广+聿(肀二・𦘒一)+冂              労役税              労役の代わりに布などを納めるもの              平凡・普通            庸=日本律令制の租税の一              年十日の歳役の              代納物(布が主、米・塩・綿など)              養老令              正丁(成人)で布二丈六尺と規定              調とともに農民による運脚が義務              中央では              仕丁・衛士などの食糧(大粮)              土木事業の経費などに使用  ↓↑          ↓↑  ↓↑          中国、隋・唐              税で徭役の代償となる布帛              賦役令              丁男の正役を              年間20日              閏年に22日              首都近傍の一部を除き              大部分の丁は役に徴発されることなく              1日当り絹3尺              (あるいは麻布3尺7寸5分)              の割で              絹6丈(または麻布7丈5尺)を納め              これを              庸とした              庸は調と一括徴収され              庸調と連称              貨幣流通がなお限られ              高額取引に              多く絹が使われ  ↓↑          諸税の中心的存在であった・・・   于介伽卑氐・・・・・・・  (うかがひて)・・・弖・手・氐・弟・て   許呂佐務苔・・・・・・・  (ころさむと)   須羅句塢志羅珥・・・「塢=十+一+烏=ウ・オ  (すらくをしらに)     どて・小さな堤                砦(とりで)・小城・塹壕                邑里(むらざと)・村落   比賣那素寐須望」・・・比較売り、茄子備、周防国は  (ひめなそびすも)   山口県東部・防州  (日本書紀)      周芳(すは・須和・諏和)  ・・・いくら古代の万葉仮名の「日本語翻訳」でも、チョッと無理なんじゃぁなかろうか?・・・「比賣那素寐須望=姫なすび(遊び)、すも」・・・「な-そ」は禁止の副詞「な」と呼応した「そ」だが・・・「なそび」は「名素備」・・・「名そび(誘)」・・・誘惑する・・・ ーー↓↑ーー  於是、  大毘古命思恠、  返馬、  問  其少女曰  「汝所謂之言、何言」  爾  少女答曰  「吾勿言、唯爲詠歌耳」  卽  不見其所如而忽失。  (古事記)」  ↓↑  於是、  大彦命  異之、  問童女曰  「汝言何辭」  對曰  「勿言也、唯歌耳」  乃  重詠先歌、  忽  不見矣。  ↓↑  大彦乃還而  具以狀奏。  於是、  天皇  姑  倭迹々日百襲姫命、  聰明叡智、  能識未然、  乃知其歌怪、  言于天皇  「是   武埴安彦   將謀反之表者也。   吾聞、   武埴安彦之妻   吾田媛、   密來之、   取倭香山土、   裹領巾頭而   祈   曰『是倭国之物實』   乃反之。   物實、(此云望能志呂・ものしろ)。   是以、   知有事焉。   非早圖、   必後之。」  (日本書紀)  ↓↑  故  大毘古命、  更還參上、  請於天皇時、  天皇答詔之  「此者爲、   在   山代國   我之庶兄   建波邇安王、   起   邪心之表耳。  (波邇二字以音)。   伯父、   興軍宜行。」  卽  副  丸邇臣之祖・日子國  夫玖命  而遣時、  卽於  丸邇坂居忌瓮而罷往。  於是到  山代之和訶羅河時、  其  建波邇安王、  興軍待遮、  各中挾河而、  對立  相挑、  故號其地謂  伊杼美。  今謂  伊豆美也。  爾  日子國  夫玖命乞云  「其廂人、   先   忌矢可彈。」  爾其  建波爾安王、  雖射不得中。  於是、  國夫玖命彈矢者、  卽射  建波爾安王而死。  故其軍悉破而逃散。  爾追迫其逃軍、  到  久須婆之度時、  皆被迫窘而、  屎出懸於褌、  故號其地謂  屎褌。  今者謂  久須婆。  又遮其逃軍以斬者、  如  鵜浮於河、  故號其河謂  鵜河也。  亦  斬  波布理  其軍士、  故號其地謂  波布理曾能。  (自波下五字以音)。  如此  平訖、  參上覆奏。  故、  大毘古命者、  隨先命而、  罷行高志國。  爾自  東方所遣  建沼河別  與  其父  大毘古共、  往遇于相津、  故其地謂  相津也。  是以各  和平所遣之國政而覆奏。  爾天下太平、  人民富榮。  於是、  初令  貢  男弓端之調、  女手末之調。  故稱其御世、  謂所  知初國之御眞木天皇也。  又是之御世、  作  依網池、  亦作  輕之酒折池也。  天皇御歲、  壹佰陸拾捌歲。  戊寅年十二月崩。  御陵在  山邊道勾之岡上也。 ーーーーー  またこの御世に大毘古命(オオビコノミコト)をば  高志道(コシノミチ)に遣はし、  その子建沼河別命(タケヌナカワワケノミコト)をば  東の方十二道に遣はして、  そのまつろはぬ人等を和平しめたまひき。  また日子坐王(ヒコイマスノミコ)をば  旦波国に遣はして、  玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)、  こは人の名なり、を殺さしめたまひき。  かれ、大毘古命 高志国に罷り往きし時、  腰裳服せる少女、  山代(ヤマシロ)の  幣羅坂(ヘラサカ)に立ちて歌ひて曰はく、  御真木入日子はや  (ミマキイリビコ)  御真木入日子はや  己が緒を  盗み殺せむと   後つ戸よ   い行き違ひ   前つ戸よ   い行き違ひ  窺(ウカカ)はく  知らにと  御真木入日子はや  御真木入日子よ  (ミマキイリビコ=祟神天皇)  御真木入日子よ  (ミマキイリビコ)  オノレの命を狙っている奴が  入れ違い、行きかい、  様子を伺っているというのに  何も知らないで  御真木入日子よ  (ミマキイリビコ) ーーーーー  「五十日(いか)」  「五十鈴(いすず)」  「五十=い・いい・いか・いき・いお・いそ・いわ」 ーーーーー  伏羲(ふっき・ふくぎ)  古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王  宓羲・包犠・庖犠・伏戯  伏義、伏儀とも  三皇の一人  姓は風  兄妹または夫婦と目される  女媧と共に  蛇身人首の姿  黄河から現れたのは龍馬  洛水から現れたのは亀  河図や洛書は  それらの背にあった文とされた・・・  以後  河図は龍図または龍馬図  洛書は亀書  とも呼ばれる  宋代  河図洛書は  図像と解され  陰陽を表す  黒点と白点の数によって示された  朱震は  『漢上易伝』において  劉牧が伝えた  河図洛書を収録し  楊甲も  『六経図』  大易象鈎深図においてこれを収めた  ただし彼らは  九数図を河図、  十数図を洛書  としていたが  朱熹  と  蔡元定は  『易学啓蒙』において  十数図を河図  九数図を洛書  とし  朱熹『周易本義』の巻首にも掲載  彼らが  十数図を河図にしたのは  繋辞上伝にある  「天地十数」の記述にもとづく  五行生成の数と合致し  九数図を洛書にしたのは  八卦を八方に配した  九宮の数に合うのを  朱熹の考えた  伏羲の易(先天易)  と  文王の易(後天易)  の分別によって分類したため・・・ ーーーーー  慶雲(ケイウン)  新羅の  金憲昌が用いた  私年号  822年  新羅  第41代  憲徳王の  14年(822年)3月  王族の  金憲昌は  父の  金周元  が王位につけなかったことを不服として反乱  熊州(忠清南道扶余郡)を拠点とし  朝鮮半島南西部を占拠  国号を長安  年号を慶雲元年と宣言  同月のうちに反乱は平定  慶雲年号は廃止  『三国史記』  巻十・新羅本紀第十・憲徳王紀(十四年三月)  熊州都督  憲昌  以  父  周元  不得為王、反叛。  国号長安  建元慶雲元年 ーーーーー  因幡・稲波・印旛・印場・印波・・・  印旛沼の干拓  千葉県(下総国)北西部にある  印旛沼の干拓事業  享保9年(1724年)  平戸村(八千代市平戸)の  染谷源右衛門が着手したが失敗  天明年間(1781年~1789年)  老中  田沼意次の時に計画  工程の3分の2まで進捗したが  天明6年(1786年)7月の大洪水  田沼の失脚により中断  江戸後期  老中  水野忠邦  天保の改革の一環として  開削事業が企図  幕府財政基盤の再建を目標とした  改革後半の  天保14年(1843年)  勘定奉行の  鳥居耀蔵を責任者として  沼津藩、庄内藩、鳥取藩、秋月藩、上総貝淵藩  の5藩に御手伝普請が命じられ  印旛沼から江戸湾に  水路を開削する  印旛沼堀割工事が行われた  印恵(いにえ)=御真木入 日子 印恵  命         (ミマキイリヒコ イニヱノミコト)  恵那に隣接するのは  瑞浪市  中津川市  加茂郡  八百津町  白川町 ーーーーー  ・・・


