「童夢」の「ヂィヂィのタノシミ」・・・破壊・・・
2022/3/8・火曜日・・・追加添文・・・
「恩返し=おんがえし=音反し=反響・こだま(木霊・echo・木魂)・やまびこ(山彦)」
・・・「鶴の恩返し(夕鶴)」、「雀の恩返し・舌切り雀」・・・「恩返し=おんがえし=音反し=反響・こだま(木霊・echo・木魂)・やまびこ(山彦)」・・・阿倍に阿(おもねる)永田町・・・イナダ崩靡?、自衛隊法61条違反・・・「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」・・・シモムラ剥文?、違法献金疑惑・・・「博友 会が同学園から200万円献金」・・・?・・・「除喩烏罠衆」党・・・?・・・「自由罠主」党・・・なるほど・・・ ーーーーー 異床異夢・・・安倍仲麻呂&安倍皇女(称徳、孝謙天皇) 乳離れした親子 モノ心ついた兄弟姉妹 市民個々人のAmbitious 異床慟夢・・・片思いの男女 ロミオ&ジュリエット おさん&小春 同床同夢・・・去年まではモモちゃんだった・・・ 聖母と子・爺婆と孫 紙屋治兵衛&と遊女小春(心中天網島) 蘇我馬子&炊屋姫(推古天皇) 石舞台古墳=馬子の桃原墓 (奈良県明日香村島之庄) 堂床童夢・・・聖徳太子(厩戸皇子)&蘇我馬子 上宮王院夢殿=八角堂 天平十一年(739)頃 行信の創建 本尊は救世観音 同床異夢・・・恋人・愛人・夫婦 遊女&男 銅床慟夢・・・田中正造&鉱山労働者 銅山&渡良瀬川の鮎の大量死 銅床働夢・・・古川市兵衛&鉱山労働者 足尾銅山(栃木県上都賀郡足尾町・日光市足尾) 銅床道夢・・・陸奥(みちのく・松尾芭蕉)の道夢 銅床導夢・・・和銅五年一月二十八日 ↓↑ 和同開珎-鋳造=チュウゾウ=忠蔵・忠造 ↓↑ 則天武后(武照)&元明天皇(阿閇皇女) (阿閉皇女) 閇=閉=とじる・とざす・しめる・しまる ヘイ=出入り口を閉じる・隙間なく塞ぐ 閉口・閉鎖・閉塞・閉門・開閉 密閉・幽閉 おしまい 閉会・閉校・閉山・閉店・閉幕 ・・・「阿閇=阿閉」とは何か? 「阿毎=阿倍」王朝の閉幕だろう・・・ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 元明天皇=(661~721) 第四十三代天皇(在位707~715) 名は 日 本 根子天 津御代豊 国 成 姫 (やまと ねこ あまつみよとよくになりひめ) 豐 國(圀) 似 本 今史天 秦音代報 告 正 規 転 進 上記・条規 ↓↑ 安閇(あべ) 天智天皇の皇女 母は 蘇我倉山田石川麻呂の娘 草壁皇子の妃 子は 文武(輕瑠皇子) 元正(氷高皇女) 吉備内親王(長屋王の妻) ↓↑ 和同開珎鋳造 平城遷都 「古事記・・・711年(和銅四)9月18日 太安万侶(安麻呂)に詔し 稗田阿礼の誦みを筆録献上を命じた 筆録し三巻の書物とし 712(和銅五)年一月二十八日奏上」 712年辛亥(戊・甲・壬) 001月辛丑(癸・辛・己)偏印 028日癸丑(癸・辛・己) 「風土記」の編纂 「日本書紀・720(養老四)年5月21日癸酉」 720年庚申(己・壬・庚) 005月辛巳(戊・庚・丙) 021日戊子(壬・ ・癸) ↓↑ ↓↑ ↓↑ 元正天皇 天武天皇九年 (680年) ~ 天平二十年四月二十一日 (748年5月22日) 第四十四代天皇 在位、 霊亀元年九月二日 レイキ=零紀・例記・麗記・例規? (715年10月3日) ~ 養老八年二月四日 (724年3月3日) 父は草壁皇子 母は元明天皇 名は 氷高=ひたか・ヒョウコウ=標高 =日高 新家(にいのみ) 和風諱号 日 本根子高 瑞 浄-足-姫天皇 (やまとねこたかみずきよ ↓↑ たらしひめ) ↓↑ 似知本金氏交譚条則記転向? ー↓↑ーーー 「長孫無忌」の名前の「?」 ↓↑ 和気清麻呂(わけ の きよまろ) 磐梨別乎麻呂・・・・・磐=般+石 (平麻呂)の子・・梨=利+木 ↓↑ 別=叧(另)+リ(刀) 乎=に・を・より・よぶ・コ・ウ 場所・時間・目的・比較 語調を強める助字 「確乎・断乎」 =か・や・かな 疑問・反語・仮定・詠嘆の助字 どうして・・・か? ああ、スゴイと感嘆する語 「よぶ=呼」 確乎・儼乎(ゲンコ)・純乎・断乎 炳乎(ヘイコ)・茫乎・凜乎(リンコ) 牢乎(ロウコ) 「乎」の変形が片仮名の「ヲ」 須佐能乎命=須佐之男=須佐乃袁 須佐能袁 素戔男=素戔嗚 「乎」麻呂→「平」麻呂 ・・・「乎」を「平」にしている所が「?」で 怪しい・・・ ↓↑ 麻=萬・万・・・麿 ↓↑ 呂=音率のロ・・麿 氏姓は当初 磐梨別公(いわなしわけのきみ)・・・磐の梨の別の公 藤野(輔治能)真人・・・輔(たすけ)の治(おさむ)の能力 ↓↑ 輔佐・輔弼(ホヒツ) 輔=すけ=律令制の省の第二等官 ↓↑ 書きかえ 「補」が書きかえ字 匡輔・公輔・宰輔・左輔 師輔 輔(たす)ける 救助する(危険から援ける、救う) 車の添え木 重い荷を積んだ車輪の補強の木 荷が落ちないように 車の両側に付ける板=輔車 頬骨(ほおぼね)=輔車 顎(あご)=上顎=輔車 すけ(省の第二等の官 ↓↑ 長官の次の官・次官) 和気宿禰 和気朝臣 官位は 従三位・民部卿 贈正三位、正一位 ↓↑ 「和気-清麻呂」・・・「訳(わけ)の記与のマの呂」? は 称徳、孝謙天皇に 「別 部 穢 麻呂 別=わける・ベツ 部=ぶ・べ・バイ 穢=禾+歳=きたない=汚 =よごれ=汚れ・汙れ (わけべ の きたなまろ)」 と改名されて 大隅国(鹿児島県)に流罪 女帝死後 清麻呂は 桓武朝・・・桓武天皇(天平九年・737年 ↓↑ ~ 延暦二十五年三月十七日 806年4月9日) 第五十代天皇(在位 天応元年四月三日 781年4月30日 ~ 延暦二十五年三月十七日 806年4月9日) ↓↑ 名=山部(やまのべ・サンブ・サンベ) 日 本根子皇統 弥 照 尊 (やまとねこすめろぎいやてりのみこと) 「山」は 「足曳き・足を引き・あしびき・アシヒキ」 に掛かる枕詞 足を引いて喘(あえ)ぎつつ登る意 山すそを長く引く意など 「足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿 (万葉仮名) ↓↑ ↓↑ ↓↑ あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ・・・? (柿本人麻呂・拾遺集・恋三・七七三) ↓↑ 「足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡」 ↓↑ ↓↑ ↓↑ あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が獄に 雲立ち渡る・・・? (柿本人麻呂・万葉集巻七・六番) 柿本人丸とも」 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「かき=柿=木+市(いち・シ・亠+巾)」の類字は 「こけら=杮=木+市(まえかけ・ふつ・十+冂」 「徐福(ジョフク)=徐芾 =徐市(ジョフツ)→市」 「こけら(杮)」は 「木屑(きくず)、鉋屑(かんなくず) 柾(まさ)葺き屋根の欠片(かけら) 柾(まさ・まさき)は国字 屋根葺きの屑」である・・・ 「こけら落とし」とは ↓↑ 建築物完成時の 屑(煤)掃(払)いデアル・・・ ・・・なるほど、 「経津-主(フツ-ヌシ)=布津-主」ですか? ↓↑ 「ヘツ-あるじ」では・・・or「払-主」 ↓↑ 「布袋(ほてい)様」 「キョウシン=教信・共振・狂信・強震」の主? ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「割烹着=エプロン=前掛け=市(一巾・十冂)」は 調理人(膳部・高橋)か、 醫(くすし・医者)・薬剤師・土師 が汚れを防ぐ為に着けるだろう・・・ 「膳部=かしわべ=柏部=栢部=鶏肉部」 ↓↑ ↓↑ ↓↑ で、 「あしびき」だったが、万葉仮名では 「安之比奇=足日木=足引=足桧木=足曳」 ↓↑ ↓↑ 「足入れ 婚姻成立の祝いを婿方ですませた後 ある期間は夫婦の寝所を嫁方に置き その後、妻が夫の家に移る婚姻形式 ↓↑ 婚姻の正式の披露をあとまわしにし 先に嫁が婿方の家に入ること 正式の婚姻成立祝いを待たず 仮の祝儀後、女性が夫の家族に入る婚姻 ↓↑ あしいれ=カドイレ=シキマタギ 農家の結婚式は 農閑期の冬に行われ 嫁が労働力として 冬まで待てない時に 足入れ婚が行われた 嫁が夫方に試験的に同居し適応性が あるかないかのお試し期間 ↓↑ 婚姻成立祝いだけで 嫁は実家に帰り 婿が泊まりに通う 妻問い婚を一定期間とり、後に 嫁が婿方の家へ移り住む 内祝言の後、 嫁が婿方に移り住む風習」 ・・・じゃぁ、 「あしびき」とは「あしいれ」 が拒否され、出戻った あるいは、 嫁が主体的に拒否し、出戻った ってコトか? ・・・理由は・・・ 「石女=うまずめ」か、「病弱女」だった? あるいは逆の 「藁(ワラ)の男=案山子 =やくたたず=木偶」か、 「病弱男」だった 「旧約聖書」ではイサクの子、 「ヤコブ」の話し・・・狡(ずる)賢い者が 権力と 富を得る・・・? 母親は狡猾な子を愛する? イサクの妻 リベカの兄で、 ヤコブの伯父 ラバンが・・・ラバン=白の意 ヤコブを・・・ヤコブ=踵(かかと)を捉える者 押しのける者」 7+7=14年間タダ働きさせたハナし イサクの家で、 双子の 兄エサウと弟ヤコブが争い ヤコブが母、リベカの策謀で 長子の権利を得たが 兄エサウは怒った 母、リベカはエサウの怒りを怖れ ヤコブを ラバンのもとに逃亡させる そこでイサクは ラバンの娘 ラケル・・・・後にラケルはヨセフを産んだ に恋をした ラバンはラケルとの結婚条件として 七年間の無償労働を要求し 七年間の後に偽って、 別なラケルの姉 レアと結婚させた ヤコブは抗議したが、 ラケルとの結婚条件として 更に 七年間の労働を要求された ヤコブは約束を果たし ラケルと結ばれ 更にラバンの下で働くコトを要求され 富を得た後 ラバンから 自分の財産と全家族をつれて逃亡 後、ヤコブを追ってきたラバンと和解 ラバンの提案で 「石の柱」を立てて、 契約(和解、平和条約?)を結び、 帰郷の途中、 天使と「相撲」をし、 股関節をイタメ 足を挫かれて跛になったが 「神と闘った者=イスラエル」 と云う名を与えられた 兄のエサウとも和解しメデタク帰郷・・・ ↓↑ ↓↑ ↓↑ で、婿養子として 拒否された男は・・・「須佐之男」 or 「天之日矛=日桙=天日槍命 天日桙命=海檜槍」で 「阿加流比売=倭人・日本人←阿毎の姫?」 にフラれた・・・比売(姫)は 難波へ向い 難波の比売碁曾(ひめごそ)社の祭神となった ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「新羅(前57年~935年) 朝鮮半島南東部にあった国」の皇子 「新羅」=503年に正式国号 新羅、高句麗、百済が鼎立 7世紀中ごろ朝鮮半島統一 内乱や飢饉で弱体化させ 「高麗」に降伏し、滅亡した・・・ 高麗王朝 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 高麗(918年~1392年) 918年 王建(太祖)が建国 936年に朝鮮半島の 後三国を統一 1392年の 李氏朝鮮建国まで続いた 首都は開京 高麗の領土は 朝鮮半島 元山市や 鴨緑江まで 高麗(Korea・Corée)の文物 高麗青磁 高麗八萬大蔵経 等 1234年 銅活字の 青銅製の活字が作られ 1377年 直指心体要節 世界最古の 金属活字での出版 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 弓裔(キュウエイ) 後三国時代の群雄 後高句麗の建国者 姓は金→金王朝=清国=女真(女直)→鮮卑 =燕王朝=渤海=満州=高句麗→高麗 ↓↑ ↓↑ 愛新覚羅 (アイシンギョロ) ↓↑ ↓↑ アイシンカクラ・・・阿意晋掛句等? 