「葉隠れ=(はがくれ)」=言葉の裏にムシ(中ム)を隠す
2022年八月七日・日曜日
・・・追加添文・・・
「人類皆、みち連れ」主義者・・・?
連れ立って一緒に道を行くこと
同行者 旅はみちづれ世は情け・・・
むりに一緒の行動をとらせること
アイツ、
テロリストの頭目、殺人恫喝の
地球人類心中主義者
「プーチンの二枚舌」・・・
オマエ、ヒトリでクタバるユウキもナイくせに・・・
↓↑
2022年8月7日現在
あれから
まだ、愚痴りながらボクは生きているけれど・・・バベル
「ことば=言葉・事葉・詞・辞」を「糊塗葉・異葉・拠訳葉」とした理由は「権力者=生殺与奪権者」に対する「生(所為)の自らの防衛」である・・・「葉隠れ=(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に出された書物・肥前国-佐賀-鍋島藩-藩士-山本常朝(山本-神右衛門-常朝)の武士としての心得、武士道という用語で説明した言葉を田代-陣基(つらもと)が筆録記録・全十一巻」・・・この「説明はコレでイイのか?」は疑問であるカナ・・・「葉可久礼」とも書くらしい・・・そもそも、時代は幕藩体制の「平和(?)」な「抜け穴」があった鎖国時代だが、「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第十一)」は武士ならず、「士農工商の身分制度の生殺与奪の序列階級社会の枠内のスベテの人々の境遇」である。「将軍・天皇」と云えずも、いつ何時、その「暗殺(毒殺も含む)」から、「身分の転落」からは免れ得ない存在であった・・・今現在の人間社会は如何か?・・・状況は同じである・・・「1716年」とは、 以下は「ウイッキペデア」など、ブログ記事を参照、参考にし、少々改作して添付・・・ ーー↓↑ーー 1716年 干支年=丙申(ひのえノさる・ヘイシン)年 日本は 正徳八年、 享保元年 六月二十二日~ 皇紀2376年 中国は 清王朝 康熙五十五年 朝鮮は 李氏朝鮮 粛宗四十二年 ユダヤ暦では 5476年~5477年 ・・・である・・・ ↓↑ 1716年 8月9日 (正徳六年 六月 二十二日) 改元して 享保元年 9月28日 (享保元年 八月 十三日) 徳川吉宗、 徳川幕府 八代将軍となる 享保の改革 九州南部 霧島山中央部 新燃岳で 「享保の噴火」・・・ ↓↑ 「エンゲルベルト・ケンペル」の死去・・・ 延解留部留訳・建経留?・・・ ↓↑ 「17~18世紀(1651年9月16日~1716年11月2日)の ヨーロッパ人である エンゲルベルト・ケンペルは 「日本誌」 で 「宗教的世襲皇帝」 の王朝は、 キリスト以前の 660(六百六拾)年がその始まりである。 この年から キリスト紀元 1693・・・・・・1693-1651=42(歳) 歳=サイ=差異 4-2=2 4+2=6 年にいたるあいだ、 すべて 同じ一族に属する 114(壱百壱拾四・一一四)人 の皇帝たちが 相次いで 日本の帝位についた。 彼らは、日本人の国の もっとも 神聖な創健者である 「テンショウダイシン」 (天照大神、あまてらすおおみかみ) の一族の最古の分枝であり、 彼の最初に生まれた 皇子の直系である等々のことを、 きわめて誇りに思っている。 -エンゲルベルト・ケンペル-「日本誌」 ・・・とすると、ケンペル42歳・・・
「日本の1693年(年鑑・歴史)」
の知識は有していた?・・・
「大日本史」の編纂開始は、 ーーーー↓↑ーー 1657年(明暦三年) 明暦の大火 小石川藩邸が焼失して 駒込別邸へ移動 史局を開設 編纂事業開始 史局ははじめ茶屋を利用 後に 火事小屋御殿に移動し文庫も設置 「日本書紀」以下 六国史など史書は 編年体で編纂されたが 『史記』のような 紀伝体の 史書が編纂された先例なし 修史事業の動機 幕府の編纂が行われていたこと 明暦の大火でその資料が亡失した 林羅山の死 徳川光圀は 父頼房の死去により家督相続 ↓↑ 幕府では 1662年(寛文二年) 林鵞峰 に命じて 編年体の史書 「本朝通鑑」の編纂開始 ↓↑ 光圀は 林鵞峰 を藩邸に招き 編纂方針や正統問題について質問 ↓↑ 1672年には編纂事業を本格化 駒込別邸の史館を 小石川本邸へ移転 「彰考館」と改名 遠隔地の史料収集 南朝関係の史料を収集 光圀は 日本へ亡命した 明朝遺臣 である 「朱舜水」 を招聘 南北朝時代の 南朝方武将 「楠木正成」の忠誠心を 朱舜水に示唆 北畠親房の 『神皇正統記』の影響 林羅山父子が執筆の 歴史書 『本朝通鑑』の草稿に、 大和民族(日本人)を 「呉の太伯の末裔である」 という記述に憤慨した・・・ ↓↑ 1676年(延宝四年)六月 神武天皇~後醍醐天皇までの 本紀が清書 ↓↑ 天和年間 には 「新撰紀伝・104巻」として完成 光圀は 南北朝合一の 後亀山天皇期まで 扱う必要性と内容上の不備を感じ、 同年には 彰考館に総裁を置いて 機構を改革し、 新館を新築して史館員も増員 国史以外にも 詩文集など編纂事業が拡大 1690年(元禄三年) 光圀は 西山荘へ隠棲 国史以外の各種事業を停止して 本紀の完成を促進 ↓↑ 1697年 「百王本紀」 として完成・・・ ↓↑ 1715年(正徳五年)・・・・1716年にケンペル死亡・・・ 藩主綱條により書名が裁定 水館の主張する 「皇朝新史」 と 江館の 「大日本史」 の間で論争 後者に決定 同年の光圀忌日に 清書本(正徳本)が 光圀廟に供えられた 1720年(享保五年) 校訂を加えた 享保本が幕府に献上 1737年(元文二年) 光圀死後の事業を主導してきた 安積澹泊が死去 事業休止 江戸後期 彰考館総裁の 立原翠軒 により、 1799年(寛政十一年) 光圀百年忌に備えた刊行のため、 校訂作業が進められた 書名に 国号を冠することや 論賛の是非について、 立原 と 史館員の 藤田幽谷の間で対立 江館と水館の党派的対立に発展 明治以後 水戸徳川家の事業として 栗田寛 を中心に残された 「志」、「表」の編纂 ↓↑ 1906年(明治三十九年) 十代藩主 徳川慶篤の孫にあたる 徳川圀順が完成 1645年(正保二年) 光圀が学を志してから 261年(満260年)、 1657年(明暦三年) 光圀が史局を開発してから数えて 249年(満248年) (本紀・列伝は光圀存命中に完成) 草稿などは 彰考館 徳川博物館に所蔵 ↓↑ 「エンゲルベルト・ケンペル」の漢字名は不明・・・だが・・・ 遠 解留部留訳 建 経留・・・? 