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イカレタ、イカロス・イカル・猪狩・斑鳩=鵤・怒る我



イカロス(Ikaros)・イカレル・破滅する者・享受、陶酔、過信

2018-07-14 21:23:21 | 古事記字源

 ・・・「ディオニューソスの狂宴」・・・「7月5日、赤坂自民亭、&、立憲民主党議員パーティー」・・・「宴の後」・・・


 ・・・神話って「人名、神名」が入り混じっていて、地方にも波及、拡散、混合、習合されていて理解には混乱する・・・もちろん、類似のモノガタリは細かいところで「複数の異説」になる・・・

ーーーーー

 イカロス(Ikaros)・・・破滅する者・・・享受、陶酔、過信

 ギリシア神話

 工匠ダイダロス・・・・・創造する者・・・設計、工作、慎重

 と

 クレタ王

 ミノス・・・・・・・・・独裁者・エゴイスト・セルフッシュ

 の

 女奴隷の・・・・・・・・奴隷=家畜?

 ナウクラテ・・・・・・・愛玩動物?・・・名得句等弖(氐)?

 の間に生まれた

 ダイダロスは

 ↓↑

 ミノス王の娘

 アリアドネ(Ariadnē)・・・ミィ・ハァちゃん

 ↓↑・・・「潔らかに聖い娘」の意味

 ↓↑   アリアドネーは

      アテネから生贄として送られてきた

      テーセウス(Theseus)・・・アテネ建国の父とされ

             「大岩」を持ち上げるほどの怪力だった

              数々の英雄譚の主人公で

      ↓↑      ヘラクレスと比肩           

      に恋をし

      自分をアテーナイへと

      共に連れ帰り

      妻にすることを条件に

 ↓↑   ↓↑     だがテーセウスの

             正妃・正妻にはなれなかった?

             ナクソスの島で

 ↓↑   ↓↑     テセウスに捨てられた・・・?

             理由はアリアドネの妊娠中の

             つわり(悪阻)、おそ(悪阻)による

             吐き気と嘔吐・・・を嫌った?

             セックスが出来なくなった男のエゴ?

             単にアリアドネーに飽きた?

             その後

             アリアドネは

             ディオニューソスと結婚・・・?

             理由はディオニューソスに拉致強姦?

             テーセウスの正妻は

      ↓↑     パイドラ(アリアドネの妹?)・・・ナゼ?

             パイドラー(Phaidrā,ラテン語: Phaedra)

             テセウスの前妻の義理の息子

             ヒッポリュトスに

             パイドラの乳母を通じて

             恋文を渡すが拒否され、

             コレへの口外を誓わされたが

             「舌は誓ったが、心は誓わぬ」、と・・・

             パイドラは

             夫への露顕を恐れ

             ヒッポリュトスが自分に

      ↓↑     暴行を働いたと夫に偽り訴えて殺させた

      ↓↑     後にパイドラは嘘がバレて自殺

             虚偽の遺書を遺して自殺

      ↓↑     テーセウスとパイドラの結婚の経緯は?

      援助を申し出で

 ↓↑   テーセウス(Theseus)は同意・・・テーゼ(These)+ウス

      ↓↑

      テーゼ=These・ドイツ語で「肯定的に主張すること

          そうする為の判断・命題・綱領・定立

          政治運動などの基本的な方針、綱目方針書」

      usu=《略語》=usual=usually.

      ūsū=ablative singular of ūsus

      ウス=Usu=有珠

      ウス=usu=薄い「」

 ↓↑   ウス=use(臼・碓・堆)を英語では「mortar」?

 に

 迷宮ラビリントスから

 テセウス

 を救い出す

 方法(糸巻きの糸を手繰る)・・・伊都の巻物(書物)を手探る

          たぐる    意図・異土     てさぐる

 を教えた

 テセウスは

 「赤い麻(あさ・マ)の糸玉と短剣」を持って迷宮へ

 ↓↑

 アテネから

 怪物ミノタウロス(牛頭人身の怪物)

 の

 生贄として送られてきた

 テセウスは

 ↓↑

 ミノスの妻

 パーシパエー

 が

 ポセイドンから贈られた生贄の

 牡牛と関係し

 産んだ子

 怪物ミノタウロス(牛頭人身の怪物)

