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 「東西占星術の基礎、天文暦」「納音-六十干支・十二支・十干」「現存・古事記-漢字-字源」「音訓」の再考(1-1)



 二階の窓から覗く外は眩しいくらいの白一色である。猛吹雪の舞う雪が光を燦爛反射する中で、近所のモダンな建物は霞んでいる・・・風の音も凄い。家の壁肌と角に吹き付ける風は家自体を呻き啼かせているようだ。雪の上に雪塵の粉、氷塵の粒が走る。

 お袋が入院している病院までの往き帰りの歩道は足跡も無く、道らしきモノは車の通ったタイヤの跡の車道である。それとて、その轍も吹き溜まりの雪で沈んでいる。顔を横殴りに叩く雪。雪に長靴をぬからせながらの漸進。蝦夷を幕末に探検した「伊能忠敬」、「間宮林蔵」や「近藤重蔵」、「最上徳内」のコトが頭に過ぎる・・・

 そして、「北海道」、「蝦夷地のアイヌ語地名」を「漢字」に宛(当・當)てていった「松浦( まつうら)武四郎(たけしろう)」・・・「明治二年(1869・己巳年)8月15日」の太政官布告、「蝦夷地、自今、北海道ト被稱十一ヶ国ニ分割國名郡名等 別紙之通被 仰出候事」・・・松浦は、明治2年に道名に関する意見書を提出し、6つの道名候補をあげ、「日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島)。「北加伊道」の「加伊」を「海」と変更して「北海道」となった・・・



 (一)


 「現存・古事記」は

 「天文学・天文暦学」をベースに

 モノガタラレているコト


 形而上学に措ける「形字上」学的な「妄瀧」

 字形の問題→部首→偏 旁   冠  脚   遶

               ↓

              ヘンボウ  カンキャク ニョウ

              編 望   巻 紀訳   二様→古事記・日本書紀

              辺 棒(牟)環 軌夜区 邇曜→天文学・十二支分野

              経 妄   観 既約   似様→仏教経典

               変 貌   観客     二様→歌舞伎・浄瑠璃・仁王立ち

 1)

 形而下学に措ける「形事上」学的な「耗喪」

             事掲の問題→司馬遷・班固・班昭→史記・漢書

                老子→ロウシ→老師→道教(タオ・タヲ)

 2)

 計時上学に於ける「系時上」学的な「環詞」

             時計・時間の問題→干支・天文・星座宮・星宿・暦

             埃及(エジプト)神話

             希臘(ギリシャ)神話→星座物語→星占術

             ヒッパルコス→アルマゲスト・三角法・歳差運動

             プトレマイオス→テトラビブロス(数学全書)

                漏示→ロウシ

                漏刻→水時計→天智天皇(中大兄)

                     天文台→天武天皇・気門遁甲

                     蝋燭時計

          雨漏り→漏雨・漏水→漏らす・失する・欠ける

 3)

 景字上学に於ける「繋辞上」学的な「環視」

             景行天皇=大帯日子淤斯呂和気

               と

             日本武尊(日本書紀)=倭建御子(古事記)=小碓(をうす)、

             「亦の名」は

             「倭男具那(古事記)・日本童男(日本書紀)」

               ↓漢字分解

             「倭(イ禾女)」+「男(田力)」+「具(目一八)」+「那(尹阝)」

               ↓同音漢字の訓読み当て字   那=如何・西の異国の名

  a) イノウ ギ   オウナタ ヂ カラ  マナ(マ・メ) ハジメ ハチ オ サ ムラ

    伊能の儀(業) 遠那 多の知を可-等く 学な(眞・目)  始め 端地の緒の差の務等

               ↓

  b) イノ ギ オンナ デンリヨク    モク   ハジメ ハ オサ  オホ サト(ゆう)

    意は能義の音納、伝理の夜の矩(句)、模句(杢)の肇(始)の葉、訳(長)の御補 阜(邑)

               ↓                     意富 査(佐)斗

天文三年(1534年甲午・5月12日)誕生→織田信長の岐阜

  c) 織田信長が美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井口を岐阜と改めた

    シキデンシンチョウ ビノウ  コウリャク きわ トウバサン ジョウカ セイコウ ギフ

    私記伝 針長 備(薇・尾)納語句 康暦  紀和 等葉纂    帖解   星光   戯譜


 「a) b) c)」は「やまと・おぐな=倭(イ禾女)」+「男(田力)」+「具(目一八)」+「那(尹阝)」を漢字分解し、部首漢字の音訓で読み、その音を「取=耳(みみ・ジ)+又(また・亦・叉・股・俣・復)」って文章を再構成をしたモノである。a)は伊能忠敬、b)天文学の概念(コトバ)、c)織田信長の履歴(信長公記)を私が恣意的に訳したモノである。

もう一つ「現存・古事記・字源」と重なるモノ、「d)」を加えるならば「戊辰戦争・日露戦争」の幕末、明治を生きた「長州藩の乃木稀典」を「倭男具那」と重ねて恣意的に訳したい。ウイキペデア百科事典を参考抜粋すると以下の記事がある。

「長州藩の乃木稀典」→「長(おさ)」の「州(くに)」の「藩(ハン)」

   ↓    ↓ 

   ↓  家紋は

   ↓  「市松四つ目結い」。→「市(亠巾)→位置・位地・壱」、「松(木八ム)」、「四目結」

   ↓  幼名は無人で、→「無人→空人・虚人・ム人」

   ↓  その後、

   ↓ 源三と名を改め、→「源三(水原三)→源は参」

   ↓ 頼時とも称した。 →「頼時(束頁日寺)→選り時」

   ↓  さらに後、

   ↓ 文蔵、次いで→「文蔵(亠乂丱厂臣戈)」

   ↓ 希典と名を改めた。→「希典(メナ巾曲ハ)」→キテン→記顛・記典・軌天

   ↓  また、出雲源氏佐々木氏の子孫と称したことから

   ↓  「源希典」との署名もよく用いた。→みなもと(見名摸斗)キテン(輝天)

   ↓  号としては、

   ↓  静堂、秀顕、→静(しずか)→指図加・・支図化

   ↓ 石樵→石(いわ)樵(きこり)→岩(巌・雁・丸・彦)・樵(木焦→木隹灬)

   ↓  及び

   ↓ 石林子を用いた。→石林子→岩(山石)の林(木々)の子(一了)

   ↓  少年時、

   ↓ 十歳まで長州藩上屋敷で生活。この屋敷は→十歳=壱拾歳・足差異→長州→兆周

   ↓ 赤穂浪士の→浪(水良→水量・推量)士(シ→支・史・市・視)=なみし→波斯(ハシ)

   ↓  武林隆重(武林唯七)が→武(たける)・林(キキ・キギ)・隆(リュウ)重・唯七

   ↓ 切腹した場所であった。→切(七刀)腹(月ノ一日攵)

   ↓ 左目を負傷、→左目(ナ工目)=サガン→砂岩・佐願→佐賀ム→相模

   ↓ 失明→隻眼→片目→独眼→一つ目→・・・?鬼太郎?鬼太郎の親父←鳥取

   ↓ 明倫館で→メイリンカン→明輪環

   ↓ 左足を捻挫→左の足→サソク→左側・ねんざ→年座=歳星の座位

   ↓ 馬関(下関)へ脱藩決意し逃亡するが追捕、逮捕→馬の関→午の席=午支・南方・朱雀・鶉

   ↓  明治4年(1871年辛未11月23日)

   ↓  二十二歳で→弐拾弐→爾(似・尼・邇・児・仁)を拾うニ

   ↓ 陸軍少佐→陸=六→陸奥・グン→郡・群・ショウサ→章査・照査・証左

   ↓  明治11年(1878年戊寅10月27日)

   ↓  「お七=静子」と結婚・・・「お七」である・・・

   ↓ 

 とある。更にエピソードは日露戦争、大山巌、児玉源太郎、愛馬、「壽号」は旅順陥落後、ステッセリ将軍から贈呈、水師営の会見、殉死まで・・・「現存・古事記・字源」に重なり続くが・・・この辺で止める・・・「→」は恣意的な示唆・・・「亠」の漢字の意味は「鍋蓋(なべぶた)かんむり」で「音の略字」である。


 さて、「現存・古事記」であるが、「倭建」が姨(おば)の「倭比売」から貰ったのは「懐(ふところ)に納めれる剣」であった。一般的には「懐剣」と言われるものである。侍の大小二刀の腰の帯に指す脇差であるならば「短剣」か「小刀」である。

 柱時計、置時計、懐中時計の「アナログ発条(ぜんまい)時計」は長針と短針からなり、24時間=十二刻を示すモノは「短針」であり、午前(馬の前)、午後(馬の後)を示すローマ数字の「Ⅰ(1)~ⅩⅡ(12)」は「同じ数字」で使途、用途を兼ねる。60分の目盛り区分を示すのは「長針(チョウシン)」である。「60」の巡回サイクルは「年月日時」を示す「六十干支」でもあった。円周分度は国際度量制度として「360度」と決められているが、中国では天文学上の分度は「365度」とされ、地球の自転日数365日とされている。

 軽薄、あるいは無謀、無策、大胆-不敵、勇猛-果敢、心気-広闊、忍耐-頑強、乱暴-狼藉、冷酷-無慈悲、暴虐-無尽、荒肆(コウシ)、荒弛(コウシ)-荒淫・・・、これらの熟語に当て嵌まる人物の「チョウシン」の同音異字漢字とは、「うつけ者・たわけ者」と呼ばれた「身長70センチ」くらいで、若いころは「奇人変人」に見られ、中年壮年期は「慎重」に領土を「伸張」させ、バテレンのもたらした舶来のビロードマント、衣服を新調させ、安土城を琵琶湖湖畔に築き、最後は防備の慎重さを欠き、迂闊にも明智光秀に逆心、逆臣で、反逆され、「天下布武の兆進」を裏切った→「信長(シンチョウ)」である。


