top of page

こいビトょッ・・・ジョウダンだろうッ・・・?

2022/11/20/・日曜日・・・追加添文・・・

 ↓↑  You're kidding!  trifling talk   a joke  冗=冖(わかんむり・ベキ)+几(つくえ・キ)    ジョウ    むだ    アマる・余分な・不必要な    みだれる・わずらわしい    だらだらとまとまりがない  冗談・・・「コイビトょッ!・・・ジョウダンだろうッ?」・・・


 帶素王の弟は金蛙王の季子・・・曷思國を建国・・・?  ↓↑    ↓↑       ↓↑  笑っちゃうケレど、「人名」がヘンだと考えないのは  「ジョウダン」のセンスが無いんだろう・・・  the upper row・・・???   a upper berth・・・???  upper tier  upper section  upper deck  upper row  upper step  upper grade  upper berth  top shelf  Top level  階層、階段の頂点・・・     高階・・・高梨子・鳥遊里・小鳥遊  橋(bridge)・梯子( ladder)  箸(chopsticks)  Y(ア・二又の枝・あげまき=総角・童の角髪型)           アゲマキガイ          (Chinese razor clam・揚巻・総角貝)  端(start・corner)・・・両端の片端  高橋・高梁・高端・高椅     ・・・高麗・高句麗     ↓↑・・帰巣満州・万集=萬宗?             女真(ジョシン)             満州東部に居住             金朝を興した             女真族             女真大字             女真小字             の2種類の文字を使用             女眞=女真             女=千+田+人・・・挿=・挿入             眞=山+乂+丄             10世紀ごろから記録に現れ     ↓↑      17世紀に「満洲」と改称     女真文字      挿=插=扌+千+田+人・・・挿す・挿入      挿=扌+千+臼     ↓↑     女=千+田+人        ・・・挿=扌+千+臼            =扌+千+⺽(𠀉ヨ)            =扌+E+千+ヨ                        ∈∋・Eヨ・Eヨ             𦥑=E+ヨ             妽=女+申             臾=⺽+人             叟=𦥔+又=臼+丨+又             叟=𦥔+又=臼+丨+又   おきな・老翁・・・捜、痩   異体字「叟・𠪇・𠊗・傁・𠋢・𠬲       叜・𡨎・𡨝・𡨨・𡨼・搜・𠊯・𠩹   「臾(ユ)」は別字             =扌+千+申   眞=山+乂+丄・・・山+乂+上                ↓↑     高麗・高句麗     紀元前37年~668年     前1世紀頃?~前1世紀頃?     東明聖王(実在不明)     391年~413年     広開土王(好太王)     642年~668年     宝蔵王     ↓↑     660年     百済が唐に滅ぼされた     668年     高句麗が     唐・新羅によって滅ぼされ     唐が    「安東都護府」・・・安東将軍・・・倭の支配地     を設置  ↓↑  You're kidding!  trifling talk   a joke  冗=冖(わかんむり・ベキ)+几(つくえ・キ)    ジョウ    むだ    アマる・余分な・不必要な    みだれる・わずらわしい    だらだらとまとまりがない  冗談・・・「コイビトょッ!・・・ジョウダンだろうッ?」・・・  冗=冖(わかんむり・ベキ)+几(つくえ・キ)      和漢 無理(武利)   通句重・記・紀?      可・冪・汨・覔・覛(瓜見)・・・日置・戸木・璧?    ジョウ    むだ(無駄)    アマる・・・アマ留?    余分な・不必要な    みだれる・わずらわしい    だらだらとまとまりがない    几=つくえ・物をのせる台・几案      机(desk=デスク・・・出諏句・出素句        table=テーブル)・・・綴部留          =テーブル (情報)           情報をマトリックスで表現する手段           表・目録・一覧表           タイムテーブル           時刻表・番組表・時間割      ひじかけ(肘掛)・・・比字掛化?      