「需=雨+而」⇔而=髪(カミ)を梳(ト)くモノ
2022/9/3・土曜日・・・追加添文・・・
「アマルナ(Amarna)の宗教改革」・・・
「あま」+「るな」・・・
紀元前1417年ごろ~紀元前1362年
エジプト
第18王朝
「アメンホテプ4世」
の改革の影響により
世界初の唯一、一神・・・「統一教会」
「アテン神」が崇拝された・・・
アテンは恵みをもたらし
神たる王を守護する神であり
アテンは
アメンホテプ4世とその王族だけの為の神・・・
王の「私有のカミ」・・・「統一教会」・・・
「玉ぐし料」・・・
玉串=神に供える
米や魚、野菜、お酒など
現在での玉串料の意味
元々の「玉串」という意味とはあまり関係なく
神道の儀式で一般的にやり取りされる「お金」・・・
↓↑ ↓↑
「カミ」も「生贄の多寡のブンパイ」次第・・・
「私有財産の放棄」・・・ムリ・・・
「他有財産」ってナニ?・・・・「資本=私有労働のアマリ=他人の財産」
「宗教改革」=「政治改革」=「経済改革」=「人間改革」=「脳内改革」
「私有財産=私有人体=私有脳みそ」・・・
朝ご飯には「目玉焼き」と「味噌汁」と「野菜の漬物」・・・
↓↑
「需=雨+而」・・・形而上(観念・思惟)・形而下(事物・事象) 「需要&供給」 「濡=氵+需=ぬれる」 ・・・水(みず)と 雨(あめ)で 而(カミ=髪と ヒゲ=鬚・髭・髯・比解・卑下・日下)が 濡(ぬ)れる 「需=雨+而」 ↓↑ 而=髪(かみ)を「梳(と)」く 「櫛(くし・コーム=comb」の形象・・・?
何時から「国家」と言うコトバが出来ちゃったんだろ・・・ 共同体の指導者の出現の契機・・・自然災害、人造災害・・・ 「家族」である集団のリーダーは 家族構成員を食わせ、養い、外的から守る父か母である・・・ 父母が健康上に障害、あるいは欠落した場合は 子供の兄弟姉妹のダレかである・・・ その時のリーダーは 男女の性別、 歳の長短のいずれかは問わなかっただろう・・・ 家族のリーダーシップを摂る人間は 飢えからの回避する為の 知力、体力、行動力、 外敵からからの暴力に対抗する為の 統率能力を有する者で その時の家族構成の事情、状況によっただろう・・・ 家族生活、社会生活をする スベテの生物の生活のあり方は つくづく「ダーウインが来た」の 観察映像で知らされてきた・・・ 生物の生命生活とは 食うために 生産活動で採取し 狩猟活動で攻撃、捕獲し 外的から身を守る為に 個々としても、組織員としても 防衛活動をする 人間も含めて 生命活動の限界枠内で 基本的な生き方は「お変り無し」でアル・・・ 饑饉・飢饉・飢餓 ↓↑ 「餓死(starvation)=食物の摂取を絶たれ 栄養失調から死に至ること」 「人間の餓死=ヒトは、理論上は水分の補給さえあれば 絶食状態で2~3ヶ月程度生存が可能 この限界を越えれば餓死に至る」 (by 「wikipedia.org/wiki/餓死」)・・・ 「72000kcal(体内蓄積脂肪10kg) ÷ 2000kcal(1日消費熱量) = 36日」 (by 「知恵袋」) どっちにしても結構、しぶとく生きるコトが出来るらしい・・・ 「絶食状態で2~3ヶ月程度生存」とは驚きだが・・・ ↓↑ ・・・「子供が保護者から虐待を受け食事を与えられずに餓死」 ・・・「拒食症での餓死」 ・・・「国民防衛軍事件=朝鮮戦争中の1951年1月 韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが 国民防衛軍に供給された 軍事物資や兵糧米などを横領し 横領により 9万名余りの韓国軍兵士が餓死した 事件の黒幕は 申性模・・・「申(サル)の性(サガ)を模(モス)」 韓国 国防部長官が・・・ 不正に兵糧物資を処分・着服したのが原因」 by (wikipedia.org/wiki/国民防衛軍事件) ・・・「尖閣諸島戦時遭難事件・1945年7月3日午後2時頃 アメリカ軍機が日本の疎開船団を攻撃撃沈 生存者は尖閣諸島に漂着 戦闘と飢餓などにより50人以上が死亡・・・ (乗船者180人余のうち死亡75人・沖縄県史) 尖閣諸島戦時遭難事件について 生存者の多くが口を閉ざし 明らかになったのは1974年 日本政府は、犠牲者は恩給対象外とし 特別支出をすべき事情も無い、としている」 by (wikipedia.org/wiki/尖閣諸島戦時遭難事件) ーーーーー 「飢え・飢饉=饑饉・食糧不足」の対策には・・・ 「備蓄された剰余食料」の「管理」人と その「提供」の「協力」人と、 その「公平配分」する「分配」人が必要だ 「社会主義組織」とは 「上下関係のヒエラルキー」 ↓↑ ・・・ヒエラルキー (独語 Hierarchie、ヒエラルヒー 卑重(稗)羅留比意? 日枝羅留日出 日枝神社=山王信仰の比叡山麓(滋賀県大津市)の 日吉大社より勧請を受けた神社の社号 788年(延曆七年) 最澄が地主神として 天台宗・延暦寺の守護神とし 寺の周囲に結界を定め その地主神を比叡山の 「諸山王」として 比叡山延暦寺 東塔に 比叡社の 山王=「大物主神(おほものぬしのかみ)」 を「山王」とし祀った ↓↑ ↓↑ 英語 hierarchy、ハイァラーキ) 葉意鴉羅阿記? 拝アラー記? 825年(天長二年) 天台宗の第二代座主 圓澄=円澄が 延暦寺の西塔に 八王子山の磐座の神である 大山咋神が勧請し 小比叡峯に 小比叡神として 山王=「大山咋神(おほやまくいのかみ)」 とし祀った ↓↑ ↓↑ 「山王」は東塔と西塔で二極化し 円珍に夢で入唐を勧めた 「山王明神」を、自身の坊に祀って 大比叡神(東塔) 小比叡神(西塔) 比叡山王(山王明神) の「両所三聖」が成立した ↓↑ ↓↑ 968年(康保五年) 972年(天禄三年) 延暦寺の第十八代座主 比叡山中興の祖 良源により 大比叡神(東塔) 小比叡神(西塔) 聖真子(横川)の 「地主三聖」が成立し 山門派・寺門派の分裂の切っ掛けとなった・・・ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ・・・ヒエラルキー =階層制や階級制 ピラミッド形に上下に序列化された ↓↑ 位階制の秩序や組織 で 組織化された「武装組織」である ・・・軍隊アリ(蟻)・・・白 アリ(蟻) アリ(蟻、螘)・・・蟻=虫+義(羊の我) 螘=虫+豈(山の豆) ・・・豆の形態=勾玉⇔胎児 御玉杓子=カエル(蛙)の子 未成魚 稚魚・幼魚 幼生⇒仔魚⇒稚魚⇒幼魚(未成魚)⇒成魚 壹與=「十一冖豆」をアタエル 豆=脚付き、ふた付きの食器 黒灰色の土器で,、竜山文化以降つくられ 青銅製もつくられた 日本の高坏 (たかつき) 中国では礼器 ・・・蜜 バチ(蜂)・・・蜂蜜⇔密教 ・・・密=日曜=太陽=大日=摩訶毘盧遮那如来 肢長ハチ(蜂) 雀 バチ(蜂)=胡蜂 端赤雀蜂・端黒雀蜂 ハエ類、ミツバチ類、トンボ類を捕食 攻撃性は高く、巣に近づいたものは執拗に追跡 ・・・「サムライ(侍・武士)アリ」の種族・・・ 戦闘と支配に特化した、奴隷狩りをする サムライアリに支配される クロヤマアリ(黒山蟻) ↓↑ ↓↑ サムライアリ(侍蟻)・学名 Polyergus samurai ハチ目(膜翅目)・アリ科・ヤマアリ亜科 クロヤマアリ(黒山蟻・Formica japonica) などの巣を襲って 働きアリやその蛹を攫い 「奴隷」として働かせる サムライアリの新女王は クロヤマアリの巣に単身で侵入し その巣の女王を殺して巣を乗っ取る ↓↑ ↓↑ ↓↑ 奴隷アリ=テムノトラックス・ロンギスピノスス サムライアリの幼虫の養育放棄 時に積極的にサムライアリの幼虫を殺す 反乱を起こし 集団で主人のサムライアリを襲う だがサムライアリの武力で 反乱した奴隷アリは鎮圧され皆殺し 反乱で棄命する奴隷アリと 奴隷に甘んじる奴隷アリは ・・・奴隷刈りされる一族の絶滅を防ぐ・・・? by 「asahi2nd.blogspot.com/2017/12/4.html アリは本来自由であった」・・・? ・・・ハキリアリ(葉切蟻)=Leaf-cutter ant・Leaf-cutting ant 女王アリ 大型兵隊アリ、大型働きアリ 中型兵隊アリ、中型働きアリ 小型兵隊アリ、小型働きアリ 繁殖に生まれるオスアリ 分業形態の四肢で 農業国家(巣)を守る 葉っぱを切って集め 集めた葉っぱを培地、肥料にして アリタケ(蟻茸) キノコ(茸・菌・木の子)を栽培 アリマキ(蟻牧)・・・アリに外敵から守ってもらい 共棲(共生)するアブラムシ(油虫) ・・・強請・矯正・恐喝? 蟻に「牧虫」されるアリマキ・・・ アリマキの師管液には大量の糖分が含まれ アリはこれを食料としている アブラムシは 虫癭(チュウエイ・虫瘤=むしこぶ・gall 寄生による植物組織にできるコブ状の突起) を形成する ーー↓↑ーー 食べ物を得る・食い物を得る・・・ 働かなくちゃぁ~・・・ 自分の為の食い物を得る前に・・・カネがぁ~・・・ 他人の為に働かなくちゃぁ~・・・カネがぁ~ ↓↑ 物々交換の市場での「交換媒介物=金銭・貨幣・紙幣」の登場・・・ ・・・「富の源泉」・・・「交換価値物」の蓄積の多寡・・・ 「交換価値」物(貨幣)としての 「使用価値」の交換格差・・・インフレ⇔デフレ・・・為替変動 「好感・交換・交歓・交感・巷間」の 「質量」の格差・・・? ・・・「詐欺・搾取」・・・「ぬすむ」って? 単純な「足し算」と「引き算」の算数 「会稽=会計」・・・ナゼ、「会稽=會稽」 ↓↑・・「計其道里,當在會稽、東冶之東(魏志倭人伝)」 「三國志・卷三十 魏志・烏丸・鮮卑・東夷傳 第三十 倭人傳. 撰者 西晉(晋)朝 陳壽(寿) 計其道里 當在-會𥡴-東冶之東. (会稽-東治之東) 」 冶=冫+ム+口 異体字「𠘦=冫+䖝+䖵+皿」 とける・いる・なまめかしい・ヤ 熔かす・鋳る・金属を精錬する 冶金(ヤキン)・鍛冶(タンヤ・かじ) なまめく・なまめかしい 艶冶(エンヤ) 李冶(1192年~1279年)=李𠘦 金末から元初にかけての数学者の名 「天元術=代数学の問題の解法」を発展させた 字は仁卿、号は敬斎・真定 欒城の出身 金の1230年に進士・河南・鈞州の知事 1232 年にモンゴル軍の侵入で鈞州を脱出し隠退 ↓↑ 治=氵+ム+口 おさめる・おさまる・なおる・なおす チ・ジ はる=治 多治比県守(たじひのあがたもり) 多治比県守(おほのハルヒあがた守)? 720年 征夷大将軍として初見の人物・・・ 天智天皇7年(668年) ~ 天平9年6月23日(737年7月25日) 多治比氏(多治、丹治、丹比、丹治比) ↓↑ ↓↑ ↓↑ 第28代 宣化天皇・・・父=継体天皇 母ー尾張目子媛(尾張連草香女) 皇后, 橘仲皇女 子女, 石姫皇女 小石姫皇女倉稚綾姫皇女 上殖葉皇子 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 勅旨をのべ伝える・宣旨文書 宣(のたまい)を化す 建小広国押楯命(古事記) 武小広国押盾天皇(日本書紀) ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 上殖葉皇子(かみつうえはのみこ・かみつうゑはのみこ) ↓↑ ↓↑ ↓↑ 十市王・・・十市姫=弘文天皇(大友=伊賀の皇子)の妃 ↓↑ 天武天皇(大海人皇子)と額田王の娘 「鮒の包み焼きに密書を隠して 父親(大海人皇子)に 夫側(大友=伊賀の皇子)の情報を流した」? 高知県長岡郡 「十市村」・・・「拾・足」のイチ? 「村=むら=閭・闒・閭・邨・茽 邑・党・群・羣・黨」 村=木+寸 異体字「榯・屯・𡵭・邨」 ・・・駐屯・屯田兵・・・ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 多治比彦王・・・多(おほの)治比彦(はるびこ)? ↓↑ ↓↑ ↓↑ 多治比嶋=多治志摩(624」~701) 妻=家原音那・・・加減の音名? 兄弟=三宅麻呂、(丹治真人家範 ?) 682(天武朝)年宮廷で活躍、多治比氏の地歩 「公姓」を改め 「眞人姓」を授かる ↓↑ ↓↑ ↓↑ ・・・真人=眞人=七+県+人 =佐賀の七賢人? 鍋島直正=弘道館・好生館・種痘普及 反射炉の設立・大砲の鋳造 大隈重信=立憲改進党・憲政党・内閣総理大臣 早稲田大学 副島種臣=外務卿・樺太境界線・中国人奴隷解放 江藤新平=司法卿、廃藩置県、三権分立、議会の開催 島 義勇=蝦夷・樺太探検・北海道開拓判事 大木喬任=東京府知事・民部、文部、司法卿 文部卿・学制・学校令・教育勅語 佐野常民=パリ万国博覧会視察・赤十字 博愛社(日本赤十字社)創設 人道博愛精神 女真(眞人)⇔天渟中原瀛(眞人) by プラトンの七賢人 クレオブロス・ペリアンドロス・ピッタコス ビアス・タレス・キロン・ソロン ↓↑ ↓↑ ↓↑ 690(持統朝)年右大臣・太政大臣=高市皇子 701年42文武朝正二位、左大臣・藤原不比等=大納言 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 多治比県守 717年~718年 養老の遣唐使で遣唐押使を務めた 720年・・・日本書紀 按察使、征夷将軍などを歴任 729年 長屋王の変で臨時の参議 後、中納言、正三位 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 治癒 世の中をおさめる・政治・治水・治療 病気をなおす・病気がなおる 灸治(キュウジ)・湯治・難治・不治・療治・主治医 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 手塚治虫=目医者・眼科医・「鉄腕アトム」 が出来る人間の必然的な登場である ↓↑ 「武力(暴力)で支配した 領域に住む人々に対する 命令と 収奪 生殺与奪権を 有すると主張した 人間(族長)組織 あるいは その組織を支配する族長の独裁組織」 ↓↑ 「国家」=「みかど・ミカド・帝(天皇)・御門」 「朝庭(みかど・おほば)」 「天皇の居所=大殿にあった大門⇒御門(みかど)」 「その前庭を朝庭(みかど)」 「遠(とほ)の朝庭(みかど)」 =都から遠く離れた行政官庁(大宰府や国府) そこへ派遣される官人 「大君の遠の朝廷」 あるいは 「スメロキの遠の朝廷」 「天皇の領知する遠方の世界」 原文 by 「万葉神事語辞典」 「the mikado=みかど=昔、外国人が日本の天皇に対して用いた敬称」 「天下を治める最高君主」 ↓↑ 国家(こっか) 国境線で区切られた国の領土に成立する政治組織 その地域に居住する人々に対して 統治機構を備えるもの 領域と人民に対して 排他的な統治権を有する (生殺与奪の権利を独占する) 政治団体もしくは 政治的共同体である 政治機能により 異なる利害を調整し 社会の秩序と安定を 維持していくことを 目的にし社会の組織化をする またその地域の住民は国家組織から 「国民」 あるいは 「公民」 と定義される by 「wikipedia.org/wiki/国家」 ↓↑ 国(くに、こく) 住民・領土・主権 及び 外交能力(他国からの承認)を備えた 地球上の地域のこと ほとんどの国が憲法を成文法で作成し 自国の権利や能力を他国に表明している by 「wikipedia.org/wiki/国」 ↓↑ 国家 一定の領土と国民と 排他的な統治組織とをもつ政治共同体 また一定の地域 (領土) を基礎に 固有の統治権によって 統治される継続的な公組織的共同社会 by 「kotobank.jp/word/国家」 ↓↑ 国家の「消滅」・・・「196か国を消滅」させる・・・ 「国家」をどのように考えるか?