 織田信長の家系とは元、守護大名「斯波(シバ)」氏の家臣団の一であった。この「斯-波(シバ)」は「波-斯(ハシ)=ペルシャ」の前後二文字の逆字交換の当て字である。「ハシ」の同音漢字は「端(タン)・橋(キョウ)・嘴(シ・鳥のくちばし)」で、二本一対の「箸(はし)」である。「シバ」の同音漢字は「司馬・芝・柴・死馬・四場」である。宣教師が描いたらしい「信長の肖像画」は教科書に載せられているモノとは異なり、その相貌は「中東アラブ系」に見える・・・のだが・・・


 「織・田・信・長」は→織(糸+音+戈)・田(囗+十)・信(イ+言)・長(おさ→訳語)

 「天文三年(1534年甲午・5月12日)」誕生し、幼名は「吉法師」であった。

   ↓     ↓

この同年8月15日、「イグナチヲ・デ・ロヨラ」等七人によってイエズス会結成。

   ↓     ↓

   ↓    「私年号=1534年」としてこの同年には

   ↓    「宝寿二年」があるらしい。

   ↓    「私年号」としては古いモノでは

   ↓    「欽明天皇十九年丁丑・557年」の

   ↓    「兄弟元年・兄弟和元年」があるらしい。

   ↓    新しくは

   ↓    1868年戊辰年の

   ↓  「延寿元年」は、

   ↓  「慶応四年5月17日・中外新聞の日付」、

   ↓    「奥羽列藩同盟」で使用したらしい。

   ↓    同年10月23日は

   ↓     ↓  明治元年九月八日、

   ↓     ↓  「一世一元令」が発布された。

   ↓     ↓

「天文十五年(1546年丙午)」に

「古渡城」で元服、

   ↓     古渡城

   ↓     ↓

   ↓    *ふるい(振・旧・篩・奮・震)

   ↓    *わたり(倭足・和足・話他裏・環太里)・ト(斗・途・賭)

   ↓    *しろ(史賂・支路)・ジョウ(帖・杖・条)・き(記・紀・徽)

   ↓

「上野介信長」と名乗る。→(吉良)上野介

  「斉藤道三」の娘、「濃姫」と結婚。

   ↓   ↓

   ↓  *ドウサン(同参)→参宿・オリオン3星

   ↓  *ノウキ(能記・能生記・之雨期・廼宇記)・こいひめ(鯉秘め・乞毘売)

   ↓

  「天文十八年(1549年己酉)」に道三と会見。

  異説では

  「天文二十二年(1553年癸丑)」

  「天文二十 年(1551年辛亥)」に

   ↓     ↓

   ↓   *辛亥(かのとい)→化能斗の意(味)・加・能登の医(者)

   ↓

「家督相続」→化匿宗族

「永禄十年(1567年丁卯)」には

「斉藤龍興」の→龍の復興

「稲葉城」を攻めて勝利し、→因幡白(兎・兔)

尾張・美濃二ヶ国を領有(信長33歳)。

この同年に

 「井ノ口」を

 「岐阜」と命名。

 「岐阜」は

  「周の文公」の

  「鳳凰」が舞い降りた

  「岐山」と

  「孔子」の生誕地の

  「曲阜」の合字であるらしい。

  11月には僧・

  「沢彦宗恩」から与えられた印文「天下布武」の朱印を信長は使用した。

   ↓  ↓

   ↓  *タクゲンソウオン→託言双音(相音・総音・宋音・騒音)

   ↓

  「元亀元年1570年庚午4月23日~」は→ゲンキ→源基・元気

  「元亀三年1973年壬申」までの「元号」である。

  同年五月二十九日に

  「森蘭丸」の父→らんまる→覧○→覧願・蘭翫=蘭学習元

  「森可隆」が戦死→カリュウ→可龍→渦龍

  同年八月九日に

  「姉川の戦い」→あねがわ(蛙音臥話)・シセン(視線・支線)

  同年九月十九日に九州では

  「今山の戦い」で→今の纂・混纂

  「龍造寺隆信」が大友氏に勝利であった。→龍を造る字、劉臣

  「天正九年1581年乙巳・二月二十八日」、

  京都内裏東で

  「御馬揃え」を行う。

   ↓  ↓

    ↓*御馬揃→み(未)+午(うま)+そろえ(遡路重)←(揃=手+前)

   ↓

 「天正十年6月2日(1582年壬午6月21日)」、

  「本能寺の変」→本の字が変

  「黒人奴隷の弥助」が行方不明。

   ↓  ↓

   ↓ *「黒」とは「玄」である。スナワチ、「玄武」である。

   ↓ *「黒=里+灬(烈火・四足)」で、

   ↓ *「里の烈火」とは「璃の列灬匙(瑠璃の列の四星の柄杓)」である。

   ↓ *「里の四足」とは「熊」である。

   ↓ *「本-能-寺は「法華宗の寺」であった。

   ↓

 イエズス(耶蘇教・天主教)会が献上したものに「地球儀・時計・地図」があり、

 その理解度は高かった、らしい。

 だが、「ルイス・フロイス(日本史著作)」に「目覚まし時計」を献上された際は、

 扱いや修理が難しかろうと返品した。

 また「信長が自ら手紙に「第六天魔王」とした記述がある。

   ↓              ↓

   ↓「第六天魔王」とは

   ↓              ↓

   ↓ 欲界(六欲天)の最高位の下から第六位にある「他化自在天」=マーラ(天魔波旬)・シヴァ神

   ↓ 「他化自在天」とは字面通りに解釈すれば

     「他に変化させて自在(自由・思うが侭)に出来る天界」である。

   ↓ すなわち、

     「天界の星々を観察し、自由なハナシの星座として繋ぎ描き、作り変えるコト」である。

   ↓ 「鳴かぬなら、殺してしまえ、ほととぎす」・・・

     「ホトトギス(不如帰)」とは如何?・・・当て字の漢字は「補斗解数」

   ↓ 「般若経」に記されている

     (以下ウイキペデア百科事典より参照抜粋し若干改作)

   ↓    ↓ 

   ↓  波旬は、

   ↓  仏の神力によって地獄の門を開いて清浄水を施して、

   ↓  諸々の地獄の者の苦しみを除き武器を捨てさせて、

   ↓  悪者は悪を捨てることで一切天人の持つ良きも

   ↓  のに勝ると仏の真理を諭し、自ら仏のみ許に参じて

   ↓  仏足を頂礼して大乗とその信奉者を守護することを誓った。

   ↓  また、

   ↓  波旬は

   ↓  正法を持する者が外道を伏する時のために

   ↓  咒(じゅ、真言)を捧げ、これを誦する者を守護し、

   ↓  その者の煩悩は

   ↓  亀が六を蔵す(亀が四肢首尾を蔵めて外敵より身を守ること)もの

   ↓  であると(波旬は)述べて、

   ↓  最後の供養者として真心を受け給うよう(仏に)願い出た。

   ↓  釈尊は

   ↓  「汝の飲食(おんじき)供養は受けないが、

   ↓  一切衆生を安穏にせんとするためのその神咒だけは受けよう」と仰せられた。

   ↓  波旬は

   ↓  三度懇請して「咒」は受け入れられたが

   ↓  終に

   ↓  仏は

   ↓  飲食供養は受け給わず、心に憂いを抱いて一隅に座した、と記されている。

   ↓

   ↓  どうやら、「真言密教」の「真言=咒(口口几)」とは

   ↓ 「インデアン(印度)語そのもの」であるらしい。

   ↓ 「咒=口+口+几」とは

   ↓ 上に「四角・視角・視覚・四画・刺客・資格・死角」、

   ↓ 下に「几(キ・肘掛=ひじかけ)」で、類字、類似は

   ↓     ↓ 

   ↓ 「几=パイ=円周率=アルキメデス数」

   ↓                ↓

   ↓「歩き目出素・蛙(かえる)瑠記目出棲・鴉(カラス・雅)留記目出洲」

   ↓ 「Y(ア)留記目出諏」の河図→渦図→和(かず)

   ↓ 1+2+3+4+5+6+7+8+9=45→45+10=55(五拾五)

   ↓  ↓

   ↓ 1・2・3

   ↓ 4・⑤・6→⑤を中心に上下、左右、ナナメの数和は「15(壱拾五)」

   ↓ 7・8・9

   ↓  ↓

   ↓ 「Y=ア→婭(女+亜)・婀(女+阿)・頞(安+頁)・唖」→英語のY(ワイ)

   ↓ 「阿=ア・丘・岸・坂・麓・棟・軒→隈(くま)は曲がった所」→大隈重信

   ↓

 「織田信長」の「カケ」に連鎖、重なる説明である。

  漢字の「Y」の意味は「又・ふたまた・分れ目・あげまき・角髪・総角」であり、

 「婭(女+亜)」は「妻の姉妹の夫」で、

 「頞(安+頁)」は「鼻筋(はなすじ→話す字・噺す事)」である。

  そして「パイ(π・Π)」は「無理数」である。ならば「無理な和」でもある。

 「円周の長さCは直径dの大体3倍で、正確な比は π と表記」される。

 「〇のΠ(パイ)=円周率=3.14159」であるならば、

 「口=90度×4角=360度=参百六拾度」の示唆暗示である。

  この漢字分解では「咒=口+口+几」で口が2個であるから

 「八角=口+口」の総角度の総計は「90度×8=720度=七百弐拾度」である。

  この漢字数のヨミは・・・

   ↓

   ↓ 「七(なな・シチ)は百(もも・ヒャク)、弐(ふたつ・ニ)を

                         拾(ひろう・たり・ジュウ)の度(たび・ド)」

   ↓   ↓ ↓      ↓     ↓        ↓   ↓   ↓   ↓

   ↓北斗七星の           柄杓、  璽(邇・爾)の足の  ↓     旅  ↓

   ↓     ↓ ↓  玉璽=ギョクジ→漁(魚・禦)区示       十       ↓  度

   ↓     ↓ ↓    ↓     ↓              ↓      ↓  ↓

   ↓     ↓ ↓    ↓     ↓              ↓      ↓   ↓

   ↓   名拿・支知 もも=桃・腿・股 ふたつ=布達・賦建・普辰  獣・重・中 足袋・太微

奴・土

   ↓     ↓   ヒヤク=秘薬・秘訳・比訳

   ↓     ↓ 

   ↓  星座、大熊座の七星の数である。

   ↓  「720°=4π(rad)=8R」で、2周。

   ↓  動径方向は「0(零・空・虚)」と同じである。

   ↓  「720」は高度合成数で、約数を「30」有し、

   ↓    ↓ 

   ↓ 12(壱拾弐)、

   ↓ 30(参拾)、

   ↓ 36(参拾六・参拾陸)、

   ↓ 60(六拾・陸拾)、

   ↓ 72(七拾弐・漆拾弐)、

   ↓ 120(壱百弐拾)、

   ↓ 180(壱百八拾・壱百捌拾)、

   ↓ 240(弐百四拾・仁百肆拾)、

   ↓ 360(参百六拾・参百陸拾)