 を退治

 ↓↑

 怪物ミノタウロスを殺され

 怒った

 ミノス王は

 ダイダロス

 と

 イカロス

 父子を迷宮

 ラビリントスに閉じ込めた

 だが

 ダイダロスは

 蝋で固定した羽根の翼を発明考案し

 迷宮からの脱出した

 だが

 息子

 イカロスは父親の忠告を忘れて

 天高く飛翔し太陽に接近しすぎ

 その熱で翼の蝋が溶け

 海中に墜落して溺死

 その海は

 イカロス海と呼ばれた

 ↓↑

 イカルス (1566 Icarus)小惑星

 1949年に W.バーデにより発見

 地球近傍小惑星の一つ

 アポロ群に属する

 ↓↑

 イカルスの特徴として

 近日点では

 水星よりも

 太陽に近づく

 ↓↑

 遠日点では

 火星軌道の外側で

 長楕円軌道を描いている

 ↓↑

 イカルスは

 19年ごとに地球の近くを通り過ぎる

 1997年

 最後に接近は地球に640万km

 1968年

 60万kmまで接近

 地球と月の距離の2倍の距離

 ↓↑

 「筑」・・・筑=古代中国の打弦楽器・形は琴に似ているが

         爪弾いて弾奏するのではなく

         竹の棒で弦をたたいて音を出す

       こと=筝・琴・瑟

       神功皇后(仲哀天皇の皇后

       気長足姫   尊(書記)

       息長帯比売命(古事記)・大帯比売命・大足姫命

       は

       「筑=こと=筝・琴・瑟」

       を奏でて神託を訊いた後

       夫の仲哀天皇は死んだ・・・

       子供は

       「誉田天皇、第十五代応神天皇」

       「御琴之音=古事記」

 筑紫=つくし=土筆・尽くし・衝く刺・突く史・付句史?

 竹+巩=竹+工+卂=竹+工+⺄+十

 ↓↑

 撃筑=筑(ちく)を撃ち

 ↓↑

 史記=シキ・しき

 大風起兮雲飛揚=大風起こりて雲飛揚す

 高祖還帰=高祖還帰し

 過沛=沛(ハイ)に過(よぎ)り

 留置酒沛宮=留(とど)まりて沛の宮に置酒し

 悉召=悉(ことごと)く

 故人・父老・子弟=故人・父老・子弟を召して

 縦酒。=酒を縦(ほしいまま)にせしむ・・・縦(たて)

 発沛中児=沛中の児を発して

 得百二十人。=百二十人を得

 教之歌。=之をして歌はしむ

 酒酣(たけなわ)=酒宴たけなわ

 高祖

 撃筑=筑(チク・こと)を撃ち

 自為歌詩曰=自ら歌詩を為(つく)りて曰はく

 大風起兮=大風起こりて

 雲飛揚=雲飛揚す

 威加海内兮=威海内に加はりて

 帰故郷=故郷に帰る

 安得猛士兮=安(いづ)くんぞ猛士を得て

 守四方=四方を守らしめんと

ーー↓↑ーー

 「虎渓」の名前由来

 夢窓疎石・・・夢窓疎石=ムソウ

             夢想・無双・無想

             ソセキ

             礎石・素籍・祖籍

 が訪れ

 中国

 蘆山の虎渓の風景に似ていた・・・

 ↓↑

 永保寺庭園-岐阜県多治見市・・・7/14、38.7度と全国一の最高気温

 ↓↑

 虎渓山(コケイザン)

 永保寺

 鎌倉時代(1313年)開創

 小高い虎渓山に佇む禅寺

 正式名称は

 臨済宗

 南禅寺派

 虎渓山

 永保寺

 ↓↑

 1930年(昭和五年)

 カトリック神言修道会

 日本管区の本部修道院として設立

 ↓↑

 多治見修道院・・・「多(他・タ・太)字(時・事・持)見集同韻」?

 (たじみシュウドウイン)・・・周同韻?

 岐阜県・・・岐=山支(十又)

       阜(𠂤+十・ノ㠯十)

       県(目乚亅八)

       GIFを懸ける⇔グラフィックデータの保存形式の1?

       ギフ・義附・技附・魏譜・戲附

       胃カメラGIF(Gastoroscopy)?

       日本の略称はEGD( Esophagogastroduodenoscopy)?

 多治見市

 カトリック神言修道会(神言会)の修道院

 ミサで使うために

 葡萄栽培をしていて・・・葡萄⇔葡萄牙(ポルトガル・Portuguese)

 多治見産の       類似の類字は「匍匐(ホフク)」?

 ワインとして広く親しまれていた・・・

 ↓↑

 日本で唯一、ワインを醸造する修道院

 1930年(昭和五年)

 ドイツ(独逸)人

 モール神父により・・・モール=Mohl・Mohr

            Maul(ラグビーの陣形)

            mole(モグラ)=モール=mall(遊歩道)

            mogol(ポルトガル語)のなまり

               原義は「ムガル帝国」

               モール織 ・緯に金糸や銀糸を

               織り込んで模様を浮織した織物

 日本の修道士の養成の修道院として建設された

 大聖堂

 敷地内に広がる畑で育てられた葡萄は

 地下室で醸造され

 「修道院ワイン」となった

 葡萄栽培し

 多治見産のワインとし

 毎年11月3日は・・・十一ガツ三二チ

 「多治見ワインフェスタ(Wine Festival)」開催

 ↓↑

 ワインの色・・・ワインレッド・・・赤紫?・・・危険地帯?