 ・・・「木版印刷」・・・「版木は数百年使用できる場合があるので、制作時期と印刷時期が違う書物が存在する (後印本)」・・・「明時代後半に、分業による彫版に適した書体として考案された明朝体はその代表」・・・「年代の確定する最古の印刷物として日本の法隆寺に残っていた『百万塔陀羅尼』 (770年)」・・・「・・・」・・・「ドイツの金細工師ヨハネス・グーテンベルク。1450年頃、活字の開発」・・・「眞名仮名(漢字)→平(ひら)仮名→片(カタ)仮名」であるとするならば、「眞名・真名・まな」の「名」、「名=な・メイ」とは「仮」ではない「眞(真)の漢字」のコトである・・・ ーーーーー  ・・・なめんなョナッ・・・「名目務名与捺(名目は名を与え捺すを務めとする)」?・・・「名女武名与那斗」?・・・  菜女(なめ・サイジョ)=采女(うねめ・サイジョ)・・・「朝廷で天皇や皇后に近侍し、食事、身の回りの雑事を行う女官・平安時代以降は廃れ、特別な行事の時のみの官職となった・・・  大宝律令(701年・大宝一年)  日本の律令  「律」六巻  「令」十一巻   全十七巻  唐の律令を参考にした  日本初めての  「律=彳+聿=おと・ただし・ただす・たて         のり         リツ・リチ         人間の行為の秩序だてた         物事の基準、きまり         音楽の基準、音階、陽の調子         漢詩の型の一つ         仏の定めた戒律         守るべきいましめ         戒律をしるした文献」   と  「令=𠆢+一+刀=しむ・せしむ・のり・おきて          レイ・リョウ     人+一+卩(割符⇔和理附)     行政、命令、民法で、刑罰以外の法令」  が揃った「律令」の  後宮職員令  中務省が発する  牒により・・・牒=ふだ(札)・書きつけ           文書を記した木ふだ           牒状・公文書・木札の通達文書・通牒  諸国に定員を割り振って募集  名目は「献上」  募集条件  十三歳以上  三十歳以下  (采女献上が一旦廃止後に   復活した嵯峨天皇の代の規定で   十六歳以上   二十歳以下)  出身は郡少領以上の  姉妹か娘  容姿厳選  宮内省配下の  「采女司」が「采女の人事等を管理」  実際の所属は  後宮十二司のうち  「水司」に六名  「膳司(かしわでのつかさ)」に六十名  定員は計六十六名  大宝律令の軍防令で  全国の郡の三分の一から  采女募集の貢進数は定員よりも多い  女嬬の代わりとして  他の部署に配置、  職制の定員外にいる者  あるいは皇子女付きの者等  も存在・・・  「飯高諸高(いいたか の もろたか・ハンコウのショコウ)  ↓↑    文武天皇二年     版 行  初 稿        698年         犯 行 の初 稿        ~          ↓↑        宝亀八年五月二十八日⇔法規葉知念語解通弐拾八比        777年7月7日?⇔777年7月7日=7×5=35=参拾五               七=漆=シツ・シチ=執・質                   紫都(シト)=紫微垣                   天帝の座・天子の居所                   帝都・みやこ            千葉県佐倉市上志津(シヅ)?            千の言葉を懸るサクラのイチのウエのシヅ?             ↓↑  客寄せ=偽客=囮(おとり)客             志津地区             志津駅、             ユーカリ(フトモモ科ユーカリ属             ↓↑   太股・太腿・太桃(百々・髀)             ↓↑   Eucalyptusの樹木の総称             ↓↑   良き蓋・天蓋・桉樹)             ヶ丘駅  桉=木(十八)+宀+女             が中心             駅から離れた             新川(印旛放水路)沿いの地域に  ↓↑         田園、山林も・・・  伊勢国  飯高郡出身の  采女  従三位に叙  初名は  「糸目(いとめ)」⇔糸筋・脈絡・・つる=鉱脈・水脈・水流      緯度目・・・いとすじ=委訳諏字?  ↓↑  糸目=伊都女         怡土女=福岡県(筑前国)         怡土城(イトジョウ・いとのき)         福岡県糸島市・福岡市の境の         高祖山の西斜面に築城された古代山城         天平勝宝八年(756年)         ~         神護景雲二年(768年)         にかけて築城された中国式山城         吉備真備         佐伯今毛人が担当築城      ・・・吉備真備を大宰府に釘付けにする      藤原仲麻呂政権の政略?・・・      唐王朝、玄宗皇帝政権の揺らぎ・・・      阿倍仲麻呂(朝衡=晁衡)の情報⇔唐王朝の存亡は?      阿倍天皇(称徳天皇)の権力にも影響か?      阿倍=九州王朝の「阿毎」一族の王権⇔隋王朝との関係?      則天武后(周王朝)の縁戚?・・・隋⇔九州、倭      白村江の戦=天智天皇二年八月二十七日~八月二十八日            663年10月4日~10月5日(ユリウス暦)      唐+新羅=勝⇔敗=隋残党+阿毎(倭・九州王朝)              隋王朝の王城に「天津橋・天津川」              天孫族⇔天津族(隋王朝縁者)              隋王朝亡命帰化人は              陽侯氏(陽侯史・陽侯忌寸)              隋の煬帝の子孫              達率楊候              阿子王の末裔を称する氏族              楊候・楊胡・陽候・陽胡とも記録              陽侯=ヨウコウ⇔ヤウコウ⇔ヤゴ              やご=ヤゴ(水蠆)                =トンボ目(蜻蛉目)                 トンボ亜目(不均翅亜目)の                 幼虫を指す通称(俗称)                 肉食性の水生昆虫                 字句殖所為の水棲混駐?                 隋の残党水軍?             「秋津島=安芸津島=穐津島」          ・・・「臀呫(となめ)焉(交尾の輪)」   「・・・猶如蜻蛉之臀呫(となめ・デンショウ)焉」    由是、始有「秋津」洲之號也・・・   「臀=尻(しり)・底(そこ)・後(あと)・デン」    +   「呫=舐(嘗・なめる)・囁(聶・ささやく)・喋(しゃべる)      テフ・セフ・テン・チョウ・ショウ」  ↓↑  ↓↑      756年      干支=丙申      日本      天平勝宝八歳      皇紀1416年      中国      唐=至徳元載      燕(安禄山)=聖武元年、経明元年             ナンで「燕=聖武元年」?             「燕国=公孫氏の国家⇔渤海近辺」             「魏⇔燕⇔邪馬台⇔呉                燕⇔呉⇔卑弥呼                円=圓(つぶら)=猿(さる)」      安禄山が      大燕皇帝を称する      玄宗ら      長安を脱出      粛宗が即位      二月、左大臣         橘諸兄が失脚      五月、コルドバに         後ウマイヤ朝建国      六月、筑前に         怡土城を築く      誕生      藤原内麻呂(~812年)      藤原園人(~819年)      死去      6月4日(天平勝宝八歳五月二日)      第四十五代      聖武天皇      大宝元年(701年)      ~      天平勝宝八年五月二日(756年6月4日)      在位      神亀元年二月四日(724年3月3日)      ~      天平勝宝元年七月二日(749年8月19日)      名は首皇子(おびとのみこ)      諡号は      天 璽  国 押 開  豊 桜  彦  天皇     (あめしるしくにおしはるきとよさくらひこのみこと)      ↓↑・・・阿倍皇女=738年(天平十)正月立太子           天平勝宝元年七月二日           749年8月19日)           阿倍内親王が既に           聖武天皇に譲られて           第四十六代           孝謙天皇即位           後に          「恵美押勝の乱」を           天平宝字七年(763年)           九月十一日~九月十八日           に征し           天平宝字八年十月九日          (764年11月6日)           ~           神護景雲四年八月四日          (770年8月28日)           第四十八代           称徳天皇として即位           別称           高野姫天皇・倭根子天皇           ↓↑           孝謙天皇時代の           政治の実権は           藤原仲麻呂(藤原-恵美押勝)           が長官で           光明皇后の      ↓↑   紫微中台が握っていた      756年      7月15日(至徳元載六月十六日)      楊貴妃、唐・玄宗の妃(719年~)      7月15日(至徳元載六月十六日)      楊国忠、唐代玄宗朝の権臣      楊貴妃の又従兄弟(生年未詳)      虢国夫人、楊貴妃の姉(生年未詳)      顔杲卿、唐の官吏(692年~)      梅妃、玄宗の妃(生年未詳)      辺(邊)令誠、唐の宦官(生年未詳)  ↓↑     ↓↑       ↓↑      糸目⇔細目         糸目の無い凧=制御不能             タコ=趼=足千干・・・「足+开」?                章魚・蛸・鮹・鱆                多古・田子・田児・多胡         タゴのウラゆ・・・烏知意出て見れば・・・?         他語のウラ喩・・・多字・太示・他事の比喩                     太安万侶?         北に富士、南に駿河湾。         山部赤人の和歌・・・サン部の赤人は                   存在したか?                   紀の貫の之は                   存在したか?  ↓↑     ↓↑         ↓↑        「田児の浦に・・・・・・田子の浦ゆ         うち         出(い)でてみれば         白妙(しろたへ)の・・真白にそ         富士の高嶺に         雪は降りつつ・・・・・雪は降りける          山部赤人(四番)  (万葉集)  ↓↑     『新古今集』冬・675  のように  上位の役職(典侍、掌侍、掌膳、典掃)  に昇格した者もいる  これらは「采女の定員外」・・・  平城天皇の改革で  采女献上の制度は廃止  「采女司」も廃止  大蔵省「縫部司」と共に  「縫殿寮」に統合  嵯峨天皇の時代に  采女献上復活  「采女司」も復活   延喜式で  采女の定員は削減  「膳司(かしわでのつかさ)」は  四十一名  「掃司(かにもりのつかさ)」は  六名  以後、「采女」は  中央貴族の子女から選ばれ形骸化  江戸時代以降は  天皇の即位式の時のみ  女官から選抜  この時は  女官の正装、  十二単ではなく  丈の短い特殊な  「采女装束」を着用した・・・ ーーーーー  ナンで「無礼(ブレイ)」が「なめ」なんだか?・・・「眚=生+目⇔な+め」?・・・「眚=生+目・通仮字は生、省・異体字は省」?・・・「省(はぶ)く・省(かえる)みる」って、役所の省庁の「省=少な目=少なめ」って?・・・  「なマ・なミ・なム・なメ・なモ」・・・  「生意気な奴」・・・  「生意気が不十分・中途半端」って?  「生意気」はまだ生(活)きてイル釣られたばかりの新鮮でピチピチしている「魚籠(びく)」の中の生魚で、息絶えても「鮮魚」で「生魚」で、刺し身で喰う。  