部屋を仕切る道具・几帳・・・衝立て・屏風      案几(アンキ)・椅几(イキ)・浄几(ジョウキ)      几案(キアン)      几 下(キカ) =机下=書簡文で、相手を敬って               宛名(あてな)に添える脇付のこと      几帳面(キチョウメン)   壳=士+冖+一+几     士+冗     殻=殼=㱿     カク     から     卵や貝のから     物の外側を覆(おおう)かたい皮         被覆(ヒフク)  ・・・「冗=冖(cover)+几(table)」・・・ tablecloth・table cover・・・          河馬・加波・蒲・樺・・・白樺・・・          古葉蛙(鴉)・・・食べる・多部例・他振る?  ↓↑  ↓↑   耳食之談(ジショクのダン)・・・字植之拿務?   耳で聞いただけで   食べ物の味を判断する   耳で聞いただけの話を   確認もせずに信じてしまう   『史記(六国年表序)』   ↓↑   伔㕴㚮坈沉壳   䤟棾焭㒌橩䢆  ↓↑  談=言+炎(火火・灬)  ???・・・原文は勝手に検索抜粋、少々改作添付・・・御免  ↓↑  ↓↑   橋=木+喬=槗    木+呑+冋    木+夭+口+冂    木+丿+大+口+冂    十+八+丿+一+人+口+冂    キョウ    はし    川や谷などにかけわたすはし    たかい・そそり立つ=喬    はねつるべ・はねつるべの横木    かご・やまかご    山を越えるのに用いたかご=轎    ためる・ただす=矯・矯正  ↓↑  喬=呑+冋    夭+口+冂    丿+大+口+冂  ↓↑  槗=木+右+冋    木+口+冂  ↓↑  高=髙   =亠+丨+二+丨+冋    亠+丨+二+丨+冂+口  ↓↑  挿=插=扌+千+田+人・・・挿す・挿入   挿=扌+千+臼  女真=ジョシン文字    =女神・除震・除振・序審(古事記序文)?     女=千+田+人・・・挿=扌+千+臼   ↓↑        =扌+千+⺽(𦥑)             =扌+E+千+ヨ             =扌+千+申             妽=女+申・・・猨女・猿女             臾=⺽+人               ユ・ヨウ・ひきとめる・しばらく               わずかの意=須臾(シュユ)               すすめる・そそのかす=縦臾(ショウユ)             叟=𦥔+又=臼+丨+又             叟=𦥔+又=臼+丨+又             おきな・老翁・・・捜、痩         異体字「叟・𠪇・𠊗・傁・𠋢・𠬲             叜・𡨎・𡨝・𡨨・𡨼・搜・𠊯・𠩹   ↓↑       「臾(ユ)」は別字   眞=山+乂+丄・・・山+乂+上  ↓↑  紀元前37年~668年  前1世紀頃?~前1世紀頃?  東明聖王(実在不明)  391年~413年  広開土王(好太王)  642年~668年  宝蔵王  ↓↑  660年  百済が唐に滅ぼされた  668年  唐・新羅によって滅ぼされ  唐が  安東都護府・・・安東の都を護る府  を設置  ↓↑  五斗米道(ゴトベイドウ)・・・語譯は米(国)の道?  後漢末に  太平道・・・太平洋航路?  に少し遅れて  張陵(張道陵)が  蜀郡・・・独軍?  の  成都近郊の・・・所為と錦江(均衡・近攻)?  鶴鳴山・・・革命讃?  (鵠鳴山・四川省       成都市       大邑県)  で  『老子道徳経』を基本にして起こした  道教教団  2代目の  張衡・・・朝衡=晁衡=チョウコウ=阿倍 仲麻呂       文武天皇二年(698年)~宝亀元年(770年)一月)       姓は朝臣・筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫       中務大輔・阿倍 船守の長男       阿倍帯麻呂は弟       唐の玄宗皇帝の秘書官長・・・幻想考綴(更訂)?  の死後  蜀郡では・・・獨軍?  巴郡の巫・・・巴里の皇女?  である  張脩の・・・・長州?・・・長政・・・調整?  鬼道教団・・・綺堂凶弾・・・鬼道の卑弥呼?         岡本綺堂        (1872年11月15日・明治五年十月十五日)         ~1939年・昭和十四 年3月1日)         本名 岡本 敬二         別号 狂綺堂・鬼菫・甲字楼  が活発化し  益州牧の  劉焉  の命で  3代目の  張魯  とともに  漢中太守  蘇固  を攻め滅ぼしたが  後に  張魯が  張脩を殺害してそれを乗っ取り  漢中で勢力を固めた ーー↓↑ーー  遜伏之雞・・・遜=辶+孫(子系=一了一糸)            伏=イ+犬(一人丶)   ↓↑  巽為雞  巽(☴)為遜  古人認為  在家畜中  雞有「謙遜」的品質  家裡養過雞的朋友都知道  主人走近時  雞往往伏於地上  一動不動  即項安世所謂「善伏者為雞」  合「遜」之義  故巽為雞  「遜伏之雞」  ↓↑  八卦類象  乾馬・坤牛・震龍・巽雞・坎豕  離雉・艮狗・兌羊  ↓↑  「古者 包犧氏 之 王天下也   仰 則觀象 於 天   俯 則觀法於地   觀 鳥獸 之 文 與 地之宜・・・蒼頡   近取諸身   遠取諸物   於是 始作 八卦   以 通 神明 之 德   以 類 萬物 之 情」——《周易繫辭》

