あれから七年・・・
2021/11/9・火曜日・・・追加添文・・・
お変わりなしのモノはナニもない・・・
変わってきたのさッ・・・地球上の個々の居住「人間社会協同体」・・・
縄文、弥生の倭人領域に渡航、侵入してきた
難民、渡来人、帰化人の
「人数の多少」の問題ではない・・・
・・・「倭人領域の指導者層」に食い込んで影響力を及ぼしていったのは
・・・「知識人・技術者」の少数人数であっただろう・・・
「戎・胡・夷・蛭子」が
「倭国領域」に入れば
「倭人」は彼らを
「えびす=恵比寿・恵比須」様として尊敬したのさ・・・
だけれども「新羅人」等は各地に分散させた
オマケに「東漢氏(やまとのあやし)」・・・
「倭漢直の祖の阿智使主」・・・邪魔人の怪しは裏切り者?
阿智王
七姓(朱・李・多・皀郭・皀・段・高の七姓漢人)
と共に渡来
602年
新羅征討計画の際に兵器製作担当
崇峻天皇暗殺
東漢駒(東漢直駒)が暗殺実行
「壬申の乱」
で生き残り
平安時代
蝦夷征討の坂上苅田麻呂・田村麻呂
阿智使主の直系の子孫は
天武天皇より
「忌寸」・・・「忌」の「寸」は警戒すべきヤツラ?
の姓を賜り
他の氏族とは姓で区別された?
「掬」の代に東漢直姓を賜った
東漢氏
坂上氏・書(ふみ)氏・(文氏)・民氏
池辺氏・荒田井氏
などの直姓氏族に分かれ
八色の姓では
「忌寸」姓
8世紀~9世紀
「坂上」氏が「宿禰・大宿禰」を賜った
「イズモ(出雲)の國譲り」・・・伊都摸・伊豆摸・意図喪?
「卑弥呼の時代の倭国大乱」・・・
ーーーーー
調略の雄
黒田 官兵衛
天文十五年十一月二十九日
1546年12月22日(ユリウス暦)
1547年1月1日(グレゴリオ暦)
~
慶長九年三月二日
1604年4月19日
幼名 小寺万吉
改名 祐隆・孝隆
黒田孝高
法名 如水円清
別名 官兵衛・小官
略称 黒官
號 如水軒
神号 水鏡権現
戒名 龍光院殿如水円清大居士
霊名 シメオン(洗礼名)
墓所 福岡市博多区千代の崇福寺
京都市北区大徳寺塔頭龍光院
和歌山県
伊都郡
高野町の高野山奥の院
官位 従五位下・勘解由次官・贈従三位
主君 小寺政職・織田信長・豊臣秀吉
豊臣秀頼・徳川家康
藩 豊前 中津藩主
氏族 小寺氏・黒田氏(宇多源氏)
ーーーーー
「倭人指導者」の伝統は
「支配者」が敵に降伏する条件・・・
「百姓生活者」を無駄死にはさせない
「敵との妥協」
「自己責任の自決(自死)」・・・?
「豊臣秀吉」の「戦法」・・・?
・・・「戦国時代の倭人武士の戦法=作法」・・・
↓↑
備中
「高松城の戦い」
↓↑
天正十年(1582年)
「織田信長」の臣下
「羽柴秀吉」が
毛利氏配下の
「清水宗治」
の
「備中高松城」
を水攻めの最中に
「織田信長」が
「明智光秀」の反逆で
「本能寺の変」で殺され
秀吉は毛利方と和睦を結び
「清水宗治」
の自刃切腹を見届け
軍を姫路へ引き返した
↓↑
清水 宗治
天文六年(1537年)
~
天正十年六月四日(1582年6月23日)
↓↑
備中高松城主
三村氏、毛利氏に仕えた
三村氏の有力配下
石川久智の娘婿
↓↑
改名 才太郎(幼名)→宗治
別名 長左衛門
戒名 清鏡宗心
墓所 備中高松城跡(岡山県岡山市北区高松)
墓 清鏡寺(山口県光市)
主君 石川久武→毛利輝元
氏族 備中清水氏
父 清水宗則
兄弟 宗知(月清入道)・宗治・難波宗忠(伝兵衛)
妻 石川久孝 娘
子 宗之・景治・難波宗定
娘(中島元行室)・孃(駒木根清右衛門室)
↓↑
「イズモの國譲り」・・・和平協定・・・諏訪への移転?
