かたら部の・・・カタラべノ・・・語り部之
カタラベノ・・・語り部・・・タベルナ・・・食べるな・・・taverna
2017-07-03 01:00:35 | 古事記字源
・・・「あまあし・あめあし」・・・ガニメデ=天雨の神・・・「雨足=雨脚=雨降りの移動の様子・雨の移動の速さ・雨が激しく降り注ぎ・細い筋のように見える様子」・・・「小野道風」+「唐傘」+「雨」+「堀川」+「柳」+「蛙」・・・「斧(斤・己・各)同封・如何諷」、「問算・答簒・当纂・倒産」、「海人・海女・海部・海士・亜麻・尼・阿女・甘・蜑・天」、「保利撰」、「楊・龍・劉」、「カエル」・・・ちょっと庭に出て生ごみを埋めようと、土を掘るとミミズの生活を妨害し、雑草を毟ろうとすると蟻を、踏み石を歩くだけで「毛虫」の蝶へ成虫する願望を踏み潰しそうになってしまう・・・タシカに、日常性は殺生の中での自分の延命、生き残りでの命運の活殺は如何ともし難い・・・釈迦も基督も、馬哈黙も・・・地獄の奈落には落ちたくはなかったんだろうが・・・タベルことが生き物の条件である限り、無理と云うもんだ・・・
ギリシャ語で「タベルナ=食堂=たべるな=食べるな」って?
・・・「タヴェルナ=タベルナ(taverna)=イタリア語で大衆食堂・タヴェルナ (飲食店)=ギリシャ料理店」・・・多分、「table(テーブル)」に関係するんだろう・・・?
「カタラベノ=カタラベノ(分かった)」は「理解=understanding・I see. I completely understand.」であった・・・「デン カタラヴェーノ=(わかりません)=can't understand・blind」・・・なるほど、「聴こえない(deaf)」ではなく、「視えない(blind)」か・・・掛多理部之・・・語り部・・・「耳無し芳市」・・・「視視名詞方位置」・・・
↓↑
耳なし芳一
安徳天皇や平家一門を祀った
阿弥陀寺(赤間神宮、山口県下関市)
を舞台とした怪談
小泉八雲の「怪談」の典拠・・・・・小泉の八の雲
一夕散人(イッセキサンジン)著・・一の夕に散る人
「臥遊奇談・第二巻・・・・・・・・臥して遊ぶ奇の談
琵琶秘曲泣幽霊(1782年)」
昔話
徳島県の「耳切り団一」
柳田國男の
「一つ目小僧」等で言及
「平家物語」
題名は後年の呼称
治承年間より
「治承物語(ジショウ物語)」・・・字象の物語
作者は
信濃前司行長
(信濃前司行長=信濃入道=行長入道)
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祇園精舍の鐘の声、・・・・擬音背負う邪の金倭等部の聲
諸行無常の響きあり・・・・書行務定
娑羅双樹の花の色、・・・・沙良(讃良)送受の葉名の意賂
盛者必衰の理をあらはす・
奢れる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし・
猛き者もつひにはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ・・・・日訳重に掛是の馬重の地理
に於名字
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「I see」は
「Eye(目・眼・瞳・睛・眸・真奈子・真那子・真名子)」
の
「sea(海)」?・・・
「アイシイ=和示威・愛志位」、
「アイシイ=娃思惟・阿意私意」・・・
で、「食べるな」って?・・・絶食じゃぁなくて、
「断食=ダンジキ・fasting・食物を断つこと・一定の期間、全ての食物あるいは特定の食物の摂取を絶つ宗教的行為」・・・
兎に角、生き物は「食べなくちゃぁ生きていけない」・・・
多分、自分自身を含めた「食べるコトができなくなったり、食べることができない人々」の苦しみに思いをはせるため、食べるモノを目の前しながらも肝に命じた反省イベントだろう・・・
すなわち、今現在「飽食できる人々のイベント」である・飢饉がくれば、「断食の必要」はないのだから・・・
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2017年丁酉(庚・ ・辛)
0007月丙午(丙・ ・丁)
0001日己丑(癸・辛・己)
・・・7/1、23:45・・・北海道で地震、結構揺れた・・・
・・・7/2、00:58・・・今度は熊本で地震・・・
みなさん、気をつけて・・・
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エヴァンゲリオン
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福音(Evangelion・エウアンゲリオン)
よき報(知・しら)せ
吉報
・・・吉の報告、凶の報告・・・ダレかにとっての「吉凶」の「報告」である・・・「訃報」で喜ぶ人間もいる・・・
ナゼ、「芦・葦・蘆・葭」の漢字は「あし・よし」と訓じるのか?