 紫

 高貴な色

 染物の紫

 醤油の紫

 醤油は

 筑波山・・・筑の波の山

 の麓付近で

 多く生産されていた

 筑波山を

 紫峰(シホウ)といい

 醤油の産地であり

 醤油=むらさき・・・?

 ↓↑

 和歌山県・・・・和歌の山の県

 の

 湯浅が発祥・・・湯の浅

 醤油・醬油・ひしほ・・・多聞院日記=室町末期

 漿=文明本節用集=室町中期・・・漿醬⇔ショウ・シャウ

 ↓↑

 醬=將(将)+酉

   まさに・ひきいる・はた・ショウ

   ひきいる・兵をひきいる・軍をひきいる

   将軍

   たすける・救う・支える・すすむ・おこなう

   まさに~す=今にも~しそうだ

         やがて~になりそうだ

   まさに~す=~しようとする

         ~したい

         と未来的な意志を表わす

   まさに~す=ほぼ~である・ほぼ~に近い

   はた~か=それとも・または・あるいは

        と選択の意を表わす

   もって=~によって・~をもちいて

       と方法や手段などを表す

 漿=血液成分の「血漿」・・・血漿(Blood plasma)

   血液細胞・養分・脂質・ホルモン・老廃物の運搬

   体内恒常性の維持(緩衝作用)、血液凝固、免疫機能

   急激な温度変化の抑制

   などの作用・・・

 ↓↑

 ペルセポネー・・・経留施保音重?

 ↓↑

 ディオニューソスは

 オリンポスの神の座を得て

 レルネー(ヒュドラーの棲む沼地)

 の底なし沼を通って・・・ The Learnean Hydra

 タルタロス(冥界)に下り

 ギンバイカ(銀梅花・銀盃花

       フトモモ科の単型の属・・・蒲桃(ふともも)

       ギンバイカ属の常緑低木  太股=太腿

       英語、マートル(Myrtle)

       ドイツ語、ミルテ(Myrte)

 の木を

 ペルセポネー(冥界の女王・別称コレー=若い娘、乙女

        冥界の王ハーデース=プルートーの妻)

 に贈り、これと引き替えに

 母親の

 セメレー(テーバイ王カドモス

       とその妻

      ハルモニアーの娘)

 を連れ戻し

 神性を分け与え

 セメレーは女神となった

 セメレーは

 トロイゼーンの

 アルテミスの神殿に入り、天に昇った

 ディオニューソスは

 他の死者たちが

 セメレーを

 嫉妬したり

 憤慨したりしないように

 母の名前を改め

 テュオーネー

 として神々に紹介・・・

ーーーーー

 ・・・???・・・

 ディオニューソスの狂宴・・・

 ↓↑

 アリアドネーの

 フランス語 アリアーヌ

 イタリア語 アリアンナ

 ↓↑

 アリアドネー

 と

 テーセウス

 は

 クレータより脱出後

 二人は子供もつれて

 ナクソス島へと至った・・・

 ↓↑

 諸説(プセウド・アポロドーロス)

 ナクソス島で

 ディオニューソス

 が彼女に恋し

 拉致誘拐し

 レームノス島へと連れて行き

 アリアドネーと交わり

 トアース、スタピュオス、オイノピオーン、ペパレートス

 あるいは

 オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロス

 の三人を産んだ・・・

 ↓↑

 別説

 アリアドネーは

 ナクソス島に至り

 悪阻(つわり)であったため

 彼女が眠っているあいだに

 テーセウスは

 彼女を置き去りにし去った

 この後

 ディオニューソス

 が彼女に恋をし妃とした・・・

 ↓↑

 ホメーロスの

 『オデュッセイア(巻11、324-5)』で

 一行が

 ディアー島・・・出意蛙鴉トウ(等・問・答)?

 に至ったとき

 ディオニューソス・・・出意於入得素諏?

 の了承のもと・・・・・ナゼ了承したのか?

 アリアドネーは

 アルテミス(Artemis)

 に射られて・・・ナゼ射殺したのか?

       月の女神セレーネー、闇の女神ヘカテーと同一視

       アポロンと兄妹の二卵性双生児、双子

       ディアナ(ローマ神話・Diana)と同一

 死んだ・・・

 ↓↑

 大女神=アリアドネー

 5世紀の辞典編纂者

 ヘーシュキオスの記録・・・

 クレータ島

 では、

 アリアグネー・・・阿利、倦(あぐ)ねる・・・?