ーーーーー
黄巾の乱(黃巾之亂)⇔太平天国の乱(1851年~1864年)
後漢末期 清朝・死者総数2,000万人以上?
「蒼天已死 黄天當立 歳在 甲子 天下大吉」
(『後漢書』71巻 皇甫嵩朱儁列傳 第61 皇甫嵩伝)
↓↑
184年(中平元年)・・・184年
中国 146年~189年「倭国大乱」?
↓↑
「太平道」
教祖
「張角」
が組織的に起こした
「農民反乱」
「黄色い頭巾」・・・黄幡・告諭
を頭に巻いて叛乱
「黄巾起義」
小説『三国志演義』
「黄巾賊」の叛乱
↓↑
184年(光和七年・干支=甲子年)
「馬元義」
が洛陽の中常侍の
「封諝」
「徐奉」
等と内応、3月5日に蜂起を約束したが
「張角」の弟子の
「唐周」が宦官達に密告し発覚
「馬元義」は車裂き
「霊帝」は
宮中の衛兵や民衆千人余りを誅殺
「張角」捕縛の命を下した
↓↑
2月
「張角」
諸方に命じ一斉に蜂起
自らを
「天公将軍」と称し、弟の
「張宝」
「張梁」
地公、人公将軍とし
安平
甘陵で
「張角」に呼応した住民が
安平王「劉続」
甘陵王「劉忠」
を捕らえた。
↓↑
3月
「霊帝」は
「何進」を大将軍とし
将兵を都亭に駐屯
八つの関に都尉を置き洛陽を守護
「皇甫嵩」
「呂強」
等の進言によって
「党錮の禁」を解き
清流知識人が黄巾軍に合流するのを防いだ
人材を募り
「盧植」を
「張角」がいる冀州方面へ
「皇甫嵩」
「朱儁」
に豫州潁川方面へ派遣
↓↑
4月
「朱儁」
潁川で黄巾軍の
「波才」と激突し敗走
汝南太守の
「趙謙」は
邵陵で黄巾軍に敗北
↓↑
5月
「皇甫嵩」
「朱儁」
は長社に籠城
「波才」
大軍で包囲
「皇甫嵩」
火計を用いて波才軍を混乱させ
長社を討ってでて
「波才軍」を敗走させ
援軍
「曹操」軍と合流追撃
陽翟で
「波才軍」
6月
西華で
「彭脱軍」
を破り
黄巾軍の別働隊を破った
「王允」
と共に豫州を平定
↓↑
荊州・南陽
黄巾軍
↓↑
3月
荊州南陽で
「張曼成」
率いる
「南陽黄巾軍」蜂起
南陽太守の
「褚貢」を攻め殺し
自らを
「神上使」と称し
宛城に駐屯
↓↑
6月
南陽太守
「秦頡」は
「張曼成」を攻め斬り殺した
「南陽黄巾軍」
は新たに
「趙弘」を指揮官とした
豫州を平定し終えた
「朱儁」は
荊州刺史の
「徐璆」
「秦頡」と合流し宛城を包囲
↓↑
8月
「朱儁」更迭の噂が流れ
「朱儁」は攻撃を開始し
「趙弘」を斬った
黄巾軍は
「韓忠」
を代わりに立て再び宛城に籠城したが
「朱儁」揮下の
「孫堅」によって宛城は落城
「韓忠」は降伏しようとするが
「朱儁」拒否
「韓忠」は
「秦頡」に殺され
「南陽黄巾軍」
は新たに
「孫夏」
を立て抵抗
↓↑
10月
「朱儁」は
「孫夏」を破り
「南陽黄巾軍」壊滅
ーーーーー
184年 247年
(光和七年・干支=甲子年) (正始八年)
↓↑ 干支 丁卯
神功皇后 四十七年
皇紀 907年
魏 正始八年
蜀 延熙十年
呉 赤烏十年
高句麗 東川王二十一年
新羅 助賁王十八年
沾解王元年
・・・沾=漬・ひつ・水につかる
ひたる・ぬれる・湿る
百済 古尓王十四年
↓↑ 卑弥呼 狗奴国王・卑弥弓呼と戦う
後漢 vs 黄巾軍 邪馬台国
指導者 指揮官 ↓↑
↓↑ ↓↑ ↓↑
何進 張角・・・張政=魏国の支配地域
帯方郡の
塞曹掾史
帯方郡太守
王頎の部下
正始八年(247年)
邪馬台国に派遣
↓↑ ↓↑
盧植 張宝
皇甫嵩 張梁
朱儁 張曼成
董卓 波才
↓↑
後漢の衰退
劉備の蜀
曹操の魏
孫権の呉
の鼎立
三国時代の契機・・・
↓↑
『後漢書・東夷伝』