縁 外瑠部婁徒 懸務経留・・・? ↓↑ 思格爾(尓)=エンゲルス 馬克斯=馬克思=マルクス ↓↑ (Engelbert Kaempfer, エンゲルベアト・ケンプファー) 1651年9月16日~1716年11月2日 ドイツ北部 レムゴー出身の医師、博物学者 ヨーロッパにおいて 日本を初めて体系的に記述した 「日本誌」の原著者 哲学、歴史、 古代や当代の 色々な言語を学ぶ ↓↑ 1681年 スウェーデンのウプサラのアカデミー ドイツ人博物学者 ザムエル・フォン・プーフェンドルフ の知己となる 彼の推薦でスウェーデン国王 カール11世 が ロシア・ツァーリ国(モスクワ大公国) と ペルシア・サファヴィー朝 に派遣する使節団に 医師兼秘書として随行 1683年10月2日 使節団はストックホルムを出発 モスクワ経由で 同年11月7日 アストラハンに到着 カスピ海を船で渡って シルワン(アゼルバイジャン)に到着 バクーと その近辺の 油田について記録 南下し ペルシアに入り 1684年3月24日 首都イスファハンに到着 ケンペルは使節団と共に イランで20か月を過ごし、 ペルシア や オスマン帝国の風俗、 行政組織についての記録 最初に ペルセポリスの遺跡について記録した ↓↑ バンダール・アッバースに オランダの艦隊が入港 ケンペル・・・建経留 は、 使節団と別れて 船医としてインドに渡る決意 1年ほど オランダ東インド会社の船医として勤務 その後、 東インド会社の基地がある オランダ領東インドの バタヴィア へ渡り、 医院を開業 日本行きの便船で ケンペルは シャム(タイ)を経由して 日本に渡航 1690年(元禄三年) オランダ商館付の医師として、 約2年間 出島に滞在 1691年(元禄四年) 1692年(元禄五年) に 江戸参府 将軍 徳川綱吉 にも謁見 滞日中、オランダ語通訳 今村源右衛門 の協力を得て資料を収集 1692年 離日 バタヴィアに戻る 1695年 12年ぶりにヨーロッパに帰還 オランダの ライデン大学で 医学博士号を取得 リーメに居を構え医師開業 デトモルト に居館を持つ伯爵の侍医となる 1700年 30歳年下の女性と結婚 1712年 「廻国奇観・(Amoenitates Exoticae)」 出版 ケンペルは前文の中で、 「想像で書いた事は一つもない。 ただ 新事実や 今まで不明だった事 のみを書いた」 と宣言 大部分の記述は ペルシア 日本の記述は一部 『廻国奇観』の執筆と同時期に 『日本誌』の草稿である 「今日の日本(Heutiges Japan)」 の執筆にも取り組む 1716年 11月 2日 ケンペルはその出版を見ず死去 故郷 レムゴー には彼を顕彰し その名を冠した ギムナジウム・・・義務名字得務? がある・・・ 遺稿は 3代の イギリス国王(アン~ジョージ2世)に 仕えた侍医で収集家だった ハンス・スローン に売られた 1727年 遺稿を英語に訳させた スローン により ロンドンで出版 「日本誌(The History of Japan)」 は、 フランス語、オランダ語にも翻訳 ドイツでは啓蒙思想家 ドームが 甥の ヨハン・ヘルマン によって書かれた草稿を見つけ、 1777~79年に ドイツ語版 (Geschichte und Beschreibung von Japan) を出版 『日本誌』は、 特に フランス語版 (Histoire naturelle, civile, et ecclestiastique de I'empire du Japon) が出版 ディドロ・・・出意泥? の 「百科全書」 の 日本関連項目の記述が、 ほぼ全て『日本誌』を典拠とした ゲーテ、カント、ヴォルテール、モンテスキュー らも愛読 19世紀の ジャポニスムに繋がった 学問的にも、 既に絶滅したと考えられていた 「イチョウ」が・・・イチョウ(公孫樹)の漢字を 「銀杏」とし、 音読に 「ギンコ・ギンアン」 呼び名の訓読を 「イチョウ」と記録・・・ 日本に生えていることは 「生きた化石」の発見と受け取られ、 ケンペルに遅れること 約140年後に日本に渡った フィリップ・フランツ・フォン シーボルト・・・・「置維波斯徳利」 に大きな影響を与えた・・・ ↓↑ ケンペルは著書の中で、 日本には、 聖職的皇帝(天皇) と 世俗的皇帝(将軍) の 「二人の支配者」がいると紹介 「日本誌」の中の付録収録の 日本の対外関係に関する論文は、 徳川綱吉 治政時の 日本の対外政策を肯定した、 「日本誌」出版後、 ヨーロッパのみならず、 日本にも影響を与えた 「日本誌」 オランダ語 第二版 (De Beschryving Van Japan 1733年) を底本として、 志筑忠雄・・・・「志・筑・忠・雄」 (しづき ただお) 宝暦十年(1760年) ~ 文化三年七月三日(1806年8月16日) 江戸時代長崎の蘭学者、 阿蘭陀稽古通詞 「鎖国論」翻訳 は 享和元年(1801年)に この付録論文を訳出し、 題名があまりに長いことから 文中に適当な言葉を探し、 「鎖国論」と名付けた・・・ 