 と呼ばれていた

 「いとも尊き(女・女神)」の意味

 女神はエーゲ海の多くの島で知られている

 ディオニューソス・・・バックス (Bacchus) - ローマ神話の酒神

 の

 妃として結婚の祝祭が行われていた

 ↓↑

 アポロンの竪琴(ハープ・harp・弦鳴楽器)

 キタラー(古代ギリシア語:κιθάρα)

 古代ギリシアの弦楽器

 ラテン語で「cithara 」と綴られ

 キタラまたは中世以降は

 チタラと発音

 ↓↑

 近代ギリシア語では

 kithara は本来の意味を失って

 ギターを意味

 ↓↑

 アルゴス・・・・有る語素

 では

 アプロディーテー・ウーラーニアー

 (「天のアプロディーテー」の意)

  の社殿の傍らに

 アリアドネーの墓が存在していた・・・

ーーーーー

 ・・・



 ・・・7/17/19:50・・・「海の声」・・・「島津亜矢」さん、何を歌っても「美唄」な歌唱力・・・アイヌ語の「ピパィ=カラス貝の川」、「ピパオマナィ=カラス貝・ある・川)」、「ピパオィ=カラス貝・多い・所」・・・「マリア・カラス(Maria Callas, ギリシア語: Μαρία Κάλλας, 1923年12月2日~1977年9月16日)」・・・「美しい(うつくしい)のギリシャ語、カロス・カラス=καλος ・ギリシャ語」・・・美声を「美唄(口+貝)」だなんって、漢字を当てた命名者はギリシャ語も堪能だったカモ・・・

 1923年12月2日   ~1977年9月16日)  癸亥(戊・甲・壬)⇔丁巳(戊・庚・丙)

    劫財・正官。正財  癸亥(戊・甲・壬)⇔己酉(庚・ ・辛)