「永初元年(107年)
倭国王 帥升 が後漢へ使者」
『新羅本記』
「十年(193年) 六月倭人大饑・来求食者千余人」
『魏志倭人伝』
「男王の系統が70~80年経過後に争乱」
『後漢書』
「桓帝・霊帝の間(146年~189年)に大乱」
『梁書』
「霊帝光和年中(178年~184年)に大乱」
ーーーーー
『三国志』魏書 卷30 東夷伝 倭人(魏志倭人伝)
「其國 本 亦
以 男子
爲 王住
七八十年
倭國亂 相攻伐 歴年
乃
共立
一女子
爲 王
名
曰 卑彌呼
事 鬼道
能 惑衆
年已 長大
無 夫婿」
↓↑
『後漢書』卷85 東夷列傳第75
「桓 靈閒
倭國 大亂
更 相攻伐
歴年
無 主
有一女子
名
曰 卑彌呼
年長 不嫁
事 鬼神道
能以 妖 惑衆
於是 共立
爲 王」
ー↓↑ーー
卑弥呼の
女王国が
狗奴国との戦い
248年頃に
卑弥呼が死去
男王の後継問題で混乱
卑弥呼の宗女
十三歳
「壹與(臺與)」
が女王になり収まった
266年
晋の
「武帝」に遣使、朝貢
ー↓↑ーー
「卑彌呼以死
大作
家(塚)
徑百餘歩
徇葬者 奴婢 百餘人
更立男王 國中 不服
更相誅殺 當時 殺千餘人
復立
卑彌呼 宗女
壹與
年十三
為 王
國中遂定
政(張政)
等
以
檄
告喻 壹與
壹與
遣
倭大夫
率善中郎將
掖邪狗・・・・和気・譯
ヨコシマなイヌ
等二十人送
政(張政)
等還
因詣
臺
獻上 男女生口三十人
貢
白珠五千孔
青大句珠二枚
異文雜錦二十匹
・・・「かっとう・カットウ・かつとう・カツトウ」・・・昨日、3月17日14時頃・・・「従姉の御主人」が亡くなった・・・ ・・・以下はスベテ、ブログ辞典、他人のブログ記事、そして毎度「ウイッキペデア」から「参照、参考」にして抜粋したものを少々改作添付したモノ・・・該当「原文」は「当該文字」をコンピュータで検索すれば、即、検索可能なものです・・・「意味内容、概念規定の判断」はご自分で・・・過去のボクの「日記、記録文」、今後も、このボクの「立場」はオナジです。ボクの「文字記録」に「オリジナル」はアリマセンので、この点は「ご理解・ご了承」を・・・叙述説明が「肯定文、否定文、断定的な文」であったとしても「推測・妄想」のタグイの枠内であるコトを・・・「イチャモン」でもありません・・・「ボクの記録文言」に失礼な箇所があればご容赦ください・・・ ・・・ボクの今現在の生活はネコのモモとブブの「餌代+アルファ+モウソウ」で、TVで拝見した「多摩川河川敷で生きているヒトビト」と若干、「立場」は異なりますが、「ホトンド」がオナジ「シンジョウ」です・・・ ーー↓ーー 葛藤(カットウ) 葛(かずら)+藤(ふじ) 枝がもつれ絡む 人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うこと 心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、 そのいずれをとるか迷うこと 葛藤(クズとフジ) 葛藤=葛(クズ)+藤(フジ) 蔓草と藤 葛藤(かっとう)=葛が「つる草」+藤が「つるの花木」 内部に於ける統治上の 葛城氏と藤原氏の激しいもつれ・・・ 諸葛亮と藤甲兵 ーー 「藤甲軍」は南蛮にある 「烏戈国の王」、 「兀突骨」配下の戦闘部隊(三国志演義・第九十回) 「藤の蔓を油に漬け、後に陽に晒し、 乾かす作業を十回あまり繰り返して鎧を作った」 「藤甲を着れば水に沈まず、湿らず、刀も矢も徹さない」 「諸葛亮の南蛮征伐で 六度擒(手+禽=とりこ・ゴ・キン・捕虜)にされて 