日本語における 「鎖国」という言葉の誕生・・・ 1727年 英訳に所収された 「シャム王国誌」 (A Description of The Kingdom of Siam) は、同時代の タイ(泰)に関する記録として 「非カトリック・非フランス的」 な視点から描かれて、 タイの歴史に関する貴重な情報源・・・ スローン が購入した ケンペルの収集品は 大部分が大英博物館に所蔵 一方ドイツに残っていた膨大な蔵書類は 差し押さえにあい、散逸 ただし彼のメモや書類は デトモルトに現存 ↓↑ 『日本誌』は 彼の遺稿と 英語の初版とでは かなりの 違いがある ヴォルフガング・ミヒェル (Wolfgang MICHEL) が中心となって、 2001年に 原典批判版 「今日の日本(Heutiges Japan)」 が 初めて発表された この原典批判版を皮切りとした ケンペル全集は 全6巻(7冊)刊行 今井正による日本語訳は ドーム版を底本としており、 ケンペルの草稿とは 所々でかなり異なっている。 よって現在のケンペル研究は、 原典批判版をはじめとする ケンペル全集や、 大英図書館に所蔵された 各種ケンペル史料に基づくのが、 世界的なスタンダードとなっている・・・らしい・・・ ーーーーー 旧約聖書 約伯 記 ヨブ・・・・・与分 余部 記 呼ぶ記(紀) 第4章 4:1 その時、 テマン・・・出(弟・弖・氐)萬(万・満・蔓) びと エリパズ・・・重理葉事(亠・図) が答えて言った、 4:2 「もし 人が あなたにむかって 意見を述べるならば、 あなたは 腹を立てるでしょうか。 しかし だれが 黙っておれましょう。 :3 見よ、 あなたは 多くの人を教えさとし、 衰えた手を強くした。 4:4 あなたの言葉は 躓(つまずく)者を たすけ起し、 孅(かよわい・か弱い)・・・繊・纖・纎 繊細 膝(ひざ)を 強くした。 4:5 ところが 今、 この事が あなたに臨むと、 あなたは耐え得ない。 この事が あなたに触れると、 あなたは 怖(お・フ)じ 惑(まど・ワク)う。 4:6 あなたが 神を 恐れていることは、 あなたの 拠所(よりどころ・キョショ) ではないか。 あなたの 道(みち・ドウ)の 全(まった・すべて・また・ゼン)き ことは、 あなたの 望みではないか。 4:7 考えてみよ、 だれが 罪のないのに、 滅ぼされた者があるか。 どこに 正しい者で、 断ち滅ぼされた者があるか。 4:8 わたしの見た所によれば、 不義(フギ)を 耕(たがや・コウ)し、 害悪(ガイアク)を 播(ま・ハン)く 者(もの・は・シャ)は、 それを 刈(か)り取っている。 4:9 彼らは 神の 息吹(いぶき)に・・・伊吹→伊吹山 よって 滅(ほろ・メツ)び、 その 怒(いか・おこる・ド)り の 息(いき・い・ソク)によって 消(き・ショウ)え 失(う・シツ)せる。 4:10 しし(獅子)の ほえ(吼・吠・咆)る 声(こえ・セイ)、 猛(たけ)き しし(獅子)の 声(こえ・セイ)は とも(共)に やみ(止)、 若(わか・もし・ジャク)き しし(獅子)の 牙(きば)は折られ、 4:11 雄獅子(おじし・ユウシシ)は 獲物(えもの・カクブツ)を 得ずに滅び、 雌(め・めす・シ)じし の 子(こ・ね・シ・す)は 散(ち・サン)らされる。 4:12 さて、 わたしに、 言葉が 密(ひそか・ミツ)に・・・前島密 臨んだ、 わたしの 耳(みみ・ジ・ニ)は その 囁(ささや)き を聞いた。 4:13 すなわち 人の 熟睡(jyクスイ)するころ、 夜(よる・よ・ヤ) の 幻(まぼろし・ゲン)によって 思(おも・オン)い 乱(みだ・ラン)れている 時(とき・ジ)、 4:14 恐(おそ・キョウ)れが わたしに 臨(のぞ・リン)んだので、 慄(おのの)き、 わたしの 骨(ほね・コツ)は ことごとく 震(ふる・シン)えた。 4:15 時に、 霊(レイ・たましい) があって、 わたしの 顔の前を過ぎたので、 わたしの 身(み・シン)・・・・視・実 審・振・秦 の 毛(け・モウ)・・・・毛野(上野) 毛人=蝦夷 毛唐=外人・異人 は 弥立(よだ)った。・・「彌=弓+爾」+立 ↓↑ ・・・彌立・彌奪 ・・・蝦夷・アイヌ の 生殺与奪・・・? 彌生(三月) 彌栄(いやさか) ↓↑ 弥栄音頭 北海道北西部沿岸地方の 鰊(鯡・ニシン)漁の 労働歌、盆踊り歌 「はあ、イヤサカさっさ」 と囃(はや)す 鯵ヶ沢甚句(青森県) 青森県民謡 西の八幡 港を守る 家の留守居はノ~嚊守る そりゃ嚊守る留守居は ノ~嚊守る 「(ハア イヤサカサッサ」 鯵ヶ沢育ちで 色こそ黒いが 味は大和のノ~ 吊し柿 そりゃ 吊し柿 大和のノ~ 吊し柿 「(ハア イヤサカサッサ」 ・・・ブログ記事で調べたら・・・ BGM:大正琴「長唄越後獅子」師範(琴流勢) http://teineniroirolife.web.fc2.com/kyokuiyasaka.html ↓↑ ・・・勝手に添付して申し訳ありません・・・ ↓↑ この歌の詞に興味がありましたので、 ↓↑ アシカラズ、御容赦くだされ・・・ ↓↑ ↓↑ーーーーー↓↑ ↓↑ しろうと三味線(太棹) ↓↑ いやさか音頭(北海道) あねこ(蛙音呼) こちゃ向け かんざし(簪→髪挿→上指→櫛→釧路) 落ちる (ハー イヤサカサッサ) かんざし落ちないなー 顔見たい ありゃ顔見たい 落ちないなー 顔見たい (ハー イヤサカサッサ) お前行くなら わしゃどこまでも (ハー イヤサカサッサ) 蝦夷(えぞ)や 千島のなー 果てまでも ありゃ果てまでも 千島のなー 果てまでも (ハー イヤサカサッサ) 十七八なら 山(サン→纂) さ(作) も(摸) やるが (ハー イヤサカサッサ) 山(サン) にゃ(似哉・爾埜) 