    劫財・正官。正財  己酉(庚・ ・辛)⇔丙子(壬・ ・癸)   寅卯=空亡


 「四柱推命」から「推命」すれば

 美貌で美声の彼女の

 誕生時間が「甲戌」ならば


      大運1975年10月(51歳)己巳比肩

 癸亥(戊甲壬)┓偏財・正財 胎⇔丁巳偏印

       方合辛

 癸亥(戊甲壬)┫偏財・正財 胎⇔己酉比肩

       方合辛=食神

┏己酉(庚 辛)┫  ・食神長生⇔丙子傷官

干合     方合辛

┗甲戌(辛丁戊)┛正官・劫財 養⇔戊戌劫財

  申酉空亡


 誕生日ならば「庚戌日」かも・・・

 1923年12月3日   ~1977年9月16日)  癸亥(戊・甲・壬)⇔丁巳(戊・庚・丙)⇔正官

 傷官    ・食神  癸亥(戊・甲・壬)⇔己酉(庚・ ・辛)⇔印綬

 傷官    ・食神  庚戌(辛・丁・戊)⇔丙子(壬・ ・癸)⇔偏官

  申酉空亡

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 「朝三暮四」って?・・・「トランプ・17日、2016年の米大統領選にロシアが介入したとする米情報機関の捜査結果を受け入れると述べた。ロシアのプーチン大統領と行った16日の記者会見では、米情報機関よりプーチン氏を信じるような発言をしたが、言い間違いだったと釈明。共和党など足元から批判を受け、わずか1日で発言を軌道修正」・・・?・・・コロコロと変わるが、ウソの上塗り、言い訳の「某国政府」よりはマヒか?・・・マシ・・・  「トランプはホワイトハウスで議会幹部と会談。当初は非公開の予定だったが、急遽、冒頭部分を公開」し、「米情報機関を全面的に信頼している」と強調。「2016年の選挙にロシアが介入したという情報機関の結論を受け入れる」と語った・・・  トランプとプーチン  フィンランドの首都  ヘルシンキで  16日に会談  会談後の記者会見で米露の関係改善をアピール  敵はロシアではなく、ナトウ・・・  米大統領選への介入を否定するプーチンに  トランプは異議を唱えず  米国の情報機関(CIA)よりも  ロシアの主張を信じる・・・?  イラク情報は「捏造されたインテリジェンス=偽情報」・・・  ・・・戦争仕掛け目的で(味方に?)流す謀略情報・・・  「意図的な偽の情報=謀略情報・流言飛語・デマ・流言・流言蜚語」   で  「誤った情報・誤報」ではない「fake news=がせねた」・・・  「誤報」ならば後で言い訳出来るのか?  「フェイク (Fake)・偽物」・・・「米国大統領選に関する「ロシア疑惑」を捜査してきた米国の特別検察官は7月13日、ロシア軍の情報機関要員12人を新たに起訴した。いずれも、2016年の米国大統領選キャンペーンに不正に介入したという罪状」・・・  「政治的な目的で、意図的に流す扇動的かつ虚偽の情報」・・・  「Demagogi・demagogy・Demagogie」・・・  にせもの・模造品・まやかし・・・  フェイクファー(fake fur)=合成繊維を使った模造毛皮  アメリカンフットボールで、意図しているプレーや動作を  相手に見破られないように行うトリックプレー・・・  ジャズの即興演奏・・・ad lib・・・? ーーーーー  遺跡が残されるのは  水害での土砂に埋もれる  噴火での火砕流、熔岩、火山灰で埋もれる  地層や年輪からも当時の現実、実情が「推測」が出来る・・・  リュウグウの採石から宇宙の歴史が推測出来る・・・?  ↓↑  ・・・事実は銘文文字の中にも埋もれる・・・?  ・・・オモイもコトバの音中にもウズもれる・・・?  ↓↑  安康天皇が、  大草香(大日下)皇子の遺子の  眉輪(目弱)王に暗殺  大泊瀬(長谷)皇子は、  兄弟や  従兄弟を殺害し、  雄略天皇に就任  ↓↑  父の  市辺押磐皇子・・・市(亠巾)の辺(あたり)の押磐(磐を押す)           亠の巾=音のハバ  を殺された  億計、・・・億(人の意)を計る  弘計・・・・弘(弓のム)を計る         ・・・ム=私・よこしま・曲がった腕、肘の形象  の兄弟の皇子は、  日下部連使主と  息子の  日下部  吾田彦・・・・・・・吾(我・私)田(狩・田圃)彦(比古)  に連れられて、  丹波の・・・・・・・丹羽・丹葉・丹場・但馬・萱場            足んば?           =京都府中部と兵庫県中東部に相当            兵庫県中東部の市            日本海側斜面と瀬戸内海側斜面を分け            氷上(ひかみ)地区の            石生(いそう)は日本で一番低い分水界            太平洋に注ぐ加古川と            日本海に注ぐ竹田川           (下流で由良川に合流)の源流域  与謝郡に逃げ、  更に  志染(しじみ)の  石室から、  志染の天領に向かった  日下部連使主は、  荷物を焼却し、  綱を切って馬を逃がし、  志染の石室で縊死  二皇子(億計・弘計)と  日下部吾田彦は、  身分を隠し、  志染  天領の長の  忍海部造-細目  (おしぬみべのみやつこ-ほそめ)  の屋敷で、  牛馬の世話などの  使用人になっていた  細目の屋敷の新築祝いで  新嘗祭の供物を集めに来ていた  播磨国司の  伊予  来目部-小楯・・・来目=くめ=久米=組め=来米=くるめ=久留米  (いよの   くめべ-おだて)も、  この宴に招かれ  小楯は、  兄弟に踊れと命じ  弟王は、  舞い歌いながら  身分を明かした  驚いた小楯は、  2人(億計・弘計)を  大和に連れてもどった  弟が即位して  顕宗天皇になり、  兄もその後、即位  仁腎天皇になった  小楯は、  