ウイスキーの語源・「oui・憂い・愛い・初・有為」数寄意?
2023/1/5・木曜日・・・追加添文・・・
・・・「ロボット爆弾(鉄腕アトム)」以下の存在だな。「テロリスト」…「爆弾用ロボットが海底で自己増殖し、ロボット爆弾の王国」を築き「人間」より優れた存在だと信じ込んで「人間社会」と接触し、愚かな「人間社会」から去っていく・・・彼らには「「ウイスキー(Whisky)」ではなく、「hashish」が必要なんだろう・・・「黄色い馬(鉄腕アトム)」の「麻薬」も・・・「ZZZ総統(鉄腕アトム第11話)」 ・・・彼らには「毒ガスが必要」も必要だったんだろう・・・ニンゲンである「ZZZ総統」はアクビをするほどに「カイギ」に嫌気がサシていた・・・「双子の片割れ」・・・「地球連邦」・・・ オマエラには、自分自身が吸い込む、この「瓦斯極楽」が必要だな・・・ 今夜(2/1月曜日)のNHK「クローズアップ現代・ピケティ」・・・「トリプルだぅん」・・・今更、ナニを・・・「タックスヘブン」・・・問題は「えご意識=プチブル意識」に勝てるのか・・・ ブログで調べたら 「ウイスキーの語源は、ゲール語の言葉、Uisge-beatha(ウシュクベーハー)」で、「いのちの水」の意・・・・「ゲール族とはヨーロッパ中西部に起った古代民族ケルト族のうち、海を渡ってアイルランドからスコットランド地方へ移住した一部族のことで、血族意識が強く、共通の祖先から出たクラン(氏族共同体)単位で生活していた。この末裔が現在のスコットランド人やアイルランド人」・・・「クラン内部で団結心を日々確かめ、強めるものこそが「ウシュクベーハー」と呼ばれる蒸溜酒でした。ウシュクベーハーは時代を経るにしたがって、Usquebaugh(ウスケボー)となり、やがてUsquaとなり、Usky(ウイスキー)に転化し、今日のWhisky,Whiskeyになった・・・ 「東征時代」、「日本戦国時代」、「列強帝国植民地時代」、「第一、二次世界大戦」・・・「東西冷戦時代」・・・ルールは「山賊」のにも「海賊」にもあったハズだが・・・劣る「国家間戦争の暴力現場」・・・ミンナ、ダレのタメにイノチを消耗していったんだろう・・・ 1572年~1620年の日本と朝鮮、中国の関係を「漢字」から探る・・・ ーーーーー ↓ 児=兒=臼+儿 皃=白+儿=貌 旧=「舊(キュウ・ク)」の略体が 「旧」=「|」+「日」とは 「Ⅸ」=「I」+「X」=「9」 と同じ思考仕様だろう・・・じゃぁ「ⅩⅠ」=「11」は?・・・ 「壱拾壱(いち拾うイチ)・壱壱(いちいち)」・・・ 名前なら 「与一」、「那須与一」 ↓ 那須 与一(なす の よいち) 嘉応元年 (1169年)? ~ 文治五年八月八日 (1189年9月19日?) 系図上は 那須氏二代当主 父は那須資隆(太郎) 妻は新田義重の娘 本名の初名は 宗隆(『平家物語』では宗高) 当主に就任後は 父と同名の 資隆と名乗った・・・ 「与一」は「十あまる一」、つまり「十一男」を示す通称 学問的には与一の実在すら立証できていない?・・・仮空の人物 治承・寿永の乱 源義経に従軍 元暦二年(1185年) 屋島の戦いで 平氏方の軍船に掲げられた 「扇の的」を射落とす 源頼朝より丹波・信濃などの 5カ国に荘園を賜った (丹後国五賀荘 若狭国東宮荘 武蔵国太田荘 信濃国角豆荘 備中国後月郡荏原荘) ↓ 十郎為隆を除く 9人の兄達が、 皆 平氏に味方し、 為隆も処罰され 与一が 十一男ながら那須氏の家督を継ぐ 与一は信濃など各地に 逃亡していた兄達を赦免し、領土を分け与え、 下野国における那須氏発展の基礎を築いた 山城国伏見において死去 法名は 即成院殿 禅海宗悟大居士(即成院殿月山洞明大居士) 『寛政重修諸家譜』では 文治五年(1189年)8月8日死去 『続群書類従』では 建久元年(1190年)10月死去・・・ 家督は兄の 五郎資之(之隆)が継承した 