(3) http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2018/07/12/「国家」をどのように考えるか? http://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/page/1 ーー↓↑ーー 邑=口+巴 くに・みやこ・むら・うれえる・・・唈える ・・・邑える?・卹・憂える・愁える・戚える ユウ・オウ 領地・食邑・邑落 忿邑 於邑(オユウ)・村邑(ソンユウ)・都邑(トユウ) 邑=囗+巴 囗=村の囲い 巴=跪(ひざまず)いている人 合わせて「邑=村・都」 邑犬群吠(ユウケングンバイ) 小人がこぞって集まり 人の噂さなどを盛んに言い合うこと 小人が多く賢人を非難するたとえ 愚者が賢者を非難する喩え 村里にすむ犬が群がって吠えるの意 『楚辞』九章 屈原(B.C.343~B.C.277)の作った 「懐沙(カイサ)の賦(フ)」 「誰が清潔の身に汚れた垢など受けようか 揚子江の流れに身を投げて 魚の腹中に葬られた方がましだ 節操を守り、義に死するだけである」 屈=尸+出 異体字「𡕜・𡲒・𡲗・𡲬・𡲶・𣮈・詘・诎・𧬲」 かがむ・かがめる・ちぢむ・おれまがる 屈曲・屈折 くじける・負けてしたがう 屈辱・屈服 ゆきづまる・きわまる 窮屈 つよい 屈強 詰屈(キックツ)・窮屈(キュウクツ) 後屈(コウクツ)・退屈(タイクツ) 卑屈(ヒクツ) 倔=亻+屈 異体字「𥪊・誳・𩋎・崛・崫 𠡰・𡶏・𡼿・𡽈・𥖚」 つよい・クツ・ゴチ 倔強=倔彊 つよい(彊い) 彊冨(キョウフ)=富んで強い つとめる・はげむ 自彊(ジキョウ)=自ら勉めて励む さかい・くにざかい=疆 疆=弓+土+畺=国境を弓で守る 疆=土+彊 異体字「彊・壃・畕・畺・疅」 さかい・かぎる・かぎり・はて キョウ 疆宇・疆土 無疆 さかい・境界=疆域・疆界・辺疆 果て・限り 無疆・彊記 新疆=新的疆土=新しい領土 new frontier=辺境・開拓地 ウイグル=回鶻・廻紇・畏兀児・維吾爾 Uyghur 袁紇・烏護・烏紇・韋紇 迴紇・回紇・迴鶻・回鶻 =テュルク語で「同盟・協力」 モンゴル帝国、ジュンガルへの服属を経て 18世紀半ばにジュンガルを清朝が滅ぼすと 「ムスリムの土地」を意味する「回疆」 また 「失った土地を取り戻す」を意味する 「新疆」と呼ばれた・・・ タリム盆地 ジュンガル盆地 東トルキスタン(イリ地方) 一帯に独立的な軍閥を形成した 盛世才-政権が 1934年に「ウイグル=維吾爾」という 呼称、漢字表記を定めた 盛世才 字は晋庸・・・「新疆王」 1917年明治大学留学 日本陸軍大学校に留学 1930年・新疆の軍官学校の教官に任命 1933年・新疆省臨時督弁に推挙 8月・新疆辺防督弁に任命 1934年 3月・新疆省政府主席に任命 1949年・国民政府と共に台湾に逃亡 遼寧省開原生まれ 1892年1月8日(清光緒17年12月初9日) 1970年(民国59年)7月13日台湾で死去 1892年1月8日~1970年7月13日 辛卯(甲 乙)食神・正官 病⇔庚戌 辛丑(癸 辛 己)食神・食神 墓⇔癸未 己亥(戊 甲 壬) ・劫財 胎⇔甲午 辰巳=空亡 ーーーーー 島津亜矢さんが「クイーン (Queen) 」の 「Bohemian Rhapsody」を歌った・・・ Too late,your & me time has come, Sends shivers down your& me spine- Bodys aching all the time, Nothing really matters, Anyone can see, Nothing really matters-, nothing really matters to you & me, Any way the wind blows…. ・・・??? ーーーー↓↑ーーー 国・國・六合・邦・郁・那・故郷・邑 徳川光圀=水戸黄門の御老公 ↓↑ 彰考館 寛文十二年(1672)春 光圀は駒込屋敷の史局を 小石川上屋敷 故世子綱方の旧殿に移し 彰考館と名づけた 中国晋代 杜預の 「春秋左氏伝序」にある 「彰往考来」 (過去を明らかにして 将来行うべき道を考える) という語句を光圀みずから選んだ ↓↑ 寛永九年(1632年) 水戸城に入城 寛永十年(1633年)十一月 光圀は世子に決定 翌月には江戸小石川邸に入り 徳川頼房の付家老 中山信吉が水戸へ下向して行われ 第三代将軍 徳川家光や英勝院の意向もあった 翌寛永十一年(1634年) 英勝院に伴われて 徳川家光に拝謁 ↓↑ 承応三年(1654年) 前関白 近衛信尋の娘 尋子(泰姫)と結婚 ↓↑ 明暦三年(1657年) 駒込邸に史局を設置 紀伝体の 『大日本史』の編纂作業に着手 ↓↑ 万治元年(1658年)閏十二月二十三日 妻・泰姫が21歳で死去 ↓↑ 寛文元年(1661年)七月 父 徳川頼房が水戸城で死去 家臣の殉死を禁じ 光圀は自ら殉死の噂された家臣宅を廻り 「殉死は頼房公には忠義だが 私には不忠義ではないか」 と問いかけ殉死をやめさせた 幕府の殉死禁止令はその2年後 8月19日 水戸藩28万石の第2代藩主となる 『桃源遺事』 寛文二年(1662年) 町奉行・望月恒隆に水道設置を命じた 望月は笠原不動谷の湧水を水源と定め 笠原から細谷まで全長約10kmを埋設した 岩樋でつなぐ笠原水道を着工 約1年半で完成 ↓↑ 寛文三年(1663年) 領内の寺社改革 村単位に「開基帳」の作成 寛文五年(1665年) 寺社奉行2人を任じ 翌年寺社の 破却・移転などを断行 開基帳には 2,377寺が記されているが 処分されたのは 1,098寺 破却は713寺 神仏分離を徹底 藩士の墓地とし 特定の寺院宗派に属さない 共有墓地を 水戸上町・下町に設けた (常磐共有墓地 ・酒門共有墓地) 長勝寺 (潮来市)や願入寺(大洗町) などについては支援・保護 静神社(那珂市) 吉田神社 (水戸市) などの修造を助け 神主を京に派遣、神道を学ばせた ↓↑ 寛文五年(1665年) 明の遺臣 朱舜水 を招く 朱舜水は 天和二年(1682年)死去 瑞竜山に葬られた ↓↑ 延宝元年(1673年) 鎌倉で 英勝寺を拠点として名所・名跡を訪ね 旅の記録を 『甲寅紀行』(1674年) 『鎌倉日記』(同年)として纏めた 貞享二年(1685年) 「鎌倉日記」をもとに 河井恒久らにより 地誌『新編鎌倉志』が編纂 ↓↑ 延宝七年(1679年)頃 諱を光圀に改める(光圀52歳) ↓↑ 貞享~元禄の初め 建造した巨船 快風丸を使い 蝦夷地探検を三度行う 二度目までは松前までの航海 元禄元年(1688年) 三度目は松前から北上して石狩まで到達 ラッコやトドの皮などを積んで帰還 光圀の死から3年目に快風丸は解体 ↓↑ 元禄三年(1690年)十月十四日 幕府より隠居の許可 養嗣子の 綱條が水戸藩主を継いだ 翌十五日、権中納言に任じられた 十一月二十九日 江戸を立ち 十二月四日 水戸に到着 元禄四年(1691年)五月 久慈郡 新宿村 西山に建設された 隠居所(西山荘)に隠棲 佐々宗淳ら60余人が伺候 ↓↑ 水戸藩領 那須郡 馬頭村近隣の 湯津上村(旗本領)にある 那須国造碑の周辺の土地買い取り 佐々宗淳に命じて 碑の修繕、鞘堂の建設 碑のそばの 古墳(上侍塚・下侍塚)を 那須国造の墓と推定し発掘調査 翌元禄五年(1693年)四月に終了 六月 光圀が湯津上村を訪れ 那須国造碑と両古墳を視察 古墳の調査を終えた 同年四月 佐々を 楠木正成が自刃したとされる 摂津国 湊川に派遣し 楠木正成を讃える墓を建造 光圀の筆をもとに 「嗚呼忠臣楠氏之墓」と刻む 藩医であった 穂積甫庵(鈴木宗与)に命じて 『救民妙薬』を編集 薬草から397種の製薬方法を記させた ↓↑ 元禄六年(1693年)から数年間 水戸藩領内において 八幡改めまたは八幡潰しと呼ばれる 神社整理 神仏習合神である 八幡社を整理し、神仏分離を図った 藩内66社の八幡社の内 15社が破却 43社が祭神を変更 ↓↑ 元禄七年(1694年)三月 五代将軍 徳川綱吉の命により 隠居後江戸にのぼり、小石川藩邸に入った 十一月二十三日 小石川藩邸内で 幕府の老中や諸大名、旗本を 招いて行われた 能舞興行の際 重臣の 藤井紋太夫 を刺殺 光圀が自ら能装束で 「千手」を舞ったのち 楽屋に紋太夫を呼び 問答の後 突然刺殺 紋太夫が 柳沢吉保と結んで 光圀の失脚を謀ったため・・・ 元禄八年(1695年)一月 光圀は江戸を発ち、西山荘に帰った ↓↑ 元禄九年(1696年)十二月二十三日 亡妻・泰姫の命日に落飾 ↓↑ 元禄十三年十二月六日(1701年1月14日) 食道癌で死去・・・・食道癌・・・半分は飢えカモ・・・? 享年73(満71歳没) ↓↑ 明暦三年(1657年) 駒込邸に史局を設置 紀伝体の歴史書 『大日本史』の編纂作業に着手 ↓↑ 万治元年(1658年)閏十二月二十三日 ↓↑・・・萬の年の元の年・・・太安万(萬)侶・・・ 和銅五年(712年3月9日・古事記完成) 1月4日・正税を向こう3年は無利子 12月2日・運脚の福利の勅 運脚=担夫=脚夫 貨物をになって運送した人夫 調,庸 (→租・庸・調 ) を ↓↑ 地方から京師に運んだ 妻・泰姫が21歳で死去 ↓↑ 寛文五年(1665年) 明の遺臣・朱舜水を招く ↓↑ 延宝七年(1679年)頃 諱を光圀に改める(光圀52歳) 天和三年(1683年)に改名したとの説 「圀」字は則天武后の 「則天文字」の一字 ーーーーー ・・・???・・・「國=囗+或=囗+口+一+戈」・・・ 或=ある・あるいは・もしくは・ワク =不確かなもの、未知のものを示す語 「或問」・・・「古史通或問」は新井白石の著書 1716年 「正徳六年丙申三月上澣 筑後守従五位下-源-朝臣-君美-撰」 「古史通」の付録「古史通或問・三巻」 「誘惑」 「魅惑」 聝に作る(或字)・・・感・減・緘(緘口令) 鍼(はり⇔鍼灸)・憾(遺憾) ・・・「咸=厂+一+口+戈」⇔「或」 異体字「鹹」 みな・すべて・カン・ゲン 口を封じる・口を閉ざす 馘=首+或 くびきる・カク 異体字「𩠲・𩉕・聝・䤋・𢦛」 ーーーーー ???・・・カンコクジジョウ・・・
「囚首喪面(シュウシュソウメン)」 終 始 双 面? 「囚=囚人」 「首=頭⇒髪」 「喪=喪中の人」 髪を梳かさない囚人のように乱れた髪 顔を洗わない喪中の人のように汚れた顔 顔や髪を整えないこと 容貌を飾らないことのたとえ (蘇洵「弁姦論」)・・・強姦の弁の論? ↓↑ 蘇洵 唐宋八家(唐、宋代の八人の文章家の一人) 蘇軾(東坡)の父 「弁姦論(ベンカンロン)・唐宋八家文」 「弁姦=恩人の見分け方」 ・・・ベンカン=弁韓・冕冠・弁官・便管 弁韓=紀元前2世紀末~4世紀 朝鮮半島南部に存在した三韓の一 馬韓、辰韓、弁韓(弁辰) 弁辰とも・弁韓は12の諸小国に分立 後に加羅 (から)・任那 (みまな) 6世紀に新羅に併合 ↓↑ 「大姦は忠に似たり」 「宋史-呂誨伝」 「劾安石曰、大姦似忠、大詐似信」 「王安石」を弾劾した 御史中丞 呂誨(リョカイ) ・・・呂=背骨の形象・ならんで続くの意 侶=「膂=旅+月」で背骨) ↓↑ ↓↑ 呂禦梅・・・呂を禦す梅(梅里=徳川光圀?) 唐朝の学者 朝鮮氏族の 咸陽呂氏の始祖 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ・・・咸陽郡ー大韓民国 慶尚南道にある郡 朝鮮半島南東部に位置する行政区 全羅南道、全羅北道、慶尚北道に接する 慶尚=慶州(新羅の古都) と 尚州を組み合わせ「慶尚」 この周辺地域を慶尚道 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 前350年 中国 咸陽 秦の 孝公が 流域の関中に築いた都 陝西省の省都 西安の北西 渭水の北岸 始皇帝の統一で秦の都が全中国の首都 始皇帝は 咸陽に天下の富豪12万戸と移住させた ↓↑ ↓↑ ↓↑ 渭水・・・渭=氵+胃=氵+田+月 渭樹江雲(イジュコウウン) 遠くにいる友人を気遣うこと 「渭樹」=渭水のほとりの樹木 「江雲」=長江の空に浮かぶ雲 渭水の北の地にいる 杜甫が 長江にいる 李白を思って詩を作った 渭川漁父(イセンのギョホ) 太公望=呂尚 優れた能力をもつ人物のたとえ 「渭川」=渭水 「漁父」=漁師・・・ 呂尚は、周の文王に見出された人物 渭浜之器(イセンのウツワ) 渭浜漁父(イヒンのギョフ) 渭浜漁父(イヒンのギョホ) 渭=氵+田+月・・・ 謂=言+胃・・・謂れビコ・・・磐餘彦・・・ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 呂禦梅・・・呂を禦す梅(梅里=徳川光圀?) 