 ↓↑  古人  「觀象 於 天   觀法 於 地」   依 據萬物 的 特性   類比 以 作 八卦   故此 萬物 都 與   八卦 中 的 卦象 對應   動物也   是如 此   今 天 我們 就來講一講 動物 的 類象  ↓↑  《說卦傳》云  「乾 為 馬   坤 為 牛   震 為 龍   巽 為 雞   坎 為 豕   離 為 雉   艮 為 狗   兌 為 羊」   這 是 為 什麼呢 ?   ↓↑   乾 為 馬   乾(☰)為 天 為 健   健者 「健行」之意   在 家畜 中   健行 者   莫 過 於 馬   合「健」之義   故   乾 為 馬   健行 之 馬   ↓↑   坤 為 牛・・・「坤=十+一+申」は           「牛=𠂉+十」に           「爲=爪+尸+╹+𠃌+灬」   坤(☷)為 地   最是「厚德載物」   坤 為 順   柔順   莫 過 於 坤   在 家畜 中   牛 最能 負 重載物   且 溫順 服 人   故   坤 為 牛     馴順 之 牛   ↓↑   震 為 龍   震(☳)為 雷   古人 認 為   雷 在冬 天 潛藏 於 地下   直 到春 天 才升 至 地上   發出 隆隆 之 聲   故 雷「能潛 能升」   龍 與 雷 十分 相似   龍也「能潛能升」   古人云   「龍,春分 而 登天      ・・・俊文・字・当典・問う天・読点?      秋分 而 潛淵」      ・・・周文・修文・醜聞・字・淵に潜む?   故   震 為 龍   雷 動 之 龍   ↓↑   巽 為 雞   巽(☴)為 遜   古人 認 為   在 家畜 中   雞 有「謙遜」 的 品質   家裡 養 過 雞 的 朋友 都 知道   主人 走 近時   雞 往往 伏 於 地上   一動不動   即項 安世 所 謂「善伏者為雞」   合「遜」之義・・・   故   巽 為 雞   遜伏 之 雞   ↓↑   坎 為 豕   坎(☵)為 水   為 濕 地   豬 為 了除 去 身上 的 寄生蟲   經 常 在濕 地泥 巴里 打 滾   故   坎 為 豕   水濕 之 豕   ↓↑   離 為 雉・・・雉=矢(𠂉一人)+隹(舊鳥)                   旧鳥⇔昔鳥           隹(舊鳥=異体字「鵲・㹱・䧿・𩁆」             鵲=かささぎ・ジャク・シャク             カササギ(鵲、Pica pica)             鳥綱スズメ目カラス科の留鳥             別名 カチガラス・コウライガラス

      「カササギ、オナガ、サンジャク、ヘキサン        などをまとめて        magpie(マグパイ)と呼び        おしゃべり好きのキャラクター」       「金属など光るものを集める習性があるり        泥棒の暗喩に用いられる」             カササギは鳥類の中で大きな脳を持ち             哺乳類以外で             初めて             ミラーテスト(鏡で自己確認)をクリア・・・