後 鎌倉幕府の有力御家人 宇都宮朝綱の実子(異説もある) 頼資が資之の養子となり家督を継ぎ、 その頼資の子が、 建久四年(1193年)に 源頼朝の 那須の 巻狩で饗応役を務めた 那須野光資(『吾妻鏡』)・・・ ↓ 那須与一 治承四年(1180年) 那須温泉神社に必勝祈願に来た 源義経に出会い、 父の 那須資隆(太郎)が 兄の 十郎為隆と 与一を源氏方に従軍させる約束・・・ 「扇の的を射る」 与一に関する伝説は 西国那須氏の庶流が関わっており、 下野那須氏の間では も南北朝期の段階では 与一の伝説は認識されていなかった・・・ 可能性も指摘されている 弓の修行で 「左右で腕の長さ」が変わってしまった・・・ ↓ 「与市」、 地名なら 「余市」で、「小樽」か・・・マッさん・・・政孝・・・ よいち・ヨイチ→予一・與市・夜市・酔痴・予一・良い地 ーーーーー =ウ+采 サイ 訓読み「ちぎょうしょ(知行所)、 つかさ(司)」 ↓ 地(サイチ) 古代帝王 封給臣下的土地,即采()地 ・・・「采→菜」 「=官也」・・・・・・官有地=国有地 「封建的領地」 ↓ 「采女(うねめ)」 天皇や皇后に近侍し、 食事(膳部)など、 身の回りの雑事を専門に行う女官の召使い 平安時代以降は廃れ、 特別な行事の時のみの官職となった ↓ 「うねめ」という言葉の語源 ↓ 本居宣長の「嬰部(うなげえ)」説、 荻生徂徠の「項意(うなゐめ)」説、 賀茂真淵の「氏之女(うのめ)」説、 壺井義知の「畝女(うねめ)」説 など古来より諸説があるが、 結論は出ていない・・・ 「采女(うぬめ)」という漢字を当てた理由は 中国の 後宮における「采女」を模したと思われるが、 中国の采女は単に後宮における 下位の妻妾を指す言葉であるため、 配膳などの職掌や地方豪族の 忠誠の証としての性格を持った 特殊な存在である 日本の采女とは意味合いが異なっている ーーーーー 朝鮮の役(1592年~1593/文禄の役) 終了後に 「鉱税の禍」 1596年に起った ーーーーー 万暦帝(朱翊鈞) 1563年 明王朝 第十三代皇帝 隆慶帝の 第3子 ↓ 日本(永禄十年) ↓ 織田信長が 天下布武の朱印状を使い始めた ↓ 隆慶帝(朱厚照) 1568年 即位 佞臣(宦官や道士)による 賄賂政治や汚職、 国家財政の赤字を立て直しを試みた 1572年 隆慶帝死亡 万暦帝が10歳で即位 ↓↑ 「張居正」の 行政改革、 朝貢貿易を立前とした鎖国政策 「戚継光」の 軍事 北虜(北方騎馬民族) 南倭(海賊=倭冦の横行) を鎮圧 十年分の 余剰備蓄米 余剰備蓄穀物 ↓ ・・・似ているのは「新井白石」・・・だが・・・ ↓ 1582年 張居正は死亡 享年57才 万暦帝は 封号 上柱国 諡名 文忠 を贈 ↓ その後 万暦帝の 「佞臣・奸族」が 「張居正」を 誹謗中傷、弾劾 万暦帝は 張居正に与えた 上柱国の 封号も 文忠の 諡も剥奪 「戚継光」をも左遷 ↓ 言官を統括する 都察院(秘密警察)の権限を拡大 ↓ モンゴル人将軍 ボバイの反乱 1592年 豊臣秀吉の 日本軍、大明征伐軍が 朝鮮半島を席巻 ↓ 豊臣秀吉の 対明貿易再会 明との交渉決裂・・・ 鎌倉幕府以来 中国の明王朝と朝貢貿易 ↓ 倭寇が 中国沿岸部や朝鮮半島を襲撃 明王朝(1368~1644)は 正式に 西暦894年以来、 国交の絶えていた日本に使者 対処しなければ 遠征軍を送り、 日本討伐を慣行すると通達 日本の 九州を勢力下に置いていた 南朝方の 「懐良親王」は 使者に対して 「日本は迎撃する」と 拒否 「懐良親王」は 当時、 北朝の 足利義満と抗争 ↓ 朝貢貿易 明王朝の属国となれば 明王朝との貿易を許可 ↓ 倭寇の取り締を 日本に依頼 明王朝は 属国を許す ↑ 豊臣秀吉が激怒・・・? 