唐朝の 翰林学士 翰林院=唐の玄宗が ↓↑ 738年(開元二十六年)に 設けた翰林学士院が起源 唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所 元代には国史院と統合され 「翰林国史院」と呼ばれていた 明代には旧に復し「翰林院」 「大順(順=1644年に明朝を倒した 李自成が建国 内地18省を実効支配 満洲や新疆東部に羈縻機構を設置 建国当初は西安を首都 李自成が北京を攻略後 北京を改めて首都)」 では 「弘文館」・・・ 江戸初期の林家の家塾 ↓↑ ↓↑ ↓↑寛永七年(1630) 林羅山が江戸上野忍岡に創立 元禄三年(1690) 五代将軍 徳川綱吉が湯島に移し 後の「昌平坂学問所」 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 水戸藩「弘道館」 弘道館=水戸藩主 徳川斉昭によって創設された学校 天保十二(1841)年 青山延于 (のぶゆき) ↓↑ ↓↑ ↓↑会沢安を総裁として開校 水戸藩「彰考館」 寛文十二年(1672)春 徳川光圀は 駒込屋敷の史局を 小石川上屋敷故世子 綱方の旧殿に移転し 「彰考館」とした 館名は、中国晋代 杜預の「春秋左氏伝序」 にある 「彰往考来」 (過去を明らかにして 将来行うべき道を考える) という語句 ↓↑ ↓↑ ↓↑ と呼ばれた 清代では 皇帝直属の 秘書室で書物の編纂、詔勅の起草 「貯才の地」ともいわれ 有為な人材を確保し、勉強や実務の見習 必要があるときに中央官庁や地方の要職に任命 学問や政治の最高の人材が揃う Academy (アカデミー)と英語訳 ↓↑ ↓↑ 黄巣が反乱 ↓↑ ↓↑ (黄巣=唐末の反乱指導者=塩商人 874年~10年間 全土を転戦しながら反乱を指揮 姓・諱 黄巣 諡号 承天応運啓聖-睿文-宣武-皇帝 ↓↑ ↓↑ 国号 斉) の時期に 新羅に帰化し 慶尚北道星州郡の 碧珍面に定着・・・碧の珍の面 高麗時代に典書を務めた ↓↑ ↓↑ ↓↑ 誨=言+𠂉+母=カイ(クヮイ) 知らない者を教えさとす 誨(おし)える 誨淫・教誨 訓誨(クンカイ・訓戒) 誡誨(カイカイ) 教誨師=監獄内の受刑者へ 徳性涵養のため講説する者 受刑者にその非を ↓↑ 悔い改めよと教えさとす人・・・後悔・更改・・・ の 『弁姦論』にある言葉・・・ム(よこしま・私)+廾(こまぬく・拱) 弁(辨・瓣・辯) 弁(弁当) 辨(辨官・辨捌・辨証) 瓣(瓣膜・花瓣) 辯(辯明・辯説・辯護) ↓↑ 蘇 洵(ソ ジュン) ↓↑ 蘇=よみかえる・よみがえる・蘇生・蘇我 蘇=艹+魚+禾(ノ十八) 丿=ヘツ・へチ=経通・経知 ↓↑ ・・・洵=氵+旬=氵+勹+日 「上旬・中旬・下旬」は 1カ月30日を10日ずつに分けた 旬=10日間=干の陰陽サイクル 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 洵=氵(水が)勹(包む)日=壬癸 まことに・本当に 涙が流れる うずまき(渦巻き・竜巻)・・・津波? 栒=木+旬 異体字「簨」 栒=木+旬=木+勹+日 シュン 鐘(ショウ)・磬(ケイ) などを掛けるための台の横木 左右の柱は「虡」 バラ(薔薇)科の木 ↓↑ 蘇 洵(ソ ジュン) 大中祥符二年四月二十五日・・・「大中祥符中、天下大蝗」 (1009年5月22日) ~ 治平三年四月二十五日 (1066年5月21日) 北宋時代の文人・唐宋八大家の一人 蘇軾・蘇轍の父 字は明允 老翁井という泉のそばに亭を結んで 老泉と称された 眉州 眉山(四川省眉山市東坡区)の出身 唐の前期に 眉州刺史を務めた 蘇味道・・・・・蘇(よみがえらす)味(あじ)の道(みち)? の次男の 蘇份の末裔 ・・・蘇の份=イ+分 =分=八+刀 =邠=分+阜 あきらか・うるわしい ↓↑ ヒン・フン 蘇 洵は・・・よみがえらして「洵=浮か」ばせる 蘇我いるか(入鹿・海豚)・・・蝦夷の俘囚・浮浪児 至和・嘉祐年間(1055年~) ↓↑・・・至(いたる)和(倭・話・輪・窪・環) 日本 干支=乙未 天喜三年 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 中国 北宋 至和二年 遼 重熙二十四年・清寧元年 ↓↑ 西夏 福聖承道三年 蘇軾 蘇轍の二子を連れ都に行き 翰林学士であった 欧陽脩に・・・欧=歐=匚+品+欠 =体を曲げてかがむこと =は(吐)く・もどす 欧羅巴=欧州の略 ↓↑ 陽=阝+昜(日一勿)・・・≠易 左辺の阝=阜(こざと)=𠂤+十 𠂤=つちくれ・タイ・シ =丿+㠯 通仮字「魁」 異体字「堆」・・・タイ=碓 右辺の阝=邑(むら・くに) 脩=イ+丨+攵+月=修 =ほじし・おさめる・ながい シュウ 干し肉・束脩 脩身・ながい・脩竹 棗脩(ソウシュウ) ↓↑ 束脩(ソクシュウ) 「権書」 「衡論」ほか二十二篇を献呈 ↓↑ 宰相 韓琦・・・韓の琦(王奇)? の計らいで 舎人院・・・舎の人のイン に召されたが 病気を理由に辞退 秘書省・・・秘の書 校書郎となる 後に 太常寺・・・太の常の寺(字・事・時・示)? の命を受け 覇州 文安県・・・文案に懸ける?・・・文・在?・・・虎相のW文? ↓↑ 文・喜(ムン・ヒ? 1945年3月3日) 乙酉(庚 辛)・偏財比肩 建禄 戊寅(己丙甲)・印綬偏印 胎 辛未(丁乙己) 偏印 衰 戌亥=空亡・・・ナルホド・・・ ↓↑ ・・・厚顔無恥・・・ホトケのカホも・・・ナンカイ・・・ 主簿の禄を受け 陳州 項城令・・・項(工の頁)の条の令・・・1965年? 姚闢・・・姚=女+兆=オンナのキザシ ↓↑ 美しい ヨウ(エウ)・ヨウ(エウ) 闢=門+辟=ひらく左右に押し開く しりぞける 闢・開闢 壁・城壁・外壁・牆壁 ・障壁・岩壁・絶壁 璧・完璧・双璧 和氏の璧⇔厲王・足切 碧・碧玉・碧瑠璃玉・碧海 ・碧空・碧水・碧潭 ・紺碧・丹碧 劈・劈開・劈頭 さく・つんざく・ひきさく 擘・ハク・バク おやゆび・さく・つんざく 特にすぐれたもの 巨擘・擘裂・巨擘 躃・𧾷+辟=足が不自由 異体字「躄」 悶絶躃地 苦しみ悶え転げまわること 癴躃(レンビャク)・痙攣 甓・瓦甓(ガヘキ) =塼・専・磚・甎 僻・僻地・僻隅・僻案 ・僻見・僻在・僻説・僻論 𠒱=辟+儿 ひがむ・拗(すね)ねる 𠪮=狭い 霹・霹靂(ヘキレキ)=礔礰 癖・潔癖・性癖・盗癖・難癖 避・避難・回避 𪇊=鳥+辟=鷿鸊䴙𩁊 𪇊鷈・𪇊鵜(ヘキテイ) カイツブリ(鳰) 澼=水+辟=氵+尸+口+立+十 ただよい・ただよう ヘキ・ヒャク・ケキ 辟=𡰪+辛 =尸+口+立+十 =尸+口+辛 𡰪=異体字「䐁・ぶた」 ↓↑ ・・・壁を造る意味?・・・トランプ? と 建隆・・・建の隆・・・隆(西郷隆盛)を建? (960年~963年) ↓↑=宋朝最初の元号 元年正月甲辰(4日) 陳橋の変 趙匡胤・・・北宋の初代皇帝 開封で後周の 恭帝から禅譲を受け皇帝即位 元年乙巳(5日) 国号を宋とし、 建隆と建元 2年 杯酒釈兵権 4年2月 荊南が宋に降る 4年4月 建隆応天暦が施行される ↓↑4年11月 乾徳と改元 以来の 礼書を編纂 太常院革礼100巻をつくり 完成後すぐに死没 光禄寺丞を贈 ↓↑ 蘇洵は 王安石が 新法を実施するより以前に死去しているが 蘇洵の『弁姦論』が 新法・旧法の争いの時代に 「姦」が 王安石 のことであるとされた ↓↑ 王 安石(オウ アンセキ) 天禧五年十一月十二日 (1021年12月18日) ~ 元祐元年四月六日 (1086年5月21日) 北宋の政治家・詩人・文章家 字は介甫 号は半山 撫州臨川(江西省撫州市)の人 「新法党の領袖」 「神宗」の政治顧問となり 「制置三司条例司」 を設置して新法を実施 政治改革・・・ 「仁宗」に上奏した 「万言書」は名文 唐宋八大家の一人 儒教史上、新学(荊公新学)の創始者 『周礼』『詩経』『書経』 に対する 注釈書 『三経新義』 を作り、学官に立てた ↓↑ 1067年(熙寧二年) 神宗に一地方官から 皇帝の側近、 翰林学士に抜擢され ↓↑ 1069年 副宰相となり、政治改革 ↓↑ 「王安石の新法」 大商人・大地主達の利益を制限 中小の農民・商人たちの保護 ↓↑ 1058年 「万言書」 と呼ばれる 建白書を 仁宗に奏上 ↓↑ 1067年 神宗が即位し 王安石は抜擢 ↓↑ 1069年 富弼が宰相となり 参知政事(副宰相) 政治を主導 煕寧二年~九年 王安石は 呂恵卿・曾布 と一緒に 富国強兵をめぐって次々と新法を実施 ↓↑ 第一 国家供給の調整と 商人に対する制限 均輸法・免行法・市易法 均輸法=都の実需と在庫状態を調査させ 「貴を徙して賎に就け、 近を用いて遠に易える」 「便宜蓄買」させ 従来の定額制より 供給が保障され 政府の支出と民の負担を軽減した 市易法=市易務を設け 商人が財産を抵当に入れて 二割の利息を払って 政府から融資をうけたり 平価で買い付けた貨物を掛売り 最初は都に実施された市易法 後にほかの商業都市にも実施 免行法=政府への物品供給を引き受ける 開封の各業種の商店が 利潤の多寡によって 市易務に免行銭を納め 従来の順番に現物。人力を 政府に提供することを廃止するもの 免行法の実施後 宮廷が雑売場と雑買務を通して 物品を購入 商人の利益を保護しながら 政府の収入増加を目指した 第二 国家と農民との関係を調整する政策 農業生産を発展させる措置 青苗法・募役法・方田均税法・農田水利法 青苗法=凶年に備える 常平倉・広恵倉の 銭穀を元金として 正月と五月という端境期に 自由意志で農民に貸付をし 収穫のときに 夏秋の両税と一緒に返済する 農民が高利貸しの 搾取を避けながら 政府も利息の収入を得られる ことになった。 募役法=免役法 宋代 家庭の財産収入状況によって 戸の等級が分けられ 戸等によって 順番に衙前などの州県の小役人を担当 このやり方を廃止し 州県の官庁によって 役人を雇う形に変わった 毎年の雇用経費は 州県官庁がその予算を作り 戸等によって割り当てて 免役銭を納めさせる 従来の小役人を担当しないと 女戸も相応する戸等で 免役銭の半額である助役銭を納めた 政府の収入が増加 役を担当しなかった特権者も 役銭を納めなければならなくなった 方田均税法=毎年九月に土地を測量し 肥沃の程度によって帳簿に登録 それによって納税額を決めた 地主の脱税を防止し 政府の土地税が増収した 農田水利法=戸等によって資金を寄せ集め 水利工事を興すこと 王安石の地方官時代の拡大化 第三 統治基盤と軍事を強化する措置 将兵法・保甲法 将兵法=北方の各路に百余りの将を設け 各将に 実戦経験と武芸を有する 正・副将を置き、軍事訓練 将兵法が行われる州県では 地方官は軍政に関与できない 実施は軍隊の戦闘力を高めた 保甲法=農民を十家で一保 五保を一大保 十大保を一都保とし 一家庭に二人の成年男子がいれば 一人が保丁を担当し 住民の中で財力と能力がある人によって 保長・大保長・都保長を担当させる 同じ保の人が 相互に監督し、治安を維持 農閑期には軍事訓練 保甲法の実施目的 農村に民兵組織を立て 軍事費を節約し 地方自治による反乱防止 戦時に兵隊に徴兵編入できること ↓↑ 王安石は科挙と学校教育制度の改革 王安石の『三経新義』は教科書とし 人材養成を目指す三舎法が実施 既得の利益が犯される 改革の理念が違うとか 王安石の新法は 内外から強い反対があったが 改革は長く堅持された ーーーーー ・・・???・・・「原文=by ウィキペディア(Wikipedia)」・・・
・・・知らない世界を・・・教えてくれるモノ・・・好奇心 流氷の鉄分・・・Fe・・・フェ・・・鉄分・・・ヘモグロビン? ↓↑ ヘモグロビン(hemoglobin)=ヒトを含む全ての脊椎動物や 他の動物の血液中に見られる 赤血球の中に存在するタンパク質 酸素分子と結合し 肺から全身へと 酸素を運搬する役割を担っている ヘム=2価の鉄原子とポルフィリンから成る錯体 (英語:Haem、米語:Heme、ドイツ語:Ham) 赤色素を有す グロビン=球状タンパク質の一群 ・・・白血病=造血細胞が腫瘍化したもの・・・ ↓↑ 鉄分が流氷に含有され、 海底の鉄分も流氷の渦巻きで海上に浮遊する なんで、「鉄=金(キン)を失す(ウス)」?・・・なんだか・・・ 「失=𠂉(カミさしの)+一(イチ・壱・壹の)+人(ひと)」の憂い? 「失の「うしなう」という字義とは何の関係もない」・・・? デワなく、関係、大有りだろう・・・ 漢字は「点と線」で記録構成され 表示されること自体が「象形・形象」である 勿論、「同形類字の音声」も伴うが、 「表音文字」ではなく 原則は「視覚認識」される「形象表意文字」である・・・ ↓↑ アイヌ民族を支援する新法案を閣議決定 アイヌ民族の地位向上などを目指して 「先住民族」と初めて明記・・・ 蝦夷(えみし、えびす、えぞ) 大和朝廷歴代中央政権から見て 日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方) 北方(現在の北海道地方) などに住む人々の呼称 ↓↑ 俘囚(フシュウ)・・・囚=囗+人=とらえる・とらわれる ・シュウ ↓↑ 繋囚(ケイシュウ)・獄囚・女囚 俘囚(フシュウ)・捕囚(ホシュウ) 幽囚(ユウシュウ)・虜囚(リョシュウ) 罪囚 囚首喪面(シュウシュソウメン) 囚人・囚縛(シュウバク) 囚(とらえる) 囚獄(ひとや) 囚人(めしゅうど) 泅(シュウ)=氵+囚=氵+囗+人 ↓↑ 水の上に浮かぶ・泳(およ)ぐ 陸奥・出羽の 蝦夷のうち 朝廷の支配に属するようになった者 日本の領土拡大によって 俘囚となったもの 捕虜となって国内に移配されたもの 二種の起源 戦前戦中に 戦時捕虜の身分にあるもの ↓↑ 大和と蝦夷の戦争 大和へ帰服した 蝦夷男女が集団で強制移住させられた 移住目的 同族から 裏切り者として 報復や侵略される危険性があり 生命の安全と生活の安定化を望んだ 公民意識から 皇化させようとした朝廷側の意図 朝廷は国司に 「俘囚専当」を兼任させ 監督と教化・保護養育に当たらせた ↓↑ 俘囚は 定住先で生計が立てられるようになるまで 俘囚料という名目で 国司から食糧を支給され 庸・調の税が免除された 実際には移配俘囚が 定住先で自活することはなく 俘囚料の給付を受け続けた・・・生活保護? ↓↑ 俘囚は 狩猟、武芸訓練が生活の特徴 俘囚と公民百姓の差異に対応するため 812年(弘仁三) 朝廷は国司に対し 俘囚の中から優れた者を 夷俘長に専任し 俘囚社会における 刑罰権を 夷俘長に与える旨の命令を出し 9世紀 移配俘囚は 国内の治安維持のための 主要な軍事力として位置づけた(国衙軍制) ↓↑