河豚(鰒・鯸・ふぐ)を喰って死ぬ奴もいるが・・・食事はナニを喰っても運が悪ければ「食中毒」になる・・・  普通は「生意気」で食するに危険なモノは狩られた「獣の肉」で、食べる時には既に屍だが、「獣の生肉(なまにく)」は火で焼くか、煮た料理が安全だろう・・・  兎に角、「生意気」を喰うにはそれなりの「リスク」を踏まえるのが常套である・・・食物アレルギーは覚悟の上だが・・・  スポーツ選手がドーピング、筋肉増強剤、興奮剤、麻薬鎮痛剤、脈拍抑制剤などを他人から盛られるコトもある・・・子供の給食に異物混入・・・中国産の「餃子事件」もあったなッ、しかも「事件は発覚後」にも中国国内で販売されて「中毒」・・・  冬のオリンピックが重なっているこの時期のK国、なんで福島産の商品を買って貰う必要があるんだか・・・そのうちに同じような事故があの国にも起こるのは必然で、南北統一で「放射能拡散国」と合体してドウスルンダカ・・・  「チャングムの誓い」、今現在、朝の北海道のTVでは「チャングムの誓い」を放映している・・・映画、ドラマ、音楽、「人間」として、理不尽な事件に遭遇して乗り越えて行く「主人公」・・・  どうやら、K国の半数以上の彼らは「隣国、島国の人間」を「チャングム」や、彼女の周辺に登場する同じ人間の集団とは見なさず、「異質な人間集団である」と自己暗示の念仏を唱えながら生きているらしい・・・「地球人」って何処にもいないらしい・・・  女子のスケート選手同士・・・あの女性の人々、「地球人」を宇宙から鳥瞰している「人間」だった・・・  「雇用(コヨウ)」・・・「働き方問題」・・・  「顧(一尸隹+頁・page)=かえりみる=省(小ノ目)=眚」・・・「かえりみる=換(変・替・代・買・飼)えり見る」・・・ 「省」・・・「反省する(自らを省みる)」、 「顧⇔回顧・懐古」・・・「後方や過去を振り返る(昔の事跡を顧みる)」・・・「形声文字で、省(少+目)=眚=生(セイ・ショウ)+目(モク)で草、木が地上に生えてきた象形(生える)だが、ここでは同音の清(セイ)の音に通じ清と同じ意味を持たせた」・・・?  要は「省(少+目)=セイ・ショウ=眚(生+目)」は「清(セイ)」と同音で、その意味を「清」の「きよい・清浄」と同意、同義とした、って、か?・・・なるほど、「清少納言」である・・・「源字」である・・・  ↓↑  「無礼(なめ)」の動詞化  なめ(無礼)=形容詞の「なめし」の語幹         無礼であるさま・無作法  Don't make a fool of me.  石淋の味を嘗めて会稽の恥を雪ぐ  「石淋=腎臓や膀胱に結石ができる病気・その結石」  滑り=なめり  滑る=なめる     ネジやボルトの頭を潰(つぶ)してしまうこと     締めたり緩めたりしたくても     「すべる」こと⇔空回り ーー↓↑ーー  「となめ(臀呫)」=トンボの雌雄が交尾し        互いに尾をくわえ合い        輪に なって飛ぶこと       「蜻蛉 (あきつ) の        トナメ(臀呫)の        如くにあるかな(神武紀) ーー↓↑ーー  「卅有一年夏四月乙酉朔、・・・三十一年夏四月一日(乙酉朔)   皇輿巡幸。   因登   腋上嗛間丘而・・・腋上(ワキガミ)の            嗛間丘(ホホマノオカ)に            登り   廻望国狀曰  「姸哉乎、国之獲矣 。  (姸哉、此云-鞅奈珥夜(あなにや))         姸=女+开(ひらく・カイ)       あ・鞅=革+央=むながい・オウ・ヨウ            馬のはらに締めるかわ帯            腹帯・気がめいってふさぐ            重みをうけてになう            重みを荷って奔走        な・奈=大(一人)+示(二亅八)=奈何(いかん)       に・じ・珥=王+耳=耳の飾り玉・さす・さしはさむ          や・夜=亠+イ+夂+丶(テン)             =亠+イ+夕+乀(フツ)   雖   內木錦(うつゆう)・・・內木錦(ナイボクキン)   之   内 邑・うちにしき   名意朴 金   眞迮国、(マサキくに)・・・眞迮(マサキ)国        迮=たちまち・起こる・起こす・せまる          窄(せ)まる・差し迫る          たちまち・にわかに(俄)          サキ・シャク・・・搾乳・搾取   猶   如   蜻蛉(かげろう・セイレイ⇔生霊・とんぼ=蜉蝣)   之   臀呫焉」・・・臀=殿+肉(月)=尻・後           =四足動物の臀部          呫=口+占=なめる・ささやく・しゃべる              テフ・セフ・テン・チョウ・ショウ   由是、   始有   秋津洲   之   號也。   昔、   伊弉諾尊   目・・・・め・モク・・・目くして⇔摸句詞照   此国曰  「日本者   浦安国、・・・浦安市=明治二十二年(1889)         「堀江・猫実・当代島」の3村が合併し          新たに「浦安村」と命名          初代村長の          新井甚佐衛門が         「浦(海辺・湾状海岸)          安かれ(穏やかであれ)」          と願い命名         「うら=心」を意味?・・・          浦=漁村一般・・・内海(うつみ)の村落            湖岸、海岸の集落(漁村・港町)   細戈千足国、   磯輪上(しわかみ)・・・キリンジョウ=麒麟上   秀眞国(ほつまくに)」  (秀眞国=袍圖莽句爾(ホツマクニ)       ほずまくに   此云   袍圖莽句爾)」   復、大己貴」 ーー↓↑ーー  「なめ~」  白痢(なめ)=下痢のひどいときの無色の粘液便         白痢(ビャクリ・和名抄)  縵面(なめ)=銭の裏、文字がなくて滑らかな面  無礼(なめ)=形容詞「なめし」の語幹         無礼である・無作法  大理石=なめいし・なめらかな石      大理石(ダイリセキ)  縵面形(なめかた)=銭投げ占い            裏か表かを言い当てる賭博  無礼顔(なめがお)=人をばかにしたような顔つき  行方(なめがた)=茨城県南東部           霞ヶ浦と北浦に挟まれた地域の市           低地利用の稲作、チンゲンサイの栽培地           チンゲンサイ(青梗菜・チンゲンツァイ)           アブラナ科の野菜           和名はタイサイ(体菜)           白軸のものはパクチョイ(白菜・しろな)  なめがた‐し(行方-市)・・・行方(ゆくえ・ギョウホウ)  ・・・なんで、「ナメガタ」なんだか?・・・  蛞蝓(なめくじ・ゼツユ)=腹足綱ナメクジ科の軟体動物     陸生の巻き貝だが殻をもたず体は細長く前端に触角  蛞蝓-魚(なめくじ-うお)=頭索綱ナメクジウオ科の原索動物               魚に似るが頭も目もはっきりせず               体は淡桃色で透明  「蛞蝓に塩」  なめくじら・なめくじり=ナメクジの別名  無礼(なめ)げ=失礼で、無作法さま  滑子(なめこ)=モエギタケ科のキノコ          ブナなどの枯れ木に生える          茶色、全体が粘液に覆われる  菜飯(なめし)=刻んだ青菜を炊き込んだ飯  鞣(なめし)=皮をなめすこと・なめした皮革  無礼(なめ)し=無礼・無作法である  鞣革(なめしがわ)=なめした革・作り皮・レザー           「韓・韜」などの「韋」の称  鞣(なめ)す=動物の生皮に         耐久性・耐熱性・柔軟性をもたせる作業  並め据う=なめすう=並べて据える  舐めずり=嘗めずり=舌で唇などをなめまわすこと  舐めずる=嘗めずる=舌で唇などを何度もなめる  滑多鰈(なめたがれい)=ババガレイの別名  滑茸(なめたけ)=エノキタケの別名  並(な)めて=なべて  並(な)めてならず=なべてならず  嘗(な)め人形=幼児に、乳首の代わりにしゃぶらせる人形  嘗め回す=舐め回す=あちこちをなめる  嘗め味噌=野菜・果物・穀物・豆・魚・獣肉       などを入れてつくった味噌  嘗め物=嘗め味噌・ひしお・塩辛など      半固形体の副食物の総称  滑らか=物の表面に凸凹がなく      すべすべ、つるつるしているさま  なめり=連語「なんめり」の「ん」抜き      推量詠嘆の~であろうな  滑川(なめりかわ)=富山県中部の市            富山湾に臨み、早月川河口沖は            ホタルイカ群遊海面            売薬業が盛ん            滑川市  滑(なめ)る=すべすべ、ぬるぬるとすべる・ぬめる  嘗める=舐める=舌の先でなでるように触れる  皿までなめろ  なめんだら=整頓されていないさま・秩序のないさま ーーーーー  舐=舌+氏=千+口+氏    なめる・ねぶる・呉音でジ・漢音でシ    舌の先でなめとる    異体字    䑛=千+口+氐(氏一・弖)    舓=千+口+易(日勿)    舐犢の愛( シトクのアイ)    老牛舐犊(犢)=就是父母对孩子的感情            母牛舐小牛  ↓↑     犢=牛+𧶠=子牛       異体字       犊(簡体字)       牛+𧶠(イク・ショク)         「賣(=売)」ではない?          犢・犢          子牛  𧶠=士+四+貝(目八)=イク・ショク    「賣(=売)」に似るが    「売=賣」ではない     構成部分の文字は    「罒(モウ)=網・网」ではなく    「四(シ)=肆」     人目につかせ立ち止まらせて売ること     立ち止まらせる、区切るなどの意    「肆=镸(長)+聿=屋台、出店が連(列)なる」     であるが「網」と「列(つら)なる出店」は異なるが     共通項は「売る」で関連はする・・・  賣=士+罒(網・网)+貝(目八)    うる、商売をする、財物を支払う、    名誉を得ようとする、施す    裏切る、欺く    物貨を出すなり(説文解字・巻六)    字形は「出+買」の会意?・・・「士+買」だろう   「出=士」ならば   「武士(官吏・役人)の売りモノ」には   「生産性(利益)」は無い・・・?    財を売り   「物や権利等が相手に渡す換わりに金銭を受け取る」    会意兼形声文字「出+買」   「足が窪(くぼ)みから出る象形」・・・???  ↓↑   「賣(売)買=ばい・バイ=(buy・by・bye)」  ・・・四⇔「囧(窓)+貝(貨幣)」  窓(囧)をとおして貨幣と物のやりとりがつづくこと  「続=糸+賣」は、とぎれずに糸がつづく意  「旧字は、   坴の上部⇒士、囧(窓)⇒四に変化し   續」になった・・・?・・・四は窓じゃぁないだろう・・・  ・・・「四=囗+儿=肆」でアるが、  「国=圀」の「圀=四+万」は  「則天(則天武后)文字」の一つであり、  「徳川光圀=水戸黄門」の「圀」である・・・  「日本書紀」は「大日本史」に引きずられて「改作」された?  