朝鮮王朝は 明属国の 冊封国 ↓ 李氏朝鮮の陸上兵力は 7千人程度 豊臣秀吉の兵力は 15万 明の 万暦帝 朝鮮に40万を派遣 1年ほどで和平交渉成立 日本軍撤退 1597年(慶長の役) 再開 明では 800万両以上の出費 明国内 「朝鮮の役(1592年~1593)」の間も 「楊応龍 の反乱」が 1600年まで継続後 「鉱税」 を開始 「鉱税の禍」 明では 銀銭による交換通貨が安定供給 当時 中国に出回っていた銀は 南米と 日本の 銀 中国では古来より 銅銭通貨が主流だったが 明王朝では銅不足 銅銭の供給量も不足 鎖国政策が緩和され スペイン南米産の銀 日本から密貿易の銀 が中国に流入 銀が通貨として使用 ↓ 「一条鞭法」は 銀で 「一括納税(張居正の政策)」の義務 ↓ 銀貨不足を 「銀山、銀坑の採掘」で補おうとしたが 元々国内における 金、銀、銅の鉱山資源の枯渇が 供給銀の不足が原因 ↓ 「鉱税」政策は不調 ↓ 明の国家体制 官仕の 任命権は皇帝の権力だが その任命をサボって 中央・地方の役人、官吏、官仕は欠員 ↓ ーーーーー ↓↑ 高 (こう さい、Gao Cai, 生没年不明)は、 中国明代の宦官 万暦帝・・・・・・・・??? に仕える 順天府文安県(河北省文安県)出身 順天府文安県(北京市文安県)出身 ↓ 大学士 張位の時代に火災により 二宮三殿が消失、 その再建資金を目的に 「砿税の徴収」が実施 燕山衛指揮 馮綱 千戸胡志の上奏により 福建に 「高」が派遣され 1599年 (万暦二十七年)2月に着任 ↓ 福建で高は民間からの搾取 属官は高に従おうとしたが、 漳州府知府 「韓擢」 海澄知県 「竜国禄」は高に反発 市舶司も兼任した 高は 船舶への課税を強化、 その結果 1602年 (万暦三十年) 海澄県で民衆反乱が発生 そのため 高は生涯再び 漳州を訪れなかった・・・ ↓ 1604年 (万暦三十二年)に、 Wybrant van Warwijck(nl)を指揮官とする オランダ艦隊が来航、 高は オランダとの交易を計画したが、 参将 施徳政、 沈有容 らにより阻止 1606年 (万暦三十四年)に 砿税中止の詔勅が出されたが、 宦官による 徴税活動は継続されその勢力を拡大、 高は太監に任じられ 緋魚服を下賜され、 宦官の行為は一層過酷なものとなり、 切断した 「陽道=ペニス=陰茎?」の復活を目的に 子供の脳を食べたとある・・・? ↓ 『五雑組』には福州において 「生員」が・・・・・・・・・・・・・・・「生員」? 高に対して 武力闘争をおこしたという記事があるが、 年代は記されていない。 しかし 1607年 (万暦三十五年) 11月に、 戸科給事 「中江灝」、 福建巡撫 「徐学聚」が上奏文を出し、 高の不法を訴えている記録がある・・・ 1614年 (万暦四十二年)、 広東の税監 李鳳の死去に伴い、 後任として 高が任官 高は、自分の造らせた 二本マストの船に乗って 広東まで行ったものの、 民衆の抵抗により着任することができなかった 福建に戻った後、 高の船は 閩都督施 「徳政」 福建巡撫 「袁一驥」らによって没収 4月11日 福建商人より 高に 未払いの 商品代金支払要求が出されると、 高は部下に命じて商人を攻撃、 翌日 商人は集団で抗議をしたが、 高は、更に強行手段にで、 福建巡撫 袁一驥の役所に押し掛け、 袁一驥と部下達を人質にした この闘争は 皇帝より詔勅が出されるまで継続 ↓ 民心不安を招いた 高は 万暦帝の怒りに触れて 北京に召還されたが、 その後の消息は不明・・・ ↓ ーーーーー ↓ 万暦帝(ばんれきてい)は、 在位期間 1572年~1620年 明朝の 第14代皇帝 諱は 翊鈞(よくきん) 廟号は神宗 諡は 範天合道哲肅敦簡光文章武安仁止孝顕皇帝 ↓ 日本では一般的に 治世の 元号を取って 万暦帝と呼ばれる ↓ 万暦の中興 隆慶帝の 第3子 10歳で即位 即位直後は 主席大学士(宰相) 張居正の手腕により、 両税法にかわる 一条鞭法の導入 無駄な官職の撤廃 全国的な検地 無用な公共事業の廃止 などにより 財政は好転し、 満州の 女真も 李成梁により一時的に落ち着いた状態となり、 内外政で大きな成果を上げた。 