六度許された 南蛮王の 孟獲は、 帯来洞主の薦めにより、 烏戈国の王である 兀突骨は藤甲軍三万を率いて、 諸葛亮の蜀軍と戦うが 諸葛亮は 「藤甲軍の鎧は油に漬けられて作られている」と 「藤甲軍を盤蛇谷に誘い、地雷の火攻めで全滅させる」 ↓↑ 「擒(とらえる・いけどり・とりこ・キン)」 擒捉・擒縛(きんばく)・・・猛禽類→鷹・鷲・鳶・隼 たか・わし・とんび・はやぶさ 「欲擒姑縦(よくきんこしょう)」 擒(とら)える事を欲するならまず逃がせ) 「兵法三十六計」の・・・・三十六計、逃げるが勝ち 逃げ場所が無い・・・ニッポン? 「第十六計の戦術」 敵をわざと逃がして 気が弛んだところで捕える作戦 「擒賊擒王(きんぞくきんおう)」 三十六計の第十八計 敵の主力を叩き、 指揮官、中心人物を捕らえられれば、 交戦せず、敵を弱体化できる ↓↑ ウイッキペデアより抜粋 ↓ 5世紀頃までの故事を 17世紀 明末清初の時代に纏められた物 1941年、邠州(陝西省邠県)で 再発見され、大量に出版 兵法書として 「孫子」よりも民間において流布 六計六組の配列で記載 「三十六計」 魏晋南北朝時代の 宋の将軍 檀道済の、 「三十六策、 走るが是れ上計なり ・南斉書・王敬則伝」 は具体的な内容は不明で、 「兵法三十六計」と直接の関係が無い・・・? ーー↓ーー 勝戦計 戦いの主導権を握っている場合の定石 ↓ 瞞天過海 敵に繰り返し行動を見せつけて 見慣れさせておき、 油断を誘って攻撃・・・・・・大陸中国カモ 囲魏救趙 敵を一箇所に集中させず、 奔走させて疲れさせてから撃破 借刀殺人 同盟者や第三者が 敵を攻撃するよう仕向ける・・・ロシア ・・・韓国カモ 以逸待労 直ちに戦闘するのではなく、 敵を撹乱して主導権を握り、 敵の疲弊を誘う・・・・・・・大陸中国カモ 趁火打劫 敵の被害や混乱に乗じて 行動し、利益を得る・・・・・大陸中国カモ 声東撃西 陽動によって 敵の動きを翻弄し、 防備を崩してから攻める・・・大陸中国カモ ↓ 敵戦計 余裕を持って戦える、優勢の場合の作戦 ↓ 無中生有 偽装工作をわざと露見させ、 相手が油断した所を攻撃・・・大陸中国カモ・・・ 暗渡陳倉 偽装工作によって 攻撃を隠蔽し、敵を奇襲・・・北朝鮮カモ 隔岸観火 敵の秩序に乱れが生じているなら あえて攻めずに放置して 敵の自滅を待つ・・・・・・・ロシアかも 笑裏蔵刀 敵を攻撃する前に 友好的に接しておき、 油断を誘う・・・・・・・・・大陸中国 李代桃僵 不要な部分を切り捨て、・・・アメリカかも 全体の被害を抑えつつ勝利 順手牽羊 敵の統制の隙を突き、 悟られないように 細かく損害を与える・・・・・ロシアかも ↓ 攻戦計 相手が一筋縄でいかない場合の作戦 打草驚蛇 状況が分らない場合は 偵察を出し、反応を探る 借屍還魂 死んだものや他人の 大義名分を持ち出して、 自らの目的を達する・・・・・韓国・大陸中国 調虎離山 敵を 本拠地から誘い出し、 味方に有利な地形で戦う 欲擒姑縦 敵をわざと逃がして 気を弛ませたところを捕らえる 抛磚引玉 自分にとっては 必要のないものを囮にし、 敵をおびき寄せる 擒賊擒王 敵の 主力や、 中心人物を捕らえることで、・・・アメリカ 敵を弱体化 ↓ 混戦計 相手がかなり手ごわい場合の作戦 ↓ 釜底抽薪 敵軍の兵站や大義名分を壊して、 敵の活動を抑制し、 あわよくば自壊させる 混水摸魚 敵の内部を混乱させ、 敵の行動を誤らせたり、 自分の望む行動を取らせる 金蝉脱殻 あたかも現在地に留まっているように 見せかけ、主力を撤退させる 