もちろん、  「古事記」は  現存するのは写本で、  「伊勢本系統」  「卜部本系統」  に分かれるて存在するらしい・・・「写本」である・・・  「和銅五 (712) 年正月二十八日」のモノではなく、  「伊勢本系統」の  「南朝、建徳二年   北朝、応安四年   1371年から   南朝、文中元年   北朝、応安五年   1372年、   1371年~1372年にかけて   真福寺の僧   賢瑜によって写された   「真福寺本古事記三帖」   「奥書に    祖本は    上・下巻が    大中臣定世-本、    中巻が    藤原通雅-本    で    道果本(上巻の前半のみ        南朝、弘和元年        北朝、永徳元年        1381年写本)    道祥本(上巻のみ        応永三十一年        1424年写本)    春瑜本(上巻のみ        応永三十三年        1426年写本)    の「道果本系三本」は    「真福寺本」に近く    ともに    「伊勢本系統をなす」・・・  兎に角、  「真福寺収蔵の『古事記』   信瑜の弟子の   賢瑜による写本」  1372年以後のモノ(写本)である・・・  干支=辛亥年  日本  南朝=建徳二年  北朝=応安四年  皇紀2031年・・・2+0+3+1=6・六(亠+八)・陸(阝+坴)  中国  明=洪武四年  夏=開熙五年(旧六月まで)      ・・・1363年~1371年         元末から明初         四川省で創建された王朝         皇帝の姓から明とも呼ばれる         1363年         明玉珍が皇帝に即位         国号を大夏         都を重慶         1366年         明玉珍が病死         子の         明昇が即位         1371年         朱元璋の攻撃開始で投降         夏は八年で滅亡  中国周辺  北元=宣光元年  朝鮮  高麗=恭愍王二十年  そして、  「印字本、印刷本、活版木版本」でもない・・・  ↓↑  「買=罒・网(網の原字)+貝(財貨)」  売買双方の取引から見たもの    ↓↑   「瀆(みぞ)=氵+𧶠(士+四+貝)」          氵+賣(士+罒+貝)   「黷(とどこおらせる)=黒+𧶠(士+四+貝)」  と同系?・・・だから、ナニ?・・・「竇=穴+士+買」    冒瀆=冒涜      =アルモノを貶める行為、発言・謗(そし)る      =謀略、陰謀、誹謗中傷、罵倒、侮辱、悪口、悪態       イヤガラセ(嫌がらせ)  ・・・あんまりにも「同意、同義」の「複雑化した異字」があるとは「イヤガラセ(嫌がらせ)」であるかな・・・でも「嫌=女(おんな)+兼ねる」である・・・「厭=厂(まだれ)+冐(おかす)+犬(いぬ)」である、崖っぷちに視えていた太陽(日)に月が覆(罒+復=被って復旧)って日蝕現象に犬が吠えている漢字形象と、その意味である・・・スゴイなッ、漢字の発明、改作、改新、化意晋の古代の人々・・・  𧷷=出+囧+目+八  𧷗=士+囧+目+八  𧸇=圥+囧+目+八  𧷏=圥+罒+貝  𧶠=十+一+四(罒)+貝    ひさぐ・商(あきな)う・売り歩く    あがなう(贖)・つぐなう(償)    衒(てら)ふなり=てらう・見せびらかす(説文解字)             ひけらかす             衒学(ゲンガク)・衒気(ゲンキ)             女衒 (ぜゲン)          ・・・瞽女(ごぜ)は             盲目の女性達の放浪芸能人             瞽=盲目・文字が理解できない               盲、蛇に怖じず=怖い者なし            「盲御前(めくらごぜん)」 の短略?   「𧶠」=「圥(十一儿)罒目八」は   「賣」と混同されやすい・・・四(肆)⇔罒(网・網)  ・・・だから、ドッチ?・・・  「𧶠(イク・ショク)」は  「賣=売」ではない?・・・「四(肆)⇔罒(网・網)」  ・・・異(意・夷)句、峻別・・・国鉄万字線の向こうの「幾春別」?・・・アイヌ語の「イクシュンペッ」=「イ・クシ・ウン・ペッ(それの・むこうに・ある・川)」、元の漢字は「郁春別」と書いたが、明治二十二年、「幾春別」と改めた?・・・  ↓↑  明治二十二年(1889年)  1月22日 徴兵令改正(戸主の徴兵猶予を廃止)  1月23日 三池炭鉱が三井組に払下げられる  2月11日 大日本帝国憲法・皇室典範・ 衆議院議員選挙法公布       万歳三唱が始る       森有礼文相が刺殺  4月20日 アドルフ・ヒトラー、ナチス・ドイツ総統(~1945年)  5月15日 大槻文彦「言海 (第一冊)」発刊  10月18 日大隈重信外相が爆裂弾テロで右脚を失う  ↓↑  郁しい(かぐわしい)  馥郁(フクイク)=良い香りのただようさま  郁文(イクブン)=文化の高いさま  郁穆(イクボク)=やわらいで美しいさま  ・・・  「郁=有(一ノ月)+阝(邑)」・・・  ナンで「幾春別」と改めたのか?・・・  明治三十九年、市来知村、幌内村、幾春別村の三村を合併・・・  石炭の沈粉で「郁春の川(別)」でなくなった・・・「幾ら春を数えたコトか」・・・元々から濁っていた幾春別川(幾春別川下流域と旧美唄川流域はひどい泥炭地だった)・・・幾春は寒冷地、蝦夷開拓の苦労の年月の歎きか・・・郁春などとは開拓倭人にはそぐわなかった・・・蝦夷の「郁春」はアイヌのモノだったのカモ・・・  ↓↑     𧶠=「眚(生+目)+貝=イク」・・・垂仁天皇       活 目入 彦 五十狭茅天皇(日本書紀)       伊久米伊理毘古伊 佐知命(古事記)       いくめいりひこいさちのすめらみこと          彦=びこ=毘古・比古・・・久延毘古=案山子          彦根  (比垝・卑狗・日子・竎子)            ビ弧=弓+瓜・・・卑彌弓(弧)-呼?   ゆみ(弓)・木弓・強弓・弧矢=弓矢   弓なりに曲がった線や物   括弧        山幸彦=参考源・三光源・参校源        海幸彦=掛意稿元・改稿源・回航源・開校源            ひご            庇護・比護・蜚語・卑語・飛語            籤=くじ・籤=鬮            肥後=熊本            びご=備後・尾後・備語・尾語       ↓↑    「眚(まけ・セイ・ショウ・目気=眼病)は     災い・過ち・過失     しろそこひ=白底翳=白内障     不以一眚掩大紱=些細な過ちで             その人の大きな功績まで             覆い隠してはならない」         掩(エン)=おおう・おおい隠す・かばう               掩護・掩蔽(エンペイ)    「貝(目八)は財貨」で・・・目を拡げる(八⇔監視)?    「贖(つぐな)う」という意?       贖罪・・・賠償=バイショウ=売笑    「眚(生+目)=つぐなう・売り歩く            セイ            目に陰(濁)が生じる病気(白内障)            過ち・過失・災い・病気    儥=イ+賣・・・賣=士+罒(網・网)+貝(目八)    覿=𧶠(士+四+貝)+見    櫝=木+𧶠(士+四+貝)    豄=谷+賣=士+罒(網・网)+貝(目八)    匵=匚+賣=木匣・木柜・・・宝箱=匵、匱也    殰=歹+士+四+貝=月(肉)+𧶠    藚=艹+𧶠    韇=革+𧶠(士+四+貝)    嬻=女+賣=士+罒(網・网)+貝(目八)     =トク・ドク・穢(けが)す・瀆            媟嬻・体面を傷つける            嬼=女+卯+刀+金=女+𨥫+刂=女+劉              寡婦・夫と死別した女性              妖艶なさま    䄣=示+𧶠    ↓↑    讟=うらむ・そしる・トク・ドク・・・讀+言=言+賣+言      怨む、悪む、謗る      痛み怨むなり(説文)      怨讟=謗讟      声符は𧶠      音読み=トク・ドク    ↓↑  賈=覀(おおう)+貝(かい)   =あたい・ねだん・あきなう・コ・カ    値段=ねだん=音弾・・・価格・価値・価(あたい)    ↓↑    賈 復(カフク・?~55年    後漢の武将    字は君文    南陽郡冠軍県(河南省訒州市)の人   (『後漢書』列伝七・本伝)    光武帝の功臣    「雲台二十八将」の第三位に序   (『後漢書』列伝12)   「賈」姓名の歴史上の人物のスベテ・・・    ↓↑    襾⇒覀に変化した字・・・一+凵+冂      襾部(アぶ)      襾=物を覆うことを意味        上下から覆う様子        偏旁の意符は覆うことを示す       「覀」と筆画が同じあるいは近い       「西(セイは鳥が巣の上で棲息するの意を          引伸して西=にし)・・・酉=樽だが?       「要(エウ・ヨウは腰の意を・・・腰=肉+覀+女          引伸して重要の・・・               要(かなめ)=覀+女だが?          女を覆うコトが「かなめ」って?・・・カネメ  「覀・西  おおいかんむり  にし  かなめがしら・かなめのかしら」  を部首に持つ漢字  襾(あ・カ・エケ)  西(にし・セイ・サイ)  要・覃(タン・エン)  覆(くつがえす・おおう・フク・フウ)  覇(ハ・ハク)  覈(カク・ギャ)  覉(おもが・キ)=覊  覆(おほ)ふなり  冂に從ひ、上下、之れを覆ふなり(説文)  「冂+凵+一」  蓋をして布で覆った象形    ↓↑    貝=財貨を覀(おおう)           覀+復         覆=フク・おおう・くつがえす・くつがえる    ↓↑    賈=あきない・あきなう・うる、かう      呉音はク、ケ      漢音はカ、コ      商品をお金を媒介し売買(交換)をすること      商売(あきない)      賈人(コジン)=商人      賈船(コセン)=商船      ↓↑      買=バイ・かう        罒(あみ・網・网)+貝        買は、かう意に        賈は売り買いする意        かう・うる・あき ーーーーー  ・・・???・・・