帝自身も幼少年期には 聡明利発で、将来の大器と目されていた ↓ 万暦十年に(1582年) 張居正が死去 親政を始めると一転して堕落し、 寵姫 「鄭貴妃」の偏愛による 立太子問題が起きた。 また日本の 豊臣秀吉が引き起こした 朝鮮の役においては、 宗主国として朝鮮を援助し、 それ以外にも 寧夏の 「ボハイの乱」 播州の 「楊応龍の乱」 の鎮圧 (朝鮮の役を含めて 万暦の三征と呼称) などによって、 軍制の腐敗と相まって財政は悪化 顧憲成 が復興した 東林書院を中心とする東林党と、 魏忠賢ら 宦官勢力と結んだ非東林党の争い(党争)が 激化して 宦官が跋扈するようになり、 また 満州の 女真も ヌルハチの下で 明の遠征軍を破るなど強大化 ↓ しかし万暦帝は相変わらず政治に関心を持たず、 国家財政を無視して個人の蓄財に走った。 官僚に欠員が出た場合でも給料を惜しんで、 それを補充しないなどということを行い、 このために一時期は閣僚が一人しかいない、 あるいは地方長官が 規定の半数しかいないなどという異常事態 さらに 悪化した財政への対策として (あるいは自らの貯蓄を増やすために)、 全国に税監と呼ばれる 宦官の徴税官を派遣して厳しい搾取 搾取に反対する民衆により 税監たちが度々殺される事件が起こったが、 万暦帝は最後まで廃止しようとはしなかった。 ↓ 国家にとって不可欠な出費を惜しむ一方で 私的な事柄には凄まじい贅沢をした。 例えば 鄭貴妃の子である 福王 朱常洵 を溺愛し、 その結婚式のために 30万両という金額を使っている (張居正が政治を執っていた十数年に 国庫に積み上げた金額が 400万両である) このことで民衆の恨みを買い、後に 朱常洵は蜂起 ・・・ ーーーーー 表裏の論理 2015-02-03 21:13:35
「表裏」、「表」と「裏」 表=物の二つの面のうち、主だったほう 表面。また、外側 他のものより前に位置すること 前面 顔面・顔 おもて=うわべ・顔・顔つき・面影・様子 容貌 the surface the face the right side (衣類などの) the obverse [head] 裏=二面ある物の、表面と反対側の面 裏面(りめん) うしろ 物体の、こちらからは見えない向こう側の面 物体の、下になっている面 面状のものの表側に対して反対側のこと・裏側 筒状、球状のものの内側のこと 建物などで正面の反対側のこと 正規ではないこと、普通でないこと ↓ 「心裏」・・・・「心」にも「裏」があるとは・・・? 「しんり=心裏=心裡」 心のうち・心中 ・・・「真理=真の理=加減乗除の数学」 ・・・「心理=心の理=認識の論理(理論)」 ・・・「存理=存の理=存在の論理(理論)」 ↓ 「うらめしい=恨めしい・怨めしい」 「裏目思惟・裏盲目・有等盲目・浦召し遺」・・・? ↓ (相手や状況に不満で)うらみたい気持ちだ うらみ言を言いたいほど憎らしい (自分に過失や不足があって)残念だ 情けない 盲目(めしい・めくら) ↓ メシア ヘブライ語の 「マーシアハ(משיח)」の慣用的カナ表記 「(油を)塗られた者」の意 「メサイア(Messiah)」 の英語発音 ユダヤ教でメシアを自称した者 キリスト教でメシアを自称した者 ↓ ・・・「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(マタイ傳第27章)」・・・ 「Eli, Eli, Lema Sabachthani?] 「 My God, My God, why have you abandoned me?」 アバァンダァンヅ 「My God, My God, Why Hast Thou Forsaken Me?」 