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「犬や猫」にも、当然「仏性」・・・



「1223」年=「壱千(阡)弐百(陌)弐拾(念)参」歳・・・1+2+2+3=8・・・1×2×2×3=12・・・「犬や猫」にも「仏性」はあるか、だって?・・・「フランスで飼われている犬猫?」・・・真面目に、「仏性」?・・・「生きとし生けるものは、みな仏陀(完成された覚者?)と成り得る資質を持っている」・・・可能性の問題なんだ・・・ならば、「生きとし生けるものは、みな仏陀には成り得ナイ資質」でもあるんだ・・・「解釈の違い」ですか?・・・イイ質問だね・・・「覚者」とは「意識された自覚のヒト」だが、「何を自覚」したんだか・・・で、その「意識の内容」が「人間社会」での人間個々人の諸関係で「だまさない・ぬすまない・殺傷しない・差別しない」であればイイのだが、たった「四つ」・・・ボク的には「人間の家族(家畜ではない)」となった「動物」も、その枠内に存在するハズだが・・・存在(論)としては「自然界の動植物」は厳然とした「だます・ぬすむ・殺傷・差別」の中で「種の保存」を前提に生きている。人間の認識(論)としては苛酷、残酷に存在しているように見えるから、「人間の願望」として、この「自然界」の枠内の「餓死・疫病・災害・弱肉強食」からの「解放」を、尚且つ「自然界との共存」を前提に目指した・・・だが、「生死の枠内の寿命」は「自然界の本質」であるョなッ・・・「戦争での死」は「人間社会」の「意図的・意識的」な「利害諸関係」のトラブルの結果であるだろう。「原発事故」も、その結果である。多分、「人間社会」の日常で起こっている「事件」はスベテがソウであるだろう・・・「利害関係」とは個々人の置かれた立場の「損得・多寡」の「諸関係」の強制、妥協に尽きる。法的にもその殆んどの解決が生き残った者相互が「カネ」に換算して「納得」するコトになる・・・現実社会の大枠が「カネの土俵」だから・・・  さまざまに解釈されるらしい「仏性」の「悟り」はいらない。必要なコトバは唯、一つ、「公平」・・・現実的な「衣食住」の「公平な社会生活」への希求への「意識化」・・・「あるがママ=自然」の「生活」でない。だが、「自然界の枠内」で「共存」を目指す意識化された「社会生活」・・・「仏性」は「人間社会」での「現実的な物性」を無視し、その実現を「浄土」に求めた。そして、生きている人間の「教義の理解度」に「階級」をつくり「序列」を配し、尚且つ、逝ってみなければ経験できない「死後の世界」にも「階級序列」を創ってしまった・・・反面、思想的に「無防備(無殺生)」になり、現実的にも優しい「仏教国家」になってしまっては、現実的な「回教徒の聖戦(ジハード)」に滅ぼされざるをえなかった。「ホトケへの他力本願」ではダレもが生きては救われなかった。「自力本願」でも「個人の心身能力の開発」であったからダレも救わず、自身の「即身成仏=ミイラ化」を目指した・・・兎に角、「涅槃」の先よりも、今現在である・・・「だます・だますな・だまされない」、「ぬすむ・ぬすむな・ぬすまれない」、「殺傷・殺傷するな・殺傷されない」、「差別・差別するな・差別されない」の対人社会相互関係である・・・