   ↓

 「織田信長」の「カケ」に連鎖、重なる「長=おさ=訳語」の説明である。・・・とするならば、「鴨長明」なる人物の「長」もマルッと懸けられているに違いない・・・「鴨(甲+鳥)・長・明(日+月)」だから・・・甲(キのエ)の鳥(トリ)の長(おさ・ながい・チョウ)、日(にち・ヒ)と月(つき・ゲツ)・・・

 「約数(ヤクスウ)」の同音異字は「訳趨」である。翻訳の反芻で、版数で、「叛(反逆)は約、半数」で、あるかな・・・「720年庚申・養老四年」には僧「満願」が誕生し、「藤原鎌足」の次男、「藤原不比等」の死亡である・・・等しくは比べられず・・・であるな。

 しかも、「720年庚申(かのさる・コウシン)」とは「六国史」の第一番、「日本書紀」は舎人(とねり・シャジン)親王等が作成したモノで、漢文、編年体の参拾巻で、系図一巻は消失で、在れば合計「参拾壱巻」である。そして「舎人親王」は天武天皇五年に第五子(異説に第三子)として誕生、天平七年に死亡し、「崇道尽敬皇帝」の号を贈られた人物であった。「とねり」とは「斗根理」であろう。「日本書紀」は」「斗」を練って考え出したモノだ・・・「現存・古事記」が「更新・行進・後進・高進・亢進・昂進」で、「後身の交信」であるならば、幕末の志士タチの「秘密交信文書」に使用されたモノ、でアルカナ、ッ。


 で、ここで語られている「般若経」の「亀(の甲羅)」とは「防御・防衛」の象徴で、欲望制御の象徴であるらしい。

 「般若経」に添って古代中国の北方神獣「玄武=蛇が亀の上に乗り絡んでいる姿」を解釈するならば、「蛇の欲望(煩悩)の攻撃」を「亀は甲羅」で防御している「姿」なのである。 「亀」が「中国」であるならば、「トグロを巻いて亀に乗る蛇」は「北方から攻め込んでくる異民族」である。 だが「亀の甲羅の河圖(図)の魔方陣」とは「国家防御の占い術の知識」であった。 「数理学」の原点である。天空の星座に囲まれて立つ上半身が人で下半身が蛇の「伏義(羲)と女媧」の男女両神は「コンパスと曲り尺」を手にしている。「蛇」は「学問の神」の象徴でもある。 一般的には「商売=商業=計算・会計=会稽」の知識の神様である。そして、「蛇」とは「水面で波状に小刻みに身体を振る磁石の針」の象徴である。示す方角は南北の極である。 夜間の晴れ間には、北には「北極星」が耀いているのが観えるが、夜間の曇り、昼間は観察できない。「磁石の針(針棒)」なら何時でも南北の方向を知ることができる。

 兎に角、 「蛇」とは「知恵の神」でもあった。「旧約聖書」の「アダムとイヴ」に登場する「蛇」は「悪魔」とされているが、無知な男女に「神の戒めに疑い」を持たせ、「禁断の果実」を食べることを唆し、 そして「知識」を与えた。「唯一神」がコントロール出来ないモノが「蛇」であり、「人間の精神(心)」であった。人間は「無知」であっては生きていけないのである。そして、 「林檎(リンゴ)」は「秋の果物」で、リンゴは市場で「商人( あきんど)」に「商品」として「商売」されたのさッ・・・日本の「商業高校・商業大学の徽章・シンボル」はほとんどが「蛇」である。「リンゴ」が「 枇杷の実」と言う説であるなら、日本には食用の「ビワ」は「奈良時代」の昔からあったに違いない。「琵琶湖」、「枇杷島」などの地名がある。正倉院の楽器「ビワ」も「聖武天皇」の時代のモノだ。「大八島日本」は「秋津島(嶋)」であるから「聖武(ショウム)」を「商務」に懸けたい「ご人」が居たのであろう、赤トンボ・・・。「赤林檎」の漢字分解は「一(十)+亦+木+木+木+禽」である。「林」に関係する人間が怪しい?・・・「ハジメをカエル、キキのキン(ジュウ)」である。

 「キン」の同音異字とは「金(金武)」と「軽」、「錦・欽・筋・琴」で、「近・今・斤・菌」でもある。猛禽類の王者は「鷲(ワシ=和史)」で「鷹(タカ=高・多可)」、「隼(はやぶさ=準・准・楯・順・純・潤・遵・淳」である。「遵・淳」・・・


 「淳(氵+享)」に類似で類字なのは「渟(氵+亭)」である・・・

 「渟(氵+亭)」とは「湖・沼・池」である、

 「瀛(エイ=氵+亡+口+月+女+凡)」とは「湖・沼・池」であり、「大海」である。

 「天渟中原瀛真人尊」とは「天武天皇(大海人皇子)の諡名」であった。

 「瀛表」とは「海外」の意味熟語である。

 「氵」の無い「嬴(エイ・あまる・こえる)」は「秦王朝」の「姓」であった。→太秦(うづまさ)

 「遵法・遵奉」の「遵(ジュン)=尊+辶」は「順(ジュン)=川+頁」と同音同意の異字漢字である。

 「川+頁」は「カワのページ(頁=壱の目の人)」か、

「センのページ(頁=蛤の大貝→御浦賀意)」である。

  ↓        ↓      ↓ ↓      ↓ ↓

  ↓      虫(中ム)合  みうらがい

川→三    位地・位置のヒト  ↓ 桑名の焼蛤

 ↓      ↓

         ↓            ↓

         ↓            鴎外(森) 

 縦の三    他弟女人  千姫・千代丸  三浦我意

化倭     市の女の人    千字文  見裏臥異 按針(害・外・画意)

 華倭    お市の娘の人    王仁・応神     尾保賀意→尾張が保つ我意

 中国・日本 十市(天武の娘)横(よこしま)に訊     本居宣長→古事記伝


 「猛禽類」とは「肉食(ジクショク=字句織)の鳥(とり=取・チョウ=長)」である。「鷲(わし)・鷹(たか)・鳶(とび・とんび)・隼(はやぶさ)・みさご(鶚、雎鳩)」は「猛禽類」で、獲物は「空中」で「円」を描きながら急降下して捕獲する。「鷲」の付く地名は「三重県の尾鷲(おわせ)」である。どうしてか「鳶(とび・とんび)」は格下とみなされ、「鳶(とび・とんび)が鷹(たか)を生む」などと言われる。そして「鳶にアブラゲ攫(さら)われた」である。「鳶(土備)にアブラゲ攫(さら)われた」のはダレか?・・・「松平(尾張徳川・会津松平)」・・・「アブラゲ」とは「阿武等解」で、「阿倍(正弘)=福山藩」と「阿閉=元明(女帝)等の下」、「阿武=則天武后」、「阿倍仲麻呂・阿倍皇女(孝謙・称徳天皇)=後見生得)」で、「サラ(攫・浚)われた」ある。サラワレタ(皿が割れた)とは「扱(シゴカレタ)」という事で、「サラ(讃良)」とは「持統天皇(鵜野讃良)」=「字等・字統」の「女帝=序綴」である・・・漢字の違いは、


 「就(つく・シュウ)」=京(高い丘・数詞)

+

尤(とりわけ、特別に異なる・とがめる・ユウ・イウ・ウ)

 「雁(かり・ガン)」→厂(がんだれ・がけ・ガン)

+

イ(人)+隹(きじばと・スイ)

「まだれ」は崖の上に建てられた家

              がん=鷹=广+イ+隹+鳥

广(まだれ・ゲン)=丶(屋根)+厂(がんだれ・がけ・ガン=クリフト=clift)

隹→崔(サイ)=高山を意味する

 「雁」→「鴈(かり・ガン)」=厂+イ(人)+鳥

 「弋(くい・ヨク・イキ)」=(杙=杭)

   (いぐるみ=糸、紐、縄をつけた鳥狩猟用の矢)・(黒色・奪う)」

 で、共通なのは「鳥(とり・チョウ)」である。

「鳶(とび・とんび)が鷹(たか)を生む」、

 その意味は「有り得ない出来事」なのか、「稀に有る出来事なのか」

・・・多分、「有り得ない」と言うことだ・・・

「有り得る」と説明するならば、それは「ウソ」と言うことだ。

 「羽咋(はくい)」と言う地名があるが、

        ↓

   古代の能登国羽咋郡の地であり、海浜の寺家集落に

   延喜式名神大社・

能登国一ノ宮気多大社が鎮座する。寺家は七世紀から十四世紀にかけての

   祭祀遺跡である

   「汀の正倉院」 として有名な寺家遺跡でも名高い。また周辺には全長50メートルの

   山伏山古墳(前方後円墳」がある。

能登半島の西、「七尾市」に隣接。

   羽咋の地名の由来は

   垂仁天皇の皇子磐衝別命がこの辺の領民を苦しめていた

怪鳥を退治し、このとき皇子の

三匹の犬が怪鳥の羽を食い破ったという伝説由来

犱谷(くるみだに)を甘田と改称して高浜町に編入


 「羽咋(はくい)」とは「葉句意」で、「波杙=波杭」である。「角鹿国」は「敦賀国(現・福井県敦賀市周辺)」で「先代旧事本紀」では「第十三代成務天皇の時に吉備臣(きびのおみ)の祖、第七代孝霊天皇の皇子・若武彦命(わかたけひこのみこと=若建彦・稚武彦)の孫である建功狭日命(たけいさひのみこと)の国造から始まったとされる。「若武彦命=若日子建吉備津日子(わかひこたけきびつひこ)」で、「日本書紀・景行天皇」には「若武彦命の孫・吉備武彦」が越国偵察のために「日本武尊」により派遣と記されている。ここは「蘭学医」の場所でもあった。そして、「第壱拾五(十五)代応神天皇(誉田別=ホンダワケ)・応神七年に軽宮で即位、豊明宮とした」の母、応神天皇の摂政(女帝天皇)「69年間」の「神功皇后(気長足姫=息長足姫=意気長足姫=息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足比売命」の女傑物語は「越前角鹿」の「西暦201年(辛巳)」から始まった。「200年」は「庚辰(→龍→劉)」終わったのは「269年(神功69年・己丑)」である。・・・石川県「羽咋」郡志賀町に位置する「能登金剛のヤセの断崖」は松本清張の推理小説「ゼロの焦点」の舞台であった。時代は終戦から13年後であった、カナ、ッ。・・・「砂の器」・・・亀嵩駅(かめだけえき)は、島根県仁多郡 奥出雲町郡村、JR西日本・木次線の駅。愛称は「少彦名命」(すくなひこなのみこと)・・・「島根県・出雲」に隣接するのは「鳥取県」・・・