 ・・・冬季オリンピック、無事に終わって・・・一安心だが、シリア、なんで、そこに生まれただけの理由で、人々も子供たちも命をおとさねばならないのか・・・中東の混乱を極東に連鎖させ、ユスられるコトが無い様に祈るばかりである・・・冬は家の中も、外も乾燥・・・ムカシ、アルバイトのメッキ工場で右足の踝(くるぶし)あたりに液体の薬品がカカり、いまだにそのカ所が湿気や乾燥で異常事態、寝ている時も無意識で、その場所を掻いてしまう・・・  「掻く=itch・itchy・痒い・itch・かゆみ・かゆい・itchy(形容詞)」  痒い=疒+羊=itch(イッチ)⇔一致・何時知・伊津地・伊都置            乙知⇔位置・位地・壹・壱・市・溢・一  I'm itchy.  My leg won’t stop itching. I can’t stop scratching it.  My leg are itchy.  My bug bite itches.  「海鮮ドンヤ」・・・「カイセン=歌意撰・甲斐戦・解選」ですか・・・熟語が廻旋(カイセン)で同音の熟語が13以上はアル・・・  「疥癬(itch mites=イッチ-マイッ)=カイセン」  「無気門亜目   ヒゼンダニ科のダニ(蜱)」  「肥前の虫、ダニ(蜱=虫+卑)=疥癬(scabies)」は、  「ヒゼンダニ(Sarcoptes scabiei var. hominis)の   寄生による皮膚感染症   湿瘡(シッソウ)、皮癬(ヒゼン)   知られている皮膚疾患の中で   掻痒は最高   通常疥癬と角化型疥癬に大別される」・・・  「カイセン=海戦・開戦・会戦・海鮮・廻船・回船・回戦・回旋・回線・櫂船・改選・改撰」・・・  「𠃐」=「会」=「ヱ・エ・カイ・あう・あつ まる」=「𠆢+云」=「繁体字は會」=「異体字は會・㑹・㞧・㣛・郐 ・鄶・𠃐・𣥈・𨞡・𨞤」、「𠃐」???  「乙(おと・オツ・イツ)乙(おと・オツ・イツ・イト)」     「音々・乙女乙女・何時何時・糸々」・・・  「意図・異図・伊豆・怡土・伊都         伊藤=いとう=厭う・意等」・・・  「𠃐=乙+乙=乚+乚」⇔「Z+Z⇔L+L」・・・  「ザ(Za)ジ'(Zi)ズ(Zu)ゼ(Ze)ゾ(Zo)」⇔「ラ(La)リ(Li)ル(Lu)レ(Le)ロ(Lo)」・・・  「La≠Ra」・・・  「Zi≠Di≠Ji」・・・  「ヱ=ア+一=了+一」・・・  「乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)」 ーーーーー  会=會=あう・カイ(クヮイ)・エ(ヱ)      ある目的のために多くの人々が集まること      集まり・寄りあい・集会・衆会  会=𠆢+云=亼+一+ム・・・    一期一会(イチゴイチエ)    𠆢(人)+云  合=𠆢+一+口=亼+口    𠆢(人)+一+口  会=旧字は會・・・会津=あいづ=會津    ヱ・エ・カイ・会う    亼+一+ム    通仮字は「劌=歳+刂」    簡体字は会    異体字は乙乙・㞧・㣛・㑹・鄶・会    同訓異義は「偶々(たまたま)・偶然」         「偶・會・適」 ーーーーー  大化の改新        唐(618~690~周~705~907年)                      周=則天武后               李淵が隋を滅ぼして建国  乙巳の変  皇極天皇四年六月十二日   唐=貞観十九年(645年)  (ユリウス645年7月10日)  新羅=仁平十二年  (グレゴリ645年7月13日)  貞観十八年十二月五日  乙巳・癸未・戊申      (645年1月8日)  皇極天皇四年六月十九日   玄奘三蔵が  大化元年          天竺(印度)十六年の旅から帰国  (ユリウス645年7月17日)  ↓↑  ↓↑  大化元年九月十二日  (ユリウス645年10月7日)  古人大兄皇子を殺  ↓↑  第四十一代  持統天皇(鸕野讃良)  誕生(~703年)     ↓↑          ↓↑           隋(581年~618年)               魏晋南北朝時代の混乱を鎮め               西晋が滅んだ後               分裂していた中国を               300年ぶりに               文帝が再統一               都は               大興城(中華人民共和国西安)               城内に「天津橋」・・・天孫?               隋=大業十四年・皇泰元年                 (618年)               第二代               煬帝で滅亡               後は               唐=武徳元年               唐が中国を支配              「李淵=唐初代皇帝=高祖」               隋の恭帝侑を傀儡とし               禅譲により唐を建国               李淵は在位九年の間               王世充などの群雄勢力と戦い               律令整備               李淵の一族は               大野(ダイヤ・おほの)氏               という「胡姓」で「鮮卑」               626年               次男の              「太宗(李世民)」に譲位?              「玄武門の変(626年7月2日                     武徳九年六月四日)」               にて皇太子の              「李建成=木の子の建(たける)ナリ」               を打倒し               残存の群雄勢力を一掃               天下統一  ↓↑           ↓↑  ↓↑           新羅=建福三十五年(618年)  645年7月10日(ユリウス)⇔新羅=仁平十二年  ↓↑           善徳女王(徳曼・金)               647年2月17日死亡               新羅の第二十七代の王              (在位632年~647年)               新羅初の女王               新羅國(前57年~935年)               朝鮮半島南東部にあった国家              「斯蘆(しろ)」・・・鸕野讃良                        毘盧遮那仏               と称し               503年              「新羅」               を正式な国号とした               647年正月               女王自らが任命した               上大等の              「毗曇(ビドン)」らが               女王の廃位を求めて内乱               上大等の中央貴族に対抗し              「金庾信」ら、              (黄帝の子の               少昊金天氏・・・昊(コウ・なつぞら                       あかるく高い夏の空                       大空               の子孫ら)                 ・・・「少昊金天」=夜の銀河?               地方勢力が女王を支援、乱を収拾               同月八日に女王は陣中で死没              「善徳(ゼントコ)」と諡号され              「狼山(慶州市)」⇔オオカミのサン               に埋葬               在位十六年               金庾信らは              「真徳女王(勝曼・金)」を立て               正月十七日、乱を鎮圧              「毗曇」               ・・・毗=毘・綣・𦜝・へそ               ら20余名を誅殺              「善徳」は死後               唐から              「光禄大夫(従二位の唐名)」を追贈  ↓↑           ↓↑              「大化三年               647年               金春秋、来日               大化三年(六四七)是歳               新羅遣上臣大阿飡               金春秋等。               送博士小徳               高向黒麻呂。               小山中               中臣-連               押熊。               来、献孔雀(くじゃく)一隻。                  鸚鵡(おーむ)一隻。               仍以               春秋為質。               春秋               美姿顔善談咲」               真徳女王即位  ↓↑           ↓↑               654年 真徳女王死去  ↓↑           武烈王(金春秋)即位  645年7月10日(ユリウス)  三国の「調」の儀式・・・調べる・調査  皇極天皇が  大極殿に出御  古人大兄皇子・・・ナンで「古人=ふるひと・コジン」?  が側に侍し  入鹿も入朝  入鹿は日夜  剣を手放さなかったが  俳優(道化)に言い含めて、  剣を外させていた  中大兄皇子・・・ナンで「中=なか・あてる・チュウ」  は衛門府に  宮門を閉じさせ  蘇我石川麻呂が  上表文を読んだ・・・内容はナンだったんだか?            三国の「調の儀式」に「上表」とは?            上表文=古くは「しょうひょう」            上に掲げてある表・上表を参照せよ            意見を書いた文書を君主に奉ること            その文書            辞表を提出すること  中-大兄皇子は  長槍・・・・・・・ナガヤリで刺し殺す(中てる)?  を持って  殿側に隠れ  中臣鎌足は  弓矢・・・・・・・弓矢は「的(まと)に中(あ)てる」武器  を取って潜んだ  海-犬養勝麻呂  に  二振りの剣を運ばせ  佐伯-子麻呂  と  葛城-稚-犬養-網田  に与えた。  蘇我入鹿  を斬る役目を任された  二人は恐怖し  飯(めし・いひ・ハン)に  水をかけて  飲み込むが  たちまち吐き出す・・・ナゼ、こんな時にミズ漬けの飯を             カーリングの選手のように             モグモグ喰う「赤いサイロ」は             なかった?  鎌足は二人を叱咤  石川麻呂  が表文を読み進めても  子麻呂らは現れず  恐怖のあまり全身  汗にまみれ、  声が乱れ、  手が震えた  不審に思った  入鹿が  「なぜ震えるのか」  と問うと、  石川麻呂は  「天皇のお近くが畏れ多く、   汗が出るのです」  と答えた。  中大兄皇子は  佐伯子麻呂らが  入鹿を恐れビビっているとし  自らおどり出ると  子麻呂らも飛び出し  蘇我入鹿  の頭と肩を斬りつけた  入鹿が起き上がると  子麻呂が片脚を斬った・・・・片脚  入鹿は倒れ  天皇の御座へ叩頭し  「私に何の罪があるのか。