      飛鳥時代       推古天皇六年(598年)       聖徳太子の使者       新羅に渡った       吉士 盤金(きし の いわかね)       が2羽の「鵲」を持ち帰り献上       難波の杜(鵲森宮・生國魂神社)       で飼った       日本書紀の「鵲」には      「万葉仮名」が振られておらず・・・?      「かささぎ」       という読みが       初めて登場するのは       平安時代中期の      『和名類聚抄』・・・詐欺デスか?   ↓↑   離(☲) 麗也   雉 者 俗稱 野雞   孔穎達 云   「雉有文章」・・・記事・記字・由有・文の章?   即   野雞 的 羽毛 表面   有 斑斕 美麗 的 花紋   合「麗」 之 義   故   離 為 雉   華麗 之 雉   ↓↑   艮 為 狗   艮(☶) 為止   狗 堅守 家門   禁止 外人 進入   合「止」 之義   故   艮 為 狗   呔 止 之 狗   ↓↑   兌 為 羊   兌(☱) 說也   說 者 悅也   羊 為 悅 群之物   合「悅」 之 義   故   兌 為 羊   另外 以 字形論   金文 和 小篆 中 之「羊」字   皆 有 兌形(☱)   故   兌 為 羊   悅 群 之 羊   羊 為 兌形  ↓↑ ↓↑  三國 史記  武王  八年 春三月  遣 扞率  燕 文進  入 隋朝 貢  又遣  佐平  王孝隣  入貢  兼 請討  高句麗  煬帝  許之  令  覘  高句麗 動靜・・・動静を窺う  夏五月  高句麗  來攻  松山城 不下  移襲  石頭城・・・石の頭の城  虜男女  三千 而歸  ↓↑  九年  春三月  遣使入  隋朝貢  隋  文林郞  裴淸  奉使  倭國  經  我國 南路  ↓↑  隋書  卷八十一  列傳  第四十六  東夷  俀國  随書 俀国伝  ↓↑  開皇二十年  俀王  姓 阿每  字 多利思北孤  號 阿輩雞彌  遣使 詣闕  上令 所司 訪 其 風俗  使者 言  俀王  以  天 爲 兄  以  日 爲 弟  天 未明時  出 聽政    跏趺坐  日  出 便 停 理務  云  委 我弟  高祖 曰  「此 太 無義理」  於是 訓令 改 之  王妻  號 雞彌  後宮  有 女 六七百人  名 太子  爲 利歌彌 多弗利  無 城郭  內官 有 十二等  一曰  大德  次 小德  次 大仁  次 小仁  次 大義  次 小義  次 大禮  次 小禮  次 大智  次 小智  次 大信  次 小信  員 無 定數  ↓↑  有 軍尼 一百二十人  猶 中國 牧宰  八十戶 置 一伊尼翼  如 今 里長也  十伊尼翼 屬一軍尼  其 服飾  男子 衣 裙襦  其 袖 微小  履 如 屨形  漆 其上  系 之 於 腳  人 庶 多 跣足  不得用 金銀 爲 飾  故時  衣 橫幅  結束 相連 而無縫  頭 亦 無冠  但 垂發 於 兩耳上  至 隋  其 王  始 制冠  以 錦彩 爲 之  以 金銀 鏤花 爲 飾  婦人  束  髮 於 後  亦 衣 裙襦  裳 皆 有 襈  躭竹 爲 梳  編 草 爲 薦  雜皮 爲 表  緣 以 文皮  有 弓、矢、刀、槊、弩、䂎、斧    漆皮 爲 甲     骨 爲 矢鏑  雖 有 兵 無 征戰  其王  朝會  必 陳設 儀仗  奏 其 國樂  戶 可 十萬  ↓↑  其俗  殺人 強盜 及 奸 皆死  盜者  計  贓酬物  無財者  沒 身 爲 奴  自餘輕重  