人(ひと・ジン・ニン) さすなー・・・作(差・詐) 素・蘇・州・諏) 名・拿・納 ぁァ~ 虫(むし・チュウ) がいる ありゃ虫がいる 人さすなー 虫がいる (ハー イヤサカサッサ) 沖のカモメ(鴨目・鷗)に 潮時(しおどき) 問(と・モン)えば (ハー イヤサカサッサ) わたしゃ たつ鳥なー・・・多通訳理名蛙 波(なみ・名視)に 聞(訊け)け ありゃ 波に聞け たつ鳥なー 波に聞け (ハー イヤサカサッサ) 恋(こい・レン)の 九(玖)つ 情(なさ・ジョウ)けの 七(漆)つ (ハー イヤサカサッサ) 合わせ 十六なー 投げ島田 ありゃ 投げ島田 十六なー 投げ島田 (ハー イヤサカサッサ) 葉蛙阿會 意埜作掛佐通差(詐・査) ↓↑ ↓↑↓↑ ↓↑ 太棹(ふとざお・タイタク・タイトウ) さお=篙・竿・棹・找・划 船頭棹 釣竿 作尾・蔵王? 大きく厚い撥(バチ)を用いる 浄瑠璃等で使用 浪曲三味線 津軽三味線は 太棹 先端が 鼈甲(ベッコウ)製の 小ぶりの撥を用いる ↓↑ 津軽民謡の伴奏に使用 ↓↑ ↓↑ 相手を惑わすことを 「三味線を弾く」という 「口三味線を弾く」が原義、 ↓↑ 口で三味線の音色を真似る事から、 ↓↑ 「偽物、虚言」の意・・・ ↓↑ ーーーーーー 4:16 そのものは 立ちどまったが、 わたしは その姿を 見わけることが 出来(でき)なかった。・・・出記・弟(おと)記 出紀・弟(おと)紀 一つ の 形(かたち)が、・・・・・・堅地→キャセイ 國泰・Cathay 契丹=中国北部 「カタイ」=西遼 わたしの 目の前にあった。 わたしは 静(しず・セイ) かな声を・・・・・カナ乞え ・・・掛名 肥重 肥前・肥後 比全・比語 聞(き・ブン・モン)いた、 4:17 『人は 神の前に 正(ただ・セイ)しく ありえ ようか(用乎・要掛?)。・・・仮名目化 人は その造り主の前に 清(きよ・セイ・シン)く ありえ ようか(用乎・要掛?)。・・・仮名目化 4:18 見よ、 彼は その しもべ(下部) をさえ 頼みとせず、 その 天使(テンシ)・・・典詞・填詞 テンシ 蚦示→うじを示 得字・宇治・氏 をも 誤(あやま・ゴ)れる 者(もの・は・シャ)と・・・写訳 みなされる。 4:19 まして、 泥(どろ・デイ)の・・・兎(狸)の泥舟 かちかち山のハナシ 泥=デイ=禰→武内宿禰 泥=水+尼(海女・海人) 家に住む者、 塵(ちり・ジン)を・・・地理 尋・訊・陣 侭(筑紫) その基とする者、 染(しみ)・・・沁み・浸み・凍み の 詞視 ように 示視 紙魚・衣魚 シミ・蟫=虫+覃 覃=西+日+十 うまい・するどい およぶ・のびる ひく・ふかい ドン・シン タン・エン 岩塩の壺? 譚=談=はなし 潭=ふち・水を深くたたえた所 淵=潭水・深潭・碧潭 底深いさま=潭潭 蟬=せみ・・・ミ~ン、ミ~ン ジィ~、ジィ~ 潰(つぶ・カイ)・・・潰=氵(水)+貴 貴=中+一+目+ハ 潰滅・壊滅 甲斐妹通 改 埋通 届 目通 會 女通 掛意女通 される者。 4:20 彼らは 朝から夕までの間に 打ち砕かれ、 顧みる者もなく、 永遠(とわ・エイエン)に 滅びる。 4:21 もし その 天幕(テンマク)の・・・奠混句 綱(あみ・モウ)が・・・編み・編纂 彼らのうちに 取り去られるなら、 ついに 悟(さと・ゴ)ることもなく、 死にうせるではないか』。
・・・「自分や他人の妻を親しみや軽蔑を込めて呼ぶ語」が「かかあ・かか」であるらしが、「カァカァ」、「かぁかぁ」ならば「カラス=鴉・烏」の鳴き声で、「嗄らす」は声をカラスである。ギリシャ語で「カラス」は「素晴らしい」の意味である。歌手の「マリア・カラス」はその意味である。「黒いカラス」も元々はアポロンの情報伝達を担っていた「白いカラス」であったが、伝達内容を間違って「黒色」に変えられてしまったのだ。なぜか、葬儀としての「黒色」イメージのマイナーな色になってしまったのかは「暗闇」そのものだからだろう。結婚式の「白色」は「光の明るさ」そのものだからであろう。ボク的な当て字はは「カラス=化等素」である。「香良洲」は文字からして「馨(香)りが良い川州(津)」で、「漢国・韓国・加羅」の「佳字」としての「当て字」で有ろう。「諸国郡郷名著好字令とは、全国の地名を漢字二文字で書きましょうという命令である。好字二字・佳字・嘉字ともいう)」・・・読みは「カジ」であるが・・・好字(コウジ・カウジ)・佳字(ケイジ・カジ・カイジ)・嘉字(カジ)である・・・ ーー↓↑ーー 「諸国郡郷名著好字令」 全国の地名を 漢字二文字で書きかえよ、 という命令 「好字二字令」、 「好字(嘉字)令」とも呼ばれる 元明天皇の御世、 和銅六年(713年)五月の勅令 漢字を当てる際には 好字(良い意味の字・嘉字・佳字) を用いることした 適用範囲は 郡郷 小地名 山川湖沼 にも及んだ 三文字の地名 も 一字の地名も 「二字」にした 旧国名については 「好字二字令」より以前に 二字に統一しようという動きがあった・・・持統天皇 ↓ ・・・当然、「漢字知識」がなければ「好字・嘉字・佳字」の意味もない。「当て字」と云う「文化」も生まれないのは当然である・・・ 当てた 「同音」の「異字漢字」の表記によって 読(訓)みも、意味も変わった・・・ ーーーーー ヨブ・・・・・与分記 余部記・・・呼ぶ記(紀) ↓ 嚊=はないき・あえぐ息(喘)・かかあ・かか 自分や他人の妻を親しみや軽蔑を込めて呼ぶ語 同義字(同音異字同義漢字)は 「嬶(国字)」=「嚊」=ヒ·かかあ 苦しそうにな息、息切れしている 「あえぐ存在」とは・・・性交時の桃色吐息 出産時の苦痛の女性 喘息(ゼンソク)病状 か 溺れて救助され 息切れしている人 身動きのとれない逃げ場がない人 やりくりでニッチもサッチもいかないヒト 借金でどうにもできないさま 「かかあ=嚊=嬶」は 「かか-ァ」の語尾音の変化 自分の妻または他人の妻を親しんでいう語 また「ぞんざい(存在?