おろし=颪・降ろし・卸し・下石・尾呂志・・・俄西亜
発送2022/4/12・火曜日・・・追加添文・・・
魝(おろす)=楚人謂 治魚也(說文)・割也(博雅)・解剖・さばく(捌) サカナをオロス おろす=卸す=魚・獣の肉を切り分ける 吉 詣切・音は計(ケイ)・解也(集韻)・解体 古 屑切(廣韻) 薊(あざみ)=艹+魝・・・類字 薢=草薢(ところ・山芋) 鬼野老(おにところ) 菟薢 (ヒカイ・生薬名) 蘚=朝鮮・鮮卑 蘇=蘇我・蘇生・・・紫蘇(しそ・ちそ) ・・・始祖・私訴・紙祖?
蘇我入鹿
↓↑
渡り鳥の北帰行・・・露助(ろすけ)・プーチンは帰還せず
都市破壊、住民虐殺継続・・・
プーチンの私兵、ウクライナの「硝酸工場」を爆破・・・
プーチンの私兵、ウクライナに「サリン」散布・・・
呼吸困難、呼吸不全・・・
露助(ろすけ)・プーチンは
略奪品を故郷、家族へお土産・・・
「降伏の王子」・・・マツロ・・・
「燕(鳦)」・・・・マツロ・・・
「烏克蘭」・・・「宇克蘭」・・・「鴉克蘭」・・・
「俄西亜」・・・「魯西亜」・・・「鹵西亜」・・・
ニジのカナタに・・・ナニがある・・・ ↓↑ ?・・・「日置(ひおき・ひき・へき)」・・・実地・字通知? 「置=罒+十+目+乚(乙・L)」 横目を交わらす 縦目の乚(隠れる・イン 乙=おつ・イツ) 「乙」の字形 「匿(かく)るなり 𨒅曲(キキョク)・・・𨒅=辶+只=曲行するなり 怖れる、恐らく して 隱蔽する形に象る(説文解字・巻十二)」 隠すための衝立のようなものの象形 「讀みて隱の若くす」 で、隠と音義ともに通じ 「隠の異体字」・・・ 「ツバメ(燕・乙鳥・鳦)を表す 𠃉と同一視される」こともある ・・・燕国=エンコク=縁濃く? =三国時代の公孫氏の国 燕国=広陽国・広陽郡・燕郡・・・燕京=エンキョウ=圓教? 燕京=薊(ケイ) 艹+⺈+田+灬 +刂 艹+魝・・・魝=魚の歯? 魚の背鰭・尾鰭? 薊=艹+魚+刂=あざみ 魝=楚人謂 治魚也(說文)・割也(博雅)・解剖・さばく(捌) サカナをオロス おろす=卸す=魚・獣の肉を切り分ける 吉 詣切・音は計(ケイ)・解也(集韻)・解体 古 屑切(廣韻) 薊=艹+魝・・・類字 薢=草薢(ところ・山芋) 鬼野老(おにところ) 菟薢 (ヒカイ・生薬名) 蘚=朝鮮・鮮卑 蘇=蘇我・蘇生・・・紫蘇(しそ・ちそ) ・・・始祖・私訴・紙祖?