或流  或杖  每 訊究 獄 訟    不承引者    以 木 壓 膝  或張強弓    以 弦 鋸 其項  或置小石 于沸湯中  令所 競者 探之  云 理曲者 即 手爛  或置蛇甕中  令取之  云 曲者 即 螫手矣  人 頗 恬靜    罕 爭訟    少 盜賊  樂 有 五弦、琴、笛  男女 多黥 臂點 面文身  沒水 捕魚  無文字  唯 刻木 結繩  敬 佛法  於  百濟 求 得 佛經 始 有 文字  知 卜筮  尤 信 巫覡  每至正月一日  必 射戲 飲酒  其 餘 節略 與 華同  好 棋博、握槊、樗蒲 之 戲  氣候溫暖  草木冬青,土地膏腴,水多陸少  以  小環 掛 鷺鶿項  令 入水 捕魚  日得 百餘頭  俗 無盤俎  藉 以 檞葉    食 用手哺之  性質 直  有 雅風  女多 男少  婚嫁 不取同姓  男女 相悅者 即 爲 婚  婦 入 夫家  必 先 跨 犬  乃 與 夫 相見  婦人 不淫妒  死者 斂 以 棺郭  親賓 就 屍 歌舞  妻子 兄弟 以 白布 制服  貴人 三年 殯于外 庶人 卜日 而瘞  及 葬,置 屍 船上    陸地 牽 之  或 以 小輿  ↓↑  有  阿蘇山  其  石無  故  火起 接 天者  俗以 爲 異  因 行禱祭  有 如意 寶珠  其 色 青  大 如 雞卵  夜 則 有光  云 魚眼 精也  新羅  百濟  皆  以 俀  爲 大國  多 珍物  並敬 仰之  恆 通使 往來  ↓↑  「開皇(カイコウ)=隋の            文帝            楊堅の年号            隋朝最初の年号            開皇二十年(600年)            庚申・推古八年  卑⇔鵯=卑+鳥      甶+㇓+十+鳥      丿+田+㇓+十 鳥    鵯鵊=鵯鶋    ヒ    ヒツ    ひよ    ひよどり    ひなどり    鵯鶋(ヒッキョ)・カラス科の鳥    ヒヨドリ科の鳥    卑+α    碑牌稗俾婢脾髀裨顰睥    痺碑鼙鞞錍陴郫箄粺萆    蜱捭朇椑䫌豍庳䠋聛埤    䇑禆䴽㼰猈䰦貏㗗渒䡟    諀崥䚜綼啤㽡琕䱝颦㪏    焷  ↓↑  『随書(百済伝)』  「婢云=有物狀 如 雞子      來感於我      故 有 娠也」   王舍之   「雞子⇒妊娠」   河伯(魁罡)の女=高句麗の宗廟の扶余神   高句麗の   高朱蒙の母   朱蒙の誕生神話   卵生神話   ↓↑   続日本書紀   和(カ・わ)氏の上奏文  「それ百済の遠祖   都慕王は   河伯の女   日精に感じ生めり   皇太后(高野朝臣新笠・桓武天皇の母)   はその後なり」   別名 東明聖王      高句麗の太祖      都慕王=高朱蒙     「棄之廁溷,久而不死,以爲神」      豚小屋に捨てたが死ななかった      で、神と      都慕王(東明聖王)=高朱蒙      卑彌 呼が扶余女王      卑彌弓呼が高句麗王・・・      ↓↑      狗奴国=高句麗第十一代          東川王・・・?  朱蒙は「弓」の名手=卑彌弓呼=高句麗王?  タラシヒコ=阿輩雞彌  朱蒙を太祖とする氏族  ↓↑  大業四年(608年・推古天皇十六年)  筑紫国より以東は  皆  俀に付庸す・・・  ↓↑  秦王国は  豊国  王は  夏王朝の末裔  扶余王を奉際  ↓↑  安曇=阿住=阿毎=阿部=阿麻     白水郎=海士・海人・海部・海女・蜑        =潜水婦(夫)・潜る漁師         あま=雨・天・安麻・白水郎