・粗雑?)」に呼ぶ語 「嬶」は国字 「嚊 左衛門」=気が強くて男勝りの女房 「かかあ(さ=佐)えもん」? 内助の功は 「鼻っ柱が強い」→鼻祖だから? 「鼻息が荒い女」・・・ 「鼻ではなく、口での呼吸音が拡大」 生理的には「蓄膿症」で「鼻づまり」かも・・・ 「馬の鼻息=口では呼吸ができず、鼻だけで呼吸」 比喩的には 「意気込みが激しい・強気で威勢がよい」 「山内一豊の妻(千代、ちよ、松)・見性院 法号は見性-院-殿-且-潙宗紹劉-大姉」の 「仙台から来た馬売りから 名馬(鏡栗毛)を 臍繰りで買ってあげたコト」かも? ・・「ぞんざい」には本来、該当する漢字も「当て字」もないらしい・・・で、「ぞんざい(存在?・粗雑?)」の使用例とか、その説が色々あるらしいが、「当て字」は使用者がまさに、「漢字」を選んで、その文章の文脈で「日本語(?)」として、漢字を当てたモノであるから悩む必要はないだろう・・・当て字も発明し、新熟語を作ればイイだけのことである。これは「日本文化」デス・・・? 「ゾン=尊(とうとい・みこと)=酋+寸 栫(ソウ・セン・・・・=木+存(一イ子→了+一) たてしば・かこい・ふさぐ) 蠶=蚕(サン・かいこ)=牙+牙+白+虫+虫→中+ム 蚕・・・・・・=天(二人)+虫(中ム) 蹲=(うずくまる・・・=足(口ト人)+尊(酋+寸) かがまる しゃがむ 這い蹲る=ハイつくばる→葉意筑波留) 鱒=(ます)=魚+尊」 「ザイ=座意・覚意」 「ぞんざい」な→「尊大」な=偉そうな口を 効く(利く) よって、「ぞんざい」は「∃=尊座位」・・・ ーーー↓ーーーー 旧約聖書 約伯 記 ヨブ・・・・・与分記 余部記・・・呼ぶ記(紀) 第5章 5:1 試みに呼んでみよ、 だれか あなたに答える者があるか。 どの聖者に あなたは頼もうとするのか。 5:2 確(たし)かに、 憤(おこ)りは 愚(おろ)かな者を 殺(ころ)し、 嫉(ねた)みは 浅(あさ)はかな者を 死(し)なせる。 5:3 わたしは 愚かな者の 根を張るのを見た、・・・根=木(十八)+艮(東北) 音を張る しかし わたしは、 俄(にわ)かに・・・・・似和歌爾 その 住処(すみか)を・・・・棲(素・諏・州)視カ 呪(のろ)った。 5:4 その子らは 安(やす)きを得ず、・・・安来・安木・泰樹・靖樹 町の門で 虐(しえたげ?・しいたげ・ギャク) られても、 これを救う者がない。 5:5 その収穫は 飢えた人が食べ、 いばら(茨・荊・棘・井原)・・・意葉等 の中からさえ、 これを奪う。 また、 かわいた(渇いた)者は・・・・・掛話意多 その財産を あえぎ(喘ぎ・呻ぎ)求める。・・・蛙重擬(擬声) 5:6 苦しみは、 ちり(塵・芥)から・・・・・・・・地理・地利・知里 散 起るものでなく、 悩(なや・ノウ)みは 土(つち・ド)から 生(ショウ・うまれる・うむ・き)じる ものでない。 5:7 人が生れて 悩みを受けるのは、 火(ひ・カ)の子(こ・す・ね・シ)・・・新井白石 天明の大火 が 上に 飛ぶに 等(ひと)しい。・・・比訳史意 5:8 しかし、 わたしで あるならば、 神に求め、 神に、 わたしの事を まかせ(任せ・負かせ)る。・・・巻かせる 5:9 彼は 大いなる事を されるかたで、 測り知れない、 その 不思議な みわざ(ミワザ)は・・・「美和・三輪・三和」 坐(挿・指) 「美和」とは「文」 吉田松陰の妹 杉文 久坂玄瑞の妻 小田村伊之助の妻 後の楫取素彦の妻 数えがたい。 5:10 彼は 地に雨を降らせ、 野に水を送られる。 5:11 彼は 低い者を高くあげ、 悲しむ者を引き上げて、 安全にされる。 5:12 彼は 悪賢い者の 計りごとを敗られる。 それで 何事も その手に なし遂げることはできない。 5:13 彼は 賢い者を、 彼ら自身の 悪巧みによって捕え、 曲った者の計りごとを くつがえされる。 5:14 彼らは 昼も、 やみに会い、 真昼にも、 夜のように 手探りする。 5:15 彼は 貧しい者を 彼らの 口の つるぎ から救い、 また 強い者の 手から救われる。 5:16 それゆえ 乏しい者に 望みがあり、 不義は その口を閉じる。 5:17 見よ、 神に 戒められる人は さいわいだ。 それゆえ 全能者の 懲らしめを 軽んじては ならない。 5:18 彼は 傷つけ、 また 包み、 撃ち、 また その手をもって いやされる。 5:19 彼は あなたを 六つの悩みから救い、 七つのうちでも、 災は あなたに触れることがない。 5:20 ききんの時には、 あなたを あがなって、 死を免れさせ、 いくさの時には、 つるぎの力を免れさせられる。 5:21 あなたは 舌をもって むち打たれる時にも、 おおい隠され、 滅びが来る時でも、 恐れることはない。 5:22 あなたは 滅びと、 ききん とを笑い、 地の獣をも 恐れることはない。 5:23 あなたは 野の石と 契約を結び、 野の獣は あなたと 和らぐからである。 5:24 あなたは 自分の天幕の 安全なことを知り、 自分の 家畜の おりを 見回っても、 欠けた物がなく、 5:25 また、 あなたの子孫の多くなり、 その すえが 地の草 のようになるのを 知るであろう。 5:26 あなたは 高齢に達して墓に入る、 あたかも 麦束を その季節になって 打ち場に 運びあげるようになるであろう。 5:27 見よ、 われわれの 尋ね きわめた所は このとおりだ。 あなたは これを聞いて、 みずから知るがよい」。 ーーーーー ・・・詞文の様である・・・