フォセィケン 「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ・・・・・ 捌 く多似(爾・児・邇・尼・仁・二) 裁 く詫(わび)丹(タン)・荷(に) 「佐波・差葉・鯖」句太爾(煮→者+灬) エリ ・エリ ・ラマ ・アザブタニ ελωι ελωι λιμα σαβαχθανει」 旧約聖書 「詩篇・第22篇」 冒頭句「エリ・エリ・ラマ・アザブタニ」 「エリ‐エリ‐レマ ‐サバクタニ ēli ēli lemā sabachthani(ギリシャ語)」 (ελωι ελωι λιμα σαβαχθανει) ーーーーー ・・・
階級「国家、国民」枠内の「利益・利害」ですか?・・・階級秩序枠内の諸「國家、國民」、各「国家、国民」ではなく、「人間」、「人類」、「地球人」、「宇宙人」としての「個々人」が抜けている・・・ 「市民社会」では「誘拐犯」には情報を提供しないのが鉄則だが・・・モチロン、「警察」は事件解決まで「不用意な発言」をしないのが「鉄則」であるハズだが・・・「ネゴシエイター・ネゴシエーター (negotiator)」の役割の原則は・・・ 外交官、派遣された高級官僚、そして「政治責任者」の・・・双方の「武力行使」は交渉決裂の最終手段だが・・・その「目的」は「階級維持の数の選択?」である・・・ 「0<1<2<3<4<5<6<7<8<9<10・・・・<一億二千万<・・・」・・・「一億総玉砕」はダレが望んだのか・・・「一億総玉砕」でダレが生き残ったのか・・・「国家」は滅亡しなかった・・・ そして、相変わらず「悪知恵」をTV画面でシタリ顔で与えているのは「キャスター・コメンター・中東専門家」の「推理推測・妄想憶測」などの披露・・・奴らに逆手に取られているコトに「無自覚」なニンゲンは「ヨク、ネムレルんだろう」・・・「善人ほどヨク睡(眠・ネム)る」・・・ ーーーーー 各新聞のニュース報道の概要・・・ 3日夜(日本時間4日未明) ↓ 過激組織「イスラム国」が ヨルダン(国)軍パイロットの モアズ・カサスベ中尉を「殺害」 したとする映像は約22分間で、 中尉が空爆した現場と 空爆を受けたとする人々 空爆参加国の国旗など の映像・・・ 檻に閉じ込められて 油のようなものをかけられた中尉が、 火を放たれ 生きたまま 焼殺したとする映像を インターネット上で公開 ↓ 殺害は約1カ月前の 「1月3日だった」 ↓ It reported that Moaz Kasasbeh was killed on January 3rd and he was already dead when Islamic State was negotiating with the Jordanian government over the release of Japanese hostage Kenji Goto. ↓ ヨルダンの国営テレビは4日、 「イスラム国」が釈放を要求していた サジダ・リシャウィ死刑囚ら 計2人の死刑が執行 ↓ 2015年02月04日 13時13分 ーーーーー ・・・
・・・緊急地震速報、四国徳島県南部10時25分頃・・・「数字」は「抽象概念・一般概念・相互共通概念」として「認識対象のモノの変化」の「質」と「量」を教えてくれる「コトバ」である。キリストの比喩としてのハナシは至極アタリマエで現実社会で「生きている人間」の「損得」、あるいは「リスク」を語っている。 「両目を失うよりは片目」、「両手を失うよりは片手」、「両足を失うよりは片足」、「両耳を失うよりは、片耳(?)」、「命を失うよりは持病(?)」の方がイイのである、と・・・もちろん、「天国へ逝く条件」で、「五体満足・健康」で「地獄の奈落で炎で焼かれる」よりは「マシ」である、と説教しているのだが。これらの「比喩(?)」