その功績により、  吉備臣(きびのおみ)を副官とする  山守部の長官に任命され、  山部連(やまべのむらじ)  を名乗った  (記紀・播磨風土記・先代旧事本紀)  ↓↑  第十六代  仁徳天皇は、・・・大雀命(おほさざきのみこと・古事記)           大鷦鷯尊(おほさざきのみこと・書記)           大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)           皇后=磐之媛  日下部一族を  大草香(日下)皇子  と  草香(日下)幡梭姫皇女  の近侍に定めた  皇后の近侍の  日下部が  二皇子(億計・弘計)を逃がした  ↓↑  丹後国風土記によると  浦島太郎伝説が・・・書いたのは「高橋虫麻呂」                  高橋=膳部(かしわでべ)            膳臣(かしわでのおみ)=孝元天皇の皇子            大彦命(おほひこのみこと)            阿倍臣の祖の孫            磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が            バンロクリクガンメイ            景行天皇に堅魚(かつお)と蛤(はまぐり)を            調進、嘉賞            膳部の統領に任命されたのが起源  丹波与謝郡にあり、  日下部はその子孫・・・  ↓↑  日下部連使主は逃亡の際、  この縁故を頼った  日下部は、  第九代  開化天皇の子、・・・開化=文明開化=明治?            孝元天皇七年~開化天皇六十年四月九日)            孝元=十一ノ一了二儿            和風諡号            稚日本根子彦   大日日・・・ネコ=猫           (わかやまとねこひこおおひひ)            若 倭  根子日子大 毘毘命   彦坐命・・・・・・・ひこ=彦根・肥後?  (ひこいますのみこと)  の子孫  彦坐命の子に  四道将軍の一人、  丹波道主命  彦坐命は、  丹波に縁  日子坐王  (ひこいますのきみ)  (丹後風土記)  ↓↑  日下部は、  日向の  海部と関係・・・  浦島太郎・・・・億計(おほけ)=大石尊(おほしのみこと)                 =意富祁王                 =意祁命          大脚(おほし)・大為(おほす)          字は嶋郎(しまのいらつこ)=浦島太郎  ↓↑  において、  海亀が・・・・・・潜水艦?・鉄甲船・亀甲船(キッコウセン)?  若狭湾にいる・・・  ↓↑  日向の・・・福岡の朝倉市に日向石の地名あり               日向土(ボラ土)=軽石・・・珂瑠               軽 皇子・・・孝徳天皇               軽 =軽戦車               珂瑠皇子・・・文武天皇               珂瑠=白瑪瑙  日下部が  丹波・・・・越前に朝倉氏  までやって来た・・・逆は越前の日下部が朝倉へ・・・来た?  縄文時代から日本列島内の交易は遠近頻繁だった・・・  ↓↑          弘計(をおけ)=来目稚子(くめのわくご)=袁祁王          袁祁之石巣別命・袁奚             石巣別=砕石の採石の場所          ・・・イシス=石州・・・石出・岩手             イシス=エジプトの女神・オシリスの妻                 ホルスの母             頤使す=イシす=頤指す・頤使す          来目皇子(くめのみこ)          ?~推古天皇十一年二月四日(603年3月25日)          久米王とも          父は用明天皇          母は穴穂部間人皇女          聖徳太子は同母兄  億計(おほけ)=大石尊(おほしのみこと)=意富祁王          意祁命・大脚(おほし)・大為(おほす)          字は嶋郎(しまのいらつこ)  ↓↑   ・・・朝倉⇔日下部庄・・・朝倉市=福岡⇔長門(穴戸⇔宍戸?)    越前朝倉氏    但馬国を拠点とした豪族    越前国を拠点とし    戦国大名となった    本姓  日下部氏・・・日下部    家祖  朝倉宗高    種別  武家    出身地 但馬国 養父郡 朝倉    根拠地 但馬国    越前国    著名人物    朝倉孝景    朝倉宗滴    朝倉義景    支流、分家    八木氏(武家)    越前 朝倉氏(武家)    土佐 朝倉氏(武家)    溝江氏(武家)    ↓↑    朝倉市=福岡県の中南部    筑後地域に位置する市  日下部は  彦坐命の子孫・・・  ↓↑  ↓↑  日下部は、  上総(かずさ)、大和、播磨、日向  など大和朝廷と関係の深い地域に居住  ↓↑  孝徳天皇  第三十六代天皇  在位期間  645年7月12日~654年11月24日  元号 大化  白雉  先代 皇極天皇  次代 斉明天皇(皇極天皇重祚)  誕生 596年  崩御 654年11月24日  陵所 大阪磯長陵(大坂磯長陵)  諱 軽(かる)  別称 天万豊日天皇  父親 茅渟王  母親 吉備姫王  皇后 間人皇女  子女 有間皇子  皇居 難波宮  ↓↑  敏達天皇の孫  押坂彦人大兄皇子の  王子  茅渟王の長男  ↓↑  母は  欽明天皇の孫で  桜井皇子の王女、吉備姫王  皇極天皇(斉明天皇)の  同母弟  ↓↑  天智天皇(中大兄皇子)  間人皇女  天武天皇(大海人皇子)  の叔父  ↓↑  姪の間人皇女は皇后  ↓↑  阿倍倉梯麻呂(阿倍内麻呂)の娘の  小足媛を妃とし  有間皇子を儲けた  ↓↑  蘇我倉山田石川麻呂の娘の  乳娘(ちのいらつめ)を妃とした  ↓↑  大化四年(648年)  新羅が使を遣わして調を貢じた。  