 ↓↑  秦  陝西省の別称  秦岭=陝西省中南部を東西に走る山脈  秦川=陝西・甘肅両省の秦嶺山脈以北の平原  周朝の国名  陝西(センセイ)省を領有  戦国時代は戦国七雄の一  始皇帝が天下を統一  紀元前778年~紀元前206年  ↓↑  五胡十六国の一  晋  苻健が建国  大秦  都は長安  前秦(351年~394年)  ↓↑  五胡十六国の一  姚萇(ヨウチョウ)が  前秦を滅ぼし建国  大秦  都は長安  後秦(384年~417年)」  ↓↑  五胡十六国の一  乞伏国仁(キツブクコクジン)  が後秦から独立して建国  都は苑川(エンセン)  西秦(385年~431年)  ↓↑  始皇帝が天下を統一して建てた王朝  都は咸陽(カンヨウ)  三代  十五年  漢の高祖に滅ぼされた  (紀元前321~紀元前206)  ↓↑  莞㠀 (グワンド)  奥に巨大なリアス式入江  耽津・・・耽羅国?  は  三国時代に使われた古代名  日中韓貿易のハブ港?  ↓↑  夏后=夏王朝  中夏⇒中華  ↓↑  裴世清一行は(三国史記 武王九年)  「秦王国=人華夏人に同じ」  ↓↑  厩戸皇子の教育  高句麗からの渡来僧  「慧慈(えじ)」が  内教(仏教)について教えた  外典(そとふみ)を  「覚袈(かくか)」が教えた  外典=バラモン教  覚袈=西域人     ペルシャ人=波斯(ハシ)人          斯波氏=織田氏の主君筋  太子の母=穴穂部間人(あなほのはしひと)  間人(はしひと)=ペルシャ          (波斯=ハシ)人?              箸・橋・梯・端・嘴・波子・土師              把持・恥・辱・羞じ・葉字     ・・・間⇔間諜・間合・間隙  太子の母=ペルシャ人の娘  厩戸皇子=赤い髪の毛  仏像が弥勒=ミトラ  「秦河勝」=厩戸皇子・・・?  半跏思惟像=弥勒菩薩  広隆寺=景教寺  と呼ばれていた・・・  ↓↑  『隋書・東夷傳』  『隋書』  唐の太宗の勅命  魏徴  長孫無忌  顔師古  孔穎達  らが参加  貞観十年(西暦636年)  魏徴・・・本紀五巻、列傳五〇巻  二十年後  顕慶元年(西暦656年)  長孫無忌・・・志三〇巻  高宗に奉呈  隋書・卷八十一    ・列傳第四十六    ・東夷  ↓↑  高麗  百濟  新羅  靺鞨  流求國  俀國  ↓↑  高麗  高麗 之 先  出自 夫餘  夫余王  嘗(ショウ・なめ)・・・臥薪嘗胆       大嘗め・新嘗め」の祭儀  得  河伯女  因閉 於 室內  爲 日光 隨 而 照之    感 而 遂孕  生 一大卵  有 一男子 破 殼 而出  名 曰  硃蒙  夫余 之 臣  以  硃蒙  非 人所生  鹹(しを・ソ)  請 殺之  王 不聽  及  壯  因從獵  所獲居多  又  請 殺之  其 母  以告  硃蒙  硃蒙  棄  夫余  東南走  遇一大水  深 不可 越  硃蒙 曰  「我 是 河伯 外孫   日之子也   今有難   而追兵 且及 如何 得渡?」  於是  魚鱉積 而成橋  硃蒙 遂渡  追騎 不得濟 而還  硃蒙 建國  自號 高句麗  以  高 爲 氏  硃蒙 死  子  閭達  嗣  至其  孫莫來  興兵  遂並 夫餘  至  裔孫  位宮・・・位の宮  以  魏  正始 中  入寇 西安 平  毌丘儉・・・毌の丘の儉  拒 破之  位宮  玄孫  之子  曰昭  列帝  爲  慕容氏 所破  遂 入 丸都  焚 其 宮室  大掠 而還  昭列帝后  爲  百濟所 殺  其曾孫  璉・・・璉=王+連  遣使 後魏  璉 六世孫  湯  在周 遣使朝貢  武帝  拜  湯  上開府  遼東郡公  遼東王  高祖  受禪  湯  復  遣使 詣 闕  進授 大將軍  改封  高麗王  歲  遣使朝貢 不絕  ↓↑  硃=石+朱    丆+口+牛+八    丆+口+𠂉+木    朱砂・朱色の顔料や朱墨に用いられる    丆=面の略・・・?      ・・・丆=斧・槌の形象だろう・・・    𠂉=異体字「𠂊」・・・?    族≒旅≒旗    族=方+𠂉+矢(𠂉一人)    旅=方+𠂉+𧘇    旗=方+𠂉+其    陁=阝+𠂉+也(乜+丨)    㫃=方+𠂉・・・人=𠂉・・・?    𠂉=かみさし     =髪挿し=櫛=髪梳き=髪留め     =comb=コーム・spit・skewer      box comb=ツゲ(柘植・黄楊)の櫛           ツゲ材の櫛      ヘアピン(hair pin)      ボブピン(Grip、Bobby pin)      アメピン      ヒサカキ(柃)製7,000年前      縄文早期の櫛      柃(ヒサカキ)=木+令      榊(さかき)のかわりに      神棚に飾られる      別名      ビシャコ、ビシャ、ヘンダラ、ササキ      ↓↑      日本の櫛(クシ=久慈・籤・九字・奇)      櫛は      霊妙・不思議=奇(くすし)=薬師             聖(くしび)=玖珠美      同音から呪力を持つもの      