は「カタワ」になっても「生きているコト」の方が大切なのだと「現実」の「生き方」を言っているに等しい・・・ キリスト・・・「マタイ(27:28)」では兵士に支給されていた「赤いマント」を着せられた・・・ ーーーーー マルコ(イタリア語: Marco) 男性名 ラテン語 Marticus(マルティクス)が語源 省略形の Marcus(マルクス) ローマの軍神のマルス(イタリア語でマルテ) スペイン語のマルコス フランス語のマルク 英語のマーク チェコ語、ポーランド語はマレク ・・・マルコ・ポーロ(Marco Polo・1254年9月15日~1324年1月9日)・・・ヴェネツィア商人・・・毛皮貿易のクリミア(タウリカ→ウクライナ領内の自治共和国→クリミア共和国?)へ・・・「タウリカ (Tauris) 」・・・? ケルソネスス・タウリカ (Chersonesus Taurica) ロシア語化したものが 「タヴリダ (Таврида) 」・・・?・・・ 「タウリカ (Tauris) 」 ↓ 「多ウリ化」→「田邊(辺)里(吏)拿」 田邊藩(田名部版)の吏を拿 「他部理隋(妥・拏・拿=ひく・つかむ・ダ・ナ)」 「多(太)部の理の隋(ダ・ズイ)」 ↓ 「隨(ズイ・スイ・したがう=従う・遵う =随う→随行(ズイコウ) →図以降 →瑞光)」 紀元前480年~438年まで アルカイアナクス家が統治 後 トラキア人の僭主、 スパルトコス(在位紀元前438年~431年)が支配 王朝が 紀元前110年頃まで継続・・・ マルコ・ポーロの 「東方見聞録(The Travels of Marco Polo)」 写本名は 「イル・ミリオーネ (Il Milione)」 「世界の記述 (Divisement dou monde)」 「口述」・・・ ↓↑ 828年 ヴェネツィア商人はアレクサンドリアにあった マルコの聖遺物(有翼のライオン像?)を、 ヴェネツィア共和国(ヴェネツィア)に運んだ 聖マルコはヴェネツィアの守護聖人となった ヴェネツィアの国旗 聖マルコを指す聖書を持った有翼の金のライオン 「エゼキル書(旧約)のライオン」 ↓ タロットカードの http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88 参照 ↓↑ アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン 「太古の世界」を著し、 タロットのエジプト起源説・・・ 最初の職業タロット占い師 エッティラが 1783年~1785年 新解釈の タロットカードの 体系的なタロット占いとした・・・ 1770年 エッティラが著した書物 ↓↑ 「逆位置(リバース)」 「小アルカナの4スートに、四大元素の当てはめ」 「占星術との結びつけ」 「大アルカナから 3枚を除いた 19枚に7惑星や12星座との関連」 を与えた・・・ 「エッティラ版タロット」デッキの作成 このデッキは ヘルメス哲学、 錬金術、 四大元素の火・水・風・地 旧約聖書、 ヌメロジー(Numerology)=数秘術 なども取り込んだ・・・ ピタゴラス、プラトンなどの 数学 西洋占星術 タロット等とも結びつき、 ユダヤ教の カバラの書物 ルネサンス期ヨーロッパは拡散 ↓↑ ヴィスコンティ・スフォルツァ版の タロットカードは 1442年~1447年の間に作られた・・・? 