俘囚が有していた 狩猟技術・武芸技術は 乗馬と騎射であり 俘囚の戦闘技術は 武士たちへ大きな影響を与え 俘囚が使用していた 蕨手刀(わらびてとう・わらびてがたな・わらびてかたな) 柄頭(つかがしら、柄の先端部)が 蕨の若芽のような形態を呈する 日本の鉄製刀の一種 初期の形状は柄と刀身が直線的で直刀 後、東北地方では、刃が上を向くように 柄に反りを生じるようになる 蕨 手刀が 毛抜形蕨手刀(太刀の起源) ↓↑ ↓↑ ・・・「毛抜形太刀(けぬきがたたち)」 平安時代中期頃に登場した太刀 日本刀の原型 ↓↑ 「衛府の太刀」、「俘囚野剣」とも ↓↑ に発展し、日本刀の起源の一つ は武士が使用することとなる 毛抜形太刀 へと発展 俘囚の戦闘技術は 武士へと継承されていった ↓↑ 813年頃 出雲国「荒橿の乱」 875年 「下総俘囚の乱」 883年 「上総俘囚の乱」(寛平・延喜東国の乱) など 俘囚による騒乱が発生 原因は 俘囚らによる処遇改善要求 897年(寛平九) 移配俘囚を 奥羽へ送還する政策 全国へ移配されていた俘囚は 奥羽へ還住 奥羽俘囚 陸奥・出羽にとどまった俘囚は 同じ地域の朝廷派の人々と異なり 租税を免除されていた・・・ 陸奥・出羽の国衙から 食糧と布を与えられ 代わりに、服従を誓い、特産物を貢いでいた 俘囚たちは 無税の条件を基盤に 交易をも利用した 俘囚長を称した 安倍氏 (奥州) 俘囚主を称した 出羽清原氏 俘囚上頭を称した 奥州藤原氏・・・ 奥州藤原氏の滅亡後 鎌倉幕府は 関東の武士を送り込んで 陸奥・出羽を支配 俘囚の地位は一般化 ↓↑ 蝦夷外(日本人)の俘囚 『続日本紀』 神護景雲三年(769年)十一月二十五日条 蝦夷ではないのに 俘囚となった例が記述 陸奥国牡鹿郡の俘囚である 大伴部押人 が朝廷に対し 先祖は 紀伊国 名草郡 片岡里の 大伴部直(あたい)といい 蝦夷征伐時に 小田郡 嶋田村 に至り、住むようになったが 子孫は蝦夷の捕虜となり 数代を経て 俘囚となってしまった・・・ 今は蝦夷の地を離れ 天皇の徳の下で民となっているので 俘囚の名を除いて 公民になりたいと願い出たため 朝廷はこれを許可した・・・ 宝亀元年(770年)四月一日条 父祖は天皇の民であったが 蝦夷にかどわかされ 蝦夷の身分となってしまったと主張 敵である 蝦夷を殺し、子孫も増えたため 俘囚の名を除いてほしいと願い出 朝廷がこれを許可・・・ ーーーーー 渡党(わたりとう) 『諏訪大明神絵詞』(1356年)記録 14世紀初頭 蝦夷島に居住していた3つの集団のひとつ 道南 (北海道渡島半島を中心とする地域)の住民 他の2集団は 北海道太平洋側のアイヌ 日ノ本(ひのもと)・・・日本 と 日本海側のアイヌ 唐子(からこ)・・・唐(中国)人の子 ↓↑ 渡党は 「和国の人」と 津軽海峡を往来して交易 渡党は境界的な性格をもつ交易民で 和人系アイヌ・アイヌ系和人 の両属的集団・・・ 逃亡や流刑で 本州から蝦夷島に渡った人々の子孫・・・ ↓↑ 『諏訪大明神絵詞』成立後の 14世紀後半から 和人の北海道への進出が本格化 15世紀には 渡島半島南端に 和人の館が築かれ 『福山秘府』などの松前藩の文献では 道南十二館の館主は渡党 『寛永諸家系図伝』では 松前氏の祖 武田信広は 和多利党(わたりとう)の頭目・・・和の多(おほの)の利 アイヌと交易活動を行っていた ↓↑ 延文元年(1356年)・・・延す文の元(もと)の年 『諏訪大明神絵詞』によると 「蝦夷カ千島」には 日の本 唐子 渡党 の三種が住んで 渡党は髭が濃く多毛であるが 和人に似て言葉が通じ 津軽や外が浜に往来し 交易に従事した・・・ ↓↑ 蝦夷地南部に居住し 活動範囲は 北は 胆振勇払の鵡川から 後志の余市 南は 下北半島 津軽半島一帯に及んでいた ↓↑ 蝦夷(えぞ・アイヌ) 鎌倉幕府 北条氏より 蝦夷管領(蝦夷代官)に任ぜられた 安藤氏(安東氏)の支配下に置かれ 蝦夷と見なされ 配下の武将を 道南十二館に配置していた ↓↑ 康正二年(1456年) 安藤氏の後裔 安東政季は 茂別館館主の 安東家政(下国守護) 大館館主の下国定季(松前守護) 花沢館館主の蠣崎季繁(上国守護) の3名を「守護」に任じ 他の館主を統率させた 長禄元年(1457年) コシャマインの戦い 永正九年(1512年) ショヤ・コウジの戦い を通じ 蠣崎(かきざき)氏・・・蠣=虫+厲=虫+厂+萬=かき(牡蠣) 異体字「蛎・蠇・𧖄」 イタボガキ科の二枚貝の総称 厲=厂+艹+禺(甲冂ム) といし・あらと・とぐ みがく はげしい・きびしい・するどい はげむ・はげます=励・厲行 えやみ・疫病・厲疫 や(病)む・しいたげる わざわい・たたり 災厲(サイレイ)・砥厲(シレイ)・奮厲(フンレイ) 崎=山+奇(大可)=﨑=山+竒(立丁口) 竒=亠+丷(ハ)+可=立+亅+口 =嵜=山+竒 が勢力を拡大 永正十一年(1514年)以降 蠣崎義広が 上国松前 両守護職となり (下国守護 安東氏は既に15世紀末に 蠣崎氏の庇護下) 他の館主に優越 文禄元年(1593年)・・・文の禄の元の年 松前慶広が 豊臣秀吉から 蝦夷島主として承認され 安東氏から独立 江戸時代に 幕藩体制のもと 松前藩が確立 ーーーーー 「参照原文=by ウィキペディア(Wikipedia)」・・・ 「蝦夷カ千島」には 「日の本・唐子・渡党」の三種・・・ 「日の本=日本」
海狗(カイク)=大をネッフ,中をチョキ,小をウネウ アイヌ語=オンネプ(onnep)は 成獣の雌、あるいは雄 海狗とも記され、寒流に乗って金華山沖までくる 三陸で「沖の犬」と呼ばれた 「おっとせい(膃肭臍)」の異名
膃=月(肉)+囚+皿=月(肉)+囗+人+皿 オチ(ヲチ)・オツ(ヲツ) 温=ぬくい・オン・ウン(唐音) 異体字「溫=氵(水)+昷=氵+日+皿=氵+𥁕 「昷=𥁕=皿の上に蓋をし熱気をこもらせる意」 異体字「溫・昷・𥁕」 あたたかい・あたためる 温故(知新)・温存 微温湯 (ぬるまゆ) ・微温 (ぬる) む 温暖・温室・ あたたかさ、寒さ(冷たさ)の目安 囚=囗+人・・・囚人=捕虜・捕囚・罪人 肭=月(肉)+内 月(肉)+內 月(肉)+冂 +入 月(肉)+冂 +人 肥えるさま・「膃肭」は肥えていてやわらかいさま ドツ 肥えてやわらかい・膃肭(オツドツ) アシカ科の哺乳動物「膃肭臍( おっとせい)」 「丸々太った=膃肭」 「膃肭の 臍(ほぞ・へそ )」 ・・・オット(夫)のセイ(精)は臍(毘・へそ)・・・ ↓↑ すいてんぐう=水天狗?⇔海狗(カイク)?・・・沖犬? 「肭獣(トジュウ) 宇仁宇(ウニウ) 海狗(カイク)」 ↓↑ おっとせい=「膃(ヲッ)肭(ト)臍(セイ)」 ↓↑ アシカ科の哺乳類・・・足化・足下・足解・・・タリの解 ↓↑ アシカ(海驢・海馬)には耳たぶがあるが ↓↑ アザラシ(海豹)の耳は穴が開いているだけ 雄は体長約二メートル 雌は約一・四メートル 全身ビロード状の暗褐色の体毛 耳殻と硬い口ひげ 四肢は扁平なひれ状 主食は魚類 一夫多妻 一頭の雄のまわりに 十頭から数十頭の雌が集まる 繁殖地は北太平洋の チュレーニー島(海豹島) ↓↑ ・・・海の豹=鰭脚(キキャク)目 鰭=魚+耆=魚+老+日=ひれ・はた 異体字 「鳍・鮨・䱈・鬐・䰇・𨲘・𩥂・𩥞・𩷾」 鱶鰭=鱶=ふか・さめ(鮫) 魚翅(ユイチー)=尾鰭・背鰭・胸鰭を 乾燥したもの 水でもどし、ゆでて水にさらし 透明の糸状になった食材 耆=老+日=耂(十一ノ)+匕+日 おいる・おさ・たしなむ・としより 年をとる・年寄り 60歳の人 徳のある老人・強権的な人 かしら・長老 強い・いたる・いたす・成し遂げる たしなむ・好む・味わう アザラシ(海豹)科の哺乳類の総称 水豹(スイヒョウ) ↓↑ アイヌ語=「トッカリ」 コマンドル諸島 プリビロフ諸島 冬は南方に回遊し 房総沖まで南下 ↓↑ きたおっとせい おっと かいくじん ↓↑ 肉は強精剤とされ おっとせ・おっとつさい 「血の薬でも後家は忌め膃肭臍」 (俳諧・広原海(1703)) ↓↑ アイヌ語の onnep=中国で膃肭と音訳 臍(ほぞ・へそ)が薬用にされ 本草家に 「海狗腎(かいくじん)」 「膃肭臍」 と呼ばれた ↓↑ 「文明本節用集」に 「膃肭臍 ヲットッセイ」 「伊京集」に 「膃肭臍 ヲットッサイ」 フランシス・ド ミオマンドル?・・・小説「おっとせい」の作者 ↓↑ 水居(スイイ)=水上、水辺に住むこと・ふなずまい 「海狗(あしか) ラッコ 膃肭臍(おっとせい)の族は 毛族にて水居す」 (戦国策‐趙策・武霊王)・・・武の霊の王 水中にすむもの・魚介の類 (呂氏春秋‐孝行覧・本味) ・・・呂の氏 ・・・孝の行を覧よ 孝行=コウコウ=虎羽稿・後考・・・ ・・・本の味(あじ・ミ) ↓↑ ↓↑ ↓↑ 膃肭臍(おっとせい)⇔水豹(スイヒョウ・海豹)⇔海狗(犬)⇔水狗 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 水天宮(福岡県) すいてんぐう・・・水天狗? 福岡県 久留米市・・・「留=畄⇔巣」 留=田+卯=耕地に作物を囲う、とどめる 昴=日+卯=すばる・ボウ・・・刀=卩 卯=𠂎+卩 卯=斧で叩き割る・・・斤=𠂎 昂=日+卬=のぼる・あがる・たかぶる・コウ 異体字「仰・昂」 「卬」=昂・䭹・迎・枊・䩕・䒢 異体字「𠨐」 卬⇔迎抑仰 瀬下町 に鎮座 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 安徳(あんとく)天皇 高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう) 平二位時子(ときこ) を祀(まつ)る 水の守護神 安産・水難よけの神 ↓↑ 神社・社会・会社・・・社?・・・「~こそ・・・である・でない」? ↓↑ 社=礻+土=示+土・・・「社=示+土(十一)」って?「拾う壱」は小想? ↓↑ 礻+十+一 異体字「𡉹・社・土・𣒮・𣴳・𥙭・𥙲・䄕」 やしろ・シャ・ジャ ・・・「八代・八尋」 ・・・「八尋鰐(和邇・わに)」=八丈もある長い鰐?・・・鱷(わに) 鰐(わに)=鋤持神(さいもちのかみ・日本書紀) =佐比持神(さいもちのかみ・古事記) 鸕鶿草葺不合尊┬玉依姫(鰐⇔和邇・和爾・王仁) ▏ 彦五瀬命ー稻飯命ー三毛入野命ー神日本磐余彦尊 稲飯命=(いないのみこと)=稲氷命 「是出於新良國。即為國主。 稻飯命出於-新羅-國王者祖合」=新羅人 「さい」=刀剣・鰐の歯の鋭い様・・・差異・犀? =サイ=「賽(斎)の目」 「サイコロ(骰子、賽子) 賽(さい)・ダイス (dice) 」 「賽は投げられた (alea iacta est)」 ・・・「和邇=わに=王仁(和人・倭人)・和爾・和迩(話似)」? わに⇔あに(兄・阿仁)⇔おに あに⇔おに(鬼・尾似)・・・鬼室? 中大兄皇子=葛城皇子=天智天皇? なかのおほえ 中 大 兄 チュウダイケイ・・・註(注・柱)体系 (台形・大径・碓景・・・小碓+景行)? 645年 6月 12日・・・蘇我の入鹿、蝦夷暗殺 乙巳・壬午・庚辰 鯆(いるか)=魚+甫=フ・ホ 甫=十+丶+用 はじめ・おおきい・ひろい 物事の始まり 男子に対する敬称 尼甫(ジホ)==孔子 男子の美称 海豚(いるか・Dolphin・how it is) 和名抄で「江豚-伊流可」 古事記で「入鹿魚」・・・蘇我入鹿 中国では「海猪・江豚」 フハイ・いるか・海豚の異名 ↓↑ ↓↑ あに=兄・豈、晜、昆、嫂 豈=豈=山+豆=山+一+口+䒑 異体字「岂=山+己」 あに・どうして・反語を表す たのしむ・やわらぐ ガイ・カイ・ケ・キ かちどき=凱旋する際の音楽 凱=豈+几 かちどき・やわらぐ 奏凱(ソウガイ)・八凱(ハチガイ). 凱歌( ガイカ)・凱旋(ガイセン) 凱風(ガイフウ) 凱(かちどき)・凱らぐ(やわらぐ) 凱風寒泉=母親の深い愛情・凱風=南風 八元八凱=「元=善」、「凱=高い徳」 8人の善人、高徳の人物 あに=反語の意をあらわす 「どうして~であろうか」 師を還すときの振・旅の樂なり 欲なり登なりと、 豆に従ひ、豈の屬は皆な豈に従ふ 「海神 所乘駿馬者 八尋鰐(わに)也 是 竪其鰭背 而在 橘之小戸」 土地の神・くにつかみ 土地の神を祭るやしろ お宮・ほこら・祭り ある目的や事業のために 集まった人々 その人たちの作った団体 組合・組織 ↓↑ ↓↑ 昔者社(むかしコソ) 「社」をコソと訓むのは 社に祈願することから 願望の意の助詞「コソ」に 「社」の字を当てるようになった・・・? こそ ある事柄を取り立てて強める意を表す 前にくる語を強調 今コソ別れめ、いざさらば すきコソ上手 おまえコソ・あれコソ・それコソ・・・ 勿来(なこそ)=福島県と茨城県との境界地域 「なこそ」=古語で「禁止」の「な~そ」に 「来(く・カ行変格活用)」の 未然形「来(こ)」が挟まれた 「な来そこ」=「来るな」 「なこそ」の漢字表記 万葉仮名、平仮名の真名(漢字)を用いて 「名古曾・名古曽・奈古曽」と 「名社」と書かれる 漢文の「禁止」の 返読文字「勿(~なかレ)」を用いて 「勿来」と書き「なこそ」と読み下す 「関の名称」であり 「来」に「越」の字を当て 「勿越・莫越」と書く 「莫・勿」は禁止の返読文字 「奥州三関=勿来・白河・念種の三関」 (念種関=鼠ヶ関=念珠ヶ関) ↓↑ ↓↑ 社燕秋鴻(シャえんしゅうこう) 燕と白鳥がすれ違う短い出会い 社交辞令(シャこうじれい) 儀礼的な応対 お世辞の言葉 「辞令」は応答の言葉 社稷之臣(シャしょくのしん) 国家の重職の臣下 「社」は土地の神 「稷」は五穀の神 国家の守り神 「社稷」は国家や朝廷 社稷之守(シャしょくのまもり) ↓↑ ↓↑ 社鼠城狐(シャそじょうこ) 君主や権力者の 威光を笠にきて悪事を働く者 虎の威をかる 「社鼠」は神社に住んでいるネズミ 「城狐」は城に住んでいるキツネ は排除が難しい 城狐社鼠(じょうこシャそ) ↓↑ ↓↑ 宗廟社稷(そうびょうシャしょく) 国家や朝廷、政府 「宗廟」は君主の祖先を祭る建物 「社稷」は土地神と五穀神を祭った建物 祖先を祭った建物と 土地の神と五穀の神を祭った建物 ↓↑ ↓↑ 禑=礻+禺=示+禺 異体字「祦=礻+呉」 さいわい・ゴ 幸せ・幸福 ↓↑ ↓↑ 恭譲王 王瑤 高麗王朝 第34代国王 在位 1389年12月2日~1392年7月31日 姓・諱 王瑤 諡 恭譲大王 至正五年二月五日 (1345年3月9日) ~ 洪武二十七年四月十七日 (1394年5月17日) 父 王鈞 母 国大妃王氏 后妃 順妃盧氏 ↓↑ ↓↑ 王禑 第32代 高麗王 姓は王 名は禑 禑王、驪興王 初名は牟尼奴 恭愍王 と 侍婢・般若の子 恭愍王の後を継いで王位に就く 後 李成桂 の 威化島 回軍により廃位、殺害された 父は 定原府院君鈞 母は 国大妃王氏 妃は 昌成君の娘 順妃盧氏 ↓↑ ↓↑ 1374年 恭愍王が殺され 禑王(辛禑)が即位 倭寇(前期倭寇)平定に功のあった 李成桂・・・元(モンゴル)王朝の武官 太祖 康献大王 1335年10月27日~1408年6月18日 1357年から高麗の武官 李旦(初名:成桂) 字 君晋 小字 仲潔 号 松軒 諡号 康献至仁啓運 応天肇統広勲 永命聖文神武 正義光徳大王 廟号 太祖 元統3年10月11日 (1335年10月27日) ~ 永楽6年5月24日 (1408年6月18日) 父 李子春(桓祖) 母 懿恵王后(永興崔氏) 后妃 神懿王后(安辺韓氏) ↓↑ ↓↑ 神徳王后(谷山康氏) 崔瑩 らが台頭、対明政策で対立 李成桂は 1388年にクーデター(威化島回軍) 禑王の子の 昌王(辛昌)を即位させ 1389年 昌王は王位継承者ではない偽王として殺害 恭譲王を擁立 恭譲王三年(1391年) 科田法が公布 楮貨流通政策が決定 施行前に 高麗王朝が滅亡 ↓↑ ↓↑ 恭譲王から 李成桂への譲位を防ごうとし 鄭夢周 らは李成桂派に殺され 1392年 恭譲王は 李成桂に王位を譲り 杆城に追放 1394年 王命による刺客により 配流先の三陟で子とともに殺された 高麗王室一族は、流刑中、 乗っていた船を沈められ溺死 麗王朝は滅亡 李成桂の 朝鮮王朝がはじまる ーーーーー すいてんぐう=水天狗?⇔海狗(カイク)?・・・沖犬? ↓↑ ↓↑ 松浦 武四郎 文化15年2月6日(1818年3月12日)~明治21年(1888年)2月10日) 戊寅(戊丙甲)偏財・偏財・建禄 ⇔戊子 乙卯(甲 乙)劫財・比肩・帝旺 ⇔甲寅 甲戌(辛丁戊) 正官・ 養 ⇔辛亥 申酉=空亡 ーーーーー ・・・???・・・すいてんぐう=水天狗?⇔海狗(カイク)・・・沖犬?