磐舟柵を治めて蝦夷に備え  越と信濃の民を選んで  初めて柵戸を置いた  ↓↑  大化五年(649年)  高向玄理  釈僧旻  に命じて  八省百官を置いた  3月17日  阿倍倉梯麻呂が死亡  天皇は  朱雀門に出て哀哭し、嘆いた  3月24日  蘇我日向が・・・・なぜ、日向なのか?  皇太子(中大兄)に  蘇我倉山田石川麻呂を讒言  天皇が軍兵を起こし、  石川麻呂は逃げた  3月25日  蘇我倉山田石川麻呂が自殺  3月26日  追討軍が  蘇我倉山田石川麻呂の首を斬った  4月20日  巨勢徳陀古を左大臣  大伴長徳を右大臣  5月1日  三輪色夫  掃部角麻呂  を新羅に遣わした  新羅が  金多遂・・・・・・・・・金の多を遂(とげる)?  を遣わして人質にした  大化六年(650年)  2月9日  穴戸国司の  草壁醜経・・・・・・・・草壁の醜経(くさかべ の しこぶ)                 醜経(酉鬼糸又十一)  が白い雉を献じた  白雉元年(650年)  2月15日  白雉を観る儀式を行い、    しろきじ=代記事(生地・木地・喜字・起辞・奇事)?  大赦し、  白雉(ハクチ・しろきじ)と改元  穴戸国・・・長門国一帯の古名  に鷹(ヨウ・たか)を  放つことを禁じ  同国の調(税)を3年間免除・・・  4月  新羅が使を遣わして調を貢いだ  10月  宮地にするために  墓を壊されたり  家を遷されたりした人に物を与え  荒田井比羅夫・・・・・・荒田井の比羅夫?  に宮の堺の標を建てさせた。  山口大口  が詔を受けて千仏の像を刻んだ  安芸国に  百済舶2隻を造らせた・・・百済舶?・・・なぜ、百済の船なのか?  ↓↑  粟田細目  推古天皇十九年(611)大和(奈良県)  菟田野(うだの)でおこなわれた  薬猟(くすりがり=鹿狩りの角を薬とする)の責任者  粟田細目  「息長足日広額天皇   (おきながたらしひろぬか の すめらみこと=舒明天皇)の   喪(みも)を発(おこ)す・・・   小徳粟田臣細目(あはた の おみ ほそめ)   軽皇子に代(かは)りて誄(しのびごとまう)す」  細目(ほそめ・サイモク)は、  播磨風土記では、  「伊等尾(いとみ)」となっている・・・伊=等=尾                     意図は尾張?  新羅から連れて来られた・・・?  製鉄鍛冶職人達が  大和に住み、  それが  全国に散らばって技術を伝えた  忍海部もその一  細目の館跡がある  木幡の近くの  帝釈山には、  水銀を含有する  赤土(丹)がある  ↓↑  億計・弘計  二皇子の父の  市辺忍歯別王、  叔母の  飯豊青皇女  (いいどよあおのひめみこ)  の  母の  黒姫が葛城氏  ↓↑  神功皇后の治世に  葛城氏始祖の  葛城襲津彦  (かずらきのそつひこ)  が新羅から連れ帰った捕虜に  忍海漢人(おしみのあやひと)=新羅人?  も含まれ  これらの人々を  葛城氏の領土の一部に住まわせていた  飯豊青皇女は、  この忍海漢人の居住地にある  角刺宮・・・・・・・・・・・つのさし  (つぬさしのみや)に住み、  忍海郎女  (おしぬみのいらつめ)  とも呼ばれた  ↓↑  市辺忍歯別王(いちのへのおしはのみこ)の妻(荑媛)  二皇子(億計=おけ・ 弘計=をけ)の  母(荑媛)  ↓↑  蟻臣(ありのおみ)・・・蟻=中ム義(羊我)  葦田宿禰(あしだのすくね)の子  娘は荑媛(はえひめ)で  市辺押磐(いちのべのおしはの)皇子の妃  億計(おけ)王(第24代・仁賢天皇)          在位・仁賢天皇元年1月5日~同11年8月8日  弘計(おけ)王(第23代・顕宗天皇)          在位・顕宗天皇元年1月1日~同3年4月25日  をふくむ3男2女を生んだ  ↓↑  弘計(をおけ)=来目稚子(くめのわくご)=袁祁王          袁祁之石巣別命・袁奚  億計(おほけ)=大石尊(おほしのみこと)=意富祁王          意祁命・大脚(おほし)・大為(おほす)          字は嶋郎(しまのいらつこ)  ↓↑  荑媛(はえひめ・ハエ=荑=艹+夷=つばな・テイ・ダイ・イ)               出たばかりの芽・稗(ヒエ)の類               蕪荑・臭蕪荑・白蕪荑・基原はニレ科               Ulmaceae のチョウセンニレ(朝鮮楡)               異体字=苐・𦯔  別人の荑媛  和珥河内(わにの-かわち)の娘・・・和邇・鰐・王仁  継体天皇元年(507)天皇の妃  1皇子2皇女を生む  ↓↑   蠅伊呂泥 & 蠅伊呂杼の姉妹   蝿 伊呂泥  (ハエイロネ)  別名   意富夜麻登久邇阿札比売  (オホヤマトクニアレヒメ)  ↓↑  絙某弟(はえいろど・蠅伊呂杼)      絙=糸+亘        くみひも・カン・ガン・コウ        ゆるい・緩む・組みひも・印綬(インジュ)        大縄・太い綱        異体字は「絚・縇・𦀞・緪・縆」        亘=わたる・およぶ・コウ・セン          端から端まで及ぶ・渡る         「亘古(コウコ)」         「亘(セン)」と「亙(コウ)」は別字         「亘=めぐる(巡る・廻る)」         「亙=わたる(渡る・渉る)」          の意であるが、しばしば混用される  ↓↑  某=甘+木・・・あまき・アマキ           ・・・アマイキ=阿毎記⇔阿毎王朝の記録?                   