15世紀前半の北イタリアで製作(エステ家の記録) タロット占いの記録文献は 18世紀(エッティラ)以降 聖書を持った有翼の金の「ライオン」 ライオンが描かれているカードは、 ↓↑ 戦車(The Chariot・Ⅶ・7 七・漆) 運命の輪(Wheel of Fortune・Ⅹ・10 十・拾・足) 力(Strength・ⅩⅠ・11 十一・拾壱・壱壱 壱拾余壱・与一) マルセイユ版 or 力(Strength・Ⅷ・8・八・捌)⇔正義 ウェイト版 世界(The World・ⅩⅩⅠ・21 二十一・弐拾壱・弐壱) である・・・ ウェイト版の 愚者(The Fool)の カード番号は「0」 マルセイユ版は カード番号が書かれていない ウェイト版タロットの 次の 番号(1)のカードは 「魔術師」 ↓ 大アルカナ(22枚) 0 愚者・・・無数字 I 魔術師 II 女教皇 III 女帝 IV 皇帝 V 教皇 VI 恋人 VII 戦車 VIII 正義・・・ XIと逆 IX 隠者 X 運命の輪 XI 力・・・・ VIIIと逆 XII 吊された男 XIII 死神・・・無記名 XIV 節制 XV 悪魔 XVI 塔 XVII 星 XVIII 月 XIX 太陽 XX 審判 XXI 世界 「0」は番号無表示の場合もある 元々は番号が割り当てられていないか 「22」であったが、 ウェイトが初めて「0」とした マルセイユ版など 伝統的な物の場合 ウェイト版の影響をうけたタロットでは 「VIII」と「XI」が逆になっている 「XIII」は無記名のモノもある ↓↑ 大聖堂名はサン・マルコ大聖堂 ↓↑ ・・・「マルコによる福音書」、「マタイ、マルコ、ルカの共観福音書」の「第二福音書=マルコ伝」、「Marcus」、「馬(瑪)可傳」・・・これは「馬子伝⇔蘇我馬子伝」だろう・・・石舞台は空だったけれど、「チビまる子」ちゃんはドウ、考える・・・ ↓↑ 「マルコ(馬可・瑪可)福音書」 本文には著者を「マルコ(ヨハネ)」に 同定するものはない・・・「余ハネ」・・・? 第二福音書(マルコ福音書)の著者は 「ペトロ」の通訳を務めた弟子で、 「ペトロ」からイエスの生涯について聞き取った 「マルコ(ヨハネ)」であるとされてきた・・・ 「マルコ」は イエスを直接知る人々から イエスについての証言を聞いた・・・ 「パピアス」の資料は現存せず、 カイサリアの 「エウセビオス」の引用によってのみ知られている ↓ 「長老たちによれば、 マルコは ペトロの通訳になり、 ペトロの記憶していたことを 忠実に記録したという。 しかし、それは決して イエスの生涯における 時間の流れに正確に沿ったものではなかった。 マルコ自身は イエスに会ったことはなく、 ペトロから イエスについて聞いたのである。 しかし ペトロの言葉も 聴く人々のその時々の 必要に応じたものであって、 決して イエスの言葉を 体系的にまとめることを意図していなかった。 マルコ自身に関していうなら、 彼はペトロから聞いたことを 忠実に記録し、 決して 自ら 加筆修正することはなかった」 ・・・「又聞き(また聞き・マタギキ・亦聞き)」と言う事か・・・兎に角、「ヘブライ語」を「ギリシャ語」に置き換えるコトが伝道者の悩みであったろう・・・ ボクのオヤジのカタミの 「マルコ伝(馬可聖福音書叙言)」には 「第二福音書の記者マルコ、一名、ヨハネの事蹟は使徒行録、及びパウロ書翰の中に見えて・・・云々」、 「パウロ、バルナバの両人の第一回傳導旅行に従いしがマケドニア國の布教に従う事を否みし為、一時、 バルナバと パウロの争論の種となり・・・バルナバと布教・・・又再びパウロと會い・・・云々」 とあるから、「パウロ(サウル・ギリシャ系ユダヤ人)」とも縁が深かったハズだが、問題は「ギリシャ人・ギリシャ語」⇔「ローマ人・ラテン語」である・・・布教の対象は「ローマ帝国の人々」であった・・・「ヨハネ(マルコ・ヘブライ語人でギリシャ語通訳者)はパウロの最初の宣教旅行にバルナバと同行したが、パンフィリア州から一人、エルサレムへ帰ってしまった。パウロ(ギリシャ語系人)はこのことを根に持っており、第二回宣教旅行ではパウロがマルコの同行を拒否してバルナバと喧嘩別れしてしまう。マルコは結局バルナバと共にキプロス島へ向かった。これは西暦50年頃のことと推定される。