・・・10月25日ですか・・・曇天だが時折、陽が射すが、寒いデス・・・身体に堪(こた)えるな・・・むかし、北海道(蝦夷地・渡り島)にやってきたヒトビト、寒冷地の雪の季節には堪え難いエラさだったろう・・・探検家、冒険家の記録もスゴイ・・・今現在の蝦夷地は「暖房のある居住地」であり、「酪農業地」であり、「漁業地」であり、「探検地」ではなく、「観光地」ではあるらしい・・・「観光」に来る人々は自分自身の「出生地・出身地」の日常生活の故郷、地元の「風景、歴史のスバラシさのイイもワルイも」に気がつくのは「旅行後のコト=住めば都ョ」だろうが・・・「情報網が発達」した現在では世界各地、地球近辺の宇宙空間の若干の情報も、景色も映像画面で観るコトが出来る。そして「地球規模が故郷」であるがコトがワカルが・・・コレを壊そうとしているのは「カミ」ではなく、「人間」らしい・・・ ・・・「弘前城(青森県弘前市)は解体せずに曳屋(ひきや)の天守・・・北西に約70メートルの仮天守台に無事着座」ですか・・・「6年後に再び元の位置に戻す」らしいい・・・ 「土耳古」出身の人々も「国家のハタ」なんかで殴り合いをするよりもその「近代西洋思想である民主化(?)された選挙制度」の意味をジックリと噛みしめるべきであある。デモで死んだ人々は武力衝突で愚かな殺傷に反対した犠牲者である。クルド人の人々は国境のない自らの存在に誇りを持つべきである。地球の人類に「国境」は必要ない・・・「人間が造る国家」は「白蟻の世界」にも劣る・・・「人間」の天敵は「人間」である・・・ 今度は「四国電力-伊方-原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の再稼働」ですか・・・地球規模で壊す道具はワンサカである・・・「六年後」に今現在の「地球」があるんだか、ないんだか・・・地球は痘痕(あばた)でアナボコだらけカモ・・・ ーーーーー 旧約聖書 約伯 記 ヨブ 記・・・与分 余部記・・・呼ぶ記(紀) 第6章 6:1 ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部 は 答(こた・トウ)えて 言った、 6:2 「どうか わたし(私・ム・ワタシ)の ・・・・ワタシ・ワタクシ 渡し・渡詞 和託詞・話多駆使 ワタ(海)句詞 海神(わたつみ) わた=綿・棉・草綿 アオイ科ワタ属の植物の総称 アジア綿 メン) ・エジプト綿 海島綿・陸地綿 江戸時代に栽培されたのは インドワタの変種 わた=腸 内臓・はらわた 魚のハラワタ 綿=メン・わた・もめん 綿糸・綿布 海綿・原綿・純綿 石綿 木綿 (もめん) 脱脂綿 植物の名 綿花(メンカ)・綿実油 連なるさま 綿綿・纏綿 (テンメン) 綿(メン)=戦国時代以前、古代や中世では 蚕の繭から作られた 絹の真綿(まわた) 綿(メン・わた・つらなる・まさ ます・やす) 羅紗棉(緬・棉)=らしゃめん 細長く続く繊維をもったわた わたの糸のように、細く長く続く まつわり(纏わり)つくさま 細い糸状の絡まり まとわりつく・まつわりつく 絡みつく・引っ付く・つきまとう 離れない ねば(粘)つく→根葉通句 纏わる(伝承)ハナシ まつラわぬ民 まつロわぬ民=服従しない民 憤(おこ)りが 正(ただ)しく 量(はか)られ、 同時(ドウジ)に・・・同字・童子 同地 道地・・・北海道 道寺・・・道成寺(安珍・清姫) わたし(ワタシ)の・・・話多詞 災(わざわい・サイ)も、・・・技(伎・業・和座)話異 はかり(秤)に・・・・・・・・葉掛理 かけ(架)られるように。・・・掛・懸・賭 書・描・画 駆・駈・斯 掻・欠 加計 化卦 6:3 そうすれば、 これは 海(うみ・カイ)の 砂(すな・サ)よりも 重(おも)いに 相違(ソウイ)ない。 それゆえ、 わたしの 言葉(ことば・ゲンヨウ)が 軽率(ケイソツ) であったのだ。 6:4 全能者の 矢(ヤ)が、 わたしのうちにあり、 わたしの 霊(たましい)は その 毒(ドク)を飲み、 神の恐るべき軍勢が、 わたしを 襲(おそ・かさねる・シュウ)い 攻(せ・コウ)めている。 6:5 野驢馬(ろば)は、 青草(あおくさ)のあるのに 鳴(な)くであろうか。 牛(うし・ギュウ・ゴ)は 飼葉(かいば・シヨウ)の 上(うえ・かみ・のぼる・あがる・ジョウ)で うなる(唸る・呻る)であろうか。・・・得名留 6:6 味(あじ・ミ)のない 物は 塩(しお・エン)がなくて 食べられようか。 すべりひゆ・・・・・素部理比喩(日比) 統べり比喩 滑 り莧 スベリヒユ(滑り莧) スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物 山形県では「ひょう」 他の別名は バシケン(馬歯ケン) うまびゆ 蜻蛉草(とんぼぐさ) 同属は「マツバボタン」 の しる(汁)・・・・・知る・・・散る 詞留・史留・詩留・氏留 は 味(あじ・ミ)が あろうか。・・・・・阿賂得乎(掛・化) 6:7 わたしの 食欲(ショクヨク)は これに 触(ふ・ショク)れること を拒(こば・キョ)む。 これは、 わたしの きらう(嫌う)・・・厭・否 食物のようだ。 6:8 どうか わたし の求(もと・キュウ)めるものが 獲(え・カク)られるように。 どうか 神が わたしの 望(のぞ・もち・ボウ)むものを くださるように。 6:9 どうか 神が わたしを 打ち滅ぼすことを よしとし、 み手を伸べて わたしを 断(た・ダン)たれるように。 6:10 そうすれば、 わたしは なお 慰(なぐさ・イ)めを 得(え・う・トク)、 激(はげ・ゲキ)しい 苦(くる・にがい・ク)しみの 中(なか・あてる・チュウ)にあっても 喜(よろこ・キ)ぶであろう。・・・㐂 悦ぶ・歓ぶ・慶ぶ わたしは 聖なる者 の言葉を 否(こば・いな・ヒ)んだことが ないからだ。 6:11 わたしに どんな力があって、 なお 待たねばならないのか。 