阿毎王朝記=隋書 袁奚=弘計=来目稚子=袁祁             袁祁之石巣別命            『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國             開皇二十年             倭王姓 阿毎             字 多利思比孤             號 阿輩雞彌・・・阿輩雞彌⇔袁奚                        雞=奚+隹             遣使詣闕。上令所司訪其風俗。  ↓↑  某=不定称の人代名詞・名を知らない人        それとは定めない人        名をわざとぼかしていう場合などに用いる  ↓↑    なにがし・ボウ       第七代  孝霊天皇(コウレイテンノウ・孝靈天皇)  妃  絙某弟(はえいろど・蠅伊呂杼)は  絙某姉(はえいろね・蠅伊呂泥)の妹     (ハエイロネ・別名=意富夜麻登久邇阿札比売)  子は  彦狭島命(ひこさしまのみこと・日子寤間命)  針間の  牛鹿臣の祖(記)  子は  稚武彦命(わかたけひこのみこと・若日子建吉備津日子命)  吉備臣の祖(紀)  吉備下道臣  笠臣の祖(記)  ハエ(蝿)姫も葛城氏  孝元天皇(八代)の時代  姉の子の  吉備津彦と  蝿伊呂杼(ハエイロド)の子の  若日子建吉備津日子命  (ワカヒコタケキビツヒコノミコト)  が吉備へ遠征に行く・・・  ↓↑  億計・弘計  の  二皇子は、  葛城氏を通して  忍海部と縁がある・・・  志染(しじみ)の  石室の近くの  押部谷は、  忍海部に由来し・・・屯倉(みやけ・直轄領)だった  志染(三木市)  押部谷(神戸市北区)  ↓↑  星川皇子の父は  雄略天皇  母は  吉備臣出身  雄略天皇の皇子  白髪皇子(清寧天皇)の母は  葛城氏 ーーーーー  顕宗紀・・・父の市辺押磐皇子は        雄略天皇に殺害され        日下の志々見(志染)を頼った           志染=しじみ=蜆・志々見=志士を見よ        皇太子の億計皇子ではな        皇子の弘計が天皇位に就く  三年(487年)  月神と日神が人に懸かって  阿閇臣事代に語り・・・阿閇=アヘ=阿倍・阿部・阿武⇔阿毎  月神を壱岐県主の  遠祖・押見宿禰に祀らせ  日神を対馬の下県直に祀らせる  紀ノ生磐(大磐)宿禰が  任那で専横  百済国人300を殺す  天皇崩御  古事記では在位八年  御陵  片岡之石高坏岡上・・・  ↓↑   穴穗天皇三年十月  天皇父  市邊押磐皇子  及  帳內  佐伯部仲子、  於  蚊屋野、  爲  大泊瀬天皇  見殺、因埋同穴。  於是、  天皇與億計王、  聞父見射、  恐懼  皆逃亡自匿。  帳內  日下部連使主  (使主、日下部連之名也。使主、此云於瀰)  與  吾田彦、使主之子也、  竊奉  天皇與億計王、  避難  於  丹波国余社郡。  使主、  遂  改名字曰  田疾來、  尚恐見誅、  從茲遁  入  播磨縮見山石室  而自經死。  天皇、  尚不識使主所之、  勸兄億計王、  向  播磨国赤石郡、  倶改字曰  丹波小子、  就仕  於縮見屯倉首。  (縮見屯倉首、忍海部造細目也。)  吾田彦、至此不離、  固執臣禮。  ↓↑  穴穂天皇(安康天皇)即位三年十月  顕宗天皇の父の  市辺押磐皇子と  帳内(トネリ)の  佐伯部仲子(サエキベノナカチコ)は  蚊屋野(カヤノ)で  大泊瀬天皇(雄略天皇)に殺された  それで同じ穴に埋められた  顕宗天皇と  億計王(オケノキミ=仁賢天皇)は  父が射殺されたと聞き  恐怖で、皆、逃亡して匿(カク)れた  帳内(トネリ)の  日下部連使主(クサカベノオミ)  と  吾田彦(アタヒコ)  (使主(オミ)は   日下部連の名前で   使主は於瀰(オミ))  吾田彦は  使主の子供・・・日下部吾田彦  ↓↑  は密かに  顕宗天皇と  億計王(仁賢天皇)を奉じ  難(ワザワイ=雄略天皇に殺される危険)  を避け  丹波国の  余社郡(ヨザノコオリ=丹後国与謝郡)へと行った  使主は  遂には苗字を改め  田疾来(タトク)とし  尚、誅殺されることを恐れ  播磨の  縮見山(シジミノヤマ)の  石室(イワヤ)に隠遁し  首をくくって死んだ  天皇は  使主の居場所を分からず  兄の億計王と  播磨国の  赤石郡(アカシノコオリ)に向かい  ふたりとも  字(ミナ=名前)を改め  丹波小子(タニワノワラワ)とした  縮見屯倉首(シジミノミヤケノオビト)に仕えていた  縮見屯倉首は  忍海部造細目(オシヌミベノミヤツコホソメ)  吾田彦はここまで離れることもなく  かたくなに従い  臣としての礼を尽くした  ↓↑  日下部連使主  日子坐王の子孫  次に  沙本毘古王(サホビコノミコ)は  日下部連(クサカベノムラジ)  甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖(ヤ)なり  (古事記)  ↓↑  日下部連の祖先の  沙本毘古王(サホビコノミコ)は  妹の  沙本毘売命と  垂仁天皇を  暗殺しようとし誅殺  ↓↑   日下部  仁徳天皇の息子の一人  「大日下王(古事記)」  「大草香皇子(日本書紀)」  「大草香皇子」の名を冠した集団が  「大日下部」  ↓↑  大草香皇子の母親は  「日向出身の   髪長毘売」  「沙本毘古王」も  日向の関係者 ーーーーー  ・・・???・・・

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