僧号は善宗 隻眼で 一目大王・・・天目一箇神=一目連神=一目一足 天目山=元は木賊山(とくさやま) 山梨県甲州市 大和町木賊 大和町田野 にある峠の山 天正十年三月十一日 (1582年4月3日) 武田勝頼の滅亡の地 棲雲寺(栖雲寺)がある =浙江省北西部、安徽省との 省境付近を南西~北東方向に 走る山地・東天目山と西天目山 最高点は西天目山の竜王山 唐傘小僧=傘(からかさ)の妖怪 唐傘一本足のお化け 江戸時代以後に登場・・・ アメ(雨)の降らない時は閉じる の別称・・・・一ツ目小僧=唐傘の一目一足になる 天目茶碗=中国宋代に浙江省 天目山の禅院で使用され 福建省建陽県水吉鎮の建窯などで 造られた鉄質黒釉の茶碗
新羅の 第47代憲安王 或いは 48代景文王(憲安王の婿) の側室の子・・・ ↓↑ 901年 自らを王を称し 後高句麗を建国 開城に遷都 国号を高句麗とし 904年 国号を 摩震(摩訶震旦の略)に改め 年号を 武泰と定めた 905年 鉄円(江原道鉄原郡)に遷都 911年 国号を 泰封に改め 年号を 水徳万歳 と定めた 弓裔は自らを 弥勒菩薩と自称 918年 「易姓革命」で 侍中であり有力な部下であった 王建に追放され、殺害された・・・ 王建(太祖)が 高麗王朝を建国し 936年に朝鮮半島の 後三国を統一 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「烏桓=烏丸=鴉満留←高句麗←金(満州) ↓↑ 女真(ジュルチン)←渤海国(靺鞨族) 渤海滅亡後、遼王朝に服属 ↓↑ 「三本足のカラス」? それでも 案山子は「藁で束ねても男は男」→腐ってもタイ? ・・・寝言を云っている間にタイを喰って腹痛? ↓↑ ↓↑ ↓↑ 足=あし・たり・ソク=葦(蘆)・垂り・促(即) 脚肢・多利・速則 足=頭領・大王・天皇・盗賊の首領 ・・・鎌足=金を兼ねる足(たり)? ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「足=たらし=垂し・あし=阿史=阿毎」 第六代孝安天皇 日本-足-彦国押人 (やまとたらしひこくにおしひと) 第十二代景行天皇 大-足-彦忍代別 (おおたらしひこおしろわけ) 第十三代成務天皇 稚-足-彦 (わかたらしひこ) 第十四代仲哀天皇 足-仲彦 (たらしなかつひこ) ↓↑ 足羽山(あすわやま)の 第二十六代継体天皇・・・足柄山の金太郎? 男大迹王 (をほどのおおきみ) ↓↑ 第三十四代舒明天皇 息長-足-日広額 (おきながたらしひひろぬか) 第三十五代=三十七代 皇極天皇=斉明天皇 天豊財重日-足-姫 (あめとよたからいかしひたらしひめ) ↓↑ ↓↑ 桓武天皇・・・桓=marking post ↓↑ たけしい・めぐる・うれえる カン・ガン =郵亭(宿場)のしるしとして 宿場の周りにたてた木 棺を墓穴に降ろすため四隅に立てる柱 烏桓(呉音:ウガン・漢音:オカン 拼音: Wūhuán) =紀元前1世紀~紀元後3世紀 中国北部(内モンゴル自治区) に存在し民族 ↓↑ 「烏丸」とも表記 光仁天皇の第一皇子 794年平安京に遷都 ↓↑ 坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣 で実務官僚 山背国葛野郡宇太村 を選んで 平安遷都の建設を進言し 延暦十二年(793年) 造営大夫 ↓↑ 備前国 藤野郡(岡山県和気町)出身 神護景雲三年(769年)七月頃 宇佐の神官を兼ねていた 大宰府の主神(かんつかさ) 中 臣 習宜 阿曾麻呂 (なかとみのすげのあそまろ) が宇佐八幡神の神託として、 天皇が寵愛を与えていた 道鏡を皇位に就かせれば 天下太平になると 称徳天皇へ奏上 道鏡はこれを信じ 皇位に就くことを望む ↓↑ 称徳天皇は側近の尼僧 和気広虫(法均尼)・・・和気の広い虫(むし) 訳 のマダレのムの中のム? を召そうとしたが、 虚弱な法均では 長旅は堪えられぬため、 弟の清麻呂を召し、 姉に代わって 宇佐八幡の神託を確認するよう、命じる 清麻呂は天皇の勅使として八幡宮に参宮 宝物を奉り宣命の文を読もうとした時 神が禰宜の 辛 嶋 勝 与曽女・・・・・よそ目=余所目 (からしまのすぐりよそめ) よそ目=よそから見たところ・はたの見る目 よそみ・余所目をはばかる よそのことのように見る 傍観する 第三者の目で観る・客観的な目 第三者的視点・客観的視点 世間の目・他者の目・他人の目 他人の視線 に託宣、 宣命を訊くことを拒む・・拒む 清麻呂は不審を抱き、 改めて 与曽女に 宣命を訊くことを願い出て、 与曽女が再び神に顕現を願うと、 身の丈三丈、 9mの僧形の大神が出現し 大神は 再度宣命を 訊くことを拒むが・・・・拒む 清麻呂は 与曽女とともに 大神の神託、・・・・・・拒まれたのだから 「神託」は無かった? ↓↑ 「天の日継は必ず 帝の氏を継がしめむ。 無道の人(道鏡)は 宜しく早く掃い除くべし」 ↓↑ を朝廷に持ち帰り 称徳天皇へ報告 (宇佐八幡宮神託事件 神護景雲三年(769)九月二十五日) 清麻呂の報告を聞いた 称徳天皇は怒り、 清麻呂を 因幡員外介にいったん左遷 さらに 別 部 穢 麻呂 (わけべ の きたなまろ) と改名させ 大隅国(鹿児島県)に流刑 神護景雲三年十月一日(769年11月7日) 称徳天皇が詔を発し 道鏡に皇位は継がせないと宣言し 事件が決着した・・・? ↓↑ 神護景雲四年(770年)八月 称徳天皇は崩御 道鏡は失脚 清麻呂は 光仁天皇により 従五位下に復位 後、 播磨・豊前の国司を歴任 美作・備前両国の国造に任じられた 延暦四年(785年) 神崎川 と 淀川 を直結させる工事 平安京方面への物流路を確保し 延暦七年(788年) 23万人余を投じ 上町台地を開削し 大和川を直接 大阪湾に流し 水害を防ごうと 工事を行ったが 費用がかさんで失敗 清麻呂は 桓武朝で実務官僚として重用 山背国葛野郡宇太村 を選んで 平安遷都の建設を進言 延暦十二年(793年) 自ら造営大夫として尽力 延暦五年(786年) 民部卿として 民部大輔の 菅野真道 とともに庶政の刷新にあたった 桓武天皇の勅命により 天皇の母 高野新笠・・・「高野の新笠」って名前か? 新笠=立木斤竹立 720年頃生~延暦八年十二月二十八日 (790年1月21日) 父は高野乙継(和乙継)・・・和の乙の継ぎ 母は大枝真妹(土師真妹)・・・大枝=大江 ↓↑大江音人は備中権介・大枝本主の嫡男 光仁天皇の宮人、後に夫人 桓武天皇・早良親王・能登内親王の生母 桓武天皇の即位後、皇太夫人 薨去後、贈皇太后、贈太皇太后 諡号は 天高知日之姫尊 の出身氏族 和氏の系譜を編纂・・・「和」氏の系譜とはナニ?→「倭」氏 和氏譜として撰上 子の広世・真綱 らは、父の没後に 官人として活躍 広世は最澄を招聘し 高雄(たかお)の 法華会(ほっけえ)を開き、 天皇へ最澄を斡旋して勅を蒙り、 唐へ留学させ、 五男・真綱と 六男・仲世は 高雄山で 最澄と共に 空海から密教の灌頂を受け 仏法に帰依 姉の 和気広虫(法均尼)・・・和気清麻呂の姉 は夫 葛城戸主(かつらぎのへぬし) とともに、 孤児救済事業・・・ ーーーーー ・・・???・・・
Commentaires