「芦=いえ・いおり・あし・よし
ロ・カ・ゴ・コ・リョ
芦=「艹+户」・「艹+戶」・「艹+戸」・「艹+一+尸」
葦=「艹+韋(そむく・なめす)」
蘆=「艹+盧」→盧=つぼ・くろ・ロ・ル・リョ
めしびつ(飯櫃)・すびつ(炭櫃)
廬=广+盧(虍田皿)
廬=いおり
粗末な家・仮小屋
廬舎・建物・精廬
蝸廬(カロ)・結廬(ケツロ)
出廬(シュツロ)・草廬(ソウロ)
田廬(デンロ)
廬舎那仏(ルシャナブツ)
廬山の真面目(ロザンのシンメンモク)
葭=「艹+叚(反)」
仮=假=イ+叚
遐=辶+葭
とおい・かぶさる・おおきい
遠くに離れる
なんぞ・疑問をあらわすことば
霞=かすみ・かすむ・カ・ゲ
蝦=蝸牛・・・蝦夷(えぞ・カイ)
鰕=海老・螧・蝦
反=ハン・ホン・タン
そる・そらす・そむく・さからう
かえる・かえす
はねかえる・はねかえす
反映・反響・反射・反応
繰りかえす
反芻・反復・反撃・反転・反抗・謀反
反面・反比例
パピルス(papyrus)・・・「アニの死者の書」
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エヴァンゲリオン
↓↑
福音(Evangelion・エウアンゲリオン)
四つの福音書・・・「吉の声・善き聲」の書物
↓↑
マタイ(馬太・瑪竇) 福音書
マルコ(馬可・瑪尓谷)福音書
ルカ (路加) 福音書
ヨハネ(約翰・諾望) 福音書
↓↑
「ナグ・ハマディ文書」・・・「名具・葉真出意」?
に含まれていた
新約外典中の福音書・・・グノーシス(gnosis)=「知識・認識」
を意味するギリシャ語(know)
善と悪の二元論
自己の本質の
認識(グノーシス・脳ミソ)による
人間の認識対象存在の
地上=悪の世界
これを自覚する精神で救済
コプト語による
114に上る「イエスの語録集」
↓↑
トマス(双子・twin)・・・太陽(日)&太陰(月)
明 暗
昼 夜
双子の兄妹(アポロン&アルテミス)
ギリシャ語=androgynos(アンドロギュノス・アンドロギュヌス)
両性具有
魂魄=男女のタマシイ
双子座=アルゴー(Argo)号の→ジェミニ(双子)
カストルとポルクスの双子
二元性・知性と言語の象徴
双魚宮=身体の象徴部位は「足」・数字は七
肉体(エロス)
と
精神(ロゴス)
の象徴
人魚と
燕の頭を持つ魚が
紐で結ばれた姿
トマス=多馬・斗部)福音書・・・双子の兄弟
大碓&小碓(倭男具那)
倭建
5月21日~6月21日=双児宮(ふたご座・双子座)
2月19日~3月20日=双魚宮(うお座・魚座)
トマス=双子=テオマー・トーマー
Te'omā ・ Tōmā)
トーマス(Thomas)→トマス=多馬→托馬斯
↓↑ ↓↑
訳尾(於・緒)馬素 たま=玉・珠・霊・多摩・多磨
↓↑
アグラファ(Agrapha)
=正典以外の外典・外伝
108 イエスが言った
「私の口から飲む者は・・・「口=くち=句知・矩値」
私のようになるであろう・
そして、
私もまたその者になるであろう・
そして、
隠されていたモノが
その者に現われるであろう」
・・・「秘密仏教=密教」の由縁・・・「景教」?