公孫=公(諸侯)の孫 公の子である公子までは公族 その子の公孫からは臣籍に下り 公孫を氏とする・・・ 公孫僑(子産)=春秋時代の宰相 公孫龍(竜)=戦国時代の思想家 公孫鞅(商鞅)=戦国時代の政治家 公孫衍=魏の官である犀首(公孫衍)・・・衍=余分な文字 ↓↑ 「燕」は 更元七年(前318年) 魏・趙・韓・燕・楚の 五ヶ国の合従を組織し、秦を攻めた ↓↑ 春秋戦国時代 燕の首都=薊(ケイ)・・・景・軽・鶏? ↓↑ 燕国は 紀元前222年 秦に滅ぼされ 上谷郡・漁陽郡・右北平郡 遼西郡・遼東郡 設置 ↓↑ 秦末 各地の諸侯が独立 趙王武臣の将軍 「韓広」が独立して 燕王となる 秦を滅ぼした 楚の 「項籍」によって 「韓広」は 「遼東王」に遷され 「項籍」に協力した 燕の将軍 「臧荼」が・・・・・「臧+荼」 燕王となった ↓↑ 高祖 劉邦 前漢建国 「臧荼=燕王」は 紀元前202年 反乱を起こし殺され 高祖の幼馴染 「盧綰」が・・・・・「盧+綰」 燕王に封ぜられた 高祖は 異姓の諸侯王を粛清 自らの親族たちを 諸侯王に立てる 「郡国制」を施行 「盧綰」・・・・・「盧+綰」 は廃され 高祖の八男・・・・・「八+男」 「劉建」が・・・・・「劉+建」 燕王となった 以降 劉氏一族が燕王 ↓↑ 元狩六年(前117年) 八代目 燕王 「劉旦」・・・・・・「劉+旦」 後継問題で父の 武帝と揉め 所領の 良郷・安次・文安 の三県を没収された ↓↑ 元鳳元年(前80年) 燕王 「劉旦」 謀反を起こすも失敗し、自害 燕国は一時 「広陽郡」となる ↓↑ 「宣帝」の 本始元年(紀元前73年) 「劉旦」の太子 「劉建」が・・・・・・「劉+建」 燕王から改称して新たに 広陽王に封ぜられ 広陽郡は 「広陽国」となって 「薊・方城・広陽・陰郷」 の四県を領した ↓↑ 「王莽」 「新國」建國 広陽国は 「広有郡」と改名 「薊県」は 伐戎県、 「方城県・広陽県・陰郷県」は 「陰順県」と改名 ↓↑ 光武帝 「後漢」建国 広有郡は上谷郡に合併 ↓↑ 「和帝」 永元八年(96年) 広陽郡として復活 「薊・広陽・昌平・軍都・安次」 の五県を領した 幽州刺史治(州都)は 「薊(ケイ)」 に設置 ↓↑ 西晋 広陽郡はふたたび 「燕国」となり 「薊・安次・昌平・軍都・広陽 潞・安楽・泉州・雍奴・狐奴」 の十県・・・拾(足)を懸ける・・・? を領した ↓↑ 「八王の乱」後 「燕国」は 「燕郡」となり 「燕郡・右北平郡・遼西郡」には 「鮮卑」族の・・・・「鮮+卑+ゾク」 「段部」が割拠・・・「段+部」 ↓↑ ↓↑ 「燕国」は 338年・・・参百参拾八・参参八 ↓↑ 338年 干支 戊戌 仁徳天皇 二十六年 皇紀 998年 東晋 咸康四年 後趙 建武四年 成漢 玉恒四年・漢興元年 前涼 建興二十六年(西晋元号使用) 前燕 太祖 文明帝(慕容皝)五年 代 建国元年 ↓↑ 朝鮮 高句麗 故国原王八年 百済 比流 王三十五年 ↓↑ 新羅 訖解 王二十九年 「後趙」の 「石虎」・・・・・・・「石+虎」 によって滅ぼされた 燕郡は後趙の領土となり、後 後趙の後継争いに乗じて 「前燕」の 「慕容儁」が・・・「慕+容+儁」 儁=亻+雋=㒞=㑺 亻+凹+隹 シュン すぐれる すぐれた人=俊 「後趙」に侵攻し 「薊」を奪って・・・・「薊」 「前燕」の都とした ↓↑ 「北魏」 「燕郡」は 「薊・広陽・良郷・軍都・安城」 の五県 を領した ↓↑ 「隋」王朝の時代 ・・・「隋(ズイ=陏・随・髄・瑞・蘂・蕊)」 「涿郡」に合併 以降、燕国の名は消えた・・・倭に埋没した・・・?
