オン釈迦の「纂・狭間・在間」・・・?
・・・釈迦は自分自身を信仰対象であるとは考えていなかった・・・初期仏教においては「仏像」は存在しなかった・・・
「仏陀=死者」となった「釈迦=生者の姿=思想」は人の手で表現できない・・・象徴としてストゥーパ(卒塔婆、遺骨=舎利=米粒)、法輪(教えが広まる様子を輪で表現=一点から波及する波の輪の形状)や、仏足石(石に刻んだ足跡=足跡=履歴・経歴)、菩提樹(「種・根・芽・葉・茎・幹・枝・葉・花・実・落葉・枯木(灌木)」のプロセスの象徴)などを礼拝・・・インドの初期仏教美術には仏伝図(釈迦の生涯を表した浮き彫りなど)は多数あるが、「釈迦の姿は表されず」、足跡、菩提樹、台座などによってその存在が暗示されるのみだった・・・
時代を経て「仏の教えを伝えるため」に図画化していく・・・すなわち、仏の身体の部分の形を「喩(譬)え」、その意味に添って、その教えを「視覚化」するモノとした・・・
では、「螺髪(ラハツ・ラホツ)の形」の意味は?・・・ダレも、その「比喩内容」は説明していないようだが・・・「天然パーマ(縮れ毛(ちぢれげ)」・・・
以下、「原文」が面白かったので「コペピ?」して、改作して添付・・・
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十二支縁起
無明(むみょう、巴: avijjā, 梵: avidyā)
過去世の無始の煩悩
煩悩の根本が無明なので代表名とした
明るくないこと
迷いの中にいること
行 (ぎょう、巴:saṅkhāra, 梵: saṃskāra)
志向作用
物事がそのようになる力=業
識 (しき、巴: viññāna, 梵: vijñāna)
識別作用=好き嫌い、選別、差別の元
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名色(みょうしき、nāma-rūpa)
物質現象(肉体)と精神現象(心)
実際の形と、その名前
・・・「色即是空・空即是色」の対象認識と、その概念規定・・・
存在対象の「人間思考、記憶の認識論」であろう・・・
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六処(ろくしょ、巴: saḷāyatana, 梵: ṣaḍāyatana)
六つの感覚器官
眼耳鼻舌身意
触 (そく、巴: phassa, 梵: sparśa)
六つの感覚器官に、
それぞれの感受対象が触れること
外界との接触
受 (じゅ、vedanā)
感受作用
六処、触による感受
愛 (あい、巴: taṇhā, 梵: tṛṣṇā)
渇愛
取 (しゅ、upādāna)
執着
有 (う、bhava)
存在
生存
生 (しょう、jāti)
生まれること
老死(ろうし、jarā-maraṇa)
老いと死
寿命
↓
十二因縁
老死によって無常苦が語られ、
生においても苦が語られている
生老死がなぜ苦なのか
生活こそ
生老死を苦とする根本であり、
それを有という
生活の行為が生老死を苦と感じさせるのはなぜか
常に執着をもった生活をしているから
自分自身と自分の所有へのとらわれが理由
「取(執着)」は愛による
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有愛(bhava-taNhaa)
存在欲
生きることを渇望する心
非有愛(vibhava-taNhaa)
非存在欲
有愛がはばまれる時に起こる
死を求める心
欲愛(kaama-taNhaa)
刺激欲
感覚器官からの刺激を求める心
思考やイメージなど、
自分の心(意根)で生み出す刺激
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四諦=四聖諦
苦諦=この世界は苦しみに満ちていると
集諦=苦の原因がなんであるか
滅諦=苦の原因を滅すれば苦も滅すること
道諦=苦の滅を実現する道を明らかにする
「諦(タイ)」
「諦(あきら)める」
↓
苦諦=苦を仕方ないと諦める
集諦=苦の原因を知って諦める
滅諦=苦の滅を諦める
道諦=苦の滅を実現する道を諦める
「諦める」は気づく、気がつくという意味
固執してしがみつくのをやめるということ
「遍知」、「滅除」、「成就」、「修習」
すなわち、
苦は「知り尽くすべきもの」(遍知)
苦の原因は「滅するべきもの」(滅除)
苦の滅は「実現すべきもの」(成就)
苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)
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・・・羅紗面、面妖(綿羊)・・・
羅紗緬(らしゃめん、羅紗綿)は、綿羊のことで、日本においてもっぱら外国人を相手に取っていた遊女、あるいは外国人の妾となった女性のことを指す蔑称。 洋妾(ようしょう)、外妾(がいしょう)とも言われる・・・
幕末開国後の
1860年頃から使われだした言葉
西洋の船乗りが
食用と性欲の解消の為に船に
ヒツジを載せていたとする「俗説?」が信じられていたため・・・「俗説」なのか?・・・
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安政六年(1859年)
開国・横浜開港
江戸幕府公認で、主に外国人の相手を目的とした
港崎遊郭が関内に開業
幕府は
外国人専用の公娼(羅紗緬)を鑑札制にし、
管理を遊女屋に託した
遊郭内では、
外国人は羅紗緬しか選ぶことができなかった
幕府は
日本人の娘が外国人男性と結婚するのを禁じていた
万延元年(1860年)
港崎遊郭の羅紗緬に外国人の妾になることも許可
遊女は遊女屋と
証書契約を結んで鑑札を受けてのちに
外国人の妾となり、
給料の中から遊女屋へ鑑札料を支払った
文久二年(1862年)
神奈川奉行所の調べで
羅紗緬鑑札の所持者は
500人
素人の羅紗緬の出現
「もぐり羅紗緬」
妾は結婚ではないから
奉行所は取り締まることができなかった
文久二年~慶応二年頃まで
異人館通いの
羅紗緬が
2400〜2500人に増えた・・・
慶応二年(1866年)
豚屋火事で港崎遊郭が全焼
明治五年(1872年)
吉原遊郭では羅紗緬は鑑札を要せず、
在住地官長への届け出制となった・・・
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以上は「ウイッキペデア」の記録である・・・
現在のオランダ(阿蘭陀)では法的に認められた「正規の職業」としての「労働者」であるらしい・・・
・・・「日本国憲法」は「職業の選択の自由」の記録があるらしい・・・が・・・
「日本国憲法 第22条は、日本国憲法第3章にあり居住、移転の自由、職業選択の自由、外国移住、国籍離脱の自由について規定」・・・
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日本国憲法
第二十二条
何人も、
公共の福祉に反しない限り、
居住、
移転
及び
職業選択の自由を有する。
何人も、
外国に移住し、
又は
国籍を離脱する自由を侵されない。
・・・「公共の福祉」って、なんだろう・・・
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大日本帝国憲法
第二十二條
日本臣民ハ
法律ノ範圍内ニ於テ
居住
及
移轉ノ自由ヲ有ス
・・・「法律ノ範圍内」って、なんだろう・・・
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