お裁きを」  と言った。  天皇は驚き  中大兄皇子に問うと  「入鹿は皇族を滅ぼして、   皇位を奪おうとした」  と答える  皇極天皇は直ちに殿中へ退き  佐伯子麻呂・・・白村江の戦いで戦死・・・空海も佐伯姓  と  稚犬養網田  は  入鹿を斬り殺した  大雨が降り・・・・大雨の日  庭は水で溢れた  入鹿の死体は  庭に投げ出され  障子で  覆いがかけられた・・・アメ(阿毎⇔阿倍)に討たれた?  古人大兄皇子  は  「私宮=ム宮」  へ逃げ帰り  「韓人(からひと)、鞍作(入鹿)を殺しつ」  (韓人、殺、鞍作臣、吾心痛矣)  「三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢の使者が来日」  は「罠」・・・  「韓人=加羅人=からひと=漢人=唐人」・・・化等比訳?  ↓↑  翌六月十三日  (ユリウス645年7月11日)  (グレゴリ645年7月14日)  乙巳・癸未・己酉  ↓↑  蝦夷は舘に火を放ち  『天皇記』、『国記』  を焼いて自殺  船恵尺・・・・船の恵の尺  が  この内  『国記』を火中から拾い出し・・・?  中大兄皇子  へ献上  ↓↑  白村江の戦い(海戦・会戦)  天智天皇二年八月二十七日~八月二十八日  663年10月4日~10月5日(ユリウス暦)  癸亥・辛酉・戊申・水曜日・仏滅  癸亥・辛酉・己酉・木曜日・大安  ↓↑  共通項は「戊申」、「己酉」の「日付の干支」だが・・・「戊申=ボシン・つちのえのさる=戊辰・母神」、「己酉=キユウ・つちのとのとり=杞憂・希有・喜勇・喜宥」・・・ ーーーーー  ・・・「つちのえのさる」=「通知の絵の猿」・・・「つちのとのとり」=「通知能登の獲り」・・・


 ・・・「亿(億)=イ+乙(イ+意)」・・・「数の億・万万亿万・億万、非常に大きな数・亿万人民=億万人民」・・・「初は、10倍ごとに位取りの名称を定める下数」が行われていたので「一・十・百・千・万・億」で「億」は「105」となる。しかし漢代に「108を億」とされ。『漢書』律歴志に「一億三千四百八萬二千二百九十七」のような数が見える」・・・ ーーーーー  億は「上数」でも  「中数」の万万進・万進でも  同様に「108」となる。  漢字の「億」  音符の「意」と  意符の「亻 (にんべん)」  を合わせた形声字  元来は  「胸いっぱいに   考えられるだけ   考える」  という意味  これが  「考えられるだけ   考えることのできる大数」  の意味に変わり  ついには  「想像も出来ないほどの大きな数」  の意味となった  「億」は「万」の  次の単位となった  本来の  「胸いっぱいに考えられるだけ考える」  という意味は  「億」の  「亻」を  「忄 (りっしんべん)」  に置き換えた  「憶」に充てられることとなった・・・「忄+乙」・・・「忔=喜ぶ・厭う・いとう・嫌う・キツ・ギツ」はあるが・・・「忄+乙」は無い?と思ったら・・・アッタ~ッ・・・  「忆=忄+乙=おもう・おぼえる・ヨク・オク・ざまざまなことに思いを馳(は)せる・おぼえる・忘れずに覚えている・心に留める」・・・  ・・・ボクにとって問題なのは「曾・侯・乙」と「随」と云う「漢字」である・・・ ーーーーー  曾侯乙-墓(ソウコウイツ-ボ)  漆箱出土  湖北省  随県  擂鼓墩(ライコトン)  (31度42分)  (113度24分)  BC433年  ↓↑  汝陰侯-墓(ジョインコウボ)  六壬式盤(リクジンショクバン)出土  安徽(アンキ)省  阜陽(フヨウ)市  (32度54分)  (115度49分)  BC169  ↓↑  『説文解字』  河南省  洛陽市  漢  洛陽  周  洛邑(ラクユウ)  (34度39分)  (112度26分)  AD100成立 ーー↓↑ーー  黹=业+㡀(小冂小)   =业+小(亅八冂)小(亅八)   =业+亅+八+冂+亅+八    生業はの釣り針の把知(八字形⇔簗⇔魚籠=ビクの罠)、    海の外の冂(ケイ構え・キョウ構え・柵の囲い・境)    内海(うつみ・ナイカイ・港湾内)    山の内の冂の内の弓矢=丫(ふたまた・木のまた)    内山(うちやま・ナイサン・盆地)               戈(ほこ)・l(棒)               斧(おの)               鉞(まさかり)               鉈(なた)               or               弋(ヨク・イキ)=𢍺      弋=𢍺=七+丶=匕+丶⇔一+乚(乙)+丶        いぐるみ・矢に糸をつけて放ち鳥をとる道具        弋=繳射なり=繳(いぐるみ)(玉篇)        とる・獲物をからめとる・弋猟        くろい・黒い色        くい(杭・杙)⇔(橋桁)⇔羽咋        うかぶ・水にうかび泳ぐ・遊弋(ユウヨク)        弑=しいする・ころす・下の者が上の人を殺す          弑逆・弑虐⇔嗜虐・簒弑(サンシ)    业=業(わざ・なりわい・ギョウ・ゴウ)      丵=茂る生草・鍼灸、刺青のハリ      並(ならぶ・ヘイ)=䒑+业⇔並立・並行      晋(すすむ・シン)=一+业+日(曰)       「易に曰く、明、地上に出づるは㬜(晋)(易経)      㬜=臸+日(曰)⇔「臸=至+至」        至(一のムは十の一)が並ぶ「至」          初めの「ム=横島」に重位置                横島←阿蘇山→横島    黹=ぬいとり・チ    刺繍・縫う    『康熙字典』    「黹」字中央を「ハ」形    下部内部の左払いと点を    上の横画、    中央の縦画から離している    中国の新字形では「ハ」形を    「逆ハ字」の「丷」形とし・・・「曽=曾=曽」⇔ソ+田+日     ↓↑            曽=丷+田(口十)+日     ↓↑            曾=八+口+小(亅八)+日    左払いと点を    上の横画    中央の縦画とくっつけ   「弊・幣」    の左上の偏旁と統一   「黹=針と糸による衣服や布の縫いとり・刺繍      『説文解字』は      㡀=「幣」の左上の字、破れた衣の意        「丵(叢から           取を除いた部分の字、草むら)        の会意文字・・・?・・・「业+㡀(小冂小)」        金文など        衣架に掛けられた衣服に        縫いとりのある形に象る・・・        偏旁の意符として        縫いとり、刺繍に関することを示す        黹(チ)部  ↓↑    ↓↑  挙=ツ+一+手=擧(旧字体)=举(簡体字)         舉(繁体字、俗字)=與+キ(扌⇔手)    あげる・あがる・キョ    こぞる・こぞって    持ちあげる・取り上げる    事を起こす    捕える    ふるまい・行動    すべて ーー↓↑ーー  會=亼+口+川(小⇔亅八)+日(曰)・・・昍     「罒+l」  㑹=亼+由(口十)+日(曰)  ↓↑  曽我・曾我・蘇我・嵯峨・相賀  ↓↑  曾=異体字は「曽」     「曽(丷田日)」 は常用漢字新字体     「曾(八口小日)」 は旧字体    「蒸気を発する為の器具の上に     重ねた甑(曾+瓦=こしき・蒸し器)から     蒸気が発散している象形    「かさねる・かさなる」    ・・・甑が「瓦の曾」なら         「かわら=化話等」の増長(重)だが・・・  ↓↑      曾=曽=かつて・これまで・すなわち      (以前に・これまでに)      曽遊・未曽有(ミゾウ)      かさねる・かさなる・かさなり      曽孫・類字は層・増す      ます・ふえる      すなわち  ↓↑  かって=曽て・曾て・嘗て・・・「嘗(な)めて」?      (副)      過去のある時点に      その事柄が成立      昔。以前。前に。      打ち消しの語を伴って      今まで一度も・ついぞ      ~ない・・・      打ち消しの語を伴って      全然・決して・少しも      ~でない      すべて・みな・ことごとく      ↓↑      曾の二画目、      「八」が      片仮名の「ソ」           草書体が      平仮名の「そ」になった        ・・・遡=朔+辶=さかのぼって                辿(たどって)                振り返って             朔=屰(䒑屮)+月               屰=さからう・逆らう・ゲキ                 武器                 戈や矛の機能を備えた武器                 殷~唐代にかけて多用          塑=でく・けずる・貼り付ける・こねる            ソ・ス            塑像・塑造          愬=朔+心            うったえる・ソ・サク            朔+心      ↓↑      曽て(かつて)      曽参、人を殺す=息子(曽参)が人を殺したと              嘘も繰り返し云われれば              母親も信じてしまう              (ソウシンひとをころす)      曽祖(ソウソ)      曽祖(父ソウソフ)      曾孫(ひまご・ソウソン)  ↓↑  亼=シュウ・集まるという意味    會意=入 + 一       象は三合之形    合・僉・俞・會・今・令・侖・食・舍・全  ↓↑  「細々としたモノを集める」  「意見などをあわせる」  「まるく集まる様から円い」  の会意兼形声文字  儈:市場で売り手と買い手を集めて引き合わせる仲買人。  噲:のど。口の奥で円くなった部分。  廥:まぐさ小屋。  澮:田畑の水を集める溝。  獪:ずるい(→老獪)。犬が調子を合わせる。  懀:  𡑭:  璯:  薈:草木が集まって茂るさま。  繪(絵):様々な色の糸を集めて作った刺繍。  糩:  膾(→鱠):肉を集めたごちそう。  鬠:もとゆい。髪の毛を集めた部分。  形声文字: 劊、鄶、檜(桧)  意義[編集]  (人が)あつまる、あつまり。  あう。  儈:市場で売り手と買い手を集めて引き合わせる仲買人。  噲:のど。口の奥で円くなった 部分。  廥:まぐさ小屋。  澮:田畑の水を集める溝。  獪:ずるい(→老獪)。