 ウソ、ッ・・・「鷽(うそ・カク・がく)」は「カササギに似ている鳥・鷽鳩は小鳩」である。漢字の類字は「鴬・鶯・うぐいす」である。そして「猛禽(モウキン)」とは訓読みすれば「タケルはトリ」で、「古事記」での物語は「白鳥」になったのである。「白鳥」とは「渡り鳥」である。これらを統括するのは「金武(キン・コンブ・ゴンブ)」であろう。・・・「渡嶋の長(酋長)」とは「アイヌ(蝦夷)であった。その「アイヌ(蝦夷)」も「赤蝦夷=露西亜」と「和人」の確執の中で「和人」に埋没していったのである。平安時代の貴族が有した矢羽は「蝦夷鷹の尾の羽根」で、実戦用ではなく、ステータスシンボルとしての「矢を飾る高級アクセッサリ-」であったらしい。「矢(ヤ)=ノ一(カミさし)+大(一人)」である。

 ところで「林檎」は時代的に日本の地では何時からのモノか?・・・ 「山リンゴ」とか「和リンゴ」は平安時代からあったそうであるが、「観賞用」であったらしい。今現在の食用「りんご(林檎)」の名産地は青森だが、初栽培の地は「北海道・七重村(現:七飯町)」であるそうだ。

 「蝦夷地・七重村」とはプロシャ(プロイセン)人の「 ガルトネル(ゲルトネル)」が「榎本武揚」から租借した土地であった。懐かしい「名前」である。ボクが書いた小説(碧き眼の人形)の突端に登場させた「人物」である・・・


 ここで、「榎本武揚」に「寄り道」の「撚り道」、「道草・路草・未知句差」をして行きたい。「地道」って、都会ではアマリにも「路地」が網羅され、「迷路」のように複雑である、ナッ、「アルタミス」。「ジャの路は蛇」、「ヒトのミチはウン」、「ミズのミチはカセンかウンガ」、「サバクのミチはシルク」、「字のミチは、テンとセン」・・・「地味」で「滋味」の「染み」である・・・「ウミのミチは、カイロ」、「フネのミチはコウロ」、「カイグンのミチは水底」、「リクグンのミチは玉砕」、「アメのミチは、ドロミチ」、「オンナのミチはコイ」、「ハハの道は苦難」、「ヨメ、シュウトメのミチは確執」、「コドモのミチは不孝」、「覇者のミチは下剋、上洛、天下布武」、「臣下のミチは忠」、「敗者のミチは捕虜、奴隷、遠島、打ち首」、「逃亡者のミチは蝦夷」・・・「医者のミチは仁」・・・「長(おさ・訳語)のミチは翻訳」、「ヤクシャのミチは変身、花道」、「花魁の道は廓(郭)」、「惑星の道は軌道」、「太陽の道は黄道」、「月の道は白道」・・・「カンジのミチは、チカンでチカン」である・・・「耳の道は、音曲の音極」・・・「空手の道は少林寺拳法」、「コジキのミチはオトと托鉢」、「宗教のミチは天国、地獄」、「蘭学者のミチは鳴滝、バッチラー」、「電気、電報、電話の道は電線」・・・「出世のミチは賄賂と大樹」、「高級官僚の道は天下り」・・・「センタクのミチフタツにヒトツ」・・・「邪馬台国への道は緯度33°」・・・

 以下は「ウイッキペデア百科辞典」からの参考抜粋し、若干改作したモノである。

       ↓

 「戊辰戦争」、そして箱館戦争がはじまり、かっては「幕府軍艦奉行」であった「榎本武揚(釜次郎)」は旧幕臣と「開陽、回天、蟠竜、千代田形、神速丸、美賀保丸、咸臨丸、長鯨丸 の八艦」から成る旧幕府艦隊を率いて10月末に箱館を占領し、「蝦夷島政府(蝦夷共和国?)」を樹立。「R.ガルトネル(ゲルトネル)」は「蝦夷島政府(蝦夷共和国?)」と交渉し、幕府松前藩箱館時代からあった契約を引き続き行う同意を得、明治2年2月19日(グレゴリオ暦1869年3月31日)に「蝦夷地七重村開墾条約書」を締結。その内容は、七重村およびその近傍の約300万坪を「99年間」の租借や、ヨーロッパ農法を教授することであった。

 5月11日には明治新政府が箱館を攻撃し、18日には榎本の降伏により「蝦夷島政府(蝦夷共和国?)」は倒れた。5月19日に再び箱館府が設置されると、「R.ガルトネル(ゲルトネル)」は箱館府と交渉し、約1か月後の「6月16日」には「地所開拓之為蝦夷政府アル・ガルトネル氏の約定」および「蝦夷島開拓人員之掟則」を早々に締結した。 なお、この約定には契約期限が示されていなかった。

明治2年7月8日に明治新政府により蝦夷地および 樺太の開拓を掌る開拓使が設置。9月には蝦夷地は北海道に、箱館は函館にそれぞれ改称され、 旧箱館府は開拓使出張所と改称され本格的な業務が開始され、中央政府にこの開墾条約の存在が知られた。この契約が定められた居留地外の案件であることや、この土地を足掛かりに蝦夷地が 植民地化されるおそれもあることから、 外務省は11月に開拓使へガルトネル条約の契約を破棄するよう伝えた。その後の開拓使とガルトネルとの厳しい交渉がおこなわれた結果、明治3年( 1870年)11月に62,500ドルの賠償金を支払うことで契約解消。取り戻した土地には同月に開拓使により「七重開墾場」とされ、本格的な活用は明治6年(1873年)以降であった。

 アルファルファやクローバー等の牧草、リンゴやサクランボ、セイヨウナシ などの果樹や、牛や馬、豚などの家畜がヨーロッパより導入された。このため、七飯町は自町を「西洋農業発祥の地」としている。また目録には、 プラウなどの農具や、パン焼き竈、温室建造用のガラスなども記されている。


 ここは「英語単語」のスペル、発音、その意味する説明内容をボクが有している「英和辞典(エッセンシャル英和辞典・旺文社・発行者=鳥居正博・発行日:昭和42年3月15日)」で調べてみるが、「大修館・監修諸橋轍次・漢和辞典・発行日:昭和55年4月1日」と同じく、「アソビに関しては怪しいジテン」である。

 「ヒント=品図=ホント→本当」は以下である。既に私の「プラトン古事記をカタル」で述べたコトだが、興味がアレバ、個々人、各自が調べョッ・・・


旺文社・・・・・・・・・・・・・・・・・旺文社=「日+王+文+ネ+十+一」

 発行者=鳥居正博・・・・・・・・鳥居燿蔵→「林」の家系・蛮社の獄

 発行日:昭和42年3月15日・・四拾弐年弥生(参)月壱拾五日→詞を拾う似(爾)撚夜宵纂臥通

                                        位の地を拾う語の比

大修館・・・・・・・・・・・・・・・・・・大修館→太(碓・鯛・帯・体)→同音漢字のスベテの「対・他意・多意」

 監修・・・・・・・・・・・・・・・・・・・慣習・観衆・巻集・奸襲(醜・鷲→ワシ=和史・倭詞・話誌)

 諸橋轍次・・・・・・・・・・・・・・・・もろはし(摸賂葉史)てつ(轍=わだち)じ(次=つぎ・冫+欠)

発行日:昭和55年4月1日・・五拾五年肆月壱日→語重語念・四槻通紀(解通)馬鹿


アルファルファ→「アルファベット」の象徴意と、その文字の意味する「数字・数詞」

クローバー→「三つ葉」で、時たま「四つ葉」も混在する→繰(刳)ろう葉・句賂葉

サクランボ→「ふたなりの果実」で、サクラは「詐欺」の俗語

 ナシ    →英語のナシ(梨・ペア)と対(ペア)の発音は同じ

 果樹    →「果=田+木」で「樹=木+十+豆+寸」→「フルー(ゥ)ッ」

 牛     →「丑」→チュウ・うし→主

 馬     →「午=ノ一+十(拾・足・重)」→ゴ・うま→旨

 豚     →「豚=月(肉)+豕(亥)」→ジクのイ→字句(軸・磁区・竺)の意味

 パン    →ハン・凡・藩・反・犯・叛・班・畔・伴・判・幡・萬・版

→同音異字のスベテの音訓よみとその意味


 「R・ガルトネル(ゲルトネル)」が故国を懐かしんで植えた 「ブナ=山毛欅(木與手)→算網のキを与える手」の林は現存し、樹齢100年を超えるブナの人工林は珍しいことから、「ガルトネル・ブナ保護林」として林野庁が管理しているらしい。

 「ブナ」とは「武名」にちなんだモノに違いない。それに。「オルトラン著の「萬(万)国海律全書」」は彼の「命」そのものだった。「萬(万)有引力」は「1666年」に「ニュートン」が発見したモノである・・・

 「萬(万)」が付く名の人物は「太安萬(万)侶」であった。

   ↓ 「萬」に類似する姓は蝦夷に関する室町時代の人物としては

   ↓

   ↓ 「蠣崎(武田信広)」←蠣崎季繁(かきざき すえしげ)の「客将(?)」

   ↓ 「客将(?)」とは「天智・天武紀」にある「唐の客将」を重ねたいから?