関門捉賊 敵の退路を閉ざしてから包囲殲滅する 遠交近攻 遠くの相手と同盟を組み、 近くの相手を攻める・・・・ニッポンかも 仮道伐虢 攻略対象を 買収等により分断して・・・アメリカ・大陸中国・韓国 各個撃破する ↓ 併戦計 同盟国間で優位に立つために用いる策謀 ↓ 偸梁換柱 敵の布陣の強力な部分の相手を 他者に押し付け、 自軍の相対的立場を優位にする・・・ニッポン 指桑罵槐 本来の相手ではない 別の相手を批判し、・・・・・・・・韓国・大陸中国 間接的に人心をコントロールする 仮痴不癲 愚か者のふりをして 相手を油断させ、 時期の到来を待つ・・・かっての大陸中国 上屋抽梯 敵を巧みに 唆して 逃げられない 状況に追い込む・・・・ロシア・大陸中国 樹上開花 小兵力を 大兵力に見せかけて敵を欺く 反客為主 一旦敵の配下に 従属しておき、 内から乗っ取りをかける・・・カってのニッポン ↓ 敗戦計 自国がきわめて劣勢の場合に用いる奇策 ↓ 美人計 土地や金銀財宝ではなく、 あえて 美女を献上して敵の力を挫く・・・かっての新羅 空城計 自分の陣地に 敵を招き入れることで 敵の警戒心を誘い、 攻城戦や包囲戦を避ける・・・・かってのニッポン 反間計 スパイを利用し、 敵内部を混乱させ、 自らの望む行動を取らせる・・・アメリカ・ロシア 中国・北朝鮮 かっての列強諸国 苦肉計 人間というものは 自分を傷つけることはない、 と思い込む 心理を利用して敵を騙す 連環計 敵と正面からぶつかることなく、 複数の計略を連続して用いて勝利を得る 走為上 勝ち目がないならば、 戦わずに全力で 逃走して損害を避ける ・・・これが、大陸中国、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、西欧列強国などの「支配階級としての政治屋」と云うものである・・・ ・・・「ニッポン支配階級」だけが「玉砕戦術」を執った・・・ ーー↓ 葛藤・・・葛城領域(先住民)と藤原領域(後住民) ↓ クズ野郎 唐野郎 ↓ 双方武装渡来民 「マキ」や「サイマキ」 腰刀として用いられる 「葛藤のツル」を巻いた 鍔のない短刀 「鞘巻(さやまき)」に由来 「車-海老・蝦・えび」は 鞘巻にも似ていることから、 別称として「さやまき」・・・詐耶麻記 ↓ 葛藤の類語 二種類の同時に存在しながら 矛盾する気持ちの 対立コンフリクト(CONFLICT)人・・・ 意見、利害が対立していること 論争・摩擦・物争い 争い・繋争・揉事 衝突・紛紜 ごたごた・いがみ合い 対立・不和・争い・もめごと (家庭)争議 もつれ・摩擦状態 不和 反目 軋轢(アツレキ)・・・軋(きし)む 轢(ひく・きしる・レキ・リャク) 車が踏み通る 轢殺・轢死・轢断 車輪が擦れ合うこと 不仲 ーー↓ 武力による比較的長期間の 戦い・争い・闘争・戦闘 engage in armed conflict=交戦 a conflict between two countries=二国間の争い 主義・主張上の 争い・争議・論争・口論 a conflict between father and son=父と子との間の争い avoid conflict with one's friends=友だちとの争いを避ける 思想・利害などの 衝突・対立・矛盾 a conflict of interest=公私の利害対立 a conflict between law and compassion=法と情との対立 心理、葛藤、二つ以上の欲求が対立した心理状態 undergo [suffer] a mental conflict 心理的葛藤を経験する・煩悶する ーー↓ クズ+フジ=葛藤=つづらふじ(ふぢ)・・・ぶち?