・・・「アーメン=amen=阿們」・・・「アモン・アメン」
↓↑
伊甸園(エデンの園)
亜当(アダム)・・・・・・亜當
夏娃(エバ)
大衛(ダビデ)・・・・・・大闢・大辟
以賽亜(イザヤ)
耶蘇基督(イエス・キリスト)・・移鼠
馬利亜(マリア)・・・・・・・・未艶
約瑟(ヨセフ)
西門-彼得(シモン・ペテロ)
保羅(パウロ=サウロ)
菑達書(ユダ)=犹大・・・猶太(ユダヤ)
加略人猶太(イスカリオテのユダ)
・・・雅各(ヤコブ)
雅各→鴉各(カラス各々)?
各=夂+口
・・・以色列(イスラエル)
↓↑
福音(Evangelion=エウアンゲリオン
ユーアンゲリオン)
ギリシャ語
εὐαγγέλιον
euangelion
良い (eu=エウ=good)
知らせ(angelion=アンゲリオン
=message)
「good news」=蘇我=我、蘇(よみがえ)り
我の読みかえ
「happy news・lucky news」
「happily ever after」
「アヴェ・マリア (Ave Maria)
ラテン語で、
こんにちは、マリア
おめでとう、マリア
やぁッ、マリちゃん、元気ッ!」
アヴェ(AVE)
ラテン語動詞の
AVERE(幸せである)の単数命令形
「幸せにナッ・・・
御ご自愛なさい・・・
じゃぁナッ、元気でなッ」
「ヴィヴァ (viva) マリア!」
↓↑
マテオ・リッチ・・・利瑪竇
(Matteo Ricci)
1552年10月6日~1610年5月11日
イタリア人イエズス会員
カトリック教会の司祭
中国名は
「利瑪竇(拼音 Lì Mǎdòu
リ-マトウ)」
中国初の
世界地図坤輿万国全図作成
西洋科学技術の紹介
竇=窦(穴+土+ツ+大)→ツ=火火・・・・E爻ヨ
臼(キョク・両手で抱える)
爫=爪→ツ?→螢・熒・學・覺
𤇾=火+火+冖
𦥯=臼+爻+冖
「竇=穴(宀八)+賣(十一罒目ハ)・・・賣=売
=あな・ヅ・トウ・トク
孔・洞
=人体の器官、組織の窪(くぼみ・凹)
疑竇(窦)=疑わしい点
狗竇(窦)=塀などに設けた犬の出入り口
↓↑
飛脚・・・郵便配達人・電信、電報人
ーー↓↑ーー↓↑ーー
マラソン-ランナー
(marathon-runner)
紀元前450年9月12日
アテナイの
名将ミルティアデスは
マラトン(Marathon・マラサン)
に上陸した
ペルシャの大軍を奇策で撃退
↓↑
ギリシャ全軍を重装歩兵でかため
最右翼にカリマコス率いる主力部隊
最左翼にプラタイアの主力部隊を配置
ペルシア軍に総攻撃を仕掛けた
アテナイ・プラタイア連合軍は
ペルシア敵陣と同じ長さの戦線を確保
中央部は数列の厚みで弱点であった
ミルティアデスは
ペルシア軍に
駆け足で突撃する奇襲戦法を用いた
敵陣までの
8スタディオン(約1,480メートル)
を一気に駆け抜けた
弓の射程距離まで徒歩で接近し
突然駆けだした
ペルシア軍が行軍してきたところに
駆け足で突撃した・・・
ペルシア軍は
ギリシャ軍の自殺行為としたが
白兵戦に持ち込んだギリシア軍は
重装歩兵密集陣
を駆使して
長時間戦い抜いた
戦線を延ばしたし
数列しか編成されなかった
アリステイデス率いる中央軍は
ペルシア歩兵に押し込まれたが