   ↓ 生年不詳・ 寛正三年五月十二日(1462年6月9日)に死亡。

   ↓ 室町時代中期の武将。

   ↓ 若狭国の守護「武田信繁」の近親とされ、

   ↓ 蝦夷地に渡って

   ↓ 下之国・安東政季」の娘婿となり、蠣崎氏を名乗って花沢館に住んだ。

   ↓ 1457年(長禄元年)、コシャマインの戦いの際、「客将」

   ↓                「客将」が

   ↓                  ↓

   ↓ 「武田信広」は和人軍の「総大将」としてこれを鎮圧。

   ↓ 蠣崎氏を継承して「蠣崎信広」を名乗ったらしい。

   ↓「文明七年(1475年)、樺太アイヌの酋長から貢物を献上」

   ↓ 戦国時代「蠣崎義広」は

   ↓ 「アイヌの酋長・タリコナ夫婦」を天文五年((1536)年6月23日)謀殺。

   ↓ 子供の「蠣崎季広」は

   ↓ 「十三人の娘」を奥州の各大名に嫁がせた。

   ↓ 「武田信広」は同時代の文書・記録資料が皆無で実在性が不明の人物」?

   ↓

   ↓ *記録にが皆無なのにナゼ、「実在」する人物とされるのか?「文明七年」

   ↓ ・・・言い伝え、口承、伝承の人物?あるいは「捏造」・・・?

   ↓

   ↓ 蠣崎」の「蠣」は食用の貝の「カキ=蠣(虫+厂+萬)・牡蠣」である。

   ↓ 「虫」は「中+ム」に分解できる。

   ↓ 「蠆(萬+虫)=タイ・テ」は「長い尾のサソリ」である。

   ↓ *九州の地形はどんな動物に似ているか・・・サソリの「長い尾」とは長崎?

   ↓ 

   ↓ 「水蠆(スイタイ)」はトンボ(秋津・蜻蛉)の幼虫の「ヤゴ」である。

   ↓

 幕末には海で漂流し、孤島(嶋)に漂着し、アメリカ捕鯨船に救助され、

 その後、

 捕鯨船の船長ともなった

「ジョン・萬(万)次郎」が存在した。

「七一二(712)=漆壱弐」年の「古事記」とは・・・?

 ・・・「萬」の類字を調べろッ、である。

「暇」で「興味」があるならば、「虫偏」、「魚偏」の合字されている漢字も・・・

父 は幕臣「榎本武規(円兵衛)」、妻は「林洞海」の娘で 「林研海」の妹でもある「たつ→辰・龍・竜・立・建」。家紋は「丸に梅鉢」。曾孫に、作家の榎本隆充がいる。武揚の兄、「榎本武与」は、武揚が「釜次郎→鎌」であるのに対して、「鍋太郎→鍋=金+咼→名部」である。「鎌足」と「鍋蓋冠」の「亠(音の略字)」である。

 以上の説明から現在食べられている「西洋リンゴ」が普及したのは「アメリカから75品種を輸入、苗木を全国に配布した明治4年(1871年)以降」であるらしい。アダムとイヴがカジッたのは「ミルトンの“失楽園”(1667年・1666年は万有引力の発見、ペスト感染拡大・666は悪魔の数字)」からだそうである。「禁断の好みが林檎」であるならば、人間である男女が対であるコトを「自覚(ジカク→字書・字画)」したのは「好=女+子」である。一時「1999年天から魔王が降ってくる」と騒がれたのは「ノストルダム」だった。日本語には「さかしまな(逆シマな)」と言うコトバがあるが、「1666年←1999年」の「逆しま」である。

「数秘術(ゲマトリア)」の単数加算数では

   ↓        ↓

   ↓「1+6+6+6=1+18=19→壱拾玖→1+9=10=壱拾=足→1+0

=壱を加える零(レイ)」と

   ↓「1+9+9+9=1+27=28→弐拾捌→2+8=10=壱拾=足→1+0

                              =壱を加える零(レイ)」である。

   ↓「零」=「雨(あま・ウ)+令(のり・レイ)」で、

   ↓英語の「レイ(ray)」は「光線・放射線」で、

   ↓    「レイ(lay)」は「横たえる・横になる」で

   ↓    「ライ(lie)=ウソをつく」の「過去形」である。

   ↓      ↓

   ↓現在形・過去形・過去分詞・現在分詞

   ↓lay    laid    laid    laying←横たえる

   ↓lie    lay lain        lying ←横になる→レイン→rain(雨)

   ↓lie    lied    lied     lying ←ウソをつく

   ↓

   ↓「ゼロ(zero=zi:rou→ズィーロウ)=0」は「オゥ(ou)」とも発音

   ↓           ↓  ↓

   ↓           隋 ィロウ

   ↓             遺漏・慰労・意賂有(ウ=雨・宇・烏・卯

                             兎・鵜・羽・胡・得)

   ↓                 ↓

   ↓                 郎(弄・籠・楼・聾・露・狼・聾・蝋)

   ↓                 ↓               ↓

   ↓                 いらっこ蜜蝋→蝋丸(ロウガン)=密書

   ↓                                 ↓

   ↓      「蝋丸」とは「秘密を守るために丸めた蝋の中に封じ込めた書状」

   ↓

   ↓漢字で書けば「1666=壱千六百六拾六=壱千陸百陸拾陸」と

   ↓「1999=壱千九百九拾九=壱玖百玖拾玖」である。

   ↓「逆シマナ→さか・しま・な=逆・嶋・名」の

   ↓同意語は

   ↓「邪マナ→よこ・しま・な=横・嶋・名」である。

   ↓

 日本に限って云えば「2011(辛卯)年3(辛卯)月11日(乙丑日)」は地球のプレート変動での海底大地震と海からの「大津波」であった。被災地地域、現地の人々に取っては「末世の地獄」をミタも同然である。オマケに「原発事故で放射能は天から注ぎ込まれた」。「東電」はまさに「悪魔」」である。「8番目の惑星は土星」であった。それまでは一般果実名詞ではなく、「禁断の木の実」であった。「林檎」の「林」は「禁=林+示」からの類推だろう・・・ならば、「ミルトン」は漢字の知識があった?・・・アプル(apple)の音とそのスペルは「エイプ(ape)=尾無し猿」に連鎖し、太陽神「Apollo」の系列であるカナ・・・


 古代中国人は「亀の甲羅」や、覇者の王の象徴である「鹿の角(觜)」を火で焼くことで未来の兆しを手元で「字形」として吉凶を占う道具としたのである。後には「算木」を発明した。計算器の始まりである。さらに「算盤(ソロバン・十露盤)=珠算」の発明であった。

 インド(印度)では亀は巨大な象をその甲羅に乗せ、象はさらに「須弥山」を支えている図がある。そしてこの世界の方位を護っているものが

   ↓

   ↓ 東方 持国天(じこくてん)    →時刻天・字刻典

   ↓ 西方 広目天(こうもくてん)  →綱目添・項目添

   ↓ 南方 増長天(ぞうちょうてん) →象徴点・造帳転

   ↓ 北方 多聞天(たもんてん)   →多分転・他聞添

   ↓

 である。北方が「多聞天」である。耳(ジ・みみ)に聞こえるモノは「生き物の音声・足音・自然の風雨、磯波、潮騒、落雷の音響・猛獣の雄叫び・鶏の鳴声・小鳥のサエズリ・ザワメキ・騒音」である。

 ここで説明されている般若経の「真の言」とは「元の言葉の音声(印度語)」であるらしい。「お経」は「中国語の音声」ではなく、しかも「日本語の音声」でもない。「梵語の音声」と言うことだ。「梵=木(キ)+木(キ)+凡(ボン)」で、「記紀の本」である。漢字に「音声が当てられた」と言うが、無闇(無暗)に漢字音が充てられた訳ではない。その意味するところの字音を「クン(組・汲・酌・勲・薫・君・訓)」で充てられたのである。「梵=林+凡」である。その意味とは「漢字の造作字形」である。スナワチ、「真(十目一ハ)・眞(匕目∟ハ)」である。更に、漢字の同音異字であっても、その意味する所を「梵語音声の意味内容」で思考せよ、である。その全てが日本列島人に伝えられ、ワザとして「たくみ(巧・匠・工・矩・医・巫女・覡・伎・芸・戦・占・術)=多組=他組」に吸収、消化されていったのだ。「乞食(こじき・こつじき・こうじき)」とは仏教僧の主体的な「食べ物」を他者に乞う修行である。単なる物貰いのお願いではない。「食生活の積極的な他者に対する希求、請求」である。「イザリ、イザル(漁り、漁る)」の魚や貝の「あさる・すなとる・すなとり」であった。

イザ・・・「十六夜(いざよひ・いさよい・いざや)」の意味に「ためらい・ぐずる」がある。お月様を言えば、「三日月は鎌形」で、「十三夜(じふさんや)の月」は「とさのよ」ともヨメる「十三湊(とさみなと)」、「十三=一三」ならば「いざ」である。「十五夜=満月(もちづき)=ジュウゴ」、「十六・夜」は「いざ・よ」である。まさに「伊邪の夜」である。「十七夜代待ち(じふしちや・だいまち)」とは「乞食(こじき)」のことで、「コジキ」は「古事記」である。「十七屋」とは「飛脚屋・手紙配達人、郵便配達屋さん」である。「十七夜」の異名が、「立待ち月」で「忽ち月」に懸けたコトバからである。で、「忽ち」とは「勿+心」で、類字は剥いても同じ皮の重なりの「玉葱(タマネギ)」の「葱(ねぎ)」であるが、関連性は有るのか?「根木・禰宜」、英語では「onion(オニオン・ァニオン)」で、「鬼(おに・ぁに)とキの音」であった。「十八夜月」は「居待月(ゐまちのつき)」、「十九日月」は「臥待月(ふしまちのつき)」で、ちなみに古語で「十字(じふじ)」とは「饅頭=まんじゅう=万重→萬重」である。多分、饅頭の生地を閉(綴)じる処が「十字」に見えるからだが、「切支丹」なら「饅頭の底に隠された十字架印」は「御聖体」のパン(饅)である。「太安萬侶」の「萬」は「萬重」で、「満拾」ある、ナッ、月の「朔望二十八宿の足、壱百八(108)の目盛り」。月は「ルーナ(ラテン語・Lūna)」で月の女神。日本語では「長母音」を省略 しルナ (Luna) ともいう。「ルナ」とは「留烏(鵜・鸕)名」でもある。「持統天皇」とは「鸕野讃々良」であった。「月の兎(兔・ト・うさぎ)」である。そして「かぐや姫」であった。「うさぎ」の「詐欺」とは「鰐→和邇=王邇」に対するものである。「目が赤い」、「皮膚が赤く爛れた」、「耳(みみ)は長(おさ=訳語)」・・・「千字文」・・・宣旨文、戦時文、千児(稚児)文・・・