・・・扶持・斑・・・ ーー 葛(つる・かずら)=サ+日+匂→(勾匈句匄匃) ↓ ↓ 乞匃=こつがい=コツガイ=食を人に乞うて生活する人 =乞食=こつじき=コジキ 「匄(勹亡)」=亡+人・・・丐(下+勹)は俗字 士匄(范宣子・?~前548) 春秋時代の晋の軍人・政治家・士鞅の父 士匄(士文伯・?~?) 春秋時代の晋の大夫 ↓ 「説文解字」の本字は「匃」・・・ 「气(もと)むるなり」・・・汽・気(氣)→氤(イン) 「气(いき・キ・ケ)」=求める・与える 气=「ノ-」+「一」+「乁(イ)」 ↓ 「ノ一」は 「ケ→竹→毎→年→午」の上部の字 「髪挿し・櫛」で 「毎」は「櫛を貫(毌)く」である 毌(つらぬく・カン) 毋(ない・なかれ・ブ・ム) 母(はは・ボ・ム) ↓ 海(うみ・あま・カイ) 梅(うめ・バイ・メ) 珻(バイ) 悔(くいる・くやむ・カイ・ケ) 痗(バイ) 苺(いちご・バイ・マイ) 誨(おしえる・カイ・ケ) 莓(いちご・バイ・マイ) 「逯安說、亡・人、匄を爲す」 「匄(勹亡)」=亡+人の会意 逃亡する意味 人が物を失う・持っていない 刀に従い亡声の形声(六書疏証) 「勹+亡」の会意で、 どちらも「人骨」を表す(白川静) 「金文」で「气・乞」と同じように使われ 「金文」では「害」と通じる・・・ ーー 「葛=艸(サ・廾)+勹+ヒ」の類字は 「曷=日+勹+乚+人=日+匃(カイ) =(なんぞ・いずくんぞ・カツ・ガチ)」 「匃=カツ・カチ・カイ・こう・あたえる 勹+人+乙(L)」 「匂=勹+ヒ(七・匕・牝)」 ↓ 「渇=氵(水)+日+匂 =(かわく・カツ)」 「褐=衤(衣)+日+匂 =(めのこ・カツ・ガチ)」 「遏=辶(辵)+日+匂 =(とめる・とどめる・アツ・アチ)」 辵=彡+ト+人 =(こえる・しんゆう・しんにょう チャク 渇望・・・枯渇・渇水 咽喉(のど・インコウ)が渇いたときに水を欲する状態 心から望むこと 切望・熱望 渇+望=渇きで望む・・・渇きで「水」を望む 渇望の類語 強い願望 渇欲・渇求 ーー ・・・生きていくって・・・ ・・・渇望・・・切望・・・願望・・・希望・・・ 「絶望」と考えているのは「未だ生きている人間」である・・・「絶命」ではない「人間」だからな・・・ 「ネコと多摩川河川敷、土手のホームレス」・・・ 小西修の動物ドキュメンタリ 多摩川河川敷の猫 私の周りの動物達·多摩川河川敷の猫 ロンタとハナカブ マリアと名もない仔猫たち ポッポとサツキ 猫とホームレス トラジロウの足跡・チロの足跡 オヤビンの足跡・トラの足跡 ミーヤの足跡 足跡 https://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4ADFA_jaJP411JP413&q=%E3%83%8D%E3%82%B3%E3%81%A8%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B7%9D%E5%9C%9F%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%82%B9&sa=X&oi=image_result_group&ei=tsonU8zRJMb2lAXkooDQDg&ved=0CDEQsAQ
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