名取(なとり)=芸道において一定の技能を修得して師匠より芸名を許されること、許された人。また、その芸名のことを名取名という・・・名取(なとり)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦・・・ by https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=mcafeess1&p=%E5%90%8D%E5%8F%96 ーーーーー 宮城県 名取市・・・宮城県の中央南部の 太平洋沿岸に位置する都市 仙台市の南東に隣接 南に亘理(わたり)・・・・渡り・渡利・渡里・・・蝦夷地 北緯38度10分17.5秒 東経140度53分30.5秒 ↓↑ ↓↑ 4世紀後半の古墳時代前期 多数の古墳が造営 愛島丘陵東端に築かれた・・・愛の揣摩=しま=縞 東北地方最大の 雷神山古墳 大型前方後円墳 多数の中小古墳が作られ 7~8世紀の横穴墓に続いた 律令時代前後に 名取に国造は置かれなかった ・・・国造(くに の みやつこ・コクゾウ・コクソウ) は 宮っ子・宮遣っこ・見遣っこ・・・? 「臣(おみ・使主) 連(むらじ) 君(きみ・地方豪族) 公(きみ・皇族) 直(あたい・費・費直)」 などの姓を朝廷(大王)から賜った 国造=律令制以前、地方豪族が朝廷に帰順し国造に任命された 大化の改新以降は神事、祭祀を司る世襲制の名誉職 改新以降は国造の軍事、裁判、行政権は 中央派遣の国司(任期は6年、後に4年) 現地の郡司(官吏)に交替した ↓↑ ↓↑ 宮城県の・・・ナゼ、「宮の城」なのか? ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「仙台藩」から「仙台県」となり 県庁所在地であった 郡名「宮城」が「宮城県」 に改められた 奈良時代 陸奥国府の 多賀城が置かれ 朝廷の出先機関 「宮宅(みやけ)」が 「みやぎ」に変化した・・・ 宮城郷(みやぎごう) 平安時代の 陸奥国「宮城」郡にあった郷(和名類聚抄) ↓↑ ↓↑ (仙台市宮城野区苦竹) 働きかけによって 6町村での合併 1955年(昭和三十年)に 名取町が成立 明治元年十二月七日 (1869年1月19日) 陸奥国分割により陸前国に属す 明治二十一年 (1888年10月11日) 日本鉄道(JR東北本線)に 増田駅(名取駅)が開業 明治二十二年 (1889年4月1日) 町村制施行に伴い 名取郡に 増田、東多賀、下増田、館腰、愛島、高舘 の6村が置かれる ↓↑ ↓↑ 昭和十五年 (1940年) 下増田村に 日本陸軍の空港「名取-飛行場」 (仙台飛行場・仙台空港)が開港 昭和三十三年 (1958年10月1日) 名取町が市制施行し 名取市・・・? ーーーーー 「名取」の地名由来 古くは 丹取-郡(にとりのこおり) ↓↑ 「二トリ」=似鳥昭雄が北海道で創業した家具企業・・・似鳥? 似鳥=にたどり・にとり・いじま・いとり 陸奥国二戸郡似鳥(岩手県二戸市似鳥)をルーツ 似鳥(にたどり)=地名は「陸奥話記」の中に出てくる 「仁土呂志」が語源・・・? 陸奥国二戸郡「似鳥」村が起源 語源の「丹取」とは硫化水銀(赤紅・丹地)を採取するひと アイヌ語で「湿った土地」・・・ ↓↑ 「湿った土地」=湿地帯⇔沼地⇔泥炭地・・・? 和銅六年(713年)に設置(続日本紀) ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 712年・・・ 古事記編纂上奏・「和銅五年正月二十八日」 (ユリウス 暦712年3月 9日11~13時) (グレゴリオ暦712年3月13日11~13時) 壬子(壬 癸)正官・正官 絶 癸卯(甲 乙)偏官・印綬 病 丁酉(庚 辛) ・正財 長生 丙午(丙 丁)劫財・劫財 建禄・・・建の禄(録)? 辰巳=空亡 水曜日・仏滅 中国年号 唐=唐の「睿宗・李旦」の治世に使用された元号 710年 ~712年 ~713年 景雲三年、太極元年、延和元年、先天元年 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「信瑜」の弟子の 「賢瑜」による・・・建徳一年(1370年)・庚戌年・・・金の兄、犬(狗) 「古事記」写本・・・建徳二年(1371年)・辛亥年 最古のもの 「伊勢本系統」の 南朝=建徳二年(1371年)辛亥年 北朝=応安四年(1371年) から 南朝=文中元年(1372年)壬子年 ・・・文中一年・壬子年・・・水の兄、鼠・ね=音 北朝=応安五年(1372年) にかけて 真福寺の僧(28~29歳に書写) ・・・二十八歳・・・稗田阿礼(禮)=二十八歳 賢瑜によって写された ・・・賢瑜⇔「慈眼寺」の「十七世・賢瑜(ケンユ)」? 真福寺本『古事記』三帖 祖本(原本)は 上・下巻=大中臣定世-本 中巻=藤原通雅-本 道果-本 (上巻の前半のみ 南朝=弘和元年(1381年)写・・・辛酉・・・金の弟の鳥(鶏・とり) 北朝=永徳元年(1381年)写) 道祥本(上巻のみ 応永三十一年(1424年)写) ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「ワット・タイラーの乱」 イギリスで人頭税に反対する 暴動、反乱が発生 1381年6月15日 ワット・タイラー死亡 「和通取」・「多比良・多以良」??? 反乱の指導者、農夫 足利義満 北朝の「後円融」天皇を招いて園遊会 1381年 干支年=辛酉 南朝=天授七年、弘和元年二月十日~ 北朝=康暦三年、永徳元年二月二十四日~ 中国 明王朝=洪武十四年 中国周辺 北元=天元三年 朝鮮 高麗=辛禑七年 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ワット・タイラー (Wat Tyler、?~1381年6月15日) 出生時の名前 「ウォルター(Walter)」 ・・・水(みず)=ウォータ= water⇔ワタ⇔Wat 水神= 海神=わたつみ=綿津見・綿摘? 水天宮(福岡県) すいてんぐう・・・水天狗? 福岡県久留米市瀬下町に鎮座 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 安徳(あんとく)天皇 高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう) 平二位時子(ときこ) を祀(まつ)る 水の守護神 安産・水難よけの神」 「ウォルター(Walter)」 姓不明 「Tyler」は 屋根瓦職人(Roof tiler) ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ Walter=ウァルター・ウォルター・バルテル ワァルター・ワルター・ワルテル (wɔ́ːltər・ウォールター)↓↑ ↓↑ 哂(嗤・笑)ってる= ワラッテル? ヴァルター or ワルター (Walter Walther) ドイツ語発音: [valtɐ] ドイツ系人名 古高ドイツ語に由来 姓、名としても使用 舞台ドイツ語 「ヴァルテル」(ドイツ語発音[valtər])と発音 派生形として「Wolter」 古ドイツ語で 「支配する」ことを意味する 「waltan」と 「軍隊、部隊」を意味する 「heri」の合成語 元々は 「Walthari, Waltheri」と表記 (by wikipedia.org/wiki/ヴァルター) 「ワーテルロー(Waterloo)の戦い=Battle of Waterloo」 1815年6月18日 エルバ島を脱出しナポレオンが、再起を期し イギリス・ プロイセンなどの連合軍に敗北 ナポレオン(奈破翁・那破崙・拿破崙・拿勃翁・拿破烈翁) 百日天下の終焉 Napoleon-Bonaparte 1769年8月15日~ 1815年6月18日~1821年5月5日 己丑(癸辛己)正財・印綬・冠帯⇔乙亥⇔辛巳 壬申(戊壬庚)偏印・偏印・ 絶⇔壬午⇔壬辰 甲午(丙己丁) ・食神・ 死⇔丙申⇔甲申 辰巳=空亡 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 1381年6月15日 辛酉(庚 辛)偏財・偏財・長生 癸巳(戊庚丙)偏官・劫財・帝旺 丁未(丁乙己) ・食神・冠帯 丙午(丙 丁)劫財・食神・建禄 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑・・・? 1424年6月15日 甲辰(乙 癸 戊) 己巳(戊 庚 丙) 癸巳(戊 庚 丙) 戊午(丙 丁) ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 1424年 干支=甲辰 応永三十一年 中国 明 永楽二十二年 朝鮮 李氏朝鮮 世宗六年 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ヤン・ジシュカ (Jan Žižka) 1374年~1424年10月11日・・・1424年 ボヘミアで 1419年から起った フス戦争の英雄 「ジシュカ」は 「ジシカ」とも表記 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 古事記-写本 春瑜-本(上巻のみ 応永三十三年(1426年)写)・・・1426年 の道果-本系三本は 真福寺-本に近く ともに伊勢-本系統 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 1371年・・・建徳二年・辛亥年・・・1371年 中国 明=洪武四年 夏=開熙五年(旧六月まで) 中国周辺 北元=宣光元年 朝鮮 高麗=恭愍王二十年 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 明昇が明軍に降伏・夏王朝滅亡 明王朝が「海禁令」を発布 ・・・海禁令=カイキンレイ=解禁令・皆勤令・塊金例 金槐和歌集(きんかいわかしゅう) 源実朝の家集(歌集)・略称で『 金槐集』 「金」とは鎌の偏、「槐」は槐門(右大臣) 別名「鎌倉右大臣家集」とも 建保六年(1218年) 源実朝の 大納言(亜槐) 大臣(内大臣、右大臣) の叙任 「金槐和歌集」の成立は 藤原定家より相伝の『万葉集』を贈られた 建暦三年(1213 年)十二月十八日頃 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「金烏玉兎集」・・・阿倍の清明 三本足の金の烏 キネ(杵)で ウス(臼・碓)搗きの ウサギ(兎・兔・卯) ↓↑ 「三国(サンゴク) 相伝(ソウデン) 陰陽(インヨウ) 輨轄(カンカツ) 簠(ホ)・・・「簠({竹甫皿})」 簋(キ)・・・「簋({竹艮皿})」 は、古代中国で用いられた祭器 内伝(ナイデン) 金烏(キンウ)・・・太陽 玉兎(ギョクト)・・太陰(月) 集」 ↓↑ 『三国相伝宣明暦経註』 『簠簋(ホキ)内伝』 『簠簋(ホキ)』 『金烏玉兎集』 と略称 ↓↑ ↓↑ 1371年の 誕生 斯波義重、南北朝時代、室町時代の守護大名 管領・・・織田家の主筋 伊達氏宗、南北朝時代、室町時代の武将 奥州伊達氏の第十代当主 鄭和、明の海軍大将、武将、宦官 ↓↑ ・・・「名取」の地名由来 古くは 丹取郡(にとりのこおり)・・・「二トリ」 ・・・「丹=水銀」・「似るを取る」? 和銅六年(713年)に設置(続日本紀) ↓↑ 館山市 犬石・・・犬の石 真言宗 智山派 金剛山 慈眼寺・・・慈眼太師・・・「字源太史」? ↓↑ ↓↑ 天海僧正 天文五年(1536年)? ~ 寛永二十年十月二日(1643年11月13日) 安土桃山~江戸時代初期 天台宗の僧 南光坊天海、智楽院とも・大僧正 諡号は 慈眼大師(ジゲンダイシ) ↓↑ 徳川家康の側近 金蓮院 本尊は大日如来 木造地蔵菩薩像が安置 開創は不明 ↓↑ 江戸初期 「頼忠」が中興・・・頼忠ってダレ? ・・・ 頼忠寺 約400年前 里見家の大家老 堀江能登守頼忠 開基の曹洞宗の寺院 ーー↓↑ーー 頼忠寺 千葉県 館山市 宮城・・・「宮城」は館山・・・ちばけん たてやまし みやぎ にある曹洞宗の寺 ・・・地殻活動観測場 里見忠義の家臣 堀江能登守頼忠 が創設 ↓↑ 堀江 頼忠 (ほりえ よりただ) ?