犬が調子を合わせる  懀  𡑭  璯  薈:草木が集まって茂るさま  繪(絵)=様々な色の糸を集めて作った刺繍  糩=膾(→鱠・なます)=肉を集めたごちそう  鬠=もとゆい・髪の毛を集めた部分    劊・鄶・檜(桧) ーーーーー  随県の東団破  此曾国与史书  中的姬姓  随国一国两名  始祖为赫赫  有名的  周朝开 ーーーーー  曾侯乙墓(ソウコウイツ-ボ)  擂鼓墩1号墓(ライコトン-イチゴウボ)  中国の  湖北省  随県  (随州市   曽都区)  で発見された  戦国時代初期の諸侯の墓  「卜」字形の竪穴墓  南北16.5メートル  東西21メートル  1978年5月11日  文物考古部門が発掘開始  17日  泥水につかった墓の排水  21日  盗掘洞を発見  23日  曾侯乙-編鐘  が水面に露出  ↓↑  墓主  墓主  45歳前後の男性  殉葬者は13~25歳の女性  出土した  銅鐘の銘文  戦国初期  曾国の  「乙」  という名の君主の墓  「曾侯乙」と呼ばれる  墓葬年代は  楚の  恵王56年(紀元前433年)頃  「曾侯乙乍……」 ーーーーー  大量の  青銅製の  礼器・楽器・兵器・金器・玉器  車馬器・漆器・木器・竹器  竹簡  などの文物  15404件が発見  ↓↑  曾侯乙-編鐘  65個の青銅製の鐘  青銅と木で作られた  3段の枠に並べた楽器  編鐘  全65鐘が無傷で出土  編鐘に  5音音階  7音音階  西洋音楽の  12平均律に匹敵する  独自の12律が存在  転調の発想があった・・・  音域は5オクターブ  すべての音に  異なる音名が付けられ  すでに高度な  音楽理論があった  高度な音楽理論を元にし  編鐘は製造され  多種多様な音楽が演奏  編鐘の製造  紀元前433年  と銘記  ↓↑  「曾侯乙-作持」  の銘文  「音階や音律」についての記述  音楽史の貴重な文字史料  ↓↑  曾侯乙-編磬  「へ」字形の石板(磬)を  青銅製の架に並べて吊り下げた楽器  曾侯乙-大鼎  「曾侯乙-作持用終」  の銘文を持つ鼎  鴛鴦形漆盒  曾侯乙之走戈  「曾侯乙之走戈」  の銘文を持つ戈  竹簡  240枚  6696文字  葬送に用いられた  車馬  武器甲冑  の名称を記録した遺策 ーーーーー  世界大百科事典内の  曾侯乙-墓の言及  【殷周美術】より  ↓↑  …河南省洛陽の  金村古墓  輝県  固囲村-墓(輝県古墓群)  王侯級の墓  金属器の精品の出土  1977年  湖北省  随県  発見の  曾侯乙-墓  保存良好な  戦国前期  木槨墓  青銅器は  透し彫・浮彫・錯・嵌の技巧をこらし  とりわけ  「尊」と  「尊盤」は  複雑な透し彫装飾を器全面に  付加したみごとな精品  注目をひくのは  楽器群で  管弦打楽器がそろい  編鐘は  L字形  上下3段の  鐘虡(ショウキョ)  に  大小64点の鐘がかけられたまま出土  ↓↑  「随」より  都邑  湖北省  随県  随県城の北西にある  前5世紀ころの  古墓  曾侯乙-墓  から  曾侯  の銘のある青銅器が出土  随  と  曾  との関係・・・が論議  「隋・唐」の  「隋」とは  「楊堅(文帝)」の父の  「楊忠」が  北周のとき  随国公に封ぜられ、命名されたことによる  ↓↑  春秋時代(紀元前5世紀)  王孫誥  が諸侯の  賓客を款待する為に造らせた  と銘文に記録  ↓↑  擂鼓墩  湖北省  随州市  西の郊外  省都  武漢市  から北西へ155キロ離れたところ  2000年以上前の  春秋時代(紀元前770〜同476年)  楚王  がここで太鼓を叩いて(擂鼓)  突撃する兵士を鼓舞した  ↓↑  1978年  湖北省博物館  2400年以前の  曾国の王  曾侯乙の墓  を発掘した際  大量の  青銅器  漆器、陶器、玉器  竹簡など  埋蔵物  1万5400点余りが出土  その中で  「古代冷蔵庫」と称えられている  青銅製の  「鑑缶(酒を冷やしたり温めたりする容器)」  彫刻が精美な  「大金盞   16の環が繋げられた龍鳳玉飾り   二十八宿図」  を描いた  衣装箱  完全に保存された  65個の鐘を備えた  「編鐘」  は、現在でも各種の曲を演奏できる  「編鐘セット」によって  2400年前の音楽を再現することができる  ↓↑  編鐘の表面に  2800文字の銘文  ↓↑   墳墓  中室には  編鐘  編磬(打楽器の一種)セット  瑟(琴に似た弦楽器の一種)  建鼓  竹篪(笛に似た8つの穴がある楽器)  排簫  などの楽器  全部そろうと  大規模な古代宮廷オーケストラ  曾侯乙が主催した祭祀  婚礼、葬礼  などの儀式や宴会で演奏した・・・  東室からは  琴、太鼓、笙などの楽器が出土  曾侯乙  が音楽を好み、  余暇には、  居間でこれらの楽器で演奏  東室に安置された  副葬棺の中で眠っていた  8人の若い女性は  当時、彼のためだけに音楽を演奏した美女・・・  ↓↑  鎛鐘がひとつある  大きな鐘体を持ち  精美に作られている  この鐘は  下段中央のもっとも目立つ位置に吊るされ  正面には  31文字の銘文が鋳造され  「楚恵王56年(紀元前433年)   惠王は西陽から戻り、   曾侯乙のために、   この鎛鐘を鋳造し、   曾侯が永遠に享受できるように   西陽に送った」  という意味の銘文  銘文は音律と関係ないが  曾楚両国  の強い友情の絆を示している・・・  ↓↑  代々の  楚王は  随国への恩返しを肝に銘じ  楚国は相次いで  60ヵ国以上の諸侯国を滅ぼしたが  弱小の  随国は700年近く生き延び  随国文化を後世に残した  紀元前433年  曾侯乙が亡くなると  楚の  恵王は父君を助けてもらった恩に報いるため  この鎛鐘を鋳造し  曾(随)国  もこの手厚い贈り物を  もっとも目立つ場所に置き  楚国に敬意を示した・・・  ↓↑  古代中国は楽器を  「8音」と総称  楽器を作る材料によって  金、石、土、革、絲、木、匏、竹  八種に分類  金は鐘のような銅、鉄で鋳造  石は磬のような玉石製  土は壎のような陶製  革は太鼓のような皮革が材料  絲は琴のように弦を使う楽器  木は梆子という拍子木  匏は笙のような瓢箪で作ったもの  竹は竹笛  ↓↑  古典『尚書』  「撃石拊石、  百獣率舞(石を打ち鳴らせば、百獣が踊り出す)」  山西省  襄汾陶寺  夏県東下馮で  4000年前の  石磬出土  河南省安陽で出土した  3000余年前の  商代の大磬  虎の装飾が施された楽器  各地で出土した  陶壎  浙江省  余姚河  姆渡で出土した  7000年前に作られた一つ穴の陶壎  壎の雛形  西安の  半坡で出土した  6000年前の  陶壎は  上部と下部に一つずつ穴  三和音を出せる  商代  陶壎は5つの穴  7音階の曲を演奏できた  骨の楽器  河南省  舞陽では  8000年前の  鶴の足の骨で作った  25本の笛が出土  3本はそれぞれ5穴、6穴、8穴で  ほかに7穴の笛が3本あり  5音、6音、7音の音階の曲を吹くことができる  河南省  浙川  周代の骨を組んで作った  5本の簫が発見  13本の鶴の足の骨を組んで作った  簫は楽曲を奏することができる  商(殷)・周時代  鐘は楽器、礼器として  中央王朝や各諸侯国で大流行  編鐘の場合  商代では3個から5個しかなかったが  周代は9個から13個に増えた  戦国時代はさらに  1セット61個に増加し  曾侯乙のいた小国でも  1セット64個の  編鐘を鋳造  ↓↑  周代の音楽  当時の  礼楽制度と密接な関係  西周時代  天子から各諸侯、公卿、大夫、士  に至るまで  宗法制度や身分制度を維持し  自らの身分、地位、権力を誇示するために  祭祀、会盟、宴会、冠婚葬祭  出陣の儀式に合わせ  音楽を演奏し、舞踊も添えた  身分によって  演奏する曲目や踊りの種類が異なり  音楽隊、舞踊団の規模、人数は厳格に区別され  それを破ることは許されなかった  周代  音楽を重んじ  礼制を厳格に実施  専門の楽士  地位の低い弾き手、踊り手のほか  貴族の子どもも  13歳から  「大司楽」という  専用の音楽学校に入る決まりがあり  詩の朗読、音楽、舞踊の修行を義務付けられていた  重要な国家行事の儀式で  音楽、舞踊を演じるため  その後  東周王朝の国力が衰微し  諸侯間の紛争が起き  「礼節と音楽の崩壊」によって  社会、思想、文化が華々しく解放され  百家争鳴の発展期を迎え  曾侯乙のような  小国の諸侯でも  大規模で、精美な  編鐘を作ることができた?・・・楚から贈られたモノ  長江流域の  高度な音楽水準を反映・・・  ↓↑  青銅尊盤  尊は酒を入れる容器  盤は水や氷を入れる容器  酒を冷やしたり  暖めたりするのに使用  尊と盤の全体に施された  繊細で複雑な立体的な模様は  絡んでいる無数の  龍と蛇  尊盤には派手な  装飾が施され  交錯する  龍と蛇の文様は  はっきりしており  独立しながらも  一体感を感じられ  先秦時代に作られた  もっとも複雑で  もっとも精美な  青銅礼器  詳しく研究した学者は  「失蝋法」によって作られたと推定  失蝋法は  まず蝋で模型を作る  次に  蝋の模型の外側に  石英砂のような  耐火材を付け  陰干しにした後  この模型を焼く  蝋は熱で溶けるが  「陰模」  と呼ばれる  殻は残る  この  「陰模」を使えば  青銅器を鋳造することができる・・・ ーーーーー  ・・・スゴイねっ、「古代中国の技術」・・・これらの「知識と技術」は中心的文明、文化から波及して周辺国の遠方に遺った・・・???・・・「波紋は遠方に到達する」・・・「古いモノは辺境の遺る」のが鉄則である・・・  ナンオク萬年前に消滅した「恒星爆発の光」を今、現在、ボクたちはミテイル・・・終わった「オリンピック」からナニを眞名毘、ナニをナスベキか・・・