両翼は十分な厚みを持っており
両翼のペルシア軍を敗走させ
ギリシャ軍は
敗走するペルシャ軍を追わず
中央部のペルシア軍を
包囲、壊滅させ、
撤退する敵軍を追撃
カリマコスを含む
ギリシア軍の死者192人
ペルシア軍の死者は6,400人
ペルシア艦艇七隻を拿捕
スパルタの増援軍
約2,000人は
二日でアテナイに到着した
(アテナイ~スパルタ間の距離
200キロ以上)
が、戦争終結後であった・・・
↓↑ ↓↑
フィディピディス(Philippides)
という兵士が伝令に選ばれ
マラトンから約40km離れた
アテナイまでを駆け抜け
アテナイの郊外で
「我勝てり」と告げた後
力尽きて息を引き取った
(ヘロドトスの『歴史』)
戦いの日時は
紀元前490年11月2日・・・説
プルタルコスによれば
兵士の名前は
エウクレス(Eukles)
↓↑ ↓↑
韋駄天=韋駄天(イダテン・Skanda
塞建陀・私建陀
違駄天)
名前の意味は「跳ぶ者」
仏教の仏(天部)の神
韋陀、韋天将軍とも
増長天の八将の一神
四天王下の三十二将中の
首位の天部の仏神
伽藍を守る護法神
Skandaを音写し
塞建陀天
私建陀天と漢訳
建駄天とも略記
「金光明経・鬼神品・第十三」
中の誤写によって
建駄天が
違駄天となり
道教の
韋将軍信仰と習合し
韋駄天と称される
六面十二臂の
少年神で
孔雀に乗る
六面の由来
大自在天(シヴァ)
の次男だが
六人の乳母に育てられた
捷疾鬼が
仏舎利を奪って逃げ去った時
これを追って取り戻した
よく走る神
盗難除けの神
転じて
足の速い人の例え
「韋駄天走り」
「涅槃経」後分に帝釈天が
仏の荼毘処に至って
二牙を拾得したが
二捷疾羅刹のために
一牙を奪われた
という記述に起因・・・
韋駄天が釈尊のために
方々を駆け巡って
食物を集めたとの俗信に
由来し
「御馳走(ごちそう)」
という言葉が出来た・・・
「スカンダの別名である
クマーラ」
に由来
「鳩摩羅天」は
孔雀に乗った六面の少年神の姿
「Skanda」の音写
塞建陀・建陀の
「建」を「韋」に誤った・・・
仏法の守護神だが
もとバラモン教の神
シバ
または
アグニ神の子
仏舎利 (ぶっしゃり) を盗んだ
捷疾鬼 (ショウシツキ) を
追いかけて取り返した
足の速い神とされ
足の速い人のたとえ・・・
ーー↓↑ーー
水足=川の水が急に
増えたり減ったりする速さ
用水の取り入れ口から
特定の地域に水が達するまでの
時間の長さ
船体の水に没している
部分の垂直距離
雨足=雨脚=雨降りの移動の様子
雨の移動の速さ
雨が激しく降り注ぎ
細い筋のように見える様子
ーー↓↑ーー
あしがらヤマ
神奈川・静岡県境にある
足柄峠を中心とする山地
古くは
金時山を含めた山々の総称
坂田金時(公時・金太郎)の伝説の地
歌枕
足柄山=あしがらやま
南足柄市矢倉沢地蔵堂一帯
金時山をさす
足柄峠以南の稜線沿いに
県道矢倉沢・仙石原線が通じ
富士山、箱根外輪山の北部一帯
北方は酒匂(さかわ)川中流の谷
東方に足柄平野
箱根火山系の噴出物で
表層は富士山の火山灰土
ウバメガシ=姥目樫・馬目樫
別名、イマメガシ=今芽樫
備長炭の原料
トベラ林=扉林
海桐・海桐花
トビラ・トビラキ
などが植生