~元和三年九月十二日 (1617年10月11日) 里見氏の家臣・家老 ↓↑ 堀江氏は元は「堀内」 天文三年 里見氏の内訌後、堀内から堀江へと改めた 足利義明の近臣に「堀江」氏 足利義明の家臣 堀江下総守・堀江大蔵丞 の系統・・・ 天正十五年(1587年)段階 神野寺棟札銘で 「堀能」(堀江能登守)が確認 慶長七年(1602年)正月二十一日 鶴谷八幡宮棟札銘で 頼忠の名乗りが確認 ↓↑ 天正十五年以前に元服 里見義頼の一字を得て 頼忠と名乗った ↓↑ 里見氏の・・・南總里見八犬傳・・・曲亭馬琴(滝沢馬琴) 文化十一年(1814年)刊行開始 28年をかけ 天保十三年(1842年)全98巻、106冊 完結 伏姫と神犬八房の因縁の八犬士の物語 南総里見八犬伝=ナンソウさとみハッケンデン =何 想 里 見発 見 伝 常陸国 鹿島領支配で 重要な役割を果たす・・・ ↓↑ 慶長十六年(1613年) 里見忠義 伯耆国 倉吉に国替え ・・・蒼頡(ソウケツ・倉頡)? ・・・艹(くさかんむり) 倉(くら) 吉(十一口) 頁(ページ・大貝) 蒼頡=漢字を発明した古代中国の人物? となり、 頼忠は同行し 伯耆(ほうき)で・・・鳥取県西伯郡伯耆町 里見忠義は 義頼・義康・忠義 三代にわたる功績に対して 頼忠に名字、里見を授与され 里見能登守頼忠を名乗った 館山市にある 頼忠寺は 彼が再興した寺院である・・・ ーー↓↑ーー 金剛山慈眼寺のツヅキ・・・ ↓↑ 安房国 札観音 霊場の第29番 安房国 88か所 弘法霊場 天正十年(1582年)制定の第5番 文政十一年(1828年) 本堂が ↓↑ 十七世 賢瑜(ケンユ)・・・賢瑜⇔真福寺 ↓↑ よって 再建された棟札がある・・・再(ふたたび)建(たける)? ↓↑ 棟札(むなふだ・むねふだ)=建築物の完成、修繕記念の 木札・銅札に年月日、施工人の名を記録したモノを ↓↑ 梁(はり)、棟木(むなぎ)に打ち付ける ・・・棟=母屋や桁と平行に取りつけられる屋根の 一番高い位置にある部材、屋根の分水嶺となる箇所 ・・・梁書(リョウショ) 棟(木の東)・楝木=「木を柬(えらぶ・カン・ケン)の記」 棟札の起源は鎌倉時代 岩手県の中尊寺の 保安三年(1122年)のものが現存最古・・・ ↓↑ ↓↑ 本堂欄間の龍の彫刻は 「武志伊八郎」・・・・・・武の志、伊の八の郎 ・・・松浦武四郎 天武天皇=大海人皇子=天渟中原瀛真人天皇 武烈王=金春秋=楽浪郡王 648年 唐に派遣され 太宗の厚遇を受け、「特進」(正二品 )の地位 文武天皇 文武王(新羅王) 聖武天皇 桓武天皇 α+武+β 初代信由(1751年~1824年)の作・・・? 本堂再建と年代は合わない・・・ 二代目 信常との合作・・・ ↓↑ ↓↑ 長尾藩の・・・明治維新期の短期間、安房国に存在した藩 1868年(明治元年) 駿河(静岡)田中藩主 本多正訥が 長尾(白浜町)に移封 1871年の廃藩置県まで存続 兵学者で 後に白浜に残り漢学の教育者 恩田城山(1838年~1919年) の「忍耐」の書額が掲げられ 元文元年(1736年) 願主智円(白浜根本) 施主順礼講中(白浜塩浦) が奉納した88か所の 篇額もある 山門は 犬石の語源とかかわる 本堂裏の 「飛錫(ヒシャク)塚」と 旧観音堂を正面にして建てられている 「犬石伝説」 文治元年(1185年) 頼智という高僧が 行基作の観音菩薩像を携えて 伊豆から海を渡り 平砂浦へ着き明けて来た時 1匹の白犬が現れ 頼智の法衣を引いて東の方へ導くと 金剛山のふもとまで来て犬は動かなくなり 犬は石になった・・・大石内蔵助? 犬石の地名伝説 犬石には白石・犬尾という地名もある ↓↑ ↓↑ 十一面観音像三体 救済者、菩薩の能力を 十一の顔 菩薩面3 瞋怒(シンヌ)面3 狗牙上出(ゲジョウシュツ)面3 を前部 大笑面1 を後部 仏面1 を頂上に配され 3体のうち左立像の台座に 「犬石 蒲生講中 世話人中」 と彫られている・・・ -ーーーー 真福寺 1320年頃 木曽川 と 長良川 にはさまれた中須 尾張国中島郡内に 北野社が勧進された時、神宮寺として創設 「古事記」は 真福寺の僧 賢瑜 が 応安四年~五年(1371年~1372年) にかけて写した ーーーーー ・・・「名取」の地名由来・・・ 古くは 丹取郡(にとりのこおり)・・・「二トリ」・・・漆の赤紅・水銀の丹 和銅六年(713年)に設置(続日本紀) ↓↑ ↓↑ 縄文前期の集落跡群 日本最大とされる 今熊野遺跡 東北最大の 雷神山古墳 旧-名取郡-衙は現在の仙台市長町あたり・・・ 名取郡 岩沼市~仙台市広瀬川までの広域 承平年間(931~938年) 「和名抄」には 『奈止里郡』とある 熊野三社の勧請は平安時代 地名由来 アイヌ語のヌタトリ(湿原)から起こった・・・ ーーーーー ・・・以下の原文は 「古代文化研究所・古代史の謎に迫る」さんのモノを検索 「名取の地名由来」を知りたくて・・・ 無断に勝手引用、御免なさい・・・ ↓↑ 「埋もれ木の」と言う枕詞・・・キ(木=十八=拾い捌ける・記紀)の化石 「名取」と言う地名に関連・・・ 「埋もれ木」 樹木が長期間、 水中や土中に埋れ「炭化」し 石のようになったもの・・・ ヌタトリ(湿原) 水中と湖沼・・・天「渟」中原「瀛」真人・・・ 「渟=氵+亭(とどまる・ぬ・テイ・ジョウ)=水が溜まる・貯水池・沼」 異体字「汀」 渟足の柵(ぬたりのサク) 渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと) 渟名城入姫命(淳名城入姫命) ・・・淳=氵+享=あつい・すなお・ジュン 亭=あづま・とどまる・テイ 亭主=あるじ・テイシュ 「亭」=塔や物見矢倉(やぐら・櫓) 渟名城稚姫命 「瀛=氵+嬴(みつる・エイ)=大洋・大海・沢・池や沼」 「東瀛」=「日本・倭・大和・東の瀛」 ・・・「羸(やせる・つかれる・よわい・よわる・ルイ)」 ・・・「贏(もうける・あまる・のびる・つつむ・になう・かつ・エイ)」 ・・・「嬴(みつる・エイ)」=「始皇帝=姓は嬴(エイ) 氏は趙(チョウ)・・・趙政 諱は政(セイ)」 中国を統一し、郡、県、郷、亭を設置 父は荘襄王(異人・子楚) ・・・ナゼ、漢字が「異人」? 戦国時代の 秦の第30代の君主、第5代の王 始皇帝の義父? 実父は呂不韋 ・・・ナゼ、漢字が「呂不韋」? 「埋もれ木」が 「樹木が長期間、水中や土中に埋れ炭化」し 「石のようになったモノ」・・・ ・・・「化石」・・・樹木の炭化なら「燃える石炭」 「地層中に埋没している炭化度の低い褐炭 通常木質部の植物組織が保存されている 仙台地方(仙台市)の 新第三系鮮新統産、 亜炭層から産するものは細工物の材料 仙台藩の武士山下周吉が加工を始めた 宮城県広瀬川沿岸のものが著名 木目が残っており、質は緻密 ・・・ 埋もれ木に花が咲く 枯れ木に花が咲く ・・・草木の炭化なら「燃える泥炭」 万葉集1385 埋もれ木の 「あら」「はる」「まじき」「こと」と・・・真字記?・真事記? あらなくに 枕詞 「埋もれ木」のように 「人知れぬ」「あらはるましじ」 などにかかる (古今序) 「埋もれ木の人知れぬこととなりて」 「むもれぎ」とも ↓↑ ↓↑ 「埋もれ木」は 仙台地方に多く 「名取川」のものが有名 ↓↑ ↓↑ (続千載・恋) 「埋もれ木の朽ち果てぬとも人に知られじ」 枕詞 「下」「あらはるまじ」「知れぬ」 「埋もれ木の下ゆぞ恋ふる行く方知らずて (万・十一・2723)」 「弓削の河原の 埋もれ木の 顕るましじき事に あらなくに (万・七・1385)」 「埋もれ木の人知れぬこととなりて (古今・仮名序)」 ↓↑ ↓↑ 「笠島」の「埋もれ木」・・・ 「埋もれ木=化石」が この地方の名産・・・ ↓↑ ↓↑ 「笠島の地名」=「弁財天に関係」・・・ 宮城県名取市「笠島」に 「宇賀崎」と言う地名・・・ 「宇賀神=宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)」・・・? 「素戔嗚尊の子」(古事記) 「倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)」は 「伊弉諾尊と伊弉冉尊の子」(日本書紀) 「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」 は 「稲荷神社の主神」 「名取市に鎮座する 腰館神社は 隣接する 真言宗 弘誓寺建立の際 伏見稲荷を遷座した・・・」 「岩沼の 竹駒神社は 腰館神社を分祀したもの」 ーーーーー
「あづまはや」・・・
「需=雨+而」・・・形而上(観念・思惟)・形而下(事物・事象) 「需要&供給」 「濡=氵+需=ぬれる」 ・・・水(みず)と 雨(あめ)で 而(カミ=髪と ヒゲ=鬚・髭・髯・比解・卑下・日下)が 濡(ぬ)れる 「需=雨+而」 ↓↑ 而=髪(かみ)を「梳(と)」く 「櫛(くし・コーム=comb」の形象・・・? 「伊邪那岐命は、黄泉の妻の伊邪那美命の 追っ手から逃れるために、 後ろに投げ捨てた櫛の歯は筍に変わった 須佐之男命は八岐大蛇退治に 櫛名田比売を 櫛に変えて自分の髪に挿した 倭建の妻、弟橘比売命=弟橘姫は 走水海=浦賀水道=三浦半島と房総半島に 挟まれた海峡で身を捨て 七日の後、・・・七日=漆比 その后の御櫛 海辺に依りき すなわち その櫛を取りて、 御陵を作りて治め置きき(古事記)」 「櫛=木+節=十+八+竹+即(艮卩)」 拾+葉+筑+足(言の割符・叩く) ↓↑ ↓↑ 「櫛(くし)=髪挿(かみさし) =𠂉⇔串(くし)」 ・・・串(口と口を棒で縦に貫く) ・・・呂(口と口をノで縦に接っつく) 髪飾り 鈿(かんざし)・簪・笄・篸・釵・楴・兂」 篸(シン)=竹+參=竹+厶+厸+𠆢+彡 =竹+厽+㐱 縫い針 針を刺して縫いつづる 長短の揃わないさま 鬖=髟+參=髟+厽+㐱 =镸+彡+參=髟+厽+人+彡 サン 髪が長く垂れ下がるさま 乱れ髪・髪が乱れているさま 鬖=髟+參⇔而=丆(面)+冂+‖ 髪が整っているさま 滲=氵+參 にじむ・しみる・しみこむ・しみだす シン 文字や図柄の輪郭がぼやけてひろがる 色が溶けて散りひろがる 滲出・滲漏 鬖=髟+參 兂(サン) 笄(こうがい・髪掻きの転訛) 髪を掻き揚げて 髷を形作る装飾的な結髪用具 英語で「hair slide・Hair stick」 コウガイ=梗概=概要・粗筋・概略 =蝗害・黄蓋・香害 ↓↑ ↓↑ 楴=木+帝 異体字「柢」・・・柢=木+氐=十+八+氏+一 =かんざし・こうがい・くし・テイ・タイ 髪を整える道具 =十+八+亠+丷+冖+巾 =十(拾う) 八(葉の) 亠(音は) 丷(逆の葉知の) 冖(話のベキの) 巾(はば・幅・掵) ↓↑ ↓↑ 掵=人名、地名に使用される字 =はば・メイ 「掵上(はばうえ)」は 秋田県の地名(上掵・下掵) 国字・・・?・・・韓国の地名? 掵=扌+命 =扌+亼+叩 =扌+亼+口+卩 =扌+人+一+叩 「段丘・崖」の意味 「韓国の地名」? 「慶州市 椧溪里(ミョンゲリ)」 「梁山市 椧洞(ミョンドン)」 「大邱市 椧谷(ミョンゴク)」 ↓↑ ↓↑ 「掵=樋(とい・ヒ・gutter)」 みぞ(溝・排水溝 水下=みぞおち=鳩尾) 鳩尾=みぞおち・キュウブ=ハトの尾 九の鳥の尾(ビ) ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ・・・九官鳥(長)の尾(を・ビ・しり・尻・後) 九官=古代中国の舜が定めた官制 九人の国務大臣 司空・后稷(コウショク)・司徒・士・共工 虞・秩宗(チツソウ) 典楽・納言(ノウゲン) ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 水落(みずおち)の訓音 飲んだ水が落ちる場所 胸骨の剣状突起の下部 急所の一 形状が「鳩の尾」に似ている ↓↑ ↓↑ 医学では心窩部(シンカブ) 武道では水月(スイゲツ) 胸骨の下のくぼんだ所 「鳩尾の板」の略 人体の急所 打撲で 動きが一瞬止まり、呼吸困難に陥る 「1603年『日葡辞書』で(Mizzuvochi)」 「みぞおちの内部背中側には 腹腔神経叢 (英語celiac plexus・solar plexus」 独語solarplexus) がある」 「あがつま方言」? 「群馬県 吾妻郡を中心に用いられる あがつま語」・・・ ・・・「あづま、はや=吾妻、はや」の「櫛(くし)」・・・ ・・・形見の「櫛」と「鏡」・・・ 割られた「銅鐸」は 「前方後円墳」の水郷=田圃灌漑用貯水池に変貌・・・? ↓↑ ↓↑ 而=丆(面)+冂+‖=髪が整っているさま みずら=角髪(みずら)=総角 日本の上古における貴族男性の髪型 中国の影響で成人が 冠をかぶるようになった後は 少年にのみ結われ 幕末頃まで一部で結われた 美豆良(みずら)、総角(あげまき) 上げ角髪・下げ角髪(お下げ) 「みずら=耳に連なる・美面」・・・? みずら=水等=水螺・・・? ↓↑ ↓↑ おさげ=髪を左右に分けて結び垂らしたもの ツインテール(twin-tail) bunches・angel wings two ponytails・dog ears or pigtails ふたつゆい(二つ結ひ) ツーテール(tow-tail・和製英語) ↓↑ ↓↑ 而=一+ノ+冂+|| ・・・而は傘(かさ=笠・☂・嵩・暈)・・・? 嵩=山+高・・・水嵩(みずかさ) かさ・かさむ・たかい・スウ・シュウ 分量・体積・水嵩 かさむ・かさばる たかい・山の高いさま 物の大きさや分量・体積や容積 人間としての大きさ・厚み 威厳・徳・・・ 威厳・貫禄・重み 嵩に懸かる=優勢に乗じて攻勢に出る 威圧的な態度でのぞむ 暈=月の周りを淡い光の輪が囲むことを 月傘と言う 月暈=黄色~白色or薄い虹色が見える ・・・「月読命」とは月の現象をヨム? 