・・・前回の更なる検討だけれども・・・単に何時もとドウヨウのモウソウ次元のケントウ・・・明日は「暴風雪」・・・昨日も今日もガンガンの天気だったが、屋根から大量に落下した雪と氷、ガレージ、物置小屋の屋根の除雪、肉体労働には大量の汗が吹きだすのはアタリマエだが、下着はベッショ、ベッショ・・・起床してから昼過ぎまで・・・無報酬だが「ドレイ」ではない・・・だが、ダブン、他人からみての「ドレイ」としての「使用価値」、「利用価値」は無いだろう・・・ ーーーーー  黹=?  黹=业+㡀(小冂小)   业+八+l+木+亅    业+丷+l+木+亅    业+l+米+亅    並ぶ棒、八方位の鉤・・・磁石・指南                事跡・至難    㡀(小冂小)    =业+小(亅八冂)小(亅八)    =业+亅+八+冂+亅+八  ↓↑  黹=ぬいとり・チ    刺繍・縫う    『康熙字典』    「黹」字中央を「ハ」形    下部内部の左払いと点を    上の横画、    中央の縦画から離している    中国の新字形では「ハ」形を    「逆ハ字」の    「丷」形とし・・「曽=曾=曽」⇔ソ+田+日(曰)     ↓↑      曽=丷+田(口十)+日(曰)     ↓↑      曾=八+口+小(亅八)+日(曰)    左払いと点を    上の横画    中央の縦画とくっつけ   「弊・幣」・・・弊社・貨幣    の左上の偏旁と統一   「黹=針と糸による衣服や布の縫いとり・刺繍     『説文解字』は      㡀=「幣」の左上の字、破れた衣の意        「丵(叢から           取を除いた部分の字、草むら)        の会意文字・・・?    ・・・「业+㡀(小冂小)=业+l+米+亅」  ↓↑  业=業=业+䒑+未(十)    (わざ・なりわい・さが・ギョウ・ゴウ)     わざ=技・伎・和座・倆・態・芸     なりわい=生業     さが=性・佐賀・嵯峨・礒     礒=いわ・いわお       岩石のつき出るさま       いそ(磯)       石の多い波打ちぎわ       石で出来た漢字の字通部通の意味はナニ?       碍・磑・礙・確       磯・礒・硅・碣       研・硯・矼・硬       磽・礦・矻・砂       磋・砕・砥・磁       砠・硝・礁・砌       碩・磧・磚・礎       碓・砧・碪・碇       碾・磴・礑・破       碚・硲・砒・碑       砲・磅・碼・硫       礪・礫・碌・碗・・・   「磯」と「礒」・・・「ムシ+α」・・・   「蟣(虱)≠蟻(ギ・螘=虫+豈)≠蜂(むらがる)      丮=手に握る        甲金文象 一人跪坐或屈身             兩手前伸             有所             握持之形             本義、是握持(說文)            「持也、象、手有所丮據也」    「礙=石+疑(うたがう)」なのに     さまたげる・止める・ガイ・ゲ     じゃまする・妨げる・距てる・限る・遮る     障礙・阻礙・妨礙・無礙 (ムゲ) 」    ・・・高圧電線の「碍子=礙子」は以前調べたが、    ・・・「疑(うたがう)」が       「㝵(とく・うる・える)」・・・?    「碍=石+旦+寸=石+㝵      =石+日+一+寸=石+㝵」    「碍子=ガイシ=凱之・外史・外資」    「メダル取ったどゥッ!」     カーリング娘     三位、ドウでも、凱旋だッ!・・・常呂町・・・  ・・・2018年の冬季オリンピックは、    「地球を背負った」    「日本人のイキザマ」を世界にみせたが・・・    「国内政治」は随分と杜撰であるかな・・・    今現在の「経済界」には「渋沢栄一」氏のような    人物はいるんだろうか・・・そもそも、無理か・・・「大磯の総理大臣」の限界・・・  ↓↑      「磯」=岸辺から川の流れに突き出した岩       水が岩に激突する   「礒」=石+義・・・イシの意義・異義       碕礒(キギ)       碕=石+奇(一人可)       岩石の様子の形容詞?       磯=石+幾・・・幾何(學)の形(象)         石の数、幾ら、多い海岸・・・       石=いし=意思・意志・遺志・医師・遺子=磐       魔方陣=河図洛書 ーーーーー  歸藏図    連山図   周易先天図  6 1 8    8 7 3   2 1 5  7 5 3    5    4   3    6  2 9 4    6 2 1   4 7 8 ーーーーー      「石邉・石辺・石濱・石浜」   beach=ビーチ=砂邉・砂辺・砂濱・砂浜      「磯部・礒部」   coast=大陸・大きな島などの       海岸・沿岸・海辺・岸壁・岩浜   shore=海・湖・大きな川の岸       海岸・湖畔・河岸・川淵・川縁       ・・・shore≠shoes≠boots       ショーン(Sean,Shaun,Shawn)・・・show・背負う       アイルランド系の男性名       ヨハネのアイルランド語       ↓↑       ヨハネ(イオアン)の黙示録?       Ἀποκάλυψις Ἰωάννου       Apocalypsis Iōannis       アポカリュプシス       ラテン語revēlātiō      (暴露、すっぱ抜き)に由来する       Revelation       ↓↑             英語化はシェーン(Shane)   court=royal court・朝廷・宮廷   court=法廷・司法機関・裁判所・裁判機関   coat =防寒用のコート・外套・上着       暴漢・傍観・坊間・棒間   ↓↑     「岩壁・岸壁」≠「城壁」      rampart=城壁      ラテン語 moenia      フランス語 muraille      英語 defensive wall      a castle wall・the town walls      セルウィウス城壁      ラテン語: Murus Servii Tullii      イタリア語: Mura serviane      紀元前4世紀初      ローマを取り囲んでいた防御用城壁      壁の高さは最高で10m      基部の幅は3.6m前後      全周は11km      16の大門  ↓↑  bi⇔ビ=毘・彌・備・尾・靡・飛・眉・鼻      毘⇔毘古(彦)  ↓↑    ↓↑        磐 余彦(書紀)        伊波礼毘古(古事記)          余=礼        庚午年一月一日         ~        神武天皇        七十六年          三月         十一日       百二十七歳・1+2+7=10=拾・足       百(もも・桃・髀)念 漆  ↓↑    ↓↑      彌⇔弥・  弭・㣆・镾・婗        爾=尓・耳=璽・弓=镸=女      彌生(三月・march)・彌陀・彌勒      備⇔吉備真備・警備・装備・準備        備前・備中・備後      尾張・尻尾・参尾・九尾・牛尾      靡=なびく・したがう・ビ        風や水の流れに従い        ゆらめくように横に動く        靡然        おごる・おごり・ぜいたく        はなやか        奢靡(シャビ)・猗靡 (イビ)        ただれる        ち(散)る・ちらす        ほろびる・ほろぼす        萎靡(イビ)・淫靡(インビ)        侈靡(シビ)・奢靡(シャビ)        風靡(フウビ)      會稽      之      東與      儋耳        儋=イ+厃(刀厂)           +八(儿)+言(辛口)                辞=舌+辛                言=亠+二+口           儋=擔⇔担           何(にな)ふなり           人に従ひ           袪を聲とす      袪=人+厂(崖)+八(拡)+言        譫=くどくどとモノを言うこと          たわごと・愚痴・妄言          皇后・皇太子の家事役人          袪事(センジ)        膽=胆=きも・タン・胆汁        儋=甕(かめ)、荷物をかつぐ意          二石(50Kg)の重さ          譫=言+袪=セン        儋=になう・にたい・こがめ          タン・セン・ゼン        憺=忄+袪          覃(タン・深い壺)に通じ          深いの意          深い心の意          心やすらか、おだやか          深く悩む。苦悩の意          恬憺(テンタン)          惨憺(サンタン)          苦心惨憺  ↓↑  ↓↑      相近      都      於-「邪靡堆」      則      魏志      所      謂-「邪馬臺」-者也     (隋書・卷八一東夷傳-俀国伝)        邪靡堆=邪馬臺         靡 = 馬          堆=  臺      飛⇔飛騨・ひだ=日田・肥田      眉⇔眉輪王子=目弱輪        葛城 円(かつらぎ の つぶら)        日本書紀        都夫良意富美(つぶらのおほみ)        古事記    圓・螺良・粒良  ↓↑  鼻⇔鼻祖=須佐之男  「bi-」?・・・「ビットコイン(bitcoin)は  ↓↑      公共トランザクションログを          利用しているオープンソース プロトコル          に基づく          Peer to Peer型の  ↓↑      決済網、暗号通貨」・・・?  連結詞  二回(twice)・二つ(two)  bifacial・biplane  化学で「・・・の2倍を有する」     「重~ bio-の異形」  重・・・「bichromate」  生物で「二・双・重・両・bipinnate」  「bimonthly」のような形は  「二か月に一度」  「一か月に二度」  の両方の意味  ↓↑  ↓↑      丵=茂る生草・鍼灸、刺青のハリ      並(ならぶ・ヘイ)=䒑+业⇔並立・並行      晋(すすむ・シン)=一+业+日(曰)       「易に曰く、明、地上に出づるは㬜(晋)(易経)      㬜=臸+日(曰)⇔「臸=至+至」        至(一のムは十の一)が並ぶ「至」          初めの「ム=横島」に重位置                横島←阿蘇山→横島 ーーーーー  ・・・???・・・カソウ・・・twoか・・・

ー↓↑ーー↓↑ーー  ・・・???・・・    ↓↑   ↓↑  「プラトン古事記をカタル(古事記字源)   +  (表紙・画像・音楽)」の   移転先・・・ https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12  ↓↑  ボクの「古事記字源」の発端・・・ https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/11  ↓↑  干支歴 http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html  ↓↑  現在の「ボクのHP」は「モウ君の総合目次」として  モウ君の総合目次 (bake-neko.net) http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm  ↓↑  追加添文  「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」 https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB

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