↓↑ 遼隧の戦い(リョウスイのたたかい) 三国時代の戦乱 遼東で半独立政権を築いた 公孫氏(燕王)と 魏が 遼隧(遼寧省海城市)で武力衝突 遼東 公孫氏 は滅亡・・・ ↓↑ 晋書巻九七四夷傳 「名を卑弥呼と曰う・・・・・・・? 宣帝の平らぐ公孫氏なり」・・・? と記載 卑弥呼は 西晋の始祖 宣帝(魏の司馬仲達) に滅ぼされた・・・? 「公孫氏」であった・・・ 東漢の外臣で 4代50年に渡って 遼寧省一帯に君臨した 公孫氏の太守 渕(ヱン)を・・・・渕=ヱン=燕(鳦) =円(圓・塩・猿) つぶら= 円 大使主 (つぶらのおほみ) 円 大臣 都夫良 意富美 西暦238年・・・卑弥呼の魏への使者派遣 に討ち 曹魏 の遼東平定が成る ↓↑ 237年 呉の 孫権 は 高句麗と通じ 遼東へ親征を行おうとした 魏は 毌丘倹(カンキュウケン) を派遣し 鮮卑・・・鮮(あざやか)な卑(いや しい) 魚の羊 彌栄・癒也恣意? 朝鮮 いやさか=厭(嫌)性? の軍を動かして 遼東に駐屯 孫権 は親征を断念 魏は 公孫淵に対し 上洛を命じたが 公孫淵は 拒否 挙兵して 遼隧で 毌丘倹 を撃退 同年 公孫淵 は 燕王を称し 年号を 紹漢 と定め独立 周辺部族を掌握して 玉璽を与え 魏との国境をめぐり 抗戦を継続・・・ ↓↑ 遼隧の戦い 238年 曹叡 は 司馬懿 に4万余の兵を与え 公孫淵征伐を命じ 公孫淵も 卑衍(ヒエン) ・・・卑の 衍=彳+氵+亍=あまる意 文章中に誤って入った 余計な文字 衍=語句中にまちがって入った 不必要な文字 衍字(エンジ) 卑弥呼の余り? ・・壱(壹・臺)與or磐余
↓↑ 楊祚(ヨウソ) ・・・楊=十+八+昜(日一勿・ヨウ) 昜≠易=日+勿 の 祚=示+乍(ながら・サ・ジャ) 天からくだされる幸福・福祚 天子の位・皇祚・聖祚・践祚 重祚 (ちょうそ) ・帝祚 らに 数万の軍を与え 遼隧(リョウズイ)に派遣 ↓↑・・・隧=スイ・ズイ 墓の奥へと通じる道 地中の通路・トンネル(tunnel) 渠=溝 地下水路・地下用水路 暗渠・渠渠・渠水 河渠・管渠 ドック=船渠(センキョ) 英語=dock オランダ語=dok 渠=ゴ・キョ・みぞ なんぞ・かれ・かしら・おおきい なんぞ・なに・いずくんぞ かれ(三人称の人代名) 頭・親分・渠師・渠魁 隧道(すいどう・ずいどう)・隧路 隋道・随道⇔隋所・隋書? ↓↑ 卑衍(ヒエン) が 司馬懿(シバイ)・・・懿=壹+次+心 懿徳天皇 を攻撃したが 司馬懿 は 胡遵・・・胡(えびす・恵比寿・蛭子・戎・夷) 遵(したがう・ジュン)法闘争? らを派遣して 卑衍(ヒエン)・・・卑弥呼・卑弥弓呼? を破った ↓↑ 公孫淵は 遼隧に 数十里(二十里、六、七十里) の 塹壕を掘り 司馬懿 の軍を迎え撃った 遼隧の 公孫淵 の防衛陣が 堅固と見た 司馬懿は 東南に退却したとみせかけて 国都の 襄平を侵攻 公孫淵は遼隧の軍を撤退させ 都の守備に当たらせたが 敗退を繰り返し 司馬懿に襄平を包囲される ・・・司馬の懿(壹+次+心) イチのツギのココロ 懿徳天皇=第四代天皇 大 日本 彦 耜 友 天皇(日本書紀) (おほやまとひこすきとも) 大 倭 日子鉏 友 命(古事記) ↓↑ 長雨の時期で兵糧が底を突き 公孫淵は人質を出して 和睦(ワボク) 和=ワ=倭 睦=目+坴 睦(むつ・リク)み合う しようと画策 司馬懿 はこれを許さず 公孫淵 を捕え、処刑 公孫淵(渊・渕) の子 公孫脩(修) をはじめとする一族も討たれ ↓↑ 238年 神功皇后摂政 三十八年八月二十三日 西暦 238年 9月 19日(ユリウス) 皇紀 898年 魏 景初二年 公孫淵(燕) 紹漢二年 八月・・・238年 9月 19日(ユリウス) 遼東「公孫」氏は滅亡 ↓↑ 戦後 司馬懿 はこの地に 魏へ反抗する勢力が 再び生まれぬよう 当地の15歳以上の男子を皆殺しにした ↓↑ 公孫淵は 孫権 に援軍を求める使いを出し 239年 孫権は援軍として ↓↑ 羊衜・・・羊の衜 鄭冑・・・鄭(奠の阝)冑(由の冃) 孫怡・・・孫(子の系)怡(心の台) ↓↑ を派遣 ↓↑ 曹叡 死去 魏は 遼東に対する配慮がなく 羊衜 らが 遼東の 牧羊城(旅順口)で 魏の 張持・・・張の持・・・張(政)の持つ黄幡? 