女性が髪を梳く      女性格の象徴的な物品     「苦死(くし)」に通じ      道に落ちた櫛を拾うことは     「苦と死を拾う」で忌み嫌われた      拾う時は、足で踏んでから拾う      贈り物には「かんざし」と呼ぶ      櫛の呪力      櫛は別れを招く呪力を持つ      自らの分身として      旅立つ人に手渡しもした      伊邪那岐命が      妻の      伊邪那美命が差し向けた追っ手     「黄泉醜女」から逃れるために      櫛の歯を後ろに投げ捨て      筍に変化させ     「黄泉醜女」が筍を食べている間に逃げた      ヤマタノオロチ・・・大和の     (八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)      を退治に出向く      須佐之男命は      櫛名田比売を      櫛に変えて自分の髪に挿した      天皇は      斎宮として      都を旅立つ皇族の少女を見送る儀式で     「別れの櫛」を手ずから髪に挿し      別れの言葉をかけた      櫛を挿す儀式=俗縁を断つ      成人式の     「髪上げの儀」で      大人として櫛が少女の髪に挿される      儀式直後に婚礼・・・もあった     『白雪姫』      櫛が女性の生命を      停止、気絶、金縛りにする      黒魔術の道具      中国の呪術者には     『捜神記』の于吉のように      体を洗わず      髪に櫛を入れず      雨乞いをする ーー↓↑ーー  並=まとまる  硃蒙(朱蒙)の孫  無恤(大武神王)  32年2月  帶素王を殺す  帶素=八十神(やそがみ)?  帶素王は  八神比売(天照御大神)と  朱蒙に嫉妬した恋敵・・・  帶素王の弟は  金蛙王・・・金を        蛙(かえる=変える)  の  季子(末子)・・・禾の子の子  兄を裏切って逃亡  100人を伴って逃亡  曷思國を建国  ・・・???・・・ ーーーーー  帯素王(タイソオウ)・・・帯=たらし・おび・タイ               素=しろ・もと・ソ               王=おう・ワン  ?~22年2月・・・・・・・似拾似念似解通?  東扶余  第三代の王(在位?~22年)  父 金蛙王・・・キム・かえる・おう  弟 曷思王・・・    朱蒙=硃蒙=高句麗・初代王・東明聖王     蒙=艹+冡       艹+冖 一+豕       こうむる・受ける       おおう・覆い隠す       くらい・道理に暗い・おろか       蒙古の略称       おさない・子ども・童蒙       愚蒙(グモウ)・啓蒙(ケイモウ)       童蒙( ドウモウ)・幼蒙(ヨウモウ)                ・・・倭男具那命(ヤマトオグナノミコト)                   日本童男(ヤマトオグナ)       道理をわきまえず、愚か・無知な       六十四卦の一      「山水蒙」       蒙(おろか)・物の稚(おさな)き       物が生じた当初は蒙昧       屯の次に置かれる  ↓↑  『三国史記』  即位前(金蛙王の治世)  異母弟である  朱蒙・・・朱蒙は紀元前37年に高句麗を建国  を殺害しようとし  逃げられ  後  紀元前7年  金蛙・・・・金を蛙(かえる・ア=倦・鴉=烏)  の後を継いで王となった・・・  紀元前6年  高句麗との国交を開くため  人質の交換を要求し断られ  報復として5万の軍勢で侵攻  大雪の為に撤退  13年  再び高句麗へ侵攻  高無恤(大武神王=たいぶしんおう)      大解朱留王=解朱留      姓 高      諱 無恤(ブジュツ)        『魏書・高句麗伝』で        如栗(ジョリツ・ニョリツ)         ・・・クリのゴトク=句理の語解く?        莫來(バクライ)         ・・・クルなかれ        と記録      瑠璃明王の3番目の男子     恤=忄+血       忄+丿+皿       ジュツ・シュツ       うれえる・心配する・気にかける       あわれむ・めぐむ       気の毒に思う・情けをかける       あわれんで金品を与える  ↓↑  に撃退された  22年2月  大武神王の  高句麗軍に攻め込まれ  帯素王は死亡  帯素  の従弟が  一万人を率いて  高句麗に降伏  絡氏の名を与えられ  東扶余は滅亡  帯素の末弟  が数百人を率いて  鴨緑谷に脱出  曷思川の河畔に  新国建国  曷思王と名乗った  68年  曷思王の孫  都頭王  が高句麗に降伏  東扶余の後裔国は消滅  都頭王  は高句麗に仕え  于台(ウダイ)・・・・臺を于(ここに・ゆく)               迂回(うかい)す  の官を授けられた・・・  ↓↑ ↓↑  26年  10月  蓋馬国・・・東沃沮は        高句麗の        蓋馬大山(狼林山脈)の東に存在  を征伐  12月  蓋馬国が滅ぼされ  句茶国王・・・句の茶の国・・・句の差の語句?  