 「いざり火」とは魚や烏賊(イカ)を誘い込む夜の波のチマタで左右に揺らす漁船のトモシビである。「いざリ火の」とは「ほのか・ほ」にかかる「枕詞」である。「ほのか」とは「ワズカな光、灯り」である。「ほ」とはすべての「ホ」と発音されるモノである。「ホノカナ耀き」とは「星のカガヤキ」である。「補の仮名」である・・「加賀・焼き」であるかな?・・・能登半島・・・


 で、「古事記」の「字源」のハナシであるが・・・

   ↓

   ↓    倭建(ワケン)→環と剣→話を兼→話は軒→話は腱(アキレスの足の腱)

   ↓     ↓

   ↓    西征征伐

   ↓    「熊襲(兄=え)建」←大熊座←胸を「剣」で刺し通される

   ↓    「熊襲」→(熊=能+灬)

   ↓      +

   ↓    (襲=龍+衣)→襲=(竜+衣)

   ↓    (辰+衤)

   ↓    類字→褥(しとね・シキモノ・敷布団=志木武談)

   ↓    同音異字→使途音・史記者・四季分遁

   ↓    関連文字→使途子・私記物・式部談)

   ↓    ↓    ↓     ↓

   ↓    宣教師・信長公記・源氏物語→源字

   ↓    フロイス・太田牛一・紫式部

   ↓    ↓

   ↓    「熊襲(弟=と)建」←小熊座←尻を「剣」で刺し通される

   ↓    即如熟瓜(丱・サ+瓜)振折而殺也

   ↓    熟した瓜を折(半)する如く

   ↓

 「熟瓜振折=折(半)=瓜二つ」とは「円形の相似の形」である。すなわち、「天空・紫薇垣(苑)」と地上領域に対応する「城壁に囲まれた都市国家」の「十二支方位分野」である。西洋の獣帯(黄道)12星宮には「双魚(Pisces)・双児(Gemini)」がツイン(一対=双=雙=隹+隹+又)の名前で漢字で記されている。

 「鍵錠のつがい(番い)・ツガイの鴛鴦」である。「牡牝・雌雄・男女・凸凹・陽陰(陰陽)」のツガイ(対)である。

   ↓

   ↓「鍵=金+建」、「錠=金+定」→金々(キンギン)の建定(ケンジョウ)の番(バン)

   ↓                   金 銀  の堅城       の番(晩)

   ↓

 天の川は「漢河」、「金河・銀河」とも呼ばれ、英語では「ミルキーウエイ=牛乳の道=ミルクのミチ」で、「乳=孚(爫子)+乚」である。

 「爫(つめ・ソウ・ショウ・サウ)+子=ツメのコ=爪+弧」とは「爪にツメ(ム)無し、瓜にツメ(ム)有り」の「瓜(うり)二つのム(ツメ)」である。

 「爪」の漢字熟語は「爪牙(ソウガ)・爪角(ソウカク)・爪子(ソウシ)」、

 「匿爪(トクソウ・ツメを隠す)」で、「能ある鷹は爪を匿す」である。

 「爪哇(ソウア)」とは「ジャワ(Jawa)」の音訳で、「スマトラ島東方の鳥の名」である。

 「哇(ア・アイ・エ)」とは漢和辞典の説明には「諂(へつらう)声、淫(みだらな)声、子供の声、笑う声」とあった。

 「蛙(ア)」は「かえる」である。

 「圭(ケイ・たま)」とは「上が尖り、下が四角の玉・環状の玉・目方の単位・縦横の境界線」、

 「圭角=環玉・圭泉=日時計・圭璋=飾り玉・圭田=臣下に与えた田・圭璧=中央に穴がある環状の玉」

 「圭」とは「月に属する漢字の造りの一部」→月桂樹・硅砂・洼・奎・鮭

                    ・・・刲・卦・劸・挂・銈・鞋・袿

 「爪」は古語では「つま」とも訓読みされている。

 「指のつま先」で、「つま=端居弧(はしっこ)」である。

 「つめ」の当(あて=當・宛・充・中)字は「津女(シンジョ)」であった。

 「たなばた(七夕)津女」である。

 「津女(シンジョ・シンニョ・つおんな)」の同音異字は

 「臣序・寝所・真如」、「通音名」である。

 「うり」の同音異字は「比売=比賣=ヒメ=姫・媛」と記録されている「売・賣」である。

 「姫(ひめ・キ)」とは「王女・皇后・王妃・妾・女子の美称」で

 「きさき(妃・后)」と訓読みされている。

 「姫(ひめ・キ)」とは古代周王朝「軒轅(ケンエン)=黄帝」氏の姓で

 「母親(后稷・コウショク)が姫水(湖畔)のホトリ(辺)で

  巨人の足跡を踏んで生まれた」、とある。

 「稷(ショク)」とは

 「黍(きび)・高粱(コウリャン)・五穀神・祠(ほこら)・農事役人・日が傾く」である。

 「稷狐(ショクコ)」とは「お稲荷さん」で、

  君主の側の「悪側近・悪臣・悪臣下・悪陪臣・悪代官・悪家老」である。

 「ヒメ」とは「秘め=秘密」でもった。

 「密教」、「秘密」の「密」とは「日曜日のコト」である。

 「ム」とは「私」の源字で、

 「オノレ(己)・ミズカラ(自)・ヨコシマ(邪)」と訓読みされている「漢字」である。

 「オリオン座」の「巨人オリオンの両脇」は「金腋・銀腋」とも呼ばれている。

 「建定(ケンジョウ)の番(バン)」とは

  季節、時間を定める規矩である「月建(月節・日時刻)」の

  十二支方向を示す北斗七星の柄杓の「番→進行順番」である。

  つがい(番)の「オシドリ」の漢字は「鴛鴦(エンオウ)」である。

  エンオウの同音異字は「延応・延納」である。

   ↓

   ↓ 「鴛=夘+鳥」、「鴦=央+鳥」→夘央(エンオウ)の鳥々(チョウヂョウ)の番(バン)

   ↓              イ) 冤枉  の      弔辞葉  の番

   ↓              ロ) 延応  の      兆条    の判(蛮)

   ↓              ハ) 怨王  の      弔事葉  の番

   ↓              ニ) 円央  の      頂上    の晩(盤)

   ↓              ホ) 円王  の      寵情    の叛

   ↓

イ)「冤枉(エンオウ)」とは「無実の罪・冤罪・ぬれぎぬ」のコトで、「枉(オウ)=木+王」とは「事実を曲げるコト」である。同音異字漢字ならば「ロ)延応・ハ)怨王・ニ)円央・ホ)円王」である。


ロ)「延応元年(己亥)2月7日~二年(庚子)7月16日」とは、日本年号で、「暦仁」と「仁治」の年号の間にあり、西暦(ユリウス暦)では「1239年3月13日~1240年8月5日」までの僅か1年間の期間である。「西暦660年(辛酉)神武元年からの皇紀1899年」であり、年号改元の理由は「天変や地震」で、この時期、四条天皇、鎌倉幕府の将軍は藤原頼経で、執権は北条政子の弟の北条泰時あった。

 2011年(辛卯)3月11日は東北大震災、大津波、福島原発メルトダウン、その後の台風、2012年2月立春、節分前の「辛卯年」は「大寒波、大雪」であった。

   ↓

ハ)そして、第八十二代の天皇で、鎌倉幕府第3代将軍「源実朝」が殺された後、「1221年承久の乱」をおこし、幕府に敗れ島根県の隠岐に流された後鳥羽上皇が、3月28日に死亡した。上皇は藤原定家らに「新古今和歌集」を編纂させた人物でもあった。また12月31日には「三浦義村」の死亡であった。

 そして12月16日 に誕生したのは武将、千葉頼胤(延応元年11月20日)。国際的には1239年とはモンゴル(蒙古・元)帝国・太宗オゴデイの十一年であり、「大理国」は「道隆(ドウリュウ・みちたか)」元年であった。「大理国」とは中国大陸南西部(雲南地方)にあった国で、937年(丁酉)「白蛮(チベット系)出身の「段思平」が、「南詔国」に代わって樹立した国家とされている。この「西暦937年丁酉」とは、日本年号では「承平七年」で、「承平」とは「延長9年4月改元~天慶元年」までの「朱雀天皇」の期間年号である。承平元年(931年7月19日)には、「宇多法王」が死亡している。中国では後晋の「石重又・石重信」が死亡し、誕生したのは南唐の皇帝「李煜」であり、西洋では「ヨハネス12世・第130代ローマ法王」であった。

   ↓

ニ)天体「円盤中央頂上」付近の星座とは「ケフェウス座」である。

   ↓ *上の出典は「ウイキペデイア百科事典」より参照。

   ↓

ホ)で、「円王の寵情の叛」であるが、

 「古事記・安康天皇(穴穂御子)」には「つぶら(円・圓)おほみ(大臣)=都夫良意富美」なる人物が登場する。天皇に殺された「日下大王」と「長田(オサダ)太郎女」の間に生まれた子供「七歳の目弱王」が父親の仇である天皇を殺し、「円大臣」が、「目弱王」を隠くまい、追っ手の「大長谷(おほはつせ)若建王子=雄略天皇」と闘い共に滅びると言う物語がある。この噺(はなし)はギリシャ神話の「古代エチオピア王国のケフェウス王」の改作焼き直しである。