「足柄山は、歌枕(うたまくら)」
古来
足柄山、足柄嶺、足柄のみ坂
などと多くの歌に詠まれている
坂田金時・山姥の伝説は有名
箱根山北部の
金時山から足柄峠に至るあたりは
足柄山とも呼ばれる・
平安初期以前
東海道が箱根山の西方を北上
金時山より
北の足柄峠を越えて
東方へ延びていたが
富士山の
延暦噴火(800年~802年)
で通れなくなったため
箱根山の南方の
箱根峠を通る街道が整備
江戸時代に箱根関所が置かれた
金太郎は足柄山中で
赤竜と山姥の間に生まれた子・・・
東国から上洛する
源頼光に見出だされ家来になった
足柄山は金時山の別名
天暦十年(956年)五月に誕生
彫物師十兵衛の娘
八重桐(やえぎり)
が京にのぼった時
宮中に仕えていた
坂田蔵人と結ばれ懐妊した子供・・・
八重桐は故郷に帰り
金太郎を産んだが、
坂田が亡くなり
京へ帰らず故郷で育てた
天延四年三月二十一21日
(976年4月28日)
足柄峠にさしかかった
源頼光と出会い家来となり
名前も
坂田金時(きんとき)と改名
頼光四天王の一人となる
↓↑
藤原道長の日記
「御堂関白記」に
「下毛野公時」という
近衛兵(随身)が道長に仕えていた
坂田公時(金時)?
寛弘六年(1009年)八月十七日条
「宮御馬口付
近衛
下毛野公時」
下毛野(しもつけぬ)国=栃木県
相模(さがみ)の国の
足柄山(あしがらやま)
摂津源氏の
家臣
碓井貞光(ウスイサダミツ)
の目に留まり家来となった・・・
摂津源は
多田を本拠地
摂津源氏家臣約500名を従え
摂津の国の国司
摂津源氏棟梁
「源頼光」
坂田金時
渡辺綱
碓井久光
第3代
山本荘司
浦辺(坂上)季武
らとともに
「大江山の酒呑童子」
を退治・・・
「源氏四天王・頼光四天王」
と呼ばれた・・・
ーーーーー
・・・???・・・
・・・「室戸岬(北緯33度14分34秒 東経134度10分35秒)」、「岬の洞窟御厨人窟・大化の改新の後、室津郷が置かれ、弘法大師により最御崎寺、津照寺、金剛頂寺がひらかれた・藩政時代には網捕鯨の振興、津呂、室津港の開削がなされた」・・・捕鯨・・・「鯨神=くじらがみ=久志羅神・鯢神・櫛羅神=宇能鴻一郎」・・・
櫛(くし)の羅(あみ)の髪(かみ)・・・櫛名田比売、奇稲田姫・・・「弟橘媛=弟橘比売命=乙橘姫=おとたちばなひめ」・・・「音立花秘め」・・・
ーーーーー
さねさし・・・・・・佐泥佐斯
相武の小野に・・・・佐賀牟能袁怒邇
燃ゆる火の・・・・・毛由流肥能
火中に立ちて・・・・本那迦邇多知弖
問ひし君はも・・・・斗比斯岐美波母
と
うたひたまひき・
かれ、・・・・・・・故
七日の後、・・・・・七日之後
その后の・・・・・・其后
御櫛・・・・・・・・御櫛
海辺に依りき・・・・依于海邊
すなわち・・・・・・乃
その櫛を取りて、・・取其櫛
御陵を作りて・・・・作御陵
治め置きき・・・・・而治置也
↓↑
日本(倭)武尊は、
「碓日の嶺(日本書紀)」で、・・・碓=小碓(をうす)命
「足柄の坂本(古事記)」で、・・・足柄の坂本
「吾妻はや」と嘆いた・・・・・・「阿豆麻波夜」
ーーーーー
・・・
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