「月に暈(かさ)が懸かると雨が降る」 「太陽や月に暈が懸かると雨が近い」 温暖前線や低気圧が近づくと 上空に暖かい空気が入り 絹(巻)層雲(氷の粒でできた雲)ができ そこに月の光が反射する状態 氷晶(氷の粒)が 頂角 60度=内暈・22°ハロ(halo) 90度=外暈・46°ハロ(halo) のいずれかでプリズムとして働き 虹を発生 ほかに半径9度、半径18度、半径20度 半径23度、半径24度、半径35度 などが確認され 二十面体のピラミッド型氷晶を通してできる ↓↑ 120度では全反射するので この頂角では暈は発生しない ↓↑ 暈(かさ・halo・ヘイロー) ↓↑ 白虹(しろにじ・ハッコウ) 日暈(ひがさ・ニチウン) 太陽の周りに現れたもの ↓↑ 月暈(つきがさ・ゲツウン) 月の周りに現れたもの 「月光冠・月光環」とも ・・・「日暈や月暈が出ると 海が荒れる(秋田県男鹿市)」 古代中国で 白虹が太陽を貫くことは、兵乱の兆し 「白虹事件」 大阪朝日新聞(朝日新聞) 1918年8月25日発行26日夕刊掲載記事 政府当局による言論統制事件 シベリア出兵、米騒動に関連し 寺内正毅内閣を激しく批判 「白虹日を貫けり」は、 荊軻が秦王(始皇帝)暗殺を企てた時の 自然現象・・・ 新聞紙法41条 「安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル事項ヲ 新聞紙ニ掲載シタルトキ」・・・ 検察当局は 大阪朝日新聞を発行禁止(新聞紙法43条) に持ち込もうとした 黒龍会の構成員七人が 大阪朝日新聞社の 村山龍平社長の人力車を襲撃 村山を全裸にし電柱に縛りつけ 首に 「国賊村山龍平」と書いた札をぶら下げた 後藤新平は右翼系の『新時代』誌に朝日攻撃 ↓↑ 1857年7月24日~1929年4月13日(71歳没) 丁巳(戊庚丙)偏財正財 胎⇔己巳 丁未(丁乙己)偏財偏官 墓⇔戊辰 癸丑(癸辛己) 偏官冠帯⇔戊子 寅卯=空亡 ↓↑ 後藤新平の死に際の名言・・・? 「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。 仕事を残して死ぬ者は中だ。 人を残して死ぬ者は上だ。 よく覚えておけ」 ↓↑ 而=しこうして・しかして・しかもしこうして かつ・また・すなわち・しかれども・けれども 汝(なんじ・あなた=you) ひげ(鬚)・口ひげ(髭)・あごひげ(髯) 「頰毛なり。毛の形に象る(説文解字)」 頬毛が原義で、その象形 ジ 順接、逆接・・・接続詞 而立・形而下・形而上 追而(おって)・而後(しかるのち)・而已(のみ) 「而=日照り?卑下照り?日下照り?」・・・ 面=而+=+一 「耑=山+而 異体字・專・端・𦓝・専」・・・瑞皐(高野) 端緒(緒方) はし・タン・セン 而(ジ・ひげ・しこうして)」 頭髪を切って、結髪しない人間の正面形 雨乞いをする巫祝の姿 「耑(タン・セン・ただしい・はし)」 「山」は髪飾りの姿「而」の頭部に 髪飾りをつけて(または長髪を)なびかせて 「雩=ウ=雨乞い」する形 ーーーーー ・・・???・・・形而上・掲示上・形字上・・・ 景字行の事情(字状・児情)・・・ 倭男具那命(やまとおぐなのみこと)・・・ 日本の建国・・・景行天皇の息子=小碓命・・・ 円の径行は天文学・・・高橋景保・・・鹽の刑坑 塩(しお・鹽・鹺・鹵・潮・汐・塩・醢・鹹・鹻・腌)の傾向・・・ 経口薬剤の投与は医者の務め・・・シーボルト・・・ シーボルト=施福多 =置維波斯徳利・・・ 置維(チイ)-波斯(ペルシャ)-徳利(トックリ)・・・? (遊字典・記載139頁 「服部撫松・東京新繁盛記」 発行所:冬樹社・1984年7月20日発行) シーボルトの助手は 出島出入り絵師だった 川原慶賀に生物や風俗の絵図を多数描かせ、依頼した ユダヤ人で ドイツ、ハーメルンで生まれ、天文、数学 生物学者で 薬剤師の「ハインリヒ・ビュルゲル」・・・ 後、「砂糖(サトウ)」会社の共同経営者・・・? ↓↑ 置維波斯徳利・・・ ↓↑ 維=糸+隹 つなぐ・これ・イ(ヰ)(漢)・ ユイ(呉) 大綱・国家の大本 維綱=綱維 つな・糸すじ 維管束・繊維・地維・天維」 つなぎとめる 維持 すみ 四維 道徳の基礎=四維(礼、義、廉、恥) 文のリズムを整え強める助字 これ 維新 すべてが改まって新しくなること 特に、政治や社会の革新 1870年(明治3)1月3日 大教宣布の詔書 「百度維新 宜しく治教を明らかにし 以て惟神(かんながら)の道を宣揚すべし」 名のり しげ・すけ・すみ・ただ・たもつ・つな・ふさ・まさ・ゆき 維納(ウィーン)=Wien・Wean〈ヴェアン〉 仏語 Vienne〈ヴィエンヌ〉 英語 Vienna〈ヴィエナ〉) オーストリアの首都=楽都 糸=弦楽器 隹=管楽器 納=弦楽器で人を冂(かこむ) 維摩(ユイマ) ーーーーー ・・・???・・・ Webster(ウェブスター)=維波斯徳刺・・・? ノア・ウェブスター(Noah Webster) 1758年10月16日~1843年5月28日 アメリカの辞書編纂者、教育者 ファウンディング・ファーザーズのひとり 教科書の著者、聖書翻訳者 綴字改定運動家、ライター、編集者 「アメリカの学問・教育の父」 彼が著した通称 「スペリングの青本」 は5世代にわたり 合衆国の子供たちに読み書きを教え 1828年初版の 『アメリカ英語辞書』 (An American Dictionary of English Language) のメリアム=ウェブスター社の辞書により 彼の名は「辞書」の代名詞となった ーーーーー ・・・???・・・維-波斯(ペルシャ)-徳(トク)-刺(さす・シ)・・・
冕=ベン・かんむり 古代、位の高い人がつけた礼装用のかぶりもの 軒冕( ケンベン)・麻冕(マベン) 冕(かんむり)・冕冠(ベンカン)・冕服( ベンプク) ↓↑ 冕=日+免 =冃+免 =冖+二+免 =冂+二+免 冂(けいがまえ・まきがまえ・どうがまえ) 異体字「𣈳」 冕冠(ベンカン) 漢字文化圏諸国で 皇帝、天皇、国王などが着用した冠 篠冕(しのはら)は苗字 ↓↑ 冕(冃+免)・冒(冃+目)・最(冃+取)・𦐇(冃+羽) 冃=頭巾・ボウ 冕・冖・冤・・・冤罪・免罪・・・ ↓↑ 冐・冑・冒・冓・冔・冕・冖・冗・冘 写・冚・军・农・冝・冞・冟・冠・冡 冢・冣・冤・冥・冦・冧・冨・冩・冪 ーーーーー 助動詞機能 have・to=する必要がある ・・・・・・・・・・・義務がある・・・・戯夢? ・確信度の高い推理・推量 ・に違いない ・であるだろう ・ねばならない・・・音葉名等内?音把名等名意? ・・・・・・・・・・・ねばなりません ハヴ・ツウ=葉部(葉分) 通(恫・樋・董・鶇) ・鶫(つぐみ)=鶇に似せて作った国字 ・つぐみ=ヒタキ科の鳥の名 「鶫=柬+鳥」・「鶇=東+鳥」 栴檀=センダン・おうち=楝・樗 木+雩 庭漆(にわうるし?) 苦木(にがき?)科の落葉高木 樗(楝)=おうち(あふち)・・・高山樗牛 センダンの古名 ・・・柬=雩(あまひき)=雨+一+丂・・・? 雩=雨乞い・ウ・ユ 雩=雨+亏 異体字「𩁹・𩆾・𦏻・𦏴」 ↓↑ 丂・亏・亐・於・・・与=與 ・・・・壱與・臺與・壹與 亏=一+丂 亐=丂+一 丂=異体字「于・考」 曲がった釘・曲がる 妨(さまたげ)られる・コウ 丂+α 号(法号)・考(思考)・朽 巧(巧妙)・㱙・攷 拷(拷問)・號(呼號・呼号・叫號) 樗=楝・・・? 雩=柬・・・? 雨乞い=えらぶ・えりわける 手紙・名札・短冊 えらび出す=揀 てがみ・ふみ=簡・書簡 名札・札=簡 ↓↑ ↓↑ 「柬(レン)」の字は・唐代楷書から 「東(トウ)」に略されて記録されてきた ↓↑ 地獄⇔煉獄⇔天国 煉瓦・精錬・諫死・練習・試練 ねる=煉る・錬る・練る こねる=捏ねる=捏造 ↓↑ 柬・揀・瑓・煉・楝・練・諫・闌・鍊・蘭 鰊・鶫・瀾・瓓・攔・爛・斕・欄・襴・籣 躝・讕・襽・鑭・糷・䪍・钄・韊・襕・囒 幱・㼑・暕・灡・谏・镧・孄・㪝・斓・湅 堜・㘓・徚・䃹・朄・爤・萰・谰・阑・孏 㱫・澜・媡・㦨・䑌・欗 ーー↓↑ーー 偏旁冠脚・垂構繞 ↓↑ 偏(へん ・ヘン) 左位置 旁(つくり ・ボウ) 右位置 冠(かんむり・カン) 上部位置 脚(あし ・キャク)下部位置 垂(たれ ・スイ) 上部から下部に 垂れ下がる位置 繞(にょう ・ニョウ)左から下部に沿う位置 構(かまえ ・コウ) 全体を包む位置 ↓↑ 変 貌 観 客 出 如 烏交・・・? ヘンボウカンキャク スイニョウコウ ↓↑ 漢字構成で上部と下部に分かれるα+β 漢字構成で上部と下部に挟まれる中央部の+α 漢字構成で上部開く箱(凵)の中の+α 漢字構成で下部開く箱(冂)の中の+α 漢字構成で右部開く箱(匚・匸)の中の+α 漢字構成で門(モン)の中の+α 漢字構成で几(キ)の中の+α 漢字構成で右肩の弋(ヨク・イキ)の下の+α 漢字構成で左右に分かれるα+β 漢字構成で左右に挟まれる中央部の+α ↓↑ 対象事物の存在と様態(有様) 部首=一般名詞+α=α+一般名詞・・・α+β+θ ・α=品詞の個別性、特殊性を象形・形象表示 鯛=魚(さかな)+周(まわる)=「タイ」は本質 本質=範疇=カテゴリー=語彙規定=規範=概念 =英)・category・独逸)・Kategorie 区分・種類・ジャンル・範疇・部類 業務分野・部門 ↓↑ 「霊=靈=雨+口口口+巫」 「霊=靈=雨乞い」 「霊魂・幽霊」 「靈≠霝」 「雨」+「□□□=口口口=ロロロ =○○○=滴・雫・しずく」・・・? ・・・ならば「雨=丅+冂+:+:」の 「::」は既に「水滴」である。 「ロロロ」は 「三口(兎口・兎唇)の巫女の呪文」だろう・・・ ウサギは鳴かない、喋らない・・・ 耳介(ジカイ・pinna)、耳殻(ジカク)を澄ませて 無言で祈る 天敵はキツネ(狐)、狼、小型肉食獣、猛禽類 時速60-80kmで走る ウサギは声帯を持たないので鳴く事はない 因幡の白兎=稻羽之素菟 ・・・白兎ではなく、素菟である(古事記・乞う自棄) 「・・・汝者隨其族在悉率來・・・」・・・ 「汝者(汝らは)隨(隋王朝)の其族、在悉率來」 「・・・卽伏最端和邇、捕我悉剥我衣服。因此泣患者・・・」 「素菟=新羅」の天敵は 「和邇=王仁」=「隋王朝の秦族」・「鬼(鬼室福信)」 「鰐(わに)=鯱(しゃち)・鮫(さめ)」 ・・・「海豚=いるか=入鹿」? 「口唇口蓋裂」は先天的遺伝性の障害だが 外科手術で正常に直る・・・有名人も多い・・・ 白ウサギ(英:White Rabbit)は ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場する ↓↑ 「需=雨+而」・・・形而上(観念・思惟)・形而下(事物・事象) 「需要&供給」 「濡=氵+需=ぬれる」 「需=雨+而」 而=一+ノ+冂+丨+丨 しこうして・しかして・しかもしこうして かつ・また・すなわち・しかれども・けれども 汝(なんじ・あなた=you) ひげ(鬚)・口ひげ(髭)・あごひげ(髯) 「頰毛なり。毛の形に象る(説文解字)」 頬毛が原義で、その象形 ジ 順接、逆接・・・接続詞 而立・形而下・形而上 追而(おって)・而後(しかるのち)・而已(のみ) 「而=日照り?卑下照り?」・・・面=而+=+一 「耑=山+而 異体字・專・端・𦓝・専」・・・瑞皐(高野) 端緒(緒方) はし・タン・セン 而(ジ・ひげ・しこうして)」 頭髪を切って、結髪しない人間の正面形 雨乞いをする巫祝の姿 「耑(タン・セン・ただしい・はし)」 「山」は髪飾りの姿「而」の頭部に 髪飾りをつけて(または長髪を)なびかせて 「雩=ウ=雨乞い」する形 ↓↑ 『論語(先進編)』 孔子の弟子、曾晳(ソウセキ)の言 「莫春(暮春)には 春服既に成り 冠者(成人)五六人、 童子(子供)六七人を得て 沂(川)に浴し、 舞雩(ブウ)に風して・・・「舞雩」=「雨ごいの踊り」 詠じて帰らん」 ・・・「舞雩」=「雨乞いを行う高台」? 「雩=盛んに音楽を演奏『礼記(月令編)』 =少年少女八人ずつが踊る『春秋公羊伝』」 「雨ごいの祭り=鉦や太鼓を打ち鳴らし 舞台で子どもたちが舞い踊る ・・・灌漑水田で織り成す「銅鐸」の謎の舞台状況・・・ ・・・水害、豪雨、洪水と、干害(旱害)、飢餓、飢饉・・・ ↓↑ 地名 ↓↑ 雩時郡(ウシぐん)=朝鮮 民主主義(?) 人民共和国(?)慈江道の郡の西端 北朝鮮建国後に新設 1952年 平安北道碧潼郡の東部にあった 雩時面・加別面・吾北面が分割 雩時郡として編成された(1邑21里) 1954年 新設された慈江道に所属する郡 鴨緑江を堰き止めた 水豊ダムのダム湖(水豊湖)に面する郡 対岸は中華人民共和国(?)遼寧省 雩=雨+亏 亏・丂・亐・於・・・与=與 ・・・・壱與・臺與・壹與 亏=一+丂 亐=丂+一 丂=異体字「于・考」 曲がった釘・曲がる さまたげられる・コウ 丂+α 号(法号)・考(思考)・朽(くちる) 巧(巧妙)・㱙・攷 拷(拷問)・號(呼號・呼号・叫號) 「柬(レン)」の字は・唐代楷書から 「東(トウ)」に略されて記録されてきた have to 外的な条件により~しなければならないと感じる ~する必要がある ~すべきである ↓↑ must (mʌ́st・マストゥ) 助動詞 義務・確信・禁止・命令・推奨 Must be now 否定短縮形 must・n't …ねばならない 否定には need not do not have to ↓↑ should シュッヅ・・・守(趣・取)通事・・・? ーーーーー ・・・???・・・