わたしに どんな終りがあるので、 なお 耐え忍ばねばならないのか。 6:12 わたしの力は 石(いし・いわ・セキ)の 力(ちから・リキ・リョク)の ようであるのか。 わたしの肉は 青銅(セイドウ)の ようであるのか。 6:13 まことに、 わたしのうちに助けはなく、 救われる望みは、 わたしから追いやられた。 6:14 その友(とも・ユウ)に 対(タイ・ツイ)する いつくしみ(慈・愛)を・・・自愛・・・地合い さし控(ひか)える者は、・・・差し控える→見合わせる 全能者を 恐(おそ・キョウ)れることを すて(捨)る。・・・・・・・棄てる 素手留 6:15 わが兄弟たちは 谷川(たにがわ・コクセン)のように、 過ぎ去る 出水(でみず・シュッスイ)のように 欺(あざむ・ギ)く。・・・・欺瞞・詐偽・詐欺 嘘 6:16 これは 氷(こおり・ヒョウ)のために 黒(くろ・コク)くなり、 そのうちに 雪(ゆき・セツ)が 隠(かく・イン)れる。 6:17 これは 暖(あたた)かになると 消え去り、 暑(あつ・ショ)くなると その所から なくなる。 6:18 隊商は その道を転じ、 むなしい(虚しい・空しい)所へ行って 滅(ほろ・メツ)びる。 6:19 テマ・・・・手間・弖(氐)間 ・・・デマ・出魔・・・噂さ・囁き・風聞 デマゴキー(demagogy)=流言飛語 の 隊商(タイショウ)は・・・・対象・対称・対照 大正・大将・対症 これを望み、 シバ の 旅人(たびびと・リョジン)は・・・呂人(尋) 侶人(訊) 太安万侶 路人・・・乞食→古事記 魯迅・露人 rosin=ロジン 松脂(まつやに)から テレビン油の蒸留後の残留物 炉心融解(core meltdown) これを 慕う。 6:20 彼らは これに たよったために 失望し、 そこに 来てみて、 慌(あわ・コウ)てる。 6:21 あなたがたは 今 わたしには このような者となった。 あなたがたは わたしの 災難を見て 恐れた。 6:22 わたしは 言ったことがあるか、 『わたしに与えよ』 と、 あるいは 『あなたがたの 財産のうちから わたしのために、 賂(まいない)を贈れ』・・・埋意名意 と、 6:23 あるいは 『あだ(仇・敵)の・・・・徒・空 阿拿・蛙拿 婀娜 手から わたしを 救い出せ』 と、 あるいは 『虐(しえたげ?・しいたげ・ギャク)る 者の手から わたしを 贖(あがな・ショク)え』 と。 6:24 わたしに教えよ、 そうすれば わたしは黙(だま・モク)るであろう。 わたしの誤(あやま・ゴ)っている所を わたしに悟(さと・ゴ)らせよ。 6:25 正しい言葉は いかに力のあるものか。 しかし あなたがたの戒(いまし・カイ)めは 何を戒めるのか。 6:26 あなたがたは 言葉を 戒めうると 思うのか。 望みの絶えた者の 語ることは 風のようなものだ。 6:27 あなたがたは、 みなしご(孤児・ミナシゴ)・・・視名詞語 のために 籤(くじ・セン)を・・・・・・・句字 ひき、 あなたがたの友をさえ 売り買いするであろう。・・・・・葉意葉異 博打で友人、家族を売買 6:28 今、 どうぞ わたしを見られよ、 わたしは あなたがたの 顔(かお・ガン)に向かって 偽(いつわ・にせ・ギ)らない。 6:29 どうぞ、 思いなおせ、 間違(まちが)ってはならない。 さらに 思いなおせ、 わたしの 義(ギ・よし)は、 なお わたしのうちにある。 6:30 わたしの 舌(した・ゼツ)に 不義(フギ)があるか。 わたしの口は 災(わざわい・サイ)を 弁(わきま・ベン)えることが できぬであろうか。 ーーーーー ・・・付議(フギ)の禍(わざわい)を「弁証法」で出来ぬコトは無い・・・が・・・
・・・「愚痴」ぽいなッ・・・ヨブは・・・「Gucci(?)」のドコがイイんだか・・・「グッチ(Guccio Gucci)=1881~1953・イタリアの皮革職人・1921年フィレンツェに自身の店を開き、鞄を中心とした皮革製品を販売・事業は息子らに引き継がれ、皮革のほか衣服・時計なども扱う服飾ブランドなどの会社」ですか、「原価は何も意味を持たない。むしろ商品の値段が高ければ高いほどそれを所有することの価値も高くなる」・・・ なるほど、だが「ネコに小判」でもある。「市場商品価格」は「上下」する。「投資=博打」で買った今現在の北海道の「原野商法」での「土地」、「金融商品券」、使用目的ではない「投資=博打」の高級マンションも柱一本の傾きで「所有者の価値も、市場価格」もサガルのが鉄則である。 公共施設から「銅製品の部品」を盗んでいたヤツらも「銅価格」が下落しては「商売あがったり」だろう・・・ このコトバは「市場(私情)の需要供給=インフレ・デフレ」の「私有財産としての商品市場(私情)価格の表裏」を突いているんだろうが「使用価値」は。「飢餓に瀕し、食うコトのみの状況=エンゲル係数100%」の人間にとっては意味がない。「市場商品価格=交換価格」は「価値」では無い。「価値」とは本来「使用価値」と云うコトだ。「生産物の原価」こそが、「生産原価→交換価格→使用価値」との関係性で「本質的」な「価値の意味」を持つのさ。一度は「原価計算」で、その原価の内容を知るべきであろう。 「オイコノミア」は「経済学」ではなく、「プチブル損得カンジョウの心理学」である。 「グッチ」が学んだのは「金持ちの王侯、貴族の心理」である。そして、「イイ使用価値」としての、一般大衆にも手にできる職人としての「大量加工生産の革製品」であった。「エリザベス二世にプレゼントを」と側近侍従から進言され、彼は「鞄(かばん・ホウ・ビョウ)を女王に「進呈」したらしいが、女王一行が去った後、「金も払わん乞食はもう来るな」と発言したらしい。