 以上、ここに挙げた「イ)ロ)ハ)ニ)ホ)」の説明箇所に点在する「漢字」は、すべて「古事記」と「東洋、西洋天文暦学・天文占星術」と関連しているモノである。しかも、歴史が示す「712年」編纂と言われている「太安萬侶」の「古事記」が、近世、近代、特に幕末に得られた蘭学者の「西洋の知識」が重なっているらしいコトである。

 「双魚(Pisces)・双児(Gemini)」の二文字熟語になったのは、西洋占星術(天文学用語)が中国に伝播された時の「中国の意味翻訳の漢字」であったからだ。天文記号は、「獅子宮・処女宮・天蠍宮(双鋏・双剪)・人馬宮・磨羯宮(双角)」を除いて他は「相似形」になっている。

 ここでは「相似形=ソウジケイ=双字形」である「双魚(Pisces)・双児(Gemini)」を注目したい。エジプト神話では、「ヌート(Nut)」を天空を支える女神、「ゲブ(Geb)」を大地の男神としている。この二神は男女の二卵性双生児で、「双子」である。ドウ言うワケか「ローマ建設神話」でも、「ギリシャ神話」でも、「現存・古事記、日本書紀・ヤマトタケル」でも「双子・双生児」のハナシが重要な物語となっいる。

 異性の双子、同性の双子であるが、ここでは「イセイのフタゴ(ソウセイジ)」、「ドウセイのフタゴ(ソウセイジ)」の「同音文字漢字」が問題である。

 他の「星座」の「動物(牡羊・牡牛・蟹・蠍・山羊)」は「双角=二角=対の触覚、鋏」を有する。「水星」の記号は「♀(めす)+角(つの)」である。「般若の面」とは角のある鬼の顔をした女?・・・「水星」は蠍座と双子座の守護星、支配星である。


 「角(つの)」と言えば、「日本書紀・垂仁紀二年是歳」の

 「つのがあらしと(都怒我阿羅斯等)=蘇那曷叱智(そなかしち)

                  =于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)」

 であった。ここでは物語から「牛(うし・于斯)の角(つの)」であろう。この人物は「古事記」では「天日槍(あめのひぼこ)」とされて、「牛飼いの妻が阿具沼(奴摩)で陰部に虹の光を受けて産んだ赤球」から生まれた「阿加流比売(アカルヒメ)」を妻とした。だが、この「阿加流比売(アカルヒメ)」は、夫の傲慢さが嫌になって日本の難波津の「比売碁曾(コソ)」神社に逃げてきたと、ある。「鬼退治、桃太郎の下敷きのハナシ」である。日本(日の本・東)に逃げ帰ってきたのだから「阿加流比売」とは「あがるひめ」でもあろう。

「碁・曾」とは「こ-ぞ」であるならば「碁盤」の「曾(ソ・ソウ・すなわち・かって・かさなる・たかい・あがる)」の音と訓である。木曾(きそ・キス)とか、曾孫(ひいマゴ)とか、「曾経=以前に・これまでに・これまでずうっとの過去からの継続の意味」とかに使用されている。漢和辞典には「曽」は「曾の俗字」とある。そして、1986年戊辰・1月16日には「天文学者のアーミン・ロイシュナー」の誕生で、1986年「戊辰・戦争八月四日」は「磐城の戦い」であり、「8月13日」は「ペルー・アリカ」では「大地震」で死者2万5千人であった・・・新撰組・組長「近藤勇」は5月17日に処刑、明治元年のコトである。

 「・・・大君の辺にこそ死なめ、かへり見はせじ(長閑には死なじ)(海ゆかばの和歌・大伴家持)」

 の

 「こそ・・・じ」とは「禁止の・・・スルナ」で、」古語辞典の説明の「こそ」とは「いくつかの事物の中から一つのモノを選んで特に強調して指示する語」とあり、「こぞ」とは「去年・昨年・昨日・昨夜」、「今夜」ともする説があるらしい。「長閑には死なじ」の「長・閑」とは字面とおりの「長+門+木」で、「牛馬(厩舎)の門を閉める長い棒、仕切り、閂(かんぬき)」である。

 「鹿の角(つの)」の漢字は「觜(シ)」である。「鹿」は「鹿(覇王)、中原に争う」の「覇王」達である。「覇王」の漢字分解は「覇=西+革+月」である。スナワチ、「西の革命の月」である。古語の「な・・・そ」も禁止の用法であった。

 「革命月」とは「10日周期の週や、1日を10時間、1時間を100分とする時間の10進法の月暦」で、「フランス革命(1789年己酉・7月14日バスティーユ牢獄襲撃)からはじまり、1794年(甲寅年)7月27日=「革命暦テルミドール(熱月)9日」に「ロベスピエール」、「サン・ジェスト」などジャコバン党員が逮捕、28日ギロチンで処刑、そして「ナポレオン(虎の異称で呼ばれた・レオンは)」の1799年(己未)11月9日の「革命暦ブリューメル(霜月)18日」のクーデターまでの期間であった。1789年(己酉)とは日本年号で言えば「天明九年1月24日~寛政元年1月25日~」で、中国では清朝高宗「乾隆」帝の54年である。

 そして「觜宿」の星は「オリオン座の左足の星・リゲルの足」である。「リゲル」とは「傭兵隊長」と訳されている。「理蹴る左のアシ」での傭兵隊長のナポレオンに掛けたモノだろう。「觜宿」に隣り合わせている「参宿」は「サン・ジェスト」である。

 「古事記」の年代(712年)が「和銅五年(壬子)正月二十八日」はすこぶる怪しい・・・?のである。


 「双葉」とは「植物の葉っぱが二葉」のコトだが「言葉(ことば)の葉」が「一対=二葉」と言うコトでもある。

 「双魚=雙魚」とは手紙を意味し、中国の「古楽府」出典故事の「双鯉(ソウリ)」にある「遠方から来た客が置いていった二匹の鯉の腹の中に手紙があったコト」によるらしい。「魚の腹の中の手紙」は「壬申の乱(日本書紀)」の時に「不破の関」の天武天皇の陣屋に「十市姫」が送った「機密情報文書」である。

 「双龍」とは「二人の優秀な英雄」のタトエであり、「例え、譬え、比喩、仮令」である。同音異字漢字では「蒼龍(蒼竜)」である。また「竜」は「立+甩」の合字である。

 「双魚」の「魚(さかな)」とは「酒菜・惣菜)=真魚=まな」であり、同音の「まな」は「真名・真字=漢字」である。そして「双魚(ソウギョ)=双真魚(ソウシンギョ)=ふたまな」であり、「ソウシンギョ」の同音異字は「送信禦(御+示)」で、「ふたまな」は「二眼・双眼(鏡)」で、「片目」で視るのは「望遠鏡・遠眼鏡」、「独眼」、「隻眼」で、「曼荼羅鏡」ある。

 「独眼龍」とは「隻眼の伊達政宗」であり、「独眼流」とは、「柳生心眼流體術のブログ」紹介によれば、「柔術,剣術,棒術,居合術」等の総合武道で、「流祖は荒木又右衛門吉村」の号が「荒木堂」で、同音異字漢字ならば「荒木堂=コウモクドウ→綱目同→コウきドウ→綱紀導・皇紀導・後記如何・衡軌道)」である。「法祖は柳生十兵衛であり、「心眼」とは、「禅家の 喝の声出さず目に現わす事」とあり、「柳生十兵衛」の「柳生新陰流兵法」の異名であった。「心宿(卯支枠)」、「柳宿(午支と未支の境目)」、「ヤギュウ=野牛」の「牛」は「牛宿(丑支枠)」の「宿曜経の28宿」の「星宿の名」である。「十兵衛」の「十」が「十二支の子支」から数えるならば「10番目」の「酉支」で、この枠には「畢・昴・胃」の三宿がある。

 そして、エジプト神話の「ホルスの眼」とは「太陽・月」の象徴であり、「隼の眼」であった。更に言えば「眼」は「目+艮(コン・ゴン)」の合字で、「目」は「丑寅(牛虎)=艮=北北東」の方角、「鬼門」である。この場所には「度朔山(ドサクサン)」があると言われている。角のある鬼が締めている褌(ふんどし)は黄色の下地に黒い縞文様がある「虎の皮」である。「虎皮(コヒ・コイ)」の同音異字は「弧日・弧比」、「恋・鯉・濃・請・来・弧囲・故意」で、「乞食」の「乞(こう・こい・コツ)=かみさし(ノ一)の乙」であり、コジキとは「古字記」、「故事記」、「古事記」で、「胡時季=西洋暦=ユリウス暦」の「呼直」であった・・・?