使徒行伝ではマルコについての記述はここで終わっている」・・・ 「パウロ」はローマの属州「キリキア(Cilicia)」 キリキア=トルコ南部にある、 地中海に面した一地域の名前 地中海をへだてて キプロスと向かい合い、 南東部に シリアが位置する地域 北は、 カッパドキアと接している の州都 タルソス生まれのユダヤ人で 「ローマ市民権」の保持者。 「サウロ」はユダヤ名であり、ギリシア語名では「パウロス」・・・キリストの最初からの弟子ではなく、キリスト弾圧者で、イエス死後に「ダマスカス(Dimashq・シャーム=sham・アッシャーム=ディマシュク・アッシャーム (Dimashq ash-Sham)・シリア・アラブ共和国の首都)=ダマスコ」への途上で「回心(幻聴・幻覚・啓示で?)」した人物である・・・「眼から鱗」・・・「アナニア」・・・「阿那邇夜志愛-袁登賣袁(おとめ)」、「阿那邇夜志愛-袁登古袁(おとこ)」・・・「騙す化す」・・・?・・・ 以下はボクの「パウロ考」・・・ヒマならトライしてミル ↓ http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/hancyuron/hancyuron2.htm ーーーーー 数字(numeral) 数(数値・数量・number) を表現するための 記号(figure,digit) および 文字(character・letter) アラビア数字の 1, 2, 3, 4, 5, ... と ローマ数字の I, II, III, IV, V, ... とは 異なる数字だが、 同じ数を表す 数を表す語は数詞 数を表す数字の 記号(figure, digit:例はアラビア数字) と 文字(character, letter:例はローマ数字) とを区別される 「西暦年号」に「0」年はない ←5←4←3←2←bc1ad→2→3→4→5→ 「0」から始まる「±」 -←-5←-4←-3←-2←-1←0→+1→+2→+3→+4→+5→+ この場合「0」は「±」は関係なく「加減実数変化のメモリの起点」で、 「-1+1=0」、「-2+2=0」、「-3+3=0」、 「-4+4=0」、「-5+5=0」・・・ 本来の「0」は「全部」というコトである。 当然、 「(X数)×0=0」、「(X数)÷0=0」 「0」に「乗除」された「数」は「0」である。 ーーーーー 「カネ」を借りて「モノ」を買い、その「モノ」で損するヒト、得するヒトを動かすモノ・・・「損得勘定」か「尊徳感情」か・・・博奕感情、エゴ勘定・・・イズレ、破綻の「塞翁が馬」・・・ ↓ ウォール街大暴落(Wall Street Crash) 1929年に発生した株価大暴落 ↓ ブラックマンデー(Black Monday) 1987年10月19日 史上最大規模の世界的株価大暴落 ↓ リーマン・ショック 2008年9月15日 アメリカ合衆国の 投資銀行 リーマン・ブラザーズが破綻 (Bankruptcy of Lehman Brothers) 続発的に世界的金融危機が発生
ーーーーー ・・・???・・・ ↓↑ ↓↑ 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
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モウ君の総合目次(倉庫入り昔のぺ-ジです)では若干覗(覘)けるカモ・・・
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コジキ姫「壱与」、カンジて赤い絨毯にのり、空をカケメグル 「古事記・字源」物語
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・・・興味があるなら・・・ドウゾ・・・
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