なるほど、この世の中には「タダのモノ」はない、である・・・ 「カバン(鞄)」は外来語だと思っていたが、調べてみると ↓↑ 明治二十二(22)年の国語辞書(言海)に記載 それ以前は、革手提・革袋・革包が当て字だったらしい 「胴乱(かばん・ドウラン)」は明治十年頃までの当て字 「夾板(キャバン)」で中国語からの訛り 英語は「 bag・satchel・briefcase・attaché case」 「kabas(オランダ語)」からの訛り で、語源不詳らしい・・・調べていたら「フィリピン戦線の手記」らしく、 「・・・福田主計中尉は連隊長に同行して カバン-グラサン地区で渡河 (大戦の果ての山野に第四章山峡を越えて(飢餓の山峡)の文章から)」 があった・・・ 兵士の 「背嚢(ハイノウ)」なら 「ランドセル(ransel・オランダ語の訛り) satchel(英語)で 日清、日露戦争で使用したモノだが 」 ↓↑ 「グッチ商品」だが・・・その商品市場では「王様も貴族も使用している」と云う心理を大衆に利用した「ブランド特許商品」としてのであったろう。「御用達商品」と云うコトだ・・・当時のファシスト(国家社会主義)政権にもオモネいた「商売上のコトバ」であったのかも・・・ で、ハナシはトブが、「国家社会主義」は存在しても、「国家」が存在する限り「共産国家」などは存在しないのであり、「存在しなかった」のである。「国家≠共産主義=思想」であり、言葉が矛盾しているのだ。「国家」とは「階級支配国家」であり、「共産主義」とは字面通りの全地球規模の「人間社会の生産物の共産=共有=共同使用」である。ここには「選択の自由競争」が無いのか?・・・「自由は有る」、だが「思想」として「難民になる自由選択」、「戦争で殺傷する自由選択」、「貧困で死亡する自由選択」、「権力出世・私有財産保有、生産物の投機的市場価格の自由はない」・・・そもそも、「自由」とはコレラからの「階級支配の抑圧的な社会制度からの解放」と云うコトである。「ナマケモノになる」、「勝手気ままに」と云うことではない・・・では、今現在の「自由」とは「生産原価の交換価格を自由に選択出来る」と云うことである。ダレが?・・・カネがあれば、ダレでも、であるが・・・命の長短はカネで買える可能性はあるが、「寿命」はカネで選択できない・・・「ミダス王」もそうだった・・・ で、貧乏人には「最低限の生活の衣食住の使用価値」こそが問題である。小さいレタス一個が200円、キュウリ一本が100円の「販売価格」じゃァ、食べたくても、とても買う気にはならない。買っても腐らしてしまえば食糧としての「使用価値」もなくなる。だが、腹の足しにもならない、吸わなくても命には支障がなく、寧(むし)ろ、健康に害があるらしい「タバコ(わかば)」、ワンカートンを2500円で買ってしまう・・・「グッチの真理なのか、心理なのか」・・・ ーーーーー 旧約聖書 約伯 記 ヨブ・・・・・与分記 余部 記・・・呼ぶ記(紀) 第7章 7:1 地上の人には、 激しい 労務があるではないか。 また その日は 雇人の日 のようではないか。 7:2 奴隷 が 夕暮を慕うように、 雇人が その 賃銀を望むように、 7:3 わたしは、 むなしい月を 持たせられ、 悩みの 夜を与えられる。 7:4 わたしは 寝るときに言う、 『いつ 起きるだろうか』 と。 しかし 夜は長く、 暁まで ころびまわる。 7:5 わたしの肉は うじ と 土くれとを まとい、 わたしの皮は 固まっては、 また くずれる。 7:6 わたしの日は 機 の ひより も 速く、 望みを もたずに消え去る。 7:7 記憶せよ、 わたしの命は 息にすぎないことを。 わたしの目は 再び 幸を見ることがない。 7:8 わたしを 見る者の目は、 かさねて わたしを 見ることがなく、 あなたが わたしに 目を向けられても、 わたしはいない。 7:9 雲が消えて、 なくなるように、 陰府に下る者は 上がって 来ることがない。 7:10 彼は 再びその家に帰らず、 彼の所も、 もはや 彼を認めない。 7:11 それゆえ、 わたしは わが口を おさえず、 わたしの霊の もだえ によって語り、 わたしの魂の 苦しさによって 嘆く。 7:12 わたしは 海であるのか、 龍であるのか、 あなたは わたしの上に 見張りを置かれる。 7:13 『わたしの 床は わたしを慰め、 わたしの 寝床は わが嘆きを 軽くする』 と わたしが言うとき、 7:14 あなたは 夢をもって わたしを驚かし、 幻をもって わたしを 恐れさせられる。 7:15 それゆえ、 わたしは 息の止まることを願い、 わが骨よりも むしろ 死を選ぶ。 7:16 わたしは 命を いとう。 わたしは 長く生きることを 望まない。 わたしに 構わないでください。 わたしの日は 息に すぎないのだから。 7:17 人は何者なので、 あなたは これを大きなものとし、 これに み心を とめ、 7:18 朝ごとに、 これを尋ね、 絶え間なく、 これを 試みられるのか。 7:19 いつまで、 あなたは わたしに 目を離さず、 つばをのむまも、 わたしを 捨てておかれないのか。 7:20 人を 監視される者よ、 わたしが 罪を犯したとて、 あなたに 何をなしえようか。 なにゆえ、 わたしを あなたの的とし、 わたしを あなたの 重荷とされるのか。 7:21 なにゆえ、 わたしの とがをゆるさず、 わたしの不義を 除かれないのか。 わたしは いま 土の中に横たわる。 あなたが わたしを尋ねられても、 わたしはいないでしょう」 ・・・
2022年8月7日現在
あれから
まだ、ボクは生きているけれど・・・
ー↓↑ー-- ・・・???・・・ ↓↑ ↓↑
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