高慮・・・高の慮・・・高(句麗)の思慮? らを破って、 その男女を捕虜として帰国 ↓↑ 朝鮮半島中西部の 帯方郡 を境に 南 は韓と接し 東北は高句麗 西北は烏丸・鮮卑 西南は漢・魏の 幽州と接する 漢・魏は 公孫氏政権があった為 遼東以東を 絶域とみなし 東夷諸国との 通交を行わなかった 二世紀後半 「黄巾の乱」後の混乱に乗じ 「公孫度」 が 遼東地方に半独立政権を樹立 高句麗・後漢と争いながら 楽浪郡・山東半島まで勢力を拡大 ↓↑ 204年 公孫度の子・・・公孫の度(たび・ド) 公孫康が・・・・公孫の康(やす・コウ) 楽浪郡の南に 帯方郡・・・・・帯=丗+冖+巾 =たらし・おび・タイ を設置 ↓↑ 公孫度が 「黄巾の乱」・・・黃巾之亂=後漢末期 西暦184年(中平元年) 太平道の教祖 「張角」を指導者とする 信者が各地で起こした 中国史上初の組織的「農民反乱」 以来の混乱に乗じ 遼東地方に 半独立政権を樹立 民族・風習とも 「漢民族」 だが 朝鮮半島 中西部の 帯方郡を境に 南 は韓と接し 東北は高句麗 西北は烏丸・鮮卑と接し 公孫氏の勢力圏である 遼東以北の地は 中華圏の北東端 漢・魏など 時の中華王朝からは 絶域とみなされ 公孫氏の勢力圏は 半独立地方政権だった ↓↑ 漢人の 公孫氏三代 度(たび・ド・タク) 康(やす・コウ) 淵(ふち・エン)=潭 =渕=渊 水を深くたたえている所・海淵・深淵 物事の出てくる根源・淵源 底が深く水がよどんでいる所・瀬 容易に抜け出られない苦しい境遇・苦境 が 50年にわたって 遼東半島に樹立した 地方政権(190~238) ー↓↑ーーー ・・・公孫氏・・・天孫降臨・・・辿遜交隣・・・ 遜=辶+子+系 へりくだる・ソン 退いて他にゆずる・遜位 へりくだる・謙遜・不遜 ひけを取る 帝位を譲る 劣る 遜る=相手を敬って自分を低くする 謙遜する・へりくだる ひけを取る 遜色 忖度(ソンタク)? ー↓↑ーーー↓↑ーーー ???・・・ 景初二年八月二十三日 ↓↑ 西暦238年(景初二年8月23日⇔西暦238年9月19日?) 干支 戊午年庚申月乙卯日 ↓↑ 戊午(丙 丁)正財・偏財 長生 ┏庚申(戊壬庚)正官・印綬 胎 ┗乙卯(甲 乙) ・比肩 建禄 壬午(丙 丁)印綬・偏財 長生 子丑空亡 ↓↑ 西暦238年9月 19日 干支 戊午年辛酉月壬午日 ↓↑ 戊午(丙 丁)偏官・正官 胎 辛酉(庚 辛)印綬・印綬 沐浴 壬午(丙 丁) ・正官 胎 丙午(丙 丁)偏財・正官 胎 申酉空亡 ↓↑ 日本 神功皇后摂政 38年・・・西暦238年9月 19日 8月 西暦238年9月 19日 23日 戊午 庚申 壬午 ↓↑ 皇紀 898年 ↓↑ 中国 魏 景初二年 公孫淵(燕) 紹漢二年 蜀(蜀漢) 延熙元年 呉 嘉禾七年・赤烏元年 朝鮮 高句麗 東川王十二年 新羅 助賁王 九年 百済 古尓王 五年 ↓↑ 遼東 公孫淵 魏に謀反 司馬懿 率いる追討軍に敗れ 「八月」に滅亡 50年続いた 公孫氏の遼東支配 終焉(シュウエン)・・・ ↓↑ 呉の年号「赤烏元年」紀年銘の 画文帯神獣鏡 が 山梨県 西八代郡 市川三郷町 鳥居原 狐塚古墳 から出土 ↓↑ 「公孫淵」が 「司馬懿」に討たれ 公孫氏政権=燕王朝が崩壊 魏が 楽浪郡 帯方郡 を占拠 ↓↑ 邪馬台国 の女王 卑弥呼 は 帯方郡へ使者を送って 魏との交流が再開・・・ ↓↑ 和=あえる=和える ↓↑ 相=木+目 