ーー  1223年  干支=癸未・・・水の都の比通字          癸未=キミ→紀視・キビ→紀備                紀伊・尾張・吉備  日本  貞応二年・・・・ジョウオウ→女王似念  皇紀1883年  中国  南宋=嘉定十六年・・・箇条、壱拾陸、撚  金=元光二年・・・・・「現行・言行・原稿」爾念  大真国=天泰九年・・・「天体・転貸・典他意」玖念  中国周辺  西夏=光定十三年・・・「公定・行程・校訂・孝綴」拾纂撚     乾定元年旧十二月~・・・「鑑定」願念  モンゴル帝国     太祖(チンギス・ハーン)十八年         成吉思汗    拾捌念  大理国=天開十九年・・・・・「天海・展開・転回」拾玖念  朝鮮  高麗=高宗十年・・・・・・・・構想壱拾念  檀紀3556年・・・・・・・・段記纂撰語比訳後拾録  ベトナム  李朝=建嘉十三年・・・・懸架・県下・献花・堅果・喧嘩  仏滅紀元=1765年~1766年  イスラム暦=619年~620年  ユダヤ暦=4983年~4984年 ーー↓  高陽院が放火により焼失・・・・紅葉・甲陽・効用・公用  高陽院(かやのいん)・・・・・蚊帳音・掛埜因  平安京にあった里内裏  賀陽院(かやのいん)ともいう  西洞院大路の西・・・・・・・・政道・正道・作移動・西道  大炊御門大路の北に位置・・・・代水語文他意字、記拿  南北四町の大邸宅  桓武天皇の  第七皇子  賀陽親王の邸宅  保安二年(1121年)  摂政 関白・藤原頼通が  敷地を倍に広げて豪華な寝殿造の建物を造営  頼通は、宇治平等院に引退した後は、  その所有権は摂家当主に継承させるものの、  邸宅自体は里内裏として提供  後冷泉天皇以後・・・・・・語例正転向  五代の天皇がここに居住し  「累代の皇居」と呼ばれた。  鳥羽上皇の皇后となった  藤原泰子(頼通の曾孫にあたる摂政関白・藤原忠実の長女)に  「高陽院」の女院号が与えられたのも、  ここに居住していたことに由来。  その後、  長暦三年(1039年)、  天喜二年(1054年)、  承暦四年(1080年)、  天永三年(1112年)に  焼失したがその都度再建された。鎌倉時代に入ると  後鳥羽上皇が院御所として院政の拠点とし、  承久三年(1221年)に「承久の乱」につながる  鎌倉幕府打倒の謀議を行ったのもこの高陽院だった。  承久の乱後の  貞応二年(1223年)放火、焼亡  以後  再建されることはなかった  今日では  丸太町通  堀川東入ルに  「高陽院邸跡」の銘板がある・・・らしい・・・ ーー  従容録の成立・・・・・・・・重要賂句  従容録(しょうようろく)・・証要録  中国宋時代の仏教書  万松行秀編・六巻  万松老人評唱天童覚和尚頌古従容庵録  曹洞宗で重んずる公案集  宏智正覚の  頌古百則に、  序論的批評(垂示)、  部分的短評(著語)、  全体的評釈(評唱)を加える。 ーー  無門関(むもんかん、無門關)  中国宋代に  無門慧開によって編集された公案集  宋時代(1125年)に  圜悟克勤によって編された  雪竇重顕選の公案百則に、  垂示(序論的批評)、  著語(部分的短評)、  評唱(全体的評釈)を加えたもの。  「趙州狗子(狗子仏性、趙州無字)」の   公案は、  「犬にも仏性はあるか」に対し、  「無」と答えた   禅者が最初に与えられる課題であり、   これを解くのに三年はかかるといわれている難問・・・?   狗子仏性(くしぶっしょう)は・・・句詞部通章  「従容録・第十八則」では  「趙州狗子」、・・・・・召集・小州・正宗  「趙州無字」とも言う。・・・・「長州・上州」武事  「趙=チョウ・ジョウ」 ーー  碧巌録(へきがんろく)・・・碧眼賂句  仏果圜悟禅師碧巌録  碧巌集とも呼ばれる  臨済宗において尊重される  代表的な公案集・全十巻 ーー  誕生  一条実経、鎌倉時代の公卿  エリナー・オブ・プロヴァンス、  イングランド王ヘンリー三世の王妃  死去  2月28日  貞応二年一月二十七日  慶円、平安時代、鎌倉時代の僧  3月25日=アフォンソ2世、第3代ポルトガル王  6月14日  貞応二年五月十四日  守貞親王、皇族  7月14日=フィリップ2世        フランス王国カペー朝第七代国王  9月13  貞治二年八月十七日  覚海、平安時代、鎌倉時代の真言宗の僧  12月20日  貞応二年十一月二十七日  大友能直、鎌倉時代の武将、御家人、大友氏初代当主  宣宗、金の第八代皇帝  ムカリ、モンゴル帝国の武将 ーーーーー  枕草子  (一一七段)・・・百十七段・壱百壱拾七段・佰拾漆段・陌足漆段           1+1+7=9=九=玖           1×1×7=7=七=漆  湯は・・・喩葉・諭葉・由葉・油葉・輸場  七久里・・・  (ななくり)・・・名納句理  の・・・  湯。・・・  有馬・・・結う葉・遊場・熊場・結う頗(よこしま)  の・・・  湯。・・・  玉造・・・・・・・・「多摩・多磨・弾・霊・珠」通句理  (たまつくり)・・・他真通句理  の・・・・・・・・・之  湯。・・・・・・・・喩・諭 ーーーーー  ・・・

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