が投降  28年  後漢の  遼東太守から討伐  尉那巌城に籠城し数十日に固守  漢軍は撤退  32年  楽浪国  へ侵攻して降伏させ  37年  楽浪国を滅ぼした  44年  9月  後漢の  光武帝  が  海路出兵して討伐  楽浪郡を回復  薩水(清川江)以南が  後漢の郡県とされた  敗北の後に王は  44年に死去  大獣林の原で  葬儀を行われ  大武神王  と諡された  ↓↑  中国史料  高句麗は  建武八年(32年)  後漢に対して朝貢  光武帝より名を  下句麗  から  高句麗に戻された  『後漢書』  爵位を  侯から王に戻された  『三国志』で  高句麗侯から初めて  高句麗王に叙せられた  『魏書・高句麗伝』  「朱蒙死,閭達代立。   閭達死,子如栗代立。   如栗死,子莫來代立   乃征 夫餘 夫餘大敗 遂統屬焉」  『三国史記』の伝える系譜とは異なる  夫余を攻めたという記事から  莫來が大武神王とも見られる・・・  ↓↑  楽浪国 説話  『三国史記・高句麗本紀・大武神王紀』  大武神王の王子  好童  と  楽浪国王の  崔理の娘  楽浪公主の話  ↓↑  好童が  楽浪公主を妻とするに当たって  楽浪国の宝である  角笛・太鼓  を壊すことを促した  娘がこれらを壊した事を聞いた後  好童は  大武神王に  楽浪国に攻め入る好機と勧め  王は楽浪国に攻め入っ  宝器が鳴らなかったために  軍備を怠った  楽浪王は  高句麗軍を見て驚き  宝器が壊されていることを知って  娘を殺し  城を出て降伏 ーーーーー  ・・・???  解夫婁王→金蛙王→帯素王→曷思王→都頭王  かいふる  都 迦葉原  『三国史記』十三巻  高句麗本紀第一  東明聖王  解夫婁王は老いて子がなく  ある日  鯤淵(コンエン)      ・・・ 鯤=魚+昆           コン・はららご・魚のたまご           想像上の大魚の名           鯤鵬(コンホウ)・類は 鰥(カン)  の池で  王の乗っていた馬が  岩を見て立ち止まり涙を流した  岩を動かしてみると  金色の蛙の姿をした子供がいた  王は天が嗣子を与えてくれたと思い  金蛙  と名付け太子とした  後、宰相の  阿蘭弗が  「太陽神が私に降臨し   『吾が子孫がいずれ国を作るだろう   この地から離れなさい   東海に   迦葉原(かしょうげん)という地がある   そこは五穀が良く実る   ここに都を遷すと良いだろう』   」と  解夫婁王に進言し  都を  迦葉原の地に遷し  国名を  東扶余とした  扶余の都から元の王である  解夫婁王  がいなくなった後  天帝の子を自称する  解慕漱(かいぼそう・へモス)  が現れ  扶余王となった  ↓↑  解夫婁がなくなった後  金蛙は  扶余王となった  ↓↑   平凡社東洋文庫の  『三国史記』は  解夫婁  を誤って  解慕漱(かいぼそう・ヘモス)  とし  金蛙が  解慕漱  の後を継いだように誤読してしまうが  これは単なる誤植・・・  ↓↑  解慕漱  と  河伯の娘の  柳花夫人  の間の息子に  解夫婁  朱蒙  朱蒙は  高句麗の伝説上の建国者  西鴨緑人の  高豆莫汗・・・高い豆の莫の汗?  を  東明(朱蒙)とみなす  ↓↑  曷=日+匃    日+勹+亾    日+勹+L+人    カツ    なに・なんぞ・いずくんぞ・いつ    どうして・いつ    疑問・反語を表す    曷若(いかん)    曷為(なんすれぞ)    六書故に   「奚・何・胡    曷、一聲之轉、義同」  ・・・「葛城皇子」=中大兄皇子=天智天皇  ↓↑  曷+α  㔠偈㓭猲渴㡫幆葛愒堨  嵑揭楬㷎㹇歇暍毼遏䅥  竭褐㿣碣朅蝎䈓獦羯䋵  㵧䔾嶱輵噶臈㬞擖謁﨟  㵣䔽䦪䨠鍻䫘藒鞨馤礍  餲䗶蠍轕騔藹䥟譪鶡齃  靄喝 ーーーーー  ・・・???・・・

 ピエール=オーギュスト・ルノワール  (Pierre-Auguste Renoir)  1841年2月25日~1919年12月3日         大運1918年4月(77歳)~1928                 壬┏午食神  辛 丑(癸辛己)劫財・印綬 墓⇔己┏未印綬  庚┏寅(己丙甲)比肩・偏財 絶⇔乙┃亥正財   冲己=印綬  庚┗申(己壬庚)  ・比肩建禄⇔己┗丑印綬  ↓↑  己 未(if 2/24)傷官(比肩・印綬・正官)・・・?  戊 午(if 2/23)食神(劫財・偏印・偏官)・・・?  ↓↑  壬 午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔庚 午比肩    子丑空亡  フランス(仏蘭西)の印象派の画家・・・腐乱す・孵卵す・・・?

ー----

 ・・・???・・・

 ↓↑   ↓↑

 ↓↑

 ↓↑

 ↓↑

ー----


Comentarios


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page