十+八+目 異体字「目木」 ソウ ショウ あい ありさま さが たすける 首相・宰相 相互・相殺 相思相愛 見る・よく見る・くわしく見る うらなう かたち・ありさま・すがた・様子 たすけ・たすける・補佐する あい・互いに・ともに こもごも・かわるがわる あい・仲間=相棒(あいぼう) あい 動詞の前につけ 語調を強めるのに使う語 相変わらず・相済みません ↓↑ 相人・観相・手相・人相 外にあらわれたかたち 実相・相貌 すがた・ありさま 相好・形相・真相 あい・たがいに・ともに 相愛・相談・相互・相和す うけつぐ・つぎつぎと 相続・相伝 「相模(さがみ)の国=相州」 佐賀観・・・差、咬みに咬みて? 誓約(うけい) 天照大神×素戔嗚 卑弥呼vs卑弥弓呼 壹 與vs張政 魏 vs呉 魏 vs燕(公孫氏) ↓↑ 位相(イソウ)・家相(カソウ) 形相(ギョウソウ)・血相(ケッソウ) 骨相(コッソウ)・死相(シソウ) 真相(シンソウ)・世相(セソウ) 皮相(ヒソウ)・面相(メンソウ) 様相(ヨウソウ) 相合傘(あいあいがさ) 相生(あいおい) 相生結び(あいおいむすび) 相客(あいキャク) 相子(あいこ) 相碁井目(あいゴセイモク) 相性(あいショウ) 相席(あいセキ) 相対(あいタイ) 相対済し令(あいタイすましレイ) 相槌(あいづち) 相手のない喧嘩はできぬ 相弟子(あいデシ) 相半(なか)ばする 相判(あいバン) 相部屋 相俟(ま)って 相身互い 相宿(あいやど) 相模(さがみ) 相如四壁(ショウジョシヘキ) 相伴(ショウバン) 相撲(すもう) 相愛(ソウアイ) 相違(ソウイ) 相応(ソウオウ) 相姦(ソウカン) 相関(ソウカン) 相克(ソウコク)=相剋 相殺(ソウサイ) 相似(ソウジ) 相承・相称 相乗・ 相即不離(ソウソクフリ) 相当(ソウトウ) 相場(ソウば) 相聞(ソウモン) 相輪(ソウリン) 相応(ふさわ)しい ↓↑ 木の目=木のメ・・・木の年輪・節 =木の芽 樹木の新芽 このめ 山椒(サンショウ)の若芽 参 照 和歌女? 箱=竹 + 木 + 目 筑紫 記紀 眼・芽・女 竹=𠂉+丨+𠂉+丨=たけ・チク 𠂉(かみさし・髪挿し・櫛) 丨(ぼう・コン) ↓↑ 箱=竹+十+八+目 筑紫 足(拾) 捌 囗 二 ↓↑ α+相 厢=厂+相 㜀=女+相 葙=艹+相 廂=广+相 湘=氵+相 想=相+心 箱=竹+相 緗=糸+相 霜=雨+相 孀=女+雨+相 灀=氵+雨+相 礵=石+雨+相 䌮=糸+雨+相 驦=馬+雨+相 鸘=雨+相+鳥 ↓↑ 和=あえる =和える なごむ =和む やわらぐ=和らぐ おだやか=和やか・穏・妥 ↓↑ わきあいあい 和気藹々・和気藹藹 和気靄々・和気靄靄 にぎにぎ(賑々)しい様子 ↓↑ 邇芸速日命(にぎはやひのみこと) 饒 速日命 饒=食+堯 食+垚+兀 食+土+土+土+一+儿 ジョウ ニョウ あまる おおい ゆたか ゆたかにする あまる・ありあまる たくさんある・十分にある ゆるす・大目にみる 豊かな心で許す ↓↑ ↓↑ 堯=垚+兀 ギョウ たかい・けだかい・この上なく高い 中国の伝説上の帝王の名前 ↓↑ 邇藝速日命(古事記) 饒速日命(日本書紀) 饒速日命(先代旧事本紀) 別名 天照国照彦(あまてるくにてるひこ) 天火明櫛玉(あまのほのあかりくしたま) 饒速日尊(にぎはやひのみこと) 天火明命(あまのほのあかりのみこと) 天照國照彦天火明尊 胆杵磯丹杵穂命 (いきしにぎほのみこと) 天照御魂神(あまてるみたまのかみ) 天 照 皇 御魂 大神 (あまてらすすめみたまのおおかみ) 櫛玉命(くしたまのみこと) 櫛 玉 神 饒 速 日 命 (くしたまのかみにぎはやひのみこと) ー↓↑ーー↓↑ーー ・・・???・・・
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