 で、「双児(ソウジ)=双子(ソウシ)=ふたご」の同音漢字を採れば

    ↓   ↓

    ↓ 「掃除・送辞・総司・蒼字・相似・双字」、

    ↓ 「相思・荘子・荘氏・宗氏・奏氏」の「副う詞」で、

    ↓ 「御伽草子」の「草子」

    ↓

 である。「双児」を旧漢字で書けば「雙+舊+儿」→「隹+隹+又+丱+隹+臼+儿」である。

 共通項は「隹(ふるとり・スイ・サイ)」で、「尾の短い鳥の総称」である。

「儿(ジン・ニン)」は「ヒトの歩いている様」である。

 宗氏とは「宗像(宗方・宗形)=胸形」で、

「宀(宇)を示す像」、

「宀(宇・天体)の于が示す方位」である。

「于(ウ)」は「干支」の「干(カン・盾・たて)」に類字するが、

 ここでの意味は宇宙の「場所の位置・比較・往来」である。

「漢書」には「于公高門」の「于定国伝」がある。

 「古事記」の「須佐之男の「十拳劔」から生れたのは胸形=宗像の三姉妹」である。

「胸」の漢字分解は「月(肉・舟)+匈(勹メ凵)」である。

 星座では「オリオン座の上下の身体、胸腹と腰両足を分(別)ける三星」である。

「天照大神の左の御角髪の八尺の勾璁、

      左の御角髪の珠、右の御角髪の珠、御鬘の珠、

      左の御手の珠、右の御手の珠から生まれた五兄弟」は

 「小熊座の小七星の北極星(ポラリス)を含む柄にあたる五星」か、

 多分、

 「ケフェウス座の五角形を形成する五星」である。

 「五行十干思想」の「相生、相剋、相抑の五角図形配置」の

 「木火土金水」で、

 「モクカドコンスイ」の異字の維持の意字で

 「目過度(鹿渡・河図・加斗)今(言)推(粋・出)」である。

 「母(モ)」の「口(ク)」の「過(カ)度(ド)の咎(トガ・吐科)」で、

 「禁(キン・筋)」の「衰(スイ・誰)」ならば

 「ケフェウス座」は

 ギリシア神話に登場する

 古代エチオピア王国の「ケフェウス王の姿」であり、

 妻である

 「カシオペヤ(座)」が隣接している星座である。

 星座としては

 ケフェウス座の五角形の五星はかすみ、

 「W字形のカシオペヤ座」の五星の方が発見しやすい。

 「天照大神と須佐之男」のトラブルは、「カシオペア妃」と夫の「ケフェウス王」、母親が「海の妖精」よりも美貌であるとした娘「アンドロメダ姫」、それに怒った「海の神ポセイドン」の命令でエチオピアを襲った「鯨」。岩に縛り付けられた生贄の「カシオペア姫」救った「ペルセウス」。そして「母親が女人国アマゾンの女王アマゾネス」、「父親が海の神ポセイドン」の子供「オリオン」の噺の焼き直しである。

 「オリオン三星」は住吉の神「表筒男命、中筒男命、底筒男命」ともされている。「筒」とは星のことらしい。多分、「竹(たけ・チク)が同じ訓と音」の漢字である意味だ。 英語では「Tristar(三ツ星)→とり・スター→鳥(鶏・禽・酉・取・捕・採)」の「星」である。そして「オリオン=折音・尾理音・織音」である。 「トリ」とは「オリオン」が追いかけている「アトラス」の娘たちの「プレデアス(昴・すばる)」である。

 「鳥(とり・鵠=くくひ)」を追いかけて「阿芸(藝)登比(アギトヒ)」と言葉を吐いたのが「佐波遅比賣・沙本毘賣」と垂仁天皇の息子「唖(おし)の「ホンムチワケ(品牟都和気・本牟智和気)」であった。ここには鳥追いの「大鷹(帝+鳥)」という人物も登場するが「アルタイル(飛ぶ鷲)大鷲座」である。「オリオン」はエジプトでは「隼」の「オシリス」で、Asar(アサル)、Aser(アセル)Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)、Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausareとも。「イシス」との子供の「ホルス」は「オシリス」の現世での分身である。

 そして「ふた語・二語」である。「双」の熟語には「双璧」、「天下無双の剣、槍」がある。

 また「双」の類字は「綴り方」の「綴(つづり)」と、

 「扶桑・桑名」の「桑(くわ)」で、

   ↓ ↓

   ↓「綴=糸+又+又+又+又」、

   ↓「桑=又+又+又+木」

   ↓

 である。漢和辞典には「桑」の「又」は「太陽」とある。

「又(ユウ・イウ・ウ・また、再度、ふたたび)=右手」の類字は

「交叉(交差)・叉手・夜叉(鬼神)」の

「叉(サ・シャ・サイ・セ・ふたまた・やす・さすまた・まじわる)」である。

 そして、同音異字は「亦・股・復・俣」である。

「双璧」の同音異字を有する人物は「天武天皇」と「持統天皇」の子で、

 早世した「草壁(日下部)皇子」で、

「持統天皇」に殺された「大津皇子」である。

 「さ・かな」を漢字で採るとするならば

 「叉・些・査・作・差」の「仮名・哉」である。

 「さかな(魚)=まな」の「おかず(御数、御菜)」とは、

 食事の主食に付け合せて食べる副食や「惣菜一般」のことであり、

「副食の品数を取り揃えるコト」である。

「惣菜(ソウザイ・ソウサイ)」の同音異字漢字は「総裁・葬祭・相殺」である。

 そして古語では「まな」とは、古語で「副詞の禁止のダメ、イケナイ、するな」である。

 また、「禁止」のコトバには

「な・・・そ」がある。

「禁(キン・コン・忌)+止」が「林+示」の合字とは、

 多分、「林」が「示」し「止める」とは「禁園の林=翰林園」で、

「文人学者の天子の文書、書簡、詔勅、勅令を扱った役所」であるからだろう。

 すなわち、文書所、記録所の

   ↓

   ↓ 「翰=鳥の羽毛の筆」と

   ↓ 「墨汁=黒(玄・闇・暗)い汁」と、

   ↓ 「林=木簡」の「園=エン・その=苑=丱+夕+卩(セツ・セチ・折・印)

   ↓           ↓ ↓        「卩」の類字は「巳・已・己」

 である。

「図書館」の「図=囗(囲む)+斗(北斗・斗宿)」の漢字が示すその意味である。

   ↓ 「玄武」とは

   ↓   ↓

   ↓ 「亀(かめ・キ)=刀+田+日+乚(乙)」→玄(くろ・ゲン)=亠+幺)」と

   ↓                  ↓

   ↓       頭 甲羅 干 尻尾=アルファベット第12字目=「L」と、

                             26字目=「Z」

   ↓                    ローマ数字「50」=「L」と、

                           第3の未知数=「Z」

   ↓            田=囗+十(Ⅹ)→「Ⅹ」は24字目

                       字形「Z」→「ろ(ezh・エッジュ)」

   ↓ 「蛇(へび・くちなわ・ジャ)=中+ム+ウ+ヒ(匕・七=一+乙)」

                   →武(たける・ブ)=一+弋+止)」の

   ↓

つるんだ絵であるが、その象徴は「北」であり、「水(みず・スイ)=氵(サンズイ)」であり、「黒色」である。だが、その象徴描写の意味するところは「亀の亀頭、六角形の甲羅=魔方陣の数字」と「蛇(蝮・巳)の蛇頭、長い身体=棒状の進行波動動作と、トグロ巻き(旋毛巻き)」にあり、円形天体の星が少なく、暗い「虚宿の方位」にあるコトである。「水の色」が「黒」とされるのは「墨汁」であるからだ。この墨汁の水色は「透明度」が「暗い」からである。「素人(アマ)≠玄人(プロ)」であるが、「素人≒玄人(プロ)」である。「素玄」とは「表裏」、「新旧(舊=丱+隹+臼)」、「明暗」などの対語熟語である。ちなみに「対」とは「文=亠(鍋蓋)+乂(ガイ・メ)」を「寸(法・はかる・時・わずか)」である。

 「他(ほか・タ)=イ+也」は「異なる・別・邪(よこしま)」と訓じ、「也」は「蛇・它」の意味でもある、と漢和辞典にある。「他」が「イ+也」ならば「人はヘビ」と言うことだ。「人が自分の身体のトグロ」を確認出来るのは「頭の毛の生え方」の「旋毛(つむじ・センモウ)」である。そして「指の指紋」である。もうヒトツ確認出来るのは肛門から排泄する「うんこ(便)の形」である。「うんこ」がナゼ「便=イ+更(さら・ふける・あらためる・かえる・コウ)」の漢字なのかは、「ウンコ」を排便して体調を改めるからであろうが、「更衣」とは貴族がトイレに行くときは衣を着替えるのが習慣だったらしい。「排尿」、「排便」、「トイレ」は「厠(かわや)」とも言うが、当初は「汲み取り式」と言うよりは川の側で用便していたのが自然である。しかし、漢字は「厂(ガンダレ=願垂)→垂仁天皇」の「側(そば)」ではなく、「則(のり・ルール)」である。インカのマチュピチの王の部屋には「水洗便所」が備え付けられていた。一般的に都市国家の住宅密集地で上下水道が完備されるまでは便器が必要だが、空間が広いところでは、野外の何処でもに排便したに違いない。そして、衛生上、厠(厂+目+八+リ)は床下が小川か、用水路の水の流れる所に造ったからだろう。家屋の設計、建設は合理的に地形を見極めてした。「風水」は生活上、健康を維持する上では合理的である。「便箋」、「郵便」とも言われるが、「便利」とは排便、用便上の「便利」で、このことを指している。そして「更」を漢字分解すれば、「更=一+申+メ(乂)」である。「分娩」は女性の出産、「排便=ハイベン=排弁→肛門」で体内からの老廃物を「分別」するからであろう。

 「他」も「也」も「它」も「蛇(へび・くちなわ)=巳」である。歌舞伎の「自来也=自雷也=爾来也」は「肥後の豪族の子・尾形周馬弘行」と設定、「蝦蟇の術」、宿敵は「大蛇丸=遠呂智丸」に乗った忍者であった。と言うことは、「八俣遠呂智」をやつけた「須佐之男」は「蝦蟇カエル」か・・・?・・・妻の「綱手」は「蛞蝓(なめくじ→名目句字)のくノ一(区の位置)」、彼女が「櫛名田比売」・・・句詞名他比目・・・「也」の用法は多くて複雑也、である。

 大修館・漢和辞典には「阿倍仲麻呂」が「図書館長」を勤めた唐王朝の「玄宗皇帝」が最初で、明時代には「秘書の著作」も扱った、とある。「禁裏」とは「王城・王宮」であるが、王宮とは「禁の裏=翰林園の裏」にあったのだ。だが「裏」とは夜の天空の「天皇皇帝の紫薇苑」、星座である。清王朝ではこの役所は「侍読、侍講、文書の編纂」もしたらしい。「翰」とは「やまどり」であり、「鳥の羽・羽筆・羽根の毛筆」とも記されている。すなわち、記録文書に書く道具としての「筆」である。

 筆の類字は「肇(はじめ)」である。「日本書紀」の「御肇國天皇=崇神天皇」である。「筆によって記録された天皇の肇(はじめ)」と言うことだろうが、「筆の形」は「毛先の付いた竹の棒」で、「木簡・竹簡・紙」に墨汁で記録するモノである。すなわち、「十二支分野」と、その「時節・時刻」を示す「北斗七星の柄杓=大熊座の尻尾」である。

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