わかんむり・ひらかんむり・べきかんむり(冖)の漢字 ↓↑ 「わかん-むり(和漢・和韓・和巻・和貫・和姦・話歓)ムリ」なら 「ひらかん(比良・陽羅・日羅・比楽・被邏・平・片・非等)カン」も 「べきかん(可・日置・僻・壁・癖・経記・戸木)」も 「むり(無理・務理・武理・夢理・厶理)」? ↓↑ 冖=ワ冠の源字は「勹(包む・覆う・被う・蔽う・蓋う)」 ↓↑ 冗⇔冖+ 冗談 写⇔冖+与 写真・複写・写経 ↓↑ 冠⇔冖+一+兀+寸・・・冠嶽(かんむりだけ) 冠木(かぶき) 占冠(しむかっぷ) 愛冠(あいかっぷ) 西冠(にしかんむり) ↓↑ 衣冠禽獣(いかんきんじゅう) 下品で程度の低い人のたとえ 礼服を着た鳥や獣 衣冠盛事(いかんせいじ) 名門、立派な家柄 盛大な事柄 衣冠束帯(いかんそくたい) 貴族や官僚が公事で着用する礼装 海内冠冕(かいだいのかんべん) 世界一・冠冕=高位の人がつける冠 ↓↑ 冠婚喪祭(かんこんそうさい) 祝いと弔いの儀式 冠婚葬祭(かんこんそうさい) 冠昏喪祭(かんこんそうさい) 冠昏葬祭(かんこんそうさい) ↓↑ 冠前絶後(かんぜんぜつご) 過去から今までで一番・・・空前絶後 ↓↑ 冠履転倒(かんりてんとう) 価値や秩序の乱れ 冠履顛倒(かんりてんとう) 冠履倒易(かんりとうえき) 価値や秩序が乱れ ↓↑ 玉趾珠冠(ぎょくししゅかん) 高貴な人物のきらびやかな衣服装飾 桂冠詩人(けいかんしじん) 最高の名誉を得た詩人・欽定詩宗 楚囚南冠(そしゅうなんかん) 敵国の捕虜になっても愛国の楚人 朝衣朝冠(ちょういちょうかん) 朝廷での正式な服装、礼服 張冠李戴(ちょうかんりたい) 相手を間違えること・食い違い 怒髪衝冠(どはつしょうかん) 激しい怒り 被髪纓冠(ひはつえいかん) 急ぎ慌てること・乱れ髪で冠の紐を結ぶこと ↓↑ 偏傍冠脚(へんぼうかんきゃく) 偏=漢字の左側の部分、へん 旁=漢字の右側の部分、つくり 冠=漢字の上部分、かんむり 脚=漢字の下部分、あし 偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく) ↓↑ 無位無冠(むいむかん) 地位や身分、役職がない 優孟衣冠(ゆうもういかん) 姿は似ているが、実態が違うもののたとえ ↓↑ 冥⇔冖+日+大(一人) 冥土・冥途・冥界・冥暗・冥冥 晦冥・昏冥・幽冥・頑冥・冥想 ↓↑ 冤⇔冖+兔(刀儿 日丶) 兎(俗字)・菟(正字)・莵(俗字) 冤罪・冤獄・冤死・冤家・讐冤 冤=冖+兎=かがむ・ぬれぎぬ・あだ 結冤(ケツエン)・煩冤(ハンエン) 冤枉(エンオウ)・冤鬼(エンキ) ーー↓↑ーー 逸=辶+兔 はしる(逸)・のがれる・にがす・かくれる 新字体では、兔の丶(点)がない 逸機・後逸 かくれる・うしなう 逸史(イッシ) それる(逸)・そらす(逸らす) はずれる 逸脱(イツダツ) 見逸(みそ)れる=うっかり見落とす 御見逸(おみそ)れ 気付かなかった・相手を見直した 足がはやい・抜きんでる・逸材 逸楽・安逸 はやる(逸る) はぐれる(逸れる) ↓↑ ↓↑ 冤=冖(おおい)+兔 冖=ベキ・ミャク・おおう ベキ=古代モンゴル族の族長,首長などの称号 魔術師・シャーマン 可=よし・べき・べし=当然のなりゆき、そうなるはずの事柄 冪=覆う・覆い・説文解字・巻七「覆ふなり(説文解字・巻七)」 「巾(きれ・ぬの・布=ナ+巾)を以て覆ふ物なり(玉篇)」 幎(べき) 「ある観測量Yが別の観測量Xのべき乗に比例する」 関係 つかまった兎=冤 ウ冠の「寃」は異体字 ぬれぎぬ。無実の罪 冤罪・冤獄 うらみ 讐冤(シュウエン)=うらみ(怨恨)をはらす ↓↑ ↓↑ 菟=艸(くさ・草)+兔 つる草の一種 菟糸(トシ)=根無し葛(ねなしかずら) 寄生するつる草 種子は菟糸子で 漢方薬 「菟糸燕麦(トシエンバク)」 菟糸は糸がついていても織ることができず 燕麦は麦がついていても食べることができない 有名無実の例え 燕麦は馬の飼料 兔に通じ、うさぎ 「於菟(オト)」=虎・楚の方言 毚=亀+兔=ザン=ずるくはしこいウサギ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 「矛とは冒(おか)すなり(釈名)」・・・矛盾 ↓↑ 務=矛+攵+力・・・矛を持って攵(攴・ぼくにょう・のぶん?) 攵=𠂉(髪挿し・櫛)+乂(刈る・乀と丿が重なる・髪を梳く?) 攴=打つこと・叩く・攻撃・強制 手(又)に棍棒(ト)を持つ形象 危険や困難を侵かして進む動作 ・・・義務とは「国家・共同体」の危険や困難に武器を持つこと? 矛(ボウ・ム)+攴+力 「矛+攴」=矛で打ちのめす・強制する ↓↑ ↓↑ ↓↑ 冒(ボウ)=日+目 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 帽子=巾+冒+子・・・インフェルエンザ-感冒、感染・流行性感冒 日光の直射は視覚機能を冒(おか)す 冃=頭巾・ずきん・ボウ 覆いをかぶせる・覆い隠す 兜(冑)は、打撃・斬撃や飛来・落下物などから 兜=[+白+]+儿=⊏+白+⊐+儿=ノ+ᒪ+白+コ+儿 蔸・兠 頭部を守るための防具 大将の兜には「∪(V)」の「丷角耳」 防具の覆い、兜(かぶと)をかぶって前進・・・だろう・・・ ↓↑「冒(ボウ)とは(蒙-草・かぶ)りて前(すす)むなり(説文)」 ↓↑ ↓↑ 「卯(ボウ)」=卯=𠂎+卩 ↓↑ 斧鉞で真っ二つに叩き割る・・・斧=劉 朱駿声は扉を押しあけた姿 北京語で「卯頸児」というのは 貿=危険を冒(おか)して利益(貝)を求める 卯=うさぎ・ボウ(バウ)・ミョウ(メウ) 柳=木+卯・・・兔の白い毛、耳の比喩 柳の硬い芽? 異体字「桺(本字・木+丣・ユウ) 栁(俗字・木+夘)・ボウ・ミョウ」 卯=𠂎+卩・・・「門が開く・日の出の時間・枘穴(ほぞあな)」 ↓↑ ↓↑ 卬=匚+卩= ノ+𠄌+卩=〔+卩 あおぐ・たかい・われ・のぞむ・たかぶる ゴウ・ギョウ・ガウ・キャウ・キョウ 「我(われ)、自分を指す語、同”余””予””吾”」 異体字「仰・昂・𠨐」・ 卬・迎・抑・仰・抑制=抑(おさ)える 昂≠昴(すばる・ボウ) 「迎撃・歓迎」 「卬」=「高く立って見下ろす人と、低くひざまずき見上げる人」 「𠨍」=「主君の傍にある重臣、大臣、要職の長官、同”卿”」 ↓↑ ↓↑ 卯=う・ボウ ↓↑ ↓↑ 門の両扉の開く・二戸の開闢(カイビャク・ひらく)する形 両開きの門をおしあける 無理に侵し入る 冒(ボウ)と同音 十二支の四番目 午前五~六時の二時間 東 兔・兎・宇佐戯(偽)・・・大分・宇佐神宮 卯=おかしてはいりこむ・・斧鉞で二つに叩き割る 「雄(オス)くぎ」を「卯釘(ボウテイ)」 嵌(はめ)木細工の 食いこむ所を「卯=V・U・凹」 差しこむほうを筍(ジュン・凸) ↓↑ ↓↑ 点卯(テンボウ)=官庁で午前六時(卯)に 出勤者の点呼をとった 応卯(オウボウ)=登庁して記名すること ↓↑ 卯簿(ボウボ)=出勤簿 半島(朝鮮)の現今の領域図形は「ウサギ」・・・? ↓↑ 冢⇔冖+豕 塚・墳墓・大きな墓・冢中の枯骨=無能の人 冦⇔冖+元+攴 倭寇・元寇 冨⇔冖+畐 異体字「富」・富豪・富札 冩⇔冖+臼+勹+灬 異体字「写(簡体字)・寫(正字)」 「東洲齋-冩樂-画」 うつす・おろす 舃(かた・くつ・セキ) 冩=冖(ベキ・ミョウ)、宀(ベン) と 冩の下 舃(かた・くつ・セキ) とを組み合わせた形 宀は祖先を祭る廟の屋根の形・廟屋 舃は儀礼用の飾りのあるぬいぐつの形 冩は、廟の中では儀礼用のクツ(舃)とはきかえる ものを移し変えること 潟(セキ)は潮が引いて、ひがたとなるような地形 海水の移動、灌漑の水の移す、除くの意味・・・ 新潟・八郎潟(はちろうがた)干拓地=秋田県にある ↓↑ ↓↑ 「中州の嶋」は「横島(よこしま)」と呼ばれたカモ・・・ 「横島」は浅瀬を挟んだ陸地に近接しているので、 この河川、海岸の「湖沼、沼地・泥地」を「干拓・拓殖・干潟」し、 土地を広げる「埋め立て」事業の対象地である。 「潟」とは「水の渇水」だが、 「潟=氵+臼+一+勹+灬」で漢字が異なる・・・ 「写す」の旧漢字は「寫=ウ+臼+勹+灬」である。 「ペスト(黒死病)」、「コレラ(虎列刺)」の激しい下痢を「瀑瀉」と記した。 「瀉」は水を注ぐ意味だが、 「土砂降りの豪雨」、「大津波の押し寄せる濁流、激流」であるかな・・・ 春に芽吹く草、「雪ノ下」は「虎耳」の漢字が当てられている。 砦の濠に仕掛ける罠の「もがり・竹矢来」は「虎落」。 「虎杖」は「蓼のイタドリ」である。 幼児用の便器の「おまる」は「虎丸」であった。 シャワレットの水洗ではイメージも出来ないだろうな、 「トグロを巻いた黄色いウンコ」・・・ http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/ ↓↑ ↓↑ 冪⇔冖+幕 冪=羃=巾=累乗=同じ数の相乗積 冪=「冖(おおう)」+「幕(まく・艹+日+一+人+巾)」 異体字「幂」 ↓↑ 冪演算(べきえんざん・Exponentiation) 底 (base) および 冪指数 (exponent) と呼ばれる 二つの数に対して定まる数学的算法 冪指数を底の右肩につく上付き文字によって示す 自然数 n を冪指数とする冪演算は 冪乗または累乗 (repeated multiplication) に一致 b2は b の平方 (square of b) b3は b の立方 (cube of b, b-cubed) ↓↑ 『冪』=字義は「覆う、覆うもの」=『冖』と同音同義 江戸時代の和算家は 「冪」の略字として「巾(はば・幅=巾+畐)」を用いた 「畐(フク)」=酒樽のように下部に膨らみのある器 富=とみ=登美=冨=財産・・・意冨 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 登美・・・登弥神社(とみじんじゃ) 木ノ島大明神、又は 鳥見明神 登美の長髄彦 登美の饒速日命 (とみのにぎはやひのみこと) 鳴門市の大麻比古神社 登美の那賀須泥毘古 『日本書紀』の神代巻で 阿波忌部氏の遠祖は天日鷲命 『古語拾遺』で 天富命(あめのとみのみこと)をして 天日鷲命の孫を率いて 肥饒の地を求めて阿波国に遣わし 穀・麻の種を殖わせしめた・・・ ↓↑ ↓↑ 意富=おほ・おほと・・・イフ=if=もしも・・・? 大・太・多・・・太安万侶 意冨比=おほひ・・・意冨比神社・・・大野町 箱館戦争 北海道函館市の隣の 北斗市本町(大野町本町)に鎮座 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 意富富杼王(おほほどのおおきみ) 『古事記』・「上宮記」に伝えられる皇族 大郎子(おほいらつこ) 意富々杼王 意富富等王 大大迹王とも 父は 稚渟毛二派皇子(応神天皇の皇子) 母は 河派仲彦王の女 弟日売真若比売(おとひめまわかひめ) 百師木伊呂弁とも 同母妹の 忍坂大中姫 衣通姫は 允恭天皇に入内 『古事記』には 息長坂君(息長君・坂田君) 酒人君 三国君 筑紫米多君(めたのきみ)などの祖 「上宮記」逸文によれば 中斯知命(なかしちのみこと)を妃として 乎非王(おいのおおきみ)を儲け その孫が 男大迹王(袁本杼王)=継体天皇 意富富等(オホホド=大ホド) という名は 継体天皇の諱 男大迹(オホド=ヲホド)と対応 大郎子と称されていた・・・との説も ↓↑ ↓↑ 「凡牟都和希王~若野毛二俣王~大郎子(意富富等王) ~乎非王~汙斯王~乎富等大公王」 ↓↑ ↓↑ 凡牟都和希(ほむたわけ)王=応神天皇 若野毛二俣(わかぬけふたまた)王=稚野毛二派皇子 大郎子=意富富杼王 汙斯(うし)王=彦主人王 乎富等(をおど)大公王=継体天皇 に比定・・・ ↓↑ ↓↑ 逼迫=苦難や危難が身に迫ること 事態が差し迫ること 生活に余裕がなくなること 財政が逼迫 逼=ヒツ・ヒキ・ヒョク 迫る・差し迫る・近づく・強いる・脅迫する 偪=せまる・ヒョク・フク 亻+畐 通仮字「棘」 異体字「畐・逼」 簡体字「逼」 畐・副・愊・蔔・富・福・逼・匐・楅・蝠 匍匐前進・・・「勹+甫+勹+畐」 勹=包 甫=はじめ・おおきい・ホ・フ はじめて・ひろい 男子に対する敬称 男子の美称 物事の始まり・広大 葡萄牙(ポルトガル) ↓↑ 勞=𤇾+力 𤇾=火+火+冖 冖の上に火(炎)が載った象形・熒 勞=𤇾+力=冖(ベキ・ミャク)の力で炎を起こす 摩擦の力で火を起こし光を得る形象・・・ 勞働の結果の報酬は炎と光? 光の異体字「炗・灮・炛」 炗=廿+火⇔鍋(廿・器・瓶・壜)+火 =器で「煮・炊・蒸・焼」 炛=火+化=光 ーーーーー ・・・???・・・話間(和間・倭間・和漢・輪環)・・・ ↓↑ 義理 個人的な 人間関係よりも 報恩や 信義・信頼 を貫くこと ↓↑ 義理 個人的な 人間関係でも 共同体的な 人間関係でも 報恩や 信義・信頼 を貫くこと ・・・「報恩」には「自己犠牲」を伴う「義務」も含まれる・・・? ↓↑ 「義理」=「義務」 ・・・「義理の人間関係」・・・ ・・・・社会的な利害関係の 「貸し借り」の「約束」を護ること・・・ 「恩義」のお返し「報酬」=協同扶助の清算「義務」 「人情」を受けたら「義理」で返す・・・ ーーーーー ・・・「わかんむり」なら「ひらかん」も、「べきかん」もむり?
・・・???・・・
(表紙・画像・音楽)」の
移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文
「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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